昭和451日 大阪時事新報

◇小柳三の沢正実演 一日から春風亭小柳三が南地、北新地、松島の花月に出演して名優声色物真似百種を演続、特に沢田正二郎得意の当り狂言数種熱演すると。

昭和4511日 大阪毎日新聞[広告]

4年 007

昭和4511日 大阪毎日新聞
◇松島花月の改装 松島千代崎橋の花月は改築落成、一日から花々しく開館、万歳諸芸の大競演に花月レビユウ団十数名…。

昭和4510日 大阪時事新報

◇花月ピクニツク演芸会 南地紅梅亭で 既に第六回を重ねて各方面から非常に期待されるやうになつた花月ピクニツク会は、来る十一日から南地紅梅亭で第七回目の演芸会を催す。その顔触れは染三、鶴二、うさぎ、九里丸、正光、光鶴、小春団治、枝鶴、扇枝、小円馬、花次、そ れに応援として紋十郎、清子、喬之助が特別出演すると。

昭和4511日 大阪時事新報

○落語を聴く此頃のお客 花月亭九里丸  

私が新しがり屋? イヤ新しい事にかけては小春団治君も却々のハイカラです。私のは枝鶴さんにも言はれましたが聊か変態的の新しがり屋でネ、勿論私等社会の誰もが変態的色彩を帯びていないのはないのですが、私のはそれにも一つ辶(しんにょう)をかけたものでせう。近頃のお客さん──と云ひましても私一人では不可(いけ)ないと思ひますが、どちらかと申せば以前よりもお客のレベルは下つているやうに考へます。それは二三年来万歳が抬頭してこの方、ほんたうに目立つた現象で、私丈けでは無く皆が感じている事実です。お叱りを蒙るかも知れないが、まア早く申せば半可通のお客さんが多いので、自然に笑はせる話よりも手取り早い無理なクスグリの話を好んでいられる──つまり真に落語の味を御存じない。私の場合は別として、注文なさるにしても、仮に枝鶴さんの十八番を小春団治さんになさる。こんな事はお客さん自身が半可通を裏書なさるもので、実に気不味(きまず)い御気の毒なことです。ですからこゝ数年前の客と対照して考へると、恰度大成駒家対百々之助、湖月に対するビツクリぜんざいと云つたやうな感じに想ひ到ります。私の同窓生で、八歳ごろからの落語フアンが居りますが、これなどは自身の好きな落語で「はゝアこゝで笑はされるな」と思つたとき、必ず客一同が何ういふ感じの笑ひ方をするか、それに注意をするさうで、今日での通のフアンはこの人一人位だと思ひます。私一人の意見で今日は纏まつた事は申しませんでしたが、何れ三人か四人位で面白いことを申上げませう。

昭和4516日 大阪毎日新聞

◇漫談とは──英語を混じた酔つぱらひのクダみたいなもので、何をいひ、何をいはんとするのかが自分でも判つていないらしいと大阪人が呆れてしまつた。

◇大辻司郎が大阪でーと聞いて俺も俺もの申込み、寄席では「ソレにはおよびません、どうぞ東京でやつて下さい」

昭和4521 京都日新聞

◇[広告]新京極富貴 神田伯竜 二十一日より毎夕五時

昭和4523日 大阪時事新報

◇花月ピクニツク 二十一日より三十一日まで南地紅梅亭に於て開き、枝鶴、扇枝の落語に一光の曲技、正光の奇術で、主なる番組は野崎詣り、新補花暦八笑人、舞踊保名、越後獅子、笑ひの洪水「鬘」レビユウ菖蒲太刀。

昭和4525日~68日 大阪時事新報 

<連載:落語家漫談会>

〈編者註〉大阪時事新報主催で「落語家漫談会」の席が設けられ、その内容が六月八日まで十三回に分けて連載された。出席者は花月亭九里丸、立花家千橘、笑福亭枝鶴、三遊亭小円馬、桂小春団治の五人。その内の一回から六回までを掲載する。七回以降はカフェ、女給、芸妓等の話で落語史とは無関係。

