miscellaneous 〜いろいろ帖〜

脳内に溢れるいろいろな幻想や妄想を綴っています。

情報リテラシーと自己責任

-3月11日に起こった、東北関東大震災で被災された方々にお見舞い申し上げます。-



◆あの地震が起こり、東京駅近くのビル21階にいた僕は、免震されてなお激しく揺れる事務所でお台場の火災、遠く東京湾向こう岸のコスモ石油の製油所の爆発炎上を経て、自分も巻き込まれることとなった帰宅難民となったサラリーマンの人の流れを眺めの良い21階から見ることとなった。
結局60劼鯤發なんてことは非現実的だし、一番安全な事務所で一晩を過ごすこととなり、会社から支給された乾パンなどを食べながらワンセグ携帯を見たり、ネットでTwitterで事の経緯をなぞったりしていた。その時はまだ、大変なことが起きたということは理解していたものの、自分の身にどんなことが降りかかってくるのかが良く判っていなかった。

◆浅い眠りから覚める。僕と同様、会社で一晩を過ごした妻と合流し、9時ごろ会社を出る。電車は動いていたが、酷い混雑の上、家まで帰れないことが分かった。仕方なく千葉駅からタクシーを拾うのだが、拾うまでに2時間。僕らの10組ほど前に並んでいた初老の男性がてんかんらしき症状で倒れた。すぐに若者が救急車を呼んだが、最後どうなったのかいまだに気がかりである。残念なことに、そんな一瞬に自分は何も手助けができなかった。周りに人がいる。そして何人かが手助けをしている。もう少しでタクシーに乗れる。
そんな気持ちが自分を躊躇わせたのがとても嫌だった。

◆家に辿り着くと、母親に一晩面倒を見てもらった1歳の息子に抱き着かれた。やっとつながった電話口で母は、地震発生時、息子は保育園にいて4,5歳の子供たちは揺れに阿鼻叫喚となったのに、息子くらいの子供はグラグラする教室でゲラゲラ笑っていたと先生から聞いたという。家は幸いにも僕の本が数冊落ちた程度で問題はなかったし、停電や断水などがないと聞いていたので「お父さんお母さんは帰ってこないな」くらいの感じしかないのだろうと思っていたが、彼なりに何かを感じていたのかもしれない。息子はその日、11時ごろまで寝ようとしなかった。

◆そして福島の原子力発電所の事故だ。枝野官房長官は、当初これをそれほど深刻に考えるな、的な広報に徹していた。ところが、日を追うごとに避難対象地域が3辧5辧10辧20劼塙がってゆく。
僕の会社は、こうした隠ぺいとも取れる東電と政府の情報を信じようとせず、本国からの指示で、まず翌日の夜にはエクスパット達を大阪に避難させ、日曜日の昼には家族もろとも本国に帰ってしまった。
日曜日の午前中、僕ら管理職は会社に呼び出され、日本人も大阪方面に避難することを強く推奨される。部下にもそう伝えろとのこと。ただしこれは強制ではなく自己責任で避難を決めろということだった。

◆しかし、官房長官、東京電力の記者会見がアテにならないならば、僕らのような凡人は何を基準に今後の行動を決めればいいのか。ネットでは正反対の意見が、つまり「安全だ」という意見と「いや、かなりヤバい状態だ」という意見が真っ向からぶつかっている。友人のジャーナリストも「最悪の事態を想定して行動すべき」という。
ここで一気にすべてのツケが回ってきたような気がする。
つまり、僕は今までいつもどこかの社会に属していて、その指示に些かの疑問や抵抗を示しながらも従ってきたわけだが、その結果、自分で情報を短い時間で精査して結論を出すという自己責任を放棄していたのだと思う。
身の安全に直結する事態に際し、正直、自分がどうすべきなのかわからなくなってしまった。

◆母親は「枕が変わると眠れない」と言い、妻も「他の会社は普通にやってるじゃない?」と意に介さない(ように見える)。こうしている間にも被曝が広がっているのではないかという疑心暗鬼に駆られる一瞬もあり、一方ではこの困難をここ〜つまり自宅で乗り越えたいという気持ちにもなる。
そして仮に東電が原子炉を完全に制御不能になったとき、逃げるタイミングを逸してしまい、絶望に打ちひしがれるのだと思う。
神は、今この瞬間にどんな試練を僕たちに課そうとしているのか。
今回は何とかしてやるから、今後は素早く情報を捌き、行動に移せる人間になれと言っているのか。
無言で抱き付いてきた息子のことを思い返し、もっと強い人間にならねば〜少なくとも、もし、自分の前にタクシー待ちをしている方が倒れたら、すぐに駆け寄れるようにはなりたい、そう強く思った。

