大正4年

上方落語史料集成 大正4年(1915)1月

大正411

◇新春の寄席(大阪) 

❍三友派 法善寺紅梅亭、淡路町国光亭、新町瓢亭、松屋町正寿館、空堀沢井席、天満宮崎亭(元杉の木)。

❍寿々女会 法善寺蓬莱館、御霊あやめ館、北の新地永楽館、福島延命館

❍反対派 千日前集奇亭 新町福竹亭 松島日の出席

〈編者註〉堀江賑江亭は「落語」とだけあって去就がはっきりしない。天満第二文芸館は各紙の寄席案内にまだ登場せず。

◇新春の寄席(京都)

❍三友派 芦辺館(万平、染八、麦団治、遊七、花橘、円都、三八、松琴、子供茶番、柳昇、張来喜、文都、小米、染丸、大切余興月宮殿)。長久亭(同上かけ持)

❍京桂派 笑福亭(円寿、権輔、円之助、芝楽、先太郎、とんぼ、枝雁、橘、円笑、可祝、福林、桃太郎、文之助、福松郎、枝雀、福円、円歌、枝太郎)。西陣座(同上かけ持)

大正411日 名古屋新聞

<大隈柳丈、桂南光一座・名古屋富本席

富本席 一日より大隈柳丈、桂南光一行の東京大阪合併落語にて一門には数々の色物ありと。

大正411日 大阪朝日新聞神戸付録

◇広告/年賀欠禮/摂津西宮町 戎座/座主 道井卯之介

◇広告/年賀欠禮/摂津西宮町 三浦座/座主 澤井よね

大正411日 奈良新聞

正月広告謹賀新年當る一月元日より午後四時開幕前狂言小栗判官中一之谷、切狂言嵐山歌舞伎劇三升源五郎大一座観劇料 特等五拾銭、二等卅銭、二等廿銭、三等十銭尾花座 奈良劇場株式会社

大正411日 満州日々新聞(大連)

歌舞伎座 一日初日御見得狂言 浅尾与山、市川福枝、中村雁十郎、市川小傳次、市川新四郎、片岡我左衛門、市川藤蔵等

恵比寿座(一日より) 活動写真

花月席(一日より海老一一座) 御祝儀三番叟(海老一社中)綾釣ばち曲芸(繁春)落語物真似(鶴芝)東京茶番(繁正外数人)神楽獅子狂い舞(鉄子)音曲噺奇術(繁子)滑稽所作事(社中)中入二人ナイフ曲取(三之助)新馬鹿大将みかんの曲受(繁冶)新喜劇オーライ(繁冶座員総出)

大山席(一日) 竹本八春、同文春、同春玉、同文之助、同春瀧、同長照

旅順八島座(一日より) 新派和合倶楽部一行

高等演芸館(西広場) 活動写真

浪速館 昼夜興行 活動写真

大正412日 都新聞

大入寄席案内(一月上席)謹奉迎新年総合寄席組合(広告)

人形町通鈴本亭 貞山、小南、圓蔵、むらく、圓歌、圓窓、圓遊、李彩、亀次郎、りう馬、右女助、文蔵、越寿、金三、公園

神田須田町立花亭 圓蔵、圓右、伯鶴、小南、橘之助、圓歌、圓窓、歌子、右女助

両国公園前立花家 橘之助、伯知、圓右、右女助、小正一、亀次郎、小圓朝、金三、公園、歌子、圓歌、万橘、越寿、梅幸、圓左

浅草雷門前並木亭 圓蔵、伯知、橘之助、むらく、圓遊、圓橘、小南、文蔵、公園、金三、華玉川、加々代、歌子、圓窓

神田神保町通川竹亭 圓右、橘之助、むらく、小南、圓歌、圓橘、小圓朝、金三、華玉川、右女助、公園、歌子、圓子、加賀代、亀次郎

四谷喜よし 小さん、馬生、源水、勝二郎、素行、しん生、可楽、さん三、枝太郎、式多津、玉輔、政二郎、小文三外

<編者註>東京の寄席については、上方に関係のある落語が出演の寄席のみ掲載。

大正413日 京都日出新聞

◇興行の表飾 (前略)新京極中で例月最も気の利いた飾りをするのは芦辺館である。尤も以前の管理者は故人になつたが、新たな管理者も随分考へてゐるらしく、相応に估券を落さずに飾つてゆく。本年も軒下一面に餅花を吊してゐるが、向つて左の偶へ一ぱいの大羽子板を置いたのなど考へ付て軍国の新年といふ意味か、桃太郎を描いて兼ねて金太郎の家来になつた兎を拝借して卯年を利かせてゐる。要するに羽子板はお伽話の聯合国といふ訳である…。(井泉水)

大正415日 大阪朝日新聞

<一月一日より杉の木が宮崎亭と改称する>

◇天満天神境内の落語寄席杉の木席は今度宮崎八十八が経営する事となり、宮崎亭と改称して三友派の定席となり新春開場せり。

らくご 005

                改称改良の御披露

従来(これまで)永らくの間お引立を蒙りました三友派の定席杉之木こと此度宮崎亭と改名いたしました。御案内のやうに手狭の定席にも拘らず御来臨下さる御客様の多いために自然と衛生上に行届かぬことも有勝でございましたが、今度宮崎亭と名称(なまえ)を変へまするについて席内に大改良を加へ、第一に衛生といふことに重きをおいて、御客様の御倦怠(たいくつ)なきやうに種々(いろいろ)の趣向を設けました。殊に大正四年の新年を迎へますると同時に、まつた席名を変へますると同時に、これまでの御馴染の三友派定連の外、名だゝる新進(あたらしい)の講演者を聘しまして御愛顧(ひいき)あつき諸彦(みなさん)の御喝采を得たいものと座員挙(こぞ)つて奮発いたして居ります。何卒新年開亭のはじめよりこれまでに幾倍しての御運びあらんことをお願ひ申します。

杉之木改め三友派定席 天満天神裏門 宮崎亭 席主宮崎八十八謹白

〈編者註〉上掲の披露状は「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より拝借した。

大正415日 大阪朝日新聞

◇浪花落語寿々女会組合の各席へ新春より筑前琵琶の須磨数栄といふが出勤する。同人は曾て宗右衛門町富田屋席の八千代の妹分百千代と名乗つて舞子より芸妓とまでなりしも、昨年眼病にかゝり全く盲人となりしより、勧める者あつて筑前琵琶を習ひ覚えたるものなりと。

大正415日 山陽新報(岡山)

<橘ノ円(円頂派)一座・岡山大福座>

大福座 五日目出し物左の如し。

道中八景(かけ合)曲芸(圓之助)磯あわび(圓三)音曲咄し(圓丸)稽古屋(圓二郎)住吉駕籠(圓天坊)無筆親(小圓丸)祝松引(圓)

<編者註>圓一座の番組、下記の通り。

17

吉原そめき(圓子)手品皿まわし(圓之助)天下茶屋(掛合)金名竹(圓三)三十石竹琴(圓丸)新辻占舞(圓二郎)味噌蔵(圓天坊)音曲掛取(小圓丸)文七元結舞(圓)

19

宝の入船(小圓二)紀州飛脚(圓子)長短かっぽれ(かるくち)手品(圓之助)大田道灌(圓三)八五郎坊主(圓丸)自雷也(圓二郎)崇徳院(圓天坊)こばなし手踊(小圓丸)左甚五郎(圓)大切喜劇

113

宝の入船(小圓二)三人旅浮れの尼買(圓子)加賀見山真庭(かる口)曲芸(圓之助)金名竹(圓三)音曲きせるの曲(圓丸)辻占茶屋(圓二郎)千両蜜柑(圓天坊)歌舞笑話五種(圓)大切喜劇

115

御祝儀宝の入船(小圓二)けいこや(圓子)新町ばし(かるくち)曲芸(圓之助)大田道灌(圓三)音曲竹琴(圓丸)釜猫(圓二郎)くしゃみ講釈(圓天坊)小噺音曲手踊(小圓丸)歌舞笑話(圓)余興喜劇

大正416日 京都日出新聞

<桂枝太郎>

◇卯年の俳優芸妓の評判記(下) 桂枝太郎 

 京都にこげ付きの落語家たるは御贔負御存知の通り、あの象のやうな目元でニツコリ笑つて高座から知らぬ顔して客の頭数を数えるなどは偶へ置けぬ愛嬌者である。本名は岩本宗太郎といつて当年とつて正に四十九歳。子供時代からの落語家で、始め月亭文都(二代目)の弟子となつて春之助と名乗つたが、後に今の文左衛門の文三時代に師事して枝太郎と改名して、死んだ桂藤兵衛等と長い間幾代亭に籠城して一方の将としられてゐたが、芦辺館になつてから満々たる不平が絶えず、遂に大正元年十月一味徒党を糾合して笑福亭へ立籠つて別に一旗幟を翻して今日に到つてゐる。京都の芸人として古いだけに馴染も胆斗(たんと)ある。

大正418日 九州日報(博多)

<大阪反対派一座・博多川丈座>

川丈座 反対派落語今八日目の番組左の如し。

皇太后陛下御高襟(水月)土人日本手踊(ジョン)夢金並物真似(圓好)磯の鮑(伯枝)素人俥(三尺坊)西洋皿の曲(助二郎)越後獅子(登美嬢)念力景清(右圓遊)

<編者註>反対派の番組、下記の通り。

19

平民的の乃木将軍(水月)土人踊並に日本音曲(ジョン)鍬潟(圓好)鞠の曲(助二郎)藁麦羽織(伯枝)時は金なり(三尺坊)長唄菖蒲湯衣(登美嬢)地震加藤(右圓遊)

110

小松宮殿下御仁徳(水月)西行法師(圓好)鞠の曲種々(助二郎)馬屋火事(伯枝)□□□(三尺坊)長唄鞍馬山(登美嬢)火喰術並に音曲(ジョン)正札付(右圓遊)

大正4111日 大阪時事新報

◇真のお国名物 熱田神楽の一行、三友派の寄席に来て、大阪の正月を見物しながら例の如く獅子頭冠り、高座に現れての狂言尽し、身振り一つでも喜怒哀楽の軽妙さ加減、ホンにまあ「お国名物さまざま有れど」だ。

大正4115日 大阪時事新報

◇南地法善寺の紅梅亭は十五日より大切に常磐津どんつくを加へ、どんつく(紋右衛門)、丸一太夫(円之助)、幇間(小文)、唄は喬之助と小勝が担当するよし。

大正4116日 京都日出新聞

◇京都倶楽部例会 今十六日午後六時始めにて例会を開き、左の番組にて余興ある由。

 落葉籠(麦団治)、お玉牛(花橘)、動乱(三八)、少年掛合噺(米子・麦子)、俳優似声毎手踊(小米)、
 鍬形(染丸)、曲芸(清国人張来喜)

大正4116日 都新聞

大入寄席案内一月下席(広告)

木原店木原亭 小南、小圓朝、橘之助、右女助、りう馬、圓橘、越寿、文蔵、金三、歌子、若圓

神田連雀町白梅亭 圓右、橘之助、むらく、圓遊、富岳、圓橘、小南、右女助、歌子、金三、圓窓、加々代、李彩、華玉川、亀次郎

人形町末広亭 橘之助、圓右、圓歌、金三、遊三、小南、右女助、李彩、歌子、公園、万橘、小正一、喜よし、圓子

大正4117日 大阪時事新報

◇見えぬあの目 寿々女会の寄席へ朝顔日記の深雪もどきで出頭した須磨数栄、鈴と張つた眼も明き盲目なので、富田屋で百千代といつた頃を偲ぶと可哀さうにもある。従つて琵琶の曲にも悲音が伝へられる。

大正4117日 北国新聞

<三遊亭遊輔一座・金沢一九席

一九席 三遊亭遊輔一座の落語音曲にて今晩より開場、番組左の如し。

 昔はなし(小遊)落語手踊(遊子)清元浮世節(喜代香)落語音曲盆手踊(賤平)時世講談(小伯山)音曲物真似(太郎)滑稽落語(遊輔)諸芸吹寄せ(大一座)

大正4120日 大阪時事新報

<三升家紋右衛門>

◇どんつく奮(はず)む 三友派の三升紋右衛門は紅梅亭の大切を任されたので常磐津のどんつくを出し、小文と喬栄を相方に三人が踊り廻つて居る。比較的狭い高座でも形の乱れぬ処が取柄、さすが振付の門を開いただけの事があると之は贔屓連の肩入話。

大正4122日 九州日報

<桂文左衛門(東京)一座・博多川丈座
川丈座 卅二貫の大男二代目文左衛門一行の東京落語昨日乗込み本日より開演の筈なるが今初日の番組左の如し。

一ト目上り(たぬき)弥次郎(圓三郎)磯あわ(喜圓遊)雪天(圓松)掛萬(小左楽)笑話八人芸(小文福)落語五人廻し(右圓遊)布袋変装踊出世卓(文左衛門)

〈編者註〉七日目の番組左の如し。

美人の顔(たぬき)目玉の小僧(圓三郎)多芋(喜圓遊)素人俥(小左楽)御理与の丸(圓松)梅香の毛(小圓遊)大野玄蓄(文左衛門)(128

大正4126日 大阪時事新報

<桂春団治>

陽気な春団治 三友派の春団治は至つて陽気な高座なので客受が可(い)い。併し落語は何をやつても浮いて居て取止がないけれど愛嬌と面白味がある。第一衣裳を見ても然(そ)うだ、着物でも羽織でも熨斗目以上の大模様をつけ、人見識(ひとみしり)もせず跳廻つているところが可笑しい。

大正4128日 九州日報

<桂文昇一座・博多相生座>

相生座の落語 桂文昇一行音曲落語一座本日の番組左の如し。

道中はなし(鶴二郎)明石名所(都若)東京音曲噺ステテコ(圓花)金の大黒盆の曲踊若圓芝居噺十種(文十郎)かけとり音曲手踊(小文昇)東京人情話忠義の鏡(夏湖)二番目文人踊(鶴二)新作笑話英学と書生笛の曲舞(文昇)大切喜劇若旦那の魂胆(座員総出)

<編者註>文昇一座の番組下記の如し。23日迄。

129

伊勢参り(鶴二郎)こぶ弁慶(都若)かわり目ステテコ(圓花)みかん売曲盆(圓鶴)芝居話座頭殺し(文十郎)やぶれ豆腐音曲(小文昇)義士の裏表(夏湖)鯉船変人踊(鶴二)若旦那と芸妓(文昇)大切喜劇つき馬(総出)

130

伊勢参り手踊(鶴二郎)浪花の土産手踊(都若)雪見酒手踊(圓花)雨の夜並に曲芸(圓鶴)親の心子知らず(文十郎)雪空に予行(小文昇)義士の実談(夏湖)玉手箱手踊(鶴二)新作満韓土産手踊(文昇)大切日本と独逸(座員総出演)

大正4129日 伊勢新聞(津)

<大隈柳丈一座・津泉座

泉座 大隈柳丈一座の東西合併落語手踊開演中。

大正4130 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は二月一日より京都笑福亭一座引越しの落語にて開場する筈。

大正4131日 京都日出新聞

◇笑福亭二月の顔触は 円寿、権助、円の助、芝楽、先太郎、とんぼ、枝雁、円笑、可祝、枝太郎、枝雀、円歌、文之助、福松郎、桃太郎。

大正4131日 神戸新聞

大和座 浪花節より女義太夫定席となりたる同座は来月一日より落語にして昼夜二回開演出演者は左の如し

笑福亭年之助、林家正輔、桂春二、桂春堂、橘家小圓二、桂三升、橘家圓車、笑福亭鶴吉、橘家三蔵、橘家一圓、桂花之助、橘ノ太郎、桂米紫、林家正楽、桂春輔、橘家朝枝、橘家圓三郎、桂小文枝

大正4131日 名古屋新聞

雷門助六一座・名古屋金輝館

金輝館 同館は二月一日より東京落語雷門助六一門一行にて花々しく開演する。

大正4131日 徳島毎日新聞
橘のかほる

天正館 来月一日より五日間落語舞手踊音曲喜劇圓頂派の真打橘のかをる(東家松助出演)徳島落語派大合同木戸無銭にて開演

<編者註>橘のかほる:本名阿部常吉。
この人は芸名をコロコロ改名しており、非常に興味深い噺家である。元々は翫之助②翫之助①東京の噺家で、四代目春風亭柳枝の弟子で小柳三を名乗った。明治三十三年九月に上方に現れ、京都の幾代亭に出勤。芝楽(桂文光)の弟子となり芝雀。その後は、大阪の三友派の席にも出勤していたが、この時は小柳三に戻っていた。再び東京に戻り、明治四十一年五月に、春風亭枝雀より三代目雀家翫之助で真打。しかし再び又上方へ。明治四十一年には、橘ノ圓の圓頂派に参加。明治四十三年の東京での興行時は、圓十郎と名乗っていた。その後は、上方の三友派、大正派と渡り歩き、大正二年七月に、再び神戸の圓一座に加わり、橘のかほると改名。大正四年の四国徳島興行の時に、そのまま徳島に止まり、初音家与二郎と改名して幇間となった。大正五年八月に、再び神戸で噺家復帰。翌年九月には東京の睦会に呼ばれて、再び雀家翫之助で高座に出る。それ以降のこの人の動向は不明であるが、昭和二十一年七月九日十日の二日間、吉本興業主催の名人大会があり、神戸春日野道の藤栄劇場で、橘家太郎、菊春のコンビなどと雀家翫之助の名前がある事からこの頃までは健在であった様である。尚、写真の右は、明治四十一年の枝雀時代(都新聞)、左は大正二年頃の橘ノかほる時代(神戸新聞)の写真。


上方落語史料集成 大正4年(1915)2月

大正421日 大阪毎日新聞

浪花三友派 一日より同派各席へ出演すべき交代連は和洋楽合奏(石村松雨・杵屋いく松・杵屋ふじ枝)、落語音曲(橘の太郎)、筑前琵琶(橘旭春)、三遊亭円遊。

大正421日 大阪時事新報

寿々女会各席は一日より常連幹部の外東京紫紅会長唄杵屋六歌女、同六春一行、東京富士松節富士松嶋之助、英国喜劇ネリーマックス一行を新に加へたりと。

大正421日 朝日新聞京都付録

芦辺館へは一日から久々に文吾が現れ、常盤津の小かつ、喬之助や三升亭紋右衛門が加はつて左の出番順となり、大切余興には若柳流神楽諷(うた)雲井の曲毬、落語所作「どんつく」を演じ、千本長久亭、大宮富士の家をかけ持す。

万平、米の助、染八、文我、遊七、小文、三八、柳昇、小かつ、喬栄、喬の助、染丸、花咲、万光、文吾、紋右衛門。

大正421日 大阪朝日新聞神戸付録

◇ゑんげい 一日から変る各席の顔触れは
◎戎座 圓車、春堂、正輔、都枝、圓三郎、一朝、春輔、小文枝、朝枝、米紫、正楽、扇蔵、ジョンベール
◎都座 扇雀、福圓、枝三郎、福林、圓都、圓水、扇蔵
◎栄館 圓可
[]、扇蔵、福圓、福林、福圓

<編者註>神戸新聞の21日の都座の出番は、上記以外に、南喬、圓弥、圓、小圓左、芝鶴、小四郎、久鶴、團子、さん喬、小南光が出演。

大正421日 北国新聞

<桂三木助一座・金沢一九席

一九席 桂三木助一座の東京落語にて今晩より開場、出番左の如し。

御祝儀(三子)昔ばなし(三太)落語物真似(じん助)落語手踊(三の助)音曲話手踊(三傳次)落語手踊音曲(右朝)落語振り事(小圓次)新古人情実話(圓司)江戸名物曲芸(信太郎)笑話所作事(三木助)大切手踊(楽屋総出)

大正421日 名古屋新聞

<雷門助六一座・名古屋金輝館

金輝館 滑稽音曲芝居噺雷門助六一行本日午後六時開演。舞台大仕掛にて花々しく一座懸命に演ずる由本日出し物は

寿限無(助一)天災(六蔵)馬家火事(寿楽)かわりめ(助三郎)大小皿の曲(曲芸)百面相(福助)剣武術(正幸)節徳(雷蔵)おけさ節(つぎ子、桃子)三番(助六)

大正421日 徳島毎日新聞

<大隈柳玉(柳丈)一座・徳島緑館/橘かほる一座・徳島天正館>

緑館 前景気よく来客の待ちつつある東京大阪合同落語一座はいよいよ今晩より開演。久々の振事なれば好評ならん。 

<編者註>大隈柳玉一座の緑館と橘かほる一座の天正館の番組は下記の通り。

23日 緑館

兵庫船(福輔)かけ万声色(枝女太)清元川社祭手踊(枝女吉)念力景清(梅團冶)音曲話し手踊(小團冶)新講談(浪六)出来心手踊(圓次)寄術手踊り(茂千女)掛合話奥庭(右近左近)一分茶番(柳玉)大切余興所作事(座員総出)

23日 天正館

入込語小倉船(一笑)語舞(小遊)笑語踊(圓二)ひちや蔵音曲手踊(梅枝)語扇千舞(圓之助)歌根問い皿まわし(道楽)舞(小梅)笑語舞布さらし(文蝶)妙見守音曲盆まわし(苦楽)二八浄瑠璃ステテコ踊(山雀)三十石手踊(遊助)三人片輪音曲舞(松助)五月雨茶屋音曲丸橋忠弥木曾節踊(座長橘かほる)はやし織よし師匠切喜劇千石船座員総出

24日 緑館

七度狐(福輔)かつぎや声色(枝女太)清元山姥手踊(枝女吉)軒づけ(梅團冶)音曲話し手踊(小團冶)新講談(浪六)稽古屋盆踊舞(圓次)奇術手踊り(茂千女)掛合話道中八景(右近左近)お美様(柳玉)大切余興所作事(座員総出)

24日 天正館 

東の旅牛かけ(一笑)笑語踊(小遊)浄瑠璃息子舞(圓二)親子酒音曲踊(梅枝)年ほめ扇子舞(圓之助)棒屋布さらしの舞(文蝶)大師巡り皿まわし(道楽)ためし斬り盆の曲(苦楽)節右衛門ステテコ踊(山雀)稲荷車手踊曲芸(遊助)猫久音曲手踊(松助)子宝音曲木曾節踊座長(橘かほる)はやし織芳師匠大切曽我の家喜劇やぶれ三味線

25日 緑館

二人旅(福輔)七段目手踊(枝女多)清元夕立手踊(枝女吉)愛宕山(梅團冶)音曲話踊(小團冶)島田一郎の傳(浪六)斗ほめ手踊(圓次)奇術手踊(茂千女)掛合話木八景(右近左近)食客談(柳玉)大切余興所作事(座員総出)

26日 緑館

東の旅(福輔)道かん声色(枝女多)清元神田祭手踊(枝女吉)初天神(梅團冶)音曲話踊(小團冶)新講談(浪六)あわびのし手踊舞(圓次)奇術手踊(茂千女)掛合話移り(右近左近)うまや火事(柳玉)

27日 緑館

深山隠れ(福助)たらちめ声色(枝女多)清元新曲花手踊(枝女吉)鼻捻じ(梅團冶)音曲話踊(小團冶)日露戦争新講談(浪六)壷舞音曲手踊(圓次)奇術手踊(茂千女)掛合話軽口(右近左近)心学(柳玉)大切所作事(座員総出)

28日 緑館

高宮川(福助)雪天声色(枝女多)清元三千蔵手踊(枝女吉)浄瑠璃稽古(梅團冶)音曲話踊(小團冶)日露戦争(浪六)新町ぞめき音曲手踊舞(圓次)奇術手踊(茂千女)東西八景掛合はなし(右近左近)三圓の虎(柳玉)大切余興所作事(座員総出)

29日 緑館

東の旅(福助)寿限無大声色(枝女多)清元浮世節手踊(枝女吉)笘ケ島(梅團冶)音曲話踊(小團冶)新講談(浪六)のぞき医者手踊(圓次)奇術手踊(茂千女)軽口掛合はなし(右近左近)宮戸川(柳玉)大切余興所作事(座員総出)

