大正10年

上方落語史料集成 大正10年(1921)1月

大正101月 大阪の寄席案内

◇三友派(紅梅亭、瓢亭、延命館、あやめ館、松島文芸館、堺寿館)

一日より各席へ熱田神楽、奇術、尺八合奏追分節、南陵の講談が出演。

 十一日より各席へ常磐津の文字花が出演。 

 十六日正午より福島延命館にて三友派青年落語会(都宝美会)。

◇反対派(南地、松島その他花月亭、北新地花月倶楽部、京三倶楽部、堀江賑江亭)

 一日より春団治、文団治、米団治が反対派に加入する。【下図参照】

九日正午より南地花月亭にてろ山、伯龍二人会。清水次良長と小金井小次郎(ろ山)、三千歳と直侍、応挙
  と幽霊(伯龍)

 十一日より各席へ伯龍、声色森松、歌沢寅枝美・寅由喜らは引続き出演。【下図参照】

 十六日正午より南地花月亭にてろ山、伯龍二人会。新蔵兄弟(ろ山)、河内山(伯龍)

 二十一日より南地花月亭へ花団治、馬きん、福松、千橘、枝雀、円遊、米団治、文雀、文団治、寅由喜、寅枝美、ざこば、紋右衛門、枝太郎、円若、春団治、円太郎が出演。

大正1011日より

◇南地花月亭初春大興行出番順

大正10年 011

初春大興行 當る酉年元日より連夜

東都歌舞伎声色会幹部 紀の国屋森松 初の御目見得 東都講談界之権威 神田伯龍 久々の出演 寅派の高足 歌澤寅枝美・寅由喜 久々にて

新加入桂春団治 桂米団治 桂文団治

出番順:桂左雀、桂小雀、桂菊団治、橘家小円太、桂小南光、三遊亭十郎、三遊亭五郎、桂扇枝、三遊亭円若、桂米団治、桂枝雀、神田伯龍、紀の国屋森松、露の五郎、橘家円太郎、歌沢寅由喜、歌沢寅枝実、桂文団治、三舛家紋右衛門、立花家千橘、桂春団治、三遊亭円遊

落語反対派演芸場 南地花月亭 電南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉「新加入桂春団治 桂米団治 桂文団治」とあり、三友派の大看板の三人が同時に反対派(吉本興行)へ移ったことがわかる。『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正1011日 山陽新報

大福座 神戸劇場引越し出雲本場安来節名古屋萬歳男女合同一座にて一日より開演

安来節(秀子、末子、千代子、筆子、定子、君子、直子、常子、花子、多七、勝三郎、正夫、亀鶴、浅太郎)萬歳(龍春、三好、春代、ライオン、捨丸)

大正1012 京都日出新聞

◇[年賀広告]京都市河原町蛸薬師西 落語反対派 岡田興行部 

直営部 第二京極三友劇場・新京極富貴席・新京極笑福亭・西陣富貴席・西九条南大正座/特約部 西陣京極長久亭・大宮仏光寺泰平

大正1014日 都新聞

[広告]東西落語演芸會初春興行 謹賀新年 東西落語會専属者一同出演者一同

歌舞伎會 栄三郎、小菊、おなじみ 江戸家猫八、八木節 堀込源太、剣舞術 紀島史郎、魂之助、奴之助、新加入 〆之家〆松、〆太、久々にて出演 松旭斎天雷、天菊、女道楽 小てる、小茶目、富士松家元連 魯遊、加賀江、滑稽掛合 日本チャプリン、梅之家うぐいす、人?鬼? インデアンバーン、大阪上り初御目見得 桂麦團治、江戸生粋滑稽親玉 寿家岩てこ、特別出演 極真坊楽丸、桂三木助、

大正10年1月5日 九州日報

◇川丈座(博多) 三遊亭圓遊一行の東京落語連日好評。五日目の番組左の如し。

浮世風呂(圓輔)天災(圓三)うそつき村(圓雀)世上の穴(い圓治)十徳(博圓)掛馬(若圓遊)十種(圓嬢)浮山(遊圓治)お見立(圓遊)

大正1015日 京城日報

<橘家扇三一座・朝鮮浪花館>

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/橘家扇三来る/當る一月一日より開演/桂藤吉 三遊亭遊玉 三遊亭圓若 三枡家小扇 信濃や東市 橘圓雀 桂三木弥 橘ノ圓千代 同圓ノ助 立花や扇遊 橘家勝太郎 三遊亭□奴 八木義弘 荒田富春 桂残月楼 橘家扇三

大正10110 京都日日新聞

○演芸三十三所 第三番 芦辺館

 人はよく働いてよく芦辺館 苦は落語聞く種となるらん

ちか頃、落語の定席で京都全市を通じて一等の好人気を集めているのは三友派の芦辺館、お客の筋のよい事は他に類がない。一時落語が寂れた。それは反対派が金力で芸人を集めてトラストをやつた頃に、俗に流れず、苦しい処を食ひ縛つて落語の生命を奈落の底から救ひ上げたのは、原田君の人に負ない魂が今日あらしめたのだ。今度の初春興行も例年に比して顔揃ひである。人気のあるのは三八と一馬、川柳である。その他真打として迎へる落語家を中心として、大向ふを喜ばせている。

三八は新聞記事の時局ものを明けても暮ても研究している。何でもよい、他人の真似の出来ない特徴を造る事は芸人としては必要なことで、三八がこれを怠らず研究していればこの人の生命は永く続く。丁度人情噺にかけては川柳が老巧な腕前を示して、いつの間にやら客を釣り込んでいる様にネ。一馬は才の男である。或るときは芸人としては生意気だとお客から思はれる点もあるが、それは彼れの芸に熱中するあまりより来る処の至誠の発露である。若い人からこの意気を奪つたら、それこそ去勢して仕舞ふ事になる。落語趣味の皷吹は日本人には必要だ。笑ひの足らぬ日本人、それに慰安を与ふるものは喜劇と落語である。行脚子の御詠歌に、人はよく働いてよく芦辺館(遊べ)、苦は落語聴く種とならん、と…。

大正10111日より

◇南地花月亭一月十一日よりの出演順

大正10年 004

當ル一月十一日より出演順

落語左雀、落語小雀、東京落語円窓、滑稽掛合茶好・半玉、落語舞踊かしく、落語枝太郎、音曲手踊千橘、落語米団治、講談伯龍、落語春団治、歌沢寅枝美・寅由喜、俳優声色森松、落語文治郎、落語声色若柳流振事紋右衛門、落語文団治、落語枝雀、音曲踊小円太、落語ざこば

落語反対派演芸場 南地花月亭 電南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正10111日より 

◇一月十一日よりの三友派各席の出番順。

 ◆南地紅梅亭:(450分)染三郎、染蔵、正団治、小枝鶴、鶴蔵・一円、川柳、正光、枝鶴、花橘、蔵之助、塩鯛、円三、南陵、寿獅子、遊三、文字花、松鶴、円、円枝、染丸、(大切)宝舟。

 ◆新町瓢亭:(520分)米花、染雀、文如、花橘、塩鯛、小はん、杵屋、米の助、うさぎ、遊三、小枝鶴、歌楽、蔵之助、枝鶴、正光、染丸、円三、川柳、文字花、(大切)円。

 ◆福島延命館:(520分)鶴二、玉輔、小はん、染蔵、小枝鶴、円枝、一郎、正団治、杵屋、松鶴、円童、鶴蔵・一円、塩鯛、川柳、南陵、寿獅子、歌楽、枝鶴、(大切)遊三。

 ◆船場あやめ館:(520分)鯛次、団輔、しん蔵、正団治、道子・はつ、文如、寿獅子、染丸、歌楽、竹枝、円枝、一郎、花橘、杵屋、小枝鶴、鶴蔵・一円、塩鯛、松鶴、(大切)正光。

 ◆松島文芸館:(510分)正又右衛門、米の助、枝鶴、米蔵、蔵之助、高峰、松鶴、子遊、鶴蔵・一円、川柳、文字花、正光、染丸、円三、円枝、円童、遊三、花橘、南陵、(大切)寿獅子。

 ◆堺寿館:(615分)文作、竹枝、円丸、染雀、しん蔵、玉輔、円、道子・はつ、小はん、子遊、高峰、文
  如、一郎、(大切)蔵之助。

〈編者註〉『民衆娯楽の実際研究』(大原社会問題研究所・大正1111月発行)「第十一章・大阪市に於ける各興行物の研究・234頁」より作成。( )内の時間は開演時間を表す。一人の持ち時間は二十分、終演は各席とも午後十一時である。

大正10113日 大阪毎日新聞・夕刊

○落語のオチを下調べ 
 十二日から改正される 演劇や活動の新取締規則 保安課の演芸係が大多忙  

大阪府では演劇や活動写真の取締規則を時代に適応するやう改正すべく昨夏来屡々関係者の会議を開いて研究中であつたが、愈々成案を得たので十二日付府公報を以て劇場取締規則、寄席取締規則、観物場及遊覧場取締規則を改正公布する事に決定し、その日から実施さるゝ筈である。

改正される主要な点は…寄席は従来実地臨検によつて取締つて居たが、斯くては取締の徹底を欠くため、今後は必要と認めた興行に対しては落語等も落筋の提出を命じ、これを検閲する事に改正された…。

大正10113日 大阪毎日新聞

○艶つぽい落語は六ケしい 
 筋書検閲が済まねば話せぬ 浪花節や俗謡は文句を届ける 

 お臍の宿替でお客様をドツと笑はせて飯を喰て居る落語家や浪花節や浄瑠璃と云つた寄席で演じる凡ての興行物は、夕刊所報の通り大阪府の寄席取締規則の改正で十二日から従来を打つて変つた其筋の厳重な取締を受ける事となつた。府保安課の演芸主任栗原警部は「活動写真や芝居は今迄随分厳しい取締を受けて居たのだから、それと比べたら余り文句も無いぢやあるまいか」とワケもなく談つて居るが、紅梅亭の番頭神谷福篤クンは「筋書を厳しく検閲されちや全く落語家は上つたりです」とコボして居る。

昨今では一般に聴く人が余り長いものを好まぬ傾向があるので演る方でも成るべく短いものを選ぶやうになつた。現在大阪で饒舌つて居る落語は八十種位で、在来から有触れたものばかり、よし新作があつても大体の筋は旧作と変りがない。その中で「故郷の錦」「稽古屋」「口入屋」「小倉船」「蚊帳相撲」等は可なり際どいもので、兎もすると其筋から睨まれて、今日迄にも科料に処せられたり、酷いのは営業停止を喰つたものもある。

「曽我の母さりとておの字はつけられず」の川柳を猥褻に話してお目玉を喰つた実例もあるが、今日までに相当取締られた為めにコノ種のものは余程減つている。然し今迄は筋書を調べなかつたので巧妙に其筋の目を掠めて居た。今後は怪しいと思はれるものに対してドン〳〵落語は筋書、浪花節や俗謡は文句を届出させる様になつたから営業者にとつては相当の苦痛は免れまい。浄瑠璃壷坂のサワリや一谷嫩軍記の「敵と目ざす云々」や忠臣蔵七段目茶屋場の「船玉」や弁慶上使の場の科白等は今日迄随分其筋の手を煩はしたものだが、此頃ではやる方でも警戒して余程減つて居る。それでも場末に行くと如何(いかが)はしいものが沢山あるので、規則の改正を機とし各方面に向つて徹底的に取締るさうであるから、これからは相当傷手(いたで)を受けるであらう。

大正10115日 都新聞

[広告]東西落語演芸會(吉原派)

◆人形町鈴本亭 今太郎、圓幸、正英/正風、蝠丸、天雷、麦團冶、都枝、紀國家連、歌舞伎會、楽丸/三木助、圓昇、岩てこ、〆太/〆松、龍玉、富士松家元連、小圓遊、玉之助、馬生

◆神田入道館 小圓、都枝、燕柳、圓昇、小てる、市馬、有村、奎水、ジョンベール、圓瓢、岩てこ、圓幸、紀國史郎/奴之助、楽丸/三木助、張玉福、若輔、さん次、歌女吉、天雷、寿々馬

◆押上亭 圓洲、寿々馬、扇橋、蝠丸、小てる、さん次、助平、都枝、歌女吉、圓光、米三郎/小菊、正英/正風、圓璃

◆京橋金沢亭 麦團冶、お歌女吉、圓瓢、歌舞伎會、圓幸、紀島史郎/奴之助、弥次郎兵衛、市馬、素雪/素昇、龍玉、伯知、高峰筑風、小圓遊、玉之助、チャプリン/うぐいす、馬生

◆八丁堀朝田亭 圓光、紀島史郎/奴之助、弥次郎兵衛、左喜丸、國輔、張玉福、蝠丸、天雷、麦團冶、歌女吉、扇橋、ジョンベール、圓璃、奎水、静香/兼花、圓幸、紀國家連、圓洲

◆浅草公園万盛館(昼夜二回興行) 女道楽(〆之家〆松/〆太、紀國家連、千歳小てる)滑稽掛合(チャプリン/うぐいす)新加入(立花家玉之助、三遊亭小圓遊)江戸家弥次郎兵衛 昼席主任龍玉夜席主任燕柳 

[広告]東西落語會

◆上野廣小路鈴本亭 歌三郎、有村、さん次、圓洲、龍玉、楽丸/三木助、圓昇、〆太/〆松、小圓遊、玉之助、馬生、弥次郎兵衛、うぐいす/チャップリン、燕柳、和光/才三、奴之助、市馬、お歌女連、右朝改め圓瓢看板披露

◆江戸川鈴本亭 志ん好、圓璃、ジョンベール、天光、馬生、圓光、有村、燕柳、助平、花圓遊、お歌女連、圓瓢、寿々馬、正英/正風、扇橋、素雪/素昇、張玉福、楽丸/三木助

◆本所石原鈴本亭 小奴、國輔、若輔、〆松/〆太、花圓遊、うぐいす/チャップリン、扇橋、天光、さん冶、寿々馬、左喜丸、今太郎、静花/金○、蝠丸、紀の國連、天雷一行、圓○、小てる、ジョンペール、龍玉

大正10123 京都日出新聞

<神田伯龍独演会・富貴席>

◇富貴席 二十三日正午より神田伯龍独演会を開催。野狐三次(二席)、円山応挙と平野や芋棒等をお聴きに達する由。

大正10125 山陽新報

大福座 二十五日より安来節東京落語三人會、春風亭遊窓、三遊亭若遊三、三遊亭門左衛門の連合大一座にて毎夜午後五時より開演す

上方落語史料集成 大正10年(1921)2月

大正102月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より各席へ東京長唄調声会(藤村士調等)出演。

◇吉本花月派

一日より柳亭左楽、柳亭さくら、桜川長寿、江戸生粋滑稽茶番湊家小亀等が出演。

十一日より各席へ左楽、さくら、伯鶴、小亀らが出演。【下図参照】

二十日正午より南地花月亭にて左楽独演会。長講三席「湯屋番」「乃木聯隊長の情」「市村座立おやま」 

二十一日より堺寿館にて坂田金時一行の男女大演芸会。

〈編者註〉二月に反対派が岡田派と吉本派に分裂し、それ以降吉本の演芸ビラ等から「反対派」の文字が消える。本稿では便宜上「吉本花月派」としておく。なお上掲堺寿館の金時は大正三年、十一年の反対派(吉本花月派)連名に名があり、堺寿館は二月より反対派(吉本花月派)の席となったと思われる。

大正1021 京都日出新聞

◇芦辺館 一日より交代連左の如し。

常磐津女流家元文字花、橘家円三(声色)、熱田神楽壽獅子一行、奇術栄嬢、林家染丸外全員。

尚二月三日節分正午より吉例に依り座員一統寶恵駕にて恵方詣をなす由。

大正102 神戸又新日報

千代之座 一日よりの顔ぶれは、

圓都、圓天坊、春輔、愛團冶、正楽、(新加入)小ゑん、燕朝、東京女道楽お歌女、小歌女、〆太、〆松、蝶ト一、圓瓢、門左衛門、花橘、伊藤痴遊

<編者註>下記の写真は、大正102月に発行された雑誌「新開地創刊号」。新開地の劇場、寄席、活動写真の情報などが記載された。絵は掲載された千代之座とキネマ倶楽部と観商場のスケッチ。

大正10年2月新開地
スキャン0001

大正10223 京都日出新聞22 京都日日新聞

<京都の反対派、岡田派と吉本派に分裂する> 

○難波戦記の儘 落語反対派分裂譚(ものがたり)上 

 病んだ岡田は枕元で吉本に遺言して後事を託した 然れども天下は矢張り欲しい

 落語反対派が本月一日から分裂した。その裏面に難波戦記其儘の紛擾がある。反対派はこれ迄京都に五席、大阪に約十席をもつて、百余名の芸人を抱(かかえ)て三友派の向ふを張り、昨年十一月迄は岡田政太郎君が太夫元で奮戦して居たが、その参謀には大阪の吉本泰三君と言ふのが控へて居た。

 吉本には可成(かなり)野心があつて、行々同反対派の天下を我手に握つてと内心画策して居た処へ、政太郎君が病気でもつて府立病院に入院……難波戦記の発端愈(いよいよ)これからで、病んだ岡田は正しく太閤秀吉、その枕元で遺言を聞く吉本は取りも直さず江戸内府、家康公と言ふ役廻りになつた。

 この太閤さん、家康の手を取つて、無い後は一子政雄──秀頼──の後見として反対派の天下、貴殿然るべく見てやつて貰ひたいと言つて死んだが、其時既にこの家康さん、病院の廊下でもつて例の加藤、福島なんぞ七人衆の面々に相当する枝太郎や円笑に野心の一部を漏して居つた位ひ、上様御他界と同時に秀頼役の政雄は年端も行かずとあつて、大阪上本町の山城屋が中へ入り、あなたもまだ年が若いからこの一派を統御して行くは不利益、一時吉本に譲つて他日又取り戻しては如何(どう)か、其節は金も貸さうし、骨も折らうと甘言以て説きつけて反対派を吉本へ売らしてしまつた。

望み通り大御所となつた吉本は急にソリ身になつて、オホンと澄し込んだのみならず、秀頼様に対し奉り云々との誓ひの條々、そろ〳〵反古同様にしてかゝつた。さあ治(おさま)らぬは太閤譜代の面々で、横暴云々との不平がポツ〳〵出たが、やつと年も越して一月二十五日、三桝紋右衛門の弟の葬式の帰りに、旧恩に泣く一味の者が集合して、江戸征伐の内議を議し、同志の者へ檄を飛して、譬へ親兄弟師弟へも漏すまい、万一漏らした節は腹切つての申し訳と、これは嘘ぢやない真実だ。落語家相応の智恵を絞つて何れも自署、捺印して大評定を開く事になつた。

かくて一月二十七日、京都の反対派定席富貴、笑福亭を初め太平館、上の富貴、長久亭の各席、定刻になつても六十余名の連中出演者誰一人顔を見せない。やつと其夜は大阪からスケに来て居た扇枝、千橘、文治郎が長談義でお茶を濁したが、翌日も依然出演者一切顔を見せない。かくと聞いたる大御所も流石に顔色を代へていまつて急遽に使者を立てた。(京都日出22

○難波戦記の儘 落語反対派分裂譚(ものがたり)下 

 十ケ條を突付けて手詰の談判 吉本対岡田の勝敗如何

 流石の吉本も足下にこの伏勢があつたとは夢にも知らない。アッと驚いて京都へ特使を立てたが、約七十名何処(どこ)にどう姿を隠したか皆目判(わか)らない。判らないのは道理、吉本ガアッと驚いた時には同志が三つに分れて額を鳩(あつ)めて密議の最中だつたのだ。然(しか)もその評定場所が他聞を憚ると言ふので大阪一派の者は茶臼山池の端「ゑな佐」へ陣取り、一派は枚方某楼に、一部は五條阪の尼寺へ集まつて結束を固くし、出来上つたものが即ち次の内府糺命書、所謂宣言となつて現れた。

一、岡田政太郎君遺言と称するものを掲示して反対派継続の事を吉本興行部より声明せる事。

二、故岡田太夫元の遺言と相違の事。

三、各席の二銭積立金処分不公平の事。

四、故岡田太夫元より芸人の前借金半減にて引継を受け乍ら全額に活用せる事。

五、新幹部加入に際し旧幹部を無視せる事。

六、遊撃隊を切詰めし為め、観客に不満を与へて平然たる太夫の態度。

七、座員に対する新貸金の懸引。

八、看板の出し方に順逆甚だしく不公平なる事。

九、芸人の待遇上に関する事。

十、反対派太夫元権全部を掌握され、為めに故岡田太夫元の遺族の前途憂慮に堪へざる事。

第一條、第二條は吉本が岡田の手から反対派を買ひ受け、引続き太夫元となりますからと言ふ挨拶が無かつたと言ふので、第三ケ條は従来木戸一人に付二銭を天引積立てゝ、これでもつて米を買つて連中に仕送つて居たものだ。現に文の家文之助なんぞも「あたしん処は毎月米一升と麦二升を貰つてまんね」と喜んで居た事がある。其奴(そやつ)を全廃したのだ。第五は春団次、文団次を三友派から引抜いて差し加へたが、その披露をしないと言つた意。

内命を受けて飛んで来たお使者、探しあぐんで木屋町の竹内藤吉君の処へ飛込んだが、「此奴は俺より蛇の浅野君の方へ行つたら良からう」と振つたので、浅野今常君も一肌抜いで、早速手蔓を手頼(たよ)つて「一體全體如何(どう)しやうてんだ」と突込んだので、円笑、柳丈、桃太郎の三人が代表委員となつて罷り越し、ヤッサモッサのドドの末、前記十ケ條を以て大阪籠城を声明した。そうして改めて二十九日限り岡田から富貴、笑福亭外三ケ席を引上げると吉本へ通告してしまつた。

吉本も今更致し方がない。も一度帰つてくれろとは男の義理で口へは出せない。然し乍ら富貴其他の席を假(か)りたに就てはそれ丈の條約がある。その條約を破棄された以上、このまゝ泣き寝入りもすまい。反対派こゝに分裂して秀頼格の政雄は兄の栄太郎と十五円の合名組織で二月一日から旧反対派の各自で枝太郎、円笑、福円、桃太郎、円歌、大阪からは円若、かしく、妻奴其他の一騎当千の武者振凄じく走り参じて、愈(いよいよ)旗上げをした。吉本対岡田の今後の合戦振りが見物だが、然し大正落語の難波戦記はこの秀頼頗る武運長久らしく、慶長元和の轍はよもや踏むまいテ。(京都日出23
○反対派紛擾真相

  落語家に此男性的意気あり 現金主義な興行界の美談  正義は最後の勝利者だ 

▼落語反対派の寄席が突如休席した。真夏と大晦日を除いた外は休まない落語の定席が休業した。新聞にはいろ〳〵の揣摩臆測が掲載された。けれどもその真相を知る事が出来なかつた。記者はこの真相を掴むべく可なり苦心をした。その結果意外にも卑劣な興行師と、そして美しい日本人の血の通つている小さい芸術家を見出した。

二銭問題が発端 

▼事件の発端とも云ふべきは二銭問題。それは外でもない去年十二月六日に長逝した反対派太夫元岡田政太郎クンが在世中京都大阪の各寄席で毎日一人のお客に対し二銭の積立をして、之れを芸人に配当する事が給料とか其他芸人操縦の調節機関となつていた。然るに岡田政太夫元没後、この二銭の処分問題に就て、新太夫元、吉本興行部の態度が頗る曖昧となつた。その不平が積つて、去月廿六日に三升の舎弟の葬式が天王寺にあつた時に、天王寺のいな佐に集まつた数十人が、つら〳〵と吉本興行部の態度に就て意見を交換した。そこに、反対派乗取の魂胆をも発見した。それが十ケ条の申合となり、同志の調印となり、盟休となつた。二銭問題に発した事件の中心は、故岡田氏の遺族に対する同情となつた。同情には私欲を離れるのが人情、日本人の血の通つているものは何処迄も斯くありたい。武士道はまだ亡びない。

吉本の暗中飛躍 

▼岡田太夫元の本葬のあつた翌日、即ち十二月十九日、大阪の各寄席に出演している落語家の真打連中のもとに自動車を飛ばして吉本興行部のあるものが廻つた。真打連を呼出して、従来の太夫元よりも自分が太夫元になれば給料も増せば前金も沢山出すと、木に餅のなる様な話を持ち込んで、給金の辞令の様なものを交付した。芸人の方では自分ばかりと思つていた糠喜びの連中が二十人もあつたさうだ。

掲示した遺言状 

▼給金支払日に吉本興行部(大阪千日前花月席主)に行くと、故岡田の遺言状が掲示されている。今日から反対派の太夫元は当方で御座ると云ふ始末。アット驚いた芸人連は、正月を前に控へて如何ともする事が出来なかつた。本意ならずも給料を貰ひ、吉本を反対派太夫元たらしめずば正月を越す事の出来ない状態であつた。給金は受取つた。正月は来た。

暴露したり横暴 

▼吉本興行部の横暴はいろ〳〵の方面から暴露した。先ず遺言状が間違つている、ばかりでない、遺言状と云ふものはなかつたのだ。岡田太夫元から半額は棒引にすると云つて引受けた芸人の前借金を、半分棒引どころか全額にして活用している。その外、積もり積もつて左の十ケ条になつた。それは、今一日発表したもので、全文左の通である。 

筆硯益々御多祥の事と存じます。反対派の紛擾につきましてはいろ〳〵に誤り伝へられています。つきましてはその紛擾の真相について我々の結束しました理由を申上げます。何卒御紙面の余白もありますればよろしく御紹介を願ひたいと思ひます。私共が京都派として結束して独立しましたのは故太夫元岡田氏の恩義に感じ、遺族擁護の為めに立つたものである事を御諒解を得たいと思ひます。

一、岡田政太郎君遺言と称するものを掲示して反対派継続の事を吉本興行部より声明せる事。

二、故岡田太夫元の遺言と相違の事。

三、各席の二銭積立金処分不公平の事。

四、故岡田太夫元より芸人の前借金半減にて引継を受け乍ら全額に活用せる事。

五、新幹部加入に際し旧幹部を無視せる事(春団次、文団次の件)。

六、遊撃隊を切詰し為め、観客に不満を與へて平然たる太夫の態度。

七、座員に対する新貸金の懸引。

八、看板の出し方に順逆甚だしく不公平なる事。

九、芸人の待遇上に関する事。

十、反対派太夫元権全部を掌握され、為めに故岡田太夫元の遺族の前途憂慮に堪へざる事。

以上の理由により吉本興行部の態度に不満を抱きたる結果、七十余名が結束歩調を一にしたる次第です。 

此の事情を知つて、岡田太夫元の恩義を受けたものが、人間らしい血の通つているものなれば、まさか吉本とか云ふ人の手によつて、その鍋の飯を食ふ事は出来なからう。人情紙よりも薄い時節にこの美談がある。岡田氏の遺族も大に感謝してよからう。(京都日日)

