2016年12月23日

響き合う心126 子育て中の親へ

 ――最後の質問になりましたが、子育て中の親へのアドバイスをお願いします。

 子育てはすべての仕事に比して価値ある仕事です

 「今言いましたように、子どもを育てるということは、最高に価値のある、誇りのある仕事だということです。なぜかというと、価値のある仕事というのは、今の時代と次の時代の生ける者が、よりよく生きることができるために何を為すかといったことだと思う。それは、空気清浄機を作ることも、コンピューターを考えることもいい、鉄道を考えることも、すべてにそうだと思う。今の生活を潤す。次の世代の生活を潤すということもそうだと思う。私たちが、日夜、いろんな努力をしていることが、今の生活により大きな潤いを、ということでしょう。それぞれの時代を生きる人のことを、いい加減にしておいて、町づくりや、コンピューター作り、電力づくりや芸術づくりはないのです。だから、育児以上に価値の高い、いい仕事はないのです。

 音楽と言っても人間の声に勝る楽器はない

 息子がお世話になっている、T先生という高名なトランペット奏者は、非常に立派な方で家族で尊敬しているのですが、音楽と言ったって、人間の声にまさる楽器はない、だからいちばんすごいのは声楽ですよ、と言われるのです。パパロッティーが好きだと言われます。T先生は、イタリア歌手のこの声にご自身のトランペットの音をどう近づけるか、そういう意味のことも言われた。バイオリンにしろ、ピアノにしろ、人間の声にまさるものはないんだと。
 だから、声楽家がいちばん素晴らしい音楽家だと言われたそうです。人間の体がそのまま楽器ですね。いちばん美しい音が作れるし、そんなことを息子が言っていたのです。それも一つの真理だと思います。音楽家みんなが賛成するかは別として、人間そのものがいちばん美しいんです。ロダンの彫刻よりも、どの一人の人間もが美しい。価値が高い。子ども一人ひとりを丹念に作る、育てる。写真家は一枚の写真撮るのに大変な努力をする。自動車生産者が、優れた自動車を造るのに夢中になる。環境問題に取り組んでいる人は、大気汚染を美しくしようとし、霞ヶ浦の水をきれいにしようとする。それはみんな、なんのためかといったら、今の時代、次の時代の人がどう豊かに生きるかというためにやっているわけでしょう。その”人”の問題をいいかげんにしたら、他のどんな仕事も業績も、価値を失いますね。例えば演劇でいえば、舞台装置をいくら一生懸命よくしたって、役者の技能が悪かったら、よいドラマになんかならない。舞台装置が悪くたって、役者の技能が良ければ、見られると思っています。どうして、そっちの方に現代人は生きがいを感じられないのか、不思議でしょうがない。金銭のように、すぐ目に見える物以外には関心がなくなったのでしょうか。学校教育の偏差値も、そう思いませんか」。

 ――人間を育てるのが下手で、動物を育てちゃっている。

 自分の子を養護施設に預け、ベトナムの孤児を引き取れるか?

 
 「あれは、自己愛ですからね。本当に動物をちゃんと育てる人は、人間にも愛があると思う。人間を越えて動物にまで、草花にまでと。ところがしばしば人間は、そういう気持ちの延長でない動物の飼い方をするのです。自分の親を老人ホームに入れておいて、近所の老人の入浴サービスのボランティアをしている人がいる。人間にはそういう部分があるんです。もっとひどい例もあります。離婚して、自分たちの子どもを養護施設に預けている。そのお母さんの方は、いろんな地域の運動をしている。運動したあげく、ベトナムの孤児を引き取ろうとしたらしい。これはひどいですよ。それは自己愛というんです。本当だったら、まず自分の子どもへの責任を持つべきなんです。自分の子どもを養護施設に預けておいて、どうしてベトナムの孤児を引き取るのか。人間というのは、そういうボランティア活動の中に酔うんですね。要するに、自己愛なんですよ。そういう感覚の続きで仕事に出て行っちゃう人がいるわけですよね。