大正422日 大阪時事新報

何といふ落語家だつたか記憶せぬが、細君が便所で煮豆の隠し食をしていると、下女も隠し食をしやうと思つて便所に飛込み、細君と顔見合せて、ハイお代りといふ話を聞いた。その落語家が変な目付をして、細君が四下(あたり)を憚りながらムシヤ〳〵食ふ様子などが可なり出た。上手な技巧を有つた人であらう。しかしこんな話はうまくやればやるほど下劣な不愉快な感じを与へて、大阪の談(はなし)は恁(こ)うした浅ましい賎しいものかと、それが骨髄に徹して可厭気(いやけ)がさした。私はこの一つの話の為に多くの落語を犠牲にして顧みぬほど落語嫌ひになつた。(コラム「その日その日」白峯)

大正422日 都新聞

大入寄席案内二月上席(広告)

神田神保町川竹亭 春輔改め小燕枝真打披露会、補助柳枝、左楽、貞山、小勝、今輔外数十名

深川不動前長島館 講談師揚名舎桃季、橘之助、小圓朝、むらく

青山三停留場前改正十日間富岳座 富岳、今輔、志ん生、紫朝、玉輔、枝太郎、射水

日本橋木原店木原亭 柳枝、今輔、さん馬、かしく、小柳枝、左楽、左鶴、丸一、柳橋、和佐之助、枝太郎

京橋銀座一金沢亭 橘之助、小南、圓右、右女助、圓歌、亀次郎、むらく、文蔵、万橘、歌子、公園

両国公園前立花家 圓蔵、圓右、小圓朝、むらく、文蔵、圓橘、小南、圓窓、右女助、李彩、歌子、世芳、糸楽、頼太夫、りう馬

麹町元園町青柳亭 小南、圓蔵、圓窓、遊三、李彩、文蔵、宮蔵、歌吉、梅幸、越寿、小圓蔵、龍三郎、花圓蔵、圓三

人形町通鈴本亭 圓蔵、橘之助、むらく、圓歌、圓窓、文蔵、小南、華玉川、加賀代、亀次郎、右女助、歌子、金三、梅幸、越寿

人形町通末広亭 志ん生、左楽、燕枝、源水、文楽、秋月、小勝、勝次郎、鯉かん、小燕枝、さん馬、和佐之助、米蔵、金坊、銀坊

神田連雀町白梅亭 燕枝、小勝、小燕枝、貞山、小柳枝、勝治郎、米蔵、鯉さん、源水、和佐之助

大正425日 名古屋新聞

金輝館 本日の出し物尼寺つぶし(文馬)おみたて(寿楽)道具屋(助三郎)和歌之神(福助)剣舞(正幸)なけをどり(つき子、もも子)けいこ屋(助六)

大正428日 岐阜日々新聞

<三遊亭金馬一座・岐阜関本座

関本座 八日より東京落語音曲入三遊亭金馬一座番組は左の通り。

昔話(金福)昔話手踊(金棒)浮世節(金八)落語手踊(金遊斎)演芸百種(圓満當十歳)落語曲芸(金勝)音曲落語(翫馬)美百家(市馬)手踊百種(小金馬)

大正4211日 神戸又新日報

<吉原政太郎の独立>

落語騒動謀叛の旗揚げ 
△落語の評判記とは違うが、新開地都座栄館の両落語定席を同一経営の会社組織にしようと流行に冠ぶれて昨年十一月創立された神戸演芸会社は其組織甲斐ありて女義太夫で持ちあぐんだ大和座が本月から俄に落語定席となり、会社付の圓三郎その他の連中が御機嫌を伺っている所から
大いに発展したかの如く思う人があったら大間違い。これには裏の裏をかく面白い興行師の経緯がる。
△事の起こりは去年下旬、其演芸会社の社長荒田角造カッカが備付け帳簿を一ベツした所、福原花家の主人嘉吉へ
毎月何等の名目も付せず金十円ずつ渡されてある。角蔵カッカは不審して
専務役の吉原を呼び、「一体これは何ですか。給料として支払うべきものなら、給料と書いて貰いたい。」と一本決め付け社長振りを発揮すると、吉原は頗る不機嫌。一寸立腹の体でフフンと鼻先に受け止めた切りだった。
△所がいよいよ二月興行の準備に入ると
福圓、圓都他四五名の他、圓三郎、正楽、春輔、小文枝その他重立った連中が出場を拒絶するのみか、専務の吉原が辞表を提出して、この出場拒絶の連中を引抜き、いきなり大和座へ陣をかまえたのに驚いた角蔵カッカ、早速応急手段として京都大阪に走ったが、時すでに吉原が奈良丸からお金を引出して目星しい芸人をみんな活ってしまった跡。
△とにかく残った連中で蓋を開けたものの客は皆大和座へ持っていかれるので、この間加藤
□□役員連中相談して居ると、前記の花家主人の嘉吉が次の間に居たので顔見知り一人が挨拶の為、呼び込んで盃を献すとドカドカ入って来た荒くれ者十八名。同じ一座の嘉吉ばかり呼んでオレ達には挨拶ができぬのかとドエライ剣幕で座り込んだから
役員連中その場を逃げ出し、さては吉原のまわし者だったかと驚いた。
△吉原と嘉吉との間に特種の関係がある所から
十円と云うものが出て居るとかで、この十円を抹消されるような事があっては吉原の立場が無くなる為、右の辞表提出についで鼻明しの大和座で反旗を翻したわけ、会社に発展したんでも何でもない事右の通り

<編者註>吉原政太郎:明治15年~?。神戸出身。関西屈指の興行家にて創業以来三十年余年を棋界に没頭し、その経営の才には、非凡な迫力を有し、遠くは東京方面より名古屋京都大阪と各都市に連なる一大興行網は、密接なる連絡の下に統制せられ一絲乱れぬ陣容が整備されている。すなわち、先づ関西に雄を唱ふる一団といわれている次第だ。「兵庫県人名名鑑」 昭和十一年発行

大正4211日 香川新報(高松)

<戎座が大和座と改名>

座名改称と小圓 當市内町の戎座は今回「大和座」と改称し、既記の如く愈々来る十四日より京山小圓の浪花節にて開場すと。

大正4213日 香川新報
<大隈柳丈一座・高松常盤館

常盤館 当兵庫町の同館にて舊元日より大隈柳丈一座の落語音曲手踊等諸芸にて蓋開きの由。

<編者註>大隈柳丈一座の番組、下記の通り。

218

深山かくれ(福輔)五人廻声色(枝女多)新講談(浪六)掛合話七段目(左近右近)清元三千年(枝女吉)音曲話手踊(小團次)胴とり(梅團冶)寄術(茂子嬢)くしゃみ講釈手踊(團次)江島屋(柳丈)大切余興(一座総出)

219

高宮川(福輔)一と目上がり(枝女太)新講談(浪六)清元喜撰(枝女吉)音曲話手踊(小團冶)景清(梅團冶)奇術(茂子嬢)借家怪談(圓次)小言幸兵衛(柳丈)大切喜劇(一座総出)

220

七度狐(福輔)百々川(枝女太)新講談(浪六)清元保名(枝女吉)音曲話手踊(小團冶)奇術(茂子嬢)仕込の大筒(梅團冶)番部屋手踊(團次)粗忽の使者(柳丈)大切喜劇(一座総出)

大正4213日 九州日報(博多)

<金原亭馬生一座・博多川丈座
川丈座 金原亭馬生一行の東京落語昨晩より開演したるが中券贔屓連の団体入場などありて景気好し今二日目の番組左の如し

酒の勢い(小柳太)七度狐(笑三)七段目(新蔵)夢金(馬琴)胴取り(福次)広瀬中佐(愛子)家の圓満(左鶴)錦ふんどし(歌六)西行法師(圓坊)御神酒徳利(馬生)

大正4214 大阪時事新報

<三遊亭円子>

浮気は之から 糟糠の女房に死に別れた落語家の円子、毎朝大宝湯の朝風呂で七ツ道具のキツイやつし方、もう代りを貰つたかと尋ねると「当分は無妻でこれからボチ〳〵浮気でも‥‥」と芸人に齡なしとはこゝの事か。

大正4215日 山陽新報(岡山)

<桂三木助一座・岡山大福座>
大福座 十四日初日にて東京落語桂三木助一座出演。顔触左の如し。

桂三太、同ごん助、同三傳冶、三遊亭右朝、桂三の助、三遊亭圓司、同小圓冶、桂三木助、吾妻信太郎

〈編者註〉五日目番組は以下の通り。

落語手踊(桂三太)高尾物真似(桂ざん勝)音曲(桂左傳冶)むしつ物真似(桂三の助)やかん音曲(三遊亭右朝)道具屋手踊(三遊亭小圓冶)尾上多見十郎(同圓司)曲芸一ツまり(吾妻信太郎)ぬけ雀舞踊(桂三木助)かつぽれ(楽屋総出)(218

大正4216日 都新聞

大入寄席案内(二月下席)広告

神田連雀町川竹亭 圓右、伯鶴、橘之助、圓歌、圓窓、歌子、りう馬、亀次郎、三木助、忠一、新朝、萬橘

神田須田町際立花亭 圓右、遊三、橘之助、若燕、むらく、圓歌、花橘、美蝶、歌子、遊福、朝次、亀次郎、圓窓、福圓遊

浅草並木亭 遊三、橘之助、圓歌、萬橘、歌子、むらく、りう馬、花橘、亀三郎、圓窓

日本橋木原店木原店 むらく、橘之助、李彩、三木助、圓左、小遊三、花橘、美蝶、新朝

深川三ツ木亭 柳枝、左楽、燕路、助六、今輔、柳橋、乙女、小柳枝、枝太郎、ジョンベール、筑前博多節森春峰

人形町末広亭 圓歌、りう馬、圓右、圓窓、遊三、朝冶、右女助、小正一、歌子、萬橘、亀次郎、花橘、小遊三、むらく、大切喜劇

大正4219日 大阪時事新報

日曜は幹部連 三友派の紅梅亭が此前の日曜日に十二箇月に縁故のある落語を集めて大入を占めたので、廿一日の日曜日には円馬、文三、文団治、円遊以下の大幹部を蒐め、各自の十八番物を饒舌らせて見たら屹度興味が多からう。難なく承諾させたそうな、落語界の為め振へ〳〵。

上方落語史料集成 大正4年(1915)3月

大正431日 大阪時事新報

◇浪花三友派は一日より朝鮮帰りの馬生、英国人ジヨンベール、新しき女本庄幽蘭女史を加ふ。

大正431日 神戸新聞

栄館 本日よりの出演者左の如し

圓七、團幸、圓弥、鶴吉、春堂、正輔、文鶴、枝三郎、市馬、三升、柳昇、圓三郎、春輔、圓都、松琴、圓枝、福林、菊團冶、文都

大正431日 都新聞

大入寄席案内三月上席(広告)

両国公園前立花家 加賀太夫、圓蔵、金三、小南、公園、文蔵、歌吉、圓窓、越寿、梅幸

麹町元園町青柳亭 燕枝、小勝、さん馬、鯉かん、政次郎、米蔵、三好、梅枝、濱幸、楽丸、富楽、左鶴、楓枝、小文三

青山三丁目富岳座 さん馬、小燕枝、燕枝、小文三、楽丸、三好、玉輔、富美の助、米蔵、鯉かん、文楽

大正431日 満州日々新聞(大連)
<紀伊国家文左衛門一座・大連花月席

花月席 豚なら好い値のする体量三十二貫の大兵落語家紀国家文左衛門乗込み二日初日の演題左の通り。落語一ト上り(三遊亭たぬき)落語五人廻し手踊(三遊亭圓三郎)落語熊の皮手踊(桂市兵衛)新内明烏浮世節(鶴賀新之助)落語磯あわび手踊(三遊亭喜圓遊)落語雪天曲芸(三遊亭圓松)落語高砂屋八人芸(紀伊国家文福)人情噺野晒し(三遊亭右圓遊)落語花見敵討手踊(柳亭小左楽)天下一品三十二貫目生戎(紀伊国家文左衛門)故紀伊国家文左衛門の傳七福人三面変装踊(文左衛門)都はやし(紀文連)

大正432日 九州日報(博多)

<三遊亭円遊一座・博多川丈座

川丈座 東京落語三遊亭圓遊一行本日午後六時より開演の筈にて番組左の如し。

音曲ばなし(清遊)芝居の穴(圓福)安産(遊鶴)寝床(春楽)御血脈(圓満)御汁粉(遊休)音曲落語(福楽)動物の物真似並に阿保蛇羅経(遊玉)富士松新内稲川内(仲助、綱太夫)剣舞並に舞(一馬)成田小僧(圓遊)

大正433日 神戸新聞

都座 落語定席の都座は本日より上村源之丞の人形入女義太夫、芸題は忠臣蔵

大正433日 北国新聞(金沢)

<三遊亭金馬一座・金沢一九席
一九席 昔噺(金福)昔噺手踊(金棒)常磐津(金冶)浮世節(金八)落語物真似(金遊斎)演芸百種(金勝)音曲落語(かん馬)三人掛合(金札勝)落語手踊(扇蔵)音曲落語(金時)手踊百種(小金馬)音曲(市馬)人情落語(金馬)御座敷喜劇(総出)

大正434日 大阪時事新報

◇度胸許りでは 紅梅亭の高座に一日から現はれた本庄幽蘭は胸の辺りをピカと光らした洋装に新講談ともいつた人情噺を立身になつて饒舌て居るが、いくら度胸が好くても話題に上る人物を一々髣髴せしむるには当人には分らぬ大汗といふこと、精々勉強さつし。

大正434日 山陽新報(岡山)

<大阪反対派一座・岡山大福座>

大福座 七日目の番組左の如し。

落語地獄八景亡者の戯れ(貞若)浄瑠璃恋飛脚(市若)落語池田の猪買い(枝右エ門)落語か津喜や舞(右近)一ツ鞠の曲並に紙立て(助次郎)落語鰍ケ澤音曲(柏枝)女道楽並に舞(福奴、福助)笑話動物園滑稽琵琶(三尺坊)美術紙切り(伯糸)人情噺喜撰小僧(圓好)

<編者註>反対派の一座の番組は、下記の通り。

35

落語天狗の酒盛り(貞若)浄瑠璃先代萩御殿(市若)落語女房ケ島浪花節(枝右エ門)落語空気洋橙舞(右近)鞠の曲並に紙立て(助次郎)落語王子の狐音曲(柏枝)女道楽並に舞(福奴、福助)笑話求人広告琵琶(三尺坊)美術紙切り(伯糸)人情噺夢金(圓好)

37

落語宿屋仇(貞若)浄瑠璃三十三軒堂(市若)落語浮世根問浪花節(枝右エ門)落語磯の鮑舞(右近)一ツ鞠並に紙立て(助次郎)落語夢金音曲(柏枝)掛合唄振り事(福奴、福助)笑話快男児琵琶(三尺坊)美術問題紙切り(伯糸)落語鬼は外(圓好)

39

落語風の神(貞若)浄瑠璃日蓮記(市若)落語弥次郎(枝右エ門)落語転宅(右近)一ツ鞠の曲(助次郎)落語鍬盗人(柏枝)笑話島田一郎琵琶(三尺坊)美術問題紙切り(伯糸)人情噺畜生塚(圓好)

大正436日 満州日々新聞(大連)

<紀伊国家文左衛門一座・大連花月席
楽屋の大向 今度花月席へ出た桂文左衛門は紀国家文左衛門とも云って本物の紀国家文左衛門の傳を読むのが大得意だが大兵肥満の男で三十二貫の生戎として芸界に名を知られて居る。その布袋踊や大黒踊は見物である。席主の天神髭も大男なので文左衛門と意気相投合し肥満会というのを起し体量二十貫以上のお客を会員として無料入場の特典を設けたなど天神髭も中々軍師である。

花月席(六日) 落語磯あわび百面相(たぬき)落語道具屋(圓三郎)落語稽古屋手踊(市兵衛)新内浮世節(新之助)落語狸おい手踊(喜圓遊)落語お文様曲芸(圓松)落語さざ浪丁稚八人芸(小文福)人情噺野晒(右圓遊)落語掛取手踊(小左楽)三十二貫生戎、紀国屋文左衛門伝、七福神三面変装踊(文左衛門)都はやし(紀文連)

大正437日 満州日々新聞

<大連花月席を覗く>
花月席の布袋 五日の夜花月席を覗いた。江戸趣味を紹介する大連唯一の寄席だが、関西の人が多い為かこれ迄あまり受けたことはすくなかったようであるが、今度の紀国家文左衛門一座は景気が好さそうで二日目だが六分の入りで盛んに笑わせて居た。三遊亭たぬきからきいたが、新之助の新内から小文福、喜圓遊、小左楽など替り合ってのお目通りで、落語で手踊で他愛も無く時を移す中に客は都の思い出に色々の感想が浮かぶかのよう。その話は聴き古したといったような顔をして居る人も絶えず耳を動かして居た。紀の国家文左衛門と申す大入道がホッと笑って女の声色をやる所「落語家に年齢はありませぬ」という他愛のなきものにて、故紀の国家文左衛門の伝をタップリな声量で話すのには心地が好い。最後にこの三十貫もあるという文左衛門が七福神の内三面変装踊を演じ彼がいう如く絵で見る布袋に寸法異わぬ。果ててから春の夜を帰る客の或人に彼が日清戦争当時、盃洗で数杯の酒を安々と呑み乾し人事不省となり其後酒を絶ったなど大きな声で語って居った。(凹凸生)

花月席(七日) 落語道灌(たぬき)落語無筆(圓三郎)新内浮世節(新之助)落語松竹梅物まね(小文福)落語文七元結手踊(喜圓遊)落語妾馬手品(圓松)落語小言幸兵衛(右圓遊)子別れ手踊舞(小左楽)紀文丸山本願寺大火布袋踊七福神(文左衛門)

<編者註>三遊亭圓松のネタは、3/8「士族車」、3/9「お花半七」、3/11「無学者指影絵」、3/12「宮戸川問答」、3/13「錦の都」、3/14「お血脈一口問答」、3/15「一人茶番指影絵」、3/17「百助の茶代曲芸」、3/19「蛸坊主」、3/20「金玉医者」、3/21「夢金」、3/22「文違い」

大正438日 大阪時事新報

<桂春団治>

◇お聴客と競争 三友派で春団次が、高座に上つてから噺の種に行詰ると、予て薬籠に入れてある鰻掴みの滑稽物を手真似身振りを搗交ぜの頓狂声、額に汗して饒舌りまくると、多くの聴衆も何様春団次の鰻掴みは莫迦に可笑しいと腹を抱へて倒れんばかり。そこで春団次屹と眼を据ゑ、私が饒舌つて倒れるか、お客さんが可笑さのあまり倒れるか、何も因縁づく、一つ競争しまほうかいと飽迄も大車輪。

大正4311日 大阪時事新報

<桂小米>

◇大いに当て違ひ 鹿の小米が紅梅亭で役者の声色を遣つて楽屋に下りると、向(むかい)の二鶴鮓からお座敷といふので駈込んで見ると、去るお茶屋の後家さん、是はてつきり徳三郎か我童の声色が好の御贔屓に違ひなし、先づ安く積つても三円助の御祝儀と、話の中に徳や我の声色を混たりしても一向喜ばぬも理(ことわり)、右団治が先祖代々の贔屓と判つてハヽア左様で。

大正4311日 香川新報(高松)

<大阪反対派一座・高松常盤館>

常盤館 二日目の番組、左の如し。座員多人数故開場時間五時より。

落語播州名所並に音曲(桂貞吉)浄瑠璃又助住家の段(竹木市若)落語七度狐尼寺潰し(桂枝右衛門)落語腹綿医者並に舞(立花家右近)火煙ばち並に傘立て(春本助次郎)落語子別れ即席噺音曲(桂柏枝)女道楽掛合唄(松葉家福奴、桐の家福助)笑話奇傑桜州並に滑稽琵琶(壇の浦三尺坊)美術問題紙切り(巴家伯糸)人情噺穴探し(立花家圓好)大切余興(楽屋総出)

<編者註>反対派の番組、下記の通り。

314

落語天狗酒盛り並に音曲(桂貞吉)浄瑠璃先代御殿(竹本市若)落語女房カ島並に浪花節(桂枝右衛門)落語空気洋燈並に扇舞(立花家右近)水菓子の曲並に紙立て(春本助次郎)落語錦名竹並に音曲即席御題噺(桂柏枝)掛合唄振り事並に扇舞(松葉家福奴、桐の家福助)笑話求婚広告並に滑稽琵琶(壇の浦三尺坊)美術問題紙切り(巴家伯糸)人情噺夢金(立花家圓好)大切余興楽屋総出御題噺墨付け。

317

落語これこれ博打並に音曲(桂貞吉)浄瑠璃朝顔日記宿屋の段(竹本市若)落語鳥屋坊主並に浪花節(桂枝右衛門)落語磯の鮑並に扇舞手踊(立花家右近)一ツ鞠の曲並に水菓子の曲(春本助次郎)落語王子の狐並に音曲即席噺(桂柏枝)笑話快男子並に滑稽琵琶(壇の浦三尺坊)美術問題紙切り(巴家伯糸)人情噺西行旅並に手踊(立花家圓好)大切余興楽屋総出喜劇。

大正4312日 大阪時事新報

◇幽蘭女史消る 本庄幽蘭は楽天地から紅梅亭を駈持で勤める筈で卅日間の給金を前借して紅梅亭へ出たものゝ、僅か八日限でドロ〳〵は強い。

大正4312日 都新聞

<三遊亭金馬一座>
三遊亭金馬 金沢新町一九亭は十五日迄勤め十七日から名古屋へ四月一日から甲府三日町へ

大正4318日 大阪時事新報

<春団治、六甲山に雲隠れ>

◇鹿六甲へ行く 鹿の春団次は頓狂な声を旺(さかん)に振り廻して見台を叩き倒す容子が私好やしと新町京屋の芸妓が呼出をかけたので、春団次夢中になつて市内の席貸は人目が煩いからと六甲山に雲隠れして寄席を欠勤するといふ始末。芸妓の家形では足抜に違ひないと追手を出しているさうだが、斯と聞いた鹿連、何もそんなに騒ぐ事はない、薮の中へ入つた猫と鹿だから食代がなくなつたら厭でも応でも出て来るさと暢気なもの。

大正4319日 京都日出新聞

◇京都倶楽部余興 二十日午後六時半始めにて本月の例会を開く番組左の如し。

 落語(松井)、落語(加藤)、手品(辻本)、講談黄門記(山崎)、落語安波太郎茶屋遊び(辻村)、俄沼津
 (奥村・岡本・前田・水谷)

大正4320日 大阪時事新報

<船遊亭しん橋>

◇苦心も水の泡 三友派に出て居るしん橋はこの一月一日から一年間決して高座で同じ話をせぬ、うんと調べて毎晩変つた物を一席宛演つて見せると素晴らしい意気込みで、且つ苦心もして居るさうだが、一向お客の方に反応がないのでガッカリ、お客がこの有様だから落語の衰微も当然だ。

大正4324日 名古屋新聞

朝寝坊むらく
朝寝坊むらく来る 東京落語界の人気者なる三遊亭の幹部朝寝坊むらくは今回清国人華玉川、おきな、のらく、瀧之助外十数名の大連を引連れ明二十五日より金輝館に於て花々しく開演する由

大正4325日 名古屋新聞

<朝寝坊むらく一座・名古屋金輝館>

金輝館 今晩の番組 道灌(多好)天しき(蝶生)百年目(蝶太郎)無筆(芝三郎)節徳(しらく)手品(瀧之助)子別れ(おきな)宮戸川(のらく)音曲手踊(華玉川)教育落語槍錆振事(むらく)大切深川踊(総出)

<編者註>朝寝坊むらく一座の番組下記の通り。

326

一目上り(夢好)四の字嫌い(蝶生)七段目(蝶太郎)いそあわ(芝三郎)夢金(しらく)奇術(瀧之助)妾馬(おきな)そこつ長屋(のらく)音曲手踊(華玉川)所作事(むらく)大切総出

327

たらちめ(蝶生)雪天(蝶太郎)芝居の穴(芝三郎)花見小僧(しらく)高砂や(おきな)音曲話し(のらく)奇術(瀧之助)音曲手踊(華玉川)文七元結所作事(むらく)

329

かわりめ(蝶生)かんじょう板(蝶太郎)芝居噺(芝三郎)手品(瀧之助)やかん(しらく)音曲手踊(華玉川)小言幸兵衛(おきな)こしょ浄瑠璃(のらく)新作落語(むらく)

330

小便徳利(蝶生)浮世床(蝶太郎)芝居噺(芝三郎)手品(瀧之助)芋俵(しらく)音曲手踊(華玉川)品川心中(おきな)音曲話(のらく)新作落語(むらく)

