【WC2021】 初出場を経験してわかったこと その2 習志野市立習志野(千葉県男子代表)
ウインターカップこそ初出場を果たした千葉男子代表・習志野だが、かつてインターハイでは優勝経験もある古豪チーム。1988年(昭和41年)、秋田で開催された第19回大会で日大山形を1点差で破り、初優勝を遂げている。千葉県勢としても初めての栄冠だ。
前回の記事(【WC2021】初出場を経験してわかったこと 1~市柏(千葉県女子2位)~)でふれたように、今大会でウィンターカップ初出場を果たした習志野の黒田 裕コーチも2001年宮城国体で千葉選抜優勝メンバーとして主軸を務めた選手だった。
「4Qで勝負を仕掛けようと思っていました。そこまでは我慢、我慢。自分が選手の時以上に我慢しました。もしも10点以上離れたらもっと早く仕掛けようとしましたが。思惑どおり、ラスト5分で逆転しました。リバウンドとゴール下で頑張っていた#33内山叶人を残して4人のプレス隊を投入。相手の足が止まって、そこからうちの流れになりました。同じ千葉の昭和学院をはじめ今大会他のチームもプレスで終盤逆転しているパターンが多い。その準備はしてきました。それがはまりました」(黒田コーチ)
#33内山叶人(2年/C/187cm)は初戦vs広島皆実で27得点、26リバウンドの活躍で勝利に貢献 写真@JBA
キャプテン#79伊星洲一郎とともにエースとして牽引した#23中村文哉は、
「ベンチにいる選手もコートにいるメンバーもお互い声をかけていました。初めてやるコートで緊張もしていました。後半はみんなに助けられました。全国はいろんな有名な選手がいて、わくわくするような気持ちが伝わってきました」と、初勝利の興奮を隠しきれない。
試合終了後、習志野のOBであるBリーグ・千葉ジェッツふなばしの原修太が富樫勇樹とともに後輩の応援に駆け付け、感激を分かち合う。大会前に原は自分の背番号『31』にちなんで、8面体のボール31個を母校にプレゼントしてくれたそうだ。
選手から指導者へ。黒田コーチが最も神経をつかったのは、いかに高校生たちをリラックスさせて臨ませるか。試合前、選手たちの顔からも緊張が伝わったきた。
「リラックスさせるような冗談まじりの声をかけました。ビシバシと厳しい言葉をかけると、パフォーマンスを出せないタイプが多いので。そこはのびのび、フレンドリーな空気を心がけました。なっ! 文哉」 と、黒田コーチの言葉にニッコリと頷く#23中村文哉。
今の時代の子供たちのタイプと、自分自身が選手の時にそう声がけされたらもっと思い切りやれたかな、という経験をもとにやっているのだと言う。
続く2回戦では今大会の優勝校・福大大濠に68-127と大敗を喫した。初出場から一足とびにジャンプアップは至難の業。手探りながら、実力向上を模索する日々はこれからも続く。しかし、チームのテーマである❝雑草の如く 逞しく ❞という戦いのファーストステップは残せたのではないか。
(取材・文 清水広美)
【WC2021】初出場を経験してわかったこと 1~市柏(千葉県女子2位)~
女子2位代表の市柏・高木賢伸コーチは、千葉男子代表の習志野・黒田裕コーチとともに2001年宮城国体で千葉選抜優勝メンバーとして主軸を務めた選手だった。
市柏の一つ下の学年にはBリーグ・三遠ネオフェニックスの太田敦也がいまなお現役プレイヤーとして奮闘、また今大会前のインターネットによる組み合わせ発表の司会者として、現在はタレントとして活躍してる副島 淳さんも市柏の後輩に当たる。
この2人以外にも、男子市柏に先輩に当たる稲野辺聡、キャプテンを務めた秋元啓人が鎌ヶ谷と、千葉県内の中堅指導者として切磋琢磨を重ねている。
2021年となり、高木コーチ率いる市柏女子は、北海道の強豪・札幌山の手と対戦。前半の拙攻が響き、52ー98で大敗と全国大会の洗礼を受けた。
「これが全国か! うちは下馬評からいっても負けて当然。チャレンジャーとして挑戦を楽しんでいこうと話していました。ただ、それを上回る強さがあった。やはり簡単ではない。我々の20年前もそうでした。
3年生にこの場につれてきてもらったので、次は全国の基準として思っていた以上のパフォーマンスをするための練習を積み重ねていくことが必要だと痛感しました」と、高木コーチは全国の手応えを語る。
当時の戦いも東京体育館。初戦はサブアリーナ、2戦目はメインコートで戦った。
「高校バスケットの祭典として、すごくいい場所で試合をさせてもらいました。選手時代だけでなく、コーチとしても選手につれてきてもらえるのはありがたいこと。
指導者になって女子のチームをみることは自分自身でも予想外でした。6年目を迎えて、女子は男子ほどの能力差はない。合わせの練習をしていけば、面白さを感じています。3年を中心に自分たちのバスケットをやっていこうよ、とコロナ禍の時期も含めて、上を向いて引っ張ってくれました」と、試合に出ることが少なくてもリーダーシップを発揮してくれた3年に高木コーチは感謝を忘れない。
チーム最長の32分37秒出場となった3年・#5細野未琉香(176cm/C) 写真@JBA
今年のウインターカップ千葉県予選に、市柏のチームメイト、先輩、後輩のチームが上位に多く進出したことについては「たまたまですよ」と笑いながらも、大きな刺激を受けたという。
スタートから3年2人が抜けるが、新チームはほとんどの選手が残る。主体性を持って、自分たちのバスケットスタイルを求めていけるのかが大事な部分とみる。
「新人戦はゼロからスタートを切っていきたい」と、高木コーチは前を向いている。
(取材・文 清水広美)
【WC2021】親子鷹の挑戦 その1 県立日川(山梨県男子代表)の場合
山梨県代表・日川は、平成24年度に文部科学省よりスーパーサイエンススクールに指定された山梨屈指の進学校。❝文武両道❞ ❝質実剛健❞をテーマにしている。
進学を控えた3年はウインターカップを前に引退をする選手が多い中、今年は昨年からの主力を務める3年は最後のこの大会まで続けてきた。
県内には留学生を擁する日本航空、フィジカルの強さを誇る東海大甲府がいる。日川にそこまでの高さと強さはなく、失礼ながら普通のチームに見える。しかし、ひとたびボールを持ち、試合が始まると日川の強さがすぐに理解できた。選手層は厚くないものの、主力はみなボールハンドラー。バックドアプレイもなんなくこなす。上背がなくても、あうんのコミュニケーションと、バスケIQの高さ、個々の技術でカバーしている。ブレイクで1対1の状態でも、振り返らずともうしろから走ってくるチームメイトの気配を察し、自分の股下からバックバウンズパスを繰り出す。成功や失敗に大きなリアクションはないが、共通理解の楽しさを知っているチームだ。
(写真)今回主役の一人・#19古田大也(3年/PG/176cm) 写真@JBA
ゲームメイカーの一人、#19古田大也は初戦の松山学院戦で23点、3ポイント(11本中6本成功)、10リバウンド、8アシストとあわやトリプルダブル。しかも、大会前のケガから復帰したばかり。29得点、10リバウンドを稼いだ#エース8藤崎郁海とともに奮闘を見せた。
日川といえば、新聞、書籍、そしてテレビドラマ化された『左手一本のシュート』の伝説を覚えている人も多いはずだ。2010年沖縄インターハイ予選でのOB田中正幸さんが脳内出血から右半身麻痺となりバスケット部に復活。献身的にチームを支えた田中さんにスペシャルフォーメーションを作ろうと提案した古田厚司コーチ。その古田先生こそ、#19古田(以下、大也)の父である。
もっとも
「俺は1度たりとも(日川に)誘っていない」と父・古田コーチがいえば、
「親に教わる気持ちはさらさらなかった」と返す息子。
2人とも親子でやりたいからというわけではない、と強調する(笑)
大也が日川にきた理由は、中学時にジュニアオールスター時のチームメイト陣が皆日川に進学することを決めたからだ。あのバスケット感覚を再び感じたい。もう一度あのメンバーとともに、全国大会に出たいという気持ちに抗えなかったからだ。そして、最後のチャンスをものにした。
チームとしては23年ぶりのウインターカップ出場だが、古田コーチにとって冬は初出場。初戦の松山学院(旧・松山城南)を92-40と撃破。しかし、続く福島東陵に破れた。プレイの要所でいつもより身体が重そうに感じた。
『昨日の初戦を思いきりやって成果が出たことはよかったが、見えない精神的な疲れと体力面の疲れは感じたかな。本来ならスペースをとってカッティングするのに、重そうだった。本来のプレイ、連携が出し切れなかった。この経験を1、2年が感じてくれれば役割を果たした、と思う』(古田コーチ)
『みんなで、文武両道の日川でやろうと勉強も頑張ってきました。初戦はブレイクが出て気持ちよくプレイできましたが、今日は本来のプレイがでなくて悔しい』と、31点を取った#8藤崎は唇をかむ。
『自分たちの身長が低いのでコンタクトで削られて走られてしまったのが今日の点差。でも、ずっと積み上げてきたものが最後に全国大会に出られて、自分たちのバスケットができたのは非常に良かった。
自分がバスケットを始めたきっかけは父が指導していたから。少しでも勝ち進んでいきたいなと思っていたんですが、今は3年間指導してくれたことに感謝しています』(#19大也)
それこそ、日川のたれ幕にある、『夢現』がこのウインターカップで体現できたといっていい。
最後の勝負を終え、息子から素直な気持ちが口をついた。
(取材・文 清水広美)
【WC2020】~東山・米須玲音~キラーパスのルーツはミニバスから 兄弟で目指した日本一への挑戦は続く(その2)

