明治4131 京都日出新聞

祇園の夜嵐 昨夜午後十時、祇園町花見小路貸座敷米愛事米村あい(二十六年)方の二階裏座敷にて同人及び同人の旦那なる新京極幾代亭席金井芳松(三十五年)を始め、祇園北側町池松庄次郎(五十一年)、木屋町仏光寺橋下興行業清水福之助(四十九年)、西洞院錦小路下る悉皆屋高木幸次郎(二十八年)、宮川町六丁目貸座敷中島たまの夫武次郎(三十一年)の七名は大胡坐車座になり豺(さい)本引と称する賭博を開帳中を松原警察の風俗係りに踏み込まれ周章狼狽の大騒動となり金井芳松はこれと見て直ちに其場を逃走したるも他は悉く逮捕数珠繋ぎとなりて同署に引致され場銭十円余は全部押収され目下取調中なるが逃亡したる芳松は何処に潜伏し居るや判明せず厳重に捜査中なりと

興行界 ▲幾代亭は本日より歌舞道楽の小満之助、まる吉、印度人サエモン、ジヨヂヨー、人情噺の為永栄二等が新加入し其出席順は芝平、文楽、□枝、三八、年の助、辰雄、枝厂、桃太郎、文吾、印度人、為永、小満之助、まる吉、枝太郎

明治41312 京都日出新聞

四条南座出勤の片岡我太郎は落語家曽呂利新左衛門の伜なるより幾代、笑福の両席より総見物をするとか、又来る十九、二十の両日は祇甲、先斗町及町娘達の総見物ある由

明治41320日 神戸又新日報

◇新開地相生座 昨日して東京大歌舞伎を打揚げ本日午後五時より圓頂派の落語にて蓋を明ける由連名を演芸左の如し

立花家圓幸、圓角、圓作、圓丸、圓三、橘一、圓坊改め三代目圓三郎、橘ノ圓、故圓朝作塩原多助一代記三遊亭圓馬、大切□□引抜大笑曲三段返し電気応用楽長稲垣

<編者註>圓頂派については、「芸能懇話14号」の「歌舞笑話圓頂派の記録」参照

明治41322日 大阪朝日新聞

◇芸人の家庭(八) 落語家  

大阪の落語家は概して有福である。それは席亭との関係がよほど旨く出来て居るので落語家の手に入る歩合が比較的多いからである。大頭株では一日に三四円を得るのに難くない。其処へ成るべく倹約をして貯めやう〳〵と心掛て居るから、嫌でも応でもお金が貯まる。文左衛門などは借家の数十軒も、持株券公債の二三万円もしこたまため、居間には金庫を置いて帳簿と首引の境界である。そこでこの落語家には誰がなるかといふと、多くは寄席放蕩の成(なれ)の果、素人話から持ち上げられて、遂に高座に面を曝すやうになる。初めは師匠取をして稽古に通ふ。根問ひ、伊勢参宮、鱶の身入れ、百人坊主などが手ほどきである。俗にこれを入込みと唱へる。この間を「へたり」といふので、前座から打出しの太皷までを打つ。これで日給が三四十銭。それから段々仕上げて師匠株になると中等の生計は楽に出来る。

女房は娼妓か芸妓に極つて居る。子供が生れる、男なら俳優、女なら芸妓にしやうと心掛ける。何れを見ても無学文盲の連中であるが、心掛けのよい手合は発句の一つぐらゐをひねくる。中には物識(ものしり)の先生を尋ねて有職故実を聞きかじるものもある。

弟子が来ると稽古をする。出来が悪いと叱言を云ふ。東京の落語家のやうにお座敷が無いから、その方は一向揮はない。酒の好きな連中は午飯の膳に一ぱい遣る。ほろりと酔が廻る。色物専門の男は口三味線の一つも遣る。時には女房が爪弾をする。これはまず上の部である。

心掛のよい連中は暇さへあると人寄の所へ行く。行商人や露店の様子を見る。それを心に止めておいて、高座の上で「口上振る」。これに面白いタネを得ることがある。それから売り声、流行歌、何れも彼等の研究材料に為らぬものはない。

高座では可笑しみを主とするが、家では成るべく厳格な顔をする。昔とは異(ちが)つて木綿物などは着ず、悉く絹布づくめ、おまけに自用車を置く必要もある。雑用は多いが収入も増加(ふえ)て居るからさのみ苦しい境界でもないらしい。東京から来た落語家連中で、此方に足を止める者の多いのは、お座敷の収入はなくても仲間の交際に銭が入らぬからである。ノンキで威張つて、気楽に遣つて行かれるからである。

東京の落語家は愛嬌を主とするが、大阪はそれがない。素話の面白いのよりも色物の流行(はや)るのは偶(たまたま)この社会の衰微を意味する。ちと奮発しちや何(ど)うだ。