331

むらく独演会 妾馬(蝶生)子別れ上下、三十石、余興、稽古屋、手踊り番外余興音曲手踊(華玉川)

大正4327日 京都日出新聞

<林家染丸>

◇芦辺館染丸の「野猿廻し」は情味があつて猿を遣ふ手付や唄の節廻しなぞ少しの暇(すき)もない。予は二回同人の野猿廻しを聞いたが何れも同じ行き方で染丸十八番の随一であらう。さるとは巧いもの…しかし折々は唄をかへるも妙であらう。(投書・蜩鳩)

大正4年3月27日 九州日報

<桂三木助一座・博多川丈座>

川丈座 東京落語桂三木助一行は既報の如く今二十七日花々しき町廻りの上開場の筈なり。今初日の番組左の如し。

神の賑い(三太)弥次郎(権助)猫久(三傳次)法華茶屋(三の助)三人女郎買(右朝、梅八)江戸名物曲芸(信太郎)捨丸(圓司)改良ぜんざい(淀助)抜け雀(三木助)

<編者註>三木助一座の番組下記の通り。

3月28日

播州巡り(三太)お七の十(三傳次)成田小僧(ごん助)そこつ長屋(三之助)花見酒(右朝、梅八)江戸一流曲芸(信太郎)紺屋高尾(圓司)花車並に文人踊(淀助)三十石並に舞(三木助)

3月29日

お宮参り(ごん助)花神楽(三傳次)千葉けんか(三之助)たらちね(右朝)あわ餅(梅八)曲芸(信太郎)明治の仇討(圓司)凱旋(淀助)関の春風(三木助)

3月30日

夕涼(ごん助)手紙違い(三傳次)はらんだ(三之助)三人片輪(右朝、梅八)曲芸(信太郎)左小刀(團司)蛇含草(淀助)萬両(三木助)

3月31日

高宮川(三太)千早振る(ごん助)廓の光音曲(三傳次)按摩提灯音曲手踊(三久助)舞数番音曲梅八掛合(右朝)曲芸(信太郎)名残り徳利(圓司)ハイカラ娘文人踊(淀助)立切舞手踊(三木助)

4月1日

東の旅(三太)八百屋お七(ごん助)高砂屋(三傳冶)二人癖(三之助)掛合音曲(右朝、梅八)曲芸(信太郎)鍬潟(圓司)支那玉文人踊(淀助)利正並に舞手踊(三木助)

4月2日

旅の話(三太)三人癖(ごん太)磯あわび(三傳次)替り目(三之助)西行(右朝)曲芸(信太郎)文七元結(圓司)正月小僧(淀助)お文様(三木助)

4月3日

小倉船(三太)一分茶番(ごん助)花見小僧(三傳次)芝濱(三之助)三人掛取(右朝)曲芸(信太郎)尾上多見十郎(圓司)親子酒(淀助)尻餅(三木助)

4月4日(千秋楽)

小倉船(三太)蛭(ひる)茶番(ごん助)三人尼買(三之助)転宅(三傳次)四の字嫌い(右朝)曲芸(信太郎)山雀(圓司)景清(淀助)紙屑屋(三木助)

大正4328日 北国新聞

一九席 素人落語家連の春季試演会

新落語手踊(花圓朝)落語(正遊)昔噺手踊(多度之助)落語掛合踊(金朝)落語手踊(我笑)噺扇の舞(外茂奴)音曲噺手踊(藤花)噺踊(千鳥)滑稽落語(駒遊)振り事(都茂春)落語(圓枝)扇舞手踊(いな子)音曲噺手踊(仙太郎)人情落語(霞)大切喜劇(楽屋総出)

大正4329日・4125日 徳島毎日新聞

<橘ノ円(円頂派)一座・徳島緑館>

緑館 久しく休演中なしり同館は来る三十一日よりお馴染の落語家圓頂派将圓二郎圓天坊を初め橘与二郎加入の大一座を招き開演する事に決定せり其顔触左の如し。

大阪落語(橘家圓六)大阪落語(橘家小圓二)大阪落語(橘家圓子)軽口掛合(橘家二郎、天坊)曲芸落語(橘家圓之助)落語手踊(橘家圓三)落語手踊碁盤踊(橘家圓二郎)大阪落語(橘家圓天坊)落語音曲手踊(十歳橘家小圓丸)歌舞笑話百種(橘の圓)臨時出演(おなじみ橘ノかおる事初音家与二郎)大切余興所作事(楽屋総出)(329

緑館 久々振に開演せる橘の圓一行十三名の大一座は既報の如く昨夜より開演せり。(41

緑館 初日以来大入の盛況を呈し居る橘の圓落語一行今晩の番組左の如し。

御祝儀宝の入船(圓六)小倉船(小圓)饅頭喰い(圓子)本町綱五郎(軽口掛合)歌根問手踊(圓三)マクラ積曲芸(圓之助)ドショー念仏(圓丸)紙屑や手踊(圓二郎)利は元にあり(圓天坊)小噺音曲踊(小圓丸)鹿政談手踊(圓)大切余興所作事(楽屋総出)(42

緑館 予て評判の落語橘の圓一行は非常の人気にて連夜盛況を呈し居れるが今晩の番組左の如し。

宝の入船(圓六)煮売屋(圓子)遊さん船(小圓)新町橋黒舟忠右衛門(かる口)傘曲芸(圓之助)雪天(圓三)よこねいしや(圓丸)辻占茶屋(圓二郎)盗人のアイサツ(圓天坊)音曲手踊(小圓丸)松曳手踊(圓)大切喜劇(楽屋総出)(45

大正4331日 朝日新聞京都付録

◇笑福亭へは一日から小円佐、円輔、枝雀新顔見えて左の出番順となる。

 円寿、円之助、芝楽、先太郎、小円佐、福円、福松郎、枝雁、福林、円笑、可祝、枝雀、円輔、枝太郎、円
 歌、桃太郎、文之助。

上方落語史料集成 大正4年(1915)4月

大正441日 京都日出新聞

◇芦辺館は本月新たに馬生と音曲噺の三猿とが加はり紅梅館の掛持するが、出番順は万平、吉之助、万十、染八、遊七、小南光、金之助、花橘、三猿、花咲、文吾、柳昇、染丸、馬生。

大正441日 大阪時事新報

<曽呂利と懐中時計>

◇浪花落語界の親玉曽呂利新左衛門、ではなかつた漁仙画翁が懐中時計を持つて居ないからといつて別に大した問題でもない。問題になるのは其持たぬといふ理由である。それはセンセイが未だ新左衛門といふ芸名で張扇と拍子木の使ひ分けをして居た頃の事である。堀江の賑栄館[賑江亭]で真打を勤めて例の手振おかしく「不性猫」か何かを喋舌つて居ると、突然臨検の査公が「オイ親父」と桟敷から声をかけた。褒めるにしては妙だナと思ひながら「ヘイ」と顔を向けると、「モウ十一時の刻限が来たではないか、夫れにマダ喋舌り立てるとは何事だアーン」と威丈高になつた。そこで新左衛門銀側の両蓋をパチリと開て見ると、十一時にはマダ十分前だ。で「まだ十分前です」といふと、「馬鹿を云へ此通りだ」とニツケルの時計を目の先へ突付けた。見ると定刻を過ぐる事僅に五分。腑に落ぬとは思ひながら客の手前云ひ合ひも妙でなしと其侭打出したが、査公は兎も角も違反といふので最寄の交番所へチヨツト来いと同行を求めた。道々査公の時計の進んでる事を申立てたが頑として聞き入れぬ。其内交番へ着いた。「オイ君之は違反だからネ」と立番をしている査公へ新左衛門を引渡すと、立番査公は「何の違反だ」といふ。新左衛門はこれ〳〵でと申立て「私の時計は此通りまだ五分前です」とパチリ開けて差出すと、これはしたり、交番所の時計と一秒も違はぬ十時五十五分。「オイ君、交番の時計とピッタリ合つてるぜ、君の時計が狂つて居る、直し給へ」と立番査公が口を出したので、鼠を捕つた猫といふ格で厳然と控へた先の査公は鼻ピツシヤリ、「あゝさうか、夫れでも違反にならんで可かつた、モウ帰れ」と権柄に突き放す。此処置が心根に徹して以来新左衛門は妙に時計に反抗して一切持たぬ事にしたのだとは何だくだらない。

大正441日 都新聞

大入寄席案内四月上席
○川竹亭(柳連合競演會) 主任燕枝、政治郎、文楽、三好、勝治郎、さん子、金銀坊、紫朝、小勝、小燕枝、さん馬、石村松雨、石村松翠
○末広亭 燕枝、左楽、志ん生、小勝、馬生、今輔、さん馬、金坊、銀坊、鶴枝、小柳枝、三好、石村
○白梅亭 圓蔵、圓橘、小南、李彩、橘之助、越寿、梅幸、公園、文蔵、右女助
○並木亭 貞山、左楽、秋月、柳枝、馬生、和佐之助、かしく、鯉かん、枝太郎、米蔵
○立花家 圓右、橘之助、小南、長唄囃子三国連、右女助、圓橘、文蔵、遊三、歌子、李彩
○鈴本亭(有名
) 加賀太夫、圓右、橘之助、圓蔵、李彩、貞山、小南、右女助、文蔵、越寿、丸一連
○金沢亭 橘之助、左楽、今輔、馬生、芦洲、小燕枝、勝次郎、かしく、小柳枝
○立花亭 小さん、伯山、つばめ、素行、馬生、紫朝、小勝、さん子、小三冶、鶴枝、玉輔、助平、柳一
○青柳亭 圓蔵、小圓朝、圓幸、加賀太夫、文蔵、貞丈、越寿、梅幸、丸一連、歌吉
○富岳座 可楽、玉輔、文楽、貞吉、さん馬
○若竹亭 伯鶴、小さん、つば女、今輔
○三よし亭 志ん生、勝治郎、小勝
○新富亭 小圓蔵、圓三、萬橘、金三

大正442日 大阪朝日新聞

<延命館が三友派に加入>

◇浪花三友派落語 浪花三友派組合席に四月興行より上福島延命館も加入する事となり、各席演芸者は従前の外に橘家円太郎、桂文治郎、同小文三、引続き音曲ジヨンベール、浄瑠璃竹本君子も出演す。

大正441115日 奈良新聞

<橘ノ円(円頂派)一座・奈良尾花座>

尾花座 圓頂派本部橘圓の大一座乗込み、明十二日より昔噺、音曲、手踊、曲芸、大切には楽屋連中総出の余興などを開演する由にて、入場料は特等金二十五銭、一等金十五銭、二等金十銭なりと。(411

尾花座五日目 尾花座に於ける橘家一座の落語は近来見ざる上手揃いとて、開演以来人気を呼び、観客の腹の皮をよらせ、最後の喜劇また面白し。入場料は特等二十五銭、一等十五銭、二等十銭なりと五日目の芸題左の如し。

伊勢参宮神の賑い(小圓)三人旅うかれの尼買(圓子)軽口本町總五屋(二郎、天坊)まくらづし曲芸盆の手踊(圓之助)金命竹(圓三)百人一首竹琴曲打(圓丸)浮れの掛取碁盤の手踊(圓二郎)崇徳院(圓天坊)たん医者桃太郎手踊(小圓丸)芝濱老松手踊(圓)大切喜劇勧進帳(楽屋総出)(415 

大正4414日 中国新聞(広島)

<三遊亭右円遊一座・広島大黒座

大黒座は落語音曲三遊亭右圓遊本日初日。

大正4415日 朝日新聞京都付録

笑福亭は十五日から円寿、円之助、先太郎、小円佐、桃太郎、ひさご、福林、枝雁、円笑、福松郎、枝雀、円輔、福円、円歌、枝太郎、可祝、文之助等の出番順となり。

大正4418日 神戸新聞

七福神の顔触れ 今日七福神に化けて市内を駆け廻り読者のために宝の雨を降らそうとする落語家七人組の顔触れは即ちこれ。又自動車上の二福神はハンドルを把った大黒天が春輔。戎さんが圓三郎。向かって右より前列圓三郎、春輔、文我、萬光、圓都、小米、松琴

<編者註>下記の写真は、神戸新聞より。

左前より圓三郎、春輔、文我、万光。左後より圓都、松琴、小米。

神戸の落語家大正4年

大正4420日 京都日出新聞

◇万号記念読者投書家懇親会 発起人村上信一郎 …四月十八日の発行記念日を卜して…丸太町川端東入樹之枝迎賓館へ来参…芦辺館小南光氏の落語「無筆」及び同花橘氏の落語「近江八景」ありて、例に依り会衆をして臍の西国をなさしめぬ…。

大正4421日 大阪時事新報

<春団治の駆落ち騒ぎ>

◇駈落浮かれ鹿 いつ迄も不了簡な春団治 持前の反歯とガラッ八な調子で久しくお愛嬌を売つている浪花三友派の春団治と申しまする妙な男、高座以外の滑稽も度々あつて、或時は流した羽織がめぐり廻つて真向ひの古着屋の軒にぶら下つて「お師匠はんの羽織りだすさかい滅多に他所へ売りまへん」と脅かされたり。こちらは至極罪の無いところのお笑ひでしたが、あれが娑婆つ気満々とありまして、過ぐる年には蔵之助一派と三友派を脱走し、一時は独身と名乗つて寿々女会へ出て見ましたが、古巣恋しく帰参して間もない此頃、南地京屋の愛香とやらんいふ芸妓と深くなり、スッカリ色男気取に収まつて仕舞ひ、女も蓼喰ふ虫のあの反歯振りのなみ〳〵ならぬところに打込んで、揚句の果ては徳島へ駈落と洒落込んで大悶着の末、男も女も引戻されましたが、この落着は付かず、結句、女は朝鮮へ仕替へに赴くことになつて目下話の最中。それまでは春団治閉門、謹慎の意を表すべしとあつて席の方へは顔出しがならぬ。身から出た錆はよく〳〵呑気な男、不了簡な男、高座のネタの実演も好い加減にして置くが好いでせう。

大正4421日 都新聞

大入寄席案内四月下席(広告)

長島館 橘之助、小圓朝、小南、遊三、りう馬、李彩、長唄連、義太夫頼太夫

鈴本亭 圓蔵、圓右、小圓朝、亀次郎、右女助、橘之助、圓歌、金三、歌子、小南、小正一、万橘、公園

大正4422日 九州日報(博多)

<三遊亭円遊一座・博多川丈座

川丈座 圓遊一行の落語本日より開演。演芸番組左の如し

音曲話(清遊)清元浮世節(小糸)八笑人滑稽浄瑠璃(圓福)田能久立物(遊鶴)甲府へ手踊(春楽)片棒(圓満)滑稽物真似(遊玉)六代目手踊(遊林)音曲話(福楽)剣舞と振事(一馬)吟声(武正)悋気の独楽(圓遊)

大正4424日 中国新聞(広島)

<桂文昇一座・広島柳座>

柳座は今二十八日より桂文昇一行の落語音曲手踊にて開場。

大正4431日 京都日出新聞

◇笑福亭はお馴染連の外一日より初御目見得として吾妻節音曲の桂家団朝、落語の三遊亭小円、大阪の桂枝雀がお目通りをする。

上方落語史料集成 大正4年(1915)5月

大正451日 都新聞

大入寄席案内五月上席(広告)

神田白梅亭 圓右、小南、小圓朝、圓蔵、金三、歌子、遊三、圓歌、右女助、亀次郎

京橋際金沢亭 圓右、圓歌、むらく、桃李、小南、歌子、金三、文蔵、公園、印度人奇術ボイサブジヨモル、アーアクバー

浅草雷門並木亭 今輔、柳枝、さん馬、小柳枝、小勝、和佐之助、丸一連、枝太郎、印度人奇術

神田須田町際立花亭 貞山、小さん、つば女、馬生、紫朝、今輔、鶴枝、小三冶、さん子、妻吉、印度人曲芸

両国公園前立花家 燕枝、蘆洲、今輔、紫朝、三好、馬生、左楽、小燕枝、玉輔、さん子、小柳枝、秋月、金坊、銀坊、鶴枝、印度人曲芸

人形町通末広亭 圓右、圓蔵、むらく、圓歌、金三、公園、小南、小圓朝、朝冶、歌子、右女助、李彩、弥冶、喜多、印度人曲芸

神田神保町通川竹亭(明星) 小圓朝、圓蔵、圓右、 各自当日講談(十日迄)

三崎町水道橋際神田演芸館 小南、圓蔵、三国一座長唄曲引、李彩、越寿、梅幸、遊三、文三、公園、勘三、勘三郎、歌吉

深川不動前長島館 公園、文蔵、右女助、圓蔵、義太夫(越寿、梅幸)、小正一、万橘、圓幸、長唄(勘三郎、勘左衛門)、弥治郎喜多八

大正452日 大阪時事新報

◇浪花三友派 一日より春風亭柳昇(久々出演)、悟楽斎三猿(東京音曲噺初御目見得)。

大正452日 伊勢新聞(津)

◇世界館(四日市) 四日市旭座を買収したる日活直営世界館は五月一日より開場

大正4511日 都新聞

大入寄席案内五月中席(広告)

神田神保町川竹亭 柳連演芸 主任小柳枝、左楽、馬生、鶴枝、和佐之助、金坊、銀坊、丸一連、燕枝、小勝、三好、小燕枝、源水外数名 五月二十一日迄

両国公園前立花家 圓蔵、むらく、小南、李彩、金三、歌子、文三、長唄囃子三国連、橘之助、右女助

浅草並木亭 小圓朝、橘之助、若圓、圓歌、小正一、李彩、公園、りう馬

人形町通末広亭 小勝、若燕、今輔、文楽、小燕枝、小柳枝、支那人、鶴枝、秋月、松尾、銀坊、金坊

神田須田町立花亭 圓右、貞山、むらく、小南、金三、右女助、橘之助、長唄三国連、松尾流扇舞、延対寺延子、松尾、吉尾

人形町通鈴本亭 改名披露文三、圓右、橘之助、右女助、金三、貞山、圓蔵、むらく、亀次郎

大正455日 中国新聞(広島)

<桂文昇一座・広島柳座>
東遊郭柳座は五日より桂文昇一行の落語音曲手踊

大正458日 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津博秀館は八日より新京極芦辺館一座引越しの落語開演。出演順は花升、文治郎、万光、小文枝、染八、遊七、小南光、三八、哥楽、花咲、染丸。

大正4510日 神戸新聞

大和座 京阪合同落語は頗る好人気たるが、本日より六時開演、出番を左の如く変更

團幸、都枝、市馬、正輔、太郎、春輔、花橘、小文三、小米、圓三郎、鶴吉、小四郎、イルマン、アルマン

大正45111213日 名古屋新聞

<柳亭芝楽一座・名古屋金輝館>

金輝館 東京落語柳亭芝楽一座落語手踊り音曲話して本日より花々しく開演初日の番組は、二人旅(菊輔)掛合喜劇(ぼたん、蝶々)小僧按摩(右楽)清元(青柳春助)浮世床(橘松)錦のけさ(左若)酒落金(小團冶)音曲(楽助)碁盗人(芝楽)かつぽれ総踊。(511

金輝館 東京落語芝楽一座は毎晩大好評本日の番組は、落語手踊り(菊輔)清元(春輔)掛合はなし(ぼたん、蝶々)竹琴(本楽)手踊り(橘松)声色(左若)落語活人形(小團冶)音曲(楽助)落語扇舞外手踊り(若[]楽)芝居噺し(総出)(512

金輝館 音曲落語手踊柳亭芝楽一行は非常なる好評にして本日の番組は、一ト目上り(菊輔)掛合(蝶々、ぼたん)粗忽長屋(右楽)清元(春助)くしゃみ講談(橘松)掛取萬歳(左若)五人廻し(小團冶)音曲(楽助)柳の馬場(芝楽)かつぽれ総踊。(513

<編者註>名古屋のこの当時の劇場寄席。

(劇場)千歳座、湊座、御園座、京枡座、宝生座、新守座、明治座、笑福座、笑寿座、大黒座、蓮座、熱田寿座、鳴海長栄座三栄座

(寄席)金輝館、富本席

(活動写真)太陽館、世界館、敷島館、文明館、大須電気館、中央電気館

大正4515日 京都日出新聞

◇朝報社変装競争 大阪朝報社主催岡崎公園変装競争は十六日(日曜)の正午より午後四時迄の間に於て挙行の筈にて、変装者は芦辺館三友派落語家并に帝国館弁士等十数名にて…又変装終了後三友派落語家の珍妙なる余興もありと。

大正4522日 岐阜日々新聞

関本座 今二十二日より當地初御目得澤田圓喬、浪之助一座の落語、義太夫、景品入手品、大切「改良怪談」を開演する由なれば定めし大好評を博すべし

大正4522日 京都日出新聞

◇京都倶楽部例会 今廿二日午後七時より京都倶楽部にて例会を開き左の番組の余興を催すべし。

 軽口(竹丸、小金丸)三河万歳(三光、愛子)手品(金光)落語(銀光)足芸(金光)東万歳(才若、三
 光、愛子)

大正4522 徳島毎日新聞

緑館 二十二日より落語三友派笑福亭一座及び少女浪花節春雪一行合併にて開演。町廻を廃し入場料十銭均一

大正4530日 京都日出新聞

<橘ノ円(円頂派)一座>

◇[広告]当五月卅一日より(毎夕三時開演)歌舞笑話 円頂派 久方振の御目見得 橘家円一行 六月六日迄七日間晴雨不論 余興 尻角力

◇大正座の…次興行は橘家円一派の円頂派の落語で余興には滑稽尻角力を演ずるがその顔触は円六、円子(軽口)二郎天坊、曲芸手踊円之助、音曲円丸、円三、円二郎、円天坊、小円丸、歌舞笑話円。

大正4531日 朝日新聞京都付録

◇笑福亭へは一日から玄海琵琶松琴が久々加はり左の出番順となる。

円二郎、円寿、芝楽、円之助、先太郎、ひさご、小円左、円歌、枝雁、桃太郎、松琴、枝太郎、福円、枝雀、円笑、福松郎、文之助。

大正4531日 満州日々新聞(大連)

<橘家円坊一座・大連花月席・桂米之助出席>

花月席 笑話音曲橘家圓坊一行三十日城津丸にて乗込み三十一日より開演初日の番組は、伊勢参宮(笑福亭富久三)兵庫船(桂米之助)初天神手踊(都家歌丸)動物園浪花節(笑福亭三勝)女天下上下(三遊亭右圓遊)御座奉るステテコ(三遊亭遊朝)音曲ばなし(都家歌六)三十石文人踊(鶴亀淀助)新古笑話盆の曲舞(橘家圓坊)都はやし(杵屋連)

<編者註>橘家圓坊一座の番組、下記の通り。

62

東の旅(富久三)牛駆け(米之助)転失気手踊(歌丸)商売根問滑稽浪花節(三勝)五人廻し(右圓遊)道灌ステテコ(遊朝)春駒伊之助音曲(歌六)掛取萬歳曲盆の舞(圓坊)大切喜劇茶番劇(総出)

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小倉船音曲(米之助)衛生料理手踊(歌丸)吉原見物浪花節踊り(三勝)三軒長屋音曲(右圓遊)ステテコ踊り(遊朝)三枚起請音曲(歌六)新吉笑話曲盆踊秋の夜舞(圓坊)大切茶番劇(楽屋総出)

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落語吉原ぞめき(富久三)地獄八景舞(米之助)雪天音曲手踊(歌丸)遠州飛脚浪花節物まね(三勝)芝浜草財布(右圓遊)三人片輪ステテコ(圓駒)尾上多見十郎音曲(歌六)一目上り盆の曲舞(圓坊)大切茶番楽屋総出はやし(杵屋連)

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 伊勢参宮(富久三)高小屋踊(米之助)鳥屋坊主手踊(歌丸)門付浪花節(三勝)子は鎹音曲(右圓遊)首提灯ステテコ(圓駒)落語音曲(歌六)芝居風呂曲盆の舞(圓坊)

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新ホトトギス(遊[冨久]三)百人坊主舞(富久三)三人旅音曲(米之助)道灌物まね(歌丸)浪花節(三勝)めか馬手踊(圓駒)意地比べ音曲(右圓遊)手踊音曲(歌六)湯屋娘盆の曲(圓坊)

