大正711

◇新年の寄席(大阪)

❍三友派 法善寺紅梅亭、内本町紅梅亭、御霊あやめ館、松島文芸館、新町瓢亭、北新地永楽館、福島延命館。

❍反対派 法善寺花月亭、天満花月亭、新世界花月亭、上本町富貴亭、松屋町松竹座、平野町此花館、松島花月亭、新町福竹亭、堀江賑江亭、北陽(北新地)花月亭 。

❍大八会 千日前三友倶楽部、天満宮崎亭、新世界朝陽館。 

◇新年の寄席(京都)

❍三友派 芦辺館(交代連三木助、蔵之助、菊団治、かしく、三八、小妻、熱田神楽獅子一行外定連)、西陣
 館。

❍反対派 笑福亭(円太郎、枝太郎一派の落語)、西陣長久亭、大宮太平館、第一富士の家、第二富士の家。

◇紅梅亭新春交代連挨拶状

7月 003 1
7月 003

(表)新春交代連/初の御目見得 東京常磐津竹遊門下岸沢式多津・岸沢文吉/初の御目見得 東京女道楽藤間小若連一行/おなじみ音曲ばなし入船鯉かん/吉例寿獅子熱田神楽社中/外数名 なほ當派幹部若手連全員従前の通り出演/浪花三友派演芸場 法善寺紅梅亭 電南五七一番・六三二一番

(裏)御年中は御愛顧を忝ふし難有御礼申上候。尚相変らず御見捨なく御引立のほど奉希上候。連中一同/謹賀
 新年 浪花三友派南地紅梅亭

◇瓢亭出番順

7年 006

當る午歳一月元日より連夜正五時開演/出番順 落語春治、落語小枝鶴、落語玉団治、落語団の助、落語小文三、東京落語歌六、落語二調妻奴・円子、落語光鶴、常磐津岸沢式多津・岸沢文吉、滑稽落語春団治、落語文治、歌舞音曲藤間小若連一行、音曲噺鯉かん、落語文人踊花橘、新内吾妻太夫、落語松鶴、寿獅子熱田神楽社中/浪花三友派 しん町瓢亭/電話新町五一八番 

〈編者註〉「紅梅亭新春交代連挨拶状」は「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より、「瓢亭出番順」は『藝能懇話』四号(平成三年)より拝借した。なお大正六年十二月三十一日付「大阪朝日新聞」の新春寄席案内に「法善寺紅梅亭従前の一座に東京より常磐津式多津同文吉、藤間連一座、音曲鯉かん、熱田神楽獅々加はる」とあり、また大正七年は午歳であることから両方ともこの年のものと推定した。

大正711 神戸新聞

◇遊覧案内 ・・・▲神戸劇場 京山若丸、浪花大□、桃中軒桃子一行の浪花節▲大正座 雑居亭とも浪花節にて吉田小奈良、京山吾市、花の家芳雄、京山愛造一行出演▲千代之座御代之座戎座とも圓三郎、春輔一座の落語にて掛持ち▲中道亭 越榮、春吉、勝之助、圓久、勝春の娘浄瑠璃▲松本座 若千代、春駒、小東等の娘浄瑠璃・・・。

大正7134日 大阪朝日新聞

○笑はせる職業(一)近頃の落語家(上) 

大阪丈で三百人=給料併せて一万円=ボリとは何=木戸八文=赤串が二文=高座に銭箱  

「あんた何着てお行きる? お召? ほいたら私も彼(あ)の着衣(べべ)着て行こ」と綺羅を飾つて、ハンケチを忘れない様にワザ〳〵芝居へ泣きに行く人の気も知れないが、木戸三十五銭、桟敷二十五銭を絞られてまで寄席へ出掛け、「しやうむない〳〵」といひ乍ら「あは、あは」笑つている人もある。しやうむなければ笑はなくとも好いのに、烈しいのになるとお腹を痛く涙を出してまでしやうむながつている所に好い味があるのであらう。屠蘇の酔の醒めぬ中は兎角笑噺が肝要、人を笑はせて嬶や子供を養つている商売人の事を少し書いて。

