昭和49

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 春団治、勝太郎、扇遊、三木助、クレバ・小扇、文治郎、蝶之助・千代子、ざこば、助六、今男・アチヤコ、三八。大切余興「庚申塚」連中総出演。

△新京極花月 次郎・団之助、しのぶ・捨次、松造、ニチ〳〵・へうたん、扇遊、一春・デバ助、虎春・季子、曲芸=清・小扇、蝶之助・清子、虎勇・勇子、今男・アチヤコ、小円太、助六、三八、文丸・団次、福之助。

△新京極中座 万歳諸芸大会。

新京極笑福亭 安来節、万歳

十一日より

△新京極富貴 直造、円馬、小春団治、蔵之助、デバ助、一春、福団治、正光、助六、三八、小染、卯之助、
 大切茶番「宗旨争ひ」

△千本長久亭 竹馬、助六、小円太、扇遊、文治郎、志乃武・捨次、勝太郎、次郎・団之助、春団治、ざこば、清子・喬之助、ニチ〳〵・へうたん、三木助。

昭和491日 神戸新聞

神戸劇場 萬歳界の日本一砂川捨丸一行で連日大入満員

千代廼座 萬歳人會三周年記念興行三座合同バンカラ日廼出家連一行

西門落語席 落語真打會 花橘、花柳、圓司、小伯山、圓天坊、余興牛若、駒の助、バンカラ日廼出家一座

昭和491日 京城日報

◇[広告]明治町浪花館/當九月一日午後六時より二人會/「新門と小金井」「三十三間堂通天」 伯鶴/「滑稽落語」「人情噺」 遊三

昭和4年9月1日朝鮮

<編者註>伯鶴は、二代目大島伯鶴(本名大島保利)

昭和493日 大阪毎日新聞

◇新涼の寄席は神田伯竜が南地、北新地、松島の同花月に出で、なほ南地花月ではナンセンスコメデー、初年兵時代や八木節伴奏「赤城の捕物」ナンセンスレヴユー「夜店更新曲」を落語家連がやる。

昭和498日 大阪毎日新聞

◇おけさ 「おけさ踊るなら板の間でをどれ」の新潟芸妓十人を大阪によんで吉本興行部が十一日から寄席で踊らせる。

昭和4910日 大阪毎日新聞[広告]

4年 009

昭和4911日 神戸新聞

千代廼座 萬歳、義太夫、女道楽、奇術、滑稽音曲茶番、アイヌ、レヴユウ團、諸国名物舞踏

小野大黒座 秋季特別興行二部興行

西門落語席 人情噺、音曲噺、文人踊、浪花落語、連続講談、萬歳、茶番

昭和4912日 神戸新聞

西門落語席 五郎、ライオン、かもめ、酉三外らの日の出家パンカラ連

昭和4920日 大阪時事新報

<第二回笑福亭枝鶴独演会>

◇枝鶴の独演会 元気回復祝ひで 純大阪落語の一元老として名声ある笑福亭枝鶴は、本年に入つてからといふもの御難続きで、この正月には愛児を、又七月には妻君を、越えて八月には母堂をと相踵いで鬼籍に送り、近来はいつもの磊落さは何処へやら、全く別人のやうに悄気返つている有様に、今度は贔屓連やら友達連中が心配し出し、枝鶴の元気回復の為めにと、以前第一回で異常な好評を博した独演会の第二回公演を催さす事となり、来る二十三日、秋期皇霊祭の当日、正午から南地花月で開催する。それで演じ物に就いても斯ういふ際だといふので、本人の舅に当る林家正楽が十八番とした「鍬潟」「高津富」「小猫」の三つに、師匠の笑福亭松鶴の得意もの「天王寺詣」を演す事に決定。猶ほ応援出演として九里丸は漫談「故正楽師追憶談片」を、ワンダー正光は奇術の色々を上演する。

<花月亭九里丸上海へ>

◇九里丸上海へ 大阪漫談家の随一として自他共にゆるされている花月亭九里丸事渡辺力蔵君は、今回漫談家なるものの使命に関して頗る感ずるところあり、来る十月五日吉本興行部主と共に上海へ出発、二十日間程の予定で大連を経て朝鮮に行き、目下開催中の朝鮮博を一覧して帰阪すると。而してその漫遊談は帰着後直ちに発表して大いに新時代の高座漫談家の熱を上げるといふ。

