大正106月 大阪の寄席案内

◇三友派 

 一日より各席へ円子、松鶴、遊三、染丸、三木助、馬生、おもちや、円馬、円枝、円、蔵の助、花橘、阿波
  踊、安来節。【下図参照】

 十一日より各席にて阿波踊、安来節、音曲(ハレー)美術紙切(おもちや)その他同派幹部連総出演

二十一日より各席へ新加入安来節鰌すくひ出雲いと一行、音曲入茶番巴家寅子一派。

◇吉本花月派

五日正午より南地花月亭にて華柳、柳枝、小柳枝三人会。

十一日より南地花月亭にて春風亭改名披露興行。華柳、柳枝、小柳枝引続き出演。【下図参照】

十九日正午より南地花月亭にて第三回落語研究会。番組は伊勢詣(せんば)百人一首(木鶴)くしやみ講釈
 (菊団治)源平(夢の助)住吉駕(五郎)明烏(小柳枝)歌沢(寅由喜、寅満喜)孝子の誉れ(ざこば)田
  能久(千橘)三人片輪(円遊)

大正1061日より

◇南地紅梅亭興行案内絵葉書

大正10年 002

浪花三友派 當る六月一日より連夜

徳島芸妓連阿波踊数名 初の御目見得 出雲名物安来節鰌すくひ 男女合同数名 

阿波おどり芸妓連静子、小遊、小舟、未千代、小楽、お玉、幇間連一楽亭一○、新庄家遊輔/安来節連青山君□、高砂家〆吉、高砂家紫め六、石塚秋雄、吉田茂、川上市太郎 

従前通り当派全員出演の外久方振りにて金原亭馬生、美術紙切細工巴家おもちや外交代連数名出演して大平□に開演いたし候

〈編者註〉「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12

年)より転載。

大正1061日 神戸新聞

[広告]當る六月一日毎夕五時開演/特別大興行 大阪落語大一座/桂家残月 三升家紋右衛門 常盤津文字栄 桐家福助 立花家喬之助 東洋一郎 菅旭勝 桂扇枝 露の五郎 立花家千橘/今回大喜利として紋右衛門得意の若柳流所作事 ▽三社祭▽勢獅子▽釣り女 △風流深川踊り清元連中常盤津連出演全員総出大道具にて御高覧に供し候/樋口興行部 神戸劇場スキャン0003

[広告]當ル六月一日より午後五時開演/(新加入出演者) 三友派幹部三遊亭圓子 東京講談界大家小金井蘆洲 江戸生粋巴家寅子一行 新開地千代之座 外各席連夜出演

大正1061日 都新聞

<桂春團治の上京>

[広告]大阪の落語交替連(次第不同) 桂春團治 橘家勝太郎 桂文團治 久々の帰京三遊亭圓歌 奇妙な足の運動亀鶴/右本月の交代出演として東上仕候不相変御贔屓御引立の程伏而希上候/東京落語睦會

グラフィックス3

[広告]新むつみ派東西落語會合同各席之部/[お知らせ]今回より新に長唄長振會連中加入、又最新式活動写真を上映、尚桂三木助、立花家扇遊上京、又月の家圓鏡、柳家東蔵帰京出演、小金井芦洲は神戸千代之座出演。神戸中儉芸妓一行十名出演、開港五十年記念の祝賀踊を演じます/京橋金沢亭 芝琴平亭 四谷喜よし 神田川竹亭

大正10610 京都日日新聞

<芦辺館を覗く>

◇八日芦辺館に落語を聴く。川柳の「コツサイ」益々円熟して面白く、円坊のかけ取は染丸のうかれの掛取とはそのゆきかたも変つている。余興、都に名所があるわいなの舞も巧に盆を使つて器用な所を見せ、南洋の蝙蝠に至つては、人生落語家たる事、又、並大抵でなしと思ふ。遊三はお客様からお好みとあつて「三人かたわ」をやる。嫌味の遊三、はなしは手に入つたものなり。殊に三人かたわは十八番もの丈けに面白い。大切は楽屋総出に一口問答の突貫、「昨日行つても千日前とはこれ如何に」とお客さんが云へば「昨日行つても京極と云ふが如し」と答へ、「音もせぬのに太皷饅頭とはこれ如何に」「夏拵へても□うかんと云ふが如し」の類に大向ふは大喜び。毎晩景品をと云ふ御常連が繰り込んで、それはそれは賑やかな事である。