大阪の落語の席で飯を喰つている連中が紅梅亭や永楽館などの三友派で落語家八十五人、色物(音曲其他の余興)で二十五人、花月亭などの反対派が合計百人余、大八会にも一寸百人、総計三百人はいるから驚く。文左衛門、曽呂利が隠れ、文枝、文三、文吾、松光が死んで大阪の落語界も追々淋しくなつて行くが、それでも之れだけの有象無象がいるのだから天下泰平といはねばならぬ。

反対派の好い連中はもと皆三友派にいたが、金で引張られて仕舞ひ、大八会は又反対派から生捕らうとし三つ巴の浅猿しい競争となつている。

此給料、三友派の五千円弱、反対派の二千五六百円、大八会の二千余円、合せて一万円は真実かどうか知らぬが、新米の「茶汲み」の月俸は初手で五円、「真打」「大真打」あたりで二百円乃至二百五十円は大方そんなものであらう。三友派にすれば川柳、圓馬、圓子、松鶴、文團治辺が二百円乃至二百五十円の格だといふ。

大阪の噺は全部で五百七八十、別に小話が五六百もあつたが、今は老人はとにかく、一人で五十も覚えている若い落語家は数へる程しかないといふから情ない。大阪の落語といへば船場辺の丸持商人、小商人、俳優、芸妓、妾、師匠、幇間、与力、蔵邸の侍、極道息子、番頭丁稚などの大阪らしい色彩を遺憾なく写し出した頗る立派な話が多いが、知らぬ間に亡びて、落語よりも却つて色物が受けるのは惜しい事である。好い落語は亡びて行くが、文久頃の上席木戸八文が入場料三十五銭、桟敷は別に二十五銭と騰つて来た。面白いのは昔の木戸銭払方である。八文といふのは通しの木戸銭で、是は普通の竹串を引替に渡し、別に一寸立見といつた格で二文で赤紙のついた竹串といふのがあつた。之をチヨン髷に挟んで中へはいる。下手な落語家なら赤串を一本で数人聴けるが、大真打になると一人で二三回位ボリといふのをやる。高座に銭箱が置いてあつて、カチンと相図の拍子で話の最中でも之を以てお茶子が銭を集めて廻るのがボリである。赤串はその度に二文とられる。(13

○笑はせる職業(二)近頃の落語家(下) 

落語の数を知らぬ=薄利多売に及ぶ=亡び行く落語家=曰くつきの祝儀=楽屋へ無心に 

昔の名人でもよく同じ話をしたが、それは客の注文上止むを得ぬに出たので、幾度話しても其代り飽かせる事はなかつた。今の落語家は話の数を知らぬために繰返すので「又か」と客は欠伸する。そこで此の十一月、紅梅亭で一箇月中試めしに各自毎日必ず変つた落語をさせて見た。一座が十五人で一月間であつたから一人で三十の落語、全体で四百五十の別種の話が出た事になるが、是以上はどうか判らぬ。

落語家の階級にも色々ある。始めポツと出の奴さんは「茶汲み」といつて高座の先輩や楽屋の小使見たいな事をする。次に「前叩き」になつて始めて高座へあがる──といふと大層好いが、客に聞かせるためではない。毎日五時半頃まだ一人も客の来ない自分に高座へ出て無暗に見台を叩き乍ら畳に向つてペラ〳〵饒舌るのである。落語は大抵例の「東の旅」「西の旅」から「地獄八景」だの「百人坊主」だので、之を矢鱈に饒舌る。表を通る人がつい見台の音に釣られてはいつて来る。一人でも客が来るともうお役目御免で、好い加減にドン〳〵楽屋へ逃げ込んで仕舞ふ。

「前叩き」から「前座」になると先づちよいと落語家といふ名がつく。前座から「中座」(三つ目乃至四つ目)「格真打」「真打」終りのどつさりなどが「大真打」といふ事になる。

彼等の受持時間は上席で普通が二十分、真打が三十分といふ。大抵時間よりは手つとり早く片付けてどん〳〵掛持に出る。大八会などでは一人の受持五分間で活動のフイルムよりも素早く薄利多売に及ぶ。落語を三分一ばかり知つていても十分お茶を濁せるのは上席でも何処でも同じ事で、好い落語や落語家が亡びて行くのも当然である。

