勇者のおもちゃ屋さんブログ☆

ここは趣味のゲームとかアニメとか、ちょこっとだけ手を加えたおもちゃとかを紹介するブログになるかもしれない予定の場所☆☆☆ 全てに置いてにわかなのはまぁ気にしない方向で( ̄▽ ̄;) ちなみに、好きなものをちょこっと書いて見る…勇者シリーズ、エルドランシリーズ、ワタルシリーズ、ゾイドシリーズ、ロックマンシリーズ、カービィ、ポケットモンスター縮めてポケモン、ドラゴンボール等々、そう言う物がごちゃごちゃ出て来るブログ…かどうかはわからない(笑) ちなみにゲームだとドラゴンボールレイジングブラスト2とドラゴンボールヒーローズに只今大ハマり中(≧∀≦)

ブログ活動略してブロカツ復活!!

んで今度からはこっちで書いてくおっ


http://yuusha.jp/


うん、簡単簡単オヌヌメオヌヌメって書いてあったからやってみたけんど(有料ブログの方が見てもらい易いらしいから)まぁとびっきり訳が分からないおねぇ、うん、日本語で書いてあっても難解大冒険だお、でもお金払っちったからあっちでやるしか…ない(遠い目)

ってな訳でまたよろしくねんっ、しばらくはググっただけじゃあ検索に出なそうだおねぇ( ̄ω ̄;)



DSC_1022



ちなみにちょこっとだけ紹介あっちの一発目の記事はfigmaのポケットモンスターサンムーン主人公ミヅキちゃそだおっ\(^ω^)/


という訳でまたよろしくねんっ、ばいちゃヽ(*´ω`)ノシ

遂に…

放置しきったブログが復活する…と見せ掛けて旅立つ!?


近日復活予定(予定は未定)

バカは死んだら治った?~入院好きと医療ミス~

今回はちょっと趣向を変えて小説様な形で…。





これは誰にでも起こるかも知れない父に起きた医療ミスの話。



父と言っても実際は僕の母方の祖父で、産まれた頃に父を交通事故で亡くし、3歳の頃に母がくも膜下出血で亡くなって以降僕の事をずっと育ててくれていたので父と言って過言はない。


20歳を超えたら手続きの都合が良いらしく養子と言う形で登録し直して書類上でも息子になった。


父と父と同い年の母(本当なら祖母)僕の産みの親の弟で前は叔父だったのだが書類上でも兄になった歳の離れた兄弟と僕を含めた4人家族で住んでいる。


小さい家族として昔は猫や台風の日に傷付いた鳥を保護したりハムスターを何匹も飼っていたのだが、別れが哀しいので最近は何も飼っていない。


父の話に戻すと…基本的には父切っ掛けで毎日一回以上は家族の誰かと物凄く殺伐とした口喧嘩(手も出る時も)が始まる。しかも大半が自分が暇になったりイライラしてる時の八つ当たりなのでたちが悪い。


父がそんな感じで家族全員に喧嘩を吹っ掛けるのが日常茶飯事で家族間でも良く喧嘩をするので常に喧嘩の絶えない家だったりする。


僕が小さい時に父の会社関係のお祭りに連れて行って貰った時は突然用事を思い出したと並んでた屋台の列を離れて幼い僕一人残しどこかに離れてる間に列が分岐して違う列に並ばされてしまいショックを受けていると近くで見ていたらしく「なんでちゃんと並んでないんだ!」と嫌がらせの様に言われた。


ここ最近もお買い物に行く時は荷物持ちとしてちょくちょく着いて行かされるのだが、好きな物を買っても良いと言う言葉通りにするとその日の気分でレジの前で愚痴が始まる…家族の悪口を他人に聞こえる様に言うのが好きと言う悪趣味の持ち主である。


家族の事を心配していると言い張ってはいるが機嫌が悪いと死ねとか僕に至っては小さい頃に見棄てれば良かったと本音かどうかはさて置き割りと最底発言も多い、実際に僕の(産みの)母は父と大喧嘩した日に体調も良くなかったのに馴れないワインをガブ飲みしたのが切っ掛けになったのかくも膜下出血で亡くなった。


僕が3歳の時に今の母に「夕飯の支度が出来たから呼んで来て」と言われていつもの通りに部屋に呼びに行くと調子悪くて寝ていたのか部屋が真っ暗だったので電気をつけようと部屋に入ると部屋から子供が両手を拡げた位の大きさのとてつもなく大きな目玉(右か左かは分からない)が迫って来て怖くなってドアを閉じた…


見間違いかと思ってもう一度ドアを開けると今度はとてつもなく大きな鼻が迫って来た…また怖くなってドアを閉めてしまったが、これは(産みの)母が何かに襲われてるのではないかと思い勇気を出してもう一度ドアを開く大きな唇が迫って来て遂に心が折れた僕は階段を掛け降り今の父と母に見に行って貰ったら…そこには僕の産みの親の亡骸…。


いつも夕飯の時に呼びに行っていたので部屋が真っ暗な時も何度もありただただ電気をつけて起こすと言ういつもの行動だったはずなのに、その日だけは「何か」を感じ取れたのかも知れない…そう言う存在も否定だけするのはどうかなっと思っている人だったりする。


人間の脳の思い込みが目に映る時もあるらしいのだが、そもそも亡くなってるのを知らなかった訳だからそれは当てはまらないと思う。よく臓器提供された人は臓器提供した人の記憶も受け継ぐみたいな話を聞くけど、もしかしたら臓器や部位にも個々に魂があってその魂が扉を開けたら飛んで逝ったのかも知れない…。


そして3人家族になって少しした辺りでちょくちょく遊びに来ていた僕の産みの親の弟を父の会社で働かせるべく元いた会社を辞めさせ父の会社に入れたとの事で、同じ会社なのと部屋も空いていたのでまた4人家族になった。


それから何度かの修羅場を乗り切り一応喧嘩は絶えないが平穏無事な今を過ごしている。父が家族の事を小バカにした様に他人に喋る癖があるので僕が専門学校に入った辺りからは何をしているかは父にだけは喋っていない。


とりあえず機嫌が良い時は大盤振る舞いでお小遣いをくれたり(これは多趣味なので助かる)お買い物で好きな物も荷物持ちの代償として買えるので良く一緒に出掛けてはいるので何だかんだで家族の中では一応僕が父と一番仲が良いのかも知れない。


現に自分の部屋で寝ると夏も特に冬も部屋の構造が悪いせいかとんでもない環境になるので小学校低学年で一人で寝ていたのに直ぐに親の部屋に戻った。


母が階段を上がるのが億劫になってしまったので下の部屋で寝る様になってからは部屋の両端で頭と足の向きを逆さまにして真ん中に夏でもヒーターと布を置いて壁を作りながら一緒に寝ている。一応一緒に寝ていると言っても間違い出はないはず。


ここ数年は高齢者は国からの補助金で9割負担だからと毎年の様に少しでもどこか調子が悪くなって来ると直ぐに入院する様になっている。そしてどうやらみんなに心配して貰うのも好きな模様。


父は83歳になっても髪は真っ黒、車の運転は朝飯前、杖を使わずに散歩にも行き、ごった煮を作ってコンロを汚した上に暫く放置して腐らしてからも食べ(結果少し腹を壊す)とやりたい放題出来てるのに更に元気になろうと手術手術手術…入院するのは体調の悪い人なはずなのに…。


ここ最近は少し息をし辛いらしく口を尖らせて口笛を吹く様にわざと大袈裟に息をしているので、兄がそれを注意すると怒りだして良く家族と喧嘩をしている。喧嘩して怒鳴ってる最中や外でお買い物してる時等何かに集中していると口を尖らせるのを忘れるので口笛は出ないのだが、いくら本人に言っても直そうとはしない。


そして何度触らないでと言っても布団は勝手に干して尚且つ干す位置が悪いのか二階から良く落っことし土を付けて来たり、家族全員がイスに座れないごちゃごちゃとした家だったのと父が余計な事ばかり言ってくるのでその場を離れるといつもお茶碗を勝手に洗って尚且つ文句を言う…。


これだけならまぁ洗って貰ったので良しとなるが、生乾きのカビが心配なタオルで拭かれるので結局2回洗う事になるので本当に迷惑だったりする。


そして入院する数週間位前にもまた僕のお茶碗を洗っていたのだが、十数年愛用していたなかなか渋くて可愛いウサギのお茶碗を遂に割られてしまった…。そして兄が買って来てくれた新しいお茶碗も父の魔の手により1週間の短い命だった…。


なお、2回目はパリーンと聞こえて直ぐに二階から降りてきたらヘラヘラとしてまるで悪びれていなかった…自分のお茶碗や湯呑みはまるで割らないのに触らないでと忠告している僕のお茶碗を割りまくるとは何事だっ!!っと思ってももう怒るのも疲れたからそのまま二階に…。


1週間の短い命を終えたお茶碗の次に買って来て貰った新しいお茶碗は…いまいちパッとはしないものの何とか無事に家にいる。



そして…



2016年11月15日(火)入院



「じゃあ行ってくる」寝不足気味の寝惚け眼の僕に父が喋り掛けて来た。そう言えば数日前から入院入院と言ってそわそわと落ち着かない様子だった。寝室のポスターには楽しみにしているかの如く太いマジックペンの黒で殴り書きがしてあった。



image




どうやら兄にも母にも何で入院するのかも入院する日も具体的には言っていなかったらしい。


今回は医者から家族への手術説明もなければ同意書も無いままに入院してしまった。


多分父が家の人は同意書を書かないからと自分で書いてしまったのではないだろうか?筆跡で分かりそうなものだが…。


そしていつもなら医者から兄に確りと説明があり、その後で同意書を書かされているらしいのだが…今回の医者は適当だったのだろう。


これまでは友達のお医者さんに色々相談して手術を決めていたらしいのだが、少し前から友達のお医者さんにボケが始まってしまったとかで相談出来なかったので、今回は少し不安だった様なのだが…


