大正2年

上方落語史料集成 大正2年(1913)  1月

大正211日 大阪新報[広告]

落語 006

大正211日 大阪新報[広告]

當元旦より 南地法善寺紅梅亭 浪花落語三友派 幹部全員出演 寿獅子 日の出社中 少女浪花節旭市子

浪花三友派演芸場 寿獅子日出社大悦一座 桂小南 春風亭柳昇 竹葉家芳子 梅の家小奴 立花屋妻奴外幹部全員出演

船場平野町此花館 福島延命館 堀江廓賑江亭 天満天神文芸館

浪花落語寿々女会 幹部全員出演 (交代連)三遊亭圓遊 柳亭燕洲 三遊亭遊朝 東京こま八 葭町芸妓よね八 中華人李有来 女浪花節小林重子

南地法善寺内蓬莱館 御霊境内あやめ館 空堀通沢井亭 北新地永楽館 新町瓢亭

當一月一日より連夜 浪花三友派、桂派合同大会 幹部全員出演 寿獅子 日の出社中 少女浪花節旭市子 天神天神杉之木

〈編者註〉京町堀第三文芸館、上福島龍虎館は紅梅亭の三友派が借り受け、天満天神第二文芸館は此花館の三友派が借り受けた。本拠地の松島文芸館は二月に此花館の三友派の広告に出るが、その後の去就は明らかでない。この時点で「互楽派」の歴史は閉じられたといっていい。

 なお各派の出演者は以下の通り。

◇三友派(紅梅亭) 円子、春団治、小文枝、市子、文団治、喬之助、円馬、日の出社中、米団治、小米、万光、文治、染丸、文三郎、正楽、文昇、玉団治、文之助。

◇三友派(此花館) しん橋、島之助、円雅、小南、柳昇、呂寿、枝雀、遊丈、五郎、金之助、小文吾、扇雀、政右衛門、日の出社中獅子の曲 。

◇寿々女会 松鶴、馬生、円遊、市丸、蝶満吉、葭町芸妓駒八、米八、清国人李有来、遊朝、燕州。

大正元年 大正派集合写真

     

上掲の写真は「上方はなし」四十七集(昭和156月)に掲載されているもの。キャプションに「大正元年桂枝雀主宰大正派創立紀念(於平野町第一此花館)」とある。大正元年八月、三友派が紅梅亭派と此花館派に分離、此花館派は大正派と名乗ったが十月にはもとの三友派に戻り、上掲の広告に見るように三友派が二つある状態がしばらく続く。この分離の時、暗躍していたのは席亭では杉の木、噺家では船遊亭志ん橋だといわれている。事実志ん橋は女房の宝集家金之助とずっと連名に名を連ねている。桂枝雀がこの派に加入したのは十一月からで、噺家としての地位は一番上だが「主宰」とするにはいささか語弊があろう。桂小南、露の五郎は大正二年の正月が初出演で、この五人ともが写っているこの写真は大正二年正月公演の時に撮られたものと思われる。なお前列向って右から四人目が宝集家金之助、その真後ろが桂枝雀、枝雀の左が桂小南、枝雀の右が船遊亭志ん橋、左端に立っているのが露の五郎である。

大正211日 京都日出新聞

広告/大正初春興行案内/電中一五二九番 芦辺館/当一月興行 浪花落語三友派/出演者 橘家円太郎 桂文都 桂文三 桂文吾 橘家円坊 桂花咲 松月堂楳林 三遊亭円駒 其他社中総出演

大正211日 名古屋新聞

演芸界

末廣座 舞台開き初興行として市川段四郎、猿之助、升三郎、都喜抜、勝五郎一座にて一日午後三時開場 初日は特等五十銭、一等四十銭、 二等三十銭、四等十銭 

御園座 一日より中村歌六、阪東鶴之助、市川鬼丸一座 初日は二十五銭均一、二日目より特等六十五銭、一等四十銭、以下二十銭 
千歳座 荒木一派に更に新顔を加える 
音羽座 北村生駒一座に更に吉岡駒男、中沢武雄、進藤次郎、伊東吾郎、織田實の五名を加えて一日より 
寶生座 例の一座へ阪東秀世、市川遊女を加える 
新守座 東京シーケー商会の活動写真、木戸は大人十銭小人五銭 
太陽館 活動写真 
大須文明館 活動写真 
歌舞伎座 お馴染みの中村吉十郎一座にて 
大須電気館 活動写真 
中央電気館 活動写真 
日出館 楽笑会一座に大阪俄信濃家尾半及び小半茶好等を加え三十一日より開場 
金輝館 大阪親友派の麒麟児廣澤晴海一行にて出演者は千代女、京山南洲、光治等本日は昼席あり 
桔梗座 桃中軒白雲一行にて一座には當年十一歳になる白雪あり 
京枡座 一日午後二時より花房清十郎一座の万歳新喜劇にて 
笑福座 市川小半冶、中村玉之助一座にて 
寿 座 嵐獅山、嵐亀三郎、市川福十郎一座にて 
明治座 東京若手俳優一座 
武田座 東京少女劇照子一行 
福寿亭 大阪親友派廣澤虎吉、京山光治、廣沢千代女等の一座にて開演 
正福座 福寿亭と掛持 
開慶座 桃中軒白雲一行 
春喜座 吉田小奈良一行の浪花節 
大正館 活動写真 
葉住座(半田)宗教劇安藤大僧丈一行「親鸞上人」 

東栄座(中津) 獅子芝居

大正211日 都新聞

[広告]年頭の御挨拶謹で申上候 名古屋富澤町富本席出演(三遊亭金馬一座)/司馬龍生、橘家一龍、三遊亭金八、三遊亭橘弥、三遊亭金遊斎、三遊亭金勝、立川談志、三遊亭金平、三遊亭金治、三遊亭翫馬、三遊亭小金馬、三遊亭金馬

大正21357日 大阪新報

◇芸人分布観 風馬牛 

〈編者註〉芸人の出生地を調べてその特色を述べた記事。三回連載。落語家だけを抜き出しておく。 

◇(上)島之内 桂文団治、日本橋 桂文都・桂春団治・桂燕枝。

◇(中)新町 桂文之助、阿波座 桂小文三、船場 桂文我、上町 桂文治・桂文三・笑福亭松鶴・桂枝雀。

◇(下)靭 桂歌之助、天満 桂萬光、堂島 桂米団治。

大正21410日 山陽新報(岡山)

<三遊亭遊三一座・岡山九重館>

九重館 三遊亭遊三一座の今四日目出し物左の如し。

 春の賑い(小遊)月宮殿(三之助)かつぎや(三冶)初天神(鶴吉)三味線曲引(一弦斎)二十四孝(圓三)女道楽(若梅、三子、圓嬢)馬場ノ盃(蘭月)掛合噺(半好、宝雀)錦木検校(二代目遊三)二十五題即席噺(総出)大切電気応用所作事。(14

九重館 三遊亭遊三一座の今十日目出し物左の如し。

 牛かけ(小遊)尼買(三之助)狸の報恩(三冶)新内弥冶喜多(鶴吉)三味線曲引(一弦斎)出来心(圓三)清元浮世節(女道楽)木村の朝風呂敷(蘭月)品川心中(遊三)二十五題即席噺(総出)大切電気応用所作事。(110

大正213日  

<笑福亭松光死亡>

笑福亭松光●笑福亭松光 本名梶木市松 安政五年生。十七歳のときに初代笑福亭福松(明治三十七年没)に入門し、松光と名乗り、生涯改名しなかった。鶴のように痩せた身体、禿の混じった縮れ毛の白髪、痘痕のある馬面、片方義眼という珍妙な風貌で、ヌウと高座に現れただけで客が爆笑した。無類のお人よしで「かんやん」の愛称で親しまれた。「いかけや」「牛ほめ」「稽古屋」「くしゃみ講釈」のような笑いの多い中ネタを得意とし、思い切り陽気に演じる「稽古屋」は特に評判がよく、常に客席から「稽古屋やってや」の声がかかった。余興にやる阿呆陀羅経や米山節も好評だったが、なにをやっても米山節と同じ節になり、それがまた笑いを誘った。福松亡きあとの三友派の幹部として同派の人気をしっかりと支えた。15日付「大阪毎日新聞」と18日付「大阪時事新報」が松光の死亡を報じている。

「笑福亭松光 浪花三友派落語家笑福亭松光(五十四)は久しく病気にて北区曾根崎上四丁目自宅にて療養中なりしが、三日午後十時死去せり。 同人は三十八年間斯道に勉強し、先代福松の跡を襲ひて真打となりたる者なりと。五日午後一時自宅出棺、三友派にて葬儀を行ふ」(大阪毎日)

「葬式料を贈る 三友派に出て居た義眼の松光は去年の冬から心臓病に罹つて居たが、到頭三四日前に五十四歳で死んで了つた。三友派からは葬式料百円を贈つたが、同派では予て座員の者の為に日頃から積金がしてあつて、イザといふ場合に間誤(まご)つかぬ用心をしてあるのは感心だ。現に一年余りも疾つてゐる扇蝶にも病中の手当に毎月五十円宛を支給して居るさうだ」(大阪時事)

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。
        

はか

                          天王寺一心寺にある笑福亭松光の墓。平成28627日、編者撮影。


大正215日 神戸新聞

千代之座 新開地敷島館は今回千代之座と改称し一日より東京大阪落語一座にて開演せり

大正2111日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地千代之座 東京落語(武左衛門)音曲噺(圓丸)落語(圓歌)落語音曲(小圓都)手踊(三之助、都)

<編者註>圓歌は後の橘ノ圓都(本名 池田豊次郎) 小圓都は、後の八代目桂文楽(本名 並河益義 鹿野武左衛門は、前名三遊亭圓都(名古屋の円都)と思われる。

大正2112 神戸新聞

日曜会 落語定席屋幸満の大和一座は十二日日曜会を催す出物は左の如し

 高宮川(竹馬)牛誉め(立之助)口入屋(春輔)頭山満君(柳丈)虱茶屋(呂鶴)音曲手踊(桃太郎、圓次、
 枝女吉)琵琶(駒吉)文違い(大和)

