ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記を記載する。

本物か偽物か――ドイルの封筒(2)

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  この封筒がコナン・ドイルの自筆のものかどうか、推理するポイントは、封筒に記されている以下の点のみである。

Conan Doyle(鉛筆で書かれている)
Transvaal War Fund
Mansion House
London E.C.
<消印>
SHOTTER・MILL
11.45 AM
OC 30
99

  ――この封筒が本物であれば、コナン・ドイルは、1899年10月30日、午前11時45分、「ショッターミル」(SHOTTER・MILL)の郵便局から、ロンドン市長官邸(Mansion House)宛に「トランスバール戦争基金」(Transvaal War Fund)に寄付(?)を送っていたことになる。消印の1899年10月30日といえば、南アフリカ(トランスバール)共和国+オレンジ自由国の同盟政府が大英帝国に対して宣戦布告(10月11日)し、「ボーア戦争」(第二次)が始まった直後のことである。

 ‥時、コナン・ドイルが「ボーア国」の動きに深い関心を抱いていたことは、自伝(延原謙訳『わが思い出と冒険』)や伝記(ダニエル・スタシャワー『コナン・ドイル伝』)を読めば分かる。戦争が始まった時、コナン・ドイルは、「ついに開戦になった時はほっとしたほどだった。そして私たちの仕事の重要さもはっきりした。」と自伝に書いている。そして、軍隊に志願するが、当時「四十男」だったドイルの希望はかなわない。しかし、友人のジョン・ラングマンが編成したボランティアの医師団に加わり、戦場に赴く。帰国後、戦史『ボーア戦争』(The Great Boer War)を刊行する。

◆彬校劼魏鵑掘寄付金を入れよう”、と呼びかけるラドヤード・キプリングの詩”The Absent−minded Beggar”(1899年⒓月)を6ペンスで買うと、それが「トランスバール戦争、愛国者基金」(The Patriotic Fund:The Transvaal War)に寄付される、というものもあった。コナン・ドイルが市長官邸にあてた「トランスバール基金」がどんなものであったか不明だが、戦争勃発を知って、早速、寄付金を送ったのも愛国心の強いドイルならではの行動であろう。なお、コナン・ドイルは、同年3月6日、ロンドン市長主催による官邸で行われた会合で講演している。

消印にある「ショッター・ミル」は、コナン・ドイルが当時住んでいたサリー州・ハインドヘッド・アンダーショーの近くの村。当時、ドイルは、「ショッターミル」を初め近隣のクリケット・チームとよく試合をしていた(ブライアン・プー『コナン・ドイル年代記』初版による)。10月30日にどこにいたかは、記録がないため不明だが、「アンダーショー」にいて、「ショッター・ミル」に出かけた可能性は十分ある。

ど筒の筆跡は、コナン・ドイルの筆跡によく似ている。特にHの左足を撥ねるところなど。

ソ靆勝辺轤綻紂Σ爾亘槓)は、鉛筆書きだが、本人が書き忘れ、郵便局で書きこんだ、と考えられる。電報などでも、郵便局で鉛筆で加筆している例がある。

――と、まあ、僕がこの封筒は本物と推測している根拠は以上である。確たる証拠はないが、「ボーア戦争」に深い関心を寄せ、正規軍ではないものの、医師として従軍(ボランティア)したコナン・ドイルが100年以上も前に、この封筒を書いた、と思うと(たとえ、これが偽物だったとしても)、なんとなく彼の姿が浮かんでくるから不思議である。

 ――ベネディクト・カンバーバッチも反対したイギリスのEU離脱が決定して以来、どうも気が乗らない。これから先、世界はどう変わってゆくのだろう。転換期には、YesかNoか、デジタル式の二者択一でなく、二極を呑み込んだ「複眼の思考」こそ大事だろう。この世のことは、YesかNoか、簡単に決められるものではない、と思うのですがね。まあ、僕が、この世界中の混乱を心配してもどうなるものでもない。まあ、昼飯に何を食べるか、お握りにするか、卵サンドか、はたまたノリ弁にするか、考えることにしよう。


  

本物か偽物か?―コナン・ドイルの封筒

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AF603D4A-1517-6111-2878DD0671BF3264[1]   先ごろ、都知事を辞職した桝添さんは、政治資金を使ってアメリカ現代アートの作家キース・ヘリングの自筆の手紙を3万円ほどで購入したと報じられた。案外安い(絵にくらべればの話ですが)ので意外な感じがした。先日、行った神保町の古書展でも、川端康成の毛筆の手紙(1枚、封筒付)が5万円。案外安いねえ。これまで、著名人の手紙に興味はなかったが、こんなふうに眼に入ってくるようになったのは、コナン・ドイルの自筆の手紙を買いたい、という思いが湧きあがってきたからである。

