前回述べたように
西澤文隆氏の名著『伝統の合理主義』を
テキストとして日本の伝統を再考してみたい。
以後、此れを『西澤ノート』と題する。
謂わばボクの『読書感想文』である。
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彼ほど日本建築に通暁していた、
或いはその知識を建築の実作に
応用していた建築家は見当たらない。

擬音や擬態語の多い、
独特の甲高い語り口で
大方は建築を感覚的に喋る方だったが
時折、理性の鋭利な刀の鯉口を
切る瞬間がある。
それは小生の坂倉事務所の面接時から
そういう印象、強烈な存在感だった。

名著『伝統の合理主義』は
まさに西澤氏の個性そのままが
正直に現れた著作だ。

情緒的に日本の伝統を語り
感覚的な説明で大半が覆われているが
時折、バサッと理性が両断する。
その切れ味が何とも鋭いのだ。

理で建築を語る建築家が
圧倒的に多い中、彼のように
【情】で建築を語る建築家は極めて稀だ。

それは長い歳月を費やして
実測と考察とで伝統に向き合って来た、
日本の近代主義者(モダニスト)の
行き着いた結論だったのではと推察する。

理のみで建築を語るなかれ、
そう仰られているとしか
ボクには思えないのだ。
それこそが我々の先達が時間をかけて
積み上げた独自の奥深い伝統を理解する、
一番の近道なのかもしれない。

彼は冒頭に云う、
『愛するとは心底まで相手を知り尽すこと』

こんな言葉を使って建築を語る建築家が
果たして過去に居たであろうか。

彼は続ける、
『この愛情が積り積って、木を心底から
知り尽し、その良さを生動させることを
身につけた』

そうなのだ、木という素材をこよなく愛し、
素材の本質を徹底して知り尽くすことこそが
日本の建築術の根底にあるのだ。

だから新築の目出度さを愛すると同時に
『古びの美しさで人々を魅きつける』伝統
にも同等の価値を見出し、更には
『愛情のこもった補修』にすら
『美しい造形美』と高く評価する。

是等に共通する価値観、それは
木を知り尽くし慈しむ愛情が
造形者の根底にあらねばならない、
ということだ。

こういう視点こそ
小さい頃から石油精製物に親しみ
無垢の生成りの素材の良さを
ほとんど知らずに育った、
現代人に一番欠けている
価値観ではないだろうか。