大正10610 京都日日新聞

◇長久亭 十一日より左記の通り出演。

 喜雀、橘弥、春松、一楽、文紅、三吉、直造、円若、女道楽清子、若竹、菊団治、茶好、半玉、馬琴。

大正10611日より

◇南地花月亭春風亭改名披露興行

大正10年 002

東京落語春風亭改名披露興行 當ル六月十一日より連夜

東京落語睦会幹部小柳枝改め六代目春風亭柳枝久々にて 柳枝改め東京落語組合頭取春風亭華柳おなじみ

滑稽二人曲芸大丸大治郎・民の助初のお目見得 東京落語睦会幹部 柏枝改メ四代目春風亭小柳枝好評にて 歌沢寅派の才媛歌沢寅由喜・寅満喜久方振りにて

出演順:落語鯛六、落語花治、独楽の曲升三、落語扇雀、落語扇枝、落語文雀、落語小文枝、東京落語華柳、音曲噺千橘、落語枝雀、東京落語小柳枝、落語舞五郎、二人曲芸大治郎・民の助、歌沢寅由喜・寅満喜、東京落語柳枝、落語声色振事紋右衛門、音曲踊小円太、東京落語円太郎

南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正10611 京都日日新聞

<京都岡田反対派定席と出演者>

◇反対派定席 落語反対派は六月十一日より定席笑福亭、京極富貴、西陣富貴、千本福の家、大宮泰平館にて各席かけ持廻り。重なる連中は福笑、右之助、君橘、小団次、花丸、さん好、扇太郎、米太郎、氏原、張有利、梅香、歌奴、妻奴、竜生、楽丸、かしく、麦団治、呑州、太郎坊、花団治、太郎坊、四郎坊
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大正10615日 『寄席』第八号

◇「大阪から」(六月五日夜・大森勝)

…当地では五月の末々吉本興行部が関係者一同一千名余で堺大浜で珍妙なる運動会を催しました。

六月は花月席へ華柳、柳枝、小柳枝が改名披露のため東京から乗り込んでまゐりました。外に柳條、柳丸、梅枝、川柳、小柳三に大丸の大次郎、民之助が見えました。そして花々しく改名の披露を致しました。それに対して三友派の紅梅亭は新らしく入社した馬生と二ヶ月振りの円馬が下阪して出演して居ます。余興として花月は佐渡の芸妓七名が甚句や踊りをやり、紅梅は阿波の徳島の芸妓や幇間が阿波踊りをやつて居ますが、これは阿波踊りの方が受けて居ます。それから花月には歌沢の寅由喜・寅満喜の二人が出演して美音を聞かせて居ます。

兎に角大阪には珍らしい東京落語の多い所謂東京式の高座を見せて居ます。柳枝、小柳枝に注文するのに矢張り而も野ざらしだの風呂番が多いやうです。小柳枝が真打の南地花月席は大切として滑稽四段返しをやつて居ますが、中でも「ホトヽギス」の不動堂の別れで川柳が禿頭を風呂敷から出して月に見たてたのなぞは秀逸でした。

東西交代として文団治、春団治が上京しましたが、文団治は仲々纏つた話をやる老功な落語家です。外に枝雀、此の人も味のある話をやります。なか〳〵陽気な芸人で、二十年前も今もあまり変らないと云ふ元気な老人です。それから三友派の松鶴、この人が大阪落語の古顔で又好い落語家です。

◇「京都から」(二年阪の人)

米生君の御報告(編者註:第七号「京都から」)の補遺として一寸申上げ升が、京都の落語席は元祖反対派の岡田系が尤も多く、新京極の富貴亭に笑福亭、西陣の富貴亭、千本の福の家と大宮の泰平館に本町の富士の家の六席、三友派は新京極の蘆辺館と堀川の春日亭、吉本派が千本に一席(編者註:長久亭)。

 元祖反対派は京都に常住の落語家多き故に京都の発展著(いちじるし)く、弥々六月興行より某侠客の肝煎にて故人の岡田の次男を二代目太夫元として擁護者夫々役員を選定して確固たる基礎を作れり。

