2016年05月24日

響き合う心118 現代人の特徴

 ―― 現代人は共感性に欠け、衝動的でもあると言われていますね。

 各人が生活を自己完結できれば、勝手に生きてよい、しかし・・・

 「これは豊かさと平和が長く続いたためです。現代日本人と言ってもいいですね。世界中の人間がそうであるかどうかは別ですので。豊かさと、平和がこんなに長く続くと、自分勝手に生きても、かなり安定した生活ができるわけなんですね。自分勝手というのは、その日その日は生きやすくて気楽ですけども、人間は、本来社会生活を営むのが大きな特性ですから、各人が各様に生活をすべて自己完結できれば、自分勝手に生きてもいいんですが、そうはいかない。自己完結できないので、人間は豊かさと平和が長続きすると自分勝手になりすぎてしまうというところがあるわけです。決して自己完結はできないですね。誰か一人が病気をした時など一つの家族の生活を維持して行くだけでも難しいのですから。

 現代人は公的な所に責任をかぶせて勝手な生活をする

 ですから人間は多くの人に依存しなければいけないですね。ところがみんなが自分勝手に生きる気安い気楽な生活をする習慣を身につけてしまったために、面倒なことはみんな公的機関にあれこれと頼るようになったんです。そのことはマスコミの姿勢を見ても極めて象徴的だと思うんですが、個人の非を指摘するようなことは、記事にほとんど書かない。公的なものを非難することは声を大にして書くんですね。だからマスコミも含めて、日本人全体がそうなったと言ってよいと思うんですね。公的な所に責任をたくさんかぶせて、各人は割合自分勝手な、気ままな生活をしようとするようになったのが、基本的には現代人の特徴だと思います。老人は老人福祉保障でやって欲しいとか、幼い子どもの育児も朝早くから夜遅くまで保育園をはじめ学童保育でやって欲しいとかですね。学校には、本来家庭で親がやるべきしつけも含めて、何でもかんでも全部期待してしまうというように。大人たちは各自がこういうふうに仕事をしてとか、あんなふうにレジャーを楽しむ生活を送りたいとか、どんどん欲求が肥大してきて、言ってみればそのしわ寄せと言ってもいいと思いますが、みんなの足りることを知らない欲望の実現を公的な役所、機関で請け負わざるを得ないというのが現代の我が国の風潮ではないですか。いいとか悪いとかでなく、そういうことをみんなが言ってられるだけの豊かな世の中になったということだと思います。

 義務や責任を果たす感覚は現代人からは減りつつある

 では、そういうことを子どもの側から見ますと、子どもも、自分の問題やいろんなことについて主張したり誰かに要求して頼ろうとする。親や大人たちが役所や公的機関にあれこれ要求し頼ろうとしているものを、子どもはどうするかというと、親に向けようとするわけです。社会的な問題に対して私たち一般に大人や親も自分の方から積極的に責任や義務を果たそうとしない風潮が強くあります。どんな責任や義務を果たさなければならないかは、その時代時代によって違うと思いますが。あるいは世界の国々によって、地域の差があると思います。発展途上国では、水汲みだとか田畑の仕事だとか家事、育児だとか、子どもが手伝わねばならない国もあるでしょうし、日本の子どものように、そういうことは一切しなくてもいいという国もあるでしょうね。村のいろんな仕事の義務を、村人がみんな分かち合ってしなければならないというところもあるし、役所がみんなやってくれるという日本のような社会もあるというように、義務や責任を各人がどう果たし合わなければならないかという決まりはないんですね。まるでほとんど何事も義務や責任をもっとも果たさなくてもよいのではないかと思えるくらいになっているのが今の日本の社会だと思うんですね。ですから、義務や責任を果たすという感覚はどんどん現代人からは消えていっていますよ。子どもも同じことなんですね。子どもが義務や責任を家庭の中で果たさなくてよくなっている。社会の中で親もまた果たさないというわけです。

 親が役所に要求するように、子どもは親に要求してくる

 そして権利や要求の主張ばかりを、親が社会に向かってする。役所や学校に向かってするというのと同じように、子どもは親に向かってするわけです。だから今日の社会の中では、役所が住民に対して、ゴミの処理や子どもの保育などまるで無制限とも思えるくらいに次々と、むずかしいことをいろいろしなくてはならなくなります。同じように子どもが物理的な力、要するに腕力をつけてくれば、あれこれ要求してくるし主張もするわけです。ゴミの焼却炉や障害者の施設を近くに建設するのを反対する住民パワーのように、家庭内暴力をふるう子どもが増えてくるという仕組みは厳然としてありますよね。ですから、それは大人たちが役所や学校やその他の公的機関に向けてするように、子どもは親に向かって座り込みもすれば、ストもする。暴力も振るう、これは現代人の精神心理の特徴だろうと思いますね」。

