大正5年

上方落語史料集成 大正5年(1916)1月

大正511

◇新春の寄席(大阪)

❍三友派 南地紅梅亭、北新地永楽館、福島延命館、新町瓢亭、御霊あやめ館、空堀沢井亭、天満宮崎亭。

 三遊亭春馬(新笑話・三絃曲彈)、古堂珍郎(ヴアヰオリン)、長州庵観月(筑前琵琶)、橘の円(東京噺・   
 舞)、杵屋正子、同六の助、正六(長唄)、マヂツク北洋、コメデーミカド師小天長(奇術)が加入。

❍反対派 法善寺花月亭、千日前集寄亭、新世界松の館、松島第一文芸館、天満第二文芸館、京町堀第三文芸
 館、松島芦辺館、堀江賑江亭、福島龍虎館、天神橋五丁目都館、梅田松井席、(以下難波郡内)稲荷館、喜
 安館、いろは館、丸宝亭、広田館、丸市館、稲荷倶楽部、難波亭(以上反対派及び浪花節席)。

◇新年の寄席(京都)

❍三友派 芦辺館。長久亭(芦辺館掛持)。

 万平、枝女太、染八、小南光、枝雁、三八、かしく、文の助、花咲、柳昇、月湖、小文三、万光、枝太郎、
 春枝、小大長。

❍反対派 笑福亭。又旅真楽亭(笑福亭掛持)。

 円寿、笑太郎、小正三、佐太郎、文字助、福太郎、三木松、金の助、華嬢、円三郎、右近、円笑、菊奴、亀
 八、鶴八、白魚、福円、友吉、福助、花団治、大将、斎藤、天地。

大正511日 大阪時事新報

<反対派の隆盛>

◇演芸見通し盛衰記 …落語界は三友派の天下が続くが、又反対派の勢力も侮り難い。場末から市の中心へどし〳〵侵入して来た。安値一筋の興行振は凄じい力を以て押し進んでいる。之れに対するには何処までも上品で実のある落語、洗練した落語を主とする必要がある。落語日曜会の話材の選択は盟主紅梅亭の責任である。

大正511日 神戸新聞

遊覧案内

雑居亭(三宮社内) 奈良丸、小圓次その他若手の浪花節

大正座(新開地)   雑居亭と同じ

帝国座(新開地)   舊劇と喜劇の活動写真とその他諸芸

大和座(新開地)   圓三郎、馬琴、歌六、正楽等の落語と海老一の曲芸

楠館(新開地)      広沢菊路その他の浪花節

菊廼亭(新開地)   竹本君栄その他若手一座の娘浄瑠璃

大正511 京城日報

<三遊亭遊三一座・朝鮮浪花館>

浪花館 東京落語三遊亭遊三一行今晩の番組は落語音曲(三遊亭三勝)落語手踊(三遊亭圓之助)落語舞(笑福亭於多福)落語音曲(三遊亭遊三郎)落語手踊(柳亭春楽)落語物まね(三遊亭遊玉)美術即席白紙彫刻御好に応じ申候(鶯宿亭楳陽)落語人情噺百種(三遊亭遊三)時世笑話滑稽琵琶浪花節(壇浦三尺坊)

大正511日 満州日々新聞

花月館(一日より) 落語手踊(古今亭しん六)灘波戦記(吉田千代丸)新内浮世節(鶴賀豆太夫、糸八十七)両面金太(京山喬菊)笑劇二人袴(兄太郎)都三笑(弟次郎、都歌輔)山中清左衛門(都遊松)義士銘々伝(女吉田奈良菊)新内千両幟(鶴賀杵太夫、糸八十七)青島軍事探偵(吉田音右衛門)東京落語音曲座長(古今亭しん好)中入新派喜劇御目出度ウ二場(遊松、歌輔、三笑、しん好、静好、杵松)三國一薮井玄意(吉田八千代)江戸名物大切都踊(楽屋総出)

大正513日 大阪時事新報

◇宮崎亭 一日より春治、円輔、朝枝、米団治、米輔、しん蔵、円太郎、円、染丸、菊団治、円枝、歌之助、文団治、春馬、馬生等三友派連にて、又回数切符をも売出す。

大正513日 大阪朝日新聞神戸付録

<橘家圓歌(後の圓都)の復帰>

新開地日出座、栄館の出番は仙人、圓次、梅枝、圓三、圓歌、小美栄、楽之助、圓太郎、枝女太、おもちゃ、かつ枝、圓雀、南喬、春二、圓市

大正515日 京都日出新聞

◇講談落語名人会 新京極豊梅館発行講談界主催となり七日正後より八阪倶楽部に於て講談落語名人会を開催、会費金三十銭にて講談界一部進呈すと云ふ。

大正515 香川新報(高松)

<三升家紋右衛門一座・高松常盤館>

◇常磐館の落語 當市兵庫町の同館は元日より三升亭紋右衛門一行落語諸芸開場。中々の人気にて、鹿連は何れ劣らぬ腕達者揃えにて面白く、中にも目立てよきは文昇の歌笛にて其調穏雅にして、囃子の絃声と共に聴者を恍惚たらしむ。又蔵之助の浪花節も手に入って、本物も裸足で逃ぐる程の達者。又紋右衛門は流石に一座の統率者丈けあり。舞踊では鹿界でお立物の中にある丈け夫れ丈け態(ふり)も優れて、大詰の所作事で大いに妙技を発揮して面白く、絶えず急散の拍手起こり場も正月の事とて満員の盛況を呈し居れり。

<編者註>紋右衛門一座と文昇一座合同の番組は、下記の通り。麦團治(本名水野音吉、後の四代目文團治)は、三友派からの依頼でこの一座に加わった模様。文團治の略歴等については、「芸能懇話第6号」の「四代目文團治三十三回忌」(東使英夫)参照。

17伊勢参り(紋一郎)兵庫船(紋二郎)みかん屋(新昇)根問い(昇之助)骨釣り(贅六)ひけもじきん(小文昇)二成(麦團冶)鯉船(小團冶)長袖(文昇)百年目(花橘)長頭廻し(蔵之助)お見立(紋右衛門)大切無芸者

19伊勢参り(紋一郎)たらちめ(紋二郎)島廻り(新昇)七度狐(昇之助)浮世根問(贅六)芸子草(小文昇)質屋の蔵(麦團冶)新猫(小團冶)書生うどん(文昇)芝居噺綱七(花橘)碁の盗人(蔵之助)芝浜革財布(紋右衛門)大切滑稽娘道成寺(一座総出)

大正519日 大阪時事新報

<三遊亭円馬を聴く会・実現せず>

〇円馬会成らん 

△知名の人々の間に於て  東京の落語界には独演会といふものがある。独演会にも二種あつて、一つは営業的の性質を有し寄席とか倶楽部で玄人が之れを催している。又一つは同好の素人が発起となり名人上手と云はるゝ落語家の為めに企てられたもの。右の二種の独演会があるのは心強いが、大阪には一向見受けない。

△甞て紅梅亭の原田が発起で円馬、文吾、文都の三人を主とし保存会といふを催したが直に止めて仕舞つた。今、日曜落語会があるが、独演会の挙はない。

△東京に比して大阪の落語界にはその人が乏いのか、独演でやれる人がないのかといふにさうでもない。現に大阪に久しくいる円馬の如きは立派な話術の達人と云つても好い。円朝没後の今日、円朝の遺鉢を伝へて人情話の妙味を扇一本で巧みに聴衆を酔はしむるは東京の円右に対して少しも遜色なきのみか、物によつては円馬でなければならぬものもある。

△寄席客でシンミリと円馬の人情話に耳を傾けてやる人は少数しかない。数多い出演者の顔触れで円馬はユツクリと長技を発揮する丈けの時間がない。

△彼の技を愛する当地の同好の間で今度円馬会なるものを月々一回宛催し、同好の自宅で少数の知人が集まつて昼間に円馬を招き長講二席ほど宛、筋を逐(お)うて演ぜしめ、傍(かたわら)話術の研究をもしやうといふもので、円馬に此事を通じ近々第一回を開かうといふ。会員の多くは当地で知名の人達であるさうな。

大正51915日 山陽新報(岡山)

<三遊亭金馬一座・岡山大福座>

大福座 東京落語界の重鎮三遊亭金馬一座は、新たに斯界の麒麟児金時を加え十二日より大福座にて開演と定まる。(19

大福座 東京落語金馬一行は連日満員の大好評四日目番組左の如し。

位牌屋(金福)西行(金坊)常磐津道灌(金八、金冶)桜風呂(圓満)指芝居(金遊)かわり目(かん馬)太鼓腹(金勝)かけ合滑稽ぢげん(金時)扇盆の舞(小金馬)音曲いろいろ(市馬)お元違い(金馬)大切喜劇八百屋(座中総出)(115

大正5110日 神戸又新日報

落語 本日より出番左の如し

栄館 春二、南喬、鶴光、勝子、圓太郎、圓歌、圓三、楽之助、梅枝、圓次、仙人、切所作事男女合併喜劇

日の出座 圓市、圓雀、楽之助、鶴光、仙人、小美栄、圓次、圓歌、圓三、圓太郎、梅枝、切所作事男女合併喜劇

大正5114日 大阪時事新報

<三友派楽屋話>

◇偉い春馬 円馬の門人に髭を生やした春馬といふ台所道具の合戦などをやる男、曲彈とあつて三味線を洋卓の上へ置いて小茶碗二つを両手に持つて「梅にも春」の曲弾をやつて「こんな馬鹿々々しいことは鳥渡やれまへん」といふ。馬鹿々々しいことをやる男は偉い。

◇ぢゝの勇敢 馬生、勝田新左衛門を一席弁じ、新左衛門女房の祖父の大竹が討入り、義士名付けの読売を見ながら「堀部弥兵衛金丸七十何歳、これはどうも勇敢だ、時事の夕刊だ」。

◇段取り正六  三友派へ出る長唄連中のうちで正子風邪で休み、そこで女の六之助と盲目法師の正六とが高座に上る。正六が又念入りの段取屋ときて「克明に口上を申上げます──」と長々と前口上、客は茹(うだ)つて仕舞つて「アヽアヽ」。正六の口上それでも猶止まず「エエ左様な次第でエヽ──」。

◇観月の琵琶 同じ三友派の女筑前琵琶の美人観月、黒紋服に薄梅鼠緞子の被布といふリウとした拵への大廂で、演じましたるは「太田道潅」、流しなどは鳥渡味をやるが、音声鼻にかゝつて文句が通ぜず、半可な聴客の若いのが「君、あの訳らぬ処が本当の筑前やで」はこりや好い。

大正5113日  

<初代桂歌之助死亡>

歌之助 001●初代桂歌之助 本名春井和三郎。明治五年生。『落語系図』の初代桂小文枝(のち三代目文枝)の門人欄に「小枝 初め五代目(林家)正三門人新楽と云ふ。後に小枝となり、又文歌となり、其後歌之助となる」とある。歌之助となった時期だが、明治三十五年五月三十日付「京都日出新聞」に「笑福亭へは一日より桂文歌改め歌之助がお目通りをする」とある。正月にはすでに歌之助を名乗っていたようだ。桂派から三友派の二代目文団治(七代目桂文治)の門下となって「歌之助」と改名したとされている。ただ不思議なのは大阪の新聞各紙は明治三十九年まで「文歌」(桂派)で、「歌之助」(三友派)となるのは明治四十年以降である。何か事情があったのであろうが、今となっては知る由もない。明治四十五年五月、桂派が寿々女会と改称したときに移籍したが、瓦解後また三友派に復帰した。三友派では初代春団治、二代目三木助、二代目染丸、二代目小文枝らより地位は上に置かれていた。実力があり、ネタも豊富で、わけても「幽霊の片袖」「出来心」「雪こかし」を得意とした。寿々女会にいた時、東京から来た長唄紫紅会の杵屋六歌女といい仲になり、大正二年に大阪朝日新聞の連載小説「渦巻」に因んだ長唄を歌之助が新作し、六歌女が節付したことがある。六歌女も人気者で、稼ぎがよく、歌之助は朝風呂丹前長火鉢で、ちょっと出るにも大島の対の衣裳か何かで澄まし返っていると鹿仲間に妬まれたりした。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

大正5115 神戸新聞

栄館 本日より左の如く出番変更

圓雀、替二、南喬、鶴光、勝子、圓太郎、圓歌、圓三、楽之助、梅枝、圓次、

大正5116日 神戸新聞

◇栄館 本日午後五時より演芸を開く。番組は左の如く豊澤團司の浄瑠璃は聞き物なるべし

落語(春二、圓雀)落語手踊(圓太郎)浄瑠璃(勝子)落語音曲(圓歌)新内浮世節(小美恵)舞(島田)筑前琵琶(今井)滑稽噺(山人)落語手踊盆曲芸(圓次)浄瑠璃(團春)薩摩琵琶(前田)落語手踊(圓三)舞(島田柳子)仙(團司、糸小住)所作事引抜手踊(総出)

大正5118日 神戸又新日報

大和座 東西合併落語は今晩より左の出番

圓丈、圓弥、正輔、右近、左近、都枝、圓八、たふく、三升、歌丸、歌六、光鶴、圓三郎、春輔、次郎、太郎、馬琴、圓天坊、武生、正楽、大切次郎太郎の軽口

大正5118日 神戸新聞

◇栄館 演芸十八日の出物は左の如し

西の旅(春二)兵庫舟(南喬)猫忠(圓太郎)鋳掛屋(圓歌)佐々木裁判(山人)稽古屋(圓次)亀鶴(島田柳子)雲助(龍一)常睦丸(堤旭香)石童丸(前川)与市(今井旭龍)宿屋(團日知)玉三(團春)酒屋(團司)

大正5119日 北国新聞(金沢)

<三遊亭若圓右一座・金沢一九席>

一九席 東京落語三遊亭若圓右一座顔触れ左の如し

上方落語史料集成 大正5年(1916)2月

大正521日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館の浪花三友派の落語は一日より出番順を万平、先太郎、染八、枝雁、小南光、かしく、花咲、三八、万光、円枝、枝太郎、杵屋連、馬生とし切に一座の余興を催す。

大正521日 神戸新聞

帝國館 今一日より出番替落語手踊(桂春堂、桂玉輔)落語曲芸手踊(橘家圓之助)喜芸親と親(喜芸會一派)滑稽軽口俄(落語家連)喜芸嫁(喜芸會一派)落語手踊(橘家圓天坊)軽口(鶴吉、一圓)落語(春輔)喜芸大風呂敷(喜芸會一派)落語手踊百種(橘家圓三郎)

大正521日 岐阜日々新聞(岐阜)

<三升家紋右衛門一座・岐阜関本座>

関本座 一日より三升紋弥改め紋左[]衛門一座の落語開演。大切には本鬘本衣装にて生粋の若柳舞踊をみせる由

大正522日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派 各組合席は前一座に一日より危険術一行。南地紅梅亭は大切余興に寿獅々、春団治外連中にて勤める。

大正522日 大阪時事新報

◇諦めの神様 故人となつて久しい大阪桂派の鹿仲間では毛色の変つていた桂文屋といふ男があつた。変物で奇行もあつた。師匠が師匠なら弟子も弟子で、この文屋の弟子の某、前座の見台叩きに甘んじて師匠にまめやかに仕へていたが、別に身を果敢なむほどの原因もなく気楽とんぼの呑気千万に世を送つていたところ、或日考へて、生きていても死んでも同じことなら、もう生き飽いたから一つ死んで見ようと卒然と自殺して仕舞つた。伏見辺にその男の墓がある。ところが此頃誰れが云ひ出したやら、あの人は世を諦らめて死んだ人やさかい、この人に頼めば思ひ切られぬ恋でも何でもサッパリと諦らめられるようになると触れ廻つたと見え、毎日この男の墓へ参詣する者引きも切らず、「諦らめの神さん」とて大繁昌は余程ケッタイな話。

〈編者註〉この噺家はだれなのか不明。明治三十九年五月に大津で自殺した桂枝三郎のことかも。

大正522日 大阪朝日新聞神戸付録

日出座、栄館は、圓二郎、蝶満吉、仙人の一座

大正523日 満州日々新聞

<大連座開場>

久しく休業中であった恵比須座、内外を改築して大連座と改称し、愈々四日から太陽團の教育劇で舞台を開ける

大正524日 神戸新聞

大和座 大阪三友派合同一座にて開演左の如し

都枝、圓丸、我太郎、正輔、圓弥、三升、春輔、次郎、太郎、馬琴、正楽、文我、小米、観月、蔵之助

大正524日 香川新報(高松)
三遊亭圓遊一座・高松常盤館

◇常盤館 四日より東京落語新派三遊亭圓遊一行にて花々しく開演初日芸題左の如し

東の旅(遊二)出産祝(遊六)寿限無(遊楽)音曲(圓花)寄合酒(遊枝)鼻ほしい物まね(遊若)源平穴探し手踊(右圓遊)長唄越後獅子浮世節手踊(遊菊、遊之助)夢金舞踊(一圓遊)江戸名物曲芸の粹(直造)三人旅音曲ステテコ(圓遊)

大正528日 大阪朝日新聞神戸付録

◇演芸だより 各席出番左の如し

◎栄館 猫忠(富團二)佐々木裁判(仙人)軍人車(圓三)遊山舟(楽之助)愛宕山(枝三郎)お玉手(扇枝)植木屋(圓二)稽古屋(圓歌)千両幟(小美根)軽口(蝶満吉、圓二郎)

◎日の出座 歌問答(楽之助)猪買(紅梅)片袖(圓歌)芝居穴(圓二)寄合酒(扇枝)掛取(富團二)二人癖(二○加)たらちね(圓三)代脈(枝三郎)千両蜜柑(仙人)

大正5211141822日 台湾日日新報

<桂小南一座・台湾朝日座>

桂小南一行来る 東京大阪落語界の花形落語歌舞伎噺、扇舞ふりごとの十八番桂小南一行十一名一昨日来台せしが近々朝日座にて開演する由。(211

◇朝日座 [原紙破損]小南の一行はいよ〳〵本日より開演する事となりたるが、小南□□の歌舞伎噺並に振事電気応用空中自在の所作事は、一寸此人の右に出づる者なき由なり。入場料一等八十銭二等五十銭三等十五銭にて正六時開演する由其の出し物は左の如し。

 昔ばなし(桂小若)長唄振事(桂染子)落語手踊(都家歌丸)音曲噺(桂円太郎)落語音曲物まね□□(桂南)かる口(南遊連)音曲百種(都家歌六)曲芸種々(若出左門)落語□□□の曲舞(橘家円坊)落語歌舞伎噺扇振事(小南)大切空中自在所作事(モルモツト及電気応用大仕掛)(214

<小南一座を聴く>
朝日座の小南
日目と云ふ十六日の夜朝日座に桂小南一行の落語を聴きに行つたが、丁度半ば頃で南治が一人芝居と云ふ奴をやり、切りにドタンボタンやつて居た。客は七分の入りで落語としては不印の方じや無い。

次は南遊連軽口として二人のお喋りは面白くも何んともなく、芸に実が入らぬぢやなくて、気が入つて居ないのは始末が悪い。

次は歌六の落語で、お芝居噺大根役者が判官の大役を振られて師匠に小言を云はれ乍ら苦心をすると云ふ筋は面白くないが、落はチヤントして居た、都々一の哥沢の咽は馬鹿にいゝ。
左門の曲芸は、ワンボールの扱ひ頗る手に入つたもので、海老一よりはグンと甘い。唯運動服を着てヌツと出て来るのは恐れ入る。

円坊の噺は、暮の借金取を色々の芸をやつて追つ払ふと云ふ身の無いものだけれど、面白い事此の上無し。物真似に至つては氷をかく音、犬の喧嘩杯四つ五つは盛んに見物の腹を抱へさした。

小南の噺は昔に変らぬお芝居噺、それに芝居の物真似とお終に舞をやつたが、何んでも身振をしなければ納まらぬが此人の病で。一本高足駄でやる松尽しの五つ扇は鮮やかと云ふ可く、舞丈けは相変らず甘いものである。

切りに空中自在所作事として電気応用は台湾に初めてのもので、綺麗であり、且不可思議に思はれる所から大喝采だつた。然し同じやるならモウ少しかの衣裳を着るのがいゝ。兎に角落語党で無くとも一夜は笑ひに行くが好からう(僕)(218

