大正3年

上方落語史料集成 大正3年(1914) 1月(上)

大正311

◇新年の寄席(大阪)

三友派 法善寺紅梅亭、平野町此花館、新町瓢亭、松屋町東紅梅亭、天満天神杉の木。

圓馬、圓子、圓太郎、文三、文團治、文都、文冶、東京講談巴井貞吉、女筑前琵琶村田旭紫等。

寿々女会 法善寺蓬莱館、御霊あやめ館、北の新地永楽館、空堀沢井亭、堀江賑江亭。

松鶴、馬生、円遊、千橘、長唄六歌女、春風亭梅枝等。

反対派 千日前集寄亭、新町福竹亭。

〈編者註〉各紙総合して掲げた。福島延命館は女義太夫をかけ、松島文芸館は活動写真をかけている。天満文芸館の記載はなし。

◇新年の寄席(京都)

❍三友派 芦辺館(文吾・小文枝等の落語)、長久亭(芦辺館連中掛持)

❍京桂派 笑福亭(枝太郎・円笑等の落語)、大宮館(笑福亭連中掛持)

大正311日 神戸又新日報

遊覧案内 
 聚楽館 栗島一座の史劇 
 大黒座 天外楽翁の喜劇楽天会 
 相生座 璃徳、権三郎一座 
 歌舞伎座 松の助、七賀之助、延童、新駒一座の義士劇 
 柳 座 幸十郎、黒猿一座 
 千歳座 我十一座の義士劇 
 明治座 辰之助一行の浪花節芝居 
 多聞座 多笑會一行の喜劇 
 湊 座 扇派の落語にて元日より五日迄昼夜二回興行 値段木戸十銭、特等四十五銭、一等三十五銭、二等二
     十五銭、三等十五銭、四等十銭 
 大和座 及び平野第二大和座は福造、一右衛門、奈良丸一行の浪花節にて二十五銭 
 大正座 三ノ宮雑居亭と掛持で小奈良丸、一右衛門、美芳一行の浪花節二十銭 
 橘 座 美芳一右衛門、福造一行の浪花節 
 千代之座 圓、淀助、圓三郎一行の落語 
 菊廼亭 及び兵神座は従前の娘義太夫 
 活動写真 菊水館、朝日館、帝国館、錦座、世界館、桂座

大正311日 都新聞

寄席案内(一月上席)
○金沢亭 圓右、圓遊、圓蔵、圓歌、金三、遊輔、歌子、三木助、亀次郎、勘左衛門、鬼市、瀬太夫、ぎん蝶
○川竹亭 圓右、圓蔵、むらく、小圓朝、圓歌、橘之助、三木助、金三、公園、右女助、亀二郎、花堂、歌子
○立花家 貞山、圓右、橘之助、小南、圓歌、圓窓、三木助、右女助、公園、歌子、仲太夫、亀二郎、遊輔
○立花亭 橘之助、伯鶴、圓右、三木助、圓窓、公園、圓歌、右女助、小正一、花堂、歌子、圓子、圓雀、瀧
     五郎、橘園
○並木亭 圓蔵、伯知、橘之助、圓橘、圓遊、小南、加賀代、金三、圓窓、李彩

大正311日 徳島毎日新聞(徳島)

◇初春案内 元日より花々しく開演せる市内初春興行物の案内を左に掲ぐ

 新富座 東京親派渋沢栄一行の活動写真連鎖劇にて正午より三ケ日昼夜興行 
 稲荷座 元東京毎日及び大阪日報記者たりし雲井不如帰一行の現代的浪花節にて午後六時より開演 
 三友倶楽部 一日より全部写真を差替え三日間昼夜興行 
 天正館 優美會新派春木秋水一行 
 相生座 一日より三日間昼夜興行。活動写真 
 緑 館 小圓高弟京山圓十郎一行浪花節にて午後六時より開演。入場料二十銭均一(敷物下足代共) 
 世界館 一日より写真差替え

大正311日 山陽新報(岡山)

岡山の春興行 
旭劇場山田九州男一座の新演劇 
高砂座弘美團一行に新たに数名加え本日午後一時より開演 
天城座 天城團一座の浪劇 
千歳座 新派劇 
九重館 桃中軒日雲姉川好丸等一行の浪花節 
大福座 東阪落語三遊亭呂鶴等の一行開演 
明治館 活動写真柳生又十郎等 
世界館 活動写真 
岡山倶楽部 活動写真 
女角力 天瀬可真町帝國館前空地に於いて興行

広島の春興行 
寿 座 浪花節劇水本の合同團一行にて 
新地座 新派秋月源之助一座にて 
柳 座 浪花節青木大洋一行開演 
栄 座 浪花節京山吉右衛門京山小天狗等合併一行にて開演 
大黒座 常設喜劇楽々會一行 
演芸館 東京和洋楽團一行の和洋音楽演奏余興東京落語音曲舞踊、番外実物天然色写真(元名メガヂアスコープ)
朝日倶楽部 ウワンダー正光、正勝一行の西洋奇術
太陽館 活動写真 
帝國館 活動写真一周年記念選抜写真

尾道の春興行 
偕楽座 新派中央倶楽部一座にて開演 
帝國館 當市岩井座改め帝國館は元日より活動写真 
湊座 浪花節 
明治座 浪花節にて近日開演

大正311日 中国新聞(広島)

演芸館 東京初洋楽團の番組は、浪花節(吉田水月)長唄(杵屋いく松同ふじ枝)落語手踊(三遊亭小圓三)和洋音楽(石村松翠、杵屋ふじ枝)日本俗曲百種バイオリン(石村松雨)最進記憶術(同人)長唄勧進帳和洋音楽合奏(総出)おしゃか歌おうむ番外実物天然色写真

大正311 満州日々新聞

ゑんげい
○歌舞伎座 尾上幸十郎一座 阪東勝三郎、阪東寿綱、加賀家玉七、市川荒玉、嵐喜狂、嵐猪三郎、市川團三郎、中村翫竹、片岡小長、市川左喜升
○恵比寿座 篠田實一座浪花節 光月、雲嶺、富岳、教冶、桃右衛門、常廣、小伯圓、實
○大山席一日より昼夜二回興行 一日昼席東の旅(圓丸)謹賀新年(一賞)落語舞(仁鶴)曲芸(左圓太)大阪土産(かる口)笑話舞(圓童) 同夜席春の遊び(圓丸)櫻の曙(東二三)弁慶上使(東馬八)正月丁稚(仁鶴)虎公園(左圓太)港町(小京)社頭杉(圓童)三十三間堂(伊達若)祝獅子(左圓太、圓童) 二日昼席兵庫舟(圓丸)笑話(一賞)壷算(仁鶴)曲芸(左圓太)大阪名物(かる口)三人癖(圓童) 同夜席小倉船(圓丸)円覚寺(東二三)酒屋(東馬八)二人癖(仁鶴)奇術(左圓太)紙冶(小京)芝居噺(圓童)壷坂(伊達若)曲芸(左圓太、圓童)
○花月席 女剣舞金房千代子一座 落語(染二)音曲(團之助)落語(圓太郎)義太夫(廣重)落語(馬琴)新作浄瑠璃(門左衛門)ハイカラ踊(枝三郎)荒木流居合術剣舞(金房冠一郎)人情落語(勝鶴)荒木流両刀左抜剣舞(金房千代子)

<編者註>花月席、大山席の落語一座の番組、下記の通り

17日 花月席

小倉船音曲(染二)七度狐手踊(團之助)日吉丸(廣重)いらち車音曲(圓太郎)居合術手風琴曲奏(冠一郎)ひもの櫛手踊(馬琴)二人掛合かる口(太坊、正坊)新作浄瑠璃乃木将軍(門左衛門)落語不種扇の舞(枝三郎)人情ばなし左甚五郎(勝鶴)左抜両刀今様剣舞楠公(千代子)

17日 大山席

御祝儀寶の入船(入登)落語東の旅(圓丸)梅野由兵衛しゅうらく町の段(東二三)弁慶上使の段(東馬八)芝居噺舞(仁鶴)寺小屋の段(隈照)西洋奇術曲芸(左圓太)忠臣蔵六段目勘平切腹(小京)東京笑話追い焚き(圓童)先代萩御殿政岡忠義の段(伊達若)大切旗の競走(左圓太、圓童)三味線(東馬之助)外に嘉義丸連飛入

119日 花月席

近江八景(染二)播磨名所(團之助)金仏壇音曲(圓太郎)日吉丸(廣重)転失気浪花節(馬琴)西洋奇術(松玉)軽口二加(大坊、正坊)由良港舞(門左衛門)安磨の七兵衛盆の曲(枝三郎)居合術手風琴太三味合奏(冠一郎)廿四孝(勝鶴)剣舞会津少年白虎隊(千代子、冠一郎)大切喜劇櫻島天災(楽屋総出)

120日 大山席

御祝儀宝入船(入登)大阪落語兵庫舟(圓丸)新笑話(一賞)大阪落語西の旅(雀枝)少年浪花節(萬衛門六歳)又助住家(東二三)仙台萩祭文(東馬八)浪花節(奈良蔵)落語大和ことば(仁鶴)浪花節(波右衛門)奇術曲芸(左圓太)落語音曲(柳枝)東京笑話鍬盗人(圓童)大切即席道具噺旗出し楽屋総出

121日 花月席

百人坊主(染二)大津宿屋町(團之助)月の都(圓太郎)御所櫻(廣重)西洋奇術(松玉)成田小僧(馬琴)南部坂雪の別れ(林右衛門)掛合噺忠臣蔵(軽口)新浄瑠璃(門左衛門)居合術手風琴曲奏(冠一郎)三十石夢の通路(枝三郎)落語ステテコ(圓駒)白木屋(勝鶴)段物剣舞白虎隊(千代子)喜劇震災(総出)

121日 大山席

御祝儀宝の入船(入登)大阪落語小倉船(圓丸)新笑話(一賞)大阪落語(雀枝)少年浪花節(六歳萬右衛門)浜松小家の段(東二三)浪花節(奈良蔵)宿屋の段(東馬八)親子茶屋(仁鶴)浪花節(渡右衛門)ポンチ独劇(左圓太)落語(柳枝)袈裟御膳(圓童)大切狂言うつり気(左圓太、圓童)

124日 花月席

西の旅音曲(染二)東京名所手踊(團之助)豆のはじき音曲(圓太郎)御所櫻浄瑠璃(廣重)奇術(松玉)チンバとめくらの競走(馬琴)今様の剣舞居合術(冠一郎)掛合はなしかる口(正坊、太坊)新作浄瑠璃ホトトギス(門左衛門)四国めぐり音曲(春楽)箱入美人舞(枝三郎)人情ばなし妻子別れ(勝鶴)真正剣舞両刀左抜会津少年白戊隊(千代子)大切喜劇飛行桟カン落(座員総出)

126日 花月席

入場料十八銭均一。一枚起請(染二)商売根問手踊(團之助)高津の富音曲(圓太郎)娘義太夫日吉丸の段(廣重)西洋奇術(松玉)掛合噺軽口(大坊、正坊)今様剣舞北白川宮殿下台湾入青竹曲切(冠一郎)あわ餅手踊(馬琴)新作浄瑠璃乳兄弟(門左衛門)女郎の頓知音曲(枝三郎)明烏神楽舞(勝鶴)真正剣舞両刀左抜飯盛山白虎隊討隊(千代子)大切喜劇山遊び(座員総出)

127日 花月席

宝の入船(染二)葛の葉子別れ(團之助)色町ぞめき(圓太郎)阿波鳴門(廣重)西洋奇術種明し(松玉)山崎屋(馬琴)軽口宝蔵破り(大坊、正坊)今様剣舞青竹切(冠一郎)三人片輪盆の曲舞(枝三郎)高尾獅子の舞(勝鶴)重盛義平御所の庭の戦(千代子)大切六題噺(座員総出)

128日 花月席

高宮川天狗ばな音曲(染二)瘤弁慶手踊(團之助)胴取り音曲(圓太郎)娘義太夫太功記の段(廣重)野晒し手踊(馬琴)今様剣舞居合術風琴曲奏(冠一郎)西洋奇術種明し(松玉)掛合噺軽口(大坊、正坊)新作浄瑠璃乃木大将続舞(門左衛門)景清盆の曲舞(枝三郎)人情噺白木屋(勝鶴)真正剣舞両刀左抜川中島(千代子)大切御題噺(座員総出)

129日 花月席

野崎参り(染二)芝居噺物真似(團之助)棒屋音曲(圓太郎)合邦辻ドの巻(廣重)奇術応用袋抜剣舞手風琴合奏(冠一郎)金名所(馬琴)軽口掛合茶番(大坊正坊)鳴門巡礼歌の段(門左衛門)三十石下り船(枝三郎)コレットマジック不思議の取寄御好きな品箱の中より現し進呈す(松玉)子は鎹獅子舞(勝鶴)真生剣舞白虎隊今様剣舞桃太郎(千代子)大切即席噺御題噺(総出)

「隠し芸披露券として夫婦券を発行。金房冠一郎の奇術応用袋抜け、剣舞大正斎松玉のコレットマジック不思議の取寄などを見せる。尚桜島罹災民救助寄付演芸は一枚二十銭の外宝券二百七十枚あり。最初発表の如く内十銭宛合計二十七円十銭を得たれば二十八日四新聞社に其取扱い方を依頼したり。」

130日 花月席

奇術取寄せに六尺の巻寿し、軍艦浅間、旅順の忠墓など出しで大喝采。

伊勢参宮(花吉)弁慶早替り(團之助)鼻ねじ(圓太郎)日吉丸(廣重)成田小僧(馬琴)奇術応用袋抜け剣舞(冠一郎)新浄瑠璃所作事(門左衛門)桜ノ宮盆の曲舞(枝三郎)チンバのステテコ(圓駒)三段の小梅(勝鶴)真生剣舞桜田御門(千代子)不思議の取寄御好きな品箱の中より現し進呈す(松玉)

131日 花月席

明石名所(染二)千両幟(團之助)悋気の独楽(圓太郎)お染久松質店(廣重)おせつ徳三郎(馬琴)軽口道中八景(大坊、正坊)袋抜け剣舞(冠一郎)新浄瑠璃(門左衛門)始末の極意盆のかっぽれ(枝三郎)不思議の取寄せ大奇術(松玉)小梅騒動(勝鶴)会津少年白虎隊(千代子)大切即席噺御題噺墨付(座員総出)

大正315日 大阪時事新報
<桂文団治

◇新作の社頭の杉 三友派の文団治が社頭杉といふ新しい落語を考案し、不束(ふつつか)ながら手前でも新作物を高座に懸けますと半禿の頭を撫で乍ら卑下と見せた自慢顔に、甚麼(どんな)ものかと聞いて見ると、油坊主の故事来歴、エヘヽ古きを以て新しきでございますと。

大正315 京都日出新聞

◇木戸前の正月飾り 一年中の紋日とて各興行物は何れも大賑ひであるが、妙なもので矢張お正月の飾立てによつて一寸入つてみる気にもならうといふものゝ、新京極各興行物の木戸前の正月飾をずーツと見渡すと、まず一番目に立つのが芦辺館だ。此席は毎時(いつも)飾り立てには苦心するらしく、それだけ又目にも立つ。まづ向つて左の隅へ思切つて太い杉の大木、それから枝を看板から木戸口へ這はして、それに白梅を配(あし)らふたところ、緑の中に白梅の点綴の態が引立つて厭味のないすつきりとした眺めである。…笑福亭もお正月ですと連縄(しめ)だけで御免を蒙つていた。

大正315日 九州日報(博多)

<三遊亭金馬一座・博多川丈座>

川丈座の金馬 三遊亭金馬一行の東京落語初日以来好人気あり。今五日目の番組左の如し。

 お文様手踊(金棒)常磐津小夜衣(きん冶、きん八)おせつ手踊(金平)お七の十(圓満)指の芝居(金遊斎)てん式曲芸(金勝)源平穴探し音曲(かん馬)十徳手踊(小金馬)新作苦学生(金馬)大切喜劇五円の時計。

大正317日 大阪時事新報

◇反歯剥合ふ 桂屋多美三方に昨日葬儀があつたが、見送に立つた曽我の家十郎が道学者の様な調子で、人の霊魂を怎(こ)うして送るのも人の為でなくて皆我が為ぢや、一人を送る度に自分の罪障が一つ宛減つて、軈て消滅する時が自分の往生を遂げる時ぢやと反歯を剥きながら語つて居ると、傍から顔を出した曽呂利漁仙君の、罪障は大勢の見物を笑はす度に一つ宛消滅する訳さと判つた様な判らぬ挨拶をして、互に反歯を剥き出してアハヽヽヽ。

大正318日 大阪時事新報
桂文三

◇目が散らぬ故 明盲目となつた桂文三は其後の高座振に言ひ難き気合が籠つて、幾度かの思入はあつても言つてゐる事は一心不乱、少しの油断もなく興味が深いとの前受が可い。之を皮肉ると、他所へ目が散らぬからさとは一口噺にでもありさう。

大正3110日 大阪時事新報
<三遊亭円子

◇景気に浮れる 注連の内の寄席は赤札を出してゐる景気だが、法善寺の紅梅亭では円子が自分一人が利益の配当に預るやうな恭悦で、二調や笛を遣つて十五分間は苦もなくお茶を濁し、喝采を背に浴びて楽屋へ入ると、何(ど)うでげす拙の人気はと跳返る。老茶瓶の文治、渋い顔をして、又御神酒が入つて居るなと突込むと、円子澄した物で、今朝飲んだ屠蘇の残りがとは孰(いず)れも口の男。

大正3110 京都日出新聞
文三会・受楽亭

文三独演会とて京都座の熊谷、英、岡本等主唱となり静間、福井などの賛成にて桂文三を招き十三日午前十一時より受楽亭に於て独演会を催すといふが文吾も出演する筈にて希望者は京都座楽屋へ入会申込まるべしと

大正3110 大阪朝日新聞神戸付録

<栄館と千代の座>
◇表には注連飾りしたまま初興行を休んでいる新開地の落語定席栄館の事は
この間も一寸書いて置いたが、今に話の片がつかず到頭借主を相手取って兵庫署へ告訴状を持出したとのことだが、是れには何でも入組んだ事情があるらしく同じ落語定席の千代の座が地主から明渡しを言付かって此の二十一二日頃には小屋を取壊さねばならぬ事になり同座に出勤の圓入道などの行場が無い処から其の仕打が栄館の方に手を出したとやらで渦巻の中に石を投げ込んで更に渦巻の輪を重ねているという事だ。

大正3111日 大阪新報

講談日曜會 十一日正午より法善寺蓬莱館にて開催す。當日の読物は飛龍丸(旭堂南学)、怪僧物外(松月堂呑山)、正直治助(神田小伯龍)、軍神廣瀬中佐(松林松風)、鼠小僧(旭堂南右)、大石良雄実話(石川一口)、曽我草摺引(旭堂南陵)。

大正3111日 神戸新聞

<扇派(橘家蔵之助)一座>

湊座 落語扇派一行は本日より十五銭均一と改めたり因みに十二日の出し物左の如し。

三枚起請(文冶郎)床下(左文冶、大輔)紙屑選(小文)質屋蔵(菊團冶)社頭杉(文昇)按摩炬燵(春團冶)芝居網七(小圓太)四君子(喬之助)女学生(圓坊)五両残し(花咲)松山鏡(蔵之助)

大正3113日 神戸又新日報

<栄館の紛紜
栄館栄えず 湊川新開地落語席栄館は正月の書入れ時を休場し十一日より圓坊、圓三郎一座にて蓋を開けしが、其晩同館の借主なる奥平野五郎池大谷清太郎を相手取り其下借主なる湊町二丁目岡本友三郎より家宅侵入、使用権妨害の告訴を相生橋署へ提起したり。
 元来同館は多聞通四丁目荒田おやすの所有にして
前記大谷が借受けしを岡本が嘆願して同人より二千円の金を貰い内五百圓を資本に一千五百圓を雑作の費用として其下受人となり落語の定席とし興行し来りしものなるが、常に興行資金を相生座前茶屋常磐事鷲見某より融通せる関係上岡本は名のみとなり其実鷲見の興行同様となり居りしが、大谷は此正月を期し何とか発展せんと考え、岡本に照会せしも回答要領を得ざるより遂に奮闘二十四日付を以って兵庫署へ願出で、興行権を取得し千代廼座の吉原に芸人共通の約束を為したりと聞きたる岡本及び鷲見は承知せず大晦日夜同館の明渡しを迫られしも応ぜず、他に芸人を抱えしより紛争を起こし其際は二三の仲裁者あり。
 一時手切れ金三百円及び収入高の一割二分を大谷より支出する事とし調停せしにも拘らず、急に岡本が居直り
一時金五百圓を出せと云い出し、果ては鰻上りに一時に千五百圓を出せば明渡すべしと剛情を張り此間兵庫署係り官の調停的説諭ありたるも其効なく館内の畳其他の所有人某の許可を得て十一日大谷が蓋を開けるに至りしより告訴提起となりたるなりと。

大正3115日  

<桂家雁篤死亡>

雁篤 001●桂家雁篤 本名田中徳治郎。嘉永三年生。『落語系図』には四代目林家正三門人で正朝、二代目文団治(七代目文治)の門人となり篤団治、その後雁篤となったとある。初代桂文団治の門人の時代もあったらしく、二代目文団治(七代目文治)一門の古株として睨みをきかせ、若い連中からは大いに煙たがられた。若い時から頭髪が薄く「禿徳」の綽名で通っていた。落語よりは専ら桂梅団治を相手に軽口をやり、別妙なボケが評判をよんだ。明治三十年頃、相方を初代桂花咲に替えたころから桂家雁篤と名乗るようになった。明治四十二年六月二十一、二十二日の二日間、七代目文治が補助となり、南地紅梅亭、北の新地永楽館に於て引退披露演芸会を催した。出演者は三友派全員、曽呂利以下三十余名に、東京連円若外十一名と桂派の重なる芸人も加わるという盛大なものであった。117日付「大阪時事新報」が短い死亡記事を載せている。「目出度い往生 三友派の寄席で軽口を専門にして居た桂屋雁篤は六十一の本卦返りにモウ人間の役目も済んだと高座を引いて天満橋筋の自宅に遊んで居たが、十五日の朝、小豆粥を食べて一睡りのやうに往生した。行年六十五歳」。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

大正3115日 大阪時事新報

二階から落る 寿々女会の寄席に出て居る槌家万治は曲芸を専門にして炎々たる松火の五六本を苦もなく手玉に執つて見物の手に汗を握らせる早業を売物にしてゐる癖に、十三日の夕暮、自宅の二階から転がり落ちて腰の骨をイヤといふ程痛め、受持の席へ俄の欠勤とは早業も余り当にならぬ。  

繋ぎが大喝采 南地の蓬莱館の同夜は万治の不参と馬生が卅分間の遅刻で、その繋ぎを眼の玉の奥に光つた鶴二が饒舌るやら踊るやらしてお茶を濁した。話振は枝雀に似てゐて歓迎された。世に認められたところで今一奮発。

大正3115日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<三遊亭遊三一座・姫路竪町楽天>

楽天 十四日より歌舞笑話三遊亭遊三一行にて開演。大切には所作事喜劇を電気応用して花やかに開演せるが人気よし。


上方落語史料集成 大正3年(1914) 1月(下)

大正3116 大阪朝日新聞京都付録
<文三会で文三の「仕込の大砲」を聴く>

◇十三日の正午から京都、明治両座の幹部連主催となり、新京極の受楽亭で文三会といふを開き、文三と文吾の二人を聘んで得意の落語を聞いたが、文三の「仕込の大砲」の冒頭に眼の見えぬ悲しさ、長三郎や岸勇が控へるも知らず、祇甲の大事件はと長坊と岸勇の棚下しを初めて、「浜寺の別荘で寝た時は温かゝつた、ソレ岸勇ネルだから」杯と洒落た。流石の長坊も顔を隠して頭を得上げぬを見た下廻り、「盲目蛇に怖ぢずだんな」と。すると傍から「なんぼ長うても長坊を蛇とは殺生や」といふ。前の男抜からず切狂言の演しものは「道成寺やおまへんかいな」とこれはまた悪い落であつた。

大正3116日 京都日出新聞

<文三会で文吾の「らくだ」を聴く>

○初興行巡り(五)   
 これを初興行巡りとして記すのは些か筋道が違つてゐるやうである。実を言へば一昨日受楽亭で催された明治座連中発起の文三独演会を聴いたまゝであつて、しかも文三を聞落して文吾を茲で言ふといふ仕儀である。而し文三文吾は初興行の芦辺館の代表者であるだけに、殊更これを茲へ引張出したのであつた。
 独演会の景況は盛況であつたといへば足りている。祇甲や先斗町の女将芸妓もゐた。明治座の竜十郎愛之助外の面々もゐた。長三郎は若妻君のお岸さんと養母(おっか)さんのお福さんなどゝ聴いてゐた。町方の美人連も多く見受けた。町の落語所好(はなしかずき)の顔も見えた。
 そして肝心の文三は病気の為め十分の技倆を現はし得なかつたといふ話であつた。前晩は高座も休んだ位であつたが、独演会として肝煎して下すつた御贔負があるといふので、病を押して「仕込の大砲」といふのを一席演つたのであるさうなが、拙者が舞込んだ時は既に退いて屏風裏で氷嚢を頭に臥てゐるといふ気の毒な訳であつた。
 続いて現はれたのは文吾であつた。京都の落語界に此男を有するのは自慢の一つで、恐らく上方の素噺なら関西切つての巧人(じょうず)であることは疑はれぬ。文吾の酒の噺に至つては真に天下一品である。一昨年であつたか、上京した時小さんをもたれに文吾が真打して、一時間半客を浮かさなかつたと噂される程の剛の者である。十八番中の十八番たる「二日酔」は、小さんが文吾を師事して教はつたものだと称されてゐる。兎に角「市助酒」「二日酔」を始めとして酒の噺なら誰が何んといつても日本一である。
 此日の噺は「らくだ」で、矢張得意のお酒であつた。筋は博奕徒(ばくちうち)で手もつけられない、長屋は勿論町内中の持余(もてあま)し者であつたらくだといふ男が、鰒(ふぐ)の中毒で死んだのを、同じやうな友達が来て葬式を出すといふ件、其所へ紙屑屋が絡む、死人と乞食と間違へて焼場へ担ぎ込む、といつた訳で友達の博徒も紙屑屋も乞食も隠坊(おんぼ)も、揃いも揃つて酒呑といふ奴、紙屑屋が茶碗酒に追々と酔が廻つて来る所に言ひ知れぬ妙味を泛(うか)べる。大概の者なら酔ふた時に酔ふた調子でもどうかすると、途中で酔を忘れて了つて又思出して俄かに酔ふが、其酔が不自然になつて了ふ。文吾は遉(さす)がに飲めば飲むに従つて自然と酔が廻つて来て、いつの間にかトロンコ眼(まなこ)の呂律が廻らなくなる迄、聴いてゐる者をして一杯々々酔を呼ぶやうにして了ふ。隠坊の酔も乞食の酔も乃至友達の酔も夫れ〴〵面白いが、真の値打は紙屑屋の酔が自然に廻つて来るところにある。いつ聴いても文吾の酒飲の噺は味がある。
 文三も遉がに軽妙であつたさうだ。殊に当意即妙の居合せた長坊の夫婦からお福さんに迄皮肉な洒落を言ふて退けたのは大愛嬌であつたさうなが、お岸婦人「妾(わて)上気しましたわ」と羞耻(はにか)む姿へ初菊以上に初々しいものであつた。

