BUBU'S EYE~basketballnews~

 ウインターカップこそ初出場を果たした千葉男子代表・習志野だが、かつてインターハイでは優勝経験もある古豪チーム。1988年(昭和41年)、秋田で開催された第19回大会で日大山形を1点差で破り、初優勝を遂げている。千葉県勢としても初めての栄冠だ。

 前回の記事(【WC2021】初出場を経験してわかったこと 1~市柏(千葉県女子2位)~)でふれたように、今大会でウィンターカップ初出場を果たした習志野の黒田 裕コーチも2001年宮城国体で千葉選抜優勝メンバーとして主軸を務めた選手だった。 

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習志野を率いた黒田裕コーチ 写真@JBA

 その黒田コーチ率いる習志野初陣の相手は、中国大会チャンピオンの広島皆実で全国の常連チームだ。立ち上がりから拮抗した展開となった。最大10点差から点差を縮めて4点差、と寄せては返す波のように、習志野は追いかけ、最後は86-81で勝利をつかんだ。

  4Qで勝負を仕掛けようと思っていました。そこまでは我慢、我慢。自分が選手の時以上に我慢しました。もしも10点以上離れたらもっと早く仕掛けようとしましたが。思惑どおり、ラスト5分で逆転しました。リバウンドとゴール下で頑張っていた#33内山叶人を残して4人のプレス隊を投入。相手の足が止まって、そこからうちの流れになりました。同じ千葉の昭和学院をはじめ今大会他のチームもプレスで終盤逆転しているパターンが多い。その準備はしてきました。それがはまりました」(黒田コーチ) 

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#33内山叶人(2/C/187cm)は初戦vs広島皆実で27得点、26リバウンドの活躍で勝利に貢献  写真@JBA

 キャプテン#79伊星洲一郎とともにエースとして牽引した#23中村文哉は、

 「ベンチにいる選手もコートにいるメンバーもお互い声をかけていました。初めてやるコートで緊張もしていました。後半はみんなに助けられました。全国はいろんな有名な選手がいて、わくわくするような気持ちが伝わってきました」と、初勝利の興奮を隠しきれない。

 試合終了後、習志野のOBであるBリーグ・千葉ジェッツふなばしの原修太が富樫勇樹とともに後輩の応援に駆け付け、感激を分かち合う。大会前に原は自分の背番号『31』にちなんで、8面体のボール31個を母校にプレゼントしてくれたそうだ。 

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2回戦・福大大濠戦ではチームトップの26得点を残したキャプテン・#79伊星洲一郎(3年/SG/182cm) 写真@JBA

 選手から指導者へ。黒田コーチが最も神経をつかったのは、いかに高校生たちをリラックスさせて臨ませるか。試合前、選手たちの顔からも緊張が伝わったきた。

 「リラックスさせるような冗談まじりの声をかけました。ビシバシと厳しい言葉をかけると、パフォーマンスを出せないタイプが多いので。そこはのびのび、フレンドリーな空気を心がけました。なっ! 文哉」 と、黒田コーチの言葉にニッコリと頷く#23中村文哉。

 今の時代の子供たちのタイプと、自分自身が選手の時にそう声がけされたらもっと思い切りやれたかな、という経験をもとにやっているのだと言う。
 

 続く2回戦では今大会の優勝校・福大大濠に68-127と大敗を喫した。初出場から一足とびにジャンプアップは至難の業。手探りながら、実力向上を模索する日々はこれからも続く。しかし、チームのテーマである雑草の如く 逞しく という戦いのファーストステップは残せたのではないか。

(取材・文 清水広美)

 女子2位代表の市柏・高木賢伸コーチは、千葉男子代表の習志野・黒田裕コーチとともに2001年宮城国体で千葉選抜優勝メンバーとして主軸を務めた選手だった。 

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(就任6年目で初出場に導いた市柏・高木賢伸コーチ 写真@JBA