◇朝日座 好評を博しつゝある落語小南一行はいよ〳〵近く御名残となるべくに付、入場料を一等五十銭の外上場行次第二十五銭均一として観覧に供する由。(222

大正5212

<四代目笑福亭鶴松死亡>

●四代目笑福亭鶴松 本名見田徳太郎。明治二十年生。初代桂文我(桂木源之助・大正十五年没)の実子。二代目笑福亭木鶴(本名岡田文里・明治四十年没)の養子となる。『落語系図』にはその木鶴の弟子として載せられ「二代目木三松 後に四代目鶴松となる。文我の忰なり。初め徳太郎と云ふ。後に文子となり、其後四代目鶴松となる」とある。実父桂文我の『桂文我出席控』を見ると、明治四十年二月一日より神戸第一、第二湊亭に「鶴松」の名があり、『出席控』の記録が終る明治末年までは一緒に巡業していたことがわかる。大正時代は父に従って三友派から寿々女会へ移籍した。大正四年二月、恋愛のもつれで恋人が自殺したのが原因で大阪を離れ、二代目木鶴の時の兄弟子であった七代目朝寝坊むらく(のち三代目三遊亭円馬)を頼って上京した。しかし翌年五年二月に病死した。

〈編者註〉東京では笑福亭璃鶴と名乗った。芸人鑑札は本名「見田徳太郎」となっているが、二代目木鶴の養子なら「岡田」が正しいかも知れない。鶴松の死亡が分かったのは214日付「大阪朝日新聞」の以下の記事による。またこの璃鶴をモデルとして正岡蓉が短編小説「仙女香洋傘綺談(せんぢょこうようさんきだん)を演芸画報十一号(大正十三年)に発表している。

大正5214日 大阪朝日新聞

◇笑福亭璃鶴死す 東京浅草区神吉町五番地落語家笑福亭璃鶴事恩田(ママ)徳太郎(三十一年)は、以前大阪に於て相当に売出し、さる物持の娘に思はれ同棲せしも、娘の両親の怒りに遭ひ引離され、娘は悲観の余り昨年二月十二日自宅井戸に投身自殺を遂げたり。徳太郎は其のため同地に居堪らず、昨年三月中朝寝坊むらくを頼りて出京し、祖母はる(八十四年)と前記の場所に所帯を持ちしが、年末より肺炎に罹り、寄席にも出る事ならず、祖母はるは日夜の看病疲れに次第に衰弱し、十二日朝九時死亡し、徳太郎もむらくが浅草明治病院に入院せしめしも、同十二日夜息を引取り、二人同時に而も昨年娘の自殺せしと同じ月日に死ぬとは不思議の因縁なりとて近所の大評判なり。(東京電話)

大正5214日 北国新聞(金沢)

<翁家さん馬(八代目文治)一座・金沢一九席>

さん馬来らん 下新町一九席にては東京落語(三代目)翁家さん馬一座を招き、十六日より花々しく開演する由。さん馬は落語研究会幹部の一人にて毎日曜日には独演会を催して好評を博し居る当時花形真打にて当地初お目見得なり。一座の顔触れ左の如し

さん馬、さん生、燕雀、胡蝶斎、小燕三、枝之助、さん平、馬遊

<編者註>このさん馬は、八代目文治(本名山路梅吉)。さん生は、後の八代目文楽(本名並河益義)。一座の主な番組は下記の通り。

216落語(馬遊)昔ばなし(さん平)落語手踊(枝之助)笑話及び声色(小燕三)獅子の振事(胡蝶斎)音曲噺(燕雀)噺舞手踊(さん生)滑稽落語(さん馬)大切諸芸吹寄せ(大一座)

226落語(馬遊)昔ばなし(さん平)落語手踊(枝之助)笑話及び声色(小燕三)獅子の振事(胡蝶斎)音曲噺(燕雀)噺舞手踊(さん生)玉や、鰍沢(さん馬)大切諸芸吹寄せ(大一座)

大正5216日 大阪時事新報

<三遊亭円馬を聴く会・また実現せず>

〇事多き大阪落語界 円馬会に次いで南地の研究会  

大阪の落語界も近年は余程向上した。落語家も大分に目が開いて来たやうだし、落語のネタの選択にも注意するやうになつた。席亭にも紅梅亭の原田といふやり手があつてドン〳〵改良に手を尽して大阪の落語界の統一を図つている。東京にあつて大阪になかつた日曜会も既に百何十回を重ねた。成績も好い。  

大阪生粋の落語家にも、又大阪に久しく住んで大阪に籍を置ける落語家連にも立派な芸を持つている名玉が少しとはせぬ。けれども一般の衆俗に媚びねばならぬ興行としては演者に於ても席主に於てもさう〳〵自分の望み通りを実現していては商売にならぬ。この矛盾に苦んで或程度までの調和を計つたのが日曜会だが、またこれで有識者にとつても理想的な会とは云へぬ。  

だから本当の落語を味はんとするには同好少数の会合を企てねばならぬ。既記の大阪紳士婦人連の催しにかゝる円馬会はこの希望の一つの実現である。当月開会すべき筈のが円馬の病気の為めに障へられてとう〳〵流れ、愈々本月十九日に催さるゝ運びとなつた。今度の円馬会についても紅梅亭主人は喜んで斡旋の労を取つた。

それのみならず又聞く処によれば、文三、円馬、馬生、円の四人を毎月南地演舞場に招き各得意の落語を演ぜしめる。主催者は伊丹幸席主人を始めとして落語通の南地有志連で、先づ落語研究会といつたやうな企てゞ、この相談に与つた紅梅亭主人も円馬会同様、大いに一と肌脱がうといふ訳。第一回は来月上旬頃開かれるらしい。それと云ひこれと云ひ、大阪落語界は追ひ〳〵に刺激されて向上しよう。

〈編者註〉十九日予定の円馬会は病気のためまた中止となったようだ。

大正5218日 神戸新聞

日の出座 本日より阪神素人浄瑠璃和合會開業木戸無料

大正52242527日 満州日々新聞

<三遊亭遊三一座・満州花月席>

花月館(二十五日初日) 

御祝義宝の入船(三遊亭當三)落語東の旅声色(笑福亭三勝)落語稽古屋盆の曲(桂團之助)落語一分茶番手踊(三遊亭遊三郎)落語元犬手踊(柳亭春楽)落語寿限無動物の真似(三遊亭遊玉)落語長吉長五郎舞踊(三遊亭遊三)美術即席紙切(鶯宿亭楳陽)人情噺源平穴探し(三笑亭芝楽)笑話中井櫻州滑稽琵琶(壇浦庵三尺坊)大切所作事電気応用(楽屋総出)都はなし(三遊連)(224

楽屋と大向 

二十五日から花月館に出演する三遊亭遊三は、七年目で二度来連したが、相変わらず江戸子の若々しい面影を存じて居る。但し芸に於ては愈々老熟の域に達し、又前年の遊三ではない。一座の中には動物もの真似の上手な遊玉、美術即席紙切と云ってお客から何でも注文次第前刀(はさみ)で切り上げて見せると云う芸當、お客と芸者の差し向かいなども注文したら、早速桟敷のお客をモデルに取ると云う奇抜な鶯宿亭楳陽が居る。三笑亭芝楽の人情噺源平穴さがしも立派な真打もの、壇浦庵三尺坊の滑稽琵琶は、手拭を琵琶にして薩摩でも筑前でも巧みに唸り出すと云う代物で、何れも今度の一座は前の花月では見られぬ真打揃いである。(225

花月館(二十七日) 

播州廻り(三勝)新町ぞめき盆の曲(團之助)尾上多見十郎手踊(遊三郎)近江八景音曲(春楽)一分茶番一人芝居(遊玉)紙切(楳陽)西行法師(芝楽)怪男子琵琶(三尺坊)子別れ舞(遊三)大切電気応用所作事総出即席ご題噺。(227

大正5226日 北国新聞

<三升家紋右衛門一座・金沢一九席>

紋弥来らん 先年大人気を占めたりし落語音曲舞踊の名手三升紋弥改め三升家紋右衛門一座は今回改名披露として各地巡業の途次目下福井にて連日満員の大盛況を続け居れるが多分三月一日初日にて当地へ乗込み並木町尾山座にて華々しく開演すべしという一行の顔触れは左の如し。

紋右衛門、紋兵衛、紋南太夫、紋太郎、紋之助外若手十数名(大仕掛大道具)

上方落語史料集成 大正5年(1916)3月

大正531日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派 一日より各席へ交代連の重なるは胡蝶斎一派の寿獅子、南地紅梅亭の大切は春団治、喬之助連中の舞、清元喜撰道具入り。

大正531日 京都日出新聞

◇芦辺館 三月一日より改称十周年記念興行とて左記順番に依り出演、尚御礼祝として入場料十銭の由。

 落語(小染)、同(万平)、同(枝女太)、同(円の助)、同(枝雁)、同(小南光)、落語踊(かしく)、落語(三八)、同(文の助)、落語踊(花咲)、東京落語(柳昇)、落語踊(枝太郎)、ヴアイオリン合奏(月湖・古堂)、落語踊(花橘)、落語(文三)、大切余興道具入(座員)

大正531日 神戸又新日報

栄館 本日より落語出番順左の如し可昇(二代目梅團治)と米之助(四代目米團治)

丹雀、紅梅、楽之助、富團二、扇枝[]、枝三郎、小金蝶、伊之助、蝶満吉、圓二、小美栄、圓歌、圓三、二代目可昇

<編者註>二代目可昇:二代目文昇の養子で文之助と名乗り、素人落語連に加わっていたが、後三代目文団治の弟子となり米昇から三代目梅団治を襲名。因みに初代可昇は、本名浅野楢三郎で、初代扇枝(三代目文三)の弟子となり文雀(文若)から二代目扇枝となる。共に二代目文昇の弟子。出歯の米昇と云われた。写真左は可昇、右は米之助

大正531日 九州日報(博多)

<上方圓遊一座・博多川丈座>

川丈座(博多) 東京落語圓遊一行本日より開演の筈にて番組左の如し

東旅行(遊二)子誉め(遊六)寿限無(遊楽)飛行の話(圓花)菅原息子(遊若)寄合酒(遊枝)向島滑稽仇討(右圓遊)夢金(一圓遊)長唄文福茶釜(遊の介、遊菊女)三人酔客(圓遊)

大正533日 北国新聞(金沢)

<三升家紋右衛門一座・金沢尾山座>

尾山座 三升家紋右衛門一座、特等三十銭、平場その他二十銭

落語皿廻し(紋一郎)落語滑稽踊(紋次)落語(紋八)落語音曲手踊(紋七郎)落語(紋兵衛)落語西川派舞(紋之助)落語歌舞笛(紋太郎)新内浮世節(紋衛太夫、紋路太夫)落語若柳流本行舞(紋右衛門)掛合噺(紋之丞、紋兵衛)大切所作事(総出)

圓童来らん 下新町一九席にて明四日より東京落語三遊亭圓馬秘蔵弟子三遊亭圓童一行を招き開演すべく。顔触れ左の如し

圓童、天賞、小圓童、月秋、美當、我太郎、左圓太、遊六

大正53615日 山陽新報(岡山)

<三木助金三合同一座・岡山大福座>

大福座 来る十一日東京三遊派扇遊亭金三、桂三木助二座合同にて開演。落語、笑話、長唄、手踊等取揃えて賑々しく演ずる由。(36

大福座 三木助、金三一座、今五日目の番組左の如し。

うなぎや(窓六)箱根山(三木弥)忠臣蔵七段目掛合(小圓太、金吾)こいがめ(金八)女郎買五人まわし(小圓太)じゅげむ(三木坊)おせつ下の巻(三福)のざらし(金三)長唄曽我五郎バイオリン(勘左衛門、勘三郎)百年目扇の舞(三木助)(315

<編者註>三木助、金三(後の三代目圓遊)一座のこれ以降の番組。

316

浮世床(窓六)くまのかわ(三木弥)曽我大磯通い二人(金吾、小圓太)品川の女郎買(金八)かわりめ(小圓太)手紙無筆(三木坊)山岡角兵衛(三福)関取千両織(三木助)長唄羅生門バイオリン合奏(勘三郎、勘左衛門)湯屋番音曲声色(金三)

317

三人道中(窓六)音曲長屋(三木弥)掛合梅若ころし(金吾、小圓太)下のばこ(金八)吉原三人書生(小圓太)酒呑の立まさり(三木坊)花月表ての場(三福)かみくず屋(金三)長唄バイオリン勧進帳(勘三郎、勘左衛門)人情噺し扇の舞(三木助)

319

穴どろ(窓六)品川遊び(三木弥)横バケ(カケ合)三人片輪(圓八)風呂床(小圓太)音曲はなし(三木坊)山のべ(三福)板倉(三木助)吉原雀(勘三郎、勘左衛門)テクテク(金三)(315 

大正537日 大阪朝日新聞神戸付録

栄館の落語は今七日蝶満吉會二百名の組見がある筈、出番は小枝、歌作、圓史、小美根、枝三郎、可昇、圓三、小金蝶、住之助、圓歌、楽之助、蝶満吉、圓次、扇雀

大正538日 北国新聞

<三遊亭圓童(四代目圓馬)一座・金沢一九席>

一九席 本日より圓童一座にて開演、番組左の如し

昔噺(左圓太)奇術(半寿)落語手踊(我太郎)記憶術(月秋)落語手踊(小圓童)獅子の曲振り事(天賞、小天賞)落語手踊(圓童)大切(総出)

大正5313日 京都日出新聞

◇新京極の芦辺館も笑福亭も十銭競争で少し景気を持ち直したやうだが、文之助だの枝太郎などの洗ひ直しも古臭くてもう飽いた。彼等もよい加減に廃業しては什麼(どう)だ。(投書・新らしい男)

大正5313日 神戸又新日報

栄館 今明両日松遊の切落しあり。出番順は左の如し

小枝、歌作、圓史、楽之助、小美栄、可昇、圓三、小金蝶、住之助、圓歌、蝶満吉、圓次、扇雀、大切喜劇

大正5318日 香川新報

演芸界 ◎歓楽座(塩屋町)中村芝寛一座 ◎大和座(内町)蝶鳥会一行男女優合喜劇 ◎緑館(東瓦町)新派劇 ◎肥梅館(片原町)新派劇 ◎玉藻座(片原町)活動写真 ◎常磐館(瓦町)京山呑風浪花節

大正5321日 大阪朝日新聞神戸付録

日の出座は改築出来上がり今二十一日より浪花節二輪加市川米三郎一座にて開演

大正5324日 大阪朝日新聞神戸付録

神戸劇場は今二十四日舞、落語、長唄などの演芸會を開き、二十五日より大阪俄の替り狂言を出す

歌舞伎座は今二十四日より女優義士廼家の別働隊が乗込んで開演。その番組は左の如くにて初日は十銭均一

舊劇々退治(石黒政之、市川團若)連鎖喜劇子供心(義士廼家平右衛門以下)居合抜(雷風倅河四正幸)剣舞(河四派)落語(柳家小六)音曲(三遊亭三丸)浪花節(東家楽鶴、雷右衛門)奇術(松旭斎天菊)娘義太夫(竹本柳玉)極内踊(女優團)

大正5326日 山陽新

<三木助金三合同一座・笠岡暁館>
曙館(笠岡) 二十六日より落語扇遊亭金三、桂三木助の大一座にて開演。前景気中々好し。

大正5328日 大阪時事新報

<三遊亭円若の遺児虐待される>

〇三週間縛つた侭で 鬼の養父母から虐待された 人気者の落語家円若の遺孤  

北区西野田平松町千六百二十八番地、久保重蔵方同居機械職菊地秀吉(三十八)、内縁の妻岩野としよ(三十二)の間に、実と呼ぶ今年十一歳の貰ひ子あり。実は曾て浪花三友派に円若と名乗りて就中鎗錆の名人として頗る人気宜かりし江戸ツ子の落語家の長男なるが、円若は数年前死亡し、母なる人に連れられて高崎市に居住中、昨年三月高崎に来り居たりし秀吉に子が無ければとて其の養子となり、同月五日、一家は大阪へ移り住む事となれり。然るに秀吉は最初の程は実を可愛がり居たりしも…七月頃より夫婦一つ腹となつて虐待を始め出し…両手両足を麻縄にて縛り上げ…押入の中に固く閉じ籠めて…食事も碌々に与へざりしのみならず、大小便は押入の中へ垂れ流しといふ始末、殆ど眼も当てられざる事、曾根崎署の探知する所となり…鬼の養父母は有無を云はせず…二十六日検事局へ護送したり。

上方落語史料集成 大正5年(1916)4月

大正541日 神戸新聞

大和座 本日よりの落語出番左の如し

玉輔、正輔、圓弥、都枝、圓丸、三升、次郎、馬琴、圓天坊、光鶴、春輔、圓三郎、一圓、正楽、太郎、萬冶、萬三、三八、小文枝

大正541日 関門日日新聞(山口下関)

◇演芸だより

○稲荷座 節劇浪華政吉一座開演中

○弁天座 節劇高砂家一行にて好評を博し居れり

○山陽倶楽部 活動写真、余興として玉山入道の浪花節身振怪談等

○門司凱旋座 四月一日より東京浪界の立物亀甲斎虎丸一座にて花々しく開演

○同旭座 浪華節京山圓遊一座にて明日より開演

○若松旭座 明二日より新派木村猛夫市川菊子一行にて開演

○徳山東雲座 節劇阪東一座

○いろは倶楽部 活動写真

大正541 台湾日日新報

<桂小南一座・台湾基隆座>

基隆座 過日朝日座に□□好評を博したる東京三遊派落語桂小南一行にて一日より開演する筈なるが一座の出し物は左の如し □唄手踊り(桂染子)落語手踊り(都家歌丸)落語音曲(桂円二郎)□□□鳴物□□□□(桂南治)かる口(南遊連)音曲□□(都家歌六)曲芸種々(若山左門)清元□□□曲舞(橘家円坊)落語扇舞振事、電気応用空中自在所作事「玉兎」「奴凧」(桂小南)

大正542日 神戸又新日報

落語 一日より左の出番順

◎日の出座 本日より大阪俄喜笑會の團一郎、花喜津、團楽、芝喜、團輔、馬鹿八、團橘、團升、馬鹿六、十笑、團玉一座にて開演

◎栄館 春三、玉輔、圓丈、圓丸、都枝、馬琴、三升、萬三、萬冶、三八、小文枝、太郎、圓天坊、一圓、光鶴

◎大和座 玉輔、圓弥、正輔、都枝、圓丸、三升、次郎、馬琴、圓天坊、光鶴、春輔、圓三郎、一圓、正楽、太郎、萬冶、萬三、三八、小文枝

<編者註>この出番表を見る限り、この頃すでに神戸の反対派であった「神戸演芸会社」は、落語より手を引き、吉原が一人神戸の落語界を牛耳ったようである。

大正543日 大阪時事新報

<紅梅亭の原田、常磐津松尾太夫の招聘を断念>

〇松尾を逸す 紅梅亭へ出演の交渉は 給金の算盤の珠違ひで  

惜しい話だ。全く惜しい話が一つある。法善寺の紅梅亭の原田は落語といふだけの仕事に止まらず、これまでから各種の演芸物に思ひ切つた金を出して東京から名人達を招いてかけたものだ。原田は浪花三友派の盟主、一方に反対派が勃興して盛んに安価でメートルを上げている。それに対して何処までも落着き払つて持久策を取つている。落語日曜会の如き多少研究的の向上を図つている、一方では京阪神の寄席の覇権を握つて好い粒を揃へている。

この本業の傍自分の道楽──利益は別問題──として甞ては富士松加賀太夫、宮古太夫等を招いて大阪人に貴い東曲の味を紹介したこともあつた。又ツイ近頃のこと、東京の松尾太夫へ交渉をして芝居の間を約一箇月、紅梅亭へ出演の相談を持ちかけた。紅梅亭と常磐津とは深い関係がある。先代林中在世の折、下阪して紅梅亭へ出たことがあつた。松尾はその節、三登勢と名乗つて林中のワキを語つて共に出演した。

こんな間柄でもあるので話は割に進捗したらしいが、肝腎の一件に至つてトント行詰まつた。松尾の方でもワキや流れも連れて行かずばなるまいし、三味線も二人はいるから、すべてゞ千五六百円は貰ひ度いとのこと。原田もこれには困つた。いくら道楽でもさうは出せぬ。先代林中の時には此花館あり、賑江亭も懸持ちをして、たしか千円あまりであつた。今度は紅梅亭一本でそれ丈は迚もと、話はこれで手切れになつた。惜しい話だが仕方がない。いづれこの埋合せにその中他の名手を東京から招いて来るだらうが、如何にも惜しい話であつた。