習い事の恐ろしさ

茶道を始めて三年が経った。

男が茶道?と訝しがられることもあるが、元々茶道は武将の趣味。だが現世では、茶道は女性のものとなっているのが実情で、師匠の門下生では男性は私一人だし、知人の類で茶道を嗜んでいる人をまだ知らない。

茶道を始めた理由を尋ねられるが、恥ずかしながら全く自主的な理由ではなく、妻が和装を始めた折、母に和装の機会を増やすために、母の友人である、現在の茶道の師匠の家に遊びに行く事になったのがきっかけだ。
師匠は思い喘息持ちで、療養を兼ねて房総の避寒地に居を構えた。そこまでの道程は車で行くしかない。妻はペーパードライバーどころか、普通免許さえ持っていないものだから、当然私がドライバーとして送り迎えをすることになる。
妻が稽古中、余生を送っている師匠の旦那さんとお話していればよい。しかし師匠は気の毒がり、「あなたもなさればいいのに」、と半ば強引に私を稽古に引き入れてしまった。僕は旦那さんと話しているほうが楽しかったのだが。

三年経つが、茶の腕はそんなこんなで全く上がっているようには思えない。茶は腕を競うもので決してないが、手前はスムーズにできた方がお茶を点てる相手に対する「おもてなし」の心が十分に発揮できる。そう、茶の湯は相手をいかにリラックスさせ、楽しませるかという精神にその真髄があるのだ。

三年経って、その精神が少し分かりかけてきたような、というのが私の今の茶道に関するステータスだ。茶を点てる相手に楽しんでもらうことが何となく理解できてきた(と思う)。ヘタはヘタなりの茶道があると思うし、和のお稽古を積むミステリアスな男を演出できるので(この時点でもてなしとは関係ない邪な目的ができてしまっているが)、細々とこの趣味(なのかな)を続けていこうと思っているところだ。

そんな気分になっているところに、冷や水を浴びせかけられるような茶道の世界の暗部を今日の稽古の後に、師匠から聞かされることに。
お茶をやっていると、「お金がかかるでしょう?大変じゃありませんか?」とよく言われる。実は何のことを言っているのか分からなかった。月謝は4000円だし、お炭代も、年初に必要な分しか払っていない。
お道具は先生が代々受け継いでいる大切なの物を使わせていただいているし、稽古できている着物は、伊勢木綿の安物である。

しかしこれ、かなり特殊なケースであることを知らされる。
師匠は年金暮らしで、上述の通り療養をかねて房総の田舎に引っ越してひっそりと暮らしてらっしゃる。茶道は決して収入源ではなく、私たちのような、親しい間柄の人たちにしか稽古をつけていない。むしろ、持ち出しも少なからずあるようだ。それでも師匠は「わざわざここまで来てくれる生徒さんたちとお茶を楽しめるならそれでいい」と仰る。

そんな話をしているなかで、実際の茶道の世界の影の部分について師匠が語るには、茶道には、許状をとる際に、師匠の手を煩わせるということで、お願いするときに「前礼」、許状が家元から届いたときに「後礼」といった謝礼を払うことが当たり前になっている。そして師匠がその金額を指定することもあり、中元歳暮にも「○○万円」と金額を指定して持っていくのが当たり前ようになっている側面があるいうことだった。
また、師匠に目をかけられたような言葉を頂くと、またお金を包まなければならない。そして鼠講のようにその師匠の師匠にもお金を渡すように要求されることもあるらしいことが分かった。
茶会があればその券を行こうが行くまいが一枚最低一万円で買わなければならなかったり。


師匠の下にいる限り、そのようなことはなさそうだが、師匠はこうも言う。
「ウチが特殊で、一旦外に出ればこうはいきません。」

そういった世界を知らずに暢気にに「茶道を少々」などと言っているものだから「お金がかかるでしょう」と心配されていることに気がつかされてしまった次第。お家元もそういう悪しき慣例が茶道の衰退を招くとして禁じているようだが、なかなか是正されないし、金だけではなく、門下生の中でイジメに会ったりと、とても「もてなし」を習う環境ではない社中もあるらしいことも分かった。