 その年の第32回全国高校選抜優勝大会(2001年)で市柏は、初戦で新田(愛媛)、2回戦・札幌日大(北海道)に勝利。そして3回戦で洛南(京都)に敗れている。この試合で高木は両チーム最多の33得点、対する洛南高2年の竹内公輔、譲次のツインズが2人で51得点をたたき出している。実は、高木も兄の寛貴とツインズでスターター出場、双子2ペアの対戦でもあった。 

 
 市柏の一つ下の学年にはBリーグ・三遠ネオフェニックスの太田敦也がいまなお現役プレイヤーとして奮闘、また今大会前のインターネットによる組み合わせ発表の司会者として、現在はタレントとして活躍してる副島 淳さんも市柏の後輩に当たる。 

 

この2人以外にも、男子市柏に先輩に当たる稲野辺聡、キャプテンを務めた秋元啓人が鎌ヶ谷と、千葉県内の中堅指導者として切磋琢磨を重ねている。 

 

 2021年となり、高木コーチ率いる市柏女子は、北海道の強豪・札幌山の手と対戦。前半の拙攻が響き、5298で大敗と全国大会の洗礼を受けた。 

 

 「これが全国か! うちは下馬評からいっても負けて当然。チャレンジャーとして挑戦を楽しんでいこうと話していました。ただ、それを上回る強さがあった。やはり簡単ではない。我々の20年前もそうでした。 

 3年生にこの場につれてきてもらったので、次は全国の基準として思っていた以上のパフォーマンスをするための練習を積み重ねていくことが必要だと痛感しました」と、高木コーチは全国の手応えを語る。 

 

 当時の戦いも東京体育館。初戦はサブアリーナ、2戦目はメインコートで戦った。 

「高校バスケットの祭典として、すごくいい場所で試合をさせてもらいました。選手時代だけでなく、コーチとしても選手につれてきてもらえるのはありがたいこと。 

  指導者になって女子のチームをみることは自分自身でも予想外でした。6年目を迎えて、女子は男子ほどの能力差はない。合わせの練習をしていけば、面白さを感じています。3年を中心に自分たちのバスケットをやっていこうよ、とコロナ禍の時期も含めて、上を向いて引っ張ってくれました」と、試合に出ることが少なくてもリーダーシップを発揮してくれた3年に高木コーチは感謝を忘れない。 

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チーム最長の32分37秒出場となった3年・#5細野未琉香(176cm/C) 写真@JBA


 今年のウインターカップ千葉県予選に、市柏のチームメイト、先輩、後輩のチームが上位に多く進出したことについては「たまたまですよ」と笑いながらも、大きな刺激を受けたという。
 

 

 スタートから32人が抜けるが、新チームはほとんどの選手が残る。主体性を持って、自分たちのバスケットスタイルを求めていけるのかが大事な部分とみる。 

 

 「新人戦はゼロからスタートを切っていきたい」と、高木コーチは前を向いている。 

(取材・文 清水広美)

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(写真)PG・#10山下蘭菜など多くの2年が大舞台を経験、新チームにつなげていきたい 写真@JBA

 

 山梨県代表・日川は、平成24年度に文部科学省よりスーパーサイエンススクールに指定された山梨屈指の進学校。文武両道 質実剛健をテーマにしている。

 進学を控えた3年はウインターカップを前に引退をする選手が多い中、今年は昨年からの主力を務める3年は最後のこの大会まで続けてきた。

 

 県内には留学生を擁する日本航空、フィジカルの強さを誇る東海大甲府がいる。日川にそこまでの高さと強さはなく、失礼ながら普通のチームに見える。しかし、ひとたびボールを持ち、試合が始まると日川の強さがすぐに理解できた。選手層は厚くないものの、主力はみなボールハンドラー。バックドアプレイもなんなくこなす。上背がなくても、あうんのコミュニケーションと、バスケIQの高さ、個々の技術でカバーしている。ブレイクで11の状態でも、振り返らずともうしろから走ってくるチームメイトの気配を察し、自分の股下からバックバウンズパスを繰り出す。成功や失敗に大きなリアクションはないが、共通理解の楽しさを知っているチームだ。

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(写真)今回主役の一人・#19古田大也(3年/PG/176cm) 写真@JBA