〈編者註〉桂米之助は、後の四代目桂米團治(本名中濱賢三)。六日以降の米之助のネタは、6/7「鳥屋坊主」6/8「小人島」6/9「百人坊主舞」6/10「七度狐舞」6/11「道遊宗遊」6/12「雪迷音曲」。

上方落語史料集成 大正4年(1915)6月の1

大正461日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日正午から万平、染八、小南光、三八、花咲、柳昇、かしく、万光、文吾、万治、染丸、妻奴、円子の出番順となり、大宮七条の富士の家をかけ持する。

◇大正座の円頂派は三十一日から開演したが、久し振とて人気がよい。一日は正午から二回の開演で入場料は均一制度。

大正46 神戸新聞

戎座 橘家年之助、橘家圓弥、桂玉輔、桂春輔、桂團幸、桂米紫、橘家圓三郎、桂圓枝、橘ノ太郎、桂文我、橘家一圓、鶴吉、桂花橘

栄館 枝右衛門、圓笑、米之助、文字助、錦枝、圓登、登美、佐太雄、華、輔六、治郎坊、太郎坊、水月

都座 米之助、錦枝、枝右衛門、圓登、水月、圓美、華、治郎坊、太郎坊、佐太雄、登美、文字助

大正461日 都新聞

大入寄席案内六月上席(広告)

神田神保町通川竹亭 燕枝、左楽、馬生、つば女、小燕枝、さん馬、小柳枝、さん子、丸一連、鶴枝、紫朝、三路、秋月外数名

深川長島館 左楽、かしく、可楽、さん馬、三好、文楽、源水、才賀、勝次郎、鯉かん、燕之助、小燕枝、米蔵、左鶴、猫八、和洋合奏石村松雨杵屋いく松

本郷鈴本亭(第一回有名) 蘆洲、馬生、橘之助、小さん、さん馬、つば女

下谷上野鈴本亭(第四回有名) 燕枝、蘆洲、小勝、橘之助、圓蔵

須田町際立花亭 圓右、小圓朝、右女助、むらく、圓歌、歌子、金三、長唄三国連

両国公園前立花家 圓右、むらく、圓歌、金三、遊三、右女助、小圓朝、りう馬、小正一、公園、歌子、萬橘、越寿、梅幸

人形町通鈴本亭 圓右、橘之助、右女助、むらく、亀次郎、圓歌、小圓朝、公園、圓子、金三、万橘、歌子、圓三、朝冶、李彩

<編者註>三路:桂三路。後の二代目三遊亭圓若(本名土井常五郎)。三遊亭遊三の一座に加わり関西地方を巡業していたが、六月に上京している。但し、遊三の三遊派には出演せず、柳派に出演している。上京の理由は、二代目遊三襲名披露参加の為と思われる。七月一杯まで東京の寄席に出演していた模様。

大正462日 朝日新聞京都付録

<橘ノ円(円頂派)一座>

◇大正座の円頂派は久々と円は流石派手に上辷りさうでゐて品位を保つジツクリしたところのあるので、踊は得意のものとて受けられ、円天坊や十歳の小円丸が十分舞台を持つので初日に景気はよかつた。

〈編者註〉円の三日の舞踊は「金輪」、四日は「高時」。大正座は六日限り打上げ、七日から岩神座へ出演(十一日千秋楽)。

大正462日 山陽新報(岡山)

<桂文昇一座・岡山大福座>

大福座 今二日の芸題左の如し。

七度狐(鶴二郎)百軒長屋(都若)お節徳三郎(扇の助)山吹の里(圓花)芝居噺座頭殺し(文十郎)剱水無戸川(紫郎)舞乃木大将(憲臣)田舎爺(文七)滑稽禅学(文昇)大切一座総出の立噺七首違い

<編者註>文昇は、三代目。前名は、笑福亭福我(本名石谷紋次郎)。扇派解散後も大阪に帰らず、中国四国九州と巡業していた。文昇一座の番組下記の通り。

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神の賑い(鶴二郎)温泉宿(都若)寿限無(扇の助)写真屋(圓花)芝居話網七(文十郎)剱舞衣は肝(紫郎)小嶋高徳(憲臣)稽古屋(文七)線香の立切(文昇)大切立噺似非侠客(総出)

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高宮川(鶴二郎)牛ほめ(都若)たらちめ(扇の助)紺屋高尾(圓花)芝居噺嫁おどし(文十郎)剱舞壇の浦(紫郎、憲臣)銚子の代り目(文七)親子茶屋(文昇)大切立噺金(総出)

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明星宿(鶴二郎)猪買(都若)お見立て(扇の助)稽古場(圓花)揚巻助六(文十郎)剱舞桜田、赤城(紫郎、憲臣)お盆女郎(文七)清水寺(文昇)大切立噺情死(総出)

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百人坊主(鶴二郎)天狗さし(都若)宿り(扇の助)三人かたわ(圓花)先の仏(文七)剱舞一乗寺(紫郎)千隈川(憲臣)東京落語(文七)長袖(文昇)大切立噺裏の裏(総出)

大正463日 九州日報(博多)

<三遊亭円遊一座・博多川丈座

川丈座 東京落語圓遊一行好評あり今二日目の番組は左の如し

音曲話(清遊)清元(小糸)枕屋(遊鶴)音曲話(圓福)白木屋(春楽)春雨夜(圓満)音曲話(福楽)物真似(遊玉)文人踊(淀助)剣舞(一馬)妾の手切(圓遊)切喜劇(総出)

大正464日 朝日新聞京都付録

◇豊梅館は一日から松林右円、松林円竜の二人講談会を開いてゐる。

大正464日 満州日々新聞(大連)

嘉義丸船員演芸会 白鶴酒店及び逢坂町より引幕テーブル等の寄贈。披露を兼ね春季大会として四日より大山席に開き当地の芸人連も補助として出演する由。番組は落語御祝儀(小柳三)舞手踊(貴若)落語手踊皿廻し(清枝)浪花節いかるが平治(魁車)落語音曲(文朝)落語菓子食手踊(雀枝)浪花節大竹重兵衛朝風呂(波右衛門)落語立ちきれ(柳枝)大切喜劇花嫁(座員総出)補助管四逢坂町梅吉、三味線東富之助、三遊亭波六、圓駒外数名

大正465日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館の六月には例の円子が妻奴と来て二丁鼓のお賑やかを真打としてゐるが、人気は再び帰り来つた柳昇に集め、染丸が凝つてゐる懸命と文吾の渋さが重きをなしてゐる。

大正469日 大阪時事新報

<紅梅亭を覗く>

◇(前略)朝日座を出て法善寺の紅梅亭へ入つて見ました。

文団治の落語は平淡な裡に味があります。円馬の「五人廻し」と小文枝の「ひやかし」は又かと胸が悪うなりました。然し一方に又此話を何度も何度も聞くのを楽みにして胸を透かしている連中もあるのです。或はその方が多いかも知れません。多い方へ付くが当世です。当世に生きている者は当世に従はねばならぬのでせう。

喬之助の絃で小勝と円之助とが神田祭を唄いました。之れには少からず当てられました。小勝といふ子供がキザな眼づかひをして無上に節を噛んで唄ふのには油汗が出ました。お負にまづい「萩桔梗」を踊るのです。いくら当世だつてあれに胸を透かせる人は沢山ありますまい。何故喬之助一人弾語りをしないのです。

文三の「欠伸指南」を聴いて漸く蘇りました。年こそ違へ東京の小せんに似たこの人の生涯は気の毒だが、芸はその為めに円熟した気味があります。花やかな紅梅亭で寂びた渋い光りを放つている数少い花の一つとしてこの人を尊重せずにはいられません。(藍微塵)

大正469日 香川新報(高松)

<近松軒門左衛門一座・高松常盤座>

常盤館 十日より落語会大一座近松軒門左衛門一行開演。初日の演題左の如し。

落語播州名所並に音曲舞(桂春太郎)落語七度狐尼寺潰し並に扇舞(桂蝶之助)浄瑠璃又助住家段(娘義太夫竹本広重)落語パーク(笑福亭三代松)落語腹綿医者並に手踊(桂歌太郎)落語子別れ並に手踊(桂すずめ)軽口(近松軒ちん六、同蝶ん平)昔ばなし並に物真似(桂斎入)落語世事遠し並に扇舞盆の曲(桂小文我)軽口(浮世亭どんつく、同うんつく)落語喜撰小僧並に音曲手踊舞(桂歌扇)落語並に新作浄瑠璃毎日新聞小雪歌舞音曲(近松軒門左衛門)大切所作事喜劇総出。

<編者註>門左衛門一座の番組、下記の通り。二十一日迄。

613

落語兵庫舟鱶の魅入り並に音曲手踊(桂春太郎)落語小倉舟龍宮の賑並に音曲扇舞(桂蝶之助)娘義太夫太閤記(竹本広重)落語パーク(笑福亭三代松)落語恋飛脚並に音曲舞(桂歌太郎)落語池田猪買い並に音曲手踊(桂すずめ)軽口並に所作事(浮世亭どんつく坊、同うんつく坊)昔ばなし物真似(笑福亭斎入)落語歌盆の曲(桂歌扇)落語舞音曲新浄瑠璃青島陥落の段(近松軒門左衛門)大切余興喜劇。

614

落語地獄八景音曲(春太郎)落語天狗酒盛手踊(蝶之助)娘義太夫先代御殿(広重)落語喜撰小僧(三代松)軽口(どんつくうんつく)昔ばなし並に手品金魚つり(斎入)落語空気洋燈音曲舞(歌扇)落語音曲歌舞踊、新作浄瑠璃、乃木将軍段(門左衛門)御題ばなし総出墨付け、大切余興所作事総出。

619

:落語これこれ博打音曲(春太郎)落語天災音曲布団廻し(蝶之助)娘義太夫三十三間堂(広重)落語宿屋仇踊音曲(桂すずめ)昔ばなし浮世根問踊金魚つり(斎入)落語夢金音曲扇舞(歌扇)落語五人廻し、音曲歌舞踊、新作浄瑠璃、毎日新聞小雪、神田祭引抜曲獅子舞(門左衛門)大切余興五題噺喜劇(総出)。

大正4611日 神戸新聞

栄館 きく枝、橙太楼、枝右衛門、白魚、右圓遊、福奴、ふく助、謹吾、歌六、金時、伯糸、花團次

都座 枝右衛門、きく枝、歌六、伯糸、橙太楼、金時、右圓遊、六人掛合、花團次、福奴、ふく助、白魚、謹吾

大正4611日 都新聞

大入寄席案内六月中席(広告)

神田須田町際立花亭 今輔、小勝、左楽、小燕枝、さん馬、馬生、紫朝、小三冶、丸一連、さん子、三路、琵琶恵美子

人形町通末広亭 加賀太夫、圓蔵、圓歌、むらく、文三、公園、金三、李彩

人形町鈴本亭 小さん、今輔、芦洲、柳枝、左楽、しん生、つばめ、玉輔、三路、小勝、源水、恵美子、さん子、鶴枝

両国公園前立花家 小さん、貞山、さん馬、大阪登り三路、鯉かん、つばめ、小燕枝、紫朝、丸一連、源水、左楽、文楽、馬生

神田連雀町白梅亭 圓右、圓蔵、むらく、文蔵、橘之助、越路、亀次郎、金三

神田神保町通川竹亭 圓右、橘之助、右女助、金三、遊三、公園、文三、李彩、万橘、朝冶、歌子、圓子、圓三、小正一、小圓冶

深川不動前長島館 圓蔵、金三、遊三、文三、加賀太夫宮古太夫、瀧五郎、圓幸、越寿梅幸、りう馬、小圓蔵、勘左衛門勘三郎

大正4611日 徳島毎日新聞
<神戸大和座一行・徳島緑館>

緑館 既記神戸大和座出演の落語一座にていよいよ十二日より開演。座中に印度人カブルの魔術曲芸あれば一寸目先変りたると久々振の若手揃なり。初日の番組左の如し。

浪花落語(桂小枝)落語手踊(笑福亭年之助)落語音曲(桂團橘)軽口掛合噺(桂扇笑、桂枝三郎)落語手踊(橘家圓玉)奇術記憶術(月亭明遊)落語独楽の曲(笑福亭三代松)落語手踊(桂三升)芝居噺扇舞(桂小燕枝)落語音曲(司馬龍生)奇術曲芸(印度人カブル)大切余興所作事(座員総出)

<編者註>この一座は実際少人数で、一人が名前をかえて何回も掛持ちしている。桂春堂、月亭明遊は後の桂南天(本名竹中重春)。桂扇笑、桂三升は後の初代林家染五郎。桂枝三郎、桂小燕枝は後の四代目桂文枝(本名瀬崎米三郎)。一座の番組は、下記の通り。

616

御祝儀神の賑い(小枝)庵寺つぶし(年之助)野崎参詣(團橘)滑稽娘道成寺(枝三郎、春堂)植木屋幸右衛門(圓玉)奇術及び御題噺記憶術(明遊)三十石(三代松)芝居噺(小燕枝)替り目(龍生)印度土産魔術曲芸(印度人カブル)大切余興喜劇毎夜演題替り(連中総出)

617

情協巡遊(小枝)宿屋の瘤(年之助)のぞき医者(團橘)滑稽掛合噺七段目(枝三郎、春堂)寄合酒(圓玉)美術紙切細工記憶術(明遊)菊石妾(三代松)芝居噺(小燕枝)石返し(龍生)印度土産魔術曲芸(印度人カブル)大切余興喜劇(楽屋総出)

618

煮売屋(小枝)兵庫舟(年之助)幇間の調伏(團橘)滑稽掛合娘道成寺(枝三郎、春堂)植木屋幸右衛門(圓玉)美術紙切細工記憶術(明遊)盲目相撲(三代松)蛸芝居(小燕枝)平の蔭(龍生)印度土産魔術曲芸(印度人カブル)

621

高宮川(小枝)明石船(年之助)せむし茶屋(團橘)滑稽掛合加賀見山(枝三郎、春堂)坊主茶屋(圓玉)御題噺西洋奇術(明遊)なみさん(三代松)芝居噺(小燕枝)めか馬(龍生)印度土産魔術曲芸(印度人ガブル)大切余興喜劇楽屋総出出演

622

深山隠れ(桂小枝)天狗酒盛(笑福亭年之助)名香高尾(桂團橘)滑稽掛合不如帰(桂枝三郎、桂春堂)恨の講釈(橘家圓玉)御題噺紙切細工(月亭扇遊[])悋気の独楽(笑福亭三代松)質屋芝居(桂小燕枝)三軒長屋(司馬龍生)印度土産魔術曲芸(印度人ガブル)大切余興喜劇楽屋総出出演 

大正4612日 北国新聞

<橘ノ円(円頂派)一座・金沢一九席
一九席 橘の圓一座の落語手踊にて今晩より開場番組左の如く木戸銭下足共十五銭小人十銭中銭なし。

滑稽落語(小圓二)落語音曲(圓丸)大阪落語(圓六)落語音曲(圓子)軽口掛合(二郎、天坊)落語曲芸(圓之助)落語手踊(圓三)落語舞手踊(圓二郎)浪花落語(圓天坊)滑稽笑話手踊所作事(圓)大切所作事(楽屋総出)

大正4615日 大阪毎日新聞

○落語家の大合同 鹿仲間の頭数五百  

△茲数年間活動写真と浪花節の両大敵に蹴圧(けお)され、臥薪嘗胆の薪にも米櫃にも事を欠いて苦しい思ひを続けてゐた落語家の一派は、最近二大怨敵の人気が稍後退(あとじさ)りの旗色となり、寄席の客足が少しく復活し来れるより、この機に乗じて大阪中の落語家を大合同の下に統一し威勢のいゝ所を発揮すべしとあつて、昨今浪花三友派の幹部連は毎日寄合をし白湯を飲み、扇をパチつかせ荐(しきり)と相談をぶッてゐる。

△素人の天才 現在の大阪に籍を置く落語家の数は二百余名、それに反対派と称して喧嘩の相手も無いのに無暗と笥箪風屏(すたんびょうぶ)をきめている小砂眼入(しょうさがんにゅう)党が約二百五十名、併せて五百に近い頭数がある。此中の半数は殆ど素人で、たゞ高い所へ上つて縁も因縁も無い他人様のお笑ひを買ひたいといふ変な道楽から、夜になると怪しい一丁羅の羽織を懐中に及び、掛持と称して満員の電車に飛乗しては車掌から剣突を喰つてゐる代物で、是等は皆反対派の眼入党であるが、稀にはこの素人の中に前途有望の天才者がゐる。

△味噌も苦楚も 黒人(くろうと)の方は三友派と寿々女会の二団体であるが、寿々女会は漸次三友派に併合されて、今日では松鶴が踏止まつて僅に対抗の形式を取つてゐるばかり、他は悉く三友派の縄張に属し、大阪の落語といへば三友派で持つてゐる形であるが、今度三友派では寿々女会と半黒の素人団全部を兎に角味噌も糞も一つにして一団体の下に纏めてしまひ、然る後上顎と下顎のぶつかり工合を精細に試験した上公平な等級を定め、大阪市内の大小寄席約四十箇所を始め京都神戸堺の三市其他小都会の寄席へ振割り、芸の荒むのを防ぎ一方素人出の天才を発達せしむる方針ださうな。

△蛙連の大赦 それで三友派対寿々女会の交渉には北新地の小林技芸委員長が仲に入り、反対派連の取纏めには南地紅梅亭の席主原田を始め重なる各席亭が之に当り、愈よ話が纏つた上は落語事務所を設け東京と相呼応し大に新生面を開くといふ。尚大合同の暁は大赦令を発布して、今迄師匠に不義理をして反対派に藻潜(もぐ)つてゐた蛙連中も此際悉く無罪放免にするのなりと。

大正4615日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館は十五日から左の出番順となり大切には余興として「滑稽勧進帳」を出し、円子の弁慶、かしくの義経、染丸の富樫外座員総出で染丸の大薩摩、かしく、妻奴の三味線を聞かす。尚千本長久亭を同日からかけ持する。

 万平、万十、染八、小南光、三八、万光(四ツ竹)、柳昇、花咲、文吾、かしく、染丸、妻奴、円子、万治。

大正4615日 京都日出新聞

○泣面の新京極(五)

 更に方向をかへて其他の新京極を見渡してみやう。落語、女義太夫等が新京極の重なるものである。浪花節の命数は既に峠が見えてゐる。一等一円廿銭で舞台の上迄も客が座つたといふ程の当年の雲右衛門でさえ八十銭で毎晩四分の入りが漸くである今日である。二三年前迄は第一福真亭の下足は賑かなものであつたが、昨年頃からは木戸前を通つても下足の勘定が出来るやうになつてゐる。勢国館の女義太夫も一向振はない。浪花節は飽かれ、女義には人気者や巧者がでなくなつた結果であらう。

残るのは落語である。芦辺館と笑福亭はどうかといふのに、笑福亭はあまり振つた景気を見ないが、芦辺館の一ト頃は却々優勢なものであつた。而(しか)しこれとても今は昔の語草となつてゐる。茲で大に注意をしなければならぬことである。それは即ち活動写真の余興と落語の定席といふ問題である。落語の定席が或は三味線ものとか曲芸とかその他の色物を高座にかける事は昔から為し来つたことである。昔は「三十石」を質に入れた話柄をもつてゐる落語界でもさう〳〵名人許りは出ない。色物は単独なれば殆んど落語の高座へ現はれるより他に方法がなかつたといつても好い位であつた。

所で目下の活動写真はこのお株を奪つて終つてゐる。鹿界の不景気の原因も他に沢山ある。而しこの色物を多く活動へとられて終つたといふことも原因の一つであるといふことは否定出来ない。自分の席へ夫(それ)等の色物を入れない迄も、夫等の色物が活動館に存るといふことは明かに打撃である。敵に武器を与たやうなものである。落語と色物の境界は習慣上明瞭でない。而し活動写真と色物の関係は甚だ対照が劃然としてゐるやうに思はれる。

落語の席が落語ばかりでなく色物を入れたからとて、それが落語の値打を落すやうには思へない。而し新らしく出来てきた活動写真といふものが従来の色物の力を借りなければ客を曳けないといふと活動写真その物の値打はどこにあるのか判らなくて来る。実際上今日の有様では余興で客を曳いてゐるのであるから、事実に於て色物が主で肝心の写真は従の位置にある訳になる。難かしく言へば活動写真の一種の堕落である。それで今仮りに之等の余興物に就て不服を唱へ得るものはまず落語席で、さう無闇に余興物を引張つて呉れては此方が困ると抗議の一つも言はなければならぬことになるとも限られない。活動写真の余興の為めに打撃を受けるのは、活動写真自身であると共に落語席は全く別個の興行者として少なからぬ損害を蒙つてゐるのである。

大正4616日 都新聞

<笑福亭璃鶴の上京>

笑福亭璃鶴 大阪落語家の真打株なる同人は近々上京、三遊派へ加わる。むらく一座の客員として各席へ出演

<編者註>笑福亭璃鶴:上方では笑福亭鶴松(本名見田徳太郎)。文我の実子で、二代目木鶴の養子となる。芝居噺を得意とした。むらくは兄弟子になる。

大正4619日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館では十五日から大切に「勧進帳」の余興を加ヘてゐるが、円子一流の出鱈目問答、呆気ないやうな頼りなさに暑さの砌を笑はせてゐる。

大正4619日 満州日々新聞

<桂三木助一座・大連花月席>

花月席(十九日より) 遊山船(桂三太)高尾口喇叭(桂権助)成田小僧音曲(三遊亭左傳次)無筆手踊(桂三之助)動物園音曲顔芸(三遊亭右朝)滑稽二人羽織(号外余興)花見の仇討手踊(桂三木雄)常盤津浮世節舞踊(桂三七八)余興曲芸江戸名物(吾妻信太郎)抜け雀長唄扇の舞手踊海安寺槍さび(桂三木助)囃(杵屋連)

<編者註>桂三木助一座の番組は下記の通り。

620

金名竹(桂三太)真田小僧口喇叭(桂権助)松竹梅音曲(三遊亭左傳次)たらちめ手踊(桂三之助)芋俵音曲顔芸(三遊亭右朝)滑稽所作事(三人坊主)余興曲芸(吾妻信太郎)住吉駕籠扇の舞手踊御好に応ず(桂三木助)囃(杵屋連)

622

みかん屋踊り(三太)乃人ラッパ(権助)よいよいそば並音曲(三傳次)手紙の無筆音曲手踊(三之助)三人女郎買音曲(右朝)江戸名物盆曲芸(信太郎)落語三十石扇の舞手踊(三木助)余興笑話振事(楽屋総出)

623

五月幟音曲(三太)弥次郎手踊(権太)花見小僧並音曲(三傳次)湯屋番手踊音曲(三之助)羽織女郎買音曲(右朝)江口名物曲芸種々(信太郎)網船扇の舞手踊(三木助)余興喜劇手踊(座員総出)

尚、以降の三木助の番組は、6/24「立ちきれ」6/26「雑八」6/27「口入屋」7/1「赤子茶屋」7/2「新町ぞめき」7/3「め組の喧嘩」

上方落語史料集成 大正4年(1915)6月の2

大正4621日 神戸新聞

栄館 枝右衛門、文紅、菊枝、三木松、門三郎、金之助、梅香、梅吉、三尺坊、右郎坊、花月、文治郎、中華国民

都座 菊枝、右郎坊、枝右衛門、中華国民、文治郎、花月、門三郎、金之助、梅香、梅吉、三尺坊、三木松、文紅

大正4621日 都新聞

大入寄席案内六月下席(広告)

神田連雀町白梅亭 燕枝、小さん、馬生、小三冶、紫朝、さん子、鶴枝、鯉かん、文楽、つばめ、三路

神田神保町通川竹亭 小さん、左楽、小勝、貞山、かしく、小三冶、政二郎、小柳枝

両国立花家 圓右、圓蔵、璃鶴、橘之助、金三、盧洲、右女助、公園、圓橘、遊三、文三、歌子、むらく、李彩

両国金沢亭 蘆洲、柳枝、燕枝、小柳枝、さん馬、三好、小燕枝、左楽、恵美子、丸一連

神田須田町際立花亭 圓右、圓蔵、三国連、金三、公園、圓橘、むらく、李彩、萬橘、亀次郎、歌子

浅草雷門前並木亭 主任小さん、素行、馬生、つばめ、紫朝

人形町鈴本 圓右、橘之助、貞山、圓蔵、右女助、遊三、金三、むらく、李彩、公園、歌子、璃鶴

人形町末広亭 小さん、小柳枝、燕枝、小勝、柳枝、枝太郎、柳橋、小燕枝、源水、丸一連、鶴枝、つばめ、三路

麹町元園町青柳亭 圓蔵、小圓朝、むらく、大阪登璃鶴、圓幸、圓歌、亀次郎、歌吉

大正4622日 大阪朝日新聞

らくご 001◇大阪の芸人(三) 千橘の鰌すくひ 

高座から客席を七分三分に睨んで、高い山から谷底見れば瓜や茄子の花盛りなどゝ痛快に罵倒して除け、小馬鹿にしたうやうな踊りをやる。電気応用鰌すくひと号して股覗きをしながら懐中電燈をピカリとやらかす。お客様を天の橋立と見立てたんださうだ。対手(あいて)は翠湖といふ割前で写真を撮つちや損の行く程の大女。(北新地永楽館にて)

