明治45年大正元年

上方落語史料集成 明治45年(1912)1月

明治4511

◇新年の寄席

桂 派 法善寺金沢席・新町瓢亭・空堀沢井亭・北新地緑館・堺天神席

三友派 法善寺紅梅亭・平野町第一此花館、松屋町第三此花館、曾根崎永楽館、堀江賑江亭、松島六方館、福島延命館。

〈編者註〉互楽派の席は新聞に記載なし。互楽派が出していた雑誌『大福帳』第二巻第十号(明治四十四年十二月一日発行)には西区千代崎橋西詰第一文芸館と北区天満天神裏門第二文芸館が掲げられている。

明治4511 京都日出新聞

◇新年の寄席

芦辺館 文都松光枝太郎等の落語。平居館、紅梅館、長久亭何れも芦辺館連中の落語。

笑福亭 芝雀其他の落語。

明治4511日 神戸新聞

落語連 落語定席出演者は左ぼ如し。

敷島館 喬都助、大多福、璃喜子、千鶴、圓輔、小文、圓之助、桃太郎、福太郎、文我、謹吾。
戎 座 圓輔、圓次、圓三、美之助、圓都。
屋幸満 圓三、圓都、圓輔、千鶴。

明治4511日 名古屋新聞

演芸界 
末廣座 一日午後一時開場市川段四郎、市川門之助、片岡市蔵等東京大歌舞伎一座にて 
御園座 一日午後一時より浪界青年の大立物京山圓吉、桃中軒小雲合併一座にて初日は廿銭均一 
音羽座 例の荒木清一座にて 
寶生座 姉川仲太郎、璃昇、延鶴等の一座へ東京若手腕利の市川瀧太郎を加える 
京枡座 市川福升、嵐璃若、嵐猪三郎等の一座にて 
寿 座 中村芝十郎、坂東歌女蔵、市川升三郎合併一座にて花々しく開場 
中京座 衣装道具を新調して一日より開場。市川巴二十郎、中村栄三郎、市川八百郎の一座 
高砂座 澤村源蔵、嵐可香、市川玉十郎、中村松山一座 
富貴座 市川左莚冶、市川高昇一座にて花々しく開演 
福寿亭 大阪親友派の将廣澤虎造、京山光治、女太夫廣澤千代女の一座にて例の美しき咽喉を聴かすと 
正福座 福寿亭と掛持ちの廣澤虎造一派の上手揃い大一座なり 
開慶座 原鳳声、浪花家武雄、原小宝声一座にて昼は櫻井圓林の講談 
金輝館 革新浪花節の大立物伊藤高麗右衛門一派にて前座は総て若手の上手揃いにて高麗右衛門の読み物は加賀騒動と義士伝なり 
千歳座 浪界一方の立物たる宮川松安一派にて花々しく開演 
歌舞伎座 浪花節芝居桃中軒誠一座にて 
明治座 市川播谷一座に嵐栄十郎、市川歌女之丞を加えし大一座 
笑福座 大阪若手腕達者の尾上卯十郎、實川延郎、片岡當之助大一座にて 
朝日座 西川鍵女、西川鶴路、市川琴冶等女優大一座にて 
新守座 女浄瑠璃の泰斗竹本長廣一座にて長春、文字之助、長昇等の美人揃い初日十五銭均一 
春喜座 大阪中京合併浪花節畠山松雪、香川銀月一座にて花々しく開演 
富本席 春雨家雷蔵、春日一朝、三遊亭圓笑、曲芸花川助三郎、女剣舞敷島八千代一座にてお馴染の朝之助、蝶ン平、圓駒を加へし大一座にて開場。

清栄座 一日より昼は本社より緞帳を送りし港家秀蝶、同大夢一座の浪花節、夜は岩見新之助一派の新派劇 
東栄座(中津) 嵐雷子、阪東三津之助一座にて花々しく一日より開場 
新地座(四日市) 尾上和一郎、市川瀧太郎、中村時愛一座にて

明治4511日 徳島毎日新聞

演芸界 芽出たき今日の元日より花々しく開場せる市内における各興行物案内を揚ぐれば左の如し。

稲荷座 全市の人気沸くが如く開演を待ち構え居る本紙小説「情」劇はいよいよ本日午後一時より開場 
新富座 吉田奈良吉浪花節劇大常一座開演。元日当日入場料十五銭均一 
春日座 活動写真會 
高木館 新劇清酒劇一行 
  館 美人團芦の里女雲、山本松子一行の浪花節にて花々しく開演。女雲は義士傳を勤め大切は一座総掛合 
世界館 写真全部を取替え本日より三日間は昼夜とも開演 
朝日座 板野郡撫養(むや)町同座にて本日より浪花家蝦十郎、當昇一座の浮かれ節歌舞伎を開演 
曲芸 天神通商品陳列所建築地には衣笠商會の東洋技芸大會開演。大曲芸枝者エムスメールの重なる技芸左の
 如し。観覧料木戸八銭。中
蒲団賃共七銭の早い者勝。空中自由運動、人体軽妙術、新式伊太利の運動、同器
 械体操、空中一丁にて椅子の曲芸、同一丁シモクの頭立及び最新式サイカエー(二人回転大競争)

明治4511日 山陽新報(岡山)

新年の演芸
千歳座 新派劇成陵團一座にて今一日より
旭 座 女浪花節前田八重子一座にて開演
九重館 東京落語金馬一行にて本日より開演。三十六貫の芸妓照吉が呼物にて前景気好し
高砂座 新派正劇トンボ會一行
山陽座 革新浪花節吾妻家小圓、京山圓路一座
大福座 大阪親友派浪花節の廣澤菊春一行
世界館 活動写真
柳川座 新派劇

明治4512日 名古屋新聞

富本席 春雨家雷蔵一座は大好評にて本日は昼席もあり。其演芸種目は
△三日 落語をどり(朝好)落語玉乗(小兵衛)落語音曲(圓笑)剣舞(義司)落語音曲をどり(蝶ん平)西洋奇術(一朝)落語音曲手踊(圓駒)剣舞(八千代嬢)落語物真似(朝之助)曲芸(祐三楼)人情噺(雷蔵)大切一座総出。
△四日 東の旅手踊(朝好)たらちめ(小兵衛)剣舞(義司)牛ほめ並手踊(蝶ン平)錦名竹並奇術(一朝)天災並手踊(圓駒)娘剣舞(八千代)七段目並音曲手踊(朝之助)曲芸(祐三楼)落語(雷蔵)大切二○加

明治4512日 神戸新聞

子年の神戸人 落語家三遊亭圓都君 
円三新開地落語定席屋幸満に出演している落語家だ。生れは九州の小倉、父親は小笠原幾之進といって舊藩主の刀持ち、その槍一筋の若旦那で本名は辰五郎、当年二十七歳の子年とある。妊娠七ヶ月という月足らず産声を上げたのだから到底長命は難しかろうと小倉在の真宗行徳寺の小僧にされたのが十三の時、とても坊さんの修行は出来かねると僅か一年で寺を飛び出し、大阪の乾物屋へ丁稚奉公している内に芸事が好きでとうとう桂文枝の門人となり、文平の名前を貰って前座を勤めている内に、三遊亭圓馬の弟子と変り、名も圓都と呼びかえて今は真打ということになって居るが、感心なことには昔のことを忘れず今も数珠を手から離さず毎朝寺参りは欠かさぬというのも商売の一つの極意さ。得意とするのが「ステテコ」踊に落語では新作物も数多あるけれど「士族俥」が十八番。時々高座で「芋と米の説教」を演るが以前が坊主だけになかなか巧いとて客からも所望すれば本人も得意になって居る。この男道楽は酒も茶も飲まず、只女ばかりに浮身をやつしているとはアノ此慮な
醜(なぐさめ)坊主め。

<編者註>文章の内容と顔写真から橘家圓三(桂文平)の間違いと思われる。

明治4513日 山陽新報
三遊亭金馬一座・岡山九重館

九重館 三遊亭金馬一座の本日(三日目)の番組左の如し

田能久(金重)雇にん(金平)獅子の曲(金遊斎)天災(金勝)うかれ三番(小金馬)教育美談石子判作(談志)掛合はなし(金太)長唄曲引勧進帳ヴイオリン(福三郎)(福寿)天のしき(圓雀)浮世節(照吉)鎌倉音曲(松助)芝濱(金馬)

<編者註>113迄興行

明治4514日 大阪新報[広告]

浪花落語三友派 幹部全員出演

交代連 伊勢熱田神楽・寿獅子日出社々中 名古屋伊呂久・寿五人萬歳・伊呂久社中 久々御目見得・春風芝雀

三友派睦席 南地法善寺紅梅亭 船場平野町此花館 北新地永楽館 和泉町此花館 堀江廓賑江亭 松島常盤楼六方館 福島延命館

明治4519日 京都日出新聞
<京都市中の寄席・劇場一覧>

○寄席と劇場(一) 寄席、劇場の一覧  
 読者は既に御存じの通り各新聞紙は競ふて演芸欄を設け日々幕内の消息を仔細に伝へて居りますが、あれは新京極を主として一定の機関があつて何処も
〳〵版で捺した様な定り文句であるのを多少其の社に依つて筆を入れて取捨するのでありますから、其記事の出る席は毎日出るが出ない席は一寸も出ないことになつて居ります。無論麗々しく出す程の価値ある興行ものもない加減でせうが、数多い読者の中には何処に何如様な寄席や劇場があるかさへ御存知ない方もあらうかと思ひ、旁々新春の少閑を利用して私が観聴した寄席劇場巡りをお目に懸けることにします。然し前にも云つた通り新京極の総ての興行物は其の時々「えんげい」欄及び芸評に出るから成るだけそれとツカぬものを選ることゝしました。寄席劇場巡りを書く前に現下市内で開演しつゝある寄席及劇場を列挙すると実に左の五十七個所の多数に上るのであります。是れは即ち本月六日調べですが、市内七警察署所轄別にすると

 △五條 警察署部内に属するのが二十二個所で即ち、

  京都座新京極三条南入旧派演劇明治座同六角東入新派演劇、夷谷座(同六角突当り)新旧喜劇、日本館同六角剱舞笑福亭同六角落語世界館同六角活動写真、第一福真亭(同蛸薬師北入)浮れ節、第二福真亭蛸薬師北入)女義太夫、パテー館(同蛸薬師北入)活動写真、みかど館(同蛸薬師北入)活動写真、田村座蛸薬師南入武術大会芦辺館蛸薬師南入落語、当昇亭(蛸薬師南入)浮れ節、錦座同錦小路北入女義太夫大虎座同錦小路北入新旧笑劇第一八千代館第二新京極活動写真中央電気館第二新京極活動写真開盛座第二新京極旧派演劇三友倶楽部第二新京極活動写真常設館(同裏寺町角)活動写真、オペラ館(新京極錦小路南入)活動写真、歌舞伎座(新京極四条北入)活動写真

で最大数を占め、次ぎが

 △上長者町  警察署部内の左の十五個所であります。

  西陣座(大宮通寺之内南入)浮れ節、岩神座上立売浄福寺東入新派演劇第二八千代館千本中筋南入活動写真、広沢亭(千本五辻南入)浮れ節

  千本座千本一条北入旧派演劇西陣電気館活動写真長久亭千本一条南入落語、寿座(千本中立売北入東入)旧派演劇、京極座(同突当り)新派演劇、福廼家(同)浮れ節、末広座大宮通中立売北入旧派演劇福栄座猪熊通下長者町北入源氏節芝居紅梅亭堀川通丸太町北入落語、日本座(三条通千本東入)旧派演劇、松廼家(同)浮れ節。

第三に位するのが

 △堀川警察署で左の九個所を有して居ります。

  福廼家(新し町三条北入)浮れ節、玉廼家堀川蛸薬師北入)浮れ節、清水家大宮仏光寺西南角)浮れ節、松廼家(西通院松原南西角)俄、芝居、大内座花屋町大宮西入新派演劇宝座(大宮七条南入旧派演劇、富士廼家(同木津屋橋北入)浮れ節、丸廼家(猪熊木津屋橋南入)浮れ節、

余は松原、七条両署の共に四個所、中立売署の二個所、川端署の一個所を御披露に及ぶと

 △松原署部内

  南座四条大橋東入喜劇、森廼家(白河橋筋三条南入)浮れ節、駒廼家五條通大橋東入)浮れ節、梅廼家本町五條南入五丁目)浮れ節、

△七条署部内

 平居館新寺町五條南入落語、都座(間之町七条南入)俄、芝居、松廼家(間之町七条南入)浮れ節、七条館(間之町七条)浮れ節芝居、

△中立売署部内

  松之木座塔之段松之樹町)俄、春日座堀川下長者町東北角俄、芝居

△川端署部内

 熊野座熊野道二条北入新派演劇

是れで全部を網羅したので、未だ松原署部内に鴨東館があるぢやないかと仰有る方もありませうが、彼館は去年中で道路拡築の犠牲となつて取払はれたと御承知願ひたい。(洛)

〈編者註〉現在の京都市中の寄席と劇場が網羅されていて貴重。「寄席と劇場」は十三回連載された。落語席に関するもののみ掲げる。なお紙面の様式は一部変更した。

明治45110日 京都日出新聞
<京都市中の寄席・劇場の興行種類>

○寄席と劇場(二) 寄席、劇場の類別 
 前掲の興行種類を更に類別すると、
旧派演劇七新派演劇五、俄、喜劇七、浮れ節芝居一、源氏節芝居一活動写真十一落語五女義太夫二、浮れ節十六、武術大会一、剱舞一、計五十七 となるので、浮れ節が大多数を占めて居るなどは些か心細い次第と云はねばならぬ。然し夫れも仔細に調査して見れば此浮れ節が皆云ひ合した様に場末の寄席であることに思ひ至れば未だ〳〵一般に趣味の低い輩が多い事を推測するに難からぬ。亦夫れが相応の勢力を持してドン〳〵お客が詰め懸けるのだから何と理窟を云つた処が事実には勝たれぬから致方がない。其他の二個所は興行物の中心地とも云はるゝ新京極にあるのだが、是は他の十四個所中の稍や上乗なるもので共に浮れ節の定席である。

次ぎは活動写真の十一で其の中九つまで新京極にあるのは目下の一般観客の趣味が活動写真に走(は)せつゝある傾向を示したもので、果してそれが何時まで続くものであるか否やは自分の与り知らぬ所である。

旧派演劇の七つは初芝居としては較(や)や意気の昂らぬ方ではあるまいか。新京極に二個所、西陣に四個所、其の西陣がどれも是れも可成の入りを占めて居るのは芸題替が五日目と云ふ加減もあらうか。亦一面西陣が機業地として正月は恰かも休み月のやうに称へて放縦なる織子連の恣の歓楽に走る結果であらう。

次ぎは喜劇、笑劇、仁輪加を包合して七個所であるが、南座や大虎座の喜劇は立派な劇場であるから別として、他の小さい寄席の芝居は芝居として兎かく席の構造が完然して居らぬ結果、事実登場俳優は芝居の積りで演つて居ても警察署では夫れを許さないから止むを得ず万歳芝居とか仁輪加芝居とかの名称の下に動いて居るのである。新派演劇の五個所も又衰へたと云はねばならぬ。落語の五個所は芦辺館と笑福亭を本拠として他は其の駈け持ちである。女義太夫は新京極の独占で、剱舞に武術大会、是れまた新京極の占むる所となつている。

夫れは夫れとして、此の寄席及劇場に等級が定められて其の等級に拠つて税金の高低があることは誰しも知つて居ることであるが、果して夫れは甲座が一等で乙座が二等であるかを知つて置く必要があるから、夫れを説いて更に明治三十四年六月発布になつた府令第五十五号の劇場、興行場取締規則を摘記して夫れから巡覧記に移らう(洛)

明治45110日 都新聞(東京)

三遊連の台湾行 三十六貫芸妓を売物に関西地方を巡業中の三遊連一行は十九日神戸を出帆の備後丸にて台湾へ乗込む

明治45111日 大阪朝日新聞

◇北新地緑館は桂派落語の上に薩摩琵琶牧野光業出演。

明治45113日 京都日出新聞
<京都市中の寄席・劇場の等級>

○寄席と劇場(四) 劇場興行場寄席の等級

京都市役所では興行物を「劇場」と「興行場」と「寄席」の三種に大別して左の等級が付せられている。

先づ劇場の等級から云うと、一等 京都座、明治座、夷谷座、大虎座、歌舞伎座、南座(一坪年額金九円)、二等千本座、第二八千代館(一坪年額金六円五十銭)、三等寿座、開成座(一坪年額金五円七十銭)、四等岩神座、京極座、福栄座、末広ざ、宝座、都座(一坪年額金五円)、此十六個所で、更に興行場に移ると、一等日本館、世界館、パテー館、みかど館、オペラ館(一坪年額九円)で二、三等は今の所一個所もなく、四等第一八千代館、中央写真館、京都常設館(一坪年額金五円七十銭)、五等松廼家で、劇場と興行場は一坪年税幾何(いくばく)と云ふことになつて居る。

更に寄席に移ると、一等 笑福亭、第一福真亭、第二福真亭、芦辺館、錦座、当昇亭(年額金三十円)で二等に相当する寄席はなく、三等西陣電気館、平居館、駒廼家(年額金百四円)で又も四等は今の処なく、五等 西陣座、長久亭、広沢席、紅梅館(年額金七十八円)、六等 梅廼家(年額金六十五円)、七等松之木座、春日座、福廼家、松廼家、玉廼家、富士廼家、喜楽亭(年額金五十二円)、八等 森廼家、清水席、丸廼家(年額金三十九円)で、寄席は即ち年額幾何と定められて居て年に二分して四月、十月の両度に納税するのである。

然し是れは常設興行物で、仮設興行場は此限りにあらず、入場料定額の六十人分の日税である。此外に尚ほ遊覧所と云ふ名目に達磨落しや空気銃の店にも課税されて居ることは言を俟たずだ。(洛)

明治45114日 大阪毎日新聞

<三友派の席主、睦派(睦席)を設立する>

◇三友派の改革 利益均霑を罷めて自由競争 旧弊な支那にさへ革命あり、昔噺の落語界に豈に一洗濯なからんやと、今度浪花三友派は元老の桂文冶が孫と袁との二役を背負つて立ち、一改革を施す事となれり。

従来同派は南地紅梅亭、船場此花館、松嶋六方館、松屋町第三此花館、北新地永楽館、堀江賑江亭の六席が定席にて、同派連中は必ず右の六席を毎晩掛持ちする規則なりしが、それではヅルを極めて高座で不勤めする者までが利益の均霑(きんてん)で一向勉強心を起さず、延いてはお客の欠伸を買ひ、終には落語そのものが世間から飽かれて仕舞ふ破目ともなるので、所謂適者生存のむつかしい法則に従ひ、今回六定席は一旦三友派との提携を断ち、法善寺境内に同派の事務所を置て、コヽで出方其他一切の整理を厳重に励行し、又新たに睦席といふ寄席だけの同盟を作り、紅梅亭主原田を盟主にして、以来席主は三友派若くは東京の色物中より随意に選抜して自席に掛ける事となり、三友派連はめいめい力一杯を磨いて席亭のめがねに適ふやうに励み、高座で気を抜いたりお座敷のみを漁つたりせぬ厳重な規則を設け、席亭団とは即(つ)かず離れずの関係で両々新発展を講じ、替りまして替り栄のある成績を挙げると力味居れるが、一方に之に対する桂派は近来頗るシケ込みて、一向テキハキした活動振りを見せず、何んとなく寂莫として悪澄しに納まり返つて居る模様なるが、三友派愈々右の始末なれば、いくら老こんだ桂派だつて此際ジン〳〵端折か何かで一と威勢を見せぬではなるまい。

明治45116日 都新聞

桂小南
小南の電気応用 桂小南が大金を投じ電気応用で見せる落語は愈々十六日より四谷の喜よしにて三遊分派の幹部悉く出演し、その余興に演ずると。

明治45116日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地屋幸満 東京の橘の圓が曲芸春風亭一龍等を引連れて乗込み二月一日より生田前戎座と掛持興行

明治45116日 神戸新聞

橘三圓 東京三遊柳両派に出勤し居たりし橘三圓は来月一日より新開地落語定席屋幸満席と生田前戎座に出勤すると。

明治45117日 大阪時事新報

◇焼出されの芸人 …三友派の落語家にては笑福亭松鶴、同花咲、歌之助及び桂派の円馬、雀之助、福吾、俄師鶴屋団四郎等は何れも焼出されたり…。

〈編者註〉一月十六日、南の大火が起こり、約五千戸が焼失した。二月、堂島座や南地演舞場で罹災者義捐の目的で演芸会が開かれ、各派の落語家も参加している。

明治45117日 大阪朝日新聞神戸付録

生田前戎座 十七日より立花家千橘、三遊亭圓都一座の落語音曲。大切は滑稽仁輪加「無限の金」

明治45119 大阪朝日新聞京都付録

<桂小文三、調伏に遭う>

◇大虎座の色男竜田錦、朝起き抜けに桂小文三の家に飛び込んで「用意〳〵」と呼はつた。小文三狼狽へて何事と問へば、予て話し置いた通り錦座の義太夫連と伏見へ遊びの手筈が出来たといふ。小文三長い顔を縮めアタ嫌らしい細い声で「オーライ」と飛び出す。途中料理屋に廻つて御注文の折をと受取、五條の京阪停留場へ駆け付けたが、待つてゐる筈の姿が何も見えぬ。錦小首を捻りながら不審顔して、今一度迎ひに行つて見やう、取敢ず君はこの切符で中書島に降り後を追ふ某を暫し待ち玉へ。小文三細い声でまた「オーライ」。汁の垂る折を危ふ気に提げて、伏見の中書島を狐に誑された栗鼠のやうにキヨロ〳〵と小文三待つこと小半日、待てど暮せど錦を始め何者の姿も見せぬ。朝飛出したばかりで甚だしく北山を覚える。えゝいこの折をと開いて見ると、オヤ〳〵大変な御馳走じや、上は瓦で下は土、底に醤油がスウと塗つてある。偖は錦の調伏かと今更に知つたが取返しが付かぬ。ボンヤリ帰つて来て大虎座の楽屋を覗くと、錦真面目な顔で「寒おすえな、マアお入り」と一本先へ来た。小文三細い声で涙ぐんで「イエス・オーライ」

明治45122日 大阪時事新報

<竹本綱太夫と桂文左衛門>

◇滑稽百話 背の上から是は是は 南地の大火の当夜、焔の舌、今にも法善寺を一と舐めにせんず勢の物凄さに、境内に住む竹本綱太夫(前の津太夫)は中風症の悲しさ、「水難なら手近の金毘羅さんで済ますものを」と愚痴つて居ても仕方がない、さし当り清水町の大隅太夫の家へ避難しようと手伝人の背に負はれ金沢席の前まで来懸ると、丁度其の出合頭に落語界の元老桂文左衛門が、是れも情けある人の背に負はれて命からがら遁げて来た。互ひに顔を見合せて「やあ津サンか」「おう文左衛門さんか是は是は」と背中の上から名乗り合ひ、八の字の寄せる眉の上から、是は是はとばかり花の火の粉が一杯、すると弥次馬が「火事親父と二幅対揃つちや恐くて触られねえ」「お蔭様で既う腰が抜けてゐます」

明治44129日 都新聞

新派幹部連の天狗会 柳派の小さん、燕枝外数名は三十一日午後五時より神田の立花亭にて畑違ひの義太夫天狗会を催しねどこ会と称して重なる読み物は玉藻前三(文樂太夫)廿四孝四(小三治太夫)一の谷陣屋(さん馬太夫)白石七揚屋(紋太夫)柳燕枝太夫)酒屋(小さん太夫)三味線(友治、、蟻鳳)外気附余興数番

明治45129日 山陽新報
三遊亭円遊一座・岡山九重館

九重館 二月一日より三遊亭圓遊一行乗込む

明治45131日 大阪朝日新聞神戸付録

生田前戎座 一日より屋幸満と掛持にて橘の圓入道、奇術の一龍、曲芸の胡蝶斎、新派落語の三尺坊、手踊の三升等

上方落語史料集成 明治45年(1912)2月

明治4521日 大阪新報[広告]

