2年の見角です。5月28日(日)に行われた『駒場文学』87号の合評会の報告です。 参加者は11名でした(My、Hは欠席の為、感想のみ)。 合評会は、各会員が会誌に掲載した作品に対して、互いに感想を言い合ったり批評し合う場です。今回も多くの意見が飛び交いました。 以下は議事録となります。作品の理解の一助となれれば幸いです。
目次
編集について
販売について
表紙について
巻頭言について
目次について
作者紹介について
通信販売ページについて
編集後記について
「メトロ、オールバック、ヘッドホン」
「さざ波」
「撮影」
「左手に剣、右手に」
「光、落ち葉」「恢復期」「食事」
「灯」
「パーリンカ好きの、ある旅芸人」
「SMAP殺人事件」



編集について

・日程アナウンスを早くした方が良い。
・最終確認に余裕を持たせるべき。
・編集会議に作者が参加していないのは良くないのでは。
・編集会議の位置付けを考え直すべき。
・インデザインが煩雑さを産んだのかもしれない。
・ソフトを使いこなせるのであればインデザインの方が楽ではある。
・感想のために買った87号に落丁がありました。そのため新しく一冊貰ったのですが、それにも落丁がありました。一体誰が頼りないのか知りませんが、次回の印刷には同行します。がんばりましょう。お客様による交換の要望には出来れば答えたいし、在庫も早々に切れたそうなので、次号印刷と同時に、今号を50ほど増刷するのは如何でしょうか。ご検討願います。


販売について

Ni:周囲とある程度交流したほうがいいのでは。既存の文学から外れるなら、他ジャンルの表現も参考にすべき。もっと文研を売り出せば良い。
Shi:評論がないのは良くないのでは。読書会の続きとして書いてもらうのも良いかも。
詩も含め、様々なジャンルを充実させるべき。東大生の評論という通念を利用。
C:ジャンルが多い方が、紹介しやすい。
K:真面目そうというイメージがある。


表紙について

自作コメント:ゼンタングルを使ってみた。落ち着いたデザインにしようとおもった。
Shi:87が見にくい。文学研究会という文字を入れるべき。
A:下書きの線が残ってる。場の字が背景と被ってる。筆の動き。
C:線が濃いほうが良い。(A:手書き感がある)
My:遠目に見ると文字の内部がCGで作った水銀のように見えて綺麗でした。初見の印象は地味でしたが今では何かしらの複雑さを感じるものがあり、ここ数号の奇をてらいがちな風潮に抗うすぐれた表紙だと思います。
A:駒場文学の字がずれている。
C:原版印刷の時点で確認すべき。


巻頭言について

自作コメント:二字熟語ではなく、何かを志向すべきだと思った。色々な作品に共通するものの中から、執筆、文学に関わる感覚に近いものを選んだ。
C:最近短いけれど、たまには変化があってもいいのではないか。


目次について

A:全体的に左にずらして左右対称にしたほうが良いのでは。フォントサイズが違う?
   作者名の位置を揃えるべき。心象をしっかり意識すべき。
Na:テクスト主義で、文芸誌としてのデザインを怠りがち。
C:小説への信頼性を担保するためにもデザインへの配慮は必要


作者紹介について

C:二段より一段の方が綺麗。
A:姓と名の間が一人だけ空いている。
Shi:友人は、渡邉の④は作品を読むモチベーションを下げる、と言っていた。
A:活動報告を乗せても良いのでは?半期の活動記録など。前後の合評会の記録など。
Shi:活動としては読書会を推していきたい


通信販売について

A:このまま使うのか?評論が載ってるのが重要。書籍部に売るのかどうか。
C:文学館に寄贈するのはどうか。日本近代文学館。


編集後記について

自作コメント:自分の書いた作品についてはいつもそうだが、反省しかない。拙さを感じる。
A:発行日の時間が歪んでいる。ブログ、メールの明記がないのはなぜか。書いても良いのでは。
   統一しておいた方が綺麗。「音をして」はおかしい?「音を立てて」か「音がして」のどちら
   かではないか。
C:友人は、このエピソードはあまり良くないのではないのではないか、と言っていた。
A:父親の不在が気になる
Shi:良いエピソードとは思わなかった。
C:代表、副代表が作品を書かないのは寂しい。