少し前に大臣をやっていた友達に同じ手術をしたが大丈夫だったと後押しをされ、今回の医者も父と同じ三重出身だったりと上手い事乗せられて手術を受ける事になった模様。父は家族の言う事よりも他人の言う事の方が良く聞く性格だから仕方がない。



2016年11月18日(金)手術



どうやら無事手術は成功した様で、病院食をガツガツと食べているとの事。今回も僕はお見舞いに行く必要はない様だ。今まで1度も父の旅行(手術)のお見舞いには行った事がない。前に1度何かの手術で危なかった時もあったのらしいのだが、半分旅行気分で手術に行ってる様な人なので特には行く理由もない。



11月23日(水)今は夕方じゃない



朝の5時頃に僕のスマートフォンに突然父からの電話が掛かって来た。お休みだったので朝までゲームをしていて丁度キリも良かったので3時間位寝ようかと思っていたタイミングだった。


入院して2日位はちょこちょこ掛けて来てはいたが特に用事のない時は電話掛けないで言って切ったのでそれ以来振りの父からの電話だ。


入院してる時特有のあまり喋らず生活のせいで滑舌がボロボロだが要約すると、思っていたよりも入院期間が長く感じて飽きて来てしまったのと寝て起きての生活で時間の感覚がボケてしまい、夕方だけど冬だから真っ暗だと思っていたとの事…他の患者さん達にも大きな声で話してると迷惑なので電話切る様に言ったがなかなか切ってくれない。


少し寂しくなってしまったみたいでなるべく大きな声を出さない様にと注意して十数分喋って電話を切った。一応廊下の端の方には行っていたらしいのだが、まぁ夜中と言うか早朝だと他の人の迷惑になるのでなるべく早く切るしかない。


そして僕の方はその日か次の日位に諸事情によりお金を貸している知り合いから「最近私に関わってる人の親族に不幸がよく起きてきるんだけど大丈夫?」との電話が掛かって来た…。


またお金貸してとお願いされると思っていたのでほっと一息、迷信系の話は特には信じていないのだが、そんなに知り合い本人ではなく知り合いの親族に不幸があると言うのも今はなるべくなら関わりたくない話。取り敢えず余計な心配をさせない様に父の入院の事は言わずに電話を切った。



2016年11月25日(金)発見遅れ



朝からまた僕のスマホに電話が掛かって来た、また父かと思ったら知らない電話番号…取り合えず無視していたら今度は家電にも掛かって来たので兄が電話に出たら、病院からの電話だった…。


手術から1週間が経ち、そろそろ退院が近付いて来たと言う時に、突然の血便…


兄が医者からの連絡を受けて病院に向かった。父の容体が芳しくないらしい、しかしその事を伝えられても僕はいまいちピンと来なかった。前にも同じ様な事を言われたが元気に帰って来たからである。今回も僕は特に心配はしない…。


取り敢えず父の容体が落ち着いたらしく兄がその日の夜には帰って来た…やはりお見舞いに行かなくて正解だった。数日前にも父が「どうせアイツは見舞には来ない」と言っていたらしく、逆にいつもお見舞いに行かないのに僕がお見舞いに行ったらまるで余命僅かだと思って逆に調子が悪くなるかも知れないのでこれで良い…いつも通りが一番。


帰って来た兄から聞かされたのは「腸が腐り始めているらしい」と言う普段わざわざ食べ物を腐り易い状態にして食べたりお餅のカビもちゃんと取らないで食べては少し腹を壊す程度で元気に過ごしている父からは想像も出来ない状況だった。


今回は心臓の管が破けない様に補強する手術だったらしく全く関係のない場所が何故と思い調べたら…検査の時に心臓のカテーテルを身体に入れるのに太股の付け根らしく腸は通り道になっているとの事。


実際はカテーテルを入れた時の影響なのか手術の影響なのかは分からないがインターネットで調べて見た所、手術後に定期的にレントゲンを撮って調べていれば早期発見する事が出来てそこまで恐ろしい事はないらしいが…。


どうやら今回の医者が手術が成功したと満身したのか、僕の住んでいる街では一番大きい病院の1フロアを丸々担当してる様に見えたので患者の数が多くて手が回らなかったのか、一人でも多く手術をしてポイントを稼ぎたかったのかは分からないが結果としてしっかりと定期的に診察して貰う事が出来ずに発見が遅れてしまったらしい…。


腸管壊死…初めて聞くこの単語だけでも十二分に危険な状態なのが分かるが、調べて見た所…この状態になると早い人だと1日で亡くなっていた。



2016年11月29日(火)行きたくなかったお見舞い



僕がお見舞いに行ったら余計に父が「本当に危ない」のを察し余計に体調を崩すのではと思いつつも流石にお見舞いに行かない訳にもいかない状況になりつつある様なのでお見舞いに行く事に…。


しかし朝方は親戚の方が来るとの事なので父といつも通りの感じにゆっくりと話が出来ないと思いやはり無理をせず時間に余裕のある夕方に行く事にした。
もしかしたら日中にも連絡が掛かって来るのではとそわそわとスマホを気にしながら夕方を迎え、遂に一旦帰って来た兄の車に乗り病院へ…。


とにかくいつも通りに、それを心掛けて話すと決めた。部屋の場所を確認したので、落ち着く為にトイレに…流石にここら辺では一番大きい病院なだけの事はあり、そして病院に来なれていない事もあり、軽く迷いそうになる。一応院内はそこまで涼しくはないものの「何か」あった時にすぐ対応出来る様に結構な病室のドアが開いたままだった。


父の病室はナースステーションの真横の個室でやはり相当な状態らしい…。入らず視ずに帰りたい気持ちが半分あったがここまで来たらもう逃げられない、嘘の様な現実がドアを開け放したカーテン二枚越しにある…。


兄が父に珍しい奴が来てると説明をした所で僕の登場だ、数日前に「どうせアイツは見舞には来ない!」と言った相手が来たわけだから良くも悪くも嘸かし驚くだろう。


しかし、驚いたのは僕の方だった…見慣れない機械や道具、夥しい数の父の身体に繋がれた管、ドラマ等で観れるものの何倍もの管が父の身体に繋がれていた…。そして僕が来た事への反応と言うよりは僕がイマイチ解らない感じだった、どんなに喧嘩して仲の悪い時でも友達と旅行に行っている時ですら口癖の様に僕の名前を呼んでいた父が…。


一般の患者さんは面会時間に制限があるのだが、個室…つまりは相当危険な状態の父は面会時間に関係なく何時でも会いに来て良いらしい…。


こんなに酷い事になっていたのかと衝撃を受けていたが、どうやら夕方は投与している薬の影響でここ最近は頭がぼーっとしているらしい。


そして予定表の様な物に今までは予定が書いてあったらしいのだが、それの予定が何も書いていないので父は不安になっていて「予定表はぁ…予定表はぁ」っと滑舌がボロボロになって聞き取る事が少し難しくなった声で訴えていた。



とりあえず少し挨拶をしたら寝てしまったのと状態も安定しているので帰る事にした。睡眠時間を奪って更に体力の消費をさせるのも悪いから…帰る背中にピコーンピコーンと無機質な音が響く。


そして話は代わるがこの日は朝から家にガス屋が来たのだが、母が出てしまい今よりも2000円安くなるから今使っているガス屋を代えないかと言う契約の話に頭痛で寝込んでいた僕も巻き込まれてしまった。


今世帯主の父が入院中なのでとは伝えたが何故か僕が父の名前を契約書に書く流れに…頭が痛くてあまり覚えていなかったが、良くなぁなぁで流され易い性格なので気を付けなくてはいけない…。


そして契約書を渡してガス屋が帰ろうとした時に頭痛と寝不足で調子の悪い兄が水を飲みに降りて来てガス屋と遭遇、かなり険悪なムードに…こんな時に勝手に契約書を書いて面倒な事を増やしてしまったのだから当然だった。


流石に険悪なムードに気まずかったからか次の日の午後にもお詫びと契約の確認に来たらしいのだが、家に誰もいなかったのでメモとタオルがポストに入っていた。



2016年12月1日(木)行きたくなったお見舞い



兄が毎日の様にお見舞に行ってくれている。最近は割りと調子も良いらしく、いつも通り喋る事が出来る様なのでこの前の状態がショックで現実逃避していたが僕も会いに行く事に!


