ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記の話。

「西部戦線異状なし」(7)−−ドイルの戦争

cu31924031165206_0000(ドイツと次の戦争)img092 (2)  平和は戦争への準備期間――と、本で読んだ覚えがある。第二次世界大戦終了から70年、その間、さまざまな戦争があり、戦争の形も変わってきたものの世界大戦にまでは至っていない。日本にしても、戦争ができる「普通の国」への準備が静かに進んでいる。堤防も蟻の穴から崩壊する、この警句を胸に刻んでおきたい。

  さて。コナン・ドイルは、第一次世界大戦にどのように向き合ったか、ごく簡単に書いておこう。

  ドイツ、フランス、ベルギーなど欧州諸国が、戦争への準備進めていたころの19⒒年7月、ドイツとイギリス2国による親善自動車レースが行われた。「プリンス・ヘンリー・ツアー」(The Prince Henry Tour)と呼ばれたこのレースは、ドイツのハンブルグをスタートし海を渡ってロンドンまでの約4000キロを走るレースで、ドイツ帝国自動車クラブ(The Imperial Automobile Club)から50名、イギリス王室自動車クラブ(The Royal Automobile Club)から約40名が参加して行われた。自動車好きのコナン・ドイルも妻ジーンとともに参加した。 それぞれの自動車には、相手国の軍人のオブザーバーが同乗する規則で、ドイルの同乗者は、「厳格で伝統に拘る」カルマー伯爵だった。(下の寫眞は、レースに参加したドイツの車*)
 
a255321fa789253986e0dafe5a25fe84(参加した自動車)例 6153d351303bc9b0963f120b17fca4ce(ヘンリー公の車?) このレース中、ドイルは、ドイツのオブザーバーたちの態度が、まるで「戦争の雰囲気」なのに気が付いてショックを受けた(ドイルは、ドイツ語の会話が少しできた)。なかには、戦争は避けられない、との声もあった。レースの結果は、イギリスの勝利に終わり、「平和」の文字が刻まれた象牙の若い婦人像が贈られたが、ドイルは、このレースは当時のドイツ海軍の軍事行動から眼をそらすための誤魔化しで、戦争への「悪い予感」がした、と後に語っている。

  英独の関係を深めるための「英独協会」のメンバーでもあったドイルは、ロシアとフランスという強国に挟まれたドイツがよもや英国に戦争をしかけるとは予想もしていなかった。しかし、この自動車レース後、表向きはドイツとの友好関係を支持しレースについて「タイムズ」紙(1911年7月11日付)に寄稿。ドイツの友好・歓迎ぶりを讃えている。しかし、自動車レースの後、戦争が必ず始まると確信したドイルは、ドイツの戦争文学の研究をはじめ、フォン・ベルナルディ将軍が書いた『ドイツと次なる戦争>』(Germany and the Next War,translated by Allen H.Powles,Longman,Green and Co.,NY,1914.原書は1911年刊。寫眞上・左)を読んで、ドイツが新しい領土の拡張のために戦争を欲していることを知った。そのため、イギリスの戦争準備が整っているかどうか憂慮し、1913年、『大英帝国と次なる戦争>』(Great Britain and the Next War,A Reply to Bernhardi's ”Germany and The Next War”)を「フォートナイトリー・レヴュー」に発表、翌年(14年)、単行本(寫眞上・右)として刊行された。本書のなかで、ドイルは『大英帝国と次なる戦争』で、とくに潜水艦の脅威をあげた。潜水艦によって輸送船が撃沈されたら、海外からの食糧輸入にたよっているイギリスに「どんな影響をおよぼすかは、私の憶測しがたい問題である」と述べている。

  そのために、ドイルは、輸入食糧品に高い関税をかけ国内での食糧増産を図る、など3つの解決策を提案している。そのなかで特に、食糧や物資の補給路を確保するため、英仏を結ぶ海峡トンネルを建設することの必要性を説いたが、実現には至らなかった。英仏海峡トンネル(全長約51キロ、海底部約37キロ)が実現したのは、1994年のことである。

  話は、脱線するが、今から20年ほど前の11月18日夜、英仏トンネル内でトラック輸送用列車で火災が起き、煙が内部に充満、不通になるという開業以来初の事故が起きた。その翌日の朝(9時頃)、ユーロスターでロンドンからパリに向かう予定だった僕たち(会社のグループ旅行)は、鉄道とバス、連絡船でフランス側に入り、再びバス、ユーロスターに乗り、パリに着いたのは夕刻5時。散々な目にあった。トンネルの有難さを身をもって知らされた(当時、日本の新聞に「英仏トンネル 事故で煙充満」と報じられたベタ記事を見ながら書いている。なんでも取っておくと役に立つことがある)。
 
