大正108月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より紅梅亭、新町瓢亭にて三友派納涼演芸会。【下図参照】

 十五日より円子、染丸、円枝、遊三、蔵之助、枝鶴、円、円坊その他幹部連

二十三日より紅梅亭にて納涼演芸会。滑稽「金の助太刀」、長唄二調、落語茶番「碁どろ」、新奇術「肥料
  問題」、滑稽曲芸、大切「怪談引抜阿波踊」座員総出。

◇吉本花月派

 一日より南地花月、松島花月亭、北新地花月倶楽部にて納涼演芸会。反対派幹部若手連百余名出演。

 一日より京三倶楽部、福島花月亭にて女流競演会。出雲より安来節美人十余名出演。

十一日より納涼演芸会

大正1081日より

◇南地紅梅亭納涼演芸会演目表

大正10年 001

〈編者註〉「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より転載。八月二十三日よりの納涼演芸会の演目の類似よりこの時のものと推定した。

大正1083 京都日日新聞 

◇芦辺館が時節柄「興行客覧会」と云ふものをやつて、頗つた珍趣向を見聞に入れる。衛生館やら高塔などの面白さは見落しては駄目だよ。

大正1087 京都日日新聞 

◇芦辺館 七日八日の両日、円歌独演会の総見あり。会費八十銭(桟敷料)に勉強したる上、当日何人にても飛入り勝手なりと。

大正10811 京都日日新聞 

◇江戸ツ児会旅行 三友派の蔵之助、一馬、とん馬、しん蔵、三次、蔵造、三代松と云ふ連中に京美人が加はつて、十一日に中舞鶴壽座を振出しに、十三日新舞鶴、十五日宮津、十八日福知山と云ふ風に「江戸ツ児会」と女道楽とで巡業する。女道楽では松五郎が大活躍するとの事。避暑旅行をかねての巡業芸人は苦しい中にも亦楽しみがあつて、三日すれば忘れられぬものと見える。

大正10812 京都日日新聞 

◇長久亭 十一日より左記の通り出演するそうだ。

 竹馬、滝生、枝丁、亀鶴、紋十郎、紋右衛門、文次郎、柏勝、さん好、福徳、福来、すゞめ、麦団治。
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大正10815日 『寄席』第十二号

◇「大阪から」(八月五日・大森勝)

 中の島公園に、道頓堀川に、水の都大阪の夜は涼を追ふ人で賑やかです。あつい時にすゞしく見せたり、聞かせたりしやうと云ふ趣向で、花月席も三友派の紅梅亭、新町の瓢亭とも納涼芸会を始めました。双方とも全員惣出の喜劇や芝居噺、花月が落語十八番の内として「堀川」をやれば、紅梅は「胴乱の幸助」と云ふ落語茶番をやつて居ます。夏の興行には附物の怪談物は、芝居では延若の「宇和島」に早替りの幽霊を浪花座でやり、活動写真でも「四ッ谷怪談」などをやつて居ます。花月では円歌が怪談噺でせい〴〵見物の胆をひやして置いて、引ヌキで幽霊が出ます。紅梅のは芝居にして、最初から舞台を飾つてあります。場内をくらくして幽霊を出すだけで仕草ですごく見せる事は許されませんでせうが、学生らしい客の評が面白い、「幽霊スタイル」を見せるだけだなどゝ。怪談を引ヌクと花月はかっぽれ、紋右衛門の大阪の江戸ッ子振りを見せ、紅梅は引ヌイて鰌すくいになります。花月派は紋右衛門、千橘、文団治、春団治、円歌、文治郎、五郎、ざこばに桂三木助について居た染丸(編者註:楽丸の誤記)と云ふ盲目の芸人が出ます。三友派は円馬が上京して後に松鶴、染丸、遊三に円子と円が出居升。

◇お仲入り(大阪草屋左海)

去七月二十九日夜、南地の或る席へ円歌、三語楼の看板見て、一円奮発しては入て見たら、円歌は出たが三語楼が出ないから、お茶子呼(よん)で聞いて見ると、東京へ帰られましたとの事で失望しました。毎月輸入の東京落語が満一ケ月勤めずに種々口実を設けて二三日早く帰るが、又席主も云ふが儘に泣寝入で帰して居るが、是は両者共に不利益だ。芸人も二日早く帰つて何をするか。三十日の我利々々会を催す為だろ。そんな事では天下一品の大物には成れぬよ。初代円遊なぞは三十日の夜勤めて夜列車で帰京された偉人で有つた、名師で有つた、全国に渡つての大名人で有つた。珍進の真打連、此師の行動をしたわれよ。

◇お仲入り(澱南の草庵・奈庭山人)

