May 23, 2005
到着!
いよいよアメリカへ出発の日、5月23日。
セントレアを飛び立ち、アメリカNewark空港へ無事到着した。
セントレアを飛び立ち、アメリカNewark空港へ無事到着した。
入国審査は割とあっさりしていた。
審査官にかなり依存しそうな雰囲気で、陽気な人だったのが
良かったようだ。
質問も「student?」と聞かれたことくらいか?
(研究者だよ!)
税関審査は、一応まじめに10,000ドル以上持ち込んでいる、
という欄にチェックを入れたので、別の書類に必要事項を記入
することになった。
基本的にいくら持ち込んでも、問題はないようだった。
ただ、待ち時間などがかなりかかって、乗り換え時間にゆとりが
あって助かった。
飛行機に預けた荷物は段ボール1つとスーツケース。
段ボールにつけていたキャリアは、デトロイトーニューアーク間で
ロストしてしまった。が、箱の中身は全く大丈夫だった。
空港についてからタクシーでRutgers大学へ向かった。
そして、Kenとあって、一通りラボのメンバーに挨拶をしたあと、
PCをネットワークにつなげられるようにした。
この日から住まいが決まるまでは、お隣のラボのMさんが親切にも
アパートに泊めてくれるということで一緒に帰った。
確かに旅の疲れはあったが、アメリカへ来たということで興奮して、
10時過ぎまで起きていた。
審査官にかなり依存しそうな雰囲気で、陽気な人だったのが
良かったようだ。
質問も「student?」と聞かれたことくらいか?
(研究者だよ!)
税関審査は、一応まじめに10,000ドル以上持ち込んでいる、
という欄にチェックを入れたので、別の書類に必要事項を記入
することになった。
基本的にいくら持ち込んでも、問題はないようだった。
ただ、待ち時間などがかなりかかって、乗り換え時間にゆとりが
あって助かった。
飛行機に預けた荷物は段ボール1つとスーツケース。
段ボールにつけていたキャリアは、デトロイトーニューアーク間で
ロストしてしまった。が、箱の中身は全く大丈夫だった。
空港についてからタクシーでRutgers大学へ向かった。
そして、Kenとあって、一通りラボのメンバーに挨拶をしたあと、
PCをネットワークにつなげられるようにした。
この日から住まいが決まるまでは、お隣のラボのMさんが親切にも
アパートに泊めてくれるということで一緒に帰った。
確かに旅の疲れはあったが、アメリカへ来たということで興奮して、
10時過ぎまで起きていた。