篠田節子

June 17, 2008

『聖域』 篠田節子 【by ぶんこや】4

聖域 (講談社文庫)


 これをただ単に精神を病んでいく者の物語として捉えるわけにはいかない。心の底から湧きあがる衝動、焦燥、魂の叫びのようなもの・・・そんな人間の心の奥底を描ききった、大変な力作である。
 主に報道を扱う週刊誌から、時代錯誤な文芸誌「山稜」の担当になった編集者・実藤は、仕事に忙殺されながら、自分の未来に漠然とした不安を抱き続ける。そんなとき、「山稜」が月刊から季刊に変更になることに抵抗して辞表を出した、やや精神を病んでいた前任者・篠原の荷物から、『聖域』という題名の非常に優れた小説を発見する。しかし『聖域』は最後の数十ページが欠落している。クライマックスを迎えた物語の残りの部分は今どこにあるのか、未完なのか紛失か、そもそもこの物語の作者は今どこにいるのか? そして、あちこちで耳にする、「この小説には関わるな」という忠告は、いったい何を意味するのか? 様々な謎を抱え、実藤は『聖域』の舞台である東北に、呑みこまれるように向かってゆく。
 多くの死者、土着の民間信仰、謎の宗教団体など、おどろおどろしい世界で彩られる小説であるのに、暗さや重苦しさよりも、静謐さが勝っている。人間の心にある執着や記憶が作り出す闇の部分を、これほどまでにしっかりと、しかも冷静に描ききっている作品が他にあるだろうか? そしてまた、古くから伝わる民間信仰や日本人古来の宗教観、そして歴史の中に葬られた蝦夷と呼ばれる東北から北海道にかけての民族といった、そのものからしてミステリー性を持つ事実をテーマにすることにより、実際には信じがたい世界や現象も、すんなりと受け入れられてしまう。
 執念、執着という点では、実藤の『聖域』に対する情熱は、鬼気迫るものがある。なんとしてでも続きを書かせたい。それはもう、読者のためや会社のためや売り上げのためなどではなく、自分のために、もしくは編集者の魂のために、とことんまで追いすがる姿勢は、怖くもあるが、ある意味うらやましさも感じる。





bunkoya at 00:30|PermalinkComments(3)TrackBack(0)clip!
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