1月上席

≪大阪≫

【桂派】

幾代亭 文柳、吾竹、文蔵、雀三郎、扇之助、文屋、雀之助、枝雀、小文吾、文枝、杵屋連中、小文三、清国人、傳枝、文三、三木助、三輔、仁左衛門

金沢亭 雀四郎、文蝶、伝枝、小文三、文橋、文三、杵屋連中、三木助、三輔、仁左衛門、雀之助、小文吾、文左衛門、小三、左円太、文枝、雀三郎、清国人、枝雀

瓢亭 あやめ、文橋、仁助、三木助、三輔、小三、左円太、傳枝、仁左衛門、小文三、清国人、文屋、文三、雀三郎、雀之助、枝雀、小文吾、杵屋連中、文枝

杉の木亭 三昇、扇之助、文屋、小文吾、吾竹、文蔵、清国人、文枝、雀三郎、小三、左円太、傳枝、枝雀、三木助、三輔、杵屋連中、仁左衛門、小文三、雀之助、文三

【三友派】

第一此花館 団幸、団勇、菊団治、燕太郎、雁徳、花咲、一円遊、印度人・墺国人松林小伯知、米団治、文団治、松光、小まの助・小歌・まる吉、馬生、米朝、扇蝶、松鶴、梅香、春団治、山村花扇、円子

紅梅亭 鶴二、団作、福篤、歌の助、米朝、小伯知、松喬、曽呂利、文団治、燕太郎、馬生、扇蝶、花扇、円子、文都、一円遊、梅香、春団治、小まの助・小歌・まる吉米団治、印度人・墺国人、松鶴

永楽館 光鶴、若三郎、三代松、春団治、梅香、松光、一円遊、小まの助・小歌・まる吉、松喬、印度人、墺国人、小伯知、松鶴、菊団治、花扇、円子、馬生、米朝、扇蝶、曽呂利

第三此花館 都鶴、鶴三、我楽、小円子、文我、米団治、三代松、花扇、円子、菊団治、曽呂利、春団治、雁徳、花咲、小米、松光、印度人・墺国人、松喬、一円遊、燕太郎、馬生