 ゲームメイカーの一人、#19古田大也は初戦の松山学院戦で23点、3ポイント(11本中6本成功)、10リバウンド、8アシストとあわやトリプルダブル。しかも、大会前のケガから復帰したばかり。29得点、10リバウンドを稼いだ#エース8藤崎郁海とともに奮闘を見せた。

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(写真)日川高のエース・#8藤崎郁海(3年/SF/178cm)は敗退となった2回戦でも31得点をマーク 写真@JBA


 日川といえば、新聞、書籍、そしてテレビドラマ化された『左手一本のシュート』の伝説を覚えている人も多いはずだ。2010年沖縄インターハイ予選でのOB田中正幸さんが脳内出血から右半身麻痺となりバスケット部に復活。献身的にチームを支えた田中さんにスペシャルフォーメーションを作ろうと提案した古田厚司コーチ。その古田先生こそ、#19古田(以下、大也)の父である。

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(写真)日川高校・古田厚司コーチは就任22年目にしてウィンターカップ出場を手にした  写真@JBA


 もっとも

「俺は1度たりとも(日川に)誘っていない」と父・古田コーチがいえば、
「親に教わる気持ちはさらさらなかった」と返す息子。

 2人とも親子でやりたいからというわけではない、と強調する(笑)


 大也が日川にきた理由は、中学時にジュニアオールスター時のチームメイト陣が皆日川に進学することを決めたからだ。あのバスケット感覚を再び感じたい。もう一度あのメンバーとともに、全国大会に出たいという気持ちに抗えなかったからだ。そして、最後のチャンスをものにした。

 チームとしては23年ぶりのウインターカップ出場だが、古田コーチにとって冬は初出場。初戦の松山学院(旧・松山城南)を92-40と撃破。しかし、続く福島東陵に破れた。プレイの要所でいつもより身体が重そうに感じた。

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(写真)23年振り7回目の出場は2回戦敗退となったが、全国で1勝をあげたことは間違いなく新チームへの財産に  写真@JBA


『昨日の初戦を思いきりやって成果が出たことはよかったが、見えない精神的な疲れと体力面の疲れは感じたかな。本来ならスペースをとってカッティングするのに、重そうだった。本来のプレイ、連携が出し切れなかった。この経験を12年が感じてくれれば役割を果たした、と思う』(古田コーチ) 


『みんなで、文武両道の日川でやろうと勉強も頑張ってきました。初戦はブレイクが出て気持ちよくプレイできましたが、今日は本来のプレイがでなくて悔しい』と、31点を取った#8藤崎は唇をかむ。

 

『自分たちの身長が低いのでコンタクトで削られて走られてしまったのが今日の点差。でも、ずっと積み上げてきたものが最後に全国大会に出られて、自分たちのバスケットができたのは非常に良かった。

 自分がバスケットを始めたきっかけは父が指導していたから。少しでも勝ち進んでいきたいなと思っていたんですが、今は3年間指導してくれたことに感謝しています』(#19大也)

  
  それこそ、日川のたれ幕にある、『夢現』がこのウインターカップで体現できたといっていい。
最後の勝負を終え、息子から素直な気持ちが口をついた。

(取材・文 清水広美)

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(写真)山梨県男子代表・日川高校の親子鷹 父・古田厚司コーチ(右)と#19大也(左) 写真 清水広美 






 その2では、インターハイが中止となった去年8月に取材した内容を元に、東山高校への進学理由からインターハイやウインターカップへの想い、そしてパスの極意などを取り上げる。

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今年はパスだけでなく、積極的にゴールに切り込んだ。報徳学園戦でのダブルクラッチシュート@JBA

東山では1年から頭角を現わす
 ジュニアオールスター、沖縄全中での日野中時代の活躍から、鳴り物入りで東山高校に入学。すぐさまスターターに抜擢された。(※コメントは昨年8月時点)