「メトロ、オールバック、ヘッドホン」

自作コメント:わかりづらく、難解にしてしまったという印象。ストーリーの進み方、何をやりたいかということを明確に提示する方が良かった。

A:これまでの感想と変わらない部分が多い。3点。
・セリフについて。口から発せられる言葉を文字に起こしても、言文一致にはならない。セリフが棒読みにしか感じられない。抑揚が読者に伝えられていないのでは。カタカナなどを導入するのが良いのでは。(作者:言文一致してないまま言文一致させる。録音をそのまま書き起こしてみる感じ。あえて失敗してみることで何か生まれるのではないかと考えた。)
・若者言葉が良く分からないまま流れていっている。やりとりの中で言葉の意味がわかるようにすべき。リアリティが感じられない。真似している感じがする。その空虚さが目的か。
・語彙の選択が下手。「口の形」ではなく「口の動き」では?21ページ真ん中「読んで字のごとく」不要では?(作者:読者を意識していることを示したかった。)
上に戦略性があるのか?
25ページ上段→死の扱いが雑。軽い。日常に滲み出してくる不気味さを表現するべき。英語は縦書きが普通では?

C:全体として何が起こっているかわかりづらい。リアリズムが成功しているが、それが魅力的には思えない。いくつもの共同体が同時に出てくる狙いはある程度成功しているがそれだけでは面白くない。そこから何が起こるかが重要。23ページ、どう重要かが描ききれていない。ほのめかしなどの微妙な温度差を戦略的に使ってみるのが良いかも。

K:描写が少ない。これがどのように終わっているのかわかりづらい。登場人物の心理描写が少なからかもしれない。「死」というテーマが軽く扱われている。引っかかる部分がいくつかあるがそれが意味をなさない。

T:「なんとなくクリスタル」を想起した。いっそ戯曲を書いてみれば。

I:会話が無機質なものに見えてしまう。突き詰めることのできた部分があるのでは。

Shi:現代的なものをしっかりと書いていこう。会話劇だからこそできることがあるのでは。カメラアイ。そのコミュニティに属してもそれがアイデンティティを規定していることがうまく表現できていないのかも。

Mk:出来事が等し並みに扱われていることがリアリティーを生み出している。会話が進んでいくが、動作を想像しなければならない点で少し読みづらい。カメラアイ的な中で、ひとつひとつの印象のつながりが掴みづらい。

Ni:細かいところまで無責任に指摘して作風を台無しにしてしまった。撮影があったらこの作品が要らないのでは?両方に感じるのは悪質(俗悪とは違う、皮肉)さ、ナンセンスを感じる。より大きい感覚で捉えているのはメトロ。現代的な小説は感覚に任せるので、明確な達成は不可能なのでは。金原ひとみの作風が可能性を提示している。これで達成できないことがあるのならば、諦めるのは早い。

My:小説らしい事件はいくつも発生しているにも関わらず、この小説そのものはまるで事実の列挙のように感じるし、作者の実体験であると聞かされれば信じてしまうような妙な迫力があります。それが作者の意図したものでないのならば、なんだか勿体無いことです。執拗な若者言葉の会話はリアリティの補強であると同時に物語におけるノイズでもあり、やたらに環境音を入れるインディーズのエレクトロミュージシャンを思わせるものがあります。ともかく読みやすさが犠牲になった分ある種の迫真さが生まれているものの、その骨をなす思想などがどうにも見えてこない、はぐらかされたような印象が残るのは残念です。あるいはこれ一つでは物を成していない、連続短編集のなかの一作目だけを読まされたような感じです。

作者:新しい小説を作りたかった。色々な出来事が重点なしに同時に立ち上がってくる様を描きたかった。にも関わらず、死に重点が置かれている。全体としての戦略性が曖昧だったのは無責任だった。しかし、死もさらに相対化、軽く扱うべきだったし、新歓の説明が不十分だった。
(C:空虚さに意味が見出せない。A:意味付けられてない。作中での必然性は?)
↑等し並みに出来事が同時に立ち上がるという世界理解のひとつの方法を提示したかった。
(Ni:新人賞に対する姿勢を明確化させておくべき。)