伝統的な文化としてそれを稽古している自分にすこし誇らしい気持ちがあったのは確かだが、こうした裏の面を垣間見てなんだか落ち込んでいるのだ。




スポーツ系blogの薄気味悪さ2

最近、違和感と言うか、薄気味悪いカテゴリーのblogの存在に気付いた。所謂スポーツファンによる解説blogだ。

これらblogの主は、明らかにニュース記事をなぞっているだけで、ブロガーの問題提起や自らの考えがない。乱暴に言えばコピペ。良く言っても写経の類だ。

コピペがばれぬ様に、口調を変えたり、記事を二個一にしたりと努力の後は見えるものの、スポーツ記事のザッピングが得意な人には通用しない。サンスポとNumber Webのハイブリッド記事とかを良く見かける。

この手のブロガーの狙いは何か。読者の感心を取りたいのは間違いない。しかしblogは写経の場ではないはず。素人でも、自分の考えや意見を広く伝える為のツールであって、スポーツジャーナリスト気取りでコピペ+改竄はハッキリいって間違っているし、噴飯物だ。

グランドデザインがないのが問題だ

月末は選挙なんだそうだ。

政権が久しぶりにひっくり返る、そんな前評判だが、実際政権をとりそうな民主党の足許はおぼつかないように思える。でも、自民党に対しても、結局何も(良い方向には)変わらないだろうし、また官僚たちに操られるに違いないと、僕の周囲の見方は厳しい。


民主党の選挙公約には、高速道路の国有化とか、中学卒業までの子供手当てとか、大変ありがたい文句が並んでいる。そして自民党もしかり、可処分所得を20%増やすような経済構造にしてくれるのだとか。二つの政党の違いは何か、といえば、誰の歓心を引くかの一点に集約されて、枝葉末節の相違点としかいえない。根本的に足りないのだ。この国をどうするのか、というグランドデザインがまったく両者には見えない。日本という国が歴史的に戦術に優れ、戦略に劣るというそのままがこの選挙前の状況に当てはまるように見えてしまう。

今、日本の抱えている状況を本当に良くして行きたいのであれば、中長期的視野にたった政策が必要だ。例えば既に第二次産業が牽引してゆく時代では無くなったように見えるのに、そして、第一次産業への回帰が絶対必要だと思えるのに、また、国際競争力と効率に著しく欠けるサービス業へのてこ入れが必要に迫られているのに、それに対する対処療法的なナンチャッテ公約は認められるものの、それらの産業構造をどうやってバランスをとっていくのか、そこから得られる税収で、この国の社会保障や安全保障や国土開発をどうするのかが見えてこない。骨折しているのに膏薬を貼り付けているようなもので、多分、どこが政権をとろうと日本人の所得は全体的に下がるし、年金も大して受け取れないし、医療費の負担は増えて、失業者が溢れる社会はすぐに来るような気がしてならない。

政権を奪えば、こちらのものだ、という幻想と、自分たち以外にこの国を動かせる政党はないという幻想がぶつかる選挙に、国民は不在だ。しかし自分を含めてこの国の有権者は、自分の国がどうなってゆくのか漠然とした不安を抱えたまま、駅前で配られる各党の候補者の公約の書いた紙を受け取らず、好き嫌いとか、今回は民主党でいいか、見たいな軽いノリで全くおめでたい。そして、小泉政権の暴走からくる今の状況甘受している。「痛み「だけ」を伴う構造改革」を甘受したのは我々国民なのだ。その点を忘れてはいけない。


どこかで、「投票する候補者選びは、車を買え替えると同じくらいに慎重になろう」という記事を読んだが、一部そんなもんじゃないだろう、という気持ちがあるにせよ、大筋で同意する。車を買い換えるのであれば少なくともカタログ(=候補者のマニフェスト、政党のマニフェスト)くらいは取り寄せるだろう。試乗だって最近はどのメーカーだってディーラーにやらせている。是非試乗(=選挙演説)を楽しもう。そして機会があれば問いただすのだ。

「アナタやアナタの政党は、私たちをどこへ、どのように連れて行ってくれるのだ?と。」


ラリっている芸能人や、勤労意欲のない若者が蔓延するこの国に絶望するのはまだ早い。オッサンの上昇志向や、オネーチャンたちの自分への投資意欲、オバちゃんたちの生活を守ろうとする知恵や工夫、町工場の方々の世界一の匠の技、学者の皆さんたちのあくなき探究心と世界をあっといわせるアイディア。
国が元気になれば、楽しいことはきっと増えるはずだ。

今回の選挙は、この国の分水嶺となるかもしれない。世界のリーダーになる必要なんてないから、少なくとも、国民が幸せになるような設計図を引いてくれる可能性のある政党に一票を投じようと思う。