大正543日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館へは一日から円子、妻奴、胡蝶斎、歌楽等が加はり左の出番となる。

万平、円之助、枝雀、小南光、文之助、かしく、柳昇、古堂、花咲、哥楽、枝太郎、花橘、胡蝶斎、妻奴、円子。

大正546813日 関門日日新聞

<上方圓遊一座・下関弁天座>

三遊亭圓遊 数年前来非常に好評を博したる一圓遊事三遊亭圓遊は明七日午後六時より弁天座に於て花々しく開演の筈なるが、一座は音曲手踊などの達者揃い、殊に長唄三府浮世節の女道楽の色つぽいのもあり、傍々相変わらずの盛況なるべし。

因みに初日の番組は、伊勢参宮(遊二)猪買い(遊六)寿限無(遊楽)無筆の親(遊枝)音曲噺(圓花)医者の新歩(遊宝)借家怪談(東兵衛)長唄文福茶釜三府浮れ節(女道楽立花遊菊嬢遊之助)音曲ステテコ(圓遊)(46

弁天座の圓遊 初晩から大盛況 春は陽気なものである。此の陽気な時には兎角大いに笑うが宜しい。然し何等刺激なしに無闇に笑えるものではないが、喜劇や落語を見たり聴たりすれば自然その慾求は満たされる訳である。ところが此の満足を買わんとする同好の士女は多いと見えて、昨夜から弁天座に開演された落語音曲三遊亭圓遊一座は、初晩ながら殆ど満員の大盛況を呈して居た。

鼻の先代圓遊没後、今では二代目が両名出来ている訳だが、此の方が音曲と云う景物が然も達者なだけに人気がある。数年前東京で両圓遊鉢合わせした際には、此の方から競演会を申し込んだそうで、其れだけ腕にも自信があるらし。長らく上方に居るので、聊か上方式がプンと臭うようだが、其れでも昨夜の三人粋(すい)客は先づ聴かせた。中にも拘僂(せむし)の若旦那は一品だろう。話の中に乙な咽喉を聞かせるのは小さんの常盤津に於るが如しで珍重さる。

一座は悉く上方者らしく、随て高座は騒々しいようなもの。賑やかなだけに悦ばれる、チョクチョク卑しい言葉は些(ち)と困るが笑わせるには笑わせる。遊菊、遊之助の長唄及び浮世節も喝采を博したが、遊菊の鰌掬いは懐中電気仕掛けだけに、一層御愛嬌、外に東兵衛の櫓太鼓や遊宝のステテコや圓花の滑稽剣舞なども受けて居た。(48

弁天座の圓遊 毎夜好評の由なるが、今晩の番組は、龍宮廻り(遊二)乱暴医者(遊六)手紙の無筆(遊楽)色事指南(遊枝)音曲噺(圓花)のしほめ(遊宝)浮世根問(東兵衛)長唄三保の松(遊菊、遊之助)おはらめ(圓遊)(413

大正54915日 香川新報(高松)

<三木助、金三一座・高松常盤館>

常盤館 東京三遊派大一座にて十一日開場初日の番組は、落語たらちね(扇之助)落語板倉の花並に手踊(窓六)掛合噺並に茶番(小圓太、金吾)落語女の事並に音曲(三木弥)落語磯のあわび並に手踊(金八)落語浮世風呂並に手踊(小圓太)落語松竹梅並に手踊(三木坊)笑話おいだき並に盆の曲(三福)長唄鶴亀バイオリン合奏(杵屋勘三郎、勘左衛門)笑話成田小僧並に俳優声色(金三)名家の抜雀並に扇舞振事(三木助)大切槍さび丸橋忠弥(唄金三、舞三木助)(49

<編者註>三木助、金三合同一座の番組、下記の通り。

412

人違い(金八)雨物飛(金吾)孝兵衛(小圓太)花見仇討(窓六)音曲はなし(三木弥)五郎丸(軽口)夢金(三福)転宅音曲(金三)千曲川(勘左衛門、勘三郎)雁風呂(三木助)大切ヤリサビ酒井舞三木助、平井灌八歌金三

413

問答(金八)六兵衛(金吾)女カ馬(小圓太)五人廻し(窓六)音曲はなし(三木弥)花見橋(軽口)ゆび切(三福)花見小僧(金三)曽我五郎(勘左衛門)関春風(三木助)大切ヤリサビ荒木又右衛門、清水一角、舞三木助、歌金三

414

カワズ芝居(金八)一人茶番(金吾)品川辰(小圓太)やかん(窓六)音曲はなし(三木弥)七段目(軽口)鰍沢(三福)野晒し(金三)勧進帳(勘左衛門)野崎参り(三木助)大切ヤリサビ仁木弾止、め組辰五郎、舞三木助、歌金三

415

道具や(金八)おセキさん(金吾)歌ねどい(小圓太)一つ穴(窓六)音曲はなし(三木弥)お半長右衛門(カル口)お節徳之助(三福)信濃守(三木助)吉原すずめ(勘左衛門)王子太鼓(金三)大切りヤリサビ大石蔵之助、忠臣蔵五段目定九郎、歌金三、舞三木助)

416

一目上り(金八)大和炬燵(金吾)吉原あそび(小圓太)高砂や(窓六)音曲はなし(三木弥)壷坂寺(軽口)品川心中(三福)魚徳(三木助)色草(勘左衛門)大名魚釣(金三)大切ヤリサビ、浪人者、海安寺、歌金三、舞三木助

<常盤館を覗く>

常盤館のぞき 一昨夜若手揃いという小男鹿ならぬ鹿連の常盤館を覗いて見ました。窓六の落語、三木弥の音曲、まだ一〆だとも思われましたが、見物を笑わせて居た所買ってやりましょう。小圓太、金吾の軽口先づ一通りなものです。三福の屁の滑稽噺は満場をしてシンミリと傾聴さして居た演者の技量を誉めておきます。そしておさらばの盆の曲芸も手に入ったものでした。金三座長だけにさすが馴れたところがありました。勘三郎のバイオリン、十六歳という年にしてあの旋律の妙を買ってやるべしでしょう。勘左衛門の三味にはかなり耳を傾けさせられました。とりわけその曲引は、ラムネの瓶や盃或いは後方に廻して又盃で弾くなど館内をシーンとさす程冴えた其の撥の妙巧を認めてやらねばなりません。三木助の関春風は幾分講談じみた所もありましたが、そうした所に此の筋の生命があるのでしょうが、然し此の鹿殿の舞には感心させられました。大切金三のヤリサビ、三木助の舞は言わぬが花とでも言っておきましょう(南瑤)(415

大正5415日 神戸新聞

戎座 本日より左の如く出番替え。

春三、圓天坊、圓弥、光鶴、春輔、圓三郎、圓駒、かる口三升、一圓、三八、正楽、馬琴、小文枝、萬冶

大正5416日 九州日報(博多)

<三遊亭金馬一座・博多川丈座>

川丈座(博多) 三遊亭金馬一行は愈々今十六日町廻り初日開演の筈なるが本日の演題は門永(金勝)五六掛合(金満かん)湯屋(金時)春は花(小金馬)浮れ(市馬)花見酒(金馬)喜劇花櫻(総出)

大正5417日 京都日出新聞

<東京の白梅亭を覗く>

◇春寒録(四月十日東京にて記す) 岡田鯨洋 

(前略)五日母校庭に白旗を振る。勿論一高軍の応援の為なり。技能伯仲たりしが遂に一点の差にて惜しや功名を神楽岡健児に取られぬ。…その夜甲斐なき応援の腹いせが帰途須田町の白梅亭、見れば三遊連とあり、入るとむらくが巌柳島をやつて居る。次の右女助のと共に灰土(あく)沢山華玉川、十年一日の如き大津絵には閉口、久し振で歌子の山姥から振事が例の潮来(いたこ)成人しても芸は未だ〳〵、円遊の「せんきの虫」と円左の天災、先代のそれと比して共に名を恥かしむる代物、其次はいつ三遊に転(ころが)り込んだのやら柳亭左楽が例の突貫、いつも二十八年式でもあるまいて。芦州の義士流石は名人、真打の橘之助、声量は老いても撥捌などどうして〳〵。

 静かにも物思ひやりて下町に下座の太鼓のふとも鳴るなり

〈編者註〉筆者は岡田道一と思われる。三日に東上。主な目的は一高対三高の野球試合応援と思われる。

大正5418日 神戸新聞

<橘ノ太郎>

太郎雛妓(ひなこ)の角突合(つのつきあい) 太郎坊小生意気の事

高座の花といえばよいがシカ連中と聞けば大抵の女は尻に帆かけて逃げ出す筈の落語家に、唯一人太郎というチンピラがあって、山椒はヒリリと利く小粒の譬え。シカ連中には惜しい程の代物。

先天的に舞が巧くて声が美くて而も男振りがハナシカには勿体無い程の出来、元来女というもの芸人でさえあればキヤあんな男にと思うような代物でも、こちらからお膳を据えてかかる動物、その芸人が太郎程の色男と来たから溜まらない。

何を馬鹿なあんな子供が何(どう)うなると馬鹿にするなよ、太郎坊は稼業柄年にも似合わぬませ加減、アレで既に一人前の男さへ及ばぬ程の色気タツプリ、現に立検ではいちま、福丸なんとまだ卵の殻がくツ付いて居ようというひよっこ芸妓がキツイ肩入。

あんまり聞きたくもない落語を聞きにいっては座敷から秋波(いろめ)をくれ、柄にもない付け文までして騒ぎ建て、偶に太郎の手紙をもらうと鼠泣きしてまで喜ぶというアホらしさ。ヒヨッコ同志は座敷でにらみ合いの小さな衝突合い。

夫は去年の秋頃、たった一年の間にカッと色気づき、別して春の陽気に何とやら。この頃は只ならぬ様子。乳臭い舞妓上がりでは駄目だっせ。色は年増に止さす。どこぞに年増芸妓はいまへんかと、内々狙いをつけているので、今度は芸妓の方からまっぴらまっぴら。

〈編者註〉写真は、神戸新聞の太郎の写真

大正5419日 神戸又新日報

<落語定席大和座が再び浪花節定席となる>

大和座 従来落語の定席なりし同座は本日より浪花節にて開演する事となり其顔触れは左の如く

 今若、日吉、雪子、白雲、女雲、駒坊、好子

大正5423日 大阪時事新報

<円馬・文都・文三の近況>

◇三友派の元老 落語界は相変らず賑やかで三友派が主権を持つているが、去るにても惜しいのは円馬と文都の二人、甞て大阪の紳士連が円馬会を、南地の落語好きが三人会とやらを思ひ立つて、円馬話術の妙味に酔はんと企てられた円馬会の如きは既にその日まで定められたが、生憎に円馬の病気で見合せとなつた。円馬は病後の昨今、どうも息が続かぬようになつて、二十分と高座にいると咳入つて苦しくなるさうだ。為めに席主でも心労しているとは惜しいもの。又文都は中風の気があつて、これも捗々しからぬとは困つたもの。独り盲文三が元気でいるが、二元老の病気は三友派に取つて痛心すべき損害と云はねばならぬ。その代り若手連は何れもピチ〳〵している。又来月は久々で三木助が東京から戻つて来て法善寺の紅梅亭その他の出演するとのことだ。

大正5423日 神戸新聞

<日の出座の砂川捨丸>

◇日の出座 萬才ニワカ一座辰見小二郎の剣舞砂川捨丸の三曲と鼓幹が呼物となり好人気

大正5423日 満洲日々新聞

<三遊亭遊三一座・満州大山席>

大山席 先般当地花月席において非常の好人気を博したる三遊亭遊三、玉の浦三尺坊の一行は其後天津北京済南坊子青島を経て内地への帰途再度当地へ立寄り今回は大山席にて二十三日より開演す。初日の番組は、御祝儀宝の入船(三遊亭當三)播州巡り声色(笑福亭笑三)子誉め盆曲(かつら團之助)甚五郎手踊(三遊亭遊三郎)夢金音曲(柳家春楽)金明竹一人芝居(三遊亭遊玉)美術紙切(鶯宿亭楳陽)人情噺夢の瀬川(三笑亭芝楽)時世笑話滑稽琵琶(檀浦三尺坊)落語百種舞(三遊亭遊三)大切大一座電気応用七変化

大正5425日 京都日出新聞

◇黒花猫子 大釜菰堂 

コンナ落語がある。昔某処に日本一の怠惰(なまけ)者の父子があつた。或日父子共に宵寝して、臥床の中でスパ〳〵と莨を吸ふた。過つテ吸殻が落ちて蒲団に燃え付いた。スルト倅曰く、お父さん蒲団が焦げて居るぜ。父曰く、お前消せ。倅曰く、お父さん消してお呉れと互ににじくり合ふて居る間に火は蒲団は焼いて大火事となつたが、父子は未だお前消せ〳〵とにじくり合ふて居る。その内に家屋も父子も黒焦げとなつて焼死んだ。而して父子共に地獄へ落ちて閻魔の庁に立つた。閻魔大王曰く、人間界に人類あつて以来未だ貴様父子ほどの無精者は無い、それで来生は畜生道へ堕す、併し多少情状を酌量すべき点もあればドンナ畜生になりたいか注文を許すとの宣告である。此の時父子頭を下げて曰く、畜生とは誠に有難い仕合せに存じます、それでは父子共に黒猫を志願致したう存じますが、併し其の黒猫の口の端にチョイと飯粒でもヒツ付いて居るほどの白い毛を拵へて頂きたう存じます。閻魔曰く、それは又妙な注文ぢやが、何故白い毛が必要ぢや。ハイ私共父子の黒猫が暗がりに寝て居りますと、鼠が口の端の白い毛を飯粒だと思つて参ります、それを寝たまゝアブツと一口に捕つて喰はうと存じます、それで白い毛が必要で御座りますと答へたので、流石怖い顔の閻魔大王も此の時ばかりは大いに笑はれたと云ふ落語がある。無性者もこゝまでになると天地を驚かすに足る。

大正5425日 京都日出新聞

◇伏見の興行界 …唯一の大手座…は長谷川某に依つて表面経営せられてゐるが、可なり古い歴史を持つてるに拘らず、…時々税金不納で差押へられたなど悲惨な経験を有してゐる…此外に猫の額程の常盤館と言ふ寄席があるが、固(もと)より問題にならない。

大正5427日 京都日出新聞

◇工展の余興 岡崎の工芸品展覧会にては二十八日より三十日迄三日間、第一第二会場にて毎日午後一時より四時迄変装の余興あるよしなるが、変装者の氏名は左の如し。廿八日(八人)(芦辺館)三遊亭円子、桂枝太郎、橘家花橘。三十日(十人)(芦辺館)春風亭柳昇、桂花咲。

〈編者註〉二十八日は花橘が展覧会守衛、円子が洋服詰襟集金人、枝太郎が御隠居に変装、三十日は柳昇が商人、桂花咲が大工に変装して会場を歩き回り、第一発見者は賞品を貰えるという趣向。

大正5429 香川新報

<三升家紋右衛門一座・高松常盤館>

常盤館 五月一日より左の一座にて開演すと

 落語(三升家政二郎)落語(同政五郎)落語(同紋八)落語曲芸(同政一郎)落語手踊(同紋の助)長唄諸芸
 曲引(同紋十郎)落語(同紋十郎)掛合新内(三升家紋路太夫、紋衛太夫)落語若柳流舞(三升家紋右衛門)
 中入掛合はなし(紋之亟、紋兵衛)大切落語芝居喜劇所作事社中総出。

上方落語史料集成 大正5年(1916)5月

大正552日 京都日出新聞

◇八阪昇格祭 …神木の付近に於て大阪三友派京都芦辺館連中聯合にて三日より七日迄毎日午後一時より五時までダンジリ踊を奉納す。

大正553日 大阪朝日新聞

<桂三木助来阪>

◇落語桂三木助来阪 浪花三友派五月興行の出席者は引続き桂文三、其他座員幹部は紅梅亭其他各席に出演。桂三木助も十年振り出席す。

大正554日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日から円馬が来つて「塩原多助」を連夜読み続ける他円太郎、小米、喬栄、喬之助等が加つて左の出番順となる。

 小染、円之助、枝女太、枝雁、小南光、文之助、三八、古堂、花咲、枝太郎、喬栄、喬之助、円馬、小米、
 円太郎、大切余興。

大正555日 山陽新報(岡山)

大福座 今晩の出し物は東の旅(小圓三)小倉舟手踊(圓徳)音曲舞(圓史)桜風呂手踊(歌丸)道灌ステテコ(圓三)借家怪談(楽之助)曲芸舞(圓之助)七段目(錦蝶、錦三)長屋花見(扇枝)歌舞蘭長(住之助、小金蝶)芝居噺扇子舞(圓次)星野屋(龍生)ハイカラ茶屋(連中総出)

大正558日 九州日報(博多)

<桂小南一座・博多川丈座>

川丈座(博多) 桂小南一行の落語長唄演芸會は愈々今八日花々しき町廻りの上午後正六時より開演の筈なるが今回は小南圓坊の為毎夜後援會の団体入場ある由今初日の番組左の如し

 小倉船(歌丸)常磐津(小染、染子)反対俥(南冶)改良剣舞(謹吾)口入屋(扇枝)素人芝居(圓坊)貝
 野村(小南)長唄並に三曲合奏(唄正子、同正冶、尺八
月、琴正次、三味線正六)

大正559日 満州日々新聞

<綾瀬川一座・満州花月館>

力士浪花節一行 去る三月花月館に於て開演すべき噂ありし綾瀬川一行は愈々十日乗込み来り目下興行中の博多仁○加も合併し十日より五日間浪花節の外添え物として相撲道の極意四十八手の裏表より弓取迄を見せる由

大正5511日 神戸新聞

大和座 左の顔触れにて開演

 吉田今若、京山日吉、桃中軒雪子、桃中軒白雪、改心軒女雲、廣澤駒坊、京山好子

大正5511日 名古屋新聞

<三遊亭圓右一座・名古屋富本席>

三遊亭圓右来る 當代落語界に於て第一人者に推さるる三遊亭圓右は一座を引連れ十一日より富本に出演、得意の滑稽に聴客の顎を解かしめ大切には師匠圓朝譲りの芝居噺を演ずといえば定めし大入なるべく初晩の語り物左の如し

 昔話し(正右)落語音曲(右多作)音曲(右多丸)古今落語(圓條)人情噺(圓楽)音曲浮世節(萬橘)落
 語(圓子)奇術曲芸(李彩)勧進帳(立花連)江戸自慢(圓右)大切芝居話し

大正5511日 京城日報

<三遊亭一圓遊一座・朝鮮寿館>

寿館 十一日より三遊亭一圓遊の落語

 落語(桂都遊)同笑話(三遊亭権助)滑稽掛合(一蝶、二蝶)落語音曲百面相(圓輔)落語芝居声色(鬼笑)
 落語ものまね(喜圓遊)落語人情噺(右圓遊)落語手踊扇の舞盆の曲(都雀)落語笑話一流舞踊(一
遊)

大正5512日 名古屋新聞

富本席 圓右一行の東京落語は非常の好人気なるが本日の番組は左の如し。

 たらちね(正右)始末の極意(右多作)音曲(右多丸)かけ萬(圓松)人情話(圓楽)野ざらし(萬橘)今
 様話(圓子)奇術曲芸(李彩)娘道成寺(立花連)五人廻し(圓右)双蝶々大道具五段返し

大正5513日 名古屋新聞

富本席 圓右は連夜大好評本日の番組は、
 昔はなし(正右)落語音曲(右多作)音曲物真似(右多丸)人情落語(圓楽)滑稽話(圓條)音曲浮世ぶ
 し(萬橘)芝居の穴(圓子)越後獅子(立花連)唐茄子や(圓右)奇術曲芸(李彩)大切芝居話(圓右)

大正5516日 神戸又新日報

千代之座 帝国館改め千代之座は内部を改築し明日午後二時より昼夜通しと。左の落語家連にて開演すと。

 米團冶、春團冶、文團冶、圓太郎、染丸、馬生、圓子、圓、文三、蔵之助、小文枝

栄館 人情噺の名人三遊亭圓右一行を招き来る二十日頃より開演する由。一行にはまんまん節の元祖三遊亭萬橘も加わると云い、毎日昼夜二回開演(前席は故圓朝もの、後席は同人独特の芝居噺)