「さざ波」

T:皮膚炎が腕に出るのが弱いと思う。顔にすれば良いのでは。(腕にあることが重要。皮膚炎が外から見えないことが重要。皮膚炎によって自己同一性を担保しており、それを表面上隠蔽できる自分に価値を見出している。

I:回想シーンではその時の気持ちを持ち出してしまっても良いのでは。回想シーンではひらがなカタカナ漢字のバランス

Shi:堀辰雄的なもの。(三点リーダなど)個人的な想起があった。静かだということに終始してている

Mk:ロマンチシズム。堀辰雄的である。回想シーン、海に入っていくシーンがあっさり書かれている。もっと心理が深く書かれても良いのではないか。

Na:全体として古風と感じた。大切である現在の場面が繊細すぎる。これが現代的に描かれると作者としての成長の契機となるのではないか。

A:何を持って主客一体の世界に至っているのかが気になった。触覚だけの世界への流れが曖昧。
飛躍が戦略的なものなのかどうかが気になった。幻想的な女性像が導き出される必然性が作中にあるのか疑問。皮膚炎という設定が生かされていない。

Ni:以前「花降り」の際に貯金が少ないのではという指摘に対して。貯金は使って減るものではない。描き直すことによって洗練されていく。この姿勢は堀辰雄に習っているのか(作者:感傷的な書き方に関しては堀に習った訳ではない。感傷的な文章は想像によっている。)
冷たさに伴う想像を用いて感傷に浸るのは典型化してしまっている。(作者:感傷に浸ってしまう事実自体を扱っているので、感傷自体が典型的なのは別に良い)
その考え自体に対する姿勢自体も典型的。

My:単に美しい小説として処理されるのが誤りなのは明白なのですが、厄介なのはその問題が表面的な解決を見せてしまっており、『問題』の部分が『美しい文章』で綺麗にサンドイッチされてしまっているせいで、問題の深刻さがめっきり失われていることでしょうか。単なる修辞技法の話ですが、表面的な解決を見せてなお、読者に不安が残るような形で小説が終わることでなしえたものかもしれません。あるいは、そういった直接的なアプローチを避けるにしては、小説の短さ、短編という形式そのものが足枷になっているのか。

作者:回想の言葉が美しすぎることによってなぜ僕が過去を美しく語ってしまうのかということを問題化したかった。男の身勝手さ、そしてそれが許されていることを指摘したかった。それによって作家像を作り上げてしまったことに対する自戒。
回想によって美しい描写を回避できると思ったが、少女に許されてしまうことで失敗した。
心理を書かないことによって現在から意味を付与する彼を描きたかった。
なんとなく許されてしまってなんとない心地よさに戻ってしまうことに対する疑問符をつけきれなかった。(新荘:一人称にして、その語りに疑念を持つような構成にすればよかったのでは。)

Ni:文学では共時的に物事が相対化され、通時的に物事が相対化されるのはポップカルチャー。この作品に於いては通時的相対化しかなされて折らず、相対化が弱いと言える。補足としては、共時的複数性は文学にとって(ほぼ)必要条件である。だから文学にも通時的複数性はあっても構わない(むしろ内容を充実するという意味ではプラス)けど、共時的複数性を欠かしてはいけない。


「撮影」

A:人をタイプ分けことの意味が必要。人物が中途半端に倫理的。行為の重大さに後になって気づくほうがストーリーとしてよかったのでは。
「みる」という主題の扱い方を後半からだしている。前半からもっと打ち出していく。説明過多の部分が多い。説明絵はなく描写すれば良いのでは。「あんまり現実感がない。」という直接的に書くのではなく、そうわかる描写すれば良い。「新歓号」ではないほうがよかったのでは。視点の移動に戦略性はあるのか。
(作者:二分法で語れない人物を描きたかった。)

C:メトロよりギミックが見える。解釈するための素材があるのが良い。人格を説明してから肉塊になる流れはうまい。撮影による変化とし小説からの方法の変化がうまく機能してない。
山崎さんとの親近感など、深層的な心理を描けばよかったかも。(作者:ギミックの変化が目的化してしまっている)内容との連関があっても面白いかも。ギミックの変化をもっとうまく使うべき。