 ――東山に進学した理由は?
「東山か地元の高校に進学か、2つの選択肢で迷いました。家族と話し合い、僕は”将来プロになりたい”という想いがすごく強かった。プロになるには、地元に残るより東山に行き、大学に行くという青写真を描いていました。(自分の実力を)全国大会に出て見てもらう。地元長崎の高校は九州なので、見てもらえる機会が少ない。東山に行って自分が活躍して色んな先生や大学の人たちに見てもらい、プロに行く。大学進学を考えても、プロになるためには東山に行かないとなれない、と思って選びました。実際に入ってみて、本当に良かったな、と本心から思います
 
――現在、高校バスケット界の上位校はほぼ留学生がいます。東山・#9ムトンボ・ジャン・ピエール(以下、ジャンP)とコンビを組めたことは大きいですか?
#9ジャンPは、今年の留学生の中でもナンバー1と言ってもおかしくない。彼は僕が言ったことをちゃんと理解してやってくれます。落ち着いていて、ウィングスパン(232㎝)も長い。そういう面では、コンビを組めたことは嬉しかったです。こんな留学生がいるんだな、と。1年生のころからずっとやってきて、3年目になり、どんどん合わせも合ってきました。留学生とやるの楽しいな、と。アリウープとか練習中に何回も決まると、自分のプレイも良くなって、周りのプレイも良くなってくる。ディフェンスの質も高くなってきて。プレイ面で全員が良くなっていって。それで強くなれるし、さらに楽しい。これが一番です」
 
――コミュニケーションの取り方は?
「僕が普通に日本語で話して、手とか使いながら動いてほしい所について指示を出したり、ホワイトボードを使いながら伝えるとわかった、と言ってくるので。ある程度は日本語を理解している、と思います」52962
2020年10月、無観客試合で行われた新潟県・胎内招待試合での1シーン。相棒・ジャンPと。(撮影 清水広美)

 東山に入学し始まった米須の高校バスケ。その行く手には、どの大会でも福岡第一(福岡)が立ちはだかった。

 1年生のウインターカップ2回戦。2年生になり、鹿児島インターハイ準々決勝、茨城国体の準決勝(福岡対京都)、さらにウインターカップでも準決勝で対戦。

 注目を集めたのは、福岡第一・#8河村勇輝(東海大1年・172cm)と東山・#11米須玲音(175㎝)というタイプの異なる『ちびっこポイントガード対決』だった。1年生のウインターカップ2回戦では、東山54-83福岡第一で大敗。その試合、米須はプレイタイム37分43秒で、6得点、7リバウンド、5アシストを記録。初めての対戦で米須がもっとも気にした数字は、ターンオーバー『12』だ。ポイントガードとして致命的な本数だった。プライドを傷つけられた形で、試合後に号泣。河村のディフェンスにしてやられた形だ。2年生のウインターカップ準決勝では、東山59-71福岡第一で敗れはしたものの、河村に前回ほどターンオーバー(3本)を許さなかったのは成長した点だ。試合後、その河村から「来年は優勝しろよ」とエールを送られていた。

高校ラストイヤーはキャプテンに 
 いよいよ、高校ラストイヤー。チームリーダーでもある、キャプテンとなった。(※コメントは昨年8月時点)


「自分にとって最後の年。本当に泣いても笑っても、全部が最後の試合になる。キャプテンとして、る気がなかったら、周りもやる気をなくす。練習から声を出して、楽しく、みんなでやっていけば、自然と練習の質もあがるし。とにかく1日1日を大切にする。どれだけその時間を楽しむのか、というのが大事、と3年生になってそう思いました。去年のキャプテン脇阪凪人さん(京産大1年、今大会東山のアシスタントコーチとしてベンチ入り)も楽しんで練習をやっていたんですよ。それを目標に、それ以上に僕も楽しんでやれば、去年は3位でしたがその上の日本一が見えてくるんじゃないか、と。僕が楽しくやると、みんなも楽しくやる相乗効果も生まれる。大澤先生もわかってくれています。
 コロナで試合がないので、練習しかできない。試合があるから練習が頑張れる、というのが今まではありましたが、今年は試合がないというのがわかりきっていることなので、どれだけ対人練習などで質をあげていくかが大事になる」

東山ベンチ
左から、大澤徹也コーチ、脇阪凪人Aコーチ。昨年のキャプテン脇阪Aコーチはベンチを明るく盛り上げる役目を担った©JBA



 ――インターハイがなくなったときは?