掛持は普通一日四回、前掲の月俸は無論この総計。「茶汲み」や「前叩き」は一箇月で同派の各席に居候して廻る。掛持先は市内ばかりでなく京都辺まで毎晩の如く掛持する。夜の京阪電車などに一寸したインバネスを着込んで、身上は是一つといふ衣裳を入れた手提鞄(ケース)を大切さうに膝の上に乗せて、黒い眼鏡なんかをかけている人相の好くない男がいたら、掏摸(すり)でなければ落語家である。昔の掛持は皆駕籠に乗つたものだが、明治二年初めて俥で南から天満へ掛持したのが曽呂利新左衛門であつた。毎日沿道は見物の人の山を作つたといふのは当人の自慢話だが、但し余り女は出て見なかつたさうである。

今でも時々落語家に敬意を表しに来る厄介な女が随分ある。贔屓先の奥様でもない女から五円も祝儀を貰へば大抵曰くつきださうで、桟敷へ挨拶に出掛けると「暇なら何処(どこ)ぞへ御飯でもたべに行きまほ」といふ事になる。中にはあべこべに御飯代を支払はされたり楽屋に無心に来られたりしては却つて訛(だま)される連中が多いといふから心細い。(14

大正714日 大阪時事新報

<午歳に因んだ大阪落語>

◇馬の田楽 桂文団治に大阪種の落語を聴く 

 天保庵と名乗り畳屋町の小庵に時に風流を楽む桂文団治を訪うて大阪落語で馬に因んだのはいくつほどありますかと問へば、「さうですな、十ばかりはありませう」と指を折つて数へて見る。曰く鷹奴、馬の田楽、廐の火事、小栗の碁盤乗り、付け馬、籠馬、尻馬、馬士茶屋、曰く何と成程可なり沢山ある。

馬の田楽は如何にも生酔の写生に話術の妙味がある。あまりやらぬ鷹奴は面白いがサゲが少し品が好くない。その外のもそれ〴〵に可笑しいが今茲に馬の田楽と鷹奴との二つを記して見る。

馬の背へ味噌桶を積んで馬士(まご)がやつて来た。馬をつないで用達している間に近所の腕白どもがやつて来て馬の腹の下を通つたら偉いとか、馬の尻尾を一本引抜いたら義経はんにしてやるとかいふ。無茶な子供がとう〳〵馬の尻尾を引く。馬驚いてかけ出して行方が知れなくなる。馬士が出て来て探し廻り、生酔に今背中へ味噌をつけた馬が走つて来ないかと問へば、生酔が眼を据ゑて「俺はまだ馬の田楽を喰つたことがない」といふのがサゲになつている。

鷹奴は殿様が将軍家から富士越しといふ名鷹を拝領し御帰国あつて鷹狩、鶴とこの鷹が相戦つて急流の向ふ岸へ落ちる。誰も急流を越す者がない。そこへ博奕で素寒貧(すかんぴん)となつて折助がきて流へ飛込み鷹と鶴とを持て戻り殿様の御機嫌にかなふ。折助はきつと金の褒美を貰へると喜んでいると殿様は馬をくれた。仕方がないから毎夜馬にのつて素見(ひやかし)に行く云々の筋である。

大阪落語はこれ位だらうが、東京は柳の馬場の強情盲人、三味線栗毛のガラッ八などいろ〳〵とあるやうだ。

大正714 山陽新報(岡山)

<近松屋門左衛門一座・岡山大福座>

◇大福座 東西合同落語三ツ扇会は連日札止の景況なるが、四日目の出番左の如し。

子石船(雀圓)新町橋(掛合)越後屋(小圓子)やぐら(花圓太)道成寺(小ゑん)殿野江(権助)一生がい(五郎)お花半七(茶楽)立ちきれ(小文都)三軒茶屋(圓鹿)穴煙鉢(信太郎)宗論(門左衛門)大切どじょうすくい引抜鶴亀三番

大正717日 九州日報(博多)