 又笑福亭の追善会は故人岡田の追善ではなく、同人の一周忌は去三月十六日枚岡の梅林で吉例の運動会を兼ねて盛に営みましたが、笑福亭のは故人の片腕と成つた同派の大勘定古家後伝吉氏墓碑建立の会で御座い升。先々京都は元祖反対派の世界らしく見受け升。

〈編者註〉古家後伝吉は反対派京都出張所主任を勤めた人。大正九年五月十六日没。なお反対派元祖岡田政太郎は大正九年十二月七日没。現東大阪市枚岡神社で営んだのは一周忌ではなく百箇日の法要であろう。政太郎の生地は現東大阪市池島である。

◇「お仲いり」(江戸っ子生)

 一日の夜、神戸の新開地千代の座へ入つて見た。客はぎつしり、東と西のさじきの上に出演順が掛けてあつた。七分通りすんで居た。初御見得の小金井蘆洲があがつて居た。鼠小僧を演つて居た。相恋の江戸っ子口調、老いて益々盛んな人、面白く聴いた。次が巴家寅子一座、松太郎に丸井、愛の助三人の滑稽曲芸、十分に御機嫌を取つた後へ桂春輔、此人は弁がたっしゃにまかせてまくらで降りる。其の後が東京の五明楼春輔、此人林家正雀の時より多少芸も上つた。林家正蔵の一番弟子とか、今かんじんの所、もう一倍勉強したらよからう。『名前は御当地の春輔師と同じでも芸は競べ物になりません』と卑下してゐたのは感心〳〵。早く真打になり給へ。不及乍(およばずなが)ら後援するヨ。君は何時迄も声色をやつて居るのが能ぢゃないぜ。小倉新次郎君(本名)しつかり頼むぜ。

◇「神戸の落語家」(神戸奈美雄)

神戸の落語家(はなしか)の近況をお紹介(しらせ)致します。

桂春輔 一名黒の春輔と仇名の有る名物男、客や楽屋内の悪口ばかりがお得意で、春輔の悪口といへば名高いものです。下劣な毒々しい話ぶりですけど、当地では古顔で、一寸好い部です。地震加藤、あみだが池等好く聞かせます。黒ん坊でも一寸侠(いき)な身体(からだ)付きなので、大分女も有る様子、一度食い付いたら裸に……この位にして置かうかね。

桂米昇 春輔に次いで当地の古参株一名出歯の米昇と申します。ネチ々々した、純大阪式の話口で、達者なものです。が聞く人に依つて嫌らひます。うなぎや、反魂香等には一寸捨てがたい味が有ります。

橘円天坊 古いので前二人に劣らぬ男で、落語家特有の珍妙な顔の所有者です。したがつて女の子にはあまり持てませんが、色気のない無邪気な所が学生、商人の客に大受けで、目玉の円天坊と云へば大した人気者です。時々立上つてずぼらや綱上(編者註:綱七の誤記)位は提供して愛嬌を添えて居ります。

橘円都 仇名を重箱と云ひます。その如く四角い顔の男、やはり古顔の一人です。達者な所が取柄で二成り、天神等が得意です。度々聞かされてもいやにならないのはやはり好い所があるのでせう。この人の女房は三宮の御代の座と云ふ席の三味線(げざ)引で、三宮を終つた女房と二人で家に帰る円満な姿を時々電車内で見掛けます。

林家正楽 もう大分好い年ですが、大ていの月は当地に出演してゐます。何と云つても古いだけあつて話はこの人が一番達者なものです。鉄砲勇助だとか味噌屋の何とか云ふ話なぞ、この人に及ぶ者はありません。其の割合に人気は有りませんけれど、真の落語を聞くなら此の人位のものです。

桂三木助 この人は当地よりも大阪、東京の方面へ出てゐる事が多い様です。鼻は少々大き過ぎますが、すつきりとした上品な男で、踊では当地でも第一人者と目されて居ります。話もおとなしい江戸弁で、落付いた芸を持つて居ますし、扇(せんす)の使ひ分けは全くうまいものです。連獅子とか三社祭とか、長唄物でも清元物でも奇麗に踊ります。当地の前座は大ていこの人の弟子と云つても好い位です。

