ホームズ・ドイル・古本 片々録 by ひろ坊

ホームズやコナン・ドイル、ミステリーを中心にした古本についての紹介や身辺雑記を記載する。

ホームズの妹―エノーラ・ホームズ(2)

エノーラ「ふたつの顔を持つ令嬢』2  ナンシー・スプリンガー(1948〜)のエノーラ・ホームズ・シリーズ第1巻『エノーラ・ホームズの事件簿〜消えた公爵家の子息〜』(The Case of the Missing Marques.Philomel Books.2006)第2巻『エノーラ・ホームズの事件簿〜ふたつの顔を持つ令嬢〜』(The Case of the Left-Handed LADY.2007.寫眞左)― 訳・杉田七重、イラスト・甘塩コメコ、小学館ルル文庫、2007年10月7日,2008年7月6日刊)を読んでみた。表紙は、少女向けコミック雑誌風あるいはミルキー・ホームズ風(他になんといえばいいのだろう?)だが、内容はなかなかのもの。エドガー賞を2度受賞(ベスト・ヤング・アダルト・ミステリー) している作者だけのことはある。

  第一巻の書き出しは,こうである。

  一八八八年、八月。ロンドンはイーストエンドの夕暮れ。 

  まだ壊れずにい残っているガス灯と、石畳のそこかしこにつるされた鍋の火が、暗い通りにちろちろと光をもらしている。鍋の番をしているのは年老いた男たちで、居酒屋の店先でゆでた巻き貝を売っている。そこへ、帽子からブーツまで、全身黒ずくめの女がひとり、物陰からするりと現れた。(略)
 男女連れも何組かいて、みな腕を組み、千鳥足でふらふら歩いている。男はやわらかなフランネル地の赤いベストを着て、女は後頭部をすっぽり包んで顎下で紐を結ぶ、麦わらのボンンネットをかぶっている。壁際に長々と伸びている男もいて、その上をネズミたちがぞろぞろ這っている。(略)
 悲鳴、笑い声、酔っぱらいの声。様々な声に負けず、物売りも屋台で声をはりあげている。(略) 酢のにおいがする。そう思ったそばから、今度は酒場のジンのにおい、ゆでたキャベツのにおい、熱々のソーセージのにおいが次々と漂ってきた。そこに近くの波止場からふわりと流れてきた塩辛いにおいと、テムズ川から立ちのぼる悪臭が混じる。腐った魚のにおい。垂れ流した下水の臭気。(略)
 次の街灯のたもとには、ちょうど居酒屋の戸口があり、口紅とアイシャドーをこってり塗った女が立っていた。二輪辻馬車がやってきて、その前で止まり、燕尾服に、つやのあるシルクハットをかぶった紳士がおりてきた。(略)あの女の荒々しい目は、娼婦の眼だ。赤く塗った唇がいくら笑っていても、心は恐怖におびえている。彼女のような女がつい最近、通りを何本か行った先で、体を派手に切り裂かれて死んだ。黒いベールの女は娼婦から目をそらし、さらに先を歩いていった。(後略。ルビ略)

――こんな具合に、ヴィクトリア時代のロンドンの路地裏を、眼だけでなく味覚、嗅覚、聴覚に訴えるように活写している。娼婦が切り裂かれて死んだ、というのは、切り裂きジャック事件のことである。

  ここに描かれている「黒ずくめの女」とは、エノーラ・ホームズ。つまり、マイクロフト、シャーロック兄弟の妹のことである。エノーラは、父親の死後も、キネフォード村に近いファーンデール屋敷に母親―-自由思想の持主で、婦人参政権とラスキンが唱える服装改革を支持していた――と一緒に暮らしていたが、その母親が失踪。ロンドンに出かけ母親探しをはじめる。そこで様々な事件に出会い、解決してゆく物語である。エノーラは、シェイクスピアを初め、アルストテレス、ジョン・ロック、サッカレーの小説、メアリ・ウルストンクラフトのエッセエイや屋敷の図書室にあった『大英百科事典』を全巻読破する(もちろん、ワトスン博士が書いた『緋色の研究』も)ほどの豊富な知識と兄マイクロフト、シャーロック同様に(父親ゆづりの)論理的思考の持主だった。

  エノーラは、ロンドンに母親を探しにでかけた後も、そのまま住み続け、「探しものの専門家、ラゴスティン博士」という架空の事務所を立ち上げ、自分はその秘書に扮し活動を始める。ここからが第二巻。第一巻では、マイクロフト、シャーロックの兄弟が登場するが、第2巻『ふたつの顔を持つ令嬢』では、なんと!ワトスン博士がエノーラ・ホームズを探してくれ、と彼女の事務所を訪れる――

  第二巻では、ロンドンの路地裏の子細な描写だけでなく、ヴィクトリア時代の社会的文化的な背景にまで、その筆が及ぶ。

例えば――

*「女など信用できないというのが、この時代の男性の考えだから。」(ホームズだけかと思いきや、当時の男性全体の傾向だった!?)