浪花落語三友派 幹部全員出演 

交代連は各種変装歌舞露國帝室劇場俳優ユウア・ガリンスキー師 音曲東京連三升家勝次郎 東京茶番柳家錦枝 同梅枝 筑前琵琶名手高峰鶴子

三友派睦席 南地法善寺紅梅亭 船場平野町此花館 北新地永楽館 和泉町此花館 堀江廓賑江亭 松島常盤楼六方館 福島延命館

明治4521日 大阪時事新報

◇露国俳優の来阪 露国帝室劇場委員俳優ア、ガリンスキー、日本漫遊の目的にて東京に来り睦派に在りて俳優の変装技倆を見せ居たるが、今回来阪し三友派の睦席南地の紅梅亭、平野町の此花館、北新地の永楽館、松島の六方館等の懇請に応じ神変不思議なる技芸を演ずべく、一日より前記の各席へ出勤するよし。変装の早き事は約二分間にして英国美人と化し、次で清国人と替り、夫に順じて土耳古、印度、露仏と各国の人種に扮装し、其国々の風俗を映して舞踏を演奏するに極めて巧妙の手腕を発揮するといふ。

明治4521 京都日出新聞
<長久亭・付三友派の睦席について>

寄席と劇場(十三) 長久亭 
 又も西陣京極へ舞ひ戻つて千本中立売上る長久亭へ入る。此席は昨年十一月二十八日に新築落成式を挙げたゞけあつて未だ木の香匂ふ計りである。出演者は浪花三友派に属する落語家で京都では新京極の芦辺館を根拠として新寺町五條下る平居館、西堀川丸太町上る紅梅館と此席と四つの懸け持ちである。席主は北隣の糸屋長瀬で興行権は水本某の手に握られてゐる。坪数は七十余坪あると云ふが入場者定員数は僅か二百十八人、楣間に懸る扁額は確斎道人の筆で「極娯遊」の三字、眩ゆい計りの瓦斯は場内を照らして、襖と云はず二階と云はず見える所は皆網代組になつて居るのが際立つて見える。
 登場者は恰度枝太郎の出番の時で、例の間伸のした眉毛をヒコつかせながら頻りに愛嬌を振り蒔いて居たが、少しの喝采を博さず文都と雁首をさし換へるべく引き下つたが、替り合ひまして替り栄えが致しませぬがと断るまでもなく、既に此の西陣方面にも飽かれ気味の男だ。次の文都は受けたが、演題はお望みとあつて稽古屋であつた。
 水本某の語る所では今回関西落語家の団体なる浪花三友派も組織を変更し、同派に属する前記四座を始め大阪の紅梅亭、此花館、永楽館、賑江亭、六方館、延命館、第三此花館、神戸の敷島館等を通じて睦席と改め、同時に式を東京風に則つて事務所を設け、出演者を各級に分ち、給金を一定し、前記睦席の要求に応じて事務所より出演者を出席せしむることゝ決定し、二月一日から実行することゝなつたが、演芸の種目は従来の落語の外各種の高等演芸を網羅し、東京の常磐津松尾太夫一座、清元延寿太夫一座は交渉の結果既に出演を承諾し、その他杵屋兄弟の長唄、小円、奈良丸の浪花節の名手を始め呂昇、名瑠吉の女義太夫にも交渉する筈で、目下専ら奔走中で、亦演芸練習場を大阪三友派事務所に設け、専門の教師を聘して技芸の発達を図る一方在来の弊習を破つて落語家連中の老朽者は相当の扶助を与へて退隠さす相で、斯ふ万事整頓すれば各席の発達は勿論聴者も比較的廉価で各種の演芸の趣味を味へるので甚で結構なことである。(寛)

明治4521 京都日出新聞
<芝楽、笑福亭の席主となる>

◇笑福亭の新組織 既報の如く錦座と合併し新たに人気を呼ばんと計画おさ〳〵怠りないが、愈々本日を初日として蓋を開ける。落語側としては席主の芝楽その伜の白魚と女房の華嬢の三人で、他は錦座の団昇以下のお馴染の顔振である。笑福亭の今晩の番組は本蔵(氏雀)人情噺(芝楽)野崎(東之助)太十(広艶)寺小屋(小京)沼津(団広)合邦下(団昇)余興(白魚)酒屋(清枝)新講談(華嬢)七福神(掛合)
◇芦辺館は昨春非常の好人気であつた熱田神楽の日出社中の寿獅子が出演することになつたが、本月の出番順は
団昇、先太郎、枝女太、三蝶、円歌、枝雁、小文三、円笑、小米、小円太、大和、燕太郎、日出獅子、松光、蔵之助、枝太郎、小文吾、文都で、二日から堀川の紅梅館は芦辺館の直営になつたが、同館を始め平居館、長久館の掛持は例の如し。

明治4521日 神戸新聞

敷島館 本月の出番は左の如く。

 大多福、璃喜子、團輔、千鶴、新作、小文、圓之助、桃太郎、三八、楳林。大切総出にて喜劇「ピリケン大明
 神」

明治4521日 名古屋新聞

富本席 今一日午後一時より通俗教育講談にて夜は圓流圓都一座の落語なり本日の演題は落語(小兵衛)落語(流枝)芝居話(圓流)浪花の花(松團冶)物まね(朝之助)人情はなし(雷蔵)曲芸(祐三郎)新作話(圓都)大切(落語角力)

明治4522日 中国新聞(広島)

<三遊亭金馬一座・広島演芸館>

東横町演芸館には、彼の東京大阪にて評判となりたる體量(たいりょう)三十六貫目東海道戸塚の芸妓旭家の照吉を引連れて、人情落語東京三遊亭の金馬一行が乗込み、昨日初日を出す。

明治4523日 名古屋新聞

富本席 富本席 本日の演芸番組左の如し

 昼の部 左甚五郎(伊東燕情)柳生十兵衛(松林南林)義士伝(櫻井圓林)
 夜の部 玉乗(小兵衛)宗論(流枝)曲芸(祐三郎)六段目(松團冶)一分茶番(六流)七段目(朝之助)文
 違い(雷蔵)西行(圓都)

<編者註>桂松團冶のネタ11日「菊江仏壇」16日「蔵丁稚」18日「豊竹屋」19日「新粉屋」20日「百人坊主」21日「かみくづや」22日「網打」23日「親子茶屋」26日「景清」27日「ざこ八」28日「福天神」29日「夏の遊び」

明治4523日 伊賀新報(三重伊賀上野)

<林家正蔵一座・伊賀上野大江座>

広告/東京尋常昔はなし/大阪音曲手をどり軽口新内/文芸会長林家正蔵一座/東京新打橘家円菊外数名出演/本月一日午後五時より/大江座


大江座

明治4523日 山陽新報(岡山)

<三遊亭円遊一座・岡山大福座(九重館)>

大福座[九重館] 圓遊一行の落語今晩の番組左の如し。

 兵庫舟鮫の魅入り(遊楽)住吉駕籠(遊六)七重八重(遊二)狸才操り獅子(遊鶴)嘘付弥次郎(遊生)洋燈曲逆さ踊(遊京)伽花半七(遊丈)三社祭り浮世節(遊子、遊之助)たらちめ音曲ステテコ(圓遊)

明治4525日 大阪毎日新聞

◇三友派各席に出演する露国芸人のガリンスキーの変装歌劇は頗る珍だ。廿二分間に八回程各国風俗に変装し、コサツク踊をやるかと見ると忽ち変つて日本ゲーシヤに化(な)り、「夕暮にながめ見あかぬ」や「かつぽれかつぽれ」などをやる。寄席に恰好のもの。

落語 003

明治4527日 東京読売新聞

柳派圓の巡業 大阪より上京以来柳派に加わり居たる旧圓頂派の圓は今度各地方巡業を思立ち先づ横浜を振出しに同地へ乗込みたりと

明治4528日 大阪時事新報
<桂花咲>

◇色男の花咲 三友派の軽口を演つて居る花咲は、京都に出稼ぎして居る頃、七条新地西勝楼の娘お君を丸め込んで此方の人に化けて見たが、舅と喧嘩の揚句手切金を取つて引上げると、今度はお君が恋しがつて五百円の金を懐中にして舞込んで来たので、へん色男には何がなると朋輩の鹿共を羨ませて居る。

明治45211日 満州日々新聞

久しぶりの源氏節岡本美根松一座は、十日の福州丸にて乗込み来る十一日初日を出すべく

明治45213 台湾日日新報

基隆座の大寄 基隆座にては十一日より諸芸大寄を催すべくこれには落語講談其他台北より白鳳軒及び清元等の応援あり新渡台なる丸一朝太楼一派の曲芸も合同の由其顔触れ左の如し
 
落語たらちね(花燕)喜術(遊枝)掛合曽我の石段(連中)人情噺し(桂文朝)義太夫三勝半七酒屋(紫風)
 清元喜撰(清元連中)音曲噺手踊り(花遊)藤田伝三郎伝(貞玉)志度寺(白鳳軒)曲芸種々(丸一朝太楼社
 中)大切喜劇(総出)

明治45215 京都日出新聞

芦辺館其の他例の掛持席は十五日より左の通り出演。
 枝雁、燕太郎、円笑、小文三、小文吾、大和、小円太、歌之助、文都、仮女太夫、松光、小米、文三、蔵之
 助、枝太郎

明治45216日 大阪朝日新聞・神戸新聞

屋幸満と戎座 屋幸満と戎座を掛持ちせる落語圓入道一行は本日より左の出番とかえる。

 圓二、圓郎、圓光、圓助、かくざ、三筋、一龍、圓天坊、圓吉、小圓、胡蝶、三升、三尺坊、圓

明治45217日 大阪時事新報

◇露俳の前受 三友派の各席へ出て変装の早替りと各国の舞踏に喝采されて居る露国の俳優アガリンスキーは、端唄の夕暮や活惚などを覚えて「沖の暗いのに白帆が見えるアキタコラサ」と日本語まで調子好く真似るので、之が又莫迦に前受して居る。

明治4521718日 中国新聞(広島)

<三遊亭円遊一座・広島演芸館>

横町演芸館にて本日初日にて例の一圓遊事三遊亭自称圓遊一行が乗込む。(217

東横町演芸館は昨日初日にて、例の三遊亭圓遊一行「落語界の覇王」「三遊亭頭取」などと大きな熱を吹いているが、又一悶着持ち上がるべし。(218

〈編者註〉この円遊については、129日の同紙の記事に「・・・話は違うが、三遊亭の一圓遊が許されもせぬ圓遊を名乗って演芸館に乗込んだ時、本紙が素っ破抜いた処、向きになって怒っていたが、東京に帰ってから大悶着が持上がったのはツイ昨年の話だ」という記事あり。

明治45218 香川新報(高松)

みものききもの 
玉藻座(片原町) 吉沢商会活動写真 
世界館(同町)横田商会活動写真 
肥梅館(同町) 福宝堂活動写真 
戎 座(内町)奈良丸一座浪花節 
常盤館(兵庫町)春駒一座浪花節 
友楽座(田町)実川一座歌舞伎 
王子座(西通町)綾松美團新演劇 
祇園座(出晴)河合一座新演劇 
朝日座(栗林公園前)浪花節 
南新町空地 東京女大相撲

明治45220日 大阪時事新報 
<桂文三>

二千円は借用証書(一杯掛つた桂文三) 目下京都にゐる桂文三の許へ此程互楽派の根拠とせる天満の文芸館からの交渉人が行つて、「互楽派は三友派に圧倒せられて秋風落寞の感があり、折も折、今度文芸館の隣にある杉の木席が三友派に買はれることゝなりましたので弱り込んでゐるのです」との話。文三は今こそ桂派の頭梁であれ、昔の義理上其の杉の木席へ出ようと思つてゐた矢先であつたから、「それはまあお気の毒と謂はゞ謂ふやうなものですが」「オツト皆まで仰有るな、此際綺麗に二千円出すから何うかウンといつて私の方へ来て下さいな」「ほう二千円?それは真個ですか、実は俺も長病ひをした後の事ですから‥‥。」といつたやうな塩梅で、とう〳〵文芸館の方へ引入れてしまつたが、いざ給金の受渡しとなると「二千円は証書と引返へに貸して遣らう」「チエ無念、さては一杯掛つたか」。

明治45221日 大阪時事新報
<笑福亭松鶴>

◇勅題ではない薬代(松鶴悄然[しょ]げる) 十九日午後三時頃、梅田発九条行の第三十九号電車が北区船大工町大江橋北詰に差掛つた頃、後方からこれに飛び乗らうとして見事に大地に顛倒し、後頭部を太(したた)か打つて人事不省に陥つた男があつた。這(こ)は大変といふので、直ちに巡査のお世話で付近の別府医院に担ぎ込まれ応急手当のお庇で辛うじて大事の大事の一命を取返したまでは宣かつたが、「本署へ報告しなきやならんのですが貴方の住所は」「西区堀江市の側百三番地」「職業は」「落語家」「ナニ落語家」「ハイ三友派の人気者松鶴事森村米吉、当年とつて四十四歳─いや始終死歳で」と飛んだ悪落で其場を繕つては見た者の、思へば危いところであつたと吻(ほっ)と息、「これで松鶴は今年の勅題だいと威張つても居られない、ナゼつて勅題ではなうて薬代を取られたからナア」

〈編者註〉明治四十五年の勅題は「松上鶴」。なお318日に関連記事あり。

明治45222日 都新聞(東京)

三遊新派組合の組織 故圓遊の古参門弟一圓遊事瀧梅三郎は今回門弟二十余名を集め新派三遊組合を組織し自身頭取となり来る四月上旬某劇場で披露会催す由

明治45226日 大阪時事新報/33日 大阪新報

<桂燕太郎死亡>

◇桂枝南(ママ)の一子にて枝太郎の門弟なる桂燕太郎(二十八)は、京都新京極の芦辺館に出演中急病に罹り、廿四日午前八時死去したり。(大阪時事)

◇風の神と妥協 (前略)折から京都に興行していた落語家の燕太郎が風邪の心地と床に就き、ホンの四日か五日寝たばかりで生命に落が付き、古い落語を三途の流れに洗濯して冥土座へ乗込んだから、サア芸妓等は心配の上塗、もし風邪の神に貰いを掛けられたら薬瓶の目盛、横に引く春霞も見ずと花より先に散ねばならぬと俄に恐慌。転ばぬ先に医者という杖をつくもあれば、病まぬ前に振出しを浴びるもあり、多くは一方に神仏を祈って一方に風邪の神と妥協中。(大阪新報)

〈編者註〉『落語系図』桂枝太郎の弟子の項に「燕太郎 枝雁の忰なり」とある。

上方落語史料集成 明治45年(1912)3月

明治4531日 大阪新報[広告]

浪花落語三友派 幹部全員出演

交代連は筑前琵琶高峰筑豊 同少女高峰鶴子 東京音曲噺橘家三好 久々帰阪豊竹假女太夫 

三友派睦席 南地法善寺紅梅亭 船場平野町此花館 北新地永楽館 和泉町此花館 堀江廓賑江亭 松島常盤楼六方館 福島延命館 天満天神境内杉の木

〈編者註〉三月より杉の木(席主・下村竹次郎)が三友派に加入している。

明治4531日 大阪朝日新聞

◇三友派各席に一日より従前の一座の上に琵琶の高島筑風、同鶴子、東京音曲橘家三好。猶天満杉の木席は以後三友派に加入する。

◇京町堀第二松の亭は一日より桂派落語にて開場。

〈編者註〉第二松の亭は女義太夫の呂昇の席。

明治4531日 大阪時事新報
<三遊亭円馬>

◇円馬元気づく 桂派の総巻軸に据えられて居る円馬は、お嬶の骨折(ほねおり)で三千円を神戸の某銀行へ預け、利子が好いからと楽しんで居た効も無く、その銀行は忽ち破産となつて漸く三百円を受取つて泣寝入、何時も〳〵愚痴の種であつたが、先頃の南の大火に又黒門の家を半焼にされ、之は損の上塗かと悄(しょ)げ込んで居ると、予て約束してあつた保険の二千円といふ者がゾロリと入つて来たので、火災屋さんは談(はな)せると此頃大いに元気づいて来た。

明治4531日 大阪毎日新聞
<曽呂利新左衛門>

◇落語家曽呂利新左衛門は来る四月を以て四十年来の落語界を退隠し、いよいよ本物の画家先生と成り澄し、丹青と共に持前の茶気をますます発揮するさうだ。これを聞いた京都の松年画伯は、退隠しても百まで踊りは忘れるなとの意味で雀の図を描いて贈つた。新左衛門大喜びで、この図を引祝ひの扇面にするといちびつてゐる。

明治4531日 大阪新報

<桂文吾と桂米団治/米団治の「解やらぬ下の関水」を聴く>

落語三友派の新進中で、近来滅切り技量を上げ、前受は兎に角聴巧者の定連をして耳を傾けしむるように成つた者が二人ある。

曰く文吾、曰く米團冶。

調子の上からは文吾は拮屈、米冶は流暢。而してその拮屈には皮肉な味があり、その流暢には活々(いきいき)とした艶がある。之れで文吾の方が気合を抜かさぬ工風が添ひ、芸を引締る力とノンビリした余裕とが出来、米冶の方は持味が極つて落着と情愛とが生ずれば、共に立派な真打株として立てる。

偶々米冶の「解やらぬ下の関水」という京阪風の人情噺を聴いて、彼の技量を認めるには適当な演物であると近頃面白く感じた。

一体この噺は現代の曾呂利が作つたので、可成に長い続き物、始終下座が入つて芝居懸りに出来て居た。それを時節柄、メリヤスの合方でもあるまいと、米冶は宛然(そっくり)素噺の格に改めたが、之では単に筋を運ぶというに止まり、下座と相俟(あいま)つて生ずる此の情噺の味が沒(な)くなる道理だ。

次には場所が下関の稲荷町であるに拘らず、純然たる大阪の世界になり、その土地の色なり匂ひなりが些(ちっ)とも出て居ない。言葉の裡(うち)にも「日日(ひじつ)」だの「返り返事」だのという聞き苦しい箇所があり、母親のお熊といふ人物も悪党の腹にならず頗る筋の通つた老婆としか受取れない。蓋しお熊がモツと毒々しうなければ後の殺し場が引立つまいと思ふが、その殺し場は聴いて居ないから論にならず。米圑冶たる者今が大事だ、芸道修業は真面目に真面目に。

明治4531 京都日出新聞

芦辺館は本日より曾つて東京大阪で好評を博した露国帝室劇場付俳優ア、ガリンスキーの変相変体舞踊で、二十分間に七面の変相だと。其の外東京より船遊亭しん橋、宝集家金の助が出演し、久々にて桂文吾、桂文三も出演すると。其の出番順は円歌、円之助、枝雁、小文三、桃太郎、円笑、三八、小円太、枝太郎、金之助、大和、小米、文三、ガリンスキー、しん橋、文[文吾]。
◇笑福亭今晩より芝楽、しら魚の外、更に梅朝、正太夫が加はる
鳴戸(東之助)笹引(広艶)蝶八(小京)沼津(団広)太十(清枝)堀川(団昇)対面(大切懸合)

明治4531日 大阪朝日新聞神戸付録

<桂三升改め三代目橘家圓三郎>

新開地屋幸満 落語橘の圓入道一行は好人気につき本月へ持越し更に若遊三、若明、しん楽等の新手を加え、尚三升が三代目橘家圓三郎、三筋が圓二郎と改名披露を為すと。

<編者註>三升と三筋は兄弟ではなく、共に三輔で弟子であった。

明治4531日 名古屋新聞

富本席 今晩より東京柳連の花形桂柏枝を招き引続き開演今晩の演芸番組は天災(小兵衛)二人ぐせ(都ン助)よかちょろ(遊生)新講談(圓枝)曲芸(祐三郎)蛙茶番(朝之助)宮戸川(雷蔵)改良落語(柏枝)大切総出

明治4531日 中国新聞(広島)

中島鶴の席は今一日より清国人華玉川の音楽手踊と落語女道楽宝家金之助の合併一座にて毎夕六時開場

明治4532日 大阪時事新報
<曽呂利と金原亭馬生

◇馬生と曽呂利 三友派の金原亭馬生は何時も「義士銘々傳」の一節で前受を狙つて居る。即ち新旧の熟語に軽妙な駄洒落を混ぜる行方だから客の方でも席主側でも頗る気受が好い。一夜曽呂利新左衛門窃かに聞いて、アヽ猶且俺達は時世に後れて居ると、いよ〳〵落語界を見限る気になつたといふ。

明治4533 京都日出新聞

露国の珍客 東京大阪で好評を博した露国帝室委員俳優ア、ガリンスキー(二十一年)で、今回芦辺館主が大奮発で招聘し一日から連夜出演して喝采に迎へられて居る各国の変体変装数百種の内毎夜二十分間奏楽に連れて数番の歌舞を行(や)るが其体躯のこなし、手足の使ひ方は頗る巧妙で眼の働きは鋭い楽屋での変装準備は僅に二分間とは機敏なものだ露人とは云へ極く矮躯(こがら)日本語も操り殊に愛嬌と瓢軽とは一段と看客の腹を撚らせ且喜ばせる

明治4534日 大阪毎日新聞

<曽呂利野晒の色紙>

◇浪花座出勤の我太郎は眼が悪くて野晒悟助の丁稚三太郎一役、なに眼がつぶれたつて舞台は休まないと気張つて居る。此三太郎当年十一歳、なかなか自我がある。過日楽屋で誰かゞまむしを買へとからかつたが、我太郎笑つて居ると、落語家の子やと少し冷笑したので大に憤激、我太郎忽ち下足番にいひつけてまむし二十七を取寄せて大に楽屋を賑したが、後で親爺の曽呂利の家ではまむし屋から勘定をいひに来たので、誰のあつらへかと驚いたが、我太郎憤慨のわけを聞いて新左衛門膝を打ち、「我太郎よ負けるな曽呂利これに在り」。 
        

落語 002

〈編者註〉掲出の色紙は三月八日付「大阪毎日新聞」に載ったもの。「野晒になつて念なしかゝり凧 そろり」。

明治4534 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館出勤露国帝室劇場付俳優ゴリンスキーの演芸といふのを見る。大阪では満都の人気を集めたといふが、口元と眼の色には外国人特有の愛嬌を湛へて片言の日本語が先づ罪なしに愛らしい。変装早替りの各国踊が独特の技芸で、最初露国中古の美人、王冠を戴いた姫になつてシヤナリ〳〵ダンスを踏む。フイと飛び込んだと思ふと直(じき)英国の水兵になつて一寸活溌を見せ、三度目が仏蘭西の乞食で、四度目が支那人、亜米利加婦人が野辺に蝶を追ふやうな形があると、最後に日本の振袖を着て「夕暮」と「活惚」を踊つた。足許軽く、腰付ユタリと一種のダンスを見せる。眼色と毛色の変りましたる所に変り種の可笑しさがある。

新顔には常磐津の宝集家金之助、真生改めしん橋の江戸落語、トリには久し振に文吾が帰つてシンミリと大阪落語の渋味と軽さを味はす。そのとり〴〵に弥生の三友派はよい顔触を作つている。

明治4535日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地屋幸満 橘の圓入道は月が変わっても人気の落ちぬから蛸が茄子でも占めたようにホクホクもの。一座は相変わらず曲芸のうまい胡蝶斎、博多節と琵琶歌の上手な三尺坊、それに噺の達者な圓三郎兄弟が車輪に遣っている上に今度五年振で若遊三が乗込んで歯切のよい昔噺と小気味よい舞を遣っているから益々大受け。

明治4535日 満州日々新聞

花月席 大阪桂派の若手揃いに美人の新内を差加え初日より大人気大入なり。五日の番組は落語手踊(桂桃太郎)源氏節小倉判官(岡本美根松)浪花落語手踊子誉め(桂千雀)源氏節白木屋(岡本美根由)浪花落語大名(桂柳枝)掛合囃忠臣蔵三四五六(桂次郎坊、桂太郎坊)東京落語音曲手踊(古今亭しん蔵)浪花一流新内三十三所壷坂澤市内の段(鶴賀呂光)浪花落語音曲獅子の曲芸(桂文蔵)大切喜劇柔術娘(桂派総出)

