ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記の話。

エラリー・クイーンについて(3)=怪盗ニック・ヴェルベット

img020img021img022 「浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ」という有名なセリフは、確か、石川五右衛門である(ハズ)。日本で有名なドロボウと言えば、まずは、石川の五右衛門がいて、「義賊」のネズミ小僧次郎吉がいる。
 五右衛門は、運悪く御用になり釜茹でにされてしまった。ネズミ小僧も捕まって処刑されてしまった。

 海外(?)で有名なドロボウとなると、脳みその底を洗って見ても思い出せない。小説では「ラッフルズ」がいる。それに、「ニック・ヴェルベット」がいる。他に思い出せるのは、ヒッチコックの映画『泥棒成金』の元宝石泥棒の通称「猫」。ケイリー・グラントの黒ずくめのしゃれた服装が忘れられない。相手役はグレース・ケリー!ーーといったところ。

-------ここまで書いたら、なにやらイロイロあれこれ忙しくなった。忙しいけれど寝しなに怪盗ニック・シリーズを読んでいるうちに、面白いのでついつい引き込まれ短編集3冊(計34編)を読んでしまった。そのため、このブログの更新が遅れてしまった。特に締切日が決められているわけでもないから、ツイツイ〜〜〜。

  怪盗ニック・シリーズは、『怪盗ニック登場』(木村二郎・他訳、昭和51<1976>年2月29日)、『怪盗ニックを盗め』(木村二郎訳、昭和54<1979>年12月15日)、『怪盗ニックの事件簿』(木村二郎訳、昭和58<1983>年3月31日)の3冊がハヤカワ・ポケット・ミステリから出ている。『登場』にはホックの「日本語版への短い序文」があり、彼は、1966年以来、ニック・ヴェルベット物を書いていること、彼が創造したキャラクターの中ではもっとも好まれ、ニックの冒険談が「単独で一冊の短編集にまとめられ」たのはこれが初めてと述べている。つまり、ニックの短編集は、小鷹信光によって日本独自に編纂されたものなのだ。

  ニック・ヴェルベットものを読むとストーリーには一定のパーターンがある。こんな具合ーー

 ニックが(朝でも昼で夜でも)、恋人のグロリアと一緒にビールを飲んでいると、依頼人があらわれる。依頼人は、玩具のネズミとか回転木馬、子供の絵、劇場のキップ、木製の卵とか昨日の新聞とか、奇想天外な”価値のないもの”を盗んでくれと言う。しかし、その理由は分からない。金とかダイアモンドとか有名な絵画といった”高価な価値あるもの”は盗まないという彼一流の泥棒哲学に合致すれば、2万ドル(あるいは、それ以上)で仕事を引き受ける。ニックは盗み出す方法を編み出し、成功するとそれを依頼主に渡す。しかし、その過程で、何故、そんな価値のないものを2万ドルもの料金を払って盗むのか、ニックはその謎を突き止め、一件落着となる〜〜〜。

 つまりニック・ヴェベルベットは泥棒でもあり、同時に探偵なのだ。ストーリーの運びは、ホームズ譚とよく似ている。それもそのはず、ホームズがもし探偵にならなかったら名優か大泥棒になっていただろうと言われている。ホームズは、金庫や家の鍵を簡単に開けることができたし、泥棒用(?)の「七つ道具」を持っていた。典型的な例は、「犯人は二人」。彼一流の正義感から、犯罪であることを承知のうえでワトスンと悪漢の家に侵入して女性を救っている。

 ニック・ベルベット シリーズは「エラリー・クイーン・ミステリイ・マガジン」(EQMM)1966年
9月号に第1作「斑の虎」(The Theft of Clouded Tiger)
を発表以来、EQMM2002年2月号の“The Theft of the Wedding Doves”まで、実に34年にわたり発表されつづけた(ハヤカワ文庫版・木村仁良の解説による。後述)。全80編、というから並ではない。面白いのはニックにはホームズ同様、誕生日があること。エラリー・クイーンによるニックの略歴によると、彼はニューヨーク市に1932年3月24日に生まれグリニッジ・ヴィレッジで育ったイタリア系アメリカ人。朝鮮戦争に参加したこともあるーーという。