大正2113日 大阪時事新報

◇見連運動 曽呂利は今度息子の我太郎が京都の芝居に出勤したので、十三日に連中の見物をやるというて、昨今の寒さにも怯げず贔屓先をヒヨコヒヨコ廻つて頼んでゐる。余り扇動(あお)ると我太郎が増長して心が止まるかも知れぬぞ。

大正2114日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<三遊亭遊三一座・姫路楽天>

楽天 歌舞笑話三遊亭遊三一行にて十五日より開演の筈。番組は、

御祝儀二人旅(三八)落語手踊(三吉)落語(三冶)落語手踊(三吾)新内千両幟(三富久)新講談(蘭月)落語ステテコ(三年)音曲三味線曲引(三調)歌舞(三嬢、三子)掛合噺(三輔、三の輔)笑話舞(遊三)大切電気応用所作事祝金時(総出)

大正2115日 都新聞

三人 十五、十六の両日神田の立花亭で開演十五日は寺子茶屋、引越の夢(右女助)熊の皮、近江八景(圓窓)初天神、村正(三木助)

大正2115日 大阪時事新報

◇理想の家庭 両腕を切られてから寄席の曝し物にまでなつた松川家妻吉は、其後法善寺の西門に料理屋を開いたが、下手画工と慇懃を通じて手に手の自由はできぬ代り恋男の袖を咬へて何処へやら道行と出懸けて了つたが、近頃ヒヨコリ天王寺に現はれて風雅な家を借受け恋人と気楽に夫婦となつて、鎹の子まで儲け理想の家庭は恁(こ)うしたものだと笑かせてゐる。

大正2115 京都日出新聞

笑福亭は十五日より左の通り交代三若、先太郎、南枝、芝楽、門三郎、枝女太、円歌、桃太郎、円笑、円之助、文我、雷蔵、祐三郎、枝太郎、金城連、遊輔。

大正2116日 都新聞

◇広告/大入寄席案内
神田連雀町白梅亭 圓蔵、加賀太夫、宮古太夫、遊三、三木助、文蔵、花橘、圓窓、圓坊、小遊三、亀次
 郎、圓左、旭雲

木原亭 遊、圓右、圓遊、圓歌、大阪登初見得橘家圓坊、小遊三、りう馬、琵琶初見得旭雲、西洋手品通
 天、アカリンスキー外に婦人一名

四谷喜吉亭 貞山、圓右、圓歌、万橘、三木助、むらく、歌子、朝冶、通天、夢輔、露国俳優アカリンスキー

大正2116日 北国新聞(金沢)

<三遊亭小円朝一座・金沢一九席>

一九席 本日より東京落語三遊亭小圓朝一座にて賑々しく開演する筈なるが出番と顔触れとは左の如し。

 落語(扇朝)落語音曲(幸蔵)落語手踊(三朝)曲芸(助次郎)落語音曲手踊(朝之助)落語(國輔)落語手踊(小圓次)清元浮世節(小美代)落語人情噺(小圓朝)大一座総出。

大正2119日 大阪新報

◇蝶満吉の痛事 寿々女會の蝶満吉は去年連中と岸和田へ出稼に行つた時、同地の芸者の小千代へ仲間の鶴松を取持つたことがあつたが、此間も又小千代から今夜は貴方一人で来てくれとの手紙、之は又鶴松への伝言(ことづけ)か、何(いず)れは飲めることとホク〳〵もので出かけていつて、同地の勝利亭で一杯やつた。その勘定は小千代がだしてくれると思つていたのに、ヘイ御勘定をと戻りがけに若干かを取られて「エヽ新年早々から胸の悪い」

◇振はぬ金之助 相も変らず三遊派[三友派]に現れて常盤津一本で通している寶集屋金之助も、モウ大分ニウが入つたのか三味線をチリ付かせる計りで一向人気がないとは可哀想。

大正2118日 北国新聞

◇一九席のぞ記 小圓朝一座の東京落語で蓋を開けた。初日から木戸締切の大入は先づ以て目出度し。三朝の半ばより聴く。噺は身が入らねど座興にやるオドケた手品はくすぐりたい。次は朝之助。五十の坂を二つ三つ出たような顔付だが、御当人未だ〳〵若いやつな口を利いて「引越の夢」で落すという、余り新しくもない噺。前歯の抜けているのが愛嬌だった。続いて出たのが國輔というチック分けの色男。噺は古めかしい「掛取萬歳」だが、口振りが好いので、飽かなかった。景物の踊も達者、都々くって曰く「白猫と黒猫が小屋根に出逢い(恋猫の鳴声入)恋ぞ積りてプチとなる」文句が新しい。大津絵をラーヂステッキとはよく洒落れた。吹寄せのマガイ義太夫も御苦労様。切崩(もたれ)の小圓治、チト早口だが、噺がサッパリしていて面白い。田舎弁も巧みだ。立ってから付属とツベコベが長いので、ダレさせる。中入は小美代という達者の清元は耳傾ける丈けの価値は無い。浮世ぶしは佳也(かなり)ヤンヤと騒がせる。さて真打の小圓朝人情噺で大喝采。「文七お久」得意の噺で摘んで言えば、短い噺し、真味があって客をホロリとさせる中にも時々笑わせるという話し振りが莫迦(ばか)に気に入った。(美生)

大正2121 大阪朝日新聞京都付録

<二代目桂梅団治>

◇大津博秀館は二十一日より桂梅団治一行の落語を開演す。

大正212123日 門司新報(北九州)

<円頂派(橘ノ円)一座・羽衣町旭座>

旭座の落語 明二十一日より市内羽衣町旭座に於いて東京落語故人圓朝の門下橘の圓入道、雀や翫之助、及び三代目橘や圓三郎外若手一行打揃い初目見得開演の由。(121

旭座の落語圓入道 羽衣町旭座に於ける落語圓天坊一座本日の出し物は左の如し。

 伊勢参宮神の賑(圓二)掛合噺綱五郎(軽口)子誉め逆さ踊(圓吉)道灌笛の曲(圓郎)廓の穴音曲話(都ん輔)崇徳院(圓天坊)角力穴探し手踊(圓三郎)寶舟音曲話(翫之助)鹿政談手踊(圓入道)(123

大正2122日 神戸又新日報

千代廼座 出番左如

 圓車、圓弥、三之助、鶴輔、都、小四郎、扇三郎[扇之助]、右楽、圓丸、圓歌、柳丈、武左衛門

大正2123日 大阪毎日新聞[広告]

謝類焼御見舞 南区鍛冶屋町 三友派 三遊亭円若

〈編者註〉二十二日午後一時七分、市内南区鍛冶屋町井本和三郎方より出火。

大正2126 神戸又新日報

歌舞伎座の新築 川辺郡尼崎町有志の発起にて同地舊城内加島銀行出張所の裏手約二百坪余の敷地を買収し尼崎歌舞伎座と称する劇場を新築する事となり資本金十万圓の株式会社組織とし既に出願中の処去二十日其筋の認可を得たる為近々工事に着手し来る八九月頃には竣成なりと。

千代の座の本日 景清(扇三郎)五人廻し(有楽)音曲(圓丸)口入屋(圓歌)記憶術(柳丈)新派落語(武左衛門)

大正2127日 大阪時事新報
<二代目立花家千橘

◇新案鰌掬ひ 寿々女会の寄席に出てゐる立花家千吉(ママ)は音曲の美声を売物にしてゐるが、之だけでは愛嬌が薄う御座るから電気入りの鰌掬ひを見せるといふから、甚麼(どんな)珍型かと覗いて見ると、踊の極り目毎に懐中電気を執(とり)出してはピカリと光らせ、これでも電気入りの踊で御座いますと澄した滑稽振りに、多くの見物は莫迦にされながらも笑つて居るから妙なものだ。

大正2131日 名古屋新聞

<三遊亭金馬一座・名古屋大正館>

大正館 米屋町の高等演芸場大正館にては本日より東京落語三遊亭金馬一座にて花々しく開場。一座は腕利き揃い因みに本社愛読者は木戸大割引をなす。

大正2131日 大阪時事新報

◇寿々女会の寄席へ一日夜より少女浪花節の京山寿美奴加入し、柳亭燕洲と東京女連は居残り。

大正2131 京都日出新聞

芦辺館の鹿評を一寸 円太郎は軽い調子でよくしやべるが底がない花咲は場当り沢山で落語は駄洒落一方文三は話しは中々巧いが前口上が長く千篇一律文都は巧いが話の種が殆ど定(き)まつてゐる又舞台で首を振る癖が頗る目につく文吾は何といつても「シンミリ」と話しの上手は桂派中の首魁であらう此人が出ると立去る人の多いのは派手ならぬ故だ東京連は評なし(投書・紫峯)

笑福亭は二月一日より 枝女太、円笑、琴書、円歌、祐三郎、雷蔵、桃太郎、常盤津女連綾之助、綾若、円之助、枝太郎、円都、大和と雁首を差し換へてお目通り

上方落語史料集成 大正2年(1913)  2月

大正221日 大阪新報[広告]

當二月一日より連夜 南地法善寺紅梅亭 浪花落語三友派 幹部全員出演 講談梅林 少女浪花節旭市子 桂文三[27日の広告より載る]