<編者註>42日迄興行

明治4536 大阪新報

<金原亭馬生の芸評>

◇金原亭馬生は単に三友派中の異彩をいうばかりでなく、関西落語界の怪物である。旧式の材料に新趣味の滑稽を加え、平凡な話題(はなし)を斬新に、而(そ)して奇警に変化させる処が、乃ち怪物独特の怪妙、他には類と真似人(まねて)がない。併しその怪妙は渠の技芸の全体に亘るのでなく、次から次へと転々挿入される所謂新しい洒落の力にあるので、若しこの洒落を除去(とりさ)つたとすれば、馬生の地の芸は殆んど何等の価値もない物だ。

一例を挙げると「鉄道も愈よ中央線が開通しました。信州では名高い川中島に停車場が出来まして、謙信が切符を切るてえますな、ソコで信玄は……弁当を売ります信玄弁当ツて」「大和の長谷寺が炎上しました。誠に惜い事で、長谷寺なぞは日本の古刹と申します。大和こさつから火がでたので」等はその上乗なる物、新しい出来事を如何にも巧(たく)に洒落のめして居る。が、この巧妙な洒落は聴衆(ききて)の程度によつて當りもすれば外れもする。所で一度外れた日には無残や渠の芸は呼吸が崩れて無茶〳〵に壊れる。要するに馬生の芸の生命は洒落のサゲ口にあるので、茲を外さず聴衆の方から息を合せさへすれば妙ます〳〵妙、芸が溌剌として活動する。兎に角、とは謂ふ物の、漸々(おいおい)高座に落着きが出来、彼の能弁に余裕を生じたは将に円熟の境に入つたのだ。怪物は何処までも怪物として永く斯道のために珍重したい。

明治4538日 大阪時事新報

◇尼になるげな 故人となつた藤原重輔や三友派の席主連の尽力で南地の法善寺前に料理屋を開業した例の松川屋妻吉は、食客の画工と浮名を流した為に肝腎の商売は上つたりとなり…家…は売物に出したといふ事…。

明治4538日 北国新聞(金沢)

<三遊亭円駒一座・金沢一九席>

一九席 本日より東京落語三遊亭圓駒一座にて開演すべく。番組左の如し。

 昔ばなし(駒之助)落語手踊(扇遊)落語曲芸(亀三郎)手品(正玉)音曲ばなし(小圓冶)昔ばなし手踊(蝶平)人情ばなし(圓鶴)女剣舞(八千代)昔ばなし(松團冶)滑稽昔ばなし、音曲手踊(圓駒)茶番(大一座)

明治4538日 山陽新報(岡山)

<三遊亭金馬一座・津山新地座>

新地座(津山) 同座にては東京落語三遊亭金馬及び旭家照吉の一行を聘し去る六日より開演居れり。

明治4539日 神戸新聞

神戸新聞十五周年広告 
▲劇場 大黒座、歌舞伎座、相生座、柳盛座、明治座、千歳座 
▲寄席 屋幸満(落語)、大和座(浪花節)、湊座(演劇)、敷島館(落語)、菊廼舎(浪花節)、菊廼亭(女義太夫)、戎座(落語) 
▲活動写真 朝日館、桂座、栄館、帝国館、松本座、錦座、世界館、萬国館

屋幸満と戎座 落語席屋幸満及び戎座は、若遊、若明、ゑん楽、圓二、圓弥、圓郎、圓光、しん楽、一龍、かくざ、圓二郎、胡蝶斎、圓天坊、三尺坊、圓三郎、圓吉、小圓、圓等の一座にて、(神戸新聞五千号記念)割引値段は「屋幸満」が木戸十銭、平場十三銭、座敷十五銭。「戎座」は木戸八銭、平場十銭、座敷十三銭。

明治45310日 大阪時事新報
<末広家扇蝶>

◇発狂に非ず 三友派の扇蝶が恋女房に死別れたので、此頃の那(あ)の様子は必然(てっきり)気でも‥‥といひたいやうに抜上つた頭に黒油を塗り立て、赤裏の羽織に赤色の紐、驚かざる者なかりけりといふ有様だが、実はツイ近く内証で些と小意気な嬶を貰うて一人悦に入つて居る次第と分れば、イヤ芸人に年は無い。

明治45310日 大阪朝日新聞・神戸付録

明石の演芸界 大西座は紀の国屋一座の浮かれ節、八雲座は関東太郎一座新派劇、三白亭は豊沢此助一座の義太夫、大黒座は淡海一座の喜劇。

明治45311日 大阪時事新報
<曽呂利、引退と決っす>

◇曽呂利退隠と決す 曽呂利新左衛門は本月限り三友派の各席に出してある招き看板を下す事にした。その引祝は扇子一本、手拭一筋、それに「皆様の御心配を仰ぐは心苦し、明日よりは老後の楽しみ、画家となつて漁仙は故人米遷翁の筆跡を学びしもの、哀れ旧知を思召さば引祝の筵に揮毫の御申込み願度し」との摺物を添へて両三日の内に知己の手許へ届けるとの事。彼や落語界に入つて四十八年を経た名物男だ。

明治4531112日 山陽新報

<三遊亭金馬一座・岡山大福座>

大福座 十二日より八日間東京落語三遊亭金馬一行にて興行し、今回毎夜座敷茶番一幕づつを加える由。(311

◇[広告]當三月十二日ヨリ毎午後五時開会/新西大寺大福座/春季大演芸会 東京落語三遊亭金馬一座/大切ニハ東京座敷茶番毎夜一幕宛差替/入場料一等二十銭、二等十五銭 八日間日延べなし。(312

明治45311日 中国新聞

<三遊亭遊朝一座・広島中島町鶴の席>

本日初日にて中島鶴の席に東京落語三遊亭遊朝一座開演す。

明治45312日 大阪時事新報
桂文治

◇帯に締りがない 桂文治は俺も三友派の総後見で桂家では七代目の家元だよと下手な幡随気取りで居るので何時も前座連からチビリ〳〵と小遣をいたぶられる。乃(そこ)で近頃一計を案じて、何(ど)うも年を老ると帯にまで締りがなくなり紙入が持つて歩けぬと、親父中々巧く逃を張るので前座連頗る失望。

明治45313日 大阪時事新報

◇第三此花館主変る 南地法善寺の紅梅亭は三友派の寄席で何時も満員を占める好景気なので、組合席主からの勧告もあり、兎角に寂れ勝の松屋町筋の第三此花館を買収し、十日に登記を済したから、場内に改良を加へて斯道の為に尽し、且つ発展するとの事。

〈編者註〉六月に東紅梅亭と改称して開館する。

明治45313日 中国新聞

柳座 清国人華玉川一行の奇術音曲

明治45315日 都新聞(東京)

二代目圓遊 三遊亭小圓遊は四月上席の両国立花家と芝の玉の井で二代目圓遊と改名なすに二三日前大根がしの三周及び三遊社中故圓遊の遺族との交渉も済みたりと

明治45315日 名古屋新聞

富本席 今晩より従来の一座へ桂文楽を加え同人得意の記憶術と物真似を演ずる由。

たらちめ(小兵衛)掛萬(都ン助)山崎屋(遊生)新講談(圓枝)天災(朝之助)宮戸川(雷蔵)音曲ばなし(伯枝)記憶術物真似(文楽)大切(総出)

明治45316日 神戸新聞

屋幸満 落語定席屋幸満の出番は本日より左の通代る

 若明、文之助、歌八、萬才、菊團次、文次郎、萬次、若遊三

明治45316日 大阪朝日新聞神戸付録

◇新開地敷島館 久しく休場なりしが、造作を加えて新たに落語定席となし屋幸満に出演し居りし橘の圓入道及び圓三郎兄弟、博多節の巧い三尺坊、曲芸の達者な胡蝶斎などが楯篭もり十六日より華々しく開場すると。

明治45317日 神戸又新日報

湊川敷島館 新開地切っての売れっ子橘の圓の落語音曲連大一座は十六日より敷島館へ相変わりましてお目見得、但し生田前戎座と掛持ちにて、出番左の如し

 圓二、かくざ、一龍、しん楽、小文、圓光、圓光、圓天坊、胡蝶斎、小圓、三尺坊、圓三郎、圓二郎、圓

明治45317日 神戸新聞

屋幸満の番組 新開地落語席屋幸満本日よりの番組は左の如し

 大阪落語(若之助、常助)東京落語(若明)一口問答(文之助)新真似(歌八)大阪落語手踊(萬歳)新落
 語(菊團次)大阪落語音曲(文次郎)曲芸(萬次)東京落語手踊(若遊三)

明治45318日 大阪時事新報
<笑福亭松鶴>

◇松鶴坊 三友派の落語家松鶴は此間電車から転げ落ちて既に一命も危かつたが、まだ劫が滅しなかつたか助かつたので、此上は坊主になつて罪滅しをすると発心したが、さてクリ〳〵坊主では稼業が出来ず、然りとて家に燻つて居ては鼻の下が干上る訳と、一見入道の如く至極短く刈込んで、エヘ〳〵皆様のお慈悲の袖に縋つて命拾ひを致しました、之まで多く女子さんを迷はしました報(むくい)と存じまして恁(か)くの通りと頭を見せてニタリ〳〵、可厭(いや)な奴だ。

明治45319日 都新聞

紛擾後の三遊派 頭取の改選後小南一派との軋轢も漸く納まりたるに独り圓喬は例の三木助問題より今尚小南派との折合悪く是には新頭取の圓蔵も頭を痛め居れりと

明治45319日 大阪時事新報

◇出雲芸者 三友派の寄席も何時も〳〵代り栄えのせぬもの許りでは客足が惹かれず、現に桂派に居る円馬でさへ噺は上手と分り切つて居るけれど根から歓迎されぬ世の中だから、何でも目先を代へるに限ると、紅梅亭の主人は詮議の末、出雲芸者の音曲で一番落を取らうと同地へ出懸けた。イヤ何にしても銭儲けに愚かはない。

明治45320日 北国新聞

<三遊亭円駒一座・金沢小福座>

小福座 本日より東京落語三遊亭圓駒一座にて開演すべく番組左の如し。

 御祝儀影芝居(楽屋連中)道中二人旅(駒之助)音曲手踊(扇遊)四人癖曲芸(一朝)日本手品(正玉)三枚起請手踊(蝶ン平)娘剣舞(八千代)松原あそび(松團冶)音曲手踊(小圓)御座り奉る、手踊(圓駒)

明治45320日 徳島毎日新聞(徳島)

<三遊亭金馬一座・徳島緑館>

緑館 三十六貫大女旭家照吉の加入せる東京落語三遊亭金馬一行はいよいよ本日乗込み、花々しき町廻を為し、午後六時より初日開演今晩の演題左の如し。

 安産(金重)王子の太鼓、扇子の使分け(圓雀)弥次郎兵衛(金平)獅子の曲(金平)音曲手踊(小金馬)教育美談(談志)手踊(松助)清元山姥(金太)浮世節鎌倉節(照吉)掛合噺手踊(金太)子宝(三遊亭金馬)大切一流新作喜劇「借金払い」一座員総出

<編者註>329日迄興行

明治45322日 大阪時事新報

◇高座瞥見 桂派の寄席でヴワヰオリンを聞せる石村松雨は、此頃余興として洋服の上へ黒紋付の着物を被てお嬶らしい女と少婦(ちび)とを連れて笛や太皷で囃し立てるが誠に拙い。又松雨と前後して駒千代といふ七歳の小娘が奈良丸写しのチヨンガレをやるが、十五分間を飽きさせぬ腕は能く人を喰つたものだ。

明治45322日 大阪朝日新聞神戸付録

改名披露諸芸会 神戸中検の幇間三孝楼は今回桜川寿楽と改名したるにつき其の披露祝いとして二十四、二十五の両日午後四時より神港倶楽部において三府諸芸会を開く。初日の出し物番組は左の如し(入場料五十銭均一)

 軽口(曽我廼家連中)大磯五郎(桜川ゆきえ連中)西洋手品(萬国斎)北州先年桜(たつえ他二名)たらち
 女(若遊三)芸妓の真実(曽我の家連中)宝船(幇間連)大江山戻橋(芸妓連)四季三番叟(芸妓連)山寺
 (鶴亀豆六)帯屋(源太夫、勝市)五人返り(圓太郎)長唄(芸妓連)小唄物まね櫓太鼓曲引(東京柳橋桜
 川三楽)

明治45323日 大阪朝日新聞

<三友派の凋落①>

◇三友派の末路 落語だけでは遣り切れぬ 市内の落語席は場末の組合外のものを除いて三友派が八席と桂派、互楽派が各四席を締て十六席、これへ出る落語家が二百七十余人からある。この三派鼎立の源を尋ねると今から二十年前、北堀江賑江亭の主人であつた藤原重助が音頭取りとなつて今の三友派を起し、桂派と対峙するに至つたのが抑もの始まりで、昨今東京で遣り出した落語家の月給制度も既に此の時に定めたのである。又互楽派はその後松島の文芸館主長田為三郎が設けて今日の状態となつた。

處(ところ)が三友派では先年藤原が死んで紅梅亭の席主原田正橘と六方館主浅野熊太郎との二人が提携し、紅梅、此花、永楽、第三此花、賑江、六方、杉の木、延命の八席を統べ、兎にも角にも大阪の落語界を半分し来つたが、名人は凋落する、人の好みは漸く落語界を離れる、おまけに見物料が高いので自然浪花節や活動写真に圧倒される。そこで各派共次第に色物を入れ出した。

夫や此やでさしも繁昌した三友派もこゝに組合を解散せねばならぬ破目に陥つて、今度三友派の名を睦派と改め、三友演芸仮事務所を難波元町に設けて落語の外浄瑠璃、新内、常磐津、長唄等色気タツプリの何でも厶(ござ)れ本位で、所謂ヘタリものの興行法を採ることにし、芸人から身の振方を申込めば太夫元となり、売付けもすれば、又歩(ぶ)で周旋もして、一座の顔を新しくすることを努める。

尤もそれには設備も要れば規約も作らなけらばならぬので当分は前通り落語で遣るが、近々解散披露をすると同時に三友派の元祖藤原重助の仏事を行ひ記念品を遺族に贈る。又落語家中の老人株にはそれ〴〵功労に依て慰労金を出す。そして原田、浅野等の計画によると睦派を五万円の株式組織にして種々の芸人を一手に占めて寄席の松竹会社とまで発展しやうといふので、既に原田は数日前から東京へ行き、三遊、柳の両落語をはじめ東京の各芸人に渡りをつけ、仮契約を結んで二十一日帰阪した。組織の変更もよいが、要は入場料を廉くして面白いハナシを聞かせるにある。よく気を付けろ。

明治45324 大阪新報

<円頂派の橘ノ圓>

◇落語界に橘家圓という男がゐる。三遊亭圓馬の実弟にして、故圓朝門下の新進、その前名を圓三郎と称し、嘗て桂派の高座に碁盤踊を演じたは、余り遠からぬ過去であつたと記憶する。半頃圓頂派の首領を以て任じ、当り歳の南瓜舟宜しくで地方を巡業し、髭を生して東京へも乗込んだが、近くは更に一派を組織して神戸の敷島館に旗幟を翻しつゝある。宜くつても悪くつても、必ず鶏口たらざねば措かぬ渠は落語界の野武士である。芸壇の荒法師である。恁(こ)の荒法師が率ゆる部下は悉く烏合の衆にして、芸の戦争は大将自ら陣頭に立(たつ)といつた塩梅、一座の運命を自己の技量に負て奮闘する、而(しか)も当年の衒奇(げんき)は脱したが尚、満々たる野心は円い頭に光つて居る。

「袴着の祝ひ、俄盲目、大仏餅」といふ古い三題噺を聴いた。落付いた裡に寂があり、渋味が在り、恰も京伝か三馬の洒落本の一節を読むと同じ感じで、確かに江戸時代の空気が通つて居た。口調宛然(そっくり)圓馬に似て、彼(ああ)枯切れない代りに艶が籠る。蓋し皮肉な呼吸一つで聴かせる恁(こ)の噺がそれだけ深く当夜の聴衆(ききて)に受けたか什麼(どう)かは問題だ。柏善と云茶人の乞食が初め何處(どこ)に居るのだか、大家の門口に居るとすれば主人との対話に無理がある。大仏餅のサゲも現代(いま)の聴衆には解り難いが、兎に角時代風俗の□として永く伝へたい話題だ。

明治45326 大阪新報

<三友派の凋落②>

◇桂派の凋落に搗(か)てゝ加へて近く三友派の互解といふ事は、其一面において大阪落語界の末路である。名人大家悉く逝きて、後進師弟に嘱目すべき才器なく、徒に色物のツマとなつて滅び行く命を、大阪仁輪加、大阪講談のそれに較べて更に一段と感なくんばあらず。芸苑の名物は恁(こう)して一つ宛葬られ去るのだ。その原因は芸に権威を有(もた)ぬ事、高座の不真面目な事、研究を怠る事、給金を貧る事等である。此上は唯その末路の極を早めるか否かの問題、現今の状況に徹しては復活の機運なぞと思ひも依らぬ。

明治45326日 中国新聞

演芸館(東横町)今晩初日として東京大阪落語演芸大会毎夕六時開演

明治45329 大阪新報
<中村翠湖の安来節>

◇桂派の高座に中村翠湖という女芸人が居る。筑前琵琶を本芸として立者らしいが、其琵琶の巧拙といふ事は姑(しばら)く第二の問題として、余興に安来節の鰌掬ひを踊る。蓋し当人は本芸よりも寧ろこの方が得意らしい。而してその痴情醜態殆ど言語に絶たる動作を以て客に媚びる。茲に到つて芸人の堕落も最(も)うそのドン底に達した。比較的上流の客種を迎えつゝある落語の高座も、江州音頭の舞台と何等の擇(えら)む所がない。其猥褻卑劣、憎いとよりも寧ろ憐(あわれ)まざるを得ない。

同じ蓮葉でも、莫連でも、米玻なぞは芸を芸として演じる。お客を相手に巫山戯(ふざけ)たり洒落たりしても垢抜がして居るから気障でない。況んや芸に掛けては稍道楽気は存すると雖も、真面目といふ事を忘れない。勿論両者の技倆には懸隔(かけへだて)がある。直ちに以て比較しやうとは云はないが、高座の勤めは同じ事、換言すれば翠湖の踊は尠くも桂派の品位を傷つけ、沽券を破り、或る意味において神聖でなければならぬ芸の舞台を汚す物である。

斯の点において三友派の喬之助は稍無愛想に過ぎる嫌ひはあれど、飽まで技芸本位を守り、金之助にせよ、女らしい態度を失(うしな)はない。喬之助にせよ、金之助にせよ、皆そうである。真面目である。それでなくて何(ど)うして芸術の価値が保てやう。愚なる翠湖は己れの芸を己れに滅(ほろぼ)して居るのだ。

明治45331 京都日出新聞

芦辺館は明一日より東京の立花屋三木助、大阪の春団治が新加入するが出演順は都鶴、千鶴、円歌、円之助、小よし、小円太、枝雁、桃太郎、円笑、枝太郎、しん橋、蔵之助、小文三、金之助、三木助、春団治、大和 尚例の通り平居館紅梅館長久亭は掛持
◇笑福亭今晩の語物は
日高川(東之助)先代(広艶)百度平(小京)宮守酒(団広)中将姫(清枝)沼津(団昇)

金馬明治45年明治45331日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<三遊亭金馬一座・姫路楽天座>
楽天の出し物 竪町楽天は、いよいよ三十一日より三遊亭金馬一門にて開演の筈。初日の番組は安産(金重)弥次郎(金平)獅子の曲(金遊斎)篤々籠(金勝)音曲手踊(小金馬)教育美談(談志)掛合噺手踊(金太)王子の太鼓扇子の使分(圓雀)浮世節鎌倉節(照吉)清元山うば手踊(松助・金太)子宝(金馬)大切一流喜劇「借金払」(総出)

明治45331日 神戸新聞

<新開地多聞座、劇場となる>

多聞座 湊川新開地多聞座は本年一月より実施されし興行取締規則により劇場となすも差支えなきこととなりしかば、かねてその出願中なりし処今回愈々劇場の許可に接したるより四月以後はすでに劇場式により大小道具其他にも改善を加え来る五月同座改築二周年の祝日と共に劇場を開演すべく目下俳優選定中なり。

上方落語史料集成 明治45年(1912)4月

明治4541 大阪新報[広告]

浪花落語三友派 幹部全員出演

交代連は曲独楽松井源水 清元立花家朝次 同歌子 東京音曲噺三遊亭圓璃 長唄バイオリン合奏杵屋勘左衛門 同勘三郎 音曲噺橘家三好

三友派睦席 南地法善寺紅梅亭 船場平野町此花館 北新地永楽館 和泉町此花館 堀江廓賑江亭 松島常盤楼六方館 福島延命館 天満天神社裏門杉の木

明治4541日 大阪毎日新聞/415日 大阪朝日新聞

<金沢席、蓬莱館と改名する>

◇法善寺境内落語桂派の金沢席は一日より蓬莱館と改名し、長岡玄四郎が興行主任となり、東京及名古屋地方より演芸者の目新しき連中を招き、益々設備を善くする由。蓬莱館とは長岡が信心する米谷の荒神蓬莱山清澄寺の山号に因んだといふ。(毎日)

◇落語桂派の定席南地の金沢の席は今度長岡甚(ママ)四郎が譲りうけ、席名を蓬莱亭と取替へた。その祝ひに当分十銭均一。新町の桂派席瓢亭も開業満二十五年に相当するので、その祝ひで当分十銭均一とはコレ何の兆。(朝日)

〈編者註〉長岡玄四郎が正しい。

明治4541 京都日出新聞

◇[広告]当四月興行交代連東京 立花家三木助 大阪 桂春団治 東京 宝集家金之助三友派幹部連総出演/三友派睦席 新京極芦辺館寺町居館千本長久亭西堀川紅梅館

明治4541日 神戸新聞

敷島館と戎座 従来の圓入道の上に神刀流剣舞多田正義、即席噺桂柏枝、曲芸森田天正、三遊亭圓童を加えたり。因みに本日の出番は左の如し

 本能寺(かくざ)一両損(圓天坊)子誉め(小圓)猪買い(圓吉)新落語琵琶浪花節(三尺坊)花見酒(圓
 二郎)即席音曲噺(柏枝)宿替手踊(圓三郎)曲芸手踊(天正、圓童)松引手踊(圓入道)

屋幸満 若遊三の一座本日の出番は左の如し

 磯鮑滑稽ステテコ(僧都)按摩炬燵(正太太夫)音曲噺(圓輔)親子茶屋(呂鶴)山崎屋(若遊三)

明治4541日 名古屋新聞

富本席 今晩より三遊亭圓都と筑前琵琶石黒名都子一座にて演芸番組は名所巡り(小兵衛)押倉(都ン助)廓の火(小ゑん)船徳(小傳遊)新講談(圓枝)芝居話(雷蔵)筑前琵琶(名都子)粋(圓都)

明治4542日 名古屋新聞

富本席 今晩の演芸番組は天災(小兵衛)代り目(都ン助)新講談(圓枝)高野違(小ゑん)芝居話(文楽)櫻風呂(遊生)伊勢吉(文福)筑前琵琶鈴琴(名都子)神道茶碗(雷蔵)記落語(圓都)

<編者註>この文福は、名古屋の二代目で、初代の星野藤兵衛の息子と思われる。

明治4543日 神戸新聞

湊座劇場となる 新開地湊座は今回劇場の許しを得しより予ての改良を行い来月一日劇場披露をなす由にて俳優選定中なり。

明治4543日 山陽新報(岡山)

<ジョンベール一座・岡山九重館>

◇[広告]當四月一日ヨリ毎夜午後五時開演/栄町九重館/ジョンベール一座、三遊亭圓松出演/入場料大勉強

明治4545日 都新聞(東京)

三遊派又々紛擾 先頃和解せる三遊派は分立派の一人桂小南が突然廃業を申し出でたる為め又紛擾の火の手上り前に調停に与かりたる各席亭連は昨今小南に廃業を思ひ止まらしめんと奔走中