*「上流階級の女性が、それで(コルセット)体をぎゅうぎゅうに締め上げ、砂時計みたいなドレスに身を包んで社交界の華になる。そのおかげでしょっちゅう失神し、内臓が傷ついて死ぬこともある。」

*「ロンドンに暮らす召使と工場労働者の半分は、わたしと同じ年(注:エノーラと同じ14歳)か、それより下だ。そして、この年齢でも、犯罪に手を染めれば、刑務所に入れられ、裁判にかけられる。万が一同じ時期に、切り裂きジャックが警察につかまったら、それといっしょに絞首刑にされることだってある。」

*「百貨店」(デパートメント・ストア)を訪れた時のエノーラの感想「こういった場所につねにさらされている、店員さんたちの体が心配になった。革をなめすのに水銀を使っていた帽子職人が精神を病んだり、塗装職人が塗料の毒にやられたり。紡績工場で働く人は、死んだり病気になったりしないまでも、発育不良になることがあるという。」


ワトスン博士と奇妙な花束」 ――こんな具合で、書きだすと切りがないので、このへんで止めにするが、作者ナンシー・スプリンガーは、エノーラ・ホームズ・シリーズを書くにあたって、「聖典」はもちろん、ヴィクトリア時代についてかなり深く勉強したように思われる。一例をあげれば、第3巻『エノーラ・ホームズの事件簿〜ワトスン博士と奇妙な花束〜』(The Case of the Bizarre Bouquets.2008.ルル文庫:2009年3月8日刊)では、ベイカー街のホームズの部屋に侵入したエノーラが、戸棚のひとつにあった変装用具―-かつらやつけ髭、パテ、ステッカー式のイボや傷、入れ歯、スカル・キャップ、顔料やつけ爪など――を見つけ細かに書き出している。

  ルル文庫のエノーラ・ホームズ・シリーズは、まだ第3巻までしか読んでいないので、下記の4,5巻については省略する。

令嬢の結婚」5『届かなかった暗号」  第4巻『エノーラ・ホームズの事件簿〜令嬢の結婚〜』(The Case of Peculiar Pink Fan.2008.ルル文庫:2009年6月3日刊)
  第5巻『エノーラ・ホームズの事件簿〜届かなかった暗号〜』(The Case of the Cryptic Crinoline.2009.ルル文庫:2009年10月6日刊)

 このエノーラ・ホームズ・シリーズについての感想を言えば、原作の内容に表紙や挿絵のイメージが合っていないこと。僕の好みで言えば、内容に比べイラストが幼すぎる(読者の対象=ヤング・アダルト=は12、3歳の中学生くらいと思われるけれど)。特に、ワトスン博士は、哀しい。
  

 エノーラ」米版エノーラ」フランス版 試みに、アメリカ版、フランス版の第1巻The Case of the Missing Marquessと比較してみる。アメリカ版は、Philomel Books,2006年刊。イラストは、Peter Ferguson。フランス版は、Editions Nathan,2009年刊。イラストは、Raphael Gauthey。両者とも、表紙イラストは全巻同じ作者によるものでイメージは統一されている。
フランス版と日本版のエノーラとホームズを比較してみてほしい。両者を比べると、原作が同じとは思えない。

  なお、エノーラ・ホームズ・シリーズには第6巻"The Case of the Gypsy Goodbye”(2010)があるが現在のところ翻訳されていない。

(この項終わり)
  

  



  

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

ホームズには、妹がいた????―-エノーラ・ホームズ(1)

エノーラ」日本版    シャーロック・ホームズは、聖典のなかで自分の家族のことはほとんど語っていない。フランスの画家・ヴェルネの血筋であることや兄・マイクロフトがいる――我々が知っているのはそんな程度である。それに、父親や母親については、堅い牡蠣のように口をつぐんでいる。不思議である。

  しかし、そこが詮索好きで、想像力・空想力のたくましいシャーロッキアンの眼のつけどころとなり、W・S・ベアリング=グールドはホームズの伝記『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶ我が生涯』(邦訳:小林司・東山あかね、1977年刊)をものにしてしまい、現在では、それが定説(?)にまでなってしまった。しかし、この伝記には、ホームズに妹がいた、とは書かれていない。そこに目をつけたのが(?)、ナンシー・スプリンガー(Nancy Springer) 。ホームズには14歳になる妹がいて、その名は「エノーラ・ホームズ」(Enola Holmes)。彼女を主人公にしたミステリー『エノーラ・ホームズの事件簿』(The Enola Holmes Mysteries.2006〜2010)を6巻も発表している。

  実を言えば、ホームズに妹がいた――という説を唱えたのは、彼女が初めてではない。日本でも、1978年、日本シャーロック・ホームズの会員だったSさんが、クラブの全国大会で発表している。その説の根拠として、ホームズがある物語で、「自分の妹だったらそんなことはさせない」といった意味の発言をしていること。その話のタイトルが思い出せないので、はなはだ心もとないのだが、天才・モリアーティ教授でさえ、『シャーロック、忌まわしき花嫁』で、ホームズの言葉「太陽のもとに新しきものなし」を引用しながら、それがどの物語に書いてあったか思い出せない、といっているくらいだから、僕の健忘症をお許しいただきたい(本日、●●なり)。