昭和4920日 大阪時事新報

◇吉本興行部の新しい試み 「雪」「月」「花」でレビユー式に 
 吉本興行部では近来の寄席フアンの傾向に鑑み、今後への新しい試みの第一歩として、来る二十一日か南地の花月で雪、月、花と名付けてレビユー式のものを上演する。つまり雪の「明烏」では勝太郎、円若、福団治の三人が三浦屋の場を、月の「高山彦九郎」では態態市川右太衛門プロから殺陣師を招聘して琵琶入りの大殺陣を三木助、小春団治、千橘、花次などで上演、花の「バレー」ではピアノを伴奏として花月専属の少女連が艶かなダンスを演じる。この外本紙の趣味面に「西遊記」講談を連載して非常な好評を博している旭堂南陵氏が十数年振りで出演して連夜得意の読切りものを講演、更に関西落語界の三巨頭と目される春団治、円馬、三木助を集めて大競演をする由で、何分雪、月、花のレビユーに相当の準備を要する事とて今から大多忙を極め、一方出演者面々非常な意気込みであると。

昭和4921日 大阪毎日新聞[広告]

4年 010

昭和4921日 神戸新聞

西門落語席 花橘、小伯山、圓司、花柳外

昭和492225日 大阪時事新報

○趣味の春団治クン(上) 旅館や料亭さては住宅も これは又おどろいた 

 兎も角も高座へ出たが最後、詰めかけた客が必ず笑ふ。─それも肝腎の落語によつて笑ふなれば知らず、落語のはの字も云はない先き─つまり顔を見た丈で笑ふのである。これは何が可笑しくて笑ふのか、と云へば、客自身も解らなければ笑はれる本人もそれが解せないと云ふ。其本人こそ大阪落語界の元老桂春団治君である。既に─顔を見た丈けでも可笑しい─で連想出来るやうに、頗る春団治君は愉快な男であり、磊落な人物であるが、これを云ひ換へれば所謂方言の我羅々々で、単調な深みのない人物に見えもするし思へもする。だが何うして、各方面総ゆる階級を通じてこの春団治君ほど多芸多能多趣味の人は恐らく指を屈する程尠いであらう。

 「馬鹿か狂人でない以上他人に出来る事なら自分で出来んといふ訳はおまへんのやよつてになア‥‥」

春団治君は何時でもこの言葉を繰り返すさうだ。何でも無いやうに思へ乍ら真似るに難かしいのは実際他人の職業であり、技能であり長所である

 「成せば成り、為さねば成らぬ世の中に、成らぬは人の成さぬなりけり」

この歌は何かの都度よく我々の口の端に上る道歌であるが、我々はその意義が活用された例を余り見受けない。しかも春団治君はこれを唯一のモツトーとして趣味方面の事々に活かして剰すところがないのだから聊か驚かざるを得ないのである。

 「私は兎も角負けん気でなア、何アにあんな事位い、といふのが大概の事は可能といふ。自信をもつて打つかると大丈夫出来まんナ」

と春団治君は意気昂然といふ。しかしこの自慢が単なる自慢に終つていないといふ二三の余技、玄人跣足の二三を紹介しやう。

先ずその第一は建築術であらう‥‥といつたら大抵の人々は遉に落語家だ、キツと三寸の舌で家を建てゝ見せるのやろ、などと考へられるかも知れないが、これは大きな誤りで正真正銘土木の工を起し?て旅館、料亭、紳士の邸宅と既に幾棟も建て上げて在るのだか一寸驚かされる─たとへその家が大きかろうが、小さかろうが─兎に角落語家といふ本職あつての夫れが余技であるのだから。(922