賑江亭 団昇、小団、団三郎、文雀、新作、扇蝶、松鶴、米朝、文都、梅香、三代松、福吉、米団治、雁徳、花咲、燕太郎、小伯知、歌の助、松光、小まの助・小歌・まる吉

堺天神(金秀)席 歌之助、花円蔵、扇笑、小米朝、柳寿斎、団十、団橘、円寿、文雀、文我、文都

【互楽派】

 第一文芸館 藤円、鶴之助、藤枝、花香、松竹、栄太楼、藤誠、枝光、正三、万治、豊竹団司・竹本東六、正楽、梅八豆八、麗々亭梅桜、藤遊、三平、三遊亭小金遊、春輔、円篤

第二文芸館 篤三郎、枝光、藤、梅八豆八、梅桜、春輔、三平、小金遊、藤枝、円篤、松竹、花香、藤誠、栄太楼、正三、団司・東六、万治、正楽

≪京都≫

幾代亭 橘枝、枝太郎、文吾、東京宝来家連の浮世節、梅坊主連の深川踊その他

笑福亭 文橘、立花、橘太郎、円次、芝楽、福太郎、円弥、円平、三八、三吉、福丸、扇枝、円太郎、文之助、有村、君子・花助・米坡

1月下席

≪大阪≫

【桂派】

幾代亭 あやめ、文屋、文蔵、小文三、扇之助、文橋、文三、雀之助、小文吾、清国人、枝雀、三木助、三輔、杵屋連、仁左衛門、小三、伝枝、左円太、雀三郎、文枝

金沢亭 雀四郎、文蝶、小文吾、吾竹、三木助、三輔、清国人、仁左衛門、文左衛門、文枝、雀之助、小三、左円太、傳枝、雀三郎、枝雀、小文三、杵屋連、文三

瓢亭 駒三、吾竹、仁助、伝枝、小三、左円太、小文吾、文枝、杵屋連、小文三、三木助、三輔、雀三郎、仁左衛門、文屋、文三、雀之助、清国人、枝雀

杉の木亭 三昇、扇之助、文橋、雀之助、文屋、文蔵、雀三郎、枝雀、小三、左円太、傳枝、文三、杵屋連、小文三、清国人、小文吾、文枝、三木助、三輔、仁左衛門

【三友派】

第一此花館 団幸、団作、団勇、文雀、歌之助、扇蝶、菊団治、米朝、文我、米団治、梅香、印度人・墺国人、曽呂利、文都、円子、小満の助・満留吉・新柳小歌、松林小伯知、一円遊、馬生

紅梅亭 鶴治、福篤、団三郎、三代松、梅香、燕太郎、松光、小満の助・満留吉・小歌、文団治、松喬、馬生、円子、小伯知、春団治、松鶴印度人墺国人米団治、扇蝶、曽呂利、社頭松連中総出

永楽 光鶴、若三郎、小円子、菊団治、文我雁徳花咲松鶴印度人墺国人義太夫長春、小伯知、文都、扇蝶、米朝、歌之助、一円遊、馬生、松喬、円子、小満の助・満留吉・小歌

第三此花館 都鶴、鶴三、我楽、米朝、一円遊、団作、小伯知、馬生、歌之助、松鶴、文雀、小満の助・満留吉・小歌、福吉、松喬、扇扇、菊団治、梅香雁徳花咲文都

賑江亭 団昇、小団、燕太郎、松光、松喬、文都、文雀、円子、曽呂利、一円遊、小米雁徳花咲米団治、文我、文団治、米朝、春団治、松鶴印度人墺国人

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大 阪

明治401229日  大阪朝日新聞

◇来春の三友派各席へ出勤する顔ぶれは、従前の一座の外に東京より講談師松林小伯知、今様舞山村花扇、新柳小歌、落語家円子が出勤し、印度人、墺国人両名も引続き出席するよし。

〈編者註〉「桂文我出席控」第六冊・二十八丁表から二十九丁表に今年正月の三友派連中の看板が写されている。

三遊亭円子、三遊亭一円遊、桂家残月、新柳小うた・喜み子・花助、浪花家まる吉、東家小満の助、金原亭馬生、三遊亭円若/小伯知/印度人/かる口桂家花咲・鴈篤/曽呂利新左衛門/桂三代文都/笑福亭松光、かつら小米、笑福亭(末広家)扇蝶、桂歌の助、桂燕太郎、桂小円治、笑福亭三代松、桂文雀、笑福亭福寿、笑福亭福篤、桂我楽、かつら団幸、笑福亭つる三、笑福亭松喬 桂文団治 桂米朝、笑福亭光鶴、三遊亭若三郎、桂団勇、桂団作、笑福亭福治、桂菊団治、曽呂利新作、桂春団治、笑福亭福三、笑福亭梅香、桂文我、笑ふく亭ふく吉、笑福亭松鶴/桂米団治

〈編者註〉

三遊亭一円遊は初代円遊(ステテコの円遊)門人で二代目円遊を名乗ったが東京では認められず、俗に「大阪円遊」と呼ばれた。

桂小米は桂藤誠門人藤ン坊から二代目桂文団治門下となり小米となる。のち米丸を経て桂小文治となる。本名稲田祐次郎。

桂歌之助は五代目林家正三門人新楽から三代目桂文枝門人となり文歌となり、明治34年三友派へ加入に際し歌之助と改めた。

桂燕太郎は桂枝雁の息子で、五代目林家正三門人小正三から、明治361月に枝太郎に入門した。子供のころは役者であったので芝居噺と舞を得意とした。枝太郎から将来を期待されていたのであろう、京都で盛大な入門披露が行われている。しかし明治452月に二十八歳の若さで死亡した。