  ニック・ヴェルベット物は、日本では、単行本としてまとめられたもの(全3巻)のほかに、雑誌やアンソロジーに収録されているものもあり、全編読んだわけではないが、心に残ったものを4編あげてみよう。

1.「おもちゃのネズミ」”The Theft of the Toy Mouse””(EQMM.June.1968)
2.「マフィアの虎猫」“The Theft of the Mafia Cat”(EQMM.May.1972)
3.「海軍提督の雪」“”The Theft of the Admiral's Snow”(EQMM,April.1976)
4.「シャーロック・ホームズのスリッパー」”The Theft of the Sherlockian Slipper”(EQMM.July.1977)

 これらの説明は、次回に。

(つづく)

  



エラリー・クイーンについて(2)=エドワード・D・ホックのこと

img963 (2)img014  エドワード D.  ホック(1930〜2008)が(ダネイの指導のもと)に代作したエラリー・クイーン名義のThe Blue Movie Murdersは1972年に刊行された。それから30年ほどたってやっと邦訳が出た。門野集訳『青の殺人』(2000年3月3日、原書房)である。有栖川有栖氏の「解説」によると、本書が長い間邦訳されなかったのはファンに「<まがいもの>とみなされていたからであろう」とのこと。エラリー・クイーンのファンにしてみれば代作と知ったら読む気はしないだろう。

 コナン・ドイルの未発表の作品が発見されたというニュースが地球を駆け巡った時は、世界のホームズファンを熱狂させた。しかし、その作品“The Case of the Man Who Was Wanted”(「指名手配の男」:日暮雅通訳,「EQ」1979年9月号)が、他人の手になる贋作と知れて以来、現在では無視されているのによく似ている。ただ、クイーンの代作者が、当時はまだ無名に近かったエドワード D.  ホックとなれば話は別、ということになる。エラリー・クイーンが雑誌Ellary Queen's Mystery Magazineを通じて多くのすぐれたミステリイ短編作家を育てた才腕は評価に値する。これは衆目の一致したところだろう。江戸川乱歩が「業界」の発展につくした業績とよく似ている(乱歩の翻訳ものは、一作を除いて代訳だったと本人が言っている)。

 有栖川氏は「軽ハードボイルド探偵の味を出している」と評しているが、これは僕も感じたところ。これまでに読んだクイーンの本格ものとは味が違う。ハードボイルドには時代の風が色濃く反映している、という意見がある。これは主人公の探偵が「本格的な推理」よりもむしろ行動で事件を解決してゆくため、世間と深く関わらざるを得ないからだろう。

 『青の殺人』は、元私立探偵で州知事の「問題解決屋(トラブル・シューター)」として雇われているマイク・マッコールが、幻のポルノ映画の傑作『ワイルド・ニンフ』(The Wild Nymphの監督を探し出すように依頼されるストーリー。冒頭のパーティの場面でマイクが「ウーマンリブ」(Women’s Liberation)の闘士シンシア・ローズに出会う。「ウーマンリブ」とはこれまた懐かしい言葉。訳せば「女性解放運動」である。

The Blue Movie Murdersが刊行された1960年代後半から70年代にかけては、ベトナム戦争反対運動を中心に、黒人の公民権運動(キング牧師が暗殺されたのは1968年9月)、ウーマンリブ(女性解放運動)が盛んになった時期。1969年3月、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが新婚旅行で訪れたアムステルダムとモントリオールで「ベッド・イン」という平和を訴えるパフォーマンスを行ったり、ウーマンリブ活動としてブラジャーを焼き捨てたり、ポルノ映画(ブルーフィルム)に抗議したりとさまざまな運動が展開された。『青の殺人』事件に登場するウーマンリブの闘士シンシアは、マッコールから「きみは『白雪姫』にも反対するだろうな」と問われると、「もちろんよ! 小人連中のために家事をするなんてとんでもないわ!」と答える!ーーなどといった時代背景がたくみに取り入れられている。「クイーンが好きな言葉遊びを盛り込んでいるのも楽しい。」(有栖川氏)