 衰頽ゆく最近の寄席を観る時、私は漫(そぞろ)に故円馬の在世を思ひ出さずにはゐられない。そしてまた寂しい彼の生涯に一滴の涙を注がずにはゐられぬ。当時私は毎月の日曜会は欠かさなかつたものだ。彼を始め馬生、文団治、川柳(三世円馬)、故文三、染丸などの顔触れは何れも異常の興味を以つて聴かされた。馬生の「性は善也」、文団治の「国太夫節」、染丸の「鬼薊」、川柳の「鼠穴」、共に深い印象に残つてゐる。就中円馬の「牡丹燈籠」「江島屋」は忘れようたつて忘れることは出来ぬ。思へば彼は実に円右以上の話術家であつた。私は東京の人々に彼を知らしめなかつた事を甚だ遺憾に思ふ。昨年の秋紅梅亭で彼の追善会(三周忌)を催した。実弟円と三世円馬の悲痛な挨拶には一人として感動さゝれぬものは無かつた。徒然の折節思ひ出しては。

◇魚尽し一寸御見立(草屋左海)

〇浜焼の鯛の風味の名に高し    (円右)

〇東では嬶売つて食ふ初鰹     (円蔵)

〇色もよし味もよしまぐろの刺身哉 (円歌)

〇十方に売行きのよい鰻なり    (円馬)

〇天ぷらと種は同じの海老フライ  (三語楼)

〇料理人自慢で鯉の生作り     大阪落語(桂文団治)

〇照り焼きの浪花料理哉鱧の味   大阪(笑福亭松鶴)

〇薄塩の〈グジ〉の風味哉京自慢  京都(桂枝太郎)

〇半蔵は誰れもこがれる鮎料理   (桂三木助)
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大正10820 京都日日新聞

<芦辺館の大演芸会> 

◇愈々明後日…昼の部は特に新京極芦辺館連中は目先の変つた面白いものを見せやうと日夜苦心をした結果、番組は左の通り決定しました。中にも無言劇は二三日前から毎夜打出し後一時二時迄稽古をしていると云ふ熱心さ。

落語(福笑・福之助・三次・小染)、手踊(小文字・枝女太・円歌・福松)、滑稽二人羽織(円天坊・歌遊・扇太郎)、琵琶(桂洲)、偽相撲(円天坊・枝女太・円歌・三八)、奇術(趙相元)、無言劇ヌストヤ(円馬・扇太郎・福松・円歌・三八・円天坊・川柳)、歌舞(おかめ・小かめ)、大切相撲(座員総出)。

大正10822 京都日日新聞 

◇京都日日デー 来る二十五日(雨天順延)昼夜共、全国工業博覧会場にて空前の変装あてと変装競争。…変装者は新京極三友派定席芦辺館出演の花形にして、即ち左の如し。

 昼の部 三八、川柳、一馬、円歌、福松、円天坊、円司、枝女太、円馬、扇太郎。

 夜の部 川柳、一馬、円歌、三八、枝女太。

大正10823 京都日日新聞 

読者招待大演芸会・八月二十四日・岡崎公会堂>

◇昼夜満員の大演芸会 …小染クンの落語に次で、円天坊クン福松クンの掛合噺に満堂を笑はせ桂洲クンは乗合琵琶で喝采を博し次に円司クンは本紙連載「国定忠次」の一節を講じて老人連を喜ばせ、小文字クンの舞と手踊は小粒でヒリヽと辛いところを見せた 喜劇「偽相撲」は枝女太クンの令嬢美しく円天坊クンの番頭は軽妙、円歌クンの若旦那垢抜けがして意気に三八クンの爺は自然のうちに滑稽味があつて曽我廼家の蝶六さんからおつりを取れさうであつた、おかめさんと小かめさんの舞踊音曲は目先耳先が変つて珍、流石日の本の岩戸神楽の始めから女の持てる国である、喜劇「ヌストヤ」に至つては円馬クンの円熟した語調から態度何処一点の非難点がない三八クンの八公や、川柳クンの細君、何れも曽我廼家も一寸首を傾けさうな器用さに満場大喜び大喜利の「尻相撲」に至つては天下一品の取組之れにて目出度打出し

大正10829 京都日日新聞 

<伊藤痴遊が芦辺館に出演>

◇伊藤痴遊が九月一日ヨリ芦辺館へ出演することになり、痴遊の京都入りは数々なれども芦辺館の高座は今度が始めてなり。而も今度は珍らしくも一週間の滞在出演なり。

〈編者註〉痴遊はいままで大阪でも京都でも反対派の席にしか出ておらず、三友派の芦辺館に出演するのは異例である。二月の反対派の分裂、七月の吉本の統一等、京都の寄席界混乱の中で実現したのであろうか。一日日延べして八日まで開演。演題は以下のようなもの。尾去沢銅山事件、島津斎彬と西郷南洲、加藤高明と珍品五事件、明治二十八年東京市水道鉄管事件、明治三十三年東京市参事会事件、山県有朋と田健次郎、明治四十三年日糖事件、自由民権時代の回顧と原敬。なお九月四月付「京都日出新聞」に「芦辺館の痴遊独演会評」(下記)が出ている。