明治4545 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館にては五日より東京落語常陸坊遊学一座にて開演。座長遊学は横綱常陸山の弟にて水戸節の名人なるが、初日の読物は角力故実噂の魁(一席)勤王美談桜田血染の雪(水戸節にて口演)

明治4547 京都日出新聞

<林家正蔵の怪談噺>

◇怪談的落語の家元林家正蔵は今春八十九歳の高齢に達し正童と改名して相変らず物凄い幽霊話を東京で演じて居るそうだが、昨年五月正蔵が京の笑福亭へ一世一代としてやつてきた時「反魂香」の怪談を自分も聞た。反魂香の煙の中へ高尾の幽霊現るゝあたり、八五郎が反魂香を火鉢に燻べてバタ〳〵煽ぎ乍ら死んだ女房の臨終を思ひ浮ぶるあたり、頗る絵画的で江戸時分の匂ひが漂ふのであつた。(投書・村上信一郎)

明治45410日 北国新聞

<桂枝三郎一座・金沢一九席>

一九席 十二日より東西合同落語桂枝三郎一座にて開演すべく顔触は左の如く準備の為十一日迄休席の筈。

 桂枝三郎、立花家矢笑、桂圓笑、フルライド、桂市兵衛、立花家多満吉、桂三勝、同小枝、同笑之助。

明治45411日 大阪時事新報
<蓬莱館の大入>

◇値安が大勝利 南地法善寺境内の金沢席が蓬莱館と改称した祝ひの為め、木戸銭一名拾銭といふ破格の入場料、加之(おまけ)に桂派の総連中がイキリ返つて働くので値安の効能は忽ちの大勝利となり、毎夜爪も立たぬ大入札留とは争そへぬもの。

明治45411日 大阪朝日新聞

◇江戸堀巴館は十一日より三友派落語の真打連にて開演するよし。

〈編者註〉巴館は浪花節の席。

明治45411日 中国新聞

<三遊亭円若一座・広島演芸館>

演芸館 三遊亭圓若一行の落語音曲手踊等にて今十一日が初日。

明治45412日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<ジョンベール一座・姫路楽天座>

ジョンベール来る 竪町楽天の浪花節京山若圓、とん八一行は好評のうちに十一月にて打ち上げ次興行として東京大阪落語ジョンベール一行を迎へて十二日より開演の筈。番組は、御祝儀入込噺(圓二)落語手踊(若の助)女道楽(登茂恵)娘奇術(喜代子)落語手踊音曲(可遊)落語音曲(福楽)落語手踊(圓松)芝笛剣舞音曲手踊(ジョンベール)

明治45413日 大阪時事新報

◇利は元にあり 御霊神社の境内に多くは影画の定席となつて居た古い小屋があつたが、モウ今時影絵でもあるまいから一層流行の浪花節はと云ふ希望者もあつたが、チヨンガレは頼み少ないとの与論から遂に桂派の落語定席と決定はしたが、兎角当時は奇麗な器に限ると昨今内部に大修繕を加へてゐる。猶且(やっぱり)利は元にありの譬だ。出来るだけの普請は遣つて置くが勝だらう。

〈編者註〉あやめ館と改称し、六月一日より開館。席主片岡忠行。

明治45415日 大阪朝日新聞神戸付録

湊川屋幸満 一周年祝いとして十五日より半額(九銭)

明治45418日 鷺城新聞

<ジョンベール一座・明石大黒亭>

大黒亭 明石大黒亭は十八日よりジョンベール一行にて開演の筈。

明治45419日 大阪朝日新聞

◇今度東京から来た三遊亭円璃は娘の立花家歌子を連れて三友派の各席を廻つて居るが、娘の歌子は母親朝次の三味線で清元を聞かせて居る、其の歌子は七歳の時大阪へ来て清元を各席に出して居た評判者である。

明治45420 京都日出新聞

<三遊亭金馬一座・岩神座>

◇岩神座の次興行は東京落語家連中で中に戸塚芸妓の照吉といふのが清元や鎌倉音頭を唄ふといふが、同女は体重卅貫余もあるといふ図抜けの大兵。

◇[広告]岩神座/来ル二十二日ヨリ東京落語会幹部三遊亭金馬一座/出演者戸塚芸妓日本一三十六貫目 旭家照吉 清元浮世節鎌倉音頭 大切喜劇

〈編者註〉岩神座の東京落語の入場料は一等三十五銭、二等二十五銭、三等十五銭。

明治45421日 都新聞

柳舌戦会 今明両日午後六時より神田白梅亭にて開催出演者はしん生、燕枝、柳枝、紋、小勝、しん馬、燕路、紫朝、千秋、淀助、張風

明治45421 大阪新報

<三友派若手の落語円満会>

落語円満会 落語家の余興芸としては舞、大津絵、伊予節、都々逸といつたやうなもので、是を除くと新しいものは一つもない。毎(いつ)も古い奴を繰返して居るのだから、是ぢやならぬと奮発したのが三友派の若手連中、本業の落語研究は元より余興芸も何か実のある立派なものを沢山仕入れて置きたいと此頃円満会というのを拵へた。

幹事が文雀に玉冶、会員には春冶、菊冶、福我を初めとして二十三名、一致団結に及んで、仮事務所を南区八幡筋に置き、十六日の日を除く外毎日根気よく稽古して居るが、其お師匠番には笛、太鼓、鼓、三味線、舞、落語を夫々専門の人を招き大汗になつて稽古した効(かい)あり、舞の方も新しいのを二十五六番も上げ、長唄は鶴亀と高砂丹前とを漸く習(ならっ)た処で、今は勧進帳に取掛つて居る。事務所の二階にはチャンと舞台が出来て居て朝から晩迄唱ふ、踊る、弾く、喋べるといふ騒ぎで、近所では精神病院が急に転宅(ひっこし)て来たやうに思つて居るが、連中は却々(なかなか)笑ひ事ではない。会則といふ鹿爪らしい掟を設けて会員中慶事、疾病等不幸の場合があつたならば互に慰問もするし、年に四回懇親会を挙げ、円満会を愈(いよいよ)盛(さかん)ならしめ、高座の働きがどんなになるか見て貰ひたいと、此頃の陽気をお花見にも行かず一生懸命なりとは奇特なことだ。

明治45425 台湾日日新報

新派女優来る 昨日入港の信濃丸で本荘幽蘭女史が新派女優の一行数名を引率して乗込んで来たが愛馬の浪花節閉演を待つて開演すべしと

明治45426日 大阪毎日新聞

◇本年一月上旬より朝鮮京城浪花館に出勤し居たる三遊亭円若一連は所々を巡業し二十九日帰阪、五月一日浪花三友派各席に出演す。

明治45426日 大阪毎日新聞

<活弁師大山孝之>

◇活動写真(十)活弁とソノ綽名 
 大阪に唯一人居る百円以上の月給を取る活動弁士と云ふは、目下福宝堂の常設館なる道頓堀の朝日座に毎夜出演して居る大山孝之である。大山活弁は実名を中岡と云ふ。然るに何故中岡と云はないで大山と呼ぶかと云ふに一寸面白い談がある。コノ大山活弁は明治三十年頃までは曲馬の口上云ひで、三十二年頃初めて身を活動写真界に投じた。トコロが目下互楽派の円生と云ふ落語家が其当時東京で古今亭真生と云つて寄席に出て居たが、この真生の顔が馬鹿に大山大将の顔に似て居るのでお客は大山とコレを呼ぶ。然るに豈計らんや、中岡孝之の顔は真生よりもモツトよく大山大将に似て居たから、忽ち真生のお株を奪つて大山、大山と綽名された。ソレからといふものは中岡といふ姓は忘られて大山弁士で通る事になつたのである…。

らくご 001

〈編者註〉大正五年に大八会が組織されるが、その名称は創設者の大山孝之と宮崎八十八の名前よりとられたものである。写真は四月二十四日付「大阪毎日新聞」に掲載されたもの。右上が大山。なお左下は講談師の桂家残月(七代文治門下)で、このころは活弁として売り出していた。

明治45427日 山陽新報

<三遊亭円若一座・岡山九重館>

◇[広告]當ル四月十九日より栄町九重館/浪花節三友派落語 三遊亭圓若一行/たらちね珍話(若の助)歌根問手踊(篤三郎)清元式三番叟(枝女吉)素人芝居(小圓流)滑稽てんしき(春楽)筑前琵琶扇の的(駒弥)改良話江戸っ子(柳丈)音曲噺稽古所(圓若)

明治45428日 大阪時事新報

<蓬莱館の大入祝>

◇蓬莱の大入祝 桂派の金沢席改め蓬莱館が改称披露の祝意とあつて木戸銭の廉価が人気を惹き、初日から廿五日間も満員続きは珍らしい。コリヤ前途大いに祝すべしだと楽屋迄が浮れ出し、来る廿九日の早朝から席の名に因める蓬莱山清澄寺では鳥渡判り憎いが、宝塚の電車路に沿うた清荒神へ一同が揃ひの花傘挿翳して練り行き、帰途には宝塚の温泉に飛び込む寸法とは乙でせうとニヤリ〳〵

明治45429日 大阪時事新報
<松鶴一座の西国巡業>

◇松鶴の旅行き 三友派の人気者松鶴は松光を誘ひ合い、一日から奈良に出稼ぎ、夫からズント西へ飛で姫路やら四国路へ這入り込む予定だそうな。後家殺しとぞめかれて居る罪造りの男だから、今の内に四国を廻つての大師のお助けを願い後生を祈て置くのが吾が身の為だらうと楽屋中でのソシリハシリ。

明治45430日 都新聞

第四回ねどこ会 三十日午後六時より上野広小路の鈴本亭にて催す

 太十(江戸太夫)白石揚屋(文樂)廿四孝(今輔)寺子屋(しん生)酒屋(紋)鍛冶(小三治)八陣(助
 六)御殿(小さん)

明治45430日 大阪時事新報
<文団治・芝雀>

◇芝居噺の文団治 三友派で幹部に据えられてゐる桂文団治は素噺の数も古葛籠に山程畳み込で心得ては居るが其割にパツとせぬ。併し芝居噺でも遣らせたら上顎と下顎の打つかり次第に喋べつて居ても頗る軽妙を極めて何時も腹の皮を撚らせるのは鮮かなものだ。猶且(やっぱり)鳥居数は潜つて置くものか。  

◇六年振りの芝雀 是れも三友派に新顔として替り栄もせぬ珍面を晒してゐるのは芝雀といふ落語家で、以前は雀家翫之助といつて居た品物だが、久しく東京へ修業に上つてゐて六年振のお目見得だといふ。芝雀と改名したのは元来が芝居好きで翫之助よりは芝雀の方が優しく聞へ且つ好劇家のよく知つてゐる京家の芝雀に通じて役者らしいからだと、可愛い事を言つてゐる。

明治45430 京都日出新聞

芦辺館月の新加入の連中は松井源水、三遊亭円子、杵屋勘左衛門、同勘三郎、桂文[文雀]、桂文吾、同菊団治尚例により平居館、長久亭紅梅館は掛持。
◇当昇亭本月の出番順は
当昇、伯竜、福円、三司、紫明、三吉、正春。

上方落語史料集成 明治45年(1912)5月

明治4551 大阪新報[広告]

浪花落語三友派 幹部全員出席交代連は船遊亭しん橋 寶集家金之助 立花家歌子 立花家朝次 三遊亭圓璃

三友派睦席 紅梅亭 平野町此花館 永楽館 和泉町此花館 賑江亭 六方館 延命館

〈編者註〉杉の木が抜けているが、同月の染丸襲名披露にはあり、六月の広告には入っている。何かの事情で脱落したのであろう。

明治4551日 大阪朝日新聞

◇落語三友派の各席へ一日より従前一座の上に東京より講談師一竜斎貞山が初目見得で来る。其の他久々で宝集家金之助、しん橋、立花家歌子、朝子、円璃も来る。

明治45515日 奈良新聞

<笑福亭松鶴一座・奈良尾花座>

尾花座の落語 既記の如く今一日より大阪三友派笑福亭松鶴一行にて花々しく開演する由なれば定めし大人気ならむ扨て高座に現わるる面々は左の如し。

 落語手踊(鶴吉、鶴三郎、松太郎、鶴二)同舞(鶴松)同手踊(文璃)同曲こま(左鶴)同舞(福太郎)同曲芸(萬冶、松光)東京音曲ばなし(芝雀、松鶴)大切喜劇総出。(51

尾花座の松鶴一座 の落語は一昨日から蓋を開けた。折悪く夕方から雨となったので客足は如何あろうと案じられたが、落語と来ては妙におちたことのない尾花座平場もスラリ八合どこまで詰まって可なりの入であった。
 一座十一人の顔触れもドカ落がなく揃って居るのとお馴染が多い性か、連中何れも我劣らじと車輪に舞台を勤めて居るのは何よりも嬉しい。鶴三郎、松太郎は聴なんだ。元検でヒイキの多い鶴二はメキメキ腕を上げた。座頭の御所車を舞うたが扇蝶やんナマだと或女将はいうて居た。鶴松のずぼらは軽く、文里のはなしは那辺(どこ)となく旨味がある。ご當人さんに勉強の積もりで立あがるが踊は若手連に一任してはなし専門にやって貰いたい。左鶴の芝居ばなし彼なもの独楽はあざやか、福太郎は此一座での相合橋てな役どこであろう。舞はなかなか旨い、萬冶の鞠、松火(たいまつ)は大向いの喝采云わん方なし。松光の紙屑よりは看客の注文であったから是非ないとするも人にない演ものだ松光には松光専売のはたけがある、芝雀の長唄はなかなか聴る。勧進帳で文里の弁慶、芝雀の富樫との詰合い滑稽を極めた刈萱も喝采であった。一座での花形役者たるは争えぬ。座長松鶴のくしゃみ講釈何日聴ても腹をよらせる。
 サテ今晩演ものは二人旅(鶴三郎)兵庫船(松太郎)蛸芝居久八踊(鶴二)野崎参手踊名古屋甚句(鶴松)始末の極意手踊(文璃)舟弁慶曲こま(左鶴)改良せんざい舞金輪(福太郎)曲芸(萬冶)けいこや(松光)東京音曲(芝雀)天王寺名所(松鶴)(53

尾花座の四日目 何れにしても人気のある連中、垢抜けしたる一座のことなれば毎夜の大入大人気、扨て四日目の演目は左の如し。

 七福神掛合(鶴三郎)三人旅うかれの悪質(松太郎)棄山船きせるとりやり手踊(鶴二)夢見八兵衛手踊(鶴松)あんま芝居(文璃)家内圓満(左鶴)噺ためし切舞(福太郎)まり明曲芸(萬冶)三十石(松光)音曲(芝雀)須磨の浦風(松鶴)(54

尾花座の五日目 大人気の裡にいよいよ本日を以て打止め千秋楽演物は左の如し。

 御祝儀(鶴三郎)小倉舟(松太郎)浮世根問文人踊(鶴二)恋の連々(鶴松)出産のよろこび(文璃)木挽茶屋(左鶴)イラチの愛宕参り舞(福太郎)五棒(萬冶)貝野村(松光)東京音曲色々(芝雀)シャクリ裁判(松鶴)

 因みに同一座は尾花座打揚げ後六月一日丈け郡山町歓楽座にて開演するやも知れずと。(55

明治4551日 神戸新聞

敷島館と戎座 圓入道一座の上に英人ジョンベール、内田秀甫、三遊亭右雀を加えたり。初日の番組は左の如し

 住吉駕籠(圓天坊)滑稽運動曲芸(天賞、圓童)五題即席(柏枝)親子茶屋新浄瑠璃(圓二郎)音曲声色一人
 演劇(ジョンベール)天下一手踊(圓三郎)雲入道物真似演劇曲芸(秀甫)歌舞笑話(圓入道)

屋幸満 淀助一座本日の出番は左の如し

 落語踊(春楽)車蝉鈴(喬一)落語(可遊)扇舞(歌太郎)音曲落語文人踊(淀助)曲芸金魚鉢(ハンス
 デー)

明治4551日 名古屋新聞

富本席 今晩よりお馴染みの金馬一座に彼の三十六貫芸妓照吉を加えし一座にて其演芸番組は天人の羽衣(金重)金取(金平)加賀見山(金遊斎)壁金(小金馬)大明神(談志)春遊(金大)のろ(金勝)幸の(圓雀)清元浮世節(照吉、松助)猫化(金馬)大切(総出)

明治4551 台湾日日新報

広告祝総業十五年 当る五月一日より替芸題 長魂歌 全七幕 当興行より(女優)青柳燕嬢登場台北劇場 合資会社 栄座(電話百五十一番)

明治4553日 大阪毎日新聞/57日 大阪時事新報

<曽呂利の引退披露会>

◇曽呂利の引退披露 落語家曽呂利新左衛門が画名を魚仙と号し、古人久保田米僊氏の弟子にて久しく三友派に属し、四十年来高座に張扇をハタき居たるが、今度いよいよ落語界より退く事となり、五日南地演舞場にソノ引祝画名披露会を催して、了つて左の余興ある由。

(開会の辞)福井茂兵衛、(落語)桂文団治、(東京落語)三遊亭円馬、(舞)川上貞奴、(浄瑠璃)竹本大隈太夫・糸豊沢団平、(舞)富田屋八千代・富田屋小三・伊丹幸吉勇・地方大和屋友・大和屋ふさ・伊丹幸八七八・大和屋浜勇・大和屋玉。(大阪毎日)

◇曽呂利の引祝 浪花三友派の顧問として同席には尠からぬ功労のあつた曽呂利新左衛門は本年六十九歳、今も尚壮健ではあるが、予ての宿望たる画家の漁仙と成て老後を気楽に送らうと覚悟の臍を固め、其引祝兼画名の披露会を五日の正午から南地の演舞場で遣つたが、福井の茂兵衛ドンが例の弁当付で開会の辞を述る、文団治や円馬の加勢もある、お添物に大隅太夫が酒屋のサワリだけを唸る、次には貞山の講談、お次は川上貞奴の踊と云ふ順序だつたが、貞奴は時間の都合で東京へ上つて仕舞つたとの報告。夫で御愛嬌に八千代が道成寺を一クサリやると十万円杯の半畳があつた。曽呂利は之を聞て十万円のハンゼウ(繁昌)とは結構々々と踊つて居た。何時迄も達者な爺サンダ。(大阪時事)

明治4553日 大阪時事新報
一竜斎貞山来阪、三友派の席に出る

◇来阪せし貞山 東京の講談界に羽振りを利かして居る一竜斎貞山が睦派の寄席杯に招かれて行き人気を惹いてゐるのを見た三友派の幹部連、大阪の寄席でも其例に倣つて落語家音曲の間に挟み、実のある者を一席宛遣らせたら意気が替つて良いかも知れぬといふので態々出掛けて行つて連れ戻つたはツイ此間の事。此の貞山は六代目で前名を貞丈と云つて居た男。先代が俺の眼鏡に叶つたから継すのだと云つただけ三寸の舌頭克く話中の人物を躍動せしむるに妙との評判、赤穂の浪士の内片岡源吾右衛門と蜜柑元助の伝記を試みに聞て見たら、寂のある声で以て対話の旨さ、引締つた語尾、力もあれば味もあつた。今度の初お目見得は三席の掛持で南地の紅梅亭(午後八時四十分)、北新地の永楽館(九時五十分)、平野町の此花館(十時卅分)。

明治4555日 大阪時事新報
石村松雨・三遊亭円馬

◇親よりも子 桂派の寄席に出てゐるヴワイオリンの石村松雨は、お嬶を相手に高座の穴を塞いで居たが、根つから芳ばしい前受もせぬので小伜の翠雨を呼び迎へた処、風琴を鮮かに遣る手際、殊に進軍喇叭の遠音杯は又なく旨いので、親父の松雨は忽ち蹴落され居るか、ゐないか分らないと云ふ有様。松雨小首を傾け、まだ老耄る年でもないに小伜に落を執られるのは残念なと恨めしさうな顔をしてゐる。ソンナ恨めしさうに仕なくつても可(ど)うせお前は数の中へ入る柄ぢやない。  

◇有繋(さすが)は円馬 三遊亭円馬も近頃は若い下馬でも出来たのか、夫れとも懐都合が良くなつたのか、「何の若い奴等に」といつた気張り方で、注文次第何でも楽々とやつて行く。此間も五人廻しの浮いた処を遣つて居たが、無雑作に話して行く内にも旨い味ひがある。猶且(やはり)円馬は円馬だけの事がある哩。

明治4555日 大阪毎日新聞

<曽呂利、修業時代を語る>

◇曽呂利の名残談 昔の寄席と今の寄席 本日南演舞場で落語界退隠披露の画会を催す曽呂利新左衛門(六十九)は、過去五十年間の高座生活を懐ひ起して落語寄席の名残談をする。

ヘイ考へて見ますと随分長い間喋り続けたもので、元私の家は其頃大阪に僅(たっ)た二軒しか無かつた友僊染屋でしたが、私は倅の我太郎ぐらゐの年頃から落語が好きで、二十歳まで素人の噺家で道楽を尽し、慶応元年に愈々本物の落語家となつて、初代松鶴を師匠に取り松竹といふ名を貰ひましたが、ソレから梅香と改名し、松鶴が死んで三代目の文枝に師匠替をする時、梅香の名が文枝の師名に当るので遠慮して文之助となつたのが明治六年、文之助時代はコレでも一寸ソノ色つぽい噂の二つや三つは有つたものですよ。

ソレから明治十八年、上方流の叩き見台を除(の)けて扇子一本の素噺を始め、翌年曽呂利新左衛門と改名致しました。昔と当今と寄席を較べると全く雲泥の相違で、私が駆出しの当時大阪の噺の席は南地法善寺、新町九軒、座摩神社、天満亀の池、博労町稲荷、御霊、老松町長池、生玉、上本町、堀江妙見裏と十ケ所にあつて、其中夜席は法善寺、御霊、九軒、堀江の四席だけ、ソレも夕方六時頃に木戸を開けて八時過にはモウ閉場する、で出場の落語家は前座、中座、真打の三人きり。其後前叩き一人が加はつて四人となり、維新前後が五人、それから殖えて七人となつたのがイツの間にやら二十何人といふ頭を数へるやうになりました。

当時の木戸銭は夜席二十四文がお定まりで、昼席は木戸二文。其代り昼席に限つて落語家の腕次第で何遍となく二文づゝの追徴をやります。その仕方はお客が聞惚れて来た汐合を計つて例の叩き拍子木をチヨンと鳴らす。そのチヨンが席亭への合図で、それを聞くと席亭が客毎に二文づゝ集めて廻る。それが上手な落語家は一つの噺に五六度もチヨンを喰わせるが、下手が出ると大勢の客がその間皆表へ出て了つて座席が空になる。腕の無い者にとつては実際血の涙のでるやうな次第で、従つて否でも応でも一生懸命に修業したものですが、ソレから見ると今日の寄席は恰(まる)で極楽みたいな物で、当然本当の修業が出来ません、と大真面目に慨嘆してゐた。

明治4556日 大阪時事新報

<桂派の三人襲名(万光・燕枝・小南光)>

◇改名三落語 桂派寄席で今から売り出さうといふ若手の雀之助が万光、文福が燕枝、仁三郎が小南光と一斉に名前替を発表した。吉例に拠りて三友派は親友、幇間は新町の叶村家連中、仁輪加は団九郎、宝楽、一満の面々が席上を賑やかにすべく、改名披露には御手伝の応援をする。開催の日取は十一日(蓬莱館)、十二日(瓢亭)、十三日(沢井亭)であるげな。

〈編者註〉明治45324日付「大阪時事新報」に以下の記事あり。

「雀之助の改名 桂派で雀之助といつて居た落語家は変装の滑稽杯を余興に出して相当に人気を惹いて居たが、今度万光といふ名跡を継いだので一向替り栄えは致しませぬが出来ます限りは粉骨砕身桂派の為め又自分の為めに勉強させて貰ひますと言つている」