<助六円左合同一座・博多川丈座>

◇川丈座(博多) 東京落語雷門助六三遊亭圓左一座は初日以来大入満員なり。今七日目の番組左の如し。

小言幸兵衛(寿楽)浮世節(和佐八)曲芸(茶目松、茶目助)三軒長屋(圓左)西洋運動(森田)花見の仇討(助六)切獅子の曲手踊

大正7111日 大阪朝日新聞京都付録

○新春の興行(三)芦辺館  

新春の表飾りが他の興行席に比べ高尚にまた粋に能く整ふているのは落語席芦辺館である。元来高尚と粋とは容易に相伴ふものではない。何につけ彼ににつけこれを伴はす事は頗る至難の業、夫にも拘らず同館の表飾りは確かにこれを実現して居る。

舞台に現はるゝ落語家中には京阪者と東京者との別あり、見台を控える者と見台を控えないものとの二派ある。其処には幾代時代若くは芦辺館の改称当時とは別段変りはない様だが、変つたのは落語家のお顔触れ、次では客筋も亦以前とはズツト変り、大声を発して演し物の注文を競ふものもなく、一つは落語家に顔馴染となる定連の少いからでもあらうが、又一つには同じ噺を幾回となく繰返し〳〵聴く人物のなくなつた故でもあらう。ダカラ聴衆は頗る静かで、而して余念なく噺に耳を傾く。此は落語家に取り頗る演り難い事かと察す。

入り代り立代りいろ〳〵雁首さし代り夫々ご機嫌伺ふうち、女にすれば定めてと思ふ南枝、羽織法衣の尼姿は振にも目づかいにも溢るゝ程情がある。この人落語家となるよりか何故俳優とならなかつたと思はす。〆吉といふ縮れ毛の蝶々髷、三味を携へ舞台に現はる。清元と浮世節が専門らしい。二ツ三ツ都々逸を唄つて後は「京都名所ご案内」と唄ひ出す万歳の替歌にお茶を濁し、続いて浅黄羽織の男舞、起居から総てが未だ一向舞台馴れないも道理、〆吉はこの一日から舞台に出たもの、曾て先斗町で芸妓を働いていた東京生れのおつま、おつまの過ぎし世渡りには随分味な苦労がある。殊に近状に於ては此舞台に出演の已むなき事情が潜んでいるとか。

三八もこの一日からの出演。羽織の定紋蛇の目は二三分形小さくなつた。けれども身体はドツシリ太つて益(ますます)光が増し、枕に噺した手を切つた女房の電車事故、古い形でも新しう作する利巧さ、アヽ云ふ噺しはツイ客を釣込み喝采を呼ぶ。

熱田神楽獅子の石童丸は振は兎も角声美くしく、苅萱に扮する獅子は一生懸命振細かく悲哀溢れ、獅子の目から熱い涙がホロリ出さうだ。大皷の男二人共熱心に五体が固結している。何は偖措き一座の熱心を迎へて遣らねばなるまい。

菊団治が「ヒステリーの女房」噺は垢抜けのした船遊び、後は山高帽子に小倉袴の一寸田紳「琉球へおジヤルなら‥‥」の一踊りに舞台から転び落る杯、落語家も亦辛い哉だ。

大正7115日 大阪時事新報

<第一回三友派落語青年会・延命館>

◇落語青年会 十五日正午より上福島延命館にて第一回を催す。 

 二人旅(米花)、島めぐり(春枝)、寄合酒(春松)、みかん売(春治)、野崎詣(小米喬)、武士の魂(米紫)、余興掛合噺(文作・鶴光・万十)、口入屋(団之助)、親子茶屋(枝女太)、大切寿獅子(熱田神楽連中)。

大正7年1月11日 京城日報

◇浪花館 東京落語春風亭柳窓一行にて開演中なるが、一行中の水量軒アヒルが十一日より落語大阪天王寺名所を演ずる外、余興も日々差替べく又入場料も値下げすべしという。

大正7119日 神戸新聞

<橋本川柳独演会・神戸千代廼座>

◇千代之座 二十日正午より川柳独演会を開く當日番組左の如し。

伊勢参宮(米之助)高野山(染五郎)いしくらべ(川柳)間違い(小半、一圓)女ケ島(川柳)勧進帳(春輔、圓天坊、圓三郎、扇蔵)淀五郎(川柳)稽古屋手踊(川柳)

