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   さて。ドリトル先生の続き――。

   その前にもう一度『少年倶楽部』昭和16年1月号に戻る。最初に本号から連載された井伏鱒二「ドリトル先生船の旅」には原作者ヒュー・ロフティングの名前が記載されていないことを付けくわえておこう。

   本誌には、この他、木村毅「共に栄える大東亜」(大東亜共栄圏の話)、西條八十「奮へ昭和の少年」(詩)、春山行夫「兵隊さんの顔」(詩)、海野十三「愛国科学小説 怪鳥艇」、江戸川乱歩「新宝島」などが載っている。ここに挙げた詩人・作家に共通していることがある。それは、いずれもホームズ物を含めたコナン・ドイルの作品を訳したり、エッセイを書いていること。

  春山行夫は「シャーロック・ホームズの兄」(『木曜雑記』昭和22年)を書いている(中で「ベーカー街の変人クラブ」<BSIのこと>について触れている)し、海野十三も戦後児童向けにホームズ物(『まだらの紐』昭和21年)を訳している。西條八十については以前紹介した通り。木村毅は、滞英中の昭和4年、ドイルの弁護士と交渉し、改造社版『ドイル全集』(昭和6〜8年刊)のための版権を取り(「ドイル全集版権交渉始末」「最近のドイル」)、自身も「スターク・マンロオの手紙」「その三人」を訳載している。乱歩とコナン・ドイルの関係は説明するまでもないが、ここでは『少年倶楽部』に連載された乱歩の『新宝島』(昭和15年4月〜16年3月)について簡単に触れておく。

  『新宝島』は、探偵小説が弾圧され腐っていたころに書いた乱歩の少年物。日本の3人の小学6年生が海賊にさらわれ、あげくは南海の島に流されてロビンソン・クルーソーの様な生活を送る。最後は、この島(黄金国)の原住民の「顧問」!!となる――という「大東亜共栄圏」や「南進政策」を反映した作物である。

   物語中、3人の小学生は無人と思われた島で、熱病に侵された瀕死のイギリス人漂流者を発見し手厚く看護する。乱歩はその当たりをこう書いている――

「(……)三人はこのひげむじゃのイギリス人と、同じ洞窟に、家族のようにして暮らしました。今では日本とイギリスとは仲のよい国とは言えませんけれど、たとえ敵性を持つ国の人でも、国民の一人一人をにくむことはないのですし、殊にこういうあわれな境遇にいる人を、介抱しないで捨てておくわけには行きません。三少年は心から、この気の毒なイギリス人を看護してやりました。」

――これを読んだだけではなんということもないが、昭和14年には「英国排撃国民大会」が各地で開催されたり、15年にはカタカナや英語名が日本語に改名される(例:歌手「ディック・ミネ」が「三根耕一」に、煙草「バット」が「金鶏」、球団名「イーグルス」が「黒鷲」)などの背景を考えれば、これは乱歩の時局へのせめてもの抵抗だったのだろう。尚、上記引用は、江戸川乱歩推理文庫44『新宝島』(講談社 昭和63年11月8日 写真上・左)による。

  前置きが長くなったが、原作・ロフティング:井伏鱒二『ドリトル先生航海記』(講談社名作全集24.昭和27年2月10日初版 写真上・中は昭和28年2月・3版。The Voyages of Dr.Dolittle.1922)の話。本書の「解説 原作者と作品について」で井伏は、ヒュー・ロフティングの児童文学作家の態度について次のように紹介している。

「児童文学はおもしろくなくてはいけない。(……)すぐれた児童文学作品は、子供が読んでもおもしろいと同時に、おとなが読んでもおもしろくなくてはいけない。おとなと子供の間には、大して感情の差があるものではない。子供は絶えず進展を望んでおとなの世界にはいりたいと念じ、おとなは子供の心になりたいと思っている……。」

――これを読んで思い出したのが、コナン・ドイルが『失われた世界』(大仏次郎訳)の冒頭に記した次の言葉。

  半ぶんおとなの男のお子か/半ぶん子供の男の衆が/一時なりとも喜びなさりゃ/へたな趣向も本望でござる

  ヒュー・ロフティングにもコナン・ドイルにもアイルランド人の血が混じっているから、このような空想力豊かな古典的名作を残せたのだろう。

  ドリトル先生ものは,この『航海記』くらいしか読んでいないけれど、ドリトル先生の家には図書室があって、天井から床まで書物でいっぱい。その本棚には、物語の本や庭に関する本、医薬の本、旅行の本、それにドリトル先生が書いた動物に関する本や世界各国の地図がついた地誌があった――というから先生はかなりの読書家・本好きだったのである(なぜか、こんなことが眼に着くのだ)。

  さあて。やっと終わりに近くなる。新井清司・中原英一編『増補版 ホームズ、ドイル文献目録 1983〜2004年』(JSHC.平成16年12月4日)北原尚彦『シャーロック・ホームズ万華鏡』(本の雑誌社 平成19年8月15日)にホームズもののパロディとして紹介されているヒュー・ロフティング作:南條竹則訳『ガブガブの本 「ドリトル先生番外編」』(図書刊行会 平成14年11月21日。Gub−Gub’s Book.1932 写真上・左)

  ガブガブは、ドリトル先生の話に登場する食べ物にくわしい食いしん坊のブタ。再読してみると、ガブガブは『食物百科全書』全20巻を書こうと企て、一所懸命、文献研究に勤しんでいる。『食物地理学』『食物史』を始め『食物詩』があり『食物音楽』があり、『食物寓話と童謡』『食物喜劇』『食物悲劇』『食物シェイクスピア』などの他、『食物探偵小説』がある。この『食物探偵小説』の主人公こそ「名高き冷蔵庫探偵シャーベット・スコーンズ」。探偵スコーンズの推理法は「論理的演繹」とガブガブは説明する。「何か小さなことに着目して、頭のなかでしばらく反芻して、しかるのち新しい考えを導き出すのさ。例をあげていえば、君がひげにべったり糖蜜をくっつけて、この部屋に入ってきたとする。僕はちょっと見て、考えはじめる。しまいに僕は、君が食料品置場へ行ってきたことを推論するんだ。わかるかね?」

――ガブガブが書いている、この探偵スコーンズは、正に名探偵ホームズの再来である。文献の研究に熱心なガブガブのことだ、きっとホームズ探偵譚を読んだに違いない(!?)。

  さあ、このへんで打ち止めにしようと思うけれど、井伏鱒二は『ドリトル先生アフリカゆき』の「あとがき」で、石井桃子が昭和33年に自宅に設立した「かつら文庫」ではドリトル先生の物語が子供達によく読まれた、と紹介しているが、これについて興味のある方は石井桃子著『子どもの図書館』(岩波新書 昭和40年5月20日)を読まれたい(林克己訳『シャーロック・ホウムズの冒険』も含まれています)。

  また。先のブログで、靖国神社に軍馬、軍用犬、伝書鳩の慰霊碑があると紹介したが、軍馬の慰霊碑に、明治初期から昭和20年8月15日までに戦場で斃れた軍馬は約100万頭で、敗戦後も生き残り故国日本に帰ってきたのは、わずか1、2頭に過ぎなかった、と記してある。

  馬と言えば、『白銀号事件』――いやいやもう止めにしよう。
img160*左はヒュー・ロフティングが描いた『ドリトル先生航海記』の挿絵。