大正5517日 名古屋新聞

富本席 左燕一行今晩の番組は、
 昔話(錦生)音曲手踊(小燕左)落語(三左衛門)奇術(一旭)大阪話(文福)野晒(朝之助)扇舞盆曲
 (栄楽)大曲芸(隋振声)音曲話(美都)落語(左燕)

<編者註>笑福亭美都:本名亀井己之助。最初初代福松の弟子で、福治(福二、福次)。明治四十五年に、四代目松鶴が寿々女会に加入する時に弟子となり、右鶴。寿々女会解散時、再びフリーとなり、美都と改名する。大正五年から二年間、名古屋の寄席に出ていたが、その後は大陸へ。晩年は明らかではない。

大正5516日  

<桂文左衛門死亡>

文左衛門●桂文左衛門 本名渡辺儀助。弘化元年生。明治十四年十二月、二代目桂文枝を襲名。明治三十七年二月、二代目を小文枝に譲り、桂文左衛門を名乗る。明治四十一年九月、落語家を引退して渡辺桃子と名乗り心学道話の道に入る。518日付「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」「大阪時事新報」がその死を報じている。同日「大阪時事新報」には追悼文も掲載された。死亡広告は522日付「大阪毎日新聞」に出たものである。

◇桂文左衛門死す 永らく関西落語界の首座にありし桂文左衛門(改名渡辺桃子)は十六日脳溢血で死亡した。同人は最初名人立川三玉斎の門に入つたが、明治三年初代名人桂文枝を師匠と仰ぎ、文枝死後二代目文枝を襲名し、其の後桂三友の両派分れてより桂派一方の旗頭として人気を博していたが、明治四十一年隠退した。得意の落語は市助酒、刀買、あんまこたつ、高津のとみくじ、禁酒関所、三十石などにて、何れも妙を極めたものであつた。門人は文三、枝雀、枝三郎、小文三。辞世に「捨兼し浮世も今は忘れ草」あり。十七日夕密葬を行ひ、本葬は二十三日正午天満寺町大鏡寺にて寺式執行。(大阪朝日)

◇桂文左衛門 大阪落語界の耆宿桂文左衛門事難波新地五番町渡辺桃子(七十三)は明治四十一年九月船場幾代亭の落語矯風会にて「上州館林」一席を最後にて斯界を引退し、其後は心学道話の傍俳句囲碁などを楽しみ居りしが、同四十三年三月より中風症に罹り自宅に静養中、十六日午後五時脳溢血にて死去せり。同人が得意の出し物として今に好者の頭に残り居るは「市助酒」「禁酒関所」「刀買」「駱駝の葬式」「水屋富籤」「住吉駕」などなるが、門人に文三、枝雀、枝太郎、小文三あり。辞世に「捨てかねし浮世も今は忘れ草」の句あり。十七日午後阿倍野火葬場にて内葬を営み、本葬は追つて確定の上執行すべし。(大阪毎日)

◇桂文左衛門死す 明治四十一年九月引退せし大阪落語界の耄宿桂文左衛門渡辺桃子は十六日午後五時南区難波新地五番丁の自宅にて死去せり。行年七十三歳。同人は引退後心学道話に心を傾け余生を楽み居りしが、明治四十三年の春頃より中風に罹り、爾来自宅にて静養中なりしと。辞世「捨てかねし浮世も今は忘れ草」。内葬は十七日午前七時より阿倍野へ、本葬は廿三日正午より天満寺町大鏡町にて執行の由。(大阪時事)

大正5518日 大阪時事新報

◇桂のかほり 逝ける桂文左衛門の事ども 

文左衛門が死んだ。長い間中風にかゝつていたし、落語家としても功成名遂げて引退してからざつと十年になる。年齢より見ても芽出度い終りをなした人と云つて好い。けれども文左衛門の達者な時代を想ひ、そのバツクに花やかな桂派全盛期を回想すると何んとなく涙ぐまるゝ。

今から二た昔前後、法善寺の金沢の席─今の花月亭─に拠つた桂派はまことに一騎当千揃ひであつた。色つぽい廓話には先代文三が居た。セムシの話のうまい先代万光がいた。柄の可笑しい南光(後に仁左衛門)がいた。今の円馬も当時はまだ男盛りで得意の人情話に油がのつてこれも呼物の一つであつた。無闇と陽気な西国坊明学がいてスイリョウ節で花を咲かせた。死んだ文枝、当時の小文枝の如きは今の文三の扇枝と共に若手の部であつた。まだいくらも腕つこきがいた。

これらの人達の盟主として文左衛門がいた。文左衛門は後に改めた名で、当時は文枝であつた。此人首をヒヨイ〳〵動かす癖があつて、細い目を細くし鼻をクン〳〵鳴らせながら六ケ敷い顔をして頗るアクの抜けた瓢逸な小話をやつたものだ。余技として三味線も弾いたと見え、或時「今日は一つ三味線を弾いて見まいよ」と高座で地唄の短いものを一とくさり弾いたこともあつた。地味な話振だつたが何となく棟梁の光りがあつた。

後に文左衛門となり、やがて引退してから桂派はチリヂリバラバラになつた。桂派が衰へた時始めて大師匠の大きかつたことが解つたさうだ。桂派の旧城たりし金沢の席は蓬莱館となり花月亭と変じた。桂派(文左衛門系)の人達は当時相対峙して戦つた浪花三友派へ多く投じ、大阪の落語界の覇権は浪花三友派に帰して既に久しい。とは云へ、この巨匠の本葬(二十三日)は会葬者が雲の如くであらうと思ふ。

父 桂文左衛門事 渡辺桃子儀永々病気の処養生不相叶、去る十六日午後五時死去仕候に付、此段辱知諸君に謹告仕候。追て本葬式の儀は明廿三日正午十二時途中葬列を廃し北区天満寺町電車停留場東へ入大鏡寺に於て相営み可申候 南区難波新地五番町廿四番地 男 渡辺儀助 親族一同 門人一同

大正5519日 京城日報

<上方圓遊一座・朝鮮浪花館>

圓遊開演 既報の通り東京落語新派三遊亭組合頭取三遊亭圓遊は愈々十七日花々しく町廻りを為し同夜より開演せり。同人は初代圓遊の弟子にて師匠没後三年目の明治四十三年故人圓遊の実子若柳吉蔵及び神戸の顔役大辰両名の肝煎りにて圓遊となりたるものなるがその後元の相弟子なる小圓遊が二代目を襲ひしため二人の圓遊が出来たるわけなるがその芸風に至りては両圓遊共故人譲りの軽妙なところあり殊に今回の圓遊は二代目より高座の古きだけ達者な所あり。

一圓遊の帰参 寿館に出演中なりし東京落語三遊亭一円遊は浪花館に開演した圓遊の弟子だつたが或る事情のため師匠の手を離れて當地に興行中だつたが今回西田浪花館主の口ききで帰参が叶ひ圓遊一座に加はる事になり町廻りにも加はつたが初日から出演する事になつた。

大正5520日 京都日出新聞

◇京都倶楽部例会 二十日午後七時半より開会左の番組により新京極笑福亭連の余興あるべし。

 亡者ダンス(右良坊)、落語(花団治)、手踊(桃太郎)、尺八合奏(扇遊・坂本)、落語(太良)、サカサ踊
 (銀馬)

大正5520日 神戸新聞

<落語定席千代之座の誕生>千代ノ座招待券

帝国館改称 日活直営活動写真常設館たりし帝國館は今回内部の構造を改め千代之座と改称し来る二十日より落語定席として開場する事となりたるが初興行は大阪三友派の幹部桂文團冶、同小文枝、同春團冶、同米團冶、橘家圓太郎、同蔵之助、橘の圓、三遊亭圓子、林家染丸、金原亭馬生が毎夜交代出演するの外左記大一座なりと

橘家春三、同弥左衛門、同小三太、同圓六、同圓丈、同圓丸、同圓天坊、同圓三郎、桂南喬、同米之助、同都枝、同玉輔、同三木弥、同春輔、同三升、同萬光、橘の一圓、同太郎、同次郎、金原亭馬琴、笑福亭光鶴、林家正輔、同正楽、美の家可祝、春風亭柳昇

<編者註>写真は、当時の招待券(富士正晴記念館所蔵)

大正5530日 大阪朝日新聞京都付録

◇大宮西陣座は一日から反対派落語連がかけ持する。

大正5531日 神戸又新日報

千代廼座 来月は三友派交代連にて開演

 李有来、琵琶松琴、花橘、米紫、圓枝、文我、染丸、一圓、馬琴、春輔、太郎、光鶴、圓丸、圓天坊、圓三
 郎、三升、次郎、正楽

上方落語史料集成 大正5年(1916)6月

大正561日 大阪時事新報

◇宮崎亭 天神裏門の同亭には一日正午より五時迄の昼席には宝井馬琴の長講伊賀の□録、伊達評定、太閤記生立より。又夜席には午後六時より十一時迄歌楽、小文三、稲子、稲八、馬生、朝枝、枝太郎、万三、万治等の落語其他なりと。同亭にては改称記念として回数券発売す。七回分一円、十五回分二円(桟敷、火鉢、茶付き)。

大正561日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日より左の出番順とした。

 小染、万平、糸の助、枝雀、三八、文之助、鈴朗、月湖、柳昇、かしく、蔵之助、菊団治、万光、円。尚右の内円、蔵之助、菊団治、月湖は大宮富士の家へ交代する筈。

大正561日 神戸新聞

戎座 一日より左の顔触れにて出演

 都枝、南喬、圓天坊、米紫、文我、馬琴、花橘、光鶴、染丸、圓三郎、松琴、圓枝、季有来

大正661日 名古屋新聞

富本席 牛のよだれ(瓢)四斗俵(左團冶)廓の立引(雀圓)小軽(鯉玉)曲芸(一の助)土橋萬歳(美都)源氏節(小美津)山鳥屋(朝之助)手品(一曲)白井権八(圓司)

<編者註>美都のネタは、63日「しらみ茶屋」65日「音曲噺」613日「浮れの紙屑より」620日「蔵丁稚」

大正561日 北国新聞(金沢)

<橋本川柳一座・金沢一九席>

◇一九席 愈々本日より朝寝坊むらく改め橋本川柳一座にて開演すべく、番組左の如し。
 
昔噺(川水)落語(歌當)昔噺曲芸(しらく)獅子の曲(勝美)笑話手踊(橘松)滑稽噺(夢輔)升踊(勝
 代)落語音曲(市兵衛)音曲噺(喜らく)滑稽人情落語手踊(川柳)

<編者註>十一日迄興行。

大正565日 京城日報

<上方圓遊一座・朝鮮寿館>

寿座 竜宮巡り(遊二)一番部屋(遊六)一狂歌合(遊楽)長い名(遊枝)始末の極意(遊寶)音曲噺(圓花)浮世床(東兵衛)長唄小鍛冶江戸娘手踊(遊の助、遊菊□)食客の失敗ステテコ(圓遊)

<編者註>圓遊一座は、1日より開演。

大正561 台湾日日新報

新高館 本日より東京落語都家歌六連中と当地万朝連中にて大寄せを催す由。顔馴染の万朝一座の加はりし事なれば大入ならん

大正565日 大阪時事新報

<桂三木助、緞帳を贈られる>

〇三木助に緞帳 鶴屋南北掾大の筆 描成(えがきな)す髭奴の午睡  

笠屋町の閑居、片側塀に這はせる朝顔と、こちらの軒へかけてブラリと下がらせようとする糸瓜の種から芽を吹いて、芽から青い可愛い葉が追ひ追いに延びている此頃、こゝは松竹の立作者何代目鶴屋南北一名白象居士の書斎の六畳敷。そこ一杯拡げてまだ皺の波が打つている白繻子、紫の縁取つた緞帳。

「この筆では細過るが、エヽイ、やつてやれ」と一喝して墨どつぷり、之れに墨押への卵黄をつけてスラ〳〵と描いたは髭奴の午睡(ひるね)、硯から絹地へ運ぶ筆の端から五六滴、純白繻子地へ落ちた墨にヒヤリとするはこれを持込んだ相合橋の粋床の主人宮崎。

「心配しなはんな」と筆一揮、忽ちその墨痕(しみ)が毛鎗の黒柄と化して仕舞ふ。「うまいもんやなあ」と粋床の御大、感嘆する。髭奴が無事に描き終ると一句なかるべからず。絵筆飛ぶが如くなりし南北先生、一句に拘泥してジツと考へ込むこと十分間からもあつたらうか、とさら〳〵と題した柳風、「奴さん三府を股に懸け髭や」。「宮崎取次」と記したこの緞帳を贈らるゝ者は近頃東京戻りの人気男、奴さんの踊で名代の三友派の桂三木助、これが法善寺の紅梅亭の高座にかけられるは一両日の中、或はもう栄えをしているかも知れない。

大正566日 大阪時事新報・68日 大阪毎日新聞

<三越演芸会出演の柳家小さん>

◇小さんと政称 大阪三越にては七日午後七時から楼上東の大広間で第一回演芸会を催すことゝなつた。出演者は此為めに東京より来阪せしもの。番組は柳家小さんの落語、清元お若、鈴葉の唄、三葉の絃の「権上」及び藤間政弥の舞踊「青海波」、地は前記の三女、来客は華客(ひいき)先きの婦人のみに限る由。(大阪時事)

◇三越の小さん アクの抜けた落語と清元で御機嫌を取結ぶ  

 三越演芸会と云ふのが七日午後七時から高麗橋筋の同店楼上で開かれた。加賀正太郎氏夫人、広瀬助太郎氏夫人、吉崎亀之助氏夫人、宮崎敬助氏夫人、湯川寛吉氏夫人、井上徳三郎氏夫人杯を筆頭に、同店お得意の夫人令嬢が顔を揃へて招かれ、蔦を這はせた岐阜提灯の下に夏の粧ひ軽く打並んだ処は中々美しい。いつも工芸品展覧会場になる二階の奥が舞台になつて、売場は全部取払つて客席とし、西手は饗応場にし、雪白のクロース眩(まばゆ)い食卓打並べたる態(さま)、見馴れた三越が今宵ばかりは珍しい心地がする。

小田支店長の開会の辞、野崎社長の挨拶があつて、東京から態々招かれた柳屋小さんがお目通り仕り、落語「高砂や」が始まる。何様寄席に縁の遠い奥様方の事とて名人小さんの話が馬鹿に面白く、込上げて来る可笑しさを堪へ兼ねてクックッと苦しさうに笑つている人もある。次は清元「権八」の上に〆子(鈴葉)の立、連子(松葉)の唄、三味線の立がつぎ(元葉)で、ワキが丸子(三葉)と云ふ按配。清元凝りの夫人連なんぞは一と膝乗出して神妙に謹聴する。「栄えゆく人ひとさかり」の二上りから詞の辺りは満場水を打つたる如く、最後の「眠りの夢はさめにける」になつて破れる計りの大喝采。次に同じ顔ぶれで「北州」の番外に政弥がカレ切つた手振を示し、之で二十分間の休憩。手軽な饗応があつて再び幕が明くと、小さんは「うどん屋」を出して満場の頤を解き、サゲの「うどん屋さん、お前も風を引いているか」まで堪らぬほど腹の皮を縒せる。最後の清元「青海波」は前と同じ顔で勤め、大満足のうちに閉会したのは十時過ぎだつた。(大阪毎日)

大正567 香川新報(高松)

<三升家紋右衛門一座・高松常盤館>

常盤館 七日よりお馴染みの三升家紋右衛門一行の落語にて開館芸題左の如し。

大阪落語(紋二郎)大阪落語(紋五郎)大阪落語(紋八)落語音曲(紋一郎)東京落語(紋七)落語手踊(紋の助)諸芸音曲(紋十郎)大阪落語(紋兵衛)新内試合(紋路太夫、紋衛太夫)落語若柳流舞(紋右衛門)掛合噺(紋之亟、紋兵衛)落語芝居所作事(座中総出)

<編者註>紋右衛門一座の番組は下記の通り。尚、16日より(高松市)田町の世界館にて開演。

610

軽業(紋二郎)いかきや(紋五郎)百人一首(紋四郎)馬屋火事(紋七)二番目芝居(紋の助)長唄音曲(紋十郎)のしの由来(紋兵衛)掛合ばなし(紋之亟、紋兵衛)石川五右衛門檻子責め(紋路太夫、紋衛太夫)布引の三(紋右衛門)

611

軽業(紋二郎)商売根問(紋五郎)兵庫船(紋四郎)今戸の狐(紋七)東京若者(紋の助)長唄音曲(紋十郎)宿替(紋兵衛)掛合はなし(紋之亟、紋兵衛)新内かさね土楷の段(紋路太夫、紋衛太夫)百年目(紋右衛門)大切喜劇抱腹絶倒不具者の嫁

614

道中神の賑わい(紋二郎)右道中続(紋五郎)普請誉(紋四郎)今戸の狐(紋七)絵口合(紋の助)長唄音曲(紋十郎)鬼あざみ(紋兵衛)掛合はなし(紋之亟、紋兵衛)播州皿屋敷敷の段(紋路太夫、紋衛太夫)義太夫息子(紋右衛門)大切喜劇首の仕替え

615

御祝儀三番叟伊勢参り(紋二郎)豊竹屋(紋五郎)焼刅丁稚(紋四郎)天災(紋七)紙屑より(紋の助)長唄音曲(紋十郎)春雨茶屋(紋兵衛)掛合はなし(紋之亟、紋兵衛)朝顔日記宿替の段(紋路太夫、紋衛太夫)関の春風(紋右衛門)大切酒乱禁酒

616日(田町世界館

御祝儀三番叟伊勢参り(紋二郎)小倉船(紋八)棒屋(紋四郎)紙屑より(紋の助)長唄曲弾(紋十郎)勘定(紋兵衛)掛合はなし(紋之亟、紋兵衛)明烏雪責の段(紋路太夫、紋衛太夫)錦の競争(紋右衛門)大切喜劇無銭遊興粗忽の医者

618日(田町世界館)

御祝儀三番叟二人旅(紋二郎)瘤弁慶(紋八)みかん売り(紋四郎)もう一杯(紋七)稽古屋(紋の助)長唄曲弾(紋十郎)古手買(紋兵衛)掛合はなし(紋之亟、紋兵衛)かさね身買いの段(紋路太夫、紋衛太夫)芝浜の皮の財布(紋右衛門)大切恋の逢引十人斬

大正569日 大阪毎日新聞

<柳家小さんに聞く>

○落語のお客様 柳家小さんの話 
 らくご 005七月の三越演芸会に来阪した東京の落語柳家小さんが金森旅館の一室に納まりながら語る 

私が大阪に参つたのは二十年前と十五年前とですが、其頃のお客様と今の御客様と比べると随分変つたものです。

初めて来た時には弟子を二人連れまして真ッ先に銭湯に往きますと、俥屋さんか何かゞ松島で振られた話をしていました。ソノ時私が弟子に、お前アノ話が分るかえと聞きますと、分りませんと云ひます。実はソレが私にも分りませんが、松島で振られたと云ふことだけが分つた様な次第で。これぢやア高座で余つ程気をつけなくつちや此方のお客様に分りつこねえからソノ積りでやらなくちやあダメだと申して聞かせた位です。

ソレから次に来ました時はモウ余程変つていて、如何(どう)してくよく分ります。之はどうしても交通機関のお蔭でございませう。併し今日でも「大工調べ」なんぞをホントウの江戸ッ子で行ッたりすりア、大分解り難いだらうと思ひます。実は三越の演芸会でモウ少し場がザワつくものと思つて「高砂屋」を余程しつこく遣りました。コレハ一つはお客様が余り落語を聴きつけて被在(いらっしゃ)らないと思つたからで、言葉にも注意しました。処が案外お静かで、コレならモット本調子で行けると思つたから、二席目の「うどんや」にはグッと締めてかゝりました。

大阪の紳士のお馴染は藤田男爵に住友男爵で、お二人とも非常に話しがお好きです。いやモウ東京でも話し好きの方は沢山お出でになりますがホントウの聴手は誠に少いものでがすテ、と当人此点に於いて大いに気焔を挙げていた。

大正569日 山陽新報(岡山)

<桂小南一座・岡山大福座>

大福座 九日より三遊派幹部桂小南一座杵屋連中にて開演。番組左の如しと

 昔はなし(小若)落語手踊(歌丸)端唄ふり事(染子)落語音曲物まね独劇(南冶)新作掛合噺(南遊連)大
 阪はなし(圓歌)落語元祖盆の曲(圓坊)落語歌舞伎噺扇舞ふりごと(桂小南)余興スミス式空中飛行宙返自
 在電気の舞一うた(杵屋正子、杵屋正江)一尺八(明竹、粹月)琴(杵屋正冶)三味線(杵屋正六)