大正3116日 都新聞

寄席案内(一月下席)
白梅亭 伯鶴、圓蔵、むらく、橘之助、圓橘、小南、小圓朝、三木助、加賀代、三木雄、金三、新朝、花堂、李彩
木原亭 久々の出演小南、圓右、小圓朝、圓遊、李彩、歌子、りう馬、公園、大切電気応用
喜吉亭 圓右、三木助、伯知、圓歌、文蔵、圓窓、小南

大正3118日 神戸新聞

栄館 今晩の出番左の如し。

 牛誉め(春輔)住吉駕籠(圓天坊)音曲噺(かほる)猫忠(圓三郎)軽口(一圓、淀助)ステテコ(右圓遊)

大正3118日 山陽新報

大福座 十七日より大阪浪花節京山愛昇一座にて余興落語笑福亭梅吉其他大連れにて開演する由。

大正3119 大阪朝日新聞京都付録

○寅年の芸人 笑福亭出勤 桂先太郎

道楽者の落 何も白状するやうなことがおまへんなア。元々は五條大黒町東へ入る装束屋牛若の伜だす。十四五から道楽を初めましてな、十八歳の時には宮川町の芸妓に駒二といふ私より二歳も上の深間が出来ました。これにセッセと通ひ詰めた果は、商売を抛つての借金どすさかい、首が廻りまへんのがお定まり。了々親の金を掴んでドロンと神戸落だす。二年程は船の物売をやつてましたが、これも仕舞には棒折て京都に舞戻りまして、偖もう職は手に付かず、芸妓共を連れて好きから聴きに行つた落語と枝太郎はんの弟子になつて五年目だす。昔は芸妓を連れて聞いたのが今は聞かれる身から出た錆、道楽の落は大抵こゝらといふ。女の名やおまへんが「駒二」ものどす。

大正3120日 大阪新報

考へ直し 旭堂南陵が法善寺の釈席を引受ける話、旧臘大いに進捗していた処、イザ取引きとなつてから少しゴテが入つて先づ当分は考一考することになつたそうな。

大正3121 大阪朝日新聞京都付録

〇寅年の芸人 芦辺館出勤 桂小文三 

明石名物 手盛の一杯 文三の一人息子で本名高田卯之助。かう細う長う老けて見えてもな、二十五歳の廻り年でおますのや。親父もあの方は好きでな、仏作つて魂入れぬといふ悪口もあると、了々女作つて眼まで入れ揚げて了ひました。──私にもな、一寸小指がおますのや。それは祇甲日出楼の小しんといふ可愛らしい妓でなア、思ひ内にあれば色外に現れるとやらいひまンな。チョイ〳〵惚気が出たと見えまんね。するとな、楽屋といふもンは嫉妬屋の寄合でなア、去年の夏えらい調伏を喰べました。発頭人はあの雑煮餅の曲喰ひをする三八だす。(後略:父文三と一緒に明石の大西座へ出ているとき、偽の手紙で女が呼び出され、帰りの汽車賃の工面に四苦八苦するという話)。

大正3123日 大阪朝日新聞神戸付録
<栄館と千代の座>

栄館 橘の圓入道が掛かっている千代の座は地主から明渡しを申付つた為に此月限で小屋を潰すとか何とか言っていたが、根が金で済むこと。何やら話が付いたとかで興行を続けるらしい。又圓一座のかほるを大将に蓋を開けた栄館も一方から家宅侵入とかの訴えを起こしていたが、是も圓の仕打の方が勝訴になったとかで今のままで打続けるとやら、圓は坊主頭を撫廻してイヤ圓満々々と喜んでいる。

大正3125日 大阪時事新報

芸人の家を襲ふ 総額八千円の大賊 (前略)石川県生れ中嶋謙次郎(三十九)北区西野田新家東二丁松田常治郎(三十一)の両人十月三十一日には南区三つ寺筋落語家馬生の家に押し入り、一月十日には西区堀江通二丁目これも落語家桂文治郎方に忍び入り(後略)。

大正3125日 鷺城新聞

<扇派(橘家蔵之助)一座・姫路竪町楽天>

落語扇派来る 竪町楽天は二十六日より五日間浪花落語扇派橘家蔵之助一行を迎へて花々しく開演す。番組は、落語(桂花之助)落語(桂梅花)落語(桂玉團冶)落語(桂米紫)落語手踊(三遊亭市馬)落語音曲(桂菊團冶)落語手踊(桂文冶郎)音曲落語(桂花咲)落語俳優声色(桂花咲)軽口(桂大輔、桂左文冶)落語浪花節節真似(蔵之助)。

大正312528日 中国新聞呉版

<呉春日座>

春日座 バイオリン名手石村松雨、東京和洋楽団、長唄杵屋女連中の外東京若手落語音曲名家数名並びに英国より新着実物天然色写真などの諸寄せ集め一行は、今二十五日より春日座に初日開演するとの事なるが、何れも名手又目新しきるのなれば一見の價(あたい)あるべし。(125

春日座の今晩 番組は左の如し。
落語三人旅並に手踊(小伝遊)浪花節谷風梶之助伝(水月)長唄老松(唄杵屋いく松糸杵屋ふじ枝はやし鳴物連中)東京落語嘘付弥次郎並にカッポレ(登ん喬)和洋音楽唄越後獅子(十九鍵アコーデョン石村松翠唄ふじ枝)バイオリンの独奏日本俗曲百種(会長石村松雨)実用最新記憶術実演(同人)英国実物天然色写真映写 和洋音楽義太夫お俊伝兵衛猿廻し外数曲(いく松、ふじ枝、松翠、松雨)長唄素はやし君が代新作舞踊おしゃか唱歌「おうむ」総出。(128

大正3126日 大阪時事新報
<馬生と松鶴>

馬生の悪洒落 法善寺内の寄席蓬莱館で便所の手水掛をして居る奥村せんといふ婆さんは今年九十歳といふ高齢を迎へ、曾て本紙の「今昔の女」に波瀾多き歴史までも載せられた長命の女だが、二三日前寒気の冷込みで土間に倒れ苦しんで居る騒ぎに、お茶子の大勢が水よ薬よと介抱して居るのを楽屋で聞いた珍面の松鶴、急ぎ駈付け、俺が見舞に寄つたらモウ大丈夫だと薮医を極込んだのは見掛けに寄らぬ親切気のある男。斯くと聞いた馬生が、松鶴クン、女と聞いて駈付けたのだらう。

大正3128日 大阪時事新報

<春団治ら、紅梅亭の原田に詫びを入れる>

ノコノコ戻る鹿 給金の居直りで此処ばかりに日は照ぬと三友派を脱走した鹿の春団治、菊団治、円坊以下は、神戸の湊川の席へ流れ込んで討死するまで戦ふかと思ふと、腑効(ふがい)なくも元の席主へ詫を入れた。相手は解つた原田だけに無事に納まる。

大正3130日 大阪新報

阿母(おふくろ)が病気 いつも元気な紅梅亭の原田が少し悄気味(しょげぎみ)の仔細は、阿母(おかん)のお梅さん、此頃病気の為め臥せつているからとのこと。親孝行をしなさい。

大正3131日 大阪新報

浪花三友派 各席へは二月一日より連夜定連の外新たに桂文三、新馬鹿大将ジョンテー、桂小團冶、立花家駒奴、琵琶の琴月等の新顔がお目通す。

大正3131日 徳島毎日新聞

<三遊亭遊朝一座・徳島緑館>

緑館 既報の如く明一日午後六時より開演の三遊亭遊朝一行の落語の番組及び出演者左の如し。

 落語曲芸(三遊亭小圓)落語(三遊亭小圓生)新講談(桂文雄)落語声色手踊(三遊亭圓州)落語音曲(五明楼福輔)娘落語手踊(三遊亭静子)落語(桂梅團冶)音曲手踊(桂小團冶)落語音曲一口問答(桂文之助)落語盆曲扇舞手踊(橘家圓次)古今笑話(三遊亭遊朝)大切余興喜劇(座員総出)

 

上方落語史料集成 大正3年(1914) 2月

大正321日 大阪時事新報

◇娯楽案内

❍三友派  紅梅亭(法善寺)、瓢亭(新町)、第二紅梅亭(松屋町)、杉の木(天満)、此花館(平野町)

❍寿々女会 蓬莱館(法善寺)、永楽館(北新地)、あやめ館(御霊)、賑江亭(堀江)、沢井亭(空堀)

大正321 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日から円六、吉之助、染三、司雁、文三郎、米紫、三八、水月、花橘、小文三、柳昇、しん橋、港子太夫、万光、文吾の出番順となる。

◇笑福亭は一日から円二郎、松太郎、芝楽、先太郎、南枝、さん喬、円歌、柳叟、円輔、枝太郎、円笑、福円、桃太郎、左文治、文之助の出番となる。

大正321日 都新聞

加賀太夫と染之助 富士松加賀太夫は今夜より本郷鈴本の三遊演芸に出席し又大阪初上りの三友亭染之助も同座す。

大正321日 北国新聞(金沢)
<三遊亭万橘一座・金沢一九席>

一九席 東京落語三遊亭萬橘、松林若圓一座にて今晩より開場。初晩番組左の如し。

 はなし舞(石遊)落語手踊(喜遊)落語音曲(萬之助)清元浮世節(勝代)滑稽落語手踊(圓好)義太夫(きぬ子)人情落語(圓中)講談人情(若圓)曲芸百種(玉太夫)音曲噺ヘラヘラ(萬橘)大切楽屋総出大一座。

大正321日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<扇派(橘家蔵之助)一座・姫路楽天座>

扇派合同す 楽天座にて開演中の浪花落語扇派第二部橘家蔵之助一行は連夜大入を占め居れるが、二月一日よりは第一部、第二部合同にて花々しく開演す。

出演順番は落語(桂都雀)落語(林家小染)落語即席話(桂三蝶)落語(桂團輔)落語音曲(三遊亭市馬)落語手踊(桂小文)音曲落語(橘家小圓太)軽口(桂大輔、桂左文冶)落語音曲(桂文冶郎)落語手踊(橘家圓坊)清元浮世節(喬之助)落語浪花節節真似(橘家蔵之助)

大正321日 満州日々新聞

花月席 愈々二日限りにて金房一行千秋楽 御祝儀宝船(染二)子ほめ手踊(團之助)初牛祭り音曲(圓太郎)朝顔宿屋の段(廣重)押掛嫁音曲(馬琴)居合術剣舞風琴合奏(冠一郎)目の入替手踊(枝三郎)浄瑠璃(門左衛門)三國問答神楽獅子(勝鶴)不思議の取寄せ(松玉)大切座員総出かっぽれ

大山席(二月一日) 若手揃落語大一座初日番組 三人旅尼買音曲(染二)落語粕食い(圓輔)落語鉄砲勇助舞(團之助)落語七度狐手踊(圓丸)落語正月丁稚(圓太郎)朝顔日記宿屋(廣重)落語紺屋高尾(馬琴)忠臣蔵七段目(軽口)由良港手踊(門左衛門)落語浄瑠璃息子舞(小文我)落語百種音曲(春楽)落語めか馬中風のステテコ踊(圓駒)滑稽十八番勧進帳(総出)

<編者註>小文我は、後の桂太郎で、当時満州に滞在していた。大阪の「花月」の命名者と言われているが、この満州の花月とも関係があるようだ。尚、満州落語一座の番組は下記の通り。

22日 大山席

京飛脚(染二)知れた事(圓輔)小倉船手踊(圓丸)不夜城音曲(圓太郎)寺小屋(廣重)裏の裏(馬琴)掛合噺鏡山奥庭(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃乃木将軍(門左衛門)猫怪談(春楽)落語百種(小文我)四の字嫌い踊(圓駒)大切滑稽二人羽織(楽屋総出)

22日 花月席 

金房一行に講談桃川小如燕加わる の岩戸神楽の祝(染二)身から出た錆池田のとまどい(團之助)西洋奇術種明し(梅玉)品川情死(馬琴)仙台鬼夫婦教育講義(桃川小如燕)居合術手風琴合奏(冠一郎)軽口二人奴(大坊、正坊)おせつ徳三郎花見の間違い(勝鶴)真生剣舞桜田門外雪の血染(千代子)大切不思議の取寄せ大奇術(松玉)

24日 大山席

十銭均一の大勉強、初日より好人気にて特に圓駒、春楽の十八番の勧進帳は客受け最もよろしき由。本日の番組は 落語有馬小便(染二)落語子誉め音曲(圓輔)落語みかん売(圓丸)落語二階小僧音曲(圓太郎)三勝半七酒屋の段(廣重)落語おせつ徳三郎(馬琴)掛合はなし盆おどり(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃由良港(門左衛門)落語芝浜の皮財布音曲(春楽)落語百種舞(小文我)落語天災踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

24日 旅順八島座

 宝の入船(染次)無言のボンチ(茶楽)福笑手踊(團之助)居合術夜討曽我の今様剣舞(冠一郎)滑稽奇術種あかし(松玉)人情噺左甚五郎(勝鶴)左抜両刀真正剣舞楠公(千代子)大切旅順珍物取寄せ(松玉)

25日 大山席

西の旅手踊(圓丸)無精者音曲(圓輔)ひやかし音曲(圓太郎)義太夫日吉丸三段目(廣重)大岡政談(馬琴)掛合噺新町橋(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃新口村の場(門左衛門)無筆(春楽)落語百種(小文我)かっぽれ踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

27日 大山席

七度狐手踊(染二)明石名所(圓輔)かわり目音曲(圓太郎)義太夫壷坂寺(廣重)夢金(馬琴)掛合噺(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃舞狂乱(門左衛門)成田小僧音曲(春楽)落語百種(小文我)子別れ踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

28日 大山席

大阪落語踊(圓丸)新町ぞめき(圓輔)へっつい盗人(圓太郎)平太郎住家の段(廣重)六百長者(馬琴)掛合噺(圓丸、圓太郎)巡礼歌の段(門左衛門)たらちね(春楽)落語百種舞(小文我)松竹梅踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

29日 大山席

大阪落語踊(圓丸)口入屋(圓輔)蛸芝居音曲(圓太郎)寺小屋(廣重)景清(馬琴)掛合噺(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃舞(門左衛門)たじょう音曲(春楽)落語百種舞(小文我)五人廻し踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

210日 大山席

大阪落語踊(圓丸)めがねや盗人(圓輔)棒屋音曲(圓太郎)朝顔日記(廣重)東京落語星野屋(馬琴)掛合話軽口(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃(門左衛門)東京落語人気者音曲(春楽)落語百種舞(小文我)嬉山事踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

211日 大山席

材木小僧踊(圓丸)二八浄瑠璃音曲(圓輔)眼鏡屋盗人音曲(圓太郎)三勝半七酒屋の段(廣重)花色木綿(馬琴)新浄瑠璃(門左衛門)掛合噺軽口(圓丸、圓太郎)かや盲音曲(春楽)浮世床舞(小文我)お祭佐七踊(圓駒)大切滑稽十八番(総出)

213日 大山席

宝の入船(入登)伊吹踊(圓丸)やれやれ豆腐音曲(圓輔)猪買い音曲(圓太郎)鈴が森の段(廣重)野晒し(馬琴)掛合噺(圓丸、圓太郎)新浄瑠璃(門左衛門)てんしき音曲(春楽)落語百種舞(小文我)小言幸兵衛踊(圓駒)

214日 大山席

落語瘤弁慶踊(圓丸)落語住吉参り音曲(圓輔)落語首売音曲(圓太郎)義太夫尼崎の段(廣重)落語御幣かつぎ(馬琴)掛合噺(圓丸、圓太郎)浄瑠璃舞(門左衛門)落語文七元結(春楽)落語百種舞(小文我)東京落語歌ねどい踊(圓駒)大切滑稽十八番芸座員総出

215日 大山席

落語島巡り踊(圓丸)女郎の歌音曲(圓輔)是れ是れ音曲(圓太郎)廿四孝狐火の段(廣重)お見立(馬琴)新浄瑠璃(門左衛門)金がこわい(春楽)先の仏踊(小文我)掛取萬歳踊(圓駒)大切滑稽十八番座員総出

大正322日 都新聞

寄席案内(二月上席)
○川竹亭 圓蔵、伯鶴、圓窓、小南、むらく、橘之助、李彩、勘左衛門、加賀代、金三
○金沢亭 圓右、小南、小圓朝、右女助、遊輔、圓歌、亀次郎、歌子、むらく、久々にてブラック
○立花家 圓右、圓蔵、小圓朝、伯鶴、むらく、橘之助、圓歌、右女助、文蔵、三木助、李彩、花堂、歌子、
     金三
○三木亭 小圓朝、圓右、むらく、公園、三木助、圓歌、歌子、朝冶、亀治郎、文蔵、花堂、小正一、新朝

大正322日 大阪新報
<文三と文団治>

◇文三と小せん 東京の落語界で気の毒なは俄盲人の小せん、大阪には同じ運身に泣く文三あり、どちらも緞帳を下ろして高座に現はれる。哀れ呑気な鹿仲間にもかうした世界はある。

◇文団治の道草 二三日前の昼、近松座の前で立止つて一心に看板を眺めている老ハイカラの小柄な男、顔をよく見れば三友派の文團治、何んと思つてかボンヤリと口を明けて立つこと数分間。

大正323日 九州日報(博多)

<柳亭芝楽一座・博多川丈座>

博多の川丈座 柳亭芝楽一行一行の東京落語本日より開演演題左の如し。

 御祝儀(芝太郎)七段目(芝三郎)一ト目上り(喜楽)按摩小僧(喜右楽)豊竹屋(左若)掛合軽口(ぼたん、蝶々)音曲落語(楽助)五人廻し(小團次)清元浮世節(春奴、春助)活動写真(右楽)滑稽落語碁盗人(芝楽)切喜劇写り木(一座総出)

大正324日 大阪新報

◇唄はしてやれ 喬之助が分離して取残された喬栄、近頃刎ねる方ばかりだが、あれは本人の為めにも、第一お客の為めにも宜ろしくない、なぜ唄はぬのだ。

大正324日 徳島毎日新聞(徳島)

緑館 二日開演の葵派落語は、久々振の興行とて人気好く初日当夜は大入なりき入場料は一人前十八銭均一

大正325日 大阪時事新報

◇外人の芸当 三友派の寄席が何ぞ目先の変つた物をと探した揚句、横浜から英国人のジヨンデーといふ赤髭を伴れて来た。浄瑠璃は太十、朝顔宿屋、鈴ケ森の三段を語り、チヨンガレが二つ三ついけて、後は浅草詣りとサノサ節をお聞きに達する。

大正326日 大阪時事新報

◇落語家連の検挙 北区紅梅町百三番地下宿業村井うた方に於て、三日午後三時頃、下宿人の華玉川(三十五)といふ寄席芸人を始め落語家の桂助六事東区内安堂寺町日高定治(三十四)外数名が打ち寄りて花合戦の真最中を北署の警官に踏み込まる。

大正326 山陽新報(岡山)

扇派(橘家蔵之助)一座・岡山大福座

大福座 五日より大阪落語三友派桂派合同にて開演番組左の如し。

 落語(米蔵、都雀、小染、團輔)落語即席噺(三蝶)落語音曲(市馬)滑稽掛合噺(大輔、正輔)音曲ステ
 テコ(小圓太)落語舞踊(小文)落語音曲(文二郎)一人角力(大輔)清元浮世節(喬之助)落語盆の曲
 (圓坊)滑稽笑話(蔵之助)余興浪花節

大正327日 大阪時事新報
桂文団治

◇解らぬ老爺さん 桂文団治はいろ〳〵な鈴と小瓢箪を腰の巡りに括りつけ、迷子の要心には鈴があり、瓢箪は転んでも怪我をせぬ禁厭(まじない)だと我身の保護を腰提に託して老人振つてゐるかと思ふと、高座へ上る前の楽屋では懐中鏡を出して気取返つて居る。

大正328日 徳島毎日新聞

緑館 連夜大入を続け居る三遊亭遊朝落語一行は、更に今晩より名古屋落語家桂梅團冶加入出演

大正329日 大阪新報

<春団治ら離反組の一部が三友派に復帰する>

◇五人の復帰 去冬浪花三友派を去つた十七人の中で春團冶、菊團冶、花咲以下五人だけ逆戻りをやつて此一日から三友派の席へ出演をしている。詰らぬ喧嘩はお互ひに損だ 

◇煩(つら)い喬之助 こゝに哀れを止めたは清元の喬之助。自分の弟が病死の節、滑稽浪花節蔵之助に世話になつた、その義理を思つて飽くまでも蔵之助等と行動を共にして今に三友派へ戻つて来ず旅稼ぎをしているのは可愛相。 

◇真打が三人 下らぬ真打が殖えるも困るが、寿々女会のやうに松鶴、馬生、圓遊とタッタ三人の真打でも少し心細い。

大正3212日 大阪時事新報
出戻りの春団治

◇些つと神妙 三友派に出戻りの春団治は、寄席の内裏ほど融通のつかぬものはない、宿替してもガタ〳〵三文の損が立つと能く落語の枕詞にいふが、全く其通りだと、此頃は神妙に高座を勤めてゐるげな。

大正3213日 中国新聞(広島)

柳座 三遊亭遊三一行の落語

大正3214日 神戸新聞

栄館 本日の落語出番は左の如し

 三十石(圓丸)長持女(正輔)たらちね(都ん輔)宿屋のとみ(正楽)熊坂(右圓遊)質屋演劇(枝三郎)袈
 裟茶屋(春輔)愛宕山手踊(圓三郎)

大正3215日 大阪時事新報
<金原亭馬生

◇貯めて盗まる 落語寿々女会の馬生は席主の気受もよく、待遇に尠からぬ収入もあるので、此分なら軈て土蔵の一つも建つとニコ〳〵物で居たが、旧冬以来三度まで泥棒に入られ、家財の眼ぼしい物を初め手提の貯金まで残らず攫はれ、天を睨んで歯を噛緊つたり。

大正3215日 大阪新報

◇三友派交代連 浪花三友派各席では十五日より連夜、定連の外新たに英人ジョンデー、桂文三、筑前琵琶の琴月等がお目通りす。

大正3215 香川新報
東京葵派・高松常盤館

常盤館 十五日より東京葵派の落語にて開場せり。出演番組は浪花落語曲芸(小圓)浪花落語(小圓生)新講談(文雄)東京落語声色手踊(圓州)浪花落語音曲(福輔)娘落語手踊(静子)浪花落語(梅團冶)音曲噺手踊(小團冶)落語音曲一口問答(文之助)落語扇舞盆の曲手踊(團次)古今笑話(遊朝)大切喜劇(総出)

大正3216日 都新聞

寄席案内(二月下席)
○立花亭 圓右、貞山、橘の助、圓橘、右女助、むらく、小南、花堂、かか代、亀次郎、歌子、福圓遊、染之
     助、かしく、小正一
○木原亭 むらく、橘之助、公園、文蔵、三木助、遊輔、花堂、亀次郎、勘左衛門、琵琶都松

○末広亭 圓右、橘之助、三木助、初お目見(相生太夫、和佐造、斎寿太夫、和三郎)、圓歌、文蔵、公園、
     りう馬、右女助、遊輔、亀二郎、三木助

大正3216日 大阪時事新報
小文枝の三十石

◇十八番の濫用 三友派の寄席に出てゐる桂小文枝は、落語より音曲本位で、師匠から譲られた三十石を得意に毎夜のごと担ぎ出て前受の宣いにホク〳〵者だが、十八番も然(そ)う濫用しては値打が下りますぞ。

大正3216日 大阪新報

◇いろ〳〵な評 浪花三友派の新馬鹿大将、英国人といふにその弁舌が達者で、如何にも支那人に似ているところから「あれは支那人と英国人の合ひの子やで」などといふ見物もある。合いの子とは考へたりだが可愛相。

大正3216日 山陽新報

千歳座 十五日より東京和洋楽團一行の音楽演奏落語舞踊実物天然色写真映写等にしてヴアイオリン名手石村松雨、長唄杵屋いく松、三味線杵屋ふじ枝、浪花節吉田水月、落語活人画橘家登ん喬等出演。演芸順序左の如し。入場料は十銭均一なり。

大正3217日 北国新聞
三遊亭小円朝一座・金沢一九席

◇一九席 三遊亭小圓朝一座の音曲落語にて今晩より開演。初日番組左の如し

 道灌(朝楽)音曲話(團盛)式三番(小仲太夫)音曲高野ちがい(三朝)めか馬(小燕三)文ちがい(小圓
 冶)伊勢音頭油屋(仲太夫)ゆめ金(圓流)女道楽(金之助、こと冶、おもちゃ)松の翠美人生埋め(小圓
 朝)