〇本社主催落語家漫談会(1) 舞台から見たお客の品評に漫談の口火を切る

 予て「芸妓と宴会の解剖」に於て発表された通り、本社主催落語家漫談会を茲に紹介する。大阪が生んだ純漫談家の定評ある九里丸君を始め、これも純大阪式落語家として自他共に許されている枝鶴君、斯界切つての色男の名を擅まゝにして小淡泊とした落語と軽快な舞踊を以て鳴る千橘君、江戸ッ児の歯切れの可い語り口とアク抜けのした舞踊で人気を呼んでいる小円馬君、斯会では最後輩とされ乍らも落語は無論、舞踊には山村若氏の門を叩いて飽くなき精進に日も猶ほ足らずとする年少気鋭の小春団治君。そして種々の話題を中心に如何なる希望、観察、珍談などが口を衝いて出た事か、再考するまでもなく実に興味津々たるを覚えやう。デは只今十一時です、これから漫談を始めます。

4年追加 001

記者「お忙しい中を態々お集り下さいまして有難うございました。で私の方から『この話題で』と云つて別に注文は致しません。何処までも漫談の本分を発揮してやりたいと思ひます。デ解散の予定時間ですが」

九里丸「サア、私共の方は席の都合もありますから午後二時頃解散したいと思ひます」

記者「二時半、さうですか、それではそれ迄どうか寛(ゆっ)くりと急いで成る丈多く、そして面白可笑くお話し下さるやう‥‥とは少々欲張り過ぎですかナ、ハッハッハ‥‥」(一同笑ふ)

九里丸「イヤそれは御注文のない方が結構、此方も話し可い訳ですさかい‥‥。そこでーと毎時も斯うした時には私が口火切りで恐れ入りますが、先日私の話として本紙に御掲載下さつた話、──つまり「近頃のお客さん」ですナ、それを斯うした席上でお話しやうと思つてたんですが、何うでせうこの話題は‥‥」

一同「そら宣しいナ」

記者「では、それからどうかお始め下さい」

千橘「大体が落語は昔から粋なもので──と云ふと私が老年(としより)臭く聞えまんが(と軽く笑ひ)、実際この落語と云ふものは粋なもので、そして笑はせるにしても肩で笑はせるものが本領だつたさうです。それが近頃ではとかく爆笑的な落語でないとお客さんに不評(うけない)ことになつてますが、大体落語といふものを御存じないのですナ」

九里丸「結局は半可通の客が殖えたんです」

千橘「そして誰が巧い──仮令ば枝鶴さんが巧い、九里丸さんが上手やと云はんやうになつてます」

枝鶴「然う〳〵、つまり落語を聴く頭が無くなつたんや。以前は話中の人物に注意したもんやが、この頃は全然お客さんがそんな話中の人物になんか注意せんようになつてる。たゞ笑へば可エ、笑はして呉れたら巧いのやとなつてるナ」

小円馬「然うです、それが反つて我々には難しいんです。師匠から習つた通り、教つた通りの落語ぢやアとてもウケない」

小春団治「近頃のお客さんは十中の一部が粋な真実の落語通。八分が只笑ふ、笑へば気が済むといふ人達。残りの二分がイヤに理屈張つた──落語を聞いて『そんな矛盾した話があるか』といふやうな──所謂文学カブレのしたお客さんで、中でもこの理屈張つたお客さんが一番適ひまへん。そしてこの皆に笑つて頂かうとするのですから、難かしいです」(525日)

(写真は落語漫談会の光景・北陽菱富にて。向って左から順に記者、小春団治、枝鶴、小円馬、九里丸、千橘)

〇本社主催落語家漫談会(2) 咄の筋よりも笑ひを要求 将来の事より過去がウケる 

九里丸「あのざこば君の英語なんか、実際に解つている人は尠いでせう」

枝鶴「イヤ全然解らへんで」

千橘「アクセントの具合で解らんやろナア」

枝鶴「とも角訳の解らん英語を聞かされて、キヤツ〳〵笑うて喜ぶお客さんやさかい底が知れてる。落語なんか全然解らんのヤでナア」

(此処に至つて諸君の顔に一抹の暗影が漂ふ)

千橘「つまり現代の客は然うなんです」

枝鶴「たゞ落語ことが面白かつたら可エネ、理屈屋連は別として落がトンチンカンになつていやうが脱線しやうがたゞ笑はされたら喜んでいる」

千橘「極く最近の事ですが、私が或る紳士連に招ばれた時でした。その席上で一人の紳士が『君達はいやしくも高座に上つて人智啓発の任に当る芸術家?である以上、落語は従来のものでも、社会から一歩先んじた所に着目してやれないか標準をもつと高いところに置けないか』と云はれました。が、貴方等はこれを如何考へます?」