柄にもなく神社に行き神様へのお願いに5円よりももっと強く護って貰える様にと金欠だったが500円を投入、イマイチやり方が分からなかったがあまり鳴らない鈴をガラガラと揺らし「父の体調が良くなります様に…」と真似事だけやって病院へ、神様が居たら「普段は通り過ぎるだけの癖に調子が良い奴だなぁ…」と思われた事だろう。


この日は午後から何もなかったので昼過ぎ位には病院に着けた。時間的にお昼を食べていたら悪いなと思ったがそう言えば腸の調子が悪いので暫くは点滴から栄養材を入れるだけだったのでお昼時も何もなかった。


元気っ!もう割りといつも通りになっていて、食べ物は食べれないがたまに看護師の人に氷を貰って喉を潤しているらしい、しかし氷を頼んでもなかなか持って来てくれないと文句を言っていた。忙しいからなのか、腸に水がある程度貯まると抜かないと行けないからなのかは解らないがとにかくなかなか持って来てくれないと愚痴っていた。


喉は乾いているものの点滴で栄養は取っているので元気になって来た模様、良かった…。しかし元気になって来るといつもの様に口喧嘩が始まる、兄も看護師の目の前で「あのバカ」と言われてたのである意味いつも通りだ。


自分から話し掛けて置いて僕が返すと「頭が痛いから黙ってろ!」兄が先生と話しに行ってるので久しぶりに二人での口喧嘩を少々、折角お見舞いに来てるのになんで喧嘩してるんだろうと思いつつも順調に元気になりつつあるからほっとした。


そう言えば兄が病院の人から「薬の影響で少し錯乱してます」と言う話を聞かされたらしいのだが、残念ながら入院が長過ぎて猫被るのを辞めていつものワガママな父に戻っただけだったりする。


とにかく寝た切り生活で脚がムクむからマッサージをしてくれと頼まれたから黙々と揉んだ、僕はマッサージされるのは嫌いだがマッサージするのは割りと上手いらしく昔から色々な人に好評だったりする。


入院生活に飽きてしまって退屈らしいので取り合えずテレビでもみたらと勧めて渋々とテレビを着けていた。テレビもカードを買って観るタイプらしく自由には観れないみたいだ。個室借りてるのにテレビもお金払わないと観れないとは相変わらずセコいと言うかなんと言うか…。


そうこうしていると調子が良くなって来たからなのかもう一度腸を調べたいらしく突然レントゲンを撮る事になり、レントゲンの機械と数人の看護師と医者が入って来たので僕らは追い出される様にして帰らされた。


帰りに兄から聞いた話だとどうやら医者が言うにはこの感じだと正月には家に帰る事が出来るらしい、多分好き放題食べたり飲んだり動いたりしても大丈夫な様に正月前に入院したんだと思われるが、流石に帰ってから暫くはお粥生活との事。


毎年正月用の買い出しに行くぞと一緒に買い出しに行き、レジ前で嫌みを言い、冷凍の大きめのカニを買って食べようとするもなかなか年末年始はなかなか家でゆっくり出来ない僕を待ってて三が日を過ぎた頃に一緒に食べるのがここ数年の流れだったのだが、静かに過ごして居れば大丈夫なのに自分から危険な所に飛び込んだのだから仕方ない。


レントゲンの機械が入って来る少し前に、心配すると逆に不安になりそうなのでいつも通りに、今どんな気持ち?残念だったね?っと煽ったら「今回は失敗した…」と言っていたのでこれに懲りて無駄に入院しない様になってくれるなら良い勉強代と言う事になる。


それにしても数日前までいつ死ぬか分からないと言われてたのに相変わらず物凄い生命力だなぁと感心。


この日は夕方に、この前も来てくれた親戚の方が医者に「どうしてこの様な事になった」のかをとことんまで聞きに来てくれるとの事で僕を家に送り届けてから兄はまたすぐに出掛けた。そして数時間後に兄が医者の話を聞いて帰って来た。親戚の方が色々と聞いてくれたらしい。手術した所自体は成功したとの事…。


その日の深夜に父から電話があった…どうやら突然手術をしたらしい。電話魔の父なのでもう友達にも電話し終わったら後だったらしく、兄達が帰った後直ぐに兄達にも話さずに何故か突然手術したらしい。医者曰く次の日出張で忙しかったのだが、レントゲンをとって「何か」を発見したらしく急遽手術を行う事に決めたらしい。



2016年12月2日(金)突然の湿疹



朝方に兄がお見舞いに行くと、身体中に謎の湿疹が出来て苦しんでいる父がいた。


…手術後に突然湿疹が出たらしい。兄も手術の話を聞かされて居なかったらしく。また、油断出来ない状態になってしまった。


父曰く麻酔をされてても意識はあったとの事で「何か」を抜き取っていたらしい。麻酔をされていても気付くレベルの「何か」が父の身体にあった様だ…。


手術の事を聞かされて居なかった兄が苦しんでいる父を見て看護師に「昨日は何を抜いたんでしたっけ?」と肺に貯まった水を抜くと楽になるらしいので今回もそれで楽になるのではと思い遠回しに頼む感じで聞いてみると、いきなり看護師が血相を変えて「昨日説明したでしょう!!」と怒鳴られたらしい…。


何もなければ「腸に貯まった水を抜きました」だけで済む所を怒鳴る意味とは…。後日兄が医者に父の手術の話を聞くと「かんたんな手術」だったので連絡しなかったとの事…そして謎の湿疹で苦しんでいるのは何故か?と言う質問には一言



「俺にも分からん」



そう、こんな人間に父は命を預けているのが現状だ…しかし今ここで問題を起こして医者と呼びたくもない人間に更に適当な事をされるのは非常に不味い、なので兄は何も気付かない振りをして帰った。


僕はと言うと、毎日の様にお見舞いに行くとまた逆に心配を掛けてしまうのでお見舞いは控える事にしていた…特にこのタイミングで行くと更に不安にさせてしまうから。



2016年12月4日(日)ブドウとトマトを買ってこい!!



朝一で父から電話が掛かって来た。謎の湿疹で苦しんでいたが大分復活して来たらしい、流石の一言。


そして電話の内容は「このままここに居たら何も食えないまま殺されるから、近所のスーパーで小さい房のぶどうとミニトマトを買って来い!持って来たら小遣いやるからな!!」


そんな事を言われてもそれこそ暫く何も食べてないのにいきなりそんな物を食べたら調子が悪くなるので断ると大激怒、何回電話を切ってもまた掛け直して来て何度説得しても「待ってるからなっ!!」の一点張り。


どうやら友達が来てるらしく電話越しに話してる声も聞こえていた。と言うかナースステーションの真横でそんなデカイ声で話してたら丸聞こえだからどの道持って行っても直ぐに取り上げられてしまうのが目に見えている。


父からの電話を無視して僕は約1年前から度々お金を貸して来れと頼まれては貸していた知り合いがまたお金が足りなくなって、振込みだと間に合わないから直接駅まで来て!との事で駅に向かった。


他の人にもお金を借りているらしいのだが、昨日の電話にて「最近お金を借りている人達の家族に不幸が起きている…」との事を言われてぞっとしてその時は黙っていたのだが、父は入院しているが一応無事なので迷信は信じない様にと忠告して帰宅。


そう言えば入院の前日になるといつもの様に「生きて帰って来れるか分からないから…」っと冗談半分に入院前恒例のお小遣いを渡しに来てくれたのだが、入院前最後に貰ったお小遣いはそのまま次の日には知り合いに渡してしまった…


父はどうせまたいつもみたいに僕がおもちゃかゲームでも買うんだろうと思ってたはずなので、正直複雑な心境だった、他人にお金を貸す為にここ最近なんで必死になってるんだろうと…。



2016年12月6日(火)能天気な電話



父からの電話が掛かって来た。母と喋りたいとの事で変な所押して通話が切れない様にスマホをスピーカーモードにして机に置いたので突然切れる心配もなく他愛のない世間話をしていた。


どうやら先日友達が何人か来たらしく、調子も良くなって来ていたのでみんな安心していたらしく近々快気祝いでも贈らないとと気の早い話をしていると、その話を聞いた病院帰りの兄はまだまだ油断出来ないのに何を馬鹿な事を言ってるんだと怒っていた。まぁとりあえずもう少し物が食べれる位に体調が戻ってからにした方が良いのは確かだ。



2016年12月7日(水)クレジットカードがない!?



またまた父から早朝に電話が来た、病院に持って行った鞄を見てみたらクレジットカードが無くなってるから、盗まれた可能性もあるから急いで来いとの事、取り合えず悪用される前にクレジットカードの会社に連絡して利用停止して貰ってと言ったのだが「良いから来い」の一辺倒だ。


どうやらキャッシュカードも見当たらないとの事で大騒ぎしてたのでカード停止のやり方をメールに書いて送っても「メールは見方が分からない!!」…散々教えて分かった分かった言ってたのにこれだ。


そもそも定年退職後は小説を書きたいからとパソコン教室にも通って一応初歩の所は全部出来る様になってたハズなのに飽きてしまったのか放置して大量の年賀状等も毎年殆ど兄にやらせていた。


とにかく呼ばれたら直ぐに駆け付けれると言う訳にも行かないので行けない事を伝えると、普段の元気な時と同じテンションで怒鳴り散らしていた。流石に怒鳴り散らしたせいか数日体調崩してたみたいだが、結局クレジットカードは鞄の底の方で見付かったらしいのとキャッシュカードは車に置きっぱなしだった。


兄がお見舞いに行くと何回かベッドの下の死角になる位置に父の携帯電話が落ちていたらしい、父が携帯がないと何度も言っていたらしく自分で落としたのかどうなのか分からない状況が何度かあったらしい。



2016年12月12日(月)急変



体調も安定して来たしもう大丈夫だろうと思い兄も毎日はお見舞いに行かなくなったのでここ数日は僕もお見舞いには行っていなかった。


結局大騒ぎしたけど、いつも通り父のもう死ぬかも知れないと知り合いに心配を掛けるだけ掛けてけろっと帰って来る流れだったなぁ、そう思っていた頃に夜中に突然の病院からの呼び出しを貰い兄が病院へ向かった…。次の日の朝も予定が入っていたので兄に着いて病院には行かなかった。


が、やはり何か嫌な予感がしたから結局歩いて行く事にした。神社を通る道は良く考えると病院と真逆の方向に行く事になるのだが、とにかく病院に行きたいけど、行きたくなかった。



image




いつも通りいつも通り…いつも通りの道を歩いていればいつも通りになる、そう思い込んでいつも通る森を抜け神社へ、近くのコンビニで両替して貰った500円玉を投げ入れてまた鳴らない金を揺らした…。


最早神様に頼むのに失礼な位に無礼極まりない言葉で必死に祈った。今までも祈った後に父が元気になって行ったのでとにかく必死に祈った。そして駆け足で神社を離れて病院へのほぼ一直線の道路を進んだ…。普通に歩けば30分位の所だがやはり途中から歩みが遅くなって行った。