  コナン・ドイルは、手紙を書くのが好きだったようで、「ササビーズ」や「クリスティー」のオークションやネットに数多く出品されている。サインだけを切り取ったもの(寫眞下)から封筒(寫眞上)、長い手紙まで、その内容によって値段はまちまちである。ただ、手紙とか絵画とか陶器とかいう、いわゆる書画・骨董には偽物(贋作)が多いという。それに近頃は複製技術が発達しているので、素人には本物と見分けがつかない精巧なものが多い。例えば。古本の場合でも、値段が安いので本物か?と思い、奧付けを見ると「復刻」と書いてあって、ガッカリすることがある。ホームズ譚が初めて掲載された『ビートンズ・クリスマス・アニュアル』の復刻版も良くできていて、本物を持たなくても復刻版で十分な気がする。発売時に購入しておけばいいのに、後になって気が付いて買おうとすると、発行部数が少ないためか、かなりの高値になっているという塩梅である。

 贋作と聞くと、すぐに思い出すのが小林秀雄。良寛の書を手に入れ飾っていたところ、それを得意になって良寛研究家の友人に見せたところ、贋作と即断されたため、刀でズタズタにして捨ててしまったという。青山二郎という目利きに教えを受けた小林秀雄でも贋作をつかまされるのだから、僕のような素人が本物を手に入れるには、保証書付きのもの、あるいは一流古書店、あるいは有名オークションで買うに限る。しかし、そのような本物は、やたらと高いし、とても買えはしない。そんな訳で、コナン・ドイルの手紙にしても、自分のサイフで買える範囲のものは限られてくる。保証書なしの、ネットオークションに出品された安いもののなかから、真贋を自ら判断して買わなければならない。そのためには、素人とはいえ、できるだけの知識を仕入れなければならない。コナン・ドイルの筆跡や内容を読んで、それが本物かどうか、あれやこれやの資料にあたってみる必要がある。コナン・ドイルは、手紙に日付けを書かないことが多いようで、コナン・ドイルの『書簡集』にもそんなことが書いてある。だから、少々やっかいである。

  筆跡は、簡単にまねることができる。アラン・ドロンの代表作『太陽がいっぱい』で友人のサインをまねる練習する場面がすぐに頭に浮かぶ。贋作は、特徴があればあるほどまね易い。ピカソやゴッホ、鉄斎や棟方志功とか。なかには本物より贋作のほうが多い絵があるという。骨董の世界は、贋作で成り立っているのである。
  
  昔読んだ、井伏鱒二の『珍品堂主人』を思い出した。大学の先生の言葉――

 「骨董は女と同じだ。他の商売とは違う。変なものを掴むやうでなくっちゃ、自分の観賞眼の発展はあり得ない。骨董にも女にも、相場があるようで相場がないものだ。持つ人の人格で相場がある。なるほど骨董に惚れたとする。惚れるから相場があり、自分の発展がある。」

  さて。

  上の手紙の封筒(だけである)が、海外のネットにコナン・ドイルのものとして出品されていた。ドイルのもの、と出品者が断定している根拠は、封筒の左上にある、鉛筆でなぐり書きしたようなサインだけ。これだけでは、本物かどうか決められない。後は、筆跡、それに右上にある消印から真贋を割り出す他はない。まあ、数千円の安いものとはいえ、偽物ではやはり困る。相手も締め切りもあることだから、と早速、本物かどうか確かめるため、ない知恵を絞ることにした。

(つづく)

「黄色い手袋」に関する感想(2)

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  「色」とは、辞書を引くと「光によって目にうつる、物の感じのひとつ」(『岩波国語辞典』第三版)とある。つまり、同じ赤い林檎を見ても、個人の感覚によって見え方が違うということ。簡単に言えば、同じ「赤」でも、自分が見ている「赤」と他人が見ている「赤」では、違いがある(個人差がある)ということである。例えば。同じ赤い薔薇でも、僕のような凡人には単なる「赤」にしか見えないものが、目利きの画家は、その薔薇からさまざまな赤い色を見分けることができるという。調香師(香水のブレンダー)は、約2千種もの香りをかぎ分けられると言われるが、それと同じである(ホームズは、70種類だった)。