桂小円治は二代目桂文団治(七代文治)門人で、明治43年に桂文治郎となる。新聞では「小円二」と表記されることが多い。

笑福亭三代松は三代目笑福亭松鶴門人で、一時福松門人となって福清を名乗ったが、福松の死後三代松に復した。後に左鶴と改名したが、又々三代松に戻った。

笑福亭福寿はのちの三代目桂塩鯛。

桂我楽は初代桂文我門人。のち文作となる。

桂団幸は二代目文団治(七代文治)門人。第一此花館の前座。

笑福亭鶴三は四代目笑福亭松鶴門人でのち小枝鶴となる。このころは三友派各席の前座を勤める。

笑福亭光鶴はのちの五代目笑福亭松鶴。この頃はまだ永楽館、第一此花館の前座を勤めている。

三遊亭若三郎は三遊亭円若門人とあるが、二代目文団治門人欄にもその名が見られる。ともにのち米若となるとあるが詳細は不詳。昨年からずっと永楽館の前座を勤めている。

桂団勇は二代目文団治(七代文治)門人。団幸とともに主に第一此花館の前座を勤める。

桂団作は二代目文団治(七代文治)門人。三友派各席の前座を勤める。

笑福亭福治は初代福松門人、のち四代目松鶴門に移って右鶴となる。

曽呂利新作は月亭文都門人で都作、曽呂利新左衛門門人となり新作となる。後に三代目桂文字助を継ぐ。

笑福亭福三は三笑亭芝楽(辻村藤三郎)門人芝太郎から初代笑福亭福松門人に転じて福三となる。

笑福亭梅香は桂梅枝門人で梅寿、桂文昇門人で文舎、三代目笑福亭松鶴門人で円光を経て、明治37年に梅香を襲名した。俗に「呑んだの梅香」という。

笑福亭福吉は初代笑福亭福松門人。明治33年ころから子役で出ている。音曲や舞で高座を勤めていたようだ。

明治401229日 大阪毎日新聞

石村松雨は今回石村派国劇と云ふを組織し…和歌山市紀の国座に乗込み、一月一日より開場…幕間には松雨と其子松翠(八つ)が和洋音楽合奏にて長唄その他を演ずる由。

〈編者註〉石村松雨はヴァイオリン奏者。息子の松翠はアコーデオンを弾き、親子で寄席に出演した。昨年9月ごろから京都、大阪の寄席に出て、変わり種のの色物として人気を呼んだ。

明治4111日 大阪毎日新聞

◇互楽派の各席へ一日より東京三遊亭小金遊、麗々亭梅桜及び女義太夫豊竹団司、竹本東六等が加わる由。

明治4116日 大阪毎日新聞

[写真]今年の勅題「社頭の松」に因み、住吉神社太鼓橋前で写した三友派一座の松づくしの写真

41年 004

明治41126日 大阪朝日新聞

◇藤原重助建碑式 浪花三友派の組合寄席の内此花、賑江両席の館主藤原重助は、其の組合許りでなく南区千日前の開発にも余程功ある者なれば、存命中より有志は寄り〳〵同人の記念碑を建設せんとの説41年 005ありしが、昨年同人の死後いよ〳〵建碑の相談有志中に成立ち、住吉停車場の傍に地を選み建碑落成なしたるより、本日午前九時同所に於て建碑式を挙ぐる事となり、三友桂両派の落語家、各寄席主人及び同人の生前の知友等参集して盛大なる祭典を執行するとぞ。

〈編者註〉写真は「富士正晴記念館所蔵 演芸関係写真目録」(富士正晴記念館・平成11年)より拝借した。焼香しているのは紅梅亭の原田政吉と小沢湖月。

明治41127 大阪毎日新聞

◇因みに前号(一月二十六日)記載せし故藤原重輔の建碑式は、昨日正午住吉停車場付近にて挙行し、余興には餅巻き等もあり、三友桂両派の落語家及び関係者又右団治、芝楽、右之助等をはじめ、同人生前の知己等が参集して、頗る盛況なりしと。