 母親が長時間働いても子どもは育つ。どっちを向くかが大事

 例えば、美容師さんは、人を美しくさせるのですが、実は自分の子どもを美しく育てることが大事なんですね。そういう気持ちで働くならば、夜遅くまで働くことがあっても構わないと思うのです。昔の母親はみんな夜なべ仕事をしました。しかし、気持ちは子どもにありましたね。子どもに手をかけることをして、仕事は夜なべをしたんです。だから、どんなに忙しくたって子どもはちゃんと育ったのです。手をたくさんかけなくても、子どもが頼んだことはまっ先にやってくれました。
 カギ裂きにしたズボンを縫ってくれるとか、泥んこにしたそれしかない洋服を洗って、一夜のうちにアイロンをかけて、乾かしておくとかして、その他に余った時間でまた夜なべをしたのです。だから、働くことがいけないのではないのです。長時間働いたって、子どもは育つんですが、親がどっちを向いているかが大事なのです。
 次の時代の子どもを育てることをしないで、地球環境を守ったって、大気汚染、環境破壊の問題に一生懸命になったって、クジラを守るとかあれこれしたって、人間がおかしくなってしまったらなんにもならない。仮に人間の方が荒れて野生動物が繁栄するとしたら、それも大きな問題だと思っています。私の”子育て観”というのは、そういう意味で、理解していただければいいと思います。現代の親は、子どもを育てることに、もっと誇りや自信と生きがいが、どうして持てないのだろうと思います」。
                                佐々木正美

人 愛 こころ より


コラムの更新は今回で終了します。ご愛読ありがとうございました。 ぶどうの木 佐々木文史郎
    

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2016年12月02日

響き合う心125 子ども観

 ――先生の子ども観をお聞かせください。子どもというのは、”授かりもの”だと先生は言われていますね。ところで、埼玉県の秩父地方の言い伝えで、3歳までは神の子、15歳までは村の子、15歳過ぎたら村の人というのがあります。

 「なるほど、それはすごくおもしろいですね。そういうことから言えば、自分にとっての子ども観であれば、私も子どもは、神から与えられたと思っています。親が自分で子どもを選択できるわけではない。例えば、男の子、女の子ひとつとってもみてもね。才能とか、個性ももうまったく親が予測しなかった子どもというか、似ても似つかない子が生まれてくる。ですから、それはもう、理屈を越えて、私は、子どもを神から与えられもの、神の子だと思っています。だから私は親として変に、作為的にあれこれ子どもを修正しようとか、気に入らないとかは決して思わないんです」。

 ――盆栽をいじるようにしない。

 「盆栽の枝を針金で巻いて形をゆがめたり変えたりしてしまうようなことはしないですよ」。

 ――盆栽って親から見た枝っぷりの良さなんですね。

 お墓を作った時、佐々木とは入れなかった

 「そう。ですから自然に沿って、私は基本的にそう思ってますよ。だから、子どもを自分の所有物だなんてまったく思いません。ただ、神から一時的に預かっている授かりものとしての子どもだから、最善を尽くして育てようと思いますよ。で、極端なことを言えば、息子が結婚する場合に、相手の姓を名乗ることがあっても、ぜんぜん構わないです。戸籍を昔風に言えば婿養子ですね。そういうものはどうでもよいと思っています」。

 ――佐々木というのにこだわりませんか。

 「こだわらないですね。だからお墓を造った時に、佐々木とは入れなかった。墓石の隅の方に”佐々木”と小さい字では入れましたが。というのも、ぜんぜん違う苗字の人が入るかもしれないしね。それは分からないから。一応、誰が何年に造った、ということは墓石に彫ってはおきましたけど、”家”とは入れなかったのです」。