大正3219日 満州日々新聞

大山席 十九日より二十八日迄十銭均一の大勉強を以って浪花節京山岳鳳一座並びに小伯圓の新講談読物は極々面白きものを選択する筈

大正3222日 大阪新報
<文三の苫ケ島>

◇惜しい苫ケ島 ツイ此間浪花三友派の桂文三が十八番の苫ケ島を此花館でやつたが、時間が足りず御入部の行列でチリヽンは残念。

大正3222 京都日出新聞

京都倶楽部例会 廿二日午後□時より開会するが余興として芦辺館連中の落語其他がある、番組は鼻嗅の長兵衛(司雁)転宅(米紫)延洋伯(花橘)岩窟王(三八)百面相(万光)無学者(しん橋)

大正3222日 神戸新聞

落語連 千代廼座及び栄館は今明両日白梅会六百名の組見あり。本日よりの出番は左の如し

(千代廼座)三橘、圓二郎、可笑、圓歌、三升、正一、圓三郎、圓天坊、圓、淀助、かほる
(栄館)小枝鶴、圓丸、正輔、都ん輔、正楽、右圓遊、枝三郎、春輔、圓三郎

大正3224日 大阪時事新報
歌之助と六歌女

◇ゾロリ脂下る 落語家の歌之助は長唄の(杵屋)六歌女を生捕つて以来といふもの、朝風呂丹前長火鉢の形で、一寸出るにも大島の対の衣裳か何かで澄まし返つて居るので、鹿仲間は冥加の可い男と冷かして懸ると、阿呆らしい、堺屋に出て居る娘の歌竜が孝行の賜物でと親爺顔して見たものだ。まだ稼げる年をして手慰みに許(ばかり)凝り固まるのは悪い癖だ。

大正3228日 大阪時事新報

◇浪花三友派の各寄席へ一日より曲独楽の松井源壌、しん橋、柳昇出演し文三も引続き出演するよし。

上方落語史料集成 大正3年(1914) 3月

大正331日 大阪新報

◇北新地永楽館 一日より連夜、定連の外新たに新顔が目通りす。百面相活人画(松柳亭鶴枝)、即席題噺(川上秋月)、新講談(松林松風)。

大正331日 大阪毎日新聞[死亡広告]

<紅梅亭の席主・原田ムメ死亡>
らくご 008らくご 008



 








老母ムメ 
儀予而病気之処養生不相叶二月廿七日死去致候ニ付此段謹告仕候也。追而葬儀ハ明二日午前九時自宅出棺下寺町於万福寺執行仕候尚意志          ニ依リ供花放鳥其他一切乍勝手固ク御辞退申上候/自宅 難波元町壱丁目鉄眼寺前北/三月一日 紅梅亭 原田政橘 原田重三郎 原田安次郎 大橋亀太郎 親族総代 吉田音治郎 貴文字岩太郎 友人総代 小沢秀次郎 黒田卯之助  三友派総代 

大正331日 大阪時事新報

◇文治の目に涙 紅梅亭の原田むめといふお婆さんが病死して二日に葬儀を営むさうなが、このお婆さんは明治廿年の秋に江州から裸一貫で出て来て寄席発展を促し、故人になつた賑江亭の藤原重輔と協力して三友派の根拠を作り、斯界に取つての功労者である。桂文治、柩の前に香華を手向けて、アヽ惜しい人を死なしましたと涙の滴。文治を泣かすほどだからよく〳〵の豪者だつたに違ひない。

大正331 京都日出新聞

芦辺館本月の顔触と出番順は次の如くであるが例の名物新馬鹿大将ジヨンデーが来るさうだ 円六、吉之助、染三、司雁、米紫、三八、小団治、柳昇、花橘、文都、ジヨンデー、万光、文吾。
◇笑福亭の顔触は 円二郎、松太郎、芝楽、先太郎、さん喬、円輔、福円、左文治、枝太郎、春太夫、文之助、円笑、桃太郎、円歌、柳叟。
◇豊梅館 従来当昇亭と呼んだ京極蛸薬師下る西側の席は今回豊梅館と改称して講談を復旧して大に発展することになつたが開場は本日からで大阪の旭堂南陵一行の出演で昼夜二回の興行。

大正331日 大阪朝日新聞神戸付録

戎座は一日より圓入道、圓天坊、三遊亭都輔等の出揃

大正331日 都新聞

大入寄席案内(三月上席)
○京橋銀座金沢亭 富岳、圓蔵、圓歌、公園、三木助、橘之助、李彩、亀次郎、圓窓、金三
○神田須田町際立花亭 小さん、貞山、柳枝、素行、紋弥、左楽、式多津、小三冶、柳一、枝太郎、丸一、柳
 童、芦雪
○両国立花家 加賀太夫、宮古太夫、圓蔵、小南、むらく、圓橘、圓窓、文蔵、圓左、公園、圓三、李彩、遊
 輔、三木助
○並木亭 久々帰京紋弥、今輔、富岳、左楽、枝太郎、しん馬、濱幸、玉輔、鯉かん、米蔵、政次郎、雷門、ピ
 リケン
○人形町末広亭 小勝、紋弥、左楽、つばめ、小柳枝、さん馬、馬生、素行、かしく、政次郎、三好、さん
 子、妻吉、芦雪、張鳳山

大正332日 山陽新報(岡山)

<扇派(橘家蔵之助)一座・岡山九重館>

九重館 一日より開場。出演番組左如。

 かつら吉之助、桂團輔、林家小染、桂三蝶、三遊亭市馬、橘家小圓太、桂文昇、桂小文、一人角力桂大輔、桂 文次郎、立花家喬の助、橘家圓坊、橘家蔵之助。

大正332日 大阪時事新報

◇少し嘘らしい 三友派の寄席へ来て初お目見得ですといふ松井源女は、色白の妙齢の美人幼少から独楽が好きで、遂に松井源水の弟子と成つたが、扨て一人歩行(あるき)の出来るやうになると、曲独楽が中々に鮮やかだと大評判になり、源水の爺むさい顔を見るより女の方がで、お座敷にまでも売口が多い。乃(そこ)で源水親爺コボスまいものか、源女が今度の大阪行は師匠が自衛上勧めたのだと。まさか。

大正333日 満州日々新聞

大山席 嘉義丸にて乗込みたる大阪下り娘義太夫落語合併一座にて三日より開演

大正334日 大阪時事新報
曽呂利と松鶴

◇子のために 曽呂利が目の中へ入れても痛くないほどに可愛がつて居る片岡我太郎は、既(も)う今年十五になるので、子役にしては中途半端なので、この三月限り一先づ俳優鑑札を返納させ、向ふ五年間何処(どこ)ぞの学校へ入れ、素養のある役者に仕立てるとの事である。その費用は曽呂利が筆の先からこしらへる意気組といふ。

◇病気する鹿 寿々女会の松鶴は熱心な高座に力味返つた為ではあるまいが、此頃痔疾を起して弱つてゐる。すると同じ仲間の小文吾も脳味噌不足の病気でポカンとなり、医師からから転地療養を勧められてゐるが、高座を休んでかゝつては食ふに困るといつてゐる、また慥だ。

大正334日 大阪新報

◇美しい涙 紅梅亭の隠居の葬式は二日の朝、泥寧の道を元町から下寺町へ会葬の浪花三友派一同は宛(さなが)ら慈母に別るゝ思ひで、何事も高座で客を笑はせた呑気な連中の袂には美しい涙の雨。

大正334日 満州日々新聞

花月席 浪花節と講談の一座 小伯圓、圓勢、花昇、弥生亭、小太郎、岳鳳、龍喬、春鶴
大正334日 満州日々新聞

<小延時代の桂文楽・大連大山席>

大山席 落語は華やかにして娘義太夫は上下で無くて羽織で出ると言う。変わったやり方、内地で女雲右衛門と云われた國豊、國重の姉妹顔もなかなか踏める。今晩の芸題は、

 宝の入船(入登)落語あとづけ(圓丸)落語絵はがき屋(圓太郎)落語大阪名物の手踊(貴若)新内お俊博兵
 衛猿廻し(三木松)落語天災手踊(小圓)落語しんねこ手踊(門三郎)御所桜弁慶上使の段(國重、三味線國
 豊)落語船弁慶曲独楽百種(左鶴)大切(楽屋総出)

<編者註>小圓は、小延、後の八代目桂文楽(本名並河益義)。文楽の「あばらかべっそん」に、門三郎の一座で満州巡業の記載がある。國重、國豊の「國」が「團」になっている記事もある。どちらか不明
 大山席の番組は下記の通り。

35
 
西廻り(圓丸)不夜城音曲(圓太郎)舞手踊(貴若)新内阿波鳴門(三木松)たらちね(小圓)掛取音曲手
 踊(門三郎)義太夫日吉丸三段目(國重)三味線(國豊)紙屑より曲独楽(左鶴)大切(総出)

36
 
東廻り手踊(圓丸)落語手踊(圓太郎)舞手踊(貴若)明烏浦里時次郎(三木松)磯のあわび(小圓)不動
 坊(門三郎)三十三間堂柳(國重)三味線(國豊)後家殺し(左鶴)大切(総出)

37
 
西廻り手踊(圓丸)落語手踊(圓太郎)舞手踊(貴若)新内恋娘昔八丈白木屋嫁入(國重)嘘付き弥太郎
 (小圓)新町ぞめき(門三郎)朝顔日記宿屋の段(國豊)芝居噺曽我十番斬り(左鶴)

39
楽屋と大向 大山席は永井君が引受けてから損をした事がないと云う。トントン拍子、何を入れても人気が好いと大向いの雛檀で脂下がって居られるは何より。今度は左鶴一座は頗る甘いものだが、それでも大向いは受けて居る贅六式のモッサリした芸でもココでは馬鹿にできない。前の方では白眼の圓太郎がノホホンな処を一席笑わせて、若い貴若がお弱輩な処を聞かせて狭い舞台を飛んだり跳ねたり。替り合いまして三木松の新内となる。上方の新内と云うものはあんなものか知らないが一層源氏節にくだけたら好かろうと思われた。にくまれ口は抜にして声の好い事。お後の小圓は江戸っ子式の素噺、出し物が野晒と云う大変なもの、それ丈けでも達者になった、但し凄みが足らないのは是非もなしか。門三郎のは上方式の話は少々ばかり、前を片付けて貰って立ち上る、そして大文字と云う出し物がある。一座の呼物團重、團豊兄弟は肩衣抜きの紋付で現れる処が先以(まずも)つて風変わり。團重(いもうと)の浄瑠璃は確かなもの。おかしなけれんもなく真面目に語って行く処、末の見込みなり。團豊(あね)の糸と来ては聊か難物、あんなに弾きまくらなくても好さそうなものだ。座長左鶴の話と来ては如何大阪噺でも汚い汚い。あとの独楽はあざやかだ、この人一体これが本物ではないのか知らんテ。

311
 
東廻り手踊(圓丸)落語手踊(圓太郎)舞手踊(貴若)明烏下の巻(國重)突おとし(小圓)染色(門三郎)
 伊賀越六つ目平作住家(國豊)付焼刃はげやすい(左鶴)

312
 
西廻り手踊(圓丸)落語手踊(圓太郎)舞手踊(貴若)石川五右衛門釜入の段(國重)八九升(小圓)不動坊
 (門三郎)阿波鳴門(國豊)猫の忠信(左鶴)

314
 
高古塚(圓丸)落語手踊(圓太郎)舞手踊(貴若)葛の葉やす葉内の段(國重)代脈(小圓)辻うら(門三
 郎)先代萩(國豊)玉手箱(左鶴)

315
 
深江(圓丸)無筆の寄合(圓太郎)舞手踊(貴若)新内(國重)お茗猪之助(小圓)嘘修行鉄砲勇助(門三
 郎)鏡山六つ目又助住家の段(國豊)手切小僧(左鶴)

316
 
長谷の観音(圓丸)天下泰平(圓太郎)舞手踊(貴若)新内千両幟(國重)天災(小圓)掛取(門三郎)浄瑠
 璃太功記十段目(國豊)天下一屑より(左鶴)喜劇二人羽織

317
 
御祝儀宝入船(入登)鳥屋坊主(圓丸)天下泰平(圓太郎)舞手踊(貴若)梅の由兵衛長吉殺し(三木松)大
 田道灌(小圓)辻うら茶屋(門三郎)伊賀越沼津の里(團重)糸(團豊)猿後家(左鶴)座員引抜文字合せ

318
 
旅行噺(圓丸)穴どろ(圓太郎)七度狐(雀枝)舞手踊(貴若)かるかや石童丸(三木松)浮世床(小圓)百
 人一首(門三郎)口入屋(左鶴)日吉丸三段目(團重、糸團豊)曲独楽(左鶴)大切喜劇品川心中(座員総
 出)

319
 
高砂屋(圓丸)無筆の親(團之助)大和官女(圓太郎)舞手踊(貴若)お瀧殺し(三木松)付焼刃(小圓)稽
 古屋(門三郎)恋娘者八丈鈴か森(國重)三味線(國豊)景清(左鶴)

320
 
東の旅法会(圓丸)常太夫(團之助)二階小僧(圓太郎)舞手踊(貴若)お染久松質屋(三木松)手紙無筆
 (小圓)吉野(門三郎)桜の踊(左鶴)壷坂(團重)滑稽独楽曲(左鶴)大切忠臣蔵三五六(総出)

321
 
東の旅(圓丸)くしゃみ音頭(團之助)小倉船(圓太郎)舞手踊(貴若)新内明烏(三木松)道灌(小圓)音
 曲噺(門三郎)お俊伝兵衛(國重)堀川猿廻し(國豊)三十石(左鶴)喜劇品川心中幽霊家(総出)

大正335日 大阪時事新報

◇落語家二人 寿々女会の寄席へ此月から出た川上秋月は、見物から話の題を貰つて即席で巧く纏めるのは手際だ。それから松柳亭鶴枝の方は顔馴染も充分でないので骨折も一倍、一生懸命になつて百面相の不思議な面をみせてゐる。それが女房があるかと思ふと序(ついで)にお嬶の顔が見たい位。

大正337日 鷺城新聞(兵庫姫路)
<扇派(橘家蔵之助)一座・姫路楽天座>

落語扇派来る 當市竪町楽天座にては来る八日より浪花落語扇派橘家蔵之助一行の大一座を迎へて花々しく開演すべし。その顔ぶれは、落語(都雀)落語(米蔵)落語(圓輔)落語(三蝶)落語音曲(市馬)落語(文昇)軽口(小輔、大輔)音曲はなし(小圓太)落語舞踊(小文)落語音曲(文治朗)一人角力(大輔)清元浮世節(喬之助)落語盆の曲(圓坊)滑稽笑話余興浪花節(蔵之助)。

大正3311日 大阪新報
<小文枝の「桜の宮」>

◇小文枝の桜の宮 七日の晩法善寺の紅梅亭で小文枝が桜の宮をやつたは面白かつたが「六部は金剛杖を持つて」は悪だ。六部の持つのは錫杖と昔から定(きま)つている。

◇駒奴の好い目 これも浪花三友派、喬榮の三味線の駒奴、踊の地を弾いていて盛んに好い目を遣ふ。誰か痩せ薬を持つて行つてやる親切はないのかなア。

◇好いお見立 浪花三友派の寄席へ出演の東京の鹿の扇蔵の人相つく〴〵と見て、「古着屋の番頭さん」と見立た奴がある。扇蔵怒つちや可けない、余程人柄に見てくれたのだよ。

大正3312日 大阪新報

<反対派の高座は大半が素人連中>

◇昼は素人 木戸銭五銭六銭で他席を圧倒せん計りの勢(いきおい)の落語反対派の鹿連は、もと〳〵これで飯を食つているのはホンの少数で、後は大抵昼間小商人か職商売のお素人、好きの道から夜の高座、これなら安くして割が合ふ筈だ。

大正3314日 大阪時事新報
<桂小米>

◇嵐吉怒るぞ 落語三友派の小米が堂島座に二三遍も入り込んだと思つたら、右団治の多助と嵐吉の太左衛門に似せた声色を高座に懸け、岡島家の方は前口上付で何時も憂へ顔で妙な口元をする処にお目とめられて下さいといふ。吉三郎が聞いたら。  

◇落語三友派へは文吾の病気全快して出演する事となりたり。

大正3314 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は十四日より三都合同の落語、音曲、筑前琵琶、手踊、清元、浄瑠璃等を開演す。座長には東京柳派幹事柳丈を招く筈にて、素破らしき前景気なり。

大正3314日 神戸新聞

戎座 落語出番を左の如く変更せり

 小枝鶴、圓二郎、春輔、正楽、圓三郎、一圓、圓、圓天坊、淀助

大正3315日 大阪時事新報

◇寄席はも喜劇 大阪人はよく〳〵茶気があると見越したか、北陽の永楽館などは大切の余興に滑稽掛合噺といふ大道具を遣つて芝居化した喜劇をやつてゐる。芸題は落語種の「ふたなり」。それが莫迦に前受するので、落語家は真面目になつて喋つてもゐられぬと零してゐる。

大正3316日 都新聞

寄席案内(三月下席)
○金沢亭 左楽、伯鶴、紋弥、小勝、馬生、越後名物おけさ踊

○川竹亭 圓右、小圓朝、伯鶴、小南、圓歌、むらく、歌子、朝冶、亀次郎、右女助、公園
○立花亭 伯知、今輔、むらく、圓歌、圓窓、李彩、小南、中太郎、瀧の助、亀次郎、歌子
○立花家 貞山、素行、燕枝、小勝、紋弥、今輔、さん馬、文楽、式多津、勝次郎、三蔵、米好、鯉かん、丸一
○並木亭 圓蔵、三木助、むらく、仲太夫、りう馬、亀次郎、文蔵、新朝、公園、おけさ踊一座
○富岳座 圓右、松林、右圓、三木助、歌子、小正一、頼太夫
○木原亭 圓窓、小圓朝、小南、圓蔵、足利翠、金三、圓左、歌子、朝冶、李彩、遊輔
○新橋演芸館 三木助、むらく、小圓朝
○末広亭(三遊演芸會) 小南、圓蔵、公園、歌子、圓歌、右女助、右女助、文蔵、むらく、李彩

大正3317日 北国新聞(金沢)

◇一九席 西洋大魔術、東京落語合併一座、番組左の如し

 落語手踊(圓太)落語物真似(亀三次)奇術(小喜嬢)曲芸(徳源)落語音曲(三朝)落語盆の曲(圓流)西
 洋手品(天旭)大魔術(隋振声)

大正3319日 山陽新報

<立花家橘之助、三遊亭円橘一座・岡山大福座>

大福座 十八日より立花家橘之助、三代目三遊亭圓橘一座の落語にて蓋開け初日演芸番組左の如し

 落語道かん(橘弥)落語弥次郎(遊七)大阪落語手踊(染之助)常磐津乗合船並に踊り(花子、花助)落語
 □
並に手踊(橘松)尺八(花堂)落語素人鰻屋(夢輔)三府浮世節(橘之助)落語□□(圓橘)切余興尺八義
 太夫合奏(尺八花堂、歌花助、太橘之助)

<編者註>橘之助一座の番組は下記の通り。

321
 
児誉め(橘弥)一分茶番(遊七)浪花落語並に手踊(染之助)常磐津戻り橋並に浮世節手踊(花子、花助)初
 天神(橘松)尺八三曲(花堂)一両損(夢輔)三府浮世節文福茶釜(橘之助)火事息子(圓橘)大切余興尺八
 義太夫合奏(花堂、花助、橘之助)

324
 
一分茶番(橘弥)くさめ講釈(遊七)浪花落語(染之助)常磐津宗清手踊(花子、花助)子賛手踊(橘松)尺
 八俗謡種々(花堂)素人鰻(夢輔)勧進帳並に浮世節(橘之助)落語サガレン土産くず虎(圓橘)

325
 
たらちめ(橘弥)夢金(遊七)浪花落語手踊(染之助)常磐津小夜衣仙太郎(花子、花助)ひねりや(橘松)
 尺八の曲(花堂)唐茶屋(夢輔)元禄並に浮世節(橘之助)文七元結(圓橘)

326
 弥
次郎(橘弥)四の字きらい(遊七)浪花落語手踊(染之助)常磐津八犬伝並に浮世節手踊(花助、花子)権
 助提灯(橘松)尺八の曲(花堂)掛万(夢輔)浮世の花籠大薩摩(橘之助)厩火事(圓橘)

328

 弥次郎(橘弥)和歌三神(遊七)浪花落語(染之助)常磐津三社祭並に浮世節(花子、花助)りんきのこま
 (橘松)湯屋番(夢輔)浮世節大薩摩(橘之助)女天下(圓橘)大切尺八合奏(花堂、花助、橘之助)

大正3321 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館の京都笑福亭引越しの落語、音曲、手踊は廿日より開演せしが、桂派幹部の顔揃ひにて大人気なり。[二十四日まで]

大正3321日 神戸新聞

戎座 本日より従来の橘の圓一座の上に清国人有林来出演曲芸を演じる。

大正3324日 都新聞

明治座の落語家劇 二十六日午前九時より開場。第一「曽我対面」第二「十番斬」第三「お染久松油屋」第四「二十四孝十種香」第五「高時」第六「安達の三」第七「腕の喜三郎」第八「釣り女」役割は八重垣姫(小さん)工藤左衛門、宗任、久松(富岳)曽我十郎、上杉謙信、貞任(小勝)曽我五郎、原小文次、濱夕、曙源太(助六)近江小藤太、紅□□甚三(才賀)鬼玉(米枝)大磯の虎、お染、衣笠(式多津)化粧坂少将(勝弥)仁田四郎、城の入道、大島逸平(鯉かん)五郎丸、前髪佐吉(勝三郎)亀鶴(勝子)松や源右衛門、鮫井兵太、大名(三好)倅多三郎、神崎甚内(扇橋)山加や清兵衛、安達三郎、幻長吉(さん馬)ぬれ衣、喜三郎、女房おいう(つばめ)朝日奈、おかめ(文楽)白須賀六郎、袖萩、大□□者(紋弥)武田勝頼、腕の喜三郎、北条高時(談洲楼)

大正3326日 大阪新報
<文団治・蔵之助・染丸>

◇文團冶叱る 「我々楽屋の者まで入れますと二十何人といふ人間が、皆さんのお慰みになつているのです、木戸銭を二十銭で割つて御覧(ごろう)じろ、一人前三厘何毛にしか当りません、腐つた鰯でもモウ少し高價(たか)い筈です、だから余り贅沢をいはれては困ります」と高座から叱り付られたお客、大喜びで手を叩く。鹿といふ商売は有難い稼業だ。

◇脱退派の此頃 一時は天満の杉の木下村[竹次郎]が一と肌脱いでやらうとして不調に終り、又もや地方巡業となつた浪花三友派の脱走蔵之助、喬之助の連中、此頃は岡山で稼いでいるさうなが、何かして早く戻つて来い。

◇二階と懸合ひ 二十四日の晩、平野町の此花館、春雨にミッチリと入つた二階桟敷に好い心持に酔払つた客が盛んに半畳を入れている。剣先に当つたは染丸、「まことに結構なことで、ヘイ〳〵我々も金を儲けましたらあんな具合にして見せたいもので」などと云つたが災難の始りで、客が調子づいてます〳〵騒ぐ。流石の染丸、聊か小癪に障(さ)へたと見えて、「鳥渡席亭はん、頼みます」、助け船を呼(よぶ)。

大正3328日 大阪新報

◇尾籠な落語 さうした筋ならば仕方もあるが、三友派の圓枝の地獄めぐり、糞を握つたり屁をひつたり手の垢を食つたり虱を殺したり、揚句の果てはむさい褌で晒布を踊らうかなどと亡者に云はせるのは弁じ過ぎる。

◇何れ近い中に 法善寺紅梅亭の主人原田は圓蔵、貞山、加賀太夫の三人をこの春呼んで来てワット云はせる計画の筈のが、隠居の死去で鳥渡中止となつたが、いづれ近い中に再挙を図るつもりらしい。

大正3328日 大阪時事新報

◇見物たじろぐ 三友派に出て居る東京落語の扇蔵は、先輩の連中が前受を狙つた落語をやるのに憤慨したか、役者物真似の遣通し、それも可いが東京役者の棚下しが多いので見物大たじ〳〵。

大正3328日 中国新聞(広島)

演芸館 今二十八日より三遊亭圓橘、立花家橘之助一行にて開場

大正3330日 大阪時事新報
<三遊亭円子

◇嬲料に相乗俥 三友派の円子が二調の道具を引担いでの相棒なり、下座代りなりの妻奴をお嬶扱ひにして連れ廻つてゐる許りなら未だしも、高座で三味線を弾かせながら嬲(なぶ)り者にて悦んで居るので、妻奴も去る者、ネエ円子師匠、駈持の俥は相乗にして頂戴と優しく持込んだ。然(そ)うして貰ひますと妾(わたし)俥賃だけ助かりますからね。

大正3330日 大阪新報

◇浪花三友派 紅梅亭其他にては四月一日より出番変更。幹部連の外歌舞音曲鶴亀淀助、剣舞美名本一馬、筑前琵琶千葉琴月。尚桂文三は益々好評につき引続き出演。

上方落語史料集成 大正3年(1914) 4月

大正341 京都日出新聞

南座伊藤痴遊雲井不如帰一行は本日午後六時より開演。
◇笑福亭本日よりの出番は左の如く決定 円二郎、円之助、芝楽、先太郎、さん喬、左文治、文の助、春太夫、桃太郎、福円、琵琶松琴女史、枝太郎、武左衛門改め円都、円笑。
◇芦辺館本日より左の如く出番変更 吉之助、円六、染三、三八、文三郎、司雁、小団治、小文三、染丸、小米、柳昇、源嬢、文吾。