大正7128日 東京朝日新聞

◇後で考える 大阪から来た紙切のおもちゃも最初演芸会社よりの筈も睦會に引張られて了ったので、会社側は少し奮発して此方で出せばよかったは何ぼおもちゃでもそうは捻(ひね)くられまい。

大正7131日 大阪時事新報

<五代目柳亭左楽が来阪、反対派の席に出る>

◇落語反対派 二月一日より東京より左楽、楓枝等出演。南地花月亭、上本町富貴亭、北陽(北新地)花月亭その他組合席へ。

大正7131日 京都日出新聞

◇落語家福寿は盗人  盗まれたは円笑と茶子  

本月廿日の午後六時頃の事、河原町四条上る落語家笑福亭円笑事河合亀太郎の留守宅へ表戸の錠前を捻ぢ切つて賊忍び入り、七子三ツ柏五ツ紋羽織、鼠縮緬、同五ツ紋の羽織、茶縮緬の同羽織、黒縮緬の同着物、黄八丈袷、先代平袴其他大島の綿入れ等、合計廿点、時価三百零九円余の物を窃取せられたる事を帰宅後発見、さしも喋る商売柄でも開いた口が塞がらぬ程驚天して物も云へず、毎度高座にかける盗人の頓間さを反対に味はふて見た頓間さを泣面かゝへて五條署へ届出でたるに、杉本刑事部長、岩井、小阪、松尾、日原の各刑事は現場に臨検し細密に取調べたる結果、同家に「おてい」と呼ぶ狆を飼居たるに、近所の人の曰く、誰か知らぬが夕刻に頻りに吠立て居たる狆に対し「おてヨ、おてヨ」と二声三声呼びかけたれば夫れなり鳴き止みし由を聞き、偖は此家へ屡々出入する者の所為と目星を付け段々詮議するに、以前円笑の弟子にて福寿と称し笑福亭の下足番より落語家に引上げ貰ひたる通称芳公事岡崎町池の内岡田芳太郎(二十七年)と云ふ窃盗前科三犯を有せる者あり。(中略)取調ぶるに師匠の宅へ忍び込んだる他、廿四日夜も笑福亭へ忍び入りお茶子の井枝ひさ(二十八年)が大事の大事の良人に与へんとインバネス一着を廿四日に買ひ、明日良人の処へ持ち行きて悦ぶ顔を見んものと楽い夢に憧憬(あこ)がれて居る中に盗み取り、猶十二月廿八日には宮川町松原下る大川端の貸座敷若竹事磯貝末吉方で暫時客より預かり置き台所の水屋の棚へ乗せ置きたる十八形金時計金鎖付一箇時価六十円を窃取し、之れ等は全部前記(古物商)岩井方へ売却したるが、二三の引解(ひきとけ)無代にて貰ひたる処より岩井清次郎も臓品収受及臓品牙保罪に依つて五條署へ引致されたり。

大正7131日 神戸又新日報

◇千代廼座 奇術正光を余興として、来月は左の顔触れ。

文團治、圓遊、小半、圓三郎、春輔、圓天坊、圓歌、染五郎、扇紫[]、来[]之助、都枝

大正721日 大阪時事新報

<四代目橘家円蔵が来阪、三友派の席に出る>

◇円蔵その他 二月一日より浪花三友派へ東京の円蔵、常磐津娘連、長唄舞踊柳家さん子、まつ子、安吉、琵琶水也田呑洲等出演。又同派の法善寺紅梅亭にては一日より関東関西落語長講会と号して東京方は円蔵、川柳、遊三、鯉かん、大阪方は染丸、金枝、松鶴、文治、春団治、余興には左記の常磐津娘連、長唄歌舞の女連、呑洲琵琶等を演ずと。

大正721日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館 一日よりの出演者は米団治、花橘の外、音曲手踊(門左衛門)、歌舞音曲(燕朝、小燕朝)、清元浮れぶし(〆吉)、少女浄瑠璃(竹本君子、三味線越春)外定連全員。

大正721日 神戸新聞

◇神戸劇場 萬歳一座は非常なる盛況にて瀧子の剣舞は喝采なり。

◇大和座 従来の萬歳一行に本日より奇術天洋、天月、登美子、萬歳芳丸を差加える。

大正721日 山陽新報(岡山)