大正5613日 名古屋新聞

<六代目雷門助六一座・名古屋金輝館>

金輝館 東京落語雷門助六久々の出演にて大好評今晩の番組は天災手踊(市六)喜撰音曲(六松)盆の曲(梅團次)五人廻し(寿楽)皿の曲芸(社中)花見小僧(雷蔵)小話音曲手踊(雷童)長唄老松曲弾ヴァイオリン合奏(杵屋連中)太鼓腹扇の舞(助六)大切所作事

大正5615日 北国新聞

<二代目談州楼燕枝一座・金沢一九席>

◇談州楼燕枝来る 下新町一九席にては、先に東京落語三遊亭圓右大一座にて、非常の人気を占めたりしが、今回更に初お目見得東京落語柳派副社長談州楼燕枝大一座を招き愈々明十六日午後六時半より花々しく開演する事となりたるが、今回は燕枝の外真打六人を加えたる大一座にて、木戸二十二銭中銭なしの勉強なりと云えば、前回にも増さる大人気を占むるならむ。初日の番組左の如し。

 落語(青枝)笑話手踊(燕玉)浄瑠璃曲引(燕の助)奇術曲芸(清国人張凰山)笑話手踊(米蔵)運動(張静
 嬢九歳)美声音曲(鯉かん)時世的滑稽落語手踊(三語楼)活人形(鶴枝)人情落語(燕枝)掛合音曲手踊
 (鯉かん、米蔵)

大正5620日 名古屋新聞

<六代目雷門助六一座・名古屋三栄座>

三栄座 東京落語雷門助六一行は初日二日目共木戸〆切の好評。本日読者票は三割引。三日目の番組は妾の馬(市六)浮世風呂(六松)花見(梅團次)常盤津(和佐八)皿の曲(社中)夢金(寿楽)小言幸兵衛(雷蔵)ヴァイオリン合奏(勘左衛門、勘三郎)囃手踊(雷童)野晒し(助六)大切楽屋総出。

大正5621 神戸又新日報

千代之座 定連の圓三郎一派は、上京の為、本月限り打揚げ、来月は浪花三友派幹部連にて蓋を開ける由。尚本日より三日間睦會の大連見物ありと

大正56202130日 神戸新聞

<三升家紋右衛門一座・神戸劇場>

神戸劇場 紋弥改め紋右衛門一行落語は二十一日花々しき町廻りをなし同夜より開演。(620

神戸劇場 紋弥改め三升家紋右衛門一行は愈々本日初日。一行の連名左の如く、入場料は三十銭、二十銭、十銭なり。

落語(紋二郎、紋五郎、紋八、紋一郎、紋七、紋之助、紋十郎)長唄音曲(紋之亟、紋兵衛)掛合新内(紋路太夫、紋衛太夫)落語若柳派舞(紋右衛門)(621

神戸劇場 好人気なりし三升家紋右衛門一行は本日にて打揚げ和歌山に向かうべし。(630

大正5621日 満洲日々新聞

花月席 東の旅(遊一)子誉めふとん廻しの曲(遊六)寿限無蝿取り書生(遊楽)二人癖一人芝居(遊)音曲噺物真似(圓花)牛誉め四ツ竹(東兵衛)文福茶釜江戸流手踊(遊菊斎、遊之助)三人酔客音曲並に一流ステテコ(圓遊)

大正5630日 神戸又新日報

千代之座 一日より左の三友派幹部連にて開演。余興五人廻し、勧進帳を出すと

南喬、福篤、團輔、圓之助、染八、朝枝、春馬、小文三、歌楽、三八、目湖、鈴朗、かしく、蔵之助、文團冶、圓子、妻奴

大正5年6月30日 大阪朝日新聞京都付録

納涼諸芸大会 京都道楽世界社主催となり一日正午より先斗町歌舞練場にて第六回納涼諸芸大会を開く。番組左の如し。

落語手踊(小米)、芸妓浄瑠璃(松吉・蔵之助)、落語(花咲・枝太郎)、大切(芦辺館連中)。

上方落語史料集成 大正5年(1916)7月

大正571日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派 七月は忘暑興行として各席とも入場料を半減にすべく、各席交代連は幹部全員の他、吉田菊五郎一行の水芸奇術、清国人李有来一行の曲芸にて、大切は紅梅亭にて流行手踊、三木助、小米、喬栄、喬之助、永楽館は吉田菊五郎の水芸、沢井亭は桂文治の怪談噺道具入、瓢亭は橋園の長講、延命館は支那人の曲芸奇術、宮崎亭は桂文三の長講、あやめ館は橘家円太郎日曜会式音曲噺長講。文団治等は神戸千代の座へ、馬生、円枝等は京都あしべ館へ。

大正571日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館へは一日から馬生、円次郎、円枝が加はり左の出番順となり、堀川の紅梅館改め芦の家をかけ持する。

 小染、万平、枝女太、枝雁、小南光、文之助、万光、花咲、枝太郎、円枝、円次郎、馬生、大切余興。

大正571日 神戸又新日報

戎座 本日より文團冶、蔵之助、哥楽、朝枝、圓子、圓子、妻奴の落語

<編者註>栄館はこの頃、再び浄瑠璃席にかわっている。落語定席は、吉原系の千代之座と戎座の二席。

大正571日 読売新聞(東京)

<神戸組の上京>

寄席案内(七月一日より替る分)
△牛込区 牛込亭(大阪連太郎、米之助、圓天坊、圓三郎、かしく、柳一、文楽、可落、□□、今輔、燕枝、馬生)

大正577日 京城日報

<三遊亭遊三一座・朝鮮浪花館>

浪花館 七月八日午後六時より三遊亭遊三一行

宝の入船(笑三)落語(三勝)落語手踊(遊三郎)落語音曲手踊(春楽)落語物まね一人芝居(遊玉)落語即席紙切(楳陽)人情噺(圓好)時世笑話滑稽琵琶(三尺坊)落語手踊(遊三)

大正579日 山陽新報(岡山)

<三遊亭金馬一座・岡山大福座>

大福座 東京落語金馬一行四日目の出物左の如し

四の字嫌い(金福)磯の鮑(金坊)常磐津道灌(金八、金冶)袈裟(圓満)声者(かん馬)土砲台(金勝)じゅげむ(金時)従(かけ合)潮来(小金馬)二上り新内(市馬)新聞見合(金馬)大喜利喰違い(楽屋総出)入場料十五銭

大正5713日 大阪毎日新聞

◇浜寺海水浴開場披露会 我社主催浜寺海水浴開場披露会は梅雨明けの爽快季に乗じて愈々明十六日挙行。

〈編者註〉場内の余興場では浪花三友派が正午から夕刻まで間断なく御祝儀総踊、寿獅子、茶番、軽口、曲芸、奇術、無言喜劇、清元手踊、海底踊り、竜宮界、三人滑稽、お笑ひ松尽し、喜劇銅像などの演芸を披露する。出演者は 文治、文三、染丸、花橘、万三、菊団治、文我、円太郎三木助春団治喬栄稲八米紫米輔、円、喬之助、小文枝、小米、稲子、しん蔵、円馬米団治柳昇万治円人文三郎ら。また当日海中投水台上では支那人李有来一行が奇抜なる曲芸を演じた。

大正5713日 大阪朝日新聞京都付録

<三升家紋右衛門一座・大津大黒座>

◇落語三升紋右衛門一行十四日より(大津)大黒座に出演、独特の処作事をも演ずる由。

大正5715日 神戸又新日報

千代之座 十五日より切に例の圓子の伊右衛門、文團冶のお岩で四谷怪談を附け引抜き勢い獅子を見せると

大正5715日 読売新聞

薮入りと遊び場 △寄席 ・・・▲赤坂区 ▼青山富岳座(圓天坊、圓三郎、かしく、可楽・・(以下判読不明)

大正5723日 神戸新聞

今日の境浜 今日の境浜海水浴場には例に依って各種の大余興があります何れも午前十時より開始しますから早くお入来なさい。

◆浪花三友派連◆ 開場以来大喝采大好評の浪花三友派落語連は此日も出場して、更に新しい出し物を選んで来場者の頤を外させようという腹案、何れも肩の凝らぬ演物は

手踊「七拍子」(小文三)「曲引」(春馬)滑稽「軽業」(歌楽、朝枝)「浪花節」(蔵之助)長唄二調「勧進帳」(かしく、妻奴)「東西八景」(連中総出)「雀踊」(かしく、三八)大切「勢獅子」(連中総出)

  大正5726日 読売新聞

神戸落語家一行 は立花家をお名残りに今月限にて退京八月一日より横浜新富亭へ出演す

上方落語史料集成 大正5年(1916)8月

大正581日 大阪時事新報

◇納涼演芸会 一日より南地法善寺紅梅亭にて催す。大切余興として円朝十七回忌追福記念の為め円馬が「怪談乳房榎」を講演し、桂文治及び文団治も亦大道具入怪談を演ず。演芸会曲目は曲芸奇術、掛合話、落語、茶番、面芝居、滑稽水芸、清元歌舞、長講落語等。

大正581日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日より左記出番順とし特別演芸会を開く。余興に茶番狂言、喜劇等数番ある筈。

 円子、妻奴、万三、万治、円坊、花咲、かしく、三八、古堂、枝雁、小南光、文の助。

大正581日 神戸又新日報

千代之座と戎座 一日よりの出番顔触左の如し

 南喬、圓丈、萬十、染八、福篤、團輔、小文、圓人、菊團冶、与二郎、萬光、圓枝、柳昇、枝太郎、圓、圓
 太郎

大正581日 神戸新聞

戎座 千代廼座連掛持の出演、出番左の如し

 南喬、圓丈、染八、圓枝、小文、圓八、菊團冶、圓太郎、枝太郎、柳昇、萬光、かほる、圓

大正581日 北国新聞(金沢)

<橋本川柳一座・金沢一九席>

一九席 本日より朝寝坊むらく改め橋本川柳一座の東京落語にて開演すべく番組左の如し

昔噺手踊(歌當)笑話曲芸(しらく)落語手踊(橘松)音曲噺(喜らく)滑稽笑話(夢輔)落語(市兵衛)百面相(鶴枝)人情噺手踊(川柳)諸芸尽くし(大一座)

<編者註>八月十七日迄記事あり。

大正583日 大阪朝日新聞

◇天満宮崎亭 東京義太夫竹本団昇を招き京阪の太夫と合併一日より十日間興行。

大正585日 神戸又新日報

千代之座 五日より出演順変更
 
萬十、染八、福篤、圓輔[團輔]、小文、圓人、菊團冶、柳昇、萬光、与二郎、圓、圓枝、圓太郎、枝太郎

大正5810日 神戸新聞

今日の境浜三友派の余興 余興場には例に依って大阪三友派連中が現れて御機嫌を伺います。今回の連中は團輔を除く外総て新顔計りで本月一日から交代出演したもの。同じ三友派連中ながら又目新しい演芸を御覧に入れましょう。出演者は同派真打圓太郎を初めとし菊團冶、萬光、枝太郎、圓枝、團輔、小文それに昨年来お馴染みのかほるが与次郎と改名して一行に加わり圓太郎の音曲、萬光の四ツ竹、顔芸、菊團冶の南瓜踊、枝太郎、團輔の軽口、小文の舞、圓枝の滑稽浄瑠璃、与次郎の木曾節踊と取り々に御覧に入れ御聴に達します。

大正5812日 神戸新聞

神戸劇場 舊俄尾半小半合同一座は本日より「女嫌い」「五百圓」「貧車夫」「安達三」「天竺竹」と芸題替え重なる役割は東玉、小半、東寿、小楽、美京、團八、蝶吉、東市、東蝶、茶好、尾半

<編者註>小半:信濃家小半(本名坂本梅之助)。神戸で二代目三木助の弟子となり落語家となり、後三代目立花家千橘を襲名する。神戸時代は、三升(染五郎)と軽口で人気を博していた。

大正589

<初代桂花咲死亡>

初代花咲 001●初代桂花咲 本名西田鹿造 明治十一年生。軽口の桂雁篤に見いだされ、二代目文団治(七代文治)の門下となって花咲と名乗る。雁篤の軽口の相方を勤めたが、雁篤引退後の明治四十年代からはずっと京都の三友派の定席新京極芦辺館をホームグランドとして活躍した。経歴については殆んど知られていないが、その死亡を報じた813日付「大阪朝日新聞京都付録」が唯一それを伝えてくれている。
大正5813日 大阪朝日新聞京都付録

桂花咲死す 三友派の落語家で京都芦辺館連中の花形桂花咲は病気とて去月二十七日以来休席し、同三十一日より東山病院に入院加療中であつたが、九日午前七時半、三十九歳を一期として三文五厘の浮世を捨てた。両親は播州の出といふが、本人は大阪出で、生れた子供の時分から道頓堀界隈を遊び廻つた今でいふ不良少年は、好きな道から十五六歳で千日前の小屋ものに出で、踊りつ蹴ねつ、サアお這入りにジヤ〳〵張つていたのを、明治三十年三友派の瘤篤事桂雁篤が拾ひ出して、軽口掛合噺の相手にして頭の張り合ひに人気者と鍛へさせたが、篤さん死亡後は親に離れた片羽鳥のやうに意気一向揚らず、声色を身上にお茶を濁している内に、曽我廼家五郎がグツと隆盛時代に入るとその声色で彼れの人気も盛りとなり花形として売出すやうになつた。

落語では「二番目芝居」「黄金の大黒」を十八番としたが、面白い話は、桂文吾が足を失うてから芦辺館の高座下に文吾の為の地下室が出来た。所が毎夜々々この地下に足の悪い文吾がチビリ〳〵とやつていると、花咲例の「踏み破る」の書生節踊り、舞台も踏み抜くやうにドスン〳〵とやツ付けるので、文吾その度に苦い顔を一層苦うして、何卒あれ丈けは助けると思うて廃めて貰へぬかと頼んだことがある。名人文吾を踏み破つた花咲も、遂に勘平さん同様四十になるやならずに現世を踏み破つて黄泉へ落ちた。

話柄として女話は数多いが、病気の原因も何うやらそこにあるらしい。同じ経路を有つ鹿連中、脆くも死んだ花咲の最後を聞いて心細く、芦辺館大切りの「四ツ谷怪談」では三八先達となつてそれとはなしの百万遍、但し「チーンソーン猫ナンチウ」の経文では仏も浮かばれるか知らん。

本名は西田鹿造、七条新地に西升楼といふ茶屋を営んでいた。

大正581314日 山陽新報(山陽新報)

<橋本川柳一座・岡山大福座>

むらく来る 大福座の盆興行として東京落語むらく改め橋本川柳来る筈なり。橋本はむらくの本名、川柳は故人圓朝の俳号なり。むらくは少年の頃より落語を好み、橘家左近の名にて東京むつみ席に始めて出演十五歳の時其道に頭を入れて、遂に七代目むらくを継ぐに至った。踊は槍さびが得意で十四日から蓋を開ける筈。(813

大福座 むらく改め橋本川柳一座今十四日(初日)出し物左の如し。

小倉船(川水)江戸の花(川都)ぬるぬる(歌當)西行並に曲芸(しらく)〆込み(橘松)音曲ばなし(喜らく)品川松吉(夢輔)小言幸兵衛(市兵衛)長唄浮世節鰌すくい(登美嬢)源平魁並にヤリサビ丸橋光秀(川柳)(814

大正5818 香川新報(高松)

<上方圓遊一座・高松常盤館>

常盤館 圓遊一座の落語にて十九日開場初日番組左の如し

東の旅(遊二)春付無並びに一人芝居(遊楽)無筆の親(遊枝)啞の魚釣並びに四つ竹の曲(東兵衛)新発明美術紙切り細工(棋陽)落語源平盛衰記(圓奴)長唄文福茶釜の由来並びに三府浮世ぶし手踊(遊嬢、遊之助)大切落語西行法師の由来並びに音曲一流ステテコ踊(圓遊)

大正5819日 神戸又新日報

大黒座 本日より出演の桂小南一行落語は昨夜町廻り、一座は左の如く馴染多き連中にて賑やかに御機嫌を伺う由。尚切に電気応用空中所作事、スミス式横転逆転、宙返りの踊を見せ、東京万歳をも加えると

桂染子、桂玉輔、金原亭馬琴、橘家圓天坊、桂春輔、初の家与二郎、橘家圓三郎、桂小南、不他三升、米之助、三郎、春三、太郎、小三太

大正5815日 大阪時事新報

◇宮崎亭 十二日より十六日迄薩摩琵琶大演芸会あり。毎夜六時より。

大正5820日 神戸新聞

境浜本日の余興◆落語家連中◆ 落語家連中は当地にお馴染み深い圓三郎一派に江戸っ子の小南を加え御機嫌を伺います殊に圓三郎一派の連中は東京戻りの新しい演芸を御覧に入れお聴きに達すべく意気込んで居りますからお臍の宿替えせぬ御要人あつてお越し下さい。

軽口音曲(太郎、三郎)長唄(染子)落語手踊(三升、小三太)深川活惚(玉輔、圓天坊)滑稽講談(春輔)音曲木曾節(与二郎)槍錆、丸橋忠弥(圓三郎)音曲手踊(小南)

大正5822日 大阪毎日新聞

◇上福島延命館にて二十一日より五日間、落語長講三人会を催し、余興として支那人二名の出演あり。

大正582430日 九州日報(博多)

<橋本川柳一座・門司旭座>

旭座(門司) 東都落語界に於いて小さん圓右等と並び称せられ好人気を集めつゝある七代目朝寝坊むらくは今回橋本川柳と改名し其披露を兼ね九州巡業をなす噂ありしが愈々近日中より門司市羽衣町旭座に於いて開演する由。(824

旭座(門司) 朝寝坊むらく事橋本川柳一行愈々九月一日より開演。例の「槍さび」を聞かせる由。一行は若手十二名。(830

大正5828日 大阪時事新報

<三友派・反対派・新桂派>

◇初秋の落語界 

 残暑の南地法善寺は怪談流行だが、初秋も九月の声がかゝると気が変はれば世界も変る。大阪の落語界も同じ顔を取替へ引替へて高座に並べる丈けでは妙ならずと東京から呼んで来る。その代り東京へは大阪から押しかける。先達は神戸の落語家連が上京して柳家小さんの手に属して打つて廻つたこともある。それのみか此夏には三友派が上京するとの話のあつたが話が纏まらずに終つた。その入れ合はせといふ訳でもあるまいが、九月の浪花三友派へ東京から遊三と釈師の若円とがやつて来て、京から来る六斎念仏踊と共に紅梅亭の高座を彩ることになつたさう。円馬も健康を回復したとは喜ばしい。

浪花三友派以外に勢力を振つている反対派は相変らず色もの沢山で格安に客を入れているし、又別に新桂派なる一派あつて客種及び木戸で反対派と大いに戦はんと意気込んでいる。それに噂によれば三友派から若干反対派へ入らんとするものがあるとか。さうなれば又一入競争が激しくなるだらう。

大正5830日 京都日出新聞

○芸界走り書(上) 蝶花形 

落語は芦辺で江戸ツ子総聴の日曜会に切の円の百人坊主、「けが無くてお目出度う」の落迄の面白さが頭に残つてる丈け。東京でも金沢、立花、白梅と歩いたが印象は更に無い。

芦辺でも七月の代り目の馬生を聴いたが、同じ馬生でも東京のとちがつて話が小さい。同じ下手ながらこちらの馬生は洋行迄しただけあつて新らしいと賞めて置く。洋行土産なんてあてられたが、この人の妾馬などは小助六の頃から光て居た。

反対派には近頃出かけないから知らず、相変らずジヨンデー辺(あたり)で客を呼んでるなる可しとは心細い。女道楽連のヘラ〳〵に当てられてから以来物に動ぜぬ僕も金沢でハイカラ義太夫なるものにはちと閉口した。差し詮(ずめ)反対派へ輸入すべきもの。

盲目小せんの活動はすさまじ、独演会に名人会に連夜の出演はよけれど湯屋番、ハイカラもそろ〳〵下積みになりそうなり。こゝらが本式の落語で無いだけに盲目の悲しさ、警句も古くなるからなり。

円左改めたぬきはよいことをしたり。名人の父親の名を返納したところ、思ひ切があつてよし。

どうせ異名を売物にでもしねば食つて行かれぬ落語家にも一人公園あり、自分の顔を公園に見立てゝ鼻が開き過ぎてるなぞの冒頭(まくら)は小供の時から耳に蛸が出来た程聴かされてるを十年一日今度もあびせかけられてぞーつとした。汁粉屋などをミツチリやつてれば、今頃は遊三の名前も貰つたらうものを。