大正341日 神戸新聞

落語席 本日より左の通り変更

栄館 遊楽、福輔、茂子、小枝鶴、梅風、松子、三蝶、小正三、南枝、圓歌、正三 
◎都座 一圓、春輔、都ん輔、直造、かほる、圓、小圓、圓歌、圓弥、圓丸、圓天坊、枝三郎、圓三郎、圓二郎、三橋、三升、春鶴、正輔、扇蔵

大正341日 都新聞

寄席案内(四月上席)
○白梅亭 圓蔵、圓右、圓遊、歌子、圓歌、小南、圓蔵、文蔵、公園、頼太夫
○川竹亭 左楽、富岳、燕枝、文楽、三好、馬生、紋弥、つば女、式多津、米鯉、さん馬
○金沢亭 伯知、小南、綱太夫、むらく、圓遊、小圓遊、歌子、りう馬、公園、金三
○山市場 加賀太夫、圓蔵、むらく、李彩、小南、文蔵
○喜よし 小さん、蘆洲、素行、紋弥、馬生、つばめ、おけさ踊

大正342日 神戸新聞

戎座 生田前の同座は本日より左の顔触れの落語

 圓歌、圓丸、圓弥、正輔、三升、都ン輔、枝三郎、圓天坊、圓三郎、直造、かほる、春輔、圓二郎、一圓、扇
 蔵

大正344日 大阪新報

◇「三遊春の風俗」と圓馬 

らくご 007奉書刷の中本、圓朝戯作「三遊春の風俗」と題した八丁綴り、表紙の見返しは是真の淡彩、男枕へ宝船の一枚張を載せたを描き、「初夢や誰か見しも皆根無草」と圓朝の一句、序文は假名垣魯文、版行は明治十四年の初め、各丁薄墨又は薄い青や淡紅で意気な模様を現はした木版刷、これは故人三遊亭圓朝の小話集である。是真といひ、魯文といひ、圓朝と云ひ、そも〳〵又奉書刷の木版と云ひ、いかさまそのかみなつかしい人達、そのかみなつかしい小冊である。徳川の末期に淀みをなした下行文芸の流れが御維新の活き〳〵とした春の日に漸く乾かうとして末だ茲かしこに潦(にわたずみ)をなしてゐた頃をそゞろに偲ばしめる。

この本は圓朝が自分の門下の弟子達の口調に模した小話を集めたものらしい。圓生風、圓橘風、圓喬風などと十四五名の弟子の名を挙げてゐる。三つ扇の紋どころ、三遊亭一派が柳派等の他流を圧して盛んに羽振を利かせた時代は丁度この書の出版前後であらうか。其盟主たり、近世落語界の本尊とも仰がれた圓朝は、先づ白玉楼裡の客となつた。巻頭に名を掲げた圓生も舌癌で世を早くした。圓橘も亡き数に入つた。第三番に記された圓喬も去年易簀した。第四番の圓遊はこれも疾くに没して、今時分は極楽でステヽコでも踊つて西方浄土の阿弥陀様に腹を抱へさせてゐるだらう。三十何年の星霜は目まぐるしいほど気が短い。この人もゐない、この人は何うしたらうと拾つて行く中に圓雀といふ名が見付(みつか)つた。

圓雀風

 濱町の魚市場へ恵比寿様が来て二円の鯛を買ては小判を出し、一円の鯛を買ふにも小判を、また隣では八十銭の鯛を買ふにも小判を出す故、この金貨の高いのに何(ど)うした訳で御座りますかと聞けば 戎「イヤ俺は一体釣が好きぢや」

とある。その圓雀こそ久しく大阪に止まつて、今紅梅亭始め浪花三友派の各席へ出演してゐる三遊亭圓馬の前名、明治二十一年に今の名に改めたのだと当人の話。あの生え上つたピカ〳〵と綺麗に光る禿頭が濃い頭髪で覆はれ、額から頬へかけて小皺の寄つた筋肉がまだ艶々しく、苦味の走つた男振が浮気な下町の寄席好きの娘共に仇な煩悩を起させた二十才代の圓馬の俤が目の先にチラ付くやうだ。

それほどに古いことでなくとも、桂文左衛門が文枝時代、大阪の桂派が金澤の席(今の蓬莱館)を始め到るところの寄席で覇を唱へてゐた頃、圓馬は弟の圓三郎と一緒に東京下りとして桂派の客将となつた。当時の圓馬は男盛り、安中草三や塩原多助等の続き物に客を呼び、弟の圓三郎は碁盤の上で紀伊の国を踊つたりして愛嬌を売つてゐた。暫くして圓三郎は神戸に赴き、又は東京に帰り、先度頃はクリ〳〵坊主となつて橘の圓などゝ名乗つて相変らず働いてゐるさうな。扨も其後兄の圓馬の身にはさま〴〵な変化が起(おこっ)た。

 さしもに栄えた桂派も次第に凋落し初めた。内訌が起る、文枝の文左衛門から小文枝の文枝へ伝へられた桂派の血脈も二代目[ママ:正しくは三代目]文枝の没後は一つに結ばれた、幾條の糸が縺れ合つた末に散り〳〵となつた仕舞つた。之れに反して久しく桂派の敵であつた浪花三友派が紅梅亭の手によつて益々盛んとなり、今では枝雀を除くの外、桂派の大頭連は悉く浪花三友派に帰した。圓馬も数には漏れなかつた。

 覇気の少(すくな)い、淡い諦めと共に渋く世を看る江戸つ子気分の或る一面を有してゐる圓馬は、寂を愛し、味を楽んで自ら小天地を作つて其中に籠つてゐる。白隠の達磨の一幅をかけて玉露をすゝつて、飛行機の飛ぶ世を何と観じてゐるか。

 一夜、法善寺の紅梅亭に赴く。眼の大きい圓枝といふ男が屁だとか糞だとか褌だとかムサイ用語の夥しく入つた大阪落語を弁じた後へ圓馬が現はれた。柄の悪い大阪の寄席客はこの人の顔を見ると直と「五人廻し」と情(なさけ)ない注文を高声に呼はる。怪しい女を引連れて酒臭い息を無遠慮に吐きながら、その癖碌に話を聴いてゐない。だから圓馬も自ら嘲りつゝも迎合して「四の字嫌ひ」「粗忽使者」さては「五人廻し」など愚話を繰返さねばならぬ。ところがその夜は師匠圓朝の三題噺「袴着と盲人と大仏餅」といふあまり繁々やらぬ渋いものを演つた。

 「子供の袴着の祝ひ、客を待つ支度の折、門先を子供に手を引かれながら足に疵をした盲人が通るを哀れと見たその主人が呼留めて、創(キズ)薬などをやり、身の上を聞けば、この盲人は芝で聞えた茶人の成の果。自分も好きな道で貴方の名は知つてゐる、先づ〳〵と、座敷へ招じて八百善の膳部を与へ、抹茶一服を呑ませ、その茶碗の鑑定をして見て呉れというと、盲人は『間違ひましたら御免下さい、これは小唐津では御座いませんか』といふ。如何にも小唐津、然も嘗て貴方の御蔵品であつたのを廻り廻ぐつて私の手に入つた品と互ひに数奇の話あつて、盲人は喜びながら有合せの菓子でと出された大仏餅を食つて咽喉に痞(つか)へ、目を白黒する。主人驚いて背を叩くと不思議や目が明いた。その代わりに鼻が悪くなつた。ナゼかと云へば、大仏餅だから目から鼻へ抜けたのだ」といふサゲである。

かうしたものは圓馬の壇場だ。然し「五人廻し」を注文した客は欠伸をしてゐた。之れだから泣き度なる。

 圓朝の門下、古く師の後を追うて死んだ連中は措いて、品の好い話に長じた者は先づ圓喬と次いでこの圓馬と二人位のもの。圓右尚ほ在りと雖も、人情話の人情に泣かせる腕はあるが、圓喬、圓馬とは別趣の畑である。圓蔵はよく喋るが、これも亦縄張りが違ふ。名人圓喬は早世に亡い、茲に於て圓馬は類の無い落語家として尊重してやり度い。彼れをして時に続きもの、人情噺をやらせるも可い。又取つて置きの洗練された江戸趣味の表現ともいふべき渋い小話の珍しいのをドシ〳〵とやらせるは更に妙である。

 独りこれを圓馬にのみいふのではない。大阪落語も今の如き有様では是非何とかならねばならぬ運命を有してゐる。古い処では好いネタが沢山ある。真の浪花振の趣深いのが少からぬに、ソレそこが例の怪しからぬ客の注文によつて次第〳〵に崩され忘れられて行く、これは全く何とかせずばなるまい。若い落語家連に先づ充分ネタの理解とその予備知識とを与へる必要もあらうし、腹を作らせる必要もあらう。圓馬などは好い手本である、以て学ぶに足る。時折には研芸本位の落語会も演つて欲しい。そして万一、油臭い女を引連れた欠伸党がやつて来たら木戸で追い返してやれ。然し而して之れが為めに飯が食へなくなつたら、それは落語といふもの、最終の時が来たので、美しい玉を抱いて餓死するも亦洒落れてゐるではないか。(藍微塵)

〈編者註〉記事の最初に「三遊春の風俗」の表紙の写真が載っているが、極めて不鮮明なので、代りに『円朝全集』十三巻(岩波書店・平成二十七年)の図版を拝借した。なおこの小冊には円朝とその弟子十三名の小話がでており、記事中の圓雀(円馬)のもその一つ。

大正345日 大阪新報

◇南地紅梅亭 落語回数入場券を発売し、破格の割引をなし、十回分一円五十銭にして、購求者には芦辺踊の無料入場券を進呈する由。

大正345日 大阪時事新報
曽呂利、生葬式の企て

◇漁仙の生香奠 落語家の曽呂利、今の漁仙はモウ八十に手が届くので、生香典を貰はうと京阪画家に懇請して揮毫画を覓めてゐる。それを菩提所の生玉の隆専寺に展開して売価を契約し、死後遺族がその画を持込んで買主から香典料に代へる趣向。若し画を貰つた画家に不祥があつたら、その人の画を売つて香典に手向けるといふ事。

大正346日 九州日報(博多)

<立花家橘之助、三遊亭円橘一座・博多川丈座>

博多の川丈座 東京落語三遊亭圓橘、立花家橘之助一行は昨日乗込み今六日町廻り初日開演の筈。番組左の如し。

 鼻がほしい(三遊亭橘弥)長命の名(三遊亭遊七)独芝居(立花家染之助)常磐津乗合船(立花家花子、同 花助)一分茶番(立花家橘松)尺八曲(一睡軒花堂)反対俥夫(朝寝坊夢輔)浮世節櫓太鼓の曲引(立花家 橘之助)宗論(三遊亭圓橘)尺八浴揺義太夫式合奏(花堂、花助、橘之助) 

大正3415日 神戸新聞

停止明け 歌舞音曲の停止は昨日を以って終わりたれば各興行は本日より開演すべく停止期間は流石当地の新開地も火の消えたる如き寂しさなりしも本日よりはまたまた賑わいの巷となるべし。さて本日よりの替は左の如し

湊座の改築 新開地の劇場湊座は内部の大改築を行い下駄履のまま入場することとなり活動写真館と改めたるが、本日より活動連鎖劇を開演す

大正3415日 満州日々新聞

花月席 十五日一日尚御遠慮申上げ十六日初日にて初見一座興行

<編者註>大隈重信死去にともなう歌舞音曲の中止

大正3416日 都新聞

大入寄席案内(四月下席)
○川竹亭 伯山、柳枝、小柳枝、紋弥、鶴枝、燕路、小勝、かしく、さん子、妻吉、枝太郎、柳橋、柳童、張
 鳳山、扇橋
○立花家 小さん、若燕、左楽、紋弥、妻吉、馬生、紫朝、勝次郎、さん子、小柳枝、つば女、政次郎
○末広亭 圓右、圓蔵、圓歌、文蔵、公園、小南、歌子、朝冶、圓窓、新朝、遊輔、李彩、大切余興喜劇
○富岳座 富岳、小南、むらく、三木助、大神楽、長唄連、ブラック
○木原亭 圓遊、伯知、圓歌、むらく、右女助、綱太夫、三木助、歌子、新朝、頼太夫、亀次郎

大正3417日 大阪時事新報

◇幇間の早変り 幇間鶴家淀八の弟子淀助は久しく阪地に顔を見せなかつたと思ふたら東京へ行つて落語家となり、今度三友派へ下阪して声色と変手古な踊を売物にしてゐる。へゝ是から芸術家ですも無いものだ。

大正3419日 大阪時事新報
三遊亭円子

◇女助けの為に 三遊亭円子は我流ながら二調といふ特芸があるので、尻軽の芸妓連に囃し立てられ、新町に才奴なり、金弥なりの下馬も出来た嬉しさに、額を叩いたり鼻の先を撮んだりして悦んで居ると、廿日から松屋町の追出しを受持つてくれと席元から頼まれ、イヤそれは何(ど)うも、新町の瓢亭にして下さらぬと女二人の一命に関はる訳でゲスと、漸く繰替を頼んで納まりをつけた代り二円助の鮓代を奮発してヨイショ、色男は左右金の要るものでゲス。

大正3420日 大阪時事新報
立花家喬之助

◇鼻高々の狆面 三友派から脱走した狆面の喬之助は蓼食ふ虫も好き好きでせうと、神戸の成和とか云ふ太夫元に情を売り付けてから急にそれを笠に着て、彼の有るか無いか顕微鏡で見ねば別(わか)らぬ鼻の先を厭にピヨコつかせて、一味の蔵之助や円坊を家来扱ひの高慢ちきに、連中呆れ返つて、嗚呼俺達も何故女には生れて来なかつたらうと漏してゐるとは意気地のない奴。

大正3420 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は廿一日より京都笑福亭桂枝太郎一座の落語にて蓋を開ける筈。

大正3424日 大阪時事新報

◇活動弁士の博奕 千日前活動写真三友倶楽部の楽屋に於て同館の弁士桂屋残月こと小野菊水(四十)、同じく田口加苗こと田口嘉太郎(三十九)及び芦辺倶楽部の弁士石野馬城こと石野誠正(二十七)の三人は、両三日前の夜、三友倶楽部の楽屋に於て花合せをなし居る所へ南署の警官踏み込み、前記三人を本署に引致したるが、糸長警部補取調の結果、右は洋食の奢り合ひをなさんと阿弥陀籖の代りに花を引き居りしものにて、別に金銭の勝負をなし居らざりし次第と判明し、厳重に説諭を加へ、書類は検事局へ送られしも、身柄だけは一先づ放還されたり。

大正3428日 満州日々新聞

<三遊亭小円朝一座・大連花月席>

演芸界
三遊亭小圓朝 花月席五月興行として二代目圓朝となるべき三遊派の頭取小圓朝は、遊玉、小圓冶、小圓太、三朝、圓盛等一行十二名にて廿九日神戸乗船五月五日頃迄に乗込み落語の外常盤津音曲舞踊百面相等の色物に興行界を賑わす由。
歌舞伎座 北村生駒一座の返り初日大阪毎日新聞連載小説「かたおもい劇」
恵比寿座(二十六日より) 浜口熊岳の実歴を脚色せし「摩訶不思議」
花月席(二十七日) 圓月、花笑、仁昇、花友、雪子、圓太夫、圓司の浪花節。
大山席(二十七日) 御祝儀宝の入船(遊二郎)大阪落語音曲(森太郎)浪花節(早川小太郎)大阪音曲(松井)博多二○加(真鍋連中)音曲(小西)西洋奇術(雀右衛門)かる口(大坊、小坊)落語音曲手踊(福圓)透視術千里眼(天若)東京落語手踊(渋谷)浪花節(新調)大阪落語舞(里香)舞手踊(岡村)東京落語(波六)大切喜劇(楽屋総出)

大正3429日 大阪新報
<船遊亭しん橋>

◇しん橋と見台 東京噺と看板打つたる船遊亭しん橋、大阪式に見台を控へて手持無沙汰の折々扇でポン〳〵と叩くのは少し不調和。

大正3429日 大阪時事新報

◇染太夫救はる 常磐津染太夫は松竹付のお抱といふ約束で東京から乗込みの中座で反り返つて居たものゝ、太夫処(どころ)か役者の運命さへ判然せぬので、徒に宿屋飯を喰つても居られず、さりとて帰東し憎い訳もあつて悄げてゐたのを、紅梅亭が交渉して三友派の寄席へ出る握手があつた。お蔭で浮み上りますと。

大正3430日 大阪新報

◇五月の浪花三友派は常盤津染太夫、同綾好、余興吉原木遺節、松井源嬢の曲独楽、淀助の滑稽茶番、文三の落語を加えて五月一日より開演。

大正3430日 大阪新報
<金原亭馬生>

◇馬生の溜飲 大阪では寿々女会に立籠つて左程に素晴らしい振舞もしなかつた馬生も、東京へ行つて小せんと二人会を催したりして可なり振つたさう、当人も久々で溜飲を下げたことだらう。

上方落語史料集成 大正3年(1914) 5月

大正351日 大阪毎日新聞

◇寿々女会 浪花落語寿々女会一日より出演すべき新顔は蔵之助、円坊、琵琶三木翠松、中村翠湖。

大正351日 大阪時事新報

◇落語家の裏表 三友派の円子と円枝は、五月は京都詰を申渡され、へい〳〵何処へ参つても八方お得意様で機(おり)よくば島原の傾城買も出来ますと円枝、反対に円子は当地に情婦があるので萎れ返つてゐる憐れさ、落語家でも恋は恁(こ)うしたものかと思はせる。  

大正351日 大阪新報

<蔵之助ら寿々女会に加入・「扇派」の解散>

◇寿々女会の新加入者 昨秋感情の衝突から浪花三友派より分離し扇派と号し神戸その他の地方巡業なし居りし十数名の落語連中は、その後春團冶、花咲等は再び三友派へ戻つて[仕]舞い、残る人々も今度解散することとなり、蔵之助、圓坊等は寿々女会へ加入せり。又琵琶の三翠松も新たに同派へ入り中村翠湖と合奏出演すと。

〈編者註〉一部残留組がいるが、「扇派」はここに解散したといっていいだろう。なお春団治、蔵之助ら三友派の若手が離反して「扇派」を旗揚げした詳細についてはカテゴリ「扇派について」を参照されたい。

大正351 京都日出新聞

笑福亭は今一日から左の連中が出演する 円二郎、円之助、芝楽、先太郎、円笑、福円、春太夫、桃太郎、円都、文之助、松琴女史、左文治、枝太郎。
◇芦辺館は一日から左の如き顔触れで久方振りに三遊亭円子が出演する 落語円六、同吉之助、同染三、同玉団治、同手踊小文三、落語司雁、同手踊菊団治、東京落語柳昇、筑前琵琶筑芳、落語手踊小団治、落語文吾、曲芸直蔵、落語円枝、音曲妻奴、東京落語二丁鼓円子。

大正351 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館にては一日より京桂派笑福亭一行引越し、不相変花々しく開演の筈。

大正351日 都新聞

寄席案内(五月上席)
○金沢亭 圓右、圓歌、小南、伯知、むらく、歌子、圓左、右女助、三木助
○立花亭 伯鶴、むらく、三木助、右女助、李彩、小南、駒登志、駒歌都、文蔵、歌子
○富岳座 小勝、若燕、紫朝、紋弥、播重、かしく、玉輔

○末広亭 柳枝、伯鶴、今輔、紋弥、源水、馬生、小勝、小柳枝、さん子、妻吉、つば女、濱幸、三好、鶴枝、
 玉輔
○鈴本亭 圓右、貞山、右女助、三木助、歌子、亀次郎、むらく、常磐津連、文蔵、金三、圓歌、李彩、圓左、
 龍馬
○白梅亭 圓右、小南、むらく、りう馬、三木助、圓歌、歌子、李彩、金三、圓左、圓三、手踊電気応用
○川竹亭 圓右、小南、歌子、圓歌、亀次郎、右女助、むらく、李彩、勘左衛門、文蔵、金三
○並木亭 今輔、紋弥、柳枝、枝太郎、三好、源水、小柳枝、ピリケン、文楽、さん子、燕路、素行
大正352 大阪朝日新聞

◇昨秋、三友派から分離した春団治、蔵之助、円坊、花咲は扇派と名乗つて神戸に出ていたが、今度春団治、花咲は元の三友派になり、蔵の助、円坊、林家正楽は一日より寿々女会の寄席へ出勤する。琵琶では三木翠松、中村翠湖も同派へ出る。

大正352日 大阪新報
<桂文三>

◇文三の目を 一時危なかつた桂文三が又先度から高座を勤めて若い者にもヒケを取らず達者を見せている。それにつけても「あの盲(し)ひた目を一眼だけなりと見えるやうにしてやり度い」とヒイキ連の尤もな望み。

◇南窓来る 生玉御旅の南陵亭へ一日から出演する正流斎南窓は東京講談界の古老で、得意とする所は世話物「白子屋」「紀文」などは最も聴くべきもの。

大正352日 満州日々新聞

<三遊亭小円朝来たる>
楽屋と大向 今度の花月席に乗込む三遊亭小圓朝は以前当地に乗込み二回共好人気を得た金馬の師匠で舊名の金馬を小金馬に譲り小圓朝を名乗って満州視察と出掛けたのだそうだ。が帰京すると此秋東京で三遊派の家元圓朝の名広めをするのだと云うから先々(まづまづ)満州では是迄に聴く事の出来なかった人情噺が聴かれるのである。小圓朝の十八番ものは塩原の怨霊、牡丹燈籠、若草双紙、お花粂之助などである。一座の小圓冶は故人圓朝の息子で落語の外は若柳吉弥式の踊り神髄を得て居ると云う事で紋弥とは同門だそうだ。

大山席(一日より三日間) 神田伯声新講談、二時間立読の外余興に博多仁和加、新派喜劇三幕

旅順八島座(二日より五日間) 京山花笑、京山若子、京山花友、京山仁昇、高間雪子、京山圓太夫、三味線京山圓司

大正353日 大阪時事新報

◇高座に余る声 常磐津染太夫は猿若の三味線で一日から三友派の寄席に現れたが、歌舞伎の桧舞台に出てゐたゞけに中音の声調が高座に余る程だ。子供の時から好きで習つたといふ木遣崩しは胡麻塩頭の爺さんと思へぬ意気な声。

大正353日 神戸新聞

都座 本日より出演者左の如く変更せしが、余興「落語相撲」穴探しは大当たりならば、引続き大切に加え居れり。

 正輔、市馬、三升、かほる、枝三郎、糸好(義太夫)、春輔、文二郎、圓天坊、圓、三木雄(剣舞)、圓三
 郎、喬の助

大正354日 大阪時事新報
<文団治、骨董屋を始める>

◇骨董の店開き 三友派の桂文団治は頭はすつかり禿げ切つたので、漸(ようやく)と年齢の加減を知り、何時までも落語家ではあるまい、今のうちに何とか分別をと首を捻つた揚句が、曽呂利が漁仙といふ画家に化けたのから思ひついて、書画骨董の売買を始めやうと、畳屋町に家を借つて天保庵と名を付け、いよ〳〵開業、扇子の代りに茶杓なんかを捻くつて納まり返つた。

大正354日 山陽新報(岡山)

大福座 葵派橘家圓次、桂文之助、三遊亭遊朝一座の落語歌舞音曲演芸にて三日初日を出す。番組は毎日替り一行の顔触れ左の如し

 大阪落語(圓寿)東京落語手踊(遊若)東京落語声色(圓州)娘落語手踊(静子)曲芸(小圓)大阪落語
 (梅團冶)音曲手踊(小團冶)大阪落語音曲(文之助)落語曲盆扇舞(圓次)東京人情笑話(遊朝)

<編者註>十二日迄興行。文之助は、神戸の落語家で、可昇、米昇から三代目梅團治を襲名。梅團治、小團治は、名古屋の落語家。

大正354日 九州日報(博多)

<二代目三遊亭遊三一座・博多相生座>

博多の相生座 明五日より三遊亭若遊三改め二代目遊三一行にて開演。一行は、遊三の外、花遊三、三路、遊三郎、三八、呂鶴、三子、若梅なり。

<編者註>相生座の落語番組、下記の通り。

55
 
落語(遊若)落語手踊(三八)落語音曲(遊三郎)軽口噺(金坊、銀坊)落語扇舞(花遊三)新内(若梅)浮
 世節手踊(三子)即席問答笛の曲(呂鶴)三府音曲(三路)落語歌舞所作事(遊三)即席問答(総出)

56
 
東の旅(三八)西行(遊三郎)勧進帳(金坊、銀坊)忠臣蔵(若梅)蔵丁稚扇舞(花遊三)小噺舞(三子)稽
 古屋笛の曲(呂鶴)三府音曲(三路)落語百種並能舞(遊三)切勢獅子電気応用

58日 
 
小倉船(三八)そこつ長屋音曲(遊三郎)軽口塩原太助(金坊、銀坊)新内明烏(若梅)しん猫扇舞(花遊
 三)浮世節手踊(三子)三十石笛の曲(呂鶴)三府音曲(三路)落語百種能舞(遊三)即席話掛合(総出)大
 切電気応用所作事勢獅子引抜三面

59
 
伊勢参り二人旅(三八)源平穴探し(遊三郎)軽口七段目(金坊、銀坊)新内頼朝日記宿屋の段(若梅)落語
 辻占茶屋扇舞(花遊三)浮世節手踊(三子)落語猫忠信(呂鶴)三府音曲(三路)落語百種能舞(遊三)即席
 噺(総出)大切電気応用所作事

510
 
小倉船(三八)四の字嫌い音曲(遊三郎)軽口三段目(金坊銀坊)新内五右衛門(若梅)親子茶屋(花遊三)
 浮世節手踊(三子)仕込の大筒笛の曲(呂鶴)三府音曲(三路)落語百種(遊三)即席素噺(総出)大切電気
 応用三箇面所作事

511
 
西の旅(三八)付馬音曲(遊三郎)軽口綱五郎(金坊銀坊)八百屋お七(若梅)質屋芝居(花遊三)浮世節
 手踊(三子)天下一浮れの紙屑屋(呂鶴)三府音曲(三路)落語百種(遊三)即席素話(総出)大切電気応用
 所作事保名狂乱