明治41327日 鷺城新聞(兵庫姫路)

劇場戎座の新築 當市豆腐(とうふ)町東裏に戎座と称する劇場を株式組織にて新築すべく飾磨郡手柄村の内延末村田中永次及び當市忍町山本清吉以下浅見半二、高濱常吉、西村三木造、中山栄吉、内藤甚三の七名発起人となり数月以前より當駅多田元次郎方に事務所を設けて運動中なりしが既に予定の株も集まりしを以て二十五日午前九時より市内上白銀中島旅館に集合し工事請負入札を執行したるに午前四時開札の結果神埼郡香呂(こうろ)村岩田栄治の手に落札したれば直ちに新築に着手する事となりたるが舊卯月八日までには多分落成すべしと云ふ。

明治41328日 神戸新聞

湊虎亭 にては四月一日より旭堂南昇、笑福亭竹山人、旭堂南陵等を招きて昼の部鐘馗半兵衛、義士銘々伝、夜の部多田亀吉、木下藤吉郎を演ぜじむる由

明治41329日 大阪毎日新聞

◇天満天神講談席宝来亭にて来る三十一日午後五時より、伊藤燕陵会主となりお名残の演芸会を催す由にて、三友桂両派の落語家、新内、浄瑠璃、講談、剣舞等なり。

明治41331日 大阪朝日新聞

◇桂派各席は是れまでの一座の外に四月一日より久々にてヴアヰオリン(石村松雨)、風琴(石村松翠)、今様源氏節(岡本小美家、同美家吉)を加ふる由。

◇浪花三友派も一日より京都名物六斎踊り、東京の翁家さん馬、桂文楽、月の家うさぎ、岩てこ一座及び長唄杵屋さく、はるが出勤する由。

明治41331日 大阪毎日御新聞

◇互楽派第一第二文芸館へ、一日より出勤する張円桂の奇術は、刀の先に鈴をつけて飲み込みながら、運動の曲芸をなす由。

明治4141日 大阪毎日新聞

◇順慶町井戸の辻赤沢亭は、本日より従前の一座へ、娘義太夫豊竹此千代、落語大和家金の助、桂藤輔が加わる由。

明治4141日 神戸又新日報

第一第二湊亭 本月の新顔は金原亭馬生、笑福亭松光、杵屋福三郎、桂歌の助、同小圓冶なるが福三郎は盲目法師にて曲引なりと

明治4141日 名古屋新聞

富本席は音曲落語浄瑠璃の色物にて今一日より開演すと云う

明治4141 京都日出新聞

興行界 ▲幾代亭は本日より旧臘より東上中なりし年史、好史、年々坊等も戻り小満之助、小円馬、印度人なども引続き出席する筈にて大切には電気作用舞踏といふを演じるとか其出演順は枝若、文楽、喬枝、好史、桃太郎、三八、枝雁、年々坊、年史、小円馬、小満之助、まる吉、文吾、サエモン、チアレアイブ、枝太郎、電気舞踏▲笑福亭は本日より新加入として東京下り内田秀甫が出席する由又大切立噺は「滑稽隅田の夜嵐」と芸題変へ▲橘席の講談席は本日より伊東燕凌が出席

明治4141日 満州日々新聞(大連)

興行もの ▲花月席 豊竹筑後太夫、吉田東若一座の人形浄瑠璃に落語、剣舞を差加えたる色物興行本日が初日にて、番組は、式三番叟(吉田東若)太閤記尼崎の段(竹本小井筒太夫)落語(三枡家〆太)金毘羅利生記百度平住家の段(竹本春庫太夫、三味線豊竹筑後、人形吉田東若)菊水流剣舞(川上福夢)落語左甚五郎伝(小はん改め三枡家福太郎)朝顔日記宿屋の段(竹本井筒太夫、三味豊竹筑後、人形吉田東若)人情講談(松林黒燕)喜劇ポンチ画(富士の家連) ▲旅順黄金堂 源氏節岡本美根松一座

明治4141日 徳島毎日新聞

緑館の桂派落語 愈々本日町廻り午後六時より開演、明日より昼夜二回興行今晩の番組は落語(桂菖蒲)新内(小三)音曲(文蔵)手踊り(扇之助)軽口(左圓太)曲芸(文福)音曲(傳枝)手品(清国人及寶山)四ツ竹(雀之助)落語(文枝)