K:描写がテンプレ。パスワードを簡単に教えた理由がわからない。自分のものを使えば良いのでは。この人らしさがない。御都合主義に感じた。現実から乖離した描写が多い。(相手のスマホを使うのは最後の優しさ。)(Ni:この分量で独特なレトリックを要求するのは酷。)小杉:ユニークである必要はなく、雑と感じた。(K:主人公の特徴とも考えられる)

T:ひと段落が長い。二人の人物説明がおおい。「もう満足でしょ」がいい感じでいやらしくていい。(作者:彼氏は泣いているのです)

I:川端っぽいと感じた。撮影が異世界感を表している。

S:カメラを使ってくれてありがたい。カメラに映ったものを見て欲望が変質するというのは核心に迫っていると思った。「写すものがなんでもよかった」という語り手は、納得できるのか。

Mk:真逆の人に惹かれるという設定が良い。どうして魅力を感じるかというところに理由づけは感じなかった。ワインを飲みながら駅に帰るなどは印象的。最後の視点の切り替えの戦略は気になる。

K:日常の一コマとしてカメラによって歪められるのを自然な感じで取り込めている。大したことは言っていないが、大したものではないことで読者に接近していく。それがうまい。

Ni:特に非の打ち所がない作品だと思う。欠点を挙げようと思えば、終盤の重い空気に対し前半の調子が軽すぎる、撮影中の描写が空回りしている、最後の段落はベストとは言えない、などがあるが、これは時間が経てば本人もわかるし他人が言う必要はない。感情移入できないなどの意見もあるようだが、僕はできた。序盤の饒舌さから読み取れる落ち着きのない主人公像が、撮影といういらないことをしてしまうこと、そしてそれは微妙に二人と距離があるのを解決して近づくためであることなど、自然だと思う。表現がよくないという意見があるが、この作品についてのそれは、出版されてる小説への好き嫌いと同じ範疇に入る程度だろう。それを言うなら普段の読書会でもここが嫌いだとちゃんと言うべき。

My:『メトロ……』に同じく、少なくとも同世代にとっては非常に現実らしい説得力があって、こんなの現実じゃ起こらないよって思う箇所が一つもないのは素晴らしいと思います。最後に山崎さんの視点に移るのが何の目的のために行われたのか、と考えた時、どう見ても目的がなく、従って小説界そのものへの攻撃なのだな、と順当に理解したものですが、正解でしょうか。だとすれば、ここまでリアリティ一本に要素を削ったのも納得出来ますし、良い判断だと思います。しかしその場合、小説界への攻撃という考えそのものは無批判で放置されているのが難しいところです。そこは無批判でも別に良いような、しかし現代小説としてはやはり良くないような。

作者:悪意の塊のような小説。一人称が本当か?最初の論争は一切関係の無い要素。わかりやすい二分法を最終的には否定する、無視するのが目的。直嶋が読者に向かって語っているという私小説的構造を取っているが、最後に第三者の視点になることによって小説界への反発を示している。
近藤は僕にいじめられているぐらいの読み方もできるように書いた。
(A:語りが虚構であることのシグナルはあるのか)
作者:最後の、視点人物がいなくなっても、小説が続くという構造によって示したつもり。
「みる」ことに対する考察が甘い。カメラはありきたり題材をそのまま扱ったつもり。

Ni:表現がありきたりだという指摘もあったが、短い作品である以上仕方ない。変わったレトリックに説得力を持たせるには長さが要る。ありきたりというより雑と言うべきだが、やはりそれは仕方ない。


「左手に剣、右手に」

自作コメント:初め、単に「メンヘラな女の子書くか!」と書き始め、途中でテーマを扱ってみようと思いついて、希死念慮と希望というように作ろうと修正していったが(題もそうした対置のイメージのつもりだった)、実際最後は希望の得ようがない気がするので失敗だった。結局そうした思いつきには限界があるのかな、
既に得た評としては、人物を描けていないという評、及び上下構造をもっと利用すべきだという評を受けたが、そこから反省するに、前者については自分の中で物語重視で人物はその次という考えがあるためかもしれない。後者については、上下構造は意識していなかったが、象徴性についてはテキトーに書いてしまう癖があるようなので、もっと意識すべきなのかを考えてみたら良いのかもしれないと思った。