明治4557日 鷺城新聞(兵庫姫路)
楽天座松鶴

<笑福亭松鶴一座・姫路楽天座>
笑福亭松鶴来る 竪町楽天は七日午後六時より大阪三友派落語家元四代目笑福亭松鶴一行を迎へて花々しく開演の筈番組は落語(鶴三郎)落語(松太郎)落語文人踊(鶴二)落語舞踊(鶴松)落語手踊(文里)落語曲独楽(左鶴)落語舞踊り(福太郎)曲芸(萬冶)落語(松光)東京音曲(芝雀)落語(松鶴)

明治45510日 神戸新聞

多聞座櫓上式 新開地喜劇定席多聞座は去る三月劇場認可を得しより櫓上げ式並びに開場二周年の祝賀会を十一日午後一時より開催

明治45511日 大阪時事新報
宝集家金之助

◇舞子の身振 桂派の寄席へ愛知の一の宮から嵐酒徳といふ獅子舞が一行七人伴で出演して居る。大きな獅子頭を被て笛や太皷で囃立る許りなら左程変つた事もないが、神楽音頭を謳つたり、義太夫の三味線に合せて珍妙な身振をしたり、頗る滑稽を極めてゐるが、夫でもワイワイと前受をしてゐる。当節は何が当る事やら。  

◇金之助の再勤 宝集家金之助といへば今から二昔も以前は常磐津の咽喉を聴して随分全盛を極めて居たものだが、姥桜も萎れて昔の俤影は何処へやら、近年は寄席へも出ず近所の娘子供を集めて破れ三味線に辛くも糊口をしてゐるが、夫では余り気の毒だと三友派の此花館、紅梅亭の席主連が誘導して一日から各席へ顔出しをさせて居る。是を汐時にして秋風の立初る頃芸人の生涯を終る引退披露を遣るさうだ。まア終りを清くするが好い。

明治45514日 大阪時事新報
桂文之助

◇桂派の文之助 寄席の落語も古きを以て新らしく杯と有り来りの昔噺しを饒舌つて居ては、鼻の先で引懸けて呉れる段か、耳の底へ蓋をして煙草盆に煙管の音ばかり聞せられるのは誠に以て真ぞ腹の底まで辛うて成ませんから、私のやうな愚鈍な者でも師匠の名を相続して居る身分、古い咄の焼直しにも斬新なる熟語を入れて奈何(どう)やら恁(こ)うやらお茶を濁して居りますと、桂派に近頃籍を落付けた文之助が楽屋の詰所で愚痴り〳〵

明治45515日 山陽新報

<笑福亭松鶴一座・岡山九重館>
九重館 今十五日より大阪三友派落語笑福亭家元四代目松鶴一行にて開演する由なり

明治45516日 名古屋新聞 

富本席 今晩より春雨家雷蔵一座にて演芸番組は入込昔(小圓次)三人旅(圓九郎)人情話(圓枝)物真似(米枝)掛取萬歳(圓次)音曲話手踊(朝之助)小言幸兵衛(圓駒)梶河座(雷蔵)

明治45516日 大阪時事新報
桂万光

◇万光の光り 桂派の雀之助、万光と改名した嬉しさに何所(どこ)の席へ往つても幾千万光の光りを見せますと洒落て居るが、其の万光も取りよふで万光も烓かず屁も放らずに滔入(おちい)つては駄目。帰する所は勉強と精神にありと知れ。

明治45516日 大阪新報

歌子のお草臥 三友派の寄席で人気を惹いてる立花家歌子は阿母(おふくろ)の朝次、父の圓璃と来月一杯の約束で来て居たが、陽気で好いから貞山や喬之助が先達(せんだつ)で今日は活動、翌日は宝塚と毎日飛廻って居る、今つから悪い遊び癖を付けちゃ宜くねえと或る叔父さんが言つてたよ。

明治4551725日 満州日々新聞

<桂三輔一座・満州磐城座>

磐城座 篭盗人(桂三幸)景清物語手踊(笑福亭雀)こんにゃくや問答音曲(三遊亭小さん)銚子の代り目即席噺問答(桂柏遊)東京噺鼓の曲(三遊亭小圓生)士族車盆の手踊(橘家圓盆)清元浮世節手踊(女道楽二三路、月の家八七八)東京新作落噺音曲奈良丸式浪花節(桂三路)菊江仏壇扇の舞(桂三輔)大切喜劇(座員総出)(517

磐城座の落語 盆の好く使う圓盆は朝鮮で病気した為来ていないが、座長の三輔が衣紋流しなど綺麗に遣る。それは兎も角一座の内小圓生は東京仕立の大阪話と云ったようなもので、話は感心しないが舌鼓と口笛で三番叟をやる。女道楽の二三路と八七八(やなはち)は、八七八の三味線で二三路の清元都々逸などが好い咽喉だ。さすがに女丈けでお客は何となく浮かれ出すと云う大陽気。三路は話はほんのお交際とあって音曲で得心させ、座長の三輔と来たら大阪噺の上々これまで来た連中では一番好さそうなり。只なんとなく加薬の多い話が嫌な人には嫌がらせよう。四日目は八分通りの大入り。特等席には芸妓連が多かった。(522) 

<編者註>実際の興行は18日より。この後の桂三輔一座の磐城座興行は以下の通り。

519日 

伊勢参り二人旅(小三太)西の旅手踊(三幸)歌根問音曲(雀)東京落語乱暴医者手踊(歌之助)即席噺一問答手踊(柏遊)東京落語高砂屋鼓み曲(小圓生)蜜柑屋盆の曲手踊(圓盆)清元神田祭浮世節北州舞(二三二、八七八)東京音曲噺奈良丸式声色(三路)三十石夢の通い路扇の舞(三輔)

521日 

東の旅(小三太)小倉船(三幸)芝居噺手踊(雀)掛取り(小さん)熊の皮(柏遊)七段目ステテコ(小圓生)清元都々逸手踊(二三路、八七八)音曲(三路)櫻の宮盆の曲(三輔)

522日 

小倉船(三二郎)地獄八景(三幸)口入屋(雀)お文さま(小さん)かわり目(柏遊)高砂屋(小圓生)清元端唄式三番叟(二三路、八七八)音曲噺奈良丸式(三路)ざこ八踊(三輔)

523日 

兵庫舟(小三郎)土竜盗人(三幸)口入屋(雀)四の字嫌い(小さん)蜜柑屋(柏遊)大根売口笛鼓の曲(小圓生)清元舞(二三路、八七八)音曲奈良丸節(三路)菊江仏壇扇舞(三輔)

524日 

地獄八景(三幸)げん骨茶屋(雀)四の字嫌い手踊(小さん)延陽伯御室噺(柏遊)湯屋番ステテコ(小圓生)清元北州(二三二、八七八)忠孝音曲噺奈良丸節(三路)紙くず屋盆の曲舞(三輔)

明治45518日 大阪毎日新聞・大阪時事新報

<笑福亭松喬、二代目林家染丸を襲名>

◇浪花三友派の笑福亭松喬は本日より落語界で名人と評判ありし林家染丸の二代目を告ぎ、十八日南地紅梅亭で改名披露の大会を催し、引続き三友派の睦席にても披露会を演ずる。同人の客先(きゃくさき)に送りし摺物の俳句は、

「花に夜の明て奥ある麓かな 七代目 文冶」、「山の井にちりし花汲む四月かな 二代目 染丸」(大阪毎日)

◇松喬、染丸を襲ふ 三友派の愛嬌男笑福亭松喬は今度二代目林家染丸の名を襲ふ事になつた。染丸の初代は落語専門で有たが、折には中挟として人情噺をして評判が好かつた。三十年来中絶して居た染丸の名跡を相続した松喬は是から一層奮発して真面目に芸道を励みますと鹿爪らしく言つて居る。其披露は可成派手にと三友派の各席主競議の上、十九日(平野町此花館)廿日(永楽館)廿一日(賑江亭)廿二日(松島六方館)廿三日(第三此花館)廿四日(福島延命館)廿五日(天満杉の木)等で挙行するさうだ。(大阪時事)

〈編者註〉新聞に五月十八日の紅梅亭と五月二十一日の賑江亭の出演番組が出ている。

五月十八日   法善寺紅梅亭 

番組:遊散船(歌之助)、浮世根問(米冶)、角兵衛の婚礼(しん橋)、朝顔大井川(島之助)、三方目出鯛(南陵)、野崎参り(枝雀)、義士伝腹切魚の別れ(貞山)、赤垣兄の別れ(團九郎、一満)、狂言(蝶加助)、塩原馬の別れ(圓馬)、松山踊(小米、扇蝶)、清元(歌子、朝次、喬之助)、裏の裏(文團冶)、大切余興百世紀医術の進歩(文團冶、福圓其他)。

五月二十一日 堀江賑江亭

番組:落語(米若)、同(福圓)、掛合噺(稲八、稲子)、音曲噺(圓太郎)、新内音曲(小美□)、落語(小文枝)、落語声色(花咲)、講談(南陵)、落語手踊(春團冶)、落語(小南光)、常盤津(金之助)、落語(馬生)、狂言(叶むら連)、落語盆曲(圓坊)、講談義士伝(貞山)、余興百世紀医術の進歩(福圓、扇蝶其他)。

そめまる 002

 また『藝能懇話』三号(平成2年)にこの時の披露興行案内ビラが掲載されている(上図参照)。紅梅亭の名がないことから、五月十八日紅梅亭で配られたものと思われる。文面は以下の通り(読み下し・編者)。

「謹啓、時下高堂益々御清福の段、欣賀奉り候。随て此度襲名仕り候に付ては、演芸大会相催し、引続き各席に於て左記日割の通り披露会相催し候間、賑々敷御来場成し下されたく希い上げ奉り候、頓首/浪花三友派笑福亭松喬改メ二代目林家染丸/五月十九日 船場平野町此花館/仝五月二十日 北新地裏町永楽館/仝五月二十一日 堀江廓賑江亭/仝

五月二十二日 松島常盤橋六方館/仝五月二十三日 松屋町通和泉町第参此花館/仝五月二十四日 福島延命館/仝五月二十五日 天満天神社裏門杉之木/(出演番組ハ追テ発表仕候)」

明治45519日 山陽新報スキャン0004
三遊亭遊朝一座・岡山山陽座

◇広告/當ル五月二十一日ヨリ 駅前山陽座/東京人情ばなし 三遊亭遊朝一行/主な番組は浪花一流新内、ステテコ踊、音曲、浄瑠璃浮世節、落語

<笑福亭松鶴・岡山九重館>

[広告]當ル五月十五日ヨリ毎夜午後六時開場 栄町九重館/大阪三友派落語笑福亭家元四代目笑福亭松鶴/■木戸場代共大勉強仕候 ■語物は御好のもの申上候 ■何卒続々御光来願上候

明治45519日 大阪時事新報

<桂枝雀のトッチリトン>

◇偽物が上馬 桂派の吉右衛門と云ふ看板が上つてゐる。以前笑福亭吾竹といつて、落語には張扇子の数も叩いて居るさうだが、今吉右衛門と成て一向に珍重されぬのは何たる不運の男だらう。此吉右の取得とするのはトツチリトンで、巧みに遣らかす。処が同じ席に居る達者の枝雀が一席お座興に吉右の得意と誇るトツチリトンを真似た所、癖と云ひ様子と云ひ本家より以上枝雀に喝采したので、其後枝雀も客の方から望まれてちよい〳〵やるが、吉右は楽屋から手を出して版権料を頂戴。

明治45520 大阪新報
<聞き取れぬ文治の落語>

◇何を喋るのやら 落語界の統領桂文冶、アノ早口の所へ焦るので入歯の漏れが一層強過ぎ、泡を飛ばすばかりで上方言葉に耳馴れない以上能く聞き取ることが出来ぬ。二階の隅から半畳、「あれは日本語で喋る落語ですかい」と。かうなつちやあ統領も重鎮も頭からピシャリと潰されたやうなもの。押しの利かぬこと夥しい。

明治45521 大阪新報
<笑福亭松鶴>

思いも寄らぬ芸 笑福亭松鶴は空店の戎さん見たいに何日(いつ)もニコツイて居るが、あれで却々(なかなか)の好人物。毎夜の滑稽に客の頤を解いて居るのみか、「當人全くの無芸」なんかと妙に卑下して居るからさうだろうと思ってると、怎(どう)して松鶴の生花と来ては師匠をするだけの技倆があるさうだ。人は見掛けに寄らぬものだね。

明治45523日 大阪時事新報
<桂小米

◇小米の声色 三友派に小米といふ嘴の青い落語家が居る。元より小僧上りの咄といつたら是からが仕込みの若年者だが、声色と来たら一人前の腕ではない、口を持つてゐる。芝居嗜きの手合は此小米に惹れて声色々々と大歓迎をしてゐる。誰が旨いといへば徳三郎、吉三郎、延二郎杯の物真似、癖の取り方等稍似た処があるだけ不思議さ。

明治45523日 大阪新報
<桂枝雀

◇暢気千萬な商法 桂派の枝雀は天王寺から住吉公園菖蒲池の傍に移転すると、公園内では掛茶屋か料理茶屋かを営まなければならぬ規定なので、今更他へ家を替へることも出来ず、渋々掛茶屋を出して見るに、意外にも大当り。余り忙しさに面喰つて勘定を取り損にすることも度々あるが、当人一向平気で「毎度有難う厶います」は何処までも枝雀式だ。

明治45524日 大阪時事新報

◇一竜斎貞山は大阪の初お目見得に毎夜三友の各席で義士銘々傳の読分けをしてゐるが何処の席でも評判は悪くない…。

明治45525日 大阪時事新報・夕刊/526日 大阪毎日新聞・大阪新報/527日 大阪新報

<松鶴と馬生が三友派から桂派へ移る。桂派、寿々女会と改称、永楽館とあやめ館が加入する>

◇桂派寄席の活躍 
 改称して寿々女会といふ桂派の寄席は、円馬を別看板に据え、地味な噺で持通して居たが、色物の多い三友派の勢力に人気を惹れ、出方の幾分までが離散して追々凋落し、目下は南地の金沢改め蓬莱館と新町の瓢亭、空堀の沢井と恁(こ)う三席が纔(わずか)に命脈を繋いで居たが、今度北新地の永楽館が三友派との提携満十ケ年といふ期限に達したので改めて契約解除とするか、若くは継承さるゝかの協議が起つた。折柄、松喬が林家染丸を襲名した一条から三友派の出方にして幹部員なる松鶴と松喬の間に意志の疎通を欠き、松鶴は席主の処置にも面白からぬ点あれば、断然お暇を頂戴するといつて三友派を退き、旧縁の桂派へ結びを付けると同時に馬生までも同派へ加入せしめたので、意外な変動が生じた。

三友派にとつては此両人の脱走は大打撃なることは言ふ迄もないが、桂派の方では夢に牡丹餅を貰ふたよりも大悦び、幸ひ御霊神社の境内に大修繕を加へた尾の席改めあやめ館が開館披露の時期に迫つてゐるので、此際革新の方法を講じ、更に前記の永楽館が上福島へ設けた延命館を抱えて昔しの如く桂派の仲間に入れやうとの希望から、旧情一時温められて忽ち団結が成り、桂派の名は落語界に籍を置く出方には残さるゝも、桂派といふ事は断然廃して更に寿々女会と改称さるゝに至つて、六月一日よりは寿々女会の席組合は蓬莱館、瓢亭、永楽館、あやめ館、沢井席、延命館と俄に六席に殖え、六月一日からは従来の円馬以下に松鶴、馬生、文吾も加はつて、新顔には東京より松林伯知、三代目小勝、松井源水、川上秋月の数名が出演することと決定したさうである。(大阪時事)

◇寿々女会の創設
 大阪落語に三友派と対峙する桂派は年来の組織其他に革新をやる都合にて、今度桂派の名称を「寿々芽会」と改め、三遊亭円馬、桂枝雀、同文之助、同小文枝、笑福亭松鶴、金糸(ママ:原)亭馬生、桂文吾の七人が幹部となり、大々発展をする計画で、定席を南地蓬莱館、新町瓢亭、空堀沢井亭、上福島延命館と新に三友派から加入した北新地永楽館、新築の御霊あやめ館の六席として、六月一日より新興行をする。其手始めに東京より松林伯知、三升家小勝、川上秋月、松井源水の面々来阪して、次々には柳三遊両派より頭領連中の来る都合となり居る由。浄瑠璃には文楽近松の競争がある折柄、三友、すゞめの落語席競争は斯道の為によろしい。(毎日)

◇落語界の紛優 

▲三友派二派に分裂 兎角浮世は三分五厘と人を茶にして世渡りの裏面(うら)にも不平、暗闘、鬱憤、嫉視の影蠢いて、笑門必ずしも福来らず、多年大阪落語界の中心点として勢力を伸張し、全盛殆んど其頂上に達したる浪花三友派は、俄然二十四日を以て内部二派に分裂し、之と同時に傾く日蔭に悲運の底に陥りし桂派が奮然起つて捲土重来の鋭気烈しく、新に一大飛躍を試むるの時機(とき)漸く熟したり。事は斯道に取つて一大革命期とも見るべく、関西落語界の形勢茲に一大変化を生じたる物といふべきか。今その顛末を記さんに、

▲三友派古老の頑迷 抑も三友派は人も知る如く、往年桂派の全盛時代に拮抗すべく烏合の衆ながら故人桂文都、笑福亭松鶴(故竹山人)、曽呂利新左衛門等に依つて組織され、席主側にては故藤原重助の経営宜(よろ)しきを得て隆々たる発達をなし、之と反対に桂派は先輩の大家相次で逝き、又昔日の人気なく、栄枯地を異にして三友派の天下と唄はるゝに到りしが、文都、竹山人は既に世を去り、曽呂利は退隠して又高座の人にあらず。随つて同派の権勢は桂文治の一手に握られ、出方の進退、席割は愚か、万事悉く文治の意見次第に左右せられつゝありしが、由来斯道の古実に通じたりといふの他、技芸は凡庸にして、性質頑迷不礼なる文治はこの権威を恣にして、兎角偏頗の措置多く、身贔屓の振舞尠からざれば、譬(たとえ)重鎮にもせよ、古老にもせよ、余りに得手勝手過ぎると、座方の内にても一廉気骨ある面々は口にこそ出さねど内心鬱勃たる不平の感に堪えず、表面にこそ従順の体を装へども、内心更に帰服せず、恁(か)くて分裂の動機は既に〳〵遠き以前よりして造られ居たるなり。

▲円満会と若手連 更に暗闘一歩進めたるは、近く昨年十一月以来同派の後進若手の一連が、何時迄も高座に同じ事のみ繰返しては落語界衰微の因(もと)なりと健気にも発奮し、技芸奨励の目的を以て南区八幡筋に一戸を借受け、円満会なる物を組織し、落語は古老柳枝を師匠とし、長唄、踊等それぞれ専門の大家を聘して、日夜熱心に稽古なし居たる事を文治が聞き込み、若い者等を爾(しか)く日々集合させるは将来三友派に取つて不得策なり、早晩必ず我派を滅さん骨組なりと邪推し、重鎮を笠に冠つて断然解散を命じたるに、若手連が反抗の火の手はいよ〳〵烈しく燃募り、如何に先輩の我意に任すとはいへ芸術を修業するに不思議はなく、それが中止を命ぜらるべき謂はれなしと激昂し、円満会の名目のみは取消して、内実盛んに稽古を重ねつゝあり。而して先輩の内にも松鶴、馬生等は大に此挙に賛成し、尚々進んで研究せよと奨励の声援を与へ居たりといふ。

▲松鶴、馬生の分裂 されば文治は文団治、文都、染丸、花咲等の直参派を優遇するに反し、所謂譜代格ともいふべき松鶴、馬生一派に対しては冷淡苛遇の計らひ多ければ、反対の一連等、密かに軈て来るべき今回の機会を期待しつゝありしが、果然恰も松鶴が一座を組織し、遠く広島地方へ巡業に赴きたる不在中に当つて、相互の交渉全く断絶し、松鶴は勿論旅先ながら気脈を相通じ、二十三日に至りて馬生、松鶴、松光、福太郎、福圓、福我、福松以下袖を連ねて分裂すると同時に、来月一日より揃うて桂派に加入する事となりたり。

▲捲土重来の桂派 此分列派を得たる桂派が来月以後の新発展は目覚ましき物にて、之に従来の定連を合併したる上、更に東京より新講談師の猫遊軒伯知及び久方振の三升家小勝を呼び迎へ、定席の如きも従来の蓬莱館、瓢亭、澤井席の外新に三友派の主脳たりし北新地永楽館が遠き昔に返りて復古加入せる外、福島の延命館、平野町御霊社内に改装せるあやめ席等を加へて都合六席となり、最(い)と華々しく三友派に対抗すべく諸般の準備全く整ひしと。(大阪新526 

◇三友派の大恐慌 
 由来落語の技倆に於て三友派に勝つて居た桂派が来月から三友派の松鶴、馬生、文吾等初め上手肌を入れ大いに発展することになつたことは本紙が逸早く報道した通り。それが為め三友派では結句話し下手の解らず家連が高座を継ぐのだから此先き
して御機嫌に叶ふかまた叶はぬやら頗る心許なく、目下は途路になつて作戦計画中だとは、さうあろうことだ。(大阪新報527

〈編者註〉桂文吾、松井源水は加入せず。また延命館は三友派に留まる。

明治45528 大阪新報

<二代目三遊亭円馬>

◇桂派の隠居株圓馬は大阪に居着いてもう軈て七八年、高座の腕も枯れ切つて了つたが、尚同派の長老として相当に前受けして居る。空堀の自宅に居ては美味い新茶を啜って急須や茶碗を弄(いじ)くるのが楽しみ。「エエもう仕様が御座(ごわ)せんよ、昔と違って今の若手は余興に身を入れてるんで、本業の落語は数を知らず、余興で當りを取ろうというのでげすからね」と口をモゴ〳〵語る。

明治45529日 大阪時事新報

<三友派の奮起>  

◇三友派も奮起 桂派の拡張が動機と成つて浪花三友の睦席も何の糞おのれ何程の事かあらうと、席主連は言ふ迄もなく文治以下の出方連中興奮剤を喰つたやうに一同に武者揮ひをして、「ナニ戦ひは高座に罷りツン出て三寸の舌一枚、阿吽の息で奈何(どう)でもなりやす」と頗る活気を立てゐる。席主側も更に方針を替へ、人気取の作戦に奮励するとの事だ。恁(こ)うなると聴客万歳である。序ながら桂の寿々女会へ源水と文吾が加入する交渉があつたが、松井源水曰く、独楽の真棒と私の心は曲(くる)はぬ内に滅多に脱線は致しません、猶且(やっぱり)睦席の糸に寄つて決して動きませんとある。スルト文吾も猶且(やっぱり)御同説と云つて居るげな。夫から福島の延命館は依然三友派の連中で開演を続けるとの話だ。

明治45529日 大阪朝日新聞

<あやめ館の新築落成>

◇御霊境内のあやめ舘は新築落成寿々女会の組合となつて一日開場式を執行す。

〈編者註〉御霊尾野席を片岡忠行(元第一此花館支配人)が借り受け、新築改装してあやめ館と改め、寿々女会の席として開場した。「上方はなし」七集(昭和1111発行)にあやめ館で撮った寿々女会の連中の写真(下掲)が掲載されている。同誌のキャプションは「明治四十五年五月一日 平野町御霊神社境内あやめ館にて」とあるが、おそらく六月の間違いと思われる。なお枝雀、円馬、小文枝等が写っておらず、旧桂派の連中が抜けたあとのものである可能性もある。
 

大正元年五月一日 寿々女会集合写真 あやめ館

後列(左より):桂紅雀・三代目桂万光・桂米若・二代目桂文之助・桂歌之助・二代目橘家千橘・笑福亭鶴二・鶴家団鶴(軽口)・
 大和家長楽(軽口)・橘の円丸・笑福亭仁鶴

中列(左より):笑福亭光鶴(五代目松鶴)・笑福亭鶴瓶・常磐津綾勢・中村翠湖(筑前琵琶)・四代目笑福亭松鶴・常磐津綾若・
 桂文雀・桂燕枝(二代目円枝)・桂門十郎(三代目梅枝)・笑福亭笑雀

前列(左より):笑福亭小枝鶴・笑福亭右鶴・桂扇雀・内田秀甫・文の家かしく・笑福亭左鶴・四代目笑福亭鶴松・橘ノ小円丸(桂
 小春団治)・五代目笑福亭吾竹・桂小南光・笑福亭文里・三遊亭右円遊   
 