明治4143日 九州日報

川丈座圓頂派落語 東京圓頂派落語は、神戸興行大入日延の為、川丈座の開演も従って延引となりしが、愈々今晩より蓋開けとなり、延期お詫びとして一座大車輪にて働き申すべしと云う。後見に据えられつゝある圓馬は、故人三遊亭圓朝の門人にて、圓若時代は絶えず師匠に随行せし事とて、圓朝其侭の口吻(こうふん)あり。人情講談としては、當時二三屈指の顔なるが牡丹燈籠、塩原多助の如きは同人独特の出物殆ど圓朝に髣髴(ほうふつ)たるものあり。圓は滑稽落語と手踊に妙に得。尚此の外西洋音楽の名手秀琴子ありと言えば、其好人気得て知るべきなり。今晩及び明晩の番組は左の如し。

一日目 御祝儀寶の入船(圓幸)二人道中神の賑い(圓角)三人尼買紙立の曲(圓作)音曲吾妻土産煙管の曲(圓丸)落語士族の車夫(圓三)西洋音楽オルガンヴアイオリン(秀琴)人情新話(圓馬)落語掛取萬歳曲芸(圓三郎)落語奈良の鹿手踊(圓)

二日目 御祝儀寶の入船(圓幸)道中の法會(圓角)兵庫船音曲(圓作)音曲櫻風呂(圓丸)落語及び曲芸(圓三)端唄音楽(秀琴)新話文七元結(圓馬)芝居の穴曲芸(圓三郎)落語天災手踊六歌仙(圓)

明治41415 京都日出新聞

幾代亭は本日より大切に所作事「葛の葉」引抜き「保名狂乱」を演ずる由にて葛の葉と保名とを枝太郎、童子を三八が勤め、地は清元にて小満之助とまる吉とが出語り

明治41416日 新朝報(愛知豊橋)

◇河原座の落語 同座が柳亭左龍の大道具大仕掛の怪談、三升亭瀧鯉斎、管の家亀楽の手品、柳亭右龍、龍三、龍左、小二三、橘家小朝、古今亭今の助、春風亭枝六、大与枝等の落語連中にて、今十六日より花々しく開演する由。

明治41421日 満州日々新聞

花月席 源氏節身振狂言岡本美根松一座にて午後六時より開場。一座は綺麗な小娘揃いなり。岡本美根松、同美根由(八歳)、同美根鈴、同友好、同美根鶴、同美根友、同美根春

明治41422日 大阪朝日新聞

◇曽呂利の刺激 難波新地二番町の貸席蝶亭事谷口団次郎といつぱ、落語家曽呂利新左衛門の伜なり。父曽呂利の高座風を受けて自然と滑稽に富み、馬鹿八百呑気なことばかりを抱への芸妓等に話すより、家の兄さんはよい方や、気兼の要らぬ主人やと噂してゐるうちに、小梅事斎藤千代(十五年)といふのが早や付け上つて、文楽座の三味線弾広一事坂田芳之助(二十三年)といふ若いのに逆上せあげ、又広一も小梅のあどけないのを可愛がる。そこで両人飯事序に寄席にいつて曽呂利の落語をきいた。高座では相変らず替り合せましての口上、一向面白からず、何か目新しい所をと思ひますれど根つからその、イヤお気の毒さまの前置き。誠にお気の毒さまと此方から云ひたい程なれば、小梅は最初から欠伸を催し、心密かに思ふやう、曽呂利さんの落語の振はぬのは余り呑気過ぎるからや、一番その呑気を此方のお株にとつて、もし妾が広一さんと駆落したら曽呂利さんも屹度喫驚しやはるやらう、左すれば落語の材料も出来て自然と面白うなる道理と広一に相談して見ると、即座によからうと大いに振つた遺書、「新左衛門さんの芸道に刺激を与ふるため、且は研究の材料を供するため、自分等は姿を隠す」との趣かき残して、一昨日の午後、頗る呑気に家を出でたり。曽呂利方にては大金の掛つた玉、転げられて逃げられて堪るものか、芸道の研究どころか、不景気の折からこの始末ではお落語にならぬ。併し流石は当世、刺激とはよくいひ居つた。針で刺されたよりも余程痛い〳〵と、早速南署へ取押方の願書〳〵。

明治41422日 満州日々新聞

<大山館開場>

大山館の席開き 市内大山通宅合名會社支店筋向う路地内大山館は今回其筋の認可を得て寄せを開業し、去十九日夜其披露をなしたるが来賓は三十余名にてなかなか賑やかなりしと同館は階上にて見物席は七十余畳を有しなかなか広く舞台も見事に出来上がり居れり。

明治41424 京都日出新聞

<五代目橘家小円太>

笑福亭出勤の橘家円弥は今後五代目橘家小円太を相続する事となり来る二十五、六の両日午後五時より其改名披露の諸芸大会を催す筈にて大阪三友派よりも数名出勤するとか其出演者は◇定連 福太郎、文橘、円平、橘、福丸、扇枝、橘太郎、秀甫、芝楽、円次、文之助、円太郎◇浪花三友派 文団治、扇蝶、米団治、菊団治、文都、春団治 ◇女道楽 小満之助、まる吉、喜美子、花助 ◇浄瑠璃 禰巴津、冠車 ◇幇間 瓢六 ◇講談 伊東燕凌、松林小円、神田小伯山、松林伯鶴