浪花三友派演芸場 交代連 千歳米坡 高評に付引続桂小南 外幹部全員出演

船場平野町此花館 福島延命館 堀江廓賑江亭 天満天神文芸館 松島文芸館

浪花落語寿々女会 幹部全員出演 (交代連)少女浪花節京山寿美奴 柳亭燕洲 村橋こま奴 同米八 中華人李有来 

南地法善寺内蓬莱館 御霊境内あやめ館 空堀通沢井亭 北新地永楽館 新町瓢亭

當二月一日より連夜 浪花三友派、桂派合同大会 幹部全員出演 講談梅林 少女浪花節旭市子 天神天神杉之木

大正221日 大阪時事新報

◇三友派(此花館)の寄席へ一日より千歳米坡、梅の家小奴、東家三之助、立花家妻奴の女連中と桂小南、引続いて出演。

大正221 京都日出新聞

芦辺館は本日より司雁、三八、円福、円枝、花咲、米団治、菊団治、円馬、小米、文吾と交代する。
◇笑福亭の落語一五会は成功を祝ひ、記念品を呈すと尚今一日の番組は 二人浦島(三雀)非念力景清(枝太郎)片目花嫁(門三郎)裏の裏(円之助)目鏡や盗人(先太郎)吹替息子(桃太郎)余興義士浪花節曲芸後見(円歌、祐三郎、大和)蛸芝居(枝女太)軒づけ(南枝)

大正222日 大阪新報
小文吾と文三

◇小文吾の鼻 素話をさせるとあまり立たぬ男だが鼻の一芸土瓶をぶら下げて飛出すと、鳥渡凡ではないが、もうこの土瓶も古いもつと何か鼻で用ひる芸がないものか諸君考へてやつて下さい。

◇悲惨な文三 大阪は一向御無沙汰の文三は随分久しい病気を京都で悩んでいるが、あれで矢張相も変らず同地の芦辺館へ現はれ、前に緞帳を下して、人の肩に縋つて高座へ出るとは哀れな姿。

大正222日 大阪時事新報

◇燕洲得意 寿々女会の寄席へ招かれた柳亭燕洲は東京仕込みの人情話を種本にして落語をやるのが喝采されるので、此月も居残つて御機嫌を伺ふ事になつた。之で江戸児の面も立ち、彼地へ帰つても手柄話が出来やすと反つてゐる。

大正222日 大阪時事新報

◇浪花三友派(紅梅亭)の各席初お目見得として松月堂煤林(講談)、橘家小円太(落語)加入の外に、桂文三久々にて帰阪し、一日より南地法善寺内の紅梅席へ出演。

大正225日 京都日出新聞

◇笑福亭は今明両日、初午のお土産として入場客全部に粗品を呈すると共に京桂派連の考案になる京名所に因む新案の福引を余興にするといふ。

大正227日 神戸新聞

戎座 蔵之助一座今晩の出し物は左の如し。

 味噌蔵(正助)せむし茶屋(萬光)音曲噺(圓若)三十石(圓丸)後家殺し(正楽)滑稽浪花節(蔵之助)

大正2211日 大阪時事新報
桂文三

◇盲で無いのか 南地桂屋の金勇、秀奴等の弥生組の連中は、今度三友派へ加はつた桂文三が盲となつて出演するのが気の毒だと、若干の宝袋を贈つた上に紅梅亭へ自前花で景気づかせに出懸けたところ、高座へ現れた文三が、私も久し振で故郷の大阪へ戻つて参り、皆様の麗はしき後尊顔を拝しと紋切形をやらかしたので、金勇は秀奴の袖を曳いて、目が見えるのなら同情するので無かつたに。

大正2211日 大阪朝日新聞神戸付録

<落語定席栄館の誕生と屋幸満席の閉館>

新開地活動写真の定席栄館は、去年の秋頃から大分痛手を負っていたらしいが、此頃の不景気に到底持切れず昨十日限りに小屋を明渡す事となったが、其の後釜にはお隣の落語定席屋幸満がヌクヌクと座り込み引続いて開場。但し屋幸満の跡は博品館という人寄場には付きもの、勧商場に変るのだと

大正2214日 大阪時事新報
桂文三

◇何処まで厭味 久振で大阪の寄席へ帰つた桂文三は盲になるわ、桂派はグラつき出したわ、其窮状は生活状態にも影響し、沖の中へ舟を漕出して艪楫を失つたも同じ憐れな者でと密に同情を仰いで居ながら、太い金色の指輪に金色のピカピカした腕輪を光らせてゐる工合は幾ら稼業柄でも見苦しい事夥しい、虚栄も装飾も好い加減にしておけ、もう真面目になつて可い時分だ。

大正2214 京都日出新聞

<京都新京極の芦辺館と笑福亭>

○興行席と客種(三) 

寄席と一口に言つても落語席もあれば浪花節もある。又女義太夫などもあつて夫れ〴〵客種を異にしている。

まず落語席から物色してみやう。

落語席と言つても特長をもつているのは矢張新京極を見なければならぬ。新京極には御承知の芦辺館と笑福亭がある。

芦辺館は前身の幾代亭の時代から却々の客足をもつてゐる席で殊に近年旺(さか)んに客足を曳くべく抜目なく作戦計画を研究している。芦辺と変名してから場内の面目を一新して、壁なども竹の網代編といふ贅沢なもので、京都中の劇場寄席中で最も行届いた装飾といへば芦辺館である。入場料も比較的高い方であるが、一ケ月に連中の顔を代へる毎に東京などから何にか気の利いたものを引張つて来て大に目先を変へることに勤めている。這麼(こんな)調子で東京から給金の高い連中を呼ぶから入場料の高くなるのも自然である。入場料が高いから従つて活動写真や其他の寄席の如く雑種の客は入らない。何座(どこ)でもさうであるが、皆夫れ〳〵の華客(とくい)と言つた定連があるものであるが、芦辺館などは殊に夫れが明かに見られる。

芦辺館の客種といへば多く月給取さんが多い。会社銀行などの勤人が多いやうである。そして等は所謂落語好きで、何時行つてもよく見る顔の人が沢山にある。銀行会社員の外には可なりの官吏もある。商家の旦那衆も見受ける。それに祇甲あたりの美形も落語といへば十中の九迄は皆芦辺館へ来る。斯麼(こんな)有様で同館(ここ)の客種は皆美しい。お召や大島でなくても伊勢崎や米琉位は着ている連中で、帽子を被らないやうな人は余りないやうである。殊に近来遊廓方面の歓迎を受ける為めに東京から長唄連中などを呼んで大に運動をしたりして、屡々(しばしば)効を納め得る手腕は凄いものがある。京都の寄席中で一等美しい席であると同時に又一等客種の可い席である。 
 笑福亭といふ名は久しいもので、非常に寄席として歴史をもち由緒をもつた席であるが、二三年来経営者の劃策が悪かつた所為か、客足を落して了つて現今の円太郎が小円太時代に素晴しい人気で客を呼んだのがお名残となつて、以来振はざること夥しいものであつたが、芦辺館に居た枝太郎、円笑、大和などが芦辺館を去つて此亭席に陣を構えてからは、営業方針も一変すると共に油然として人気を盛返し、昔程ではなくても非常な発展を示して来た。

が、客種はどうしても今のところ芦辺館よりは稍劣等の部に属している。矢張幾分入場料の安い加減もあるやうだが、又一面新店といつた格で、僅かに枝太郎、円笑、其代(ママ)の贔負客を除く外はまづ新らしい客とみて可い。まだ老舗がつかぬ丈に客種は雑駁である。が此座(ここ)も又遊廓方面に勢力を扶植せんとして、縁故のある先斗町へ斬込んでいる。結果先斗町の芸妓は大分見受けるやうであるが、まだ日が浅いとでも言ふのか、矢張芦辺館に押されている観がある。

要するに落語は他の寄席と些か違つて一般に客種の美しいのは争はれぬ事実である。

〈編者註〉連載記事「興行席と客種」の第三回目。他は(一)芝居、(二)活動写真、(四)浪花節、(五)女義太夫、(六)大正座と夷谷座である。

2215日 神戸又新日報

戎座 十五日より出番代 圓歌、歌扇、正楽、蔵之助、圓丸、萬光、圓若

千代之座 十五日より出番代り、正輔、小延、圓丸、扇笑、萬光、圓歌、圓若、正楽、蔵之助

大正2218日、19 満州日々新聞

<三升紋弥一座・満州花月席>

花月席 落語(紋三郎)落語(弥三郎)皿の曲升踊(紋之助)東京落語浪花節(文治郎)独楽曲手踊り(小紋)落語高尾扇の舞(紋弥)長唄五条橋(杵屋連たき子、春子、喜よし)大切葛の葉子別れより引抜早替り保名狂乱電気応用大道具大仕掛所作事(三升紋弥)(118

花月席の紋弥 久しく淋れた居た寄席の方では、今度花月席が三升紋弥を呼んで十七日の晩に初日を出した。紋弥の人気は東京でも大阪でも寄席に遊んだ人なら大抵知って居る。されば来ない先から大変な人気で初日なのに高砂、末広などの美形が二十人計りも見物して居るなど、花月席として夜の明けたような好景気。
 前の方が二人ばかり減ったと云うので客寄はあっさりだが、文治郎は面白く遊ばせる。文治郎は此前茶楽と云って都々逸でお茶を濁して居た男、二年振りか三年振りにすっかり芸を磨いて来た。新作の乃木大将の大津絵も至極結構、雲右衛門も実に旨い、これ丈けでも浪花節好きを唸らせずには置くまい。お後が小紋の曲独楽、まだまだ若い所はあるけれど独楽はよく扱い扇の要止、股をくぐらせて口中止、衣紋流しなど好くやる。おしまいは鯉の瀧上りとあって、花道の上に釣った燈籠の中へ独楽を逆にすべり込ませると燈籠がパッと割れて五色の布がパラッと散るなど眼が覚める。それから踊りを二つ三つあって引込むと交代に、座長紋弥のお目通りとなる。
 まだ九時頃だ。小噺をお役目的に済ますと立ち上って秋の夜に上り下り、実に旨いものだ。就中上り下りと来ては何とも云えない旨味があって序でながら紋弥は話よりは踊の方が得手であって、其方では若柳吉弥と云う家元の名を継いで居る。其お手のものであっさり引込むと、杵屋連中の長唄になる。タテの喜よしと来ると両方の別嬪たき子、春子の引立役と云った御面相だが、三絃の達者な事、これに唄が又本物だ。好いと云う程の声ではないが量のある声で満場の鳴りを静める。愈々切りとなると、呼び物の電気応用大道具大仕掛となる。葛の葉子別れ引抜早替保名狂乱となる。浅黄幕を後ろに紋弥の話で好い加減まで筋を綴っていくと、幕の後ろに引込む。それと同時に葛の葉と早替り、障子に書残す文字などは右左口逆いろいろに書いて見せる。引抜きて居るから狂乱の花道は狭いので余程勝手が悪いようだ。それだけ花月席には勿体ない位、それにからむトッタリは段四郎の門下から引張って来たと云うだけあってこれも又美事にきれる。一座を通じて至極上品な所は此一座の売値(ねうち))である。就中紋弥の踊の上品な事只見物は拍手喝采を以って終始して居た。(219

