ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記の話。

『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption)を観る

ShawshankRedemptionMoviePoster(ポスター、wikipedia  「悲しみを癒す最良の薬は仕事だ」と、ホームズはワトスンに言ったことがある。確かにそうだが、”仕事”がない僕の場合、本を読んだり映画を観ることにしている。これは救急バンソコと同じですぐにはがれてしまうのが難である。
 読んで多少でも薬になる本や映画をあげるなら、アステリア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』、映画なら『七人の侍』『フィールド・オブ・ドリームス』や『パピヨン』など〜〜〜。今回は、スティーブン・キング原作「刑務所のリタヘイワース」(浅倉久志訳『ゴールデンボーイ』恐怖の四季 春夏編に収録:Rita Hayworth and Shawshank Redemptionを原作として作られたフランク・ダラボン監督『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption、1994年。左は映画の米版ポスター)を観た。映画を観たのは20年以上も前のことで、今回で3度目。原作は前に読んだと思っていたが、どうやら初めて(忘れたのかもしれない)のようだ。原作は短編と信じ込んでいたが中編小説である。
 
  原作と映画は、かなり違うことが多いがこの映画は原作にそってつくられている。作品についてごく簡単に言えば、『モンテクリスト伯』のように無実の罪で投獄された男が、機略と忍耐、そして希望をもって脱獄する話である。元銀行の副頭取をつとめた男アンディー(ティム・ロビンス)は、1947(昭和22)年に投獄され、脱獄に成功するのは、実に20年後の1966年。アンディーの相棒を務めるのが務所の古株で「調達係」レッド。モーガン・フリーマンの静かな語り口と演技がいい。

原作のリタ リタ・ヘイワース(life誌) 「刑務所のリタ・ヘイワース」は、原題のように、ショーシャンク刑務所に入所したアンディーが、レッドに「リタ・ヘイワース」のポスターを調達してもらい、それを監房の壁に貼っておくことに由来する。リタ・ヘイワースは1940年代のセックス・シンボルとして観客を魅了した女優(1918〜1987)。とくに映画『ギルダ』(1946)の妖艶な演技で有名になった(刑務所の中でも上映されている)。アンディが壁に飾ったリタ・ヘイワースの大きなポスター(縦1m20cm)は、「LIFE」誌の1941年8月11日号に掲載された寫眞をもとに作成されたもので、レースのスリップをつけてベッドの上でひざまずいている彼女の写真(上・右)は、「戦時中の最も有名なピンナップ」(伊藤俊治『新編 ピンナップ・エイジ』)と言われている。「ピンナップ」(PIN−UP)という言葉は、「もともと第二次世界大戦中、アメリカ兵が兵舎の壁やベッドの天井などにヌード写真をピンで止めて夜な夜な眺めたことに始まるともいわれている」(前掲書)。
 映画の中でつかわれたのは、LIFE誌に掲載された方だが、原作では「海水着一枚で、片手を頭のうしろに当て、両目を半分つむり、あのふっくらした、すねた感じの唇を半びらきにしている」寫眞(上・左)。物語の伏線としてはこちらの方が妥当だけれど、映画の効果を考えればやはり「LIFE」誌の方がズッといい。

MarilynMonroe07ラクワエル・ウエルチ アンディーの監房の壁に貼られるポスターは(原作によると)、リタ・ヘイワース(1955年まで)の次が『七年目の浮気』のマリリン・モンローの(かの有名な)写真(左)。それが1960年まで続き、お次がジェーン・マンスフィールド。これは1年ほどで、次がイギリスの女優ヘゼル・コート(かもしれない)。1966年にはラクエル・ウェルチ(右)。これが6年間という最長記録となり、最後が可愛いカントリー・ロック歌手のリンダ・ロンシュタットとなる。


s-l1000(植える地) 映画でつかわれるラクエル・ウェルチの写真は『恐竜100万年』(1966年)に出演したときのものだが、原作では別な寫眞(左:スティーブン・キングがイメージした寫眞かどうかは不明だが)が使われている。”調達係”のレッドから、壁に貼るポスターはどんな意味があるのだと問われたアンディーは、「自由」と答えるーーあの美しい女たちを見ていると、まるで自分が壁を抜けて彼女のそばに立っている気持ちになる。だからラクエル・ウェルチが一番気に入っている、その訳は彼女の姿だけでなく、彼女が立っている浜辺がいいから。あそこはメキシコかそのへんらしい、「どこか靜かで、自分の考えていることが聞こえてくるような場所だ。君はポスターの写真を見て、そんな気分になったことはないか、レッド? まるでその中へ抜けていけそうな気分に?」