林家歌路 偉大な頭につり合ひの取れない身体、珍妙々なスタイルでヒョコ〳〵と高座へ上ると、イヨー大文字家、文学士、歌ちゃん等と盛んな声掛。それ程歌路は当地の人気者です。芸といつては格別ないのですが、感心に器用な男で、少し学問の有るのを売物に、新しい事をしゃべるので、只今ではなくてはならぬ名物男に成つてしまいました。天高く馬肥え燈火相親むべきの候、秋は紅葉のシイズンです、なんて始め出し、やれローマンスの、ヒステリカルのと随分面白い事を云ひます。それにこの男の幸な事には滅法界の好いのどを持つてゐて、都々逸、二上り、三下り、昨年あたりは流行の安来節まで唄つたり踊つたりするので、当地の客には大もてです。頭が大きいのでらっきょと云ふ仇名が付いてゐます。兎も角一風変つた面白い先生です。

信濃屋小半 軽口専門ですが踊も上手ですし、芝居をさせたら中々名人。落語家の小半と云へば、あゝあの女たらしの小半かと云ふ位小半の女たらしは名高いものです。又好い男ですから無理もありません。若い芸者に小半ちゃんきらいよなんて云ふのがあつたら、それはきつと一度関係(かかり)あつて捨てられた妓(おんな)だと思へば間違ひのない位です。落語家には珍らしい好い男です。

林家染五郎 好男子小半兄(あん)ちゃんの片相手、これは又小さいので好く知られてゐます。小半はすらりとした痩高い男、染五郎はその半分位かないでせう。いつもつまらない役にばかりにまはされてゐますが、小半の相手としてはなくてはならぬ男です。仇名をチビの升さんと申します(元の名が三升、改名して染五郎です)。

橘太郎 十一二才の時から三郎と云つた今の菊蔵と一所に可愛い姿を高座に表はして、唄つたり踊つたり、それは〳〵可愛かつたものです。只今では二十才か二十一位に成るでせう。女にして見たい様な奇麗な顔を持つて居ります。十五六の頃からあまり人気が有りすぎたのでか、一寸横道へそれて、思つたよりも好くなりませんでした。この頃では三木助の踊と落語をすつかりまねて、悪い所ばかり取つてる様に見へます。女が沢山出来過ぎた為に芸が上達しない等と男の客は云つてゐますが、奇麗所の若い姉さん方は太郎ちゃん好うならはつたなどと喜んでゐます。色男にはなりたいものです。

橘菊蔵 太郎とは反対に男に好かれる芸風を持つた男で、太郎よりも進境が見へてゐると評されて居ります。踊も近頃はめつきり達者になつて、真自目[真面目]な芸は一般に見とめ[認め]られて参りました。

橘円如 昨年の十月頃から当地の定連の中へ現はれた音曲ばなしで、細い声だが全く好いのどを持つてゐます。お目見得当座の深川くづしへ松井須磨子のカルメンを唄ひこんだ変な踊が人気になつて、今では仲々馬鹿にならぬ人気者です。一つは男つぷりの好い為に芸妓衆にさわがれるのもあるでせうが、唄と云へば円如と云はれる位売出して居ります。

他にも沢山当地の連中は有りますが、あまり感心しないのばかりです。当地の寄席は新開地の千代の座、三宮の御代の座、生田前のえびす座と三つきりで、右の連中の仲へ二三の真打ち株を大坂、東京から入れて目先きの変つた清元、新内、安来ぶし、八木おどり等の色物を加えて興行して居ります。一番新しいのは千代の座で、一寸落語の寄席には惜しい設備がして有ます。入場料は特等一円二十銭、一等九十銭で、其他で一人(ひとりまえ)三円五十銭はかゝる様です。
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大正10615 京都日日新聞

<桂三八の時局落語>

◇時局落語で人気を出している芦辺館の三八は、最近の宝塚郵便局長の横領事件をチヤンと仕組んで講演している。新機軸を出す事の少い落語界に新落語は必要であり、一面に古いネタを保存する事も必要だ。世渡りは六ケしい。