大正221921日 名古屋新聞

<柳亭芝楽一座・名古屋笑福座>

笑福座 本日より昨年大正館の舞台開きに大好評を博したる東京落語柳亭芝楽一行にて開演。一座には青柳春助、春奴綺麗首の浮世節舞踊帰天斎の奇術其他若手腕利の一粒選りのみなりと。(219

笑福座 東京若手落語三代目柳亭芝楽大一座は非常の好人気にて今晩の重なる演物は左の如し。

 音曲噺(左若)独楽の一曲(楽水)曲独楽及び踊(芝太郎)素噺(小團冶)音曲噺(楽助)浮世節(春助)保名狂乱(春奴)奇術(帰天斎一龍)落語舞踊(芝楽)大切住吉踊。

<編者註>興行は二十二日迄。

大正2223日 北陸新聞(金沢)

<三遊亭小円朝一座・金沢一九席>

一九席 本日より二十七日迄三遊亭小圓朝一座のお名残として賑々しく開演すべく。因みに別項き抜券持参せば半額の由なり。

大正2224日 名古屋新聞

<三遊亭遊橋一座・名古屋金輝館>

三遊亭遊橋 東京落語界の重鎮三遊亭遊橋一行は、二十五日夜より納屋橋東詰金輝館に於て花々しく開演する由にて、初日の番組は左の如し。

  声演劇鏡山(遊女輔)三法の音曲(左橋)活惚れ(朝輔)高砂家の音曲(扇遊)熊の皮活人踊(小遊橋)浪花節手踊(明嬢)奇術(小一昇)新案落語(遊橋)掛合噺(万朝千朝)落語娼妓の手菅(二代目左圓遊)大切即席三題喜劇。

大正222426日 伊勢新聞(津)

<柳亭芝楽一座・津泉座>

泉座 東京落語柳亭芝楽一座にて開演。滑稽噺手踊の余興ありて人気好し。(224

泉座 毎夜好評なる東京落語柳亭芝楽一座の落語手踊手品は、一昨夜より大切に喜劇と深川踊りを出し大人気なるより、本月中は御厄介に預かると座員の御挨拶を其尽一寸御取次ぎ。(226

大正2224 京都日出新聞

<桂燕太郎一周忌追善公演>

◇此度桃太郎、枝太郎、先太郎催主となり京桂派連中の補助で、来る廿四日午後五時から新京極笑福亭に於て故燕太郎の一周年忌の追善演芸会を催す。

〈編者註〉桂枝太郎門人。桂枝雁の子ども。

大正2225日 香川新報(高松)

<三遊亭遊三一座・高松稲荷座>

稲荷座の遊三 先に丸亀市稲荷座にて大入を占めたる三遊亭遊三一座の音曲東京落語話は、今回三助其他の新顔を加え二十四日より同じく稲荷座に開演。

大正2227日 大阪時事新報
<桂文三>

文三反省す 三友派へ出演した桂文三が金の腕環を嵌めてゐるのは同情が薄からうと注意しておいたが、本人あの記事を誰に読んで聞されたか、早速腕環も取除けて反省してゐるのを見ると言効があつて憎くない。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  3月

大正231日 大阪新報[広告]

當三月一日より連夜 南地法善寺紅梅亭 浪花落語三友派 幹部全員出演 三遊亭三好 講談梅林 紙細工巴家伯糸

浪花三友派演芸場 交代連 千歳米坡 支那人□玉川 桂小南 外幹部全員出演

船場平野町此花館 福島延命館 堀江廓賑江亭 天満天神文芸館 

浪花落語寿々女会 幹部全員出演 (交代連)東京長唄紫江会 

南地法善寺内蓬莱館 御霊境内あやめ館 空堀通沢井亭 北新地永楽館 新町瓢亭

當二月一日より連夜 浪花三友派、桂派合同大会 幹部全員出演 三遊亭三好 講談梅林 紙細工巴家伯糸 天神天神杉之木

〈編者註〉都新聞の広告の通り、桂小南は浪花三友派(此花館)には参加せず、浪花三友派の連中と共に東京へ帰った模様。

大正231日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派の各席(紅梅亭・六方館・東紅梅亭・杉之木)は一日より三遊亭小遊三、松白堂楳林、桂伯糸等加入し、桂文三は引続き出演す。

◇此花、延命、賑江、文芸(天満)各席へ出演する新顔は馴染の千歳米坡、三の助、妻奴、曲芸海老一段蔵。

◇寿々女会の各席(蓬莱館、永楽館、瓢亭、あやめ館、沢井亭)へ一日より東京紫紅会の六歌女、六兼、六千代、六花等の女連出演す。

大正231 京都日出新聞

◇芦辺館は本日より左の通り雁首を差替へてお目通りする 司雁、三八、米紫、市馬、小文三、李有[](中国人)正楽、少女浪花節市子、万光、文吾。

大正231日 都新聞
<大阪落語の東上・小南、円馬、染丸ら

◇[広告]寄席案内
両国立花家(大阪落語合同大會) 小南、圓馬、圓子、染丸、圓橘、左文冶、小團冶、菊團冶、文子、秀甫、
  潮三郎
。。
○雷門並木亭 大阪派一座 主任圓馬 補助小南、圓子、圓橘
○芝永寿亭 桂小南、大正坊一、内田秀甫、潮三郎、金太郎、宮古太夫、菅正、小吉、梅花、菊團冶、小團
  冶、染丸、圓子、喬雀、東喬。

○中橋祇園亭 大阪落語連 小南、圓橘、秀甫、染丸、小團次、文子、圓子、菊團冶、染三、染の助、左文冶、
 潮三郎、金太郎、大正坊一、宮古太夫、菅正。

大正231日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地千代之座は生田前戎座と掛持にて米團冶、小圓太、燕枝、文三郎其他の落語

大正231日 芸備日々新聞(広島)

<桂三路一座・広島演芸館>

演芸館 久し振りにて開場。桂三路一行大阪落語歌舞音曲其番組は、瘤弁慶(桂三奴)改良しるこ(右三路)高砂屋(ポン太)掛合道中(路輔)八景(輔)ソモ(小ふじ)清元浄瑠璃明烏(二三路)シャシャ(橘の圓盆)胡渡し浄瑠唄三方目出度(三遊亭圓路)余興奈良丸式浄瑠璃(三路)

大正232日 北陸新聞(金沢)33日 北国新聞

<三遊亭左円遊一座・金沢一九席>

一九席 昨日より東京落語三遊亭左圓遊一座にて開演し好人気の由。(北陸)

一九席 (落語)番組左の如し。

 昔ばなし(遊之助)落語音曲(左遊)新落語(朝顔)落語手踊(千朝)西洋奇術(小一昇)落語手踊(とん橋)落語音曲(扇遊)浪花節手踊(明嬢)改作はなし(遊橋)掛合噺(千朝万朝)滑稽落語(左圓遊)即席三題喜劇(総出)(北国)

大正233日 都新聞

小南の人気 大阪落語合同會は去一日夜から並木、永寿、玉の井亭に出勤しているが、一座の小南は久々の目見得だけに好人気なりと。

大正236日 東京朝日新聞

圓坊おそれいる 圓坊は大阪紅梅亭の前借を踏倒していたが、一同今度の出京を幸い、席へ押寄せ高座から引ずり下すんだと息巻ているので、圓坊一縮み「打って帳消しなら痛いも我漫するが、其上取ろうというのだから怖い〳〵」

大正236日 芸備日々新聞

寿座 新築落成の同座は本月十五日頃華々しく開場式を行う。我童、秋月らの新舊合併若手一座にて開演の筈。

大正2312日 都新聞

三木助会 十三、十四、十五日の三日夜、神田白梅亭にて開会。補助は圓右、圓蔵。

大正2312日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<桂文治郎一座・姫路楽天>

楽天 十三日より浪花三友派落語桂文治郎一行を迎へて開演すべきが、馴深き一行の事とて前景気よし。

大正2314日 京都日出新聞

笑福亭鹿連は十五日より左の通の出順となる。千本長久亭掛持例の如し。

枝女太、松太郎、南枝、芝楽、門三郎、先太郎、円好、円歌、円笑、歌吉、力弥、武生、円次、枝太郎、円之助、松琴女史、桃太郎、武左衛門。

大正2314日 大阪朝日新聞神戸付録

落語定席屋幸満は廃業し栄館が之れを引受け九日より落語席に改む。

出演者は、梅輔(浪花落語)圓我(浪花落語)文鳴(浪花落語)圓松(浪花落語歌)文紅(東京落語)秋輔(浪花落語踊)若登司(新内)文字助(浪花落語)圓丸(音曲噺)春輔(浪花落語滑稽講釈)柏枝(音曲噺)柳叟(笑話)