大正4622日 北国新聞

<桂小南一座>
東京落語小南来らん 東京落語三遊派の幹部桂小南一座は今回当地に乗込み来る七月一日より花々しく一九席において開場に決したるが予ての馴染み顔なれば定めて人気を呼ぶとならん。因みに先般来開場の橘の圓一座は昨夜にて打揚げたる由。

大正4623日 徳島毎日新聞

<神戸大和座一行・徳島天正館>

天正館 今晩より緑館を打揚げたる司馬龍生一行の落語開演。

<編者註>一座の番組下記の通り。

625

込須磨名所(小枝)牛ほめ手踊り(年之助)野崎まいり音曲(團橘)かる口七段目(春堂、枝三郎)稽古屋ステテコ踊(圓玉)記憶術紙切即席噺(明遊)後家殺し独楽の曲(三代松)紙屑より扇子舞改安寺(小燕枝)音曲はなし(かほる)芝濱音曲(龍生)大切二加(座員総出)

626

伊勢参宮(小枝)地獄八景(年之助)のぞき医者(團橘)滑稽掛合噺娘道成寺(枝三郎、春堂)植木屋幸右衛門(圓玉)御題話記憶術(明遊)菊石妾(三代松)質屋芝居(小燕枝)植木のお化(かをる)三軒長屋(龍生)印度土産魔術曲芸(印度人ガブル)大切余興喜劇楽屋総出。

627

兵庫船(小枝)深山隠れ(年之助)せむし茶屋(團橘)滑稽掛合加賀見山(枝三郎、春堂)恨の講釈(圓玉)美術紙切細工記憶術(明遊)三十石(三代松)昆布巻芝居(小燕枝)替り目(かをる)品川心中(龍生)印度土産魔術曲芸(ガブル)大切余興喜劇楽屋総出

大正4623日 名古屋新聞

金輝館 本日より諸芸競演会にて花々しく開演する由落語、源氏節、奇術、独劇、音曲、手踊、喜劇等あり。出演者は曽我廼家蝶之助、桂鯉玉、岡本小美里津、岡本小萩、岡本美根森、岡本美根由、信濃家新馬鹿大将、三遊亭圓司

大正4624日 大阪朝日新聞神戸付録

<神戸の落語界事情>

◇演芸だより 神戸には落語の定席が新開地に三本と、葺合と生田前に一本づつ都合五本ある。一時新開地の栄館が、席主と請元との間に揉め事を起こし、そのトバッチリが他の定席にまで及ぼしていたのを、仲裁する人あって、新たに神戸演芸会社を組織し会社の一手にて波風なく興行していたが、奈良丸の持席大和座と対抗していた大正座が到頭奈良丸の手に渡ったところから、新開地に二本の浪花節の定席は不必要というので、大和座を落語の定席とし、演芸会社の向うをはる事となったので、自然と競争の熱度は高まってきて、会社は栄館と都座に全力を注ぎ、この節では十日目事に芸人を差替えて入場料も七銭の上場行次第と引下げたところ、大和座も負けておらず、葺合の定席を手に入れて芸人のハカシ場とし、腕利揃いを呼び寄せてサアいらっしゃい。

<編者註>上記の通り、神戸の落語界は、吉原政太郎率いる吉原派と神戸演芸会社(反対派)の二つがあり、吉原派は大和座(北新開地)と戎座(生田前)、それに葺合の寄席を定席とし、反対派は、栄館と都座(新開地)の二つをもって対抗していた。反対派の芸人は殆どが半素人の落語家で、大阪の反対派と契約していたのに対し、吉原派は神戸在住の落語家の殆どを集め、おまけに三友派や寿々女会と契約して、一流芸人を呼んでいた。後の橘ノ圓都の圓歌は反対派に所属していたが、この頃廃業していた模様。

大正4626日 朝日新聞京都付録

<笑福亭一口評>

◇笑福亭では枝雀が昔ながらの大阪噺、ガラ〳〵ッと笑はすのは当時第一人であらう。一夕『野崎詣り』を聴いて徐ろに昔の風俗を思ひ出し滑稽を味うた。文都もどきの桃太郎が『子は鎹』と馬生を大阪風でやる福円の『ステレンケウ』は一座の中に光る。

大正4627日 大阪朝日新聞

 衰へつゝある大阪の落語 
 =昔の落語家の意気= =将来の落語はどうなるか=

らくご 002「何時も〳〵同じ事ばつかり喋舌(しゃべ)つて臭(くさ)つて」と、お客からは小言の絶え間がごわへん、けど、それは無理だす、看板に偽りなし、昔ばなしと書いておます。芝居にしても鴈治郎と、仁左衛門と、同じ由良之助でも由良之助が違ふ。落語にしても同じ喜イさんでも、松鶴の喜イさんと文三の喜イさんとは、夫れ〳〵呼吸が違ひます、そこを聞いて戴かんとドムならん。

大体今のお客に落語の皮肉は分らへん

「アヽ穿つてるな」といふとこが分らん、滑稽をいふとアホらしいと鼻で笑ひなはる、その癖公事の話や算盤の話が出るとヂイと耳を立てゝゐなはる、身を入れて落語が演れますか。そんな事をいつてる間に、雲右衛門が九州から上つた。此の男に限り五銭といふレコード作つてゐた小円が、一等一円の切符を売る。うかれ節がコッソリと浪花節に改名して、同時に落語の客を引浚(ひっさら)へて行つた。トウ〳〵十何年此の方、落語の全盛は一度も見られない。

好い落語家も無くなつた、桂文左衛門が隠退するし、文枝は死ぬ、曽呂利も隠退、松光も死んだ。残つたのが松鶴、文三ぐらゐのものだ。その後を継げさうな人間も恐らくはあるまい、といふのが、ドダイ今の若い者はテント芸の修業をせんさかいドムならんのださうな。

大阪の落語は今の処二百許り残つている

その中高座に掛けてゐるのは五十位のものだが、それさへ満足に心得てゐるものは、若い落語家連中にはマア有るまいといふことだ。どうせ高座の時間が十五分か二十分ばかりだといつて、一つの落語を半分も覚えてゐない横着者さへある。此の調子で行けば、茲二十年も経たない間に、大阪の落語は高座では聞かれない事になるだらう。活字になつたものは少しばかりあつても、変な東京言葉になつてゐて、大阪言葉の妙味は少しも現れてゐないから、それでは何の役にも立たない。

近代における大阪人のデカダン生活は、黄表紙や青表紙によつてその半面が窺はれる。けれどもそれ等の作家の描いた局面は余りに狭い。多くは狭斜の巷と中どこの商人とをネタにしてゐた。落語の材料はモ少し広い。大名、蔵邸(くらやしき)の武士(さむらい)、与力、丸持長者、小商人、芸妓、妾から、名所、旧跡、盗賊、乞食、俳優など、その頃の大阪人の生活の一部は落語の作者によつて可成(かな)り自然に写生されてゐる。

中でも「三十石」などは際立つた名作である

淀川の川船のことは一九の「膝栗毛」にも書かれたが、「三十石」の精緻なる写生、軽妙なる滑稽とは、トテモ比べものにはならん。「稽古屋」には船場辺の横町や上町辺の、中以下の特有な色彩がよく現はれてゐる。船場辺のオットリした旦那衆気質が「妾(てかけ)」を題材にした落語の中などに、どんなに鮮かに刻まれてゐるか。文我が演る芝居噺を聞くと、鯨蝋燭を舞台際に並べて、油煙の向ふで大袈裟に目を剥いてゐた多見蔵の面影がうかゞはれる。船場の御寮人さんが朝の暗がりから髪結を呼んで、道頓堀へ駕をつけた姿が、錦絵を見るやうに浮き出て来る。

松鶴がよく演る話に

鴻池の栄華を痛快に風刺したのがある

鴻池の旦那が夏の一日、紀州侯を請待しやうとして、番頭一同を召集して御馳走の趣向を諮ると、その中の一人がこんな献策をした。それは暑い時分だから「ギヤマン」の炬燵をこしらへて、火入れの代りに金魚鉢を使ひ、飛び切り上等の越後上布を上に掛け、庭一面、真綿を敷いて雪景色にする、それから長持二十台を須磨へ運んで、浦風を一ぱい詰め込んで帰る、そして一時にその蓋を明けて邸内に海風を吹き起さうといふ計画であつた。雇はれた人夫は、金持の大馬鹿を冷笑しながら、須磨から風を入れて帰る途中、スッカリ浦風を出して代りに屁を入れて置いた。その浦風を鴻池の旦那がサアーッと紀州侯に浴せかけた。

大阪の落語の作者は、薄ツぺらだが

可成り手ひどく丸持連中を罵つてゐる

旦那衆のノンボリ、底抜けの贅沢、妾狂い、青楼(ちゃや)遊びなどは、彼等が好んで採用した材料である。師匠から弟子の、口から口へ遷されて来た大阪の落語も、だん〳〵数が減つて了つて、今の若い落語家が寄席で演つてゐるのは、ホンのその一部、しかも傷だらけの欠茶碗だ。

元と落語家は多く作家であつた。今残つてゐる落語は多くは文化、文政時分に出来たもので、天保、嘉永以後の幕末に亙(わた)つて完成したものであらう。その頃──幕末──の落語家は、多くは新作とその演出の研究に、一身を傾倒し尽したもので

四十五六歳が先づ落語家の生命の終り

であつた。「当今のように五十六十になつて高座を勤める人はおまへん。勉強で脳を病みますさかい、寿命が持たん」と曽呂利から聞いたことがある。今の落語家に、そんな努力は見たくもない。大阪では明治以後の現代を材料にした落語は、先づ無いといつてよい。窓や廂の修繕は出来てゐるが大黒柱が腐れかゝつてゐる。

そこで旧作の保護も出来なければ、新作の興隆も望まれない。大阪の落語の小屋が、徒らに華麗を誇つてゐるのも、此のまゝで行けば十年とは持つまい。「昔ばなし」の看板の代りに「演芸いろ〳〵」を掲げて、皿廻しや下手な踊で、下等な客を呼ぶ位が関の山であらう。そして落語は遂に講談のやうに、踊や奇術のお添物になる。

若し落語家自身が此の衰勢を盛り返さう

といふのならば、彼等は先づ旧作を真面目に研究しなければならぬ。同時に新作と新演出に努力しなければならん。この節、大阪の落語家の大合同をやつて、大に人材を引立てやうとする計画があるさうだ。人材は果して隠れているだろらか。先ず文雀、小文三、歌之助などが、或はモノになるかも知れない。モツト若いのでは光鶴ぐらゐのものだらう。

こんな連中が今後幾年かの間に、どれほどまで落語の衰頽を盛り返し得るか、或は一塊になつてドン底へ落ちて了ふか、他人には一寸見当がつかない。(毛呂利勘左)

大正4627日 大阪朝日新聞

○寄席で演れない落語  

❍幕末に公刊された大阪の落語集に「臍の宿替」といふ画本がある。醜悪見るに堪へないものである。併し寄席ではまだ〳〵手酷しくやつたものらしい。曽呂利などは明治十五年頃まで、臆面もなく演つてゐたさうな。

❍幕末からその時分までの、主な落語には大抵それが含んでゐた。曽呂利が暗記してゐるだけでも、今になつて人前で演れない落語が百五十種ばかりある。多くは標題を聞いたゞけでもゾッとするものである。

❍博労町の稲荷の近処に専門の落語家があつたさうだ。花火線香屋の主人で俳名を里寿といつた。此の男は作家兼実演者であつた。

❍それ等の落語の内容は、唯、露骨とより言ひ様がない。その中標題の穏かなもの百余種──此の中には添削して現に高座へかけてゐるのもある──。

〇数取後家〇大師めぐり〇喜助乳母〇中風の紐引き〇傘張むすめ〇宿替への夢〇綿屋の火事〇覗き医師〇古郷へ錦〇屁臭中将〇姫はじめ〇松茸と柿〇閂の娘〇南無大師〇反古染め〇鼈の首〇人形の灯台〇弁慶の水揚げ〇初天神〇首の仕換へ〇吃の鼈売り〇いかけや〇乙女狐〇煮売屋〇返す返す〇鷺取〇絣屋問答〇べかこの鶏〇鰻のかざ代〇四の字丁稚〇置土産〇京名所〇染色〇二番煎じ〇網船〇鷹やつこ〇三人兄弟〇妾馬〇二十四拝〇天下一浮かれの紙屑〇木挽茶屋〇正月丁稚〇厄払ひ〇猪買ひ〇源太の産〇ちしや医者〇胴乱の幸助〇月並の釜丁子〇酒の粕〇惚れ薬〇浮世根問ひ〇按摩の七〇出来ごゝろ〇千両蜜柑〇わさび茶屋〇茶瓶ねぶり〇菜種きり〇茶碗屋の喧嘩〇堀越村のお玉牛〇猫の忠信〇後家殺し〇妾通ひ〇こぶ弁慶〇鳥屋引導〇線香の立ぎれ〇歌根問ひ〇絵根問ひ〇風の神造り〇天王寺名所〇口合小町〇らくだの葬礼〇雪隠つぼ〇高尾のさけ罰〇夢見の八兵衛〇姉の八足〇遊参ぶね〇銘々づけ〇竈亡霊〇渋柿〇三人旅宿屋の尼〇軒付浄瑠璃〇はだかの嫁入〇牛かけ〇書生車〇十徳〇嬶ちがひ〇千年町の老人〇地口茶屋〇桜の宮仇討〇百年目〇煙草の火〇牛の丸じ〇首売り〇春雨茶屋〇菊江仏壇〇口入屋〇稽古屋〇豊竹やふ右衛門〇島めぐり〇三枚起証〇大晦日浮かれの懸取〇出歯吉〇興なをし〇貧乏花見〇御能狂言〇田野久兵衛〇しらみ茶屋〇雪隠灯明〇高野の雪隠〇束髪丁稚〇鶴の一声〇はてなの茶碗〇日高川

大正4627日 山陽新報

小圓遊改め圓遊 東京落語小圓遊改め三遊亭二代目圓遊は朝鮮巡業の帰途七月一日より當市大福座に出演すべしと。

大正4629日 香川新報(高松)

常盤館(高松) 曽記の如く七月一日開館連名及び芸題左の如し。

浪花落語(桂小枝)落語手踊(笑福亭年之助)落語音曲舞(桂團橘)滑稽掛合噺(桂枝三郎、桂春堂)落語滑稽手踊ステテコ(橘家圓玉)御題噺美術紙切細工催眠術西洋手品(月亭明遊)落語独楽の曲(浮世亭○○

)芝居噺扇舞早替踊(桂小燕枝)落語音曲舞踊(司馬龍生)印度産天下一品魔術曲芸(印度人ガブル)大切余興所作事喜劇総出。

大正4630日 大阪朝日新聞神戸付録

演芸だより 元桂派の落語家蔵之助、千橘、正楽、扇蔵、花咲、文我、水月、女道楽富美嬢などの若手連は去年同派の老幹部連と紛議のあった後寿々女会という一派を起こして三友派と大いに覇を争っていたが、今度席亭側と利益配当の事から又も紛議を起こし遂に同会を解散の上一行は神戸に来たりて過般記載したる如く神戸演芸会社の都座、栄館と盛んに競争を続けている大和座に楯籠もり明一日より座員二十六名の大一座にて花々しく蓋を開けると

大正4630日 神戸新聞

大和座 一日より大阪元桂派改め寿々女会の幹部を加えて開演、その顔触れ左の如し

圓弥、太郎、玉輔、水月、團幸、富美嬢、正輔、文我、三升、正楽、圓三郎、花咲、春輔、千橘、鶴吉、扇蔵、一圓、蔵之助

上方落語史料集成 大正4年(1915)7月

大正471日 神戸又新日報

各寄席 大阪三友派と対立せる舊桂派寿々女会は席主と意見衝突し今回解散せし由にて新開地大和座は同会の幹部たりし文我花咲以下八名を迎え是れに従来の圓三郎一派を加え本日よりご機嫌を伺うと。尚各席の顔触れ及び出番順左の如し

大和座 圓三郎、春輔、鶴吉、一圓、太郎、水月、富美嬢、文我、正楽、千橘、扇蔵

栄館 東兵衛、亀八、鶴八、琴月、小月太、阪本、池月、太郎、輔六

都座 時三郎、美根子、小美根、亀八、鶴八、阪本、池月

橘座 文我、正楽、鶴吉、一圓、水月、太郎、春輔、扇蔵

大正471日 大阪毎日新聞

<永楽館が三友派に加入>

◇浪花三友派 各席へ一日より北陽の永楽館が新に加入せり。各席へ新顔出演者は東京講談松林右円、同松風、新内富士松嶋照、桂文雀。

大正471日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日から左の出番順となり大切には一座総出の余興落語連鎖「まちがい」を演じ、千本長久亭をかけ持する。

 万平、万十、染八、小南光、米紫、万光、かしく、三八、歌之助、万治、花橘、柳昇、菊団治、染丸。

◇笑福亭は一日から定連の外に円丸とその子の小円丸(十年)を加へ左の出番順となる。

 ひさご、円二郎、円寿、芝楽、円之助、小円佐、枝雁、円歌、先太郎、小円丸、桃太郎、福円、円丸、枝雀、松琴、文之助、桃太郎、円笑。

大正471日 神戸新聞

戎座 生田神社内同座は本日より左の顔触にて出演小圓二、團幸、玉輔、三升、春輔、圓三郎、花咲、富美嬢、扇蔵、文我、蔵之助、正楽、千橘

橘座 楠社西門同座は本日より左の連名にて出演玉輔、圓文、團幸、圓弥、正輔、文我、正楽、鶴吉、一圓、水月、太郎、春輔、扇蔵

大正471日 都新聞

大入寄席案内七月上席(広告)

人形町通末広亭 橘之助、圓蔵、圓歌、桃李、亀次郎、歌子、右女助、璃鶴、むらく、公園、小圓朝、文三

浅草並木亭 圓蔵、大阪登璃鶴、圓橘、李彩、越寿、加賀太夫、宮古太夫

人形町通鈴本亭 柳枝、燕枝、今輔、小勝、さん馬、さん子、三路、枝太郎、鶴枝、紫朝、小燕枝、恵美子、左楽、小柳枝、かしく

神田花川戸白梅亭 圓歌、むらく、橘之助、金三、右女助、歌子、朝冶、大切喜劇、木戸十銭

深川不動前長島館 左楽、枝太郎、今輔、玉輔、秋月、さん子、妻吉、初出演恵美子、助平、左鶴、錦生、濱幸、銀坊、金坊

大正471日 山陽新報(岡山)

<三遊亭円遊一座・岡山大福座

大福座 今一日より三遊亭圓遊一行の落語音曲喜劇手踊等にて開演、番組左の如しと。

音曲噺し(清遊)清元(小糸)餅声色(圓福)御園露(遊鶴)落語問答踊(春楽)勘定板(圓満)物真似(遊玉)音曲(福楽)天受流剣舞(源一馬)吟声(美名本武正)滑稽落語成田小僧(圓遊)

大正472日 大阪時事新報

○落語界の松竹 浪花三友派に併合されたる寿々女会 

「扨(さて)代り上げまして」と見台をガタ〳〵叩いている落語家連中にも浮世はあつて、何かと入組んだ紛紜(ごたごた)も少からぬ。越し方桂派の一部が変じて寿々女会となり、大正派となり、反対派現れて五銭均一でオチを取るなど千変万化をやつている中に、泰然たるは浪花三友派、これですら春団治一派の脱走となり、復帰となる。

かにかくに小面倒な紛紜が割合に多い鹿仲間だが、今度は席亭の間に持上つたいろ〳〵の交渉、つまり今大阪で第一等席の法善寺紅梅亭の席主原田は劇界の松竹の白井に似た覇気の強い男、この人あればこそ浪花三友派も今日の隆盛を見るに至つたのだが、今度原田は一敵国の寿々女会派の各席の牛耳を取つている北の新地永楽館の席主佐藤その他の人達と相談した結果、寿々女会といふ名は一時佐藤が与へることになり、本年九月から寿々女会の寄席、法善寺の蓬莱館、御霊のあやめ館も浪花三友派の連中をかけることになるが、それまで永楽館のみは真先に今月一日から三友派で蓋を明ける。さうして寿々女会の鹿連は大部分三友派へ投じる。

かくして大阪の落語界素人交りの反対派を除く他は──浪花三友派で持切り、原田は隠然落語界の松竹を気取り、配下の鹿連を同盟の各席へ毎月配置する。これで原田の統一策は成就したのである。

大正472日 北国新聞(金沢)

<桂小南一座・金沢一九席

一九席 昨日より東京落語桂小南一座にて開演せり。番組左の如し。

昔噺(小若)落語音曲(与太郎)長唄振事(染子)落語手踊(小平)笑話物真似(南冶)滑稽落語曲芸(小圓太)落語滑稽手踊(若橘)滑稽音曲珍芸(太郎)富士松新松(宝蔵)落語歌舞伎噺扇舞振事(小南)空中自在所作事(総出)

大正473日 香川新報(高松)

<神戸大和座一行・高松常盤館>

常盤館 一昨夜好人気の中に開場せし当館の落語は門左衛門一座の如きもので無く、大分旨いとの事にて、今晩の演題は左の如し。

明石名所(桂小枝)兵庫舟(笑福亭年之助)せむし茶屋(桂團橘)滑稽掛合太閤記(桂枝太郎、桂春堂)恨みの講釈(橘家圓玉)三十石東(月亭明遊)質屋芝居(桂小燕枝)首提灯(司馬龍生)天下一品魔術曲芸(印度人ガブル)大切余興喜劇

<編者註>611日付「徳島毎日新聞」の編者註にも記載したが、この一座は掛持ちが多く、桂春堂、月亭明遊は後の桂南天(本名竹中重春)、桂枝三郎、桂小燕枝は後の四代目桂文枝(本名瀬崎米三郎)。なお一座の番組は、下記の通り。

74

七度狐(桂小枝)島巡り(笑福亭年之助)仙人(桂團橘)滑稽掛合加賀見山(桂枝三郎、桂春堂)植木屋幸右衛門(橘家圓玉)美術紙切細工記憶術(月亭明遊)種痘息子(浮世亭○○)蛸芝居(桂小燕枝)三軒茶屋(司馬龍生)印度土産魔術曲芸(印度人ガブル)余興喜劇総出

76

大津宿(小枝)牛懸け(年之助)春雨茶屋(團橘)滑稽掛合忠臣蔵七段目(枝三郎、春堂)雪こかし(圓玉)西洋奇術(明遊)有馬筆(○○)家内芝居(小燕枝)品川心中(龍生)印度魔術(ガブル)大切喜劇

77

桑名船(小枝)庵寺潰し(年之助)稽古屋(團橘)滑稽掛合娘道成寺(枝三郎、春堂)寄合酒(圓玉)美術紙切細工奇術(明遊)電気独楽(○○)福は下から(小燕枝)芝浜(龍生)大切喜劇

78

三人旅浮かれの尼買(小枝)紀州飛脚(年之助)娼婦と芸妓(團橘)滑稽掛合二十四孝(枝三郎、春堂)堀越村恋の失敗(圓玉)美術紙切細工奇術(明遊)番部屋(○○)天下一浮かれの紙屑より(小燕枝)松山鏡尼僧の仲裁(龍生)大切喜劇

79

高宮川天狗酒盛(小枝)お夏清十郎(年之助)幇間の調伏(團橘)歌舞伎の侈(おご)り木(枝三郎、春堂)俳優の内幕ウハ(圓玉)西洋奇術滑稽演説(明遊)八笑人(○○)陳幣笠桜(小燕枝)囃子長屋(龍生)魔術(ガブル)大切余興行特独演芸人形身振り落語(総出)

