ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記の話。

数の話でお茶を濁して〜〜

  11月に再開宣言(?)をしたものの、その後もあれやこれやがあり、筆に手が伸びなかった。筆には手が伸びなかったけれど、神保町までは脚を伸ばせた。散歩がてら昼飯を食べにゆき、ついでに古本屋を冷かすという寸法である。古本屋を覗くのはあくまでも二次的なことだが、ついつい本を買ってしまう。といっても、精々、ガレージセールの3冊500円、とか、平台の均一本1冊100円とかである。しかし、「チリも積もれば山となる」ので、我が部屋の平積みの本の山は高くなるばかりである。

  ところで。数の話。

  今年の7月のこと。新聞に「🔶オレゴン州・ポートランド 全裸で自転車 なぜ」(特派員メモ:「朝日新聞」7月12日朝刊)という記事が出ていた(切り抜いてとってあった)。「全裸で自転車」!!!???というキャッチに惹かれて読んでみた。それによると、こんな塩梅〜〜〜

  米西海岸オレゴン州のポートランドに出張にいった記者が、宿泊先のホテルで夜10時過ぎ、歓声が聞こえるので外に出てみると、繁華街の道路を全裸の男女が自転車で次ぎ次に駆け抜けていった。沿道にいた警察官はただ黙って様子を見ているだけだったという。「全裸の男女」といっても全員がスッポンポンという訳ではない。中にはペイントや下着・水着をつけている人もいるものの、老若男女、その数、合わせて千人以上という。このイベントは、ポートランドだけでなく英国やカナダなど世界約20カ国で開催されている「世界裸自転車ライド」(World Naked Bike Ride)と呼ばれ、化石燃料の削減や自転車愛好家の安全策強化を訴えるのが目的とのこと。

ーー「日本なら公然わいせつ罪と言われそう」と記者は書いているが、ちょうどこの頃は、日本も猛暑で、静岡駅の前では、あまりの暑さに洋服をぬぎ下着姿になった女性が警察に拘引された、という記事が小さく出ていた(〜〜この程度で警察がしょっ引くのは行き過ぎ、との批判も出た)。僕らの若いころ(70年代)には、ストリーキングといって街を全裸で走るパフォーマンスが流行ったものだが(当然、警察に捕まる)、全裸も百人、千人になったら警察も処置にこまるだろうね。本当にこんなことやってるの?と疑問に思いネットでしらべたら、ある、ある、アル、アル〜〜。

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 これはほんの一部。興味のある方は、検索されたい。
 で。ポートランドに住んでいる友人にお前もやるのか?と聞いたら、やるわけないヨ、と返事がきた。ところで。不思議に思うのは、ロンドンやパリやローマなどで全裸で自転車を乗り回しても違和感を感じない。これが東京だったらどうだろう。即座に交番に連れてゆかれるのがやまだろう。なぜ、こんな違和感を感じるのか? あれこれ無い知恵を絞ってみたところ、こんなことに気が付いた。

ミケランジェロ・ダビテ像  例えば。イタリアのフィレンツェ。街中にも美術館にも男や女のみごとな裸体像が立ったり寝そべったり、からみ合ったりしている。ミケランジェロのダヴィデ像など世界的に有名な立像が右にも左にもある。東にも西にもある。真昼間から、堂々と男の丸裸を見ているから、イタリアの人、あるいは観光客には、男の裸なんぞ、なんの違和感を感じないのではないか。一方、日本には、このような男の裸体像は街中では見かけない(裸婦像はよく見かけるけれど)。思い出せるのは、せいぜい、上野の西洋美術館の外庭にあるロダンの「考える人」くらいである。これとて蹲っている。立像ではない。他に思いつくのは、小便小僧くらいなものである。これはなぜだろう? 

 戦後間もなく発行された美術雑誌に、西洋の男の裸像をまねた日本男子の裸像が載っていたが、やはり貧弱で見るにたえない。家内になぜ、日本には男の裸の立像がないのか? とフィレンツェで聞いてみた。「そりゃアンタ、日本の男の裸は貧弱だからヨ!」と一蹴されてしまった。



一コマ漫画一コマ漫画 (2)  欧米の雑誌には一コマ漫画がよく載っている。昔、昔、星新一がHMMに「進化した猿たち」というタイトルで外国の一コマ漫画を紹介していた(後、3巻本にまとめられた刊行されている)。最近、神保町で一コマ漫画を集めたペイパーバックを買った。その内の一冊が左の”Cartoon Laffs from TRUE”(Fawecett Publicatins,1958).表紙に貼ってあるラベルから察するに、軍人さんむけに配布されたもののようだ。その中から一点紹介しよう。
 