講談は豊梅館変じて鰻屋となる世の中、上方ではもてぬと見えたり。其処で一頃売つて居た貞玉を山村で典山のスケに聞く。キビ〳〵した調子は一部にはもてやう。何と云ふても典山程の名人は当分出まい。河内山のたゝんで行く地などたまらなくいゝ。

小柳のヒル、馬琴をきく。前席が慶安太平記、後席が川中島俥がゝりの修羅場、これは先代ゆづりで悪からう筈はなかつた。

喜よしで芦州の独演会に行つたが、二貫五百の木戸程感心せず、矢張講談はヒル場六銭、木戸の木枕を借りてごろ〳〵して聴くが適当で、それで名人が多いから今だに滅びぬのであらう。今の真打が皆死んでしまつたら必ず存在が疑はれる。若手で有望なのと云ふても貞丈、伯竜、小伯山ぐらいのものだ。その伯竜も惜しいことをした。惜しいと云へば文慶も死んだそうだ。あの淡々たる中に艶のある四ツ谷怪談なんて誰が伝へやう。

節では福真亭で淡為を久しい以前に聴き、公演で辰雄を聴いたぐらゐのもの。東京でも場末へ追ひ込められる今日、清吉、重友、武蔵の名人の看板を中央に見ず、只僅かに楽燕が国技館に現はれて須磨子、梅坊主、ぽんたと一所になつてうんと客を呼ぼうと云ふもの。然し楽燕、楽遊は要するに劇場式音機節なり。それにしては関西で伊勢吉、菊香、三代虎丸等の能弁あり、江戸っ児に辰雄あり、辰雄を喜ばぬ人は雲を嬉しがる人なり。三分間でお馴染を有(も)たぬは寧ろ辰雄の誇り也。音機で遇(も)てずとも大隈は呂昇以下の芸人にあらざりし也。又初つ切(しょっきり)が取れずとも太刀山の横綱振に影響あるなきなり。

〈編者註〉三十一日夕刊に(下)あり。活弁、義太夫、源氏節、歌舞伎に触れるが省略。(下)の文末に(八月上旬於東京)とある。

大正5831日 大阪朝日新聞

◇三友派交代連 落語三友派組合紅梅、永楽、瓢亭、沢井、宮崎、あやめ、延命の各組合席は九月一日より従前の一座に新に京都六斎、三遊亭遊三、松林若円及び桂三木助、李有来の一行は引続き出演し、紅梅亭、永楽館にては円馬が塩原多助を口演する。

◇靭緑館 東京より講談小金井芦州が乗り込連夜新講談と各社の新聞小説ものを演ず。

〈編者註〉大阪時事新報(828)に「靱上通二丁目靱館改め緑館」とある。

大正5831日 京都日出新聞

<伊藤痴遊独演会・夷谷座>

◇夷谷座 通俗講談伊藤痴遊は三十一日初日。午後六時より。

〈編者註〉八月三十一日から九月七日までの演目は以下の通り。

八月三十一日 三党首と三浦将軍、銅山王古川市兵衛、生麦の夷人殺付薩藩と英国の戦争三席

九月一日 (不詳)

   二日 藤田組疑獄の顛末、烈士梅田雲賓、山本内閣の…(空白)…刹那の三席。

   三日 天下の糸平、支那近代…(空白)…山本内閣の倒れたる時。

   四日 西郷隆盛の挙兵、韓国志士金玉均、岩倉遭難と武市熊吉の三席

五日 西郷隆盛の戦、陸奥宗光と女、高島炭坑と後藤象次郎の三席

六日 大久保内務卿の遭難、天下第一人高杉晋作、辞爵辞勲の昔話(板垣伯の辞爵
      始末)(山岡鉄舟辞勲始末)の三席

七日 巨人星亨の最期、維新前の樺太談判、加藤海相の三席(千秋楽)

〈編者註〉九月五日付「京都日出新聞」に「夷谷座の痴遊を聴く」の記事が載る。

○夷谷座の痴遊を聴く

 久し振りに聴いた。自ら放談を以て誇る野口復堂が英語混りの皮肉とは同じ髯面(ひげづら)でも痴遊には愛嬌がある。故伊藤公に私淑して居たと云ふだけに啻(ただ)に姓ばかりではない、頭髪(あたま)の分け方や薄い下つた眉と髭、背の格好まで全く公に髣髴して居る。ソシて一時間でも二時間でも聴衆を飽かさない處に痴遊独特の妙味がある。勿論談(はなし)に抑揚はあるが、節としては微塵も容れず、其のダレんとすれば引締め、締め過ぐれば緩めてかゝる技倆は恐らく痴遊を措いて他に無からう。慥かに講談界の一人者たるは言ふまでもない。

 三日夜の語り物「山本内閣の倒れたる時」は当夜の聴衆中一人として印象の無いものはなく、痴遊自らも国民党の一員として陰に陽に活動したのだから所謂お手の物である。談中権兵衛内閣が行政整理の結果、一億二千万円を産出した事は歴代内閣中誇るべきものである。而(しか)し之は親分の権兵衛の力と云ふよりも奥田義人の手柄であるなどゝ真面目腐つて居るかと思へば、権兵衛の顔は豹のやうであるから、天下に怖いの恐ろしいものは無い、只(た)ッた一ッ嫌ひで怖いのは馬である。馬と来た日にや鳥以上の禁物であるだのと大向ふをウ鳴(な)らせる。

結局権兵衛内閣の倒れたのは彼(か)のシーメンス事件で、彼(あ)れなども権兵衛が議会で島田に突込まれた時に、私の部下に其麼(そんな)者を出したのは申訳が無い、宜(よろ)しく私は自決すると軽く出て終へば、未だ政友会万能時代だから其儀に及ばずテナ事で或は済んだのだらうが、吾が海軍部内には斯かる不正軍人は一人も無いと真正面から言放つたからワアーと声が大きくなり、遂にあの仕末さ。時こそ来れと厄鬼(やっき)になつて居る同志会ではソレッとばかり火の手を大きくしたのだ。其處(そこ)になると、吾犬養君などはと、落ちるところは我田へだが、それが少しも鼻に着かぬからウマイ。地方遊説に犬養さんより伊藤仁太郎さんにと云ふ筈だ。

兎も角此暑いのに上も下もギッシリ、而も殆んど智識階級者ばかり詰つて居るから感心だ。(耳の人)

 


上方落語史料集成 大正5年(1916)9月

大正591日 大阪時事新報

<三遊亭円馬を聴く会・又々実現せず>

〇円馬と碧巖 円馬会復活の相談 其一方で禅学研究 

 先達、大阪の趣味界に於ける名流の間に円馬会を起す議が起り、目下浪花三友派の老将たる円馬の人情話を聴くべく月に一二度宛、主催者の邸へ招き、同好十数名聴手となつて円馬の得意物中の得意物を演ぜしめ、彼れが芸術の真の賛美者たらんと云ふ話が熟した。然るに円馬は生憎の病気で席の方も欠勤し、折角の催しにも出席することが出来なくなつた為、とう〳〵右の会はその侭となつて、円馬の病気の全快を待たうといふことになつた。

円馬は其後療養に手を尽した為め次第に快くなり、月々に催さる日曜会に顔を出し、やがては平常の如く高座へ顔を出すようになつた。加ふるに初秋の風は漸く朝な夕なに身に入みて新涼の候となつた。円馬の回復と共に再び円馬会の話がこの集団(グループ)の間に持出されて、近く同人へ交渉をし出演の話を捗らせようとしつゝあるらしい。

面白いのは同時に又その集団の間に禅学研究の議が持上つている。中には二三先輩もあるので相識る近畿の老師を迎へ、第一着に碧巖録の提唱を乞ひ、それから追々と種々の語録に就いて教を受けるつもり。この提唱をも円馬会の主催者たる某の邸宅に法筵を開いて月に一二回、右の耳に浮世の夢物語を聞き左の耳に高遠の禅諦を聴く、それは花紅、これは柳緑、いづれ一如の声聞緑覚、趣ある同会ではあるまいか。

大正591日 神戸新聞

戎座 桂小南、橘家圓三郎合同一座の顔触れ左の如し

 小南、春輔、馬琴、可昇、与二郎、都枝、圓丈、圓三郎、圓天坊、三升、太郎、三郎、南喬

大正592日 大阪時事新報

<反対派の大躍進・芸人を次々引き抜く>

〇寄席物語 反対派の新計画 松鶴別個の旗上 

 此間今秋の浪花三友派の興行振りに就て記して置いたが、三友派の本陣に紅梅亭と同じ法善寺の花月亭を始め市内に亘つて十数箇所の寄席を有し、又新世界に新たに一席を設けた落語反対派の勢ひも亦頗る猛である。

反対派なるものゝ起つたのは四年ほど前、始めは半玄人或は三流所の落語及び色物を以て一座を作つて五銭の安木戸を看板に旗上げして瞬くひまに今日の地盤を作り上げた。太夫元の岡田は斯界のやり手と云はねばならぬ。

反対派の芸人は今の処百数十名あつて堺、京都等にも交代出演を為し、落語部の他に余興部あつて岡田の幕僚なる青山が余興部主任である傍、落語部を扶けている。花月亭の席主を始め同派の各席主は太夫元と堅く相結んでお客の待遇等の細目に亘つても細心に吸収策を講じている。

今度浪花三友派の人気者の円太郎や小文枝、喬之助、円などを一時に引込み、在来反対派の二頭目たる枝雀、千橘の上へこれ丈けの連中を加へて斤量を増せば明かに三友派の対抗戦が開かれた訳。円太郎は都合で一箇月休み、十月から花月亭へ現はれる。その円太郎に千円の敷金を借したといふことは思切つたやり方。

三友、反対二派の競争は今後ます〳〵拡大さるゝと共に、自然大阪落語界の気運は革つて行くだらう。まだ此外に堀江にいるどちらへも出ずに時機を待ちつゝある松鶴は、花月亭の前身金沢席の当時主任たりし長岡と共に近く新たに門下及び同志を糾めて別に一派を起さうとの考へ中だとか。それも面白からう。

大正592日 大阪朝日新聞

らくご 003<岡本一平の漫画>

◇大阪界隈 一平漫画(其八) =脚気の幽霊=(市内某所の寄席)  

京阪へかけて興行ものに怪談が大流行。これは市内さる處の寄席にてキリ前に楽屋総出芝居がゝりで怪談の一幕を演じてゐる、その楽屋を覗くと今しも幕前と見えすつかり化粧整つた物凄い幽霊が台に腰かけ巻煙草を喫(ふか)し乍ら休息して居る。相手の旅人に扮した男に向ひ「どないやこないや云て、けつたいな気色になつてかなやへん」「どこぞ悪いのんか?」「脚気や、これ見い、こないに脚が脹(ふく)れよつた」と幽霊があられも無い黒い毛脛を出して見せる。旅人「曳割飯喰て見い」幽霊「あんな不味(あじな)いもの喰て毎晩こんな役出来へんがな、阿呆らしい!」

大正592日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館へは一日から小文、朝枝、円坊、弁之助、若円、賢蒋忠などが定連の上に加はる。

大正592 香川新報(高松)

<三遊亭圓童(四代目圓馬)一座・高松常盤館>

常盤館 二日目演題左の如し

伊勢参宮(圓六)二人掛合(社中)船徳(歌之助)馬田楽(花三郎)物真似曲芸(天賞)リン廻し(圓三)長寿(正團冶)愛宕参り(小燕枝)池田牛誉め(圓童)そこつ使者(しん鏡)大切吾妻獅子社中

<編者註>一座の番組は、下記の通り。

93

龍宮界海(圓六)二人掛合(社中)衛生料理(歌之助)三枚起請(花三郎)物真似曲芸(天賞)天災(圓三)桜宮敵討(正團冶)崇徳院(小燕枝)一休禅師(圓童)吹替息子(志ん鏡)切吾妻獅子

96

七度狐(圓六)二人掛合(社中)湯屋番(歌之助)野崎参り(花三郎)歌根問(圓三)曲芸物真似(天賞)初音の鼓(圓童)籠蔵丁稚(正團冶)住吉籠(小燕枝)親子茶屋(志ん鏡)大切滑稽運動新馬鹿

97

三人旅(圓六)新町橋掛合五人廻し(社中)猫の忠信(歌之助)磯のあわび(花三郎)曲芸手品(天賞)ハイカラ汁粉(圓三)口合(正團冶)新世界(小燕枝)親子茶屋(志ん鏡)ダンス新馬鹿

98

三人旅浮かれの尼買(圓六)玉川軽口(社中)平のかげ(歌之助)宿屋の富(花三郎)松の陰(圓三)奇術曲芸(天賞)三軒長屋(圓童)不動坊火炎(正團冶)大文字屋(小燕枝)裏の裏(志ん鏡)滑稽傘の曲、新馬鹿大将

910

三人旅浮かれの尼買(圓六)二十四孝(圓三)和歌山人(歌之助)貧乏花見(花三郎)奇術縄抜け(天賞)五人廻し(圓童)掛取り(正團冶)魚くい(志ん鏡)網舟狂乱(小燕枝)大切喜劇金の世の中社中総出 

大正596日 大阪朝日新聞

<反対派に円、小文枝、円太郎、喬之助、喬栄の五人が加入する>

◇落語反対派の発展 反対派は是迄枝雀、千橘が頭取で、落語界の革新をなす目的にて反対派の名の元に興行せしが、此度三友派の落語家にて円、小文枝、円太郎、喬之助、喬栄の五人が加入する事となり、各同派の席主は愈(いよいよ)反対派の此際発展をなす事とし、同組合寄席と協議なし居る由。付いて現在の組合は南地法善寺花月亭、堀江賑江亭、新世界世界館改め第二花月亭始め外十七軒、京都四軒、堺一軒にて、是に出演させる演芸者は二百二十七人る由。

大正5968日 九州日報(博多)

<橋本川柳一座・博多川丈座>

川丈座(博多) 既報の如く東京落語七代目朝寝坊むらく改め橋本川柳(故師圓朝の俳名を受けしもの)は愈々八日初日開演の筈なるが同人は圓朝圓喬の口調を加味し其技頗る圓熟し殊に踊の「槍さび」は最も得意なり一行の顔触れ左の如し。

 歌當、梅喬、川都、しらく、鶴三、喜楽、夢輔、橘松、梅八、櫻八、市兵衛、川柳(96

川丈座(博多) 多大の期待を受けつゝある朝寝坊むらく改め橋本川柳一行は愈々本日より開場の筈なるが十八番の随一「唐なすや」の外呼物の「槍さび」を見せる由なり一行の番組左の如し。

歌根問(歌當)野崎参(梅喬)吉原雀(川都)水中玉(しらく)松竹梅(鶴三)鼻ねじ(喜楽)うまや火事(夢輔)干物箱(橘松)掛合噺浄瑠璃八景(梅八、櫻八)素人俥(市兵衛)唐なすや並に槍さび引語り稽古屋(川柳)(98

大正599日 大阪毎日新聞

<伊藤痴遊独演会・緑館>

◇靱上通緑舘 八、九、十の三日間午後六時より伊藤痴遊氏の独演会を開催。

大正5911

◇浪華落語反対派出演順 南地花月亭

大正5年 001

浪華落語反対派/九月十一日より出演順 毎夜正五時より/通り御一人金十銭/南地法善寺芦辺合名社直営花月亭 電話南四三八番

新加入 桂小文枝、橘乃円治郎、橘乃一円坊、立花家喬之助、立花家喬栄、・玉ノ浦庵三尺坊、橘乃円

落語笑福亭円郎、落語桂小雀、落語顔芸桂さん喬、曲芸吾妻信太郎、大正笑話桂文雀、奇術金魚釣り一陽斎正一、浄瑠璃竹本隅瀧・団勝、音曲噺橘家小円太、運動と曲芸清国人夏雲昇・張小春、大正笑話滑稽琵琶浪花節玉ノ浦庵三尺坊、舞踊菊菱米子・立花家友吉、落語舞橘乃円治郎、掛合噺橘乃一円坊・桂太郎坊、落語桂小文枝、清元舞踊立花家喬栄・喬之助、落語音曲桂文治郎、危剣術明治金時

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正5910日 神戸新聞

千代廼座 東京帰りお馴染みの圓三郎、春輔等一派それに踊を売物の小南も加わり熱心なる舞台振りを見せる事とて、好人気なる小南の電気応用空中踊は目先変わり大喝采なり

大正5913日 山陽新報(岡山)

<上方圓遊一座・岡山大福座>

大福座 十三日より東京落語三遊亭圓遊一行にて開演。初日番組左の如し

 御祝儀宝入船(遊六)浮れの旅行(遊二)寿限無一人芝居活劇(遊楽)無筆の親(遊枝)新発明紙切細工(楳
 陽)源平穴探(圓好)長唄文福茶釜、三府浮世節、並に江戸流手踊(遊菊斎、遊の助)三人酔客音曲並に一龍
 ステテコ踊(圓遊)

大正5916日 京都日出新聞

◇京都倶楽部例会 京都倶楽部は十六日午後六時より例会を開き左の余興あるべし。

落語(万平)、落語舞(小文)、落語(枝雁)、落語独劇(南次)、奇術曲芸(支那人蒋賢忠)、落語四ツ
 竹・掛ケ合噺(かしく・三八)

大正5917日 満洲日々新聞

<橘家扇蔵一座・満州花月席>

楽屋と大向 十七日から花月館に出演する竹本君子(本年六歳)は大阪で少女の義太夫語りとして知られている。四歳の時に文楽座に行っては聞き覚えに覚えたのが始めで、去年から師匠に就いて今までに習ったのが八つばかしあると云う。其姉の山村初子は踊り専門、母親の竹本越春は義太夫で母子三人の一行に三遊亭月[]松という落語家が加わって乗込んだ処に、朝鮮から橘家扇蔵が来て茲に合同することになった。

花月館 御祝儀伊勢参宮(三遊亭龍太郎)菅原寺小屋の段(竹本越春)奇術指活動落語(三遊亭月[]松)音曲手踊(竹本初子)文人踊(博多家茶紺)三勝半七酒屋の段(竹本君子)落語音曲手踊(橘家扇蔵)大切所作事七変化(楽屋総出)

大正5926日 九州日報

<橋本川柳一座・若松毎日座>
娼妓慰籍會 若松市連歌町遊郭の各楼主は廓内娼妓一同を昨二十五日午前十時より同廓雅之家に招待し目下同市毎日座にて好評を博しつゝある橋本川柳一行を招き落語、音曲、手踊等を演ぜしめ娼妓慰籍會を催したり

大正5930日 大阪朝日新聞

<反対派、一五会を創設・天満文芸館が天満花月亭と改称する>

◇浪花反対派落語 同派は一日より従前一座の外に橘家円太郎、三遊亭円遊外二三名出演させ、猶上本町富貴亭、南地花月、現今改築の天満文芸館改第二花月亭外、各組協議の上、落語革新の目的にて毎月一、十五日の両日正午より開演、其第一回一日は法善寺花月亭にて開く。

〈編者註〉三友派の日曜会に対抗するために組織された会。大正四年九月に反対派が京都の笑福亭を買収したが、その時京桂派が行っていた勉強会「一五会」の名称をそのまま引き継いでいる(番組は下記【参考資料】参照)。また吉本所有の天満第二文芸館が改築して天満花月亭と改めている。

大正5930日 神戸又新日報

千代之座 一日より秋季特別興行顔触れ左の如し

 三升、三郎、太郎、馬琴、与二郎、春輔、圓天坊、圓三郎、圓都、小南、余興水戸大仏芸妓の松前節

上方落語史料集成 大正5年(1916)10月

大正5101日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派 十月一日より同派紅梅亭、瓢亭、あやめ舘、沢井亭、永楽館、延命舘、宮崎亭の交代連は従来の顔触の他、支那人李有来、蒋賢忠の運動と奇術、三遊亭遊三、三木星花(筑前琵琶)、古堂珍郎(ヴアイオリン)、橘家円坊、文の家かしく、桂枝太郎、東京講談師一竜斎貞丈など。

大正5101日 山陽新報(岡山)