512
 
軽業(三八)百人一首音曲(遊三郎)道中八景(金坊、銀坊)新内弥二郎兵衛喜多八(若梅)お玉手踊(花
 遊三)浮世節手踊(三子)百年目(呂鶴)三府音曲(三路)落語百種(遊三)即席大津絵(総出)大切電気応
 用保名狂乱

513
 
七度狐(三八)火の用心(遊三郎)江戸土産(金坊、銀坊)千両幟(若梅)壷算扇舞(花遊三)音曲手踊
 (三子)植木屋(呂鶴)三府音曲(三路)笑話能舞(遊三)即席素噺(総出)

大正354日 満州日々新聞

<三遊亭小円朝・大連花月席>
小圓朝一座 二日神戸発台南丸に乗込み六日着連の上花月席にて開演すべき三遊亭小圓朝一座の顔触れと演芸番組左の如し

 御祝儀宝船(三遊亭圓盛)落語音曲(三遊亭右雀)常盤津手踊(女道楽朝奴、おもちゃ、若之助)落語手踊
 (三遊亭朝之助)落語盆の曲(三遊亭圓流)娘義太夫(竹本福之助)音曲落語手踊(三遊亭小圓冶)曲芸(海
 老一鉄子)古今人情噺(三遊亭小圓朝)囃(都連)

<編者註>台南丸:大阪から神戸、門司経由で、大連着。外に、嘉義丸、天草丸、台中丸があったようだ。

大正355 大阪毎日新聞京都滋賀付録

<文団治の息子、警察に保護される>

◇文団治の伜迷ふ 三日午後京都中立売黒門の路上に不良少年風の小僧徘徊するを上長者町署巡査が本署に同行し塚田警部補取調をなしたるに、此者は大阪市東区玉造の落語家文団治事水野音吉の伜一二三(十一)にて、文団治等と共に先頃迄兵庫県下竜野町より奈良市を興行する内、真打の失敗から一行各自離散し、父の文団治に置き去られしより、僅の路銀を持ち京都に来り、父の所在を捜し求むるも皆暮(かいもく)しれず、大阪に帰るにも常に一定の居所なきより途方に迷ひ居るものと判明し、同署にて保護を加へ、目下文団治の興行先を取調中なるが、遉(さて)芸人の玉子丈ありて日頃習ひ覚えの落語断片を語りて署員の臍を撚らせ居れりと。

〈編者註〉この文団治は三代目(前田七三郎)ではない。戦後四代目文団治になった水野音吉である。この頃は麦団治を名乗っていたといわれるが、地方巡業では文団治の看板を掲げて興行していたのかも知れない。なお息子の一二三は後に役者となり、曾我廼家勢蝶を名乗った。

大正355日 中国新聞(広島)

<三遊亭金馬一座・広島東横町演芸館>
金馬来る 落語家東京三遊亭金馬一行は東横町演芸館に乗込み今五日午後六時開演す。毎日替りの一行の番組は昔噺(金都)落語手踊(金棒)常磐津(金冶)浮世節(金八)落語手踊(福馬)演芸百種(金遊斎)落語(圓満)落語曲芸(金勝)音曲落語(翫馬)滑稽掛合(満翫勝)手踊(小金馬)人情落語(金馬)大切お座敷喜劇。

大正357 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は七日より飴曲吹、奇術之元祖日下円蝶一行にて開演。関西地方始めての興行にて喜劇、剣舞、落語、音曲、奇術などもある由。

大正357日 神戸又新日報

聚楽館の圓歌>

演芸當座帳△圓歌の大浮れ、聚楽館の綽名がある都座の圓歌、柳原の若千代と握手して大澄ましの一座が睥睨(へいげい)し「お蔭で酷く老けやした。エヘヘヘヘ」は小うるさいが、実は相手が四十女だけに気が引けて仕様がないんだと。

大正357日 満州日々新聞

<大連の花月席の三遊亭小円朝と大山席の三升小紋>

◇花月席(七日初日) 三遊亭小圓朝一座六日台南丸にて乗込み七日華々しく町廻りをなし開演す番組は 御祝儀(圓盛)落語音曲(右雀)常盤津手踊(おもちゃ、朝遊)落語手踊(小圓冶)曲芸手踊(海老一鉄子)古今人情噺(三遊亭小圓朝)大切所作事色々(座員総出)

大山席(七日) 宝の入船(三升紋付)落語音曲(桂圓太郎)落語手踊(桂團之助)浄瑠璃(三升紋左衛門)三味線(竹本四七八)落語手踊(桂小文我)落語百種(笑福亭勝三)東京落語(金原亭馬琴)女道楽翁(若柳春子)落語音曲(笑福亭圓三)大切東京落語(三升小紋)独楽曲芸引抜大道具大仕掛所作事六花仙(座員総出)

大正358日 満州日々新聞

<花月席の三遊亭小円朝>
楽屋と大向 花月の天神髭は活動写真に蹴落されて春以来三河萬歳も浪花節も損続きで頭痛鉢巻の體で在ったが、夫れにも凝りず今度は大奮発で小圓朝一座を呼んだ。故圓朝の後を継ぐ芸人と云えば是非聞いてやる価値はあるが、さて今日の時代否満州のお客が圓朝式の人情噺を歓迎するかどうかは疑問である。これには天神髭も少々首を捻っているらしい。それでも落語や色物で是迄名を売った花月席を急に活動写真にも改宗は出来ぬと踏ん張っている。七日は一日休養させて八日から開場させるつもりであったが、愚図々々していると人気が落ちると一座も力瘤を出して乗組の翌日花々しい町廻りをして早速七日の晩から開場した。芸人でも内地へ帰って満州はつまらぬと云い触らされては満州の評判に関するから花を持たせて帰らせたいものだ。敢えて提灯を持つのではないが、マアそうであろうと思う。歌舞伎座すら終には活動写真を持ち込むかも知れぬ当世に花月の孤城を死守して居る天神髭の可憐な程凄まじい奮闘は大いに買ってやるべしだ。

花月席 御祝儀権助芝居(圓盛)落語九段目音曲(右雀)常盤津手踊(おもちゃ、朝之助)落語かけまん声色(朝太郎)落語吉原おなら、盆の曲(圓流)三勝半七(竹本福之助)曲芸手品(海老一)人情噺文七元結(小圓朝)大切所作事(総出)

大山席 宝の入船(三升紋付)落語音曲(桂圓太郎)落語手踊(桂團之助)浄瑠璃(三升紋左衛門)三味線(竹本四七八)落語手踊(桂小文我)落語百種(笑福亭勝三)東京落語(金原亭馬琴)女道楽舞(若柳春子)落語音曲(笑福亭圓三)大切東京落語(三升小紋)独楽曲芸引抜大道具大仕掛所作事六歌仙(座員総出)

大正3510日 満州日々新聞

大山席の三升小紋
大山席の小紋一座 花月の小圓朝を向うに廻して若手揃いの小紋一座は初日からの孤軍奮闘は目覚しい。二日目を略評すれば、紋左衛門の新浄瑠璃は可笑しな文句に当てられるが、珍妙なのが反って愛嬌。小文我の素噺は罪がなくて結構、盆の曲はあざやかだが、古い古い。勝三の素噺は達者、後の滑稽浪花節は満場を吹き出さしめた。若柳春子の手踊は高座のケレンもなく、中々軽妙四季の山姥はふっくらして角々の極りも鮮やか処々好い形を見せて滅法艶っぽい、流石一座中の花形だけはある。大坊小坊の軽口は大愛嬌にて腹の皮を撚らし、圓三、馬琴の素話は軽妙。小紋は素話一席手踊独楽曲引抜の所作事等大車輪に努める手踊の「上り下り」など師匠紋弥其侭なのも嬉しい。未だ未だ前途がある、中途で天狗になるな。

花月席(十日) 
 たらちめ(圓盛)道具屋手踊(朝三郎)清元浮世節(おもちゃ)音曲質屋(朝好)肝つぶし物まね(右雀)三
 十三間堂(福之助)よいよいそば舞踊(小圓冶)山岡角兵衛盆の曲(圓流)曲芸中の新曲(海老一鉄子)塩原
 多助愛馬別れ続(小圓朝)大切所作事芸廻(座員総出)

大山席(十日) 
 宝の入船(紋付)大阪落語音曲(圓太郎)大阪落語手踊(團之助)花井お梅裁判所の段(紋左衛門、竹本四
 七八)大阪落語曲芸(小文我)落語百種浪花節(勝三)掛合噺(大坊、小坊)舞踊(若柳春子)東京落語舞
 (小紋)東京落語舞(馬琴)大阪落語手踊(圓三)独楽の曲(小紋)大切所作事(座員総出)

<編者註>小紋一座は十九日迄。主な番組下記の通り。

511日 花月席

チンバの喧嘩音曲(圓盛)清元並に浮世節(おもちゃ)高野違いと手踊(朝三郎)動物園音曲(朝好)西行と音曲(右雀)お駒才三鈴ケ森(福之助)道灌音曲(小圓冶)山岡角兵衛盆の曲(圓流)ワンボールステッキの曲(鉄子)塩原多助続(小圓朝)大切座員総出にて芸つくし。

511日 大山席

御祝儀宝の入船(紋付)竜宮界(圓太郎)京名所手踊(團之助)浄瑠璃國の花(紋左衛門、四七八)夜の新聞文人踊(小文我)落語百種浪花節(勝三)掛合噺(大坊、小坊)舞踊(春子)崇徳院踊(圓三)東京落語舞(小紋)東京落語人情噺(馬琴)独楽曲引抜所作事(小紋外座員総出)

512日 大山席

入船(紋付)落語音曲(圓太郎)落語手踊(團之助)渦巻神前の段(紋左衛門、四七八)落語百種(勝三)掛合噺(大坊、小坊)女道楽(春子)夢金(馬琴)うちがい盗人ステテコ踊(圓三)東京落語舞まんど引抜(小紋)大切所作事

513日 大山席

落語(紋付)落語音曲(圓太郎)落語手踊(團之助)新浄瑠璃(紋左衛門)大阪落語舞(小文我)大阪落語浪花節(勝三)掛合噺(大坊、小坊)女道楽(春子)落語音曲(圓三)東京落語(馬琴)東京落語舞独楽(小紋)所作事味噌蔵(総出)

513日 花月席

だくだく(圓盛)鼻がほしい手踊(朝三郎)清元浮世節(おもちゃ)官業芸妓(朝好)壁金音曲(右雀)白石噺楊やの段(福之助)牛誉め手踊(小圓冶)磯の鮑盆の曲(圓流)新曲芸数番一鞠蹴り上げ額止めの曲(鉄子)塩原多助続(小圓朝)大切余興所作事

515日 大山席

宝の入船(圓太郎)大阪落語音曲(團之助)乃木将軍(紋左衛門)浪花落語手踊(小文我)浪花節落語(勝三)掛合噺(大坊、小坊)女道楽(春子)大阪落語音曲(圓三)東京落語(馬琴)東京落語百種歌舞(小紋)大切独楽曲引抜所作事(総出) 

大正3511日 満州日々新聞

新馬鹿大将来る 活動写真の芸題中に屡々現れ未見の観客に其名を知られたる日本新馬鹿大将(本名佐藤良之助)は、此程来上海にて大喝采を博し居たるが、十一日上海発榊丸にて当地に乗込み、十四日より恵比寿座に於いて初日開演の筈。同人は、初代松旭斎天一の右腕と云われし天右の後身にて、日本自転車曲乗の元祖と称せられ奇術曲芸何でもござれの天才を発揮し、二回洋行して奇術魔術の奥義を究め之れを喜劇に仕組んで、新馬鹿大将の名乗りをい揚げ、舞台に出れば幕無しにて奇術交じりの滑稽を演じ、見物の臍を宿替させずば、承知せず危険極まる離れ技を以って終に活動写真の材料に取られし程の奇術家なりと。

大正3513 京都日出新聞・大阪毎日新聞京都滋賀付録

<前京都幾代亭席主死亡>

金井幾代席◇金井芳松死す 芦辺館の前身幾代の席主として京都落語界を今日の如く盛ならしめた同人は時に利あらずして遂に幾代を明渡し其後笑福亭に関係をつけて奮闘中なりしが一昨日突然急病で死亡した葬儀は十三日午後一時半堺町三条下る光浄寺で寺式を営むさうだ。(京都日出)

◇金井幾代逝く 京都新京極幾代亭主として久しく京都落語のために尽すところ多く、同亭を大阪紅梅亭の原田氏に譲りたる後は桂枝太郎、笑福亭円笑等を援けて京桂派を組織して笑福亭に旗挙げをなしたる先斗町貸座敷幾代の主人金井芳松は、十一日午前十一時過ぎ、突然急激なる狭心症を起して黄泉の客となる。行年四十五。葬儀は今十三日午後一時堺町三条下る光浄寺にて寺式にて執行する由。(滋賀付録)

〈編者註〉写真は、京都の雑誌「百舞台増刊号」(明治355月発行)より

大正3515日 満州日々新聞

新馬鹿大将 十五日から恵比寿座で開演する新馬鹿大将は、三十六年頃より自転車の曲乗り専門で、妙技を唱われたものだが、布哇に行って居る内戦争になって帰国し、入営中連隊長の前で自転車の梯子乗りを演じ、隊中の大評判となった。除隊後一人で自転車の曲乗りをやっている内、松旭斎天一が外国から帰って来て勧めたので、一座に加わったが、技倆が忽ち進んで天一からは右の腕だというので、天右の名を貰い天勝天二と肩を比べるに至った。其後天一が死んで、天勝天二が分離することになって、どちらに付くとこも出来ず、別に旗上げをして天一式奇術と自己得意の自転車曲乗と滑稽趣味とて終に新馬鹿大将の名を博したが、日本活動写真会社にその妙技を見込まれて三年間も活動写真の材料となって居た。今浪速館でやっている新馬鹿大将裁判長の巻などは其の一つである。恵比寿座の狭い舞台で奇劇の中に仕組んだ自転車曲乗りは観客をして汗を握らせるだろう。

大正3515日 大阪新報

◇浪花三友派 十五日より浪花三友派の各席へ出演の新顔は高峰流筑前琵琶(小峰筑芳)、軽口(桂大輔、鶴亀淀助)その他独楽(源嬢)、常盤津(染太夫、綾好)、落語(桂文三)以下大連中。

らくご 004

〈編者註〉『藝能懇話』三号(平成2年)に紅梅亭五月十五日よりの演芸ビラが掲載されている(上図参照)。

大正3516日 都新聞

寄席案内(五月下席)
○金沢亭 小勝、紋弥、志ん生、可楽、玉輔、小柳枝、馬生、丸一、ピリケン、式多津、勝治郎
○立花亭 圓右、貞山、圓蔵、小南、歌子、加賀太夫、圓窓、文蔵、亀二郎
○末広亭 圓遊、圓歌、小南、むらく、右女助、三木助、公園、金三、李彩、龍馬、相馬踊連、電気応用手踊
○喜よし 伯鶴、圓蔵、三木助、圓窓、公園、加賀太夫、文蔵、李彩、圓歌

大正3516日 大阪新報
<橘家蔵之助>

◇蔵之助洒落る 今度法善寺の蓬莱館や北陽の永楽館を始め寿々女会の各席へ出演している蔵之助、一席を弁じた後で浪花節に曾我物語の冒頭(まくら)をチヨッピリ、五郎十郎、之れを合はすと十五両、あれば南地で一と晩遊べるウ。

大正3517日、18 徳島毎日新聞(徳島)

<三遊亭右円遊一座・徳島緑館>

緑館 明十八日日午後六時より高知堀詰座にて好評を博したる東京落語三遊亭遊橘、右圓遊一行乗込み開演。尚乗込み即日開演の為町廻りをなさずと一座の演題左の如し。

 東京穴探しの軽口掛合(右圓遊、遊橘)落語笑茸手品(右橘)音曲浮世節諸芸(遊女助)落語手踊声色(龍志)落語活人形掛取萬歳(枝女太)簾(すだれ)の内影芝居(楽屋連)落語花見仇討手踊(右圓遊)即席噺頓知競べ(遊橘)大切新作コメデー(総座中)(517

緑館 東京落語三遊亭遊橘一行は本日乗込み初日開演の筈なるが、開期は六日間限日延べせず。入場料は時節柄同館特色の十五銭均一とて久々振の落語なれば相変らず好評を博すべし。(518

大正3519日 大阪新報
<立花家喬之助>

◇喬之助の艶話 蔵之助や圓坊と別れ大阪の高座から忘(わすれ)られるようになつた不運の喬之助、その代り神戸で大分に粋筋が出来て一家を神戸へ呼寄せるさうな。東隅に失して桑楡に得た勘定か。

大正3523日 満州日々新聞

小圓朝旅順行 花月席に開演中の小圓朝一行は二十三日限り打ち上揚げ旅順に乗込みて二十七日より八島座に開演す

大正3527日 北国新聞(金沢)

東西落語合同一座にて本日より開演。番組左の如し

 噺二人旅(丸生)昔ばなし(圓寿)落語手踊(遊若)落語声色(圓洲)曲芸(小圓)娘落語舞(静子)落語
 (梅團次)落語手踊(小團次)落語音曲(文之助)落語曲盆手踊(團次)落語人情噺(遊朝)大切新喜劇

大正3528 香川新報(高松)
<三遊亭右円遊一座・高松常盤館>

◇常盤館 三遊派の落語にて二十七日開場初日の演題左の如しと

 影芝居(楽屋総出)音曲浮世節諸芸(遊女助)東京穴探しの軽口掛合(右圓遊、遊橋)落語掛取萬歳(枝女
 太)落語笑茸手品(右橋)落語京の鹿(龍志)落語花見敵討(右圓遊)即席噺活人形頓知比べ(遊橋)大切新
 作コメデイ(総出)

<編者註>6月4日まで

大正3530日 大阪時事新報
三升紋弥

◇鍍金は剥易い 芝居の物真似に人気を得て東京まで出懸けた三升紋弥も、睦派との折合が悪くなつて元の古巣へ立帰る下地か、二三日此方大阪に不景気な顔を見せて居る。剥げ易い鍍金芸ばかりに偏らず修養が第一。

大正3530日 九州日報

博多の川丈座 桃中軒如雲東京新富座興行の為上京期切迫せるよりお別れ興行として東京落語小伯山、物真似猫八等と合同本日より開演の筈なり。番組左の如し

 一ト目上り(権助)熊の皮(三の助)五人廻し(遊びん)曲芸(小圓子)浪花節太閤記(圓車)浮世節都々
 逸(勝代、きのじ)講談出世車(小伯山)物真似(猫八)浪花節讃岐の孤島(如雲)

上方落語史料集成 大正3年(1914) 6月

大正361日 大阪新報

<三友派の延命館、東紅梅亭改め正寿館が寿々女会へ移る>

◇寿々女会 従来三友派の興行席なりし上福島延命館及び和泉町東紅梅亭改め正寿館の二席は、一日より寿々女会にて興行の事となり、尚同会の新規のものは三友派より桂春團次、京都より桂文之助が出演。又従来よりの引続きは橘家圓坊、同蔵之助等なり。

大正361 大阪朝日新聞京都付録

◇岩神座は一日から円笑、枝太郎等京桂派連の落語で会場。

◇芦辺館は一日から円六、吉之助、染三、司雁、小団治、米紫、小文三、扇蔵、小文枝、歌舞音曲(駒奴、喬栄)円枝、朝枝、文都の順となる。

◇笑福亭は同日から円松、円二郎、先太郎、芝楽、桃太郎、福円、左文治、枝太郎、円都、松琴女史、梅枝、円歌、円笑の出番となり。

大正361日 神戸新聞

栄館 本日よりの出番左の如し

  福輔、小正三、さん喬、南枝、三蝶、華玉川、小枝鶴、残月

大正362日 都新聞

大入寄席案内
○京橋銀座金沢亭 圓遊、圓蔵、三木助、金三、公園、文蔵、むらく、相馬踊、相生太夫、亀治郎、圓窓
○人形町通り鈴本亭 圓右、貞山、圓蔵、圓歌、文蔵、金三、圓窓、三木助、龍次郎、右女助、美蝶、公園、
  圓太、圓作、歌子
○神田連雀町白梅亭 圓蔵、むらく、圓遊、李彩、圓橘、相馬手踊、金三、文蔵、三木助
○神田神保町川竹亭 圓右、小南、圓橘、圓窓、圓左、むらく、歌子、右女助、新朝、相馬踊、李彩
○両国公園前立花家 圓蔵、貞山、圓右、圓歌、公園、圓窓、小南、右女助、亀次郎、歌子、朝冶、金三、通
  天、圓子、小正一

大正3623日 大阪時事新報

<春団治、寿々女会へ移籍せんとして名前を取り上げられる。自ら喜楽家独身と名乗る>

◇満らぬ春団治 桂春団治は三友派の楽屋を散々に暴した揚句ストライキを企てゝ神戸に脱走したるが、中々一本立は覚束ないので、再び三友派へ泣きを入れ復帰した。それも束の間、又候部屋中を惑乱して寿々女会へ飛込まうとしたので、今度は師匠の文治が青筋立てゝ怒り出し、従来の不始末ばかりか借金の上塗までさせながら恩も義理も忘れて俺までを踏み付けにし、その上寿々女会へ脱走しやうとは不人情な野郎だと息り立てば、寿々女会の方でもそんな危険な男は平和を欠く基だと物議が起り、結局宙ブラリは自業自得。(62) 

◇麻痺したもの 昨日内容を記載した鹿の春団治が金に方向を誤まつて悲観してゐるのを去る人が仲裁して今後を諌めたが、兎に角給金まで取つた事だから寿々女会へ加入する事にして納まつたけれど、納まらぬは師匠の文治、苟くも七代目文治の権威にも関はるのみか、此侭(このまま)に済し置ては門弟共の示しが出来ぬと、到頭春団治の名前を取り上げて了ふと。恁(こ)うなればもう一本立とばかり、喜楽家独身と名乗りを上げたなぞは麻痺したもの。(63

大正362日 大阪朝日新聞神戸付録

戎座の落語は二日より圓天坊、文二郎、都之輔、喬之助等の顔揃え

大正362日 満州日々新聞

旅順八島座(二日) 新馬鹿大将一行にて開演

◇大連花月席 小圓朝一行に春楽、圓駒を加え初日芸題は 落語(圓盛)笑話手踊(朝三郎)落語手踊(朝好)娘義太夫(福之助)滑稽盆の曲芸(ポンチ)娘手踊(おもちゃ)落語手踊(春楽)音曲噺新作大津絵(右雀)落語振事(小圓冶)掛合噺(右雀、朝好)落語ステテコ(圓駒)落語(圓流)曲芸数番(鉄子)怪談噺(小圓朝)

大正365日 鷺城新聞(兵庫姫路)

◇楽天 浪花落語扇派一行を迎へ去る一日より開演しつつある竪町楽天席にては毎夜大入りを占め人気好し

大正3657日 徳島毎日新聞(徳島)

<橘家円三郎一座・徳島緑館>

緑館 神戸湊川新開地落語演芸定設都座と云えば人の知る所なるが、今回同座引越にて大阪落語橘家圓三郎、橘のかほる一行若手揃、十一名の大一座にて花々しく町廻りをなし七日より開演に決定。圓三郎は富街初め當地にては贔屓客多く、前景気頗る好ければ今度は成功をなす事なるべし。(65

緑館 既記の如く橘屋圓三郎一座の落語にて今夜七時より開演。一座の顔触及び演題左の如し。

 大阪落語(橘家春三郎)大阪落語(林家染二)落語手踊(林家正輔)落語手踊(桂三升)落語舞(桂枝三郎) 新内(鶴賀美登司)軽口掛合はなし(橘家一圓)落語吹よせ講談(橘家春輔)落語音曲(雀家翫之助改め橘の かほる)落語舞手踊(橘家圓三郎)大切余興として圓三郎十八番七化ケ所作事(座員総出)(67

大正367日 大阪時事新報
<三遊亭円子>

可い睡気覚し 三友派の各寄席へ円子が戻つて来て、相三味線彼の妻奴共々高座に出ての一人浮れ、睡気のさす昨今莫迦に忙しい二調やステテコは可いお慰みかも知れぬ。

大正367日 山陽新報(岡山)

<三遊亭金馬一座・岡山大福座>

大福座 御馴染みの東京落語三遊亭金馬一座にて今六日より開演初日の番組左の如し。

  昔話(金都)落語手踊(金棒)常磐津(金冶)浮世節(金八)落語手踊(福馬)演芸百種(金遊斎)世紀落語(圓満)落語曲芸(金勝)音曲落語(翫馬)滑稽掛合(満翫勝)手踊百種(小金馬)人情落語(金馬)

大正3610 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭は胸の上で石を割る熱田南州といふが加はつて十日から円松、円二郎、先太郎、芝楽、円笑、桃太郎、梅枝、左文治、枝太郎、円歌、福円、松琴、円都、南州の出番順となる。

大正3611日 北国新聞(金沢)
<東西落語合同一座・金沢一九席>

◇一九席 一九席において開演中なる東西落語合同一座は大入御礼として本日より五日間小福座と掛け持ち両席において開演すべく木戸は九銭の勉強、初日来客には両席共通無料優待券を贈る由。 
 噺二人旅(丸生)昔はなし(圓寿)落語手踊(遊若)落語声色(圓洲)曲芸(小圓)娘落語舞(静子)落語
 (梅團次)落語手踊(小團次)落語音曲(文之助)落語曲盆手踊(團次)落語人情噺(遊朝)大切新喜劇