明治45530 北国新聞

<三遊亭円都一座・金沢一九席
一九席 普請の為長らくは休席せしが本日より東京落語三遊亭圓都一行にて開演すべく番組は左の如くなるが尚来月二日の日曜には珍芸を仕組んで昼席を打つべしという。

 噺物真似(都兵衛)噺音曲(都ん助)噺と手踊(花圓都)噺とステテコ(圓都)筑前琵琶、三味線、鈴琴(名
 都子嬢)滑稽噺(圓満)滑稽落語(圓都)諸芸尽くし(一座出揃)

明治45530日 大阪時事新報 

<あやめ館の名の由来> 

◇あやめ館の因縁 桂派の寿々女会に加盟した御霊境内の尾野席があやめ館と改称したのは中々手数が懸つてゐる。席主も代れば、改造した家にも何がな良い名をつけたいと種々提議
の有た末が、其昔御霊の裏手に菖蒲の橋といふのが在つて名所の一つに残つてゐる歴史もあり、寄席と稼業は水物の興行にて「泥水の中から清し杜若花」といふ譬もあれば、一層古事の地名を取りあやめ館なら花も咲くといふゲンを祝ふて命名しやうと決した訳であるとか。イヤ随分と苦労したるものだ。

◇高見の見物(曽呂利と文左衛門) 三友派の睦席と桂派の寿々女会とが席の分離と出方の異動にカレコレして小紛議を起して居るが、桂派に居た老鎮の文左衛門と三友にツイ此間迄籍のあつた曽呂利新左衛門の両人は、平和の間に引退して仕舞つたお蔭で何(ど)う納りが付ふやらと高台の見物、老後は唯気散じに限ると野に出たり山を望めたり。

明治45530 大阪新報
<金原亭馬生>

◇馬生の新聞漁り 高座のお話が何でも彼でも古い〳〵と言はれるのが癪になるが、扨(さて)今更自分で新作に手を着ける勇気もなく、寧(いっ)そ夕刊代用てな名案を浮かべたのが金原亭馬生。新聞は大概政治、経済、社会と隅から隅まで漁り、其夜の落語へ結び付けて、当人「恁(ど)うでげす」と得意になつて居るが、それでも気が引けると見へて、道を歩いても犬の糞にまで注意して話のネタにする始末。今に掏摸と間違へられねば好いが。

明治45531日 大阪新報

三友派睦席 六月は既報の如く永楽館が桂派に移り延命館は従前通り三友派の寄席として開演、交代連は東京より三升紋弥、丸一連鏡味小金、同小仙が来り貞山は引続き出演す           

上方落語史料集成 明治45年(1912)6月

明治456月1 大阪新報[広告]

浪花三友派 幹部全員出演

久々御目見得三升紋弥 同鏡味小金 同小仙 引続出演船遊亭志ん橋 宝集家金之助 帰阪出演桂文吾 初御目見得古今亭今之助 好評ニ付引続出演一龍斎貞山 

紅梅亭 此花館 杉の木 六方館 延命館 第三此花館 賑江亭

明治4561 京都日出新聞

芦辺館は本日より定連の外左記の雁首がお目通りする泰西ダンス各種(英国女優ルポーフ嬢、同男優グリーン氏)三遊亭円璃、立花家歌子、同朝次、笑福亭松光、桂大和、槌家万治、桂菊団治

明治4561日 神戸新聞

屋幸満 本日よりの出演者は文之助、圓次、春楽、三蝶、正之助、桃太郎、茶楽、麦團次、米若、南枝、一二三、五六

明治4561日 名古屋新聞

富本席 本日より大隈柳丈加わり其演芸は東の旅(遊楽)新講談(圓枝)種蒔三番(枝女吉)芝居風呂(米枝)高砂屋(圓駒)野晒(朝之助)芋俵(雷蔵)潮水渡(駒弥)陸奥宗光君(柳丈)
明治4562日 大阪新報

桂派寿々女会 松鶴、馬生が加入し、東京連は伯知、小勝、秋月、源水等にて一日より開演

明治4563日 大阪時事新報

<あやめ館の松鶴>  

◇詰つた松鶴 御霊社内に改築披露をした桂派の寿々女会は、専務の片岡が雅味のある男だけに、是が以前影画のあつた小屋か知らんと不審の首を横に振り立てる程小綺麗に出来上つて居るが、此派へ立戻つた笑福亭松鶴が助部(すけべ)たらしい眼尻を下げながら高座へ現はれて、先日迄は三友派の方に出て居りましたが、元木に優る末木なしでと、下顎と上顎の打つかり次第饒舌り出して、不偶(ふと)桟敷の末席を見ると、コハ仰(そ)も如何に、三友派の某幹部員がヂロリと松鶴の顔眺めたので、有繋(さすが)の松鶴もグツト詰つて、孰らへ廻つても御厄介ばかり懸て居りますは苦しい〳〵

明治4563日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地敷島館 三日目の出物は音曲(かくざ)はでしこ(市馬)大和橋(圓天坊)音曲(ジョンベール)甚五郎(圓入道)

明治4564日 都新聞(東京)

大阪落語家の上京 大阪桂派の若手落語家十余名は今度風変りの大一座を組織して上京し席は全部大阪者のみにて一人も東京の落語家を加へず大阪式を発揮すると

明治4565 大阪新報

<第三此花館、東紅梅亭と改称>

◇第三此花館 東区松屋町の同席は今回南地紅梅亭の原田の経営に移り東紅梅亭と改称せり。

明治4566 大阪新報[広告]

浪花三友派 幹部全員出演

交代連 三升紋彌 一龍斎貞山 丸一小仙・小金 落語文吾 落語小文三 滑稽浪花節蔵之助

南地法善寺紅梅亭 船場平野町此花館 天満天神境内杉の木 松島常盤楼六方館 福島延命館 元第三此花館東紅梅亭 堀江廓賑江亭

明治4567 大阪新報
<三遊亭右円遊>

◇右圓遊の絵道楽 百草湯の煙突のやうにヒョロ長くて黒く燻ぶつているという右圓遊、間の抜けたステテコに独り納まつているが、彼の柄でいて丹青の道に志し、人物花鳥風景何んでも御座れで書き飛ばすとは変つた隠し芸だが、高座のガラ付き工合ではチョツと受取れないことだ。

明治4567日 大阪時事新報

◇手遅の素噺 三友派の睦席に出て居る小米(ママ)は、以前桂派で慶枝といつた素噺専門の江戸児であるが、何分共に手遅の素噺をシタリ顔にやつてゐるので、折角苦しんで覚え込だ噺も滅茶々々、年は若いが噺振が古過るとの評が多い。良くも悪くも人に評を入れられる内に新機軸を出せ。

〈編者註〉大阪へ修業に来て三代目桂文枝の門人となり慶枝を名乗ったのは、後の八代目桂文治である。文枝死亡ののち二代目三遊亭円馬の門人となり三遊亭小円馬を名乗った。この頃小米と名乗っているのは後の桂小文治(稲田祐次郎)で、記者の書き間違いであろう。

明治4567日 鷺城新聞

<三遊亭遊三一座・姫路楽天座>

◇[広告]六月七日ヨリ開演/高等笑話音曲歌舞 二代目三遊亭遊三一行/大切電気応用所作事七化引抜早替/楽天座

楽天の落語 竪町楽天は七日より高等笑話二代目三遊亭遊三一行を迎えて花々しく開演する筈一座は、大阪落語(小遊)大阪落語(千代松)落語一人芝居(小圓三)落語(若明)落語扇子舞(篤三郎)落語ステテコ(圓三)三味線曲弾(一絃斎)落語即席(呂鶴)女道楽(若梅、梅太郎)落語舞(遊三)大切所作事電気応用(総出)

明治4569 大阪新報
<文吾の懊悩>

◇文吾の頭痛鉢巻 三友派へ名前ばかり出している文吾、寿々女会の方へ加入せざるを得ない義理があるので、行きたいのは山々だが、長年厄介になつた三友を振り切る訳にも行かず、板挟みになつて大弱りの態(てい)。漸く此下席から三友の方を義理勤めにし、九月になつたら寿々女会へ帰るといふことになり、ホツと一息吐いたが、能く〳〵切なかつたと見え「アヽ人間て奴は苦しいものだ」

明治45611日 神戸新聞

戎座 本日より出番は左の通り変更す

 於多福、圓次、茶楽、正之助、桃太郎、春楽、文之助、南枝、三朝、政右衛門、一二三、五六、麦團次

明治45612日 大阪時事新報

<三升紋弥の電気踊り>

◇紋也の電気踊 松鶴、馬生の両人を牛蒡抜にされた三友の睦席は、看板の手前貞山を引留た上、斯界の人気男三舛文弥を東京から呼戻して席上を賑はして居るが、有繋(さすが)は紋弥、落語は下手でも声色は誰の真似でもお茶の子サイ〳〵、加之(おまけ)に幾度か経験を積で来た電気応用の踊を見せて見物を煙に巻て返す手際の鮮かさ、如何に口八丁手八丁の円子も紋弥許りは変化の業で拙などは何として〳〵とアンヨを叩いてスタコラ。

明治45612日香川新報(高松)

<寄席玉藻座が映画館になる>

玉藻座 己記東京吉沢活動写真常設館となり同座は昨日を以て開場せり。

明治45613日 神戸新聞

敷島館 圓入道今晩は出番左の如し

 口入屋(かくざ)剣舞居合術(柳心斎、正幸)音曲一人芝居(ジョンベール)曲芸(ハンスデー)坊主茶屋
 手踊(圓三郎)佐渡正宗手踊(圓入道)

明治45614 大阪新報/615日 大阪朝日新聞・大阪時事新報/618日 大阪時事新報

<寿々女会の円馬・伯知二人会>

◇圓馬と江島屋騒動 寿々女会では今度の日曜に二人会の催しを挙げる筈であるが、何さま一名三時間持ちというのだから大阪の落語家では高座が怪しいので、先づ東京仕込みの圓馬が露払を試みる訳。番組は江島屋騒動と極つたさうだ。(大阪新報)

◇落語桂派改寿々女会の組合では斯道刷新の目的にて「二人講演会」を組織し、毎月組合各席で開催する事となり、第一回を御霊境内あやめ館にて十六日正午より開場す。演題は藤田翁の立志伝・関西侠客伝(松林伯知)、女天下・故円朝遺稿江島屋騒動(三遊亭円馬)。(大阪朝日)

◇伯知と円馬 桂派も寿々女会と改称してから客足次第に殖えて来たので、此際一層の発展をと松林伯知と三遊亭円馬を説き伏せ二人講演会なるものを組織し、当会には如斯(かくのごとき)腕前の出方も居りますと吹聴旁々、初回の開場を御霊境内のあやめ館と定め、十六日の正午から実行する。勿論伯知は講談、円馬は師匠円朝の遺稿をお聴に達する。名がすゞめ会だから精々囀るが好い。(大阪時事615

◇楽屋は一穴 桂派の寿々女会へ来て居る松林伯知は、十六日あやめ館の講話会に出演し、黒紋付の羽織に髭達磨のやうな容貌をして、演るものが会津の小鉄と云ふ侠客もの、江戸弁の啖呵を縦横無尽に振廻して、同日の相棒三遊亭円馬を煙に巻て仕舞んずる見幕に、円馬も去る者、糞でも喰へと落付払つて、俺等も名人円朝の一番弟子だよと負けず劣らず口に油をさして聴客を喜ばしてゐた。両人定めし楽屋で睨み合でもして居るかと思ふと何の事だ、互に顔を見合せて、お客さんは甘く出来て居ますねえは好かつた。(大阪時事618)

〈編者註〉昭和九年一月二十三日から三十日まで大阪時事新報に「大衆娯楽を語る」[出席者:神田伯龍、横山エンタツ、花菱アチヤコ、花月亭九里丸、永田キング、笑福亭枝鶴、石田一松、橋本哲郎(吉本興行部)、高山辰三・谷村俊郎・宮武断尾(本社)]が連載された。その最終回(三十日)に枝鶴が以下の思い出を語っている。おそらくこの時の回顧であろう。

枝鶴 大正元年でしたか、寿々女会と云ふものが初めて出来た時です。私のまだ前座時代で、何処の寄席でしたか、三遊亭円馬さんと講釈の伯知さんの二人会がありました。その時に私が一寸やらして貰ふことになりましたが、北の新地でお客さまに呼ばれまして一杯やつていたのが遅くなつて、電話が掛る、大あわてにあわてゝ駆けつける。それ待つてたんや、さよか大きに、云ふ工合でフワーツと高座に上つてしまつたのです。ひよつと横を見ると師匠が窓口からのぞいている。さあもう遅れたのと師匠から睨めつけられるのと一緒になつてカーツとして何を喋つていゝか訳が分らない。で、仕方がないから師匠の十八番の『くしやみ講釈』をやり始めたのですが、ところが途中ではつと気がついたのは、この後は伯知さんの講釈。講釈の前におどけた講釈の話をするのは、こりやいかんワイと思つたが、もうどうにも変へることが出来まへん。しやないと度胸を据えて真赤い気な顔して話し終つて引込みましたが、後で伯知さんが高座へ上られて『どうか前のお客さん、とんがらしをくべない様にして下さい』と言はれたので、お客はドーツと大受けに笑ひましたが、それを聞いてる此身の辛さ‥‥。いや恥かしいやら気まりが悪いやら、とにかくその一晩中ボーツとしてました。

明治45616日 神戸新聞

屋幸満 本日より左の通り出番変更

 茶楽、麦團次、がるた、政右衛門、南枝、春楽、正太夫、三蝶、圓次、桃太郎

明治45618 大阪新報
<末広家扇蝶入院する>

◇扇蝶 三友派睦会出勤の扇蝶は胃癌に罹り大阪病院に入院す。

明治4561820日 徳島毎日新聞(徳島)

<三遊亭遊三一座・徳島緑館>

緑館 東京大阪合併三遊亭遊三一座の落語音曲所作事はいよいよ昨日町廻をなし、直ちに開演したるが、久々振の落語の事なり非常の人気にて、特に電気応用は頗る美麗なりき。入場料は大勉強にて一等二十五銭、二等十五銭なり。(618

緑館 笑話音曲三遊亭遊三一座は、益々好人気にて連夜の大入を成しつつあり。二十日(四日目)演題を改め左の通り。

 百人坊主(千代松)狐の嫁入(小遊)近江八景(若明)新内明烏(若梅)池田牛ほめ(鶴吉)三味線琵琶物真似(一弦斎)金明竹曲芸手踊(圓三)辻占茶屋笛の曲(呂鶴)音曲手踊(梅太郎)三人女郎買曲芸種々(座長遊三)大切芸題替り一寸坊主引抜き汐汲み電気応用。(620

明治45619日 大阪時事新報
三升紋弥

◇南地法善寺内の紅梅亭は三升紋弥久々の出演にて、大切に電気応用の所作事、保名奴道成寺等を見せ喝采を博し居れり。

明治45621日 都新聞

立花亭の矯風演芸会 今晩より二十九日まで神田立花亭にて開催し加賀太夫出演す初晩の番組は煙草の火(三木助)地獄巡り(圓遊)義士伝(松鯉)浮世節(橘之助)品川心中(圓蔵)三人旅(圓右)明烏(加賀太夫、宮古太夫)

明治45622日 大阪毎日新聞
一竜斎貞山独演会

◇浪花三友派各席に出演し好評なる一竜斎貞山は、二十三日午後一時より南地紅梅亭に第一回独演会を開演す。番組は近江名所湖水白波、義士伝潮田主水、柳田堪忍袋、大徳寺焼香場の長講談四席。余興として曲芸鏡味小仙の一連なり。

〈編者註〉会費一名三十銭。「頗る盛況を極め、一席毎に喝采湧くが如く、別けても「大徳寺焼香場」は場内水を打たる如くなりき」(大阪毎日624

明治45624日 都新聞

立花亭の矯風演芸会 今晩の番組は先の仏(三木助)つるつる(圓遊)義士伝(松鯉)浮世節(橘之助)五段目(圓蔵)三人片輪(圓右)千両幟(加賀太夫、宮古太夫)

明治45625 大阪新報

<桂文吾倒れる>

◇文吾持病で卒倒 三友派でチョイト異彩を放つている桂文吾は、脳が持病で始終是に悩(なやま)され、見るからに弱々しいそうだが、二三日前の晩、紅梅亭の高座を勤め平の町の此花館へ車を飛ばす途中フラ〳〵と来て卒倒した。大したこともないが、時候柄用心しなくつちゃ不可(いけ)ねえ。

明治45626日 北国新聞

<大隈柳丈一座・金沢一九席>

一九席 愈々本日より東京落語大一座にて開演すべく番組は左の如し。

 浮かれ旅二人道中(遊楽)落語手品(圓九郎)清元浮世節(枝女吉)芝居噺記憶術(米枝)落語手踊(圓駒)滑稽人情噺(雷蔵)筑前琵琶、糸物(駒弥)人情美談(柳丈)芸尽くし(大一座)

明治45629日 大阪時事新報

◇川上の十題噺 浪花寿々女会の寄席へ出てゐる川上秋月といふ男は、立噺を専門にして即席十題噺といふ古い趣向の落語を左も事新らし気に饒舌てゐるが、何時も極道息子の意見とか夫婦喧嘩の仲裁杯でお茶を濁してゐる。古物でも色々に融通が付くから妙だ。

上方落語史料集成 明治45年(1912)7月

明治4571 大阪新報[広告]

広告 002

浪花三友派 幹部全員出演

交代連 三升紋彌 丸一連 小仙 小金 落語小文三 滑稽浪花節蔵之助

南地法善寺紅梅亭 船場平野町此花館 天満天神境内杉の木 松島常盤楼六方館 福島延命館 元第三此花館東紅梅亭 堀江廓賑江亭

浪花落語壽々女會 

幹部員 桂枝雀 三遊亭圓馬 文の家文之助 金原亭馬生 笑福亭松鶴外全員出演 

交代連 川上秋月 瓊浦庵三尺坊 筑前琵琶肥田耕作・肥田耕斎 

南地法善寺内蓬莱館 御霊境内あやめ館 空堀通澤井亭 北新地永楽館 新町瓢亭

明治4571 大阪新報
◇落語七月上席、一日の出番表。

❍三友派

(延命館)花咲、蔵之助、米冶、金之助、春冶、芝雀、圓子。

(紅梅亭)文冶、金之助、紋弥、春冶、文都、圓子、文冶、丸一、蔵之助、米冶、圓太郎。

(此花館)芝雀、小文三、文團冶、花咲、丸一、喬之助、米冶、紋弥、圓子、文都。

(第三此花館)喬之助、文冶、圓太郎、しん橋、小文吾、丸一。

(賑江亭)春冶、文都、圓子、しん橋、紋弥、小文吾、金之助、蔵之助。

(六方館)圓太郎、小文吾、圓坊、しん橋、芝雀、文都、花咲、文團冶。

(杉の木)しん橋、米冶、丸一、芝雀、圓太郎、小文三、蔵之助、花咲、文冶、喬之助、春冶、紋弥。

❍寿々女会

(あやめ館)鶴松、馬生、千橘、秋月、圓馬、常盤津、萬光、松鶴、琵琶連、三尺坊、文之助。

(永楽館)文之助、千橘、松鶴、秋月、春暁、歌之助、枝雀、右圓遊、三尺坊、圓馬、常盤津、小文枝、馬生。

(澤井亭)萬光、右圓遊、琵琶連、枝雀、常盤津、秀甫、燕枝、小文枝、歌之助、春暁、松鶴。

(蓬来館)秀甫、小文枝、萬光、三尺坊、圓馬、松鶴、春暁、秋月、馬生、燕枝、千橘、枝雀。

(瓢亭)歌之助、燕枝、小文枝、三尺坊、馬生、琵琶連、千橘、枝雀、秋月、文雀、圓馬。

明治4571 大阪新報

<互楽派も奮起>

◇娯楽派(ママ)も色めく 大阪の落語も三友派に楯突いて寿々女会が興(お)こり、双方負けじ劣らじで大いに色めいて居るが、其模様を見た娯楽派の席主長田は、何糞とばかり両派以外に今まで眠つて居た、世間からはスツカリ忘れられて居た娯楽の看板を鮮明にしようと目論見、ツイ此間其手初めとして先づ京町堀の第二松の亭をば二万幾円の金を払つて買到したが、其旗揚は□月だそうな。

明治4571日 大阪時事新報

◇伯知の帰東 松鶴や馬生がストライキを起して義理のある三友席を飛出したばかりに、一ケ月の約束が二ケ月に亘つて止むなく長逗留をして居た松林伯知は、廿八日限り満期放免となつて翌日の晩直ぐ帰東した。帰る時の挨拶が振つて居る、「イヤモウ大阪は御同情の厚い所です」と。大阪の人間は何と聞いて好いのだらう。

明治4571 京都日出新聞

芦辺館は今夜より三八、桃太郎、小円太、万治、円笑、菊団治、大和、小米、枝太郎などゝ雁首さし替てお目通り

明治4571日 神戸新聞

戎座 生田前の同座は本日より屋幸満に出演せる落語門三郎、福圓、染丸一座

屋幸満 本月の出演者は左の如し

 三勝、圓次、美喜松、竹枝、正太夫、文之助、福圓、麦團次、一二三、五六、門三郎、染丸

明治4571日 神戸又新日報

敷島館 例の橘の圓入道今月は東京より三遊亭小圓朝、長唄杵屋連の美人六美津、津ばめ、六歌津、支那音曲鄭輝生(ていきせい)、小宝、新橋芸妓の浪花節青木屋仙八等を差加え近来なき大一座で本日初日

明治4573日 都新聞(東京)

金馬の帰京 三遊亭金馬は名古屋方面を興行中なりしが一昨日一座を引き連れて帰京。

明治4573 大阪新報

新世界の落語場 新世界の売店が連合で余興場を設け、暑さの厭ひなく遠路お運びの客に対して聊さかのお礼心、興を添へやうとあり、場内に三友派を招き、御機嫌を伺はせることになつた。名前は今の所三友派と呼んでいるだけだが、此目論見も畢竟紅梅亭の原田が首を突込んでいるから、其方寸に出でたこと言ふまでもなし。 

明治4574日 大阪朝日新聞

◇落語三友派の組席天満杉の木席にては三枡紋弥が本日より電気踊りを見せる由。

明治4575日 大阪時事新報

<橘家円太郎のレコード物真似>

◇円太郎の蓄音機 三友派の睦席に出てゐる橘家円太郎は、棚の達磨が汐風を食つたやうな面構をして居る。東京で苦しめられた咽喉節が莫迦に器用なので音曲の花形に使れて居るが、此男の特種芸としてはチヨイト鼻柱を抓んで蓄音機の物真似、廓で流行の磯節杯は蓄音機を聴て居るのと同じ感じがする。人間に生れて器械の音色を真似ねば飯が食ぬとは何と間が悪いんでせう、てな気散じな事を言つて喜んでゐるとは罪のない男だ。アレでも楽屋へ這入ると理屈らしい事を言てゐるから妙サ。

明治4576 大阪新報

◇小せん盲になる 落語寿々女会が改革後東京から若手の腕利きを呼ぶつもりで其人を選んだ末、柳家小せんが宜かろうと人を以て交渉すると、小せんは脊髄病で永い間の入院、それのみか病気のため可哀そうに眼が見へなくなつたという返事に、同派では大いに同情し、頻りに其全快を祈つて居るのは如何にもそうありたい事だね。

明治4576日 満州日々新聞

<桂三輔一座・満州花月席>
◇花月席 桂三輔女道楽月の家八七八の落語曲芸一座にて六日より
伊勢参り二人旅(桂小三太)西の旅兵庫船(桂三幸)歌根問音曲(笑福亭雀)落語蘭法医者手踊(三遊亭歌之助)即席噺一口問答(桂伯遊)落語高砂屋つづみ曲(三遊亭小圓生)みかん屋盆の曲(橘家圓坊)清元神田祭浮世節北州舞(女道楽二三路、月の家八七八)音曲ばなし、奈良丸節、こわ色(桂三路)三十石夢の通い路手踊扇舞(桂三輔)