大正2315日 北国新聞

<入船亭扇橋一座・金沢松カ枝館>

松カ枝館 東京落語入船亭扇橋一座にて本日より花々しく開演すべく。番組左の如く。大切は大道具大仕掛の由。

 影芝居□曽我(一幕)たらちめ(□吉)獅子の曲芸(都鳥)女義太夫玉三(勇玉)子安観音の由来(□橋)白木屋手踊(扇蔵)音曲噺掛合(勝之助)日本手品(小蝶太)落語手踊ステテコ(勝弥)音曲(燕之助)芝居正本話、島千鳥沖津白波三場、梅津長門(幸次郎)鳶の米吉(小圓冶)□□□(歌六)大阪屋花鳥(□右衛門)大道具大仕掛(扇橋)

大正2316日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○神田須田町立花亭 圓右、貞山、むらく、圓歌、圓窓、三木助、遊三、歌子、花橘、亀次郎、右女助、千
 山、遊福、福圓遊、筑櫻

○日本橋木原亭 小南、圓馬、染丸、菊團冶、圓子、併呑、圓橘、秀甫、金房千代子、常盤宗都。
○四谷喜吉亭 大阪落語 小南、圓馬、圓子、染丸、菊團冶、左文冶、秀甫、染の助、小團冶。
○三ツ木亭 大阪落語 小南、染丸、圓馬、圓子、魯正、左文冶、小團次、宮古太夫、秀甫、染の助、菊團冶。

大正2317日 大阪新報[広告]

南地法善寺紅梅亭 松島常盤橋六方館 和泉町東紅梅亭 天神社裏門杉之木

大正2317日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派(紅梅亭)に十五日から浪花節天中軒東雲が出演。

大正2318日 都新聞

大阪落語 十八、十九、二十の夜四谷喜よし亭

大正2318日 東京朝日新聞

◇大阪連の鼻息 圓馬、小南を大将にして乗込んだ大阪連は、近所の席へは一人も客を遣らぬよう吸尽して見せると大層な鼻息も、其割には行かぬので、今はスー〳〵云いながらドウモ東京の客は吸付きが悪るおますなと、呆痴(こけ)が眼明石でも買やしめへし。

大正2321日 東京朝日新聞

◇倶(とも)稼ぎの紋弥 恵智十のおこうと手を切ったり繋いだり血筋を揚げた末に懸落を極めた三桝紋弥は、目下朝鮮界隈を流れ渡って、例の仰山な踊りを見せて居るが、先様で御依存がなければ一生引取って頂きたい。

大正2321日 大阪時事新報
<紙切りの巴家伯糸

◇美術紙片 三友派の寄席へ伯糸といふ紙片の細工人が現れた。素より子供欺しだけれど、鋏一挺で見物からヤレ梅ケ谷の土俵入りだのビリケンの道行のと注文するのを言ふがまにまに紙で形を切抜くのは鮮やかなものだ。何でも以前は画家であつたのが悟る所があつて商売替をしたのださうな、素養あり矣か。

大正2322日 都新聞

浪華落語 二十三、四、五の夜四谷喜よし

大正2323日 大阪時事新報
<曽呂利新左衛門>

◇曽呂利の尋ね物 画家と成り済した曽呂利新左衛門、近頃揮毫に忙はしく、二三日前にも態々神戸迄出張した帰阪の道すがら、何処で落したか大事の腰下げを無くしたが、中には印材やら玩具の木魚やら何や彼やと三文判迄入れてあるので、曽呂利の為めにはダイヤモンドを紛失した程の迷子突(まごつき)方、早速知友の許へ回文を出した。曰く、愚拙の腰下げ御拾得のお方には尺八絹本の密画一枚を御礼の引換として差上げますと。有繋(さすが)は爺さん、如才のない触方をしてゐる。

大正2325日 東京朝日新聞
桂文都の上京

◇桂文都の上京 大阪の落語家桂文都は外二三名と共に来月上旬に上京し、柳派へ出席する由。

大正2325日 神戸新聞

高等演芸会 神港倶楽部の石村松雨等一行演芸会二日目の番組は左の如し。

 落語近江八景(圓六)長唄鞍馬(杵屋いく松、杵屋ふじ枝)バイオリン独奏、記憶術実験(石村松雨)落語や
 れやれ豆腐(起笑)和洋合奏緑の橋、義太夫堀川(松翠、松雨)長唄(杵屋連)お伽唱歌おうむ(松雨)

大正2325日 香川新報(高松)

<三遊亭遊三一座・高松戎座>

戎座 二十五日より人情話三遊亭遊三一行にて開場出し物左の如し。

 落語(三遊亭三八)落語(三遊亭三冶)落語手踊(三遊亭三吾)歴史講話(大森蘭月)喜劇(社中総出)曲弾(一絃斎三調)落語ステテコ(橘家圓三)歌舞音曲(三遊亭三嬢、同三子、同三富久)音曲落語一口問答(桂之助)掛合噺手踊り(三遊亭三吾、同三助)歌舞笑話(三遊亭遊三)大切汐汲引抜き古跡の老松(電気応用)社中総出。

大正2327日 大阪時事新報
<桂小米

◇小米の声色 三友派(紅梅亭)に出て居る小米は声色を専門にしてメキ〳〵売出して来たが、延二郎の物真似は頤を突出し屁ピリ腰になつてのお可笑味と嵐吉の声色に口元を押開いて愁い顔の按梅式杯人を食つた遣り方、兎に角偽せて聴せるのは器用に産れ付た者だ。

大正2328日 徳島毎日新聞

<三遊亭遊三一座・徳島緑館>

緑館 奇術ジャクラー操一打揚後の同館は電気応用人情噺三遊亭遊三一座にて来月九日初日開演。一行の顔触左の如し。

 三遊亭三八、同三冶、同三吾、大森蘭月、橘家圓三、三遊亭三嬢、同三子、同三富久、桂之助、三遊亭三助、同遊三。

大正2329日  

<末広家扇蝶死亡>

末広家扇家●末広家扇蝶 本名木代力松。慶応三年生。京都の表具商に生れる。宮川松之助に弟子入りして東家力松と名乗り。大阪千日前でカッポレを踊って人気者になつた。明治三十一年頃初代笑福亭福松に弟子入りして笑福亭璃喜松と名乗って落語家の仲間になった。しかし噺は上手でなく、高下駄を履き碁盤の上で十三本の扇を操る「松尽し」をやった。こうしたケレンで人気ものになったことに仲間内から嫉妬され、二代目文団治(七代目文治)の門下に移り、末広家扇蝶と改名した。330日付「大阪新報」、331日付「大阪朝日新聞」「大阪時事新報」が扇蝶の死を報じている。

末広家扇蝶死す 十三枚扇の松尽しの舞を売物にしていた落語家の末広家扇蝶は、昨年食堂癌に罹り、高安病院へ入院せしこともありしが、その後稍(やや)快方に赴き、自宅に加養し、「高座へ出坐したら胃からブラ下げた護謨(ゴム)管へお素湯(さゆ)を注ぎ込んで見せたりする積りだす」などと元気なことを云ひ居りしが、病勢頓に革(あらたま)り、二十九日午前二時、笠屋町の自宅に於て死去せり。同人は京都健仁寺四条下る表具師木代伊助忰にて、十二歳の時より芸人仲間に入り、三十一年東家璃喜松と称し浪花三友派に加わり、三十九年今の名に改めたりと。享年四十九」(大阪新報)

扇の扇蝶死す  浪花三友派の末広家扇蝶は昨年来食道癌にかゝつて苦しんでいたが、二十九日南区八幡町の自宅で死んだ。本名は木代力松。四十七歳。京都建仁寺の表具屋の二男で、三十一年三友派に入り、東家璃喜松と名乗つて居たが、三十九年扇蝶に改めた。十三枚扇の松尽しなどを工夫して御機嫌を取止めて居たが、冥土の席へお目見得をしたのは可憫(かわい)さうだつた。弟は元の延三郎の弟子で実川若二郎といゝ、永らく台湾辺をうろついていたが、扇蝶の死ぬ前日、松竹に掬上げられて帰阪したのは奇縁とでもいふのだらう。葬式は三十日、阿倍野墓地で執行(とりおこ)なつた」(大阪朝日)

扇蝶の病死  浪花三友派の末広家扇蝶は昨春以来食道癌に罹り寄席を休んで療養に努め居たりしが、薬石効なく二十九日午後二時南区千年町の自宅にて死去したり。同人は京都建仁寺四条下る表具師木代伴助の息子にて、十二歳の時落語社会に入り、明治三十一年東家璃喜松と称して三友派に出演し、三十九年来末広家扇蝶と改名したるもの。得意としたる舞の十三枚扇、松の名所踊りの活惚れなりし。行年四十九歳」(大阪時事)

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

大正2331日 大阪時事新報

◇浪花三友派(紅梅亭)の四月興行には東家三千之助、桐家福久助が現はれ、天中庵東雲嬢は引続き出演。寿々女会の各席には紫紅会が居残り外に柳昇と少女義太夫の竹本名柳、竹本東馬家が出場す。

大正2331 京都日出新聞

笑福亭は明一日より左記の出番順 
 松太郎、先太郎、枝女太、南枝、
[]楽、門三郎、円好、円笑、円の助、力弥、枝太郎、円歌、桃太郎、武
 左衛門、松琴女史、琴書。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  4月

大正241日 大阪新報[広告]

