子どもの頃に十分に勉強したとはいえなくても、健全な社会人になって、立派に人生を全うしたと言える人は、数限りなくいます。
 しかし子ども時代に、友だちと十分に遊ぶ経験をもたないまま大人になってしまって、健全な社会人になることができず、ひきこもりのようになって苦しんでいる人は、非常に多くいます。
 これまでに診療や相談で、そういう人やそのご家族にどれほど出合ってきたのかは、とても一言では言い表せません。
 そして私は、そういう人たちに出会うたび、ゆっくりと時間を掛けた話合いのなかで、子ども時代の「友だち」との「遊び」が不足していた事実を、教えられてきました。
 私たち人間は、日々、人と交わりながら生きることを運命づけれた存在です。
 子どもたちは、まず家族、そして友だちや先生たちと、家庭、地域、学校などで、豊かな交流を繰り返して生きていくことが大切です。そのために、周囲の大人たちは熱心に、かつ本気で考えることが、今日のわが国では求められているのです。

 まず友だちと十分に遊ぶ

 父から聞いた話ですが、私の母は北関東の出身で、貧しい家庭で生まれ育ちました。小学校にもろくに通えず、近所の幼い子どもの子守りをしながら、家計を助けていたとのことです。
 それでも幼い子どもを背負ったり、そばに置いたりしながら、近所の友だちと毎日よく遊んだと、母自身よく話をしていました。
 損な明治生まれの母が、第二次世界大戦中の食べるにも事欠く貧しい時代に、私たち三人の子どもを育ててくれました。子ども時代を振り返っても、私は特に不足や不満を感じることがありません。
 時代や社会環境の要素も、あれこれあったかもしれません。しかし、そんな時代に比べて、豊かさも自由もたっぷりある現代で、どうして子どもが育ちにくくなってしまうのでしょうか。
 「児童青年精神科」という新たな診療科が、大学病院等に開設されるようになったのは、戦後、それも近年のことです。
 考えれば様々な要因があるでしょう。学びたくても、学ぶことができない子どもや大人たちがいた時代と、学びたくないのに学ばなくてはならない、高学歴社会の時代とでは、どちらか生きていきやすいか、子どもによって受け止め方は様々でしょう。
 子どもの精神科で働く私たちから見れば、現代の学校教育制度のなかでは、学ぶことが苦痛以外の何ものでもないという子どもは、決して少なくないのです。
 子どもはまず、子ども同士で十分に遊ぶことが必要です。遊びのなかで、友だちから学び、友だちに教えることによって、社会的な経験を得て、それから学校式の勉強に励むようになるのが自然なのです。
 大人たちは、子どもが大人から学ぶことを大きく評価しすぎています。もちろん、知識や技術が増えることは、価値の高いことです。しかし、遊ぶことがまるで一種の罪悪であるかのような風潮や価値観のなかで、「勉強、勉強」と追い立てて育てられることで、子どもの健全な人格の育ちが犠牲になってしまうのは不幸なことです。

 遊ぶことが次の発達につながる

 子どもが、家族や学校の友だち、地域の人々などと、いきいきと伸びやかに交わる力を失ったまま、仮に勉強や稽古事がよくできたとしても、それは非人間的なことなのではないでしょうか。この時代に子どもの精神保健を日々の生業(なりわい)としている私は、大声をあげて叫ばずにはいられない思いになります。
 子どもにとって友だちとの「遊び」は、単に快楽のなかに身を置くことではありません。旧ソビエト時代の心理学者ヴィゴツキィが指摘しているように、子どもの発達に、遊びは不可欠とも言えるのです。共感や感動などの「人間性」の発達に加え、規則や役割、責任、義務、倫理や道徳といった「社会性」の発達に、非常に有益な、価値ある活動なのです。
 遊びの利点は、自ら選んだ活動に「限界までの努力」ができることであり、将来のために自分の限界を知りながら、次の発達課題を見つめることができるのです。また遊びは、自分がよち何に向いているかという「適合性」を知るための助走でもあるのです。
 このように、子どもは友だちとの遊びを十分に体験しながら、人を信じる感情や、自分を信じる機能を育てていくのです。そして、余力を勉強に回すというのが、本当に健全な子どもらしい生き方というべきです。
 今日では、勉強もでき、知識も持っているのに、肝心な心の働きがおこらず、友だち同士の会話のなかに入っていけず、感情もわきでてこない、情緒が未発達な子どもがたくさんいます。
 学校における多くの不登校やいじめ、成人になっての引きこもりや児童虐待など、その根っこのところにある問題を、今こそ改めて考えてみたいと思います。
 学校時代は、友だちと楽しく遊んだ、友だちがいたから楽しかった、小学校時代の勉強は、遊びの後か合間にあった。健全な人格の基盤をなす「勉強と遊び」の関係は、このようなものだと思います。
 勉強も遊びも、本当にしたくなったときにするのが、意味や価値が大きいのです。子どもに「勉強しなさい」と言う前に、一度考えてみて下さい。

「遊び」を通じての人との交流こそが、
子どもにとって大切な学びのはじまりです。

 現在連載中 暮しの手帖より 母子の手帖