再び派遣労働者について1

不景気である。

僕なんぞに言われなくても不景気なのは事実で、我が社も踏んだり蹴ったりの業績に落ちぶれた。

ニュースでは、トヨタ、キャノンを始めとした経団連会長を輩出した大会社がこの時のために自民党に献金したんだよ!といわんばかりに派遣労働者をバッサリと切り始めている。業績が落ちているものの、社内に漂うそこはかとない失職に対する緊張感を除けば、何も変わらないわが身を思えば、毎日毎日これらの不幸にもリストラされてしまった派遣の方々の人々のインタビューを聞くのは忍びない。

この手の報道を見聞きするにつけ、刹那的にはそうした会社の論理に怒りを覚えるのだが、よくよく考えてみれば派遣労働者は、その会社にとって「従業員」ではない。業績の悪化に伴い、従業員を整理するのは最終手段ともいえるが、派遣は外注コストなのだ。会社にとって不必要なコストは真っ先に切られる運命にある。

つまり、派遣切りについて、道義的な問題はもちろん残るが、制度として成り立っているものだからあれらの企業としては何のためらいも無く契約更新をしない、または途中で契約を打ち切るという手段に出られる。問題はこの制度を国民にほとんどコンセンサスを取らずに成立させてしまった政府にある。経団連の役員連中は「海外企業との競争力を維持」する目的でもともと禁止されていた「派遣業」を工場の現場まで広げさせてしまった。

ところがどうだ。円高で輸出すればするほど損が出て、内需に目を向けても消費は全く冷え込んだままだ。なぜか?派遣やパートタイマーが就労者の1/3を占めているからだ。年収200万円以下の労働者がキャノンのデジカメや、トヨタの車を喜んで買えるとでも思っているとしたらおめでたい限りだ。国際的な競争力をつけるために、れっきとした労働者を人間扱いしない「派遣」なるインチキ制度を政府に飲ませてしまったこの考え方は、結局タコの足の自食みたいなものだ。国内のパイをどんどん狭めているに過ぎない。

イギリスはモノづくりを止めてしまった。アメリカもそうだ。その代わりに生まれてきた錬金術が金融商品という名のふざけたインチキ手品だった。それで得た利益で国を支え、安い労働力を外に求めて、世界中を手中に入れようとしたが、インチキ手品がネタバレした今、ほとんどレームダックと化している。それを追う様に、インチキ手品を仕入れ、グローバルスタンダードなどというまやかしを信じて安い労働力を国内に求めた日本企業はその人たちを切る以外自分達が生き残る策はないと言い切るが、彼らに結局残ったのは日本的経営を捨て、国内の市場を自ら滅ぼしにかかった報いを受ける未来だけだ。

温故知新という言葉もある。かつての日本的経営を見直す時期に来たのではないか。

時間を埋めるもの3

忘れてしまいたい過去が必ず人にはあるのだろう。
自分が、あの時、あの人に、あんなことをしてしまった(言ってしまった)ことを咄嗟に思い出しては、声にならない声をあげたり、考え込んでしまったり。
人間は忘れる生き物だ、ということをこのブログに書いた記憶があるが、それでも忘れることができず、自分を縛り付ける恥ずかしい思い出があるものだと思う。

僕には、忘れてしまいたい過去、というよりも、取り戻したい過去がたくさんある。
その取り戻したい過去の出来事が集中しているのは、高校の3年間である。
高校生活は子供からオトナに変身するサナギみたいな人間の成長過程だという人がいるが、僕はサナギになることを自ら拒否するかのように、芋虫の姿のまま蝶になった。否、正しくは蝶になったつもりでいたのだった。そして、楽しいはずの高校生活を半ば棒に振ることになる。

高校受験のために抑圧的な時期をを過ごした後、割合とリベラルな雰囲気のある都立高校に通うようになったころ、僕の中での何かが − 羞恥心と自制心の織り交ざったようなもの − が、一気に崩れた。
とにかく楽しかった。自分の知らない地域で同じ時を過ごしてきたクラスメートが一気に増えた。同じ価値観をもつ新しい友達が増え、今までとは違う場所で、 −僕の場合は、それがまだ安全に遊べる渋谷界隈だったのだが― 彼らと新しいものに挑戦するようになった。それはレコード漁りだったり、喫茶店通いだったり、他愛のないものだが行動範囲や行動時間が増えたのは間違いはない。

体も成長した。ほぼ現在の声に変わり、僕の場合はませていたのだろう、背も高校1年生で伸びきってしまった。気がつくと、父親の背丈を越えていた。ヒゲも濃くなり毛も生え揃った。誰が見ても、― そう、これは大いなる勘違いなのだが―「オレってもうオトナに見えるよな」という間違った意識が強くなった。