Shi:死を軽く扱っていると感じた。ある種の滑稽さが出ている。御都合主義だと思った。
メンヘラのステレオタイプをうまく利用できているのか。物語のメリットとなっていない。ステレオタイプの人物造形に反発を感じた。文章という点では習熟してきている。

Mk:希死願望がありきたりな形で表現されている。物語優先で、人物がそれに合わせて動いている。主人公の心理描写が曖昧だったと感じた。緊迫感のある場面で説明的すぎたかなと思った。

K:女の子のメンヘラぶりがあまりにもステレオタイプ。包丁のやりとりはありきたりではあるが、しっかりと描けている。擬音が文章の硬質さに比して多い。

A:切実なものを描いているが、それが読者と共有できていない。ここに至るまでの経緯を描くべき。渡辺の作品の一部を切り取ってきた感じがする。8ページで長いセリフで語るような場面をそれまでの語り方でも出せばよかった。視点の移動の必然性を感じない。つまり主題を事後的に説明する段落は不必要。当事者が同時的に感じたことを描いてから、事後的に起こったことに気づいていく様を描けばよかったかも。「中村の恋人である最中」はいらない。
(走り切られるの「ら」が不必要。)

C:極力リアルに過去としたのは伝わる。しかし、リアリティに欠けるセリフが随所に見られる。
わざわざ入れる必要のない言葉が多い。罪などの言葉に重みがない。
動揺した直後に自分が罪のある存在になったと気づくのは不自然。中村を殺した事実が佐中の思考に影響に及ぼしていない。中村を殺す前と認識が変化していないように感じる。
戦略がわかるように吸う目印が必要。(最中のエゴイズムが描けているのではないか)

K:場面を切り取った印象。彼女を殺した事実を受け止めタ後にどう生きたかを描いて欲しい。
かわいそう。救急車読んだりできたのでは。

T:佐中と中村という苗字に意図はあるのか。やり尽くされたフォーマット。

I:刑事コロンボを想起した。最終場面を冒頭にできると思った。映像化しやすい文章。

Ni:書いた意図がわからない。作者にとってはあらゆる思想が通俗的に思えるのか。ギャグなのかどうかわからない。どう論じていいかわからない。正当に読むことができない。


「光、落ち葉」「恢復期」「食事」

自作コメント:「光、落ち葉」について。言葉の中でテーゼを扱っていこうとする意図があった。「恢復期」について。上の詩から前向きなものに転化した。「食事」について。詩としてしか真実性を帯びないものを描こうとした。

K:救われなかった約束と、犬という言葉がしっくりきた。
言葉の単位で好きなものがあった。


T:驚きがない。恢復期は見たことのないものが広がる感覚があった。若さに任せたハイテンションがあっても良い。

I:「光、落ち葉」、記号の選択が良いと思った。文字の使い方がすっと入ってくる。
食事の第三連が複数のもの。小説でないと使えない言葉があった。

S:テーマ的にリンクしている。人間的な優しさが出ている。
「みんないなくならなければいいのに」ということが落ち着きを与えている。

Mk:イメージが転化しつつもテーマが一貫している感じがした。

K:言葉遊びよりもこういう作風がいい。背景にある認識はありきたりなのではないかと思った。
出てくるモチーフがいかにも詩的で好みではない。切実さが感じられない。その分、余裕を持って書かれている後半二作は切実さのなさが欠点になっていないと感じた。

A:「光」について。第三部の第二連、ここまで語って良いのか。こここそ、いかにイメージに乗せて語るかが重要ではないか。第二部の第一連と第三連が形式として対応していない。
「恢復期」について。環八というのがありきたりすぎる。あえて対比的な俗なイメージを取り入れるべきかと思う。小説と通底するテーマがあるのではないかと思った。「恢復期」については皮膚感覚に特化した表現を用いても良いのではないかと思った。これは食事にも言える。(体内の身体感覚)(作者:詩においては身体感覚とは乖離している用言が多いので参考になった。方針は今後考えなければならない)