ショックでした。ある程度発表前からわかってはいたけど、大澤先生から直接報告を受けたときは本当にどん底にまで突き落とされるくらいショック。その日はほんまに…1人になって、何も考えられなかった。インターハイがなくなって目標をどこに置いたらいいのかわからない。みんなで練習する時に大澤先生が中止になることについて話してくれました。モチベーションを維持しようという声がけはもらったんですが、中止が決まって1、2週間くらいは…モチベーションが下がった状態で練習をしていて。練習の質も全然上がらなくて、大澤先生にも強く怒られたり。切り替えるしかなかった。キャプテンとして落ち込んでいたら、みんなも落ち込むし、練習の質も上がらない。ウインターカップがあることを祈ってやるしかないかな、と。今はそれを信じて練習に励んでいます」 

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練習後、腰に巻かれたチューブをチームメイトに引っ張ってもらい、ドライブからのジャンプショットを繰り返していた(撮影 清水広美)

「東山はピック(スクリーン)が多い。ピックに行ってからのジャンプショットを最近練習しているんですが、ジャンプショットはスピードを上げて急に止まって打つ。それだと普通の練習になってしまう。少しでも足に負荷をかけて、しっかりとジャンプ。体幹もありますけど、どれだけ負荷をかけてもシュートをブレずに打てるか、と。普通の練習だと足に負荷がかからなくて。試合だとどんどん走って、ラリーが続いて息があがった中でシュートを打つ。そういう意味で、しっかり足に負荷をかけた状態で軸がブレないように意識して練習しています。(チューブを使ったシュート練習は)自分で考えました。他の人たちにディフェンスをやってもらって、ピックを使ってどれだけシュートに持って行くか。そこからセンターのディフェンスが自分の所に出てきたらパスを入れる判断する、という練習も取り入れています
 
――コロナの緊急事態宣言が出て、いつごろ地元・長崎に戻りましたか?
「大阪や(京都から)近くの人たちは、緊急事態宣言からすぐ帰りました。僕たちは…寮にいた期間も長かった。逆に休みすぎて日にちも覚えていない。帰省していた期間はちょうど兄が家にいたので。兄と一緒にトレーニングしながら、自分のトレーニングを手伝ってもらうことが多かったです」
 
――自分がイメージする理想のガードとは?
何でもできるガード。今までの2年間、あまり自分で攻めることがなくて、パスでなんとかしようと。そこから周りが点数を取るというのが多かった。3年生になり、自分でも攻めないといけないし、周りにも得点を取らせないといけない。ガードとしても、前からディフェンスでしっかりとプレッシャーをかけて、どれだけ相手に負担をかけてタフショットに持っていくのか。すべてをやりきりたい。オフェンスでもディフェンスでも何でも自分で。完成したガードというか、3年間でやってきたことをすべてその試合で出し切ることができたらいい
 
――マークも年々厳しくなる。その対策は?
「2年生のウインターカップ藤枝明誠(静岡)戦で、前半シュートが入っていて、後半少しフェイスガード気味にディフェンスされました。ボール運びをしていなくて、脇阪さんに任せて僕は2番になり、なかなかボールがもらえなくて。その時先生たちに、"マークを利用して、逆を突いたり、自分が犠牲になってスクリーンをかけにいくことをしていかなければ"、と言われました。その経験を活かして、今年もその場面があったらそれを思い出して、自分が犠牲になる動き、そして逆の動きというのを活かし、試合の中で考えてやっていきたい」
 
――気になるチームや選手は?
「福岡第一、あとは、福大大濠(福岡)、明成(宮城)。その3つは気になります。選手では福岡第一の#31ハーパー・ジャン・ローレンス・ジュニア。ライバルとして小学校から試合をしていたので、最後に高校生になって負けたくない」