○趣味の春団治クン(下) 何でも御座れ 本職以上 大工さんそこのけ、家まで建てた凄さ 

兎まれこゝに掲出した写真を見て貰ひたい。
 4年追加 002勿論春団治君と並んだ家は模型ではある。だが確かに一軒は旅館であつて、一方が青楼であり、三階建てと二階建て、十数間から二十間の部屋、廊下、欄間、便所、欄干、湯殿、庭から床の間の掛軸、箪笥、机、筆立、硯、生花、額の部屋道具まで全部が立派な家屋である。それに部屋々々の電灯、板塀、忍び返し、電柱まで、又焼き板塀の下に「小便すべからず」の赤い小さな鳥居を打ち付けたなど、確かに傑作である。だが大きく建築術と云つて模型では馬鹿にした奴と思はれるが、しかし実際斯うした模型のみではないのである。その南区高津二番丁の自宅の奥庭に、見るからに小じんまりとした古雅な書院風の離座敷、畳数は三畳に過ぎないが、自身の寝室として自らが大工となり左官となつて建築したもの、しかも解体が何時でも出来るやうに嵌め込みとした精巧さで、それも予め設計図などを引いてしたものと違ふのだから驚く。

曾て前記の模型が某る湯屋の懇請で一箇月程その脱衣場に飾られた時に、それを見た浴客が「春団治の前身は大工だつたに違ひない」と口々に決めて了つたさうだが、実際に大工そこのけの精巧さであり、緻密さである。その模型は来る十二日に三越で開催される「おもちや会」に出陳されるさうだから、それを観た人達も必ず曾ての浴客連のやうな疑惑─前身が大工?─の念に襲はれるに違ひないであらう。

又これも玄人跣足のものに投網─網打がある。太公望の極め込みから漁師の真似に鞍替へしたのが早十四五年も前ださうだが、網捌きの巧妙さなどは時に真物の漁師に舌を捲かせた実例が随分あるさうで、極寒の候に入らぬ限りは、余暇の全部を割き、漁師姿に身を窶して出掛る熱心さである。その上購へば二、三十円から百四五十円の網を、春団治君はこれも亦余暇を割つて熱心に編み上げる。時には大網となれば尠くも半年以上もかゝるといふが、その手製の網を海なり川なりに打ち込んで思うさま魚を獲る気持ちは実に何とも形容し難い愉悦の感境だそうだ。

この外又小鳥?を飼ふ趣味がある。だがそれも普通一般の小鳥趣味と違ひ、殆ど普通家庭に飼はない小鳥?のみを蒐め、木菟、鷹、頬白、深山頬白、あほじ、べにますから、八宮鳥、豆鳥、鵯など所謂珍鳥のみで、そのくせ普通のは居ないかといふと金糸鳥、鴬、雲雀から鶏までも飼うているから面白い。この外左官屋、庭造り、表具屋等春団治君の手によつて真似られない職業なり技術なりが殆ど無いと云つても過言ではないのである。だがたつた一つ「如何に私もこれ丈けは何うしもて出来まへん」と流石の春団治君に諦めさせているものは左官職の中に含まれる壁の上塗りであるといふ。(925

昭和4927日 大阪朝日新聞

◇どこで覚えたか落語の春団治が流行語「いやぢやありませんか」を高座で連発。

〈編者註〉11月月1日付同紙に「春団治は到頭『いやぢやありませんか』をお家芸にしてしまつた」とある。


昭和
410

大阪の寄席案内

一日より

△北新地花月倶楽部 小円馬、福団治、清子・喬之助(清元舞踊)、小春団治、芝鶴・歌蝶(二人滑稽)、枝鶴、三亀松(声色キネマ俳優物真似)、西村楽天(漫談)、正光(最新奇術)、金語楼(落語)、栗島狭衣(大衆物語)、小円馬・千橘・勝太郎・蔵之助その他(レヴユー花月行進曲)

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 柳家金語楼、林家染丸、旭堂南陵、桂春団治、花月亭九里丸、立花家扇遊、大切余興「電報違ひ」。

△新京極笑福亭 安来節と万歳諸芸合同大会。

△新京極花月 万歳競演大会。

△西陣富貴亭 竹内興行部直営で開館。東西万歳名人大会。

十一日より

△新京極富貴 柳亭左楽、露の五郎、桂三木助、笑福亭枝鶴、春風亭小柳三、神田山陽。

△新京極花月 万歳競演大会

△新京極笑福亭 安来節と諸芸大会。

△新京極中座 おなじみの歌劇白鳥座と万歳連。

△新京極勢国館 昼夜二回安来節と万歳。

昭和4101日 大阪毎日新聞[広告]