Ni:86号は観念の計算が生硬かった。もう少し素直に良いと思える。光は生滅の無力感を描くものだが、これはうまくできていて、テーマとは一見関係ないがうまく機能している。(くん、という擬音も含め)
食事において本当にこういう観念があるのではないかと思わされた。(意図通り)
恢復期、西脇順三郎的だと思った。表現が綺麗。
全体として、いい人さが出ている(経時的に見れば単線的かとも通じる)頭の悪い表現も取り入れて欲しい。言葉の、削るような努力は小説ではしないのか?小説でして欲しい。

My:書き言葉らしい言葉から口に出す言葉遣いに近づいたようで個人的には嬉しいです。また、段々おもしろい事が書かれるようになってきた感じがします。詩に疎い我々にもはっとする感覚などもあって、読んでいて動くものがあります。ひとえにありがたい。

作者:前号と書き方は異なり、やわらくなったとは言える。今回は区必要性に迫られて書いたという感じ。理想化は必要だった。
自分のテーマとして、詩と小説の中間のような作品を再度試みてもいいかもしれないと思った。小説は言葉を生む抵抗のようなものを感じる必要性があると思った。


「灯」

自作コメント:昨年の文學界新人賞で一次で落ちた。テーマとして比喩がある。人が何かに例えること、ものの識別が曖昧になること。それぞれの人物が何かにたとえている。文体でも比喩を多用している。比喩によって何かを獲得しようというのは詩にも見られる。同じ読みの言葉をちがう漢字にする。登場人物がなぜたとえてしまうのかを人物に自覚させてもよかったのかもしれない。

K:さらっとしか読めていない。ほとんど初読。散文詩みたいな印象。ある程度ストーリーはあるが動いていない印象。最後まで読むと動いているが、表面的には動いていないように見える。頭のいい人が書いた文章だと思った。画家とか小雨が人形のように見える。

T:小雨の名前については
(作者:作品の深部とはあまり関わらない名前に敢えてした。その存在なのに姉に喩えられてしまうという皮肉。)

T:漢字が多いのでは?
(作者:漢字の方が一つの単語に対して連想される要素が多い。意図的に読みづらくしている部分もある。)

I:うまくミスリードされた気がする。画家と小雨が兄弟だと思っていた。エロスとタナトスの表現がとてもうまい。爆発の前の一瞬で苦痛と悦楽が頂点に達するという表現が特徴的。

S:好き。風船と少女でもそうだが、色彩を混じえながらそれとなく性的関係を表現することが
できている。優しさは全体を崩さないためか。
(作者:ひとつあるのが、直接的にすると、言葉のレベルに還元される。登場人物の名前に類型になる。)

S:名前に現実感が無いと引っかかる。小雨、灯はあまり無い。

K:文章はとても良いが、あまりいいとは思わなかった。レトリックにあまり引っかからない。登場人物が操り人形的である。各人が内的な論理で動いていて自由とは言えるが、実際には社会との関わりで動いている。この社会との関係が欠如しているのでは無いだろうか。画家はどのように生計を立てているのか、警察を呼ばないのかなど細かい疑問も。登場人物が観念化しているが、最後に画家が救われている理由が不明。小雨も父親が自己を罰したという外的な理由で救われているのが疑問。結末がいただけない。灯に対してひどいのでは。

A:評価できる点はある。人物像を分けて対面させていく手法。父親はうまく造形されている。小雨の父親の行動に必然性がない点に不気味さが強調されて納得できる。後半は時間がなかったのか。小雨が画家に父親を見出す場面で、「父に似ていたのだった」は不要なのでは。気づきの場面に説得力が欠ける気がしたので、丁寧に書き込んでほしい。父親以外の人物に必然性が感じられない点があり、あざとい。作品末尾での灯に対する名前の意味の付与など、人物を記号として扱うのか、内面を描くかなどの戦略が曖昧。明治の小説的。気づきに至る点で整合性が取れているかが不明である。作家の役割が不明。無理やり作品化のプロセスをねじ込んだだけなのか。即射的という言葉がきになる。

Ni:自分と距離を置いて読むとすごい作品だが、頭に内容が入ってこなかった。語法が大丈夫なのかという点が違和感。描きづらいものを描こうとしている結果ではないか。自分の中の描きづらいものを掬い上げようとしているのを感じた。何かわからないが、描くモチベーションが何かあるのだろうと思った。『アルゴールの城にて』の影響を感じたが、新人賞向きとは言えない。若いと感じた。期待感を感じる小説。