――ウインターカップに向けて
「残りあと5か月くらい。長いと感じるかもしれないですが、僕たちからしたらすごく短い期間。残りすべてを完成しないといけない。1日1日どれだけ質の高い練習をするのかを求めて、自分から追求して、やっていきたい。ウインターカップに向けて、練習試合があまりできない中、1発勝負のトーナメント戦になって負けられない試合になる。1試合でどれだけ自分の最高のパフォーマンスを出せるか。残りの5か月は体力的にもメンタル的にも鍛えていけたら


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準々決勝 は近畿大会のライバル報徳学園(兵庫)。#20宇都宮陸(3年)はルーキーイヤーから活躍、PGとしてチームを牽引してきた。立場が分かる者同士がっちり握手をかわす©JBA

ガードとしての矜持
 今年に入り1月13日、B.LEAGUE川崎ブレイブサンダース(以下、川崎)から米須の特別指定選手加入のニュースが届いた。その記者会見で北卓也GMも明かした、米須のアシスト能力。ガードとして、パスの極意を聞いてみた。(※コメントは昨年8月時点)

「ただ単にパスを出すだけではなく、相手のもらいたいタイミングでパスを出す、シュートを打ちやすいようにして出す。パスを出してOKじゃなくて、どうやって相手にフィニッシュまで持っていかせるか。どれだけタイミング良く出せるか、というのを考えています」
 
――相棒のジャンPとはアイコンクトを取っている?
「ぱっと目が合ったりはしないです。ピックした後に自分がいこうとしているからパッとでも(ジャンPが)見えたら、そこにパスを出したら取ってくれる。低いパスだと日本人だったり周りのディフェンスに取られたりするけど、リーチの長さ(232㎝)があるから上に出せば取ってくれる。その空間に出すことを常に意識しています。大澤先生からも低くならないように言われています。もし、ジャンPが手を伸ばした上を越えてアウトオブバウンズになったとしても、ターンオーバーにはなるけど、相手は速攻を出せないから。しっかりと相手のディフェンスの上、ジャンPがぎりぎり取れる場所を目安に。
 
 最初からはできませんでした。中学までは留学生と一緒にプレイしたことがない。高校1年目は低いパスばかりで怒られ、ターンオーバーも多かった。2年目になって高いパスを意識するようになってからだんだんと上手くなったかな。3年目からはできるようになって、そこからのパスカットをされることがなくなってきました」
 
ーー大澤先生は『玲音は2年生シューターの成長で新しいおもちゃを手に入れた』と言っていました。彼らに出すパスはまた違うのですか?
「#4西部秀馬(2年)は自分がいつパスを出しても走る準備はしている。#5堀陽稀(2年)はあまり外を打つ感じではなく、#8堀田尚秀(2年)に関してはスリーポイントで、速攻はとりあえず中を見ながら、中にパスを出させると見せかけて、遅れてあいつが来るのを待っていて、どフリーで打たせる。ふわんとしたパスはなく、ストレートのパスを出すようには意識しています。やらないフリをして、あいつが後ろから来たらパスを出して自分がスクリーナーとして。スリーポイントの距離関係なく打てるので。そういう意味では、去年よりパスの出し所が増えたので、助かっています。パスの出し所がジャンPだけじゃなくて、堀田が増えたし、自分がピックに行った時に相手のディフェンスがこっちを見ていたら、堀や西部たちが段々裏を突く動きができるようになってきて。そこでパスが何本か通って得点につながっています」

――コートの中のどこを見ていますか?
「全体をある程度見ています。見すぎると、相手にばれる。自分は常にサイドを見るようにしていて、ピックを使うときは留学生との駆け引きが必要になる。留学生と駆け引きしながら、ジャンピPは高さがあるからサイドで見れる。あとは、堀や西部への裏パスや、サイドにパスを出すのを常に意識しています。どこを見ているかは意識していないけど、相手に目線で感じられてしまう部分がある。目線でこいつはここにパス出すだろう、と思っているから、その逆を突く。目でも騙して、相手がここにパスが来るだろうと予測した違う所に出す。誰がどこにいるか、誰がどこでどうフリーになっているは把握しているつもりです。それは小さいころから意識してきたことです。例えばフリーになって、堀田が後ろから走ってくる。西部が切れて、そうしたら堀田が空くから。ディフェンスが自分の目を見ていたらそこにパスを出すと見せかけて、そこでもう1度切れてきた西部にパスを出す、とか。切れたときでも堀や西部、#7中川泰志(3年)にも言っているんですが、「切れても自分との目は離すな」と。「どこでもパスは出すから、どこでもパスが来ると思って切れろ」と言っています」