❍當る四月一日より連夜 南地法善寺紅梅亭 浪花落語三友派 幹部全員出演 (交代連)三遊亭三好 講談梅林 紙細工巴家伯糸

浪花三友派演芸場 交代連 浪花節天中庵東雲嬢 海老一直之助 東家三千の助 桐家亭久助 外幹部全員出演

船場平野町此花館 福島延命館 堀江廓賑江亭 松屋町松の座

浪花落語寿々女会 幹部全員出演 (交代連)春風亭柳昇 義太夫竹本名柳

南地法善寺内蓬莱館 御霊境内あやめ館 空堀通沢井亭 北新地永楽館 新町瓢亭 

❍當四月一日より連夜 浪花三友派、桂派合同大会 幹部全員出演 講談梅林 巴家伯糸 三遊亭三好 天神天神杉之木

大正241日 大阪朝日新聞

◇寿々女会は東京の紫紅会を四月も居残らせ、その外に柳昇及び少女義太夫竹本名柳、三味線東馬米を加へる。

大正241 京都日出新聞

芦辺館は本日より左の如き出番となつた司雁、春雨、米紫、三八、万光、伯[]、小文枝、蔵之助、文吾。

大正242日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○京橋金沢亭 落語大阪落語派出演。
○小石川表町礫川演芸館 桂小南、林家染丸、三遊亭圓子、桂小團冶、三遊亭圓橘、桂左文冶、武左衛門、梅
 左、魯正、宮古太夫。

大正242日 名古屋新聞

金輝館 三遊亭遊橋、二代目左圓遊一座は連夜好評にて今晩の番組左の如し

 声色劇(遊之助)音曲(左橋)浮世三番(寶遊)かわりめ(扇遊)たらちね(小遊橋)桂川(千朝万朝)千
 里眼(小一昇)難題解決(左圓遊)喜劇デレスーチ住吉踊総出

大正242日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派(紅梅亭)の落語各席に一日より東京の朝枝利宝来を加へ、円馬も東京より帰り、文三も引き続き出勤する。

大正242日 大阪時事新報

◇死亡広告 老母リサ儀予而病気ノ処薬石効ナク三十一日午前五時死去仕候。就而ハ四月二日午前九時自宅出棺阿倍野墓地ヘ葬送仕候此段、辱知諸君ニ謹告仕候/笑福亭松鶴親戚総代松田利三郎・笑福亭門弟中・浪花落語寿々女会

大正242日 神戸新聞

落語席 本月の出演者は千代ノ座 歌扇、圓歌、柳丈、駒弥、團朝、文二郎、天寶山、小文三、正楽、圓太郎。戎座は千代ノ座と掛持

大正243日 大阪時事新報
橘家蔵之助

◇蔵之助の旦那 三友派の寄席で浪花節の声色を使つて喝采を博して居る蔵之助は、紅梅亭を済して堺へ駈持の途中、難波から電車に乗り込み鼻下に生して居る髭を捻りながら紳士然と気取り返つて居ると、隣りの席へ腰を下して居た在方の親爺が、蔵之助を何処ぞの村長さんと間違へたらしく、何やら質問を続けて頻りに旦那様々々々と連発するので、初めの間は納り返つて居た蔵之助も今更乃公(おのれ)は落語家とも化の皮が現はされず、モシ乗客中に知つた顔の人でもゐねば好いがと上眼遣ひに密と真向ひの婦人を見ると、予て知合の芸妓が二三人、オヤと見る間に、堺へ駈持ですかと素破抜れてギヤフン。

大正246日 徳島毎日新聞

<三遊亭遊三一座・徳島緑館>

緑館 既記の如く節句こうぎょうとして来る八日初日三遊亭遊三一座の若手落語大一座開演。

初日當夜の番組は、落語伊勢参宮(三遊亭三八)落語名所巡り(三遊亭三吉)新内忠臣二度目清書(富士若梅)落語手踊(三遊亭三吾)三味線の曲(一弦斎三調)歴史講談(大森蘭月)落語ステテコ(橘家圓三)話劇(座中総出)歌舞女道楽(三遊亭三富久、三遊亭三子)落語音曲一口問答(桂美之助)掛合噺手踊(三遊亭三助、笑福亭鶴吉)笑話舞(三遊亭遊三)大切祝う金時電気応用所作。

大正2468日 満州日々新聞

<三遊亭円流一座・満州花月席>

花月席 六日より替り芸題。兵庫船(小圓)地獄八景(流好)掛合噺(蝶ん平、蝶六)近江八景(春楽)浮世節(おもちゃ)新講談古今名士側面談(小燕林)新町ぞめき(圓太郎)ボンチの曲芸(流之助)武者修行(圓駒)おせつ徳三郎(圓流)大切都踊(座員総出)(46

花月席 東の旅物真似(小圓)小倉船手踊(流好)掛合噺軽口(蝶ん平、蝶六)元犬音曲手踊(春楽)浮世節手踊(おもちゃ)新講談古今名士側面談(小燕林)天下泰平滑稽音曲(圓太郎)ポンチの曲芸(流之助)小言幸兵衛中風のステテコ(圓駒)写真指切声色(圓流)大切都踊カッポレ(座員総出)はやし(若葉連)。

<花月席を覗く>

花月の落語 久しぶりの落語で人気が好い。おもちゃの踊は足袋が十三文甲高くらいに見えて、春楽は今回で三度目だが相変らず要領を得ない。小燕林の新講談は二十銭白銅が袂から飛び出したりなんかして大いに愛嬌を添える。白眼の圓太郎大向を上眼で睨んではますます白眼を発揮して居る。流之助が盃の曲芸、こいつは眼先が変わっている。次郎坊好いものを見つけてきた。圓駒閣下は相変らず圓駒閣下だ、中風のステテコは見れば見る程面白い。これまで花月席で見たものの中で忘れられないのは、これと紋弥の上り下り。座長の圓流話の方は夢金であっさり投げ出し楽屋から二三人拝借までは好かったが、之れからの与太を加減つたらないね。次郎坊クンしっかりしないといけねえぜ。(46

大正249日 大阪時事新報

◇興行物の厄月 花に踊に見物の多くを奪ひ去られるので普通の興行物は尠からぬ打撃を被り、眉の辺りに八の字を寄せて居る始末で、寿々女会の寄席南地の蓬莱館では早くも入場料を十銭といふ廉価に引下げ、誰方も敷島一個で一夜の娯楽がとれます、サア〳〵お這入りやすは人を食たもの。

大正2413日 神戸又新日報

<浪花節定席第二大和座誕生>

平野座改称 大和座の吉田奈良丸は奥平野の平野座を買収し第二大和座と命名、浪花節の定席とし本日より花々しく開演。

大正241017日 台湾日日新報

<三遊亭遊朝一座・台湾基隆座>

基隆座 七日より新渡台三遊亭遊朝一座の東京人情噺、落語、曲芸、音曲の賑はしきもの興行中なるが、三尺坊の滑稽琵琶及び大切一座総出の掛合難題話しは大向受け頗る□しく□一行は左の如し 三遊亭遊朝、□□□三尺坊、立花□□□、三遊亭ライオン、立花家静子、同小さん。(410

遊朝の嘉義乗込み 基陸座に於て好評を博したる東京落語三遊亭遊朝の一座は嘉義座へ乗込み十九日より初日を出す筈。(417

大正241314151722日 台湾日日新報

<立花家橘之助一座(太夫元常陸山)・台湾栄座>

栄座の東京落語 常陸山一行太夫元なる立花家橘之助一行の東京落語は本日着台、直ちに同夜より向ふ七日間限り栄座に於て開演すべく、入場料は一等八十銭、二等五十銭、三等三十銭にして出番は左の如し。

 浮世はなし(呂栄)東男京五郎(□楽)今様落語(遊好)新作噺し、百面相(福円遊)芝居噺し(花橘)櫓太鼓曲引三都浮世節(橘之助)(413

大相撲基隆着 着港の前夜の如きは、船内余興に先立ち二等室の連中が飛出し、立花家橘之助が櫓太鼓の曲引きに得意の撥音を聞かせると思へば、忽ち橘之助が三味線取つて最先頭に立ち、花橘が法界坊に扮して四つ竹を打ち、小常陸、佐賀の海、近江富士、紫雲流等は太鼓やバケツや金盥までを持ち出してチン〳〵ドン〳〵の大騒ぎを始め船客船員等をも面白がらせたりと[十三日午前三時四十分着]。

栄座の橘之助 常陸の一行と共に渡台せし立花家橘之助一座は昨日相撲と共に乗込み、台湾神社参拝の上直ちに町廻りを為し、同夜より初日を明けたるが、基隆より同連せし贔負連は同人に花環を贈る筈なりと云ふ。(414

橘之助の初日 十三日より初日を出したる栄座の東京落語橘之助の一座は、却々の好人気にて常陸、西、待乳山以下力士連中も顔を揃へ、普通入場者約五百名と云ふ盛況、暫らくこの趣味に渇し居たる事とて大受けなるが、山栗営業部より橘之助に見事なる花環を贈りたり。尚ほ梅屋敷の八百吉裙は、橘之助の妹分とかにて、その縁故から毎夜一席宛助けに出演する筈である。

常陸山の土産物 橘之助一座 橘之助一座が来た。大相撲のお伴をして来た。御大が勧進元で栄座でやる。橘之助一座は御大が台湾に持参したお土産物だ。江戸趣味を充分に発揮した嬉しき土産物だ。おまけに御苦労にも御大自身出馬して斡旋して居る。我等は台北市民に代はりて御大に感謝する。
相撲と橘之助 東京新聞の情報に曰く、三遊の女王様で年こそ寄つたれ、芸は若手も及ばぬ達者女の立花家橘之助事石田美代さん(四十六)は、近頃の陽気に浮気の虫が我慢し切れず、予て思召をかけてゐた天下の横綱常陸山谷右衛門の跡を追うて二三日前フイと九州落を極め、門下の福円遊、花橘、妻八なんどを伴れて常陸の興行先筑前博多に乗り込んださうだ。婆さん此温気に白粉でもあるまいと云へば「否之白粉処か此男は面まで冠りますよ」とテレ隠しには百面相の福円遊を引合ひに出さうといふ逆上せ方云々、とんだ演芸記者の岡焼でもあるまい。(415