明治41127日 大阪時事新報

◇藤原重助の碑 浪花三友派の利物と呼れて名物の一人に数へられたる故藤原重助の記念碑は此程落成して南海鉄道住吉停車場前の広場に建設されしかば昨日其の建碑式を執行したり。碑石は地下二丈六尺有余の仙台石にて、表面の文字は鎌倉円覚寺の大教正宗演翁の筆に成り、裏面は湯川悟審子の選文にして、松本梅施主に立ちたり。式場には三友派、桂派の席主、落語連中、芝楽、右之助等の俳優及び知名の士など多く参会し、住吉神宮の神官祭文を読み、餅投、蜜柑撒等ありて中々の盛儀なり。

〈編者註〉松本梅は藤原重助の後妻まつの妹で、弟の松本豊次郎が後見し、早くから賑江亭の経営を任されていた。前妻の娘きく死亡のあと、親族間で相続争いが起ったが、これで見る限り松本梅側が実権を握ったようである。

 

京 都

明治401226日 京都日出新聞

◇橘家亭の講談は一月一日より南昇、竜馬、文之助、南陵等が出勤。

◇笑福亭は来春一月一日より千歳米坡、立花家君子、同花助が歌舞道楽として加入する都合にて出番順は、桂文橘、橘家立花、立花家橘太郎、橘家円次、三笑亭芝楽、笑福亭福太郎、橘家円弥、三遊亭円平、桂三八、桂三吉、笑福亭福丸、桂扇枝、橘家円太郎、桂文之助、有村謹吾、立花家君子、立花家花助、千歳米坡。

〈編者註〉亭号は編者が施した。

橘家円治 六代目林家正楽門人正勝から五代目橘家円太郎門人となり円治と改めた。

橘家立花 明治37121日付「神戸又新日報」に「桂しん吾改め立花家立花」とある。師弟関係等不明。今は五代目橘家円太郎の門人カ。

橘家円弥 四月に橘家小円太を襲名する。(明治41424日「京都日出新聞」参照)

三遊亭円平 初代三遊亭遊輔門人高輔、二代目三遊亭小円朝門人となり円平となる。大2年二代目遊輔となり、同8年に二代目蜃気楼龍玉を襲名した。本名斎藤愛之助。

明治401228日 京都日出新聞

◇幾代亭は来月一日より東京宝来家小柳、同美根子(七年)、美代子(十二年)等の浮世節、万歳踊と梅坊主連の深川踊、落語は桂橘枝と枝太郎、文吾の定連。

明治4111日 京都日出新聞

◇笑福亭 米坡は久しぶりの出勤といひ相変らず人を人と思はぬ胆力に客を引寄せ居れり。

明治4116 京都日出新聞

◇幾代亭の宝来家小柳一座の万歳踊は鳥渡変つたものとて梅坊主連の深川踊と共に客受けよしと。

◇元日の晩遅くから笑福亭へ飛び込んだ。名は知らぬが若い娘の義太夫、出し物は太十、「夕顔棚のこなたより」のあたり、イヤ言はぬが花であらう。福丸のステテコ、余り騒々しい。円平の「掛□ひ」鳥渡軽妙。円太郎の音曲相かはらず…有村は此頃大分芸人臭くなつて来た。麒麟も老ては駑馬に知かずで米坡の北洲(踊り)トントしをれがない。君子なかなかませたものだ。(投書・風外)

明治41117 朝日新聞京都付録

◇幾代亭 こゝも三百六十五日笑ひの絶えぬ場所である。毎夜々々福の神が門に集ふも道理だ。ヌーと入ると今正に枝雁が得意の舌を振ひながら何か他愛もない御機嫌を伺うている最中だ。相も変らず喜さんといふ少々愚かしい男を引張り廻して嫁貰ひの御祝ひに鮑を持つて行くといふ話。大阪仕込みの話だけに京都のことにしていながらお城の濠へ乙姫はんが出やはるとて見に行くと、兵隊さんが今日は日曜で休みぢやといはれたとか、上町の叔母はんが云々とかいふ言葉がチヨイ〳〵出るのが可笑しい。併し話の塩梅はスラ〳〵と軽うこなして人も各々変つていたやうであつた。次に三八が出たが早や原稿締切のお時間が参りましたので引揚げた。後の寄席は他日又々御機嫌を伺ひます。(華)