 ――一時的に、わが家でお預かりしているということですね。
 

 「そう。大事に育てるという、ただそれだけですが、大切なことです」。


 ――そういう意味では、知り合った子どもたちに対しても、”よその子”という感覚ではないのですね。 

 まわりの子どもが育っていなければ、自分の子どもも育っていない

 「そう、子どもは仲間や友だちに恵まれないと、健全には育ちませんから、ぜひ自分の子どもと一緒に育ててもらおうという意味でも、かけがえのない子どもですからね。近所の子どもについても、自分の子どもと一緒に育ってくれる大切な子どもであって、近所の子どもが健全に育たないような地域社会の環境では心配ですね。あるいは自分の子どものクラスの仲間たちが育たないようなクラスの環境で、自分の子どもが育つなんて考えられません。これは決してありえないことですよ。
 自分の子どもだけが格別に育つなんて、そんな馬鹿なことを思っている親はいないと思いますが。まわりの子どもがよりよく育たなければ、自分の子どもも育たないのです。例えば、ある海流に魚がいるという時に、群れがみんな育っている所でなかったら、自分の目指す魚は一匹も育たない。この山野や畑に自分の木を一本植えるという時に、あるいは自分の草花を育てるという場合に、まわりの木や植物もちゃんと育ってくれる環境でなかったら、自分の目指す木も草花も育たないんですよ。そういう感覚を持っていないとね。お付き合いしている仲間たちが、みんな本当によく育っているから、自分の子どもも引っ張られていく。場合によっては、逆にちょっとくらい相手を引っ張り上げる役割をしているかもしれない。というふうな気持ちをいつも持っています」。

 ――子どもの声がするとホッとする、イライラはしない・・・・・・、こんなことってありますね。

 「全くその通りです」。

 ――よく講演の時に、子どもの声がうるさくてということで、講演がしづらいという講師もいますが。

 「なるほど、私はそんなことはないですよ。私は平気です。よくね、電車で遠足の子どもたちが、わっと乗ってくると電車の中の雰囲気がわーっと変わるでしょ。先生が’静かにしなさい’なんて言ってもきかない。うれしくて、遠足のことでね。ひどく嫌がっている乗客もいるよね。私はそういう子を、ながめて、ああ、あの子は大丈夫そうだとか、ちょっと仲間から外れてて、心配だなーっと思ったりしているんです。たいていの子どもたちは仲間とおしゃべりしてますね。私は電車に乗ってきた子どもと、’どこへ遠足に行くの’、’どこの学校’’何年生’などと聞いてたりするんですね。そういうのがおもしろいんです。子どもの声が煩わしいとは思いません。子どもがはしゃいでいるところで、昔から、平気で仕事してますよ。
 息子たちは今は大きくなって、はしゃぎはしませんけど、私は自分一人の静かな書斎はあまり使わないで、子どもたちのいるところで仕事をすることが多かったために、家内に’あっちで、書斎でやって下さい’と言われました。
 食卓の上の物をどけて、みんながおしゃべりしている所で原稿を書いたりするので、’どうしてこんな所に資料を持ってきてするの’と言われたりします」。

 ――子どもって好きな保母さんと好きでない保母さん、自分を好いてくれる大人と、嫌がっている大人と、何か、こう感じるようなところってありませんか。

 「犬でも感じるよね。家に来る人で、犬を好きな人は犬を恐れないよね。犬を嫌いな人は恐れるでしょう。恐れる人を吠えちゃうんですよ。犬はわかっちゃうからすごいね。
 犬を恐れないというのは、好きだからでしょ。そういう人は少しくらい吠えられたって、平気なんだけど、そういう人には吠えない。おびえる人に吠えちゃうから、本当に困るんだね」。

 ――子どもにもわかりますよね。子どもと一緒に遊んでくれる先生だとか、大好きな先生だとか子どもの方でわかって寄ってきますね。

 育児を放っといて、他にやりがいのある仕事はない

 前に、『ことばの玉手箱』という本が出版されたけど、その中で、まいんど編集長の杉浦さんが私の講演の中から言葉を選んでくれた。育児ほど創造的な仕事はないと思う。だから育児を投げ出してまでやる仕事はない。育児を放っといて、他にやりがいのある仕事なんて、本来、全くないと思う、というような意味のことを私は言ったというのですが、本当にそう思っています」。

 ――もしも、子どもがむずかしく育ったら、仕事を辞めてでも側にいてあげたいと先生は言われたことがありますね。

 「そう、絶対そうしてあげたいですね。最小限、生活に必要な収入を得るためには出掛けていきます。それは育児をするために必要なんだから。私は絶対そうすると思います」。

 ――これはむずかしいな。問題があるなと感じた時には、外の仕事よりも、家の中の子どもの方をとるという。

 「そう、その方をとります。そのために働いているようなものだから」。

 ――父親としては、めずらしいでしょ。普通は。

 「母親だって、父親だって基本的にはそうであって、子育てはそれでいいと思っています。というのは、いい自動車をつくったり、いいコンピューターをつくるより、いい子どもを育てる方がはるかに価値が大きいと思うのです」。