710

旅の友(小枝)北国遊独(年之助)せんき茶屋(團橘)滑稽掛合塩原太助馬の別れ(枝三郎、春堂)鷺取り(圓玉)記憶術御題話(明遊)せんきの虫(○○)大和閑所(小燕枝)星野屋(龍生)魔術曲芸(ガブル)

711

明石名所(小枝)琴平船(年之助)娼婦の宝銭箱(團橘)滑稽掛合噺越後獅子(枝三郎、春堂)百年目(圓玉)記憶術(明遊)青菜失敗(○○)網船(小燕枝)お若伊之助(龍生)印度土産魔術曲芸(ガブル)大切余興喜劇楽屋総出演

712

加古川丸(小枝)百人坊主(年之助)お釜の騒動(團橘)滑稽掛合話東海道五十三次の内岡崎の駅(枝三郎、春堂)おふみさん(圓玉)奇術運動(明遊)風呂敷間男(○○)崇徳院(小燕枝)とうなすや(龍生)印度土産魔術曲芸(ガブル)大切余興喜劇

  大正473日 満州日々新聞(大連)

<大連の花月席の新築計画>

花月新築と株式 当地唯一の江戸趣味紹介者であった花月館は愈々中村館主が多年の希望通り株式会社となし株主を募集することになった。創立委員長は堀内駅三郎氏で、同氏不在中吉野越冶氏が代理するような、資本金総額は七百株三万五千圓で、一株に付き五十圓だが、第一回の払込みは二分の一の二十五圓とした。発起人は二十人で既に三百六十株引受けたから残るは三百四十枚である。それで経営は如何するかといえば、会社は寄席貸料二千四百圓貸家料六百圓階上席貸料三百圓等収益によりて一割何分の配当は確実に出来るといって居る。最初の予算は総額一萬七千五百圓で家屋買収に六千圓建築費に九千八百圓雑品買収に五百圓、創立費四百圓、装飾費千圓、予備費八百圓だという。新築は奥行十八間幅十二間の設計であるが、特等から普通席迄余程工夫したる由。尚同館は御大典までに竣成開演し、一ヵ年の半分位活動写真其余りを江戸趣味の落語、色物、浪花節などの大物を引く筈だと余程賛成者が多いようだが、当地の興行界は未だ将来がある営業者の向上はよし

大正475日 大阪毎日新聞

◇浜寺海水浴十周年記念大園遊会 来る十七十八両日挙行。

三友派の余興 曩に桂派を併合せる浪花三友派は我社の大園遊会に多大の興味を持ち十七、十八両日とも全員何れも揃ひの浴衣にて海水浴場に練込み余興場にて種々新趣向を凝せる余興を催す、揃ひの浴衣は態々東京に注文したりといへばなかくの意気込なる事推して知るべし。

大正477日 大阪朝日新聞神戸付録

<立花家千橘>
演芸だより 大和座にこの月一杯掛つてゐる千橘は何日かの本紙にもスケッチが載ってゐた通り彼は落語よりも踊の鰌掬いで売れてゐる男だ。例の電気応用と吹立てて三十八銭の懐中電灯を頭や尻の辺りでピカピカさすところは此の前に来た時とちっとも変わっていないが、鰌掬いを演る時アノ踏潰したような色の蒼白い男が如何にも嬉しそうに福々しく見えるのは益々踊の巧さを頷(うなず)かせる。

大正477日 神戸新聞

面白い余興(須磨海水浴余興) ・・・尚右の外余興場では大和座出勤落語家連中の落語、手踊、滑稽琵琶、軽口、曲芸、滑稽奇術があり何れも得意のものを演じてヤンヤといわせる筈であるが、中にもこの一行に依って演ぜられる本社小説「雲」の喜劇は絶好の悲劇を喜劇にしたもの。如何に面白いものになっているかは見た上でのお楽しみ、場面は「凱旋祝賀会」「水野花枝宅」「真島浩造邸」の三場から成り役割は左の如くである。

真島浩造(扇蔵)娘喬子(春輔)妻元子(玉助)高利貸武平(ジョンベール)悪漢銀次(正輔)唐津夏彦(三升)島御堀(太郎)龍岡敬三(鶴吉)屑久(團幸)女房やす(都枝)娘花枝(一圓)魚屋藤三郎(圓三郎)

大正4711日 都新聞

大入寄席案内七月中席(広告)

京橋際金沢亭 小さん、つばめ、小勝、三路、文楽、鶴枝、紫朝、さん子、今輔、さん馬

両国公園前立花家 圓蔵、橘之助、文三、むらく、右女助、金三、圓歌、遊三、歌子、圓幸、亀次郎

麹町元園町青柳亭 つばめ、小柳枝、今輔、玉輔、恵美子、助平、さん子、石村、金坊、銀坊、三路、ピリケン

神田須田町際立花亭 遊星會 圓蔵、むらく、遊三、李彩、公園、三国連、金三、小圓朝、橘之助、璃鶴

人形町末広亭 雷門、小勝、さん馬、小三冶、石村、金坊銀坊、かしく、紫朝、恵美子、三路、鶴枝、小柳枝、文楽、三好、ビリケン

大正4712日 神戸新聞

大和座 特別興行十一日よりの出番は太郎、春輔、三升、ジョンベール、文我、蔵之助、鶴吉、一圓、正楽、圓三郎、千橘、花咲

大正4714日 九州日報(博多)

<桂小南一座・博多川丈座>

川丈座 十九日より東京落語三遊派桂小南一行花々しく開演の由なり一行の顔触れ左の如し。宮蔵(新内)小染、歌奴、日本太郎、若橘、南冶、遊三郎、小若、小平、小南

<編者註>小南一座の番組下記の通り。

718

落語弥次郎(小平)同転失気(槌三郎)長唄並に振事(染子)滑稽講談(太郎)新町ぞめき(南冶)落語曲芸(小圓太)富士櫻新内明烏(宮歳)野晒並に手踊(若橘)笑話並に扇舞(小南)大切空中自在玉兎(一座総出)

719

平のかげ(小平)牛ほめ(小若)長唄鶴亀(染子)□□あんま(槌三郎)吉原(南冶)蒟蒻問答(多摩助)虱茶屋(小圓太)新内千両幟(宮歳)書生料理(若橘)貝野村(小南)大切玉兎(総出)

大正4715日 北国新聞

<三遊亭円遊一座・金沢一九席
一九 本日より東京落語三遊亭圓遊一座にて開演すべく番組は左の如し

落語吹寄(遊一)滑稽二人旅行(遊二)音曲噺(遊若)昔噺(圓花)浄瑠璃(君子、越春)笑話手踊(遊幸)浪花昔噺(文右衛門)東京歌舞女道楽(遊菊)浮世節(遊之助)滑稽落語音曲ステテコ踊(圓遊)大切芸競べ(大一座)

大正471516日 名古屋新聞

<三遊亭円路一座・名古屋金輝館>
金輝館 落語音曲手踊り喜劇怪談三遊亭圓路一行好評大當り本日の出演者 洛助、二人、龍太郎、花一枝、小圓路、圓鹿、圓洛。(715

金輝館 落語音曲手踊茶番怪談噺東京三遊派三遊亭圓路一行益々好評本日の番組は、道灌(龍太郎)一目上り(花一枝)小正浄瑠璃(圓鹿)音曲大揚気(小圓路)足揚り(圓路)大切喜劇(宇津留木)(716

大正4715日 朝日新聞京都付録

◇笑福亭は十五日から大切に大道具電気応用の怪談噺を加へ枝太郎、文之助、円笑等が大車輪で勤めると、同日よりの出番順左の如し。

 ひさご、円二郎、円寿、芝楽、円の助、枝雁、小円佐、先太郎、福松郎、円丸、桃太郎、福円、小円丸、松琴、枝雀、円歌。

大正4717日 大阪毎日新聞

<浜寺海水浴十周年記念>

◇読者大会の順序次第 …両日(十七日・十八日)を通じて大活躍を為すべき大阪落語界の泰斗三友派一行は両日とも午前九時打揃ふて難波駅より乗車、直ちに浜寺に至りて楽隊を先頭に揃ひの服装華々しく南余興場に練り込むべく…(後略)。

浪花三友派の演芸種目 

 一、手踊 浜辺の賑 一、滑稽 道成寺 一、曲芸 一、舞・松の名所 一、無言の喜劇 一、掛合噺 一、奇術 一、舞越後獅子 一、滑稽達磨落し 一、地車踊 大切 十周年記念海水踊

 出演総連名 文治、染丸、文団治、小文枝、文三、春団治、文都、哥楽、円馬、喬之助、円子、妻奴、円太郎、小勝、馬生、円之助、紋右衛門、米団治、小文三、円枝、花咲、花橘、万光、菊団治、小米、文雀、朝枝、万治、文我、米紫以下十五名。

因に三友派一行は海水浴場内に余興興行中「寿獅子」の玩具二千個を用意し置き、見物の子供連に分与すべしといへば、当日来観の子供衆は大喜びなるべし。

大正4718日 奈良新聞

<新桂派一座・奈良尾花座
尾花座の落語 大阪南地紅梅亭引越し新桂派落語は十八日午後六時よろ尾花座に開演す。舞音曲ダンス軽口新内浮世節四ツ竹竹琴大切には祝獅子所作事あり。特等二十銭、平場行次第は十銭なりと。一座は左の如し

桂梅枝、三遊亭ぽんた、桂遊楽、富士松玉子、桂枝輔、桂扇昇、岡本小美栄

大正4719 大阪毎日新聞京都滋賀付録723日 京都日出新聞

<笑福亭の怪談噺>

◇此ごろ夜遅くから笑福亭で電気応用の怪談を聞かせる。盆に近い夏の夜に付、モノの幽霊談も面白かろうと一寸覗いて見る。ナンデモ西の宮酒屋の息子ドンと西の宮遊郭の花吉とが秋の夜、親の金を持ち出して奈良へ駆落する途中に、辻堂にて花吉は悪漢三次の為め惨殺された筋を仕込んだもの、恰度秋の夜とて雨はシト〳〵と降る中を、三次が行く先々で花吉の幽霊に襲はれる場面は黒布を一面に張詰めて真黒にし、只一個の電灯を照返して漸く真蒼な血塗れの幽霊がスーと現はると、悪漢三次も驚くまい事か、フニヤとなつて、因と諦めて呉れ南無阿弥陀仏…後は次の晩と打出した。幽霊だけに何だか尻切れだ。(滋賀付録)

◇笑福亭の怪談 夏だけに襟頸のゾッとするやうな怪談で客を寒がらさうとの趣向で、笑福亭では十五日から怪談を大切に加へて居る。一昨夜の噺は死んだ筈の旦那が生きてるとて女の家財を売払はしめ、逢はせに連れて行く途中に女をバラして金を取つたが、元で女は「うらめしい」と怖ろしい形相で真暗の舞台に現はれて出た。前が文之助、次が円笑の続き噺で、最後に枝太郎の怨霊が現はれると、蝋燭の微(かすか)な光で顔を照らして物すごい処を見せるのである。総体余り恐い心持も起させ得なかつたが、蝋燭で顔の輪廓だけをチラ〳〵覗す処は面白い趣向である。落語家は云ふ、「近頃のお客さんは気が短くて早く幽霊を見たがつて困る」と。成程時節だね。(京都日出)

大正4720日 香川新報

<三遊亭円遊一座・高松常盤館
常盤館の落語 東京落語小圓遊改め本家二代目三遊亭圓遊一行にて二十一日より開演初日芸題左の如し。

音曲はなし(三遊亭清遊)清元(三遊亭小糸)餅医者(三遊亭圓福)御閲露(三遊亭遊鶴)落語問答踊(柳亭春楽)勘定板(三遊亭圓満)物真似(三遊亭遊玉)音曲(和合亭福楽)剣舞(源一馬)滑稽落語成田小僧(三遊亭圓遊)大切ステテコ踏掛問答娘拳トツグリステテコカマホリ

大正4721日 神戸新聞

都座 本日よりの出番左の如し

南朝、枝右衛門、文鳴、圓丸、圓女、圓笑、歌六、圓登、伯糸、高蝶、小高、文二郎、助二郎、白魚、華嬢、梅左

大正4724日 京都日出新聞

◇京都倶楽部余興 京都倶楽部にては本月の例会として二十五日午後七時半より左の番組の余興ある由。

落語神の賑(万平)、□□一寸法師(菊団治)、曲芸(万治)、落語手踊(花橘)、落語(万光)、居候講釈(三八)、鬼あざみ(染丸)

大正472425日 大阪朝日新聞

○大阪落語界の近況(上)─寿々女会の解散─ 

▲何商売に限らず、協会とか組合とかを設ければ内輪喧嘩や角突合ひが絶える時無く、テンヤワンヤの騒動があるもの也。まして喋舌るが商売の落語界は高座だけの口舌では物足らず、お互同志の棚落しが遂には仲間割れとなり、仲間割れが嵩じて共仆(ともだお)れの境遇となり、昨今では食ふや食はずの鹿の群が、其処にも此処にも在りと云ふ。

▲話は尠しく溯るが、四五十年前の大阪落語界は、今日のやうに様々な別派も無く、唯笑福亭松鶴だの桂文枝外一二名が牛耳を握り、席への出方も五人か六人、多くて八人とあるからに、一人の高座時間が三十分から四十分と云ふ長時間、夫れに聴客の方にも聴上手が多く、「三十石」を演つてくれとか「紙屑屋」を喋舌れとか、夫々注文が出たものから、話す方でも気乗りが為(し)、落まで熱心に語つたもの也。夫れが今日では一人が精々十七分から二十分、二十五分も演つて居れば早速楽屋からチンと合図の鈴が鳴ると云ふ有様、夫れも一図に出方が増えた故(から)である。

▲そのやうに纏つてゐた落語界がボツ〳〵分離し始めたのは明治二十年頃で、此時席亭が軋轢したのを好機と見た北堀江賑江亭座主の藤原重助が、故人の文都、文団治及び引退した曽呂利新左衛門等の真打連を鳩合し三友派と呼ぶ一派を造つたので、仲間はずれにされた桂派の連中も自然と一派を形成し、連れて席亭も二派に別るゝに立ち至つたのだが、桂派には引退した文枝其他の真打が、正々として控へて居た為に、優に三友派に対抗し得られたのである。

▲三友派の出来る迄は出方への報酬は歩制度であつて給料制度に非ず、従つて高座も自ずと熱心に務めたが、三友派成立以来四つなり五つなり自分の持席を掛け持ちさせる都合上、給料制度に直した所、却(かえっ)て芸人は働かず、そのため客が来なくても、払う可き給料は払はねばならず、爾来損の為(し)つゞけ也とは身から出た錆とや云はん。(724

○大阪落語界の近況(下)─寿々女会の解散─

▲星移り物変り、時が経つに従つて桂派がどうも振は無い。是ではならぬと苦心の結果、当時三友派で人気のあつた四代目松鶴(即ち今日の松鶴)を出方に無断で引き入れたのが騒動の始まりで、之に憤慨した円馬、枝雀、其他の若手五六人が脱会し、円馬は敵の三友派に鞍替へをし、枝雀は新たに一派を造り反対派と称したので、憐れをとゞめたのは松鶴にて、今さら引くにも引かれぬ仕儀、其処で桂派の名を寿々女会と改めたが、頽勢は如何とも為(す)べからず、次第〳〵に落ち目となり、自分の持ち席国光席(今の宮崎席)や瓢亭、永楽館が三友派に降つてからは、非風惨憺、僅に蓬莱亭や御霊のあやめ館が孤塁を守つた甲斐も無く、何うしても持ち耐(こた)へる事が出来ぬとあつて、本年六月限り解散の運命に立ち至り、松鶴始め此の派の諸輩(もろもろ)は手を空うして、否、口を空うして遊んで居る。

▲偖(さて)然らば三友派は隆盛かと見るに、是はまた無闇に膨張させた為、大男総身に知恵が廻り兼ねた状態、と云ふのは、自派譜代の出方だけでも多過ぎる所へ寿々女会の脱走連が加はり、持席だけではハケ切れ無い所からして、持席ならぬ場末の席へ歩興行に出してやり、夫れでも廻り切れずに一束として地方巡業に出す計画の由、と斯(こ)う聞けば大分景気が宜(よ)い様にも取れるけれど、夫れも例の給料問題が祟つて席亭側は経済立たず、且又枝雀が居るので人気のある反対派が、木戸銭の安いのと、色物の盛り沢山を看板にして場末の席で頑張る所から、三友派も何時までもお高く止つてゐる訳にも行かず、場代は下げる、色物は加へる、色物を加へれば加へる程出方の数は増す道理、理(まこと)や今日では一席に二十五人位まで御機嫌を伺ひに顔を出す。併し三友派には南地紅梅亭の座主原田政橘という大熱心家が頑張つてゐて、夫れに文治、円馬、文団治、文都など云ふ真打蓮が真剣になつて働いてゐる故、什(ど)うやら斯(こ)うやら命脈だけは保つている。

▲偖(さて)最後に反対派の状況如何と云ふに、内輪揉めの結果、新反対派、旧反対派、新桂派の三派に分離し、場末の席亭ばかりを荒してゐる。おん大将は謂ふ迄もなく枝雀にして、其他の者は黒人であろうが素人であろうが一向お構ひ無し。清元結構、踊りよろしい、百面相差し支え無く、尺八面白しと云つた調子に、やくざな色物をヘタクタと集め、唯賑かに目先を変へる事ばかりに腐心して場代を格安に下げた所から、一時は勢力を得たけれど、大阪の聴客にも百姓ばかりは居ず、中には聴上手も居る所からして、近来は追い〳〵に人気が落ちたを付け込んで、頭を持ち上げて来たのが講談や浪花節の類である。──斯うして益々乱脈になり、日に日に衰微しやうとしてゐるのが浪花落語界の状態なりとは心細い限りなりけり。(725

大正4724日 大阪時事新報

<立花家千橘>

◇電車の千橘 二十三日の朝、日本橋三丁目から天満橋行に乗つた二人の男、一人は黒く丸い顔をして黒絽の紋付、夏帽を眉深に被つているをよく〳〵見れば鹿の千橘だ。今一人は白ヅボンに旧式のチヨツキ、上にはフロツクを着用に及んで黒く丸い人相の男は千橘の相棒と覚えたり。暫らくは双方ダンマリで済ましていたが、その中ペラ〳〵喋り出す。「築港はよく釣れまつせ、こんな大きい奴が餌も碌にないのに面白いほど釣れます」とフロツクが手で仕方話。太公望にかけては千橘も好きの道と見え「そいつは剛気だ、僕の釣り様は─」サック入りの蝙蝠を振廻す。近所の乗客は鼻の先へ洋杖が閃くのでヒヤリ〳〵、本職の鰌掬ひよりこの方が上出来である。

大正4729日 徳島毎日新聞

<三遊亭円遊一座・徳島緑館>
緑館 八月一日より開演に決せし三遊亭圓遊一行は何れも座員初目得の人気者ばかりにて遥々東部よりの出演にて早くも花柳社会の前景気盛んなりと。出演座員左の如し

三遊亭清遊、三遊亭小糸、三遊亭圓福、三遊亭遊鶴、柳亭春楽、三遊亭圓満、三遊亭遊玉、和合亭福楽、源一馬、三遊亭圓遊

大正4730日 山陽新報

大福座 二十八日より開演の合同落語一座今三十日の出し物左の如し

東の旅(桂小枝)宿屋町(橘家三代蔵)たらちめ(三遊亭枝雀)手踊(桂家八)大みゃく(三遊亭萬歳)天下泰平(桂由兵衛)片岡中将(東雲旭破)新町ぞめき(桂家圓玉)たぬきの釜(三遊亭小圓雀)天下一浮れの屑より(桂小燕枝)面芸(藤井圓八)おせつ徳三郎上下(三遊亭圓雀)大魔術(印度人ガブル)大切所作事弁慶安宅松(圓雀)

<編者註>この一座の小燕枝は、後の四代目文枝(本名瀬崎米三郎)。小燕枝は、地方巡業時、一時的に名乗っていたらしい。

大正4731日 大阪時事新報

<桂春団治>

◇春団治の羽織 浪花三友派の高座で人気を呼んでいる桂春団治、葡萄縮緬の袖へ熨斗目のつなぎ模様を、襟に桂春団治と白く染抜いた羽織を着用に及んだりして嬉しがつている男。とかく話は羽織に縁ありと見え、先年も着古した羽織を古着屋へ売払つたところ、その羽織が廻り廻つて自宅の向ひの古着屋の手に入り軒先にブラ下がつている。いくら売つた品とは云へ朝夕目に付く代物、これには閉口した目を瞑つて表格子を出入するとは本当か。

上方落語史料集成 大正4年(1915)8月

大正481日 大阪時事新報

◇浪花三友派 一日より南地紅梅亭(落語相撲、滑稽茶番、大切雪月花振事)、北陽永楽館(落語相撲、歌舞音曲、大切落語茶番)、福島延命館(落語、歌舞音曲、大切怪談噺桂文治口演道具入り)。

大正481日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日から左の出番順となり「京都丸山名物からくり的」と題し、落語、歌舞その他を演ず。

 万平、万十、染八、小南光、小文三、かしく、菊団治、万光、花咲、歌之助、柳昇、染丸。

◇笑福亭は一日から例年の通り落語大角力穴探しで、神戸、大阪から新顔三四名を加へ町席派の連中も加入し客に景品を出すと。行司は枝太郎、円笑、文之助で初日の取組は出歯の海対乳母車、近江雲対与田川、鱶の浦対白河鹿、駒勇対毛蚕、奥目形対後家鼠、朝徳利対片目嶽

大正481日 神戸新聞

◇演芸だより 
△栄館 文鳴、南朝、一奴、歌昇、東兵衛、呂光、若呂光、三尺坊、かほる、小正三、阪本、天地、小圓太、鶴八、亀八、文字助
△都座 南朝、歌昇、文鳴、鶴八、亀八、小正三、かほる、一奴、小圓太、文字助、呂光、若呂光、東兵衛、三尺坊、阪本、天地
△戎座 生田前戎座は一日より木戸場代半額として出番を左の如く変更。圓車、都枝、明遊、玉輔、三升、太郎、春輔、圓三郎、龍生、鶴吉、一圓、扇蔵、千橘

大正481日 北国新聞(金沢)

<柳亭芝楽一座・金沢喜久席
喜久席 愈々本日より東京落語柳亭芝楽一座にて花々しく開演すべく番組左の如し。入場料は下足共一人金十二銭にて中銭一切無料の由。

御祝儀三番(社中)落語手踊(さん楽)清元浮世節(春助)落語竹琴(右楽)落語曲芸(小圓子)活動写真(右楽)落語百面相(小團次)滑稽人情噺(武左衛門)音曲総まくり(楽助)落語扇舞吹寄舞(芝楽)大切新曲松の栄引抜かっぽれ(総出)

<編者註>814迄興行。15日より松任松月座にて興行。

大正481日 徳島毎日新聞

<三遊亭円遊一座・徳島緑館>

緑館 素晴らしき前景気を以て開館を待ち居る東京生粋落語三遊亭圓遊一行は昨日乗込み、愈々今一日午後六時より花々しく開演。一座中には日本一と銘打てる剣舞師源一馬あり、又富街幇間与二郎の兄者人和合亭福楽等加入し居るかたがた花柳界の評判好しと本夜の演題左の如し。

音曲噺し(清遊)清元(小糸)餅医者(圓福)御園露(遊鶴)落語問答踊り(春楽)勘定板(圓満)物真似(遊玉)音曲噺し(福楽)剣舞並に花な柳の舞(一馬)成田小僧(圓遊)大切圓遊一流ステテコ大一座総出

<編者註>810迄開演。

大正482日 神戸新聞

<須磨海水浴場の余興>

◇須磨の昼と夜 演劇と花火の壮観 大和座出勤落語連は常に滑稽を主とし御機嫌を伺い居れるも今日は本業を放れ舊劇「忠臣蔵」五六七段目の三幕を極々真面目の演劇として演ずることゝて大いに赴変りしものなるべく一座は数日稽古をなし充分舞台馴のせし所を見するとの意気込み。その役割は左の如く。

