2009年03月

2009年03月27日

asovigo誕生・その3

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3月20日asovigoのオープンセレモニーは、曇り空の中、ホテル3代目社長・國米真市氏、阿蘇市長・佐藤義興氏、熊本県サッカー協会副会長・遠山和美氏、竹中道路社長・三浦 克氏 によるテープカットが行われました。

雨が降らない様にと関係者内心ヒヤヒヤの中で、いよいよ記念すべきお披露目の親善試合!60歳以上70歳代のベテランの方々のチームKOK(熊本オールドキッカーズ)対阿蘇と大津の小学生チームの親善試合が行われました。

この試合の主審は今年熊本県では男子としては5人目の一級審判員となった作本貴典氏、線審はasovigoスタッフの若い松本君と阿部君です。

前半の20分はKOK・70歳代の選手対阿蘇小学生4年生の対戦です、200数名の来賓の方々が見守る中で両チームやや緊張した面持ちでの試合が始まりました。後半は60歳代選手対大津小学生5年生が対戦しました。

気合、大きな声はベテランのKOKチームが勝り、時に「切り込め〜」等サッカーの掛け声では余り聞けない大声が聞かれました!結果は、5対2で小学生チームが勝利、心配した雨も無く記念試合は終了しました。

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人工芝の衝撃吸収は国立競技場のピッチと変わらないものがあり、グラウンドのクッション性も膝や足首に心地よいものがあり、プレーした選手の皆さんは「すごく気持ち良くプレー出来た!」と満足げな表情でした。またまた続きます!

(写真撮影・サッカージャーナリスト・徳原高元氏)



2009年03月25日

asovigo誕生・その2

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3月20日記念すべき最新の人工芝サッカー場asovigoの阿蘇地方の天候は降水確率50%と言う予報でした。記念すべき日が雨と言う予報に関係者は皆心配の面持ちで準備を進めていました。阿蘇山の山々に囲まれたふところに誕生したasovigo、山の天候は常に予想不測の所があります。

阿蘇の気温は熊本市内と比べると5度は差があります、特に夏は熊本市内30度でも阿蘇では25度と快適です。しかし、昨年末の冬に始まった人工芝サッカー場の工事は冷たい雨と寒風の吹きぬける中での作業となりました。しっかりした基礎基盤を作る事が人工芝サッカー場の大事な所で、そのグラウンド全体の高低差はわずか2.5mm以内に造らなくてはならないプロの舗装技が必要とされる作業でした。この難関を突破すると次は人工芝を敷き詰めて行く作業ですが、「人工芝を張り付けて行く時に気温が5度以下になると接着剤が上手く付かないんですよ、、」と工事責任者はやや暗い顔で説明してくれました。冬の阿蘇地方、気温が朝夕は2度以下になることも度々でマイナス3度から5度以下になる事もあり道路も凍結する状態です。そんな自然の寒暖の差のいたずらに悩まされながらも辛抱強く人工芝張りの作業が進みました。

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3月19日夜の阿蘇は雨がしとしとと降り始めました。ホテル営業マンの川内さんが「明日の天気ですが降水確率が20%までなりました、明日の予報は雨から曇りになりました」と伝えてくれましたが、私は内心「ウ〜ン大丈夫かな〜?」とまだまだ安心できない気持ちがありました。

大自然阿蘇の天候が曇りから雨になる事はあっても、雨から曇りになる事は本当に稀で、明日御越し頂く来賓の方々と記念試合に出場して頂く60歳・70歳シニアチーム対小学生チームの選手の皆さんには雨の中での試合にしたくないと関係者一同強く思う所がありました。

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またまた次に続きます。

写真撮影・サッカージャーナリスト徳原高元氏



2009年03月23日

asovigo誕生・最新の人工芝サッカー場

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雄大な阿蘇の山々が囲むふところに最新の人工芝サッカー場・アソビ―ゴ(asovigo)が2009年3月20日に誕生しました。たくさんの方々に祝福されてのオープンセレモニーが行われました。

事のきっかけは今から14年前当時の阿蘇市の観光課の人や、ホテル・旅館組合の方々と「サッカーでの村興し」と言う提案で、Jリーグ発足で盛り上がる鹿嶋市周辺の旅館組合で運営するサッカー場などの視察の案内を私の方で行いました。阿蘇から行った関係者の皆さんは、「大変勉強になった」、「なかなか素晴らしい!」との感想のままに、視察旅行に行ったと言う事だけでいつしか話は終わってしまいました。