○痴遊独演会 毒舌だが罪のない専売の話術

伊藤痴遊が珍らしや新京極の蘆辺館に現れ、例の新講談で此一日から七日迄長広舌を揮つてる。遊芸稼人痴遊たる一方、東京府会議員たる伊藤仁太郎はなんと言つても当代の珍物である。長講三席連夜読み切りといふが呼物で、さても初日の夜覗くと痴遊君相変らずの蛭子然たる風丰に持前の頤髭をシゴイテ今や得意の「島津斉彬と西郷南洲」なる第二席物を講じていた。

所謂、義は君臣、情は父子テナ一節を例の調子で「なにしろ未だ一向名も聞えない一介の若侍吉之助をお庭番に取出したのが斉彬公の豪い所で、役こそ卑しいが起立(た)つたまんまで殿様に口を利く事が出来るのは一家中でも此お庭番に限る。斯うして斉彬と西郷は漸次接近した」と、南洲が一君の知遇に感ずる経緯(いきさつ)から遂に維新大義の動機へと結びつける辺り練れたもの、何時もながら痴遊式新講談の特長が溢れ、斉彬公や南洲翁を昨日迄の友達のように取扱ふなど講釈師見て来たようななんとやらも此センセイの口から聴くと衒気らしい感じがなく、却て愛嬌があるから妙で、とにかく聴衆を感心せしめた。

却説(さて)茲許(ここもと)一息入れての跡は愈(いよいよ)当夜の呼物、第三席は「加藤高明と珍品五事件」とあつた。痴遊センセイ、例の愛嬌満々の顔を殊更張せしめて「加藤が政党の首領になつたのからして根本的に間違つている」と冒頭既に是だ。「なるほど識見も一通りはある。弁説も堂々たる方だが、然し到底政党の首領たる器でないネ」と髭をシゴキ〳〵大□りで所謂器局の小なる所以から十八番物の政党裏面観を説く。別に耳新しくもないが、一流の風刺に諧謔をこぎ交ぜ毒舌を揮ひながら、それでいて何処やら罪のない独得の口調で面白く聴かせる点は心得たものだ。「珍品五はマズかつた。大政党ともあるものが小成金から条件を付せられたりして僅小な寄付金を受け、一札入れるなんかお話にならない」と痛快にコキ卸した上、「然し政党と雖も其主義綱領を賛成して呉れる有志の寄付金なら受けても可(い)い。唯条件を付せられたり束縛されたりしてはいけない」と今度は婉曲に□□党の立場を擁護するなど国民党員たる伊藤仁太郎君、本音を吐いても好い気なもので、メートルを揚げつゝ巧に宣伝をやるコツは痴遊□老ひずと申そう。

兎に角此人の話□は依然他に類と真似手のない妙味がある。唯二日目「犬養毅と勝田銀次郎」で、勝田が犬養に心酔する点を聴かなかつたのと聴く機会を逸したのを或る意味から遺憾に思ふ。(鯉)

大正10830日 九州日報

<圓馬、圓合同一座・博多川丈座>

グラフィックス2[広告]明三十一日初日/三代目三遊亭圓馬襲名披露特別大興行/補助出演東京落語舞踊橘ノ圓 主任橋本川柳改三代目三遊亭圓馬/川丈座

大正10831日 九州日報

◇圓馬初日 博多川丈座に於ける東京落語三遊亭圓馬襲名披露興行は、今三十一日が初日である。夏期休演中の川丈座は今回が新秋第一興行で、一座も顔揃いである。今初日の番組左の如し。

落語(喜雀)落語音曲(吉太郎)落語物まね(春輔)落語手踊(東蔵)女流落語(鹿の嬢)落語手踊(とん馬)奇術種々(正光一行)落語舞(圓)人情落語(圓馬)

<編者註>圓馬一行の番組は下記の通り。

91日:がまの油(春輔)五人廻し(東蔵)七段目(鹿の嬢)悋気の独楽(とん馬)子宝(圓)奇術(正光)淀五郎(圓馬)

92日:初天神(春輔)宮古川(とん馬)三味線栗毛(圓)奇術(正光)唐なす屋上(圓馬)

93日:掛萬(とん馬)一休和尚(圓)奇術(正光)唐なす屋下(圓馬)