 当時の政府には、ドイツ潜水艦の脅威について理解してもらえなかったので、ドイルは小説の形で大衆に知らせようと思い立ち「ストランド」誌(1914年7月号)に、『危険! ジョン・シリアス艦長の航海日誌』(Denger! Being the Log of Captain John Mirius)を発表した。これについては、次回に⋯⋯

<参考文献>
1、ジョン・ディクスン・カー、大久保康雄訳『コナン・ドイル』(早川書房、1980年3月31日、改装第1刷)
2、ダニエル・スタシャワー、日暮雅通訳『コナン・ドイル伝』(東洋書林、2010年1月31日」)
<参考にしたサイト>
World War 機Document Archive;Bernhardi
firstworldwar.com;Prose & Poetry−Sir Arthur Conan Doyle
The Arthur Conan Doyle Encyclopedia;The Prince Henry Tour(letter)
Gentleman's Military Interest Club;Medals for the succesful participants of the Prince Henry Tour 1911;ブログ中の参加したドイツの自動車の寫眞は当サイトから転載させていただいた。また、当サイトに掲載されている短い新聞記事(紙名不明)”PRINCE HENRY AUTO TOUR”によると、ドイツ側の参加者は37、イギリスは28になっている。これは人数ではなく自動車数だろうか? なお、完走した参加者には、ジョージ浩い梁彜Ъ阿鮟砲Δ燭瓮瓮瀬襦焚漆沺砲贈られた。
b059a536c0634faddd6f27fa2b59fc70(英国自動車クラブ


(つづく


「西部戦線異状なし」(6)―『八月の砲声』

_SX359_BO1,204,203,200_[1]_SX359_BO1,204,203,200_[1]  『西部戦線異状なし』 のなかで、志願兵のパウルたちが、いったい戦争なんてものはどいうわけで起きるんだろう?と話し合う場面がある。カイザル(ヴィルヘルム鏡ぁは戦争やる気はなかったが、みんなが戦争したがったからとか、一つの国が他の国をうんと侮辱したからとか、ある国民が他の国民を侮辱した場合とか、いや違う、国民ではなく国家だとか、戦争で得する奴がいるからとか、誰も戦争したいなんて奴はいないのに戦争になるのは一種の熱病だからだ、とかなんとか。結局、もっともいいのは戦争なんてもんはやらねえことよ――というチャアデン兵士の発言で終わる。

 大事は小事から、というから、戦争にしても何か原因があって始まるのだろう。そもそも第一次世界大戦は、何が原因で始まったのか知ろうと思い、ピュリッツアー賞を受賞(1963年)したバーバラ・タックマンの『八月の砲声』(ちくま文庫)を読んでみた。本書の裏表紙に、「1914年6月28日、サライェヴォに響いた一発の銃声がヨーロッパに戦火を呼び込んだ」とあるように、オーストリアの皇太子夫妻がサラエボでセルビアの青年に暗殺されたことが、その発端であるように歴史の授業でならった。しかし、本書を読むと、戦争に突入する前、独・仏・英・露・米・ベルギー・オーストリア、トルコ、日本などなど各国の間で網の目のように結ばれた条約やら同盟やらがあって、一度読んだ切りでは頭が混乱するばかりで、戦争の背景にどんなことがあったのか、凡夫の頭ではなにがなにやらサッパリ理解できなかった。ともかく、ドイツ皇帝カイザル(ヴィルヘルム鏡ぁ1859〜1941)は、1914年8月1日にロシアに戦線布告、3日にはフランスに、そして4日にはイギリスがドイツに宣戦布告して大戦が始まった。日本も日英同盟により8月23日、ドイツに宣戦布告した。

img080 (2)  カイザル()は、一度も訪れたことのない芸術の都パリに憧れていたため、それを手中にしたいという熱望があった、という説もあり、それが妙に心に焼き付いている。1914年8月、といえば、即、ホームズ譚の『最後の挨拶』(1917年9月発表)を思い出す人も多いと思う。ホームズは、アルタモントという名(ドイルの父親の名前チャールズ・アルタモント・ドイルに由来する)でアメリカでスパイ活動をしてドイツのスパイの裏をかく話である。

 それにコナン・ドイル自身も、フランス・英国・イタリアの欧州戦線を視察し,詳しい資料をもとに大部の戦史(”THE BRITISH CAMPAIGN IN FRANCE AND FLANDERS”1914〜1918)を著わしているし、ドイツの潜水艦の活躍を予言し、警鐘を鳴らした短編小説「危険!」(”Danger!” 1914年2月発表)なども書いている。当時、海軍大臣をしていたウィンストン・チャーチルは、ホームズ譚よりもドイルの歴史小説の方が好きだと評価しているから、タックマン女史が『八月の砲声』の中で、コナン・ドイルについて二度にわたりふれているのも女史の歴史家としての眼の広さを物語っている。その内、ひとつだけ紹介しておこう。『銀星号事件』に出てくるかの有名なセリフが使われているのだ。タックマン女史もホームズファンだったのだろう――。