「忠臣蔵五段目」早野勘平(三升)斧定九郎(鶴吉)千崎弥五郎(正輔)与市兵衛(圓三郎)猪々(一圓)「忠臣蔵六段目」女房おかる(扇蔵)母おかや(一圓)一文字屋おさい(鶴吉)善六(玉輔)狸の角兵衛(春輔)めっぽう弥七(明遊)子守(團幸)千崎弥五郎(正輔)原郷右衛門(扇蔵)早野勘平(圓三郎)「忠臣蔵七段目」由良之助(春輔)力弥(太郎)九太夫(扇蔵)伴内(三升)千崎弥五郎(正輔)矢間重次郎(鶴吉)竹森喜太八(玉輔)仲居おむめ(團幸)幇間一八(小圓)幇間たぬき(小三太)亭主(明遊)寺岡平右衛門(圓三郎)遊女おかる(一圓)

尚一座はこの外小三太、小圓、玉輔、太郎が「落語手踊」明遊が「奇術」團幸が「滑稽琵琶」を演ずべし。

大正488日 満州日々新聞(大連)

花月館新築期 花月席の組織を変更し三萬五千圓(一株五十圓、七百株、半額払込)の株式となし新築することは既報の如くなるが、総株数の内発起人の手にて半数以上を引受け残余の募集株三百余株は今日まで続々申込みあり、余す処百株内外にしてここ数日中には満株となるべく。而して成立次第本月下旬か来月上旬中には起工し御大典迄には是非共竣成せしむべき計画にて吉野越次、桑島豊重、堀田文吉、間瀬増吉、多田勇吉、中村友二郎等諸委員にて建築に関する協議を終えたり。

大正489日 京都日出新聞

<伊藤痴遊・京都明治座>

◇明治座 明日より一週間、伊藤痴遊の時事講談会開催。一等五十銭、二等三十銭、三等二十銭、四等十銭。

◇[広告]当八月十日より一週間(毎夕六時開演) 通俗講談界の覇王 対支外交の顛末と時事問題 天下一品 伊藤痴遊出演

〈編者註〉十日から十六日までの演題は以下の通り。

八月 十日 大隈内閣成立の内情、山城屋和助と山県有朋、中江兆民と酒

八月十一日 大隈条約と三浦将軍の内奏、幕末の勝安房、日独開戦と臨時国会

八月十二日 乃木大将と桂太郎、怪医松本順、涜職議員の内幕

八月十三日 対支外交最後の北京談判、大久保内務卿の遭難、頼山陽と松方正義

八月十四日 大津事件と児島大審院長、王政維新政権返上の真相、大浦内相と白川友一

八月十五日 大浦内相と村野代議士、岩倉右大臣の遭難、殉死志士横川省三

八月十六日 大浦弾劾の議会、山岡鉄舟、憲政党内閣の崩壊

〈編者註〉八月十三日付に「大隈内閣に対する評は時節柄人の心を唆(そそ)り、痴遊一流の諧謔は確に天下一品にて女子供にも分る」とある。

大正4811日 大阪時事新報

◇浪花三友派 紅梅亭(滑稽茶番、落語相撲、大切四谷怪談桂文治道具入りにて出演)、北の新地永楽館(落語、音曲仮声、大切に四谷怪談文治、円子以下十名道具入出演)、福島延命館(落語、音曲、仮声、落語相撲、文三長講、大切女道楽)。

大正4811日 神戸又新日報

<都座改め日の出座>

◇落語 左の如く出番替え。

◎大和座 余興百物語、座員総踊、都枝、圓弥、玉輔、團幸、明遊、正輔、鶴吉、三升、太郎、市馬、圓二郎、弥次郎兵衛、春輔、圓三郎、扇蔵、千橘

◎栄館及び都座改め日の出座 文鳴、南朝、米之助、謹吾、金之助、時三郎、圓笑、望月、文紅、花月、五郎、三木松、門三郎

<編者註>米之助:後の四代目米團治(本名中濱賢三)

大正4813日 神戸新聞

今夜の遊園地 須磨寺遊園地月宮殿において今十三日午後六時より当地素人落語圓歌一派、橘派落語會を開催すべく番組は左の如くなるが、圓歌は永く大和座に出勤せしものにていかなる芸風が見物の意に投ずるやの経験あり。その方針にて門下を養育せしものとし、他會とは大いに垢抜けし滑稽充分なる処を演ずと意気込みなれば、顎の要心肝要なるべし。

落語(圓吉、歌三郎、歌三)手踊(喜代丸)落語(歌童、歌之助)落語手踊(歌助)奇術(川村)落語手踊(小圓二、圓作、扇雀、歌昇)音曲手踊(歌好)落語(歌雀、我楽、文之助、圓歌)軽口(圓我、圓雀)

<編者註>圓歌は、後の橘ノ圓都(本名池田豊次郎)。この頃は廃業していた。

大正4814日 山陽新報(岡山)

<三遊亭円雀一座・岡山大福座

大福座 十四日より圓雀一行にて開演する由番組左の如し。

浪花落語(小枝)東京落語(枝雀)浪花落語(三代蔵)落語音曲手踊(萬歳)浪花落語音曲(由兵衛)新講談(旭破)浪花落語滑稽手踊ステテコ(圓玉)東京落語(小圓雀)芝居噺(小燕枝)曲芸いろいろ(團八、東八)今様人情落語盆の曲扇の舞(圓雀)天下一品大魔術(ガブル)所作事(圓雀)

大正4814日 満州日々新聞

花月席(十五日より七日間) 伊賀の水月(吉田虎一)柳生旅日記(吉田勝利)東京落語(三遊亭圓松)五人白波羽衣お夏、外伝俵星玄蕃(吉田虎右衛門)余興奇術曲芸(笑旭斎福林)朝日の門松、庚申塚由来、稲葉松風(神田伯龍)

<編者註>圓松の番組は8/21「落語大阪奇談」8/22「落語芝居噺」8/23「掛取萬歳手踊」8/24「落語人間の源」8/25「落語大正話」

大正4815日 朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日から機算的といふので、一連何がでるか判らぬ芸尽し、夫々の工夫を凝しながら「落語と立噺の連鎖」や「娘都々逸の墨塗」大切には南座(右団治)の向うを張つて花咲が「鯉掴み」の真似事を見せ、暑さの砌り何度も高座に入れ代つてザワめく滑稽に御機嫌を取結んでゐる。シンミリした話の聴かれぬのは残念だが、時候柄これが客に受けてゐる。

大正4815日 神戸新聞

各種の演芸(須磨海水浴場) 余興場にては大和座落語連の手に依り本紙七面に揚げたる「怪談涼床」を喜劇に脚色上場なるゝの外左の諸芸を演ず。

落語手踊(小三太、小圓、圓車)曲芸手踊(都枝)百面相(玉輔)落語音曲(正輔)音曲琵琶(團幸)落語手踊(三升)一人相撲(鶴吉、弥次郎兵衛)音曲舞(太郎)奇術身体運動(春堂)音曲鰌掬い(千橘)落語(春輔)音曲(市馬)相舞(扇蔵、圓三郎)

大正4815日 大阪朝日新聞神戸付録

<三遊亭円遊一座・姫路楽天座
姫路楽天座は十五日より東京三遊亭圓遊一座にて盆興行

大正4816日 大阪時事新報

◇諸芸名人大会 京町堀第三文芸館にては開場三周年の記念特別興行として寿々女会連中、三友派の連中、小天嬢の奇術、八重子の浪花節、水也田旭嶺の筑前琵琶、此助の女義太夫、新町叶丸の滑稽手踊りその他いろいろ来る十五日より。三日間午後六時より。

〈編者註〉明治四十五年九月に開場。大正八年九月、京三倶楽部と改称する。

 大正4817日 香川新報(高松)

<三遊亭円雀一座・高松常盤館>

常盤館 十七日より東京大阪合同落語三遊亭圓雀一行にて開演初日出物左の如し。

東の旅(桂小枝)宿屋町(橘の升三郎)たらちね(三遊亭枝雀)蓄音機物真似手踊(桂家東八)天下泰平音曲(桂由兵衛)新講談青島の秘密(東雲旭破)寄合酒手踊ステテコ(橘右天坊)狸の釜手踊(三遊亭小圓雀)野崎参り手踊槍錆早替わり(桂小燕枝)日本音曲大魔術(印度人ガブル)忠孝盆の曲扇舞(三遊亭圓雀)曲芸いろいろ(藤井團八)大切所作事浦島(圓雀)

<編者註>圓雀一座の番組は、下記の通り。この小燕枝も後の四代目文枝。

819

高小屋(桂小枝)尼買い(橘の升三郎)一ト目上がり(三遊亭枝雀)蓄音機物真似手踊(桂家東八)だくだく手踊(三遊亭萬歳)新町ぞめき手踊(桂由兵衛)新講談青島秘密続(東雲旭破)五両残し手踊(橘ノ右天坊)にわか手踊(三遊亭小圓雀)愛宕山槍錆早替わり(桂小燕枝)日本天下一品音曲大魔術(ガブル)芝浜扇舞盆の曲(三遊亭圓雀)曲芸いろいろ(藤井團八)大切所作事越後獅子(圓雀)

820

煮売屋(小枝)兵庫船(升三郎)弥次郎(枝雀)物真似手踊(東八)やかん根問手踊(萬歳)豆売り音曲(由兵衛)新講談青島の秘密続(旭破)めくら景清(右天坊)花色木綿(小圓雀)紙屑屋槍錆早替わり(小燕枝)日本手品天下一品魔術(ガブル)写真の敵討扇舞盆の曲(圓雀)曲芸いろいろ(團八)大切所作事勧進帳内安宅松(圓雀)

大正4818日 大阪時事新報

○大阪は三友派の秋の鹿 桂枝雀も近々加入せん 

秋だから鹿といふ洒落でもないが、此間から法善寺の紅梅亭の原田と松竹との間に話があつて、角座で今月廿一日から落語家芝居をやる積りだつたが、都合で中止となつた。鹿仲間をズラリと見渡せば人さまざま、先般記した如く落語界の松竹たる原田の手によつて寿々女会派の有名な根城たりし北の新地の永楽館、福島の延命館は浪花三友派となり、寿々女会の名は預りとなり、その数名は三友派へ属して仕舞つた。寿々女会派の人気男、泥鰌掬ひの千橘及び蔵之助他一名で御霊社内のあやめ館に拠り三人会とかいふ名で孤軍奮闘をやつているが、寿々女会の大将たる松鶴は目下休んでいるさうだ。三友派へ此人が入るには相当な条件が付くし、それでは三友派もウント云ふまいし、また急に話が煮えまいが、千橘等と共にやがては入派するだらう。又桂派を唱へて独り京都にいる枝雀は近頃話があつて今秋から多分三友派へ加はることになるとやら。

大正4820日 朝日新聞京都付録

◇笑福亭では例年の通り穴拾ひ落語角力をやつてゐるが、何でも景品を奪うと理屈攻めに行司へ喰つてかゝりワイ〳〵騒ぎ廻るのが高座より面白い。

大正4821日 大阪朝日新聞神戸付録

二十一日より落語各座の顔触れは◎日出座 南朝、寒月、金時、小美根、美根子、圓好 ◎栄館 歌六、大将、錦枝、文鳴、桂太郎

大正4821日 九州日報(博多)

<桂小南一座・博多川丈座
川丈座(博多) 東京落語桂小南一行は先月末九州巡業中なりしが今回お名残として今二十一日より開演。一行大車輪にて勤むべく初日の番組左の如し

初旅(小若)長唄筑摩川(小染)成田小僧(槌三郎)独劇(南冶)四の字嫌い(小圓太)掛合芝居(弥次郎喜多)勘定板(若橘)新内明烏(宮歳)芝居の穴(小南)大切余興空中所作事「玉兎」

大正4822日 大阪時事新報
<落語の地蔵尊>

◇あまり荒唐な話がつゞきましたから、お笑ひ草を一席弁じませう。

落語の地蔵尊 今は魚仙と名乗つている元の落語家曽呂利新左衛門がよくやつた小話ですが、今では演るものは少くなりました。馬鹿々々し過ぎるセイか、その多く演らなくなつた理由は知りません。明治初年の頃でせう、その筋から地蔵様を祭ることを禁じられましたので地蔵様も御迷惑の至りです。お堂に安置して置けないので縁の下などへ隠されて蜘蛛の巣、犬猫の尿の耻を忍んでお出になつた時がありました。左の小話はこの一件と又同じ頃、惜しいチヨン髷が斬られ散髪となつたホヤ〳〵だつたから、以上の二つの出来事をもぢつて作つたものと見えます。

ある処に胸毛が多く生えていとむくつけきを悲しんで、又しても毛抜きで根よく抜いていた男を見て、気の毒がつた友達の利口者「オイそんな間どろしいことをしているよりも私が好い智慧を貸してやらう、先ず第一は黐を買つて来い」と云ひましたので、困つている男、喜んで黐を買つて来ました。すると縁の下に隠してあつた地蔵様を利口者が引張出して、地蔵様の頭へコテ〳〵と黐を塗りつけました。「サア此地蔵様の頭へお前の胸をピッタリ喰付けて暫くしてヤツと一息に引張つて御覧」と教へられて、件の男その通りにしてヤッと引放せば、胸毛は見事に地蔵様の頭へ喰付いて、地蔵様は俄に散髪頭となつたといふサゲです。縁の下へ地蔵を隠したり、散髪を事々しげに云ひ囃しました当時が何となく此小話によつて偲ばれるではありませんか。

〈編者註〉「露散る私の地蔵譚 子供が喜ぶこの廿三、四」と題して、地蔵祭りに因み、地蔵様にまつわる話を連載した第五回目。

大正4822日 京都日出新聞

◇芦辺館は二十一日より住登司、住千代、素女、住広にて開演。

〈編者註〉八月二日の演芸欄にあった大宮七条富士館に出演の女義太夫連中である。

大正4824日 大阪時事新報

◇松の座 松屋町の同座は本年十周年に当るを以て記念特別大興行として二十四日より三日間、諸芸大会を催し、落語、講談、琵琶、浪花節その他いろいろ、大切座員総出にて茶番をやる。

大正4825 徳島毎日新聞

稲荷座 既記大阪紅梅亭引越大阪落語若手大一座は二十八日より四日間の筈なりしが、同地九月興行の都合ありかたがた當地開演は一日短縮日延べなしの三日間に決定したり。更に當地出身者にして東京下り三友派若手の人気男立花家花橘および三笑亭可楽並びに富街幇間の初の家与二郎も出演すると言えば近来容易に見られざる大一座の落語となれり。

<編者註>実際は、花橘、可楽は不参加。27より開演。

大正4829日 徳島毎日新聞

<大阪三友派若手一座・徳島稲荷座>

稲荷座 大阪紅梅亭引越し若手落語一座。今夜の出し物左の如し因みに同座は既報の如く三日間限りなれば今夜限り千秋楽を告げ日延せず

兵庫船(春枝)浮れの尼買(染三)愛宕参り(染太郎)野崎参り(染太)赤子誉め(玉團冶)貧乏花見(米紫)五人廻し音曲(朝枝)掛取萬歳音曲(与二郎)曲芸(萬冶)親子芝居声色踊(小米)三十石踊(圓枝)宿替手踊(春團冶)大切喜劇引抜勢揃い。

大正4830日 九州日報

<扇遊亭金三一座・博多川丈座

川丈座 東京落語金三一行は今三十日町廻り初日開催の由番組左の如し。

一つ穴(扇之助)廓通い(金吾)輪違い(金八)近江八景(扇太郎)熊の皮(小圓太)曲芸数番(助二郎)夢金(三福)長唄ヴアイオリン合奏(勘三郎、勘左衛門)音曲俳優声色(金三)

〈編者註〉金三はのちの三代目三遊亭円遊(伊藤金三)。

大正4831日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派 九月一日より盆替り興行として組合全部の寄席と出演落語連左の如し。南地法善寺紅梅亭、北新地永楽館、新町瓢亭、福島延命館、船場国光席、天神裏門宮崎亭、空堀沢井亭。文治、文都、文団治、文三、円馬、円子、円太郎、紋右衛門、馬生、米団治、染丸、喬之助、小文枝、春団治、哥楽、新加入蔵之助、歌之助、文雀、稲子、稲八、橘太郎。

大正4831日 京都日出新聞

◇笑福亭 一日より左の出演順にて開演。ひさご、円寿、円二郎、芝楽、円之助、先太郎、枝雁、円丸、桃太郎、円笑、小円丸、福円、福松郎、枝雀、円歌、枝太郎。

上方落語史料集成 大正4年(1915)9月

大正491日 京都日出新聞

◇芦辺館  今一日より左の如く出演。落語ひさこ、落語万平、落語小南光、落語染八、落語三八、落語踊かしく、東京落語柳昇、落語踊花咲、落語文之助、富士松節歌舞島照、小文、かしく、落語染丸、落語顔芸四ツ竹万光、東京落語音曲円太郎。

◇豊梅館 九月一日より左の如き講談の外、余興として東京大阪三派の青年講談師の人気投票あり。旭堂南陵、宝井琴丈、神田伯英、旭堂南昇。

大正491日 香川新報(高松)

<三遊亭円雀一座・高松大黒座>
大黒座の圓雀 仏生山上町大黒座において一日より三遊亭圓雀一行、右天坊、小圓雀数名の落語、印度人ガブルの大魔術、日本音曲の興行なり。

大正492日 神戸新聞

<橘ノ圓が圓頂派を解散して神戸に帰る>

日の出座及び栄館は従来反対派一座なりしも本日よりお馴染みの圓三郎、扇蔵等の外、圓が久々にて加わる事となりたり。出番は左の如し

【日出座】正幸、春堂、圓弥、圓之助、三升、圓、圓三、圓二郎、扇蔵、圓翠、圓天坊、喜劇

【栄館】三橘、團橘、玉輔、圓之助、圓二郎、三升、圓翠、圓天坊、圓三、圓

大正492日 都新聞

大入寄席案内九月上席(広告)

両国公園前立花家 橘之助、むらく、圓橘、文三、右女助、璃彩、金三、璃鶴、遊朝、公園、圓左、越寿、圓歌、遊三、梅幸

京橋際金沢亭 橘之助、むらく、若燕、圓橘、金三、璃鶴、圓歌、文三、圓左、越寿、梅幸

人形町通鈴本亭 橘之助、むらく、圓歌、文三、圓橘、璃彩、璃鶴、公園、右女助、金三、圓左、万橘、亀治郎、りう馬、越寿、梅幸

神田白梅亭 橘之助、遊三、圓歌、李彩、圓橘、金三、圓左、歌吉、大切余興電気応用手踊、木戸十銭

大正498日 京都日出新聞朝日新聞京都付録

<京桂派の解散。笑福亭は大阪反対派の席となる>

◇笑福亭 同席は今迄京桂派にて開演して来たが、今度大阪反対派が買収することゝなりて三日より休席修繕を成し、十一日大阪より乗込み、自動車で町廻りを為して同日より開場、尚ほ今迄の京桂派へ席と同時に買収せられて大阪へ全部交替となつた。(日出)

◇笑福亭は三日から休席して内部を修繕してゐるが、大阪浪花反対派が買収して従前の京桂派連中も同派に走り、十一日から反対旗を翻へすが従来の連中は大阪に廻し新顔が十一日自動車で乗込んで他にかけ持席も作るといふ。(京都付録)

大正4911日 京都日出新聞

◇豊梅館 旭堂南陵外若手の人気投票は頗る佳境に入り、九日第一回締切には伯英、琴丈、南昇の順位。

大正4912日 京都日出新聞

◇笑福亭は亭内の修繕も出来、十一日より左の新顔にてお目通り。切女道楽鰌掬ひ総出手踊を見せる。

銀馬、小正三、枝右衛門、伯糸、ジヨンデー、白魚、東兵衛、花月、五郎、女道楽歌吉、福太郎、福助、次郎坊、太郎坊、小円太、直造、高蝶、小高、助六。

大正4913日 朝日新聞京都付録

◇十一日より大阪反対派落語一行、大津の博秀館に出演。

大正4913日 神戸新聞

栄館 落語家出番左の如し正輔、玉輔、團橘、市馬、圓之助、三升、團幸、圓天坊、圓二郎、扇蔵、茂子、明遊、圓、鶴吉、弥治郎兵衛

日の出座 本日よりの出番左の如し小圓二、團幸、正光、圓弥、美都、圓天坊、扇蔵、三升、市馬、圓三郎、都枝、圓二郎、圓、春輔

大正4913日 北国新聞(金沢)

<三遊亭円遊一座・金沢一九席
一九席 本日より十日間東京落語三遊亭圓遊大一座のお名残り興行をなすべく、番組左の如く。入場料十五銭なるが別項に半額券あり。

昔噺(遊二)落語手踊(遊学)落語音曲(圓花)落語曲芸ステテコ(遊一)落語物真似百面相(遊若)女道楽手踊(遊菊、遊之助)落語記憶術独楽の曲(三代松)滑稽落語ステテコ(圓遊)大切喜劇(総出)

大正4919日 京都日出新聞朝日新聞京都付録大阪毎日新聞920日 大阪朝日新聞

<桂文吾死亡>

らくご 009◇桂文吾死す 浪花三友派京都演芸場新京極芦辺館に幹部として出演しつゝありし桂文吾氏は、昨年十二月足部切開手術後の経過悪しく、其後も無理に出演し江湖の同情を博しつゝありしが、遂に七月より休場し、専ら自宅にて療養中、一昨日午前一時死去せり。享年正に五十一歳。期界の為めに惜むべし。(京都日出)

◇桂文吾死す 文枝死し、文左衛門去つて大阪落語の凋落を思はせし時、僅に二三の同志と共に踏み止まつて昔の面影を伝へ、数年前には東京に遠征して持囃されたる釼先鯣事桂文吾は、其後性来の酒に病を得て片足を切断したが、一時快方に向ひて不自由の身を再び高座に現し円熟せる滑稽味に純上方落語の第一人とまで称せられしが、又復病再発して休席加養中の所、遂に十七日午前一時自宅にて死亡せり。

同人は京都新寺町五條下る某寺の伜、十六歳から味噌屋を始めたるがマンマと味噌をつけ、襯衣屋、下駄屋などと商売変したるも何れも失敗して、揚句は初代松鶴の門人立川八百蔵の家に居候となつて落語の群に入り、立川八百十(ママ)と名乗つて現れたるが初舞台、後先代文吾(俗に山寺)と云ふが同志を集め神戸の生田席に旗揚挙したるに加はり、桂小文吾を継ぎ、明治三十四五年文吾となりしにて、本名は鈴永幸次郎、年五十一歳。辞世に曰く「楽みな浮世も今はかしくかな」(京都付録)

◇桂文吾 浪花三友派の幹事にして関西落語界の重鎮たりし桂文吾は、京都裏寺町の自宅にて久しく病気療養中の処、薬石効無く十七日午前一時遂に死去せり。亨年五十一。同人が生前最も得意とせしは駱駝の葬式、鹿鍋、市助酒、帯久の裁判等なりし。(大阪毎日)

◇桂文吾死す 一時大阪落語界にときめきし同人は、先年片足を切断したるも尚高座に現れ円熟せる話しぶりを発起したるも、遂に去る十七日死亡したり。(大阪朝日)

大正4920日 大阪朝日新聞

<桂柳枝>

◇後連の相図のチン〳〵が聴えず出番を狂はせてばかりゐる聾の柳枝、息子や娘から仲間に迷惑かけて迄寄席へ出るにも当たるまいと叱られ、ヘン耳が確で阿呆らしい事いふてゐられるかい。

大正4920日 神戸新聞

日の出座 落語余興喜劇「富士娘」は大喝采を博し居れりその役割は左の如し

清水幸運斎(弥次郎兵衛)女房たつ(春輔)娘君子(鶴吉)弁士中村(正輔)産婆とら(團幸)娘たま(玉輔)車夫竹中(明遊)渡辺文学士(五郎)清水娘(圓二郎)豪商糸平(圓天坊)書生熊本(圓之助)

<編者註>弁士中村の林家正輔は本名中村良三。車夫竹中の月亭明遊(桂南天)は本名竹中重春。

大正492223242527 朝日新聞京都付録

○酔生五十年(一) 桂文吾の一生 

 浪花落語界に重きをなした桂文吾も酒と討死して十七日三文五厘の浮世を終つた。彼れは何んな男であつたか? 