  ナンシー・スプリンガーは、子供のころ、母親がコナン・ドイル全集(茶色のクロス装・全10巻)を持っていたので、それを何年にもわたり繰り返し、繰り返し読み、ホームズ譚のストーリーはすべて暗記してしまった、という(アメリカ版の解説による)から、彼女のアイデアは借り物ではなく、まったくのオリジナルなんだろう。

さて。

 エノーラ・ホームズ・シリーズの第一巻の邦訳『エノーラ・ホームズの事件簿〜消えた公爵家の子息』(杉田七重訳、イラスト・甘塩コメコ、小学館ルル文庫、寫眞上。The Case of the Missing Marques)は2007年10月に刊行された。しかし、発行された当時から現在まで、表紙のイラストがミルキー・ホームズ風のため、手にとる気がまったくおきなかった。しかし、忘日、海外のネットで原作(アメリカ版)を見つけ、購入した。ヤング・アダルト向けだから、なんとか僕にも読める。冒頭の”In the East End of London. After Dark,August,1888”から始まる本編を読んでみたら、描写もしっかりしているパスティシュだった。そこで、現在までに刊行されている5巻の邦訳を読んでみることにした。五月ボケの頭の訓練にはちょうど良い。

 今日は、このへんで終わりにして⋯⋯次回に続く。


  

 

シャーロック・ホームズは古書収集家―次回は5月の連休明け。

レアブック・コレクターsh[基本文献」2  シャーロック・ホームズは自分で本を書いているが、それと同時に、熱心な古書収集家でもあった。ウレシイね。

  ホームズは、3年間の失踪の後、ロンドンに戻ってくる。帰還後の最初の事件『空き家の冒険』(1904年4月)では、チャーチ街の角で本屋をやっている年老いた古書収集家として現われ、ワトスンを失神させてしまう(写真上・右)。その折、彼が持っていた古書は、『樹木崇拝の起源』や『英国の鳥類』、『カトゥルス詩集』、『神聖戦争』など十冊ほど(ただし、訳書によっては、『樹木崇拝の起源』はホームズが持っていた本だが、後はワトスンの本棚にあった本となっている。ここでは、ホームズが持っていた本としておく)。聖典を読むと、この本の他にも多くの古書を収集していたことが分かる。

  では、どんな本をホームズは収集していたのだろう。聖典に言及されている書名から、その本の正確な書名を調べた冊子がある。マデライン・B・スターン『稀覯書収集家シャーロック・ホームズ』(Madeleine B.Stern”Sherlock Holmes:Rare-Book Colllector.A Study in Book Detection”(Schulete Publishing Co.NY.1953.23pp。寫眞上・左)である。本書は、「アメリカ書誌協会」(the Bibliographical Society of America)発行の機関紙(第47巻、1953)から抜き刷りされたもので、ベアリング=グールド解説・注:小池滋監訳・高田寛注訳『シャーロック・ホームズ全集』(東京図書、1982〜1983)の注釈部分に多数引用されている。現在では、この冊子自体が稀覯本と言えるだろうね。

 上述した『樹木』、『鳥類』、『詩集』、『戦争』などについては、「東京図書版」あるいは「ちくま文庫版」の『全集』に記載されているので、ホームズが引退後に書いた大作(マグナム・オーパス)『実用養蜂便覧』の他、スターン女史が挙げている蜜蜂や養蜂に関する彼の蔵書を紹介しよう。(*)内書名は拙訳。

  Charles Butler:The Feminin’ Monarchi’ Or The Histori of Bee’sOxford,1634)
  (『女の帝国あるいは蜜蜂の歴史』オックスフォード、1634年刊)
  Bazin:Histoire Naturelle des Abeilles(Paris,1744)
  (『蜜蜂の博物誌』パリ、1744年刊)
  Reaumur:Natural History of Bees)(London,1744)
  (『蜜蜂の博物誌』ロンドン、1744年刊)
  Ruccellai:Le Api(Parma,1797)
  (詩集『蜜蜂』パルマ、1797年刊)
 Thacher:Practical Treatise on the Management of Bees(Boston,1829)
  (『蜜蜂の取り扱いに関する実用的論文』ボストン、1829年刊)
 
――ざっと、こんな具合である。

   いったい、ホームズの蔵書は何冊くらいあったのだろう。聖典には、引退後に住んだ家の屋根裏には相当数の蔵書があった、と書かれているけれど……

  今回はこれくらいにして、5月の連休明けに再開します。地震対策のため、資料や本の整理をしますので。それにしても、日本に、こんなに多くの活断層があるとは……無知(ムチ)ほど恐ろしいものはない!!
  熊本・大分地方のみなさんには、心からお見舞い申し上げます。
 
 
  
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