〈編者註〉連載記事「春の新京極」(五)より抜粋。

明治41117日 京都日出新聞

◇四条南座の円頂派 は本日乗込む筈にて。一座は宝恵籠に乗りて祇甲、先斗町其他の遊廓へ挨拶に廻る都合、初日は明十八日開場は午後五時、其出番順は、円角、円作、円歌、円幸、円丸、円三郎(三代目)、円三、円治、円馬(後見)、円(座長)。尚入場料は一等(三十銭)二等(二十五銭)三等(十七銭)四等(七銭)

明治41118日 京都日出新聞

◇四条南座の円頂派 音曲笑話は愈々本日初日の都合にて其出番順は、御祝儀東の旅(円角)、昔噺曲芸鼻立(円作)、滑稽落語手踊(円歌)、笑話尽し音頭(円幸)、音頭流行歌、洋灯きせるの曲(円丸)、浪花笑話浄瑠璃手踊(円三郎)、ハイカラすてゝこ盥の曲(円三)、東音曲浮世噺(円治)、古今人情噺(円馬)、当世落語、曲踊もの真似(円坊)、所作情話一流手踊(円)、大切余興社頭松引抜き総踊。

〈編者註〉十八日より一週間(二十四日)の予定であったが、好人気につき二十七日まで日延べした。121日付京都日出には「四条南座の円頂派は一座が車輪の舞台に頗る好評を博し居るが、大切「社頭松」の所作の松尽しは曽我の家一座のと同一の趣向にて左程喜ばれず」とある。そのためか二十五日より余興を「円山古跡坊主」引抜き総手踊と改めている。なおこの公演で最も人気があったのは円坊だという。

 

神 戸

明治41年11日 大阪毎日新聞

◇本日より神戸湊亭は、三遊亭圓若、桂家残月、曽呂利新作、笑福亭福治、桂才賀、桂小円治に、東京下りの笑福亭福円が加入。お馴染みの笑福亭福我、桂南枝、桂團輔、桂小文、笑福亭光雀、笑福亭鶴瓶、笑福亭円楽の大一座。

〈編者註〉亭号は編者が施した。

笑福亭福円は三代目松鶴門人で里キ松、璃幸、璃鶴から明治355月に笑福亭福円と改名した。永らく神戸に定住している。のち二代目笑福亭福松を襲名する。
才賀は母が六代目桂文治の後妻となったので養子となり、明治35年に四代目桂才賀となった。後八代目桂文治を襲名する。一昨年十月に来阪し、ずっと桂派の席に出ていたが、昨年五月から京都笑福亭へ移り、同年十一月から神戸の湊亭に出席している。
笑福亭福我(後の三代目桂文昇)、桂南枝(二代目桂南光門人)、桂団輔桂小文(団輔忰)、笑福亭光雀(笑福亭松光門人)は神戸在住の噺家。笑福亭鶴瓶は四代目松鶴門人。のち二代目林家染丸門人となり染八となる。このころは三友派各席の前座。笑福亭円楽は福円門人。神戸湊亭の日曜会の前座を勤めている。

明治4118日 神戸又新日報

◇湊亭評 第一第二も大々人気は其筈の顔揃いである。東京帰りと号する福圓の落語は相変らずだが、三つ合わせた喇叭節がお土産とでも言つて置こう。團輔が例の褌にババは困つたもの。屁とか苦楚(くそ)とか言わねば笑わせらねぬものか。小文の落語は例の如く、踊はキマリに身の・・・・(解読不能)。新顔の何とかいう落語家が、又もババの話、アア厭だと思つた後が、残月の講談でホットした。得意の廣瀬中佐は朝日座を見るが如く背景が欲しかつた。近来残子頗る腕を上げたは事実である。福我の新落語はアトの官営煙草のトツチリトンと相俟つて新しい。才賀の「お半半七」は正に中入前の腕はある。小網町の半七が来たの処も三遊亭派のクスグリではなく、柳派の自然滑稽で聞き宜かつた。座中の圧巻は此男である。切の圓若は聞かずに出た。

