大正105月 大阪の寄席案内

◇三友派

一日より各席へ巴家寅子、清草舎英昌、万橘、円蔵、花橘、枝鶴、円、円枝、遊三、染丸、円子、蔵之助、
  松鶴その他出演。

一日より紅梅亭は安来節(川上一派)、人情噺(馬生)、東京落語(円馬)その他にて開演。

◇吉本花月派                                                           一日より松島花月亭新築披露興行。紋右衛門、円遊、春団治、文団治、ざこば、米団治、枝雀、桂小文枝、円右、小円右、右女助、常磐津金の助、三喜の 助、伊藤痴遊、残月、円歌、千橘、円太郎、五郎、扇枝、喬之助等出演。【下図参照】

五日正午より南地花月亭にて円右、痴遊二人会。

八日正午より南地花月亭にて円右独演会。演題は「富久」「万歳の遊」「名人矩隋」

十一日より南地花月亭にて皐月特別大興行。【下図参照】

 十一日より堀江賑江亭にて出雲本場安来節松本三八二一行数十名出演。本場安来節、出雲拳、腹芸、尺八合
  奏等。

 十一日より改築落成した松島花月亭に今輔、円歌、枝雀、残月、円遊等が連夜出演。

二十二日正午より福島花月亭にて入舟亭(船遊亭)しん橋追善会。主催金の助。出演者ざこば、鶴輔、右之
  助、円歌、今輔、春団治、紋右衛門、三喜の助。

二十二日正午より南地花月にて右女助会。右女助、金の助、三喜の助、春団治、扇枝、円太郎。

三十一日より各席にて華柳、六代目柳枝、四代目小柳枝三人改名披露興行を開催。

大正1051日より

◇南地花月亭特別大興行出演者

大正10年 006

特別大興行 當ル五月一日より連夜 入場料値上セズ

東京落語之名人三遊亭円右 通俗講談伊藤痴遊 

東京落語若手真打三遊亭小円右 おなじみ 女流常磐津常磐津三喜之助・宝集家金の助 久方にて御目見得 東京柳三遊睦会幹部三遊亭右女助 当派ニ初の出演

出演者乱表:桂春団治、桂文団治、桂米団治、桂菊団治、桂文治郎、桂文雀、桂小南光、露の五郎、桂ざこば、桂小文枝、桂枝雀、立花家千橘、桂家残月、三遊亭円歌、三遊亭円遊、立花家喬の助、橘家小円太、桂扇枝、金原亭馬きん、三舛家紋右衛門、橘家円太郎、三遊亭円若

南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正1051より

◇京都岡田反対派出演表

大正10年 007

浪花落語反対派大正拾年五月一日ヨリ出演表

富貴:福我、文太郎、勝路、枝雁、歌遊、光鶴、団司、小文字、梅香、かほる、福円、小かめ・おかめ、しん
 鏡、次郎坊・太郎坊、龍生、三人支那人

笑福:福之助、小染、若橘、枝右衛門、太郎、雀輔、柳丈、福松、金之助、光鶴、桃太郎、円笑、福来、かし
 く、円瓢、枝太郎

泰平:歌蝶、文太郎、花橘、枝雁、三人支那人、歌遊、しん鏡、次郎坊・太郎坊、金之助、光鶴、かほる、円
 笑、福来

西富(西陣富貴):八百三、梅香、次郎坊・太郎坊、円笑、枝右衛門、文太郎、太郎、小文字、枝太郎、福
 松、団司、桃太郎、柳丈

福の家:梅鴬、金之助、しん鏡、かほる、かしく、枝太郎、福来、円瓢、雀輔、三人支那人、福円、小かめ・
 おかめ、梅香

〈編者註〉二月に分離した京都岡田反対派の出演表である。『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正1051日 神戸又新日報

千代之座と御代之座 一日より左の顔ぶれは、歌路、圓都、圓天坊、春輔、扇遊、吾妻、團朝、橘の圓如、三遊亭小圓遊、柳家東蔵、月の家圓鏡

大正1056日 九州日報

◇川丈座(博多) 永らく修理の為休場中であつたが、愈々工事を終わり来る七日より兼ねて九州巡業中到る処歓迎を博した安来節家元渡辺お糸一行の芸妓連にて開演の筈。

大正1058日 神戸又新日報

千代之座 痴遊独演会を十二時より開く

大正10511日より

◇南地花月亭皐月特別大興行出演順

大正10年 008

當ル五月十一日より連夜出演順

落語春駒、落語小雀、滑稽曲芸一郎・旭勝、東京落語今松、お伽百面相鶴輔、落語即席噺扇枝、音曲踊千橘、東京人情噺円歌、落語春団治、落語声色振事紋右衛門、落語枝雀、東京落語似声右之助、女流常磐津三喜之助・金之助、東京音曲噺今輔、落語ざこば、東京落語円太郎、落語小文枝、鰌掬ひ安来節一行