 ――子どもがむずかしくなると、お父さんは仕事に逃げちゃう。そういう傾向があるような気がします。そうでなく人間を育てていくという場合に、自分の存在が必要だったら、何よりも優先してやると、こんな感じですか。

 見事な肖像を描いても、実際の子どもにはかなわない

 「そう、彫刻家のロダンがどんな立派な彫刻を作ったって、実際の人間そのものにはかなわないと言っています。だから育児以上の創造的な仕事はないと思う。本当にそう思います。自分の芸術をするために、自分の子どもを放っておくとか、ないがしろにするとか、もしそんなことがあったら、主客転倒です。まして、自分の都合のために子どもを放り投げておくことがあったら、こんな情けない、心の貧しいことはありません。生活の糧を得ることが絶対必要なら、それは子どもを育てるために必要なものだということです。もちろん子どもの側に、べったりいることが育児だということではないのですが、働きに行く、子どもの学費や食事、洋服を用意するといったことは立派なことですよ。ところが、したいことをしたいために、子どもを無理やりどこかに預けるというようなことがあったら、これは人間として生き方の主客転倒です」。

                                佐々木正美

人 愛 こころ より



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2016年11月05日

響き合う心124 ストレス

――子育てをしていく上でのストレスを感じている人は多いと思います。ストレスには良いストレスと悪いストレスとありますね。

 人間関係の中でストレスを感じ、ストレスの解消も人間関係で

 「ストレスの全くないところにいる人は向上しないでしょう。我々がストレスという場合には、過剰な病的なストレスを言うんだろうと思うんですね。というのは、自分で解決できない精神的な苦痛をどういう部分で感じるかというと、基本的には、人間関係の中で感じるわけです。だけど、とても大事なことは、ストレスを解消するのも人間関係の中で、ということです。人間関係がほとんどないという人は、だいたいストレスを感じていきます。ためていきます。ヒステリーの人なんかそうですね。ボーダーラインパーソナリティーの人も、基本的にはそうですね。安らげるような人間関係を持てないのです。持てなければ持てないままでいたら、気楽でいいだろうと考える人もいるかもしれませんが、そうではないのです。黙っていたって、ストレスのない人はいないわけです。欲求不満はある意味では、向上心ですね。向上心のない人もまたいないわけです。ある欲求が、満たされれば、次の欲求が出てくるようになって、人間は必ず欲求不満を持ってしまう。自分で解消することのできないほどの欲求不満になると、それはいわば病的なストレスですからね。

 現代人はなぜストレスが多いか。ストレス解消の人間関係がない

 ストレスを解消する鍵は、人間関係の中にあるといえます。ということは、いい人間関係を持たなければ、人はストレスがどんどんたまっていく。早いテンポか遅いテンポかは別として。だから、いい人間関係を持つ必要があるのです。一人でいる方が、退屈で苦痛であって、誰さんたちとコミュニケーションする時の方が、ストレス解消になるんだというふうな人や家族、友人、知人を持たなければ人はストレスを解消していかれないのです。
 現代人が、なぜストレスが多いかというと、ストレスになるような人間関係が多く、ストレスを解消できるような人間関係を持たないからです。早い速度で仕事をこなしながら、息のつまりそうな人間関係を持たなければならない職場、その他でストレスになる。そして、人間関係の中でストレスを解消するような気心の知れた、安心できる友人、知人、家族がいないために、ストレスが解消できない。こういう状態は最悪です。孤独というストレスがあります。対人関係にストレスを感じて、逃げこんで一人でいるということは、ストレスの解消にならないのです。一時的な休息になっても、ストレスはたまっていくばかりです。ということを知らないといけないですね」。

――人間関係で感じて、人間関係で解消するということは、育児中の母親からすれば、ストレスは当然あるわけですが、夫とコミュニケーションを積極的にはかるとかすれば、かなりストレスは解消できますね。