<助六円左合同一座・岡山大福座>

◇大福座 今一日より雷門助六、三遊亭圓左一座の落語にて開演。

笑話手踊(三遊亭左喜代)落語(雷門ぼたん)笑話すててこ(立花家圓三)落語声色(雷門助三)落語手踊(三遊亭圓柳)音曲噺(雷門小助六)落語(喜久亭寿楽)義太夫(竹本團京)浮世節(稲葉家和佐八)皿の曲(雷門茶目松茶目助)人情噺(三遊亭圓左)笑話扇の舞(雷門助六)所作事七変化早替り切落語喜劇

大正728日 香川新報(高松)

<助六円左合同一座・高松常盤館>

◇常盤館 来る十一日東京落語名人会雷門助六一行、もたれ三遊亭圓左、女道楽稲妻家和佐八、竹本團京等にて開演其連名左の如し。

左喜代、ぼたん、圓三、南陵、圓柳、助三、寿楽、團京、和佐八、三遊亭圓左、柳派雷門助六。

大正729日 京城日報

◇浪花館 毎夜六時より開演京阪落語若手一座語楽会。今晩より東家淡月氏応援として出演。

落語(遊玉)落語滑稽浪花節(笑三)落語手踊(遊生)落語音曲(花輔)落語(右圓遊)手踊浪花節(淡月)落語手踊(歌六)大切喜劇(総出)

大正721012日 大阪時事新報

<橘家円蔵独演会・紅梅亭>

◇円蔵独演会 南地紅梅亭にては十日正午より東京落語家橘家円蔵の独演会を開く由にて、その番組は左の如し。 

 御祝儀近江八景(円弥)、一ト目上り(円玉)、余興常磐津夕霧伊左衛門吉田屋の段(岸沢己弥・美知子・式多き)三人旅首提灯(円蔵)

<円蔵独演会を聴く>

◇十日の日曜の正午から紅梅亭で円蔵独演会が催された。円弥の近江八景、円玉の一と目上りの前があつて円蔵が高座へ現はれた。

始めは三人旅。大阪で伊勢詣などいふ類の道中の笑ひ草、耳馴れた落語だが昔の旅の写生文を見る如き感じのする処が命。流石に此人の達者な話振に一層の光りを添へた。 

次は極楽道。善光寺如来の縁起に始まり御血脈の為め極楽行が殖え地獄が淋れるので、閻魔の命をうけ石川五右衛門が血脈を盗み、それを頂くとその御利益で極楽の方へ行つて仕舞ふといふ筋。円蔵は舌の達者なことゝ言ひ草に江戸ツ子の歯切れの好い面白さがある。この話の前半の如き言ひ草の可笑しさでグン〳〵客を釣つて行く。

次は余興として東京初音連の岸沢式巳弥等のお園六三の道行。式巳弥といふ女の喉は寄席芸人に成り切つて節廻しにも味を聴かせたが、調子づいてくると手にした扇で拍子を取つたりするので行儀が悪かつた。

追出しは円蔵十八番の首提灯。例によつてうまいには違ひないが、武士が何だか散髪の書生坊のやうに聞こえたのが気になつた。(藍微塵)(212

大正7210日 大阪時事新報

<柳亭左楽独演会・南北花月亭>

◇左楽独演会 十日正午より北陽(北新地)花月亭にて独演会を催す番組は左の如し。 

 二人おかる、逸見十郎太、東京寄席会社の内幕、子別れ。舞踊(補助紋右衛門)。

又十一日より南地花月亭にての番組は左の如し。 

 包刀間男、桜痴居士の逸話、東京寄席会社の内幕、五人廻し。舞踊(補助紋右衛門)。

大正7215日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館 十五日から三日間毎夕六時開演にて東京落語家円蔵が出演する筈。尚染丸も交代で出演するといふ。

大正7223日 京都日出新聞

◇京都倶楽部例会 二十三日午後六時半より京都倶楽部例会開催余興として新京極芦辺館連の出演あり、番組左の如し。

 落語(円松)、落語(扇太郎)、手踊(若橘)、落語(枝雁)、東京噺(夢輔)、音曲踊(門左衛門)、落語(正団治)、落語踊(花橘)、落語(文之助)、少女上るり(君子・越春)