とにかく楽しかった。毎日のように、友達の家に集まって、音楽の話をしたり、クラスの女の子の誰が好きだとか、他愛のないといったらそれまでだが、話は尽きず、家が同じ方向にある友達と電車で一緒に帰ってはその続きを話し続けた。オトナになったつもりの、高校1年生のガキは恐ろしい。自分の中に間違いなく残り続けていた幼児性が時折出現するのに気がつかず、つまらないトラブルを間もなく自ら振りまくようになる。

大人になったつもりでいることで、僕の羞恥心は一気に無くなった。抑圧的な生活から解放されたことで、自制心が希薄になった。時折剥きだしとなる僕の幼稚性から生じられる稚気溢れる言動や行動は、仲良くしてくれたクラスメートの神経を逆撫でし、呆れさせた。僕以外の殆どのクラスメートは、羞恥心も自制心もきちんと持ち合わせながら高校生になった自分とその仲間との付き合いを楽しんでいたのだ。僕は自分が何者で、何をやっているのかが分かっていなかったのだと、今にすればそう思う。

まず、僕は何でもできると思い込んでいた。そして自分が何かの中心にいなければならないという錯覚をしていた。文化祭で映画を撮ろう、といいだして、脚本・監督を買ってでて、好き放題に撮影した挙句、編集作業中に機材を返しに行き、つい寄り道をしたため、「自分勝手すぎないか?」と怒鳴ってきた友達と大喧嘩をして投げ出して帰ってしまった。しかも、僕は鼻血を出し、着ていた服をビリビリに破かれた姿のままだ。明日が文化祭というタイミングだったのにも拘らず。結局みんなでお金を出し合って作り上げようとしたサスペンスドラマを(なんだかなあ。(笑))僕は結局観ていない。

また、ある日、友達の似顔絵を書いた。その友達の口癖まで書いた。僕にバカにされたと思い、怒り狂った友達は、僕をトイレに連れ込んで、殴ろうとしたが、周りの友達に制されたため、そこまで至らなかった。昨日まで一緒に電車で帰っていたその友達と、卒業するまで言葉を交わすことはなかった。僕は親しみと蔑みの境界線をわかっていなかった。親しみを込めたつもりの似顔絵は似てもいなかったが、友達を怒らせる表現力はあったみたいだった。

また、僕は学校の少しいい加減なクラブ活動の所属システムを、よく言えばうまく利用して、悪く言えば悪用して、いろいろなクラブに―そして同時に−所属していた。これも、自制心がなかった賜物だ。素敵な女の先輩から勧誘されてバドミントン部に入った。バドミントン部は、わずか週に2回しか、体育館で練習ができない。僕は同時に柔道部にも入った。理由は単純だった。「オヤジが2段ならオレも取れるはずだ」柔道部は、当時ジプシーのように屋上で練習したり、体育館のステージ上に畳を敷いて乱取りをするような有様だったので、練習は不定期だった。
そして、僕は漫研にも属していたし、古典部の部長まで―もちろんすぐにクビになったが−やっていた。全部自分が楽しそう、やりたい、とおもうと、何も考えずにその部の部員になっていたのだった。当然時間は僕にも1日24時間しか与えられていない。すぐに重複した部活動は破綻する。全部中途半端になってしまった。

そして、3年になった時、僕は応援団長になる。僕の出身高校の名物は体育祭の各クラスが1〜3年のクラスの縦割り合同応援団をつくった応援合戦だったりする。いまも行われているのかは知りえないが、とにかく入学したての4月から、体育祭の行われる5月中旬まで、毎朝、毎昼、毎放課後、声を枯らし、筋肉痛に耐え、上級生にイジられながら、頑張り続ける。本番が終ったあとの感動は、それは一入で、僕は、折角3年生になったので、応援団長をやることにした。これも羞恥心のなさがなせる業だ。

ちゃらんぽらんな団長の元、応援合戦の練習がはじまると程なく、2年生との折り合いがどうにも悪く、悪態をつかれているような気がした。ある日、ムカつきながら太鼓を叩いて指導をしていると、バレー部に所属している2年生がいきなりキレて「ちゃんとやれよ!団長がそんなのでまとまるのかよ!」と僕を面罵した。
冷水を掛けられた気がした。恥ずかしかった。3年にもなって初めて自分が何者か気がついたのがこの出来事だった。

なんとか体育祭もおわり、その打ち上げを渋谷の町で行っているときに、その2年生が僕に謝罪しにきて、「あのときは、本当に申し訳なかったです」と言われたのだが、本当に申し訳なかったのはこちらのほうだった。僕はそのとき、初めて素直に自分がいかに愚かな行いをしていたのかを詫びた。

