大正103月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より各席へ清元手踊(〆松、〆太)、音曲(ハレー)、長唄舞(絹子、円子)、曲芸(丸一社中)。

十一日より各席へ東京茶番巴家寅子一派、丸一小仙一行が出演。

二十日より紅梅亭にて笑福亭竹山人追善演芸会。三友派若手連の外にウオンダー正光、旭堂南陵、ハレー、
  丸一小仙一行。

◇吉本花月派

一日より各席へ東京落語三遊亭円歌、少年曲芸亀の助、亀の子、錦心流琵琶田村稲水、幼年落語桂三吉。                   
 十一日より各席へ円太郎、紋右衛門、千橘、円遊、残月、文団治、米団治、枝雀、春団治、文治郎、五郎、
  東京より三遊亭円歌、丸井亀の助、亀の子、琵琶の滔水等出演。【下図参照】

 十一日より堺寿館へ春駒、文蔵、団勝、春松、星光、菊団治、小糸、喜之助、扇枝、直造、円太郎、福助、
  喬之助、文治郎、千橘、升三が出演。 

十一日より千日前三友倶楽部にて出雲名物安来節。【下図参照】

十三日正午より南地花月亭にて円歌独演会。演題は「新作・電報違ひ」「文政侠客・武蔵屋太兵衛」「声色
  入落語・芝居風呂」「新人情噺・旭の旗風」等。

二十一日から天満花月亭にて松本三八二一行鰌掬ひ。

大正1032日 京城日報

[広告]特別興行/大流行の出雲名物安来節一行/天下一品鰌すくひ/萬歳剣舞落語其他諸芸廿余名の大一座/愈々三月三日より開演 浪花館

大正1033

◇東京で雑誌『寄席』(きくすゐ社)が発行される。

大正10年 001〈編者註〉以降月二回、一日、十五日に発行され、大正十一年一月一日二十号をもって終刊した。もちろん東京の寄席記事が中心だが、大阪、京都、神戸に関する記事も若干含まれており、それらを取り出して宮尾與男氏が「大正十年の関西寄席界」と題して『上方芸能』56号・57号(昭和534月・7月)に発表された。新聞記事とは一味違うおもしろい記事が多く、発表当時もたいへん興味深く拝読させてもらったが、今回ちょうど時期がぴったりで、改めて転載(孫引)させていただくことにした。なお当ブログへの掲載月日は雑誌の発行日としたが、内容的には半月前のものになるため、一日発行のものは前月の最後の項に掲げた。また表記は『上方芸能』のままとしたが、表題、段落、句読点等一部変更したことをお断りしておく。

大正1036 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇西陣長久亭 大阪浪花吉本組の安来節は頗る好評で毎晩満員の盛況を呈している。

〈編者註〉反対派が岡田派、吉本派に分裂後、長久亭だけが吉本反対派の席となった。

大正1038 京都日日新聞

<桂三八と村上桂州>

◇三八の萬套 少し話は古くなるが、過ぐる頃知つてる会の催された夜の午前二時頃、草木も眠る丑満時に、芦辺館の三八を引具した一団が縄手の去る料亭に繰り込んだ。出るだけの料理を食つて了つた三八は他の連中が一生懸命にパク付いている間に軍隊式に自分は食へるだけを食つて、萬套を着込んで自分の荷物をチヤント携帯に及んで、半分居眠りをしている姿が酒に酔つた羅漢さんの様で、その珍妙な姿を見た先斗町のしげのは泣いて笑つたとの事。それ以来、三八と料亭へ行つたものは「萬套着よか」と云ふ言葉が一つの流行となつているそうだ。

◇桂州の琵琶 村上桂州とは三八によく似た頭の持主、筑前琵琶をやつている。この琵琶をやつている間には一向ヒイキも薄いが、余興の三味線琵琶になるとヤンヤと喝采される。それ丈け当人も琵琶より余興に熱心になる。そこで昨夜から木佛庵主人作のこんなものをやつている。それは「御所の五郎蔵」文句入の都々逸で ふし「月が晦日に出るてふ廓も 五郎蔵「エヽやかましい、がらくためら、うぬらが心に引較べ吝嗇なことを言やあがるな、百両はさておいて、千両、万金を積んでも手切の金を取るものか、欲しくば今に延金を」、ふし「暮れて淋しい闇もある」。

大正1039 京都日日新聞

◇机上偶語 木佛庵(二十九) 

…友人京亭クンが俄に思ひ立つて浄瑠璃の稽古を始めた。「鎌倉三代記」三浦之助別れの場と云ふ皮肉なもの。これを聞いた芦辺館の三八曰く「どうかシッカリ頼みます、せめて隣の味噌屋が転宅せぬ範囲で」と云つたなど振つていた。落語の中に家主の自慢浄瑠璃を聞く為めに親子が水盃をして聞きに行くと云ふ落語なども思い出される。