大正1022日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/當ル二月二日より開演/三遊亭若遊三橘家勝太郎合同一座/橘家勝治

三遊亭□ 吉笑福亭笑三 三遊亭圓治 橘圓弥 三遊亭繰 桂珍團治 桜□屋豆八 橘家勝太郎 二代目三遊亭若遊三

大正1024 京都日日新聞

<芦辺館を覗く>

◇芦辺館に文字花の常盤津を聴いた。その夜は初お目見栄の夜で「戻り橋」の一曲、円熟した気持のいゝ芸術だ。林家染丸、この夜は得意の「猿まはし」の一席。いつ聞いても頭にのこる。「のこる噺がありや猿廻し」かネ。極道息子の朝寝を矯正する為めに堀川の猿まはしの作り替をやるあたりは、一寸他に真似する人はあるまい。壽獅子と云ふ一行が毎夜一幕さわりの芝居をする。その夜は「神霊矢口渡し」の六蔵とお船との色模様だ。田舎廻りと云ふと語弊があるが、達者な事は今の堂々たる若い俳優でもあれ丈け器用にやるまいと思ふ。

大正1026 京都日新聞

<芦辺館特別興行を覗く>

◇芦辺館特別興行 芦辺館では久振に常盤津女流家元文字花を招いて特別興行を開催している。

四日夜チヨクラ覗くと、川柳が軽妙な江戸前の落語で御意を伺つてをる最中、新作「節分」といふ三日の本紙夕刊にあるヤツを演つているなど面白い。野幇間一八が大に燥(はし)やぎ、トド節分と拙の分、福は内庭は外で節分気分をばら蒔いて巧にオチを取つて笑はした跡は愈(いよいよ)呼物の文字花の出となる。

語り物は「油屋十人斬」。「さゝがにの…」の語り出し、先づシンミリと華やかな情趣が漂ふ。おこんの言葉に江戸訛のあるのは是非なしとして、愛想尽しの條(くだり)など年の功は豆の功、地の言葉も確かなら、最後の殺しになつて「恋は蕾の開く迄…」からの音頭振は哀調横溢蓋し無類、常磐津党は随喜する。矢張り特別興行に迎へられるだけはあり…誰だい、隅ッこで、あれで歳さへ若けりやなど言ふのは…とまれ寄席の女芸人も追々精選されてくるのは嬉しい。

次は初お目見得東下りの円三で、声色の専売の男。雁治郎、歌右衛門、梅玉、松助から今は故人の団蔵、歌六迄ゼスチユアー入りで遣つ付ける。歌、松、歌六の癖は素的、関東者とて雁はいけなかつたが梅玉老も相当にこなして受けた。其跡は真打の染丸十八番の「野猿廻し」で上方落語の生粋を聴かしたが、練れていた。第一イキを抜かずに演つていたのが好し。切の熱田神楽壽獅子は時間の都合で見残したが、例の郷土芸術とでも云ふものなるべく賑やかで器用なものだと是は見た人の話。(鯉)

大正1026日 九州日報

<橘家扇三一行・博多川丈座>

[広告]東京落語幹部 橘家扇三一行 若手腕利き十餘名出演/本日より川丈座

◇川丈座(博多) 東京落語幹部中人気者の橘家扇三一行今六日より開演。番組の主なるもの左の如し。

滑稽万歳(義弘、富春)乃木将軍(残月楼)親子の情(扇三)

<編者註>扇三一行の番組は下記の通り。

27日:小松宮殿(残月楼)尺八曲(扇遊)船値[](扇三)

28日:味噌蔵(圓之助)乃木将軍墓参(残月楼)尺八曲奏(扇遊)お題目(扇三)大切り滑稽墨塗り

29日:伊藤公(残月楼)尺八の曲並に珍芸(扇遊)三軒茶屋(扇三)

210日:五目の狐(圓之助)滑稽萬歳(義弘、富春)旅順の悲劇(残月楼)尺八曲並に珍芸(扇遊)三人片輪(扇三)

211日:二人萬歳(義弘、富春)掛萬(圓之助)出征軍人(残月楼)尺八の曲(扇遊)宮古川(扇三)

212日:二人萬歳(義弘、富春)親子茶屋(圓之助)尺八の曲(扇遊)伏見殿下(残月楼)紺屋高尾(扇三)

213日:落語(圓雀)万歳(義弘、富春)落語稽古屋(圓之助)講談伊藤公(残月楼)尺八の曲(扇遊)淀五郎(扇三)切謎の試合(総出)

214日:王子の狐(圓之助)高杉晋作(残月楼)二人万歳(義弘、富春)尺八の曲(扇遊)西行(扇三)

大正1029 京都日出新聞 

◇文字花のために 芦辺館出勤中なる同女のため大久保演奏堂主人肝煎にて後援組見を催すと。会費一円、菓子かんざし付の由。

大正1029 京都日日新聞

<芦辺館と落語の趣味>

◇落語の趣味 落語の趣味は又別なものである。それを研究するべく毎夜の様に芦辺館に詰てみた。

第一に驚かされるのはその客種のよい事だ。これは恐らく京極中を通じて一番いゝと認める。かつて浪花節の昼席を覗いた事がある。二階の一等席にいると、隣には風通の対を着た一寸貴婦人然たるタイプをした女がいる。妙だと思ふと、その女の膝枕をしてゴロリと寝ているのは、めくの股引腹掛と云ふ、印絆天を着用に及んだイナセなお兄い様である。そんな印象の深く頭脳に刻込まれている記者は、落語のお客さんを見る毎にその上品さが一層深く感じる。殊に落語家をヒイキにする人々には通人が多い様である。

然るに高座で演じている落語そのものは昔の特色を失つてゆく様な傾向はあるまいか。最も目下一流としてチヤンと出来上つている人は兎も角、修行中の人はチヨイ〳〵邪道に陥つていやしまいかと思ふ。例へて見ると、会席料理を食つている処を読んでいる、お膳が出たときに、杯洗の中から猪口を取上げる形をして見せる落語家がある。それは会席の御膳を食つた事がない、会席のお膳には猪口は必ず膳に付いているものだと云ふ様な皮肉な事を言つて弟子を叱つた師匠もある。叱られたのは今の川柳が修行時代であると言つた様に、今の高座に出ている人には恁(こ)うして真の研究的態度に出る人は誠に尠ない様である。そこで是非必要なのは落語研究会の設立だが、これはもう何れ何とか形式となつて出現する事になるだらう。

近頃落語を聞いてしみ〴〵感じるのは、下座をもう少しキツカリとやつてほしいと思ふ。落語を活かそうと殺さうと、下座の力に俟つ処が頗る多い様である。尤も名人の域に達した人のはなしには下座の如きはなくも哉であるが、矢張り落語が耳に訴へる芸術である以上は下座も閑却出来まいと思ふ。

大正10210 神戸又新日報

<伊藤痴遊独演会・神戸千代之座>

痴遊独演会 千代之座は十一日正午から伊藤痴遊独演会を開く演題左の如し

憲政會を除名されたる尾崎行雄、末松謙澄と黒岩周六、明治二十二年の紀元節の回

大正10211日より

◇南地花月亭二月十一日よりの出番順

大正10年 005

當る二月十一日より連夜

東京落語若手真打柳亭さくら初御目見得 東京落語之泰斗柳亭左楽引続き出演 東京講談界の権威神田伯龍おなじみ 新加入桂米団治・桂春団治・桂文団治 生粋滑稽茶番湊家はげ徳・幸昇・松太郎・亀子・湊家小亀

出番順:落語左雀、落語花治、曲独楽桝三、東京落語さくら、落語米団治、曲芸直造、落語枝雀、講談伯龍、落語声色振事紋右衛門、落語文治郎、江戸生粋滑稽茶番はげ徳・小亀外数名、落語文団治、東京落語左楽、音曲踊千橘、落語春団治、東京落語円太郎、落語ざこば、東京落語円遊

落語反対派 南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正10213 京都日出新聞 

<芦辺館連中、初午の粕汁接待>

◇伏見稲荷サンへ 押出した芦辺館連 年中行事だとあつて馬力を掛け斗鍋二つで粕汁の接待  

初午の粕汁接待は芦辺館の年中行事、雨が降らうが槍が降らうがオン出ろやーイと馬力を掛けて押し出したのが巳さんの夜の十時頃、荒木稲荷前の林屋階上階下借り切つて陣所が出来る。表口の土間に八斗鍋二つを据え付けて大根人参の山を作る。表口は新調の連名の長提灯三十個を横一文字に掛け連らねて景気を添える。

宮川町の美人連中十余名、赤襷、赤前掛の用意が出来る頃には大阪南地、堺竜神辺りからも援兵が馳せ参じていやが上に景気立つ。席を終つた連中が次から次へと繰り込む。「サーイソレ〳〵」、思ひ〳〵の変装で釜のお汁のたぎる頃には「粕汁〳〵」と黄な声、黒い声で通り掛りが呼び込まれて、二坏三坏啜つて行く。三百人前と云ふ汁が午前三時頃には売り切れて、一同ホツと息をつく間なく座敷へ引上る。杯の数は重なる。機嫌は上る。

「まろ」が「芦の辺に流れ絶えせぬ清き水汲みし心を神にささげん」と柄にもなくヌたくる。川柳が負けぬ気になつて「しげる芦稲荷の祠こゝにあり」と駄句れば、染丸は「林屋で粕汁すうてほつといき」なんかと判らぬ事を言ふので、破顔亭子が「先き丈けを一寸染丸川柳を口説いて見たが聞かぬ桂州」と冷かすと、一華堂主人「濁りたる人の心のかす汁もたゞ一杯に苦も落語なり」と飛んだ下げを読み込むので、柳緑亭も黙つて居られず「せつたいと勧められたる粕汁にはうだ一杯あしべふら〳〵」とお茶を濁して引き上げたのが東もほんのり白んで居つた。

大正10222 京都日日新聞   

読者招待大演芸会・二月二十日岡崎公会堂>

◇会衆一万公会堂の外に溢れし 読者招待大演芸会 昼の部午後二時夜の部開場忽ち満員 演芸の粋を集めし舞台に読者大満足

咋紙に一分既報の如く我社主催の愛読者歓迎の大演芸会の昼の部は午後二時に場内ギツシリと立錐の余地なき満員に尚ほ続々と押しかけらるゝ愛読者は閉ざされし玄関前に黒山を築き、公会堂空前の盛況を呈せり。定刻正一時、進藤本社長は一場の挨拶を為せり…。満場破るゝが如き喝采裡に降壇すれば演芸は左の順序にて進行せり。

落語(芦辺館一蔵)、落語(若菜会十郎・同ピリケン)、舞踊(芦辺館林家うさぎ)、軽口(芦辺館鶴蔵・一円)、落語(芦辺館三木蔵)、女義太夫三十三間堂棟木由来平太郎住家(綱廣・糸港糸)、講談木下藤吉郎生立(旭堂南陵)、浪花節(藤川友重)、神霊矢口渡(芦辺館壽獅子連中)、奇術(芦辺館栄嬢)、声色(芦辺館円三)、引ぬき旧二輪加三勝半七酒屋(芦辺館林家染丸・川柳・一円・鶴蔵・三木蔵)

演芸時間中は幕なし休憩なし、次から次ぎへと送迎に遑なき一粒撰の演芸に満場は唯酔へるが如く、午後五時の予定に後るゝ事四十分昼の部の演芸会を終わり、昼の部の入場者全部の交替に入りこの間一時間休憩、大混雑裡に一人の負傷者及び事故なく六時二十分、場内は階上階下共和僅(わずか)に五分間にて満員の盛況を見…演芸は左の如くにて予定通り進行せり。

落語(若葉会十郎)、落語(芦辺館川柳)、落語(若葉会梅笑)、奇術(芦辺館栄嬢)、落語と舞踊(芦辺館うさぎ)、軽口(芦辺館鶴蔵・一円)、女義太夫(綱廣・糸港糸)、落語(芦辺館林家染丸)、戯曲(芦辺館壽獅子一行)、講談(旭堂南陵)、琵琶(河口天龍斎)、落語手踊(若葉会三正・福丸)、活動ガツスルの怪潜艇(帝国館岡山柳水説明)。

午後十一時二十分満場拍手喝采裡に閉会せり。尚当夜特に本演芸会の為めに好意を寄せられたる若葉会連中、藤川友重、芦辺館連中、旭堂南陵、竹本綱廣、河口天龍斎、日本活動写真会社(次第不同)…。

〈編者註〉二月十九日付「京都日日新聞」に「林家染丸は特に本社の演芸会の挙に賛成して、当日大阪表から、円馬を呼び寄せ、その地方には自分の愛妻より他に弾き人のない三味線とて、これも態々大阪から呼び寄せると云ふ。大仕掛けで、その演じものは染丸の「政岡」、円馬の「鱶七」と云ふこれは天下一品とも云ふべきものを御覧に入れる。連夜満員の人気を背負つている芦辺館染丸が出演はこの演芸会に花を添えたものと云はねばなりません」とあるが、上述の番組には円馬の名は見当たらない。

上方落語史料集成 大正10年(1921)3月

大正103月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より各席へ清元手踊(〆松、〆太)、音曲(ハレー)、長唄舞(絹子、円子)、曲芸(丸一社中)。

十一日より各席へ東京茶番巴家寅子一派、丸一小仙一行が出演。

二十日より紅梅亭にて笑福亭竹山人追善演芸会。三友派若手連の外にウオンダー正光、旭堂南陵、ハレー、
  丸一小仙一行。

◇吉本花月派

一日より各席へ東京落語三遊亭円歌、少年曲芸亀の助、亀の子、錦心流琵琶田村稲水、幼年落語桂三吉。                   
 十一日より各席へ円太郎、紋右衛門、千橘、円遊、残月、文団治、米団治、枝雀、春団治、文治郎、五郎、
  東京より三遊亭円歌、丸井亀の助、亀の子、琵琶の滔水等出演。【下図参照】

 十一日より堺寿館へ春駒、文蔵、団勝、春松、星光、菊団治、小糸、喜之助、扇枝、直造、円太郎、福助、
  喬之助、文治郎、千橘、升三が出演。 

十一日より千日前三友倶楽部にて出雲名物安来節。【下図参照】

十三日正午より南地花月亭にて円歌独演会。演題は「新作・電報違ひ」「文政侠客・武蔵屋太兵衛」「声色
  入落語・芝居風呂」「新人情噺・旭の旗風」等。

二十一日から天満花月亭にて松本三八二一行鰌掬ひ。

大正1032日 京城日報

[広告]特別興行/大流行の出雲名物安来節一行/天下一品鰌すくひ/萬歳剣舞落語其他諸芸廿余名の大一座/愈々三月三日より開演 浪花館

大正1033

◇東京で雑誌『寄席』(きくすゐ社)が発行される。

大正10年 001〈編者註〉以降月二回、一日、十五日に発行され、大正十一年一月一日二十号をもって終刊した。もちろん東京の寄席記事が中心だが、大阪、京都、神戸に関する記事も若干含まれており、それらを取り出して宮尾與男氏が「大正十年の関西寄席界」と題して『上方芸能』56号・57号(昭和534月・7月)に発表された。新聞記事とは一味違うおもしろい記事が多く、発表当時もたいへん興味深く拝読させてもらったが、今回ちょうど時期がぴったりで、改めて転載(孫引)させていただくことにした。なお当ブログへの掲載月日は雑誌の発行日としたが、内容的には半月前のものになるため、一日発行のものは前月の最後の項に掲げた。また表記は『上方芸能』のままとしたが、表題、段落、句読点等一部変更したことをお断りしておく。

大正1036 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇西陣長久亭 大阪浪花吉本組の安来節は頗る好評で毎晩満員の盛況を呈している。

〈編者註〉反対派が岡田派、吉本派に分裂後、長久亭だけが吉本反対派の席となった。

大正1038 京都日日新聞

<桂三八と村上桂州>

◇三八の萬套 少し話は古くなるが、過ぐる頃知つてる会の催された夜の午前二時頃、草木も眠る丑満時に、芦辺館の三八を引具した一団が縄手の去る料亭に繰り込んだ。出るだけの料理を食つて了つた三八は他の連中が一生懸命にパク付いている間に軍隊式に自分は食へるだけを食つて、萬套を着込んで自分の荷物をチヤント携帯に及んで、半分居眠りをしている姿が酒に酔つた羅漢さんの様で、その珍妙な姿を見た先斗町のしげのは泣いて笑つたとの事。それ以来、三八と料亭へ行つたものは「萬套着よか」と云ふ言葉が一つの流行となつているそうだ。

◇桂州の琵琶 村上桂州とは三八によく似た頭の持主、筑前琵琶をやつている。この琵琶をやつている間には一向ヒイキも薄いが、余興の三味線琵琶になるとヤンヤと喝采される。それ丈け当人も琵琶より余興に熱心になる。そこで昨夜から木佛庵主人作のこんなものをやつている。それは「御所の五郎蔵」文句入の都々逸で ふし「月が晦日に出るてふ廓も 五郎蔵「エヽやかましい、がらくためら、うぬらが心に引較べ吝嗇なことを言やあがるな、百両はさておいて、千両、万金を積んでも手切の金を取るものか、欲しくば今に延金を」、ふし「暮れて淋しい闇もある」。

大正1039 京都日日新聞

◇机上偶語 木佛庵(二十九) 

…友人京亭クンが俄に思ひ立つて浄瑠璃の稽古を始めた。「鎌倉三代記」三浦之助別れの場と云ふ皮肉なもの。これを聞いた芦辺館の三八曰く「どうかシッカリ頼みます、せめて隣の味噌屋が転宅せぬ範囲で」と云つたなど振つていた。落語の中に家主の自慢浄瑠璃を聞く為めに親子が水盃をして聞きに行くと云ふ落語なども思い出される。

大正1039 台湾日日新報

お糸一行開演 昨日到着した出雲名物安来節正調家元渡辺お糸の一行は愈々本夜から向ふ五日間栄座で開演するがお糸のこの一行は内地到る処に於て人気を蒐めた有名なもので悉く本場の連中で女連は出雲芸者の中から選り抜いて座員に加へたものだ左宇多(そうだ)。其の主なる番組は浪花節、落語、手踊、少女安来節、名古屋万歳、鴨緑江節、正調安来節、安来節手踊の外座員総出で安来節や名物の鰌掬ひを出演する筈で鳥渡眼先の変つた丈けに面白く過ごされるだらう

大正10310日 九州日報

◇柳家小さん 同好者に久しく期待せられたる東京落語柳家小さんは、三遊亭金馬、松柳斎鶴枝、柳家小せん等の幹部及び歌沢富小満、北海道追分節の名手柳家三の女連其他若手腕揃いにて、九州巡業を為し、長崎南座を振出しに廿日より博多川丈座にて開演すべしと。

大正10311日より

◇南地花月亭弥生大興行出演順

大正10年 001

弥生第興行 當る三月十一日より連夜

東京落語の泰斗 三遊亭円歌 久方振りの御目見得 東京少年曲芸界の名物 丸井亀の子 丸井亀の助 おなじみ 錦心流琵琶界の巨星 田村滔水 久々出演

出演順:落語鯛六、落語せんば、落語小雀、落語扇雀、滑稽掛合茶好・半玉、落語文団治、教育美談残月、曲芸直造、音曲踊千橘、落語文治郎、落語春団治、東京落語円遊、落語舞踊五郎、錦心流琵琶稲水、少年曲芸亀の子・亀の助、東京落語円歌、落語ざこば、東京落語円太郎、落語枝雀、落語声色振事紋右衛門

南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正10311日より

◇千日前三友倶楽部出雲名物安来節

大正10年 001

當ル三月十一日より昼夜開演

安来節 博多節 出雲けん 曲太皷 鰌掬ひ 尺八琴合奏 落語 手踊 鴨緑江節 腹芸

千日前三友倶楽部 電話南三九七七番 吉本興行部経営

連名(省略)

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。大八会の連名席であった三友倶楽部がいつから吉本興行部経営になったか判然としないが、十月十一日改正の吉本の出番表(下記参照)に「千日前三友倶楽部 (安来節)五座長合同一行」とあり、この年のものと推定した。

大正10312日 京城日報

<伊藤痴遊来る・朝鮮浪花館>

[広告]天下一品新講談 伊藤仁太郎事伊藤痴遊氏 當ル十三日ヨリ十七日迄講演/京城明治町 於浪花館

大正10315 京都日出新聞 

◇富貴 十五日正午第五回落語おさな会開催し、番組左の如く、反対派青年連が火花を散らす。

 牛かけ(福松)、道具屋(勝路)、住吉駕(花丸)、鼻ねじ(小染)、名画(扇太郎)、珍力士(歌遊)、滑稽掛合(小文字・五郎・十郎)、鬼あざみ(助六)、越橋中(円三郎)

大正10316 京都日日新聞

◇机上偶語 木佛庵(三十四) 五郎君から手紙が来ている。曰く、廿一日横浜千秋楽。廿二日伊勢大廟参拝、廿三日一寸京都に下車して好きな落語の三八を聞きたい予定、但し僕丈好きで三八さんは御存なし、つまり片思ひの形ですと注釈がある。廿三日の夜は芦辺館で三八のあの人を呑んだ様な時局談を聞いて自己満足をする五郎君の顔も見られる訳だ。その末尾に僕の京都の△△△ーとあつたのは聊か不可解、三八相手に片思ひとは五郎君ならではいうに云はれぬ芸当だ。一寸京都に下車して云々とは三八クンも色男の部に這入つたものだ。イヤこれは失礼、三八クン。

大正10320 京都日出新聞

◇芦辺館 二十日正午より竹山人追善演芸会開催する由。

大正10320日 九州日報

[広告]期待されたる名人落語 東京落語界の名人三遊亭金馬 北海道馬方節追分節柳家三八 歌沢寅右エ門門下秀才歌沢寅小満 日本一落語名人柳家小さん/愈々本日より五日間川丈座

大正10322日 九州日報

<柳家小さん一行・博多川丈座>

◇川丈座(博多) 生粋の東京落語として前人気を買っていた柳家小さんの一行は、初日以来多大なる好評を博しているが、今三日目の番組左の如し。

五人廻し(小せん)追分(三八)歌沢(寅小満)百面相(鶴枝)死神(金馬)猫久(小さん)

大正10323日 九州日報

◇稲荷座(門司) 来る廿五日から東京落語名人会柳家小さん金馬一行が乗込む筈。

大正10324日 九州日報

◇川丈座(博多) 本日の番組は、忠孝(金馬)らくだ(小さん)

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大正1041日 『寄席』第三号

◇「寄席漫談」(森暁紅)

昨年でしたか、関西の方に行つた時、大阪の反対派の方の花月とか云ふ寄席に一寸行つて見ましたが、大阪(あちら)は進んで居ますね、驚きましたよ。噺の時には背景が金屏風になるとか、踊の時には何(なん)とか、一々その演芸によつて背景が変つて行(ゆ)くのですね。それから色電気をつかつたりして、仲々大仕掛(じかけ)に面白く出来て居ました。大阪の人はかういふことにかけてはたしかに一歩進んで居ますね。

◇「大阪から」(三月十二日夜・大森勝)

『寄席』の発刊を祝します。私はよほど以前から寄席の機関雑誌の出る事をまつてゐたものであります。私は昨年の夏東京から大阪に来たものですが、大阪は三友派と反対派が盛んに競争してゐます。そして東京から交代々々に三四名づゝ下阪します。三友派は丸一小仙一行と巴家寅子一行に、反対派は円歌、亀の助、亀之子、錦心流琵琶の田村滔水が只今来てゐます。南地では花月と紅梅、松島では文芸館と花月としのぎをけづる大決戦であります。而し三友にくらべて反対の方は演者が多いのと、席の多いのが強みであります。今ではどちらかと云ふと反対派の方へ団扇があがつて来さうな有様です。それから大阪を中心にして神戸も京都も、出雲安来節の大流行をしてをります。安来節のかゝつてゐる席はどこも毎夜満員と云ふやうな有様です。

『安来節、イヤな歌ジャあと、さげすむ人は、今のイセイを知らぬ人─』と唄つてる位です。御承知の如く大阪の落語は見台見たいな物を前に置いて、バタ〳〵たゝき乍ら話をします。唯今では大分すくなくなりました。而し場末へ行きますと、盛んにたゝいてゐます。騒々しく賑やかなのが大阪の落語の特長なのでせう。場末の寄席に昔ながらの大阪落語が聞かれます。
「神戸から」(署名なし)

寄席──を手にした私その喜び──記者間様何も申上げません。只々感謝に堪へません。この種の雑誌は唯一つですからどうかいつまでも発行して下さい。東京と違つて神戸あたりでは寄席も少なく、落語らしい落語もめつたに聞かれません。二つか三つの寄席へ地付(ぢつ)きの連中の同じ顔の中へ、折々東京大阪あたりから頭株を一人か二人、それで景気を付けてゐるのが現今(いま)の神戸の寄席です。

昨年の十月には正蔵、十一月は馬生、一月に文三、二月に花橘位で、講談では九月頃伯龍が見へてたほかに伯英、陵潮、吉山、ろ山位で、其他は踊のうまい三木助やめくらの楽丸等の顔も一寸(ちょ)い〳〵見へます。地付きの連中はつまらないものばかりで、米昇、春輝、円天坊、太郎、正楽、歌路、円都等と軽口の小半・染五郎、近頃仲間入(いり)した円如位で、取立てゝ云ふならば正楽の話が聞けるだけ、いやもう後の連中はお話に成りませぬ。(この中円如と云ふのは好い声を持つてるので、一寸人気があり、歌路は新しがりの小話で学生間に持てゝゐます)。他から来た連中では馬生なぞ顔なじみで割合人気のある内です。正蔵も認められてゐました。

 独演会をやつたのは正蔵と伯龍、痴遊の三人位でせう。何しろ甘つたるい大阪噺を聞きなれた人達ばかりですから早口の東京噺は一寸受けにくいらしいので、江戸ッ児弁の歯切れの好(よ)い調子はめつたに聞かれません。何処も同じく此の頃は色物の方が喜ばれる様に成りまして、昨年あたり来てゐた歌楽の追分や、近くに来ていた〆太、〆松の清元等大分人気がありました。これで大阪まで行けば一寸した噺が聞けますけれど神戸では全くだめです。私共江戸ッ子組は常に情なく思つてゐます。これからは御誌に依つて東京の寄席の状況だけでも知る事が出来るのをせめてもの心やりです。どうぞ今より尚盛大に成らん事を遥か神戸の空より祈つて居り升。寄席の発刊を祝すに当りまして私のぐちばなし御免下さりまし。