 夫との関係でストレスを感じ、近所に親しい人もいないと、不幸な場合は子どもの虐待に

 「そうですね。それに近隣にストレスが解消できる交わりのある友人、知人がいればもっといいですね」。

――夫に対してストレスを感じる人もいますね。

 「そう。それは不幸なことですよ。これでストレスを解消できるいい友人とか、知人がいなかったら、もう大変です」。

――子どもに八つ当たりをする。

 「そうです。虐待というのはそうですよ。友だちはいない、夫との関係もよくない。子どもを虐待してしまう親というのは、例外なくそうではないですか。夫との関係にも、ある種のストレスを感じる。近所にも親しい人もいない。親類の人たちやかつての友人とも疎遠になっている。そんな人間関係の閉鎖的状況の中から、しばしば自分の子どもを虐待してしまう母親が出現するのです」。

――先生は離婚ということについては、必ずしも否定的ではないですか。
  
 

 ”離婚しない方がいいよ”という意味では肯定的です。だけど離婚しないで、無理やり一緒にいることが、もっと不幸になるのなら、まあ、次善の策として、離婚した方がいいという場合はありますね。とりわけ子どもがいれば離婚しないために最大の努力をすることは当たり前です。子どもがいなかったら、それは自由にしてもいいかもしれません。

 子どもにマイナスの負担を与える場合は、離婚した方がよい

 子どもがいる場合の離婚というのは、例外なく子どもに多大の犠牲を与えます。子どもの受ける精神的衝撃は、計り知れないほどでしょう。だけど、そのまま結婚を継続していることが、子どもにそれ以上に大きな衝撃と負担を与えるということもあります。ケンカばかりしているとか、ののしりあっているとかということがありますから。そんな場合には離婚した方がいいに違いないと思う。だけど、そんな悪い結婚ではないことは望ましいわけで、基本的には、離婚はしない方がいいと思います。例えば体の病気や怪我の場合、腕を切断するとか、足を切断するというのはギリギリ最終的な選択でしょう。怪我の状態とか、腫瘍の状態とかによって、四肢や内臓を残しておくことがより悪い結果を引き起こすのだったら、切除や摘出して無くしてしまう。でけどそれは、最終的な選択ですよね。できれば何とか四肢や内臓などを残したまま治療する努力をするように、離婚はしない方がいいという意味合いです。

――多少の波は、乗り越えるべきだということですね。

 「そう、努力して、人間としての知恵でね。もし離婚するようなことをしたら、自分の生活や生き方を相当犠牲にしても、子どもへの償いをし続けなければならないでしょう。罪の償いでね」。

――子どものこと、嫁、姑のこと、お金のことで悩んだり、健康で悩んだり、いろんなことを乗り越えながら、なんとか、夫婦は本当の愛情が生まれてくるのではないでしょうか

 前の人間の方が、夫婦の間でお互いに良さを感じていた

 「そうですね。貧しいから、姑がいるからというようなことでいえば、昔の家庭は全部離婚ですよ。80~90%の家庭は貧しかったんですね。三世代同居です。でも、今の人間ほど不満を感じなかった。今の人間の方がある意味では、わがままですよ。前の人間の方が、夫婦の間でお互いにもっと良さを感じ合っていた。今よりはお互いに感謝をし合っていました。今の人の方が互いに感謝も共感もしにくいし、成田離婚なんてあったりするでしょう。
 新婚旅行中に嫌気がさしてしまう感覚なんて、かつてはまるでなかったと思う。いやなことは些細なことでもすぐいやになってしまうし我慢ができない。人のいやな面がよく見えて、いい面が見えない。相手にいい面がないはずないのにね。そういうふうに今の豊かさと、自由さとは、人の心を変えてしまっているわけです。一言でいえばわがままになっているんです。今の文化とは、どれだけ人が、わがままにしていられるかということと同義でしょう。物質文化、物質文明というのは、人間がどれくらいわがままでいられるか、楽でいられるか、気ままでいられるか、基本的にはそういうことです。醒めた言い方をしてしまえばね。人は一生懸命豊かにと考えてきたんですけど、豊かさとはそういうことで、それ以外のものだと思ったら大変な間違いなんですね」。

                                佐々木正美

佐々木正美著 人 愛 こころ より



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