 The Blue Movie Murdersは、単純に訳せば「ポルノ映画殺人事件」。本文では”blue films”とか”sex films”,”Pornographic movies”といったふうに使われていて統一はされていない。日本では「ピンク映画」(ポルノ映画のうち、大手以外の映画製作会社によって製作・配給された作品のこと<ウィキペディア>)とも呼ばれている。同じポルノ映画でも、アメリカでは「ブルー」で日本では「ピンク」になる! アンディ・ウォーホルは、1969年に映画「ブルー・ムビー」(Blue Movie)を制作しているので、もしかしたらホックの書名は、この作品にヒントを得たのかもしれない、なんて勝手に想像しているんですが???? 寫眞上の表紙を比べてみるとペンギンのポケット版のほうが断然いい。眼鏡の縁にブルーを添えているあたりこの小説の内容をズバリ表現している。

サイモン・アークの事件簿」ホック「ホームズ」日暮訳  ホックには、ホームズもの(Sherlock Holmes Stories of Edward D.Hoch.邦訳『エドワード・D・ホックのシャーロック・ホームズ』日暮雅通他訳、2016年6月、原書房)、サム・ホーソーンもの、オカルト探偵サイモン・アークもの (寫眞左:木村二郎訳、創元推理文庫、2010年12月)、レオポルド警部ものなど多数のキャラクターによる多数の短編(950編以上と言われる)がある。なかでも、僕の好みはニック・ベルベット。とにかく、とんでもない物を盗み出す怪盗である。前回紹介したELLERY QUEEN'S MYSTERY MAGAZINE(June,1968)に掲載された”The Theft of the Toy Mouse”(玩具のネズミ)では、街でわずか98セントで売られている「日本製」の玩具のネズミを盗んで欲しい、との依頼を受ける。その報酬は2万ドル(仕事の難易により値が上がる。今世紀に入ると5万ドルになる!)。その他(クイーンの説明によれば)、大リーグの野球チームを丸ごと盗んだり(未発表記録)、ブロードウェイの観劇チケットをすべて盗み数カ月にわたり劇場を閉鎖させたり(未発表記録)、真昼間、動物園から生きた虎を盗み出したり、プールの水を全部盗むといった離れ業をやってのけるーーという次第。依頼された物(What?)とそれを盗み出す方法(How?)と理由(Why?)が絶妙に絡み合っているところが面白い〜〜〜〜。


 前掲書『ホームズ』ものの短編集の序文で、ホックはホームズに初めて出会った時のことを次のように書いている。

「私が初めてエラリー・クイーンの小説に接したのは九歳のときだったが、そのすぐ翌年、水疱瘡(みずぼうそう)で寝込んでいる私に祖父が見舞いとしてくれたのが、分厚い『シャーロック・ホームズ全集』だった。それから数日間ですべての物語を読み終えた私は、一生を通じてのホームズ・ファンになったのである。」

 エラリー・クイーン(ダネイの方)がホームズに出会ったのも12歳で、病気で寝ていた時、叔母さんが『シャーロック・ホームズの冒険』を借りてきてくれて、それを夢中で読んだーーというエピソードを思い出させてくれる。子供の時(大人になっても同じか??)、病床で読んだ本は生涯忘れられない。これは古今東西、共通しているようである。

 さて。また『青の殺人』に戻ります。

 マッコールは、作家でウーマンリブ(女性解放運動)活動の闘士シンシアに向かって「ぼくは女性の同一賃金、同一業務(註:男女の雇用機会均等のこと。原文:equal pay and equal job opportunities for women)を認める立場」だが、彼女が「掲げている主張のなかには賛成しかねる点もある」と言う。さらに彼女から「あなたはどの程度ウーマンリブについて知っているの?」と問われたマッコールは「ひとなみ程度のことだーーデイケア・センター(註:保育所・託児所)、妊娠中絶の自由、同一賃金、家事を分担する夫といったところかな」と答える。