一同「否、その注文は間違つている」(と口を揃へて強く云ひ切り)

枝鶴「斯う云へば我々余程時代に遅れてると云はれるか知らんがそら間違つてまんな。時代に遅れていない、私達は喋つても駄目だす阿呆らしい事でお客を引きつけるんですさかいナ」

九里丸「客の興味を起さぬものは駄目です」

枝鶴「つまり実地に在つた事を云ふのが面白いんです」

九里丸「然う、ですから延(ひ)いて過去と現代に題材を採る。将来に斯うした事があるやらうとか、斯う成つてゆくやらうとかのやらうでは到底お客に好評(うけ)ません、実感の伴はないものは更に好評(うけ)ないと云ふ証拠です」

枝鶴「解らんよつて面白うない」

九里丸「これは矢張り我々の同業者で名は云ひませんが、『赤穂義士』をやりましたが、それが振つているので、ある時『赤穂浪士四十七人、怨敵上野の首級を挙げて引き上げたのは高輪の泉岳寺、そこであらぬ雑兵共の手にかゝるよりはと頭を並べて切腹する』と迄はマア兎も角ですが、も一つ『その時の辞世に「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山桜かなとある」』と云つたものです。少し歴史に素養のある人でしたら『阿呆らしい』と解りませうが、中にはそれを聞いて感心する人があるので『ホウ、落語家といふものは何でも知つてるんやナア』なんて、余りの事に此方が冷汗をかきました(一同哄笑)。イやこれは実際あつた事で嘘やないんですが、斯んな人が一人や二人でなく非常(えらい)多いから全く困ります」

小春団治「然うです、先日の九里丸さんのお話のやうに(本紙所載)枝鶴さんの十八番(おはこ)を私に註文しはるのです。つい先日も扇遊さんの十八番の『へちま』(踊り)を演れと云はれて返答に困りましたが‥‥」

九里丸「イヤあら扇遊クンが悪いネ」

枝鶴「さう〳〵、扇遊さんが『これは小春団治のこの十八番だが今夜は私が踊らして貰ふ』と云ふて踊つたんがお客の方はそれを真面目に聞いたんやナ」

小春団治「ヘエ、然うですか。そら何うか知りまへなんだが、あの時は困りました」(と飛んだ所で扇遊君が槍玉に上がる)。(526日)

〇本社主催落語家漫談会(3) 私達を呼ぶ女客 幇間扱ひにされるのが一番癪に障りまんね 

九里丸「近頃の客は私等を幇間扱ひにするやうになつて来ましたが実に残念です」

小春団治「客──、近頃僕等をお招き下さるお客さんの大部分は然うした観念のお方です」

九里丸「しかし私等にも罪はありませう、が向上を向上をと希望している私等を捉へて、何うにでもなる──、早い話が裸体になれと云へば裸体になる、踊れと云へば踊る、泣けと云へば泣くと云つたやうな幇間同様に思つてはるのは、何うしても間違つてる。私の考へでは贔屓と云ふのは、その者に芸術的にも一般的にも大いに向上させてやるやうに後援して呉れるのが真実の贔屓やありますまいか」

記者「それやア勿論然うあるべきが当然ですナ。幇間扱ひにしたり、芸人共を呼んで遣ると云ふやうな観念とか態度とかは、時代的にあひませんナ」

千橘「お詞の通りです。それに近頃は殊に私等を招んで呉れる客に女が多い。それ丈でも如何程私等が幇間的に社会から觀られているか判ります。そやよつてに私としては然ういふ席には招ばれたくありまへん」

一同「そら千橘一人やない、皆が然う思つてる、実際行きたうない」

小春団治「しかし落語家も悪いと思いまんな、そこら一部の連中丈にしても」

九里丸「然う〳〵、私が先程私等も悪いと云ふたのも其処だす。席を休んでまで、──腹痛やとか、風邪引きやとかを口実に、寄席の方を休んでまで客に招ばれて行く、実に嘆はしいことで、私等──と云ふとエライ偉いやうに聞えまんが、──マア我々が一生懸命に芸を向上さすと共に寄席といふものを堕落さゝんやうに努力しているのとは反対に、この一部の連中丈は少(ちょっ)とも然うした考へがない。客に招ばれて御注文通りの珍芸を幾程でも演り、そのお客の感情を害はぬやう懸命になるのが本業のやうに履き違へている。私等は何時もそんな光景を見聞きして憤慨に堪へまへんのです。兎も角客のレベルの下つたといふ事は否めない事実やと思ひます」