上方落語史料集成 大正10年(1921)4月

大正104月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より各席へ江戸茶番巴家寅子一派、音曲はなし橘の円如、東京落語柳家つばめが出演。

 七日正午より紅梅亭にて四代目桂文三改名披露。出演者は五十余名で東西落語界の真打連が多数出演。

十一日より各席へ講談旭堂南陵、音曲噺手踊橘円如、東京落語柳家つばめ、奇術ウワンダー正光等が出演。

◇吉本花月派

 一日より各席へ東京落語談州楼燕枝、新橋幇間桜川長寿、東京落語談州楼小燕枝、滑稽更芸東洋一郎、松旭
  斎旭勝が出演。

 八日正午より南地花月亭にて桜川長寿演芸会。補助として桂文団治三升家紋右衛門、談州楼燕枝出演。

 十一日より各席へ桂小文枝、談州楼燕枝、柳亭小燕枝、曲芸松旭斎旭勝、東洋一郎等が出演。

二十四日正午より南地花月亭にて談州楼燕枝独演会。演目は「今戸の狐」「将棋殿様」「柳田堪忍袋」「悪
  僧玄若」

大正1042 京都日日新聞 

◇吾妻団朝の新内 芦辺館にはこの頃吾妻団朝の新内節がかゝつている。ある夜一寸聴く。それは「新口村」であつた。梅川と孫右衛門との対話から、その文章には通俗で人情の機微を穿つたものがあつた。殊に「盗みする兒は憎なうて縄取る人が恨めしい」のあたりに節廻しが軽妙で感心させられた。

大正1043 大阪毎日新聞

◇[広告]卯月興行

大正10年 007

新ばし幇間桜和川長寿、滑稽曲芸松旭斎旭勝・東洋一郎、東京落語若手真打談州楼小燕枝、東京落語ノ泰斗談州楼燕枝

堀江賑江亭、北新地花月倶楽部、京町堀京三倶楽部、南地花月亭

大正1046日 九州日報

◇川丈座(博多) 京阪落語福の家福太郎一行明七日より開演。入場料は六十銭均一で番組左の如し。

伊勢参り(福之助)子誉め(小金吾)近江八景(若枝)音曲手踊(小福)曲芸(徳太郎)長持(宋枝)新内(小美津八)蔵丁稚(圓之助)歌根問(圓三)掛萬(文歌)藤間流手踊(福太郎)

大正1047日 大阪毎日新聞

<桂小文三、四代目桂文三を襲名>

◇小文三襲名 桂小文三は今回四代目文三を襲名し、七日正午より南地紅梅亭で家元文治補助の下に披露演芸会を催す。

大正10年 002

〈編者註〉四月二十一日から十日間、京都新京極芦辺館で披露興行。二十四日に襲名披露会を同館で挙行(下記参照)。又『藝能懇話』六号(平成5年)に「改名御披露 小文三改め四代目桂文三」の挨拶状が載る(上図参照)。

大正1048 京都日日新聞 

◇[広告]落語音曲舞踊奇術等の諸余興は若葉会へ。利欲を不想、熱誠車輪に相演じ升。御用命の節は寺町五条南入万倍社余興部へ。

大正1041014 京都日出新聞413日 京都日日新聞大阪毎日新聞京都滋賀付録

<巴家寅子を聴く>

◇芦辺館 十一日より江戸生粋音曲茶番巴家寅子一行にて開演。一座は寅子の外松之助、小奴、壽郎、小染、愛之助、金太郎等なりと。(京都日出410

◇巴家寅子を聴く 十一日から芦辺館に出演した巴家寅子一行の江戸生ツ粋と云ふ音曲を聴く。…舞台は寅子、松太郎、小奴の三人で、寅子は得意の咽喉に見物をヤンヤと云はせる。殊に義太夫、琵琶、浪花節を、太の三味線を使つて器用に弾き語りをした「ふきよせ」には満場水を打つた様に耳を澄ました。松太郎の曲芸も亦頗る垢抜けのしたもの。舞台上の四十分間は、寸分の隙もなく、次から次へと息をもつかせぬ面白さ、…。(京都日日)

◇芦辺館にて久々の寅子一行 久し振に芦辺館を覗く。春雨の加減かそれとも呼物の江戸生粋巴家寅子のお目通りが人気に叶ふてか、花時にも拘らず却々の大入。恰度東京噺川柳の「名人奉行」から聴く。普通のものには多少癖のある此人も斯うした人情噺にかけては流石に堪まらない味があつた。シンミリと聴かしたは嬉しい。次は愈々巴家一行。…寅子の吹寄せは例に依り洗練し切つたもの。次から次と江戸茶番の所謂生粋味を紹介する、…程好い所で又明晩と切上げるなど却て面白く軽快な点が気に入つた。此後三八は純上方落語で、又トリの蔵之助は一流の渋味ある話振でそれぞれの持味を出していた。(鯉)(京都日出414

◇巴家寅子を見る 泥鰌すくいが京阪で全盛なら八木節が東京で人気がある。共に泥臭くて肥桶臭くて重苦しく、田舎趣味が都会を覆うて了ふ当世に巴家寅子の音曲茶番は可なり珍重してもよいものだ。洒落気と機知が縦横に閃いて、さうして取り止めのないのが取柄だが、小田大炊と安宅郷右衛門の紅葉狩のだんまり茶番なんか今の新京極の見物にはかなり無理なものと思ふが、ソコは今後手加減が肝要と釈迦に説法件の如し。(滋賀付録) 

大正10414 大阪朝日新聞京都付録

◇建碑供養 笑福亭出演の井上照士、河合円笑主催にて、十六日午前十一時から裏寺町誓願寺墓地にて故父の十三回忌建碑供養を営む。

〈編者註〉河合円笑とは三代目笑福亭円笑(本名河合亀太郎)のこと。昭和八年没。

大正10415日 香川新報

高松劇場 東京落語歌舞音曲名人の一行二十名は九州地方巡業帰途十五日より花々しく開演す。出演幹部は市川九女代、市川駒寿、中村夏子、中村房十、近松家小えん、花の家蝶々一、春風亭柳窓、近松家燕朝、三遊亭左エ門

大正10417 京都日出新聞

◇芦辺館 十七日の日曜日大入祝として座員総出にて円山島屋にて観桜会を催し珍趣向の余興を催すと。

大正10422 京都日日新聞 

読者招待大演芸会・四月二十日・岡崎公会堂>

◇満場唯酔へるが如く 見惚れし大演芸会

…桂洲は「餅酒合戦」と云ふ筑前琵琶の一曲に得意の妙技を発揮し、巴家寅子一行は江戸生ツ粋の歌舞音曲は妙技神に入るものがあつた。…独特の曲芸には芦辺館の三代松が熟練の腕を冴えを見せ…、「長短かつぽれ」は芦辺館の一馬、枝女太、三八、ぜん馬の総出で舞台では見られぬ珍芸に満堂の見物は唯酔へるが如く…昼の部を終つた。

夜の部は…先づ芦辺館の川柳、素噺の地味な所で見物をグツと引締め、…枝女太、ぜん馬の「二人道化」は三千に近い見物腹を抱へ、桂州の「乗合琵琶」また大受け。一馬の剣舞と木曽節、他に類のないものとて大喜び。正団治の落語、蔵造の「安来節」は一人で人気を浚つた。白鶴の蒲団廻しは見物を驚かせ、…三代松の独楽廻し大当り。  

大正1042123 京都日日新聞42324日 京都日出新聞 

<四代目桂文三襲名披露会・新京極芦辺館>

◇文三襲名と染丸 桂小文三は今度亡父の襲名をする事となつて二十一日から十日間新京極芦辺館でその披露興行をする事となつた。襲名披露会は二十四日の夜に盛大に同館で挙行する。又応援として染丸が同日からお目通りする外に、目下人気を集中してゐる巴家寅子一行も本月中は同館で打通す事になると云ふからには、野に山に花は散つても百花繚乱の舞台の花は芦辺館に咲くであらう。フレ〳〵染丸! 起て〳〵文三ッ。(京都日日421

◇廿四日は昼夜 亡父文三を襲名した桂小文三の襲名披露会は明二十四日昼夜二回に渉つて花々しく挙行する。口上には家元桂文治クンが入洛して共に舞台にお目通りする。文三は段々と亡父に似て来るので本人もメツキリと年が老けた様にシツポリと貫目が出来た。染丸と云ひ寅子と云ひ、芦辺館の当興行は精鋭をすぐつている。(京都日日423

◇文三の襲名 関西落語界の名人故三代目桂文三の遺子小文三は今回後援者の勧めに依り四代目を襲名し、目下亡父との縁故浅からざる新京極芦辺館へ出勤中なるが、二十四日正午より是が披露演芸会を同館に於て開催する。(京都日出423

◇芦辺館 小文三改め四代目桂文三の襲名披露は既報の如く二十四日正午並に午後六時の二回開催し、補助には桂派家元桂文治の外左の連名にて出演の由。

 一蔵、双馬、白鶴、南州、三代松、蔵造、枝女太、ぜん馬、三八、桂州、川柳、─披露口上─文三、文治、一馬、染丸、巴家寅子一行。(京都日出424

大正10422日 香川新報

高松劇場 初日以来好人気にて大入満員の東京落語歌舞音曲名人會、本日より三日間日延べす。

兵庫舟(同雀)寄合酒(門楽)安来節(初口)壷坂澤市宅(住登)忠臣蔵(蝶ん一)隅田川法界坊渡場(芳子、駒助)文七元結(柳窓)女道楽(小えん)吉原雀(燕朝)富みくじ(門左衛門)軍事講談安来節(好洋)鰌掬い(総出)

大正10423 山陽新報

東阪落語有名三人一行若手連を引連れ来る二十五日午後六時より開場

落語(桂喜雀)笑話(桂鯛六)落語(桂文喬)落語手踊(橘家圓弥)曲芸(海老一直造)近世史談(桂家残月)音曲鰌掬(立花家千橘)落語(三遊亭圓歌)

大正10424 京都日日新聞 

◇下京販売局の諸芸大会 …本社下京販売局中貝新聞鋪にては廿四日午後三時より西通院高辻管大臣社務所にて若葉会一派の諸芸大会を開催。同店所属の愛読者全部を招待する由。番組は舞踊(春太郎)、落語手踊(小太郎)、落語四ツ竹(紅司)、落語手踊(桃太郎)、落語(十郎)、落語手踊(福丸)、浪花節(栄昇)、落語(ピリケン)、落語(一蔵)、落語手踊(梅笑)、落語(梅奴)、落語舞(三正)、落語(文紅)、奇術(一徳)、落語音曲(紅咲)、落語扇曲(三玉)。

大正10424日 神戸又新日報

<伊藤痴遊独演会・神戸千代之座>

痴遊独演会(正午より千代之座) 尾崎と島田と内田、東京府市議会の疑獄、古賀長官貴院の態度、満鉄阿片問題、憲政会と加藤珍品事件批評等

大正10428 台湾日日新報

栄座の名人会 昨夜開演した栄座の名人会は落語あり安来節あり娘義太夫、所作事其他舞踊等で全然寄席気分の夏の興行らしいが毎夜変つた処で御機嫌を伺ふと云ふ其の連中と順番は左の如くだ落語(左)同(開楽)安来節(初、房吉)娘義太夫千代萩御殿(佳登)安来節(辰子)演芸百種(蝶ト一)安来節(きぬ子)所作事京人形(芳子、駒助)人情噺(柳)女道楽(小江ん、燕朝)落語舞踊音曲所作事(門左衛門)安来節鰌掬ひの喜劇(総出)
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大正1051日 『寄席』第五号

◇「大阪から」(四月二七日の宵・大森勝)

(前略)只今、花月へは燕枝、小燕枝と曾我の家五郎郎さんの声色をやる桜川長寿等が下阪して出て居ます。紅梅へは柳家つばめが見えて居ます。両方ともつばめとは面白い取組です。花月では席前に柳の枝を一面に釣つてあります。両方とも装に置いてはどつちこつちですが、総じて花月の方が花やかに見えます。東京でもさうですが、会社派の紅梅は話を聞かせやうと云ふやり方、反対派の花月は花やかに賑やかに見せると云ふやり方らしいです。そのためと云ふわけでもありますまいが、花月には女案内人「御茶子」も美人が揃つて居ます。客がひいきの芸人へ祝儀をやるのには、御茶子にたくすと、御茶子が高座の前へ祝儀袋をはさんだ棒を立てるのも、東京から来た目には珍らしく思はれます。それから芸人が高座で羽織をぬいで、それを又入る時に自分で持つて行くのも妙な感じがします。兎に角寄席のキレイなのが大阪の特長でせう。其代りズイブン入場料は高価ですが……

◇「京都から」(京都・米田生)

…京都には今真打は極僅(わずか)なのです。漸く十名足らずで、枝太郎、円笑、福円、三八、福松、助六、可祝、東京児の円司、今は病気で休席は致して居りますが文の家文之助、電話散財なんか此人の作であります。然し此等の中で最も将来の有望なのは三八、福円、福松、可祝位で、人は円好も円歌もてな事をいひますが、人気はあつても噺は零です。実に真価を知る人の少ないのには全く泣出し度くなります。

 昨年の夏に円右独演会が富貴亭で開催されました。名人長治に五人廻し、富久でした。他には時々円蔵が参ります。何と云つても好い弟子を持つて居ますからネ……。大阪の真打としては蔵之助、新作噺しで随分現代的な男です。小さんは立花で一度聞いたきりですが、京都落語界の名人と迄云はれた故文吾式でありました。京都も随分故人には名人級の人があつた相(そう)です。先代の福松と、桂藤兵衛、此人の名跡は大阪の円枝が継ぐ相です。するとそれで一人真打がふえる勘定ですが、ま何にしても寄席の少数なのと、落語家の少数とで随分惨めなものです。蘆辺、春日両席は三友派ですから大阪紅梅から交代連があり、関西随一の笑福亭松鶴が聞けますが、富貴、笑福、西陣富貴、泰平、日本の反対派本家の出店の大阪□に御株を取られ、実に孤立無援の形です。

上方落語史料集成 大正10年(1921)5月

大正105月 大阪の寄席案内

◇三友派

一日より各席へ巴家寅子、清草舎英昌、万橘、円蔵、花橘、枝鶴、円、円枝、遊三、染丸、円子、蔵之助、
  松鶴その他出演。

一日より紅梅亭は安来節(川上一派)、人情噺(馬生)、東京落語(円馬)その他にて開演。

◇吉本花月派                                                           一日より松島花月亭新築披露興行。紋右衛門、円遊、春団治、文団治、ざこば、米団治、枝雀、桂小文枝、円右、小円右、右女助、常磐津金の助、三喜の 助、伊藤痴遊、残月、円歌、千橘、円太郎、五郎、扇枝、喬之助等出演。【下図参照】

五日正午より南地花月亭にて円右、痴遊二人会。

八日正午より南地花月亭にて円右独演会。演題は「富久」「万歳の遊」「名人矩隋」

十一日より南地花月亭にて皐月特別大興行。【下図参照】

 十一日より堀江賑江亭にて出雲本場安来節松本三八二一行数十名出演。本場安来節、出雲拳、腹芸、尺八合
  奏等。

 十一日より改築落成した松島花月亭に今輔、円歌、枝雀、残月、円遊等が連夜出演。

二十二日正午より福島花月亭にて入舟亭(船遊亭)しん橋追善会。主催金の助。出演者ざこば、鶴輔、右之
  助、円歌、今輔、春団治、紋右衛門、三喜の助。

二十二日正午より南地花月にて右女助会。右女助、金の助、三喜の助、春団治、扇枝、円太郎。

三十一日より各席にて華柳、六代目柳枝、四代目小柳枝三人改名披露興行を開催。

大正1051日より

◇南地花月亭特別大興行出演者

大正10年 006

特別大興行 當ル五月一日より連夜 入場料値上セズ

東京落語之名人三遊亭円右 通俗講談伊藤痴遊 

東京落語若手真打三遊亭小円右 おなじみ 女流常磐津常磐津三喜之助・宝集家金の助 久方にて御目見得 東京柳三遊睦会幹部三遊亭右女助 当派ニ初の出演

出演者乱表:桂春団治、桂文団治、桂米団治、桂菊団治、桂文治郎、桂文雀、桂小南光、露の五郎、桂ざこば、桂小文枝、桂枝雀、立花家千橘、桂家残月、三遊亭円歌、三遊亭円遊、立花家喬の助、橘家小円太、桂扇枝、金原亭馬きん、三舛家紋右衛門、橘家円太郎、三遊亭円若

南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正1051より

◇京都岡田反対派出演表

大正10年 007

浪花落語反対派大正拾年五月一日ヨリ出演表

富貴:福我、文太郎、勝路、枝雁、歌遊、光鶴、団司、小文字、梅香、かほる、福円、小かめ・おかめ、しん
 鏡、次郎坊・太郎坊、龍生、三人支那人

笑福:福之助、小染、若橘、枝右衛門、太郎、雀輔、柳丈、福松、金之助、光鶴、桃太郎、円笑、福来、かし
 く、円瓢、枝太郎

泰平:歌蝶、文太郎、花橘、枝雁、三人支那人、歌遊、しん鏡、次郎坊・太郎坊、金之助、光鶴、かほる、円
 笑、福来

西富(西陣富貴):八百三、梅香、次郎坊・太郎坊、円笑、枝右衛門、文太郎、太郎、小文字、枝太郎、福
 松、団司、桃太郎、柳丈

福の家:梅鴬、金之助、しん鏡、かほる、かしく、枝太郎、福来、円瓢、雀輔、三人支那人、福円、小かめ・
 おかめ、梅香

〈編者註〉二月に分離した京都岡田反対派の出演表である。『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正1051日 神戸又新日報

千代之座と御代之座 一日より左の顔ぶれは、歌路、圓都、圓天坊、春輔、扇遊、吾妻、團朝、橘の圓如、三遊亭小圓遊、柳家東蔵、月の家圓鏡

大正1056日 九州日報

◇川丈座(博多) 永らく修理の為休場中であつたが、愈々工事を終わり来る七日より兼ねて九州巡業中到る処歓迎を博した安来節家元渡辺お糸一行の芸妓連にて開演の筈。

大正1058日 神戸又新日報

千代之座 痴遊独演会を十二時より開く

大正10511日より

◇南地花月亭皐月特別大興行出演順

大正10年 008

當ル五月十一日より連夜出演順

落語春駒、落語小雀、滑稽曲芸一郎・旭勝、東京落語今松、お伽百面相鶴輔、落語即席噺扇枝、音曲踊千橘、東京人情噺円歌、落語春団治、落語声色振事紋右衛門、落語枝雀、東京落語似声右之助、女流常磐津三喜之助・金之助、東京音曲噺今輔、落語ざこば、東京落語円太郎、落語小文枝、鰌掬ひ安来節一行

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。この出演順は二つ折になつていて、表に「皐月特別大興行 南地法善寺境内花月亭 吉本興行部 電話南(四三八)(四一一九)番」(図版省略)とある。

大正10511 京都日日新聞 

◇机上偶語 鬼仏庵(八十一) 八日午後十一時から鬼仏庵で茶話会を催した。案内状は左の十氏に発した。

 曽我廼家五郎、谷崎潤一郎、栗原喜三郎、桂三八、林家染丸、原田京亭、佐々木紅花、足立美人堂、橋本川柳、清水花菱。

取り合せは頗る妙であつたが、谷崎、栗原、花紅の三氏は欠席され、主客八人は午後三時を過ぐる頃迄語り合つた。三八君は山科で、在営時代の中隊長に、余興の席上で時局の落語をやつた時、その大尉から「お前はそんにな学問があつたのか」と聞かれた滑稽談やら、五郎クンの五郎劇脚色上の苦心…やら。御馳走もない町端れの茅屋の二階に茶と菓子と、サイダーに山海の珍味以上の舌皷を打つたのも趣味の集まりなればこそだと思(おもっ)た。

大正10511日 神戸又新日報

圓右<三遊亭圓右独演会・神戸千代の座、三宮御代の座>

出演 十一日より三日間午後六時より新開地千代之座と三宮御代之座とに掛持ちで東京落語界の名人三遊亭圓右出演十一日演題は「唐茄子屋」「五人廻し」(千代之座)「宗悦殺し」(御代之座)

大正10513日 神戸又新日報

千代之座にて十三日正午より圓右独演会を催す。演題は「文七元結」「九段目」「富久」。懸賞鼠、補助小圓右、女助。
スキャン0007大正10514日 九州日報

◇川丈座(博多) 安来節お糸一行愈々十四日にて千秋楽。続興行は東京音曲落語の人気者三遊亭圓若七年振りに乗込む。一座は人気落語の馬琴、新講談の若圓、落語手踊の桂菊團治等で十五日より花々敷開演する。

[広告]明十五日より東京落語講談會/浪花落語手踊り桂菊團治 東京新講談松林若圓 人情落語真打金原亭馬琴 音曲槍さび家元三遊亭圓若/川丈座開演

大正10515 京都日日新聞 

◇桂洲の頭に蝿 「金も女も名誉もいらぬ、私しや頭に毛がほしい」と毎晩高座で琵琶都々逸を都々繰つているのは村上桂州と云ふ頭に毛のない男。二三日前の晩に本町の富士の家で高座出演中、黄金虫ほどある大きな蝿が桂州の頭の真中にチヨイと止まつたので、見物はドツと大笑ひ、桂州がこの蝿を手で払ふと、蝿は横転逆転、宙返りをした上、又もや桂州の頭に着陸したので、見物は大喜びで大喝采。そして桂州曰く「今度から、私を蝿すべりと云ふ事丈けは止めておくなはれ、蝿はたしかに、すべりまへん」

大正10515 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇芦辺館 十五日より「江戸ッ子会」。円蔵、万橘、蔵之助、円坊、とん馬、小はん、英昌、松太郎、小奴、愛之助出演。

〈編者註〉十五日は正午より日曜会として江戸ツ子落語会を開催。

大正10517日 九州日報

◇川丈座(博多) 東京落語三遊亭圓若一行今三日目の番組は、小倉船(三之助)三十石(文藤)手品(一楽)義太夫新口村(源童、春初)昔噺手踊(福團治)曲芸(林福昌)昔噺手踊(菊團治)東京落語(馬琴)新講談(若圓)音曲落語(圓若)かる口(半助、玉助)

大正10519日 徳島日々新報

<桂桃太郎一座・徳島緑館>

緑館 落語三日目十九日の番組左の如し

小言幸兵衛(桂小圓冶)ろくろ首(桂延二郎)正月丁稚(桂圓冶)垢相撲(桂小文字)お俊傳兵衛猿廻し(桂家三木松)滑稽連鎖劇(三升家小鍋)身体運動(夏雲忠、夏雲清)新町ぞめき(桂門三郎)源平穴探し(立花家圓好)大丸屋騒動(桂桃太郎)

<編者註>22日の番組は、高砂屋(桂小圓冶)子誉め(桂延二郎)無物買い(桂圓冶)うなぎ屋(桂小文字)お駒才三鈴が森(桂家三木松)珍劇千葉心中(三升家小鍋)新猫(桂門三郎)身体運動(中華民国人)お若伊の助畜生塚(立花家圓好)島原八景(桂桃太郎)

大正10520 京都日日新聞 

<芦辺館の江戸ッ子会を覗く>

◇落語江戸児会 芦辺館は十五日から落語江戸ツ児会とあつて、円蔵、蔵之助を中心にして、巴家寅子一行中の松太郎、小奴、愛之助、これに一馬、三八を加へて御機嫌を伺つている。先づ三八の新作ものとしては「この間も一寸大本教を調査する為めに綾部に出張しました。何しろ新聞迄経営いたします宗教と云ふのでいろ〳〵調べて見ますと、あの宗教の根本を為しているのは御筆先やさうで、成程御筆先だから新聞経営する様になつたと思ひます。その御神体は石と紙であつたので、お上のはさみ打に逢つたのでせうと思ひます。何しろ私どもが調査に参りましても一向に要領を得ませぬ。又、委しい事が知れそうな筈はありません。あやべも分らぬ真の闇と申しますから…」と云ふ様な処で大向ふを笑はせている。蔵之助の一等の愛嬌は、何と云つても、蔵之助一流の浪花節で、小奴、松太郎、愛之助の長短の穴をゆく滑稽と毬つかひは、落語界の珍品と云つてもよい。江戸ツ児会は又一種独特の趣味がある。

大正10521 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇西陣長久亭 二十一日から大阪吉本組の落語家米団治、一郎、旭勝、文雀、初子、道子、小南光、円弥、金之助、とんぼ、木鶴、我都、喜雀の十三名と入替へ。

◇大津大黒座 二十一日から大阪桂派林家染之助一行の落語。

大正10528日 香川新報

高松劇場 高松劇場二十八日から京阪落語反対派若手連桂桃太郎一座開演。演芸番組は左の通り

東京柳派の花形中の花形落語家(桂小團冶)将来有望の青年落語家(桂延二郎)当派の古参滑稽落語芸の虫(桂圓冶)少年落語家稀有の麒麟児(桂小文字)家元一流の新内節と三弦曲引(桂家三木松)生粋の江戸っ子灰汁抜せる落語大家(立花家圓好)時事笑話と独特の新案珍芸(三柳家小鍋)音曲と舞踊得意の出雲踊(桂門三郎)手に汗を握らす冒険身体運動(中華民国少年夏雲忠、夏雲清)当派の幹部落語舞踊の名手(桂桃太郎)

大正10529 京都日日新聞

<社会主義の橘家蔵之助> 

◇演芸当座帳 蔵之助の気焔 江戸つ児会に出演している通名社会主義で通る芦辺館の橘家蔵之助、彼れは天ツ晴なる腕利であるが、その気焔も可なり熱が高い。まづ彼の常に口にする処を聞くと「我等に若し言論の自由を与へたならば」と時には悲憤している事もあるが、言論の自由を与へなくとも彼は相当の勝手な熱を吹いている。一等社会を風刺しているのが浪花節であるが、その文中に医学博士と肩書のある名医でも肺結核でしぬとか、或はこの頃流行の猫イラズの自殺者はその臨終の時には大方キヤツト云ふて死ぬであらうなどゝ、寸鉄殺人の警句があり、流石に新聞記者出身の落語、若し落語内閣でも出来れば彼れは天ツ晴なる総理大臣にしてもよい位の男だ。江戸ツ児丈けに気が短く、二三日前も電車の中で隣席のハイカラ美人が横暴を極めたとかで公衆の中でその婦人をトッチめたと云ふ珍談もある。

