2月上席

≪大阪≫

【桂派】

幾代亭 吾竹、文蔵、小文吾、伝枝、扇之助、松調、文屋、三木助、杵屋連、小三、左円太、仁左衛門、助二郎、雀之助、文三、雀三郎、三輔、文枝、小文三、清国人、枝雀

金沢亭…[原紙破損]… 郎、小三、左円太、雀之助、小文三、助二郎、文枝、小文吾、杵屋連、枝雀、文左衛門、清国人、三木助、松調、文三、傳枝、三輔、仁左衛門

瓢亭 あやめ、仁助、雀之助、小文三、文橋、清…[原紙破損]…

杉之木亭 三昇、扇之助、文屋、吾竹、文蔵、小文吾、三輔、松調、文三、三木助、清国人、小文三、仁左衛門、傳枝、助二郎、雀之助、枝雀、雀三郎、杵屋せい、杵屋たき、杵屋よし、文枝

【三友派】

第一此花館 団作、団幸、団勇、菊団治…[原紙破損]…

紅梅亭 鶴次、福篤、松喬、雁篤・花咲、扇蝶、米団治、小燕枝、文都、小米、小歌・満留吉・小満之助、円子、松光、梅枝、曽呂利、岩てこ一座、馬生、円若、残月

永楽館 光鶴、若三郎、三代松、歌之助、松光、梅枝、菊団治、円若、米団治、馬生、文団治、松喬、岩てこ一座、扇蝶、小歌・満留吉・小満之助、文都、梅香、小燕枝、一円遊

第三此花館 都鶴、団作、鶴三、我楽、文雀…[原紙破損]…

賑江亭 団昇、小団、団三郎、梅香、新作、一円遊、松喬、三代松、曽呂利、扇蝶、雁篤・花咲、文都、文雀、馬生、文我、残月、梅枝、米団治、岩てこ一座

堺天神(金秀)席 団寿、団橘、扇笑、小米朝、円寿、花円蔵、文我、団作、団三郎、柳寿斎、円子

【互楽派】

第一文芸館 藤円、藤枝、鶴之助、春輔…[原紙破損]…

第二文芸館 篤三郎、枝光、花香、正三、三平、梅桜、藤枝、栄太楼、藤遊、小金遊、円篤、春輔、藤誠梅八豆八松竹団司東六万治、正楽

≪京都≫

幾代亭 八代目入船亭扇橋、杵屋福三郎・同福子、久茂井辰雄等に幾代亭定連

笑福亭 文橘、円次、橘太郎、芝楽、円弥、三八、三吉、扇枝、福丸、福太郎、円太郎、文之助、有村、円平、花助・君子・米坡

2月下席

≪大阪≫

【桂派】

幾代亭 文橋、文蔵、雀之助、小三、左円太、扇之助、及宝山、三輔、小文三、文枝、三木助、松調、文左衛門、小文吾、杵屋連、枝雀、雀三郎、助二郎、文三

金沢亭 雀四郎、文鶴、文屋、小文吾、吾竹、松調、雀三郎、小三、左円太、枝雀、及宝山、文左衛門、文三、助二郎、三輔、仁左衛門、三木助、杵屋連、文枝

瓢亭 …[原紙破損]…三助、文枝、雀之助、□□、仁左衛門

杉之木亭 三昇、扇之助、傳枝、文橋、文蔵、三木助、助二郎、雀之助、仁左衛門、三輔、杵屋連、文枝、雀三郎、松調、文三、小文三、及宝山、枝雀

【三友派】

第一此花館 …[原紙破損]…円子、まる吉、小歌、小満之助、残月、小燕枝、松喬、雁徳、花咲、梅枝、扇蝶、米団治、岩てこ一座、馬生、円若、曽呂利

紅梅亭 鶴三、団作、福篤、文我、松光、梅枝、扇蝶、円若、文団治、米団治、馬生、岩てこ一座、歌之助、小燕枝、円子、女連まる吉、小満之助、文都、一円遊

永楽館 光鶴、新作、若三郎、歌之助、一円遊、三代松、小燕枝、岩てこ一座、文都、円子、まる吉、小歌、小満之助、曽呂利、残月、松喬、□□、扇蝶、文団治 

第三此花館 …[原紙破損]…文都、文雀、松喬、曽呂利、梅枝、扇蝶、団作、三代松、一円遊、馬生、残月、米団治、岩てこ一座