大正7224日 大阪朝日新聞神戸付録

◇千代之座は今二十四日落語日曜会を開く 兵庫船(米之助)三人旅(染五郎)軽口武士の遊び(小半、一圓)地震加藤(春輔)崇徳院(圓天坊)立切れ線香(圓三郎)吉野花山(正楽)三葵天下記録(扇蔵)文七元結(圓遊)五人裁き(文團冶)

大正7228日 大阪朝日新聞

<伊藤痴遊が来阪、反対派の席へ出る

◇落語反対派 南地法善寺花月亭始め各組合の交代連は前一座に伊藤痴遊、雀家翫之助、春風亭小柳枝にて、新加入の円枝、円遊、枝三郎も出演。

〈編者註〉伊藤痴遊の三月四日から三十日までの演題と出演席は以下の通り。なお痴遊の宿泊所は日本橋北詰東入る岸沢屋旅館

四日:高杉晋作と吉田松陰(南地花月亭)、獄中の陸奥宗光(北陽花月亭)、星了と伊藤内閣(上町富貴席) 

五日:高杉晋作筑前入り(南地花月亭)、陸奥宗光と農相(北陽花月亭)、山県内相と自由党(上町富貴席)

六日:征長軍の高杉晋作(南地花月亭)、陸奥宗光の命名(北陽花月亭)、頭山満と松方正義(松島花月亭)

七日:乃木将軍(南地花月亭)、陸奥宗光(北陽花月亭)、井上馨(松島花月亭)

八日:乃木将軍(南地花月亭)、陸奥宗光(北陽花月亭)、山本権兵衛(松島花月亭)

十日:乃木将軍の馬蹄組(南地花月亭)、陸奥宗光と大鳥圭介(北陽花月亭)、松島花月亭は伊藤博文と伊東
    巳代治(松島花月亭)

明治遷都の裏面、天下の糸平、桜田事件と安藤対馬守(北陽花月亭・正午より独演会)

十一日:乃木将軍の旅順(南地花月亭)、陸奥宗光と小村寿太郎(北陽花月亭)、大隈重伸と来島恒喜(松屋
     町松竹座)

十二日:乃木将軍と旅順攻囲戦(南地花月亭)、大鳥公使と大院君の王城入り(北陽花月亭)、頭山満と松方
     正義(松屋町松竹座)

十三日:乃木将軍の夫妻の殉死(南地花月亭)、袁世凱の夜逃と日清開戦(北陽花月亭)、山本権兵衛(松屋
     町松竹座)

十四日:奇骨中井桜洲山人(南地花月亭)、下関講和談判(北陽花月亭)、佐久間象山(松屋町松竹座)

十五日:田逓相の昔(南地花月亭)、日清講和旅順還付の顛末(北陽花月亭)、後藤象次郎と大江卓(松屋町
     松竹座)

山岡、西郷駿府城の会見、井上馨遭難後日譚、憲政党内閣の瓦解(南地花月亭・正午より独演会)

十六日:小村寿太郎と侠商魚武(南地花月亭)、山本権兵衛と広瀬武夫(北陽花月亭)

十七日:憲法発布当日の悲劇(南地花月亭)、浅田大将夫妻(北陽花月亭)、頭山満と松方正義(堀江賑江
     亭)

十八日:森文相暗殺事件(南地花月亭)、後藤象次郎と大江卓(北陽花月亭)、大久保利通と中井桜洲(堀江
     賑江亭)

十九日:三浦将軍(南地花月亭)、森文相暗殺事件(北陽花月亭)、木戸孝允と女(堀江賑江亭)

二十日:三浦将軍と朝鮮王妃事件(南地花月亭)、憲法発布当日の悲劇(北陽花月亭)、陸奥宗光と女(堀江
     賑江亭)

二十一日:怪物頭山満(南地花月亭)、島津斉彬と西郷南洲(北陽花月亭)、田逓相の昔(福島花月亭) 

星了除名の議会、頼山陽と川上東山、後藤新平と板垣退助(南地花月亭・正午より独演会)

二十二日:伊藤博文と伊東巳代治(南地花月亭)、島津久光と南洲(北陽花月亭)、憲法発布当日の悲劇(福
      島花月亭)