94日:花見の仇うち(とん馬)三村薪割(圓)奇術(正光)小言幸兵衛(圓馬)

95日:湯屋番(とん馬)巌流島(圓)奇術(正光)谷風(圓馬)

96日:四の字嫌い(とん馬)鹿政談(圓)奇術(正光)景清(圓馬)
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大正1091日 『寄席』第十三号

◇「大阪から」(八月十七日・大森勝)

八月十五、十六日は大阪の盆で(中略)十五日は夜の九時半頃から大阪では珍らしく残つて居る九条松島の講釈席へ出掛けました。遊廓のなかを抜けて一間位の露地を入ると張扇の音がする。木戸二十銭とあるので金を払をうとしたが、もうじき終りですからいらないと云ふ。無理にと云ふとやうやう十銭だけ取つた。席内は六七十人の客がホトンど申し合せたやうに肌をヌイで居た。女客一人もなし。高座はせい〴〵一間位で、玉龍亭一山と云ふ先生が市川団十郎が杉山半六に殺される話をやつて居た。場内を見廻ると、壁に片栗湯四銭、しやうが湯四銭、かきもち茶二銭、土瓶茶三銭なぞと書いて張つてあつた。一寸話を止めて湯を一杯呑んでやり始める。小幡小平次の師匠が鯖伝兵衛、鯖の弟子で小幡小平次と二三度くりかへして東京のすしの話などやる。客は時々ヘラ〳〵と笑ふだけで熱心に聞い[て]居ました。十時二十分に終り表へ出るとすゞしい風が強く吹いて居ました。

十六日も夜に入つて九時近い頃、新町遊廓に程近い瓢亭と云ふ三友派の席へ行つて見ました。褄とつた女が三々伍々見える。高座では落語相撲をやつて居た。客に落語の穴をさがして貰つて賞品を出すと云ふ趣向も兎角屁理屈に落ちて面白くなし。大切に四ツ谷怪談と云ふ幽霊屋が民谷伊右衛門から金を巻きあげやうと蛇山の庵室へ出掛けて行き、伊右衛門を嚇さうとするも本物のお岩の幽霊に吃驚して逃げ出すと云ふ滑稽怪談、引ヌイて円子が勢獅子を踊ります。十時半頃に打出しました。花月派も三友派も各席共納涼演芸会で競争ですが、此取組引分にて勝負なしと云ふ所です。

◇「京都から」

 残暑と盆前で席は六七分の入りですが、八月上の女踊りの全盛さ、反対派各席高松踊の七人に、笑福亭は安来節一行が大入で盆へ打越し。三友劇場が磯節芸妓一行、竹豊座が正調安来節、又国技館も千家一行の安来節、福の家五色会どぜうすくひ。反対派落語席は富貴(新京極)、西富貴、長久亭(千本)、泰平館。三友派落語は芦辺館、春日亭。

◇「お仲入り」

 本誌九号のお仲入りに林(ママ)喜代志君が大阪の春団治の金ピカを御批判になりましたが、実に御説の通りアノ人の金ピカには何時もながら嫌な感じがします。如何にもドク〴〵しい様子です。けれ共私は其の芸のうまい点に於ては永くあの人を残して置度(おきたい)のです。今大阪の落語家中でアノ位ひ滑稽味な話し口調の人はありません。東京の人に競べて丁度小勝が好一対でせう。其の位置と云ひ、其の話の反対車や鰻屋を共に得意とするところに……けれ共小勝は軽く、春団治は重くやる点に一寸違つた味が有ます。

 金ピカの不快の点は同感ですが、話しのうまさに大阪第一の人気者を今一度喜代志君に聞直して貰ひ度ひものです。上方の話しは東京の者に解り兼ると云へば其れ迄だが。……

◇「お仲入り」(江戸ッ子)

 言葉が幾分違ふので仕方がないが、関西落語家は概して話ブリがネチ〳〵し、加ふるに態度が如何にもクド〳〵しい。其上鳴り物入りやら何やらでウルサイ事ウルサイ事、どうも暑苦しい、迚ても夏向きじやない。それに親兄弟同席なして聞くに耐へぬ様な話をやられるには実に閉口だ。其が十中八九迄とは……之を関西方面の客が歓迎するとは……モウ少し江戸ッ子式に気持よく軽快に尚ほ且つ奇麗にやつてもらい度きだ。何にしろ話よりは余興の方が主らしいのだから仕方が無い。東京へ来る者は須く染団次式のキビ〳〵した者が来なくては歓迎されまい。必らずしも関西にて人気のあつた者が来ても東京にも同様の歓迎を受けると思つたら大なる違ひだ。興行主は其点に大に留意すべき処と思ふ。