この視察団の中に今回の人工芝サッカー場アソビ―ゴ(asovigo)の建設を全て引き受けた阿蘇の司ビラパークホテル3代目社長・國米真市氏の姿がありました。

その後も國米社長とは私の仕事の関係で時々ホテルを利用させて頂く長いお付き合いがありました。阿蘇市にはアピカと言う運動公園がありますが春夏の休みなどは予約が集中して厳しいグラウンドの取り合い競争でサッカー場の利用が難しい問題がありました。ホテルの宿泊が取れてもアピカのグラウンドが取れなければ合宿、サッカー大会も難しい状況になり頭の痛い問題が多々起こる事がありました。

事あるごとに國米社長や対応してくれるホテル営業の川内さんに「ホテルで自前のサッカー場を造った方がいいネ!」としつこく話をホテルに行く度に言い続けて10年、そして、3年ほど前からホテル役員・関係者の皆さんの前向きな人工芝サッカー場建設の会議がスタートする事になりました。

そして昨年ホテル役員会での人工芝サッカー場建設にGO!サインが出され2008年12月に工事がスタートしました。

100年に一度の世界同時大不況の中での大きな投資をするこの人工芝サッカー場プロジェクトの本格的な準備が始まりました。

                             次回に続きます。



2009年03月17日

新星・ネイマール・サントスFC

              

             ニュマイヤー   すでにサントスFCのU−18クラスのレギュラーで15歳の時から公式戦に出ていたネイマール(NEYMAR)が17歳でサントスFCのトップチームに昇格しました。

私も彼が15歳の時にブラジルナンバー1を決めるサンパウロ杯U18でのプレーを見ましたが風の様に切り抜けるドリブルは将来のブラジル代表候補の予感がありました。17歳でサントスFCのプロ選手となった事も当然と思う所があります。

3月15日に行われたサンパウロ州選手権サントスFC対モジミリン戦のスターティングメンバーとしてサントスFCの白いユニフォーム背番号7番を背負っての登場でした。背番号7番はブラジル代表ロビーニョがサントスFCで背負っていた番号です。クラブとしての期待が如何に大きいかが分かる所です。

このモジミリンとの試合で初ゴールを挙げる活躍でサントスFCの勝利に貢献しました。素晴らしいのびのびとしたプレーと共にサッカーのインテリジェンスを備えた若いプレイヤーとの呼び声が高く、ブラジル代表監督・ドゥンガ氏も彼の活躍に期待を寄せています。

早ければ年内にも代表への声がかかるかも知れないと言う声と反面キラキラと輝く若き才能のネイマールはじっくり・しっかり育てた方が良いと言う声もあります。いずれにしても新星ネイマールのサントスFCでの活躍に注目したい所です。



2009年03月13日

春は来るのか?

春ワイワイと賑やかな仲間内のおしゃべりの中で、「ホットヨガには毎日通ってね、みっちり90分汗を流しながら瞑想にふけり体の柔軟性を高めています。お陰で健康だけは保っているんですよ。」と言えば、「煙草は止められないし、酒も好きだし運動不足!足腰も弱ってね。」ともう一人が嘆く。

同じ年代の人でも毎日の健康に意識を持って生活の時間を過ごしている人と、過ごしていない人では大きな差が出てきます。私より若い後輩は視力も弱り、何と歯は総入れ歯!足腰弱く頭も禿げてきて何とも魅力の無い格好です。そんな健康状態で生きていけるのか?果たして仕事にやる気が出るのか?と他人事ながら心配になります。

混迷する世界状況の中で冬が終わり春の訪れが来るのか?生活が圧迫される中で如何にこの状況に耐えて乗り越えて行くか?それぞれに考えながら今の人生を歩んで行かなくてはいけない中で「健康」の2文字をしっかり頭の中に入れて頑張っている人と、その意識がない人では当然頑張りに大きな差が出てくると思う。

困難な状況、苦しい状況に立ち向かい打開する勇気と体力は健康なしでは考えられない。上手く人生を、仕事を、生活を、やって行く人はその「健康」への考えがしっかりしている。毎日の食べる、寝る、運動する事が自分の人生にしっかりプログラムされた人は、元気に仕事にも、仕事以外の事にでも意欲的に挑戦出来る人である。

サッカーのスーパースターであったブラジルのペレ氏は現在でも現役時代の体重を維持していると聞いています。お酒も煙草も飲まない吸わない。飲むのは水とミルク、毎日の自己管理、運動を欠かさない生活です。多くのファンから声をかけられても気楽に話す気さくな人柄は好感が持てます。サントスFCで育った彼はスタジアムの横にある古ぼけた理髪店でしか散髪をしません、サンパウロやリオ、ニューヨークやパリ、東京の有名な美容室あるいはメンズ理髪店でもいいのに何故か?ペレ氏はお世話になったサントスFCの横にある古ぼけた理髪店で散髪をします。散髪用の椅子が2脚しかないお店にはペレ氏のポスターが飾れています。これもペレ氏の健康的なこだわりなのかもしれません。

皆さんもサントスFCを訪れる機会があればスタジアムの横にある理髪店を覗いて見て下さい。もしかしたらペレ氏が散髪をしている光景に出会えるかもしれません!!??