ーーマッコールがこう答えている原著が発行(1972年)されてから50年近くたった。アメリカでは女性が大統領に立候補する時代になったが、日本はどうだろう? 昨年(2017年)、「世界経済フォーラム」から発表された「世界男女格差報告書 2017」(The Global Gender Gap Report 2017)では、アメリカが49位、日本は114位でG7(主要先進国)の中では最下位というありさまである。

(つづく) 

エラリー・クイーンについて(1)

img962 (2)img963 (2)  丸谷 本というのは、おのずから他の本を読ませる力があるものなんです。ある本が孤立してあるのではなく、本の世界の中にあるのだから、感動すればごく自然に、他の本に手が出る仕組みになっているんだ。」。

ーーこれは筒井康隆×丸谷才一×大江健三郎の鼎談「本の世界 知の楽しみ 鼎談・読書について」(「朝日新聞」2011年1月30日(日)朝刊「読書」欄)のなかの丸谷才一の発言である。ここのところ、昔読んだミステリー雑誌「エラリー・クイーン ミステリ マガジン」(EQMM)や「ハヤカワ ミステリ マガジン」(HMM)や「EQ」のバックナンバーを読んでいる。エッセイや書評などのコラムが面白く(昔はほとんど読まなかった)、丸谷才一、大井広介、有馬頼義、青木雨彦、小鷹信光、木村二郎、仁賀克雄、小林信彦、都築道夫などなど多士多才。特に石川喬司の書評「地獄の仏」が面白い。これらのコラム(J・D・カーやクイーン、オットー・ペンツラーのコラムも含む)に取りあげられた本のなかから眼に焼き付いたもの、面白そうなものを古書即売展・古書店やネット、図書館で見つけ出しては読んできた。

 ホームズの贋作からはじまり(「ミステリ マガジン」1975年10月号のホームズ特集号を探すのには苦労した)、ホームズのライバル達を読み、それから、なぜかヘンリー・ミラーの『北回帰線』『南回帰線』へ回り、ディクスン・カーの短編「パリから来た紳士」(カーの最高傑作!)を読み、わけあってクリスティーの「ミス・マープル」ものへ飛び、さらにアンナ・ハーレント『活動的生』、それからカート・ヴォネガットJr.の『スローターハウス5』(早川文庫版)にたどり着いたーー丸谷才一の発言のように本が本を呼び、三冊ほど併読する始末。暑さでスクランブルエッグ状態の脳みそに活字を混ぜたので、黒いアツアツのスクランブルエッグができあがってしまった。

 そんな折、頭を休ませるために資料を整理していたら前記の「鼎談・読書について」が出てきた、という訳。そのなかで丸谷さんはさらにこんなことも言っているーーー

 丸谷 本を読みすぎるのはよくないね。国語学者の大野晋さんは大読書家なのに、「考えるぶんだけ頭を空けておかなくてはならない。だからほどほどにしか読んではいけない」と言っていた。

ーー確かにそうですね。僕は「大読書家」ではないけれど思い当たる節があります。『緋色の研究』の中で、ホームズは、ワトスンに向かって、地球が太陽の周りをまわっていることを知らない、と言います。そんなことも知らないのか!と驚いているワトスンに向かって「ぼくは今それを教えてもらったから、こんどはさっそく忘れるよう努力しましょう」と答える。その理由をホームズはザッと次のように説明しますーー

 人間の頭脳というのはがんらい空っぽの小さな屋根裏部屋のようなものだから収納できる知識の量は限られている。それ故、得た知識を片端から取り入れてゆくと役に立つ知識とガラクタがまぜこぜになってしまい、必要な時に役に立つ知識をすぐに取り出すことができなくなる。熟練した職人は頭の中に多くの引き出しをつくっておいて、それぞれの引き出しのなかに必要な知識だけを収納するように常に分類・整理し、いつでも役立てるようにしておく。そのためには一つの知識を取り入れるたびに、前から持っていた古い知識をひとつづつ忘れてゆくことが肝心です。

ーー大野晋の方法もホームズの方法に似ています。つまり、知識だけで頭脳を満杯にしてしまうと考えることができなくなる。だから、考えるための引き出しを一つ用意しておけ、という事でしょう。現在の入学試験のための詰め込み式勉強方法は、頭を知識で満杯にさせてしまう、あるいは、同じ答えを毎回繰り返したり、ご飯答弁によって質問者のやる気をなくしてしまう政治的手法ーーそれによって「思考停止」してしまう、あるいは「させられる」のがもっとも危険だ、と指摘したのは、アンナ・ハーレントではなかったか?