最悪なのは、古典部の部長をやっていた縁で、国語の教師から答辞を卒業式で読まされた。断れば断ることができたのに、また僕は「やりますやります喜んで」と、請け負ったのだった。
そして、校長よりも、誰よりも長ったらしい15分にわたる答辞を読み上げ、バドミントン部の後輩からも「消費税の話が出てきたのにはビックリしましたヨ」とバカにされるというオチまでつけてしまったのだった。

もう、これ位にしたい。まだまだ僕の高校時代の取り返しのつかない過去は、バラエティーに富んでいるのだが。
僕が大学生になり、そういった出来事の一つ一つを「忘れてしまいたい過去」として葬り去り、いつしか高校の友達とも疎遠に(自分から)なってしまった。
一度、大学を卒業した年の暮れに、クラス会があったのだが、僕はどの面を下げて出席できたのだろう。でも、僕の高校三年間を本当に葬ることは、自分にはできなかった。


そして、また月日は17年くらい流れたのだが、ついこの間、某巨大SNSでネット上で高校3年生のクラスメートと再会を果たし、そのうちの一人が、西方へ単身赴任するということで急遽昼食だけのクラス会を5人でやった。
みんな僕をちゃんと覚えていてくれた。会っていない間、時間はかなり経つのに、まるで昨日のことのように楽しく話すことができて嬉しかった。


僕は「忘れたい過去」を17年間の間に、「取り戻したい過去」変えていた。
当時の僕に対するイメージや評価は決して覆すことはできないだろうが、過去を埋めることは、きっと、もちろん一部の人だけにではあるだろうが、これからの僕の彼らとの付き合いの中でできるのではないか、と思っている。

生産現場から2

会社は株主のものではない (Yosensha Paperbacks)



先月末に、取引先の工場視察と品質向上のためのディスカッションのために浜松へ上司2人のお供で行った。気温が35度を越える中、鋳造工場は蒸し風呂のようであり、20分と耐えることができず、工場内の休憩室へ逃げ込む始末。その間も、鋳造された部品のバリを取る係りの日系ブラジル人黙々と厳しい環境下で働き続けていたのだ。



しかし、この工場の環境の悪さは、工場内に留まることはない。通された会議室も、会議室脇の工場事務のオフィスも、壁は薄汚れ、雑然としており、建物としては然程古くないものの、所謂3Kの様相を呈している。昼食前にトイレに手を洗いに行ったのだが、臭いこそ消臭剤で消されていたが、明らかに不衛生で、驚くべきことに手洗い石鹸が無くなったまま放置されていた。


この手の工場は日本全国どこに行っても当たり前のように見ることができるのだろう。日本はどちらかといえば、工場の環境が劣悪であっても(その会社は、そこまでの酷さではなかったが)、出来上がった商品の品質が高ければよいという考え方をしている人間が多い国だ。しかし、工員の方々の、マシナリーとしての日々の労働と、その労働を行う場所が劣悪さでは、本当の意味での品質を継続することは難しいはずだ。



上司は欧州の最新工場がいかに人間に優しく、そして効率が良いかを私に説く。その言葉には、日本の工場に対する侮蔑も含まれているような気がした。
工場は生産が基本であり、労働品質については二の次三の次になる、つまり、いかにコストを抑えられるか、ということがその判断基準であり、そのコストは利益に還元される。そして出資者である株主に還元されるようなスキームになっている。



会社が生存競争に勝ち残るためにはさまざまな形で株主から金を集め、そして株主のために収益性を高める活動をせざるを得ない。具体的に言えば、工場の会議室の壁紙は張り替えないし、トイレの手洗いにシャボンをいれないのだ。工場内にスポットクーラーを入れるなど、言語道断なのかも知れない。


ドイツから来た上司は日本人である私に抗議的な目をして言った。「こいつらの会社の本社の人間も、ここで働く工員も、両方人間だろう?」ドイツがどのような環境をもつ工場なのかは知らないが、言っていることは正しい。現場だけが株主に報いる活動をしても仕方あるまい。夢物語を叫ぶつもりはないが、強い企業は工場での労働環境をきちんと整えた上で、競争するべきだ。利益確保を理由として工員から奪った自由や、環境を利益として計上するのは人道的にいかがなものかと思うのだ。








人間の不思議なところ2

イマイと申します。―架空請求に挑む、執念の報道記録


所謂「振り込め詐欺」の被害額規模は、既に百億円単位に上っているという。
手口は様々あれど、いずれも人間の不安心理を突いた、卑劣な犯罪に他ならない。
少し軽薄なこと書き付ける事を許していただきたいのだが、手口を新聞やネット上のニュースで見るたびに、その巧妙な状況設定や、話術、ATMへの誘導などは、心理学のエキスパートが必ず黒幕にいるのではないか、と思ってしまう。
そして必ず、「何でこういったスキルをまっとうな仕事に活かさないのだろうか」とも。

