ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記の話。

鉛筆を置いて考えた(「草枕」)

藝術新潮藝術新潮「バベル」一部   前回のブログの続きを書きはじめようと思ったが、どうも鉛筆が走らない。それで、天井を見ながら考えた。

  あのブリューゲルの「バベルの塔」に描かれている石工や大工やらが何人いるか数えるなんて、よほど大きく拡大しなければ不可能であろう。僕が引用した寫眞では小さすぎて人間の数など分からない。そうだ! と思いついた。『芸術新潮』(5月号)に「バベルの塔」の特集に部分拡大図が載っていた。それを見れば分かるだろう、という訳で図書館から雑誌を借りてきた。

  表紙の「バベルの塔」の左上部分を拡大したのが右側の寫眞。これを見ると蟻のように沢山の人が働いているのが分かる。この部分だけでもザット100人くらいはいるだろう。こんな調子で、「搭」の右下の港や左の田園にいる人まで数えて1400人もいるというのだから、数えるのも大変だったろうね。勿論、この絵を描いたブルューゲルも。
 SF作家で有名なテッド・チャンの短編に「バベルの塔」がある。最近公開されたSF映画「メッセージ」の原作『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫、朝倉久志他訳、2003年)を読むために借りたのだが(予約した人が多くて申し込みから2カ月ほどかかった!)その中に収載されている。「バベルの搭」の天辺に穴をあけるために登ってゆく職人の話だが、絵を見てから読んだので、搭の中を自分も一緒に昇っているような気分だった。が、途中で貸し出し期限が切れてしまったので最後がどうなったのか、知らない。近頃、SFにはすっかりご無沙汰しているのでテッド・チャンの名も知らなかったが、数々のSF賞を受賞しているだけあって面白く読めた。その内、再度借りて「バベルの搭」も読んでみよう。

「草枕」  ところで。前回、『猫』(1905年)に出てくる食べ物の名前を和田利男『漱石のユーモア』から引用・列挙した。その数、全部で136点。非常に多いけれど、後々の作品では少なくなるのでは?と予想してみたので、試しに『こころ』(1914年)を読んでみようと思った。ところが図書館に生憎なかったので、『草枕』(1906年発表、岩波文庫、2007年、101刷)のなかにどれくらい食い物の名がでてくるか調べてみた。あの有名な冒頭ーー

「山路を登りながら、こう考えた。/智に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」(ルビ略)

――の『草枕』である。そのなかから食品名を書きだしてみよう(頭の数字は「章」を著わす)。結果は以下の通り。(*)内の数字は、登場する食品名の数を表す。

1、(0)
2、菓子、お菓子、胡麻ねじ、微塵棒、御団子(5)
3、晩飯(1)
4、飯、朝飯、午飯、蜜柑、焼肴、青いもの、椀、海老、蕨、サラド、赤大根、吸物、口取、刺身、煉羊羹、クリーム、ジェリ、白砂糖、牛乳(17)、
5、牡蠣(1)
6 葛湯(1)
7、(0)
8、御茶、玉露、隠元豆、蒸羊羹(4)
9、御茶、(1)
10、(0)
11.番茶(1)、
12、蜜柑、(1)
13、蓬餅(1)

ーー合計33点(文庫本で、本文176ページ)。「猫」(約560ページ)は136点。「草枕」に出てくる食品名は「猫」の約4分の1ということになる。長編と中編(?)の違いはあるが、圧倒的に少ない。4章に多く出てくるのは、昼食時に出された食べ物をよく観察して細かく表現しているからである。西洋の菓子と主人公が好きな羊羹を色や肌合いを仔細にくらべ、日本の羊羹は「一個の芸術品」と称賛している。

 Ophelia  冒頭の「智に働けば角が立つ〜とかくこの世は住みにくい」という文句は覚えているものの作品名『草枕』はとうの昔に忘れていたし、その内容も忘れていた、といった塩梅だから、初めて読む心地。ミレーが描いた「オフェリア」(漱石はロンドンのテート・ギャラリーでこの作品を見た)のことやダ・ヴィンチが弟子に言ったという名言「鐘の音を聞いてみろ。鐘は一つだが、音はどうとも聞かれる」。物は見よう、考えようひとつでどうでもなる、という画工の哲学〜〜など、『草枕』は、エゴの追求から「則天去私」へと至る漱石文学の「天国の門」のような気がする。漱石については、図書館ができるほど評論・評伝が書かれているから、ここで私見を述べる愚はしない。