C:小説の整合性に関してはあまり取れていない自覚がある。細部で少しずつ破綻しているのを文章の力技でごまかしている部分がある。画家が父に対して気づく点として元から父が不在であり、そこから恐れと服従に気づくという構造になっている。内面を語るのに向いている文体とは言えない。救いに関しては、あまり救われたとは思っていない。小雨にとっては父から解放されること、画家にとってはあまり救われきらない。画家は小雨と姉を重ねようとして否定される。父はあくまで許されることにこだわるが、画家は許されきらないことで許される。笑い子の夏は画家の救済の象徴であるが、小雨に拒絶されて絵を焼くことで自らの救済を否定する。このことが逆に画家の救済となることを狙ったものである。あまりリアリティーのあるものとして読んでほしいわけではなく、あくまで虚構的なもので、作品的なレベルでの結びつきを読み取ってほしい。作品上で救われる。小説という技巧の上で解決される・されないということに取り組みたかった。父は描くのに苦労したが、そのおかげで人物造形がうまくいったかも。福永武彦の影響はあるかもしれない。

Ni:何らかの点で客観的、冷静に分析する視点が必要ではないか。

C:個人的には、完成度とは別の次元で、描きながらよくわからないエネルギーを感じた。それを対象化する必要があるのかもしれない。


「パーリンカ好きの、ある旅芸人」

My:「小説とは何か」みたいな所から始まって小説を書いている一部の派閥とは違い、書きたいものを書いた感じが全面に出た、難しいことを一切考えずに読める小説で、今号の癒やし枠を担っている模様ですね。しかし作者後記に『最も未熟な拙作』と言い切られると、じゃあこっちも本気で批評する義理が無いよね、と思う節もあり。読みやすい文章だなどという見え透いたお世辞も言ってるこっちが罪悪感で潰れるのでもう言わないことにします。ところどころに貼られた異国情緒によってかろうじて読み進めることが出来ますが、全編通して分かるのは旅芸人が若さと矛盾に溢れた人間臭い奴だということだけで、そういった人間の人生をただ描くタイプの小説は、雑に言えば「もう古い」。ところで最近思うのは、そういう小説だから駄目ということは全くないし、これからも書き続けてくれれば全然良いのです。アカデミズムに則った創作をすべきだというのは多分、ある意味では同調圧力でしかない。君のような創作者を受け入れてこそ、大学サークルというものではないかと(もちろん研究会である以上、創作研究に興味を持っていただけるのは本望ですが)。これからも、好きな時に好きなものを書いてくれると嬉しいです。

C:手堅さがあり、描写が丁寧。Youtubeや移民など現代的な課題を扱う意欲はあるが、成功しているとは言えないかもしれない。
旅芸人の異常性が少しわかるのはいいが、僕という人物の視点をもっと入れないと僕という視点の意味が不明瞭になる。「これから死のうとする人間にとって・・・」という末期の目を現代語で書かれると陳腐に感じる。矛盾を感じる点もある。

S:小説としてまとまっているが、さらっとしすぎていて、深く心に引っかからない気がする。旅芸人の描写が薄い。微妙なセクシャリズムが上手く描かれている。移民などの問題は現代において重要だろう。ルビが多いが、難読、難解な単語は必要なのだろうか。

K:面白かった。作者紹介はあまり良くなかっただろう。異国情緒という点は良い。ブタペストの描写がしっかりしていて、旅行ガイドブックのような楽しみ方もしている。このような面は大事なものである。文章も構成も手堅すぎる感もある。読んでいる間は楽しめたが、あまり残るものがない。youtubeが出てくるのが自然に現代的なものを取り入れられている気がする。その割に話が若干古臭いのは気になるが、話も表面的にも古いよりは良いと思う。Lineではなく、LINEが正しい表記ではないか。

A:私の話に矛盾がある。私がロクサナになぜ従うのか、なぜ惹かれるのか、なぜ自堕落になるのかなどが曖昧で良くわからない。このため最後の死からの再生があざとく必然性がない。ロクサナとの交際と芸術との関係が不明確。クルーズ船の歌手になっているが、死からの再生後に本当に芸術家になったという点の際が不明。僕という人物がこの話に惹かれ、語り継ぐ理由がよくわからなかった。ルビの問題も文脈にあっていないため、あえての難解な語彙は不要ではないか。彷徨、さすらうなどの揺れも。カタカナのルビも半端な感じがした。