  前置きがながくなりました。上記のコラムについては、おいおい書くことにして、これから今回の本題にはいります。

 エラリー・クイーンがマンフレッド・リー(1905〜71)とフレデリック・ダネイ(1905〜82)の二人組のペンネームであることはすでにご存じと思う。僕は、クイーンの作品では代表作『Yの悲劇』の他、『召糧畄燹戞◆Zの悲劇』、ホームズ物『恐怖の研究』読んだのを覚えているくらいで、”熱心なファン”とは呼べない。リーが亡くなってから約10年後、ダネイが1982年9月に亡くなり、雑誌『EQ』(1983年1月号、NO.31)が「追悼特集」を組んだ(写真上・左)。この号がたまたま手元に残っていたのでレックス・スタウトとのからみで、スタンリー・エリン、エドワード・D・ホック、オットー・ペンズラー等の追悼文を読んでみた。以前、読んだかどうか忘れてしまったが、ホックの文には驚きました(!)。今さら、何を!と叱られそうだが、その内容を知らない人もいるかもしれないので(と淡い期待を抱いて〜)紹介しておく。(「*」内は引用。大村美根子訳)

 「今ではもう秘密でも何でもないが(かつてはそうした事情が伏せられていたとしても)、一九六一年から一九七二年の間にエラリー・クイーン名義で出版された二十八冊のペイパーバック・オリジナル(註:探偵エラリー・クイーンが登場しない作品)は、マンフレッド・B・リーの指導と修正のもとに複数の代作者が執筆したものである」

ーークイーンには代作者が数多くいた!! そして、そのことは1982年の段階ですでによく知られていたのである(知らなかったのは僕だけかもしれない!)。ホックはさらに続けて⋯⋯

EQMM Nv. 1961EQMM Nv1961 表紙裏eqmm 1968 june (ホック) 1971年始め頃には、EQMMの定期的な寄稿者になっていた。そこでペイパーバック・オリジナルの代作をやってみたい、とダネイに提案したところ非常に喜んでくれた。1971年3月、「The Blue Movie Murders(ポルノ映画殺人事件)」のアウトラインをリーに提出したところ、承認の連絡があった。しかし、リーが逝去したため、ダネイが構成や文章の手直しを引きついでくれた。ホックは小説を二カ月ほどで書き上げダネイに送った。数週間後、ニューヨークのダネイの自宅に招かれ、彼は原稿を丁寧に訂正してくれた。パラグラフの分け方や言葉の使い方の秘訣を教わったことをホックは忘れられないと書いている。
The Blue Movie Murders(ポルノ映画殺人事件)」は1972年2月に出版された。その後、彼はEQMMに毎号載せてもらえる寄稿者になった。フレッド・ダネイと過ごし、彼に喜ばれるような短編を書く方法を教えてもらった「あの午後の出来事は私にとって、忘れられない大切な思い出だ。」と結んでいる。

 本書は、ペイパーバック・オリジナル・シリーズ最後の作品で、「エラリー・クイーン名義の小説は種類を問わず、この作品をもって打ち止めになった」という。

<寫眞上>右はThe Blue Movie Murders表紙(Pengin Books.1975. cEllery Queen.1972)
<寫眞下>左からーーELLERY QUEEN’S Mystery Magazine.November,1961.(ロバート・L・フィッシュのシュロック・ホームズもの”Adventure of the Arttist's Mottle”が掲載されている)。同誌表紙裏の広告。同誌,June,1968.ホックの怪盗ニック・ベルベットもの”The Theft of the Toy Mouse”掲載。EDWARD D.HOCHの名前は、表紙の下右隅に記載されている。

(つづく)



  





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