 原作では上述のとおり6名のポスターが使われているが、映画ではリタ・ヘイワース、マリリン・モンロー、ラクエル・ウェルチ3名の写真。映画の最後に使われているウェルチの寫眞は、原作とは違うけれど、浜辺の写真ではなく岩石の上に立っているところがミソである。監督がこちらの写真を使ったのは意味があってのことだろうね。

 アンディーが壁に飾った女優のポスターを並べると時代の変遷がわかる。リタ・ヘイワースが活躍していたころ、僕はまだハナ垂れ小僧(本当に鼻水が垂れてこまった。どうやら栄養不足だったせいらしい?)だったので覚えていない。マリリン・モンローの『七年目の浮気』(1955年)は中学生、ジェーン・マンスフィールド(1933〜1967)とラクエル・ウェルチは大学を卒業した頃だったから、この3人はよく覚えている。ラクエル・ウェルチは、SF映画『ミクロの決死圏』(1966年。『恐竜100万年』は同年末に公開)に出ていた。調べてみたら、ジェーン・マンスフィールドは、この映画の翌年、交通事故でわずか34歳で亡くなっている。原作に書かれているカントリー・ロック歌手「リンダ・ロンシュタット」(1946〜)については全く知らない。意外なことにラクエル・ウエルチは、1940年の生まれ(つまり僕よりわずか1歳年上!)で未だ健在である! 
 
  『ショーシャンクの空に』(原作も読んで)を観て、バンドエイドくらいの効果があったが、悲しみにつける薬は「時間」が一番だろうね。なお、掲載した女優についての写真や情報はPINTEREST、Wikipediaなどから転載・参照した。リタ・ヘイワースの写真のみ、ニューヨークから取り寄せたもの。L版程度の写真だが送料を入れて約700円也(!)。


                ******
            ついにゆく 道とはかねて 聞きしかど
            昨日今日とは 思わざりしを 
               ーー在原業平ーー


              われらが”師匠”の思い出にーーー  


 
 

 

ヘンリー・ミラー「読書の自由の擁護」を読む

 300px-Henry_Miller_1940 「『ぼくは生きた!』と自分でいえる人間は、何人もいるもんじゃない。それだからわれわれには書物というものがある。ーー書物を読むことによって、他人のさまざまな人生を生きることができるからね。しかし、作者もまた身代わりの生き方をしているわけだーー」河野一郎訳『ネクサス』)<注1>


 「春の夜高い丘の上で、わたしは鯨の大きなからだの中で逆さまにつり下がり、眼からは血が流れ、髪は蛆虫のように白くなっている。それは鯨の死骸の腹の中で、その巨大なからだは死んだ太陽の光にさらされた胎児のように腐りかけている。人と虱が、蛆虫の山に向かって際限なく行列を作って行く。これがイエスが歌った春で、そのとき、海綿がその唇にあてられ、蛙が鳴いていた。」吉田健一訳『暗い春』)<注2>


ーーヘンリー・ミラー<注3>の作品は、かつてはエロ本のごとく扱われてきたけれど、現在、再読(といってもほんの数冊にすぎない)してみると、猥褻な一行でも二行でも見つけるのが難しいくらいである。なぜ『北回帰線』や『セクサス』などがアメリカや欧州で発禁になったのか、現在では見当もつかない(翻訳で表現が弱められているかもしれない)。上に引用した『暗い春』の一節などランボーの詩ではないか、と思わせられる。ミラーは「ランボー論」を書いているが、僕はまだ読んでいない〜〜〜。

 さて。ヘンリー・ミラーを取りあげた理由、「その2」は他でもないーー彼の小説『セクサス』(バラ色の十字架)のデンマーク語版(上巻)が、1957年5月1日にノルウエーの法務長官により「猥せつ文書」という理由で没収命令が出され、そして、1958年6月17日、本書を販売した2書店に対し、オスロ市裁判所で「猥せつ文書の販売、展示もしくはその他の方法でこれを流布せんとした」との理由で有罪が宣告された。この判決に対して、最高裁へ上告が行われ、ヘンリー・ミラーは、被告側弁護士トリグヴェ・ヒルシ宛に最高裁への「激しい上訴文」(書簡)を送ったーーその書簡が「読書の自由の擁護」(河野一郎訳<注4>)と名付けられた文書で、これを読んで痛く感激させられたからである。ヒルシ弁護士の前文がついているが、そこはパスしてミラーの書簡を簡略に引用する。