大正10531日 大阪朝日新聞

<華柳、六代目柳枝、四代目小柳枝三人改名披露会>

◇南地花月亭及北新地、松島両花月亭 五月三十一日より連夜、東京落語組合取締柳枝が今度自分門下の人気者小柳枝、柏枝の改名披露興行として其他十数名を引き連れ、その改名は柳枝改め華柳、小柳枝改六代目柳枝、柏枝改四代目小柳枝で、尚同派の人気者より補助としてざこば、小文枝、円太郎、枝雀、米団治、千橘等出演。歌沢寅派の寅満喜、寅由喜及新潟芸妓一行十名も加はる。
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大正1061日 『寄席』第七号

◇「寄席見がき」(河野紫光)

 …所作、舞踊(おどり)だが、皆、落語(はなし)や歌の後で踊るので、時々、何処かゝら引つ張つて来る(中略)寄席の高座には附き物であつたのだが、然し、高座の踊の器用で、寄席の踊に適してゐるのは、何(ど)うしても大阪の芸人に止めをさすと云ひたい。尤も東京にも、可なり踊を売物にしてゐる人は多い。就中江戸前の、あつさりと軽い舞踊(おどり)は京阪の人は到底及ばぬところもある。大看板では、何と云つても助六が旨い。此の人、何うだい旨からうと云つた風に踊るやうに見えるので、客の反感を買ふ為か、ひどくケナす人があるが、旨いには旨い。滅(めっ)たに演(や)らぬが円馬の踊も頂ける。今は会社と睦派に分れて居るが、鯉かんと米蔵との深川やかっぽれ、何時(いつ)も嬉しい。小柳枝は小供の時からの天才である。柳枝、小団治や円幸のサノサ節の馬鹿々々しい踊も筆者(ぼく)は好きだ。まだ若い男だが、大阪から来てゐる染団治といふ男、何処か助六の舞踊(おどり)に似た処のある、軽い踊で、而も賑かな、京阪一流の、吹よせ踊りや、ステテコは、素敵に、手の入つて、見た目が面白い。女芸人の舞踊(おどり)は、芸者の舞踊以外に出てゐるものは今の処一人もないから評に須(もち)ゐぬ。

◇「大阪から」(五月十八日夜・大森勝)

今月の落語界は賑やかでした。円右、小円右、右女助、伊東痴遊等が反対派へ、円蔵、巴屋寅子、釈の英昌等が三友派へ、共々陣容をとゝのへて競争の火の手をあげました。反対派の松島花月席が改築した第一回興行と共に、競争席たる文芸館が出雲安来節に変りましたので、南と西の競争だつたのが南地だけになりました。兎も角十日間でも円右の話を聞いて心持がせい〳〵しました。南地では初晩から打込むと同時に満員と云ふ有様で、初晩には円右は「五人廻し」と声がかゝつて、まくらを充分聞かせてから話をやりました。五日に痴遊、円右二人会、八日に円右会をやつて、十一日から神戸へ三日間出演しました。円右と入れ変つて今輔がまゐりました。右女助は残つて大阪の扇枝と共に御題話なぞやつて居ります。即席話が得意の扇枝に右女助が駄洒落に詰つて来るところなど非常に御愛嬌になつて居ます。それから常磐津の三喜之助が唄ひながらチラ〳〵と色目を寄席に投げてニヤ〳〵と笑つて居ます。二十二日には右女助会を南地でやります。こちらの落語界は三派に別れて居りますが、今は反対派の独舞台の体であります。

◇「神戸から」(十四日・水つばめ)

十三日正午から当地千代之座に於て円右師独演会。夜席とは違つて好い客すじ、二階を除けばざつと畳の目をかくす位だ。右女助、小円右の二人が中に挟つて補助してゐる。文七元結に富久、それから忠臣蔵の三席だ。前晩には宗悦殺しや唐茄子屋などを演つてゐる。(以下略)

◇「京都から」(京都にて五月十六日・米生)

…当地なり大阪にも東京より毎月連中の替りたるが来る度に、其れを楽しみ各派各席にまゐり候。当地落語界の様子を一寸「キイタマヽ、ミタマヽ」をお話し申すべく候。当京都も落語定席の高等席ヤハリ新京極通りに蘆辺館(三友派)と岡田派の反対派の席富貴亭が有る。外に七八軒にて、蘆辺館の方十五日より橘家円蔵、万橘、巴家寅子一連に大阪の蔵ノ助、円坊外一連の江戸ッ子会にて人気を取り、反対派富貴亭の方は此の春吉本派より別れた大阪反対派の元祖とも云ふべき岡田の息子を太夫元としたる所謂岡田派の反対派は枝太郎、円笑、文之助外百五六十名の上に大阪の三友派より上置きとして先月より三遊亭円子と音曲噺しの三遊亭しん蔵が来り居り候。当十五日が先代岡田の一週忌(ママ:『寄席』第八号「京都から」参照)にて十五十六日の両日正十一時より右富貴亭、笑福亭に於て賑々しく追善興行を行ひ候。小生も一寸参り候へども、何分デカタ大勢にて、落語家の顔を見に行くやうなものにて、一人の高座が五分くらいにて候ひし。中に円子、かしく、しん蔵が眼に立つ位にて候。客も沢山に入り、先づ〳〵此の派は無事に生長すべく候。大阪三友派がダン〳〵席を失ひ、南地の紅梅亭が一軒残り、三友派の名を守り居る由に候。

◇「お仲いり」(大阪にて・落語狂史)

大阪はまだ都々逸をよしこのといつてゐる人が多い。大津絵にでもトッチリトンにでも此三種に一々太鼓が這入る。此又太鼓が満足に入れられなければ入レ込ミ(前座の事を云ふ)も一人前ではないとはイヤハヤ。マヅ東京で此都々逸、大津絵、とっちりとんに太鼓抔を入れたら無論大かすを喰ふ。そこに関東と関西のかはつた気分があるので、第一大阪では話の落へ来ると、其度毎に三味線の方で受けて鳴ものが這入る。実にいやな心もちになる。総体に何んといつてもする事が臭い。夫だから長く大阪に居たら落語でも何芸人でもねばり気が出てくる。仲入がモタレだ。東京なら喰過ぎの事。

上方落語史料集成 大正10年(1921)6月

大正106月 大阪の寄席案内

◇三友派 

 一日より各席へ円子、松鶴、遊三、染丸、三木助、馬生、おもちや、円馬、円枝、円、蔵の助、花橘、阿波
  踊、安来節。【下図参照】

 十一日より各席にて阿波踊、安来節、音曲(ハレー)美術紙切(おもちや)その他同派幹部連総出演

二十一日より各席へ新加入安来節鰌すくひ出雲いと一行、音曲入茶番巴家寅子一派。

◇吉本花月派

五日正午より南地花月亭にて華柳、柳枝、小柳枝三人会。

十一日より南地花月亭にて春風亭改名披露興行。華柳、柳枝、小柳枝引続き出演。【下図参照】

十九日正午より南地花月亭にて第三回落語研究会。番組は伊勢詣(せんば)百人一首(木鶴)くしやみ講釈
 (菊団治)源平(夢の助)住吉駕(五郎)明烏(小柳枝)歌沢(寅由喜、寅満喜)孝子の誉れ(ざこば)田
  能久(千橘)三人片輪(円遊)

大正1061日より

◇南地紅梅亭興行案内絵葉書

大正10年 002

浪花三友派 當る六月一日より連夜

徳島芸妓連阿波踊数名 初の御目見得 出雲名物安来節鰌すくひ 男女合同数名 

阿波おどり芸妓連静子、小遊、小舟、未千代、小楽、お玉、幇間連一楽亭一○、新庄家遊輔/安来節連青山君□、高砂家〆吉、高砂家紫め六、石塚秋雄、吉田茂、川上市太郎 

従前通り当派全員出演の外久方振りにて金原亭馬生、美術紙切細工巴家おもちや外交代連数名出演して大平□に開演いたし候

〈編者註〉「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12

年)より転載。

大正1061日 神戸新聞

[広告]當る六月一日毎夕五時開演/特別大興行 大阪落語大一座/桂家残月 三升家紋右衛門 常盤津文字栄 桐家福助 立花家喬之助 東洋一郎 菅旭勝 桂扇枝 露の五郎 立花家千橘/今回大喜利として紋右衛門得意の若柳流所作事 ▽三社祭▽勢獅子▽釣り女 △風流深川踊り清元連中常盤津連出演全員総出大道具にて御高覧に供し候/樋口興行部 神戸劇場スキャン0003

[広告]當ル六月一日より午後五時開演/(新加入出演者) 三友派幹部三遊亭圓子 東京講談界大家小金井蘆洲 江戸生粋巴家寅子一行 新開地千代之座 外各席連夜出演

大正1061日 都新聞

<桂春團治の上京>

[広告]大阪の落語交替連(次第不同) 桂春團治 橘家勝太郎 桂文團治 久々の帰京三遊亭圓歌 奇妙な足の運動亀鶴/右本月の交代出演として東上仕候不相変御贔屓御引立の程伏而希上候/東京落語睦會

グラフィックス3

[広告]新むつみ派東西落語會合同各席之部/[お知らせ]今回より新に長唄長振會連中加入、又最新式活動写真を上映、尚桂三木助、立花家扇遊上京、又月の家圓鏡、柳家東蔵帰京出演、小金井芦洲は神戸千代之座出演。神戸中儉芸妓一行十名出演、開港五十年記念の祝賀踊を演じます/京橋金沢亭 芝琴平亭 四谷喜よし 神田川竹亭

大正10610 京都日日新聞

<芦辺館を覗く>

◇八日芦辺館に落語を聴く。川柳の「コツサイ」益々円熟して面白く、円坊のかけ取は染丸のうかれの掛取とはそのゆきかたも変つている。余興、都に名所があるわいなの舞も巧に盆を使つて器用な所を見せ、南洋の蝙蝠に至つては、人生落語家たる事、又、並大抵でなしと思ふ。遊三はお客様からお好みとあつて「三人かたわ」をやる。嫌味の遊三、はなしは手に入つたものなり。殊に三人かたわは十八番もの丈けに面白い。大切は楽屋総出に一口問答の突貫、「昨日行つても千日前とはこれ如何に」とお客さんが云へば「昨日行つても京極と云ふが如し」と答へ、「音もせぬのに太皷饅頭とはこれ如何に」「夏拵へても□うかんと云ふが如し」の類に大向ふは大喜び。毎晩景品をと云ふ御常連が繰り込んで、それはそれは賑やかな事である。

大正10610 京都日日新聞

◇長久亭 十一日より左記の通り出演。

 喜雀、橘弥、春松、一楽、文紅、三吉、直造、円若、女道楽清子、若竹、菊団治、茶好、半玉、馬琴。

大正10611日より

◇南地花月亭春風亭改名披露興行

大正10年 002

東京落語春風亭改名披露興行 當ル六月十一日より連夜

東京落語睦会幹部小柳枝改め六代目春風亭柳枝久々にて 柳枝改め東京落語組合頭取春風亭華柳おなじみ

滑稽二人曲芸大丸大治郎・民の助初のお目見得 東京落語睦会幹部 柏枝改メ四代目春風亭小柳枝好評にて 歌沢寅派の才媛歌沢寅由喜・寅満喜久方振りにて

出演順:落語鯛六、落語花治、独楽の曲升三、落語扇雀、落語扇枝、落語文雀、落語小文枝、東京落語華柳、音曲噺千橘、落語枝雀、東京落語小柳枝、落語舞五郎、二人曲芸大治郎・民の助、歌沢寅由喜・寅満喜、東京落語柳枝、落語声色振事紋右衛門、音曲踊小円太、東京落語円太郎

南地花月亭 電話南四三八・四一一九番 吉本興行部経営

〈編者註〉『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正10611 京都日日新聞

<京都岡田反対派定席と出演者>

◇反対派定席 落語反対派は六月十一日より定席笑福亭、京極富貴、西陣富貴、千本福の家、大宮泰平館にて各席かけ持廻り。重なる連中は福笑、右之助、君橘、小団次、花丸、さん好、扇太郎、米太郎、氏原、張有利、梅香、歌奴、妻奴、竜生、楽丸、かしく、麦団治、呑州、太郎坊、花団治、太郎坊、四郎坊
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大正10615日 『寄席』第八号

◇「大阪から」(六月五日夜・大森勝)

…当地では五月の末々吉本興行部が関係者一同一千名余で堺大浜で珍妙なる運動会を催しました。

六月は花月席へ華柳、柳枝、小柳枝が改名披露のため東京から乗り込んでまゐりました。外に柳條、柳丸、梅枝、川柳、小柳三に大丸の大次郎、民之助が見えました。そして花々しく改名の披露を致しました。それに対して三友派の紅梅亭は新らしく入社した馬生と二ヶ月振りの円馬が下阪して出演して居ます。余興として花月は佐渡の芸妓七名が甚句や踊りをやり、紅梅は阿波の徳島の芸妓や幇間が阿波踊りをやつて居ますが、これは阿波踊りの方が受けて居ます。それから花月には歌沢の寅由喜・寅満喜の二人が出演して美音を聞かせて居ます。

兎に角大阪には珍らしい東京落語の多い所謂東京式の高座を見せて居ます。柳枝、小柳枝に注文するのに矢張り而も野ざらしだの風呂番が多いやうです。小柳枝が真打の南地花月席は大切として滑稽四段返しをやつて居ますが、中でも「ホトヽギス」の不動堂の別れで川柳が禿頭を風呂敷から出して月に見たてたのなぞは秀逸でした。

東西交代として文団治、春団治が上京しましたが、文団治は仲々纏つた話をやる老功な落語家です。外に枝雀、此の人も味のある話をやります。なか〳〵陽気な芸人で、二十年前も今もあまり変らないと云ふ元気な老人です。それから三友派の松鶴、この人が大阪落語の古顔で又好い落語家です。

◇「京都から」(二年阪の人)

米生君の御報告(編者註:第七号「京都から」)の補遺として一寸申上げ升が、京都の落語席は元祖反対派の岡田系が尤も多く、新京極の富貴亭に笑福亭、西陣の富貴亭、千本の福の家と大宮の泰平館に本町の富士の家の六席、三友派は新京極の蘆辺館と堀川の春日亭、吉本派が千本に一席(編者註:長久亭)。

 元祖反対派は京都に常住の落語家多き故に京都の発展著(いちじるし)く、弥々六月興行より某侠客の肝煎にて故人の岡田の次男を二代目太夫元として擁護者夫々役員を選定して確固たる基礎を作れり。

 又笑福亭の追善会は故人岡田の追善ではなく、同人の一周忌は去三月十六日枚岡の梅林で吉例の運動会を兼ねて盛に営みましたが、笑福亭のは故人の片腕と成つた同派の大勘定古家後伝吉氏墓碑建立の会で御座い升。先々京都は元祖反対派の世界らしく見受け升。

〈編者註〉古家後伝吉は反対派京都出張所主任を勤めた人。大正九年五月十六日没。なお反対派元祖岡田政太郎は大正九年十二月七日没。現東大阪市枚岡神社で営んだのは一周忌ではなく百箇日の法要であろう。政太郎の生地は現東大阪市池島である。

◇「お仲いり」(江戸っ子生)

 一日の夜、神戸の新開地千代の座へ入つて見た。客はぎつしり、東と西のさじきの上に出演順が掛けてあつた。七分通りすんで居た。初御見得の小金井蘆洲があがつて居た。鼠小僧を演つて居た。相恋の江戸っ子口調、老いて益々盛んな人、面白く聴いた。次が巴家寅子一座、松太郎に丸井、愛の助三人の滑稽曲芸、十分に御機嫌を取つた後へ桂春輔、此人は弁がたっしゃにまかせてまくらで降りる。其の後が東京の五明楼春輔、此人林家正雀の時より多少芸も上つた。林家正蔵の一番弟子とか、今かんじんの所、もう一倍勉強したらよからう。『名前は御当地の春輔師と同じでも芸は競べ物になりません』と卑下してゐたのは感心〳〵。早く真打になり給へ。不及乍(およばずなが)ら後援するヨ。君は何時迄も声色をやつて居るのが能ぢゃないぜ。小倉新次郎君(本名)しつかり頼むぜ。

◇「神戸の落語家」(神戸奈美雄)

神戸の落語家(はなしか)の近況をお紹介(しらせ)致します。

桂春輔 一名黒の春輔と仇名の有る名物男、客や楽屋内の悪口ばかりがお得意で、春輔の悪口といへば名高いものです。下劣な毒々しい話ぶりですけど、当地では古顔で、一寸好い部です。地震加藤、あみだが池等好く聞かせます。黒ん坊でも一寸侠(いき)な身体(からだ)付きなので、大分女も有る様子、一度食い付いたら裸に……この位にして置かうかね。

桂米昇 春輔に次いで当地の古参株一名出歯の米昇と申します。ネチ々々した、純大阪式の話口で、達者なものです。が聞く人に依つて嫌らひます。うなぎや、反魂香等には一寸捨てがたい味が有ります。

橘円天坊 古いので前二人に劣らぬ男で、落語家特有の珍妙な顔の所有者です。したがつて女の子にはあまり持てませんが、色気のない無邪気な所が学生、商人の客に大受けで、目玉の円天坊と云へば大した人気者です。時々立上つてずぼらや綱上(編者註:綱七の誤記)位は提供して愛嬌を添えて居ります。

橘円都 仇名を重箱と云ひます。その如く四角い顔の男、やはり古顔の一人です。達者な所が取柄で二成り、天神等が得意です。度々聞かされてもいやにならないのはやはり好い所があるのでせう。この人の女房は三宮の御代の座と云ふ席の三味線(げざ)引で、三宮を終つた女房と二人で家に帰る円満な姿を時々電車内で見掛けます。

林家正楽 もう大分好い年ですが、大ていの月は当地に出演してゐます。何と云つても古いだけあつて話はこの人が一番達者なものです。鉄砲勇助だとか味噌屋の何とか云ふ話なぞ、この人に及ぶ者はありません。其の割合に人気は有りませんけれど、真の落語を聞くなら此の人位のものです。

桂三木助 この人は当地よりも大阪、東京の方面へ出てゐる事が多い様です。鼻は少々大き過ぎますが、すつきりとした上品な男で、踊では当地でも第一人者と目されて居ります。話もおとなしい江戸弁で、落付いた芸を持つて居ますし、扇(せんす)の使ひ分けは全くうまいものです。連獅子とか三社祭とか、長唄物でも清元物でも奇麗に踊ります。当地の前座は大ていこの人の弟子と云つても好い位です。

林家歌路 偉大な頭につり合ひの取れない身体、珍妙々なスタイルでヒョコ〳〵と高座へ上ると、イヨー大文字家、文学士、歌ちゃん等と盛んな声掛。それ程歌路は当地の人気者です。芸といつては格別ないのですが、感心に器用な男で、少し学問の有るのを売物に、新しい事をしゃべるので、只今ではなくてはならぬ名物男に成つてしまいました。天高く馬肥え燈火相親むべきの候、秋は紅葉のシイズンです、なんて始め出し、やれローマンスの、ヒステリカルのと随分面白い事を云ひます。それにこの男の幸な事には滅法界の好いのどを持つてゐて、都々逸、二上り、三下り、昨年あたりは流行の安来節まで唄つたり踊つたりするので、当地の客には大もてです。頭が大きいのでらっきょと云ふ仇名が付いてゐます。兎も角一風変つた面白い先生です。

信濃屋小半 軽口専門ですが踊も上手ですし、芝居をさせたら中々名人。落語家の小半と云へば、あゝあの女たらしの小半かと云ふ位小半の女たらしは名高いものです。又好い男ですから無理もありません。若い芸者に小半ちゃんきらいよなんて云ふのがあつたら、それはきつと一度関係(かかり)あつて捨てられた妓(おんな)だと思へば間違ひのない位です。落語家には珍らしい好い男です。

林家染五郎 好男子小半兄(あん)ちゃんの片相手、これは又小さいので好く知られてゐます。小半はすらりとした痩高い男、染五郎はその半分位かないでせう。いつもつまらない役にばかりにまはされてゐますが、小半の相手としてはなくてはならぬ男です。仇名をチビの升さんと申します(元の名が三升、改名して染五郎です)。

橘太郎 十一二才の時から三郎と云つた今の菊蔵と一所に可愛い姿を高座に表はして、唄つたり踊つたり、それは〳〵可愛かつたものです。只今では二十才か二十一位に成るでせう。女にして見たい様な奇麗な顔を持つて居ります。十五六の頃からあまり人気が有りすぎたのでか、一寸横道へそれて、思つたよりも好くなりませんでした。この頃では三木助の踊と落語をすつかりまねて、悪い所ばかり取つてる様に見へます。女が沢山出来過ぎた為に芸が上達しない等と男の客は云つてゐますが、奇麗所の若い姉さん方は太郎ちゃん好うならはつたなどと喜んでゐます。色男にはなりたいものです。

橘菊蔵 太郎とは反対に男に好かれる芸風を持つた男で、太郎よりも進境が見へてゐると評されて居ります。踊も近頃はめつきり達者になつて、真自目[真面目]な芸は一般に見とめ[認め]られて参りました。

橘円如 昨年の十月頃から当地の定連の中へ現はれた音曲ばなしで、細い声だが全く好いのどを持つてゐます。お目見得当座の深川くづしへ松井須磨子のカルメンを唄ひこんだ変な踊が人気になつて、今では仲々馬鹿にならぬ人気者です。一つは男つぷりの好い為に芸妓衆にさわがれるのもあるでせうが、唄と云へば円如と云はれる位売出して居ります。

他にも沢山当地の連中は有りますが、あまり感心しないのばかりです。当地の寄席は新開地の千代の座、三宮の御代の座、生田前のえびす座と三つきりで、右の連中の仲へ二三の真打ち株を大坂、東京から入れて目先きの変つた清元、新内、安来ぶし、八木おどり等の色物を加えて興行して居ります。一番新しいのは千代の座で、一寸落語の寄席には惜しい設備がして有ます。入場料は特等一円二十銭、一等九十銭で、其他で一人(ひとりまえ)三円五十銭はかゝる様です。
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大正10615 京都日日新聞

<桂三八の時局落語>

◇時局落語で人気を出している芦辺館の三八は、最近の宝塚郵便局長の横領事件をチヤンと仕組んで講演している。新機軸を出す事の少い落語界に新落語は必要であり、一面に古いネタを保存する事も必要だ。世渡りは六ケしい。

大正10620日 九州日報

◇川丈座(博多) 今廿日から大阪反対派青年落語開演。一行の顔触及演芸種目左の如し。

落語(圓治)少年落語(小文字)新内節(三木松)東京噺(圓好)珍芸(小鍋)落語手踊(門三郎)身体運動(夏雲忠)落語舞(桃太郎)

<編者註>桃太郎一座の番組は、下記の通り。尚、小鍋は後の花月亭九里丸。

621日:御祝儀(福笑)小倉船二人浦島(延二郎)寄合酒(小染)しきり違い(圓治)豊竹屋(小文字)新内千両幟(三木松)悋気の独楽(圓好)珍劇不如帰(小鍋)音曲大文字屋鰌すくい(門三郎)冒険的身体運動(支那人)大丸騒動(桃太郎)

622日:御祝儀落語(福笑)高宮川天狗の酒宴(延二郎)辻占茶屋四ツ橋心中(小染)百人坊主勝負の魁(圓治)稽古屋(小文字)新内明烏夢泡雪(三木松)源平穴探し(圓好)珍芸百種(小鍋)音曲手踊(門三郎)冒険的身体運動(共和民支那少年)天下一品浮れて屑より(桃太郎)

623日:御祝儀落語(福笑)地獄八景(延二郎)大阪名物野崎詣(小染)虱茶屋(圓治)いらち俥(小文字)新内お駒才三(三木松)西行墨塗の由来(圓好)滑稽連鎖劇(小鍋)音曲手踊(門三郎)冒険的身体運動(中華民支那人)天神山狐の子別れ(桃太郎)

624日:三人旅浮れの尼買い(延二郎)猫の忠信(小染)足上り(圓治)鰻屋(小文字)新内傾城三度笠曲引(三木松)星野屋(圓好)珍芸汽車の窓から(小鍋)音曲手踊(門三郎)冒険的身体運動(夏雲忠)忠義の正夢(桃太郎)

625日:小言幸兵衛(圓好)珍芸(小鍋)曲芸(支那人)寄合酒(門三郎)景清(桃太郎)

大正10622 京都日日新聞

◇落語(岡田)反対派 二十一日より各館の出演順左の如し。

 △富貴 歌蝶、右之助、歌遊、柳丈、枝雁、太郎、金の助、かほる、梅生、円歌、中華民、円瓢、小かめ、おかめ、枝太郎、福徳、源朝。

 △笑福 福笑、福之助、枝右衛門、文太郎、志ん鏡、楽丸、さん好、扇太郎、輔力、円笑、支那人、麦団治、百魚、十郎、五郎、助六、天賞、小賞。

 △泰平 文里、金の助、円歌、小かめ、おかめ、円笑、中華民、麦団治、福徳、福来、志ん鏡、楽丸、枝雁、かほる、竜生、支那人、円瓢。

 △福の家 梅鴬、さん好、扇太郎、源朝、助六、十郎、五郎、枝右衛門、白魚、竜生、天賞、小賞、金の助、輔力、志ん鏡、円歌、中華民。

 △西富貴 八百三、かほる、輔力、張有利、円瓢、歌遊、柳丈、小かめ、おかめ、太郎、助六、源朝、梅生、円笑、楽丸、麦団治。

◇長久亭(吉本反対派席) 二十一日よりの出演順。

 春造、三木坊、文喬、天楽、福団治、染八、星出、夢の助、扇枝、千橘、千代春、寶団治。

大正10623日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/當る七月一日より開演/京阪落語三遊亭門左衛門其他廿余名の大一座 女道楽、義太夫、手踊、音曲外諸芸あり。

大正10626日 大阪毎日新聞

○突飛な高い芝居の観覧料 

(前略)序でに道頓堀以外の木戸銭の一二を記して見ると、御霊文楽座の桟敷が二人詰一場六十銭、出孫二人詰四十五銭、追込四銭五厘、立見一銭といふ相場。いろ物の席は、大抵が三銭、蒲団が五厘で、先々代の奥眼の為に塩鯛と綽名の文団治が桂派を脱走して、今の所謂反対派同様の一派を形造つて、競争の火蓋を切つた時の木戸が五厘下げの二銭五厘で、大車輪に働いたものだ。法善寺の講釈席が一銭、夜席が二銭、ソレで石川一口、玉田玉芳斎の手合が出演していた。コレと違つて今なら何々の独演会とでも云ひさうな御霊裏門、今の天寅の北へ東京講釈場が出来て、泥棒伯円の名ある名人松林伯円、邑井一、桃川如燕が出演して人気を沸かしても、木戸銭は六銭であつた。錦影絵は大人一銭小人五厘といふ処…(後略)。