<編者註>花月席の番組は以下の通り。

77日 

兵庫舟音曲(桂三幸)小倉の敷紙手踊(笑福亭雀)磯あわび一問答(桂柏遊)七段目ステテコ釜ほり(三遊亭小圓生)口入屋手踊(笑福亭笑三)清元都々逸手踊(月の家二三二、八七八)音曲百種奈良丸節浪花節(桂三路)桜ノ宮扇曲盆の手踊(桂三輔)大切喜劇(見立物)

78

 小倉船竜宮界音曲(桂三幸)稽古屋手踊(笑福亭雀)軍人の車夫即席噺(桂柏遊)東京噺鼓の曲(三遊亭小圓生)ろくろ首手踊(笑福亭笑三)清元浄瑠璃(月の家二三路)浮世節手踊(月の家八七八)新作落語音曲奈良丸式浪花節(桂三路)仕込の大砲扇子の舞(桂三輔)楽屋総出新喜劇

79

高物(三幸)恋の辻占(雀)米国話(柏遊)夕すずみ手踊(笑三)御花見音曲(小圓生)清元都々逸手踊手踊(二三二、八七八)音曲奈良丸節(三路)悋気の独楽扇舞(三輔)大切総出(於茶番)

710

東の旅(三幸)子ほめ(雀)改良話手踊(柏遊)五人廻し口つづみ(小圓生)口入屋音曲(笑三)清元都々逸手踊(二三二、八七八)音曲奈良丸節(三路)ざこ八扇の舞(三輔)大切二加(総出)

712日 

西の旅音曲(三幸)芝居ばなし手踊(雀)棒屋閉店一口問答(柏遊)みかん屋口鼓の三曲(小圓生)金名竹ちんばステテコ(笑三)清元お染久松都々逸相撲(二三二、八七八)音曲噺奈良丸式節ざこ八盆の曲(三路)大切落語二加(総出)

713日 

高宮川天狗の酒盛音曲(三幸)芝居噺曽我十人斬手踊(すずめ)三人かたわ一口問答御題噺(柏遊)よいよいそば口鼓の三曲(小圓生)月宮殿月の都ビッコのステテコ(笑三)清元お染久松浮世節都々逸相撲(二三二)山姥舞滑稽踊(八七八)音曲色々奈良丸浪花節(三路)親子茶屋盆の曲扇子舞(三輔)落語研究会来客穴探賞品付(総出)

714

 「落語研究会」来客穴探し賞品寄贈「巻紙二十本」(信濃町村上商店)「目覚まし時計三個」(近江洋行)「癒創膚、ヘプリン計二十袋」(溝上葬輔)落語人(笑三)弁護人(水野三路)戯長(楠原三輔)大戯士(長瀬小圓生)

715日 

二人旅コレコレコレ(三幸)野崎詣り音曲手踊(すずめ)芝居噺手踊(柏遊)うそつき弥次郎口鼓三曲(小圓生)くちもち滑稽刀舞(笑三)清元かさね土橋都々逸相撲(二三二)白酒舞踊だるま踊(八七八)音曲噺奈良丸節(三路)紙くず屋盆の曲芸(三輔)大切落語研究会来客穴探し賞品付広告寄贈品沢山あり(座員総出)

716日 

地獄八景(三幸)しらみ茶屋(すずめ)天災音曲(伯遊)肝つぶし手踊り(小圓生)野崎詣りチンステー(笑三)清元おかる勘兵衛浮世節(二三二)老松舞段畑踊(八七八)音曲噺奈良丸節(三路)大和橋盆の曲舞(三輔)落語研究会「盲目景清」

717日 

穴探し演題「子誉め」弁士(笑三)代議士(楠原三輔)女弁談士(原二三二)戯長(竹林すずめ)

720日 

兵庫舟(三幸)質屋蔵(雀)猫金(柏遊)星野屋ステテコ(小圓生)清元吉原雀(二三二)手踊獅子舞(八七八)音曲奈良丸節(三路)味噌蔵扇の舞(三輔)大切研究会落語弁士(笑三)戯長三海弁護士(三路)

722日 

深山隠れ(三幸)三百餅音曲(すずめ)唐物屋手踊(柏遊)品川心中口鼓(小圓生)清元十六夜月清心老松にづぼら(二三二、八七八)音曲噺新内天ぷら(三路)研究話針金渡娘道成寺その他珍藝沢山

723日 

瘤弁慶音曲(三幸)群雀親子の茶屋入手踊曽我夜討(雀)教育噺天災の巻即座噺さらし(柏遊)下駄履いて首きり鼓の曲手踊(小圓生)清元平井権八仕置場都々逸相撲老松手踊(二三二、八七八)新作お笑奈良丸式討入(三路)一休和尚和歌の問答扇子の舞(三輔)

724日 

百人坊主(三幸)尼買い(雀)芝浜(柏遊)天災(小圓生)清元種まき手踊岸姫(二三二、八七八)落語音曲奈良丸節(三路)船弁慶(三輔)大切研究会弁士(柏遊)戯長(三輔)代戯士(雀)一弁護士(三路)

725日 

商売根問(三幸)麦飯で鯉の本(花亜加)神武天皇以来の履歴(一襲坊)酒呑童子ババたれの件(ポンタ)お染久松清元浄瑠璃(大関)端唄大相撲六歌仙(昔の美人)音曲噺奈良丸式浪花節(三路)紙屑より衛生の技芸(三輔)研究(幼子の洋行)(柏遊)戯長弁護代戯士連中総出賞品沢山

726日 

西の旅(三幸)寄合酒(雀)ほしの屋(柏遊)ヨカチョロ手踊(小圓生)清元三番(二三二)都々逸手踊(八七八)音曲落語奈良丸式浪花節(三路)改良車盆の曲(三輔)大切研究会

727日 

百間長屋(天一坊)三枚起請(花亜加)洋行実語(片ガラス)野晒(小圓生)清元浮れ節手踊り十八番(二三二、八七八)音曲噺浪花節(三路)落語十八番の内肝つぶし(三輔)大切研究会(総出)

728日 

伊勢参り神の賑わい(三ズル)源兵衛元服源平五(雀赤)夢の手柄俗の間違い(ヒョロナガ)さめて悔しき夢の恋路(酒呑童子)お俊伝兵衛清元浄瑠璃(ボテ女)浮世節北洲の舞(ホソ女)改良話奈良丸節音曲(一脇坊)盆踊ち意恨の血祭り(出歯の守)研究池田の牛誉め(すずめ)戯長弁護代戯士連中総出賞品沢山

729日 

兵庫舟(三幸)子ほり角力(雀)改良しるこ(柏遊)五人廻し(小圓生)清元北州千年寿(二三二)都々逸手踊(八七八)音曲奈良丸節(三路)櫻の宮盆の曲(三輔)大切研究会

明治4575日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地相生座 今五日より圓入道、小圓朝一座にて開場。初日の番組は浪花節(仙八)文七元結(小圓朝)三村薪割(圓入道)長唄手踊(六歌津、つばめ、六美津)支那音曲(鄭輝生、小宝)落語手踊(圓三郎)落語(小圓冶)落語(圓天坊)曲芸(助次郎)

明治4577日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<互楽派の林家正楽一座・姫路楽天座>

楽天の落語 竪町楽天は、七日午後七時より浪花落語互楽派林家正楽一行を迎へて開演する筈。

明治4578日 都新聞

金馬 一座は昨日出発台北旭座へ

明治4579日 大阪時事新報
三升紋弥

◇紋弥の糠喜び 三友の寄席へ出て電気踊りに飛だり跳たりして見物の眼を煙に巻込で居る此の紋弥の出番を見計つては屹度桟敷に陣取る美人がある。元来自惚の深い紋弥、俺への肩入とは憎からぬ女だと楽屋に這入てから何時も来るアノ美人なと口を開くと、鹿仲間の小米クスクス笑ひ出し、アレは俺等の深間で南地平芳席の歌勇といふ芸妓だと説明したので有繋(さすが)の紋弥も口アングリ、是は失敬。

明治45710 大阪新報
<桂春団治>

◇春冶の生兵兵(びょうへい) 三友派の人気男春冶はハシャイだ高座が面白いといふので他愛もなく喝采されて居るが、七日の晩杉の木で落語「阿弥陀池」で米屋の亭主が強盗を取つて押さへる條(くだり)になり、「生兵ヘイは大創の基い」と来たので、言損ないだと思つて居ると、「なま兵ヘイ」が二度出たのでウンザリ。春團冶よ、生兵ヘイは大間違の基と知れ。

明治45712日 都新聞

三遊中元会 十三、十四日の両夜六時より神田の川竹亭で開く番組はかけ万、花見小僧(圓遊)松づくし、芝居噺(三助)菎蒻問答、星のや(文樂)百人坊主、五人族(圓蔵)琵琶(島津)いじくらべ、文七元結(遊福)尺八(花堂)夕ぐれ、春雨(夢輔)しる粉や、武生床(小遊三)お化長屋、小言幸兵衛(むらく)

明治45712日 大阪時事新報

<三遊亭円子のステテコ踊り>

◇蘇つた円子 三友派の睦席へ出て居る三遊亭円子は盲目坊主の柳寿斎を亡した後はステヽコ踊りの唄三弦に困つて居たが、東京から来て居る児童の長唄勘三郎の三味線弾勘左衛門と云ふのが折も可しお誂の盲目と来てゐるので夫を相手に引張出し、柳寿斎存生の時代に用ゐたステヽコ文句を利用して滅多無性に踊り廻すので、盲目人ながら勘左衛門楽屋へ這入ると白い眼をクルリト剥て、盲目人(めくら)嬲(なぶ)りも大概(ていげい)にしろ。

明治45713 台湾日日新報
<三遊亭金馬一座・台湾朝日座>

金馬の一行 東京落語三遊亭金馬の一行十一名は昨日当地へ着直ちに楽隊…[原紙破損]…が一行に加はり三十六貫目の大女が来る筈だつた処この女は何様大兵肥満の事とて暑中は内地でも二人掛りて煽ぎ通しと云ふ難物だから台湾では氷詰として保存の必要があるので已むなく同行を見合せたとの事だ金馬一行は愈々本夜から朝日座で開演入場料は六十銭、四十銭、二十銭の三等制(軍人子供半額)一座の出番は左の如し 音曲物真似(金)落語手踊(金平)新古落語(談志)落語音曲手踊(小金馬)落語(金)落語曲芸(金遊斎)清元(福寿)清元(松助)清元(竜生)落語音曲(金馬)

<編者註>721日迄朝日座にて興行。22日より基隆座にて興行。               

明治45714日 北国新聞

三遊亭円都一座・金沢一九席>

一九席 十四日より東京落語三遊亭圓都一座にて開演番組左の如し。     (円都と妻の松琴)

円都と松琴

落語物真似(都兵衛)落語音曲(都輔)落語手品(小圓)落語手踊(團橘)滑稽落語(圓満)琵琶歌、歌物数々(名都子改め松琴女史)滑稽落語音曲手踊(圓都)諸芸ふき寄せ(大一座)

明治45714日 北国新聞

<春風亭柳枝一座金沢松ケ枝館>

◇松ケ枝館 十五日より東京落語春風亭柳枝一座にて開演すべく一週間限り日延べなしの由番組は左の如し

影芝居(枝二郎)滑稽昔噺(枝造)落語物真似(柳水)滑稽昔噺音曲(年枝)東洋曲独楽(小源水)新作ステテコ踊(梅枝)清元浄瑠璃(若駒)落語手踊(十三歳柳童)奇術曲芸運動(清国人張鳳山)音曲噺(枝太郎)滑稽人情噺(柳枝)

明治45714 京都日出新聞

笑福亭は十五日より東京の小円朝を始め助次郎、小美代、扇朝、小円次、国輔、三朝等の落語を迎へるが小円朝は名人故円朝の門人で既に円朝の名跡を襲ふてゐるのであるが、改名の興行は十一月にするとして這度は従前お馴染の名の小円朝でお目見得をすることになつたが話は矢張り円朝十八番の牡丹灯籠や塩原多助などを選ぶさうだ

明治45714 大阪朝日新聞京都付録

<三遊亭小円朝>

◇笑福亭は十五日から三遊亭小円朝の一行、助次郎、小美代、小円治、国輔、三朝外数名の東京落語家連で開くことゝなり、小円朝は故円朝の傑作「牡丹灯籠」「塩原多助」を話し続ける筈であるといふ。

明治45715 大阪朝日新聞京都付録

◇大津大黒座は十五日より久々振りに三遊亭遊三一派落語を演ずと。

明治45715日 都新聞

四人会十五、十六正午両国立花家に圓右、圓蔵、伯鶴、三木助出演

明治45715日 大阪新報

<互楽派の林家正楽>

◇正楽の冠句宗匠 今落語互楽派の大将となつている林家正楽は見掛けに寄らぬ気骨があつて、師匠正蔵が落語互楽派に属した時一緒にクツ付いて出たものだが、其時の給金が十五円。当人、「ヘーそれで結構」と喜んで引受けたといふ。其正楽、今は暑中の息抜きの旅へ出て居るが、あれで見掛け通り道楽のない替り、冠句界のタテ物だから少々驚くね。

明治45715日 鷺城新聞

楽天 七月十五日、十六日の二日間、午後七時より楽天にて東京絃音会長石村松雨一行にて高等演芸大会開催。

明治45719 大阪新報

<桂文吾、京都へ去る>

◇文吾大阪を去る 桂文吾が三友派と寿々女会とに義理の板挟みとなり、彼方(あちら)立てれば此方(こちら)が立たず、両方立てれば頤が干上がる所から頗る神経を痛めて居たが、先達(せんだって)酒のため持病の脳が再発、是を好い切ツ掛けにして高座を休み、養生旁(かたがた)といふので京都へ去つたが、当人は孰れにしろ大阪落語界には打つて出るを遠慮して居るから、当分はアノ旨い落語を聞くことも出来なからうとは惜しいものだ。

明治45719日 大阪時事新報

<花咲の曾我廼家五郎の声色>

◇三友派軽口の花咲は十五日から法善寺の紅梅亭へ出て跳返つて居るが、例に依つて楽屋入の前曽我の家五郎の声色を遣つて見せた所、見物は似たりや似たりやと喝采、花咲愈よ得意と成て妙な身振りを真似ながら行つて居るうち、不途北桟敷の裏手に眼を移すと其処は中座の楽屋窓、中から首を出て本家の五郎が「私の声は然んなんですか」といつたやうな顔付をして見て居たので、今更ながら花咲額を叩いてイヤ是はしたり。

〈編者註〉初代桂花咲。軽口の桂家雁篤に見いだされ、相方を勤めた。声色や書生踊りを得意とした。

明治45720 京都日出新聞

<三遊亭小円朝を聴く>

◇小円朝を聞く どうやら一代の名人円朝襲名の月桂冠を戴く小円朝、笑福亭に来つて得意の人情噺に一掬の涼味を与へんとしている。近来笑福亭の侘び方はお話にならぬものがある。この孤塁に拠つて大に挽回策を講ずる小円朝の勇気や好矣としてやらねばなるまい。

師匠円朝は確に名人であつた。殊に其世話ものに至つて古今独歩の称を恣にしてゐた。世話の名優五代目菊五郎も円朝によつて得るところ実に少くなかつた。好評を博した「牡丹灯籠」「塩原多助」「文七元結」など悉く円朝によつて獲たものに外ならぬ。

其遺髪を伝へて漸く旧套陳腐をもつて芸壇に勢力を減退されてゐる落語界に異彩を放つてゐる落語四五星の一星は即ちこの小円朝である。自分の聴いたのは「孝女お蝶」の下半分であつた。遉がに言葉のうちに風□態度が浮び出て来るのは旨いものだ。勇次、お市それ〴〵悪玉、毒婦が徐々として出て来る。孝女お蝶は年の割に少し老ているやうに思はれたのはどうしたものやら。噺の運びに無理がない要意としてはお市が戸を開ける時振返つて情夫勇次が裏口から出てから開けるなど何でもないことだが理屈だ。

而し素より此話は小円朝を評するに余り実が少なすぎた。この話で小円朝の総ては判らない。もつと実のあるものが聞きたい。悪洒落駄洒落の垂流しである上方の落語は聞く気になれない矢先、小円朝などにしんみりと聴かせて欲しいものだ。軽い話でも遉がに一味の涼気は場内に生じる憖(なまじ)いの芝居などより余程涼しい。そして出来得べくば小円朝の妙技に加ふるに一世の名人故師の名を借りて矢張り故師の十八番ものゝ内でも世間に知られたものをやるのが上分別ぢやなからうか。前にも言つた三つの外にもまだ沢山ある。聞けば今夜から「塩原多助」を読むさうだ。塩原ならこの話をもつて小円朝の軽重を定めることが出来やう。聞くのを楽にして、又聞いてから更に言ふてみやう。

明治45721日 都新聞

台湾の金馬 台北朝日座へ乗込みし三遊亭金馬は十三日初日は大人気にて木戸一等八十銭二等六十銭三等三十銭にて五時頃には九十七度の熱さに拘らず満員となり十日間にて台南へ乗込む由

明治45721 大阪新報
<桂文団治>

◇文團冶の不了間(ふりょうけん) 三友派の文團冶が此間平野町の此花館で例の通り二十年も前にハヤツた落語を「旦那さん方御承知でもありましょうが」でお旧いところを一席伺ふと、落語半ばをも弁(わきま)へず、火鉢に火が無かつたのに気付き、お茶子を呼んで剣突くを喰はしたが、今度はお茶子が気を利かして鉄瓶に熱い湯を持つて行くと、「鉄瓶の湯ではない、火鉢の火だ」と落語は其方(そっち)退けにしてブツ〳〵呟(こぼ)して居たのは甚だ耳障り。苟くも真打株の所業にはあるまじき心掛けだと或る客が罵つていたが、全く其の通りだ。

明治45724 大阪新報

◇肥るので悄げる 寿々女会の高座で筑前琵琶を売り物にしている中村春暁は目下旅稼ぎに出て居るが、以前の素性を洗つて見ると、淡路の洲本で小三といふて居た田舎芸者。此頃身体が肥る一方なので内心悄げて居るが、楽屋で「金が出来たのだらう」とからかはれて、「いゝえ、米が高いからお粥を食べてますので水肥りになつたのだす」は色気のない返事。

明治45725 京都日出新聞

興行物は猶休業 多分廿七日より興行すべきか 
 新京極興行組合が廿三日の会議の末
一度は活動写真のみ囃子鳴物を入れずして興行することになりしが同夜十時更にこの決議を取消し総て廿五日より一様に開場することに決したるは逐一報導せし如くなるが猶昨朝に至り一同又又会議を開きたる末仮令(たとへ)東京大阪等にて開場したるものありとは言へ京都は引続き廿六日迄御遠慮申上げ多分廿七日より成るべく静粛なる程度に於て興行することゝなれり

明治45727 大阪新報
<笑福亭松鶴>

◇松鶴だつて凡人 寿々女会の松鶴は南で焼け出され、堀江へ家を持つて居るが未だに独身暮しをしているのは何か事情があるのだらうかと聞いてみるのに、「老母があるのだから今嫁を貰ふた為め世間に好くある□の内輪もめを起こし、血で血を争ふやうなことがあつては済まぬ」と言つてるのは、如何にも孝に感服の至りだが、近頃北陽(きた)の…(解読不可)…「ナンボ松鶴かて凡人だすね」。

明治45729日 都新聞

広告/むらく独演会/廿九日卅日夜本郷若竹亭住吉籠子別れ紙屑屋外余興

明治45729 大阪新報

<杉の木、三友派を離脱>

◇寄席のイガミ合 分離とか紛優とか厄介千万な癖の付いた大阪の落語界は、昨今各寄席とも馬鹿〳〵敷く暇なので、好い考へは浮かばず、ケチの付け合ひを行(や)つてゐるが、此頃三友派の杉の木が張本になつて、下らない分離沙汰が起つているとか、未だにゴテ付いているとかいふ。睡気醒ましには内訌で好いが、真因を正せば何の事、杉の木が斯界の利け者だけに、紅梅亭と肌に合はないのみならず、出番のことから揉めているのだと聞いては些か興が覚める。 

明治45729 京都日出新聞

興行物は依然休場 廿七日来各自任意開場することになり居たるも其後の御容体御気遣申上るべき御模様なるより各興行物は今は却々そんな問題に苦しむ時に非ずと何れも依然休場を持続為したるがパテー館の如きは一時雇人を解雇したる程なりと

上方落語史料集成 大正元年(1912)8月

大正元年81日 大阪毎日新聞

◇歌舞音曲停止ハ五日間 大正元年七月三十日ヲ以テ廃朝中歌舞音曲ヲ停止ストノ勅令出デタレバ、廃朝期間即チ昨七月卅一日ヨリ来八月四日マデノ五日間ト御大葬当日ノ一日ト歌舞音曲ヲ停止スベク、特ニコノ期間ハ最モ謹慎静粛ヲ旨トシ衷心ヨリ弔意ヲ表シマツルベキナリ。

大正元年81 京都日出新聞

御停止は五日間 大喪につき一般市民は興行物其他歌舞音曲を停止して哀悼の意を表し居れるが右は廃朝の期間五日間即ち三十一日より四日迄の五日間にて其後は平常通り歌舞音曲を行ふて差支へなき旨三十一日内務省より京都府に通牒あり京都府にても此の寛大なる御諭目に基づき、何等の斟酌を加ふることなく直ちに一般人民に大臣の諭旨を通達する所ありたり

謹慎、謹慎 △新京極の各劇場寄席は何れも一層(しほ)御哀悼の意を表して「大行天皇崩御被遊され候に付哀悼敬意の意を表して謹んで休業仕候 新京極興行同盟組合」と記したる看板を出し看板は皆黒布で覆ひ点火をさへ御遠慮申上げたので未だ宵乍ら恰も深更に等しく通行人さへ平常の三分一にも満たず只々静粛せる様には感じ入つた

大正元年83日 都新聞(東京)

圓遊の一行 岡山にて謹慎休業中の同一行は四日同地を引上げ神戸へ乗込む由

大正元年84日 大阪新報

◇千日前の各館 第一愛進館、三友倶楽部、帝国館及び法善寺内の落語席紅梅亭、蓬莱館は孰れも五日より開場す。

大正元年84日 大阪時事新報

◇落語家連の謹慎 三友派連中遙拜所に参拝す 

御大喪に関しては芸人の身分としては殊に謹慎せざるべからずと、浪花落語三友派連中は一同申し合せて、此の際日頃の陽気や道楽を慎み、誠心敬弔に意を表すことと為せるが、二日は幹部総代たる文治、文団治、文都、円若、円子、円太郎、蔵之助、米団治、染丸等、笠屋町なる事務所に打寄り、紅梅亭原田席主、平野事務係主任も立会ひ、座員打揃うて哀悼の意を表す事に就き、種々相談を重ねたるが、先ず第一着として今宮遙拜所に至り礼拝することに取り定め、至急座員全部の招集に取掛れるが、平野事務係は語りて曰く、「御大喪に就いては平素の道楽稼業に似もやらず座員何れも非常な謹慎を致し居ります。殊に這回(こたび)の僅か五日間と申す御停止には不敬ながら御告示が御間違ではなからうかと思はれた程で、大御心の有り難さに皆皆感泣致し居ります次第。何分落語と云へば芝居なぞとは及びもつかぬ低いものですから、幹部どころを除きましては一日とて遊んで行ける時がなく、夏期は夏期で旅へ稼ぎに出掛ける例になつて居りますが、去りとて五日ばかりで御停止が済むのを待ち兼ねたやうに興行を始めると申すやうな不謹慎は致さぬ心算で、尚ほ一週間程は慎んで休業した後ち御聖慮に甘へて開演致す考へで、これは十日頃と思はれます。兎に角連中のうち老年株の者等は今昔を思ひ較べ、たゞ御聖旨の辱なさに感涙に咽び居ります」云々。