枝鶴「然うや、我々社会の或る連中どもゝ悪いには悪い。そやがその我々落語家を育てゝ呉れるお客、贔屓にして呉れる人も、確に頭脳が低級になつてるナ。先日の九里丸クンの話しでは万歳が抬頭した結果や、てな事云うてるが、これはたゞ万歳が悪いのやないと思ふナア」

小円馬「然うです、客のレベルの下つた事を全部万歳に負はさうとするのは無理でせう。つまり時代が悪いのだと思ひます」

記者「大まかなお考へですが然うですネ」(528日)

〇本社主催落語家漫談会(4) 大阪の客東京の客 恰度正反対の好みだ 

千橘「今では出しまへんが、昔は客席へ菓子などを盛つて出したもので、それを別に金を出して喰うて呉れとは云ひまへんのやが、必ず客の方から金を抛り込む。それが二銭のものなら五銭、五銭のものなら七銭か八銭と入れるもんですから、自然こちらの菓子代よりも余計に金が入つていました。が近頃の客なら何うですやろ」

小円馬「然う〳〵、さういふ事をした時代がありましたナ、が東京ぢやア菓子ぢやアなくにぎり寿司でしたヨ。しかし今ぢやア金を入れる所か皿諸共さらへる客があるかも知れませんサ(一同笑ふ)。それにその出し物が寿司と菓子と違ふやうに、東京と大阪とは客の筋がズンと違ひますネエ。これやア震災前の事で今は知りませんが、仮りに落語にした所が落語が長く踊りなんか一つぐらい──それも極く短いものでないと不可ねエて怒ります。それにこの大阪ぢやア全然反対で、踊りを三つ位いも演つて肝腎の落語は短いものでなけりやアお気に召さない。恰度東京の芝居通は自分の好きな出し物、仮りに幸四郎の「勧進帳」ならそれ許(ばか)しを五度も六度も立見で観にゆくのと、大阪ぢやアそれがないといふのと同じですネ、と斯うなるつてエと東京の方が客は本筋ものですネエ」(と高くもない鼻を高くしてお故郷(さと)自慢だ)

枝鶴「それはすき焼といふものが大体大阪で産きたのにこの頃ではレイ〳〵(態と嫌味さうに頭を振り乍ら)と『東京のすき焼』と買いてまんのやよつてナア、矢張り大阪人よか東京のお方の方が賢いらしおまんナア」(と笑へば一同も同感らしい顔で哄笑する)

九里丸「サア、これ迄で大凡(おおよそ)のお客さんの品評は言ひ尽された事と思ひまんが‥‥」

小春団治「イヤもう少(ちょっ)と云はして欲しい、そやないと‥‥」

九里丸「イヤ不可(いか)ん、余り大阪に居ながら大阪のお客さんの悪口を云ふと具合が悪い。可い加減のところで止めとかんとナ(と暗に後日の崇りを言外に含ませて兄分株でコナシをつける。一同腹を抱へて笑ふ。が小春団治君ヤヽコしい不平らしい顔付きで納まる)。で、この次ぎは私の畠で恐縮ですが漫談家といふものとその漫談家の将来といふ事でお話ししやうと思ひまんが‥‥」

一同「ハア〳〵成程、それも可いでせう」(529日)

〇本社主催落語家漫談会(5) 活弁やデモ文士は 大抵漫談家へ落ちつく 此元祖は文都、文三? 