佐々木正美著 人 愛 こころ より

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2016年04月20日

響き合う心117 長所と短所

―― 誰でも長所と短所、欠点というのは持ってるわけですね。その欠点を指摘されると人間はそれを反省してよくなっていくかというと、どうもその欠点通りの人間になっていくような気がします。のろまと言われるとのろまの子になるような・・・。

 子どもたちへの指摘は、長所を多く、短所は少なめに

 「そうですね。まず長所の方をたくさん指摘され、それから短所の方をちょっぴり指摘されると、非常に短所に対する取り組みがよくなるんです。というのは、自信のない子は自分の弱点なんか直せませんね。自信のある子は直せると思いますけどね。だから子どもたちに指摘すべきことは、長所をたくさん、短所は少なくていいということです。たいてい、間違った教育というのは、長所をあたりまえに見過ごしておいて、欠点の方を一生懸命修正しようとするところです。そこに教育がうまくいかない理由があるようです。私たちはうっかりすると、長所より短所の方に敏感になって、そこを直そうとする。子どもの希望に応えるより、親の希望や教師の希望に応えてもらおうとするようなことをたくさんやります。まずは、これを反対にすることです。

 どんな面も外側から見ると長所、別の側から見ると短所

 どんな長所も別の面から見れば短所、どんな短所も別の面から見れば長所になるんですね。どういうことかというと、例えば、学校で忘れものが少ない子というのは、一般的にいうと神経質で臆病な子ともいえます。忘れ物が少ないという意味では注意深いし、用心深いし、ある意味では長所です。ところが臆病だとか、神経質、不安が強いという意味では短所ですね。ですから、ほどほどに忘れる子がいいんだと私は思っているんです。程度問題ですから、全く不安がなくて年中忘れ物をしているというのでは、これまた困るでしょう。そのように、どんな面も片側から見ると長所であり、反対側から見ると短所になるのです。自分の子どもはこんな欠点があって困っていると思っても、それも別の面から見ると長所なんですね。だから同じ性格を、欠点にみてしまうか長所にみるかということがあるでしょう。

 小さい時であればあるほどかたづけの上手な子は心配

 子どもの中に、まれに持ち出したおもちゃを親の言うままに、ちゃんと片付けてから次のおもちゃを出すという子もいるんですね。それを、いつも片付いていてきれいだから長所だというかもしれないが、そんな子がいたら、ある意味では心配ともいえます。遊びというのは、いったん中断して片付けて気持ちを入れ替えて次を遊びをなんて、そんな勢いのないものではないのですね。やりたい時にはワーッとやりたいということでしょう。子どもというのは、思いっきりヘトヘトになるまでおもちゃを出して遊んで、終わった時にはくたびれて、もう散らかしたおもちゃを片付ける元気がないというほど精いっぱい遊ぶものです。ある意味からすればこれが本当に健康な状態です。そうしますと片付けが下手な子とか、汚し放題散らかし放題の子とかいうように親からは見える。だけどそれはむしろ長所なんです。程度の問題はあるかもしれませんけど、小さいときであればあるほど 片付けの上手な子は、遊びへの活力や意欲が乏しいともいえるわけで、心配でしょうがないのです。ですからどんなものも、長所、短所というのはみんな背中合わせなんです。一つのものをどこから見るかによるわけですね。どんなものも、そのまま短所であり長所ですから、この子はこんないい点があると親が観ていると、それはとんでもない短所であったりします。

 障害児の兄弟姉妹は、”思春期危機”になりやすい

  この頃、心身障害の子どもに会っていて思うことは、心身障害の子の兄弟というのは、小さいときには大変親に協力的でいいのですね。なぜかというと、幼い心にも親の苦労がわかるから無理を言わず協力的なんですよ。ところが、思春期の頃になるとかなりたくさんの若者たちが、自立性や、自主性の乏しい、そして情緒的に不安定で荒れやすくなりますね。それはなぜかと言うと、小さいときにいい子であり過ぎたんです。いい子というのは長所に見えます。聞き分けがよくって、協力的で、わがままを言わない。だけどそれは自主性とか主体性を極度に殺して大きくなってきたわけでして、思春期に至って自分が自立していくための進路をしっかり見極めなければならない時に、自分というものが見えてこないわけです。ですから思春期に特有の混乱を起こしやすい。いわゆる”思春期危機”という状態に、非常に多くの障害児の兄弟がなりやすいんですね。そのことで今はよく注意するように家族に呼びかけているんです。