  アメリカは大戦勃発後も中立を守っていたが、ドイツの行動に「感情的」になっていた国民同様、アメリカ大統領ウッドロー・ウイルソン(1856〜1924)も、夫人の葬儀もあり「悲痛な心境」になっていた。8月12日、葬儀の後、ウイルソンは、夫人の親戚のアクソン博士に自分の気持ちを打ち明けた。「『われわれをこれ以上戦争から遠ざけておくことを不可能にするなにかが、洋上で突発しはしないかと心配でならない』。ところが、決定的要因をもたらしたのは洋上の突発事件ではなくて、洋上でなにも起こらなかったということだった。シャーロック・ホームズが、グレゴリー警部に『その夜、犬にふしぎなことが起こった』と注意をうながした時、変なことを言うわいと思いながら、警部は『犬はその夜はなんにもしませんでした』と答えた。/『それがふしぎだというんだよ』とホームズはあらためて注意した。」(太字は引用者)
    
 ここで言う「その夜の犬」とは、ドイツ海軍のこと。ドイツは200万もの軍隊でベルギーを侵略、6週間以内にフランスに勝利する計画だったため、軍部は海軍を危険にさらしてまで、戦うことを許さず温存した。ただ一度、8月28日、ドイツ海軍の根拠地であるバイト湾に突入した英国海軍と「軽率」な戦闘が行われたが混乱のうちに敗北。以降、カイゼルは英軍との海戦に恐れをなし、「いとしい艦船」を危険にさらすことなく「艦船の損失を避けよ」と命じたという。コナン・ドイルの小説『危険!』(この海戦の前に書かれた)には、この海戦を予感させるものがある。

img079img081 (2)  もしドイツがこの戦争に勝ったら、アメリカはその理想をすて軍国主義になってしまう、と考えながらも中立を守り続けていたウイルソン大統領も、再選後の1917年4月、宣戦布告し参戦した(**左は、アメリカの戦時国債キャンペーンのポスター。***右はベルダン付近の塹壕)。

  『八月の砲声』によると、戦争が始まった8月のひと月間の両軍の作戦の失敗が、戦線を膠着状態にし無残な塹壕戦を4年間も続ける原因になったという。西部戦線では、わずか10メートルの土地を奪うのに何千、何万という兵士が殺され、「底が水浸しになった塹壕から乾いた塹壕に移ろうとそとへでて殺されるという、あまりに悲惨な戦争」がつづいたのである。 

  この戦争でコナン・ドイルの親類も死んだ。特に、子息キングスレー、弟イネスの死は彼にとって大きな代償になった⋯⋯。

(つづく)

寫眞は以下の本から転載―
<*、***>
J・M・WINTERTHE EXPERIENCE OF WORLD WAR (Oxford University Press,1995)
<**>
『隆盛期の世界ポスター展』(日本テレビ放送網株式会社、1985年

『ジョニーは戦場へ行った』(5)−−『西部戦線異状なし』

img049  ドルトン・トランボの『ジョニーは戦場へ行った』が、アメリカの若い兵士の側からみた第一次大戦とすれば、レマルクの『西部戦線異状なし』は、ドイツ軍の若い志願兵・パウルの側からみた戦争である。『西部戦線異状なし』は、たとえば、ある男が「そちらは異状がないか?」と尋ねると、問われた男が「西部戦線異状なし」と答える――ほど、よく知られた小説(最近読んだ昔のミステリー?に出ていたのだが、その本の題名を忘れた)であり、映画でもある。原書(All Quiet on the Western Front)は、1929年1月に出版され、日本では秦 豊吉によって翻訳され、昭和4(1929)年10月、中央公論社から出版された。が、ナチス・ドイツと同様、反戦的ということで弾圧され、✖✖✖✖✖✖の伏字が多い(古書展で見ただけ)。秦自身も赤坂憲兵隊に呼び出されたという(文庫版「あとがき」)。左の寫眞は、昭和45年9月30日発行(28刷)の新潮文庫。表紙は、ホームズのイラストを描いたこともある画家・向井潤吉である。

 小説は、志願兵パウルの手記の形で書かれていて、戦場の様子が克明に描写されている。例えば。こんな風に⋯⋯

「僕らは頭骸骨がなくて生きている人間を見た。両足とも撃ち飛ばされた兵隊の走るのを見た。それは両足とも砕かれながら、しかも間じかにある砲弾穴へよろけて行ったのもいるし、ある一人の兵卒のごときは、二キロの距離を四つ這いになって歩いて、めちゃめちゃになった両膝を、辛うじて引きずってきたのもいた。ある者は包帯所までやって来たが、見ればそのしっかり握り合わせた両手の上んは、腸が流れ出ていた。僕らは口のない人間、下顎のない人間、顔のない人間を見た。出血で死なないように、二時間のあいだ腕の動脈を噛み締めていた兵隊を見た。日は昇り、夜は来て、砲弾は唸り、人は死んだ。」