明治41424日 満州日々新聞

大山館 新たに渡米したる浪花節吉川家辰丸一座にて久々の開場来客に対して丁寧に取扱うは勿論萬事手落ちなくお茶子を働かせ十分の満足を与うという。

吉川家小辰、廣澤菊若、吉川家辰丸

明治41426日 香川新報(高松)

寿座の落語 多度津町寿座にては廿六日より桂雀の助一座の落語興行あり。

明治41427日 大阪朝日新聞

◇曽呂利の旧友 五十年以上の交▼一々判を取りに廻る  

人情軽薄の世、昨日の親友も今日の敵となるが多ければ、十年の交りを訂(ただ)すものさへ少きに、是れは五十年来の交りを替へぬは芽出度き話なり。然も一人二人にあらず、何(ど)うかして五十人だけ作りたいと懸念する者、学者や金持や宗教家になくて芸人にあるこそ面白け。

三友派の会長といかめしき肩書は付け居れど、気軽で瓢きんで浮世を三分五厘に送る曽呂利新左衛門、今年いくつになるか自分の年は知らねど、何でも八十よりは若き筈なり。私もこないに長生して何日(いつ)死ぬとも限りの知れぬ浮世に阿呆らしうもないぐづ〳〵して居るは嫌なれど、冥途でもこんなのは流行らぬと見えて引き取つて下さらぬこそ恨みなれ。私のやうに長生をするものがあるか無いか、五十年以来交際(つきあっ)て居る人間を調べて見やうと、如才なさに指を折つて見ると、あるわ〳〵瞬く間に三十八人といふ姓名を考へ出しぬ。その中の最も年長者は新町小山席の主小山亀蔵の八十九歳、これに続いてはその昔御池橋の東詰にあつた定席の講談師立川三光(後に三玉斎と云ふ)の門弟徳野一山の八十七歳などで、これ等は曽呂利がまだ堀江で倉橋屋と云ふ呉服悉皆屋の伜であつた当時からの馴染なり。この他には南地五花街取締の阿部弥七郎、同人の弟清七(静席主)これは弥七郎がまだ心斎橋の糸屋時代で、清七と曽呂利とはその頃持てはやされた画工木下芦州(中川芦月の師)の許へ通ひ居たる馴染なり。堀江の貸座敷村井、中村梅玉、嵐橘三郎、市川市十郎、市川右団次、中村重蔵などはそれにつぎ、水芸師吉田菊五郎、博多の侠客新門浅五郎、浅五郎の妻のお亀(十五六の時亀伊三の芸妓にて亀松と呼びたり)、広島の幇間紋太(今は廃業して妻に遊芸師匠をさせ居れり)、兵庫の料亭常磐花壇の主人前田常蔵、神戸落語定席湊亭の主人菊野菊松などが又それにつぐ。然しこんな事をして居る中に死ぬやつがあつてはあほらしいさかい一冊の画帳を製(こしら)へて、これに初め交際した当時の有様を書き、記念の為その人々の判を取りに廻る筈にて、目下それぞれ準備中なるが、先づ遠方のところから方付けやうと云ふ考へで、この夏には紋太の判を取るが為広島へ出稼をする積りなりと云ひ居れりとぞ。

明治41429日 名古屋新聞

富本席は五月一日より三遊亭金馬に大阪堀江の六人斬にて両腕を失いし松川家妻吉一門にて開演する由

明治41429日 大阪朝日新聞

◇桂派各席へは東京葭町の芸妓新三河家とめ、同豊子、三枡家小しめ、同若蔵及び落語音曲都家歌六が出勤す。

◇浪花三友派各席へ五月一日より東京より立花家橘之助、同喬之助、記憶術柳一、ジヨンベール出席す。

明治41430日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派の各席同盟組合席主が幹事となり、本日午前十時より同派の連中は更なり、同派関係者は奈良嫩草山に春季運動会を催し、各隠し芸を出す筈。

明治41430日 大阪朝日新聞

<幾代席、第四国光席と改名する>

◇東区淡路町幾代席は此の度天満裏門国光席主原盛千代が買ひ取り、一日より引続き桂派の落語を興行す。

〈編者註〉幾代席は桂派の牙城であるが、それが浪花節の天満国光席の原盛千代に買収された。これはひとり桂派の凋落を意味するだけでなく、大衆芸能に占める落語の位置が浪花節にとって代わられつつあるこの時代を象徴的する出来事だといえる。