4年 011

柳家金語楼 洋々として尽きぬユーモア、笑殺せしめねば止まぬナンセンス、共に初秋の劈頭を飾るに足らん。   

西村楽天  大衆作家として又劇壇の第一線に起ち錚々たる氏は、今回創意に成れる印象的話術大衆物を以てステージよりその第一声を皆様に呼びかけんとす。 

栗島狭衣 殊に本公演に於て擬音師数名を利用し、以て全く前人未踏の芸術秘境を開拓せんとす。乞う此画期的芸術の妙域に接せられよ。

〈編者註〉栗山狭衣の大衆物語の演題は五日安政巷談「文吉捕物帳」、六日「鰒を食つた次郎長」、七日怪談「久蔵の首」、八日桜田事件「大老井伊掃部頭」、九日現代奇談「深林の殺人犯」、十日維新壮話」新門辰五郎。

昭和4101日 神戸新聞

西門落語席 圓馬、馬生出演

昭和4106日 大阪毎日新聞

◇金語楼独演会 六日正午より南地花月に開催。演題は太皷腹、口入屋、三人兄妹、宴会ひかに九里丸、小春団治が応援出演。

昭和41011日 神戸新聞

西門落語席 染丸、圓枝、扇枝、蔵の助が出演

昭和41021日 神戸新聞

西門落語席 枝鶴、三木助、小圓馬が出演

昭和41013日 大阪時事新報

○都々逸では名人の域に 絵筆とればこの通り 落語家 三遊亭円若クンの余技  

「落語家と云へば一般には万歳師に髭の生えたやうなものだと思はれてますが大きな間違ひで、それでも確かに立派な芸術家?であると私は信じます」

諸氏は既に周知の筈である独眼竜の落語家──と云ふよりも都々逸の名人と云つた方が早解りであらう──三遊亭円若君は、劈頭から頗る凄じい勢ひである。

 「ですから生意気なやうですが私は、いつも連中(同業の諸君を指す)に苟も芸術家を以て自任している我々として仮りにも無趣味、殺風景な性格では不可ないと云つて、可成りの人数を趣味余技に遊ばせるやうにしました」

と流石に云ふ丈あつて、君の趣味の第一とする都々逸は実に神技の値ひがある。或ひは「都々逸は円若の職業じやないか」と云ひ切つて了ふ人もあるだらう、だが無論職業でもあるが一面に於て立派な趣味である事は否めない。

 (題茸かり)「かさむ落葉を手で掻きわけてニツコリ笑つた茸狩り」

 (題緊縮)「富の喜び嘆きのくらし、もとは一家の台所」

など兎角淫靡なものであると誤解されている都々逸の為めに万丈の気を吐いているが、しかし斯ういふ品は一般寄席なんかでは好評を得ない。同じ緊縮の題の下でも寄席などで物するのは、

 「行こか遊びに帰ろか宅へ、緊縮身の為め国の為め」

 「円若も義眼くらいはせんでもないが、これも緊縮思ふため」

などで、作者自身が趣味としての都々逸とは非常に差違のある事がわかる。

 「この都々逸なども随分色眼鏡で見られているものですが、用いやうによつては非常に精神的の糧となる事があります。今の曽我廼家五郎さんがずつと以前頗る賭博が好きだつたのですが、私の云はゞ恩人で、亡くなられた後藤新平さんの書道の師であつた宮川康行先生(号は野草庵一水)がこれを嘆かれ、遂に「嘘を真に見せるは役者、賭けは嘘でもせぬが可い」の都々逸で意見をされました。が五郎さんも流石名を為す人だけに偉い者で、それからと云ふものピタリと勝負事を止められましたよ。これなどはほんの一例ですが、まだ〳〵斯うした例の話しは随分多いです。私の一庵の号も宮川先生から頂いたものです」

円若君は一眼を真剣に輝かせ乍ら云つた。だが円若の趣味はこれ丈でない。三絃は小唄類を主として早くから弟子を養成しているし、又煎茶もやるし、骨董──と云つたところで高価なものではないが、仏具を主として総ゆる雅趣ある古道具類、それも安価なものに自己の嗜好を見出しているのだから変つている。