賑江亭 団昇、小団、松喬、団三郎、米団治、残月、雁徳、花咲、馬生、松光、一円遊、円若、文団治、文雀、文都、歌之助、小燕枝、円子、まる吉、小歌、小満之助  

堺天神(金秀)席 福吉、小米、団寿、団橘、扇笑、小米朝、円寿、花円蔵、団作、団三郎、柳寿斎、菊団治、文我、松光、大切「社頭の松」  

【互楽派】

第一文芸館 藤円、鶴之助、藤枝、正三、梅…[原紙破損]…

第二文芸館 …[原紙破損]…藤誠、万治、正楽、団司、東六、梅桜、正三、梅八、豆八、藤遊、円篤、小金遊

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大 阪

明治41131日 大阪朝日新聞

◇桂派の各席は二月一日より従来の一座へ長唄柳家よし、同たきの二名出勤する事となれり。

◇浪花三友派各席二月一日より従前の一座に東京より岩てこ一座、柳亭小燕枝、春風亭梅枝が出勤する由。

〈編者註〉柳亭小燕枝は二代目柳亭(のち談洲楼)燕枝門人で明治403月に小燕枝となる。後の橘家文三。本名町井定吉。春風亭梅枝は三代目柳枝門人で、明治四十年代に風雷舎金賀(本名二宮長三郎)と名乗った人と思われる。

明治41210 大阪毎日新聞

◇松川家妻奴の亡命 彼の松川家妻吉の対方として軒吊のビラに名を並べ、東京、大阪その他寄席を稼ぎ廻る松川家妻奴といふは、東京の落語家ノン〳〵亭柳升の娘にて、以前は下谷に芸妓の見習を稼ぎ居たるが、その内妻吉の対方となり、故人福松の門人笑福亭福寿と夫婦共稼ぎに今年正月よりは東京三遊亭の一座に加盟し、頻りと例の新内擬ひの節を聞して妻吉の舞を助け居たるに、此妻奴には予て当地東区平野町心斎橋東へ入る椅子商波多野の子息某といふ肩入客あり、何日の間にか妙な間柄ともなり居たるものと見え、四五日以前この子息突然上京して、妻奴等が定宿なる神田小柳町相模屋方へ訪れたる其夜二人は手に手を取つて何処ともなく亡命したる騒ぎに、亭主の福寿は勿論、妻吉の迷惑一方ならず、忽ち其夜の高座にも差支を生ずる事となりしより、下座には一時間に合せとして目下上京中の小南の下座おこまを借る事とし、妻奴は当然三友派を除名する事としたりと。

明治41年210日 大阪毎日新聞

◇桂文団治の改名 当地三友派の宿老文団治は、今度東京の桂文治が名跡を継ぎ、文団治の名は、更に門下の米団治に譲りて、これを三代目とし、文治はこれを機に、二代目文団治の記念碑を法善寺境内に建立する事となりたり。この打ち合わせの為、文団治は来る十五日上京する筈なるが、披露は帰阪後三月上旬を以て各席に行う由なりと。

明治41年214日 大阪毎日新聞

◇順慶町井戸の辻赤沢亭は、明十五日より落語、新内合併一座にて開演。主なる顔触れは、三升家紋弥、三遊亭ぽん太、春陽亭胡蝶、桂藤朝、岡本呂光、岡本小美栄。

〈編者註〉春陽亭胡蝶は逆立ちの獅子舞などの珍芸を得意とした色物芸人で、後胡蝶斎となる。本名岩見豊吉。

明治41225日 大阪朝日新聞

◇宝来亭は二十六七両日、松林右円会主となり演芸会を開く。出演者は桂三友両派の落語家、豊竹時太夫の浄瑠璃その他新内、講談等なり。又同座へ三月一日より松月堂呑玉、伊藤燕凌等出演す。

 