大正3614日 大阪時事新報

◇三友派の紅梅亭外同派の各寄席へ十五日より三升紋弥加入す。

大正3615 京都日出新聞

芦辺館は十五日より立花家橘之助が出勤するが其他の顔触は 円六、吉之助、染三、染之助、枝雁、小文三、米紫、朝枝、円枝、しん橋、扇蔵、橘之助、文都。

大正3616日 都新聞

大入寄席案内
○人形町末広 圓右、圓遊、遊三、むらく、花遊三、福圓遊、文蔵、三路、公園、三子、若梅、呂鶴、電気応用
 手踊
○神田須田町際立花亭 圓蔵、貞山、圓右、むらく、右女助、亀次郎、小南、金三、公園、圓歌
○青山三丁目富岳座 圓遊、小南、圓橘、圓窓、金三、相馬おどり連、りう馬、頼太夫、ぎん蝶
○日本橋木原店木原亭 圓右、圓歌、小南、公園、金三、新朝、福圓遊、歌子、相馬おどり連、越後芸妓

大正3616日 大阪時事新報

◇三友派名優競 暑さが日に増して寄席の中も少々困(くる)しく成つて来た。サア是から本職も跣足の活舞台に河岸を変へようと、天晴大達者役者気取の文治、文団治、円子等の面々、若し大阪で宣(い)けないとならば神戸の聚楽館辺りで三友派名優大芝居といふ演劇を開場するさうで、目下その準備の最中である。一座の花形には三升紋弥あり、戻り橋と関の戸を常磐津出語りで見せる意気込とは凄い事だ。

大正3618日 大阪新報
<三升紋弥>

◇帰阪した紋弥が浪花三友派の高座へ現れる。「矢張感心なもの、東京へあれ丈け行つてるとスツカリ灰汁が抜けた」とヒイキは無暗と感心すれば、「東京へあれ丈け行つていてもまだ灰汁抜けがしないのはよく〳〵嫌な男だ」と悪口をいふもある。

大正3618日 鷺城新聞
<三遊亭金馬一座・姫路竪町楽天座>

金馬来る 當地に馴染み深き東京落語研究会幹部三遊亭金馬一行は十八日より竪町楽天座において開演すべし。演芸番組は左の如し

 昔話(金都)落語手踊(金寿)常盤津(金冶)浮世節(金八)落語手踊(福馬)演芸百種(金遊斎)世紀落語
 (圓満)落語曲芸(金勝)音曲落語(翫馬)滑稽掛合話(満翫勝)手踊百種(小金馬)人情笑話(金馬)大切
 落語喜劇「八つ当たり」(総出)

大正3620日 大阪時事新報
<桂小米

◇肩入に訳あり 三友派の小米が新世界の梅坊主に肩入をして居たと思つたら、果して野心ありて、得意の声色以外に梅坊主の活惚を其侭(そのまま)鋳型に写して狭い高座の上で刎ね廻る、若い間は人真似も修行の中だ。

大正3621日 大阪新報
<三升紋弥>

◇紋彌の病気 東京から意気揚々と戻つて来た色男の三桝紋彌、浪花三友派の高座へ顔を出したこと僅か一日でそれなりにして欠勤、実は急病で寝ているとは可愛相に。東京へ電報で知らしてやつたら特志看護婦が二人や三人は屹度来るに違(ちがい)ないかな。

大正3623日 徳島毎日新聞

敷島館 舊世界館は三友倶楽部跡に移りたる結果舊世界館は今回館主変更、敷島館と改名し本月末より開演に決せり

大正3624日 大阪時事新報

落語 003<曽呂利の生葬式

◇香奠画の展覧 曽呂利新左衛門が同志の人達と謀つて香奠保存会といふ珍奇の趣向を凝して居るが、いよ〳〵基礎も確定し、諸方から集つた画が百何十枚になつたので、廿六日午前十一時から生玉町の隆専寺で仮葬の式を挙げ、追つて本葬は大正五十七年の見込であるとの招待状を出した。当日は香奠画の展覧もし、長命した人物の談話会をも開くといふ事。如才ないやり方。

〈編者註〉「隆専寺に催す曽呂利生香奠の一軸」として画家名不詳の「那無安美他物」と刻んだ墓石の画(右図参照)が掲載されている。おそらく鈴木松年画伯のものであろう。また626日付「大阪毎日新聞」に「曽呂利新左衛門儀死去不致候得共仮葬仕候間今廿六日午前十一時於生玉寺町隆専寺に執行仕候/大正三年六月 猪里漁仙」の広告が出ている。

大正3625日 大阪時事新報

◇鹿連の戻り橋 三友派の円子と三升紋弥は共に芝居好きの役者気取り、近日神戸で「戻り橋」を再演して、紋弥の早百合、円子の綱と恁(こ)う極つて、二三日前から紅梅亭の昼は此一幕でドタン、バタン、紋弥といふ男は何でも遣る器用な奴だと思へば、振付を本業として鑑札を所持してゐる。

大正3625日 鷺城新聞

<橘家円三郎一座・姫路竪町楽天座>
楽天座 竪町楽天座にては二十四日にて東京落語三遊亭金馬の興行を打上げ二十五日よりは更に浪花落語橘家圓三郎一座を迎えて華々しく開演したるが関東に次いでの浪花落語なれば定めしその間両者の趣味を味わい得て面白かるべくその番組は左の如し

「落語」立花家春三郎「落語」林家染二「落語」林家正輔「落語手踊」桂三升「落語舞」桂枝三郎「新内」鶴賀若登司「掛合はなし」花立や一圓「落語滑稽講談」花立や春輔「音曲はなし」橘かほる「落語舞」橘家圓三郎「大切所作事七化け滑稽活劇」楽屋総出。

大正3626日 大阪新報
<桂文三>

◇高座の哀傷 例の盲目の文三、淋しく見台に向つて「病人の上に目が見えまへんのだすさかい、そんなら休めば宜しいのだすけど、経済の都合でさうもなりまへず」と本人も洒落気で云つているのだらうが、聴く者は何となくつまされて。

大正3626日 神戸新聞

栄館 本日より出番左の如し

 南朝、南喬、呂笑、福輔、花子、さん喬、小正三、夢輔、小枝鶴、南枝、残月、三蝶

大正3627日 大阪時事新報

◇屹度語り活(いか)す 三友派に加入した常磐津染太夫、芝居では流れを語つて居たのが、今度は紋弥と円子の顔合せにしろ「戻り橋」の立唄になつて神戸へ行く事になつたので、曲りなりにも染太夫の名を継いだ手前屹度語り活(いか)すと力んでゐる、併し芝居では見物が本気に聞かうか。

大正3628 中外日報(京都)

<曽呂利の生葬式

らくご 011曽呂利の生葬式 △半黒枠の広告 「曽呂利新左衛門儀死去不致候得共仮葬仕候間今二十六日午前十一時生玉寺町隆専寺に執行仕候」と云ふ広告を大阪の新聞へ出した主人は何者かと云ふに

△元は落語家、今より数年前までは曽呂利新左衛門の名前は落語界にては名を持て囃された男で、昔の曽呂利は対手が太閤さんであつたが、今の曽呂利は対手が対手で‥‥イヤ是れは失敬と、聴衆を能く笑せたものであるが、一時其業を止めて以来は大阪千年町の寓居に引籠つて絵筆に親み名も猪里漁仙と改め一廉の画家を気取ることになつた。

△名家の絵を蒐む 本年四月頃からフト思ひ付き東京京都大阪其他の諸画伯に請ふて尺五の絹本を一幅宛寄贈してもらひ、さて其条件として曽呂利が在世中、其の画伯が死ねば十円の香典を贈り又曽呂利が先きへ死ねば画は香典に貰ひ徳といふ約束で盛んに集めたものであるが、その数が恰かも百に満た

△香典として頂戴 するには曽呂利が生きて居つては貰へないからといふので、これは一つ葬式をして其場の香典にして貰ふと、落語家丈に妙なことを思ひ付き各地へ案内状を出し偖ては広告の通り葬式を執行したのである。

△生きた人の法要 当日は例の百幅の画を展覧せしめ、偖て時刻になれば浄土宗隆専寺住職林梁(栄カモ)禅氏が導師の下に本誓寺醍醐東海氏及び豊能郡箕面村某寺住職と以上三僧と并に小僧三四人最も厳粛に観経仏身観を読誦したりといふ。

△吾戒名に焼香す 偖て其生きた霊は何したかといふに本人は予て五重を受け戒名を貰つて居る、本日は其戒名を書きたる位牌を仏前に安置し之れに種々の供物をなし位牌の主人は自から吾位牌に礼拝をなし焼香し、参集者凡そ百余人何れも順次に焼香をしたり尚ほ同人が案内状の中には大隈侯は百二十五歳まで生きるといふが吾は大正五十七年までは生きるの見込みなりと書いて居るといふ何んと滑稽なことをしたものである、それにしても其御導師も亦た余り真面目の行為とは思はれんなどは参集の人の話であつたといふ。

大正3628日 鷺城新聞(兵庫姫路)

楽天座 浪花落語橘家圓三郎一座を迎へて開演せるが、大人気にて毎夜大入りを占めつつあり。

大正3629日 大阪新報

◇三友派の巡業 文冶、文三、圓太郎の一行は和歌山弁天座へ、圓馬、文都、小文枝一行は京都芦辺館へ、紋弥、圓子、文團冶の一行は神戸の大黒座へ乗込み、何れも七日よりお目通り。

大正3630日 大阪時事新報

◇南地法善寺の紅梅亭は一日より東京有名会の連中にて競技会を開演す。出席者は一竜斎貞山の講談、富士松加賀太夫の新内、橘家円蔵の滑稽落語。

大正3630日 神戸新聞

大黒座 紋弥、圓子、文團冶等一行の三友派落語連は愈々一日より開演。今回は喜劇「忍岡恋の曲者」所作事「戻橋」「寿獅子」の外得意のもののみを演ぞとの事。初日は二十五銭均一

大正3630日 満州日々新聞

三十九年九月三日開業以来芸者芝居、有志者、軍人後援会、慈善演芸会を始め本年六月まで百六十三回の興行をして居る花月席では七月一日から満十周年祝賀演芸会をやる事となった。例の如く凝家(こりや)の天神髭は其十年間にやった興行種目と回数とを発表した。それはざっと左の通り。

 演芸会七、義太夫九、浪花節五十二、落語二十四、源氏節四、活動写真十四、新内一、奇術三、舊芝居三、人
 形芝居一、講談十二、壮士芝居二、剣舞三、素人浄瑠璃七、浪花節芝居三、博多仁輪加四、琴琵琶弾奏会二、
 曲馬二、素人浪花節五、萬歳二、蝋人形一、新喜劇三、相撲一

上方落語史料集成 大正3年(1914) 7月の1

大正371日 大阪新報

◇落語寿々女会 各定席蓬莱館、永楽館、延命館等へは一日より連夜大入りにて、立花家橘之助が出演し清元音曲の美声をきかせる。

らくご 006

〈編者註〉『藝能懇話』三号(平成2年)に延命館七月一日よりの演芸ビラが掲載されている(上図参照)。喜楽家独身と名を変えた春団治の名が見える。

大正371日 大阪新報
<桂小文枝>

◇呆気(あっけ)ない小文枝 時間が少し喰ひましたのでとトッチリトンの「哀れなるかな石堂丸は──」一つで此間の晩も高座を引下つた浪花三友派の桂小文枝、苅萱と石堂丸との早替りに羽織をかぶつたり脱いだりしている手間で洒落た小話の一つ位は楽にやれる時間はある筈、呆気ない見本をこゝらの真打株から演(やっ)て見せるは妙でない。かういつた場合に文團冶などは流石に老巧、気の利いたことをやつて引下がる。 

大正371日 大阪毎日新聞ほか

<紅梅亭の有名会:円蔵・貞山・加賀太夫>

〈編者註〉七月一日より十四日まで、紅梅亭で東京有名会が開催された。出演者は落語の橘家圓蔵、講談の一龍斎貞山、新内の富士松加賀太夫。各日の演題は以下の通り。

 一日目:宮戸川・嘘つき弥次郎(円蔵)、辺見貞蔵・倉橋伝助(貞山)、明烏(加賀太夫)

二日目:松山鏡・妾が馬(円蔵)、辺見貞蔵・大高源吾(貞山)、千両幟(加賀太夫)

三日目:三人旅・五人廻(円蔵)、辺見貞蔵・天野屋利兵衛(貞山)、若木の仇な草・蘭蝶(加賀太夫)

四日目:無学者・巌流島(円蔵)、辺見貞蔵・片岡源五衛門(貞山)、三勝半七みのや(加賀太夫)

五日目:シヤボン玉・一目あがり(円蔵)、辺見貞蔵・赤垣源蔵(貞山)、明烏後の正夢(加賀太夫)

六日目:一ツ穴・火事息子(円蔵)、辺見貞蔵・前原伊助(貞山)、五右衛門継子責(加賀太夫)

七日目:五段目・品川心中(円蔵)、辺見重蔵・勝田新左衛門(貞山)、累の身売(加賀太夫)

八日目:首つたけ・藤金(円蔵)、辺見貞蔵・堀部安兵衛(貞山)、弥次喜太の赤坂並木(加賀太夫)

九日目:子別れ・鰍沢(円蔵)、辺見貞蔵・神崎与五郎(貞山)、白木屋(加賀太夫)

十日目:粟餅と女郎買・子別れ(円蔵)、辺見貞蔵・浜松の詫書(貞山)、お花半七井筒屋(加賀太夫)

十一日目:高尾丸・首提灯(円蔵)、辺見貞蔵・不破数右衛門(貞山)、弥次喜太(加賀太夫)

十二日目:天酒器・八笑人(円蔵)、辺見貞蔵・三村次郎左衛門(貞山)、二つ巴継子責の下(加賀太夫)

十三日目:釜盗人・百々川(円蔵)、辺見貞蔵・二度目の清書(貞山)、宗吾郎住家(加賀太夫)

十四日目(千秋楽):粗忽の使者・紙入間男(円蔵)、辺見貞蔵・岡野金右衛門(貞山)、かしく新屋敷の段
 (加賀太夫)

大正373日 大阪時事新報・大阪新報/74日 大阪毎日新聞/711日 大阪朝日新聞

<有名会の円蔵、貞山、加賀太夫を聴く>

◇憚らがら紹介 法善寺の紅梅亭へ有名会員が三人の顔を集めた、夏季特別興行は場内に煽風器を数個据ゑ付け涼を納れる用意など怠りない、円蔵と貞山は二席宛加賀太夫は新内の一段だが円蔵の落語は東京弁の軽いところに可笑味を呼び貞山の講談は中にも義士伝の如きは骨鳴り肉躍るの概がある、加賀太夫は富士松の元締だけに仇な声調を充分に聞かせ粋がり連に歓迎されてゐる、何にしても三人共に出演時間に充分の余裕があるので忠実に勤めいる。(大阪時事)
◇紅梅亭の有名会 法善寺紅梅亭ではこの一日から加賀太夫、圓蔵、貞山、以上三人の有名会をかけている。初日は圓蔵の宮戸川と嘘つき弥次郎、貞山の辺見の貞蔵と義士談倉橋伝助、加賀は明烏の上といふ音曲。圓蔵の味は些(さ)の渋滞を見ぬ軽妙に渋い枯れた洒落気を交ぜた話振りにある。印傳の煙草入のやうな感じがする。「宮戸川」で半七がお花を伴つて夜更に叔父さんの戸を叩くと、叔父さんが寝込んだ婆さんを起す。婆さんがペチヤ
〳〵と昔話を喋舌(しゃべり)出すあたりの可笑しさは随分と笑はせた。「嘘つき弥次郎」は当地でもよく演る話だが、この人のは又別種の軽みと頓狂さとが飾り無く面白い。何時も来阪すれば「義士伝」と決まつていた貞山が兼ねてより十八番(おはこ)と聞く「辺見の貞蔵」を昼席としたは嬉しい。初日は嘉永元年八月塚崎の丈助との□□から初めての立退きの一節を読んだ。大侠貞蔵の面目が花やかな覇気の強いこの人の舌頭にあり〳〵と浮んで来るやうだ。啖呵の切れる江戸弁は胸がスッキリする。加賀の「明烏」は論を待たぬ。結構な聴物である。絃は宮古太夫、絃声と肉声との諧調は恋の□のドン底に落ちた美しい男と女との哀れさにシンミリとさせる。「そなたも共に」まで詞で行つて、「と云ひ度いが」とカンの節に移る呼吸などは堪らなかつた。「かねて二人が取りかはす起請誓紙もみんな仇」は胸を刺す如き思ひがあつた。(大阪新報)

◇紅梅亭の有名会 南地紅梅亭では七月一日から東京有名会の名で一竜斎貞山の講談、橘家円蔵の素噺、加賀太夫の富士松節を聴かせてゐる。初日には円蔵は「宮戸川」「嘘つき弥次郎」と二席勤めたが、出来は「宮戸川」の方がよかつた。ざつと一刷毛で塗つたやうな話し振に、所々滑稽と皮肉とを落してゆく此の人特有の芸が最もよく現はれてゐた。夫に比べると「嘘つき弥次郎」には諄(くど)い点(ところ)が多かつた。貞山の「倉橋伝助」は聞き洩したが「辺見貞蔵」は恁(こ)うした侠客物としては寧ろ上品に過ぎる程手奇麗に読んでゐた。唯喧嘩の対手となる両人の親分の言葉つきから調子が同じ様に出るので、一寸聞き分がつかなかつた。講談の体裁を崩さない範囲において、今少し性格をくつきりと出すやうな試みも面白からうと思ふ。家元加賀太夫の「明烏」は情緒纏綿たる廓の情調が身を唆るやうで、時々古傷にでも触られるやうな気持を起さすのは、この俗曲に特有(もちまえ)の人情の底に泌み入る絃曲の細かさによる事だらうと思はれた。夏の夜の短さを過ごすには此上もない聴物である。(大阪毎日)

◇有名会を聴く 紅梅亭有名会八日の出物中、圓蔵の「藤金」は十八番だけに人物を可(よ)く話し分けていた。殊に船頭なんか上手いもので、櫓を漕ぎ乍らの独語(ひとりごと)や慄え乍らの啖呵なんか、生え抜きの江戸ッ子圓蔵で無くては出来無い芸だ。貞山の「辺見貞蔵」は兄弟分藤三との出逢ひと別れが眼目だが、どうもあんまりサラ〳〵し過ぎて、しつとりとした情味が出ていない。一体に貞山の講談には不器用でぎくしやくとした所が有つて、評判ほど大した技倆(うでまえ)とも思はれぬ。宮古太夫、加賀太夫掛合いの弥次喜多は、こいつもあんまりゾッとしたものでは無く、「明烏」や「蘭蝶」を聴いた時のやうに身につまされ無いのはどうしたものか。全体、加賀太夫の声や容貌(すがた)が頗る可笑味(おかしみ)に欠けて居るので、あゝした滑稽物には不向なのだらう。兎に角、有名会で聴いた四人は有楽座などで聴く四人と違つてぐつと調子を落していた。(大阪朝日)

大正371 京都日出新聞

芦辺館は一日から新潟名物おけさ踊の連中を招くことになつたが踊子は次枝、春子、樫枝、囃子三代次、二三助、助丸等で其他久々で円馬と文吾が顔を出す、出番順は円六、吉之助、染三、司雁、文三郎、米紫、朝枝、円枝、しん橋、淀助、柳昇、文都、円馬、おけさ踊連中、文吾。
◇笑福亭一日以後の出番順左の如し
円松、円二、先太郎、芝楽、円歌、さん喬、円笑、松琴女史、福円、円都、左文治、桃太郎、文我、枝太郎。

大正3713日 神戸又新日報/734日 神戸新聞
<桂文団治一座・大黒座/大好評の三升紋弥>

大黒座 昨日初日を出したる三友派合同紋弥一行は頗る客受けよく、殊に大詰の寿獅子は従来になきハイカラなものにて、道具其他も総て夏季の事なれば涼しそうな舞台を飾り居れり。夏向き罪のない面白い興行ものなり。(神戸又新71

大黒座 三友派一行は文團次、圓子、紋弥等各々十八番の長講が呼物となり大好評にて、昨日は午前中の申込にて殆ど満員と云う素晴らしい勢いなりき。尚引続き電話の場取絶えざるの好評にて「忍ガ岡」「恋の曲者」「戻り橋」等は腹の皮を撚れる見物なり。(神戸73

大黒座の紋弥 例の電気応用の声色芝居噺で気障当てに当てた三升紋弥は、愈々向上だかの鼻息荒く、今度は益々本業を度外視し、本式の芝居を演り、大納まりで腹の皮を撚(よじ)らせ、合間々々は海老一の曲芸や音曲手踊なんかで至極賑わせているので、観客には大受け。ドシドシ宵の場取りがあるという盛況だと。

其中で落語喜劇の「忍ケ岡恋の曲者」は白玉と牛若伝次の道行に、鶴屋の鋤鍋連が演古した幽霊屋を持込み、権九郎が余三役に幽霊役が安役で玄冶店を覗かせる下げも何も付いていない代物。紋弥は権九郎でツヤけ、圓子が伝次で役者がり、七分方女化し切らぬ米子の白玉女郎と文團次の幽霊でしきりに笑わせる。呼びものにしている戻り橋は紋弥の小百合が梅幸を鵜呑みにしての大芝居、傍から雁次郎(なりこまや)や霞仙(すみひろい)がザラに飛び出し、スコ真面目の汗タラタラで当てる当てる猛烈に当てている。(神戸又新73

大黒座 好評の紋弥、文團次、圓子等一座は昨夜より順番を変更し、喜劇を先に演じ、其後に各幹部連中登場、見客の腹を捻らせ居り。又海老一直造の曲芸は前受け良く大喝采。(神戸74

<編者註>入場料は、二十五銭均一。

大正371日 都新聞

寄席案内(七月上席)
○鈴本亭 圓右、小南、圓歌、圓遊、遊三、公園、三路、三木助、亀二郎、りう馬、相馬踊、歌子、圓窓、金三
○白梅亭 むらく、圓遊、圓歌、遊三、歌子、朝冶、三木助、右女助、亀二郎、頼太夫、圓左
○末広亭 圓右、小南、圓歌、圓遊、遊三、公園、三路、三木助、亀二郎、りゆ馬、歌子、圓窓、金三、相馬踊
 連
○金沢亭 圓遊、遊三、むらく、三路、公園、圓歌、呂鶴、歌子、朝冶、銀坊、金坊
○立花家 小南、圓遊、圓窓、三木助、圓左、歌子、亀二郎、頼太夫、喜市、圓三

大正371 北国新聞(金沢)

<東西落語音曲大一座・金沢一九席>
◇一九席
 本日より十日間東西落語音曲大一座にて開演。演目左の如く余興に落語相撲穴探しを行い穴とりの客へ一等時計、二等反物以下十等迄に美景を贈る由

 夏の旅浮かれ旅(圓寿)落語手踊(遊若)落語(圓洲)曲芸(小圓)落語吹き寄せ浄瑠璃(梅團次)娘落語
 手踊(静子)落語(文之助)少年落語音曲手踊(小團次)落語人情噺(遊朝)

大正373 京都日出新聞

おけさ踊とダーク 新潟名物と音に聞くおけさ踊が芦辺館へ一日から来てゐる来てゐるのは十四五から十六七迄の少女三人で芸妓ではないらしいが或は芸妓の雛子(ひよこ)かも知れない本統は自ら唄つて踊るさうだが芦辺館には唄は楽屋のお囃子へ委(まか)してある例の樽を叩いて調子をつけるが手振足拍子は雛びたもので、どうしても都会的のものでなく地方の名物といふ趣味が明かである踊も唄も種々あるさうなが次枝とかいふ小柄ながら三人の年嵩さが矢張一番巧い地方名物として所好(すき)者は一度見て置くもの

大正373日 神戸新聞

戎座 生田前戎座圓一行本日の出番左の如く

 都枝、三升、正輔、春輔、文二郎、圓三、喬の助、市馬、三郎、圓三郎、かほる、圓天坊、一圓、圓二郎、圓

大正375日 大阪毎日新聞

○芸人の趣味(十一)桂文治 

好物は昆布 

前生は海の底に昼寝ばかりしてゐた鮟鱇でゝもあつたものか、私は何より昆布が好きで、閑さへあれば口へ入れてもぐ〳〵させてゐます。余所へ往く折はちやんと巾着に蔵(しま)ひ込んで、渡し銭は忘れる事があつても山出し昆布だけは忘れやうにも忘れられませんから可笑しう御座います。よく昆布を噛むと根がつくといひますが、私の経験によりますと根などつくやうには思ひませんが、然し人間の性(たち)はよくなるやうですな。私も以前は人並外れて種々な野心も有つてみましたが、昆布を噛み出してからはそんな野心などはけろりと忘れれて了つて、四十年以来高座を勤めて、碌でもない下手な落語を喋舌つてゐるやうな体たらくで御座います。是も偏に山出しの昆布のお陰だと思ふと末期の水にも昆布出汁でも飲まなければなりません。

守宮と九宮鳥 

嫌ひなのは守宮(やもり)で、那奴(あいつ)を見ると、その晩屹度夢にうなされます。よく町外れの別荘などを訪ねますと、瓦斯灯の硝子にぴたりと守宮のへばりついてゐるのを見掛けますが、夫を見る度によくまあこんな門の内に住んでゐるものだと、其家の主人までが疎ましう思はれます。鳥では九宮鳥が好きで御座います。自分が高座で何時も人真似ばかり仕てゐるから同類相憐むといふ訳ではありませんが、何んだか可愛いぢやありませんか。芝居は新派よりも歌舞伎が好きですが、とりわけ「菅原」の首実験などゝ来ると身内がぞく〳〵して立つても居てもゐられません。此の齢になつても今だに「菅原」と聞くと五里や六里は夜道を厭はないで、何麼(どんな)村芝居にでも出掛けたいとは、吾ながら呆れた性分だと思ひます。

お辞儀が嫌ひ 

寄席にかゝる時は、はち切れる程お客があればある程結構だと存じますが、お客に招ばれて座敷へ往く事だけは誰が何と仰有つても厭で御座います。酒席へ出て余興を助けるといふ事は、お客様から見れば何でも無い事のやうですが、その何でもない事が私だけには何(ど)うしても致しきれません。お辞儀をする事と心にもない事を喋舌るのは出来ない性分なのだから致し方が御座いません。そんなら落語家など止めたらいゝやうなのですが、然(そ)うもなりませんので、その埋合せとして落語は余り上手にならぬ事に極めて居ります。