 「だと云つて貧乏で買へないからの負け惜しみとは違ひます」

と軽く笑ふ。又彩管にも親しみ、独自の天地を開いている。こゝに掲出した蟹の絵は氏得意のものである。(編者註:絵省略)

昭和41020日 京都日出新聞

◇緊縮、減俸の声は興行界にどう響く 新京極の寄席方面の影響を聞いて見ると、吉本興行部の経営する富貴亭、花月、笑福亭、中座は大体料金の安い関係上大したことはなく、上り高は富貴亭が一番で、入場人員は笑福亭が第一番である。(後略)

昭和41022日 大阪時事新報

◇寄席の季節に入つて続々大家を迎へている花月では二十一日から現代落語界の人気者柳家小三治、名優物真似で売つている春風亭小柳三に講談界の新人神田山陽を加へて春団治、染丸、小春団治、蔵之助他花月幹部連で賑かな出番を組むと。因に小三治、小柳三、山陽は北新地、松島の花月へも出演。

昭和41029日 大阪時事新報

◇神田伯山来る 講談界の大御所神田伯山が十一月一日からの南地北新地両花月に出演する。

昭和41030日 京都日日新聞

◇富貴席 印象的話術、大衆物語を口演して空前の人気を呼んでゐる栗島狭衣が京都第一回公演として十一月一日から出演、漫談家西村楽天も特に応援出場する。


昭和
411

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴席 西村楽天、栗島狭衣 花月幹部総出演

二十一日より

△新京極富貴 蔵之助、歌楽・けいし、枝鶴、千橘、五郎・紋十郎、正光、扇枝、源朝、燕枝、塩鯛、金玉仙、助六、三馬、右之助。

昭和4112日 大阪毎日新聞[広告]

4年 003

昭和4112日 大阪時事新報

◇一日からの花月は既報の神田伯山を迎へて講談落語特選会と小柳三、春団治、円馬、枝鶴、直造、正光、歌江、慶司、小春団治、勝太郎、文次郎、重隆、武司其他で大切余興「電報違ひ」の賑かなところを春団治、染丸、三八、小春団治、蔵の助、塩鯛、福団治、金の助、花次、光鶴等で見せると。

◇神田伯山独演会 久し振りで来阪の伯山は三日(第一日曜)の正午から南地花月で。

昭和4113日 神戸新聞

演藝とキネマ ▲キネマ倶楽部、朝日館、錦座、二葉館、菊水館 映画▲多聞座 田宮貞楽劇▲千代之座 一日から小楽一座が新しく加わった▲西門落語席 小枝鶴、ざこば、千橘、三馬、小圓太、助六▲小野大黒館 諸芸大會 ▲神戸劇場 美人連都踊、中華民国人の曲技等▲湊座 末之助、錦之助一座▲有楽館 映画 ▲兵庫末広座 團十郎劇▲萬國館、三宮クラブ 映画

昭和41110日 大阪毎日新聞

◇寄席も今まで通りではいけないといろ〳〵頭をひねつている模様が見えるが、今度文芸芸者の新橋新分布袋家の花園歌子が南と北の花月で漫談と演舞をやるらしい。婦人雑誌などの寄稿家で漫談もうまいので騒がれた女、一寸売りものになりさうだ。

