img169img172img170    エイドリアン・コナン・ドイルとジョン・ディクスン・カーが合作したホームズ譚の第一作「七つの時計を持つ男」が掲載された「ライフ」誌(1952<昭和27>年12月29日号)のスタッフ欄を見ていたら、アシスタント・エディターのなかにハーバート・ブリーンの名前があった。ハーバート・ブリーンについては、以前、簡単に紹介したことがあるが、その後、2,3冊彼の作品を読んだので、改めて記しておく。

  ハーバート・ブリーン(Herbert Brean 1907〜1973)は、新聞・雑誌の記者として活動のかたわら推理小説を発表。その長編第一作が『ワイルダー一家の失踪』(1949年 邦訳・西田政治 昭和28年)で、本書の各章にはホームズ譚からの引用句が掲げられている。彼は、きっとホームズ・フアンに違いないと思って、江戸川乱歩『海外探偵小説 作家と作品』(ブリーンの項の追記・田中潤司訳。昭和32年 早川書房)を見たら、「九才になった時、ある雨の降る退屈な日のこと、彼の父親が家にあつたコナン・ドイル全集でシャーロック・ホームズの物語を聞かせてくれたことがあつた。」 以来、探偵小説に病みつきになった――とのこと。略歴を調べると、ニューヨークのホームズ・ファン・クラブ「ベイカー・ストリート・イレギュラーズ」の会員(1961年入会)だった。それに’67年には「探偵作家クラブ」(M.W.A)の会長を務めている。推理小説の他、『あなたはタバコがやめられる』や『あなたはお酒がやめられる』などのノンフィクションも発表。前者は木々高太郎訳でベストセラーになった。

  推理小説は、『失踪』の他、『夜の闇のように』(1950年 邦訳・森郁夫 昭和33年)、『もう生きてはいまい』(1952年 邦訳・西田政治 昭和29年)、『時計は十三を打つ』(1954年 邦訳・西田政治 昭和31年)、『真実の問題』(1957年 邦訳・大門一男 昭和33年)、『生きている痕跡』(1961年 邦訳・鷺村達也 昭和36年)、『メリリーの痕跡』(1966年 邦訳・上杉真理 論創社 平成21年6月25日)など、わずか7冊しか発表していない。ブリーンの作風は、「神秘的な怪奇趣味、上品なユーモア、豊富な知識を作品のなかにふんだんにふりまく」ところがデイクスン・カーに似ている――と『夜の闇』の裏表紙の解説に書かれている(乱歩は「カーの亜流にして、しかもカーに及ばざるもの」と厳しい評価を下している)。彼の作品を読むと、ホームズのことがあちこちに出てくる他、酒や料理についても言及されているあたりは、ハイブロウな都会派推理小説と言える。では。『夜の闇』、『時計は』、『メリリー』の三篇から、ホームズ譚に関わる部分を抜き書きしておく。

  『夜の闇のように』から――雑誌記者レイノルド・フレームが探偵役。舞台はニューヨーク――

◆催眠術師プライスから、読心術ができる女性”ビックス”について推理してくれと言われてフレームは、こんな風に言う――

「つまらんことは言わんでくれたまえ。僕の下宿のお内儀さんは、確かにハドスン夫人という名前に違いないけど、僕は決してシャーロック・ホームズなんかじゃないよ。」と言いつつ、ビックスは典型的なニューヨーク女だが、育ったのは他の土地で、成長期には中西部で過ごした、と言い添えると、プライスは、ワトスンのように「驚くべき推理だ!」と絶賛する。フレームは続ける――

 今時、こういう推理をするのはやさしいものではない。なぜなら、現代のニューヨークの女性は、かつてホームズにヒントを与えたような外見的特徴をどんどん失いつつあるから。彼女たちは、同じ服を長い間着て、自分の生活様式を気付かせるようなことはまず、やらない。「例えばミス・メリイ・サザランドみたいなタイピストの場合にしてもだが、職種によつて身体的に見分けがつくようなものではないからね。」。彼女たちは、大衆と同化して、自分の過去を消そうとする。しかし、「そういう事情にも拘わらず、ホームズの方法は(メソッド)、今なお依然として有効なんだよ。つまりだ、観察者が十分に目の利く人間であって、かつ結論を出すのに大胆ならば、何らかの推理を下すことが、必ずできるはずだ。」

  そう言って、フレームは、この女性について、イタリヤ系で、自分の経歴を忘れたがっている、頭が良く、かつひどく敏感な人間で、過去に豪奢な生活の経験はあるが、現在はあまり豊かではない――などと、彼女の名前、耳たぶ、服装、言葉遣いから推理する。

――フレームの言う通りで、50年前のニューヨークでもこんな感じだったから、現在の東京では、服装などを見てその女性の職業を当てるのはさらに難しい(マクドナルドのような制服を着た店員さんなら別だけれど)し、いわゆる標準語が普及したせいか、話言葉からその人の出身地を当てることも難しい。

  長くなったので、他の二作品については、簡単に説明する。『時計は十三を打つ』では、第二章に「緋色の研究」、六章に「オレンジの種五つ」、八章に「四つの署名」といった具合に、全二十三章の内、七章にホームズ譚からの引用句が掲げられている。ブリーンの最後の作品で、46年ぶりに翻訳された『メリリーの痕跡』では、「バスカヴィル家の犬」、「第二の血痕」、「独身の貴族」、「海軍条約事件」からの引用句が掲げられ、舞台になるフランス行きの豪華客船の図書室に『シャーロック・ホームズ全集』が備えてあり、主人公の雑誌記者ウイリアム・ディーコン(名前は違うがフレームと同様、作者の分身)が、恋人から「シャーロック」と呼ばれたりする。客船内での料理や酒についても詳しく書かれているので楽しく読める。

  W・ゲルタイスは、『名探偵は死なず』で、「シャーロック・ホームズは独身者だったが、鼠のように数えきれないほど多くの子孫を遺した。その数を正確に数えあげたひとはまだ存在しない。」と言っている。トルストイの『戦争と平和』の登場人物を数えた人によると、三百数十人(だったと思う)に及ぶという。ホームズの子孫を数えたら、何人になるか想像もつかないけれど、レイノルド・フレームを子孫の一人に加えても大河の一滴にすぎないだろう。最近では、ホームズ(独身なのに!!)の息子や娘、それに孫まで現れている。悲しむべきか? はたまた、喜ぶべきか?

  『メリリーの痕跡』の解説で、松坂健氏が書いている通り、ハーバート・ブリーンがライフ誌(1953年6月29日号)に寄稿した記事”A Case of Identity”(ホームズ譚の一編と同じタイトルである)をもとに製作されたのが、アルフレッド・ヒッチコック監督『間違えられた男』(The Wrong Man. 1956)。記事を読んでいないので、映画との違いは分からないが、映画は、容貌が似ているため、強盗犯と間違えられた男が次第に恐怖感をつのらせてゆく過程を丁寧に描いたドキュメンタリー・タッチ。ヒッチコックの他の作品とはひと味違う手法で描いたのも、事実をもとにしているからであろう。 

  ◆ブリーンの料理に関する知識について、一例あげておく。『夜の闇のように』で、フレームが、ビックスをイタリア人と推理する根拠のひとつにイタリア料理が上手なことを挙げている。その内のひとつが、「ローマ風スピエディノ」。この料理について、「これはイタリア料理のうちで最も美味なものであるが、欧州大陸の料理の書物には、稀にしか記載されていない」と残念がって、半ページ以上にわたる注釈をつけ、その料理法を紹介している。

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