 絵の下のキャプション==「裁判長殿、お許し願えれば、驚くべき証人を呼びたいと思いますが」(筆者訳)

 ブログのタイトルを「数の話で〜〜」と付けたが、数の話まで辿りつけなかったので、今回のタイトルは「裸の話でお茶を濁して〜〜」に変更する。
(つづく)

ブログ再開します。

img725 (2)   驚きましたねえ。ダビンチの幻の名作と言われた作品「サルバトール・ムンディ」が、クリスティーズで競売にかけられ、ナント!絵画史上最高の510億円で落札されたという(左・「朝日新聞」2017年11月16日夕刊一面・部分)。$$$$$¥¥¥〜〜が目玉の中に整列したため目が覚めた。
  早速、翌日の午後のニュース番組で取り上げられ、忘コメンテイターが500億円なんて、想像できない〜〜〜〜〜!!?????と驚いていた。この絵が500憶円もすることに驚いたのか、それとも500億円という数字がどれほどのものか想像できないのか? それは定かではない。しかし、500億円位の値段のものなら僕にも想像できる。
 
 ホームズ譚で一番高価なのは「緋色の研究」が掲載された『ビートンズ・クリスマス・アニュアル』で、およそ1千数百万円。僕の隣の家の土地(約30坪?)が2,3年前で1億2、000万円。現在の宝くじの最高額が5億円(?)、自衛隊の主力戦闘機F15のお値段が120憶円である。つまり、F15戦闘機5機分で、世界にひとつしかないダヴィンチの名作が買える、という訳。オスプレーでもおよそ5機分で買えるし、日本が保有しているイージス艦(一隻1,200憶円〜1,400憶円)なら半分のお値段で買える。

  まあ、この程度(?)の億単位なら僕にも想像できるが、日本国の借金が1、000兆円を超える、と言われると、もう僕の想像の範囲を超える。この借金を払ってゆくのは、若者である。1,000兆円と言われて、それがどの程度のものか、想像できる若者がどれくらいいるだろうか??

〜〜なんて考えながら、およそ3カ月も休んでいたこのブログを再開することにします。あまりに永く更新していなかったので、友人(複数)から、病気でもしているのではないか?と心配され、電話をいただきました。いやあ、スミマセン、元気です。まあ、なんとか生きてます。忙しいものですから〜〜などと言い訳しましたが、実際、8月以降、***%%%%&&&###‘@@@@■■▲▲〜〜といった具合で、忙しく、ブログを更新する余裕がありませんでした。

 マルセーユ絵ハガキ(2017) (3)が、しかし、左の様な絵ハガキを買う余裕はありました。確か、1€くらいで、ダビンチの絵には及びませんが、これを見ていると、ウレシクなります。

 長いこと心配をおかけしましたこと、お詫びします。失礼しました。(ひろ坊)

鉛筆を置いて考えた(「草枕」)

藝術新潮藝術新潮「バベル」一部   前回のブログの続きを書きはじめようと思ったが、どうも鉛筆が走らない。それで、天井を見ながら考えた。

  あのブリューゲルの「バベルの塔」に描かれている石工や大工やらが何人いるか数えるなんて、よほど大きく拡大しなければ不可能であろう。僕が引用した寫眞では小さすぎて人間の数など分からない。そうだ! と思いついた。『芸術新潮』(5月号)に「バベルの塔」の特集に部分拡大図が載っていた。それを見れば分かるだろう、という訳で図書館から雑誌を借りてきた。

  表紙の「バベルの塔」の左上部分を拡大したのが右側の寫眞。これを見ると蟻のように沢山の人が働いているのが分かる。この部分だけでもザット100人くらいはいるだろう。こんな調子で、「搭」の右下の港や左の田園にいる人まで数えて1400人もいるというのだから、数えるのも大変だったろうね。勿論、この絵を描いたブルューゲルも。
 SF作家で有名なテッド・チャンの短編に「バベルの塔」がある。最近公開されたSF映画「メッセージ」の原作『あなたの人生の物語』(ハヤカワ文庫、朝倉久志他訳、2003年)を読むために借りたのだが(予約した人が多くて申し込みから2カ月ほどかかった!)その中に収載されている。「バベルの搭」の天辺に穴をあけるために登ってゆく職人の話だが、絵を見てから読んだので、搭の中を自分も一緒に昇っているような気分だった。が、途中で貸し出し期限が切れてしまったので最後がどうなったのか、知らない。近頃、SFにはすっかりご無沙汰しているのでテッド・チャンの名も知らなかったが、数々のSF賞を受賞しているだけあって面白く読めた。その内、再度借りて「バベルの搭」も読んでみよう。