◇十日正午から南地紅梅亭で神田伯山独演会、長講「荒神山の血煙」。

昭和41110日 大阪時事新報

<四代目桂文三追善興行>

◇四代目文三追善興行 大阪落語界の先輩故四代目文三追善興行を遺弟の扇枝等が主催で十日の正午から南地花月で春団治、三木助、小春団治其他花月連幹部の出演で開くと。

昭和41110日 神戸新聞

[広告]楠公社西門筋落語演芸場/十一日より交代幹部連 桂塩鯛 桂扇枝 三升家紋十郎 露乃五郎 三遊亭圓馬 外十数人出演

昭和41111日より南地花月の出番表

4年 016

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和41117日 大阪毎日新聞

○何が幸になるやら 緊縮内閣が寄席を浮び上らす 安価に笑ひを買ふ人々で落語、万歳が勢づく 

 せち辛い緊縮風が吹き初めてから、その反映として笑ひの要求となり、道頓堀は今までにかつてない喜劇総動員の珍現象を呈し、しかもそのどれもが大入りをかち得ているが、これと共に「わが世界来れり」とばかり寄席の進出が目ざましくなつて来た。緊縮の声と共に今まで閑古鳥がないていた席も笑ひを安価に買はうといふ人達ですつかり息を吹きかへし、廃滅しさうであつた落語や万歳がまた浮かびあがつて来た。そして新世界の芦辺館、千日前の三遊クラブ[三友倶楽部]、南陽館、天満の花月、玉造の三光館などの十銭、二十銭どころがドツと客が殖えた。これを見てとつた興行者側、この機だとあつて落語の間に茶番を入れ、大勢が集つた万歳といつたやうなものやレヴユー団などをはさみ、テンポの早いもの、感銘の早い、鋭いものをとの方針のもとに頭をひねり、その結果さきに西村楽天、栗島狭衣といつた連中を高座に立たせた吉本興行部は今度もまた新橋の文学芸者花園歌子に白羽の矢を立て、本人が寄席ではいやだといふのをわざ〳〵遠出の花をつけてお座敷の延長だと称して引つぱつて来て漫談、漫舞、デカンシヨまで踊らせ、また築地小劇場にいた若草民子にダンスをさせる等、等、等─かうして寄席が緊縮内閣のおかげでボードビル劇場への目標のもとに進み出したのは面白い現象である

昭和41117日 京都日出新聞

○凋落する昔噺の落語家 田村豊洲氏  

新京極の寄席の建物が変つたやうに噺の内容も非常に変つて来た。全部が全部とはいへないが、所謂モダン型の寄席が出来た。恰も活動小屋へはいるやうな気持、まるで風車に乗つているかのやう。そこになると西陣京極の長久亭あたりに行つて落語を聞いていると如何にも噺を聞きに行つたやうな気分がする。近頃の寄席の客には昔の有名な話をしてもわからないと見えて、新派落語といつたやうな高座から無暗に笑ひを要求する。そしてその席を表に出ると安酒をそばやで飲んだやうに頭からきえてしまう。

 しかし、近頃はそうした落語の方が大部分の客に歓迎される模様であるが、古い落語になると時々飛び出す熟語が客には通じないやうだ。それに落語家といふものは色男より却つて醜男の話の方に魅力があり、不思議とうまいと思へる。落語を聞きに行くことは気分の転換にもなり、世態人情を知る上に大に参考になる。昔噺のうまい落語家が次第に凋落して行くことは本統に淋しいことである。

昭和41120日 大阪毎日新聞[広告]

4年 013

昭和41121日より南地花月の出番表

4年 017

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和41121日 京城日報

◇[広告]浪花館/當ル生粋東京落語 橘家勝太郎一行/≪出演連名≫落語(橘家勝次)落語(橘家勝坊)落語音曲(橘家楽天坊)文化萬歳(大蔵菊丸、若葉家歌夫)落語手踊(橘家勝三郎)東京落語及び音曲手踊(橘家勝太郎)

昭和41122日 神戸新聞

[広告]楠公社西門筋落語演芸場/二十一日より交代幹部連 桂三八 金原亭馬子 桂福團治 三遊亭圓若 桂三木助 外十数名出演

昭和41125日 京都日出新聞

◇富貴亭 十二月一日より連夜東京の柳家金語楼が特別出演して得意の「兵隊さん」その他を聞かす筈。

昭和41129日 大阪朝日新聞 

○貧乏を語る③ 桂春団治の想ひ出噺
  殺した羽織が古着屋で首つり 襟裏に染出す麗々しい名前 

4年 001「イヨオー後家殺しツ」扇子片手に舞台に坐つたハ、ル、ダ、ン、ジ、つまり大阪の落語家桂春団治君に対して降るやうな声援なのだ。世間を茶化してかゝつている彼れ、ワイセツな彼れに貧乏の苦悩はどう映るんだか。春団治はかう語る──