九里丸「斯う云つては失礼かも知れませんが、漫談家といふものゝ前身は大概活動の弁士──所謂活弁でんナ──その活弁か、然うでなければヤヽコシイ文士さん──デモ文士さんです。で前者の活弁さんはどちらかと云へば寿命が短い。中年頃までは相当人気があつても、その後は世間で問題にしなくなる。フアンが無くなる。そこで生きるが為の道を求めて漫談を看板にするやうになる。そして後者のデモ文士さんの方は兎角原稿料が充分に収入(はいら)ない。延(ひ)いて満足な生活が出来ない。何う贔屓眼に考へて見ても前途の光明が希薄(うす)い。そこで漫談家になるといふ筋合で、マアどつちも生活に窮しての商売変更といふ事になりまんナ」

枝鶴「然うや、『落ちゆウく先アきイはア』(と流浪の旅の一節を唄ふ)(一同笑ふ)‥‥の唄やないが、活弁にデモ文士はんなんかの落ちは大概この漫談家やナア。それに近頃は又雨後の筍みたいや」

九里丸「そや、が大体この漫談といふのは大阪で生れたもので、東京で近頃甚(えら)い流行つているらしいが、真実(ほんとう)の漫談やないらしい(と、過般来可成り問題視されるやうになつた東京と大阪の漫談の本家争ひの鉾先を見せる)。月亭文都、大正五年頃に死んだ盲目の三代目文三‥‥」

枝鶴「それに新進の落語や云うて八釜しく云はれてた花丸も然うやナ」

九里丸「然う〳〵、その花丸なんかもそれやが、漫談の元祖、──日本での(と語気を強めて)漫談の元祖といふのは文都と文三のふたりでせう。どちらも大阪生れのチヤキ〳〵です」(と稍々大見得を切つた形ち)

枝鶴「そやが今の連中も最初から漫談をやつたのやないと思ふがナア、初は落語をやりかけてみたものゝそれが何うも生粋の落語家と違うてお客に好評(うけ)ん。面白くお客を引摺つて笑はす丈の腕がない。そこで何時とはなしに訳の判らん漫談と──いふとエライ九里ちやんに悪いが──つまり何やら筋の通らん訳の判らん漫談をやるやうになり、それが先程の笑へば可エといふお客さんに好評(うけ)たもんやさかい、とう〳〵漫談家は俺れ一人(と両手を膝に肩を張り首を左右に振る格好で)とお山の大将に成つてしまひよつたんやデエ」(とゲラ〳〵笑つて一同を盛んに笑ひこけさす)

千橘「成程さうした筋で近頃の漫談家が殖えたといふ訳か。フウム(と感ずつた顔で)そのお影で真実の漫談家までが兎や角と論議されるネナ」

九里丸「然うです! 玉石混交やし」(と両頬に紅潮を呈して憤慨する)

千橘「実際、名を云うて済まんか知らんが、大辻司郎君とか正岡蓉君とかのも漫談とは云へんナア。あら口先ばつかりで面白くシヤベルので、漫談といふものゝ性質とは大分に違ふ」

一同「然う〳〵あら漫談やない」(と無条件で肯定する)。(530日)

〇本社主催落語家漫談会(6) 落語と漫談の境 車掌をカニといひます 文士連のは落漫談語だすネ 

九里丸「つまり先程の大辻さんとか正岡さんとかのマン談は。あれは落語とのアイノコで、ラクマンダンゴ(落漫談語)とでも云ふ団子でせうナ」(と一同を失笑さす)。喰うてうまいやうだが噛みしめてみると不味いもので、余り話の纏まりが付き過ぎてる。その点西村楽天君のが余程漫談に近いと思ひます。それで近頃のやうに盛んに漫談々々と好評(うけ)ているやうですが、マアこの侭の調子で少しも向上もせず、また精進もせんとなりますと、余命の程は余り長からずと思ひます」(と断定する)

小円馬「マア然うでせうナア」

千橘「御存じだらうと思ひますが、あの電車の車掌クンのニツクネームをカニと云ひまんナ。それを『電車の中をウロ〳〵するカニ君』で漫談になつてるので、こゝへ『カニ君とは車掌はんの事で、つまり鋏を持つて横に歩く』と云ひますと落語になつて了ふ」

一同「然う〳〵

記者「成程、其処が落語と漫談との分岐点ですナ」

枝鶴「然うだす、ホンの少しの所で漫談ともなり落語とも成るんだす。しかし其処の分岐点をさう区別する人がお客さんの中には有りまへんナ。プログラムに漫談と書いたアるさかい九里ちやんのは漫談で、落語と書いたアるよつて春団治はんのは落語やナと判るぐらいで、プログラムに何んにも書いてなかつたら何が何や判りまへんのやよつてにナア。頼りないもんだつセ」

小春団治「そう書いてなかつたら判りまへんやろ」(と先頃九里丸君に云はうとして止められたウツ憤を晴らす。こゝもとお客さん顔色なし)