大正10626 京都日日新聞

読者招待大演芸会・六月二十四日・岡崎公会堂>

◇満堂人に埋まつた大演芸会 …芦辺館の小はん君は得意の新派俳優の物真似、京都座の都築文男、大阪楽天地の五味国太郎など眼前にその人を髣髴せしめたり。次で新内弾語りの吾妻クンは「明がらす」の一くさり、浦里時次郎の情緒纏綿たる恋物語を頗るデリケートなる節調にて満場に感動を与へたり。…軽口の一円クンと鶴蔵クンは太皷まはしで満場幾千見物の顎を解かしめた。…大切には芦辺館総出の軽業、一馬クン、三八クン、枝女太クン、ぜん馬クン、三代松クン、白鶴クンなど、中にも一馬クンの足芸、小はんクンの曲乗小僧、三八クンの口上云ひ、枝女太クンの二枚盆などは見物大喜び。…夜の部…先づ双馬クンの音曲に始まつて、三代松クンの落語、小はんクンの物真似と舞踊、三八クンの時局談、天星クンの奇術、枝女太クンの手踊り、一円、鶴蔵クンの軽口は例に依つて大喝采…。
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大正1071日 『寄席』第九号

◇「大阪から」(六月二十日夜・大森勝)

…南地花月亭の木戸を入りました。落付いた空気が場内に充ちて居ました。扇風機の音が心持好く聞こえました。高座には露の五郎が「富士の狩屋」を踊つて居ました。表の空気と下座のひく三味の音から出る気分と一致して尚一さう落付いた心持になりました。此夜小柳枝は「小言幸兵衛」をやつて、後で滑稽問答をやりましたが、大阪では珍らしいと見えて一寸問ひ掛けるものもありませんでしたが、前の方に居た洋服さんが「大関の内へ来ても戸籍取りとはこれ如何に」とやりました。答「立つて居てもおまありさんと云ふが如し」。華柳は「酢豆腐」の頭の方をやりました。羽織をぬいで入る時、腰に差した煙草入が何んとなし目につきました。柳枝は「桃太郎」をデレリポチーッと話したが、後の紋右衛門が見えないので「ジクホメ」を少しヤリました。円太郎は「天災」、此の人の此の話は随分聞く。春風亭改名興行は二十日で終り、来月は交代として千橘か紋右衛門が上京するでせう。

 三友派は馬生、円馬にハレーと云ふ異人の音曲。三友派の分派と云ふやうな大八会と云ふのがありますが、主として場末に席が多く、新世界なぞは木戸二十銭、演じる事は安来節、手踊り、義太夫、奇術、名古屋万歳と、そのあいまに落語があると云ふやうな万人向きのする民衆娯楽の優なるものなのだらうと思ひます。出雲安来節も一寸下火になつて来たやうですが、それでなか〳〵千日前の安来節の席なぞは金のあがる事に置いて色物席中で第一位ださうです。

 呂昇一座が三友派の席、松島文芸館へ出演して居ますが、寄席で聞くのは東京から来た身に珍らしく思はれました。

◇お仲いり(芝喜代志)

 チョイとお仲入の中へッ込んで[突っ込んで]頂くとして、さて古渡先生、先生の大嫌いな金ピカの代表的人物と云ひたひ様な奴を此の間恵知十で見て来ました。余人ならず大阪上りの春団治其の人デス。口中の金歯は申すも更なり、右手に金の腕時計、左手に金の腕輪、左右の指に各一個宛ヤケにでつかい金指輪、オット未だ有る、巾広の角帯に巻き付けた金グサリに金時計、此れで時計は〆て二個だ。まるで時の宣伝にでも来た様だ。オマケに羽織の紐迄金とキタ。其れで御当人様は五十面さげて納まり返つて居るんだからナアー、情けネェ。先生、御参考迄に横浜迄見物に出掛けチヤァ。

上方落語史料集成 大正10年(1921)7月

大正107月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より各席へ鰌すくひ川上一行、奇術正光、音曲手踊かつ子、梅子、徳子、江差追分おぢやれ踊太田家一
  行。

◇吉本花月派

 一日より柳家三語楼、新橋幇間桜川長寿、正竜斎南窓、高松名物屋島踊高松芸妓連、本場安来節鰌すくひ出雲芸妓連、文団治、春団治、円歌その他同派幹部連全員出演。

 十日正午より南地花月亭にて柳家三語楼、桜川長寿二人会。「穴どろ」「高尾」「禁酒会」(三語楼)、声
  色と珍芸(長寿)。

十七日正午より南地法善寺花月亭にて柳家三語楼独演会。雑話、くせ、芝浜、専売芸妓。

二十一日より南地花月亭にて最新式活動写真応用連鎖鰌すくひ出雲芸妓連出演。柳家三語楼も引続出演。

二十一日より北新地花月倶楽部 松島花月亭にて高松若柳屋島踊高松芸妓連、柳家三語楼も引続出演。

大正1071

◇反対派の岡田政雄、席亭及び興行権を吉本興行部に譲渡する。

〈編者註〉この年二月、吉本興行部が故岡田政太郎に代り反対派を統御するにあたり、京都の噺家が遺児岡田政雄を支持して元祖反対派を組織し、吉本に対抗したが、七月一日、岡田政雄は席亭及び興行権を吉本に譲渡した。ここに反対派はすべて吉本の支配することとなり、枝太郎、柳丈、桃太郎、助六、龍生ら吉本に反旗を翻した連中のほとんどが吉本の傘下に入ったが、円笑、福松らはどうしても軍門に下ることを嫌った連中十数名は、かつてのライバル三友派の門をたたき、十五日より芦辺館に合流した。

大正1071日 神戸新聞スキャン0001

[広告]當ル七月一日ヨリ連夜 特別興行/三遊亭圓馬 桂三木助 伊藤痴遊 外若手連新加入者多数/新開地千代之座 三ノ宮御代之座

大正1071日 都新聞

[広告]新むつみ會東西落語會合同各席

◆本郷鈴本 亀之助、龍玉、うぐいす/チャプリン、圓鏡、阿波踊、小圓遊、助平、扇太郎、奎水、文三、張玉福、〆松/〆太、圓璃、歌蝶/團蝶、歌奴

◆両国二洲亭 武生、日本太郎、圓治郎、筑鮮、歌奴、天長、岩てこ、三福、燕柳、都枝、活動写真、有村、圓洲、橘之助、亀之助/亀の子、龍玉

◆本所押上亭 月松、張玉福、扇太郎、京昇、有村、歌蝶/團蝶、武生、圓治郎、松玉、三木蔵、圓きん、新朝、絹代、若輔、歌楽、燕柳

◆四谷喜よし 三福、若輔、紀伊國や、さん冶、都枝、猫八、市馬、正英/正風、小南、駒國、寅子、歌女吉、文三、小菊/栄三郎、むらく、日本太郎

◆江戸川鈴本 都枝、正風、市馬、圓洲、圓きん、橘之助、龍玉、寅子、圓鏡、猫八、武生、日本太郎、扇太郎、奎水、三木蔵、〆松/〆太、蝠丸

◆芝琴平亭 新朝、猫八、歌楽、寿々馬、張貴川、圓昇、紀伊國や、さん冶、歌女吉、市馬、正風、うぐいす/チャップリン、小南、駒太夫/豊造、天長、圓子

◆浅草萬盛館(昼夜開演) 張貴田、歌輔、猫八、若輔、松玉、絹代、圓幸、小圓遊、歌楽、談志、寅子、小菊栄三郎、歌奴、張玉福、左喜丸、圓子、燕柳、弥次郎兵衛、蝠丸、うぐいすチャップリン、寿々馬、天長、圓次郎、〆松〆太、歌楽團蝶、筑鮮、都枝、阿波踊、岩てこ

◆人形町鈴本 歌奴、天長、燕柳、蝠丸、歌楽、駒太夫豊造、扇三、圓洲、亀の助亀の子、龍玉、紀伊國や、圓鏡、活動写真、小ゑん、張貴田、小南、阿波踊

◆神田入道館 有村、扇三、弥次郎兵衛、馬之助、亀の助、新朝、日本太郎、うぐいすチャップリン、阿波踊、圓璃、ジョンベール、駒太夫豊造、助平、むらく、談志、張玉福、さん冶

◆深川常磐亭 三木蔵、歌蝶團蝶、春三、歌女吉、談志、活動写真、筑鮮、むらく、圓幸、扇三、張貴田、都太夫、圓昇、紀伊國や、圓鏡、うぐいすチャップリン

大正1072 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇大津大黒座 一日より新京極笑福亭引越しの反対派落語。

大正1072日 山陽新報

大福座 東京大阪落語歌舞演芸會二代目三遊亭若遊三、一日より開演して居る

落語音曲(三子)歌舞音曲(遊光)落語珍芸(みさほ)落語手踊り(橘弥)音曲落語(圓輔)落語珍芸(團次)現代奇術曲芸(イルマン)音曲はなし(遊團次)落語扇舞(若遊三)

大正1073 大阪毎日新聞

◇[広告]當ル七月一日ヨリ連夜 特別大興行

大正10年 006

高松屋島踊高松芸妓連、講談界ノ泰斗昇竜斎南窓、新ばし幇間桜和川長寿、東京寄席演芸会社幹部柳家三語楼、安来節鰌掬ひ出雲芸妓連

出演席福島花月亭、松島花月、京町堀京三倶楽部、北新地花月倶楽部、南地花月亭

大正1073 京都日日新聞

<芦辺館を覗く>

◇当月の芦辺館 七月一日から雁首の変つた芦辺館は、とん馬、塩鯛、内蔵之助と云ふ精鋭を迎へている。地味な川柳の「子は鎹」が益々円熟して行くのを認めると、あとは塩鯛が例の花やかな調子で客の顎の懸金を外させている。殊に湯棺の睾丸に至つてはお腹の痛くなる位笑はされた。とん馬は癖のはなしをしたが、それよりは「春さめ」の舞の方が一等すぐれていた。三八は例によつて時局もの、九州の水害から、忠助の判決其他あらゆる時事の新聞記事を巧に取り入れて一人儲けている。内蔵之助は歯切れのよい江戸弁で「いろ懴悔」の一節は、田舎出の巡査上りの描写が最も傑出していた。要するに今度の取り合せ配合が頗る妙に出来ている点に於て前月より勝つている。

大正10715 京都日日新聞

◇納涼演芸会 芦辺館では十五日より左記の通り出演する。

交替連円、残月楼、万治、円天坊。福派連円笑、福松、円歌、扇太郎、歌遊。新加入氏原一、源朝、円司、雀
 輔。

大正10715 京都日日新聞

◇三友派に合併 落語界に反対派と云ふものが成立して以来三友派から反対派に走つたものは可なり多い様であつた。昨年反対派の大夫元岡田氏の没後に於て反対派の内部には統一を欠くものがあつた為めか、今度大阪の吉本興行部に全部を委任して仕舞ふ事となつた。が、本年春頃反対派の中で京都側で結束した連中のみは今度の吉本興行部の祿を食むことは男として出来ない、そこでいよ〳〵円満に解決して十五日から三友派に合併する事となつた為め、珍らしい大一座が出来上つて、芦辺館では十五日から納涼大演芸会を開く事となつた。生蕃踊、娘なぞかけ、安来節、鰌すくひなど夏向として肩の凝らぬ演芸を列べて御機嫌を伺ふさうである。出演者約三十人にも上ると云ふ大一座、それで盛沢山な処を見せやうとの苦心。返り咲の連中と鎬を削つて人気投票までやると云ふ素晴らしい意気込。三友派全盛に向ふ機運が来たらしい。
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大正10715日 『寄席』第十号

◇「大阪から」(七月五日・大森勝)

 …花月派へ珍らしくも三語楼が来ました。独特の現代式落語で大受けです。それから「さうでござんして」を連発する釈の南窓が見えました。一寸大阪の人の耳に分りにくさうに身受けました。それにおなじみの桜川長寿がおなじみの事をやつて受けて居る。余興に高松芸妓の屋島踊りと云ふ美々しくも物すごいのがあります。三友派はあいかはらずの顔ぶれです。(以下略)

◇「神戸から」(神戸にて・奈美)

 五月の或る夜、新開地の千代の座へ昨夜まで円鏡が出演してゐたのに、今夜からは又四五の顔ぶれが変つてゐる。丁度菊蔵とゐふ可愛い前座の引つこんだ所であつた。客は四分位の入りだ。五明楼春輔といふ札が掛る。オヤ〳〵と思ってゐると、昨年秋お目見得した林家正蔵の門下で正雀といった若いのが今度改名して昨夜より出てゐる。当地には少ない声色をやるので一寸珍らしがられてゐる。河内家と松之助の似顔まで御覧に入れて悪ふざけで引こむと、後が扇遊の尺八、キビ〳〵と軍隊式なので若い客に大分受けてゐる。その次が米昇、当地こげ付きの落語家で、ネチ〳〵といやな口調で二成(ふたな)りを聞かされる。次に現れたのが円天坊、いつもの通りの馬鹿々々しい口調で夜釣りに行くはなしをやる。罪のないだけが取柄だが、なじみがひに人気はある。次の円如と云ふのは女形の様な好い男で音曲専門、いつも変らぬ都々逸に三下り、のどは好いが惜しむべくは腹が薄い。立上って越後獅子を達者に踊る。深川くずしで松井須磨子のカルメンをやって大人気大受け。花橘は易者のはなしで一寸実があった。

 徳島盆踊りの芸者連、チャ〳〵チャラ〳〵〳〵と賑やかな事、のぼせていまひそうだ。後は又しんみりと吾妻と団朝の新内でかさねを聞かしてもらふ。終りの軽口は当地の人気者小半兄ちゃんと長右衛門の小父さん、油やをやって大見得を切る。成駒や〳〵と小半のみつぎを誉る声を後に悲しい様な気持で表へ出た。いやもう色物々々ばかりでこれと思ふ話は一つもきかれない。折角楽しんでゐた花橘まで終りに立上って深川をお舞ひ遊ばすに於ては全く悲かんせざるを得んやだ。昨夜までゐた円鏡、十日頃三日間出演した右女助、円右、小円遊が今更ながら恋しくなった。(以下略)
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大正10715 京都日出新聞 

◇芦辺館 十五日より交代出順左の如し。

 円、残月樓、万治、円天坊、円笑、福松、円歌、扇太郎、歌遊、氏原一、源朝、円司、雀輔。

大正10717 京都日日新聞

◇問題劇の統一方針 桂三八が落語の定席で大本教事件を落語に脚色んで舞台にかけても其筋はこれを干渉して演ぜしめない。然るに国技館まで来ると山田憲の陪審劇が公然と演ぜられる…京都府の当局の興行に対する取締はいつも解釈に苦しむ様なことがチヨイ〳〵と出て来る。

大正10722 山陽新報

<柳亭左楽一座・岡山大福座>

大福座 好人気の東京落語柳亭左楽一行で二十日より初日を出している五日間限り日延べ毎日午後六時より開演重なる出演者は落語手踊り(三升)落語(文楽)落語音曲手踊り(翫之助)生人形(鶴輔)人情噺(左楽)大切鰌すくい

大正10726 京都日日新聞 

読者招待大演芸会・七月二十四日・岡崎公会堂>

◇白熱化の盛況 演芸大会 

開会の辞に次で芦辺館三次クンの音曲落語に移る。…笑福亭伯鶴クンの落語と得意の蒲団廻しに満場をアツト言はせ、続いて桂州クンの筑前琵琶は新作「湖水渡」、余興として琵琶端唄を弾奏して大好評に迎へらる。…三八クンと円天坊との軽口、二人問答はアノ仁王さんの様な三八クンと円天坊との対照既に妙を極め、満場大喝采。三雀クンの声色は都築、河原、延若、雁治郎、雀右衛門、仁左衛門、五郎とよくあれ迄似せたもの。芦辺館一座総出の「長短かつぽれ」は既に定評のあるもの。枝女太クンは益々円熟する、一馬クンの踊は軽くなる。お次が評判の生蕃踊、ぜん馬クンの口上言ひから頗る妙、川柳、蔵造の土人に至つては本物の土人の方が逃げ出す位の巧妙な変装ぶり、ダンスに至つて鬼も笑はずにはいられぬ。次は源朝クンの「曲独楽」、如何に熟練しているとは云ひ条、あゝ迄巧に独楽を廻せたもの。円歌クンの音曲は得意のものとて大向ふ大喜び。張有利クンの奇術の鮮かな手際に、更に安来節のうまいのは飛んだ儲もの。大切総出の「安来節」鰌すくひは近来の大舞台、三八クンの娘見たゞけで大笑ひ、本人真面目になればなる程面白く、一馬クンの百姓は真に迫つている。唄には円歌、川柳、しん蔵、蔵造の四人が得意の咽喉。枝女太クンは本当の女らしく、其他座員の熱心に見物は大満足。午後五時三十分昼の部を閉会した…。

大正10726日 徳島日々新報

新富座 納涼興行として連日相当の入を見ている東西落語大合同演芸会は本日より全部演芸取替何れも各自十八番を上演すと、因みに入場料は特等四十銭、一等席三十銭の行次第で毎晩六時開演。

大正10727 京都日日新聞

<芦辺館の納涼演芸会・謎かけ> 

◇娘なぞかけ競 芦辺館では納涼演芸会として落語の一つに娘なぞかけをやつている。枝女太、ぜん馬、川柳、一馬、三八、円歌、円天坊などの面々が舞台に雁首を並べてお客様からお題を頂戴する。お客さんからは落語家の娘、新聞記者の娘、花屋の娘、芸者の娘と云ふ風に与へた題に対して立ち処に立板に水の如くに解いて行く。その手際でない、口際の鮮かな事。商売とは云ひ乍ら突嗟の間にやるのだから面白い。中で一番粋なのはぜん馬のとちり方、これが又馬鹿に愛嬌がある。と云ふのは、假令ば「八百屋の娘」と題が出ると、「是を貰ひますと大根俳優に肩入と解き、その心はこの南瓜野郎」と云ふ風に奇想天外の臍茶に腹も立てられず笑はされる。それが愛嬌であり、又落語趣味が横溢している。
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大正1081日 『寄席』第十一号

◇『演芸会社名人会巡業記』(神戸にて・竹柴鶴松)

 有楽座の舞台を高台として成功を続けつゝある幹部会、盛夏を東京にゐるのも感心しないと立物の小さん、貞山を始め小せん、翫馬、小山三、小半治、小きん、若蔵と云ふ連中へ百面相の鶴枝老人に歌沢の寅小満、竹本東猿とお色気をつけて『東京名人会』の一行は七月一日早朝、東京駅出発で……。

 十四日風雨中名古屋を立つて神戸へ乗込む。神戸駅に着くと小きんを女がちゃんと迎ひに来てゐると云ふ安くない寸法。当地は十八日まで五日間共名古屋より景気よく満員つゞき、それに天気も快晴続きで、聚楽館出演の一行大当りで、土地の寄席「千代之座」から苦情が出ると云ふ大人気。小きんは女と舞子辺りまで遊びに出かける、小半治の所へは方々の女から手紙が舞い込む、中には北海道から来た優しい筆の跡も恋を語る。小さんは咽喉を痛めて舞子通ひ、貞山の所へは立派なテーブル掛がとゞき、小きんさん江とした美しい座布団が館内に飾られた。たゞ困つたのは南京虫に攻めたてられる事だけで『名人会』は好成績を納めた。

◇「大阪から」(七月二十日夜・大阪にて大森勝)

 …大阪は昔よりの習慣、盂蘭盆会が一ヶ月おくれてあります。従つて中元の礼も八月の一日から始まります。それですから興業物も七月十三、四日でも無論盆休みなくやつて居ます。十日に南地花月亭に三語楼、長寿二人会がありました。正午開演、雨あがりで一寸涼しかつた故かも知れませんが一杯の入りでした。三語楼は「高尾」「穴どろ」「禁酒会」の三席、長寿は声色、踊りといろ〳〵珍芸を見せました。四時終り。三語楼は当地でも非常に好評です。陳腐な話し振りに飽きて来た人々はダン〳〵三語楼式の話しを要求してくるでせう。

 東京で活動写真を見せて居るさうですが、花月亭でも出雲安来節を歌に合わせた出雲大社や市中の実写を映写して居ます。唄ひ手は映写幕の後で歌つて居ます。(中略)

 大阪で毎年八、九月頃になると怪談話をやりますが、昨年の夏、見たものなぞはズイブンすごいもので、女なぞは顔を伏せて好(よ)う見ない位でした。

◇「京都から」

 関西の落語界も大暑中は御多聞に洩れず面白からぬ景気で厶い升。殊に当七月一日より、一度吉本派と岡田派と分離したる反対派落語も、某侠客の仲裁と二代目反対派太夫元の岡田政雄氏が父の遺産を兄弟等に分配し、併せて家計整理の為め反対派名義並に興業権を一切吉本氏に譲渡し、従つて岡田直営たりし新京極富貴席、笑福亭、西陣富貴も同様吉本氏へ貸し渡にした。弥々吉本氏が関西落語席の王と成られる。而して当春分離した京都組其他も全部復帰して一大巨弾と成りしなり。

然るに旧岡田組に在りし円笑一派と且つて分離の際に旧師に叛いた一二の人々が、何か不平ありて、凡そ十人計り三友派の芦辺館組へ加入して、元と自らの本城たりし富貴席の真向なる芦辺城へ籠りて大に挑戦の陣立を調へたり。故に旧京都組をして吉本氏へ参駕成したるは大将桂枝太郎、桂助六、龍生、柳丈等にはやし六名にて、余は大阪在住の旧岡田派たりし梅香、円好等二十有余人にて、脱退したるは十二三名なり。其処で芦辺館へ拠りし面々は戦術上大々的の御客吸収策を施すこと必要なり。(後略)

◇「色物寸評 俎の上(上)」(あだきち)

都枝 器用な人なり。上方者特有の気障ッ気も少く、ラッパを吹いたり、御手製のシャモジの琵琶を弾じたり、四ツ竹を使ふかと思へば図抜けて大きな時計を出す、飛行機の宙返りをやる。絶へず目先の変化に苦心をして居る。色物と云ふ以上、多少御目先の変つた代物が出てこそよし。二昔も前の芸人は各自何かしら独創的な芸を持つて人気を呼んだものなり。ところが今の若い人達の殆(ほとんど)が先人の模倣で、特種を持つて居る人はまんが稀、私は此意味に於て君を推賞する。

上方落語史料集成 大正10年(1921)8月

大正108月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より紅梅亭、新町瓢亭にて三友派納涼演芸会。【下図参照】

 十五日より円子、染丸、円枝、遊三、蔵之助、枝鶴、円、円坊その他幹部連

二十三日より紅梅亭にて納涼演芸会。滑稽「金の助太刀」、長唄二調、落語茶番「碁どろ」、新奇術「肥料
  問題」、滑稽曲芸、大切「怪談引抜阿波踊」座員総出。

◇吉本花月派

 一日より南地花月、松島花月亭、北新地花月倶楽部にて納涼演芸会。反対派幹部若手連百余名出演。

 一日より京三倶楽部、福島花月亭にて女流競演会。出雲より安来節美人十余名出演。

十一日より納涼演芸会

大正1081日より

◇南地紅梅亭納涼演芸会演目表

大正10年 001

〈編者註〉「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より転載。八月二十三日よりの納涼演芸会の演目の類似よりこの時のものと推定した。

大正1083 京都日日新聞 

◇芦辺館が時節柄「興行客覧会」と云ふものをやつて、頗つた珍趣向を見聞に入れる。衛生館やら高塔などの面白さは見落しては駄目だよ。

大正1087 京都日日新聞 

◇芦辺館 七日八日の両日、円歌独演会の総見あり。会費八十銭(桟敷料)に勉強したる上、当日何人にても飛入り勝手なりと。

大正10811 京都日日新聞 

◇江戸ツ児会旅行 三友派の蔵之助、一馬、とん馬、しん蔵、三次、蔵造、三代松と云ふ連中に京美人が加はつて、十一日に中舞鶴壽座を振出しに、十三日新舞鶴、十五日宮津、十八日福知山と云ふ風に「江戸ツ児会」と女道楽とで巡業する。女道楽では松五郎が大活躍するとの事。避暑旅行をかねての巡業芸人は苦しい中にも亦楽しみがあつて、三日すれば忘れられぬものと見える。

大正10812 京都日日新聞 

◇長久亭 十一日より左記の通り出演するそうだ。

 竹馬、滝生、枝丁、亀鶴、紋十郎、紋右衛門、文次郎、柏勝、さん好、福徳、福来、すゞめ、麦団治。
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大正10815日 『寄席』第十二号

◇「大阪から」(八月五日・大森勝)

 中の島公園に、道頓堀川に、水の都大阪の夜は涼を追ふ人で賑やかです。あつい時にすゞしく見せたり、聞かせたりしやうと云ふ趣向で、花月席も三友派の紅梅亭、新町の瓢亭とも納涼芸会を始めました。双方とも全員惣出の喜劇や芝居噺、花月が落語十八番の内として「堀川」をやれば、紅梅は「胴乱の幸助」と云ふ落語茶番をやつて居ます。夏の興行には附物の怪談物は、芝居では延若の「宇和島」に早替りの幽霊を浪花座でやり、活動写真でも「四ッ谷怪談」などをやつて居ます。花月では円歌が怪談噺でせい〴〵見物の胆をひやして置いて、引ヌキで幽霊が出ます。紅梅のは芝居にして、最初から舞台を飾つてあります。場内をくらくして幽霊を出すだけで仕草ですごく見せる事は許されませんでせうが、学生らしい客の評が面白い、「幽霊スタイル」を見せるだけだなどゝ。怪談を引ヌクと花月はかっぽれ、紋右衛門の大阪の江戸ッ子振りを見せ、紅梅は引ヌイて鰌すくいになります。花月派は紋右衛門、千橘、文団治、春団治、円歌、文治郎、五郎、ざこばに桂三木助について居た染丸(編者註:楽丸の誤記)と云ふ盲目の芸人が出ます。三友派は円馬が上京して後に松鶴、染丸、遊三に円子と円が出居升。

◇お仲入り(大阪草屋左海)