今はまアどうやら納つてますが、これでも駆け出しの若い時分には貧乏が辛かつた。けどおもろい話もおますことはおま。

 やう〳〵一人前の落語家になつて席を二つ三つかけ持ちするやうになつた二十七、八の時分、もう二十六、七年も前になりますな、月給七十五円のくせにナンと自用車の車夫をはじめて抱へたんだす。家は借家で、はいつたところが三畳、奥が三畳、合せて六畳へ妻子三人でいる。そこへ車夫を雇つたんだすよつてたまりまへん。ところへ東京の左楽はんの世話で弟子が一人出来て、親子三人は奥の三畳、車夫と弟子が入口の三畳に寝たわけだすが、窮屈なこと窮屈なこと。そのうちに一寸借銭が出来たんで押入の戸まで差押へてもつてゆかれてしまひました。

或る日のこと、女房が京の親類へ行つた留守に誰も飯をたくことがでけまへん。仕様ことなしに他所へ食べに出ねばならん。というて近所の飯屋では恥かしい。五丁目の飯屋まで車に乗つて、わたしと車夫が昼めしを食べに出かけたんだす。貧乏の贅沢といふわけだんな。

 それからこれも三十歳前後のこと、酒をやりすぎて二進も三進も動けぬ火の車、ヤケクソで鶉縮緬の対の羽織と着物を質屋へもつていつた。それが型通り流れてしまふたのはよいとして、ほどなく日本橋一丁目の古着屋「まからんや」の店先にその羽織がブラさがつてるやおまへんか。しかも襟裏には「桂春団治」と大きく名前が染めこんであつたのです。たまりまへんな、これが古着屋の表でわたしの恥をされしてます。御贔屓がそれをみつけてきて「春団治、お前あ、看板を二つ出してるな、紅梅亭と日本橋の古着屋と」ちうて冷かさはつた。「えゝツ」てなことでその年の暮になつてもそれを買戻す金の工面がつきまへなんだ。さて元日の朝だす、弟子の一人が年始の挨拶にやつてきた。みればその羽織をきてますがな。「返してんか」といふんでやう〳〵十円やつてわたしの手にもどつた。情ないことだした。

 日本橋四丁目、五丁目、それからもつと南といへば今でも名残りはありますが、一昔前は貧乏人の巣みたいなところ。いまの松坂屋のところなども、もとは名代の百軒長屋といつて、落語の方でもお馴染の「貧乏長屋」を始めいろ〳〵滑稽なのがドツサリありますが、わたしは主義として貧乏の落語は高座では遠慮してやらないことにしています。といふのは、失礼ながら寄席へおいでのお客さんにも貧乏をお気になさる方もあらうと存じましてな。まアわたしの貧乏物語もこのくらいで失礼さして頂きますヘイ。(写真は家庭における春団治)


昭和
412

 京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 金語楼、円若、小円馬、福団治、染丸、呉成錬、小春団治、円馬。【広告参照】

十一日より

△新京極富貴 正光、春団治、九里丸、文治郎、馬生、扇遊、ざこば、助六、塩鯛、三馬。

十五日、花月亭久里丸支那漫遊記念独演会。枝鶴、小春団治補助出演。

昭和4121日 大阪毎日新聞

◇司郎、九里丸、金語楼 南、北新地花月に出演 今春漫談の材料仕入れに渡米し今回帰朝した大辻司郎と吉本興行部から支那に特派された花月亭九里丸、それに柳家金語楼を加へて、この三人は一日から南地、北新地の両花月亭に出演することになつた。

昭和4121日 大阪毎日新聞[広告]

4年 012

昭和4121日より南地花月、花月倶楽部のポスター

4年 018

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和4127日 大阪時事新報

◇九里丸個人会 八日正午より南地花月亭で花月亭九里丸独演会を開く。出し物は「南京事件の真相」「支那モボの訪日印象」「ムチヤクチヤ南京市長」「上海検番と六三の小鈴問題」其他で、金語楼、小春団治、笑鶴、大辻司郎等も応援出演をなす由。