大正10620日 九州日報

◇川丈座(博多) 今廿日から大阪反対派青年落語開演。一行の顔触及演芸種目左の如し。

落語(圓治)少年落語(小文字)新内節(三木松)東京噺(圓好)珍芸(小鍋)落語手踊(門三郎)身体運動(夏雲忠)落語舞(桃太郎)

<編者註>桃太郎一座の番組は、下記の通り。尚、小鍋は後の花月亭九里丸。

621日:御祝儀(福笑)小倉船二人浦島(延二郎)寄合酒(小染)しきり違い(圓治)豊竹屋(小文字)新内千両幟(三木松)悋気の独楽(圓好)珍劇不如帰(小鍋)音曲大文字屋鰌すくい(門三郎)冒険的身体運動(支那人)大丸騒動(桃太郎)

622日:御祝儀落語(福笑)高宮川天狗の酒宴(延二郎)辻占茶屋四ツ橋心中(小染)百人坊主勝負の魁(圓治)稽古屋(小文字)新内明烏夢泡雪(三木松)源平穴探し(圓好)珍芸百種(小鍋)音曲手踊(門三郎)冒険的身体運動(共和民支那少年)天下一品浮れて屑より(桃太郎)

623日:御祝儀落語(福笑)地獄八景(延二郎)大阪名物野崎詣(小染)虱茶屋(圓治)いらち俥(小文字)新内お駒才三(三木松)西行墨塗の由来(圓好)滑稽連鎖劇(小鍋)音曲手踊(門三郎)冒険的身体運動(中華民支那人)天神山狐の子別れ(桃太郎)

624日:三人旅浮れの尼買い(延二郎)猫の忠信(小染)足上り(圓治)鰻屋(小文字)新内傾城三度笠曲引(三木松)星野屋(圓好)珍芸汽車の窓から(小鍋)音曲手踊(門三郎)冒険的身体運動(夏雲忠)忠義の正夢(桃太郎)

625日:小言幸兵衛(圓好)珍芸(小鍋)曲芸(支那人)寄合酒(門三郎)景清(桃太郎)

大正10622 京都日日新聞

◇落語(岡田)反対派 二十一日より各館の出演順左の如し。

 △富貴 歌蝶、右之助、歌遊、柳丈、枝雁、太郎、金の助、かほる、梅生、円歌、中華民、円瓢、小かめ、おかめ、枝太郎、福徳、源朝。

 △笑福 福笑、福之助、枝右衛門、文太郎、志ん鏡、楽丸、さん好、扇太郎、輔力、円笑、支那人、麦団治、百魚、十郎、五郎、助六、天賞、小賞。

 △泰平 文里、金の助、円歌、小かめ、おかめ、円笑、中華民、麦団治、福徳、福来、志ん鏡、楽丸、枝雁、かほる、竜生、支那人、円瓢。

 △福の家 梅鴬、さん好、扇太郎、源朝、助六、十郎、五郎、枝右衛門、白魚、竜生、天賞、小賞、金の助、輔力、志ん鏡、円歌、中華民。

 △西富貴 八百三、かほる、輔力、張有利、円瓢、歌遊、柳丈、小かめ、おかめ、太郎、助六、源朝、梅生、円笑、楽丸、麦団治。

◇長久亭(吉本反対派席) 二十一日よりの出演順。

 春造、三木坊、文喬、天楽、福団治、染八、星出、夢の助、扇枝、千橘、千代春、寶団治。

大正10623日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/當る七月一日より開演/京阪落語三遊亭門左衛門其他廿余名の大一座 女道楽、義太夫、手踊、音曲外諸芸あり。

大正10626日 大阪毎日新聞

○突飛な高い芝居の観覧料 

(前略)序でに道頓堀以外の木戸銭の一二を記して見ると、御霊文楽座の桟敷が二人詰一場六十銭、出孫二人詰四十五銭、追込四銭五厘、立見一銭といふ相場。いろ物の席は、大抵が三銭、蒲団が五厘で、先々代の奥眼の為に塩鯛と綽名の文団治が桂派を脱走して、今の所謂反対派同様の一派を形造つて、競争の火蓋を切つた時の木戸が五厘下げの二銭五厘で、大車輪に働いたものだ。法善寺の講釈席が一銭、夜席が二銭、ソレで石川一口、玉田玉芳斎の手合が出演していた。コレと違つて今なら何々の独演会とでも云ひさうな御霊裏門、今の天寅の北へ東京講釈場が出来て、泥棒伯円の名ある名人松林伯円、邑井一、桃川如燕が出演して人気を沸かしても、木戸銭は六銭であつた。錦影絵は大人一銭小人五厘といふ処…(後略)。