――東山に進学した理由は?
「東山か地元の高校に進学か、2つの選択肢で迷いました。家族と話し合い、僕は”将来プロになりたい”という想いがすごく強かった。プロになるには、地元に残るより東山に行き、大学に行くという青写真を描いていました。(自分の実力を)全国大会に出て見てもらう。地元長崎の高校は九州なので、見てもらえる機会が少ない。東山に行って自分が活躍して色んな先生や大学の人たちに見てもらい、プロに行く。大学進学を考えても、プロになるためには東山に行かないとなれない、と思って選びました。実際に入ってみて、本当に良かったな、と本心から思います」
――現在、高校バスケット界の上位校はほぼ留学生がいます。東山・#9ムトンボ・ジャン・ピエール(以下、ジャンP)とコンビを組めたことは大きいですか?
「#9ジャンPは、今年の留学生の中でもナンバー1と言ってもおかしくない。彼は僕が言ったことをちゃんと理解してやってくれます。落ち着いていて、ウィングスパン(232㎝)も長い。そういう面では、コンビを組めたことは嬉しかったです。こんな留学生がいるんだな、と。1年生のころからずっとやってきて、3年目になり、どんどん合わせも合ってきました。留学生とやるの楽しいな、と。アリウープとか練習中に何回も決まると、自分のプレイも良くなって、周りのプレイも良くなってくる。ディフェンスの質も高くなってきて。プレイ面で全員が良くなっていって。それで強くなれるし、さらに楽しい。これが一番です」
――コミュニケーションの取り方は?
「僕が普通に日本語で話して、手とか使いながら動いてほしい所について指示を出したり、ホワイトボードを使いながら伝えるとわかった、と言ってくるので。ある程度は日本語を理解している、と思います」