昭和41211 京都毎日新聞

新京極富貴亭 十一日から正光、春団治、九里丸、文治郎、馬生、扇遊、ざこば、助六、塩鯛、三馬などで開演

昭和41212日 大阪時事新報

◇忘年バラエテイー 南地花月では吉例の忘年演芸会を十一日から開演、連日大車輪の稽古を続けて居るが、就中封切演芸で期待されているは「世相レビユウ」数景で、枝鶴、蔵之助、福団治、円枝、三八、千橘、小春団治、染丸等の熱演と三曲伴奏「義民宗吾」で円馬、千橘、五郎、小春団治、花次、歌江、慶司、次郎、志乃武、金之助等共演。尚北新地花月倶楽部は忘年幹部競演大会を開く。

昭和41212日 京城日報

◇[広告]浪花館/初日當ル十二日より忘年特別大興行/≪演芸種目≫蔭芝居、宝入船、創作萬歳、落語連、立噺(オールスター)、軽業、関の五本松、浪花節、落語舞踊、高級萬歳、立噺(座員総出)/演芸毎夜取替致します。橘家勝太郎一行

昭和41214 京都毎日新聞

新京極富貴亭 十五日(1日だけ)正午から支那漫遊帰朝花月亭九里丸の独演会を開催

昭和41227日 大阪時事新報

○落語界ゴシツプ 馬と鹿とはシンルイ筋 九里丸のフントウにおかつぱ司郎クン 

 とう〳〵十一月中一杯かゝつてほんとうに支那漫遊をとげて帰つた花月亭九里丸クン、本職の漫談のネタをふんだんに仕込んで来たのは勿論だが、各方面の贔屓連から貰つたのを始め随分と土産品をぶら下げて帰つて来た。(後略)

             ◇

歳の瀬も押し迫ると誰れでもが口癖のやうに云ふのは新年の当り十二支だが、──さて去る十二月の中旬、所は法善寺の花月で、例のシカ諸クンが集つて相変らず楽屋でワアー〳〵やつていたその中に、誰れが云ひ出したともなく昭和五年度の午──馬─―が話題に上つた。がそれは可いとして、今度は仲間中で誰れの顔が一番その馬によく似ているか?といふ、甚だ似てるメン〳〵には失敬さうな談議を始めたものだ。で押しも押されもせぬのでは東京の文治クン、大阪では円枝クンと先ず槍先きに上るのは当然だが、さてそれからが──春団治クンは「どや?」「イヤ似てることは似てるが、あれやつたらエライヤヽコシイ馬やデ」──「ほんなら枝鶴クンは?」「あれやつたら四角い馬面や──」てな事をコウカク泡を飛ばし乍らやつていたが、終ひに誰れやら「イヤ我々は誰れでも馬面に似てるに違ひない」と異論を吐いたものだから、皆ビックリで顔を撫でゝ「そんな阿呆らしい‥‥」「イヤそやないか、馬とシカとはシンルイ筋や‥‥」に流石の面々巧くひつかゝり「ウワーウマイ事やりよつた!」

                                 

一方変つてこれはオウベイ漫遊とシヤレこみ、まさか藤田嗣治画伯を真似た訳でもあるまいだらう──のお河童の頭にして帰朝した大辻司郎クン。聊か得々として支那漫談の九里丸クンと競演の形ちで高座で大熱弁を振つたのは先程御承知の通りだが、しかし時局頗るコントンたる支那とは事違ひ、閑人共のバツコチヨウリヨウするオウベイの状況漫談ではも一つお目新しさが乏しい──し、その上──お聴きだつたらう通り──彼司郎クンはオウベイの各都会などをすこぶるユートピア化して紹介したものだから益々味が下落したものらしい。──でつく〴〵と頭をヒネッタ司郎クン。打ち揚げる十一日の二三日前になつてから競演者の九里丸クンに向つて「何うも今度の漫遊談はお手近の支那の君の方が好評らしいです。‥‥」とつぶやいた。が、更に「何うも妙ですネ‥‥」と付け加へたので、九里丸クン返事に困つていると、一座の金語楼クンがひよいと顔を出して「そりや君大辻クン、君のまへのクセが出たんだヨ」「ヘエー何故?」と云へば「弁士──ぢやアネエ、説明者は何うしても話をビに入りサイにわたつてやるぢやアないか‥‥。」