大正375日 神戸新聞

都座 本日より左の如く出番を替えたり。

 市馬、圓歌、三升、枝三郎、一圓、文二郎、喬之助、春輔、三郎、圓三郎

大正3751214日 山陽新報(岡山)

<桂文団治一座・岡山大福座>
大福座 来る八日より浪花三友派三遊亭圓子、三升紋弥、桂文團冶一座にて花々しく開演すと。(75

大福座 圓子、文團冶、紋弥一座十一日の演題左の如し。

 天狗さし(桂菊團冶)子別れ(橘家扇蔵)なをこ芝居(桂花咲)いかけ屋松五郎(三升紋弥)花見小僧(三遊亭圓子)住吉駕籠(桂文團冶)大切落語喜劇忍ケ岡恋は曲者と取替え。(712

大福座 文團次一座六日目番組左の如し。

 夢金(圓子)四季の草(紋弥)立切(文團冶)片おもい(扇蔵)三人片輪(花咲)大切四ツ谷怪談於岩の伝一幕。(714

大正376日 都新聞

三遊亭金馬 関西を巡業して一度東京へ戻り先月二十七日東北へ赴任小樽の演芸會を大入で打上げ一日札幌遊楽館へ乗込めり

大正376日 神戸新聞

大黒座 愈々明日限り打揚げの三友派一行は昨日数万枚の半額通用券を市内に配布し右通用券持参者には一枚にて何人にても各等半額にて入場せしむる由なれば今明の二日間も定めて大入なるべし

大正377日 大阪時事新報
立花家橘之助

◇橘之助老たり 寿々女会の寄席へ一日から出た立花家橘之助は、浮世節の本家でと皺枯声を絞つて昔の俤を偲ばせてゐるが、二十年も前の全盛を知る堂摺男、アヽ年は取りたくないと。

大正377 大阪朝日新聞京都付録

<芦辺館を覗く>

◇七月の芦辺館は近頃の真打揃ひである。朝枝は乙な咽喉で江戸調子の気をやる。しん橋は鹿爪らしく大いに博学振つて落付いている。円枝はザワ〳〵と陽気に大阪の人情を穿つ。淀助はまだ幇間の愛嬌を残して喜ばれる。柳昇は一種の奇声でベラ〳〵と啖呵を切る。文都は「船弁慶」の半を聞いたが手に入つたものと思うた。小文枝は相も変らぬ「三十石」で鄙唄の調子がよいと人気を呼ぶ。円馬は「根問葉問」の小話だつたが甘味のある渋さ「らしく振らず」の話の基が本人自身に現れていた。文吾には「観音霊験記」を聴いたがシットリとした京噺に上方の人情が□に浮いた。余興としては新潟名物「おけさ節」がある。

大正379日 神戸新聞

都座 五段返し七化(圓三郎)軽口(一圓)十二本扇子(枝三郎)手品曲芸(花之助)浪花節赤垣徳利別れ(太郎十三歳)音曲(文二郎)五人かっぽれ(都ん輔、都雀、三升、春輔、正輔)常盤津清元(喬之助)

大正3712日 大阪時事新報

◇落語三友派  紅梅亭(法善寺)、瓢亭(新町)、杉の木(天満)、此花館(平野町)  

◇落語寿々女会 蓬莱館(法善寺)、永楽館(北新地)、あやめ館(御霊)、賑江亭(堀江)、沢井亭(空堀)

〈編者註〉寿々女会へ加入したはずの東紅梅亭改め正寿館、延命館の名前が挙げられていない。

大正3712日 神戸新聞

栄館 圓一行出番左の如し

 落語(染二)落語手踊(寿鶴)落語曲芸(花の助)落語音曲(都ん輔)落語手踊(圓二郎)落語音曲(圓丸)
 東京噺手踊(圓)落語手踊(圓三)落語手踊(圓天坊)音曲噺(かほる)

柳座 十二日午後五時より馬輔三蝶一座の落語奇術手踊にて開演

須磨海水浴場開場式 落語家合同 
 当地落語定席都座及び栄座に出勤して毎日大入を占めて居る落語家二座合同で出演お得意の中から抜き出した十八番の演物は
五段返し七化(圓三郎)三人軽口(一圓、直三郎、圓天坊)十二本扇子(枝三郎)手品曲芸(花之助)浪花節赤垣徳利別れ(太郎)音曲(文二郎)五人かっぽれ(都之輔、都雀、三升、春輔、正輔)常盤津清元(喬之助)。

 中にも三人軽口は滑稽此上なし。枝三郎の「十二本扇子」は奇抜なものであるし、浪花節の太郎は十三歳の少年が得意の美声、喬之助の咽喉と来ては素敵なもの今更言う迄もないことである。

大正3713日 神戸新聞

須磨海岸の賑わい 余興開始
 かくて午後二時に至るやまづ都座栄座出勤の一圓、枝三郎、都ん輔が例の軽妙な軽口に愈々余興の始まり始まり。続いては同じ連中の都雀
舞「秋の夜」に鮮やかな振を見せ、花之助がビール瓶を頭に乗せた珍舞におとあって滑稽三番、変り合いましては相生座出勤曽我廼家新左衛門「ドンデン」に同じく満十の「物真似」は赤子の鳴き声から猫、蛙、本物其処(そこのけ)の巧妙さで舌を捲かせ何れも大喝采なり。続いて都座栄座連三升の舞は「滑稽梅にも春」ステテコまがいの奇抜な処で盛んに腹の皮を撚らせた。お次は枝三郎の「紀伊の国」何れも揃った腕達者とて悪かろう筈なく、都ん輔の「音曲」圓天坊の「綱上」太郎の「浪花節」これまたこの手合ならでは見れぬ芸当にてヤンヤといわせ、出仕舞とあって茶番「自雷也」に都座栄座連中総出は大勉強・・(後省略)

大正3715日 都新聞

寄席案内(七月下席)
○末広亭 小南、右女助、陳書起、陳書田、公園、圓歌、文蔵、遊三、圓窓、金三、歌子
○立花亭 伯鶴、むらく、小南、圓遊、遊三、圓窓、金三、三木助、右女助、亀二郎、歌子、金坊、銀坊

大正3715日 大阪時事新報

<文三文都文吾三人会・紅梅亭>

◇南地紅梅亭は十五日より三友派連中にて特に落語の伎倆ある桂文吾、桂文都、桂文三の三人を選抜し、浪花落語三人会を開演す。余興には女義太夫の豊沢此助が出勤。

〈編者註〉十五日から十五日間の予定で開催されたが、好評につき一日日延べして十六日間行われた。残念ながらこの会の詳細は新聞に報じられていない。しかしこの会の評判は高く、八月一日から京都新京極の三友派の席芦辺館でも十五日間開催された。そして京都の新聞は連日予告を出してくれたおかげで、八月一日から十五日までの出番順と演目を知る事ができる(同ブログ・81日参照)。また、五代目松鶴の筆と思われる「三人會演題表」のメモが現存する(個人蔵)。年代・場所ともに記載されていないが、三人とも京都の演目と合致しており、このときのものと推定できる。京都とダブルが参考のためこのメモも表記のまま書き記しておく。なお、代みやく(文三)、替り目(文吾)、太皷腹(文都)は一日日延べになったときの出し物と思われる。

   三人會演題表 三人毎夜出番交代

 文三     文吾      文都

   前席根多表

 宿替     食客講釈    でば吉

 新町ぞめき  二日酔     赤児茶や

 片袖     お家も繁昌   舟弁慶

 まん十こわい 欲の熊鷹    さかさま葬れん

 掛取り    牛の丸薬    長持

        替り目

   中席根多表

 人形買    こしぬけ武士  猫忠

 親子茶や   ろくなべ    子別レ

 動乱幸助   二番せんじ   雁風呂

 古手買    鬼あざみ    盗人の仲裁

 植木や    市助酒     三枚起證

                太皷腹

   切席根多表

 仕込大砲   おふみさん   菊江佛だん

 百年目    らくだ葬れん  ハテナの茶わん

 算談平兵衛  帯久裁判    立切レ

 後家殺し   しんこや新兵衛 冬の遊び

 かぼちや政談 やぶ醫者    吉野花山

 代みやく

大正3715 京都日出新聞
◇笑福亭は十五日から左の顔触で大切には総出の落語と滑稽の連鎖劇 円松、円二郎、芝楽、先太郎、左文治、
[さん]喬、円笑、桃太郎、円歌、福円、三路、枝太郎

大正3715 大阪朝日新聞京都付録

◇大津のたのしみ 大黒座は十五日より大阪三友派の落語にて開演。第一日の出しものは浮世床が米団治、大晦日浮れの掛け取りが染丸、小言幸兵衛円太郎、寄合酒田がく喰ひ文治。博秀館も亦十五日より三遊亭遊朝、桂文之助等の東京大阪合同落語を(以下不明)。

大正3715 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は十五日より東京大阪合併落語三遊亭遊朝、橘家円次、桂文之助合同一行にて開演。

◇大津大黒座、三友派落語初日の出しものは(浮世床)米団治、(大晦日浮れの掛取)染丸、(小言幸兵衛)円太郎、(寄合酒田がく食ひ)文治。

大正3年715日 鷺城新聞兵庫姫路

大正3年山陽座<桂文団治一座・姫路山陽座>

広告/山陽座すゞみ興行/謹啓時下夏期に相向ひ候処、各位益々御清祥奉賀候陳者、今回三遊亭圓子、三桝紋弥、桂文團治の三大一座を招き開演仕候間、賑々敷御来場の上、御笑覧の程奉希上候 山陽座座主/浪花三友派大一座 三遊亭圓子 三桝紋弥 桂文團治 外数十名/七月十六日初日 山陽座

大正3715 京都日出新聞

<芦辺館の有名会:円蔵・貞山・加賀太夫>

◇芦辺館は昨年夏頗る好況をもつて迎えられた講談の貞山と落語の円蔵が十五日から出演する事となり、其上に富士松節の家元加賀太夫、宮古太夫が加はつて有名会と名付けることになつた。

〈編者註〉十五日(一日目)から三十一日(千秋楽)までの演目は以下の通り。

一日目:高尾丸、首提灯(円蔵)、不破数右衛門、め組喧嘩(貞山)、弥次喜多、市子の口寄(加賀太夫)

二日目:松山鏡、妾ケ馬(円蔵)、大高源吾、め組の喧嘩(貞山)、千両幟(加賀太夫)

三日目:三人旅、五人廻し(円蔵)、天野屋利兵衛、め組の喧嘩の続き(貞山)、蘭蝶(加賀太夫)

四日目:無学者、岩柳島(円蔵)、義士片岡源右衛門、め組の喧嘩続き(貞山)、三勝みの屋段(加賀太夫)

五日目:石鹸玉、一目上り(円蔵)、赤垣源蔵、め組の喧嘩続き(貞山)、明烏下の巻(加賀太夫)

〈編者註〉この日正午から日曜会で円蔵、貞山二人会を開催。(日曜会の項参照)

六日目:一つ穴、火事息子(円蔵)、前原伊助、め組の喧嘩続き(貞山)、五右衛門継子責め(加賀太夫)

七日目:五段目、品川心中(円蔵)、勝田新左衛門、め組の喧嘩続き(貞山)、累身売(加賀太夫)

八日目:首たけ、夢金(円蔵)、安兵衛生立ち、め組の喧嘩続き(貞山)、弥次喜多赤沢並木(加賀太夫)

九日目:子別れ上の巻、鰍沢(円蔵)、神崎生立、め組の喧嘩続(貞山)、白木屋(加賀太夫)

十日目:子別れ下の巻、粟餅(円蔵)、(不詳)、め組の喧嘩続(貞山)、お花半七井筒屋(加賀太夫)

十一日目:釜盗人、八笑人(円蔵)、三村次郎左衛門、め組の喧嘩続(貞山)、弥次喜多市子の段(加賀太夫)

十二日目:高尾丸、百々川(円蔵)、二度目の清書、め組の喧嘩続き(貞山)、浦里道行正夢(加賀太夫)

〈編者註〉この日正午から日曜会で円蔵、貞山二人会を開催。(日曜会の項参照)

十三日目:百人坊主、みいら取(円蔵)、岡島八十右衛門、め組の喧嘩続き(貞山)、宗五郎住家(加賀太夫)

十四日目:粗忽の使者、文違ひ(円蔵)、岡部金右衛門、め組の喧嘩続(貞山)、かしく新皿屋敷(加賀太夫)

十五日目:呑酒器、明烏(円蔵)、菅谷半之丞、小柳殺し(貞山)、蘭蝶縁切り(加賀太夫)

十六日目:田舎芝居、因果塚(円蔵)、毛利小平太、小柳殺し(貞山)、鈴ヶ森(加賀太夫、宮古太夫)

千秋楽:こり角力、紙入間男(円蔵)、原惣右衛門、小柳殺し(貞山)、弥次喜多一の谷組打(加賀太夫、)

○七月十八日付「大阪朝日新聞京都付録」に二日目の実見記が載る。

◇芦辺館七月の下半月には有名会といふが来た。無名会に対する有名会といふのではなく、名人揃ひといふ意味でがなあらう。二日目に一寸聴いたが、円蔵は流石に老巧でペラ〳〵と滞りがない。棒読の抑揚が少なく話振に品も欠くがツイ釣り込まれて笑はされる。あの顔で人を笑はすんだから巧いに違ひない。この日は「妾馬」より「松山鏡」が面白かつた。

貞山はボツリ〳〵の切口上にグツと急所で情を持たすが特長。詞の省略法が巧みなので飽かさず明晰に二席を講演する。「技士伝」は前受けがよいが、併し「め組の喧嘩」の方が得意らしい。

加賀と宮古両太夫の富士松節は新内七分に長唄と常磐津と義太夫を一分宛加へたとふもの。その接き目に今少し心のゆかぬ点はあるが粋なものだ。但し語り手の態度が前屈み過ぎるのは物足らぬ感じを作る。


上方落語史料集成 大正3年(1914) 7月の2

大正3716日 神戸新聞

海陸の大余興(須磨海水浴場) 落語家演劇 
 芸達者に人気を集め居れる例の都座、栄館の落語家連中は総出にて舊劇「團七九郎兵衛夏祭」を本鬘
衣装付けにて演ずべく一座は演劇道の素養ある上落語家として普通俳優の出来ぬ可笑し味を加えて面白い劇を見するとあれば当日の見物なるべく。
一座はこの外
軽口(一圓、圓二郎)延陽伯(文二郎)講談難波戦記(春輔)音曲噺浪花節(太郎)手踊七化(圓三郎)親子酒踊ステテコ(三升)三方笑(圓天坊、一圓、枝三郎)舞松の名所(枝三郎)を演じ中にも圓三郎の「七化」は開場式当日演じ得ざりしものを今回は衣装付けにて演じ、枝三郎の「松の名所」は碁盤に上り十二枚の扇の手を見せる奇抜なるもの。尚圓天坊、一圓、枝三郎の「三方笑い」も見物の頤を外さすもの。その他春輔の「講談難波戦記」文二郎の「延陽伯」も喝采を博すること受合い、因みに夏祭の役割は左の如し

 團七九郎兵衛(圓三郎)一寸徳兵衛(春輔)釣舟三部(圓天坊)女房おかじ(圓二郎)女房おつぎ(呂鶴)女
 房おたつ(かほる)海鼠の八(都ン輔)小ツ菜横多(三升)遊女琴浦(枝三郎)磯之丞(圓之助)鼓の藤内
 (圓丸)左賀衛門(一圓)三河屋儀兵衛(一圓)倅市(松太郎)

大正3717日 大阪時事新報
曽呂利新左衛門

◇長寿を祝して 曽呂利新左衛門が漁仙と名告つて絵筆を舐つてゐる事は誰も知つてゐるが、此間大隈首相が見えた時、共に長寿を祝するとあつて、絹地に淡彩の海老一匹を描き、それに「杖九十九年には耻ぢぬ梓弓百過ぎたとて腰はかゞまじ」と賛して、伝手を求めて伯の手許へ納めると、十六日に大隈家から叮嚀な礼状が来たので、曽呂利は悦び勇んで無上の名誉と心得てゐる。さうあらう〳〵

大正3717 大阪朝日新聞京都付録

◇大津のたのしみ 大黒座と博秀館が落語の対抗を始めた。大黒座は大阪三友派の棟梁株を引張つて来たものだが、桂文治もモウ耄碌した。米団治、染丸、円太郎等が少しは聞けるが、何れにしても落語には一向改良進境の実を示さず、年々に時世に後れて行つている。喬栄の他に駒奴の舞が綺麗だが、夫さへ上品なことが少しもない。博秀館の方は名もない若物ばかりだが、却て拾ひものがあるかも知れないと何しろ御近所に落語専攻の文学士がお住ひだから用心しいや。

大正3719日 大阪朝日新聞
曽呂利新左衛門

◇落語三友派の七十五歳の年長曽呂利新左衛門、隠退して画工となり、猪里漁仙と名乗る。生前の葬式を此の程隆専寺に行ひい、知人の画師から香奠代りに画を貰つた。その中、鈴木松年翁より到来の画は一千円の値打があるぞとの効能つきで、石碑に塔婆を画いて、其讃に「片よらば右も左も皆地獄曽呂利々々と真中を行け」。曽呂利これに返歌して「末世迄家の宝にのこす幅買手あつても売は千円」とはどこまでも落語だ。

大正3721日 大阪新報
<三人会の文吾

◇復活した文吾 一時は京都で高慢が嵩じたセイか、折々精神朦朧たることを口走つたりした桂文吾も、近頃は大いに復活し、今度も紅梅亭の三人会の高座から、とかく世の中はなどゝ伯父さんが極蕩の甥を叱つているやうな格好で睥睨しているが、この男も亦一名人たるを失はぬ。

大正3722日 大阪新報
三人会の文三

◇文三の病 桂文三「私は高座へ出て喋舌(しゃべ)つていますと、身体の具合が宜(よろ)しおまんね。これも病(やまい)だすな」といつていた。目が見えなくなつても例の金の腕輪をはめて高座に現はれるも一種の病だすな。

大正3723日 大阪朝日新聞神戸付録

大黒座の紋弥文團冶一行は二十一日より「柳」を出し本式大道具、仕掛電気光線応用を以って物凄き中に滑稽な所を見せる

大正372324日 神戸又新日報

<桂文団治一座・大黒座(二度目)/円子・文団治・紋弥>
大黒座の紋弥 二十一日から楠公前大黒座に二度見参の紋弥、文團冶の三友派一行、本業の落語や踊ではフケヤ足らず、四谷怪談のお岩クンを引っ張り出して大いに凄がり、どんなもんでげすと納まり返った所に万解の涼気があって好個の暑気払いと初日から好況は目出度い事なり。文團冶の素噺、老練愈々垢抜けがして圓みのある話振りなり。圓子の芝居噺声の悪いのが瑕(きず)なれど高嶋屋老の声色はうまいもの。十八番の二調は妻奴の咽喉と共に一味の清涼剤。お客が扇使いを遠慮して涼しがる程手に入った代物なり。其後へトボケた踊で大いにフヤケ暑がらせるは罪が深い。紋弥の落語は道楽な芝居以上箔がついて来たようなり。声色は梅幸崇拝者だけに同優のが一番の出色。次が高麗屋と云う純舞は其生ツ白いソッポー以上当人自慢のものなれば成程と申し置くべし。大切の四谷怪談、紋弥のお岩と圓子の伊右衛門が仲の悪いフヤケ方に見物を大いに凄がらせ、伊右衛門もどきのサテ恐ろしや位で臆病者は辛抱出来ず、お岩じゃないが浮かばれぬに、思わず南無阿弥陀仏を唱えたり、引抜き活惚は目先が変わって賑やかでいい追い出しなり。(砂文字)(723

お岩大明神 大黒座の文團冶、お岩稲荷を担いで楽屋へ守札かなんか祀り込み間がな隙(すき)かなポンポン拍手(かしわで)をうち拝み奉つていたが、其拍手の毎に袖口から二の腕かけての例の刺青がチラチラ覗くのでお岩大明神の方が恐ろしがり「オー怖そうなお爺さんだ」と云っているだろうと幕内の評判。

眼が高いや 其一座の紋弥役者大鼻息で出した戻り橋が梅幸の影坊子位だとも云って貰えずお荷物にされたので酷くお冠を曲げてしまったが、世間は広い。大阪の楽天地から余興に是非其「戻り橋」を師匠にお願い申したいんでと云って来たから師匠ズイと納まり「矢張り大阪人は眼が高いや」と脂(やに)下がって益々熱をあげ手が付けられないとは困ったモンヤ。(724

大正3725日 神戸又新日報

寂たり鹿界 見渡した所、生気の無いのはハナシカ界だ。踊一本の圓をオン大に、ロタの圓三郎に悪達者な踊を売りものとしているズボラの文二郎以下何れも團栗(どんぐり)の背比べ、一寸圓天坊のが聞ける計り。京の圓蔵でも呼んで暑さが忘れ度いと通がつたのが栄館の木戸口で心細がっていると高座の圓がハクショイ・・・小一の客が唾飛沫を冠つて「アア冷てい」と嫌な顔で座布団を持って後ろの方へ移ってしまった。

大正3726日 大阪新報

<文吾文三文都三人会を聴く>

桂派の三人会 いづれも桂派の古老文吾、文三、文都の三人会を此間から紅梅亭でやつている。文都の鼻も大分狭くなつたらしい。柔(やわら)か味のある、軽い品の好い話振り、「逆様の葬礼」を聴いたが、そのオトシが少し下(しも)がゝつていたのは惜しかつた。あれで昔のまゝかも知れぬがあの儘は妙でない。 

△情合で泣かす 同じ日に文吾は「鬼薊清吉」をやつた。講釈種のしかもマクラは陰気でダレ易い処を流石に文吾、親子の情合をしつとりと見物の涙を誘つた手際はうまかつたが、小判といふ言葉の入る昔話に国旗を出せの、教育のと父親に云はせたのは鳥渡(ちょっと)耳に障つた。 

文三の警句 「近頃は頭数ばかりで仕舞まで落語をやらず、舞や唄で切上げるのが流行つて居りますので──」と痛烈な挨拶を云つていた。明を失つたのは気の毒だがこの人の落語は以前よりグッと錆が乗つた。

大正3726日 神戸新聞

本日須磨の大余興(都座栄館連)△喜劇「大岡越前守」山田屋亀次郎(圓三郎)遊人三公(一圓)芸妓笑次(かほる)若旦那(枝三郎)伯母(呂鶴)大江つる(三升)古手屋一兵衛(圓天坊)与力(春輔)大岡越前守(一圓)△音曲、手踊、落語(落語合同一座)

大正3727日 大阪時事新報
<三人会余聞>

◇眼から述懐 三友派の文都や文吾が高座の出演も稼業なら仕方がないが、眼の中へ汗が流れ込む程の暑さでは我慢が出来ねいと愚痴を並べ立てると、傍に居た文三、眼の中へ汗も流れ込むつてアヽ此眼が一と目明いて欲しい。是には二人も同情して、アヽ明けさせたい〳〵。

大正3730日 大阪時事新報

◇八月は鹿芝居 寿々女会の松鶴、馬生の二人は、八月は休みといふので、春団治改喜楽斎独身が先棒となり、蔵之助以下の前座連を率ゐて何でも一日から近松座で落語付けたりで芝居の真似事をやるさうな。三友派の紋弥や円子が芦辺倶楽部で猶且役者振るといふから競争か。

大正3731日 大阪時事新報

◇近松座は一日午後六時の開場にて落語、曲芸、浪花節其他。大切は音羽山観音霊験記を芝居がゝりにて見せるよし。

大正3731日 大阪新報

<東西合同落語家相撲・紅梅亭>

◇南地紅梅亭 一日より東京大阪合併落語相撲大會を開催、尚余興連差加える由にて左の如し。

(行司)文冶・圓太郎、(取組)(米團冶・しん橋)、(染丸・柳昇)、(小文枝・朝枝)、(萬光・扇蔵)、(菊團冶・花橘)、(中入余興女連 妻奴・喬栄・駒奴)、(大切余興 東京丸一社中独特寿獅子)。

大正3731日 神戸又新日報

◇姫路の演芸 楽天座は南陽検の幇間十八の小使取りで一日より大阪落語雀圓坊一座を向かえ自分も参加して開演。

大正3731日 神戸又新日報

<神戸大黒座の有名会:円蔵・貞山・加賀太夫>

大黒座 八月興行は東京有名會と決定。顔触れは落語素噺の名人橘家圓蔵、富士松加賀太夫、講談會の重鎮にして新物読みの名手一龍斎貞山を初め濠洲新帰朝丸一小仙等にて各技量を揮う由なるが、一行は本日華々しく乗込み明一日初日を出すべしと。

〈編者註〉八月一日が初日で七日が千秋楽。その間に新聞に載った演目は以下の通り。

 83日:三人旅、五人廻し(圓蔵)、義士伝天野屋利兵衛、め組の喧嘩(貞山)、三勝みのや(加賀太夫)

 84日:無学者、首提灯、一ツ穴(圓蔵)、め組の喧嘩、倉橋伝助(貞山)、かしく六三新屋敷(加賀太夫)

 86日:紙入間男、高尾丸(圓蔵)、め組喧嘩、不破数右衛門(貞山)、不詳(加賀太夫)

 87日:子別れ(圓蔵)、勝田新左衛門、め組の喧嘩(貞山)、弥次喜多市子の目寄せ(加賀太夫)


上方落語史料集成 大正3年(1914) 8月

大正381日 大阪時事新報

◇鹿劇の出し物 三友派の鹿連が千日前の芦辺倶楽部で去年の夏は「四ツ谷怪談」を出して暑さ知らずの大入を取つたので、今年も前例に倣うて何でも芝居化した怪談物をとの事から累の土橋を据え、与右衛門は花咲、かさねは文団治と役割も済み、大道具には本雨との話もあつたが、本雨は役者達が涼しいだけの事だからとキネオラマで雨の景色を見せる事にした。尚外に円子と紋弥で「戻り橋」を出し、此道具には電気応用の雷鳴を聞かせて頗る悪戯て見せるさうだ。