枝鶴「とも角真実の漫談家は九里ちやん一人やと思ひまんナ」

小円馬「全く、九里丸君のが真実の漫談ですヨ」(と九里丸君煽てられて頗る昂然として悦に入る)。ですがそのやゝこしいい漫談家に、向上しろとか精進しろとか云ふのは百日の説法屁一つやろと思ひますナ。『これで俺は立派な漫談家だ』と枝鶴さんやないがお山の大将になつてる連中やよつて、自分の口調が可いもんだと信じている以上それが癖になり、何ぼ八釜しい云はうが到底治りまへんでせう。つまり私等の御苦労さんの癖と同様です」  

枝鶴「さう〳〵、あの御苦労はんナア‥‥(と突飛な声と不気味な笑ひ方で一同を失笑さす)。…イヤ私等が席から席へゆく途中で仲間と逢ふと御苦労はんと云ひまんネ。マアこの言葉が素人はんが『今日は』と云ひはんのと同じで我々仲間の挨拶でんナ、それを我々が何処でゞも──電車の中であらうが招ばれた席上であらうが、便所であらうが、所嫌はず云ひまんのやが、そら云ふてる我々でも可笑いナと思うことがありまつせ」

小円馬「実際、中でもあの電車の中で大きな声を出して『御苦労さん、何処へ』と思わず云つてから『ホイ失敗(しま)つた』と思ふことが何度あるか判りやせんヨ。それやア多くの人に『ハヽン彼奴(あいつ)等シカ(落語家の略)だネッ』てな事を思はせる為に態々教へているやうなものですからネエ、チヨツと厭な気がしますサ」

九里丸「その通り、全く習慣。──と云ふと語弊があるかも知りまへんが、所謂自称漫談家の悪い話し振はチヨッとの事では治らんと思ひまんナ」

記者「さうすると、然ういふ人達には漫談家といふ名称を変へて貰はなければなりませんネ」

一同「マア然うですナ」

枝鶴「さうや‥‥いや御苦労さん」(に一同大笑する)。(531日)


昭和462日 大阪毎日新聞[広告]

4年 008

昭和462 京都日新聞

◇[広告]二日ひる! 正十二時より開会 柳家金語楼の創作落語独演会

演題 貸間、医者、団子兵衛、落語連鎖兵隊 会場 新京極富貴

昭和463日 京城日報

◇[広告] 連日大好評の神田伯山一行 三日、四日の二日間 浪花館にて引越し開演 愈々冴える伯山の舌 後援京城日報社

<編者註>実際は、六日迄興行

昭和469 京都日新聞

◇新京極富貴 当る六月九日(日曜日)正午開演桂三木助独演会開催。補助として笑福亭枝鶴、花月亭久里丸、立花家千橘。

昭和4611日 大阪朝日新聞

[広告]絢爛の名講談 東都講談界の重鎮 大島伯鶴 明十一日より連夜出演 南地・北新地・松島花月

昭和4612日 大阪朝日新聞

[広告]明十日ヨリ十六日迄五日間毎夕六時 伊藤痴遊独演会 会場南地法善寺紅梅亭

昭和4615日 大阪時事新報
笑福亭枝鶴独演会

◇枝鶴独演会 南地花月で 純大阪落語を以て鳴る笑福亭枝鶴は、芸友の花月亭九里丸その他の推薦によつて来る十六日(日曜日)正午から南地花月に於て独演会を開催する。番組は「宿屋敵」「浮世小路」「駱駝」「カフエー情話恋の染色」の四番。尚ほ桂小春団治が特別出演として山村若子氏振付けの「黒髪」を踊り抜くと。

昭和477日 神戸新聞

境濱では餅撒式と打揚煙火 吉例餅撒きは正午から場内で行われ、紅白の小餅数萬個が雨のように撒かれます。打揚げ煙火も同時に間髪なく場の一隅から打揚げられて開場式を華やかに彩り余興場では午後一時から五色橘家橘三郎一行の余興があります。

演物は=御祝儀(橘三)落語手踊(三五郎)萬歳(源若、市子)演綷(すい)(橘三郎)所作事京人形(総出)=外に正午から神戸大蓄商會のレコード演奏會

摩耶納涼場では面白い演 摩耶納涼場ではきょう七日の開場式に昼間は午後一時、夜は午後七時から三人名人會一行の地球斎マンマルをはじめ、喜楽、豊年、かつら、太郎、山海呑龍等をよんで面白い演を余興に見せます、出し物は左の如く八日からは毎晩午後七時から開演致します