願掛けをしながら行こうと言う事で1度も信号待ちしないで行けたら父は大丈夫と言う事にして進む。10回以上ある信号を早歩きをしたり少し速度を遅めたりしながら何とか進んでいると目の前を黒猫が横切った…。一瞬ヒヤっとしたが、友達の黒猫もいるがあの子とずっと一緒にいても悪い事なんてなかったのでそんな迷信は直ぐに忘れた。


そして病院が信号残り2つ先までと言う所で道路工事をしていて信号の見えない所にそれて移動しなくては行けない所を通り…信号は赤に…車が来てないのを確認しつつ歩みを止めずに歩道から斜めに逸れながら歩いた。歩みを止めなかった事、その事だけでも大事にしたかった。


父がどこかに行く時は必ずと言って良い程に雨が降る、病院へ向かう途中も少しだけ雨がパラついて来た。


やっと病院の緊急患者用の裏口に着いたが…道路からただ右に曲がれば敷地に入れると言う所まで来て脚が進まない…。取り合えずトイレを済ましてから入ろうと近くのコンビニににてトイレを借りた。


病院でトイレを借りれば良いのだが、病院に入ったらもう直ぐにでも父に何かあるんじゃないか、逆に僕が病院に辿り着かなければ父はこのままの状態を保っていられるんじゃないかと訳の分からない事を考えつつなかなか進まない足取りで再び病院の緊急患者用入り口に辿り着いた…。


父が入院して体調が悪くなってからも良く現実逃避も兼ねて遊びに行ったが正に今それをしたい…が、残念ながら深夜であり病院以外近くにはコンビニ位しか僕の入れるお店はやっていない…とにかく覚悟を決めて入った。


入り口でプレートを貰おうとしたが係りの人が居なかったのでそのまま父の居るフロアまで行き、ナースステーションの受付でプレートを貰った。一人先に来てる場合は同じ紙に書けば良いらしく直ぐに父の所に行けた。


開けっ放しの入り口から父の絶叫が聞こえる…。入るのが恐い…。でもここまで来てそうも言っていられないので僕は父の病室へと入った。そこにはいつものわざとらしく苦しそうな振りをしている父ではなく本当に苦しんでいる父が居た。時刻は午前0時を過ぎていたので短く見積もっても既に2時間以上はこの状況と言う事になる。


入り口のカーテンの2枚目が被る位の位置に付き添い人が仮眠を取る為の膝竹よりももっと低い位置の弾力性等まるでないベッドが用意されていた…今まではそんな物はなかったのに…これがどう言う意味かは考えたくなかった…。


僕が来たので兄は一旦部屋を離れる事になり、入り口は開けっ放しだが父と二人きりになった。あまり身体を自由に動かせないらしく痛みで暴れる度に布団から身体がはみ出して寒がっていたのでその度に布団を掛け直した。付きっきりの看護師も居ない様なので家族が来なかったらそれだけで更に辛い思いをしていたと思うので来て良かった…。


そして、こんなに痛がっているのに痛み止の強さは既に最高の物が使われているらしく…これの上は痛みが無くなるのと引き換えに亡くなる可能性が高い物のみとの事で、当たり前だが使用時には兄に連絡が行く事になっているらしい…。


布団から出ている首の付け根や肩等をさすって冷えない様にした。こう言う時は手が温かいのが役に立つ。それにしても腕が冷たい、生きてる人間かどうか分からなくなる位に血行が悪いみたいだ…


足も血行が悪いらしくマッサージしてあげたら気持ち良かったらしい、ただ布団がズレない様にベッドの端と端とで挟んであるので上の掛け布団は捲れるが直接は足に触れられないので本当にこれが足なのだろうか?と思いながらマッサージをした。


元気になれっ元気になれとさすっているので布団から出ている部分も少し温かくなって来た…しかし5分から10分で絶叫しながら起きるを繰り返しているので体力の低下が気になる。


起きる度に「まだ居たのか」と驚いたり「お前も少し寝ろ」と逆に僕の心配をしたりしている…そして絶叫で起きる度にナースコールを押すも来ても特に出来る事がないのであまり呼びすぎると本当に危なくなった時に来てくれなくなると思い絶叫で起きてもお腹をさすってあげると痛みが早く取れるみたいなのでそれで何度も何度も対処した。


身体をさすりながら少ない灯りで父を見ていると腕はこの前の湿疹でボロボロ、唇も渇ききっていて切れていた。


そして「いつも通り」を装う為に真夜中に絶叫すると隣の隣の人に迷惑が掛かるからと静かにする様に注意して少しでも絶叫を抑える様に頼んだ…絶叫を抑える事で少しでも体力の温存に繋がれば良いなと思いつつもこんな時ですら素直になれない自分に正直混乱していた。


何度かナースコールを押して痰を取って貰っていたがその時だけは少し部屋を離れる事を勧められたので戻ってきた兄と二人でナースステーションの斜め前にあるテレビやソファーやテーブルの置いてある空間に来て二人ともソファーに腰掛けた。


良くドラマでこう言う時は時計の音が煩い位に鳴り響いている状況があるが本当にそれだった…カッチカッチカッチカッチ…頭の中が壊れそうになる位に時計の針の音が響く。


…ふとスマホを見るとメールや電話の履歴が出てた。そう言えば来る前に明日は念の為にお休みを取っていた。そんなやり取りをした事もすっかり忘れていた。念の為…何が念の為だ。


もうそろそろ部屋に戻っても大丈夫だろうと思い帰ると痰を取り終えてほんの少しだけ楽になっていた父だけがいた。看護師の人も一言声を掛けてくれれば良いのにと思いつつもまた身体が冷えない様にさするを繰り返す。


身体をさする、絶叫して起きる、ナースコールを押す、痰を取って貰うを延々と繰り返して朝を迎えた。途中痛み止の量を増やしたりもしていたがあまり効果がない様だ…。


何回か看護師にボロボロの滑舌で「いちばんっいちばんっ」と父が必死に伝えていた。はっきり喋らないと分からないよ?と言ってやっと何を言っているか聞き取れた。僕が言うのは家族だから良いとして看護師達も「はっきり喋ってねー」と言っていたのは正直腹が立った。


確証はないにせよお前らを纏めてる奴が医療ミスをした結果こんな事になり尚且つそれの証拠を隠そうと自分達の名誉を護る為だけに更に状態を悪化させたんだろうがっ!!…あと少し爪が長かったら握った拳から血が出ていたかも知れない位に痕が残っていた。


何度もナースコールで看護師の人を呼ぶだけ呼んで来た頃には痛みも少し引くを繰り返していたので横にあるモニターの見方を教えて貰った。脈拍な血圧や呼吸数等が表示されている事、モノによっては正しく表示し辛いモノ等色々と教えて貰った。


一番分かり易いのはやはりモニターの上のランプの緑、黄色、赤のランプ表記。黄色がオレンジがかっていたので説明を受けた時はあれが赤なのかと思っていたが、一応まだ緑と黄色を行ったり来たりで何とかなっているみたいだ。


家にいて寝ている時もたまに無呼吸になっていたが、流石にこの調子の悪い時になるのは危ないと思い無呼吸になり掛けたら直ぐに身体を揺らして通常の呼吸に戻すを繰り返した。元気になれっ元気になれっとさすってた甲斐があったのか大分良くなって来た、絶叫の回数も減り、ちゃんと寝れる様になって来た。


兄が「お前は一旦帰って休むのと母の様子を見てこい」と言われたので父に一旦帰る事を伝えて兄に父を任して帰る事にした。元来た道を辿って帰る、神社で神様にお礼を言って帰宅。僕が帰った事により父ももう峠は越したんじゃないかと思わせる事にもなるだろう。


この時間に帰れるならあまりお休みを貰った理由がない様なっと思いつつも一晩中マッサージをしてたり落ち着かない状態が続いていたので疲労困憊していた事に気付き家に帰って母の様子を見て少ししていたら知らぬ間に眠っていた。父の体調がかなり安定して来たので兄も夕方には帰って来れた。


本当に何度でも何度でも復活する様には驚きを隠せない。夜にも兄がまたお見舞いに行ったが体調は安定したままらしく一安心。



2016年12月14日(水)バカは死んだら治った?