詐欺の旨みとはいったいなんだろうか。
正直詐欺でまんまと儲けて人生楽しく生きている人など(少なくとも個人的には)聞いた事が無い。大体は逮捕されている。大規模な振込み詐欺グループが仲間割れして殺されたりもしている。法を犯し、逮捕された後の人生に関して、とてもリスクが大きいにも拘らず、IT・テレフォンアポインター・演劇(笑)・心理学などを駆使したあげく、法の目をかいくぐり、警察の捜査をかく乱する知識・行動力を発揮するモチベーションっていったいなんだろう。

それではリスクに対してリターンが大きいのだろうか?
たしかに1つの詐欺グループが100億円を稼いだ実績が残っている。換算するのも馬鹿馬鹿しいが、ヘッドカウントあたりの売上高(?)は億を突破している。
利益率(?)も高そうだ。成功報酬としての人件費はあっても、固定給としての人件費が存在しているとも思えないし、投資としては固定電話・携帯電話通信費/インフラの類と、ワンクリック詐欺などではちょっとしたITに対する投資は必要だと思うが、売上高総利益率や営業利益率(?)は相当な数字をたたき出すはずだ。

しかしだ。彼らの売り上げも利益も、詐欺が成功し、逮捕されないという前提なしでは確定しない。逮捕される前に使ってしまえ、ということもあろうが、民事上の責任は残る。結局一時の快楽であぶく銭と消え、残りの一生を返済に費やしたりドロップアウトするしかないのだろう。そして同じような犯罪に手を染める。

彼らのやっている事そのものには全否定するが、彼らの持つ様々なスキルと悪意ではなく真っ当な心でそれを駆使し、世の中のためになるような事業を興せば、場合によれば180度違った人生を歩むことができるかもしれないのに。お節介な話だが、こういった話題を耳にしたり、新聞で目にしたりすると残念に思う。

ただ、真っ当な人間だけではこの世の中はつまらないものになってしまうということなのだろう。でも、犯罪の無い世界があるならば、つまらなくても僕はその方を選びたい。人を欺くためだけに脳細胞を使うことに長けた人が、人生を終えるとき何を思うのかをとても知りたい。

ダメタクシー2

わが町の駅には、2社のタクシー会社に入構が認められている。しかし、1社単独の時代が長かったこともあり、新参のもう1社が認められている台数は、かなり限られている。

地元の有限会社(A社としよう。)は、白いボディー、新参(B社としよう。)は黒と、非常に見分け方が簡単だった。

しかも、B社は初乗り330円(中型)と、A社の半額で、初乗り料金でいける距離はA社の半分。A社の初乗りの距離を乗ると、B社も660円かかるわけだ。

しかし、今日は雨が降っている、とか、荷物が多くてあまり歩きたくない、などの日は、1.5kmくらいまでだと、B社のほうが安く乗れたりする。したがって、お客は黒いタクシーを待つようになるのだ。

先に並んでいても、黒いタクシーが後ろにいれば、後ろに並んでいる人に「お先どうぞ」などとやってしまう人が増え始めた。

終いには、お客同士が白いタクシーを譲り合い、誰も乗らない、のような漫画みたいな事態が起こったらしいのだ。

ただ、料金だけの問題でこれが起こったわけではないらしい。

A社は、1社独占時代が長すぎて、お客様に対するサービスの精神にはっきり言って欠けている。送迎を断るなどは日常茶飯事、お客様に対する言葉遣いは、雑で荒っぽい。気遣いもゼロ。平気で「今日はもう上がろうと思っていたのに。しかたないから乗せてやッから。」などとほざきやがる。

B社は社員教育が行き届き、言葉遣いも丁寧、なるべくお客様の要望に沿おうとする努力が見られる。しかも料金は近距離であれば安くすむ。それで譲り合い、のようなことがおこるわけだ。

これは私の推測でしかないのだが、「仕方なく」A社の白いタクシーに乗って、ぞんざいな態度をとられたとき、ついついB社のことを引き合いに出し、「あんたの会社はダメだね」などというお客さんが増えたのだと思う。A社はとんでもない策に出た。

ある日、うちのヨメが疲れ果てて電車を降りると、ラッキーにもタクシー乗り場には誰もおらず、しかも待機しているタクシーの色は黒だった。迷いなく彼女はそのタクシーに乗った。