大正元年88日 大阪新報

◇落語家は殆ど旅烏 大阪の落語界も八月は暑中休みであるし、米の高い時節柄、遊んで寝て暮らした所で仕方がないと大奮発の結果、旅稼ぎに出掛けるものが多いが、中に寿々女会では松鶴、馬生、千橘、春暁等の一組が和歌山の紀の国座へ乗込み十日が初日。又圓馬、燕枝、秀甫等の組は神戸敷島館へ、又小文枝、萬光等の若手は浜寺公会堂へ夫々出掛けた。こんなことになつてる一方、三友派は寄席では相変らずゴテ付いて紅梅亭、東紅梅亭、六方館の三軒が同盟を作り、他は思い〳〵に離れて了つたとやら。熱いことだわい。

大正元年88 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は今八日より京都芦辺館引越しの浪花三友派落語桂枝太郎一座にて開演。

〈編者註〉「博秀館の落語枝太郎一座は十七日まで開演の筈だが人気よし」(815

大正元年8812日 大阪時事新報/大正元年8910日 大阪新報

<三友派の分裂・大正派を結成>

◇旧三友派の寄席たりし平野町の此花館、天満の杉の木、堀江の賑江亭、福島の延命館以上四席は、今回浪花大正派と改め、各種の演芸を蒐集すと。(大阪時事88

◇落語大正派組織 従来の三友派席船場此花館、天満杉之木、福島延命館、堀江賑江亭は今回提携し、浪花大正派を組織して三友、寿々女会、娯楽等派に対抗し華々しく開場することとなれり。(大阪新報89

◇三友派落語家 三友派の寄席が二分して、一つは大正派となつたことは既報したが、寄席がこんなに分れて了つても三友派といふのは落語家の団体であつて依然として存在する。納(つま)り同派落語家の働く場所が少なくなつただけで、大正派でも何でも雇ひに来ればそれに応じて出勤させる仕組みだとか。併し今度の大正派は天満の杉の木を頭目にして大阪の落語界のイソ的しん橋が専ら采配を揮ふのだから前途は頗る怪しいものだて。(大阪新報810

大正元年89日 北陸新聞

◇一九席 昔噺(今蔵)噺記憶術(今の助)滑稽浄瑠璃(枝女子)音曲百種手踊(枝女輔)音曲噺(燕雀)滑稽噺手踊(助平)西洋奇術(ピリケン)長唄清元浮世節(若駒)落語余興百種(柳昇)滑稽人情音曲噺(今輔)ハイカラ諸芸吹寄せ(総出)

大正元年89日 神戸新聞

御停止明の演芸花柳 神戸の花柳会は既記の如く、先帝御不例当時より崩御後の御停止中に亘り引続き休養しいたるが福原、新川両遊郭は愈々本日の御停止明けと同時に平素の如く営業を開始することとなりしを以って此の数日暗黒の巷となりし各廓は今晩より再び不夜城の観を呈すべし尤も法令にては昨日にて御停止明けたれどまだ御大葬(ごたいそう)さえ終わらせぬ今日故引続き謹慎の意を表し静粛に営業すべく申合わせたり。又芸妓の方も之も当分の間は歌舞音曲を見合わせ座敷にても喧騒(けんそう)がましき行為を成るべく避くる方法を執り且つ喪章を簪(かんざし)代りに用いる筈なりという。尚興行物の中には引続き御遠慮申上げ或いは演物の都合にて休業するものもあれどその大部分は愈々御停止明の本日より開演することとなりたるが、演物の決定せる分左の如し

屋幸満と戎座 圓遊一座の落語今晩の演物は、三人□客、ステテコ(圓遊)長唄(遊之助、遊子)空□問答(圓都)

敷島館 圓入道一座落語演物は、浮かれの屑選(燕枝)忠孝(圓入道)江島屋(圓馬)遊子)

〈編者註〉8月の敷島館の番組は以下の通り。

<円頂派(橘ノ円)一座・神戸敷島館>

89日 浮かれの紙屑より(燕枝)忠度(圓)江島屋(圓馬)

810日 電車(圓三郎)長唄吾妻八景(杵屋連)音曲雲入道物真似(秀甫)独楽丁稚(燕枝)三人兄弟(圓入道)怪談江島屋(圓馬)

811日 猫の忠信(圓三郎)長唄二人久(六加津、喜よし)音曲雲物真似(秀甫)源兵衛玉(燕枝)雷電(圓入道)怪談江島屋(圓馬)

812日 堀越村(圓天坊)作なま(市馬)妾通(圓三郎)勧進帳(六かつ、喜よし)音曲(内田)大工さばき(燕枝)水仙(圓入道)怪談江島屋(圓馬)

813日 質屋芝居(圓三郎)筑摩川(喜よし)親子茶屋(燕枝)文違い(圓入道)江島屋(圓馬)

814日 三人兄弟(圓三郎)長唄静葵(六美津、六加津、燕、喜よし)三枚起請(燕枝)音曲(秀甫)駒長(圓入道)江島屋(圓馬)

815日 立切線香(圓三郎)長唄新石橋(燕、六加津、六美津、喜よし)音曲(秀甫)不思議の五圓(燕枝)笑い竹(圓入道)江島屋(圓馬)

818日 赤垣源蔵(圓)怪談江島屋(圓馬)

819日 深山隠れ(圓三郎)長唄筑摩川(燕、六加津、六美津、喜よし)一人演劇(秀甫)松竹梅(燕枝)槙割(圓入道)江島屋(圓馬)

820日 聾(つんぼ)茶屋(圓三郎)長唄勧進帳(杵屋連)一人演劇(秀甫)不動坊(燕枝)熊の皮(圓入道)江島屋(圓馬)

821日 春雨茶屋(圓三郎)長唄道成寺(杵屋連)音曲(秀甫)仕込大砲(燕枝)駒長(圓入道)江島屋(圓馬)

822日 親子茶屋(圓三郎)長唄鞍馬(杵屋連)猿廻し(燕枝)巌流島(圓入道)江島屋(圓馬)

823日 巌流島(圓)乳房の榎(圓馬)

829日 蛸芝居(圓三郎)長唄新石橋(杵屋連)音曲(秀甫)盗人の挨拶(燕枝)蒟蒻問答(圓)怪談乳房榎(圓馬)

830日 土橋萬歳(圓三郎)長唄道成寺(杵屋連)音曲(秀甫)首の仕替(燕枝)掛取(圓入道)怪談乳房榎(圓馬) 

大正元年89日 京都日出新聞

◇各興行共まだ諒闇の悲しみが去らないので御不例御発表以前からみると大分淋しいものである。芦辺館はこの人気と加ふるに暑気とを見計つて当分休業を持続して表看板は相変らず黒布を張つてゐる。笑福亭は小円朝が得意の「塩原多助」を読む。

<編者註>この当時の様子を、小圓朝の息子の三代目小圓朝(本名芳村幸太郎)が、「三遊亭小圓朝集 小圓朝昔ばなし」(昭和449月 青蛙房)で、次の様に書いている。

…京都にはいって、京極の笑福亭でやっていると、明治天皇がおかくれになった。そうなると、興行ができない。その次はどこ、その次はどこと、方々にビラを配ってあったものの、みんな返ってよこす。サア困っちまった。行き先がないから、京都にいるよりしょうがない。けれども興行ができないんだから席亭が飯を食わしてくれない。弁当をあつらえたが、それも払えなくなってとまっちまう。しょうがないので、日本じゃア興行できないが、朝鮮ならばいいてんで、それから朝鮮に渡って、京城で何日、木浦で三日、釜山で三日という具合で、あっちこっちずいぶん歩きました。

なんだかんだで、朝鮮で一カ月以上歩いていると、そのうちに日本でも興行できるようになったんで、そこで九州の博多へあがって、川丈座というところを振り出しに、門司、下関と歩きました。博多も門司も客が来なくて困ったけれども、下関へ来て、町廻りをして、土地の芸者を三人ばかり呼んだら、それが吹聴してお客が来てくれた。三日の興行が三日とも満員で、それでどうやら息をつきました。…。

大正元年89 大阪朝日新聞京都付録

◇久しく御遠慮休業中であつた各興行ものは音曲停止の期も相すきたるにつき、六日から謹慎しつゝ準備成りしものから開演する運びとなつた…明治座は東京三遊派一行の落語で、遊三を真打とし大切には電気応用の所作事、初日十五銭均一。

大正元年811 大阪朝日新聞京都付録

<明治座の三遊亭遊三一座を聴く>

◇明治座は二代目遊三一行の東京落語、少々座席が広いので舞台に添はぬ形はあるが、流石江戸連中のサラリとした所に乙な切れ味があつて、淡泊で気が利いている。九日に一寸覗く。一絃斎の曲弾、三味の糸を一本にしての音色、苦心のものだが、それよりかは唯弾の音〆が美しい。筑前喇叭が前のお気に召して琵琶の巧を嬉しがられた。円三の「百人一首」、お土産話の後が余興とあつたが、坊さん少々煮え切らなく、お説教位でお茶を濁した。呂鶴の「お花伝吉」、曽呂利風の上方噺にチョイ〳〵巧い色も出すが、お笑ひが薄うて折角の話を淋しくした。淀助は大阪幇間、馬生といふ口調にペラ〳〵と軽いが、枕調の間に素人が出たのは舞台の経験が浅いのか、廻礼の話に厄払ひを喰つ付けても軽い話振は兎に角人気の随一、踊は軽い。遊三の「胆取り」、シンミリと先づ結構だが気障の譏は免れぬ。人形が変らぬ不用意が時々出たは見苦しい。踊は庭間流の中での渋いところ、これのみはよし。大切の茶番は「勧進帳」であつたが惇(あつ)くない所に江戸の包丁を見た。

〈編者註〉このあと岩神座へ移り、十四日より開場。

大正元年8月11日 大阪朝日新聞神戸付録

湊川相生座 東京柳連、浪花三友派連合同落語三升紋弥一座にて十一日午後六時より開催

大正元年812日 大阪時事新報

<大正派>
◇寄席の大正派 三友派を分離した此花、杉の木、賑江、延命の四席は、従来有触の鹿達ばかりを頼みに為(し)て居ては席主としての顋が干上がる境遇に陥る道理と、いろいろ評議を凝した揚句、万事は例の際物主義から割り出して、今後仕込安い新内、チヨンガレ、乃至は大道芸人でも構はないから、好奇心を惹くとさへ見ればドシ
〳〵引揚げて出席させることに談が纏つたさうな。ソシテ看板は改元の年号に因んで「大正派」。(大阪時事812

〈編者註〉「大正派」という呼称はわずか二ヶ月ほどで消滅し、もとの三友派を名乗りだす。新聞記事もどちらの三友派を指しているのか分らない時がある。当年表では紅梅亭の三友派、此花館の三友派と区別して書く事にする。

大正元年812日 大阪新報

◇鹿の給金値上げ 落語と言へば三友派ばかりの噂になつて了つたが、同派では今度の改革と同時に大いに期するところがあり、従来下手を以て通つていた落語の研究向上を計るため、落語家の給金を値上げし、其替り条件として頗る重い責任を負せ、寄席の不振は即ち連中の怠けに帰するといふので、何処までも勉強して貰ふことにしたそうだが、来月の落語界は怎(ど)うやら三友派が色めく訳だがシツカリ頼むぜ。

大正元年813日 大阪時事新報
<三升紋弥>

◇気障紋弥の玉突 嫌味の三升紋弥、昨今寄席が休業して居るので、日の暮るゝを待兼ねて、派手な浴衣に気取りくさつて、用もないのに護謨輪で遊廓内を乗廻し、玉突場へ這入つては球の操縦に迷誤突(まごつい)て居るげな。遊ぶ事は偶(たま)にして少しくらゐ素噺の修行でもやつて置く方が身の為めだらうよ。

大正元年813 京都日出新聞

笑福亭の小円朝は故円朝の遺鉢を継承して人情噺の旗色を翻してゐるが十五日迄の処御贔負お勧めとあつて本月中興行することになつたさうなが、当分のお名残とあつて本日より木戸銭半額の十銭として、読ものは故円朝の十八番ものゝ一つなる「塩原多助」。
◇明治座の東京落語は本日限り打上げ。
◇岩神座は明治座に居た東京落語で明日より開場するが初日は十五銭均一。

大正元年814日 大阪時事新報
<松鶴と馬生>

◇松鶴と馬生 三友派から脱けて桂の寿々女会へ加入した松鶴と馬生の両人は、何処まで行つても繋がる縁、旅廻りも一所に参りやせうと目下奈良で稼いで居るが、寿々女会の定席も九月一日から開場の筈で、先夫迄(まずそれまで)は十分稼いで内懐(うちぶところ)を暖めて帰りますと云つてゐる。併しアテコトと何とやら、御両名とも鼻の下が篦棒に長いのだ、用心さつしやい。

大正元年815162122日 大阪時事新報

<明楽座の紅梅亭三友派演芸会>

◇三友派芸会 本月中は寄席休場の為め浪花三友派の各芸人会合し、堀江明楽座に拠りて十五日午後六時より諸芸の蔵浚を開演す。

其番組は掛合噺(福円、春団治)、滑稽浄瑠璃(染丸、福八)、からくり的(菊団治、小文三、円坊、小米、花咲)、音曲噺(円太郎、円嬢、円若、円子、喬之助)、喜劇白玉権九郎(米団治、小米、福八、福円、円子)、清元出語り(喬之助、円若)、活人写真(春団治以下)・弁士(染丸)、大切怪談、引抜活惚(総連中)。(815

◇三友派から喜劇団 三友派の落語連は出演の寄席が紅梅亭、第二此花館、六方館の只三席になつて仕舞つたので、芸人の頭数が多過ぎ、文治以下の爺サン連が評議した揚句、芝居の真似や軽口に達者な連中を選抜し、喜劇の一団を造つて劇場廻りをする準備をしてゐた。何も研究だ、まアやつて見るが好い。(816

◇新旧の芸競べ 三友派の連中が暑中休みの小遣ひ取りは堀江の明楽座に拠つて十五日から蔵浚式の演芸会を開演した。随分見せ古した芸当までも眼新しうに演ツつけてゐる中に、新発明だと振れだしてゐる春団治なんぞの出物活人写真と言ふのは活動写真を真似たもので、松喬が真面目臭つての弁士振りは滑稽を極めてやんやと喝采を博してゐる。スルト大切受持の文治爺さん、何の若い奴等を洒落臭へとエライ意気込みでもつて大昔影画流行時代に流行つた怪談を出し、青い火や赤い火を点して凄味を見せて居る心算(つもり)だが、一向凄からぬ処が大いにお慰みと成つて居るから面白い。夏季の観物として肩の凝らぬところが取柄だ。(821

◇明楽座の三友派諸芸会は廿日斎入、右団治を初め鶴連の幹部連中の見物ありて景况を添ふ。(822

大正元年815日 大阪時事新報
◇扇蝶の胃癌 三友派の扇蝶は胃癌といふ怖ろしい病気に取付かれ、昨今大阪病院に唸つてゐるが、可哀さうに日頃の滑稽気は露も見ることが能(で)きぬさうな。 

◇鹿連の出稼ぎ 同派(浪花三友派)の紋弥は諸芸会とやらに好きな芝居を許して呉れぬので、落語や音曲では晴立つた手柄も出来ぬからと、同気求むる蔵之助を味方に引入れて神戸の相生座へ行く。すると枝太郎はまた大和を誘ふて前座共を引連れ、一ぱしの真打顔をして大津の博秀館へ旅可稼ぎ。

◇寄席文芸館の各席は浪花節の素人大会に京阪間の好事者を網羅し、懸賞付きにて開演せしが、不思議にも松島、天満、京町堀等の三文芸館及び松島の竜虎館共に連夜満員の景況なれば、松島と天満の文芸館は十五六の両日昼席を開催する由。

大正元年815日 大阪朝日新聞神戸付録

落語家の競争 新開地の相生座へは三升紋弥が乗込んで例の電気でピカピカさしているが、其の前の屋幸満でも鼻の低い圓遊が遣って来て無勢ながらも負けず劣らず太刀打をしている。併し双方ともに肝心の落語はソッチ除けで余り上手でもない踊りばかりを見せているのは、いささか其の当を得ぬ。

大正元年815日 満州日々新聞
<桂三輔一座・満州花月席>

花月席 阿賀田参り音曲(三幸)高津の富手踊(すずめ)千両みかん一口問答(柏遊)お祭り佐七ステテコ(小圓生)清元権八小紫浮世節(二三二)六歌仙舞滑稽手踊(八七八)音曲奈良丸式間重次郎(三路)猫忠扇子曲文人手踊(三輔)大切パック踊(総出)

〈編者註〉番組は下記の通り

816日 

大馬鹿三太郎(天一坊)曲こし太夫ぶげふしらべ(花赤)親子のかたいじ(一目坊)世界むるひ(ぽん太)清元三府浮世節(東京芸妓)流行節奈良丸節(三路)百人一首扇子の舞(三輔)

817日 

東の旅音曲(三幸)芝居噺声色(すずめ)金明竹一口問答(柏遊)棒屋開業ステテコ(小圓生)清元神田祭都々逸(二三路)老松舞たん畑踊(八七八)音曲奈良丸式義士の一節(三路)宿替扇子舞(三輔)大切パック踊(総出)

818日 

伊勢参宮音曲(三幸)加賀見山芝居噺手踊(すずめ)運つく酒声色ステテコ(柏遊)りし太鼓ステテコ(小圓生)清元重土橋浮世節(二三二)呼吸踊(八七八)南部坂雪の別れ(三路)按摩炬燵扇子曲文人踊(三輔)大切パック(総出)

819日 

芝居噺宝船(二三丸)かる口義士三段目(すずめ、小圓生)改良しる取寄噺(柏遊)御倉の敷紙手踊(小圓)五人廻し口三曲(小圓生)清元六歌仙客粉(二三二)浮世節手踊(八七八)音曲義士討入(三路)三十石夢の通い路文人踊(三輔)

820

 伊勢参宮二人旅(三幸)七段目声色(すずめ)子誉め一口問答(柏遊)浮れ鼓ステテコ(小圓生)清元お半長右衛門(二三二)浮世節保名狂乱舞(八七八)音曲堀部安兵衛浪花節(三路)大和橋滑稽文人踊(三輔)東洋パック踊(総出)

大正元年817日 大阪時事新報
<曽呂利新左衛門>

◇鯉左と曽呂利 故人と成つた阪東鯉左とは五十年来の交際であつたといふ例の曽呂利新左事画家の漁仙、鯉左が恋女房の芸妓お倉を残して徃つたのは嘸やさぞと悔み乍らに新仏の前へ手向の句、「鯉無情左り褄をば置去りて蓮見に一人西へ旅立ち」と遣らかした。恁(か)くと聞いた女房のお倉、若し一緒に連れて徃れたら後の香花は誰が手向けますと尼になつた様な事を言つてゐる。

大正元年817 京都日出新聞

一昨夜の京極 何んと言つても盆の十五日、即ち大紋日たるを失はぬ、不景気続きの新京極の各興行物も十五十六日の二日間は書入れ日である。・・・・笑福亭の東京落語は小円朝の牡丹灯籠によつて近頃滅切客を呼んだ、八分の入りで助次郎が澄した顔で洋刀(サーベル)の使分けの最中・・・・芦辺館はまだ哀喪の意を表して休業してゐる・・・・。

大正元年818日 大阪時事新報

<赤車の文三、眼を患う>

◇赤鬼の文三 大阪の落語仲間では赤車の文三とも赤鬼の文三とも伝へられてゐる桂文三は、持前の傲慢が嵩じた果京都へ左遷同様の身となつて京極の芦辺館に燻り返つて居たが、昨今では盲目同然、僅かに日の色を朧気に知る位で、何の因果だらうと前の事は忘れた様な顔して悄気てゐるが、稼業に懸けては依然たる欲深で、兎角は金次第、互楽派でも大正派でも利益の多い方へ出稼ぎに参りますぜと、見え兼る目を見張つて無人の寄席入りを覘つて居る。此奴余程の後生嫌いと見える。

大正元年818 朝日新聞京都付録

<笑福亭の三遊亭小円朝を聴く>

◇笑福亭は東京落語小円朝の一行、江戸前の扇拍子に暑さの砌(みぎり)涼しい所をペラ〳〵喋舌り出している。国輔は老功で多少の余音を有つた話振、チト沈み過ぎるがよい。助治郎の曲毬、兎に角鮮か。小円治はおみやと枕にペラ着くが、切口上が胸に閊へる。踊は大きく確である。朝之助はガサ付くが擽つて前向きは徳な男。扨真打の小円朝、金馬時代とは頭の加減の変つた丈け何処か渋い味は乗つたが、俯き勝の師匠スタイル、引き付けもはするも時々の絶句は見苦しい。「牡丹灯籠」の続講に定連もあらうが、何処か緩む処がある。真打の重味は出来て少しく調子の副はぬものか。併しこの一座では何としても唯一人である。大切の余興や時々の茶番、暑い折柄めげぬ骨折は十分々々。

大正元年820日 大阪新報

<文三の茶屋噺>
◇文三の茶屋話 今の落語家で茶屋話をする者は少なくないが何れも徹底していない。殊に太鼓持の腹をスツカリ呑込で居るといふやうな洒落者は皆無といつて宜しい。そこへ行くと目下京都にいる文三は可なり穿つたことをいふ。これは以前永らく贔屓になつた唐物町の由良はんのお陰で好い太鼓持の屋敷を知つてからですと、その時よく一座した高慢チキな某幇間がいつていた。当てになるやうな、ならぬやうな名評だ。

大正元年821日 満州日々新聞

旅順八島座 軽口本丁津名五郎(すずめ、からす)改良しるこ手品(柏遊)野崎参り手踊(雀笑)櫻風呂ステテコ(小圓生)清元明烏都々逸(二三二)老松の舞松前踊(八七八)音曲奈良丸式大高笹売(三路)三十石夢の通い路文人踊(三輔)

大正元年822日 都新聞

柳派の落語家一行 燕枝門下数名にて一座を組織し神戸へ乗込み本月中興行する由

大正元年825日 都新聞

金馬一行 先月七日に東京を乗り出せし三遊亭金馬の一行は台南、台北、台中打狗と打廻り九月一日よりは内地へ戻り九州博多川丈座へ乗込む

大正元年825日 大阪新報

◇寿々女会落語家 松鶴、馬生等一行は和歌山を打上げ姫路に乗込む。

大正元年828日 都新聞

新派三遊 二人圓遊の一人一圓遊改め圓遊一派は来月一日より大阪此花館外四席に出演する由

大正元年828日 大阪新報

堂嶋座 九月興行は既報の如く落語三友派一座へ新たに東京より下阪せし談洲楼燕枝外数名に紋弥を加え演芸大會を開催、尚怪談及び声色芝居を大道具大仕掛けにて開演すべし
九月の落語界 三友派は前記堂嶋座に於て演芸大會を開催する外紅梅亭、東紅梅亭、六方館等の各寄席を開場、又大正派の杉の木、此花館、賑江亭、延命館も上席を開け、寿々女の永楽館、蓬莱館、あやめ館、澤井亭、瓢亭及び娯楽派の第一、第二、第三文芸館も開演の準備中

大正元年831日 大阪新報[広告]

大正派演藝場  當九月一日より連夜開演 

三遊亭圓遊、其他落語、琵琶、浪津瀬、清元、常盤津、舞踊、長唄、奇術、義太夫

船場平野町此花館 天満天神境内杉之木 福島延命館 堀江廓賑江亭

大正元年8月大正派広告大正元年831日 大阪新報

◇連合落語席 此花館、杉の木、延命館、賑江亭など連合にて従来の落語本位を改め、諸芸を集め九月一日より開演。落語(一圓遊改め圓遊)同(遊丈)長唄(芦の家君之助)琵琶(千葉月香)義太夫常盤津清元奇術舞踊等。

大正元年831 京都日出新聞

芦辺館は来月一日より三八、小円太、有村、文次郎、東京曲毬小仙、小金、文吾、長唄杵屋連六歌津、寿みれ、喜よし、津ばめ、文都と雁首を替へてお目通りをして堀川の紅梅館と懸持ちをやる

大正元年831日 神戸新聞

<橘座開場>

橘座 楠社西門浪花節菊廼家は橘座と改称し九月一日より浅川三八改め萬野軒一汐、二代目浅川三八にて開演

<編者註>菊廼家は新開地に移転