K:結構好き。描写が細かくて本当に旅している感じがある。芸術に溺れていく点は頷ける。

T:非常に上手いが、鼻につく点もある。若い頃の小沢健二を彷彿とさせる。

I:舞台が未来なことが良い。東京オリンピックなどの使い方も面白い。
信頼できない語り手かもしれない。

Ni:うまく語られている。技巧的に優れていて、異国情緒もある。ただし、文章はさらっと読める、異国情緒などの点を除けば何も残らないのではないか。iPhoneやWifiを出す意味があまり感じられない。異国情緒を破壊している気がする。うまいこと騙されたような気になった。調子は上手いが、割と誰でもできるのではないかという疑いがある。良さとしては要領がいいといえる。


「SMAP殺人事件」

自作コメント:探偵小説である、という構造をどう茶化し、相対化するかというのに留意した。誰がどう殺したのかという問いに対して、どう無意味でグロテスクな死を与えるのかという点に気をつけた。人物を記号的なものとして想定し、理由もなく同一の行動をし、そこに意味を与えて、それをどう否定するのかという点に気をつけた。

K:テンションが好き。どういうオチなのかわからなかった。断片的な場面の切り替え方が好き。直接的な表現を使っているのをすごいと思った。読者アンケートがはさまっているのも面白い。

作者:断片的になるように意識している。人物の記号化と同様にメタ的な視点を出すことで、人物が作中人物であることを意識させる意図があった。

T:これで今後どうしようという展望はあるのだろうか。

I:複数の出来事をある時間の中で進行させている。語り手も記号化している。記号論特有の噛み合わない粗雑さがある。シュールレアリスムの中でも高度なもの。

作者:断片的な構造と通じているかもしれない。時間の前後関係があると因果律が生じるため、それを打ち壊そうとしている。

S:毎回意味を考えさせられるが、面白い。言葉の使い方が面白い。ある種のナンセンスさを狙っている。よく出てくる記号がそのままの意味だったり、裏を使ったりしている。それは何故なのだろう。例として菅野美穂。
(作者:適当に選んでる。若い女優を選ぶくらい)

S:このときスマップはどうだったのか。解散と殺人は象徴的に結びつくのか
(作者:時期としてずれている。特に考えていない。菅野美穂の時も。せっかくなら使えばよかった。)

S:高橋源一郎は意識しているのか
(作者:意識している。自分の次元でやりたい。言葉遣いとか。)

Ni:どこを読んでも面白かったが、行き当たりばったりで書いている訳ではないのか、どこから読んでも面白い。モノローグを効果的に使った漫画の方が面白いのではないか。この三人称の言葉だからこそ面白い箇所がある。つげ義春のような、振り切った他ではないような漫画になるのではないか。前回よりも楽しみやすかった。読むと面白い。局所的なひろいあげしかできないが。

K:下品なのがたくさんある。二章は読んでいてきつかった。僕には笑えない部分もある。小学生みたいなしょうもない発想が面白かった。

作者:前回(上原亜衣)は語りの現在に寄り添って、現在形で書いていった。今回はメタ的な時点を匂わせた。語り方の問題としてうまくいっているのだろうか。

I:読むのを止めてくれるものであり、良い効果だと思った。
K:特に気にならなかった。

作者:固有名詞、卑猥な言葉、グロテスクという三つの中でどれが印象に残るのだろうか。

T:グロテスク
I:固有名詞
K:固有名詞はもう慣れた感じがする。下ネタは慣れても下ネタである。
Ni:固有名詞と下品なものをずっと使っているが、どうしてなのか。
作者:固有名詞は付随しているイメージを利用する。下品な言葉は、語りの誠実さの問題である。口ごもってはいけないという意識がある。
Ni:それは動機として弱すぎるのではないか。他にも手段はある気がする。
K:あまりテレビを見ないため、イメージがある固有名詞がシャーロックホームズぐらいしかない。
作者:この固有名が通じるコミュニティが存在するということを感じてもらうことが重要な点である。