取り合えず僕はいつもの生活に戻っていたが、一応連絡があった時の為にスマホは小まめにチェックしたかったのだが、つまらない原因不明の事態により暫く自由になれなくなり、やっと解決した頃にスマホを見てみると兄からの着信履歴が山の様に来ていた…。


急いで家に帰るとこの前のガス屋関係の人達が来ていて作業をしていた。兄が飛び出して行ってしまったので、僕はその人達の相手を先ずする事になった。


少し前も前に使ってたガス屋が謝り専門の様な人を寄越したりして値段も下げるからと必死になっていた。値段を下げれるなら何故ドンドン高くして行ったのか…父との古い付き合いだったらしいので取り続けていたのだが、この調子だと少しの間だけ値段を下げてまた元に戻すのかも知れない。


それでも断っていると後日今のガス屋の悪い噂をコピーしたプリントが何枚かポストに入れられていた。兄も前にガス屋が来た時にこの噂を聞いた事があったから1度断っていたらしいのだが、一応しつこく確かめてから契約し直したので大丈夫なはずとの事。


ガス屋の点検が終わる迄の間何も出来ないので仕方なくご飯をかっ込んだ、今日も長丁場になるのを覚悟していたので…食べる事が大好きな父が食べれないのにかっ込んでいるご飯は全く美味しくなかった…。


そしてガスの点検が終わったのと同時に走った。普通こう言う時はタクシーでも使うもんだと後で知り合いからも言われたが、ないお金を無理矢理知り合いに貸していたのでタクシーに乗るなんて後でお金が足りなくなってモタモタするのが目に見えていたので走った。


たったの30分、タクシーを待ってる時間等を考えると体感時間は長くても結果的には十数分位しか差はないだろう。急いではいるが念の為にまた神社に行きお賽銭の500円を投げ入れて急いで父の事を頼み走った。


病院に着くとあれだけ何度も着信があったのに父はかなり落ち着いていた。ほっとして顔を見ると…目に黄緑色の固めのゼリーの様な物が下から出てきていて目の半分近くを覆っていて目が閉じる事が出来なくなっていた。何故かマスクも外されていて渇ききった唇と歯がくっ付いていたので歯が無くなったのかと思った…。


舌も乾燥しきっていて色の濃い焼きたらこの様な形になっていてあれが舌だとは信じられなかった。そして兄が父の体調が安定していたので病院を離れてから呼び出されて病院に来るまでの約半日で症状がまるで変わってしまった。


ちなみに目の黄緑色のゼリーの様な物は肝臓が悪い時に出る物らしい。逆に腕と脚は血行が良くなったのかポカポカしていたが、パンパンに張っていたのが気になる。とにかく目が乾燥しない様に瞬きを多目にする様に父に言ったが黄緑色のモノがなかなか固いらしく上手く瞬きが出来ないらしい。


一応ガスの確認の為に兄は一旦家に帰る事にした。プロがやったとは言えもしも火事にでもなってしまっては大変なので念には念を入れての行動だった…。


また父と二人切りになった。今回はドアも閉まっているので本当に二人切りだ。いつも癖でうーんうーんと唸っている時もあったが今回のうーんうーんは流石に元気がない、時折腹痛が襲って来るが腹筋に力を入れる事により何とか殆ど声を出さずにやり過ごせる位には痛みは大分少なくなったらしい。


取り合えず意識はしっかりとあるので会話をする事にした。と言ってもそこまで仲が良い訳ではないのでこう言う時の会話には困る、取り合えず前から話していたガス屋の件が終わった事と契約者父なので宜しくと伝えると「うーん」と少しめんどくさそうに頷く。


僕は毎回ベッドの右側にイスを持って来て前屈みになりながら座っているのだが、この日も左脚の太股に何か温かいコンビニの袋に入ってたモノが当たっていたがいつもは暗くて良く解らなかったが、見てみるとオムツが入っていた。


湯タンポみたいな物でも吊り下げてあるのかと思ったらオムツだったので「うわっ」と思ったが…オムツの中に入ってるのは父から出た大量の血…オムツの中ではなかなか冷たくならなかったのか一時間以上は経ってるはずなのにまだ温かい…。


特に中身のない話をしていると父が「水が飲みたい」と言って来たので何度か舌がカラカラだから痛いよ?等と断ったが根負けして横の棚に置いてあった薬を飲む時に使うであろう紙コップを1つ取り出し部屋にある洗面所で少し水を入れて来たが…横になっているから水をどう飲まして良いのか分からない…。


仕方ないので手を洗って来て手の真ん中に少しだけ水を貯めて目薬と同じ位の1滴を口の中に入れたら…案の定渇いた舌が痛かったらしく「もういいっ…」だから言ったのに…。左手でお腹をさすりながら右手は父の手を握っている、こんなにベタベタしてるのは相当小さい頃以来だ、逆に父が不安になりそうな気もしないでもない。


丁度母がデイサービスの日だったので帰りに寄って貰う事にした。この日は髪の毛も切って貰えるとかでサッパリとして父のお見舞いに来れる。その前に母が見たら驚くので目の黄緑色の物を取るよ?と言ったら「うーん」と言っていたので濡らしたティッシュでちょこっと触ってみたがやはり固くて取れない…。


痛いか聞いて見たら案外痛くはないらしい、まぁ黄緑色のゼリーが覆い被さってるだけだからゼリー部分を触っても痛くはないだろう。と言う訳で少し強めにゴシゴシとしてみたが…取れない…。


刃物でもあれば削るのは簡単そうだが綺麗に取れないだろうし危ないのでどの道ダメだ…病院なんだから定期的に取ってくれて入ればあんなに貯まらないじゃないかとも思うのだが、忙しいんだろう…。


とにかく母を驚かさない様にお見舞いに来たら無理してでも今よりもう少し元気な感じでいる様に言ったら「うーん」まぁ無理をすれば普通に喋れるから母が来ても一先ず安心だ。


父が「家に帰りたい…」と言って来たので僕はいつもの感じで「元気なのにわざわざ手術なんか受けるからこう言う事になるんだよ、今度からは気を付けろよ」と言うと「今度からは気を付ける…」と、かなり後悔している様子で返事が来た。「お前らとは考え方が違う!」と自分の考えが全て正しいと思っていた父はそこにはもう居なかった…。


その後は少しの沈黙があった。こう言う時は父との仲がもう少し良かったらなぁと思う。そして二階のトイレのトイレットペーパーのストックが無くなって来たら補充するのはいつも父の仕事だったのでそれを頼もうとした瞬間に何故だか言葉が出なくなった。



image




何故だかその事を話したらもう父との会話どころか全てが終わってしまうんじゃないかと思った。何故だかは全く分からないがその事を喋ろうとすると涙がポロポロ出て来る。父の前で泣くなんて絶対に嫌だったので急いで涙を拭く、でも何故か話そうとする度に涙が出て来る、声も震える…。


多分疲れてるんだろう、そう思ってやっとの事で帰って来たら「トイレットペーパーの補充しといてね」と言えた…その後は暫く沈黙が続いた。その沈黙の間もマッサージとたまに少しだけ赤ランプや無呼吸になるので急いで父の身体を揺らすを繰り返した。


今回は長くなると思って歩いて病院に来ていた兄は歩いて帰って行ったのでそこでも時間が掛かっていたのか約一時間位経った頃に兄からの電話が掛かって来た。ガスの点検だけじゃなく他の用事も舞い込んで来ていたらしい。


取り合えず体調が安定している事を伝えて電話切った。そして電話を切った直後に突然険しい顔をして呼吸を深くする様になった。赤ランプも電話の途中から少しずつ点滅が増えて言った。



腸の辺りからゴロゴロと凄い音が鳴っている



腸が動いているのだろうか?



そして突然横を向きだした…。



父がモニターの方を見ている…前に看護師に受けた説明を聞いていたのかモニターを仕切りに確認している。



冷えない様にと僕は背中をさすっているが…



今回の赤ランプは長い…



長過ぎる…。



無呼吸になってから少し間を開けて赤ランプの電子音がピーーーーーーっと室内に煩い程に響き渡る…誰が聞いても不味い音に変わった…。



僕は急いでナースコールを押し、すぐにここ最近調べていた心臓マッサージを父に実践した。直ぐに新人看護師と言った感じの若い人が来てくれたので見て貰ったが、どうして良いのか分からないのか人を呼んで来ると行ってベテラン看護師と思われる人を連れて来た。


その直後には手の空いてるであろう看護師達が沢山来てくれて例の医者も来てくれた。医療のプロが来てくれたから後はお願いしよう…。



「すみません父が危ないので心臓マッサージお願いします。」



医者達「・・・」



その場にいた全員が何か不味い事でもあるかの如く少しの沈黙があり、やっと口を開いた医者がボソっと


「…延命治療は頼まれていないので…」



頭の中が真っ白になった…コイツは自分のミスを隠すのに命をおもちゃにしただけでなく最期まで生きたがってた父を見殺しにした。せめて嘘でも心臓マッサージの真似事はしてくれるものと思っていたのに…こんな奴がドラマとか以外に本当に医者として存在しているのか…


僕はとんでもない形相で睨み付けていたらしく、どこまでの事かは分からないがやっとこの医者と呼ぶのも他の医者に失礼な奴から「すみませんでした…」と言う言葉を絞り出した。


頭の中で色々な感情がグルグルと回っていたが直ぐに冷静になった。こんな奴に構ってる場合じゃないと…。もう用事はないので出てって下さい…そう言う度に徐々に野次馬看護師達から出て行った…。


僕はと言うと少しでも医者達に期待して心臓マッサージの手を止めた自分と自分勝手に手術を受けに行った挙げ句に殺された父への言葉に出来ない良く分からない感情と金と名誉の事しか頭にない犯罪者への怒りの矛先が見付からずずっと父を叩いていた…


胸を叩く度に心電図が反応する。その度に医者が音を止めている。心電図がなったからと言って生き返った訳ではないと言う説明をし、兄への連絡がまだなのを僕から聞き出した医者は連絡をしてくると言って部屋を出た。


新人の看護師の人は最後まで残ってくれていたが、父と二人きりになりたい事を伝えて出ていって貰った…。



数え切れない程父の胸を叩いた…その度に心電図が反応する…。



「何してるんだ!!」そう怒って起き出すんじゃないかと淡い期待を込めて叩く…。


人間の身体はこんなに頑丈なのかと思う程に十数分前前まで話せていた父の身体は丈夫だった。髪だって真っ黒だった。腸だって腐りかけの食べ物を食べても大丈夫だった。蟹の堅い殻もはで噛み砕いて食べる人だったので歯もしっかりとしていた。なのにもう動かない…。


「母が来たらもっと元気に見せるって言ってたのに一体どう言う事だよ?」いくら待ってても返事は帰って来ない…涙が出て来るが父に泣いてる所は見せたくないので直ぐに手の甲で拭き取った…何度も拭き取った…。本当は声を荒げて泣きたかったが外でそんな事は出来ないましてや父に見られたらどんなにバカにされる事か…。