  ただ、漱石の探偵嫌いが、この『草枕』にも表れていることを付け加えておく。

「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情な所がないから、些(ちっ)とも趣がない」

「世の中は〜いやな奴で埋まっている。〜五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁を勘定して、それが人生だと思っている」

 東京に永くいると探偵に屁の勘定される。「勘定だけならいいが、人の屁を分析して、臀の穴が三角だの四角だのって余計なことをやりますよ」


  漱石は、日本料理と西洋料理を比べ、日本料理の方が色彩の洗練においてすぐれている(ターナーに見せてやりたいなどという)と息巻いたり、煉羊羹と西洋菓子を仔細に比較して羊羹を褒めたたえたり、探偵が後ろからついてきて、お前は屁をいくつひった、ひったとうるさくいう〜〜こんな場面はユーモアさえ感じされられる。

  「草枕」を久しぶりに読んでみると新鮮で、古さをまったく感じさせない。小林秀雄は、漱石・鴎外の日本の二大文豪が「源氏物語」にまったく関心を寄せていない、と講演で言っているが、「草枕」に登場する出戻りの御那美さんの姿に、画工が「憐れ」を見て取り、これで絵が完成する、と胸中を披瀝する最後の場面は、宣長の「もののあわれ」に通じている、とそんな愚想もしたくなる。

ーー漱石と探偵、漱石とドイル、あるいはホームズとの関係はどうか?? 漱石はホームズ譚を読んだろうか、という難題については、状況証拠は積み重なっているものの、未だに結論はでていない。

(つづく)

数えてみると〜〜

漱石のユーモア」「黒死館殺人事件」   こう暑い日がつづくと、頭の動きも鈍くなる。年々歳々、夏の気温が上昇しているようで、それにつれ暑さが身にこたえるようになった。これは温暖化のせいだろう。

 そんな訳で、今回も簡単にすまそうと思う〜〜〜

 先日、古書店で左の和田利男『漱石のユーモア』(人文書院、昭和22年5月20日)を買った。100円也。本書中で、著者は『吾輩は猫である』のなかに、どのくらいの食品名が出てくるのか数えて(ご苦労様です!)一覧にしている。以下、そのまま引用(縦書きだが横書きに)する。ただし、上の数字は第一回、第二回という連載(?)回数を示すもので、品名が現れた頻度を示すものではない。

1、飯、酒
2、椎茸、蒲鉾、餅菓子、麺麭、砂糖、雑煮、餅、正宗、飯、香の物、漬物、蕎麦、かけ、もり、飴、沢庵、菜つ 葉、鮭、牛肉、鴨のロース、牛のチャップ、なめくじのソップ、鮭のシチュ、(トチメンボー)、メンチボー、茶、カステラ、孔雀の舌、空也餅
3、吉備団子、焼芋、ジャム、茶、大根卸し、椎茸、空也餅、飯、西洋料理
4、鰹の切身、鮪の刺身、ビール、ジャム、牡丹餅、菓子、羊羹、飯、豆腐、汁粉、西洋料理、
5、半ぺん、山の芋、とろろ汁、御寿司、ジャム、飯、玉葱、団子、酒
6、酢、味噌、棒鱈、玉子のフライ、バタ、ご飯、御茶漬、笊蕎麦、山葵、饂飩、林檎、苺、大豆、蛇飯、水瓜、唐  辛子
7、鮪の切身、鰹節、鮭、蒲鉾、肴、豚、芋のにころばし、酒、御飯、茶漬、鹽焼


(あまりに多くて、引用するのも疲れるので、8<17種>,9<12種>、10<10種>は省略する)

11、鰹節、握り飯、夏蜜柑、梅干、甘干しの柿、味醂、ビール、酒、寒天、馬鈴薯、シャンパン、肴
-
------「猫」のなかにこれほど食べ物の名が出てくるとは気が付きませんでした。漱石は、ロンドンに留学していたころのビスケットを食べて暮らしていた貧乏生活を笑いのめし、憂さを晴らしているかのようである。山田氏は、この食べ物の羅列に漱石のユーモアを感じ取って、笑いの発生を「愛若しくは性の本能の行動に関係している」というこれまでの説に加え、食べ物と笑いの関係を論じているのが興味深いところだ。「トチメンボー」のことはすぐに思いだされるが、迷亭君が蕎麦の食い方を微に入り細に入り講釈する場面をあげ、著者は漱石の食への関心の深さを指摘している。このあたりには、漱石が子供の頃、よく落語を聴きにつれていかれたことも影響しているのだろう。