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東山のシューター#7中川泰志。決勝では出足劣勢からドライブで東山の活路を開いて、反撃に転じた©JBA

――その習慣はミ二バスから?
「そうですね。ミニバスの時は遊び感覚でやっていて、それが中学、高校と遊びのパスを出していたらだんだん視野も広がって、いいパスとなり、自分のプレイも広がっているんじゃないかと思います」

取材・文 清水広美

→(その3)はこちら

 その3では、ウィンターカップの決勝ラストシーンを振り返り、新たな道となる大学バスケとB.LEAGUEに向けて、そして最後にこれまで米須のそばに寄り添ってきた兄・楽人、そしてミニバス時代をともに過ごし、今もなお切磋琢磨する黒川選手の2人からコメントをいただいたので、それを伝えたい。

スタータコール
高校ラストゲームを終え、米須は次のカテゴリーへ突き進む©JBA

ウインターカップ決勝ラストシーン
 2020年ウインターカップ決勝のラストシーン。ラストショットはマークが寄っていた米須から、来年キャプテンを務める#5堀へ。逆転を願うスリーポイントが放たれたが、明成・#8山﨑一渉(2年)がブロックショット。東山の、そして米須兄弟の夢でもある「バスケットで日本一」は叶わなかった。

 米須は顔をおおい、下を向いたまま立ちあがることができなかった。大澤徹也コーチに「最後までやれよ」と抱き起こされ、次に明成への祝福から帰ってきた#9ジャンPが慰め、次に#5堀が駆け寄り、最後にもう一度#9ジャンPと東山の選手たちが次々に米須の元へ励ましにやってきた。

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相棒ジャンPが、失意の米須をそっと支える。©JBA

「ウインターカップは1年生の時に福岡第一に2回戦で敗退。2年目もまた福岡第一に負け、3位という悔しい思いをしてきました。1年目から試合に出て、3年目は先輩たちの気持ちも背負って戦いました。(明成との)決勝も自分たちがずっとリードしていて、追い上げられた時間帯で最後に明成の流れを止めることができなくて、逆転負け。これで高校バスケが終わってしまった。日本一になることもできなかった。ウィンターカップの京都府予選から兄は見ていてくれて、恩返しもできなかった。いろんな思いが全部頭の中に浮かんできました。
 
 自分から#9ジャンPへのパスがいつもなら通るんですけど、明成は選手全員がデカかった。自分たちの代では初めての対戦で、ゾーンでくるのはわかっていましたが、その高さが自分が思っていた以上に高かった。ハーフコートでパスをつないで運ぶという練習をしていたので、ドリブルで運ぶという手段は自分にはなかった」

川崎ブレイブサンダースの特別指定選手。そして日本大へ
 今年1月13日に川崎への特別指定選手加入が発表され、その後チームに合流した米須に再び話を聞いた。

ーー日本大(以下、日大)への進学理由と今後の目標について
「大学卒業後はプロ選手になる、とずっと以前から決めていました。ブロ選手をやめた後は教員になって、指導者として関わりたい、と考えています。教員免許を取ることも日本大(以下、日大)では可能です。大学に入ってすぐにでも試合に出たいし、自分にとってどの大学が向いているか大澤先生とも話し合い、お前には日大があっているよ、というアドバイスをもらいました。先生の母校でもあり、学部のことも細かく教えてくれました」

――大学での目標について
「1年生から試合に出て活躍すること。4年間で、高校で取ることができなかった”日本一”を取ること。そして、大学でしっかり学んで、またプロバスケットに戻ってくることです」