京 都

明治4121日 京都日出新聞

◇幾代亭は本日より八代目入船亭扇橋及び長唄の杵屋福三郎、同福子、御前倭舞の久茂井辰雄等が出席。扇橋は得意の東京俳優声色演芸風俗を演ずる由。

◇笑福亭は米坡が引続き出勤する事となりしが、本日より替る出番順は、文橘、円次、橘太郎、芝楽、円弥、三八、三吉、扇枝、福丸、福太郎、円太郎、文之助、有村、円平、花助、君子、米坡。

明治41211日 京都日出新聞

◇笑福亭は本日より大切に「小夜衣三人廻」といふ立噺を演ずる筈にて、其役割は、百姓杢右衛門(文之助)大工熊五郎(円太郎)寄合酒盛(有村)スイカラ通人気取薫(円弥)顔役中野菜造(扇枝)娼妓喜瀬川(米坡)芸妓てく吉(花助)舞子小ねこ(喜美子)同村ちよこ(三八)娼妓梅ケ枝(三吉)若い者喜助(円平)幇間でこ助(福太郎)同ピン内(福丸)芝屋の亭主(芝楽)按摩しよぼ市(橘太郎)鍋焼うどんや(文橘)。

 

神 戸

明治4121日 神戸又新日報

◇中道亭 兵庫舊中の土橋講談席中道亭本月の出演者は、旭堂南昇と老巧の笑福亭竹山人に若手の旭堂南陵なりと。

明治4122日 神戸又新日報

◇第一第二湊亭 本月は昨年来たりし印度人の愛嬌男サエモンジョジーと白人チャレーとて、湊亭の番頭井上が、当地で発見して大阪で日本物を仕込ませしハーモニカの吹手と両人にて白黒踊りというをやらかし、尚笑福亭枝鶴は四代目松鶴となりし改名披露をなすべく。外に松林小伯知の新講談、小圓冶、米朝、春團冶、燕太郎、福冶等の大一座なりという。

明治4125日 神戸又新日報

◇湊亭の芸評と所感 ヤタラに褒めちぎる愚者でもなくムヤミに批難する程の賢者でもない、芸評と所感とは別物ではあるが夫を一緒クタに書殴り聊か芸術者の反省を促そう。

三友亭紋弥 落語はベタつく方だが、有望の芸風だ。当人音曲で客が取れるから、話はどうでもと捨鉢にしてはならぬ。チョイチョイ新しいくすぐりも言うが誤りがある。新聞論評でも読んで少し舌を馴らすべしだ。音曲も此男の技量で福我式の物に意を注いだらば、関西無敵に立至るであろう。

笑福亭圓松 右も左東京落語で押通すのだから、今少しユトリをつけて前月の才賀などの喋り口を学ばねばなるまい。何しろ此男は手品や指の写し絵や問答と多芸なのが却つて身の毒で話方が進歩しない。本芸を一つ何と定めて献身的に一意専心研究すべし。

桂團輔と小文 俺はどうでも宵い。忰さへ物になればの一心残らず小文に乗移つて鷹となり、親爺は美ン事産んだトンビで満足する為め、落語も前々世紀で鷹は□□弛んで来た。鷹の方は舞がよいが、話はもう一息という世論だ。併し父子とも高座に現れれば拍手喝采は素晴らしい人気である。

燕太郎と米朝 燕の方はお定まりの芝居噺。小笠原も根っから以前と優劣が付ぬ。ソコで所感を別に申さば頭が大きいから、「蕣花」(あさがお)だとか人気取りに自分を卑しめて、客に媚びるのは可かん。此男の芸風、殊に舞ならば正に胡麻すらずとも出世は出来る。米の方は落語は老熟している、何処へ押出しても米朝は米朝だ。が話は□ない方で、文都や枝鶴の如くスラスラと流暢に行かぬが、結局真打というべき芸ではなかろう。

喬之助と福我 喬之助の□音は関西無二である。柳原にも中倹にも清元屋はタントあるが、声に至つては其右に出づる者はない。併し可哀そうな事に覚えただけが、追々崩れる方で、之を斧正すべき師に乏しいのが関西の浅ましさだ。時々東京に帰ってナール程をやつて来ねばならぬ。何日までか「コラコラーイ」のみでもあるまい。福我の芸評は定評ありとしてすまい。此頃此男こはでな服装を廃して、茶の□紋など着ているが、京阪流に大の男が金鎖を頚から掛けるのもみ裏の羽織を着るのという風は鼻持がならぬ。併し衆人稠座の高席に上るのだから、幾分渋味を厭うのは至當であろう。