 「ノールウェイ オスロ市/トリグヴェ・ヒルシ様


 一月十九日付のお手紙拝受、本年三月、ないしは四月に予定されている最高裁公判資料にと、わたしの見解を求めておられるわけですが⋯⋯⋯実は、オスロ市下級裁判所においてわたしの著書『セクサス』に対する公判が行われた際、一九五七年九月十九日付の書簡でいちおうわたしの意見を披瀝いたししました。(その書簡に書いた意見以上のことは書けないが)その後考えたことなど、時宜を得たと思われることを書いてみたく思います。」

ーーとこの手紙は始まります。


 「本日この長ったらしい判決文をもう一度読み直して、わたしはいまさらのように事のばかばかしさに気づきました。」と書いてから、かれは自分の作品「ブルックリンでの再会」(1944年作『戦いのあとの日曜日』に収められている短編)の一節を引用しているーー


「ぼくは全世界をわが家とみなす。ぼくは地球に住んでいるのだ(==)ぼくは人類には忠誠を誓うが、特定の国や、人種や国民には誓わない。ぼくは神に応えるが、だれであろうと行政官には応えない。ぼくはみずからの運命をまっとうするため、この地上にあるのだ。(==)ぼくは殺人に関し、宗教に関し、社会に関し、われわれの福祉に関して現在行われている考え方に異を唱える。ぼくは永遠なるものについて持っているみずからの直感にしたがい、この人生を生きよう。『すべての人びとに平和を!』とぼくは叫ぶ。平和が見つからぬ者は、見つけようとする努力を怠たった者だ。」(===)
「できる限り簡単明瞭に、わたしの人生に対する態度、言いかえればわたしの祈りを述べてみますとーー『邪魔のしあいはやめ、お互いに他を批判し、非難し、殺しあうことはやめよう』とでもなるでしょうか。」

ーーそれから、この書簡をこう結んでいる。

「最後に、この問題の難点を述べることにいたしましょう。この裁判所や、他の裁判所での不利な判決によって、本書のこれ以上の流布が効果的に妨げられるでしょうか?同様な幾多の判決の歴史は、そのような偶然を実証していません。(===)かりにノールウェイの人間が一人でもこの本を読み、著者とともに、人間は自己を自由に表現する権利があることを信じてくれれば、戦いは勝ったことになります。思想を弾圧によって排除することはできません。いまこの問題と関連のある思想とは好きな本を読む自由です。言いかえれば、良い本と同様に悪い本もーーつまり、単に無害な本をも読む自由です。何が悪であるかを知らなければ、どうして悪から身を守ることができるでしょう?
 しかし、この『セクサス』がノールウェイの読者に与えるものは、邪悪なものでも、有害なものでもありません。これはわたし自身がまず自分自身に与えてみて、その結果わたしを生き返らせたのみならず、わたしに活力を与えてくれた人生の薬なのです。もちろん、わたしはこれを子供たちにすすめはしません。(==)恥じらうことなく断言できることがひとつありますーー原子爆弾などとくらべれば、この本は生命を吹きこむ要素にあふれていると思うのです。

  カリフォルニア州ビッグ・サーにて
  一九五九年二月二十七日
                              ヘンリー・ミラー」
 
 なお、簡単に書き添えると、アメリカとソ連が全面核戦争の寸前までいったキューバ危機が起ったのは、 ヘンリー・ミラーがこの書簡を書いたわずか3年後(1962年10月から11月)のことである。

<注1、2,4>=『世界文学全集6 ヘンリー・ミラー』(集英社、1965年2月22日)
<注3>=ヘンリー・ミラーの写真出典は「ウィキペディア」

.jpg(1953、アメリカの核実験)wikipediaより

ヘンリー・ミラー『北回帰線』を読む

北回帰線」 ノートルダム大聖堂が炎上している寫眞を新聞(「朝日新聞」4月16日付夕刊、一面)で見た。尖塔の付近から焔があがり、薄明のなかに淡い煙を噴き出している大聖堂の姿は、悲しみや崩壊の恐怖よりも、むしろ荘厳な感じさえした。なぜだろうか? パリには3度行っただけで、最後は今から20数年前のこと。大聖堂を訪れたのはその時、一度きりであるのに。