今になって思うと最期の瞬間は僕に苦しがってる顔を見せたくなかった父の最後の強がりか、もしくは優しさだったのかも知れない…。


兄が病室に入って来た…直ぐに戻って来れるはずが沢山の足止めを食らってしまったらしい。そして僕の産みの親の時と同じく今回もつまらない事で離れた結果死に目に会えなかった事への後悔もあり泣き崩れた…。


しかし間髪を入れずに医者達が入って来て死亡診断書に書く為の死亡確認を始めた…死亡診断は兄が来てからやるとは言っていたがこのタイミングは流石に酷い…死亡診断書には3時30分と記載されていたが、実際に父が逝ってしまったのは兄からの電話の後直ぐなので午後2時58分頃だった…。


よく亡くなった瞬間に魂の分21グラム軽くなると言われているが、あの赤ランプからピーーっと言う高い音に切り替わった瞬間に急に軽くなった様に見えたからもしかすると本当にそう言う事もあるのかも知れない。


そして死亡診断書に書く時刻を書き込んだら直ぐに僕と兄は部屋を追い出されて医者から「司法解剖しますか?」と言われた。兄が「少し考える時間を下さい」と言うと医者が「ダメです」病院が忙しいのは分かるが流石に酷過ぎるんじゃないかと…。


やけに自信満々の気持ちの悪いどや顔で司法解剖を勧める医者、これ以上父を弄ばれたくないので司法解剖はしない事を僕が伝えた。医者からの連絡を受け更に急いで駆け付けた兄にこれ以上選択を強いるのは酷だ。肩の荷が降りたのか少し笑みの溢れ掛けている医者を睨み付けてお風呂が大好きだった父の身体を綺麗にしてあげる様に頼んだ。


父のいる部屋に医者が戻ると看護師が出て来てタウンページを渡し葬儀屋へ連絡しろと言ってきた…一番長い時間父から嫌がらせを受けて来たが一番長い時間病院にお見舞いに来ていた兄に哀しんでる余裕をまるで与えてくれない。病院はこんなに非人道的な場所なのかと驚きを隠せなかった…。


そして葬儀屋への連絡と共に一階の売店で父に着せる浴衣を買って来いとも言っていた…人の死に慣れるとこうなるんだなぁと。浴衣を看護師に渡し、葬儀屋と良く来てくれた親戚への連絡も済ました頃には父の方も終わったらしい、30分位経っていたと思う…。


目の黄緑色の物も殆ど取り除いて貰えたらしくちゃんと眼を瞑れていた。やっと兄が父とゆっくりと対面出来ると思ったら…看護師が「直ぐに部屋の荷物を纏めて下さい。」本当に亡くなってお金がこれ以上入らなくなったら直ぐに用済みらしい…。


あと一時間程で母が来るからショックを与えない様に取り合えずはここで寝ている事にしようと思い、その事を伝えたのだが…医者達は一切待ってはくれなかった。仮に母がショック死したとしても病院側は痛くも痒くもないのだろう。


急いで荷物を纏める…大量にあったオムツは今朝兄が買い足したばかりだった。家から無くなっていたスプーンも父が勝手に持って来ていたらしく引き出しにゴロゴロと入っていた。スプーン等は病院が用意してくれると思うんだが…。


例の無くしたと騒いでたクレジットカードに小銭と最近やっと使える様になったらしいSuicaの入った透明な袋に新聞に雑誌にティッシュペーパーのボックスにと…有りとあらゆる物を僕のリュックに詰め込み持てるだけの荷物を手に持ち兄の車に無造作に投げ入れた…。


そして父の所に帰って来たら今度は霊安室に移すとの事で普段は使わない通路を通り少し広めのスペースのエレベーターの所へと父と移動させられた。エレベーターを降りるとそこは他の場所と違って廊下から静かだった…。


霊安室はアニメやドラマ等で見る程大きくはなくこぢんまりとした明らかに他と違う雰囲気の部屋だった。電波がほぼ来ないので母の着いた知らせを受け取る為に兄は病院の入り口で待つ事に…また僕と父の二人だけになった…。


生きている時は話せなかった事もどんどん話せた。こんな事にならないとまともに話せないとは夢にも思わなかった…。それにしても亡くなって間もない訳だから幽霊にでもなって直ぐに出て来れるんじゃないかと少し期待したが…残念ながら特に何も起きなかった。


よく父は家族に怒られた時等に「バカは死ななきゃ治らない」と言っていってヘラヘラしていたが、バカが治ったとしてもこれじゃ意味がない…。



母の到着が大分遅れていたのでその間に葬儀屋の人が何回か来たが母がまだなのでもう少しだけ待ってと何回も時間を延ばして貰った。葬儀屋の人は終始笑顔だったが、こんな時に笑顔をされたら頭に来るものかと思ったが、なんと言うか嫌な笑顔ではなく故人の為に一生懸命にやってくれそうと言った印象を受けた。


一度だけ「ガタっ」と音がしたのに誰も入って来ないから外を見に行ったら誰も居なくて遂に幽霊かと思ったが後で聞いたら看護師の人がそろそろ面会が済んだか確認しに来たが鍵が掛かってたから帰ったとの事…鍵なんて掛けてなかったから立て付けの関係でこんな事になったらしい。


それにしてもこんなに頻繁に他人が出入りする訳だからやはり泣くに泣けない、父の前では泣かないと意地を張っているから尚更だ。とにかく次は母がなるべく驚かない様に色々と余計な装飾品を棚の後ろに隠した。ただここで寝てるだけって事にしたいからだ。


父にもなるべく協力する様に伝えると心なしか頷いてくれた。少し疑い深い僕は何個か質問をして頷きの他にも首を横に振る様な質問もしてみたがやはりちゃんと答えてくれている様に見えた…。


デイサービスの車に乗り一時間以上遅刻して母がやって来た。どんな緊急時でもマニュアル通りかそれ以下にしか動いてはくれないのはどこも同じなのかも知れない…。そして兄には僕から全て母に話すと伝えて置いたのに勝手に喋ってしまっていた…。


母は父の頬を往復ビンタでひっぱたきながら「起きなさい起きなさい」とバカな事をして死んだ父を怒っていた。腕なんて数日前の絶叫してた時よりも仄かに温かいのに…もう父は母への嫌がらせも二度と出来なくなってしまった。


少しして葬儀の人に父が運ばれて行くのを見送りに医者と助手と看護師が来た。医者が母に話し掛けると母が強がりで「もう歳だから仕方ないですね」と言うと水を得た魚の如くその言葉に便乗して全てを「歳」のせいにしてペラペラと喋り出した…。


髪も真っ黒で、腐り掛けの物を食べれて、車を自由に乗り回し故郷の三重までも良く帰省していて、毎日散歩に出掛けて、毎日怒鳴り散らす元気があって、友達と東京オリンピックを観に行く事を楽しみにしていた父を約1ヶ月で殺しておいてこの犯罪者は何を言ってるんだと怒りが沸々と湧いて来たが、睨み付けていたら気が付いたのか黙った。


葬儀の車を贈る時も心を込めている風で長くお辞儀はしていたが、僕にはお辞儀し慣れている感しか感じなかった…。


良くテレビでも病院相手に裁判を起こしているのも見掛けるが全体的に見ると勝敗は圧倒的に病院の方が高い、それに家には病院と戦える元気もなければあの医者の自身のありそうな表情、もう決定的な証拠はないのだろう…例の「かんたんな手術」も結局なかった事にされてしまったらしい…。


それにこんな奴でも普段はあのフロアの患者に頼られてるから居なくなったら困る人がいる訳だから…もうこの医者には二度と関わらないのが一番だ…悔しいけど。


葬儀場が空いてなかったらしく父の葬儀は1週間後にやる事になった。この1ヶ月は正直心身共に疲れた…しかし次の日からはもう普段通りの生活が始まる。もし父が死んだ事に気付かずに家に来てても良い様に僕だけはいつも通りの生活に戻す事にした。


早速最近観れずに貯まっていたアニメを流す…殆ど内容が頭には入って来ないが全員が暗くなるよりかは一人でも普段通りの方が良い、きっと…。


それにしても疲れた…座っていたと言っても父のマッサージと手を握っていたので少し座りながらのつま先立ちの様な感じになっていたので脚の疲労度も中々の物だった…疲れていたのでいつもよりは早目の0時過ぎには布団に入って眠りに着いた。


…のだが10分位したら誰かに足をマッサージされてる夢を見て起きたが夢と全く同じで暫く足を誰かがマッサージしていた。上から押さえる様になので脚は自由に動かせないけど上半身は自由なので顔を見ようとしたが…何も見えない。


少しすると居なくなったのか脚が自由に動かせる様になった。夢から覚めてから暫く意識がはっきりとしたまま続いてたから逆に夢かと思っていたが翌朝見てみるとちゃんとスマホにメモがしてあった。


僕は真っ暗な内に出掛けるのだが最近やたら月が大きいなぁと思っていたら父の命日はどうやらここ最近で一番月が接近していたスーパームーンだったらしい。月が父を引っ張っていってしまったのだろうか…?



image




この日以降、よくテレビで聞く幽霊の「ひゅ~どろどろ」っと言う音とは違うどちらかと言うと蚊の羽音に近いが蚊のそれとは違う高い音が夜の3時半から4時半頃に掛けて聞こえる様になった…。蚊でも入ったのかと思っていたが12月の後半なのと蚊と言うよりは超音波で喋ってるみたいな感じの音だったので蚊ではない様な気がする。


よくその時間も寝ないで横になっているだけの時もあるが今までは確実に聞こえてなかった音だ。ふわふわと動いて左耳から右耳へと移動を繰り返していた。試しに手で払ってみたり布団を上下させる風圧で飛ばそうとしてみたがそう言った力では丸で遠くには行かなかった。


暫く経ってからは日によっては楽しい事でもあったかの様にリズミカルに動いてる様な感じになったり徐々に「フォンフォン」と言った感じの種類音に変わって行った。外の強風の音と静かにしている時の耳に聞こえるシーン音が同時に聞こえている状態でも更に違うベクトルで「フォンフォン」と聞こえている。


試しに「寝落ちしてたら起こしてね」と言って寝ていると、予定の時間前にしっかりと起きれるのが得意なので起きてからその時間まで布団でコロコロしているとバサッと布団の左側から誰かが勢い良く捲り上げたかの如く持ち上がった。驚きよりもまだ近くに父がいるのかも知れないと言う嬉しさの方が強かった。


こうなったらっと、心霊現象をビデオに納めようと言う事でお願いしてみるも…姿が見える訳でもない上に特に何もしてくれない。昔の人だからいまいち何をしたら良いのか分からないのかも知れない…?