ジョジーとチャーレー 印度人ジョジーの方は正に黒人で、墺国人チャレーの方は確かに白人で、能く名詮自称を現わしている。黒の洋笛は巧妙、白の未だ芸人らしくない処を見ると、気の毒に思うと同時に、白哲人種の堕落に異様な感が起つたのである。(へな坊)

〈編者註〉笑福亭円松は初代福松門人。明治39321日「神戸又新日報」に「茫々と生えた儘櫛も入れない頭髪で『粗忽長屋』、ダレさせず畳み込んでサゲまでは有難し。指の影絵は三府髄一なり」とある。

 

明治41215日 神戸又新日報

<四代目笑福亭松鶴襲名披露・神戸>

◇第一湊亭 一昨、昨の両夜は笑福亭松鶴が四代目松鶴を襲名せし披露にて、一昨夜は大阪より文團次来たりて其披露を為し。其他松喬、扇蝶数名スケとして出席せしより、満場の大入にて松鶴へ市内各贔屓連より贈り物多かりし。

 

名古屋

明治4121日 名古屋新聞

◇富本座は昔々亭桃太郎と高島家米玻一座にて開演す。

明治41218日 名古屋新聞

◇富本席は昨十七日より曾呂利新左衛門一座の落語にて開演其前連中は左の如し。昔々亭桃太郎、高島家米玻、三遊亭圓玉、三遊亭小圓、橘家橘天、昔々亭ぽん太、三遊亭小左衛門

北陸地方

明治41215日 北国新聞(金沢)

◇一九席 落語連にて開演したるが、久振りとて景気大に好し。今晩の出し物は、異口茶屋(近之助)高砂屋(福圓)川崎土産(近松)清元夕立塚(花之助)くしゃみ太夫(蔵の助)鰻屋(左近)梅若礼三郎伝(文左衛門)喜劇アイラブユー(総出)

 

中国・四国地方

明治41225日 徳島毎日新聞

◇緑館の舞台開き 富田町角寄席緑館は来月一日舞台開きを為し大阪千日前播重席出勤の女義太夫豊竹此助一座乗込み興行することに決せり。

満 州

明治4121日 満州日々新聞

◇花月席 既報の如く今一日より演芸大寄せを催すべく、車読みの競技に於いて一ヶ月間大喝采を博したるものには、座主より金時計を贈呈すという番組は左の如し。

加多の弥太郎(京山若吉)塚原ト傳誉の太刀風(京山若圓)名誉侠客千葉喜太郎(満州軒若八)元和三勇士田宮左金吾(満州軒勝廣)伊賀上野敵討荒木又右衛門(娘太夫吉川巴)難波戦記岩見重太郎(京山末廣)寛永勇士揃御前試合(桃中軒雲丸)義心塚之由来長井源三郎(満州軒雷右衛門)春色咲分梅斑鳩平次徳川葵の錦弁慶新三郎(吉川秀廣)寛政力士伝谷風梶之助合邦辻俊徳丸(松福亭時丸)三味線曲引(京山梅花、松福亭小福)

明治41215日 満州日々新聞

◇演友會慈善興業 明後十六日花月席に於いて開催する大連演友會慈善興行の番組左の如し。

落語厄払い(〆太)剣舞(川上福夢)義太夫鈴ケ森(竹本小井筒太夫改め竹本井筒太夫)講談(松林黒燕)落語道具屋(半七)義太夫□仇討瀧の段(竹本春庫太夫)清元(福助)曲芸(春風斎)剣舞本能寺孤軍奮闘(川上)落語小言幸兵衛(小はん)凱旋踊(千勝館千松、勝利)大切茶番化地蔵(三枡家連)三味線(竹本井筒太夫改め豊竹筑後太夫)

◇花月席 満州軒雷右衛門、吉川秀廣、松福亭時丸一座の大寄せ競演會車読みの腕くらべなり。