  漱石は、この「猫」に始まり、「坊ちゃん」、「三四郎」と後の作品になるにしたがって、食べ物についてふれる回数が減っているのではないか、と愚察する。手元に本がないので確認のしようがないけれど、自我の追求が深くなるにつれユーモアの影は薄くなってゆくのではないか?(このあたりのことは、すでに研究つくされているだろうけれど)。

  著者はまた、「坊ちゃん」に天婦羅蕎麦の話がたびたび出てくることをあげ、これが「可笑しみ」をさそうという。そして、「一体、言葉なり事件なりというものは、単にそれ自体では可笑しくないことでも、それが度々繰り返されるといふと遂には滑稽感を誘発する」と説く。その例として、「要するに」という言葉を何度も言う教師をあげ、学生たちがその回数をメモして笑いを誘う、と言う。そういえば。近頃の政治家(特にAbe首相)はヤタラと「しっかり」という言葉をつかう――「しっかり説明する」とか「しっかり対応する」とか――なんども聞いていると滑稽である。テレビで政治家のインタビューを聞いて御覧なさい。へたなお笑いよりもズッと嗤えますよ。

 漱石の『猫』に出てくる食べ物の名前を紹介したので、他の例も書いておこう。なんでもトルストイの『戦争と平和』には、300以上(正確な数は「記憶にありません」)の人物が登場するとのこと。ロシア人の名前は複雑なので読んでいても誰が誰やらサッパリ分からない。光文社から古典新訳が出ているので随分と読みやすくなった。それから、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』(左は、ハヤカワ・ポケット・ミステリ版。昭和49年11月再版)。このペダンティックな小説には、様々な書名が登場する。こんな具合。

『一四一四年聖(サン)ガル寺発掘記』、寺門義道『紋章学秘録』、「ブーレ手写『ウイチグス呪法典』」、「ワ”ルデマール一世『触療呪文集』」、希伯来語手写本『猶太秘釈儀法』、ヘンリー・クラムメル『神霊手書法』〜〜〜

〜〜と、どれが実やら虚やら。虚実入り混じっている書名が『黒死館』のなかに全部で何冊登場するか、数えた人がいるという。(どこで読んだか「記憶にございません」)。それによると、こちらも300冊以上。まあ、これくらいなら、僕にも出来ないことはない〜〜と思っていたら、さらに上がいた。
bruegel-p2(バベルの塔)  朝日新聞「天声人語」(2017年6月24日付)ブルューゲルの絵「バベルの塔」の話が載っていた。ブルューゲル研究の第一人者、森洋子・明治大学名誉教授によると、「遊戯」が画題の場合は250人、諺が題なら85の言葉を絵に表しているという。さらに『バベルの塔』に登場する石工、煉瓦工、足場職人などを数えると総勢1400人になるという(これは「天声人語」の筆者が数えたようである)。左の『バベルの塔』の絵をよくよく見ると蟻のように人々が働いているのが分かる!!!

  ――とすると。

  『ホームズ譚』60編に人物名はどのくらい載っているだろうか?と気になった。こんなことを考えたのはホームズ譚と付き合ったから始めて。そこで『緋色の研究』から調べ始めた。ワトソン博士、スタンフォード青年、シャーロック・ホームズ、ハドスン夫人、給仕のビリー〜〜〜こんな調子では何年かかるか分からん。どうしたものかと天井を眺めていて、ふと気が付いた。「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」の有志が調べて発行した冊子「人名索引」があるではないか!(正確には『<シャーロック・ホームズ物語>(新潮文庫) 人名索引』、1984年12月9日発行)。これを利用しない手はない、と思ったけれど、生憎手元にないので”師匠”から拝借し、数えてみた。するとザッと800以上になる。かなりおおざっぱに数えた数字ではあるが(例えば、「レストレード」は、この他「レストレード君」「レストレード警部」も別項目になっているが、これらはひとつに数えた。また、作家名ポー、フローベールなど実在人物名も入っている)、想像以上の数だった。ただ、ホームズとワトスンが入っていないのは何故だろう。どなたか、ホームズとワトスンが何回、聖典に登場するか数えてみませんか?? 