「草枕」  ところで。前回、『猫』(1905年)に出てくる食べ物の名前を和田利男『漱石のユーモア』から引用・列挙した。その数、全部で136点。非常に多いけれど、後々の作品では少なくなるのでは?と予想してみたので、試しに『こころ』(1914年)を読んでみようと思った。ところが図書館に生憎なかったので、『草枕』(1906年発表、岩波文庫、2007年、101刷)のなかにどれくらい食い物の名がでてくるか調べてみた。あの有名な冒頭ーー

「山路を登りながら、こう考えた。/智に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい。」(ルビ略)

――の『草枕』である。そのなかから食品名を書きだしてみよう(頭の数字は「章」を著わす)。結果は以下の通り。(*)内の数字は、登場する食品名の数を表す。

1、(0)
2、菓子、お菓子、胡麻ねじ、微塵棒、御団子(5)
3、晩飯(1)
4、飯、朝飯、午飯、蜜柑、焼肴、青いもの、椀、海老、蕨、サラド、赤大根、吸物、口取、刺身、煉羊羹、クリーム、ジェリ、白砂糖、牛乳(17)、
5、牡蠣(1)
6 葛湯(1)
7、(0)
8、御茶、玉露、隠元豆、蒸羊羹(4)
9、御茶、(1)
10、(0)
11.番茶(1)、
12、蜜柑、(1)
13、蓬餅(1)

ーー合計33点(文庫本で、本文176ページ)。「猫」(約560ページ)は136点。「草枕」に出てくる食品名は「猫」の約4分の1ということになる。長編と中編(?)の違いはあるが、圧倒的に少ない。4章に多く出てくるのは、昼食時に出された食べ物をよく観察して細かく表現しているからである。西洋の菓子と主人公が好きな羊羹を色や肌合いを仔細にくらべ、日本の羊羹は「一個の芸術品」と称賛している。

 Ophelia  冒頭の「智に働けば角が立つ〜とかくこの世は住みにくい」という文句は覚えているものの作品名『草枕』はとうの昔に忘れていたし、その内容も忘れていた、といった塩梅だから、初めて読む心地。ミレーが描いた「オフェリア」(漱石はロンドンのテート・ギャラリーでこの作品を見た)のことやダ・ヴィンチが弟子に言ったという名言「鐘の音を聞いてみろ。鐘は一つだが、音はどうとも聞かれる」。物は見よう、考えようひとつでどうでもなる、という画工の哲学〜〜など、『草枕』は、エゴの追求から「則天去私」へと至る漱石文学の「天国の門」のような気がする。漱石については、図書館ができるほど評論・評伝が書かれているから、ここで私見を述べる愚はしない。

  ただ、漱石の探偵嫌いが、この『草枕』にも表れていることを付け加えておく。

「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情な所がないから、些(ちっ)とも趣がない」

「世の中は〜いやな奴で埋まっている。〜五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁を勘定して、それが人生だと思っている」

 東京に永くいると探偵に屁の勘定される。「勘定だけならいいが、人の屁を分析して、臀の穴が三角だの四角だのって余計なことをやりますよ」


  漱石は、日本料理と西洋料理を比べ、日本料理の方が色彩の洗練においてすぐれている(ターナーに見せてやりたいなどという)と息巻いたり、煉羊羹と西洋菓子を仔細に比較して羊羹を褒めたたえたり、探偵が後ろからついてきて、お前は屁をいくつひった、ひったとうるさくいう〜〜こんな場面はユーモアさえ感じされられる。

  「草枕」を久しぶりに読んでみると新鮮で、古さをまったく感じさせない。小林秀雄は、漱石・鴎外の日本の二大文豪が「源氏物語」にまったく関心を寄せていない、と講演で言っているが、「草枕」に登場する出戻りの御那美さんの姿に、画工が「憐れ」を見て取り、これで絵が完成する、と胸中を披瀝する最後の場面は、宣長の「もののあわれ」に通じている、とそんな愚想もしたくなる。

ーー漱石と探偵、漱石とドイル、あるいはホームズとの関係はどうか?? 漱石はホームズ譚を読んだろうか、という難題については、状況証拠は積み重なっているものの、未だに結論はでていない。

(つづく)
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