ーーと、ここまで書いてから1週間ほど過ぎてしまった。その間、テレビや新聞の報道で、大聖堂の火災についてくわしいことを知った。ステンドグラスや金色の十字架、ピエタ像の無事な姿も見た。それに尖塔についていた風見鶏も奇跡的に残骸のなかから発見された。パリの観光名所であり世界文化遺産のひとつとはいえ、これほど世界の耳目を集めるのはなぜだろう?という思いがいまだに続いている。

 まだ、若いころ、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』を読んだ。今回、あるきっかけから再読(大久保康夫訳。新潮文庫、46刷)したところ、以前読んだ時とは、まったく違う顔が行間から立ちあがってきた。相手は変わってはいないから、顔が違って見えたのは、僕が変わったからだろう。昔はエロ本くらいの印象しか残らなかったが、今度は違う。ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』の様な感じである。先に書いてしまえば、ミラー自身は『ユリシーズ』とは別物である、とどこかで話していた。

  ヘンリー・ミラーは1891年ニューヨーク州ヨークビルで生まれる。18歳で大学に入学するが2か月で退学。職業を転々としたのち1930年パリにわたる。1934年6月、彼の愛人で作家のアナイス・ニン(1903〜1977)の序文を付けた『北回帰線』がパリのオベリスク・プレスから出版される(アメリカでは猥褻な表現により輸入禁止となるが、1964年にやっと「猥褻文書ではない」と連邦最高裁で判決が下された)。

 アナイス・ニンはその序文で「この書でわれわれにあたえられるものこそは血であり、肉である。飲み、食い、笑い、欲情し、情熱し、好奇する、それらは、われわれの最高の、もっとも隠微なる創造の根をつちかう単純な真実である。」と述べているーーここで、僕は本書の批評を書こうとは思わないし、また書けるとも思わないからやめにするが、『北回帰線』について「内容がわいせつである」と非難され、「これは小説ではない」とか「プロットがない」とかの悪評が圧倒的であったが、これを高く評価した者もいた。その中のひとりが評論家のエドモンド・ウイルスン。彼は「誰がロジャー・アクロイドを殺そうがかまうもんか」で、探偵小説などくだらん、紙の無駄使いだ、とこきおろした人物である。一方、ホームズやワトスンを作品にたびたび登場させるコリン・ウイルスンは、『形而上学者の性日記』(Sex Diary of a Metaphysician.中村保男訳、ペヨトル工房、1990年1月15日。本書は日本では、1965年に『ジェラード・ソーム氏の性の日記』という題で刊行されている)の著者序文で、ミラーの『セクサス』や『南回帰線』を「セックスの『真実』を書こうとする代わりに彼は小学生の猥談の集大成のようなものを書いたにすぎなかった」と極評している。しかし、ヘンリー・ミラーの方が断然いい。

 ヘンリー・ミラーの作品を読んでの感想をふたつだけ書いておきたい。

1、彼の文体についてーー
  彼の文体の特徴は、地の文がつづいたと思うと突然、言葉が機関銃の玉のように羅列される。頭のなかにあるイメージをすべてぶちまけるように次々に発射するのだ。『ネクサス』の最後の部分ーー主人公がアメリカを離れてヨーロッパに向かう汽船に乗る前の別れの挨拶から引いてみたい。なんせ長いからほとんど抜かしながら引用する。

「ウィリアム・F・コウディが現れる、先頭に立って。バッファロー・ビル君、きみにはなんという不名誉な最後を与えてしまったことか!(略)タスカローラ族よ、ナバホー族よアパッチ族よ、さようなら!(延々と略)さようなら、なつかしきケンタッキーよ! さようならシャムロックよ! さようなら、さようなら、新世界の最後の偉大なる君主モンテズマ! シャーロック・ホームズよ、さようなら! フーディーニよさようなら!(略)みなさん、さようなら⋯⋯それではさようなら! 葉蘭を風になびかせておいてくれ!」

ーーフーディーニとホームズの名前がでてくるのが、面白いけれど〜〜このつづきは次回に。

(つづく)

 


 



 
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