去七月二十九日夜、南地の或る席へ円歌、三語楼の看板見て、一円奮発しては入て見たら、円歌は出たが三語楼が出ないから、お茶子呼(よん)で聞いて見ると、東京へ帰られましたとの事で失望しました。毎月輸入の東京落語が満一ケ月勤めずに種々口実を設けて二三日早く帰るが、又席主も云ふが儘に泣寝入で帰して居るが、是は両者共に不利益だ。芸人も二日早く帰つて何をするか。三十日の我利々々会を催す為だろ。そんな事では天下一品の大物には成れぬよ。初代円遊なぞは三十日の夜勤めて夜列車で帰京された偉人で有つた、名師で有つた、全国に渡つての大名人で有つた。珍進の真打連、此師の行動をしたわれよ。

◇お仲入り(澱南の草庵・奈庭山人)

 衰頽ゆく最近の寄席を観る時、私は漫(そぞろ)に故円馬の在世を思ひ出さずにはゐられない。そしてまた寂しい彼の生涯に一滴の涙を注がずにはゐられぬ。当時私は毎月の日曜会は欠かさなかつたものだ。彼を始め馬生、文団治、川柳(三世円馬)、故文三、染丸などの顔触れは何れも異常の興味を以つて聴かされた。馬生の「性は善也」、文団治の「国太夫節」、染丸の「鬼薊」、川柳の「鼠穴」、共に深い印象に残つてゐる。就中円馬の「牡丹燈籠」「江島屋」は忘れようたつて忘れることは出来ぬ。思へば彼は実に円右以上の話術家であつた。私は東京の人々に彼を知らしめなかつた事を甚だ遺憾に思ふ。昨年の秋紅梅亭で彼の追善会(三周忌)を催した。実弟円と三世円馬の悲痛な挨拶には一人として感動さゝれぬものは無かつた。徒然の折節思ひ出しては。

◇魚尽し一寸御見立(草屋左海)

〇浜焼の鯛の風味の名に高し    (円右)

〇東では嬶売つて食ふ初鰹     (円蔵)

〇色もよし味もよしまぐろの刺身哉 (円歌)

〇十方に売行きのよい鰻なり    (円馬)

〇天ぷらと種は同じの海老フライ  (三語楼)

〇料理人自慢で鯉の生作り     大阪落語(桂文団治)

〇照り焼きの浪花料理哉鱧の味   大阪(笑福亭松鶴)

〇薄塩の〈グジ〉の風味哉京自慢  京都(桂枝太郎)

〇半蔵は誰れもこがれる鮎料理   (桂三木助)
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大正10820 京都日日新聞

<芦辺館の大演芸会> 

◇愈々明後日…昼の部は特に新京極芦辺館連中は目先の変つた面白いものを見せやうと日夜苦心をした結果、番組は左の通り決定しました。中にも無言劇は二三日前から毎夜打出し後一時二時迄稽古をしていると云ふ熱心さ。

落語(福笑・福之助・三次・小染)、手踊(小文字・枝女太・円歌・福松)、滑稽二人羽織(円天坊・歌遊・扇太郎)、琵琶(桂洲)、偽相撲(円天坊・枝女太・円歌・三八)、奇術(趙相元)、無言劇ヌストヤ(円馬・扇太郎・福松・円歌・三八・円天坊・川柳)、歌舞(おかめ・小かめ)、大切相撲(座員総出)。

大正10822 京都日日新聞 

◇京都日日デー 来る二十五日(雨天順延)昼夜共、全国工業博覧会場にて空前の変装あてと変装競争。…変装者は新京極三友派定席芦辺館出演の花形にして、即ち左の如し。

 昼の部 三八、川柳、一馬、円歌、福松、円天坊、円司、枝女太、円馬、扇太郎。

 夜の部 川柳、一馬、円歌、三八、枝女太。

大正10823 京都日日新聞 

読者招待大演芸会・八月二十四日・岡崎公会堂>

◇昼夜満員の大演芸会 …小染クンの落語に次で、円天坊クン福松クンの掛合噺に満堂を笑はせ桂洲クンは乗合琵琶で喝采を博し次に円司クンは本紙連載「国定忠次」の一節を講じて老人連を喜ばせ、小文字クンの舞と手踊は小粒でヒリヽと辛いところを見せた 喜劇「偽相撲」は枝女太クンの令嬢美しく円天坊クンの番頭は軽妙、円歌クンの若旦那垢抜けがして意気に三八クンの爺は自然のうちに滑稽味があつて曽我廼家の蝶六さんからおつりを取れさうであつた、おかめさんと小かめさんの舞踊音曲は目先耳先が変つて珍、流石日の本の岩戸神楽の始めから女の持てる国である、喜劇「ヌストヤ」に至つては円馬クンの円熟した語調から態度何処一点の非難点がない三八クンの八公や、川柳クンの細君、何れも曽我廼家も一寸首を傾けさうな器用さに満場大喜び大喜利の「尻相撲」に至つては天下一品の取組之れにて目出度打出し

大正10829 京都日日新聞 

<伊藤痴遊が芦辺館に出演>

◇伊藤痴遊が九月一日ヨリ芦辺館へ出演することになり、痴遊の京都入りは数々なれども芦辺館の高座は今度が始めてなり。而も今度は珍らしくも一週間の滞在出演なり。

〈編者註〉痴遊はいままで大阪でも京都でも反対派の席にしか出ておらず、三友派の芦辺館に出演するのは異例である。二月の反対派の分裂、七月の吉本の統一等、京都の寄席界混乱の中で実現したのであろうか。一日日延べして八日まで開演。演題は以下のようなもの。尾去沢銅山事件、島津斎彬と西郷南洲、加藤高明と珍品五事件、明治二十八年東京市水道鉄管事件、明治三十三年東京市参事会事件、山県有朋と田健次郎、明治四十三年日糖事件、自由民権時代の回顧と原敬。なお九月四月付「京都日出新聞」に「芦辺館の痴遊独演会評」(下記)が出ている。

○痴遊独演会 毒舌だが罪のない専売の話術

伊藤痴遊が珍らしや新京極の蘆辺館に現れ、例の新講談で此一日から七日迄長広舌を揮つてる。遊芸稼人痴遊たる一方、東京府会議員たる伊藤仁太郎はなんと言つても当代の珍物である。長講三席連夜読み切りといふが呼物で、さても初日の夜覗くと痴遊君相変らずの蛭子然たる風丰に持前の頤髭をシゴイテ今や得意の「島津斉彬と西郷南洲」なる第二席物を講じていた。

所謂、義は君臣、情は父子テナ一節を例の調子で「なにしろ未だ一向名も聞えない一介の若侍吉之助をお庭番に取出したのが斉彬公の豪い所で、役こそ卑しいが起立(た)つたまんまで殿様に口を利く事が出来るのは一家中でも此お庭番に限る。斯うして斉彬と西郷は漸次接近した」と、南洲が一君の知遇に感ずる経緯(いきさつ)から遂に維新大義の動機へと結びつける辺り練れたもの、何時もながら痴遊式新講談の特長が溢れ、斉彬公や南洲翁を昨日迄の友達のように取扱ふなど講釈師見て来たようななんとやらも此センセイの口から聴くと衒気らしい感じがなく、却て愛嬌があるから妙で、とにかく聴衆を感心せしめた。

却説(さて)茲許(ここもと)一息入れての跡は愈(いよいよ)当夜の呼物、第三席は「加藤高明と珍品五事件」とあつた。痴遊センセイ、例の愛嬌満々の顔を殊更張せしめて「加藤が政党の首領になつたのからして根本的に間違つている」と冒頭既に是だ。「なるほど識見も一通りはある。弁説も堂々たる方だが、然し到底政党の首領たる器でないネ」と髭をシゴキ〳〵大□りで所謂器局の小なる所以から十八番物の政党裏面観を説く。別に耳新しくもないが、一流の風刺に諧謔をこぎ交ぜ毒舌を揮ひながら、それでいて何処やら罪のない独得の口調で面白く聴かせる点は心得たものだ。「珍品五はマズかつた。大政党ともあるものが小成金から条件を付せられたりして僅小な寄付金を受け、一札入れるなんかお話にならない」と痛快にコキ卸した上、「然し政党と雖も其主義綱領を賛成して呉れる有志の寄付金なら受けても可(い)い。唯条件を付せられたり束縛されたりしてはいけない」と今度は婉曲に□□党の立場を擁護するなど国民党員たる伊藤仁太郎君、本音を吐いても好い気なもので、メートルを揚げつゝ巧に宣伝をやるコツは痴遊□老ひずと申そう。

兎に角此人の話□は依然他に類と真似手のない妙味がある。唯二日目「犬養毅と勝田銀次郎」で、勝田が犬養に心酔する点を聴かなかつたのと聴く機会を逸したのを或る意味から遺憾に思ふ。(鯉)

大正10830日 九州日報

<圓馬、圓合同一座・博多川丈座>

グラフィックス2[広告]明三十一日初日/三代目三遊亭圓馬襲名披露特別大興行/補助出演東京落語舞踊橘ノ圓 主任橋本川柳改三代目三遊亭圓馬/川丈座

大正10831日 九州日報

◇圓馬初日 博多川丈座に於ける東京落語三遊亭圓馬襲名披露興行は、今三十一日が初日である。夏期休演中の川丈座は今回が新秋第一興行で、一座も顔揃いである。今初日の番組左の如し。

落語(喜雀)落語音曲(吉太郎)落語物まね(春輔)落語手踊(東蔵)女流落語(鹿の嬢)落語手踊(とん馬)奇術種々(正光一行)落語舞(圓)人情落語(圓馬)

<編者註>圓馬一行の番組は下記の通り。

91日:がまの油(春輔)五人廻し(東蔵)七段目(鹿の嬢)悋気の独楽(とん馬)子宝(圓)奇術(正光)淀五郎(圓馬)

92日:初天神(春輔)宮古川(とん馬)三味線栗毛(圓)奇術(正光)唐なす屋上(圓馬)

93日:掛萬(とん馬)一休和尚(圓)奇術(正光)唐なす屋下(圓馬)

94日:花見の仇うち(とん馬)三村薪割(圓)奇術(正光)小言幸兵衛(圓馬)

95日:湯屋番(とん馬)巌流島(圓)奇術(正光)谷風(圓馬)

96日:四の字嫌い(とん馬)鹿政談(圓)奇術(正光)景清(圓馬)
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大正1091日 『寄席』第十三号

◇「大阪から」(八月十七日・大森勝)

八月十五、十六日は大阪の盆で(中略)十五日は夜の九時半頃から大阪では珍らしく残つて居る九条松島の講釈席へ出掛けました。遊廓のなかを抜けて一間位の露地を入ると張扇の音がする。木戸二十銭とあるので金を払をうとしたが、もうじき終りですからいらないと云ふ。無理にと云ふとやうやう十銭だけ取つた。席内は六七十人の客がホトンど申し合せたやうに肌をヌイで居た。女客一人もなし。高座はせい〴〵一間位で、玉龍亭一山と云ふ先生が市川団十郎が杉山半六に殺される話をやつて居た。場内を見廻ると、壁に片栗湯四銭、しやうが湯四銭、かきもち茶二銭、土瓶茶三銭なぞと書いて張つてあつた。一寸話を止めて湯を一杯呑んでやり始める。小幡小平次の師匠が鯖伝兵衛、鯖の弟子で小幡小平次と二三度くりかへして東京のすしの話などやる。客は時々ヘラ〳〵と笑ふだけで熱心に聞い[て]居ました。十時二十分に終り表へ出るとすゞしい風が強く吹いて居ました。

十六日も夜に入つて九時近い頃、新町遊廓に程近い瓢亭と云ふ三友派の席へ行つて見ました。褄とつた女が三々伍々見える。高座では落語相撲をやつて居た。客に落語の穴をさがして貰つて賞品を出すと云ふ趣向も兎角屁理屈に落ちて面白くなし。大切に四ツ谷怪談と云ふ幽霊屋が民谷伊右衛門から金を巻きあげやうと蛇山の庵室へ出掛けて行き、伊右衛門を嚇さうとするも本物のお岩の幽霊に吃驚して逃げ出すと云ふ滑稽怪談、引ヌイて円子が勢獅子を踊ります。十時半頃に打出しました。花月派も三友派も各席共納涼演芸会で競争ですが、此取組引分にて勝負なしと云ふ所です。

◇「京都から」

 残暑と盆前で席は六七分の入りですが、八月上の女踊りの全盛さ、反対派各席高松踊の七人に、笑福亭は安来節一行が大入で盆へ打越し。三友劇場が磯節芸妓一行、竹豊座が正調安来節、又国技館も千家一行の安来節、福の家五色会どぜうすくひ。反対派落語席は富貴(新京極)、西富貴、長久亭(千本)、泰平館。三友派落語は芦辺館、春日亭。

◇「お仲入り」

 本誌九号のお仲入りに林(ママ)喜代志君が大阪の春団治の金ピカを御批判になりましたが、実に御説の通りアノ人の金ピカには何時もながら嫌な感じがします。如何にもドク〴〵しい様子です。けれ共私は其の芸のうまい点に於ては永くあの人を残して置度(おきたい)のです。今大阪の落語家中でアノ位ひ滑稽味な話し口調の人はありません。東京の人に競べて丁度小勝が好一対でせう。其の位置と云ひ、其の話の反対車や鰻屋を共に得意とするところに……けれ共小勝は軽く、春団治は重くやる点に一寸違つた味が有ます。

 金ピカの不快の点は同感ですが、話しのうまさに大阪第一の人気者を今一度喜代志君に聞直して貰ひ度ひものです。上方の話しは東京の者に解り兼ると云へば其れ迄だが。……

◇「お仲入り」(江戸ッ子)

 言葉が幾分違ふので仕方がないが、関西落語家は概して話ブリがネチ〳〵し、加ふるに態度が如何にもクド〳〵しい。其上鳴り物入りやら何やらでウルサイ事ウルサイ事、どうも暑苦しい、迚ても夏向きじやない。それに親兄弟同席なして聞くに耐へぬ様な話をやられるには実に閉口だ。其が十中八九迄とは……之を関西方面の客が歓迎するとは……モウ少し江戸ッ子式に気持よく軽快に尚ほ且つ奇麗にやつてもらい度きだ。何にしろ話よりは余興の方が主らしいのだから仕方が無い。東京へ来る者は須く染団次式のキビ〳〵した者が来なくては歓迎されまい。必らずしも関西にて人気のあつた者が来ても東京にも同様の歓迎を受けると思つたら大なる違ひだ。興行主は其点に大に留意すべき処と思ふ。

上方落語史料集成 大正10年(1921)9月

大正109月 大阪の寄席案内

◇三友派

 一日より各席へ落語舞桂三木助、滑稽掛合三遊亭十郎・五郎、滑稽音曲英国軒ハレー、身体運動中華民国夏
  雲風・夏雲升・夏雲起、教育山雀演芸東京松島社中、円子、円枝、染丸、花橘、遊三、蔵之助、枝鶴、円
  坊、文三、塩鯛、松鶴、一円、鶴蔵、太郎等。

 十一日より出番身体運動(夏雲起)、音曲(英国軒ハレー)、電気応用「勢獅子」(遊三、鶴丸、一円
  等)。

 二十三日正午より紅梅亭にて青年落語胆力会

◇吉本花月派

 一日より各席へ東京落語睦会柳亭左楽、八代目桂文楽、東京歌舞伎物真似会社中、昨年角座で開演した本邦
  随一読心術おなじみ木村マリニー同靖子一行、が出演。南地花月亭では大切に落語大角力を開演。

四日南地花月亭にて伊藤痴遊独演会

十一日正午より南地花月亭にて柳亭左楽独演会。「鰻の太皷」(文楽)、「忠臣蔵」「女のりんき」「桜風
  呂」(左楽)

 十一日より北新地花月倶楽部にて特別大興行。【下図参照】

十八日正午より南地花月亭にて柳亭左楽独演会。「滑稽忠臣蔵」「孝子の蜆売」「寝床」「桜痴居士」「づ
  つこけ」

十八日正午より松屋町松竹座にて桂家残月、三遊亭円歌二人会。「旧談聟引出」「丸万かまぼこや殺し」
  (残月)、「揚り場違ひ」「人情噺旭の旗風」(円歌)

 二十一日より柳亭左楽、桂文楽、物真似、読心術、講談師阪本富岳出演

大正1091 京都日出新聞 

○落語界便り 落語反対派を中心として兎角反目中だつた京都岡田興行部と大阪吉本興行部とが今度和解する事となり、新京極の富貴亭に笑福亭並に西陣富貴亭など従来の反対派席は改めて吉本興行部が直営する事となつた。そして反対派の名も花月連と改めて九月一日から新しく打つて出る。其顔触は富貴亭は花団治、桃太郎、春団治、小円太、文団治、枝雀に大切りは三遊亭円歌の怪談といふ趣向、そして幽霊は文団治が勤めるといふ。又笑福亭は出雲本場芸妓の一団で本年度正調安来節保存会優勝団といふ凄じい一座。西陣富貴は京極富貴の掛持だそうな。斯うして花月連は陣容を改めて来た。それに対しこなた古い納簾を持つた三友派の芦辺館は例の伊藤痴遊の新講談独演で一週間興行の上、素人名人会を催し、中旬から目新しい顔触で蓋を明けるといふ。秋の落語界は大分聽けそうである。

大正1091 大阪朝日新聞京都付録

◇落語花月連開演 今春来離間反目中であつた京都の岡崎興行部と大阪吉本興行部とは愈双方の感情融和し交情旧に復したれば其披露興行を兼、一日から新京極富貴及び西陣富貴は吉本興行部直営の下に花団治、桃太郎、春団治、小円太、文団治、枝雀等の花月連出揃ひ、大切には東西合同落語怪談を催す。其口演は東京人情噺の泰斗三遊亭円歌が勤め、幽霊は得意の文団治が勤む。

大正1094 大阪毎日新聞

◇[広告]寄席始まつて始ての試みを公開す 當ル九月四日ヨリ連夜 東宮殿下奉迎実況 横浜埠頭=東京駅

謹写席 南地花月、北新地花月、松島花月、福島花月、京町堀三京三倶楽部

大正1094日 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇提携披露興行 本春以来離間してゐた京都岡田興行部と大阪吉本興行部とは愈々双方の感情融和し提携することゝなり、其披露興行を一日から新京極富貴及西陣富貴は吉本興行部の手で落語花月連幹部若手花形の顔揃ひで開演、春団治、小円太、文団治、枝雀等に東京の円歌等が出演し、新京極笑福亭は大阪吉本興行部直営で出雲本場芸妓連の本年度正調安来節保存大会優勝者合同の女流安来節を開演。

大正1094 神戸又新日報

千代之座 九月興行は左の京都真打幹部連合出演

圓都、正楽、小半、米昇、圓司、圓歌、福圓、福松、圓笑、扇遊、春輔、外余興

大正1097 京都日出新聞

◇文団治と円歌 新京極の落語席中三友派の芦辺館は暫くの息抜きに一座旅廻りと洒落、反対派オツト今では花月派と言いましたつケ…も笑福亭の方は例の安来節で、残る富貴席のみが花月連の幹部お目見得を呼び物に純落語で盆替りの蓋を明けてをる。いかさま文団治、枝雀の元老株に春団治、小円太、そこへ東京から十年振の円歌出演、先づ粒は揃つてるワイと一夜久し振に落語客となつてみた。

春団治は一流のガサで相変らず人気を呼んでをる。小円太が師匠写しの音曲振も可なり大向ふを喜ばして居たが、要するに両者とも粗製品である。今度の聴物は文団治の沽淡な落語に止めを刺す。記者の聴いたのは「鹿裁判」、古いネタを繰り返したに過ぎんが、ミツチリ叩き上げた腕は年と共に愈々洗練され、上方落語の生粋が味はれたのは嬉しい。枝雀は借家怪談をやつたが此方は大分ダルイ。大切りは呼び物の円歌の怪談「新累物語」で、手に入つたものだ。文団治の上方趣味に対し是は江戸趣味を発揮していた。余興の幽霊は物凄い点が愛嬌。(鯉)

大正10910日 京城日報

[広告]特別興行/皆様永らくお待兼の東京落語大一座 天下一品稲荷大魔術神道斎狐光 今晩より開演/浪花館

大正10911日より

◇北新地花月倶楽部特別大興行出演順

大正10年 010

落語左雀、落語米治、落語踊小春団治、掛合噺玉助・半助、落語花団治、東京人情噺円歌、世界的大魔術本邦随一読心術木村靖子・マリニー、落語文団治、落語声色振事紋十郎・紋右衛門、落語文治郎、東京歌舞伎物真似会社中、東京落語文楽、滑稽落語春団治、東京落語左楽、大切宇津の谷峠座頭殺し・大道具大仕掛 南天・染八・菊団治・小南光・五郎/露の五郎二役早替りにて御覧に入申し候

〈編者註〉この出演順は二つ折になっており、表紙に「出演順 當ル九月十一日ヨリ連夜 特別大興行 北新地花月倶楽部 電話北六九九番 吉本興行部直営」(図版省略)とある。『藝能懇話』六号(平成5年)より転載。

大正10912 大阪朝日新聞京都付録

◇落語花月連 新京極富貴席及び西陣富貴席其他各聯合席へ十一日から連夜。

 円太郎、円遊、小文枝、米団治、枝太郎、千橘等の幹部連へ滑稽掛合四郎坊、扇雀、直造、少女長唄杵屋道子、初子等出演。尚専属義太夫数名掛合。

◇笑福亭 十一日から連夜出雲女流安来節大一座にて開演
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大正10915日 『寄席』第十四号

◇「博多から」(博多人形)

 当地へ大阪の橘の円と三遊亭円馬が来て居り升。妾が東仲州の川丈座へ入り升と前座さんが降りる所、其の後へ吉太郎と云ふ人が大阪落語の後へ踊を二つ演つて降りました。東蔵と云ふのが出ましたが、実に聞きぐるしい事を言つて、脇の下へ手を入れられてくすぐられた様でたまりませんでした。次は鹿の嬢と云ふ十七八の女子がお目通り、鼻の無ゐ人が馬方と狂歌をやるお話、続いて振り事。妾便所へ行つて帰つて来ると「待つてました」と云ふ声が五六人、舞台はきれいな若い人、昨年四月当座へ来た正雀さんの五明楼春輔さん、十八番の干物箱、罪の無い可愛しい高座振り、踊りも大層上達しました。お次が三遊亭とん馬さん、お妾の家へ泥棒が入つて夫婦約束をする噺、とん馬さんが三ツ程踊ると、春輔さんが出て来て、二人して富士の裾を踊りました。両人共意気が合つて結構でした。円師、充分御機嫌に具へ、次が円馬師と円と二人高座、円が円馬の口上を云ふのをきいて出ました。

◇「大阪から」(大阪・大森勝)

 盆替り興行としての落語界は可成り賑やかです。吉本興行部は京都の岡田派が復帰して尚一層活気づいて来ました。九月一日からの盆替りには東京から左楽、文楽等が下阪し、其外国際的大魔術東洋唯一の読心術と云ふ木村靖子、マリニー等も出演して居ます。南地の花月亭を一日々のぞいて見ました。おそかつたので文楽は出た後でしたが、千橘がイツモの通りの歌をやつておりました。紋右衛門は三木助と一しやう[一緒]に居た楽丸を紋十郎と改名して相高座で踊りました。左楽は「江島屋怪談」と云ふ珍らしいものを三十分もやつて大受けでした。マリニーの読心術では若い芸妓を高座へあげたのは大愛嬌でした。大切として落語大相撲と云ふ取組、毎日替り、監督として円太郎が小言幸兵衛見たいな顔して控へて居ます。其の日の角力は文雀と扇枝、見合つた両人はどちらも新人、文雀は大正笑話、扇枝は即席話、御題話が得意の人達です。

 三友派の根城たる南地紅梅亭は東宮殿下御帰朝奉祝で賑やかな三日の夜に行つて見ました。松鶴、染丸、三木助、遊三、円子、花橘と云ふ顔振れ、木戸も花月より半額に近い五十銭と云ふ大勉強にて、何んとなく落ち付いた場内の気分が好いです。高座と客席とがピタリッと一致して居るやうな気がしております。染丸は「堀川」と云ふ十八番もの、三木助は「炭屋騒動」と踊り、遊三は「おせつ徳兵衛」、円子は「紙屑より」に団蔵と仁左衛門の声色と長唄「越後獅子」、すてゝこを踊ると大努力で打出しました。

 尚四日正午より伊藤痴遊独演会が堂[南]の花月にありました。それと四日の夜より花月派では東宮殿下御帰朝の実況の活動写真を見せるさうです。
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大正10915日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/當る九月十日より開演 特別興行 東都各新聞紙上の問題となりたる術者神道斎狐光師来る/東京落語補助出演 落語(三遊亭□馬)落語(三遊亭小圓都)落語手踊(柳亭□若)音曲(三遊亭圓輔)大神楽曲芸(一千三□)落語音曲(三遊亭圓都)/稲荷大魔術狐光師出演、伏見稲荷の御神夢により工夫せる不可解なる稲荷魔術を見て驚くべし

大正10917日 大阪朝日新聞

<落語研究会・市民館>

◇落語研究会 落語が他の民衆娯楽に比して非常に後れているのを概して、若い落語家連が市民館の後援のもとに民衆落語研究会を組織して之が改造の運動を起すことになつた。最近市民館で協議会を開いて、其の席上次の様なことを決定した。

 即ち毎月一回宛の試演と公演、機関雑誌の発行、之れには専門家の批評や新作落語の発表其の他一般同好家の寄書を歓迎する。試演は専門家同好家を請待し、新作落語を発表し、同席上忌憚なき批評を乞ひ、公演は右の研究を公に発表する考へである。第一回の試演は来る十八日午後一時より市民館講堂で行ふ。入場券は申込次第進呈るとのこと。

大正10年 002大正10年 012
























〈編者註〉大正十年九月十八日の第一回より大正十三年十一月十六日の第三十七回までの出演者と演題表が『藝能懇話』六号(平成
5年)に掲載されている(上表参照)。表の見方を簡単に説明すると、上段に「大正十年九月より毎月一回落語研究会を市民館にて催す 毎会演題表」とあり、「九月十八日第壱回」から「十一月十六日三十七回」までの開催された年月日と回数が記されている。二段目より出演者の芸名と本名があり、各回の演目が記されている。演目の上の数字は出演順(切は最後)、×は休演を表す。因みに右の表の出演者は笑福亭枝鶴・竹内梅の助/柳家小はん・鶴見正四郎/桂玉輔・梅川正三郎/桂米の助・中浜賢三(二回目より加入)/笑福亭光鶴・池田熊吉(三回目より加入)である。それ以外の出演者は一回目が鶴蔵(電話進歩)・一円(意見)、第二回が鶴二(播州名所)、第二十回が鶴二(子賞メ)・梅三(佐々木政談)、第二十一回が福円(碁泥)である。