一応撮っても伝わりそうな心霊現象も俗に言う「ラップ音」と言う、日中との温度差で家がパチパチと鳴るのの比じゃない位に鳴る現象が起き、後ろを振り向く度に音が消えると言うのを繰り返してくれたみたいだがいまいち伝わり辛かったので「分かり辛いからいいよ…」と言うと止まってしまった。


出来れば物が浮いたりなんだりする様なド派手な物が良かったのだが、残念ながら誰でも出来ると言う訳ではないらしい。そんなこんなで父なのかも知れない現象があるお陰で少しだけ寂しさは紛れた。


1週間は葬儀屋の所に行けば冷たくなった父に会えたらしいのだが、結局何度も会いに行ったのは兄だけだった。母の調子も悪いままなので二人とも外出する訳にも行かなかった。この間も兄は手続きやら何やらで忙しそうにしていた。人が一人(特に世帯主)亡くなるとこんなにお金も掛かるし手続きも大変なんだなぁとそちらにも驚きを隠せない。


そして兄が父の入院費の支払いに行くと聞いていた値段と違ったらしく詳細を聞くとどうやら入院して少しして口腔外科でも何かしていたらしい。もしかしたらたまに物凄く口が臭い時もあったので僕が「口臭いっ!!」と言ったのを気にしていて何かしていたのかも知れない…。帰って来たら口臭も治ったと自慢したかったんだろう。まぁ性格は治らないので家族間での喧嘩は減らなかっただろう。


それにしても家族で父の話をしているとまるでまだ父が生きているかの様な錯覚に陥れるのでどんな話題でも父の事を聞いたり話したりしてる時は楽しい。



2016年12月21日(水)誕生日のお通夜



この日は図らずも兄の誕生日だ、父の友達も読んだら大変な事になるので丁度連絡のあった人達のみに伝えて後の人達には後日伝えると言う事に決めた様だ。父の友達の元大臣は結局電話にも出てくれなかった様だ。一応父の友達からも父の事は伝わっているらしいのだが…。


父は生前色々な人に友達の元大臣の事を自慢していた。元大臣の出した本も表紙違いで2冊持っていて片方にはサインも書いてあるのでまだ見せた事のない人や入院する時は自慢様に良く持って行った。持って行くのを忘れた時は持って来させていた位父にとっては自慢の宝物だったらしい。


元大臣が今回の手術の最後の決め手になったのと病状が悪くなったのも知っていたので一度で良いからお見舞いにも来て欲しかった…。途中から中国に行っていた時もあったらしいので仕方ないとは言え連絡が取れなくなった事にも父はかなりショックを受けていたらしい…。


軽い気持ちで言ったのかも知れないが今回の手術の後押しをした事を本人に直接謝りに来て欲しかった…少しでもまだ友達だと思っていたのなら…。そう言えば当時はそれどころじゃなくて気付かなかったが丁度父が亡くなった2時58分頃に父の携帯に別の友達から電話が来ていたから、これが虫の知らせと言うものなのかも知れない。


…お通夜は家族と親戚だけで行う事にした。もう自由には殆ど歩けないのであまり外に出る機会のない母と久々に一緒に出掛けられたが出来ればこう言う用事ではなくただのお買い物等で一緒に出掛けられたら良かった…。


そもそも家族全員でのお出掛けは本当に僕が小さい時に行ったきりだ。父があんな性格なのでなかなか家族で和やかに外出と言うのも出来なかった。なので家族で旅行にも行けず、その代わりにとおもちゃやゲームは割りと買って貰えた。なのでマニアが喉から手が出る程欲しい様なモノも割りといくつも持っている。


葬儀場に着いても家の案内の看板は見当たらなかったので…このまま全部なかった事になれ…っと思ったが入り口の奥まった所で見付けてしまった…。そして葬儀場にて父の入っている柩を開けて貰うとひんやりとしていてそこに父の身体があった。頬を触ってももう凍っていてそれが人間なのか人形なのかの区別はつかない。


見ていても触っていても何の感情も湧かない…今は「そこ」には居ないのかも知れない…。暫くお茶を飲みながら待っていると続々と親族の人達が集まって来た、本当に小さい頃以外は田舎にも行かなくなっていたので殆どの人達の顔は覚えて居なかった。向こうも僕の名前だけしか知らない人もいたし、初めて会った人もいた。


父は7人兄妹なのだが、他の兄妹はみんな自分からわざわざ手術をしに行く人達ではないので元気だった。身体の丈夫な家系なのだろう。父の兄は脚が悪いらしいのだが、お医者さんに無理を行って注射をして貰い無理矢理歩ける様にして来てくれたらしい。昔僕と良く遊んでくれていたお姉ちゃん達も来ていた。


当たり前だがお姉ちゃんももうすっかり大人になっていた。親戚の人達は最初僕の事を母の面倒をみてくれる葬儀場の人かと思っていたらしい、僕のイメージが小さい頃にあった時のままだった様だ。…30分位親戚の人達と話していたが、突然父に会いたくなりその場を離れた。柩の蓋を開けようとしていたら係の人が手伝ってくれた。


どうやら父が入って来たのか目が慣れたのかは分からないがさっきまであった人形の様な何かとは違う感じに見えた…確かに「そこ」には父を感じる。柩で父の身体を冷やしてる訳だからあまり外気に触れさせるのも良くないのだがそれを気にする余裕はない、父の身体だったものはもう少しでこの世から無くなるのだから…。


暫く父に「早く起きないと本当に燃やされちゃうぞー」等と語り掛けていると、小さい頃に良く遊んでくれたお姉ちゃんが来て父が遊びに来る度に僕と兄が良く母の面倒を見てくれている等誇らしげに話していたと言っていた。


なんだよ…いつも家族の悪口ばかり言っていて外でも他人に聞こえる様に嫌がらせをしていたのに本人達の居ない所では褒めてるってどう言う事だよ…今まで我慢してた物が一気に溢れ出し


…そうになった所で父の葬儀が始まるアナウンス、相変わらず本当に間の悪い人間だと自分でも思う…。


長時間は歩けない母は車椅子を借りていたのでイスを退かし僕の横で御経を聞く事に。僕の産みの親の母が眠るお寺の住職さんが来てくれていた。兄曰く父の死を一番に知らせなかった事を少し不満そうにしていたらしい。


御経が始まった。最初は母の御経が速くて住職さんとズレていて少しシュールで面白かったが、直ぐにいつもの御経とは違うとてつもなく重たいものを感じた。親戚の方からも言われたまるで似てない免許証の父の遺影が哀しげな表情に見える…御経により父がどこかへ行く時間がどんどん近付いている様に感じる…本当にこれでお別れなんだ…。


葬式の後は別の部屋で食事が待っていた。とても食事と言う気分出はないせいか料理自体があれなのか、はたまた食べなれない物が多かったのかは分からないが美味しくはなかった…。母も全く料理に手を付けてなかったので折角だからと幾つかお皿に取ってあげたら少しずつだけど食べ始めた。


親戚の人が1週間に一度デイサービスに出掛けるのも大変な母に毎日行った方が良いと凄い勢いで発破をかけていた。正直今しつこく嫌がらせの様に言う事ではないと思ったがあっちの方の人なので別に嫌味で言ってる訳ではないと分かっているのか母は苦笑いで対応していた。


食事もどうでも良くなった僕は丁度背中越しに置いてあった父の遺影を見ていた…父の遺影の上に掛かっている部分のカーテンだけ風もないのに何故かゆらゆらしていたのでそこに来ていたのかも知れない。食べる事が大好きだった父が1ヶ月近くご飯を食べられずに殺されたんだから目の前でご飯食べてたらいい気分はしないだろう…。


そして父は親戚や友達と集まるのも大好きだったのでこんな集まり方ではなく、何かおめでたい事で父がいる内に集まれたら良かったのだが…。


葬儀場を閉める関係で食事時間もそこまで長くは取れないらしいので食事開始から30分位経った頃からタクシーが来た順に徐々に帰り始めた。兄は親戚の方達を見送る為に外に行った。僕と母は残ってまた料理をつまんでいた。母も少し元気が出て来たのか「お腹が空いてきた」と言って幾つか食べ出した。


…しかし急にトイレに連れて行ってと言われた。葬式の後はお姉ちゃん達がいたのでトイレのお世話をしてもらったがもう誰もいない、一瞬女性用トイレに入るのを躊躇って男性用に入ろうとしたら「嫌だ!!」そんな、僕も嫌だ…しかし良く考えたら僕ら以外は葬儀場の係の人達しかいない訳だから気にする必要もなかった。


トイレに入った瞬間だった…強がってはいたがもの凄いストレスだったのだろう…母の体調が治るを待ちつつ後処理をしていたら兄と葬儀場の女の人も来てくれたので何とか30分位で帰れる準備が終わった。