<三升家紋右衛門一座・岡山大福座>

大福座 今一日より東京大阪落語合同一座三升紋右衛門一行にて開演。連名左の如し。

 落語(紋三郎)落語曲芸(紋二郎)落語手踊(紋の助)落語曲芸(紋一郎)落語手踊(紋六)落語(紋八)東京落語(紋七)音曲曲弾(紋十郎)落語(紋之丞)落語(紋兵衛)掛合新内(紋路太夫、紋衛太夫)若柳流舞落語(紋右衛門)

大正5101日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館は一日より左記出番順とした。

 小染、万平、南次、枝雁、三八、万光、柳昇、菊団治、文の助、小文三(交代)、松林若円、三木助(交代)、小米(交代)、染丸(交代)

大正5101日 芦辺館ポスター

らくご 007

浪花三友派/當る十月一日より連夜開演/交代連/青年落語の泰斗 独有舞踊 おなじみ 桂三木助 久々の出演/永らく御當地に御愛顧を蒙りし御馴染の 林家染丸 久々の出演/好評 引続き出演 松林若圓(新講談)/青年落語交代連 桂小米 桂菊團次 桂小文三/出番順│林家小染・桂萬平・桂南次・桂枝雁・桂三八・桂萬光・桂文の助・桂菊團次・春風亭柳曻・桂小文三・若林若圓・桂三木助・桂小米・林家染丸│大切舞踊会 小米・三木助/新京極芦辺館(電話中一五二九番)

〈編者註〉上掲のポスターは「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より拝借した。

大正5101日 神戸又新日報

戎座 本日より従来の一座へ圓都、小南、水戸芸妓一行の追分節を加えると

大正5101日 北国新聞(金沢)

<三遊亭小圓朝一座・金沢一九席>

一九席 本日より東京落語三遊亭小圓朝一座にて開演すべく番組左の如し

 笑噺(朝好)新内浄瑠璃(金之助)音曲総まくり(小圓太)滑稽落語(清朝)落語音曲(朝太)笑話音曲手
 踊(一朝)滑稽落語手踊(小圓冶)掛合手踊(朝
)空中皿の飛行機(光洋)古今人情噺(小圓朝)芝居正本
 噺電気応用

喜久亭 本日より落語新内合併一座にて開演すべく松旭斎一朝外数名出演入場料五銭均一なりという。

大正51010日 九州日報(博多)

<三升家紋右衛門一座・博多川丈座>

三升家紋右衛門 京阪落語三升紋弥は今回三升家紋右衛門と改名し之れが披露興行として三升會の若手連二十名を引連れて九州巡業顔志し其第一回として来る十二三日頃より博多川丈座にて開演する由顔触れ左の如し。

紋四郎、紋一郎、紋之助、紋三郎、紋六、紋八、紋七、紋十郎、紋之丞、紋兵衛、紋衛太夫、紋路太夫、杵屋連四名、紋右衛門

<編者註>一座の番組は、下記の通り。26日迄。尚、紋兵衛は後の四代目文團治。

1012

伊勢参り(紋四郎)小倉船(紋三郎)祝(紋一郎)棒屋(紋二郎)稽古屋(紋之助)三味線曲引(紋八)新町ぞめき(紋七)小言幸兵衛(紋十郎)からし医者(紋之丞)大和勘定(紋兵衛)新内明烏(紋衛太夫、紋路太夫)袈裟茶屋並に振り事(紋左[]衛門)

1013

瘤弁慶(紋之助)付焼刃(紋八)百人一首(紋一郎)たん医者(紋之丞)茶瓶ねぶり(紋六)曲芸百種(支那人張福玉)浦里時次郎(紋七)三味線曲弾(紋十郎)土橋萬歳(紋兵衛)新内(紋路太夫、紋衛太夫)替り目並に舞(紋右衛門)

1014

播州めぐり(紋二郎)明石人丸(紋之助)池田の猪買(紋八)浮世根問(紋一郎)近江屋丁稚(紋之丞)あみだが池(紋六)元犬(紋七)三味線曲引(紋十郎)ふたなり(紋兵衛)新内梅野由兵衛(紋路太夫、紋衛太夫)曲芸百種(張玉福)夢金並に振り事(紋右衛門)

1015

宿屋仇(紋之助)豆(紋一郎)天下泰平(紋之丞)高尾(紋六)芝濱(紋七)曲引(紋十郎)曲芸(張玉福)古手買(紋兵衛)新内土橋(紋路太夫、紋衛太夫)布引の産(紋右衛門)

1017

子誉め(紋六)汽車と電報(紋七)三味線曲引(紋十郎)質屋蔵(紋兵衛)新内朝顔大井川(紋路太夫、紋衛太夫)曲芸種々(張玉福)かべ金並に舞(紋右衛門)

1018

一枚起請(紋六)ヤソ息子(紋七)三味線曲引(紋十郎)初天神(紋兵衛)新内播州皿屋敷(紋路太夫、紋衛太夫)曲芸種々(張玉福)子別れ並に振り事(紋右衛門)

1019

崇徳院(紋六)たぬき(紋七)三味線曲引(紋十郎)口入屋(紋兵衛)新内千両幟櫓太鼓(紋路太夫、紋衛太夫)曲芸種々(張玉福)かもじ切(紋右衛門)

1020

無筆親(紋六)火事息子(紋七)三味線曲引(紋十郎)寝床(紋兵衛)新内釜ケ淵二ツ巴(紋路太夫、紋衛太夫)曲芸種々(張玉福)片袖及び振り事(紋右衛門)

1021

紙屑屋(紋之丞)出来心(紋六)天災(紋七)三味線曲引(紋十郎)船弁慶(紋兵衛)新内二ツ巴お瀧殺し(紋路太夫、紋衛太夫)曲芸(張玉福)芝濱並に所作事(紋右衛門)

1022

他行(紋六)替り目(紋七)三味線曲引(紋十郎)不動坊(紋兵衛)曲芸(張玉福)掛取り(紋右衛門)大切所作事(杵屋連出囃子)

1023

無物買い(紋六)寝床(紋七)曲引(紋十郎)赤子茶屋(紋兵衛)新内日高川(紋路、紋衛)支那人曲芸(張玉福)お見立(紋右衛門)大切所作事

1025

みかん売り(紋六)湯屋番(紋七)浮世根問(紋兵衛)曲引(紋十郎)新内中将殿下(紋路太夫、紋衛太夫)支那人曲芸(張玉福)浮れ掛取(紋右衛門)大切連獅子 

大正51014日 大阪朝日新聞

◇三友派の総見 京都南座の延若一座に合同する宗之助のため三友派の紅梅亭及円子主催となり、京阪同派の落語席主、先斗町の芸妓の合同切落しの総見あり。

〈編者註〉伯山の以降の読物は十八日が清水次郎長、忠孝常世譚、十九日が清水次郎長、俵星玄蕃、二十日が義士外伝関根弥太郎、清水次郎長、関鉄之助、二十一日が柳沢出羽守、清水次郎長、魚屋本多。

大正51015日 岐阜日々新聞

関本座 十五日より東京落語三遊亭三左衛門一行にて開演。木戸六銭の処本紙切抜は半額

大正51015日 名古屋新聞

<三遊亭小圓朝一座・名古屋富本席>

富本席 東京三友派大落語一行今晩の番組は左の如し

 知め(朝好)萬病丹(朝太)干物箱(清朝)櫻風呂(小圓太)新内白木屋(金之助)羽衣(一朝)妾馬(小
 圓冶)奇術皿の飛行(田村光洋)文七元結(小圓朝)

大正51016日 大阪時事新報

◇聴く趣味の会 十七日正午より心斎橋北詰東ニコニコクラブ支局にて桂円枝の大阪落語「夢見八兵衛」、昇竜斎貞丈の東京講談「柳田角之進」、金原亭馬生の東京落語「一文悋み」等あり、終つて川柳句会を開く由。

大正51017日 京都日出新聞

<神田伯山一座・夷谷座

◇夷谷座 久敷休演中なりし同座は十七日より講談会々長教育会委員肩書付の講談師神田伯山一行が来る。初日の読物は大槻伝蔵(伯鯉)、軍事探偵(小伯山)、美女丸(伯竜)、清水次郎長、西明寺時頼(神田伯山)にて、午後五時開場、入場料一等四十銭、二等二十五銭、三等十銭にて二十一日迄五日間限り日延なし。

大正51020日 北国新聞

<五代目三升家小勝一座・金沢一九席>

一九席 東京落語、番組左の如し

 落噺(小燕)笑話お曲(勝輔)落語盆手踊(勝岩)滑稽落語(さん生)滑稽身振事(勝弥)笑話手踊百話
 (錦生)滑稽情話音曲(燕柳)和洋奇術(ピリケン)滑稽落語(小勝)

喜久亭 東京落語、番組左の如し

 落語手踊(角兵衛)落語音曲(團之助)落語曲芸(扇亀)落語剣舞(薫)新内節(喜美太夫)新落語(武左
 衛門)奇術(一朝)滑稽人情新話(柳朝)

大正51021日 大阪朝日新聞

◇南地花月亭席 同席は新世界花月亭、上町富貴席其他組合に二十一日より従前落語の出席者の外に桂枝雀及び橘家円太郎が出演。

大正51025日 名古屋新聞

富本席 美都、圓司、助三郎一座今晩の番組は 無筆(ひさご)龍宮界(鯉玉)三つ面(文福)干物箱(朝之助)お花半七(左龍)花見仇討(助三郎)三枚起請(美都)甚五郎(圓司)

<編者註>美都のネタは、26日「親子茶屋」27日「袈裟茶屋」28日「一枚起請」30日「打飼盗人」。文福、26日「鳥屋坊主」28日「野ざらし」29日「うどん屋」30日「お文様」

大正51026 山陽新報(岡山)

<三遊亭小圓馬(四代目圓馬)一座・岡山大福座>

大福座 二十六日の演題は三人旅浮れの尼買(明玉)掛合咄桂川(社中)湯屋番(歌之助)手紙無筆(圓童)野晒ステテコ(圓三)野崎参り(しん鏡)新町ぞめき音曲(花三郎)網船手踊(大和)口入屋(正團冶)一休手踊(小圓馬)大切東獅子(天賞、中賞、小賞)

大正51030日 北国新聞

<春風亭柳朝一座・金沢一九席>

一九席 昨日より東京落語春風亭柳朝一座にて開演せり。番組左の如し。

昔噺(市朝)落語手踊(扇亀)浪花昔噺(薫)清元浮世噺(登)滑稽落語(柳輔)新落語(武左衛門)和洋奇術(明一)落語情話(柳朝)落語喜劇(総出)

大正51031日 大阪朝日新聞

◇反対派の組合は南地及び天満、新世界の三花月亭、堀江賑江亭、松屋町松竹座にて、三十一日より出演者は枝雀、円遊、助六、円太郎、小文枝、千橘、文次郎、喬之助、喬栄。

大正51031日 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭交代連 三十一日からの出番順は左の如く、千本長久亭をかけ持す。

 福松郎、望月巴、三朝、若呂光、呂光、円笑、小円太、一円坊、太郎坊、五郎、直造、小高、高蝶、文雀、伯糸。

上方落語史料集成 大正5年(1916)11月

大正5111日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派十一月一日より三友派組合席紅梅亭、永楽館、瓢亭、延命館、あやめ舘、沢井亭の六席へ差加ふべき交代連は桂小南、支那人奇芸曹汗方、楊永山、女流筑前琵琶三木星花など。猶紅梅亭大切は桂小南の電気応用舞奴凧、永楽館大切は三遊亭円子、桂三木助の舞戻り橋。

〈編者註〉今月から宮崎亭が三友派組合を抜けている。

大正5111日 神戸新聞

千代廼座 落語定席千代廼座は圓三郎、春輔、太郎、三郎、圓天坊、馬琴、三升等の外花橘、大入、蔵之助、圓坊を新たに加えたり

大正5112日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館交代連 一日から米団治、花橘、万三、遊三が加はつて左の出番順となる。

 小染、万平、円之助、染八、枝雁、三八、小文三、蒋賢忠、文之助、古堂、柳昇、万三、万治、遊三、花橘、米団治、大切余興喜劇引抜電気応用踊。

大正5112日 名古屋新聞

<名古屋富本席番組>

富本席 東の旅(ひさご)兵庫船(雀圓)七度狐(左龍)花見小僧(助三郎)仏茶屋(鯉玉)伊勢吉(文福)疝気の虫(朝之助)太鼓腹(美都)薪割り(圓司)

<編者註>落語定席富本席の番組は、下記の通り。

116

無筆(ひさご)兵庫船(雀圓)面の餅(鯉玉)疝気の虫(朝之助)七度狐(玉龍)六尺棒(文福)野崎参り(美都)転宅(圓司)

1110

・愛宕山(ひさご)先の仏(文福)一休和尚(左龍)歌根問手踊(鯉玉)天災音曲(朝之助)代り目(美都)忠僕直助(圓司)

1112

かしや札(ひさご)大和めぐり(雀圓)蚊や相撲(左龍)たちきれ(文福)電車手踊(鯉玉)五人廻し(朝之助)後家殺し(美都)谷風梶之助(圓司)

1116

播州巡り(文六)景清(梅團次)音曲手踊(小團次)人情ばなし(圓司)音曲ばなし(美都)曲芸(市之助)引越の夢(鯉玉)山崎屋(文福)掛下(朝之助)西遊記(梅朝)

1117

兵庫船(文六)野崎参り(梅團次)甚五郎(圓司)音曲手踊(小團次)ヤレヤレ豆腐(美都)曲芸(市之助)宿替え(鯉玉)辻うら(文福)ダクダク(朝之助)西遊記(梅朝)

1118

尼買(文六)東の旅(梅團次)紺屋高尾(圓司)音曲手踊(小團次)櫻風呂(美都)曲芸(市之助)干物箱(鯉玉)うどんや(文福)熊の皮(朝之助)西遊記(梅朝)

1121

七段目(文六)小倉船(梅團次)音曲ばなし(小團次)音曲手踊(美都)かじか澤(圓司)曲芸(市之助)三ツ面(文福)一枚起請(鯉玉)酒のかす(朝之助)四谷怪談(梅朝)

1122

兵庫船(市六)豊竹屋(梅團次)音曲手踊(小團次)子誉め音曲(美都)源平穴さがし(圓司)曲芸(市之助)うらの裏(文福)姉の手踊(鯉玉)猫まわし(朝之助)四谷怪談(梅朝)

1125

手ほめ(梅團次)音曲手踊(小團次)丁子かわり目(美都)転宅(圓司)曲芸(市之助)屑より(文福)口入屋手踊(朝之助)碁ぞろ音曲(鯉玉)西洋時計術(一朝)四谷怪談(梅朝)

1127

三人旅(市六)節右衛門(梅團次)音曲手踊(小團次)曲芸(市之助)百年目(美都)さぎとり(文福)親子茶屋(鯉玉)お見立音曲(朝之助)東洋奇術(一朝)四谷怪談(梅朝)

大正5119101118日 京城日報

<橋本川柳(三代目圓馬)一座・朝鮮浪花館>

川柳開演 東京落語朝寝坊むらく改め橋本川柳一座は七日夜熊本大和座より乗込み来れるが、九日は花々しき町周りを為したる上、同夜より明治町浪花館に於いて開演すべく。一座は全て十五名にして初日の演し物は左の如し。

七段目手踊(歌當)源平魁手踊り(都遊)白木屋曲芸(しらく)赤買舞(喜三郎)理屈按摩(鶴蔵)百両損(夢輔)ねどこすててこ扇舞(橘松)塩原太助(掛合梅八、桜八)忠孝嵐(市兵衛)音曲噺(翫之助)淀五郎やりさびの踊り(川柳)(119

川柳の槍錆 むらく改め橋本川柳が師匠の橘之助と不和を生じて東京を飛び出した事は予期に記した通りだが、そのために旅から旅へと赴逢い歩き、今度京城へ来る事になつたが、「実は姫路から西へ足を踏み出しましたのは初めてですが、見ると聞くとは大違ひ、御当地も中々いいところでございます。」と感心してゐる。彼の高座振りは若手の内では東京では屈指なものだが、東京帰りの通人に云はせると「どうも少し調子が高すぎるのがむらくの欠点だ」といふか、それ丈彼には己れの芸に自信があるらしい。話は別だが今度帰京するとしても師匠との間は円満に行きさうも無いので、帰京の上は久しく中絶してゐる立川焉馬の名を継がせようと尽力してゐる者があるさうだ。(1110

浪花館 東京落語橋本川柳は九日夜より開演したるが同夜は非常の盛況にて大入満員なりしが十一日三日目の出し物は左の如くなりと。

君が世(歌當)西行東下り(都遊)がん首(しらく)狸の穴(鶴蔵)しうとん(喜三郎)岩田くじ(夢輔)長屋(橘松)先代萩床下(かる口)二十四孝(市兵衛)音曲色草(翫之助)とうなすや(川柳)(1111

浪花館 東京落語橋本川柳一座にて毎夜好評を博し居れるが十八日夜は別記出し物の外に川柳の稽古屋を出す由。

雪天(歌當)うそつき村(都遊)金時(喜三郎)こんにゃく問答(しらく)味噌蔵(鶴蔵)羽打輪(夢輔)首丈ケ(橘松)一の谷(かる口)けさごぜん(市兵衛)音曲植木(翫之助)佃田祭ヤリサビ(川柳)(1118

大正51111日 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭交代連 十一日から久々の枝雀を始め立花家喬之助、喬栄、桂文治郎等が加はる。

大正51111日 九州日報(博多)

川丈座(博多) 今十一日より諸芸競演會開催。入場料十五銭均一の由にて今初日の番組左の如し

 義烈傑(秀雄)落語天しき(遊正)大江道實(天明)長唄筑摩川(勘左衛門)落語弥二郎(遊正)博多生首
 事件(天明)ヴイオリン合奏並に鳥獣物真似(勘左衛門、勘三郎)

大正51111日 満州日々新聞

大山席(十一日より) 昔噺(三遊亭喜遊)らくだ(三遊亭小遊)落語音曲百面相(三遊亭若輔)大阪落語(三遊亭歌扇)清元浮世節(春の家登茂女)落語手踊(三遊亭小圓遊)人情落語(三遊亭可遊)大切(総出)

大正5111218日 京城日報

<三升家紋右衛門一座・朝鮮稲荷座>

◇[広告]京城本町五丁目稲荷座/十二日より新築初興行/京阪落語別派三枡家会 大切所作事座員総出落語芝居喜劇本鬘本衣装応用/御祝儀落語音曲(紋四郎)伊勢参宮落語(紋三郎)二人旅落語曲芸(紋二郎)小倉船落語手踊(紋之助)棒屋落語手品(紋郎)あみだ池落語手踊(紋六)延陽伯落語(紋八)小言幸兵衛人情噺(紋七)三味線音曲曲弾(紋十郎)からし医者落語(紋之丞)やまと閑所今様落語(紋兵衛)明烏雪掛合新内(紋路太夫、紋太夫)中華民国曲芸(張玉福)袈裟茶屋落語並若柳流扇舞踊(紋右衛門、舞振付若柳吉弥)(1112

紋右衛門 新築落成の稲荷座に開演せる三升紋弥改め三升家紋右衛門の一座は四年前浪花館に来たりし事ありて當時好評を博したる由なるが、今回は改名披露も兼ね居れる事にて一座も好い顔を揃へ居り初日以来引継ぎ好評を博し居れるが、殊に同座は新町遊郭に近く閉場後素見傍々遊郭を廻る者も多く事とて一層賑はひ居れり。(1118

大正51114日 京都日出新聞

<読者懇親会余興の三八と柳昇>

◇秋期懇親会 (前略)余興に移つたが…芦辺館出演の支那人蒋賢忠君の曲芸で、直径尺五位の輪二つを雲梯(あぶな)く竪(たて)に乗せ重ねて自由自在に其中を身を廷して出入する態(さま)、錬磨の程が想はれて何れも感嘆久しくする。…琵琶三段打続いた後を受けて演台に現はれたるのはお馴染の芦辺館の三八君で、まづ話枕(まくら)に哄(どう)と臍を捻らせ、「胴切」の噺は其奇抜さに思はず吹出させられる。おまけとして十八番の三八式新講談ともいふべき吹寄せ講談は、小野の小町が出るかと思ふと加藤清正が現はれる、欧州戦争が物語られると思ふと軍艦伊勢の進水式が出る、歴史と時局が突飛に出る所が堪らない面白さを残して引退がると、代はつて現はれたのが之れもお馴染の柳昇君。江戸弁の歯切れのよい噺上手とて「なめる」の話は思ふ存分ウムと笑はせて、斯くして大成功の裡に余興を終つた。