大正十一年七月十五日第二十二回よりメンバー替が行われ、柳家小はん・鶴見正四郎/桂玉輔・梅川正三郎/笑福亭光鶴・池田熊吉/笑福亭福円・武藤雄二郎/桂梅三・谷口三郎/林家長太郎(二十六回より参加)となった(左表)。それ以外の出演者は第二十四回が笑福亭鶴蔵(西辰次の実話)、第三十回が浮世亭夢丸(からし医者)、第三十一回が林家正三郎(二人ぐせ)、第三十二回が林家正三郎(いかきや)、第三十三回がワンダー正光(余興奇術)、第三十四回が平和ニコ〳〵・若松や正右衛門(余興奇術)である。出演者はすべて三友派の連中である。

大正10920 台湾日日新報

梅鶴と伯竜 栄座の色物一座 和田興行部とやらが持てきた色物一座の中に、真打として神田伯竜の名がある処からその栄座の初日はなか〳〵の景気であつた、処が奇術と云ひ節講談と云ひ如何にも憐れ貧弱なものでそれから見ると新内の方は少々聴かれた、併しこんな前座先生の問題でない、お客様の目的は梅鶴と伯竜の唯二人である、梅鶴は喘息とかだが苦しさうな調子で落語「担ぎ屋」を半分計りやつたが、鳥渡巧い処がある、手踊の「末の名所」は扇の手を見せるのではなく落す処計りを見せ動物の声色で大喝采やら足芸などやつて大勉強は兎も角も人気のある俗受けのある人だ、御大伯竜は二代目とやらで僕の知つている伯竜とは異つて居たが流石に大看板を名乗る人だつたが巧いものだ、前席は国定忠次、後席は正直治助、落語の方で鰍沢と云ふ例の名捨丸の由来なんだが国定忠次より

後席の方がグツト良かつた、確かに真打としての価値が有り、前後席一時間の長講に芝居噺の如(よ)うな身振でよく疲労(くたびれ)ないものである、先づ此人丈けを聴きに行く定連が出来さうだが、玉に瑕とも云ふべきは江戸弁と大阪言葉が混線して折角の国定忠次が上方者になるなど甚だ面白くないと思つた

大正10921 京都日出新聞

◇新京極富貴席及び西陣富貴其他花月連各聯合席へ当る二十一日より連夜、三升家紋右衛門及び紋十郎、ざこば、文次郎、残月、円若、桃太郎、福徳、福来の幹部連、清子、若竹の娘連等出演すと。笑福亭は二十一日より連夜出雲安来節。

大正10923 山陽新報

曙館(笠岡) 本日を初日に落語音曲桂門三郎の一座が出演する筈で殊に一行中の福の家福太郎に舞の名手を以て人気あり松旭斎天星は至る処に独特の奇術に喝采を博して居るものであると

大正10925日 九州日報

◇川丈座(博多) 稲荷魔術神道斎狐光一行本日より五日間公開。余興には落語、音曲、曲芸等あり。入場料五十銭均一で今初日の番組は左の通り。

落語天災(圓助)落語孝兵衛(菊馬)音曲はなし(圓輔)落語五人廻し(圓路)曲芸(千太郎)音曲(遊圓治)稲荷魔術(狐光)

大正10927 山陽新報

<圓馬、圓合同一座・岡山大福座>

大福座 二十七日より東京名流落語橘の圓、三遊亭圓馬合同若手連大一座開演  落語音曲(桂喜雀)落語(橘の吉太郎)落語手踊(五明楼春輔)舞落語音曲(柳亭東蔵)女流落語(橘ノ鹿の嬢)落語舞(三遊亭とん馬)奇術色々(ワンダー正光)落語舞踊(橘ノ圓)人情ばなし(三遊亭圓馬)

曙館(笠岡) 落語桂門三郎の一座にて開演中であるが毎夜盛況を呈している。

大正10930 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇[広告]御知らせ 落語反対派岡田広告部経営を今回吉本興行部にて継承仕り候に付ては従来発行有之候聯合各席共通入場券は爾今吉本興行部名義の券を発行仕り候。依て旧券御持参の御方様は来る拾月拾日限りを以て無効と致し可申念の為各位様に御通知申上候。

浪華落語反対派太夫元吉本興行部 直営 新京極富貴 笑福亭 西陣富貴
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大正10101日 『寄席』第十五号

◇「東西南北 耳寄草」(柳家小さん)

 もう死んでしまいましたが、大阪の紋左衛門(編者註:文左衛門の誤記)といふ人は名人でした。客が百居やうが、五百六百と居やうが決して調子を変へません。それで居てちやんと隅まで通るんです。とても我々如きの及ぶ処ではありませんでした。何年でしたか、私が大阪に行つた時、或晩『今夜はかけ持ち四軒とも碁どろをやつて呉れ』と云ふので、私は変に思ひましたが、まアやることにして、さてどの席へ行つても高座のすぐ前に厚い蒲団を敷いて紋左衛門[文左衛門]が座つて居るではありませんか。あとで聞きますと、其夜は自分の持席を全部休んで私の出る先へ先へと廻つて歩(あ)るいたのだ相(そう)です。で、その次には私の宿へ尋ねて来て、『一目打つて相手の顔をヂッと見つめるあの目付がまだのみ込めないからもう一度やつて呉れ』と云ふので、私はまた其処で一席やりました。

 其の後、私の弟子の柳一が下阪した時、『君の師匠に碁どろを教はつたから聞いて呉れ』といふので、聞いて見ますと、只二箇所だけ一寸改めてあつた相ですが、そのうまいのに吃驚した相です。名人と云はれる人は確(たしか)に我々と違つた処があります。

 それからその文左衛門といふ人は大変いゝ眼をもつて居りました。その眼一つで怒つたり泣いたり眼で噺をするのです。円朝師などもいゝ眼をもつて居りましたね。まつたく役者は無論のことですが、落語家でも眼は大切なものです。

◇「大阪から」(九月十八日夜・大森勝)

 …大阪の落語界は三友派の若手連が、落語が他の民衆娯楽にくらべて非常に後れて居るのを概して、大阪市民館の後援のもとに民衆落語研究会なるものを組織し、落語の改造運動を起こしました。そして協議会を開いて、その席上で次のやうな事を決定しました。

「即ち毎月一回宛の試演と公演、機関雑誌の発行、之れには専門家の批評や新作落語の発表其の他一般同好家の寄書を歓迎する。試演は専門家同好家を請待し、新作落語を発表し、同席上忌憚なき批評を乞ひ、研究改善の上公演に附すること」など。

 それで第一回の試演を九月十八日午後一時より天神橋筋六丁目の市民館講堂で開らかれました。私が入場した時は二時で、場内は七分位の入りでした。演題と演者は、第一「医術の進歩」鶴蔵、第二「地震加藤」玉輔、第三「意見」一円、第四「迷信」小はん、第五「吾が輩は犬である」枝鶴でした。終つて話の批評をしてくれと云ふて居ましたが、寄席とちがつて四角張つた講堂では話の穴や改良の点を即答する人もありませんでしたが、しまいには種々な議論が出て来ましたので、それでは特志家はハガキで改良すべき点を教示して下さいと云ふ事で閉会しました。兎に角極真面目な会ではありました。

(中略)右試演中、枝鶴のやつた「吾が輩は犬である」などは犬の生活や犬の対話で落ちがつくと云つたやうなもので、銑練[洗練]されていない故か、お伽噺のやうな気がしましたが、落語界[会]の試みとしては一寸飛びはなれた新らしいものでした。(中略)

 終りに、花月派へ二十一日から坂本富岳が出演するさうです。左楽は十一日と十八日に南地花月亭で独演会を開催、左楽式に大受けでした。

上方落語史料集成 大正10年(1921)10月

大正1010 大阪の寄席案内

◇三友派

十一日より紅梅亭へ山雀の演芸(松島社中)、日本手品(吉田菊五郎一行)。

 二十一日より紅梅亭へ貞山長演会。

三十一日より紅梅亭、あやめ館にて落語角力、奇術正光、掛合染五郎、小半。

◇吉本花月派

一日より各席へ伊藤痴遊、浅草の人気者湊家小亀一行、古今亭今輔、睦会春風亭柳好、マリニー木村靖子。

九日正午より南地花月亭にて今輔独演会。骨違ひ、人は武士、囃子長屋、三人片輪。

十一日より各席へ古今亭今輔、春風亭柳好、江戸生粋滑稽茶番湊家小亀一行、伊藤痴遊、読心術大魔術の木
  村マリニー一行。

 二十一日より各席にて東西落語幹部競演会。大阪連米団治、小文枝、五郎、枝太郎、枝雀、春団治、ざこば、文団治、東京連残月、馬きん、円歌、千橘、円遊、喬の助、江戸生粋茶番湊家小亀一行。

大正10101 神戸又新日報

[広告]新開地千代之座/當ル十月一日より午後五時開演 特別大演芸會正調安来節松江お糸一行 浄るり音曲英国人ハレー 民国人夏雲起一行 大魔術ウワンダー正光 江戸生粋音曲巴家寅子 

落語舞桂三木助

大正1010月4 大阪毎日新聞

◇[広告]特別大興行 

大正10年 003

十月東京交代連 東京落語泰斗古今亭今輔、読唇術ト大魔術マリニー一行、東京落語花形春風亭柳好、江戸生粋茶番湊屋小亀一行、通俗講談伊藤痴遊

寄席始まつて始ての試みを公開す 當ル九月四日ヨリ連夜 東宮殿下奉迎実況 横浜埠頭=東京駅

出演席 京町堀三京三倶楽部、浄正橋北詰福島花月、千代崎橋西詰松島花月、北新地花月倶楽部、南地花月

大正10104日 九州日報

<橘家圓太郎一座・博多川丈座>

グラフィックス2[広告]東京落語演芸幹部揃/蓄音機に小圓太節と称し持て噺されつつある橘家小圓太 曲芸界新進の人気者曲芸師海老一直造 西川流家元代稽古西川流舞西川古位川 東京落語の大家十数年来京阪の人気を独占し今回初旅の橘家圓太郎

大正10105日 九州日報

◇川丈座(博多) 東京落語界の人気者橘家圓太郎一行幹部揃いにて来博。愈々五日より五日間開演。初日幹部連の番組左の如し。

声色歌舞伎(長楽)西川流舞松島(古位川)干物箱並ニ音曲(小圓太)假屋殺し並ニ即席(扇枝)曲芸(海老一)掛取萬歳(圓太郎)

<編者註>圓太郎一行は、18日からも川丈座で興行。番組は下記の通り。

106日:声色歌舞伎(長楽)西川流舞勢獅子(古位川)音曲噺替り目(小圓太)抜け雀並ニ即席(扇枝)曲芸(直造)小言幸兵衛(圓太郎)

107日:声色歌舞伎(長楽)官業芸者並に音曲(小圓太)西川流舞(古位川)猿後家(扇枝)曲芸(直造)お見立(圓太郎)

109日:豊後老松(古位川)たらちめ並に音曲(小圓太)百年目(扇枝)曲芸(直造)芝浜(圓太郎)

1018日:西川流振事(古位川)改良ぜんざい並に音曲(小圓太)立切れ線香に即席(扇枝)曲芸(直造)宮古川(圓太郎)

1019日:西川流舞(古位川)飴屋並に音曲(小圓太)紺屋高尾(扇枝)曲芸(海老一)三人片輪(圓太郎)

1022日:西川流舞(古位川)親子茶屋(小圓太)お菊仏壇(扇枝)曲芸(直造)成田小僧(圓太郎)

大正10106 京都日出新聞 

◇痴遊独演会 新京極富貴にて九日正午より開演。

大正10107日 神戸又新日報

<新開地三笠旅館>

やつこ西店跡に奈良丸が旅館 浪界の大成金吉田奈良丸が二十六万円で新開地やつこの西店跡を買受けて以来三越の支店になるの、白木屋の分店になるのと種々の噂を生み奈良丸が売の鞘でボロ儲けをするが如く信じられていたが事実はそうでなく、奈良丸が興行先の各地で積んだ経験に鑑み理想的な旅館を経営する考えであつたそうで諸般の準備が愈々整い五日から目出度く開業に及んだ。旅館は仲町に面した一区画。そして、旅館の名前は奈良丸が奈良県生まれであるので奈良の「三笠山」に因み「三笠」と命名したが、前の所有者やつこの主人の姓が「春日」で是にも因んで居るのが面白いと奈良丸大自慢。尚、新開地中央の道路に面した棟はビルデング式のものにするとかで目下準備中。

大正10108 京都日新聞

◇林家染丸が版元となつて浪花落語の見立番付を作つて送つて来た。同好者の捨て難い珍品、落語界の宝物! 浪花落語とあるものゝ、有ゆる落語の外題を集めて番付にしたもの、その種類は殆ど七百を超ゆるには驚いた。芸人中で落語家として徹底するには可なりの苦心と、人並ならぬ修養の必要な事は舌一枚の資本丈に六ケしい。

大正10109 大阪毎日新聞

◇[広告]興行部新設披露 

当興行部ハ這回新ニ余興部ヲ設ケテ諸会社慰安、団体宴席等各種余興ノ御依頼ニ応ジマス

一、余興部ニハ有ラユル芸人ヲ専属シテアリマスカラ如何ナル大々宴会ト雖モ他ノ余興屋ノ為シ能ハサル安価ニテ権威アル一座ヲ提供致シマス

一、御指定ニヨリテハ東京ニ在ル芸人ト雖モ最モ迅速ニ呼ビ寄セ御希望ヲ満シマス

一、部内ニハ兼テアクタ式活動写真機ヲ設置シテアリマスカラ御家庭其他何処ヘデモ、フヰルム機械等持参 弁士技師出張、軽便安価ニ映写モシ撮影モ致シマス

大阪市南区笠屋町四五電南四一一九番 吉本興行部余興部

大正10109 京都日新聞

○猫イラズを呑むだ笑福亭円三郎 此世の見納めと覚悟して 宮川町で無銭遊興 

七日午後九時頃、宮川町二丁目貸座敷福山楼に登楼した二十四五の男は芸妓数名を揚げて大騒ぎをやり、同十二時頃十六円の勘定を請求すると、金なんか如何なつたつていゝぢやないか、金は天下の廻りものだと酔つて口から出任せに他愛なく、どうやら懐中には鐚一文も所持しない様子に、同家では棄てゝも置けず、斯くと所轄署に訴へたので、八日午前二時半頃、松原署に本人は引致されたが、原籍大宮仏光寺下る笑福亭円三郎事下村弥三郎(二四)と言ひ、佐渡より富山と巡業して此程京都に流れ込んだが、どうも高座で面白可笑しいことを噪舌つても自分は金廻りの悪いので一向面白くなく、旅芸人の悲しさには大してよいパトロンの出来さうにもなく、兎角浮世が厭になつてまだ二十四の若い身空で死にたいとのみ願つているといふ。ホント社会の不用人だが、よし死ぬにしても人間廃業の記念に酒を飲んで若い女とキヤツ〳〵と言つて終局を告げたいと、懐中には無一文を承知で前記の始末と申し述べ立てたが、本日午前7時半頃留置場で苦悶し始めたので、上妻医師を招いて応急手当を施したが、苦しい息の下から昨夜猫イラズ十瓦を嚥下したことを自白したが、往生際の悪いと見えて苦悶し乍ら死に切れず、取り敢ず行旅病人として下京区役所に引渡した。

大正101011 京都日出新聞

◇富貴席 十一日より助六、桃太郎、米団治、馬琴、枝太郎、千橘、春団治等の花月連幹部、並に少女長唄杵屋初子、道子、義太夫小京、団勝等出演。

〈編者註〉十月十四日付「京都日日新聞」に「竹本小京 今から一ト昔も前京極の錦座(夫は今の中座のあるところ)其他の寄席に出演した事のある竹本小京は此頃富貴席に落語家などゝ一所に出演しているといふことを聞いた」とある。

大正101013 京都日新聞

◇黙雷師と文之助 この頃高台寺の入口に「高台寺」と彫つた石碑が建立された。施主は桂文之助即ち文之助茶屋のあるじである。この文字は建仁寺の黙雷和尚が特に楷書で雄筆を揮つたものである。人も知る黙雷和尚は隷書より外には書かぬ人であつたが、特に文之助の為めに半年間のタイムを考へて筆を下した。その文之助が今におき引退興行をせないと云つて、それを非難するものがある。処が文之助にして見ると、引退興行と云ふものは徒らに世間の御ヒイキに御迷惑をかけるばかり、と云ふので、三年越に、高台寺の入口にベラ棒に大きい石碑を建立したのである。この心掛けをもつている事は、現代の芸人気質を超越している。引退興行をすれば文之助の懐中には多少の金は残るだらうが、それよりは高台寺の石碑を建立した事は末代にのこる。人は死して名を、虎は死して革を、落語家死して借金をとも云へなくなつたのは文之助の功績であらう。

大正101013 京都日新聞

◇机上偶語 鬼仏庵(二二四) 三代目文三は十日の晩にコロリと死んだ。酒と女に浸つていた。病気は脱腸の手術である。亨年四十五歳。ツイこの間文三の襲名披露をしたばかりである。本名高田卯之助。十八の年に親父に内密で神戸に行つて扇枝(今の先斗町今常主人)の弟子となつた。それが親父(二代目文三)に知れて、いよ〳〵正式に舞台に出る様になつた。若い時分から模範前座と云はれた位の器用さであつたが、近来は益々親父そのまゝ、鬼子ではなかつた。死ぬ二日前迄は平日の通り高座を勤めていたさうだ。今年の五月に京都に来たときに鴨涯の旗亭で大きなコツプで痛飲したのが、私とは最後の会見であつたが…人間ほどモロイものはないと、又一つ無常を感ずる種がふえた。酒の害、それは如何に考へても恐ろしい。四月頃から始めた私の節酒がその健康上に非常に益あることを思つて、大酒家の反省をこの機会に促して置かう。

大正101015 『寄席』第十六号

◇「東海道から」(十月八日の夕東海道吉原の宿鯛屋旅館にて・大森勝)

 …花月派へは伊藤痴遊、今輔、柳好、小亀一行が交代連として出て居ます。はげ亀の名も見えて居ましたが、私が南の花月席へ行つた夜は出ませんでした。久振りで軽妙な芸を見やうと思つて居たに残念でした。伊藤痴遊は二日に南の花月で独演会をやりました。平沼専蔵の死と安田善次郎の死外三題、今輔は九日独演会、囃し長屋外三題。

三友派の本城紅梅亭は花月の東京式に対して以前[依然]として大阪式で、林家染丸が終りに怪談秋の夜話と題して余興を出して二役早替りで、好い心持さうにやつて居ます。而して花月派の盛況に対して三友派の不況は真に同情に堪えません。純大阪落語研究に努力して居る三友派を平家の人々にたとえる人がありますが、私はそれは云ひたくありません。真に研究して時代に遅れない落語が多く出る事を楽しみにして居ります。(後略)

大正101015日 京城日報

<圓馬・圓合同一行・朝鮮浪花館>

[広告]東京落語歌舞音曲/三遊亭圓馬 橘の圓合同一行/當る十月十五日より開演 浪花館

大正101016日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/當る十月十五日より東京落語大立物 三遊亭圓馬、橘の圓合同一行/落語音曲(桂喜雀)滑稽掛合(社中)女流落語(橘の左近)滑稽落語(柳亭東蔵)落語音曲(橘の圓雀)落語手踊(五明楼春輔)落語舞(橘の圓)落語舞踊(三遊亭とん馬)人情はなし(三遊亭圓馬)

大正101020 京都日日新聞 

<京都日日新聞第六回読者招待演芸会・十月十八日・岡崎公園市公会堂>

◇(三遊亭三次は伊勢参宮の落語を面白く聞かせ満場の顋を解かせつゝあり、その)あとへは福之助クンがあてものゝ落語で大受け、白鶴クンの蒲団廻しは珍品、その次は色男小染君が愛嬌のある処を聴かせて引下る。続いて遊枝、遊楽が軽口は滑稽味の横溢したもので垢抜のした気の聞いたものである。次には当日の呼物たる喜劇「若返り法」は東西屋(円歌・福松)妾(枝女太)旦那(三八)医師(川柳)助手(福円)書生(扇太郎)看護婦(三次)若旦那(小染)の連中で、目下評判の九大研究若返り法を骨子として首の継ぎ替と云ふ滑稽をあしらひ、三八君の太鼓腹は実に天下の絶品として見物中に泣いて笑つた人あり。枝女太君の妾は美しく、川柳君の先生は真面目なのに重味をつけ、福松君の助手は筋を運ばせる唯一のくさびとなる。其他の役々それ〴〵活躍して殆どお臍の宿替をする如き感があつた。福松君の落語は老功に、その踊の「逢ひたさに」に至つては一寸他に類がない。円歌君の音曲は意気な咽喉に満場感心する。大切の喜劇キユーピーさんは三八君の銅像模型が実物そのまゝ、円笑君の技師、福円、小染両君の大工は勿論、枝女太君の壮士に至る迄寸分の隙のない出来、満場大喝采裡に午後五時昼の部和終る。

大正101022 大阪毎日新聞

◇[広告]本日ヨリ連夜

落語花月連 秋季幹部会 北新地・松島・南地花月亭

出演者 小文枝、ざこば、春団治、五郎、文団治、枝太郎、米団治、枝雀、紋右衛門、円遊、馬きん、残月、千橘、円歌、喬之助、円太郎、湊家小亀一行

大正101022 京都日出新聞

◇富貴亭二十一日より出演者左の如し。

枝太郎、円若、文次郎、桃太郎、文雀、春風亭柳好、古今亭今輔、其他国際的大魔術東洋唯一読心術木村靖子嬢・マリニー一行の特別出演。

大正101024 京都日日新聞

◇富貴席 本日正午より春風亭柳好、古今亭今輔の二人会開催。

◇芦辺館は二十一日から喜劇「大風呂敷」を余興でやつている。一人一役の立ち落語とも聞かれて抱腹絶倒だ。

大正101026日 香川新報

<圓馬、圓合同一座・高松大和座>

大和座 二十七日より四日間日延べなしにて東京落語名流襲名披露興行として当代新進随一の三遊亭圓馬一行補助として橘の圓を差し加え花々しく開演する由

大正101027 京都日日新聞

◇福松の襲名 芦辺館の福松は従来二代目福松を名乗つていたが、今回三友派に復帰したと同時に京都で正式に襲名披露する事となつて、二十六二十七の両日その披露をかねて福松後援会の大連が詰めかけると。

大正101028 京都日日新聞

<二代目笑福亭福松を襲名>

◇芦辺館に出演の福松は今度いよ〳〵二代目福松として正式にお剃刀を頂いた事になる。落語に手踊に巧な男だ。落語社会は落語社会の習慣がある。薄紙に包まれていた福松はサラリと光つた福松となつた。男はこれが必要。襲名披露の第一日は割れる計りの大入満員。福松の人気もドエライものと思つてもよいが、席主を拝んで置け!