御維新の騒ぎ最中、土手町上の口下る鈴永といふ家に暫し匿はれてゐた長州の武士があつた。折柄同家に、他へ縁付いて居つたが不縁となつて子を連れて帰つて来た娘がゐた。出戻りの嫁は武士といつか割ない仲となつた。間もなう、男は鳥羽の戦ひに馳せ向うて討死した。誠に果敢ない契りであつたが、嫁はこの間に武士が情の胤を宿してゐたのである。斯くて父の名も知らずに産れた子が後の文吾である。今から二十年程前のことである。

本願寺の枳殻御殿に招かれて僧侶の仲で一席御機嫌を取り結んだ後で、身の上話などが出て、文吾は長州武士の物語りをした時に、一僧侶は頻に首を捻つてゐたが、いつまでも板の間にそんな稼業をしてゐるも詰らぬではないか、綺麗に足を洗うて寺の書記にでもなれと盛んに勧めた。その後絶えて便りははいが、その時から文吾は知らぬ父は寺に縁故のあるものに違ひないと、親は坊主で御座りました、詰らぬ奴は坊主にせいと申しますが、私のは坊主の胤から詰らぬ奴が産れ出したので、寺から里への逆男で御座りますといふやうになつた。

話は元に戻つて、父をしらぬ子は長じて十六歳の年に味噌屋を始めたが、見ず事これに味噌を付けて、次はシャツ屋と商売がへをしたが、これも手が合はン。三度目には下駄屋に転業したが、根が酒好きの道楽者とてまたも辷つて転んで了つた。こゝに後の矢が続かず、遊ぶ間に屡々座敷へ呼んだことのある落語家立川八百蔵を頼つて居候となつた。立花家橘之助が十二三歳のまだ前髪で売り出してゐる頃で、初代松鶴の門人であつた八百蔵は新京極六角東南角の席に真打を勤めてゐた。これへ落語のネタその侭に商売の棒を折つた放蕩児は「箸紙に様の付いたる居候」と納まつたが、偖(さて)紙屑選りも出来ず、遂に立川八百寿と名乗つて高座に現れたのが、文吾十九歳の初舞台である。(922

〇酔生五十年(二) 酒と離れぬ文吾 

 好きな道に助けられて芸人の群に入つた文吾は、笑はれなと育てられた身が笑はれるやうにと努むる身となつた。使うた金に使はれるは啻(ただ)に幇間ばかりではない。文吾の若い昔もそれであつたが、何が偖(さて)子供から囃子部屋に坐り込んで辛い修業を積んだのではなく、好きな寄席通ひに「何をやつてやア」と声かけた客が、忽ち一転しての芸人、小耳に挟んだのを器用で叩く下駄箱であつたから、前座時代の彼の落語は巧いものではなかつた。ポツリ〳〵と繰り出す口調に一種の可笑味を有つのを漸く身上とする丈けであつた。

浪花節芝居の元祖といふ市川錦三郎の亡父桂錦枝の門に入り、幾代亭から笑福亭と京の高座に入れ込みを続け、後には鶴松と自ら名乗つて旅から旅を彷徨(さまよ)うた。その間には御難で女房と二人手に手を取つてしらぬ山道を駆落したこともある。大いに当つて人形遣ひの淡路三左衛門と木戸銭の競争から「私の方は米を食うがお前の方は藁を食ふ」といふ妙な喧嘩に警察沙汰を見たこともあつた。

遊芸人のさすらひに波瀾重畳[波乱万丈]の中で変らぬのは盃の数ばかり。酒好きといふのも多いが彼れ程の酒好きはまた少からう。二六時中酒の香と離れることがなかつた。席が閉場(はね)ると連中と膳を並べて「オーイ一本」を呼び出す。蚊の多い夏の最中でも団扇一つ動かさず盃に親しんで、チヨビリ〳〵と甜め初める。一杯の盃を四度位に刻んで唇に当て、連中が食事を終つて蚊帳にモグリ込んでも、縁側に大裸体の褌一貫で盃をあげる彼れの姿は動きはせぬ。一本二本三本と徳利の数は時刻と共に増して、夜遊びの連中が帰つて戸をコツ〳〵叩くと黙つて開けてやつてまた坐り込む。五本六本となる内に夜が白々と白む時分に、漸く彼れは盃の雫を甜ずつて伏せる。朝の遅い連中が起きて見ると、その頃裸体の侭寝茣蓙の上へコロリと横に、太陽が当らうが蚊が寄らうが一切頓着なしに寝てゐる。他が昼飯を済ました後に、彼はヌウと起き上つて膳を呼ぶとまた盃、夕方まで続けて酔うた身体を高座へ運び、帰ると再び前夜通りで、この間に飯は茶碗に一杯食うや食はず、酔うて生きた彼れの五十年はかうした旅の酒の中に消されたので、後年名人となつたのもこの甜める盃の中から出た工夫に錆が乗り熟したのであると共に、憐れな往生を遂げたのもこの盃の科である。一方身体を傷けつゝ彼は一方に高座の思案ばかりに暮れてゐたのであつた。(923

〇酔生五十年(三) 仁王の首物語

 旅から旅へと酔ひ廻り、流れ〳〵て神戸に着いた時に、山寺と称ばれた先代の文吾が生田の席に新しい旗幟を樹てるに会うた。彼れは直にその旗下に馳せ加はつて、こゝに先代文三の前名落語家中の美男小文吾の名を継いだ。同じ名の小文吾でも一方は業平と行かずともくつきりの色白の美男、こちらは剱先鯣の綽名を取つたむくつけな黒色人種、小文吾と聞いて密と逢ひに来た馴染の女が、産れ代つた二代目を見て虫酢を走らせたといふ高座以外の滑稽も多かつた。

彼れが珍面ーイヤ渋面の如何なるものであるかは多くをいふ必要がない。面白い小話を紹介すれば足るのである。確な年は忘れたが数年前のことである。大阪に一風変つた畸人の集会があつた時、彼れもその席末を汚してゐたが、中に交つた彫刻家の田中主水氏、丁と膝を打つて、「この男に違ひない、君だ〳〵」と矢庭に叫んだ。文吾少々たぢろぎの体で、「君だ〳〵」と仰有るはと怪訝の眼を光らすと、主水先生転ぶがやうに腹を押へて、「成程似たり、よくに似たり、全く以て瓜二つ」といよ〳〵判らぬことをいふ。「その似たといふは」と問ひ返すと、やう〳〵笑ひを納めて「実は」と語るを聞けば、ズンと以前ある古道具屋で木彫の仁王さんの首を買つたことがある。それを座敷に飾つて置くと、或る日友達が来て、この顔は誰かに似てゐると稍暫し思案の末、オヽさうだあの落語家だといつたものゝ名が判らない。主水氏はこんな顔のと気にかゝつたので、その後落語家に会ふ度に聞いても見たり注意もしたが、皆くれ[掻い繰れ]今まで誰れだか判らなかつたのに 願ひ叶うて不思議の縁で巡り会うた。記念の為に箱は拙者が作つて、君にその仁王をお贈りしやうと、約束整うて後に曽呂利の手を経て送つて来た。これが死しての後に「仁王斎桂山文吾居士」の戒名となつた由来で、生前「せんぶり飲んだ仁王さん」と綽名も既に変つてゐた。その顔の如何に苦さうに出来てゐたかを推すに足らう。(924

〇酔生五十年(四) 慢気に狂ふた心 

 離さぬ盃をチビリ〳〵と挙げる間に高座の工夫を凝らした彼れは、一種持つて産れた口調に落語を合せて来て真打の看板に彼れの名は筆太に書かれるやうになつた。神戸から故仁左衛門の斡旋で不首尾であつた京の幾代亭に帰り、爾来二十年近く京都の高座に「仁王」の首を曝した。この間に小文吾は文吾となり、幾代亭が芦辺館となつての後は、先輩を突き退けて忽ち一枚看板の大真打となつた。

素噺しの扇子一本に彼れの天性は発揮され来つたのである。衰へんとする大阪落語の大勢を挽回さんと、今も続く落語日曜会を創始したのも彼れで、後進に研究させながら徳川時代の浪花風俗を三寸の舌頭に躍らせて好者を喜ばせた。「駱駝の葬式」や「市助酒」の酔塩梅、一杯宛増す酒に心地の変つて行く下司根性を表す足どりは、実に古今独歩とも称したものがある、

文左衛門引退後先づ大阪噺しは彼れの独壇場といつた形。彼の黄金時代はこの前後で、菰樽の二挺も家に備へて天晴芦辺館の王様となり済ましたこともある。大阪に乗り出せば大阪を風靡し、東京へ遠征を試みれば柳家小さん兄分のやうに持ち上げて、「駱駝」落語はこれが手前の師匠と、自分が五十円の座敷なら八十円でなければ本人をやらぬやうに奉つた。従つて東京での評判も高く、二時間の高座を一つの素噺しで持ち切るものはこの男一人よりあるまいと讃へ、甚だしいのになると円朝以来の円朝だと飛んだ評まで加へたものもあつた。

外がこれだから本人の鼻の高さは幾十丈、高い板敷に浮世を茶にした悟り顔はすれど根が何といつても凡夫の悲しさ、自ら古今の名人と逆せ上つて了つた。高座はそれと共にいよ〳〵巧くなつたが、慢気は遂に心を狂はしめて、京に帰つて後は素裸体で往来を歩いたり、高座に客を控へて冒頭も振らずに引込んだり、狂態の数々が見えるやうになつた。

それは一昨年のことで、本人は丑の廻り年だから牛肉を断つて疫逃れをといつてゐたが、反対に大に祟つて遂に病院裡に薬三昧の日を送る様になつた。それも何うやら納つて再び高座に「仁王の首」を見るやうになつたが、慢気は何処までも失せぬか、「文左衛門」の名蹟を継ぐといひ出し、席亭は文三もあることだから当分売れた文吾でゐよと宥めてもいつかな聞かず、さらば勝手に名乗るとて「紀の国屋文左衛門」の手拭扇子を注文したりなどして得々たるものがあつた。貧乏しながら名に憧れて狂ふ心を押へられなかつた彼れは、矢張り一部の芸術家としての名人気質であつたのであらうか。(925

〇酔生五十年(五) 浮世も今はかしく哉 

 斯る内に宿年の酒の毒は慢心の彼れが身体を襲うた。右足に脱疽を患ひて歩みも覚束なく、高座に再勤すること暫しで、又も病院裡に呻くことゝなつた。千々に治療を加へたが、何うしても患部の片足は切断せねばならぬ結果となつて、いよ〳〵明日大手術を行う宣告を受けた。酒に足を取られるとよくいふが、彼は真実酒に片足を切つて取られることゝなつた。その日に彼れはその痛む足を叩いて「己ぬ、ようも長らく俺を苦しめやがつた、明日は何うするか覚えてゐろ」と、例の真面目腐つた顔で呟いたといふ。いよ〳〵手術が終つて片足がそこに転んだ時、魔睡剤から覚めた彼れは「こら、何んなものぢや」と再び叫んだ。その口調を思ひ泛べると彼れの高座振が眼に見えて、捨鉢のやうな滑稽味が髣髴とする。彼れが後の病気に寝ながら書き付けた日記にこんな文字がある。「十二月七日午後三時手術す、翌日になり」と前書して「片足や今日はどこまで行つたやら」。片足や本郷へ行くわいなの落語と思ひ合はされて淡い涙の笑ひがある。

翌くる大正四年一月四日には彼れも酒には凝り凝りしたか禁酒を誓つた。句あり「捨てて見りやどこが味やら灘の水」「かたむけた樽のむくひや菰かぶり」と。片足は遂に何処かへ行つたが、生命は漸と取留めて程なく退院、その時女房も彼れに劣らぬ洒落者、不具の彼れを乳母車に乗せて「桂文吾」の紅提灯を前に照らし新京極を押し歩いて見物させた。偶のこれが楽しみであつたらしく、その他は常に寝て暮らしたと見え「楽しみな浮世を昼夜寝て暮し」の手記がある。

五十一歳の二月一日、改めて片足の侭高座に現れるまでに至つた時「五十路すぎ今日がうれしい初舞台」と記してホツと息吐いたらしいが、彼の文左衛門問題は足を失うても念頭を去らず、盛んに席亭に迫つて容れられぬに、では三友派を去つて他派に入り「紀国屋文左衛門」の看板を掲げますと、喧嘩棒千裂の最後を見て席を退き、裏寺町西念寺に悶々の身を横へる間に次第に衰弱して死したので、「親の恩また思ひ出す土用干」などの句が日記にあるを見ても余程心細かつたと見える。

併し落語はそれでも忘れなかつたか、病中日記に一口噺の四五も書き付けてゐた。絶筆の噺であるからこれを彼れの落語の最後と見ることが出来やう。その一を挙げる。

風流人が共を連れ瓢を提げて野辺にかゝりますると、ある一軒の家のれん櫺子窓の机に凭れてゐる若い人がありました。「これ権助、俺等は風雅〳〵といふが、店の事や家の事を聞くので直ぐ無風流になる、あの若い人などは雪月花を伴侶として真の風流ぢや、何と羨ましいやないか」と下を通り過ぎますると、上の男窓から首を伸ばして「あゝあゝ金がほしい」

こんなことを書き付けて僅に鬱をやつてゐたのであつた。死して密葬も朝の間に済ましたその午後、この日記を捜し出して「楽しみ日記、紀文」と記したその最後の頁を開いて見ると、彼れは既に死を期してゐたのか、思ひも寄らぬ遺書が現れた。

  葬式の事

 住居出て笑福亭裏を通り、芦辺館裏にて駕を休み、シャギリを入れお勤めをして、寺町南四条東姉(祇園義太夫小高)の表にて休め、仏壇を祀つて下され、それより火葬場に行つて、山菓子は葉書十枚、おこつ三十五日までおく事、納めたれば勝手次第、併し酒一ト雫も供へる事断り、花水菓子を頼み升

それと見た女房はワツと泣いた。せめてこれが一日早く発見されたら、出来る丈けはこれによるものを、貧乏してゐて葉書十枚とはよくいふた、と今更にまた愚痴が出た。芦辺館ではこの遺書に従うて既に関係は絶たれてゐるが、古い誼みは切れぬのであるから、二十五日午前寺式の本葬を営む時に意志に添うやうにするといふ。酒に費した「酔生五十年」、臨終の際に書き遺して葬式に「シヤギリ」は彼れの滑稽味を示し、酒を断つたのには最後の悟りの悲しさがある。辞世に曰く「楽しみな浮世も今はかしくかな」(完)(927

4922 朝日新聞京都付録

◇富士の家 道路拡張のため去月来改築中の富士の家はいよ〳〵落成本日より芦辺館社中掛持にて出演。

大正4922日 山陽新報(岡山)

大福座 本日の番組左の如し

二人旅行尼買(圓子)萬病丹(明玉)新町橋出入の港(掛合)かけ取萬歳(圓太郎)松引(圓三)住吉駕籠(燕枝)質屋の原[蔵]曲引(圓翠)より合酒(扇枝)大切金の世の中(総出)

大正4924日 大阪朝日新聞

<曽呂利新左衛門>

古い借り 曽呂利改め画家の漁仙古い借金の始末をつけやうと心当りへ通知を出したが誰もやつて来ない。「かう見えて俺もまだ信用がおます」と大得意。貸主手合の方では「曽呂利の奴、こない云うて来たが迂猾には立寄れむぞ」。

大正4925日 大阪朝日新聞

<立花家喬之助>

売れる 三友派色物の喬之助、あの顔で都々逸を唸つて引き下ると、次に出た者が「あれでも女芸人でございます」。まだ楽屋に居た本人ヒヨツコリ顔を出し、「これでも売れる時には売れまつせ」。すると抜からず、「あれでも売れる時は売れるさうでございます」はコキ卸したものだ。

大正4926日 京都日出新聞朝日新聞京都付録

<桂文吾の葬式>

◇三味太鼓で浄土行 故桂文吾氏の葬儀は昨日午前十時より故人が生前住居せし裏寺町六角下る西念寺にて寺式にて執行した。芦辺館よりは連中総出にて故人の遺言によつて一切を処理し、読経後は故人の楽屋よりの出囃子にて三味太鼓笛の鳴物入の間を順次焼香し、最後に文之助が遺言中の風流に因みて一席の落語を演じ、一座三拍子に締めて正午式を了りたるが、故人の遺言は斯る場所にも其の面影を躍如たらしめて遺憾なかつた。尚ほ本日芦辺館の日曜会は別項番組通にて追善会を開くことゝなつた。(京都日出)

◇鳴物入の葬式=桂文吾の寺式=  三友派落語芦辺館連中は故桂文吾の葬儀を二十五日午前十時半から彼れが暫しの住居としてそこに最期を遂げた裏寺町六角の西念寺に営んだ。幇間、落語家、芸妓等に知己親戚を加へて参列する者数十名、遺書によつて参拝者には葉書十枚宛の供養を頒ち、十一時加茂同寺住職導師となつて厳かな読経あり、偈を手向け、親戚参拝者の焼香が終つて僧侶が退くと、これも遺書によつて囃子方はドヾンと一番の「シャギリ」を入れ、絃の音が響くとそれが故人が常に高座に登る時の「ノツトウ」の囃子となる。この間に席亭連中一同は焼香して、友人文之助は囃子を閉づる為に中央に進み、故人が病床に書き遺した絶筆の一口噺を一席仏に告げて、茲にチヨンチヨンと最後の手打をなして式を閉ぢた。二十六日正午からは芦辺館で特に大阪より桂文三親子を聘び、故人の追善落語会を催し、その上り高で遺族を慰める筈といふ。当日の番組は左の如く葬式や法事に因んだものばかりを選んだ。

向ふ付(小南光)、赤子茶屋(三八)、阿弥陀ケ池(花咲)、けんげし茶屋(万光)、儒者の見舞(柳昇)、足上り(小文三)、口合按摩(文の助)、空也念仏黄金の狐(染丸・かしく)、仕込みの大砲(文三)、音曲噺(円太郎)、大切故文吾より第一の通信(座員一同)。(京都付録)

大正4926日 北国新聞

<古今亭今輔一座・金沢一九席

一九席 東京落語番組左の如し。

落語(今二)落語音曲(今坂)清元端唄(今吉)落語手踊(弥輔)滑稽落語(今蔵)滑稽軽口(銀坊、金宝)西洋手品(ピリケン)音曲(三路)滑稽落語音曲(今輔)諸芸吹寄せ(総出) 

大正4926日 香川新報

<新桂派一座・高松常盤館

常盤館 二十六日(四日目)左の如し。

小倉船(桂遊楽)百人坊主(桂雀圓)軽口お半長兵衛(ぽん太、雀圓)芝居噺加賀見山花見音曲舞手踊(桂トンボ)三十三箇所花の山沢市住家(富士松玉奴)東京小町天才口笛曲ふき(三遊亭ぽん太)菊江仏壇吹き寄せ講談(桂扇昇)いらち車音曲手踊(桂文七)三十石四つ竹早替わり(桂枝光)切狂言昔二 

大正4928日 大阪朝日新聞

◇フジミ 反対派で体へ分銅をブツつけている明治金時、「私の体は昔でいへば不刃身です」。お客「そんなら西行としろ」。

大正4929日 大阪朝日新聞
<桂文治>

◇とばつちり 三友派の文治、弟子を呼びつけて叱言最中、玄関へ来た撒水係を巡査と間違へ頓首再拝、後でそれと判つて「世話な餓鬼だ」と叱言の巻直し。弟子小声で「水撒屋丈に飛沫がひど過ぎる」。

大正4930日 大阪朝日新聞

◇涼しい福島の寄席で先達の晩客がたつた一人しか来ない。でも打出迄神妙に宮本武勇伝を読み続けた延升、席主から「先生毎晩お暑いのに御苦労」といはれ、「なあに涼し過ぎる晩もあります」。

上方落語史料集成 大正4年(1915)10月

大正4101日 番組ビラ

<法善寺花月亭の出番表①>

らくご 003

十月一日より改築落成開館/浪華落語反対派の一大改革/出演者多数ニ付出番一日、十一日、廿一日替り/南地千日法善寺 蓬莱館改メ花月亭 電話南四三八番

時下秋冷の砌りに御座候處、四方の各位益々御清福の段、大賀奉り候。偖て弊館義以前蓬莱館と称し寿々女会の定席として開演致し居り候處、不肖当社経営に当り、内外部を改造すと同時に名も花月亭と改め、是迄の蓬莱館時代の悪弊風を去り、お茶子、表方に至る迄改革し、一大刷新を施し、落語反対派の定席として開演仕り候。就ては当反対派は是迄楽天地余興部及び集寄亭に出演致し居り候處、二ヶ所を打上げ、当派全員百数十名の中より幹部のみを網羅し、粋を集め、当席を反対派の根城になし、不肖芦辺合名社直営の元に、当る十一月一日より花々敷開場仕り候間、何卒開場当日より永当〳〵賑々しく御来場の程、偏に希い上げ奉り候。蓬莱館改メ芦辺合名社直営 花月亭 敬白(読み下し・編者)

出演順

落語 桂都鶴 落語 笑福亭笑太郎 落語踊 桂小雀 落語 桂文字助 落語音曲 桂門三郎 美術紙切り 巴家伯糸 落語舞 桂桃太郎 新講談 氏原一 音曲踊 橘家千橘 女道楽 桐乃家福助・松乃家歌吉 音曲噺 桂文二郎 真正剣舞 天地聖・斎藤大轟 落語扇舞 露乃五郎 筑前琵琶 中村翠湖

落語文人踊 桂輔六 かる口 桂次良坊・桂太良坊 新内舞踊 富士松小高・高蝶 曲芸 春本助二郎・海老一直造

<法善寺花月亭の出番表②>
  

らくご 004

十一月三十一日より出番替り(以下省略)

〈編者註〉上掲の番組ビラ(二枚とも)は『藝能懇話』第三号(平成2年)に掲載されたものである。芦辺合名社は吉本興業の前身。吉本が初めて手に入れた一流席。ここを根城として、これより飛躍的な発展を遂げる。

余談ながら、この年三月二十五日に衆議院議員選挙が行われ、蓬莱館の持主でもあった金沢利助が立候補して落選、その後選挙違反で逮捕された。利助は禁固三箇月、蓬莱館の運営を任されていた長岡源(玄)四郎も同罪に問われ、罰金八十円を求刑された。この事件が蓬莱館を手放す原因のひとつだったといわれている。

大正4101日 京都日出新聞

◇芦辺館 一日より左の出演順。万平、染八、円丸、小南光、枝雁、かしく、三八、柳昇、小円丸、文之助、染丸、小米、蔵之助、万三、万次、文三。

◇笑福亭 浪華反対派は一日より全部新顔にてお目通りする。出演者は枝右衛門、金之助、歌六、銀中、かをる、三尺坊、福来、福馬、小紋、米子、右良坊、正一、張春、張剣斎、若呂光、呂光、花団治。

大正4101日 神戸又新日報

落語 本日よりの顔触れ及び出番順
日の出座 都枝、圓之助、圓二郎、正輔、鶴吉、一圓、正楽、三升、圓三郎、圓天坊、扇蔵、萬光、春輔、花橘
▲大和座 圓橘、正輔、團幸、都枝、三升、圓二郎、圓三郎、鶴吉、弥次郎兵衛、正楽、萬光、花橘、春輔、圓天坊、扇蔵

大正4101日 都新聞

大入寄席案内十月上席(広告)

両国公園前立花家 圓蔵、圓右、伯鶴、圓歌、むらく、若辰、圓左、萬橘、歌子、文三、公園、遊将、右女助、三国連

神田白梅亭 橘之助、むらく、圓蔵、公園、亀次郎、圓幸、小圓蔵、璃鶴、越寿、りう馬、圓左、梅幸、宮歳、日本太郎

大正4101368日 徳島毎日新聞

<三遊亭円雀一座・徳島緑館>

緑館 東都花形三遊亭圓雀落語一行はいよいよ今晩より開演初日の番組左の如し。

浪花落語(橘の升三郎)東京落語(三遊亭枝雀)落語百面相(東雲旭破)浪花落語(橘の天天坊)落語手踊(三遊亭萬歳)浪花落語(橘の右天坊)天下一品魔術並に日本音曲(印度人ガブル)東京落語手踊(三遊亭小圓雀)東京落語盆の曲扇の舞(座長三遊亭圓雀)大切所作事越後獅子(楽屋総出)(101

緑館 三遊亭圓雀落語一行は女道楽三遊亭金太の加わりゐると人気者の印度人カブルが芸術取替ゐる等にて喝采を博し居れり、入場料特等十八銭、一等十三銭。(103