――という訳で、例えば「黄色」という文字を読んで、最初に頭に浮かぶ黄色い物は、個人個人によって違うと思う。僕の場合を例にとると。それは、夜店のたたき売りのバナナであり、進駐軍から配給されたパイナップル(缶詰)であり、鮫(鶏ではない)の卵の黄身であり、夕食に出されたカボチャの黄色だったりする(食べ物が多いのは敗戦後の食料難の時代にそだったせいだろう!)。それにゴッホの絵、子供の頃に貰ったアメリカ製の黄色い鉛筆、死の灰を浴びた第5福竜丸の船員の慰問用に描いた張子の虎、ニューヨークのイエロー・キャブだったりする。それらの「黄色」が頭の中にあるためか、ヴィクトリア時代の紳士が「黄色い手袋」をしていた、と書かれていた時、僕の頭のなかに浮かんだのは、記憶のなかにある、かなり鮮やかで濃い目の「黄色」だった。服装にはうるさいはずの紳士が「黄色い手袋」をしていたなんて!!??と、僕が驚いたのは、そんな理由からである。

  この疑問も、前回紹介したナンシー・スプリンガーの本を読んで氷解した。しかし、上流階級の人々が身に着けていた「黄色いキッド革製の手袋」は「薄い色のキッド革製の手袋」とも書いているので、「黄色」は「黄色」でも僕が想像していたよりは「薄い黄色」なんだろうか? その点が良くわからないので、ネットにオンブして調べてみた。幸い"VICTORIAN MAGAZINE”(www.victorian magazine. com)というサイトがあり、そこの”Dressing the 1860s Gentleman”(from The Gentlemen's Book of Etiquette by Cecil B.Hartley,1860)に次のように書かれていた。
(かなり詳しいので要約する。ただし、訳が正しいかどうかは保証できません。悪しからず)

  ヴィクトリア時代の紳士のドレスコードは、かなり厳格で,大きく分けると「普段の服装」(undressed)「おしゃれな服装」(dressed)のふたつ。「普段の服装」とは、仕事や職業に合わせた服装。「おしゃれな服装」は、社会的な規範や目的(occations)に合わせた服装をすることである。「おしゃれな服装」には、三段階―-"little dressed","well dressed"と”much dressed”―あるが、これは量ではなく、服装の質による分類である。
 
Little Dressed:流行りの服装ではなく、装飾品に凝ったり、エレガントに気取ったりしないで、着慣れた服装をする。
Well Dressed:装飾品に凝らず、流行を追わない洗練された服装。機会、場所、天候、体型、年齢、社会的地位(いわゆるT・P・O)にかなった服装をする。良い服装(good dressing)とは、宝石類はできるだけ少なくし、あくまでもきちんとしていて、清潔、新しさを旨とする。そして、ドレシング・ルームで細心の注意をはらって服装を整えた後は、一切、服装に気を取られないこと――この基準は、現在でも生きている。
Much Dressed:極端な服装のことで、最新流行の服、宝石、装飾品を身に着け、色は奇抜なものにする。例えば。朝の散歩でもエナメル風の革製ブーツ(patent leather boots)、黄色い手袋(yellow gloves)を身に着けるといった具合。ただし、悪趣味にならないこと。

「黄色い手袋」は、”Much Dressed”に分類されているので、薄めの黄色(ベージュに近い)ではなく(寫眞上・右)、僕が最初に感じたような、かなり濃い目の黄色だったかもしれない。女性も「長い黄色い手袋」をする場合がある(寫眞上・左)。ただ、原画ではないので、正確な色合いは不明である。
   
mensclothing-4[1]  散歩用(walking-dress・男性)の手袋には、ラベンダーのものがあったようだが<注>、このサイトでは見つからなかった。紳士用の「黄色い手袋」としては、左のものが分かりやすいと思うので転載させていただく。

  このサイトを読んで面白いと思ったのは紳士が使うステッキのこと。ステッキの代わりにコウモリ傘を使うことができるが、ただし、女性にパラソルを持ってくれ、と頼まれても絶対にもってはならない!――と記してあった。ヴィクトリア時代の紳士もつらいね。それに、夜会服には白い手袋が決まりで、間違っても黄色やラベンダーの手袋をしてはいけない、とのこと。つまり、ヴィクトリア時代のファッション(男女とも)の基準は、T・P・Oにあわせること、服装全体の色の調和を考えることにある。現在の生活の基礎はヴィクトリア時代につくられた、との説があるが、服装においてもそれが言えるようだ。

 そう、「黄色い顔」について書くのを忘れていました。これは少々厄介な問題なので、いずれ適当な時期をみて「説明責任」を果たすことにします。

<注>
『高名な依頼人』で、ワトスンは依頼人のサー・ジェイムズ・デマリー大佐について、「つやつやしたシルクハットに黒いフロックコート、黒いサテンのネクタイにとめたパールのタイピンから、ぴかぴかに磨いた靴の上につけているうす紫色のスパッツまで、あらゆるところに気配りが行き届いている」と評している。彼の服装を見ると、well dresser だったのだろう。なお、「ころんぽ」さんから、デマリー大佐は、部屋の中でも「キッドの手袋」をつけたままだった、と教えていただいた。これはドレスコードにあっているのだろうか?

 
  

  
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