◇橘之助一座を聴く 寄席芸人として二十年以上も高座に勤め居る彼れ橘之助の芸は倍(ます)々円熟して来た。喉も糸も何処か故人今輔の面影を偲ばせる。喉に今輔の軽妙洗練に比し多少の聞劣りするも、彼れには更に彼れ独特の錆と抑揚自在とある。曲引は巧みに巧みなりと雖も今輔よりも吟朝に似て女には少しく色消しだ。なしもがなと思ふ場当りや俗受けに心掛けず、その喉と糸とを素直に発達させたら如何のものにやと思ふ。それでも以前ははわる達者といふ風で、人を馬鹿にしたやうな、ふざけたやうなところもあつたが、今では其の度が減じた。年のセイでもあらうが大に殊勝らしくなつた。

福円遊の落語はたしかに落付が出来てきた、貫目がついて来た。安本亀八作の人形振は以前よりの彼の身上で全く甘くなつた。高座に変化あるは客に取りて嬉しいが、彼れに取りてはこの百面相は損得何れなるかを疑はるゝ。要するに百面相の如きは子供瞞しに過ぎぬ。若し彼れにしてしう雀時代よりの人気を後援として其の特有の話才を発揮し落語専門にて押し通したなら、落語家としての彼れの地位はもつと進んで居らぬかと思はるゝ。何も橘之助老嬢のお伴して台湾三界まで「カバン」(彼れ自身の)を持参するに及ぶまい。ソレ共兄弟分の円蔵先生に頼まれて監督に来たものなら格別だが。

花橘の踊は専門か余興か、専門ならばチト承知が出来ぬが余興なら我慢してやる。同名の関係から一と昔前に死んだ花橘嬢を思ひ出させる。嬢の踊も大したものでなかつたとの評があれど、女で若くて愛嬌があつて目先きが変つた為めか一部の喝采を博した。之に比べると男の花橘は損だ。

橘之助、上陸当日の初日だ、多少の欠点は旅の労れのセイであらう。兎に角御大のお蔭でかゝる思ひ設けぬ江戸趣味に接し得るとは有難い、「お目ざ」に羊羹を貰つた心地する。昼は相撲を見物して夜は栄座に行くがよい。今に羽左君も来る。重ね〴〵の散財のやうだが態々大金を出して永の月日を費やして東京見物するより安直だ、大に見てやるべしだ。左すれば跡から続々名人上手も来る。台湾生活の無趣味殺風景を歎ずる要がなくなる。所謂台湾繁昌策だ、大に奮発して見てやるべしだ。(僕)(415

栄座の橘之助 本夜の出番は松のみどり(橘栄)御膳しるこ(橘楽)鰍沢(遊好)掛取万歳(福円遊)芝居咄し、踊(花橘)清元夕立場、三都浮世ぶし(橘之助)(417

寄席興行の客足 大相撲興行中は寄席や劇場は人気を吸ひ取られて不入かと思ふは大の間違ひ。大相撲の興行中は地方から多数の見物が出北する結果、夜は芝居とか寄席へ出掛けて疲労序でに遊んで行く。それで栄座の橘之助はこれは格外として、芳野亭の活動と喜劇も可なり客足があり、朝日座の如き毎夜四百五百の大入りである。これは亭主が相撲へ行く代りに、家内は芝居へ行くと云ふ様な原因もあるらしい。

橘之助の打揚げ 栄座は好評を博したる立花家橘之助一行は、相撲の千秋楽と共に二十日限り打上げ、二十一日一行と同時に台中へ乗り込み、同地台中座に於て即夜開演二十二三の三日間にて打上げ、相撲と共に二十四日台南へ乗り込み、同地戎座にて向ふ五十日間開演すべしと。(422

大正2416日 都新聞

◇[広告]
○瀬戸物町伊勢本 十五日より大阪派落語 小南、圓子一座
○深川三ツ木亭 初出演富士松加賀太夫/吾妻路宮古太夫、小圓朝、主任圓蔵、文蔵、圓坊、圓窓、りう馬。
○人形町末広亭 圓蔵、加賀太夫、宮古太夫、小圓朝、遊三、文蔵、小遊三、圓窓、右女助、圓坊、亀次郎、
 歌子、朝冶、萬橘、圓璃。

大正2416日 大阪新報
<三遊亭円馬>

◇圓馬の退散 浪花三友派に身をよせてもう一と息面白くない顔をしていた圓馬はとう〳〵東京へ帰った。東京が面白くなかつたら今度は何処へ行く。

大正2416日 大阪時事新報
桂文三

◇文三引続き出勤 三友派の寄席に卅日間だけ出勤の約束で京都から出て来た盲目の桂文三は、落語上手の払底な折柄飛込だので有繋(さすが)に真打らしい落着と深切の噺振、人気を引いてウント器量を上げ、引続き出勤する事となつた。文三両眼を抑へて此眼を明て皆様のお顔を見ながらお礼を申度い。

大正2418日 東京朝日新聞
<桂小南、東京で反撥をくらう。円馬帰阪する

◇大阪落語の失敗 先月上京したる小南一派の大阪落語家は、愈々此下席限り帰阪する由。而して大阪には三友、桂の両派あり、互に勢力を争い、近年桂派甚だ振わず、遂に解散の止むなきに至りしより、同派の牛耳を執れる席主は挽回の法を講ぜん為、圓馬、小南を一団として東上せしめたるものなるが、上京に際し、東京の三遊、柳派が小南に対する反感より強烈なる反対に遭いて景気思わしからず、圓馬先づ帰阪し、其他の連中も追々帰阪する筈なるが、小南は大に残念がり、或は独り踏止まりて最後の奮闘をするやも知れずと。

大正2423 北国新聞(金沢)

一九席 本日より東京大阪合併落語一座にて開演すべく。番組左の如く

 春の旅二人連(花吉)落語手踊(喬二)落語音曲(福若)落語曲芸(團之助)落語舞(小福)落語物真似
 (扇笑)落語(八百蔵)落語手踊(小扇)曲芸手品(一朝)落語手踊(文喬)落語音曲(福圓)ハイカラ喜劇
 (大一座)

大正2430日 大阪時事新報

◇浪花三友派紅梅亭外各席へは一日より長唄紫紅会の六美津、六松、六悦出演と極りしが、上京中の円馬、円子の両名も帰阪せしにより共に出席す。

大正2430 京都日出新聞

笑福亭は来月一日から西陣の西陣館七条の藤の屋の掛持をするが顔触は枝太郎、円歌、小枝鶴、福円、桃太郎、力弥、米八、寿栄奴、円笑、南若、琴書、松太郎、門三郎、芝楽、南枝、枝女太、先太郎。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  5月

大正251日 大阪新報[広告]

浪花落語三友派 紅梅亭 幹部全員出演 長唄紫紅會の杵屋六美津、六松、六悦 外新帰阪幹部圓馬、圓子其他

浪花三友派演芸場 交代連 古川旭汀、柳亭燕雀外幹部全員出席  船場平野町此花館 福島延命館 堀江廓賑江亭 空堀通沢井亭 高野廓汐見館   

❍當五月一日より連夜 浪花三友派、桂派合同大会 幹部全員出演 長唄紫紅會の杵屋六美津、六松、六悦 外新帰阪幹部圓馬、圓子其他 天満天神 杉之木   

大正251 京都日出新聞

芦辺館は本日より次の如き顔触であるが堀川紅梅館は掛持 文吾、朝枝、文三、蔵之助、染丸、小円太、文三郎、司雁、三蝶、福篤、染之助、吉之助。

大正251日 都新聞

三遊演芸会 一日夜より両国立花家に三木助主任の三遊演芸會あり。圓右、若燕等出席。

◇[広告]寄席案内

○白梅亭 加賀太夫、宮古太夫、圓蔵、小豆太夫、りう馬、清国人李彩、三木助、遊三、文蔵、圓坊、圓窓。

○立花家 三木助、圓右、小圓朝、若燕、歌子、圓歌、圓窓、小遊三、仲太夫、萬橘、小正一、右女助、亀次郎、新朝。

大正251日 名古屋新聞

春日亭 柳叟一座の落語は愈々今晩より其番組は、伊勢参宮(文龍)たらちめ(朝花)道具屋(遊三郎)清元(枝女吉)手踊(秋輔)獅子曲(勝鶴)百年目扇舞(圓次)函館五稜郭(柳丈)筑前琵琶(駒弥)人情噺(柳叟)

<編者註>二代目笑福亭勝鶴の演題は、2日「女房尻押し」3日「向不見の喧嘩」4日「二十四孝」6日「七段目」7日「歌根問」8日「軸ほめ」。大正館へ9日移動、13日「浮世床」14日「文福茶釜」、大正館は15日迄。

大正251日 神戸新聞

菊廼座主死す 新開地の浪花節定席菊廼座及び楠社西門筋橘座の座主佐野弥蔵(やぞう)は六ヶ月前より食道癌に罹り治療中なりしも効無く二十九日六十三歳を一期とし死亡せしより明二日佛式を以って夢野墓地に葬る筈なるが、同人の舅(しゅうと)菊野清次郎は浮かれ節が今日の隆盛を見ざりし明治八年楠社内に菊廼舎(きくのや)と称せる浮れ節定席を設け当地における斯界定席の嚆矢(こうし)となりしが、弥蔵は其の後を受け同二十九年楠社内の諸建物立退きの当時今の橘座に移転し矢張り菊廼舎と称し浪花節を興行し居たりしも昨年三月業務拡張と共に新開地に菊廼座を新設し一方を橘座と改称せしものなりと。

<参考資料> 類焼せし菊廼座(錦座火災の記事)大正2729日「神戸新聞」

(前省略)明治四十三年七月二十九日竣工したるものにして、敷地百六十六坪余建坪七十八坪余和洋造二階建にて興行の目的は活動写真常設館にして喜楽座と呼び、同年七月三十日より開場したれど、興行不振の為同年十二月二十三日より下沢通五丁目土井宋の手に移りたるもこれまた面白かりぬ折柄楠社西門筋の浪花節定席菊廼舎は西門の衰微に伴い興行不振のため交渉の結果四十五年二月二十五日六千五百圓にて今出在家町一丁目百二十九番佐野健次郎が譲り受け内外に改造を施したる上菊廼座と改称し浪花節定席となし今日に至り目下東天女浪花節虎筆等一座にて開演中なりしなり(後省略)

大正252日 都新聞

臨時演芸會 二、三、四の夜人形町鈴本に圓右、三木助ら

大正252日 大阪朝日新聞

◇寿々女会に一日より松柳亭鶴枝、小金家金之助、新橋こま奴が出席。杵家六歌女一座の長歌も引き続き出席。

大正252日 神戸新聞

千代之座 落語定席千代之座本月の出演者は左の如し

 桂團幸、同歌扇、林家正輔、橘家升三郎、同圓歌、同圓三郎、華玉川、桂菊團冶

大正253日 大阪時事新報

◇梅玉行詰る 中村梅玉が文楽座を見物の帰りに倹約主義から電車に乗ると、ヒヨツコリ出会つたのは元落語家の曽呂利新左衛門。一つ二つの話から摂津大掾の退隠といひ、お前さんも同じく役済みで羨ましいと、梅玉何と思つたか詰らぬことを言出したので、曽呂利忽ち筆を執つて「老ぬれば唯世の中の娑婆塞げ」と駄句る。ムヽと行詰つた梅玉の顔といつたら!