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胎内招待試合(2020年10月)のあと「自分たちの弱点がわかりました。僕はこれから鬼になります」と、宣言。士気を鼓舞してきた。©JBA

兄・米須岳人から見た米須玲音
「(ウインターカップ決勝・明成戦の)ラストショットは玲音に打ってもらいたかったですね。入っても、入らなくても。だけど、あいつは冷静で、自分にマークがきていたので、#8堀田にパスをしたと言っていました。勝っても負けても玲音が打つことでみんなが納得したんじゃないかと思いました。

 玲音の最後のウインターカップが終わったことで、自分も一区切りつきました。就職活動をして、すでに地元長崎から大阪へ。今は余裕がないので、慣れてきたら、クラブチームに入ったり、指導に興味がでてきたので、コーチ・ライセンスの資格を取ることも考えています。もちろん、玲音の大学バスケ、川崎での応援もしていきます」

――玲音へのメッセージ
「兄弟だから、あまり(褒めることは)言いたくないんですが、ウインターカップは本当に凄かった。今までいろんなうまい選手を見ても、自分ならこうやるとか、真似してみたくなりました。でも、今大会の玲音のプレイは凄すぎて、そんなことも思えないほどでした。

 僕がつけていた11番を玲音がつけてくれたのは嬉しいです。川崎では3番、日大でも最初は3番をつけるようです。3であろうが、11であろうが、”何番といえば米須”といわれるような選手になってくれることが僕の望みです」

黒川虎徹(東海大1年)からみた米須玲音
「志佐小ミニバスで(米須が)一つ下でした。玲音の兄・楽人さんの弟なので幼稚園のころからちょくちょく練習にも来ていたし、試合にも付き添いについてきていたので、やるだろうなとは思っていました。小1のときはキューピーちゃんみたいでした(笑) 下級生のときは普通にチームメイトでしたが、試合に出るようになってからですかね、バチバチになったのは。自分が第1クォーターで、玲音が第2クォーターとか。お互い負けず嫌いだからこそ、口には一切出しませんが、競い合うようになりました」

――(米須が)小学2年生のときテレビに出た映像を見ましたが、足元まで食らい付くディフェンスをしていて、"これが小2?か"と驚きました。
「何人か小さい子たちがいて、ゾーンをしていましたが前線でめっちゃ動き回るディフェンスをしていました。パスも先の先を読め、とか、人と違うところを見る、とか。人の見てないところにパスを出してふいをついたり、どういうシチュエーションになったらこういうパスをするとか。ビハインドパスもあるよ、とかいろいろ教わりました」

――黒川選手も高校入学前に初めて見たとき、全部ビハインド・バックパス。それに驚きましたが、それが普通だったのですか? 
「普通でした。練習でも、基本練習のあとに応用がありました。自分たちのミニバスは入りたての最初は徹底的に基礎をやらされます。だから、他のチームと比べても精度の高いパスやドリブルのスキルも高い。玲音とはバチバチのライバル関係で、そのときからパスセンスは長けていたし、プレイスタイルも人と違う空間に出すパスや、ピンポイントに落とすタッチダウンパスはミニバスから変わってない。東山に行くと聞いて、ミニバスで身に付けたことに加えて、自分の得意なことを磨いていてすごいなぁと。自分とプレイスタイルが似ているからこそ、シュート力や、自分に出せないパスを出したり、リスペクトする部分もある。高校では2回対戦しましたし、ウインターカップも準決と決勝を見ました」 

――米須へのメッセージ  
「高校からブロの特別指定選手になるとは、”やられた”と”おめでとう”というのがごちゃまぜの気持ちになりました。ミニバスから知っているからこそ、負けたくない。現時点では自分は劣っている。プロの世界で玲音はさらにレベルアップしていると思うけど、自分も焦らずに目の前のことを一つ一つつぶしてやっていけば、次に当たった時にしっかりいい勝負ができると思う。お互い高めていける環境になればいいですね」

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2回目の決勝も手が届かなかった「日本一の栄冠」。東山の悲願は次の世代に託された。©JBA

取材・文  清水広美