曲目=軽口(喜楽、豊年)萬歳(かつら、春江、鈴子)奇術(地球斎マンマル)三人滑稽(豊年、太郎、歌團次)浪花節(山海呑龍)二調<テテコ引抜勢獅子>(圓子、金子、福奴)

<編者註>この催しは七日雨の為、十四日に延期となる。圓子は、二調鼓の三遊亭圓子で、既に吉本を脱退していた。この二年後の昭和6年に亡くなる。橘三郎は橘家橘三郎。昭和35年没(72歳)。橘ノ圓の弟子で前名橘ノ圓光。桂歌團次[]は二代目で前名歌若、五代目吾竹の晩年の弟子。

昭和4714日 神戸新聞

[広告]<山の余興>摩耶山天幕村 三人名人會 女道楽(金子、福奴)奇術(地球斎マンマル)三人滑稽(豊年、歌團次、太郎)二調手踊勢獅子(圓子、金子、福奴)手踊(菊子)浪花節(呑龍) <海の余興>境濱海水浴場 橘家橘三郎一行(五色會) 御祝儀(橘三)落語手踊(三五郎)萬歳(源若、市子)演藝の綷(すい)(橘三郎)所作事京人形(総出)天真流琵琶講談悲曲涙の家(森照玉)

昭和4727日 神戸新聞

◇鏡濱の催し 二十八日昼零時から境濱で澤田プロダクションの澤田義雄一派の模擬撮影剣劇「浪人地獄」が行われて右の外に芦辺會の音曲手踊(蔵造)珍藝(白魚)奇術(王長有)顔藝手踊(米太郎)萬歳(米丸、鳶奴)運動(王長有、小辰馬)軽口(米太郎、米丸)などの催しがある。

<編者註>この米丸は七代目文治の弟子と思われるが、小文治や五代目今輔の米丸とは別人。後萬光と改名したらしい。米太郎は、桂米若門人で、珍芸「百面相」を売り物にしていた。どちらも元大八会出身。


昭和48

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 三木助、文治郎、正光、勝太郎、ざこば、春子、正春、馬笑、助六、直造、三馬、卯之助、三八、源朝。

△新京極笑福亭 改築の為当分休場。

十一日より

△新京極富貴 右之助、枝女太、三八、升三、三馬、重隆、武司、小円馬、扇枝、一光、円枝、紋十郎、五郎、歌江、奴、円馬、大切余興怪談座員総出演。

△新京極笑福亭 十三日初日安来節、万歳。

二十一日より

△新京極富貴 九里丸、枝鶴、染丸、芝鶴・歌蝶、馬生、塩鯛、正光、三八、延雀、十郎・雁玉。大切余興「借家怪談」枝衛門、三馬、三八、塩鯛、芝鶴、歌蝶、枝鶴、染丸。  

△新京極花月 正光、馬生、つばめ・喜楽、助六、峯菊・初菊、九里丸、一声・正武、芝鶴・歌蝶、延雀、三八、うぐひす・チヤツプリン、幸次・安市、季子・一蝶、成三郎。  

△新京極笑福亭 安来節出雲芳子一行、万歳。

昭和484日 神戸新聞

摩耶山納涼場の余興 橘家橘三郎一行の演 文化掛合噺(紫鶴、橘之助)落語手踊(三五郎)奇術(天昇)浪花節(花仙)手踊曲芸(橘三郎)萬歳(源若、市子)

境濱海水浴場の余興 浪花の演 音曲四ツ竹(蔵三)高級萬歳(筆子、松月)珍(■寿)手踊(伊勢の家連)曲芸(丸一)軽口(大判小判)