大正1039 台湾日日新報

お糸一行開演 昨日到着した出雲名物安来節正調家元渡辺お糸の一行は愈々本夜から向ふ五日間栄座で開演するがお糸のこの一行は内地到る処に於て人気を蒐めた有名なもので悉く本場の連中で女連は出雲芸者の中から選り抜いて座員に加へたものだ左宇多(そうだ)。其の主なる番組は浪花節、落語、手踊、少女安来節、名古屋万歳、鴨緑江節、正調安来節、安来節手踊の外座員総出で安来節や名物の鰌掬ひを出演する筈で鳥渡眼先の変つた丈けに面白く過ごされるだらう

大正10310日 九州日報

◇柳家小さん 同好者に久しく期待せられたる東京落語柳家小さんは、三遊亭金馬、松柳斎鶴枝、柳家小せん等の幹部及び歌沢富小満、北海道追分節の名手柳家三の女連其他若手腕揃いにて、九州巡業を為し、長崎南座を振出しに廿日より博多川丈座にて開演すべしと。

大正10311日より

◇南地花月亭弥生大興行出演順

大正10年 001

弥生第興行 當る三月十一日より連夜

東京落語の泰斗 三遊亭円歌 久方振りの御目見得 東京少年曲芸界の名物 丸井亀の子 丸井亀の助 おなじみ 錦心流琵琶界の巨星 田村滔水 久々出演

出演順:落語鯛六、落語せんば、落語小雀、落語扇雀、滑稽掛合茶好・半玉、落語文団治、教育美談残月、曲芸直造、音曲踊千橘、落語文治郎、落語春団治、東京落語円遊、落語舞踊五郎、錦心流琵琶稲水、少年曲芸亀の子・亀の助、東京落語円歌、落語ざこば、東京落語円太郎、落語枝雀、落語声色振事紋右衛門

南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正10311日より

◇千日前三友倶楽部出雲名物安来節

大正10年 001

當ル三月十一日より昼夜開演

安来節 博多節 出雲けん 曲太皷 鰌掬ひ 尺八琴合奏 落語 手踊 鴨緑江節 腹芸

千日前三友倶楽部 電話南三九七七番 吉本興行部経営

連名(省略)

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。大八会の連名席であった三友倶楽部がいつから吉本興行部経営になったか判然としないが、十月十一日改正の吉本の出番表(下記参照)に「千日前三友倶楽部 (安来節)五座長合同一行」とあり、この年のものと推定した。

大正10312日 京城日報

<伊藤痴遊来る・朝鮮浪花館>

[広告]天下一品新講談 伊藤仁太郎事伊藤痴遊氏 當ル十三日ヨリ十七日迄講演/京城明治町 於浪花館

大正10315 京都日出新聞 

◇富貴 十五日正午第五回落語おさな会開催し、番組左の如く、反対派青年連が火花を散らす。

 牛かけ(福松)、道具屋(勝路)、住吉駕(花丸)、鼻ねじ(小染)、名画(扇太郎)、珍力士(歌遊)、滑稽掛合(小文字・五郎・十郎)、鬼あざみ(助六)、越橋中(円三郎)

大正10316 京都日日新聞

◇机上偶語 木佛庵(三十四) 五郎君から手紙が来ている。曰く、廿一日横浜千秋楽。廿二日伊勢大廟参拝、廿三日一寸京都に下車して好きな落語の三八を聞きたい予定、但し僕丈好きで三八さんは御存なし、つまり片思ひの形ですと注釈がある。廿三日の夜は芦辺館で三八のあの人を呑んだ様な時局談を聞いて自己満足をする五郎君の顔も見られる訳だ。その末尾に僕の京都の△△△ーとあつたのは聊か不可解、三八相手に片思ひとは五郎君ならではいうに云はれぬ芸当だ。一寸京都に下車して云々とは三八クンも色男の部に這入つたものだ。イヤこれは失礼、三八クン。

大正10320 京都日出新聞

◇芦辺館 二十日正午より竹山人追善演芸会開催する由。

大正10320日 九州日報

[広告]期待されたる名人落語 東京落語界の名人三遊亭金馬 北海道馬方節追分節柳家三八 歌沢寅右エ門門下秀才歌沢寅小満 日本一落語名人柳家小さん/愈々本日より五日間川丈座

大正10322日 九州日報

<柳家小さん一行・博多川丈座>

◇川丈座(博多) 生粋の東京落語として前人気を買っていた柳家小さんの一行は、初日以来多大なる好評を博しているが、今三日目の番組左の如し。

五人廻し(小せん)追分(三八)歌沢(寅小満)百面相(鶴枝)死神(金馬)猫久(小さん)