〈編者註〉十一月十二日、五條坂袋中庵にて読者及び投書家秋期懇親会が開催された。上述の文章はその余興の様子を述べたものである。 

大正51114 山陽新報(岡山)

<二代目三遊亭圓左一座・岡山大福座>

大福座 五日目番組左の如し

御祝儀(大ぜい)われ忘れ一人茶番(左圓冶)一分茶番音曲(左傳冶)赤子茶屋手踊(左喜代)義士外傳津田近江守の傳(黒猿)音曲ばなし(小圓左)箱根山ゐざりの仇討(圓京)文七元結上巻(圓左)

大正51115日 京都日出新聞

<春風亭柳昇の楽屋噺>

○社会節用(十二)演説の巧拙 

 芦辺館の高座で御機嫌を伺つている東京の落語家柳昇、楽屋でこんな打明けばなしをした。

「大きい事をいふではありませんが、島田さんでも、花井さんでも、議論は御立派でせうが、どうしても聴衆に飽がきます。真宗の坊さんのお説教は誰が聞いても面白くて、時間の経つのを忘れさせます」と、大分調子が高いが、全くの法螺でもなさゝうだから、「夫は何故だ、落語にはそんな秘伝があるかい」と謹(つつしん)で教(おしえ)を請ひ奉る。「高木益太郎さんなんぞは、お暇があると落語を聴きに入らつしやいます。私も御贔負に成て居るので、先生落語のどんな処が御気に召しますかと伺ふと、ナニ落語が面白くて行くのではない。己は喋つて人に飽きさせぬ工夫を見習に行くのだと仰いましたが、流石は先生です」「花井さんや、島田さんの御演説には重語が沢山に在ります。近い例が正面上壇には太閤秀吉公が緞子の座布団に悠然と渡らせられます、と其所の後手には北政所が是も緞子の座布団にしとやかに坐つて居られます、と太閤さんと北政所の位置を示すのに、斯う同じ形容詞を使ひ升と知らず知らず人が飽きます。そこは北政所の分には別の語を用ふるか又は省略法を用ふと耳にさはりませぬ。処が花井さん島田さんの御演説いつもこの辺が無頓着で厶い升」「真宗坊さんが説教の旨いのも此法に適(かな)つて必要の場合にはクスグリを入れます。クスグリを入れる事が又演説に必要で、高木さんの御演説に飽が出ぬのは全く、この辺の御習練が積んだからなのでせう」「久留島先生がお伽倶楽部に成功して立派なお邸が建つやうになつたのも、全くお伽話が上手になられ升たからです。先生も最初は私がお伴をしてお伽をして終始この呼吸を御伝授申したからです。巌谷先生のお上手なのも矢張同じ理由です」と頗る要領を得た事をいふ。「文章でも矢張其通だよ」と挨拶すると「此間袋中庵の懇親会へ参りますと、美しい尼さんが、入口であなたは懇親会ですかとくるので、ハイ私は松之助で余興に参升たと答へましたら、尼さんは役者さんですかと、ソツと木の蔭で手鏡を出して面(かお)を撫て居ました‥‥」と談しかける。「尼さんも矢張女だから」と挨拶すると、柳昇ポンと額を叩いて「先生これは全く嘘です。実は尼さんを材料に一席作つたので聴いて戴きたいので‥‥」到頭一杯やられた。(出鳥楼)

〈編者註〉後の八代目朝寝坊むらく(昭和六年歿)。

大正51118日 九州日報

<二代目三遊亭圓左一座・博多川丈座>

川丈座(博多) 東京落語三遊亭圓左一行本日花々しき町廻りの上開演初日の番組左の如し

弥二郎(左圓次)替り目(左之助)おせつ(左傳次)□□師並に手踊(左喜代)□□□(黒猿)蔵下屋敷(團京)富久(圓左)

大正51120日 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭交代連 二十一日から左の出番順となる。

 円六、円寿、円之助、美根子、小美根、竹定、文昇、花月、円の助、円次郎、福円、桃太郎、隅竜、円勝、三尺坊、夏雲昇、張少春、円太郎、だぶだぶ、団八。

◇屑かご …新京極へ行つて見いナ、笑福亭の木戸銭は十銭で蒲団代は幾ら合して十幾銭になるだらう…。

大正51121日 大阪毎日新聞

<桂小米、米丸を襲名する>

◇小米改名 落語家小米は今回米丸の名を襲名し改名披露演芸会を二十三日紅梅亭にて、二十四日新町瓢亭にて、二十五日北新地永楽館にて開演すべし。米丸の名は初代桂文団治の前名にて、同人はかもじ屋にて素人落語の頃米丸といひ、半面をつけて舞台にて三味線を弾き大に人気を取りしが、後初代文枝の門に入り米丸より文団治と改名せしものなり。

〈編者註〉口上は桂文治がつとめた。

大正51124日 大阪時事新報・1261220日 大阪朝日新聞

<大八会の創設>

◇宮崎亭 天満天神裏門の同亭は桂派の落語。(大阪時事)

◇天満宮崎亭 連日午後五時開場。桂派落語の大寄せにて出席者は落語、剱舞、軽口、曲芸、琵琶、手踊、歌舞等。(大阪朝日126

◇天満宮崎亭 十一日より出番取替へ曲芸、手踊り、新内、舞踊、琵琶、浮世節、娘義太夫、落語等あり。(大阪朝日1212

◇楽天地の朝陽殿は落語大八会。(大阪朝日1220

〈編者註〉十一月に三友派を抜けた宮崎八十八は、いわゆる新桂派といった二流の芸人たちの集団で席をあけている。やがて新桂派を飲み込み、活動弁士の大山孝之と手を組んで「大八会」を創設する。その名称が最初に新聞にでたのは上掲の「大阪朝日」(1220)で、このころに旗上げしたと思われる。この会は三友派、反対派の主流とは別に、傍流として大正十四年ごろまで存続し、大阪落語史にユニークな地位を占めた。

大正51128日 満洲日々新聞

花月館 改築一周年演芸会(入場無料) 義士銘々傳(日の本一)五郎正宗孝子傳(桃中軒守)落語手踊(可遊)左甚五郎(桃右衛門)久米野平内(三都子)落語手踊(茶紺)講談(神田伯猿)落語盆の曲(小文我)

大正51130日 山陽新報

<雷門助六一座・岡山大福座>

大福座 一日より六代目雷門助六一座の落語にて開演。

上方落語史料集成 大正5年(1916)12月

大正5121日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派 十二月一日より同派各席へ加入すべき新顔は水戸芸妓の音曲舞踊の出方として乾伸子、須藤信子外芸妓五名。猶桂小南、三遊亭遊三は引続き出演。

大正5121日 大阪朝日新聞京都付録

◇芦辺館交代連 一日よりの出番は新蔵、万十、円之助、枝雁、三八、かしく、朝枝、子遊、古堂、文之助、貞丈、万光、小助次郎、稲子、稲八、妻奴、円子。

◇笑福亭交代連 一日からの出番は友吉、福吉郎、福助、池月、斎藤、坂本、福来、福徳、大将、千橘、福林、円笑、華嬢、扇遊、金之助、福松郎、花団治、白魚、円遊。

大正5121 香川新報(高松)

<三升家紋右衛門一座・高松常盤館>

常盤館 今晩開演の筈なる三升家会の顔触左の如し。

落語音曲(紋四郎)落語(紋三郎)落語曲芸(紋二郎)落語手踊(紋之助)落語手踊(紋八)落語手踊(紋一郎)落語(贅六)人情噺(紋七)音曲曲弾(紋十郎)落語(紋之亟)今様落語(紋兵衛)掛合新内(紋路太夫、紋衛太夫)中華民国人曲芸(張玉扇)落語並びに若柳流扇舞踊(三升家紋右衛門)舞振り付若柳吉弥

<編者註>番組は、下記の通り。

122

伊勢参宮の賑わい(紋二郎)四人癖(紋四郎)小倉船(紋の助)延陽伯(紋八)棒屋(紋一郎)からし医者(紋之亟)あみだ池(紋六)天災(紋七)三味線曲弾(紋十郎)閑所の失敗(紋兵衛)新内蘭蝶緑きり(紋路太夫、紋衛太夫)中華民国人曲芸(張玉福)大切袈裟茶屋(紋右衛門)若柳流舞踊座員総出

125

伊勢参宮賑わい(紋二郎)天災(紋徳)帳講釈(紋の助)借家借り(紋八)出来心(紋一郎)大黒ねずみ(紋之亟)一枚起請(紋六)三味線曲弾(紋十郎)舟弁慶(紋兵衛)掛合噺(紋之亟、紋兵衛)新内土橋(紋十郎、紋路太夫)中華民国人曲芸(張玉福)巌流島(紋右衛門)

126

伊勢参宮賑わい(紋二郎)上燗屋(紋徳)浮かれ関所(紋之助)浄瑠璃息子(紋八)さざ浪丁稚(紋一郎)天下泰平(紋之亟)高尾(紋六)三味線曲弾(紋十郎)質屋蔵(紋兵衛)掛合噺(紋之亟、紋兵衛)新内播州皿屋敷鉄山館(紋十郎、紋路太夫)中華民国人曲芸(張玉福)人参カタロ(紋右衛門)若柳流舞踊

129

伊勢参宮賑わい(紋二郎)金明竹(紋徳)西行(紋の助)ゑん魔捕り(紋八)おしの魚釣(紋一郎)酒の粕(紋之亟)色町穴探し(紋六)三味線曲弾(紋十郎)猿後家(紋兵衛)掛合噺(紋之亟、紋兵衛)新内梅の田兵衛褧楽町(紋十郎、紋路太夫)中華民国人曲芸(張玉福)かべ金若柳流舞踊(紋右衛門)

1210

伊勢参宮賑わい(紋二郎)米といかき(紋徳)播州巡り(紋の助)親子茶屋(紋八)お文さん(紋一郎)釜猫(紋之亟)三味線曲弾(紋十郎)元犬(紋兵衛)掛合噺(紋十郎、紋路太夫)新内お染久松(紋十郎、紋路太夫)中華民国人曲芸(張玉福)芦浜(紋右衛門)若柳流舞踊

大正5122日 大阪毎日新聞

◇反対派各席交代連 一日より法善寺花月亭、新世界花月亭、上本町富貴席、堀江賑江亭、松屋町松竹座、松島芦辺館、福島竜虎館は左の通り出演交代す。円太郎、枝雀、五郎、小高、高蝶、蒋賢忠、楊永山、喬之助、喬栄。

大正5123日 北国新聞(金沢)

<柳亭小燕枝(六代目正蔵)一座・金沢一九席>

一九席 東京落語柳亭小燕枝一座にて本日より開演する由

昔噺(さん二)落語音曲(桂枝)笑話声色手踊(小燕三)落語滑稽(さす三)身体運動(張静女)噺曲引(燕之助)滑稽噺手踊(さん生)長唄浮世節(小やな)滑稽落語(小燕枝)諸芸吹寄せ(大一座)

大正5125日 名古屋新聞

<名古屋富本席番組>

富本席 大和めぐり(市六)野崎参り(鯉玉)正月丁稚(梅團次)三人片わ(美都)磯あわ(圓司)音曲手踊(小團次)伊勢吉(文福)七段目(朝之助)東洋奇術(一朝)丸橋忠弥(梅朝)

<編者註>落語定席富本席の番組は、下記の通り。

126

兵庫船(市六)素人車(鯉玉)音曲ばなし(美都)音曲手踊(小團次)太鼓腹(圓司)かけ万(朝之助)野ざらし(文福)景清(梅團次)東洋奇術(一朝)仙石左京(梅朝)

127

東の旅(市六)曲芸(市之助)雪てん(武左衛門)三つ面(文福)宿屋仇(梅團次)音曲ばなし(美都)夢でん手踊(鯉玉)音曲手踊(朝之助)尾上多見十郎(圓司)音曲手踊(小團次)東洋奇術(一朝)西遊記(梅朝)

128

かけ萬(ひさご)曲芸(市之助)灰屋(武左衛門)こぶ弁慶(梅團次)辻うら(文福)素人車(鯉玉)甚五郎(圓司)音曲ばなし(美都)音曲手踊(小團次)天災(朝之助)東洋奇術(一朝)仙八お京(梅朝)

129

松竹梅(市六)百人坊主(梅團次)宿がえ手踊(鯉玉)音曲ばなし(美都)七段目(朝之助)西行(圓司)子はかすがい(武左衛門)始末の極意(文福)曲芸(市之助)音曲手踊(小團次)東洋奇術(一朝)誠忠録(梅朝)

1210

東の旅(市六)小倉船(鯉玉)百年目(梅團次)井上徳三郎(圓司)音曲手踊(小團次)碁どろ(朝之助)星野や(武左衛門)辻八卦(文福)西洋奇術(一朝)音曲ばなし(美都)鼠小僧(梅朝)

1212

東の旅(市六)播州名所(京都助)稽古屋(鯉玉)土橋萬歳(梅團次)人情ばなし(圓司)音曲手踊(小團次)熊の皮(朝之助)山崎や(武左衛門)源兵衛玉(文福)音曲ばなし(美都)奇術(一朝)人情ばなし(梅朝)曲芸(市之助)

1213

三人旅(市六)兵庫船(京都助)音曲手踊(鯉玉)親子茶屋(梅團次)人情ばなし(圓司)音曲手踊(小團次)干物箱(朝之助)芝濱(武左衛門)うどんや(文福)音曲ばなし(美都)西洋奇術(一朝)人情ばなし(梅朝)曲芸(市之助)

1216

西の旅(京都助)掛萬(ひさご)お見廻し(武左衛門)易者(鯉玉)素人車(朝之助)七段目(美都)転宅(文福)櫻宮(梅團次)人情ばなし(圓司)紋づくし(小團次)奇術(一朝)人情ばなし(梅朝)曲芸(市之助)

1218

無筆(ひさご)牛ほめ(鯉玉)かじか澤(圓司)立消(梅團次)天災(朝之助)曲芸(市之助)始末の極意(文福)東洋変化術(一朝)音曲ばなし(美都)干物箱(梅朝)音曲手踊(小團次)

1220

かけ美(ひさご)小倉船(鯉玉)親子茶屋(梅團次)西行(圓司)三つ面(文福)音曲手踊(美都)曲芸(市之助)はうた手踊(小團次)野晒(朝之助)西洋奇術(一朝)水滸伝(梅朝)

1222

松竹梅(ひさご)兵庫船(梅團次)曲芸(市之助)親子茶屋(文福)文七(圓司)景清手踊(鯉玉)音曲ばなし(朝之助)音曲手踊(小團次)東洋奇術(一朝)芝濱(梅朝)先の仏(美都)

1223

七段目(ひさご)こぶ弁慶(梅團次)寄合酒(鯉玉)曲芸(市之助)三つ面(文福)疝気の虫(朝之助)甚五郎(圓司)東洋奇術(一朝)三枚起請(美都)音曲ばなし(小團次)かしか澤(梅朝)

1224

かけまん(ひさご)伊勢参り(梅團次)音曲手踊(小團次)臼井六郎(圓司)野崎参り(美都)曲芸(市之助)夢電車(鯉玉)音曲手踊(朝之助)裏の裏(文福)お花半七(梅朝)東洋奇術(一朝)

1225

金銘竹(ひさご)宿屋仇(梅團次)曲芸(市之助)馬の田楽(文福)文七(圓司)西遊記(梅朝)音曲ばなし(小團次)野ざらし(朝之助)よいよいそば(美都)稽古屋(鯉玉)東洋奇術(一朝) 

大正5125日 山陽新報(岡山)

<六代目雷門助六一座・岡山大福座>

大福座 五日目演題番組左の如し

 三人旅(ぼたん)一目上り(助九)三三五六(掛合噺)喜撰(六松)巌流島(左龍)子別れ(歌六)大皿の
 曲(助三郎)大工調べ(寿楽)沼津星(和佐吉)総踊(楽屋中)勧進帳(音丸)松竹梅(助六)恋と恋浮名の
 伊達帯(楽屋中)

大正51212日 大阪朝日新聞京都付録

◇笑福亭出番順 十一日から左の通りの出番順となる。

 太郎、巴、円歌、□枝、初子、三都、伯糸、小南光、小円太、正一、五郎、三木松、文雀、円、助二郎、梅鶴。

大正51213日 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇芦辺館の三遊亭円子一派の落語は廿二日より曲独楽、音曲、噺、曲芸、滑稽茶番、百面相、一人角力、常磐津所作事戻り橋、東京落語二調曲等を開演すと。

大正51214日 大阪時事新報

<桂助六、二代目三輔を襲名する>

◇助六改め三輔 落語反対派の人気者の一人たる助六は今回師匠の名を次ぎ二代目三輔となり、十五日午前十時より南地法善寺花月亭にて襲名披露の落語会を催す由。

大正51215日 神戸又新日報

千代之座 十六日より落語忘年演芸喜劇忠臣蔵に俄師の尾半、小半、東蝶、新馬鹿一行も加わると

大正51223日 大阪時事新報

◇花月亭 南地法善寺の同亭にては二十三日より円歌、小円太、門三郎、千橘の音曲、三朝、花団治、文雀、文治郎、円、円太郎等の落語、其他連中の浪花節掛合噺、舞踊等を演ずと。

大正51224日 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇芦辺館新春の出演順番は左の如くにて西陣館、大宮仏光寺泰平館に掛け持ち。

小染、万十、円之助、枝雁、三八、古堂、文之助、小文三、万三、小助次郎、柳昇、万光、、円坊、文三、大切余興。

大正51225日 神戸又新日報

神戸劇場 来週興行は三升家紋右衛門一座にて開演。演芸種類は落語、音曲、新内、常磐津、清国人曲芸、長唄女数名出囃子、大切連獅子にて、大道具仕掛け舞台一面にて電気応用

大正51226日 大阪時事新報

◇三友派忘年演芸会 二十六日夕より南地紅梅亭にて催す。

 滑稽掛合噺、役者假声連鎖落語(新裏の裏)、滑稽人形噺、立噺記念の銅像、琵琶と滑稽浪花節、歌舞音曲、天長富ミカド一行奇術、かつぽれ、記憶術、大切からくり的引抜住吉踊一座総出。

大正51228日 大阪時事新報

<紅梅亭の忘年演芸会を覗く>

○紅梅亭のぞき 忘年演芸会 

急に木枯が荒れ出した夕でした。南地法善寺の紅梅亭で廿六日から三十日まで忘年演芸会をやるといふ其初日です。年中、借金取も鴬の声とフワ〳〵したことを高座で喋つて暮している落語家にも年忘れの必要があるのか、但しは好い正月をする為めに年忘れをせねばならぬのか、いづれにしても一座大浮かれです。もういくら焦つても駄目だと悟つた顔をした人や、暖い正月を迎へる得意の伊達舞妓連や幇間をつれた人や、家庭円満な二人連れなどの客は通り路まで溢れて素晴らしい入りでした。

高座では茶番「銅像」といふのをやつています。目の大きい文福と目の細い枝太郎とが銅像入りに雇はれて釈迦と阿弥陀とになつて天王寺公園にいると、子供に禁厭の灸を据えられたり、若い男女に濡紙を当てられたり、いろ〳〵可笑味あつて、果は掏摸と書生との立ち廻り、短銃が鳴り、仕込杖が閃き、釈迦と阿弥陀とがヒヤ〳〵と顫えて、トヾ「アミダがこぼれた」とか何とかいふサゲです。大切りは「からくり的」、開け前に大手笹瀬の引幕の間からの口上人形の見得で文団治が顔を出します。

年中洒落のめしている連中の年忘れとしては今一段アクの抜けたことをして見せて欲しいと思ひました。然し余りアクの抜けない方がお客が喜ぶのかも知れません。(藍微塵)

大正51228日 京城日報

<六代目雷門助六一座・朝鮮浪花館>

広告演芸案内 浪花館○東京落語柳連雷門助六一門来る當る一月一日より例年の通り昼夜開演仕候但し昼間は各等半額落語(雷門ぼたん)落語(雷門助丸)落語(雷門市六)落語竹琴(雷門助三)落語音曲手踊(雷門六松)落語音曲手踊(都家歌助)天下一品曲芸飛行の大皿(雷門助三郎、雷門六松)昔噺(喜久亭痴楽)常盤津浮世節(稲妻家和佐八)江戸土産深川踊りかつぽれ名物踊り(雷門社中)奇術滑稽ポンチ(春雨家雷洲、雷門六蔵)落語振事扇の舞(雷門助六)大切落語劇(楽屋総出)

 

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丸屋竹山人

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