しかし、タクシーは白を黒に塗り替えたA社のものだったのだ。それに気がついた瞬間、彼女はメーターが倒れていないのを確認し、「やっぱり降りる。A社は嫌い」と疲れてイライラしていたのも手伝い、ひどいことを口走って勝手にドアを開き、降りてしまった。

タクシーの運転手が後ろでなにやら怒鳴っていたらしいが、彼女は無視して歩き去った。



駅の反対側のロータリーが整備されることになり、A社、B社の車両の割合が幾分改善されたようだが、そちらでも譲り合いは続く。A社は色を変えるより、態度を改めた方が売り上げアップに早く貢献できると思ったのは、間違いなく私だけではないだろう。

ゴルフの勧誘3


齢が40に近づいたからだろうか。何故だかここのところやたらにゴルフを始めたらどうだ?というお誘いを受ける。
僕は10年ほど前に、義理の兄と近くのドライビングレンジへ行き、初球を大シャンクさせ、それ以来自分には才能が無い。だからやらない。を貫き通してきた。


大抵この話をすると、ゴルフ歴が長い人ほど、「俺だってまだ100は切れないんだよ」などと慰めてくれるのだが、僕が言いたいのはいつまで経っても100を切れないようなスポーツに投資するほど余裕はないし、シャンクするような自分が、この人たちより早く100を切れるというおめでたい想像力が全く働かない。
義理の兄は月に2度ほどのゴルフを楽しみに生きている。
僕には他の楽しみがあるし、別にいいのだ。


しかし、世の中は僕のような人間を放っておいてはくれないようだ。
「お客様とのコンペに出ることもあるだろうに。」
「オレのセット、ちょっと古いけど入門には丁度いいんだ。」
「本部長が、ゴルフでしか話せない話も出てくるんだぜ。」

まあ、たしかに、お客様とのコンペはコミュニケーションを円滑にしてくれるだろう。しかしその前に、家庭でのコミュニケーションはどうなるのだ?
お客様とのコミュニケーションは仕事できっちり取るつもりで僕は仕事をやっている。ゴルフが決定打、という人もあろうかと思うが、そんなことばかりで仕事は回らないはずだ。

古いセットを僕に押し付けて、新しく買う口実にしたいのは分かるが、僕が百歩譲って始めるとしても、僕は安くても新品を使うと思う。

それに本部長の本音なんて、できれば仕事の中で聞きたいものですよ。


最近は、今まで以上にゴルフから逃げる努力をしなければならないわけで、結構大変だ。
また、一度受け入れてしまうときっと僕のような単純な人間は、駅で傘をクラブに見立て、素振りをしてしまうのだろう。
そして「あのコースの何番ホールが得意かって?いやあ、僕は19番専門でね。」などとくだらないセクハラまがいのギャグを言うのが目に見える。だからやらない。

気がついている人は気がついているが、僕は相当ティピカル・サラリーマン、略して「ティラリーマン」なのだ。



メンツを集めるためだったり、ゴルフで自分より下手くそな人をキープしておきたいなんていうアホ臭い理由で僕を困らせないで欲しいです。

で、ティラリーマンの僕がもし始めるとしても、「チャー・シュー・メ〜ン」などとは絶対に言いません。







Profile
nwt
何もできないくせに何かやりたい勤め人。
何にでも首を突っ込み、すぐ飽きる。

基本データ
【年齢】 40歳
【誕生日】1968年7月13日
【星座】 かに座
【血液型】O Rh+
【身長】 170cm
【体重】 66kg
【出身】 東京都出身
【居住地】千葉県千葉市
【仕事】 ビジネスプランナー

好きなもの
【音楽】 ロック・ファンク・アシッドジャズ
【メシ】 沖メシ・TEXMEX・イタリアン
【酒】  泡盛・焼酎(芋麦何でも)・テキーラ
【体育】 野球(Chiba Lotte Marines/Arizona Diamond Backs)・蹴球(Astonvilla)
【旅行】 沖縄・アリゾナ・ユタ・ニューメキシコ
【本】  山崎豊子
【星】  シリウス
【蒐集】 ハードロックカフェのテディベア
【飛行機】B767-300
【車】  BMW 323i(E90)
【PC】  VAIO VGN-T51B/Dell Dimention 2400C
【楽器】 Bass (三線が弾けるようになりたいです)
【動物】 Miniature Schnauzer♂ 1.5歳。独り息子です。
【GMS】 Costco・BJ's・Tescoの研究、Jimmy'sを本土に招致したい。
【FF】  TACO BellとWendy'sとA&Wをこよなく愛す
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