二十三日:山本権兵衛と広瀬武夫(南地花月亭)、安政の疑獄と南州(北陽花月亭)、大久保利通と中井桜
      州(福島花月亭)

二十四日:星了(南地花月亭)、流罪中の西郷(北陽花月亭)、井上馨遭難後日譚(福島花月亭)

二十五日:陸奥宗光(南地花月亭)、薩長聯合西郷南州(北陽花月亭)、小村寿太郎の伝(福島花月亭)

二十六日:伊東巳代治出世譚(南地花月亭)、田逓相の昔(玉造三光館)

二十七日:後藤象次郎と大江卓(南地花月亭)、伊東巳代治出世譚(天満花月亭)、大久保利通と中井桜洲
      (玉造三光館)

二十八日:桐野利秋と大井憲太郎(南地花月亭)、乃木将軍と聯隊旗問題(天満花月亭)、憲法発布の当日
      (玉造三光館)

二十九日:大隈重信と来島恒喜(南地花月亭)、乃木将軍と夫人静子(天満花月亭)、井上馨遭難後日譚
      (玉造三光館)

三十日:板垣退助と後藤新平(南地花月亭)、大隈重信と爆弾事件(天満花月亭)、小村寿太郎と侠商魚武
     (玉造三光館)

大正7228日 大阪時事新報

<一龍斎貞山・富士松加賀太夫が来阪、三友派の席に出る>

◇浪花三友派 三月一日より東京一竜斎貞山の講談義士伝と富士松加賀太夫、同宮古太夫の富士松浄るり。

7月 002 1

當る三月一日より連負全部出演 貞山加賀太夫の外に交代連数名

義士伝長講(出演時間十時より)一龍斎貞山 おなじみ久方ぶりの出演

富士松節 家元富士松加賀太夫・富士松宮古太夫 東京音楽学校専属技芸員

浪花三友派芸場 紅梅亭 電話南南五七一・六三二一番

〈編者註〉上掲の案内状は「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より拝借した。

二人の語りものは以下の通り。加賀太夫は十四日まで出演。

三日:義士倉橋伝助の伝(貞山)富士松節は弥次喜多赤坂並木(加賀太夫)

四日:義士岡島弥十右衛門の伝(貞山)富士松節は三勝半七美濃屋の内(加賀太夫)

五日:義士神崎与五郎(貞山)累の身売(加賀太夫)

六日:義士勝田新左衛門の伝(貞山)富士松節蘭蝶(加賀太夫)

七日:義士横川勘平(貞山)富士松節はおこま才三白木屋(加賀太夫

八日:義士大高源吾(貞山)富士松節は千両幟(加賀太夫)

九日:義士寺坂吉右衛門(貞山)富士松節は五右衛門寄合(加賀太夫)

十日:義士二度目の清書(貞山)富士松節は弥二喜太市子の口寄(加賀太夫)

十一日:義士三村次郎右衛門富士松節はお国六三福島屋

十二日:貞山は義士猿橋左門富士松節加賀太夫は佐倉宗五郎住家

十三日:貞山の講演は義士岡野金右衛門富士松節はお花半七井筒屋

十四日:義士不破数右衛門(貞山)富士松節弥次喜太一の谷組打(加賀太夫)

十五日:義士神崎与五郎の出立   十六日:倉橋伝助

十八日:義士大石妻子の別れ    十九日:柳生二階笠

二十日:義士伝岡島八十右衛門   二十一日:義士伝堀部安兵衛生立

二十二日:義士伝瀬田主水     二十三日:小山田庄左衛門

二十四日:千葉三郎右衛門     二十五日:相馬大作

二十六日:梅川忠兵衛の実録    二十七日:佐倉義民伝

二十八日:義士伝の勢揃      二十九日:討入

大正7227日 京城日報

[広告]/浪花館/従来の一座へ今回更に座長として召聘せし東京落語界の重鎮三遊亭圓都、今晩より出演。落語(遊玉)落語音曲(笑三)落語手踊(遊生)落語音曲(花輔)手踊(三輔)落語(右圓遊)落語手踊(歌六)落語音曲(圓都)大切喜劇(総出)