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。この出演順は二つ折になつていて、表に「皐月特別大興行 南地法善寺境内花月亭 吉本興行部 電話南(四三八)(四一一九)番」(図版省略)とある。

大正10511 京都日日新聞 

◇机上偶語 鬼仏庵(八十一) 八日午後十一時から鬼仏庵で茶話会を催した。案内状は左の十氏に発した。

 曽我廼家五郎、谷崎潤一郎、栗原喜三郎、桂三八、林家染丸、原田京亭、佐々木紅花、足立美人堂、橋本川柳、清水花菱。

取り合せは頗る妙であつたが、谷崎、栗原、花紅の三氏は欠席され、主客八人は午後三時を過ぐる頃迄語り合つた。三八君は山科で、在営時代の中隊長に、余興の席上で時局の落語をやつた時、その大尉から「お前はそんにな学問があつたのか」と聞かれた滑稽談やら、五郎クンの五郎劇脚色上の苦心…やら。御馳走もない町端れの茅屋の二階に茶と菓子と、サイダーに山海の珍味以上の舌皷を打つたのも趣味の集まりなればこそだと思(おもっ)た。

大正10511日 神戸又新日報

圓右<三遊亭圓右独演会・神戸千代の座、三宮御代の座>

出演 十一日より三日間午後六時より新開地千代之座と三宮御代之座とに掛持ちで東京落語界の名人三遊亭圓右出演十一日演題は「唐茄子屋」「五人廻し」(千代之座)「宗悦殺し」(御代之座)

大正10513日 神戸又新日報

千代之座にて十三日正午より圓右独演会を催す。演題は「文七元結」「九段目」「富久」。懸賞鼠、補助小圓右、女助。
スキャン0007大正10514日 九州日報

◇川丈座(博多) 安来節お糸一行愈々十四日にて千秋楽。続興行は東京音曲落語の人気者三遊亭圓若七年振りに乗込む。一座は人気落語の馬琴、新講談の若圓、落語手踊の桂菊團治等で十五日より花々敷開演する。

[広告]明十五日より東京落語講談會/浪花落語手踊り桂菊團治 東京新講談松林若圓 人情落語真打金原亭馬琴 音曲槍さび家元三遊亭圓若/川丈座開演

大正10515 京都日日新聞 

◇桂洲の頭に蝿 「金も女も名誉もいらぬ、私しや頭に毛がほしい」と毎晩高座で琵琶都々逸を都々繰つているのは村上桂州と云ふ頭に毛のない男。二三日前の晩に本町の富士の家で高座出演中、黄金虫ほどある大きな蝿が桂州の頭の真中にチヨイと止まつたので、見物はドツと大笑ひ、桂州がこの蝿を手で払ふと、蝿は横転逆転、宙返りをした上、又もや桂州の頭に着陸したので、見物は大喜びで大喝采。そして桂州曰く「今度から、私を蝿すべりと云ふ事丈けは止めておくなはれ、蝿はたしかに、すべりまへん」

大正10515 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇芦辺館 十五日より「江戸ッ子会」。円蔵、万橘、蔵之助、円坊、とん馬、小はん、英昌、松太郎、小奴、愛之助出演。

〈編者註〉十五日は正午より日曜会として江戸ツ子落語会を開催。

大正10517日 九州日報

◇川丈座(博多) 東京落語三遊亭圓若一行今三日目の番組は、小倉船(三之助)三十石(文藤)手品(一楽)義太夫新口村(源童、春初)昔噺手踊(福團治)曲芸(林福昌)昔噺手踊(菊團治)東京落語(馬琴)新講談(若圓)音曲落語(圓若)かる口(半助、玉助)

大正10519日 徳島日々新報

<桂桃太郎一座・徳島緑館>

緑館 落語三日目十九日の番組左の如し

小言幸兵衛(桂小圓冶)ろくろ首(桂延二郎)正月丁稚(桂圓冶)垢相撲(桂小文字)お俊傳兵衛猿廻し(桂家三木松)滑稽連鎖劇(三升家小鍋)身体運動(夏雲忠、夏雲清)新町ぞめき(桂門三郎)源平穴探し(立花家圓好)大丸屋騒動(桂桃太郎)

<編者註>22日の番組は、高砂屋(桂小圓冶)子誉め(桂延二郎)無物買い(桂圓冶)うなぎ屋(桂小文字)お駒才三鈴が森(桂家三木松)珍劇千葉心中(三升家小鍋)新猫(桂門三郎)身体運動(中華民国人)お若伊の助畜生塚(立花家圓好)島原八景(桂桃太郎)