  ああ、暑いねえ〜〜。今回はこのへんで。

  そうそう、忘れていました。「黒死舘」に登場する探偵役、弁護士の法水(のりみず)麟太郎の「法水」は、「ホームズ」の語呂合わせだろう。




  





ダリとはダリだ?(贋作8)

0eb5130e476bebac1e36641b99cbc29b   ダリのことを書いていたら、新聞にダリの記事が載った。テレビのニュース番組で紹介された時、コメンテイターが「ダリってダリだ?」と駄洒落を言って笑わせていた。「巨匠ダリの遺体 掘り起こし命令」という見出しの記事(「朝日新聞」2017年6月27日夕刊2面)はこんな内容――

  ダリの家政婦をしていた母親から自分は彼の娘だと聞いたスペインの霊媒師(61歳)が裁判所に訴え出た。「生物学的な親子関係」を特定するためにはDNA鑑定のほかに方法がない、と裁判所は判断し、ダリの遺体を掘り起こす命令を出した。ダリ財団は掘り起こさないように上訴するかまえ。

――ダリの作品は、現在ダリ財団が管理しているが、もし、この娘さん(ピラル・アベル)がDNA鑑定でダリの子と判明したら、莫大な遺産の一部を相続の権利が発生する可能性がある。テレビではこの娘さんのインタビューが放映された。ダリと娘さんを比較してみると、なんとなく似ているような気もする(???)。どんな結果になるのか楽しみだが、生前、奇行が多かったダリのことだ、お棺を開けたとたん,上の寫眞のように、バネ仕掛けで飛び起き(ポーの「お前が犯人だ」のように)、「お前は俺の娘ではない!」なんて言ったら、一大ニュースになるだろうね。

  話を絵に戻す。

  1980年代に刊行されていた「STYLING」という雑誌に、海野 弘の「室内の都市:58 カナリアの部屋」(切り取ってしまったので発行年不明)が載っていた。読んだらヴァン・ダインの『カナリア殺人事件』(The Cannary Murder Case.1927)の話。NYのブロードウェイで名花「カナリア」と呼ばれたミュージカル・スター「マーガレット・オデール」の殺人事件をファイロ・ヴァンスが解決するのだが、作中、彼女の部屋が仔細に描写されている。海野は、この部屋の様子を読んで、「カナリヤ」は「ルイ16世式」趣味だったと推定している。『カナリヤ殺人事件』は読んだことはあるが、この部屋の様子などすっ飛ばして読んだから、海野の指摘が新鮮だった。

img613  そこで『カナリア殺人事件』の、そのあたりだけを再読した。手元にハヤカワ・ポケミス(瀬沼茂樹訳、昭和29年11月15日刊)と創元推理文庫(井上勇訳、1969<昭和45>年11月20日5刷)の2種あるが、海野は創元推理文庫から引用しているので、ここでもそれに従う。






ヴぁん・ダイン(プーシェ)ヴァン・ダイン(フラゴナール)th(ワトー)





 


  ヴァン・ダインはこの部屋の調度を仔細に描いている。「マリー・アントワネッット型の三面鏡」や「プウル風の用箪笥」などについてはかいもく見当がつかないが、「ルイ16世式装飾をした飾り箱つき小型スタインウエイ・グランド・ピアノ」とあれば、「カナリヤ」の趣味が伝わってくる。僕の目を引いたのは、壁に飾られていた「プウシェ、フラゴナール、ワトー」(いずれもフランスの画家)の数枚の「すばらしい出来栄えの複製画(下線筆者)である。この三人の画家については全く知らないので、検索し主な作品を見てみた。それが上の絵(左からプウシェ、フラゴナール、ワトー)。ロマンチックななかにも淡いエロチシズムを感じさせる絵である。ヴァン・ダインは、部屋全体の印象を、女優業から身を引いた後、「デミ・モンド(高級娼婦)」をしていたという「カナリヤ」の「か弱い、はかない人柄と、このうえなく釣り合っているように思われた。」と描かれている。壁を飾っているこれらの絵も、彼女の人柄や趣味を象徴しているようだ。

  ヴァン・ダインの本名は、ウイラード・ハンティントン・ライト(1888~1939)で美術評論家、と聞けば、これらの絵の選択にも彼の美術眼がよく表れている。贋作のことを調べるために、美術の図録を多く見てきたので、探偵小説を読んでも絵画に目がゆくようになった。どんなことでも役に立つものである。

藝術新潮」1990年7月号  さて。贋作についてながなが書いて来た。ドイルと贋作についても少し触れたいと思ったけれど、ドイルは、「ピルトダウン人」捏造事件の犯人にされたり、エルシー&フランシスが撮影した妖精寫眞を本物と信じたり(左は、「芸術新潮」1990年7月号に掲載されたドイルの記事の一部)、死後に発見されたホームズ譚「求むる男」(The Man Who Was Wanted)が真作ではなく他人が書いたものと判明したり〜〜と種はいろいろあるが、とにもかくにも種が大き過ぎ、とても手に負えないので、こんなところで退散する。

  浜の真砂はつきるとも、世に贋作の種はつきまじ。

 この項、終わり。




  
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