  負傷して野戦病院で治療しているパウルは、こう独白する。

「(⋯⋯)国民がお互いに向き合わされ、遂い立てられ、何事も言わず、何事も知らず、愚鈍で、従順で、罪なくして殺し合うのを僕は見てきた。この世の中のもっとも利口な頭が、武器と言葉を発見して、戦争というものを、いよいよ巧妙に、いよいよ長く継続させようとするのを、僕は見てきた。(⋯⋯)幾年のあいだ僕らのする仕事は、人を殺すことであった⋯⋯人を殺すことが僕らの生活における最初の職務であった。僕らが人生から知りえたことは、死ということに限られていた。そもそも今後どういうことが起るであろう。しかも僕らは一たいどうなるであろう。」

  その後、パウルは再び戦線にもどるが、1918年10月に戦死する。

「その日は全戦線にわたって、きわめて穏やかで静かで、司令部報告は『西部戦線異状なし、報告すべき件なし』という文句に尽きているくらいであった。
 ポメイル君は前に打伏して倒れて、まるで寝ているように地面にころがっていた。躰を引っくり返してみると、長く苦しんだ形跡はないように見えた⋯⋯あだかもこういう最後を遂げることを、むしろ満足に感じているような覚悟の見えた、沈着な顔をしていた。」

  『西部戦線異状なし』という題名は、上記の司令部報告からとられている。題名は、映画を観て知っていたが、原書を読んだことはなかった。今回、初めて読んで、これは戦記文学の傑作と知った。

  本書の中で、パウルたちが、「そもそも戦争ってものはどういうわけで起こる」のか?話し合う場面がある。引用したいが長いのでやめるが、映画(ルイス・マイルストン監督、1930年。アカデミー賞・作品賞・監督賞受賞)の中では、彼が塹壕のなかでフランス兵を刺し殺した後、こいつにはなんの恨みもないのに何故、殺さなければならないのだろう、と自問する短い場面に象徴されている。映画で印象に残っているのは、ラスト・シーン。塹壕の銃眼から外を見ていたパウルが、蝶々を見つけ、それを捕まえようとする。それを見つけたフランスの狙撃兵が一発で彼を打ち抜き、蝶々は飛び去ってゆく⋯⋯。この映画は数度観たが、この場面はみるたびに心に響く。

  パウルが蝶々を捕まえようとしたのは、彼は蝶々の収集家だったから。彼の部屋に標本が飾ってあるのでそれが分かる。この蝶々は、平和の象徴とも思える。蝶々といえば、カンバーバッチのBBC『シャーロック』(第一作『ピンク色の研究』)には、部屋の暖炉の上に昆虫(コウモリもある?)の標本が飾ってあり、三谷幸喜の『シャーロック ホームズ』の部屋にも蝶々の標本が飾ってあったように思う。コナン・ドイルもホームズ譚『バスカヴィル家の犬』に蝶や蛾の収集家・ステープルトンを登場させ、『三人ガリデブ』では、ネイサン・ガリデブの部屋にもさまざまな標本にまじって「チョウとガの陳列ケース」が置かれていた。ホームズ譚以外の短編にも『甲虫採集家』(The Beetle₋Hunter)がある、といった具合。ヴィクトリア時代の昆虫採集(博物学・生物学)については、進化論を援護し「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれたT.H.ハックスリー(1825~1895)の説を紹介しようと思うけれど、長くなるのでまたの機会にしたい。

西部戦線異状なし」映画オスター  1914年8月から始まった第一次世界大戦は、その年のクリスマスまでには終る、と楽観視された。しかし、結果的には、戦線が膠着し悲惨な塹壕戦になり、また、毒ガス、飛行機、潜水艦、タンク、といった新兵器の登場によって、結局1千万人もの人間が死んだ。なぜ、こんな愚劣な戦争を続けたのか、また、パウルたちの疑問のように、そもそも、なぜ、こんな戦争を始めなければならなかったのか?――という疑問が僕の頭のなかから消えない。 

  僕の憧れの女優ダイアン・ヴァーシのことから、戦争の話にまで踏み込んでしまい、足が抜けなくなってしまった。せっかくだから、もう少し続けることにする。しばらくお付き合いください。今年もよろしくお願いします。

*左は米映画ポスター。ウィキペディア日本語版から転載した。
*第一次大戦を描いた映画では、スタンリー・キューブリック監督:カーク・ダグラス主演『突撃』(1957)も忘れられない。

(つづく)
  

 
  
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