東山に入学し始まった米須の高校バスケ。その行く手には、どの大会でも福岡第一(福岡)が立ちはだかった。
1年生のウインターカップ2回戦。2年生になり、鹿児島インターハイ準々決勝、茨城国体の準決勝(福岡対京都)、さらにウインターカップでも準決勝で対戦。
注目を集めたのは、福岡第一・#8河村勇輝(東海大1年・172cm)と東山・#11米須玲音(175㎝)というタイプの異なる『ちびっこポイントガード対決』だった。1年生のウインターカップ2回戦では、東山54-83福岡第一で大敗。その試合、米須はプレイタイム37分43秒で、6得点、7リバウンド、5アシストを記録。初めての対戦で米須がもっとも気にした数字は、ターンオーバー『12』だ。ポイントガードとして致命的な本数だった。プライドを傷つけられた形で、試合後に号泣。河村のディフェンスにしてやられた形だ。2年生のウインターカップ準決勝では、東山59-71福岡第一で敗れはしたものの、河村に前回ほどターンオーバー(3本)を許さなかったのは成長した点だ。試合後、その河村から「来年は優勝しろよ」とエールを送られていた。
高校ラストイヤーはキャプテンに
いよいよ、高校ラストイヤー。チームリーダーでもある、キャプテンとなった。(※コメントは昨年8月時点)
「自分にとって最後の年。本当に泣いても笑っても、全部が最後の試合になる。キャプテンとして、る気がなかったら、周りもやる気をなくす。練習から声を出して、楽しく、みんなでやっていけば、自然と練習の質もあがるし。とにかく1日1日を大切にする。どれだけその時間を楽しむのか、というのが大事、と3年生になってそう思いました。去年のキャプテン脇阪凪人さん(京産大1年、今大会東山のアシスタントコーチとしてベンチ入り)も楽しんで練習をやっていたんですよ。それを目標に、それ以上に僕も楽しんでやれば、去年は3位でしたがその上の日本一が見えてくるんじゃないか、と。僕が楽しくやると、みんなも楽しくやる相乗効果も生まれる。大澤先生もわかってくれています。
コロナで試合がないので、練習しかできない。試合があるから練習が頑張れる、というのが今まではありましたが、今年は試合がないというのがわかりきっていることなので、どれだけ対人練習などで質をあげていくかが大事になる」