大正381日 京都日出新聞

<文三文都文吾三人会・芦辺館>

芦辺館の有名会は昨夜限り千秋楽となつたが八月一日からは落語三人会で文三文吾文都の三人が大に技倆を示すといふから近来の聴物たるは疑はれないが其他は余興としてお馴染の丸一が御機嫌を伺ふ。

<編者註>大阪紅梅亭での三人会は評判で、場所を京都に移し、芦辺館で十五日間開催された。出し物は大阪と同じだが、その順序は異なり、また三人の出番順がわかるので改めて以下に掲げておく。

81日:仕込の大砲(文三)、出歯吉(文都)、腰抜け武士(文吾)

82日:饅頭怖い(文三)、猫忠信(文都)、御文章(文吾)

83日:牛の丸薬(文吾)、人形買(文三)、菊江仏壇(文都)

84日:赤子茶屋(文都)、鹿鍋(文吾)、百年目(文三)

85日:掛取(文三)、子別れ(文都)、らくだ(文吾)

86日:食客講釈(文吾)、親子茶屋(文三)、はてなの茶碗(文都)

87日:舟弁慶(文都)、二番煎じ(文吾)、算段の平兵衛(文三)

88日:宿替(文三)、雁風呂(文都)、帯久裁判(文吾)

89日:二日酔(文吾)、胴乱の幸助(文三)、線香の立消(文都)

810日:逆まの葬礼(文都)、鬼薊清吉(文吾)、後家殺し(文三)

811日:新町ぞめき(文三)、盗人の挨拶(文都)、しんこや新兵衛(文吾)

812日:お家も繁昌(文吾)、古手買(文三)、冬の遊び(文都)

813日:太鼓腹(文都)、市助酒(文吾)、南瓜政談(文三)

814日:片袖(文三)、吉野花山(文都)、藪医(文吾)

815日:欲の熊鷹(文吾)、植木屋(文三)、三枚起請(文都) 

大正381 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭は定連に新顔を加へて落語、講談の合併角力を催す。行司は枝太郎、円笑、文之助の三人で、中入に余興を加へる。初日の取組は円二郎に錦馬、璃若に先太郎、枝雁に南昇、八百蔵に円歌、南右に桃太郎である。

大正381日 神戸又新日報

戎座 本月の顔触れ左如

  夏子(筑前琵琶)、淀助、圓三郎、太郎、文二郎、圓都

大正381日 伊勢新聞(津)

広告當ル八月一日正午六時より開演東京落語三遊派若手大壹座 三遊亭圓雀木戸場代共大勉強金十三銭均一泉座

大正381日 鷺城新聞(兵庫姫路)

楽天座 一日より五日間でばやす十八一座の合同演劇初日芸題左の如し。

 東の旅(玉枝)小倉舟(文二)山伏音曲(栄美酒)落語音曲(扇枝)浮世根問(百々之助)松の名所十五枚
 手踊(花遊)新内梅暦(金奴)子誉め手踊(延花)金魚芸妓音曲(扇遊)軽口かっぽれ(豆八、十八)重箱丁
 稚鉢廻し(福玲)牛ほめ(鶴瓶)かわりめ盆の曲(圓坊)菊江仏壇顔芸(雀)大切滑稽所作事(総出)

大正381日 満州日々新聞

◇演芸会
 歌舞伎座(一日より) 佐藤紅緑脚色「侠艶緑」七幕劇重の井子別れ
 浪速館(二十六日より)映画
 電気遊園(三十日より全部取替) 映画
 高等演芸館(二十八日より替り) 映画
 大山席(一日)
  東京落語手踊(三遊亭想之助)浪花節新影流譽太刀風(京山萬員)浪花落語音曲手踊(桂圓太郎)浪花節血
  染の手布(日吉川秋月)東京落語百種(立花家喬三)浪花節五郎正宗(浪花雲昇)浪花落語舞踊(小文我)
  東京落語夢金(金原亭馬琴)大切楽屋総出
 旅順八島座 浪花節芝居鶴之助一座一日より開幕
 沙河口日の出座(一日) 女義太夫一座

大正382日 神戸又新日報

都座 本月顔触れ左の如し

 圓三郎、圓歌、圓都、燕枝、淀助、夏子、太郎、三升

大正383日 大阪時事新報

◇才奴の宗旨替 新町大西席の才奴は薬食(くすりぐい)の端にもと鹿の小米を味はつた当座は芸人極道ほど面白いものはないと跳返つて居たが、然(そ)う〳〵気楽な真似もして居られなくなつたので、今度は男前の良い「お客極道」と宗旨を替て見た(後略)。

大正384日 大阪時事新報

◇南地の芦辺倶楽部は三友派連の実演、累の土橋が電気応用もありて人気宣し。

大正384日 山陽新報(岡山)

大福座 浪花落語寿々女会一座にて開演

大正386日 大阪新報

◇近松座の演芸会 近松座の涼み興行の落語演芸会は春子一座の常興行よりもメッキリ入りが好いので、一同鼻を高くして「これに限る」は皮肉。

◇一本位は好い 芦辺の余興劇に紋彌の鬼女、圓子の綱といふ大収(おきま)りの「戻橋」。見物より役者の方が好い心持になつて「どつと落ちたる北野の廻廊、悪鬼は群がる雲隠れ──」で紋彌の鬼が腕を斬られて宙釣を、口の悪い見物が「紋彌なら腕の一本位無くしても好い」、オヤ〳〵色男、そんなに手があるのかい。

大正386 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭は一日から講談、落語の角力を催しつゝあるが、今日大阪から新顔五名を加へて懸賞を付すと。今晩の取組は左文治に璃若、先太郎に都馬、桃太郎に呑山、福円に八百蔵、枝雁に楳林。

大正387日 伊勢新聞

花園座 六日夜より三遊亭遊朝、桂又之助其他東西合併の娘落語、手踊、曲芸を開演したるが、暑中にかかわらず好人気にて木戸は十二銭均一の大勉強

大正387日 大阪新報

◇椅子と相撲 近松座の落語演芸会の余興の中に椅子と相撲をとる珍芸あり。土俵四本柱、検査役とすべて物々しく設け、そこへノサ〳〵現はれたるは軽口に去る者ありと知られた背の高い出目の海関、千橘が行司となつてハッケヨイは呆けて妙絶。

大正387日 中国新聞(広島)

◇演芸館 今七日晩より東横町演芸館にて二代目三遊亭遊輔、江戸家猫八一座の落語音曲噺などある由。芸題毎日替わりにて一行左の如し

 正本芝居噺(遊快)おとぎ噺(富久輔)落語(かん輔)滑稽音曲噺手踊(三之助)通俗人情講談(狂訓亭為
 永)清元浄瑠璃浮世節(立花家小清、和妻吉)新講談(神田小伯山)天下一品珍芸江戸名物の□(二代目江戸
 家猫八)風刺滑稽新作笑話(三遊亭遊輔)大切即席ちょう題ばなし(かけ合)

大正388日 大阪時事新報

◇煽動ると直ぐ 芦辺倶楽部に出演してゐる三友派の鹿芝居は紋弥と文団治とが先ず見られる部、中にも文団治の累が兎に角女らしく見せて立廻りも鮮にやるので鼻鹿家などの喝采を浴せられ、活動以上の好人気を引いてゐる。鹿芝居だつてうまい処もある、さう隅にもおかれぬと煽動(あお)ると文団治、得意になつてそれでは高座では真中に坐ります。

大正389日 神戸又新日報

姫路の演芸 
 山陽座は田宮千葉の笑劇喜楽會にて七日より開催。初日は大入。
 楽天座は大阪落語桂文我一行にて八日より前景気好し。
 白鷺館は八日より写真全部取替え

大正3811日 大阪時事新報

◇興味が冷めた 浪花三友派の落語相撲は紅梅亭で取組中だが、出演者も次第に馴がつき、揚足をとられる事も尠くなつた代り見物も冷静になつて来たので、何だか熱が冷めた様になつた。恁(こ)うなると興が薄い。

大正3812日 山陽新報

千歳座 来る十四日より東京落語三遊亭圓雀、文喬外若手数名より成れる一座にて花々しく開演すと

大正3813日 大阪新報

◇一入の暑さ 法善寺紅梅亭の落語角力、此間も小文枝と朝枝との取組、小文枝がアッサリと弁じた次は朝枝の江戸話し、これが馬鹿に長いので、小文枝も行司のしん橋も汗タラ〳〵。漸く終つて「サアどうか穴が御座いましたら仰しやつて下さい」と行司立上り、「あまり話が長かつたのでお忘れになつたかも知れせんが」とはよく〳〵暑かつたものらしい。

大正3813日 徳島毎日新聞(徳島)

緑館 新庄家三遊亭遊助外合併一座にて本夜より落語音曲大會開演。入場料七銭均一

大正3814日 中国新聞呉版

春日座 今晩より東京落語二代目三遊亭遊輔一行にて出し物左の如し

 通俗人情落語(為永)清元浄瑠璃浮世節(小清、和妻吉)新講談(小伯山)天下一品珍芸江戸名物の□(猫
 八)出しもの未定(淀助)風刺的滑稽新作笑話(遊輔)大切即席即答おだいばなし(掛合)

大正3815日 大阪時事新報

◇物凄い鹿芝居 芦辺倶楽部の三友派鹿芝居は悉皆名優気取で納り返り、悪く度胸を見せてゐる恐ろしさ、月の市原野で円子の保昌と文団治の袴垂が立廻りに苦しんで居る図は催眠術の修行の体、雪の瓦鑵寺はキネオラマの補助を受けて、それでも持切れぬ処は愛嬌者の花咲が魯智深の拵(こしらえ)で雁治郎の声色を使ひ見物を煙に巻いてゐる。花の喜撰は紋弥が得意の花咲流で踊り狂つて当人頗る面白さう。併しちよつと鹿離れした手があると贔負連は大歓迎。

大正3815 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭は落語角力、呼出しに連れて現はれる二人が一席宛を済ますと、何でも景品を持帰らうとする聞き巧者が盛んに穴を拾ひ立てる。一一行司が捌いて負星の数で勝敗を定める。

大正3815日 徳島毎日新聞

緑館 開演中落語大會は好評なり。出番左の如し

 ひより違い(小南冶)月並丁稚(遊枝)口合小町(圓之助)池田の牛誉(道楽)熊谷堤(苦楽)しらみ茶
 屋(梅枝)お玉牛(遊助)日本一浮れの紙くず(福團冶)うつり木(軽口掛合)大切チツトセセイバツ(二
 輪加総出)

大正3816日 都新聞

寄席案内(八月下席)
○木原亭 遊三、三木助、右女助、りう馬、朝冶、歌子、新朝、綱太夫、ぎん蝶、金坊銀坊
○三遊柳五日
(十六日から二十日迄) 川竹亭(主任圓遊)金沢亭(主任今輔)立花家(主任左楽)立花亭
 (主任歌子右女助)並木亭(主任公園金三)鈴本亭(主任つば女)末広亭(主任三木助)白梅亭(小さん

大正3817日 神戸又新日報

大黒座 二十三日より東京歌舞伎座付常磐津の家元岸沢仲助一派及び長唄杵屋音蔵、花柳吉蔵其他の声曲大に落語橘家圓窓、講談大島伯鶴を加え開演。詰り木挽町の出語り出囃子に花柳の踊りを見せる由

都座 去十七日より引続き二十一日迄如月會組見あり顔触れ左如

 圓三郎、夏子、圓都、文次郎、太郎、圓枝、春輔其他

大正3819日 徳島毎日新聞

撫養文明館 大阪落語にて十九日より開場

 鉄砲遊助(道楽)口入屋(恒鶴)音曲(梅枝)たこ芝居(福團次)かる口(二人)悲劇(座員総出)

大正3820日 神戸新聞

都座 連夜好況なる同座は去る十七日より二十一日まで橘の太郎のために如月の組見あり。益々好人気なり。因みに本日よりの出番は左の如く。大切に怪談を加えたり

 三橘、市馬、圓可、呂鶴、三升、春輔、圓枝、太郎、文次郎、圓都、夏子、圓三郎

大正38202123日 徳島毎日新聞

<大阪寿々女会蓬莱館一座・徳島緑館>

緑館 二十一日より大阪南地法善寺蓬莱館の大阪落語一座引越し二十一日より開演。石川一口は関西講談界の泰斗と称せられ居るものなり。

 笑福亭三代三、桂春駒、桂若枝、笑福亭鶴二、笑福亭鶴松、笑福亭右鶴、講談石川一口。(820

緑館 本夜より大阪蓬莱館引越し落語講談開演。重なる番組左の如し。

 紙屑より手踊(鶴二)駕馬舞手踊(鶴松)掛取り音曲(右鶴)滑稽所作事先代萩床下(鶴二、右鶴、鶴松三人掛合)人情講談(石川一口)大切東京名物梅坊主式深川かっぽれ、七つ拍子伊勢音頭、住吉及び雀踊(楽屋総出)(821

緑館 二十一日夜より初日を出せる大阪下り落語講談一座は右鶴の音曲呼物と為り居れりと。

入場料特等十七銭、並等十二銭別に敷物下足料等を要す。(823

大正3822日 大阪時事新報

◇鹿連の大評議 三友派の鹿連も芦辺の芝居を廿日で打揚げ、廿一日の朝は文治、文団治、円子、紋弥等が紅梅亭の広縁に会合して、九月一日から開場をしたものかそれとも田舎廻りに出懸けたものかと評議にかゝつた。結局田舎廻りは芸が荒むと文治が決議を下し、席主側も賛成して一日から市内の各寄席を開く事にした。成るべく高座は立はだかつて形の悪い踊を見せる事を止め、落語本意で新機軸を出す事にし、此趣旨に適ふた者は前座たりとも一一賞与金とすと触れたが、寿々女会では内証にすべしで鳧(けち)がつく。

大正3822日 大阪新報

◇紅梅亭 二十二日より一週間、紅梅亭に於て浪花三友派幹部全員、若手連全部出演、諸芸大會を開催し、各自独特のかくし芸尽しも演じる由。

大正3824日 大阪時事新報

◇馬生の逃口上 寿々女会の寄席も九月一日開場したいと言つてゐるが、松鶴が昨今の残暑ではと容易く賛成せぬのと、モウ一人の幅利馬生が石川席の金之助をお嬶に迎へ、今の内がと珍味がつて居る最中なので、私も松鶴さんのご意見通との逃口上。

大正3827日 満州日々新聞

大山席 諸芸吹寄大会 桂福吉、三遊亭扇之助、桂左文冶、桂圓太郎、桂小文我、三遊亭圓三、京山風雲 木戸銭無料

大正3829日 大阪時事新報

<三升紋弥、三升家紋右衛門と改名する>

◇何(いずれ)も老込む 三友派に出てゐるしん生は金之助の色男!と同業者から羨まれた全盛を儚み、もう一度頭を上げて見たいと苦労して居るが、元紅梅亭の前座であつて文団治の弟子の米蔵といつた男が字劃者と商売替をして居るので名前を判断して貰ふと、終りが全からずして或は短命に終るかも知れぬといはれ、慄毛(おぞけ)を震うて九月一日から歌楽と改名する事にした。すると三升紋弥も神経を病出して三升家紋右衛門と改名するなど何れも老い込んだ話。  

大正3829日 満州日々新聞

大山席 落語(福吉)講談(梅吉)落語手踊(小文我)落語舞(福丸)落語(圓三)浪花節(雪昇)落語(左文冶)

大正3830日 大阪時事新報

◇神楽舞を研究 寿々女会の春団治と半玉の両人は暑中休みを徒然に暮して了ふのも芸人として智慧のない話と、此前来阪した熱田の神楽舞を研究して、彼の一行よりも以上の好成績を収めたいといふ。好い心懸だ。
  

らくご 003

〈編者註〉『藝能懇話』三号(平成2年)に延命館八月三十一日よりの演芸ビラが掲載されている(上図参照)。上記「獨身」とあるのが寿々女会で名乗っていた春団治の変名。 

大正3831日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派九月一日より盆替り興行として開演すべき各席の主なるは南地紅梅亭、淡路町国光、新町瓢亭、天満杉の木。出演者の新顔は三升亭紋右衛門(三升紋弥の改名)、桂文吾、桂文三其他従前の顔触。

大正3831 京都日出新聞

休演中であつた芦辺館は明一日より左の出演順で御機嫌を伺ふ 落語(円六)同(吉之助)同(染三)同(三八)同(花咲)東京落語(歌楽)落語手踊(小文三)東京落語(柳昇)声色手踊(小米)落語(文吾)百面相(万光)落語(文団治)

大正3831日 大阪朝日新聞神戸付録

都座の落語は一日より枝雀、曽我廼家小四郎を加えて頤の紐を解かす筈

上方落語史料集成 大正3年(1914) 9月

大正391日 大阪時事新報

<三升紋右衛門>

◇落着くが可い 紋右衛門と改名した紋弥は一盛りの人気は素晴しい物で、東京の柳派に出勤した時は小さん、柳枝、左楽なども顔色が無かつたのは芸の力といふ訳でもなかつたらうが、余り跳返り過ぎたので自然同業者の憎しみを受け、その不待遇を憤つて大阪に帰り、もう之からは滅多に他国へ飛出さぬと三友派に腰を据ゑた次第だが、分を守り身を慎んで成功するさ。 

大正391日 大阪時事新報

<第四国光席が三友派へ加入、落語席となる>

◇淡路町御霊筋の第四国光席は今回三友派に合同し、是迄の浪花節を廃し、幾代席時代の通り落語本位にて開場す。

〈編者註〉桂派の老舗淡路町幾代席を明治四十一年に浪花節の天満国光席主原盛千代が買収し第四国光席と改名、引続き桂派の落語をかけていたが、桂派の凋落により本業の浪花節の席とした。今度三友派に加入し、また落語席となったが、一年ほどで再び元の浪花節に復している。

大正391 京都日出新聞
<桂左文治が笑福亭福松郎と改名>

笑福亭今晩より桂枝三郎と桂左文治が笑福亭福松郎と改名して左の連中と共にお目通りする。 芝楽、枝雁、さん喬、福松郎、円歌、枝太郎、円笑、枝三郎、福円、桃太郎、三路、文之助。

大正391 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は一日より桂文昇一座落語。

大正391日 神戸又新日報

都座 本日の番組左の如し

 鯉舟(圓三郎)阿弥陀池(圓歌)源平官(圓都)鼻捻じ(三升)常陸丸(名都子)軽口(春輔、小四郎)籠
 幽霊(枝雀)大切喜劇(総出)

大正391日 都新聞

寄席案内(九月上席)
○川竹亭 橘之助、むらく、圓遊、三木助、圓左、金三、圓橘、紫朝、金坊銀坊、亀次郎
○金沢亭 橘之助、伯知、むらく、圓橘、龍馬、圓左、遊三、支那人、金坊銀坊
○立花家 貞山、橘之助、圓遊、三木助、右女助、遊三、むらく、公園、金坊銀坊、亀次郎
○鈴本亭 貞山、橘之助、文蔵、圓橘、龍馬、遊三、圓遊、三木助、支那人、右女助

大正392日 徳島毎日新聞(徳島)

<三友派若手一座・徳島緑館>
緑館 舊盆興行として神戸新開地栄館出演の浪花落語三友派若手一座にて明三日より開演に決定出演者左の如し

桂南馬、立花家小圓、桂扇助、五明楼福之助、笑福亭三代蔵、桂都雀、五明楼福輔、笑福亭小枝鶴、桂南枝

<編者註>桂南光(本当は南枝)一座の番組、下記の通り。

96三人旅(南馬)兵庫船(扇助)みかん売余興種々(都雀)軽口道成寺振り事(都雀、小正三掛合)池田
 の牛誉(福輔)長屋再縁(小枝鶴)天下一浮れの屑より手踊舞(小正三)猿廻し(南光)大切余興茶番狂言
 (座員総出)

99小倉舟(扇助)野崎参り(都雀)頭けり(軽口都雀、小正三)辻占茶屋(福輔)松竹梅(小枝鶴)出
 来心踊舞(小正三)初天神(南光)大切茶番狂言首の仕替(座員総出)

大正393日 大阪新報

◎今日此頃の落語界

▲お客の頭の方が進んで来た 「さて代り合ひまして御機嫌を伺ひまする」と見台を五月蠅く鳴らす見台叩きの前座格より、軽い小話を一席弁じて大津絵やトツチリトンを一つ二つやらせて載いて遂には立上つて「神おろし」や「五段返し」を踊る花形、さては頭の禿かゝつた真打株に至るまで、大阪の落語界には少なからぬ鹿連がゐる。そして各派に分れて門戸を張つてゐる。浪花三友派、寿々女会、新桂派、反対派と略この四つに分れて、各区に散在した寄席にそれ〴〵陣取つて鎬を削る。 

▲白井と似た原田 近年の大阪落語界には可なり混戦、乱闘があつた。弱きものは傷(きずつ)き、強きものは凱歌(かちどき)を上げる。それも一としきり、今では先づ小康の形となつてゐるが、何(ど)ういふ訳か高座で多愛もないお笑ひを弁じてゐる鹿連が、高座以外では小面倒な理屈を並べるが多く、或いは分離となり、脱走となる。その小五月蠅い連中をともかく率(す)べて大阪落語界に重きをなしてゐるは紅梅亭の原田である。原田はまだ若いがキビ〳〵として才子、幾度か出入りはあつても浪花三友派の名を墜さず、大阪の鹿連の勝れたのを引つこ抜き、一時は市内各所の指折りな席は自派の勢力を扶植し、京都、神戸と手を延ばして隠然関西の寄席大将の観がある。其やり口の鋭いところは丁度芝居道に於ける松竹の白井よりもう一倍人間に愛嬌のあるのが原田の武器と云つて宜しい。

▲寿々女会其他 寿々女会派のやり手は北陽永楽館の佐藤がゐる、蓬莱館の長岡がゐる。佐藤はアクの抜けた男である、長岡は老巧である。松鶴、千橘を中堅とし、そこへ三友派から脱走の春團冶一派を迎えてます〳〵寿々女会の人気を高めたやり口は手強い。以前は三友派に対し守勢を取つてゐたのが此頃は攻勢を取り出した。新桂派は桂枝雀の一派で堀江賑江亭が本城となつてゐるが、あまりに小勢で三友、寿々女の二派と戦うには辛からう。最後に最も侮り難い塞耳維(セルビア)式と云はうか白耳義(ベルジューム)式と云はうか、奇策を弄して相当な人気を呼んでゐるは反対派である。中には半素人も交じつてゐる。昼は商売をしてゐて夜になると高座へ現れる者もある。聞えた鹿はゐなゐが、何でも御座れの達者な連中が多く、第一木戸が無暗と安い、安いが当世である。メキ〳〵反対派が勢力を占めて、始めは場末の小寄席ばかりにゐたのが次第に中央へ迫って来た模様がある。これには他の有力な派も少し持て余しの体。 

▲有名会と三人会 紅梅亭の原田のやつた仕事で最も喜ぶべきは有名会で、東京から加賀太夫や圓蔵、貞山等を年に一二度招いて独演会式の興行を催し、又近くは文吾、文三、文都等の三人会を演らせたり、比較的真面目なお客のみを迎えて静かに一夕の興を全うせしむる企てには賛同せずにはゐられない。惜しむらくは大阪に古く住んでいる圓馬をもう少し厚く用いて、彼れの得意の人情話に寂びて光を発揮せしむる方法はなかろうか。何時も高座へあの上品な人が現はれると「五人廻し」と野卑な客が注文する度、気の毒で堪らない。

▲客種が好くなつた 大阪俄に卑猥を喜んだ大阪人は、落語でも下がゝりを好んだ。それが近年は一変し、落語家が少しでもいやらしいことをいふと「猥褻やなあ」と呟くやうになつた。大阪落語の或る一部はお客と隔たりのある遅れた頭を持つてゐる。これではならぬ、俄から新喜劇が生れた如く、大阪落語からも何が生れねばならぬ運命が腹まれてゐる。それがもう臨月に近づいてゐるのだ。

大正393日 神戸新聞

多聞座 従来喜劇定席たりし同座は愈々今三日より活動写真館に変更

戎座 一日より落語出番は左の如し

 圓車、染二、三升、圓歌、呂鶴、夏子、市馬、太郎、春輔、小四郎、枝雀、圓三郎、文治郎、圓都

大正395日 大阪新報
<三升紋右衛門>

◇老けた紋彌 ではない、改めまして紋左衛門、そも〳〵素噺の冒頭(まくら)から一言目にはスウ〳〵言つて白目剥くところ、スッカリ左團次張り、古い御定連が「紋彌も老(ひ)ねくさつたな」。

大正396日 大阪新報
<桂文三>

◇文三曰く「昔は南地は風呂女と云ひましたよつて手拭ひ下げて花に行き、北陽(きた)は飯盛といひましたよつて杓子を下げて花に行きましたものです」と盲目になつても口は達者な男。

大正396日 大阪新報

<露の五郎>

凄じい名 寿々女会の寄席の看板に「露の五郎」と記した鹿が出来た。勿論曽呂利といふ名もある世の中だから不思議はないが、五郎兵衛の兵衛だけ遠慮したところが可愛い。

〈編者註〉露の五郎は明治二十六年生れ。五代目林家正三門人三平として落語家としてスタートしたが、十七歳のとき役者を志して中村芝雀(のち雀右衛門)の門に加わるも修業の厳しさに耐えられず、再び落語界に復帰してこの名を名乗った。その時期は不明だが、明治四十年代に互楽派に属していたとき既にこの名を名乗っている。しかし記事の書き方から見てもあまり知られていなかったようだ。

大正397日 大阪時事新報
<橘家円坊

◇円坊に秋の風 三友派の色物に混ぜられて一時はお盆廻しの円坊で別看板も出して貰つて