大正101031 京都日出新聞

◇安来節の都会化 渡辺お糸一行

「お聴かせ申すもいはもじさまよ、田舎仕立の安来節」とは、今夷谷座に出演中の家元渡辺お糸の唄ふ所だ。其田舎仕立がドエライ勢ひで旧都会趣味を圧倒しつゝあるから不思議である。安来節は相変らず全盛で、今では一座も却々(なかなか)多い。中には随分貧弱なのもあるが、流石家元を看板に振り翳してをるだけに此一座などは粒は揃つてをる。それにいくら名物でも安来節の一点張りではと鴨緑江節の手踊りとか、関の五本松てな景物沢山で賑かに御意を伺つてをる。余り盛りすぎて萬歳、落語迄あるが、是等は却て感興を殺ぐ。「鴨緑江節」は何処か山陰気分に副(そ)ふのか、一寸味な唄廻しに異色があり、夫に「関の五本松」はシンミリした中に野趣横溢の点が面白かつた。然し呼物の「鰌すくい」は踊子連意外に都会化して上品振つてるので、スッカリお座敷芸となり、肝腎の出雲情緒は何処へやら、洗練も程度が過ぎて本跡を滅却した形だ。「安来節」や「鰌すくい」の旨味は矢張おはもじくとも田舎仕立其儘の所にあり乎。流石にお糸は此点を心得てるが、一座の若手は衣裳の好くなつたと同時に悪く都会化しつゝあるのは心許ない。(鯉)

大正101031日 神戸又新日報

[広告]千代之座 御代之座當ル三十一日より連夜開演 落語大演芸會(出演者連名)米昇、圓都、春輔、扇遊、萬冶、正楽、夏雲枡、夏雲風、夏雲起 (新加入)吉奴、妻奴、かしく、鶴蔵、一圓、五明楼、歌路、残月楼、東蔵(長講口演)三遊亭圓馬(余興安来節一行)
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大正10111日 『寄席』第十七号

◇「大阪から」(十月二十一日夜・大森勝)

 …寄席の方は花月派は痴遊、今輔、柳好、小亀が引続いて出勤。柳好はなか〳〵評判がよろしうございます。私が南の花月亭へ十八日の夜に入つた時は露の五郎が踊つて居て、後が柳好でした。幇間の酔ぱらひで非常に大受で高座に祝儀袋が飾られました。その後が枝雀、此人一流の大阪落語にて笑わせ、それから音曲の円若、後が痴遊で星亨の話を長講しました。後が安来節、それから小亀連、親が死んだと云ふて居ました。後が今輔で「三人片輪の女郎買ひ」を面白く聞かせ、切りは紋右衛門の豊竹屋を紋十郎相方の踊りにて打出し。十八日より大阪の商店はせいもん払とて表が賑やかな故か、一寸客足は薄かつたやうでした。

 それから三友派の紅梅亭へ二十一日から一龍斎貞山が出演しました。初晩に行きましたのが八時一寸すぎで、補助の米之助、小はん、円枝、女道楽、枝鶴、円坊がすんだ後で林家染丸が「電話室」をやつて居ました。円窓とはちがつた大阪の詞でやるのが又面白く聞かれました。場内一杯の入りで美くしいのが多く見えた。後が貞山で、最初「近江文治」一時間の長講で仲入、あとが得意の「義士伝」忠臣二度目清書、寺阪吉右衛門が討入の話のあたり、場入[場内]はシーンとして方々にすゝり泣きの音が聞こえました。貞山が大好評で隣りの花月が痴遊との取組は面白からうと思つていたら、小亀だけ残つて後は花月大阪連全部の顔ぞろい興行とは一寸皮肉のやうな気がしました。

◇「京都から」(娯造園主人)

 …十月の京都は例年の茸狩りの季で、どちらかと云ふと先づ寄席は七八分の入りと云ふのですが、別けて今年は九月が霖雨で茸の発生も早く豊富で有るので、人出も中々盛んだ。然し反対派落語花月連の富貴席は少しも茸狩りには知らぬ顔で、殆んど満員ツヾキはかけ値の無ひ処で、茸狩に驚かぬから所謂破竹の勢と云ふので有ろう。尤も同派の笑福亭が七月以来安来節の本城と成つて同派専属の安来節が四五組も有つて、連月大阪から交代して昼夜二回興行を続けて、同派の落語は新京極に一席の故も有り升うが、大全盛を極めて居り升。其れと反対側の三友派の芦辺館は十月から大阪の手も吉原派の関係も絶つて、同館独立特別会計と成つて、同派の旧来の京都連中へ例の反対派の花月連から分離した円笑一派が専属となり、目下は端席の掛け持もなく孤軍奮闘を続けるも、連名は替り合ひまして替り栄へも仕りません同一の顔ぶれなれば、ハヤ富貴の花月連の敵とも思へぬと考へ升。

 引き替へて花月連は三友派の掛持席の堀川の春日亭からの懇望で同席もかけ持をなし、西陣富貴、千本の長久亭に大宮の泰平館の五席と、十一月からは本町の第二富士の家、伏見の常盤館開場、大津の梅の家も同派系と成り、京都が八軒と相成り升。(後略)

◇「横浜から」(横浜新富亭にて・阿呆百笑)

浪花落語反対派花月連の九州巡業 花月連の太夫元吉本興行部では大阪、京都の外に豊富なる定員の外に新顔を加へ、奈良其外近郊持席の他に第一及び第二旅行団を編成して、第一団は博多の川丈座其外提携の各地へ月交代に巡業せしめ、十月は円太郎、小円太、扇枝、直造外十有余人。十一月は円遊、五郎、柳丈外十余人。右の如く連月交代せしめ、第二団は十日毎に交代して当時を梅香、天賞其外に賑ひの一座十五人。

吉本興行部の発展 関東方面へも手腕を伸ばし、先づ横浜の新富亭を買収して大阪風の改築装飾を成して連月座員を交代せしめ、次いで名古屋へも専属席の設計中なり。

 柳亭左楽師が吉本興行部の出雲芸妓一行を引つれて大一座の文楽、りう馬、痴楽、歌六、やなぎ、当地出身の愛嬌者百面相の鶴輔、それから前名は失念したが今度左楽にわびが叶ふて喜楽と改名した達者ものと、出雲連中に松本庫吉と云ふ三味線及尺八腕達者、追分の名人高倉米太郎、石川嘉鶴と云ふ三味線も居る。唄はおかる、小蝶、民子、一奴、踊りは今年十五才の鶴子、十三才の亀子、末子、とん子で、殊に出雲名所実写活動、毎夜七百の入りとは此の不景気に恐れ入つた次第(中略)安来節連中で仲入(中略)ビリケンの手先のきれいな処で大切に総出のどじよすくひでお別れ。

上方落語史料集成 大正10年(1921)11月

大正1011月 大阪の寄席案内

◇三友派

十一日より紅梅亭にて中入余興二人羽織(花橘、枝鶴)支那人その他。

 二十一日より各席へ安来節寿美の家。

◇吉本花月派

 一日より各席へ七代目雷門助六、柳亭芝楽、女流常磐津宝集家金之助、三喜之助、磯節芸妓新藤家小六一行
  等。

六日正午より南地花月亭にて助六、芝楽二人会。

 十三日正午より南地花月亭にて落語花月連幹部競演会開催。

 十三日正午より北新地花月倶楽部にて桂歌団治入門披露会。

二十日正午より南地花月亭にて助六、芝楽二人会。干物箱、五月鯉(助六)、おせつ徳三郎、火事息子
  (芝楽)、声色(長楽)、常盤津(三喜之助、金之助  )

 二十日正午より御旅松竹座にて円歌、残月二人会。

大正10111 大阪朝日新聞京都付録

◇落語花月連 新京極富貴席及び西陣富貴其他各聯合席は一日から紋右衛門、紋十郎、小文枝、ざこば、千橘、残月、勘左衛門、勘三郎、滑稽掛合の玉助、半助、真正剣舞は天地景山、娘新内手踊は若竹清子。

大正10111日 九州日報

<上方圓遊一行・博多川丈座>

◇川丈座(博多) 東京落語三遊亭圓遊一行本日より開演。初日番組左の如し。

女道楽(ゆき栄)五人廻し(さん好)親子茶屋並に手踊り(すずめ)干物箱(圓好)曲芸(旭勝、一郎)野晒ステテコ(圓遊)

<編者註>桂福團治(後の二代目春團治)の番組は、112日「新町ぞめき」113日「青菜」114日「金の大黒」

大正10113 京都日出新聞

◇夷谷座で人気を取つて居る渡辺お糸の安来節は諸芸大会のやうで、落語喜劇あり、名古屋漫歳あり、出雲けんあり、鰌掬ひあり中々賑か…。

大正10114 京都日日新聞

◇芦辺館は一日から滑稽演芸会をやつている。お笑ひと思ひの外一寸四角四面で眼先ではない耳先の変つたもの。一馬先生袴とヒゲを一寸つけて、エヽ諸君ツ、鎮魂帰神を売物にした宗教の末路は…テナ式で頗つた訳。落語相撲は景品付でお客さんから落語の穴を探させる見物と舞台とに連鎖を作る、ソコが客を呼ぶコツだらう。

大正10115 大阪毎日新聞

◇[広告]南地・松島・北新地各花月亭出演

大正10年 002

東京落語若手花形柳亭芝楽、正調安来節一行、初の出演磯節芸妓小六一行、江戸生粋茶番湊家小亀、久々にて出演橘家勝太郎、東京落語之泰斗雷門助六

東京交代連當ル十一月一日ヨリ連夜

大正101110日 京城日報

◇明治町 電話二六〇番 浪花館/當る九日より落語義太夫萬歳 竹本林之助玉子家圓辰合同大一座/出演者連名 宝の入船(入登)二人掛合(淡路家□鶴、つるや□枝)落語物まね(三遊亭□遊)義太夫(静香)東京落語(柳家小三太)娘義太夫(竹本林昇)落語音曲手踊(橘ノ太郎)名古屋萬歳(橘ノ一蝶、玉子家圓辰)女若太夫(竹本林之助)大切喜劇(座員総出)

大正101111 大阪朝日新聞京都付録

◇富貴席及び西陣富貴其他各聯合席は来る十一日より左の通り出番替。

花団治、菊団治、馬琴、桃太郎、小円太、文団治、枝雀、円太郎等の真打幹部連、少女長唄杵屋道子、初子、福徳、福来の軽口、正一の奇術、其他余興として本場安来節連。

大正101111日 神戸新聞

千代廼座 本日からの出番は、一郎、東蔵、圓都、安来節、春輔、小歌女、圓瓢、巴家寅子一行、圓馬、吉奴妻奴、かしく、正楽、染五郎、小半、萬冶
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大正101115日 『寄席』第十八号

◇「大阪から」(十一月六日の夜・大森勝)

 …今月は花月派へ雷門助六と柳亭芝楽に四五ケ月東京に居た橘家勝太郎と常盤津の金之助、三喜之助が下阪して出演して居ます。先月から引続いて小亀一行も出て居ます。今年になつて花月派へ睦会から左楽と今輔が二度来て、円右、燕枝、右女助、小円右、華柳、柳枝、小柳枝、さくら、小燕枝、文楽、柳好等が来たので、後は助六、正蔵、芝楽、枝太郎、翫之助が主なる人です。誰れが十一月に来るのか知らと思つて居ました。助六は気障だからイヤだと云ふ人がありますが、私はなんとなく此人が好きです。芝楽も話はさほどうまいとは思はないが此の人も好きな人です。

四日に南の花月亭に行つたら、芝楽は「おだいもくで助かつた」で、踊りはやらなかつた。助六は「太皷腹」をやつて後で得意の名古屋甚句ともう一ツ踊つた。勝太郎はガチャ〳〵した詞で「居残り」をやつたが、なんだか不快な気がした。後は軍人生活のヤリさび踊りをやつた。暫く京都に居た桂枝太郎も出て、京都島原太夫の話をやつた。真打円太郎は相変らず「小言幸兵」をやる。而し此人の快弁を聞いて居ると知らず〳〵終りまで引張られてくるのが不思議だ。終りに小亀一行、それから余興に水戸芸妓の磯ぶし大漁踊りを水戸実写の活動写真を連鎖で見せました。波の花散る海の写真を見て磯ぶしを聞いて居ると水戸へ行つたやうな気がして来ました。

隣りの三友派紅梅亭は相変らぬ連中に一ケ月振りの円子と女道楽のおかめ、小かめが出て居ます。

尚六日に南の花月亭で助六、芝楽二人会がありました。芝楽は「芝浜」と「山崎屋」、助六は「写真の仇討」ともう二ツ。余興に金之助、三喜之助の常磐津がありました。

◇大正十年十月十一日改正出番表  大阪市南区笠屋町 花月吉本興行部

【大阪】

南地花月亭 歌雀 橘弥 小雀 升三 円歌 文雀 扇遊 残月 五郎 千橘 小文枝 三喜の助・金の助 
 芝楽 磯節 助六 米団治 勝太郎 春団治 三升家

北陽花月倶楽部 左雀 右円遊 扇遊 勝太郎 千橘 米治 歌の助 喬栄・喬の助 三喜の助・金の助 助六 
 楽の助 芝楽 円歌 三升家 残月

松島花月 竹雀 勝太郎 磯節 枝太郎 五郎 花治 三喜の助・金の助 助六 扇雀・四郎坊 小文枝 新鏡
 文雀 三升家 芝楽 小亀

天満花月 文々 白魚 小春団治 扇遊 歌の助 花丸 春団治 桐家連 喬栄・喬の助 星花 団浦[団輔] 
 とんぼ・金の助 米団治 扇枝 円歌

京町堀京三倶楽部 歌団治 磯節 枝太郎 白魚 文雀 東団治 助六 扇枝 春団治 桐家連 せんば 星六
 [星花] 升三 天地・景山 芝楽

福島花月亭 春駒 扇枝 勝太郎 文雀 扇遊 若枝 楽の助 春団治 桐家連 光右衛門 南天 升三 星花 
 残月

天神橋都座 助力 小春団治 白魚 光右衛門 扇枝 雀浦 桐家連 花丸 円歌 天賞・小賞 文蝶 米団治 
 楽の助 枝右衛門

南陽花月 円治 千橘 五郎 右円遊 雀浦[雀輔] 新昇 春初 助力 木鶴 喬栄・喬の助 若竹・清子 
 小雀 杵屋 升三 麦団治

北野青龍館 小文吾 歌団治 木鶴 楽の助 歌の助 助力 光右衛門 天賞・小賞 白魚 光円[若円ヵ] 
 枝右衛門 花丸 助八・芳丸

松島町松竹座 文鳴 花丸 新鏡 千橘 若竹・清子 若円 喬栄・喬の助 歌の助 助八・芳丸 枝太郎 
 とんぼ・金の助 三升家 南天 麦団治 天地・景山 

堀江賑江亭 春太郎 枝太郎 右円遊 五郎 円弥 政右衛門 花治 扇雀・四郎坊 小文枝 三喜の助・金の
 助 升三 杵屋 歌団治 南天 米団治

上本町富貴 枝右衛門 小文枝 天賞・小賞 とんぼ・金の助 小春団治 馬団治 助八・芳丸 残月 新鏡
 扇雀・四郎坊 若春 麦団治 天地・景山 歌団治 若 円

玉造中本倶楽部 円弥 扇雀・四郎坊 助八・芳丸 円治 新鏡 金笑 天地・景山 麦団治 小春団治 南天
 枝右衛門 木鶴 天賞・小賞 とんば・金の助 

堺寿館 木鶴 円治 雀浦[雀輔] 春初 右円遊 団丸 円弥 若円 助力 文藤 若竹・清子 若春 杵屋

新世界芦辺館 安来節 同 万才 安来節 出雲拳 同 同 安来節 安来節 磯節 同 同 小亀 小亀 安
 来節

千日前三友倶楽部 五座長合同一行

【京都】

新京極富貴 歌助・右の助 花団治 福徳・福来 桃太郎 小円太 円太郎 若橘・文如 初子・道子 馬琴 
 安来連 枝雀 正一 菊団治 長楽 文団治 直造

新京極笑福亭 安来団一行

千本長久亭 歌橘 半玉・茶好 直造 長楽 枝雁 文如 竹定 馬琴 桃太郎 枝雀 花団治 正一

西陣富貴 竹馬 文団治 半玉・茶好 梅香 文如 竹定 円太郎 安来連 長楽 花団治 正一 桃太郎

四条大宮泰平館 小太郎 円太郎 福徳・福来 小南光 林福昌 初子・道子 伯馬 竹定 若橘 菊団治 桃
 太郎 小円太

堀川春日亭 文一 直造 若橘 半玉・茶好 八百造 伯馬 馬琴 林福昌 枝雀 正一 文如 花団治

伏見常盤館 伯馬 梅香 林福昌 菊団治 米蔵 小円太 枝雁 福徳・福来 安来連 小南光 初子・道子
 文団治

東京浅草公園みくに座 正調安来節 渡辺お糸一行

巡業第一団(九州)枝の助 柳丈 さん好 一郎 鯛六 福団治 すゞめ 旭勝 小きん 雪江 円好 円遊

巡業第二団(近畿)三木坊 半助 小鍋 ざこば 染八 玉助 文治郎 菊子 金の助 文弥 円若
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大正101119日 大阪毎日新聞

◇風俗壊乱落語取締 大阪府保安課では一般興行物に対し時代に適応する取締をなすため曩に取締規則の改正を行ひ、不足であつた演芸係の補充もついたので過般来一斉に取締を開始し、先づ落語から手を染め、去月三十日夜南区難波新地花月亭で「馬の田楽」、十二日夜西区京町堀京三倶楽部で「葵茶屋」が何れも猥褻に亘るものとして禁止され、落語家から始末書を出させ取調中であるが、尚此種の風俗を害する読物は沢山あるので引続き取締を行ひ徹底的に検挙する方針であると。

大正101121 大阪朝日新聞京都付録

◇落語花月連 新京極富貴及び西陣富貴其他各聯合席は二十一日より出番替、重なる顔触左の如し。

小春団治、扇遊、桃太郎、枝太郎、扇枝、勝太郎、円歌、春団治、掛合ばなし半助、玉助、新内の喬栄、喬之助、義太夫の団勝等。

大正101130 大阪朝日新聞京都付録

◇落語花月 新京極富貴席西陣富貴席其他各聯合席十二月一日からの交代連。

梅香、右円遊、文雀、元次郎、米団治、小文枝、円若、紋右衛門、紋十郎等。余興連は升三、春初、勘左衛門、勘三郎の外新加入の声色柳亭長楽、女道楽花菱家連等。

大正1011

◇全国落語寄席界出演者及寄席一覧表(大正十年十一月調べ・関西の部)

大正10年 001

〈編者註〉表中「京都」とあるのは岡田が反対派を吉本に譲渡したとき、これに反対して飛び出した円笑一派の連名、芦辺館と春日亭がその席。「神戸」は吉原派の連名。文字もそれほど崩されていないので翻刻は省略する。なお『藝能懇話』六号(平成5年)より転載した。
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大正10121日 『寄席』第十九号

◇「大阪から」(十一月二十二日夜・大森勝)

 …落語席は花月派も三友派も二十一日より出番替りにて、花月派は花月連惣出に助六、芝楽、常磐津金之助、三木之助[三喜之助]が引続いて出演。三友派も御名じみの連中に安来節寿美の家一行が出演して居ます。

三友派若手連の民衆落語研究会第三回試演が市民館でありました。一時から開演でしたが、私が入場した時は三時少し廻つた時分で、第三の「崇徳院」と云ふのをやつて居ました。「瀬を早み岩にせかるゝ滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ」の歌が話の眼目なんでせうが、少しゝか聞かなかつたので好く分りませんでした。次ぎは枝鶴で「性は善」、次ぎは小はんの「家庭の裏面」、夫が表で心持をワルクして家へ戻ると、自分の云ひつけて置いた事が一ツも出来て居ないので、尚更心持をワルクする。妻は夫の気げんが取れなくて里へかへり、父に話をすると、父は、男は表へ出れば身体は使わなくとも人の上へたてば立つ程気をつかふものだ、それで家へ帰へつてユックリした気にならうとするのに、云ひつけて置いた事が一ツも出来て居なかつたら心持をワルクするのは当り前だと云ふて帰へす。それから妻は奉公人の先きへ立つて一ツも云はれないやうにして置く。夕方夫が帰るとすぐに手製のアイスクリームを出す、風呂を進める、御飯の仕度はチャアンと出来て居るので、それではおれの云ふ事がないと云ふので終り。なんだか落語を聞いて居るやうな気がしなかつたが、一寸直したら面白いだらうと思ひました。最後に代表者曰く「我々は新らしい落語家を向上させるため市民館のみの会でなく、公会堂なり、進んでは落語館をも拵へたいと思つて居る」と云ふやうな事を話して閉会しました。

上方落語史料集成 大正10年(1921)12月

大正1012月 大阪の寄席案内

◇三友派

一日より各席へ三木助、江戸茶番喜楽、菊治、金馬、枝鶴、花橘、円枝が出演。

 十一より各席へ三桂三木助、江戸茶番立花家菊治、宝来家喜楽等出演。

 二十一日より紅梅亭にて連夜忘年演芸会開催。

◇吉本花月派

 二十一日より南地花月亭にて忘年演芸会。当派幹部連一座で「千本桜道行」「宮本武蔵」巌流島等を開演。

二十一日より松島花月亭にて忘年興行安来節一行で開演。

大正101212 大阪朝日新聞京都付録

◇落語花月連 新京極富貴席及び西陣富貴席其他各特約館へ十一日より連夜交代連。

 桂小南光、桂桃太郎、立花家千橘、桂ざこば、桂文団治、海老一直造の曲芸、佃家白魚の珍芸、天小賞(天賞・小賞)の身体運動、虎口竹定の浪花節、新加入柳家長楽の声色等。

◇笑福亭 本場正調安来節女流一座家元二代目の称ある岸本お花一行の新顔連と交代、昼夜二回興行。

大正101213 京都日日新聞

◇顔見せん 興行にひつ例と肩書したものが芦辺館の高座に顕はれた。舞台の上手に出語席を設けて落語の出語り! 登場俳優は一切無言、落語によつて身振りをして芝居をする。顔に面を被つて顔見せぬ歌舞伎否かぶり劇。

大正101216日 香川新報

金丸座(琴平) 十五日から民衆娯楽演芸會の圓次郎と英国人ジョンベール一行は落語手踊音曲奇芸を演じ居る

大正101216日 九州日報

◇川丈座(博多) 忘年興行として東京落語三遊亭門左衛門の若手連十六日より賑々しく開演。入場料は大勉強で各等五十銭均一。初日の番組主なる物左の如くである。

落語手踊(門雀)落語音曲(門之助)落語曲芸(蝶ト一)滑稽二人道中(歌輔、照子)長唄勧進帳並に手踊り(小ゑん、燕朝)浮れの掛取並に舞(門左衛門)切落語喜劇(一座総出)

大正101220 京都日出新聞滋賀付録

◇伊藤痴遊来る 二十一日一日間限り大黒座に出演。

大正101221日 大阪毎日新聞

○民衆読物改善  第四回研究会  
 大阪市教育部社会教育課では予て講談、落語、浪花節等の読物の指導改善に関する研究会を設け、福士教育部長、兼田社会教育課長、堀居博物館長、浅野市視学等を委員として本年七月市庁舎に第一回を開き、浪花親友派幹部役員等を招致して意見を聴取し、更に第二回に京山呑風、第三回には京山福造を聘して得意の一席を語らせたが、今度第四回を二十二日午後二時から天王寺公園市民博物館に催し、講談師旭堂南陵を聘して「浪花名物男」「木下藤吉」の二席を弁じさせる筈。

大正101225日 大阪毎日新聞

◇名人上手と蓄音器 (前略)手近のものでは落語なども好い。が然し蓄音器に入つて面白く人気を博するものと然らざるものとある。而して其れが普通の技術の巧拙に拘らぬ処が一寸興味を引く。即ち落語で例をとると、今の落語界の霸者と許されてる柳家小さん──あの巧を以てして一度レコードに入ると話がしんで了ふので、案外人気がなくて、立花家花橘などが喜ばれるのは全く口跡の明瞭、音の冴えた処が蓄音喜にピタリと嵌まるのであるらしい。(後略)

大正101230日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/一月一日より東京落語大一座/笑福亭笑三 橘ノ楽天坊 橘ノ圓昇 三遊亭圓之助 桂昇治 橘ノ左近 女道楽 橘ノ圓雀 三遊亭圓次郎 五明楼春輔 橘ノ圓天坊 槌家萬治 橘ノ圓

 

【参考資料】

<大阪紅梅亭(三友派)の日曜会・独演会>

一月九日 

出演者:花橘、円、染丸、松鶴(厄払)円馬(千両富)その他。

一月二十三日 

出演者:円枝、蔵之助、染丸、円馬(茶の湯)松鶴(宿屋の仇討)その他余興。

二月十三日 

出演者:円馬、松鶴、円、遊三、小文三、蔵之助、枝鶴、玉輔、染雀の外に正光の奇術。

三月十三日 

 演目:瘤弁慶、画根問、唖の魚釣、慾の熊鷹、崇徳院、大山詣、中入曲芸、先の仏、実説明からす、腕喰。

六月十九日

番組:小倉船(染雀)、江戸荒物(米之助)、愛宕山(里鶴)、子猫(枝鶴)、抜け雀(花橘)、おはち(蔵之助)、鬼薊(染丸)、ひぐらもち(松鶴)、浪花芝居(円馬)、余興紙細工(巴家おもちや)

九月十八日 

 番組:旅の道づれ(染雀)、絵根問(米之助)、四季の茶屋(塩鯛)、たらちね(花橘)、虱茶屋(円枝)、
 百年目(三木助)、因果塚(遊三)、彼岸会(松鶴 )

十月二十三日

番組:小倉船(染雀)、浮世根問(玉輔)、手誉め(塩鯛)、倹約極意(円枝)、穴どろ(蔵之助)、猿廻し(染丸)、義士伝(一竜斎貞山)、堀越村(松鶴)、文七元結(遊三)等。

十一月十三日 

出演者:米花、玉輔、枝鶴、花橘、円枝、遊三、松鶴、蔵之助、染丸その他余興。

<京都芦辺館(三友派)の日曜会・独演会>

一月十六日(円馬親子会)

番組:四の字嫌ひ(とん馬)、茶の湯(円馬)、大名遊び(ぜん馬)、花見の仇討(円馬)、子別れ上(川
 柳)、子別れ中、下(円馬)。会費五十銭。

一月二十三日(三人会)

番組:新春の旅(一蔵)、無学者(蔵造)、蛸芝居(枝女太)、厄払い(三八)、明烏(川柳)、捨子(一馬)、しんこや新兵衛(三八)、肉付の面(川柳)、城山(一馬)

二月六日(文字花・染丸二人会)

番組:鬼薊(染丸)、沼津印籠取から腹切まで(文字花)、鍬潟(染丸)、おその六三長庵殺し(文字花)、
 補助声色(円三)。

二月十三日

番組:前席(座員)、三で塞(川柳)、先の仏(染丸)、六部機屋(川柳)、百年目(染丸)、声色(円
 三)、艶姿女舞衣三勝半七酒屋段(染丸外一座)

三月六日(第二百六十七回)

番組:瘤弁慶(一蔵)、お七(双馬)、みかん売(蔵造)、作生(白鶴)、廓の酒(ぜん馬)、馬子茶屋(三八)、余興劔舞(一馬)、吉野花山(枝鶴)、散斬お竜(川柳)

四月十日

十日午後一時より美代松のつんぼの機械購入に要する費用調達の為め日曜会を催すよし。

五月八日(第二百六十八回)

番組:三人旅(枝女太)、動物園(玉輔)、無学者(ぜん馬)、不思儀の薬(三八)、植木屋養子(塩鯛)、軍人の妻余興十題即席噺(秋月)、愛宕山(文三)、情死の失敗(川柳)、片袖(染丸)

五月十五日(江戸ツ子会)

出演者:円蔵、萬橘、蔵之助、円坊、とん馬、小はん、英昌、松之助、小奴、愛之助外。

五月二十日(円蔵長演会)

番組:落語(双馬、蔵造)、一つ穴(円坊)、衛生料理(蔵之助)、赤穂新城論(英昌)、剣舞(一馬)、み
 いら取(円蔵)、音曲噺(万橘)、派手彦(円蔵)

六月五日(第二百六十九回)

番組:名所古跡(鯛次)、十とく(蔵造)、音羽山清水寺(白鶴)、新らしい女(枝め太)、三国志(ぜん馬)、八百屋お七(円坊)、天災(三八)、中入剣舞(一馬)、祖師利益(川柳)、昆布巻芝居(花橘)、錦木(遊三)

六月十九日(円枝・遊三二人会)

番組:前席(鯛次)、落語(蔵造、三代松)、薩摩土産(円枝)、おせつ徳三郎(遊三)、余興鈴ヶ森(鶴蔵・一円)、宗悦殺し(遊三)、夢見の八兵衛(円枝)、三人片輪(遊三)

九月十八日(三八・川柳・染丸三人会)

番組:御祝儀(小染)、落葉籠(三八)、はで彦(川柳)、名画応挙(染丸)、真子屋新兵衛(三八)、塩原(川柳)、猿廻し(染丸)

九月二十五日(橘家親子会)

番組:遊さん船(蔵造)、りんきこま(小金馬)、紙屑屋(小円次)、付き馬(円好)、子別れ(円坊)、家庭の逸話(蔵之助)、劔舞(一馬)、江戸式音曲(萬橘)、玉の輿(円蔵)

十一月十三日

番組:竜の都(福の助)、地獄の遊び(小染)、池田の猟師(枝女太)、時計(しん蔵)、即座の智恵(円天坊)、味噌蔵(福円)、中入小鳥の演芸(松島社中)、夢見の八兵衛(福松)、名優淀五郎(川柳)、八足(円笑)

〈編者註〉独演会が日曜会(臨時日曜会)として開催されているのかどうか、新聞記事も各紙曖昧で区別がつかない。とりあえず日曜日の昼に紅梅亭及び芦辺館で開催されたものはすべてここに掲げた。

プロフィール

丸屋竹山人