 自分を殺すことや我慢することは、自分を見失うことである

 そのように、一般に長所という場合には、親とか社会とか、周りの人にとって都合のよいことが長所になっていて、都合の悪いことは短所になっているわけですね。それから、年齢も考えてあげなくてはいけないですね。自分の気持ちを抑えて我慢するということは、立派なことに見えますけど、実は、幼い頃からそれをやり過ぎることは自分を見失うことでもあるのです。自立を妨げることでもあるのです。そういう意味で、どういう我慢というか、どの程度の抑制なら自立につながるのか、また逆になってしまうのかということをよく承知してないと行けないと思います。長所はそのまま短所、短所もまた、そのまま長所であるということも知ってなければなりませんね」。

                               佐々木正美

人 愛 こころ より   

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2016年03月26日

響き合う心116 教育者と保育者

―― 教育者と保育者の今日の役割についてお話下さい。
 「時代と共に教師、保母の役割は変わって行くと思いますが、今日、特に大切なことを一言でいえば、今の教師や、保育者は子どもの休み時間の落ちこぼれをなくして欲しいということです。仲間と自由に楽しくコミュニケーションすることが、人間にとって最も原則的なことですからね。それがない状態で、どんな課題を勉強しても、結局それは取ってつけたような実体のないものになってしまうと思います。

 教師は休み時間や放課後の意義を知らねばならない

 学校というのは、休み時間と放課後も含めてとっても大事な所だと思うんですね。私は特に近年、学校では休み時間と放課後が大事だと思っているんです。昔の子どもは、休み時間と放課後が楽しくて一生懸命だったんです。だから健康でした。現代っ子は、休み時間や放課後に仲間と一緒に生き生きと精を出せなくなって不健康になってきたわけです。校内暴力や家庭内暴力が起きたりもして。ですから、教師はもっと休み時間や放課後の意義をしっかり知らなければならないと思います。教育的伝統としてといいますか、かつては、休み時間や放課後は子どもが自分たちで学びあえたのです。そういう能力を持っていたのですね。家庭や地域社会にも、子どもたちが共感し合って育つ土壌がありましたので、教師がそれをどうこう考えなくてもよかったんですね。だから教師は算数とか国語とかを教えていればよかったんです。他の重要なものは家庭と社会で育てた。ところが今日、家庭や社会ではそれを育てることがむずかしくなってきました。ですからより重要な人間としての感性や感情をこの自由時間にどう育てるか、それを考えなくてはならなくなったということですね。

 美しい水、空気が大事なように健全な休み時間、放課後を

 美しい空気や水が自由に供給されている時代は、人間が生きるために最も大事なものはそれだと誰も特別には意識しなかったんです。だから食事にも高蛋白質だとか、上質の蛋白質だとか脂肪だとか言っていたわけです。ところが、空気や水が無かったら蛋白質どころではなくなってしまうわけです。ところが当時は空気と水は汚染されていないものがどこにでもあったので、栄養学者あるいは生命学者はそのことの重要性を考えることがなかったんですね。ところが今は、空気と水に相当するような休み時間と放課後を、子どもは健全に過ごせないのですね。昔の学者が蛋白質や脂肪、炭水化物やビタミン、ミネラルといったのとは逆に、今や美しい水、美しい空気を大事にしなければならなくなりました。健全な休み時間、健全な放課後を、教育者はぜひ意識して欲しいと思います」。


――教育者というのは、子どものもつ特性をよく見て、良いものを伸ばして行こうという気持ちは強いと思います。担任の先生が書く、通信簿の生活蘭は実に的確に書いているような気がします。また弱点や欠点の指摘はさらに正確ですね。

 教師も保育者もその子のかけがえのない良さを見つけて気づかせてやる

 「なるほど。そうだと思います。しかし好ましくないことをうまく直すというか、教育するというのは必ずしもうまくない人がいるんですよ。だからそこが一つの問題です。それからもう一つ大事なことは、子どもというのはどんな子どもでも、弱点や欠点はあります。同時にどんな子どもにも素晴らしい長所があるわけです。本質はそうだと思うんです。欠点しかないとか、長所しかないという子はいないでしょう。欠点や弱点を指摘する方がやさしいんですね。長所、いわばその子の持っている美点というか、いい面を発見する方が一般に教師にはむずかしいと思いますね。へたな先生が多いと思います。長所に気づくことができない先生がいますね。
 ですから、どんな子にも長所を必ず発見できるように。発見という単にうわべだけで感じるということではなく、そのことに教師は深く感動しなければいけないと思うのです。〈○○君、すごくいいな、こういうところが〉と、本当に感じてあげなきゃいけないでしょう。どれくらいそのことに共感できるか、共鳴できるか、ほれぼれできるか。教師がです。〈君、ここがいいよ〉という程度では駄目です。〈本当にいいなあ〉と気づいてあげる。教師も保育者もそれぞれの子に、他の子にかけがえのない良さを見つけて、それを本人に気づかせてあげるのが教育の原点だと思うのです」。

                                佐々木正美

佐々木正美著 人 愛 こころ より

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