                    サッカー博物館2



brazil060224 at 18:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月06日

個人的な事ですが。(裁判)

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2年前にある仕事のトラブルで納得が行かなかった事もあり、私は裁判を起こしました。出来れば話し合いで穏便に解決したいと先方にも申し入れをしましたが聞き入れてもらえず、弁護士を立てての法廷での争いで決着をつける事になりました。

事の起こりは仕事の依頼の話の中であれやこれやの注文が取引先のトップの方から直接会議の席で言われ、それにもとずいて私は仕事の段取りを行っていた所で一方的な契約のキャンセルとなったのが原因です。

この事は私の仕事に大きなマイナスとなったばかりではなく関係していた人々にも失職と言う事態になりました。私はその責任を痛感し、出来る限り数名の再就職口の受け入れ先に走りまわりながら「無責任な取引先の態度に泣き寝入りする事なく決着をつける」を心に誓った次第です。

テレビや映画では裁判の模様を見て想像はしていましたが、実際に自分が法廷に出廷して原告として被告人との裁判を争う事に想像も出来ないものがありました。

裁判が始まる前に誓いの署名捺印を各人が行い、誓いの言葉を読み上げて裁判が始まりました、被告人席にあのドタキャンのトップ、原告席に私が座り、延々5時間余りの法廷での論争が行われました。この裁判には被告人の労働組合の方もこの裁判の行方を見に来ておられました。

証言する私も丁度風邪が治りかけの所で大きな声で主張を通す声が涸れてくる始末でしたが何とか今までの真実を裁判官に向かって話す事が出来ました。裁判ではその人の人間性が如実に出るのでしょうか?被告人の話し方はボソボソと弁護士の質問とは違う返答をする場面もあり、裁判官から「もう少し大きな声で、聞かれた事に答えてください」と注意される場面もありました。

裁判官の判決は「和解」と言うものでした。私と私の弁護士はそれを受け入れ今回の裁判は終結となりました。私としては少々理解出来ない判決かなと思う所もあったのは事実です。必ずしも法律が原告と被告人に公平なものであるのか?と言うものを考えさせられる体験となりました。

しかし、あのドタキャンのトップを被告人席に引きづり出した事は私や私の仲間が味わった苦い体験と同じくらいに彼も苦い思いをしたのではないかと少しは気持ちが晴れる思いがありました。

今年5月21日から始まる裁判員制度の必要性を私自身の裁判を行って感じている次第です。現在の法律に則ってと言うものは、人間の常識や人としての道義、道徳的な行動であったかをあまり考慮していないのではないのか?と思った次第です。人が人を裁く裁判には人間の血が通った判決が必要ではないか?、只単に法律や規則の枠だけでは判断出来ない物事があると今回の私自身の裁判を通じて強く思う結果となりました。



brazil060224 at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年03月01日

今でも現役!?KOK

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KOK(熊本オールドキッカーズ)は70歳以上の元気な方々が大半で結成されているサッカーチームです。登録メンバーは50名はいらっしゃるという事です。また、サッカー歴が50年以上と言う方が大勢おられます。

毎週1回は必ず練習が行われ、年間の活動もきちんと計画がたてられています。平成20年度のKOK事業活動計画なるものには、4月全国シニア九州予選参加、5月福岡選抜交流会、全国シニア大会参加、6月年輪ピック県予選など年間を通じてのきちんとした予定表が明記されていました。サッカー協会への選手登録、保険加入も抜かりなく行われています。

計画表の横の欄には毎月の練習日の予定が書かれていました。只単にサッカーが好きだからボールを蹴るではなく、チームとしての目的・目標を持って活動されている姿勢がありました。

各参加者が充分な体調管理を行い「生涯現役」と言う意欲を持ってサッカーを通じての人生の交流を積極的に行われている姿に私も大い刺激を受けました。練習の様子を見学に行った日はあいにくの雨あがりのビショビショのぬかるむグラウンド状態でしたが、そんな事はお構いなしで渾身のプレーで皆さん真剣に練習を行われていました。

いつまでも元気なKOKの皆さんの活動が熊本のスポーツ活動にも良い影響を与えていると感じた次第です。私も生涯現役で頑張ろう!