 

北陸地方

明治4113日 北国新聞(金沢)

◇演芸会▲福助座 元日早々花々しく開演したる芳五郎、冠十郎合併一座は、元日とは云わず初日早々一杯の大入を占めたる由▲尾山座 エムバテー活動写真は昨日午前楽隊を以て市中を練り廻り本社前に於て「君が代」を吹奏し、「北国新聞社」萬歳を唱呼(しょうこ)し同日午後六時より花々しく開演したるが、降雪(こうせつ)にも拘らず好景気を占めたり▲いろは座新派兄弟義会一座にて元日より蓋を開けたるが賑々しき客足を見たり▲一九席 小石喜久松一座の地萬歳にて昨日より開演したるが、例により景気頗るよしと▲松ヶ枝館 鶴之助の地萬歳に手品一座を加えての開場とて昨日の初日早々相当の景気なりしという▲小福座竹本春玉一座の女義太夫にて昨日より開演したるが、前景気非常によかり▲福栄座 堀川初三郎一座の地萬歳にて昨日より開演せり。場所柄とて大人気を占めたる。

 

中国・四国地方

明治401228日 鷺城新聞(姫路)

◇楽天席の一月興行 竪町楽天席は當地に馴染みの深き夫の立花家圓一座を招き来る。元日より興行すべきが、顔ぶれは別にかわらず、矢張り兄の円馬が後見にて其他、圓三、圓丸、圓歌、圓六、圓角、圓作、圓幸、圓冶及び圓三郎、圓坊等なるが、音曲手踊りの外に余興として左の諸技芸を催すべき由。

一御題社頭の松(引抜き惣踊り)、日の世界玉ウサギ(引抜二見の浦日の出)、坊主と桜(住吉おどり)、立花家一流フラワーダンス、十五題即席噺、東自慢深川染、改良各国旗出し、滑稽教育五十音踊り

明治41116日 鷺城新聞

ブラック一座と十五日戎 當市阪元町山陽座において十五日より興行すべかりし英人ブラック一座の演劇「幡隨院長兵衛」及び奇術催眠術は十八日初日とし、昨紙に十五日すでに蓋を開けたるは全く誤聞なりしかば、尚ほ惣社戎宮祭典も雨天続きのため一日延期し十六日まで執行したり。

 

九州地方

明治401228日 九州日報(福岡)

◇川丈座の春興行 川丈座にては、明年一月一日より春興行として、例の愛嬌落語家千橘、馬琴、若遊三の一座を以って開演する由なるが、千橘は復更に新作の喇叭節を耳新しく、お聞きに達しますると力味居れりとか好人気なるべし。

〈編者註〉千橘は二代目立花家千橘。東京の落語家で明治三十四年に上方に現われ、以後音曲師として長く活躍した。大正時代には電気入りの鰌掬いで一世を風靡した。馬琴は曲亭馬琴。詳細不祥。若遊三は三遊亭若遊三。初代遊三の妻の甥で、遊三郎となり、若遊三と改名した。近年は上方に居つき、また旅興行が多かった人だが、後年に二代目三遊亭遊三を継いでいる。本名渡辺吉寿。

 

満 州

明治4111日 満州日々新聞

◇広告/謹賀新年/大連市信濃町花月席/大連市信濃町友花月

明治4111日 満州日々新聞

◇興行もの▲常盤座 青柳、東、愛澤等の清閑美團一座▲寿座 松尾伊井一座にて開演予定であるが、未だ休業中▲花月席 浪花節吉川秀廣一座

 

台 湾

明治4111日 台湾日日新報

◇新年の興行物 台北座の閉場せしより台北の興行場所は、劇場として栄座寄席として朝日座の二箇所となり、新年などには聊物足らぬ心地す。而して本日より演し物は▲朝日座は高松一行の活動写真・・・。