大正10626 京都日日新聞

読者招待大演芸会・六月二十四日・岡崎公会堂>

◇満堂人に埋まつた大演芸会 …芦辺館の小はん君は得意の新派俳優の物真似、京都座の都築文男、大阪楽天地の五味国太郎など眼前にその人を髣髴せしめたり。次で新内弾語りの吾妻クンは「明がらす」の一くさり、浦里時次郎の情緒纏綿たる恋物語を頗るデリケートなる節調にて満場に感動を与へたり。…軽口の一円クンと鶴蔵クンは太皷まはしで満場幾千見物の顎を解かしめた。…大切には芦辺館総出の軽業、一馬クン、三八クン、枝女太クン、ぜん馬クン、三代松クン、白鶴クンなど、中にも一馬クンの足芸、小はんクンの曲乗小僧、三八クンの口上云ひ、枝女太クンの二枚盆などは見物大喜び。…夜の部…先づ双馬クンの音曲に始まつて、三代松クンの落語、小はんクンの物真似と舞踊、三八クンの時局談、天星クンの奇術、枝女太クンの手踊り、一円、鶴蔵クンの軽口は例に依つて大喝采…。
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大正1071日 『寄席』第九号

◇「大阪から」(六月二十日夜・大森勝)

…南地花月亭の木戸を入りました。落付いた空気が場内に充ちて居ました。扇風機の音が心持好く聞こえました。高座には露の五郎が「富士の狩屋」を踊つて居ました。表の空気と下座のひく三味の音から出る気分と一致して尚一さう落付いた心持になりました。此夜小柳枝は「小言幸兵衛」をやつて、後で滑稽問答をやりましたが、大阪では珍らしいと見えて一寸問ひ掛けるものもありませんでしたが、前の方に居た洋服さんが「大関の内へ来ても戸籍取りとはこれ如何に」とやりました。答「立つて居てもおまありさんと云ふが如し」。華柳は「酢豆腐」の頭の方をやりました。羽織をぬいで入る時、腰に差した煙草入が何んとなし目につきました。柳枝は「桃太郎」をデレリポチーッと話したが、後の紋右衛門が見えないので「ジクホメ」を少しヤリました。円太郎は「天災」、此の人の此の話は随分聞く。春風亭改名興行は二十日で終り、来月は交代として千橘か紋右衛門が上京するでせう。

 三友派は馬生、円馬にハレーと云ふ異人の音曲。三友派の分派と云ふやうな大八会と云ふのがありますが、主として場末に席が多く、新世界なぞは木戸二十銭、演じる事は安来節、手踊り、義太夫、奇術、名古屋万歳と、そのあいまに落語があると云ふやうな万人向きのする民衆娯楽の優なるものなのだらうと思ひます。出雲安来節も一寸下火になつて来たやうですが、それでなか〳〵千日前の安来節の席なぞは金のあがる事に置いて色物席中で第一位ださうです。

 呂昇一座が三友派の席、松島文芸館へ出演して居ますが、寄席で聞くのは東京から来た身に珍らしく思はれました。

◇お仲いり(芝喜代志)

 チョイとお仲入の中へッ込んで[突っ込んで]頂くとして、さて古渡先生、先生の大嫌いな金ピカの代表的人物と云ひたひ様な奴を此の間恵知十で見て来ました。余人ならず大阪上りの春団治其の人デス。口中の金歯は申すも更なり、右手に金の腕時計、左手に金の腕輪、左右の指に各一個宛ヤケにでつかい金指輪、オット未だ有る、巾広の角帯に巻き付けた金グサリに金時計、此れで時計は〆て二個だ。まるで時の宣伝にでも来た様だ。オマケに羽織の紐迄金とキタ。其れで御当人様は五十面さげて納まり返つて居るんだからナアー、情けネェ。先生、御参考迄に横浜迄見物に出掛けチヤァ。