大正10520 京都日日新聞 

<芦辺館の江戸ッ子会を覗く>

◇落語江戸児会 芦辺館は十五日から落語江戸ツ児会とあつて、円蔵、蔵之助を中心にして、巴家寅子一行中の松太郎、小奴、愛之助、これに一馬、三八を加へて御機嫌を伺つている。先づ三八の新作ものとしては「この間も一寸大本教を調査する為めに綾部に出張しました。何しろ新聞迄経営いたします宗教と云ふのでいろ〳〵調べて見ますと、あの宗教の根本を為しているのは御筆先やさうで、成程御筆先だから新聞経営する様になつたと思ひます。その御神体は石と紙であつたので、お上のはさみ打に逢つたのでせうと思ひます。何しろ私どもが調査に参りましても一向に要領を得ませぬ。又、委しい事が知れそうな筈はありません。あやべも分らぬ真の闇と申しますから…」と云ふ様な処で大向ふを笑はせている。蔵之助の一等の愛嬌は、何と云つても、蔵之助一流の浪花節で、小奴、松太郎、愛之助の長短の穴をゆく滑稽と毬つかひは、落語界の珍品と云つてもよい。江戸ツ児会は又一種独特の趣味がある。

大正10521 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇西陣長久亭 二十一日から大阪吉本組の落語家米団治、一郎、旭勝、文雀、初子、道子、小南光、円弥、金之助、とんぼ、木鶴、我都、喜雀の十三名と入替へ。

◇大津大黒座 二十一日から大阪桂派林家染之助一行の落語。

大正10528日 香川新報

高松劇場 高松劇場二十八日から京阪落語反対派若手連桂桃太郎一座開演。演芸番組は左の通り

東京柳派の花形中の花形落語家(桂小團冶)将来有望の青年落語家(桂延二郎)当派の古参滑稽落語芸の虫(桂圓冶)少年落語家稀有の麒麟児(桂小文字)家元一流の新内節と三弦曲引(桂家三木松)生粋の江戸っ子灰汁抜せる落語大家(立花家圓好)時事笑話と独特の新案珍芸(三柳家小鍋)音曲と舞踊得意の出雲踊(桂門三郎)手に汗を握らす冒険身体運動(中華民国少年夏雲忠、夏雲清)当派の幹部落語舞踊の名手(桂桃太郎)

大正10529 京都日日新聞

<社会主義の橘家蔵之助> 

◇演芸当座帳 蔵之助の気焔 江戸つ児会に出演している通名社会主義で通る芦辺館の橘家蔵之助、彼れは天ツ晴なる腕利であるが、その気焔も可なり熱が高い。まづ彼の常に口にする処を聞くと「我等に若し言論の自由を与へたならば」と時には悲憤している事もあるが、言論の自由を与へなくとも彼は相当の勝手な熱を吹いている。一等社会を風刺しているのが浪花節であるが、その文中に医学博士と肩書のある名医でも肺結核でしぬとか、或はこの頃流行の猫イラズの自殺者はその臨終の時には大方キヤツト云ふて死ぬであらうなどゝ、寸鉄殺人の警句があり、流石に新聞記者出身の落語、若し落語内閣でも出来れば彼れは天ツ晴なる総理大臣にしてもよい位の男だ。江戸ツ児丈けに気が短く、二三日前も電車の中で隣席のハイカラ美人が横暴を極めたとかで公衆の中でその婦人をトッチめたと云ふ珍談もある。

大正10531日 大阪朝日新聞

<華柳、六代目柳枝、四代目小柳枝三人改名披露会>

◇南地花月亭及北新地、松島両花月亭 五月三十一日より連夜、東京落語組合取締柳枝が今度自分門下の人気者小柳枝、柏枝の改名披露興行として其他十数名を引き連れ、その改名は柳枝改め華柳、小柳枝改六代目柳枝、柏枝改四代目小柳枝で、尚同派の人気者より補助としてざこば、小文枝、円太郎、枝雀、米団治、千橘等出演。歌沢寅派の寅満喜、寅由喜及新潟芸妓一行十名も加はる。
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大正1061日 『寄席』第七号

◇「寄席見がき」(河野紫光)

 …所作、舞踊(おどり)だが、皆、落語(はなし)や歌の後で踊るので、時々、何処かゝら引つ張つて来る(中略)寄席の高座には附き物であつたのだが、然し、高座の踊の器用で、寄席の踊に適してゐるのは、何(ど)うしても大阪の芸人に止めをさすと云ひたい。尤も東京にも、可なり踊を売物にしてゐる人は多い。就中江戸前の、あつさりと軽い舞踊(おどり)は京阪の人は到底及ばぬところもある。大看板では、何と云つても助六が旨い。此の人、何うだい旨からうと云つた風に踊るやうに見えるので、客の反感を買ふ為か、ひどくケナす人があるが、旨いには旨い。滅(めっ)たに演(や)らぬが円馬の踊も頂ける。今は会社と睦派に分れて居るが、鯉かんと米蔵との深川やかっぽれ、何時(いつ)も嬉しい。小柳枝は小供の時からの天才である。柳枝、小団治や円幸のサノサ節の馬鹿々々しい踊も筆者(ぼく)は好きだ。まだ若い男だが、大阪から来てゐる染団治といふ男、何処か助六の舞踊(おどり)に似た処のある、軽い踊で、而も賑かな、京阪一流の、吹よせ踊りや、ステテコは、素敵に、手の入つて、見た目が面白い。女芸人の舞踊(おどり)は、芸者の舞踊以外に出てゐるものは今の処一人もないから評に須(もち)ゐぬ。