大正10323日 九州日報

◇稲荷座(門司) 来る廿五日から東京落語名人会柳家小さん金馬一行が乗込む筈。

大正10324日 九州日報

◇川丈座(博多) 本日の番組は、忠孝(金馬)らくだ(小さん)

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大正1041日 『寄席』第三号

◇「寄席漫談」(森暁紅)

昨年でしたか、関西の方に行つた時、大阪の反対派の方の花月とか云ふ寄席に一寸行つて見ましたが、大阪(あちら)は進んで居ますね、驚きましたよ。噺の時には背景が金屏風になるとか、踊の時には何(なん)とか、一々その演芸によつて背景が変つて行(ゆ)くのですね。それから色電気をつかつたりして、仲々大仕掛(じかけ)に面白く出来て居ました。大阪の人はかういふことにかけてはたしかに一歩進んで居ますね。

◇「大阪から」(三月十二日夜・大森勝)

『寄席』の発刊を祝します。私はよほど以前から寄席の機関雑誌の出る事をまつてゐたものであります。私は昨年の夏東京から大阪に来たものですが、大阪は三友派と反対派が盛んに競争してゐます。そして東京から交代々々に三四名づゝ下阪します。三友派は丸一小仙一行と巴家寅子一行に、反対派は円歌、亀の助、亀之子、錦心流琵琶の田村滔水が只今来てゐます。南地では花月と紅梅、松島では文芸館と花月としのぎをけづる大決戦であります。而し三友にくらべて反対の方は演者が多いのと、席の多いのが強みであります。今ではどちらかと云ふと反対派の方へ団扇があがつて来さうな有様です。それから大阪を中心にして神戸も京都も、出雲安来節の大流行をしてをります。安来節のかゝつてゐる席はどこも毎夜満員と云ふやうな有様です。

『安来節、イヤな歌ジャあと、さげすむ人は、今のイセイを知らぬ人─』と唄つてる位です。御承知の如く大阪の落語は見台見たいな物を前に置いて、バタ〳〵たゝき乍ら話をします。唯今では大分すくなくなりました。而し場末へ行きますと、盛んにたゝいてゐます。騒々しく賑やかなのが大阪の落語の特長なのでせう。場末の寄席に昔ながらの大阪落語が聞かれます。
「神戸から」(署名なし)

寄席──を手にした私その喜び──記者間様何も申上げません。只々感謝に堪へません。この種の雑誌は唯一つですからどうかいつまでも発行して下さい。東京と違つて神戸あたりでは寄席も少なく、落語らしい落語もめつたに聞かれません。二つか三つの寄席へ地付(ぢつ)きの連中の同じ顔の中へ、折々東京大阪あたりから頭株を一人か二人、それで景気を付けてゐるのが現今(いま)の神戸の寄席です。

昨年の十月には正蔵、十一月は馬生、一月に文三、二月に花橘位で、講談では九月頃伯龍が見へてたほかに伯英、陵潮、吉山、ろ山位で、其他は踊のうまい三木助やめくらの楽丸等の顔も一寸(ちょ)い〳〵見へます。地付きの連中はつまらないものばかりで、米昇、春輝、円天坊、太郎、正楽、歌路、円都等と軽口の小半・染五郎、近頃仲間入(いり)した円如位で、取立てゝ云ふならば正楽の話が聞けるだけ、いやもう後の連中はお話に成りませぬ。(この中円如と云ふのは好い声を持つてるので、一寸人気があり、歌路は新しがりの小話で学生間に持てゝゐます)。他から来た連中では馬生なぞ顔なじみで割合人気のある内です。正蔵も認められてゐました。

 独演会をやつたのは正蔵と伯龍、痴遊の三人位でせう。何しろ甘つたるい大阪噺を聞きなれた人達ばかりですから早口の東京噺は一寸受けにくいらしいので、江戸ッ児弁の歯切れの好(よ)い調子はめつたに聞かれません。何処も同じく此の頃は色物の方が喜ばれる様に成りまして、昨年あたり来てゐた歌楽の追分や、近くに来ていた〆太、〆松の清元等大分人気がありました。これで大阪まで行けば一寸した噺が聞けますけれど神戸では全くだめです。私共江戸ッ子組は常に情なく思つてゐます。これからは御誌に依つて東京の寄席の状況だけでも知る事が出来るのをせめてもの心やりです。どうぞ今より尚盛大に成らん事を遥か神戸の空より祈つて居り升。寄席の発刊を祝すに当りまして私のぐちばなし御免下さりまし。