ストレスの他にも、料理も母の身体には合わなかったのだろう。そして翌日はは告別式なのだが、帰って来てから少しゆっくり出来たと思ったら、その後は一晩中母はトイレで嘔吐していた…みるみる内に真っ青になる顔「父に連れて逝かれる…」とも言い出していよいよ告別式に行くどころではなくなった。


告別式には家からは兄だけに行ってもらう事にして僕は母に何かあっては行けないので残る事にした。父もそれで許してくれるだろう、入院してる時はいつも母が大事だ大事だ言っていたのが嘘の様に「お母さんの事より今は俺が苦しいんだ!!」とカッコ悪いと言うか素直な感情を表現していた父、最期ら辺は母の事を心配していたけれど…。



2016年12月22日(木)告別式の雨男



母の体調が全く治らないまま告別式の朝を迎えた。あれだけ体調が悪いのだから横になって5時間程で治る訳がなかった。母はその後も数日飲まず食わずで死に掛けていたが兄と二人で何とか説得して少しずつ食べさし少しずつ体力を取り戻して行った。



あんなに父に嫌がらせをされて嫌っていた母だがやはり相当受け入れたくない父の死と言う事実を葬式と言う現実で受け止めさせられたのが辛かったのだろう…。


やはり告別式の日は家からは兄だけがいそいそと準備をして出て行った。僕は昨日の兄の誕生日用に予約してあった大量のチキンが腐らない様に急いでがっつく、食べ終わったチキンの骨を積み上げて行くと「今から父もこんなものになるんだな…」と気分が悪くなった…。


ここ暫くはしっかりとした雨は降っていなかったのだが、まさに父が火葬されていた時間は見事にどしゃ降りの雨が降った。しかも予定で聞いていた時刻ではなく少しズレて始まったらしいのだがしっかりとその時刻にどしゃ降りと言う見事としか言い様のない程に最期まで雨男だった。


どしゃ降りになった時にふと廊下に出ていくと…いつもの他人に見せたくてやってる様なわざとらしい父の泣き声が響き渡っていた…。僕は相変わらず疑い深いので念の為一旦2階に戻ってからもう一度冷静になって1階に来たが…


やはり聞こえる父の泣き声…雨音が凄いので外から出はなく確実に近くで聞こえている声だが、これも人間の脳がそう聞こえる様にしているのだろうか?…しかし2階に行くとやはり聞こえない…。


兄が父の骨壺を持って帰って来た。家紋の入った白い布のケースの様な物が上から被されていて横だけで持つと確実に骨壺を入れている箱が下から抜けて落ちるだろう。数年前に手術で背骨に付けてた補強用の金属も焼いた後に出て来たらしく持って帰って来ていた。花のリボンとタオルの様な物に包まれているのでプレゼントの様にも見える。



image




大きい箱とは言え本当にこの中に父だったものが全て入っているのか実際に骨を拾いに行けなかった僕はケースを取り坪の蓋を開けて中身を確認した。罰当たりだとは思うが家族だから許してくれるだろう。焼いた時に骨はかなり脆くなるらしくチョークの様になっていた。


しかし真っ白な所もあれば肉片がくっついたまま燃えたのか跡が残っている所もあった。骨太の健康的な骨が多かったし頭蓋骨も結構綺麗に残っていた。蟹を食べる時に殻を歯で噛み砕いてた様な父なので骨が頑丈だったのも納得だ。


昔は四十九日と言われていたが今は百日もあるらしく少し暖かくなってから納骨しましょうとの事で百日間は僕と父が寝ていた部屋の父の寝ていた場所に置く事になった。父が入院する前に畳んで行った布団はそのままに机を出してお供え物やお花等が置いてある。



image




少し掃除と模様替えをして線香をあげに来てくれる人が入れる客間にしたので簡易的な壁も出来てより父がただただ横に寝てる様に感じた。



2016年12月23日(金)~2017年3月17日(金)まだいるの?



クリスマスにお正月もあるので全て終わった頃に父の死は伝える事にした。年末年始にこんな連絡をしたら
貰った方も困るだろうし何より「面倒だな…」と思う人もいるだろうからそんな事を思われたら父が可哀想と言う事で周りの人や父の知り合いには連絡しなかったらしい。


相変わらず3時半から4時半頃は耳元に来ているみたいだが、これだと御経で成仏してなかった事になる様な…まぁ良く分からないが本人の気が済むまで好きに過ごせば良いと思う。少しすると3時半から4時半に来ない日も増えて来た、どこかに遊びに行ってるのだろう。


夢にも時々遊びに来る様になった。最初の頃は「あれ?死んでなかったけ?」と言うと直ぐに目が覚めてたが途中からは退院出来たとか家族で買い物に行けたとかの夢を見る事が出来て少しの間だけだがほっこり出来た。


一度だけ声には出さないけどどうしても元大臣の友達に謝りに来て欲しそうな素振りを見せてたのが気になる…夜中にでも無理矢理出て話してくれば良いのに…そしてわざわざ夢の中までこの前騒いでた時のお小遣いを渡しに来てくれてた。…確かに受け取ったぞ最期のお小遣い。


夢だと声も聞けて良いけど、起きてる時も何かして欲しいなぁと思っていたら、会社をやっていた時のお得意さんが線香をあげに来てくれた時は久々に会える事よりも本当に自分が死んだんだと気付かされたのか、耳がキーンとなるレベルの大きい声でいつものわざとらしい泣き声が聞こえた。


入院の日から玄関に脱いだままだった持ち主の帰りを待っていたスリッパを兄がお客さんが来るので片したのもショックだったのかも知れない…。


兄がその大きなわざとらしい泣き声の直後に部屋に入って来たがまるで聞こえてなかったらしく…頭に響いて来るやつなら耳がキーンとなる程の大音量だったのに聞こえてなかった事に驚いた。


父との本当のお別れになる納骨の日の1週間前位、たまに寝ようとしてる時に「うーんうーん」といつもの父の癖の唸り声みたいなものが聞こえていたが遂に「うーんうーん」の後に僕の名前をしっかりとした発音で呼んでくれた…約束をしていたこの文章を急かしていたのか、それともあと少しで本当にお別れだから挨拶をしたのか…。



2017年3月18日(土)納骨



代えるタイミングを失っていたので名義人変更をせずに父の名義のままスマホを使っていて父に代金を渡すと言う感じで使っていたのだが、1月に僕個人に名義人変更をした関係で全てのメールが消されてしまった。この文章も書き留めていたのだが保存メールすらも名義人変更では個人情報関係により完全に削除されるとの事。


消えない様にと敢えて電話のレコーダーに残っていた父との最期から何回かの明け方の電話やぶどう買って来い等々の通話データをメールに送付して保存していのだが、個人情報関係で消されてしまったのは本当に失敗した。音質はまるで良くなかったが父との最後の電話だったのに…。いつもの様にレコーダーを放置していれば…。


そしてこの文章を書き終えると父の死を認める事になるんじゃないのか…そう思うとなかなか筆が進まなかった…。気合いを入れて書こうとするといつも友達に捕まってしまったりと驚く程に進まなくなるけど、この展開はもう間の悪い僕には仕方がないのかも知れない(笑)


思い切って朝早くおもちゃを買いに行くと言うのを利用してお店が開くまでの待ち時間として早朝の公園のベンチで2時間半黙々と書いてたらなんとか終わりに近付けた…結局父が旅立つ前までには間に合わなかったけれど…。


取り敢えず用事も済まして急いで帰ると兄がいそいそと出発の準備をしていた。下のテーブルに父の骨壺が置いてあるとその大きさがより目立つ。今回も母を見ていないと行けないので僕は留守番係だ。父も「あいつはどうせ来ない!」と言っている事だろう。この文章も仕上げなくてはならないので父にお別れをし、兄と父はお墓へ出発した。



「いってらっしゃい」



そして兄から聞いた話しだと、どうやらお墓の白い接着部分を剥がして開けたらあんなにも大きいのに骨壺はそのまま中に入れるらしい。僕の産みの親の骨壺もそのまま入っていたらしく全部で9壺位入りそうだとか。…大家族の場合はどうするんだろう?


部屋から骨壺が無くなったからなのか途端に父を感じなくなった。耳を澄ましても何も聞こえない…。本当に、本当に居なくなったんだ…。



image




お供えしてあったりんごが目的を失いポツンと残されている…健康の為に食べていたのか好きで食べてたのか知らないけど、父が毎日の様に食べていたりんご、ここ数年凍らせたままのみかんをガリガリと食べるのにもハマっていた冷凍みかんが冷凍庫の奥に転がったまま気付かずに忘れさられていたらしく、1つだけ残されていた…。



image




父はたまにお風呂のドアが閉まりきらないままシャワーを浴びていたりもしていたのでこれからはドアの下の木が腐る心配もいらないし、エアコンをつけながら「こうすると丁度良いんだ」と言いながら窓を開けて網戸にしたり、夏の夜中に電気を付けたまま窓を開けて蚊を沢山入れる事もなくなった。


どちかと言うとべちゃっとしたご飯が好きだったから混ぜご飯等をしても父が文句を言わない様な固さに調節する必要もなくなったらしいし、刺身等に付いてくる醤油を開ける時に何度言っても失敗して服に跳ばされる必要もなくなった…。トイレに廊下の塵や埃や髪の毛を流さなくなったのでもうトイレも詰まらないだろう…。


日本古来の季節の行事が大好きだった父の事だからお盆とかは本当に帰って来そうだけど、別に好きな時にいていいし別に見えたり聞こえても身内だから怖くないから…入院前の何回かは喧嘩してたからか買い物付き合えなくて、ごめん…。






…文章を書くのは苦手だが、こうして父が定年後に書きたがっていたが諦めてしまった小説の様な形での僕の人生の中での何回目かの取り返しの付かない事の一部始終になります。
記事検索
プロフィール

勇者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