昭和488 中外日報

○夏の夜を 怪談に集ふ人がない 神秘と悲劇を嫌つて 

 大阪講談界の唯一人旭堂南陵氏とある夜怪談に就て語り合つた。氏が円朝のいろ〳〵の傑作を語る時、如何にもそれが神秘的で、此世以外のある力強い勢力がひし〳〵と我等の周囲を取巻いていて、如何に自分が焦つてもその力には抗することの出来ないやうな一種瞑想的な感じを受けさせられるのである。夏の夜にはこの神秘的な講談がぴつたりと気分に合つていて、それを聴くことは自らなる納涼となるものである。けれど南陵氏はこの怪談の将来に就て悲観していた。それはこの一二年、大阪に於て怪談を聴く人が殆んど無くなつたからである。それまではいづれの寄席でも夏になると怪談をやつていた。そして落語家などが幽霊に扮したりして真暗な舞台に凄い鳴物と共に現はれて一種の連鎖怪談を試みて聴衆に冷汗をかゝしめていたものである。ところがそれが今年パタリと消えて了つた。そして今日では甘い薄つぺらな笑ひが要求されているのである。この現象は重苦しい神秘を民衆が要求しなくなつて、ただ現実的な浅い快味を喜ぶやうになつたためである。一種のアメリカニゼーシヨンであつて、昔のやうに渋味と悲哀とを求めることが無いからである。又南陵氏は云つた、語る方としても話術として凄味を出したり神秘的な気分を漂はしたりすることは出来るけれど、聴手にその要求がないと甚だやり難い。又聴衆の頭が非常に現実的になつていて、超現実的な存在やその力を信用しなくなつて、直ぐに馬鹿にしてかゝる気持が汲み取れる。かうなると話す方の苦労は一通りでない。猫が化けた、殺された女が亡霊となつて祟つた、狸がどうした、といふやうなことを恐さうに聴いていながら心の中で批判している。これは非常に話す方の心苦しいところである。かう云つたやうに皆の頭が科学的になつたことゝ、享楽の方向が喜劇的で悲劇を要求しなくなつたことゝ、この二つのために怪談が廃れてゆくのでないかと思ふ。兎に角夏の夜怪談につどふことは一種の形而上的な気分を人の心の中に植えつけて少なからざる厳粛味を覚えさしていたものであるが、さういふ重さと暗さとが忘れられてゆく事はこれと関係の深い宗教の将来にも何物かの暗示を与へているやうでもある。

昭和4815日 神戸新聞

十六日薮入デーの海と山

境濱海水浴場(昼間)浪花會一行 落語曲書(桂梅團次)軽口(桂遊喬、同遊楽)曲芸(丸一時若)奇術(高田天学)萬歳(松原浪月、同菊子)

摩耶山納涼場(昼間)松旭斎天旭一行 小奇術(松旭斎一旭)萬歳(竹廼家小枡、同正鶴)小唄レヴユー(松旭斎天旭)女道楽(竹廼家小枡、同枡奴、同正雀)大魔術(松旭斎天旭)萬歳(竹廼家枡奴、同喜鶴)

昭和4817日 大阪朝日新聞

◇甲子園 落語の小春団治は野球好で、甲子園の陽に焼けた顔を高座に見せるとまたしても喋り出す「野球見物」。

昭和4825日 神戸新聞

二十五日の海と山 摩耶山納涼場 (昼)浪花會一行 奇術(天学)軽口(矢笑、米太郎)曲芸(丸一)女道楽(金蝶、銀蝶)高級萬歳(若奴、奈良江)

昭和4831日     

<六代目林家正楽死亡>

六代目正楽

●六代目林家正楽 本名織田徳治郎。林家宗太郎(後の五代目林家正三)の弟子。師匠にしたがって藤明派、互楽派、寿々女会、浪花三友派など転々としたあと神戸に落ち付いた。明治四十四年、互楽派に居た頃のある雑誌のアンケートで──生国は山城伏見、本年五十一歳。妻と子が一人ずつ。明治十八年今の林家正三がまだ宗太郎と云ったころに入門し新三と名乗り、東京へ出てしん鏡と改め、幾年ならずして三代目(ママ)を相続して正楽となった。得意の落語は「後家殺し」と「百年目」。好きな食べ物は生卵と葡萄──などと答えている。噺は地味で、一般的な人気はなかったが、なんでも堅実にこなし、玄人筋には歓迎された。また若い噺家の稽古台となった。俳句を好み、温厚で、でしゃばらないタイプであったが、それだけに一門を統率する力に欠け、傍流の二代目林家染丸系統は今も続くが、正統な正三系の林家はこの正楽をもって滅んでしまった。妻は下座三味線の林家てい。娘あさのは五代目笑福亭松鶴の妻で、六代目松鶴の母にあたる。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)/『古今東西落語家事典』(平凡社・平成8年)。