◇「大阪から」(五月十八日夜・大森勝)

今月の落語界は賑やかでした。円右、小円右、右女助、伊東痴遊等が反対派へ、円蔵、巴屋寅子、釈の英昌等が三友派へ、共々陣容をとゝのへて競争の火の手をあげました。反対派の松島花月席が改築した第一回興行と共に、競争席たる文芸館が出雲安来節に変りましたので、南と西の競争だつたのが南地だけになりました。兎も角十日間でも円右の話を聞いて心持がせい〳〵しました。南地では初晩から打込むと同時に満員と云ふ有様で、初晩には円右は「五人廻し」と声がかゝつて、まくらを充分聞かせてから話をやりました。五日に痴遊、円右二人会、八日に円右会をやつて、十一日から神戸へ三日間出演しました。円右と入れ変つて今輔がまゐりました。右女助は残つて大阪の扇枝と共に御題話なぞやつて居ります。即席話が得意の扇枝に右女助が駄洒落に詰つて来るところなど非常に御愛嬌になつて居ます。それから常磐津の三喜之助が唄ひながらチラ〳〵と色目を寄席に投げてニヤ〳〵と笑つて居ます。二十二日には右女助会を南地でやります。こちらの落語界は三派に別れて居りますが、今は反対派の独舞台の体であります。

◇「神戸から」(十四日・水つばめ)

十三日正午から当地千代之座に於て円右師独演会。夜席とは違つて好い客すじ、二階を除けばざつと畳の目をかくす位だ。右女助、小円右の二人が中に挟つて補助してゐる。文七元結に富久、それから忠臣蔵の三席だ。前晩には宗悦殺しや唐茄子屋などを演つてゐる。(以下略)

◇「京都から」(京都にて五月十六日・米生)

…当地なり大阪にも東京より毎月連中の替りたるが来る度に、其れを楽しみ各派各席にまゐり候。当地落語界の様子を一寸「キイタマヽ、ミタマヽ」をお話し申すべく候。当京都も落語定席の高等席ヤハリ新京極通りに蘆辺館(三友派)と岡田派の反対派の席富貴亭が有る。外に七八軒にて、蘆辺館の方十五日より橘家円蔵、万橘、巴家寅子一連に大阪の蔵ノ助、円坊外一連の江戸ッ子会にて人気を取り、反対派富貴亭の方は此の春吉本派より別れた大阪反対派の元祖とも云ふべき岡田の息子を太夫元としたる所謂岡田派の反対派は枝太郎、円笑、文之助外百五六十名の上に大阪の三友派より上置きとして先月より三遊亭円子と音曲噺しの三遊亭しん蔵が来り居り候。当十五日が先代岡田の一週忌(ママ:『寄席』第八号「京都から」参照)にて十五十六日の両日正十一時より右富貴亭、笑福亭に於て賑々しく追善興行を行ひ候。小生も一寸参り候へども、何分デカタ大勢にて、落語家の顔を見に行くやうなものにて、一人の高座が五分くらいにて候ひし。中に円子、かしく、しん蔵が眼に立つ位にて候。客も沢山に入り、先づ〳〵此の派は無事に生長すべく候。大阪三友派がダン〳〵席を失ひ、南地の紅梅亭が一軒残り、三友派の名を守り居る由に候。

◇「お仲いり」(大阪にて・落語狂史)

大阪はまだ都々逸をよしこのといつてゐる人が多い。大津絵にでもトッチリトンにでも此三種に一々太鼓が這入る。此又太鼓が満足に入れられなければ入レ込ミ(前座の事を云ふ)も一人前ではないとはイヤハヤ。マヅ東京で此都々逸、大津絵、とっちりとんに太鼓抔を入れたら無論大かすを喰ふ。そこに関東と関西のかはつた気分があるので、第一大阪では話の落へ来ると、其度毎に三味線の方で受けて鳴ものが這入る。実にいやな心もちになる。総体に何んといつてもする事が臭い。夫だから長く大阪に居たら落語でも何芸人でもねばり気が出てくる。仲入がモタレだ。東京なら喰過ぎの事。