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2013年05月

人はみんな、自分の居場所を探している。

一人になりたいって人も、愛情が欲しいっていう人も、み〜んな自分が心地良いと思える場所を探して生きてる。

人生の豊かさや幸福について考えさせられることが多いけど、
まるで犬が自分の大切なものを土の中に埋めるように、人間も本能的に大切な自分の居場所を求めるということをつくづく感じる。

「居場所がない」と感じる時、人はどうしようもない不安と絶望感に苛まれる。
時にはそのことで自殺してしまう人もいるくらいに重要なことなんだと思う。

居場所って、言い換えると「役割」なのかな。
「あなたが必要」って言ってもらえる役割。


あっ、マズローの法則を思い出した。
生理的な欲求(第1の欲求)や安全を欲する気持ち(第2の欲求)が満たされると、社会との繋がり(第3の欲求)、さらには人から認められることを望む(第4の欲求)ようになる。

現代人はもしかすると、第3、第4の欲求のあたりで留まっているのかも!?
それが満たされないのに、第5の自己実現がとても大切って洗脳されているのかもしれない。
基本的な欲求が満たされないのに、上の次元の欲求を満たそうとしても、それではバランスが崩れてしまう。


「居場所」って本当に大切だなあ。

「大好きなことを仕事にする」というのが幸せの条件のように言われ始めて久しい。
確かに毎日好きなことでお金をもらって生きていけたら、良さそうな気がする。

でも、その考え方にも落とし穴がある。
例えば、「好きなことを仕事にする」ことができなければ不幸な人生なのか?という問題。
言わずもがなで、答えはNOだ。
そのことにこだわり過ぎるあまりに、実現できていない自分に対して、変に劣等感を感じたり、「自分はこのままだとダメだ」と自己嫌悪に陥ったりと、本末転倒になることも少なくない。

もう一つの落とし穴は、「プロとは人からお金をもらう仕事をする」ということについての誤認で、「好きなことをやる=自分のやりたいことだけをやる」と勘違いしてしまうことがある。
人の役に立てることでしかお金をもらうことはできないのに、自分の欲求を優先させるというのではプロとは言えない。嫌なことだって、依頼されたらやらないといけない。
いや、むしろ好きなことより、どちらかと言うとやりたくないことをする機会の方が多いかもしれない。
こう言えば、ほとんどの人が当たり前だと頷くと思うけれど、「じゃあ、プロになれば幸せか?」という問いに対して、どれくらいの人がYESと言い切れるだろうか?

やりたいことや好きなことを仕事にして生きていくというのは、ある意味「本当に好きなことからの訣別」を意味していることだってある。
趣味でやっているうちは楽しかったのに、お金をもらうようになると、全然やりがいを感じなくなることも多々あると聞く。

「好きなことでプロになる!」と言えば聞こえは良いけれど、そんなに簡単に方向性を一つに決めてしまうことが果たして良いことなのだろうかと思う。
プロになろうとする前に、もっと多面的に情報収集したり、「自分が本当は何が得意で、何をしている時に幸せを最も感じるのか?」等の問いに、答えを見い出すことに時間をかける方が大切なのかなと思う。

そして、例え好きなことでプロにならなくても、幸せを感じながら生きていく方法や、好きなことに対する関わり方みたいなものがあるってことを柔軟に受け入れることが必要なんだと思う。

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