――インターハイがなくなったときは?
「ショックでした。ある程度発表前からわかってはいたけど、大澤先生から直接報告を受けたときは本当にどん底にまで突き落とされるくらいショック。その日はほんまに…1人になって、何も考えられなかった。インターハイがなくなって目標をどこに置いたらいいのかわからない。みんなで練習する時に大澤先生が中止になることについて話してくれました。モチベーションを維持しようという声がけはもらったんですが、中止が決まって1、2週間くらいは…モチベーションが下がった状態で練習をしていて。練習の質も全然上がらなくて、大澤先生にも強く怒られたり。切り替えるしかなかった。キャプテンとして落ち込んでいたら、みんなも落ち込むし、練習の質も上がらない。ウインターカップがあることを祈ってやるしかないかな、と。今はそれを信じて練習に励んでいます」

――コロナの緊急事態宣言が出て、いつごろ地元・長崎に戻りましたか?
「大阪や(京都から)近くの人たちは、緊急事態宣言からすぐ帰りました。僕たちは…寮にいた期間も長かった。逆に休みすぎて日にちも覚えていない。帰省していた期間はちょうど兄が家にいたので。兄と一緒にトレーニングしながら、自分のトレーニングを手伝ってもらうことが多かったです」
――自分がイメージする理想のガードとは?
「何でもできるガード。今までの2年間、あまり自分で攻めることがなくて、パスでなんとかしようと。そこから周りが点数を取るというのが多かった。3年生になり、自分でも攻めないといけないし、周りにも得点を取らせないといけない。ガードとしても、前からディフェンスでしっかりとプレッシャーをかけて、どれだけ相手に負担をかけてタフショットに持っていくのか。すべてをやりきりたい。オフェンスでもディフェンスでも何でも自分で。完成したガードというか、3年間でやってきたことをすべてその試合で出し切ることができたらいい」
――マークも年々厳しくなる。その対策は?
「2年生のウインターカップ藤枝明誠(静岡)戦で、前半シュートが入っていて、後半少しフェイスガード気味にディフェンスされました。ボール運びをしていなくて、脇阪さんに任せて僕は2番になり、なかなかボールがもらえなくて。その時先生たちに、"マークを利用して、逆を突いたり、自分が犠牲になってスクリーンをかけにいくことをしていかなければ"、と言われました。その経験を活かして、今年もその場面があったらそれを思い出して、自分が犠牲になる動き、そして逆の動きというのを活かし、試合の中で考えてやっていきたい」

ガードとしての矜持
「全体をある程度見ています。見すぎると、相手にばれる。自分は常にサイドを見るようにしていて、ピックを使うときは留学生との駆け引きが必要になる。留学生と駆け引きしながら、ジャンピPは高さがあるからサイドで見れる。あとは、堀や西部への裏パスや、サイドにパスを出すのを常に意識しています。どこを見ているかは意識していないけど、相手に目線で感じられてしまう部分がある。目線でこいつはここにパス出すだろう、と思っているから、その逆を突く。目でも騙して、相手がここにパスが来るだろうと予測した違う所に出す。誰がどこにいるか、誰がどこでどうフリーになっているは把握しているつもりです。それは小さいころから意識してきたことです。例えばフリーになって、堀田が後ろから走ってくる。西部が切れて、そうしたら堀田が空くから。ディフェンスが自分の目を見ていたらそこにパスを出すと見せかけて、そこでもう1度切れてきた西部にパスを出す、とか。切れたときでも堀や西部、#7中川泰志(3年)にも言っているんですが、「切れても自分との目は離すな」と。「どこでもパスは出すから、どこでもパスが来ると思って切れろ」と言っています」

――その習慣はミ二バスから?
「そうですね。ミニバスの時は遊び感覚でやっていて、それが中学、高校と遊びのパスを出していたらだんだん視野も広がって、いいパスとなり、自分のプレイも広がっているんじゃないかと思います」
取材・文 清水広美
→(その3)はこちらへ
【WC2020】~東山・米須玲音~キラーパスのルーツはミニバスから 兄弟で目指した日本一への挑戦は続く(その3)

米須は顔をおおい、下を向いたまま立ちあがることができなかった。大澤徹也コーチに「最後までやれよ」と抱き起こされ、次に明成への祝福から帰ってきた#9ジャンPが慰め、次に#5堀が駆け寄り、最後にもう一度#9ジャンPと東山の選手たちが次々に米須の元へ励ましにやってきた。

ーー日本大(以下、日大)への進学理由と今後の目標について

黒川虎徹(東海大1年)からみた米須玲音