大正253日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<桂三路一座・姫路楽天>

楽天 落語音曲手踊桂三路一行を迎へて三日より花々しく開演する筈。演芸番組は御祝儀入込(三作)大阪落語(三奴)落語即席(右三次)滑稽音曲鼓の曲(ぽん太)二人掛合はなし(路輔、三十九)落語滑稽講釈(小よし)清元浮世節(二三路)落語手踊(圓盆)落語浄瑠璃(圓路)音曲落語奈良丸式義士一節(三路)

大正257日 都新聞

芝雀と翫之助 柳亭芝雀は目下北海道を、同雀家翫之助は朝鮮地方を巡業中

大正259日 名古屋新聞

大正館 東京落語にて評判の春錦亭柳叟、大隈柳丈一座にて今晩より開演其の番組は伊勢参宮(文龍)たらちめ(朝花)道具屋(遊三郎)清元(枝女吉)手踊(秋輔)獅子曲(勝鶴)百年目扇舞(圓次)函館五稜郭(柳丈)筑前琵琶(駒弥)人情噺)

春日亭 大好評の柳叟一行の落語今晩の番組は押へ分(喜花)犬の目(遊三郎)清元手祭(枝女吉)三枚起請(秋輔)奇術(一章斎)野ざらし(勝鶴)筑前琵琶(駒弥)動物園(柳丈)音曲手踊(圓次)紀文(柳叟)

大正25910日 伊勢新聞(津)

<桂小文枝一座・津泉座>

泉座 大阪桂小文枝外一行の落語曲芸會は七日晩より開演。毎夜満場殊に大切の喜劇は大受けなり。(59

泉座 大阪桂小文枝、三八其他十数名の落語曲芸奇術は毎夜人気好く、殊に大切の座員総出の喜劇は従来有り触れたる遺方とは大に其趣を異にす。當地興行は明十一日限り。(510

大正2510日 都新聞

圓璃の改名 立花家歌子の父三遊亭圓璃は遊輔と改名。十六日より芝恵十に出演

橘之助 一昨日帰京下席より人形町末広亭に出演

大正2510日 大阪時事新報

◇誤解するな 三友派をぬけて寿々女会の真打になつた松鶴は近来兎角噺振が地味で振はない。エヘヽヽヽどうも責任が重いのでと真面目くさるが、責任を知つてゐるなら弁解するな。

大正2510日 神戸新聞

<三代目橘家円三郎>

圓三郎千代之座 本日より左の如く出番変更し、大切に圓三郎の「電気応用滑稽七変化」を加えたり。また当日は播家連四百名の切落しありと。

〈編者註〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号所収)の「三代目橘家円三郎」の項によると、明治十四年に生れ、六代目桂文治門人団三郎、旅興行で三遊亭円子の一座に加わるときは円三郎を名乗った。明治四十四年末から神戸に腰を据え、橘ノ円の弟子となって三代目橘家円三郎を襲名した。得意ネタは「三枚起請」「佐々木裁き」「土橋万歳」などで、電気応用の派手な踊りや早替りの七変化などもで喝采を博したとある。

大正2515日 大阪時事新報

◇浪花三友派の紅梅亭外各席は美術紙細工の巴家伯糸、少年浪花節旭市子、講談松月堂楳林出演す。

大正2515 京都日出新聞
◇芦辺館の長唄 十五日より又候好評を得し東京婦人連中の長唄をかけることになつたが顔触は六歌女、六美津、六兼、文恵津の四人で六歌女は勧進帳の家元であるが唄は六歌女と六兼、三味が六美津と六恵津で本日の出物は「吾妻八景」

大正2516日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○立花亭 貞山、圓右、圓遊、三木助、圓歌、橘之助、右女助、歌子、朝次、圓窓、小正一、圓子、萬橘、亀次
 郎。
○喜吉亭 橘家圓蔵、加賀太夫、小圓朝、圓遊、三木助、李彩、圓窓、文蔵、遊輔。

大正2517日 大阪時事新報

◇六歌女逃げる 落語寿々女会で少し許り売出した杵屋六歌女の長唄も、色魔と緯名の歌之助といふ鹿が追廻して何うやら物にしたといふところから、六歌女は折角馴染みかけた大阪にも居憎くなり、十五日限りで京都へ逃げを張つた。歌之助天を仰いで、アヽ席主は無情だ。

大正2521日 大阪新報
<三遊亭円子>

◇圓子の舞台好 同じ三友派の圓子といへば、舞台に出ると唯もう気が馬鹿に陽気になつて、お得意の二調がすむと一つ茶碗廻しをとくる、それが済むともう一つのおまけに合羽屋をと踊る、時によるとまだもう一つ何かを演る、骨惜しみをしない嬉しい男。
◇独学の浪花節 浪花三友派に出て居る十三歳少女浪花節の市子は阿波の徳島の生れで天性の浪花節好きで誰れにも教はらず独りで覚えたのださうで、あの長い松の間の刃傷等をツラ
〳〵やつてのけるには皆舌を捲いている。それに好い咽喉でうまい処がある。

大正2522 大阪朝日新聞京都付録

<芦辺館と笑福亭を覗く>

◇東京杵屋の女連紫紅会の長唄が来たと聞き、遅がけに駈付けて見ると、丁度十八番「勧進帳」の最中、四人の美人がズラリと並んで江戸の音〆爽やかに、弁慶の一行「安宅の関」にかゝつていた。一行の統領は六唄女で、この演しものに限つては弾き唄ひでなければ困ると、絃も咽喉も懸声も一手の専売。たつた一人で芝居をして「人目の関」丈け漸く隣に渡した大骨折、声はチト堅く、唄ひ振は女の長う引く優しい弁慶にはなるが、本場もの丈けに何ともいへぬ味がある。「げに〳〵それも心得たり」から急に調子を変へて「人の情の…」にかゝるところ杯、乙な地味から甲の派手になる移り工合に聴人お酔はせた。六美津の声は仇つぽい粋な声で、六美津の撥は如何にも鮮やかなものであつた。この後の真打が例の文吾、花やかな後に渋い大阪噺を一席お土産とした。暑い時分のお噂「九郎判官」、余り他人のやらぬものを手短かにやつたが、酒の話は得意で、植木屋の夫婦の問答が面白かつた。

芦辺館が派手に当世向に人気を吸はうとするに対し、笑福亭は地味に古く、昔ながらの落語で行く。ここへ来ると昔風俗を遠く見るやうで、大阪落語の気分としては妙である。円笑の「植木屋」、手に入つたものだつたが、チト足が早くせゝこましかつた。続く南若の「軒付」、いよ〳〵古く大阪落語の型をその侭に二十年程昔へ返つたやうな気持に他愛がなかつたが、これも何とやらせはしないが疵だつた。枝太郎の「壷勘」は小話だが、品のよい話振は他に類はなく、何といつてもこの一座の統領であつた。円歌は人気者といふ。「竈盗人」を半分ばかり大急ぎで走つた、賑やかだがチト悪ずれの形がある。トリの琴書は「鼠小僧」の一条、いよ〳〵以てお古いが、それ丈けゆつたりと絵を見るやうに聞かれた。

大正2525日 大阪新報
<桂小米

◇気になる顔芸 三友派の小米もメキ〳〵と腕を上げ、假声(こわいろ)などは味をやるが、色気付いて変に気取つて眉に入の字を入れたり、口を曲(いが)めて見たりするので御定連様が「マア~小米はんは器用な事、顔芸まで上手になりやはつたしな」

大正2526日 京都日出新聞

京極ブラツ記 二 放浪 
 笑ふ門には福来る。笑福亭と云へば髄分福々しさうに思はれるがそれ程福々しさうな顔は一寸見当らぬ。放浪生の早取写真に撮(う)つたところにおめをとめて御覧を願ひたい。あんまり笑福に縁あるやうに見え申さぬ放浪生は、その晩早取写真器を懐中して、T君の名刺と金井さん(編者註:金井芳松、笑福亭席主)の好意とでピントを合せるに都合よい正面へ、紋付の着物着た気のきいたらしい女中君に案内された。ちやうど米八嬢(?)が三府浮かれぶし、米山甚句で黄色い声をふりあげて居る時、これから例に依つて絵に就て御紹介申上る。

5月26日⑤5月26日④5月26日③5月26日②5月26日①







(一)師匠枝太郎の男、「四本目には滋賀の松、五本目にはごよの松
‥‥」と義太(ぎだ)つて居るところをパチン、とカメラに失敬する。左右まゆ毛の間隔、小鼻から出発して口の周囲を回転せんとするシワの曲線美、手拭の肩衣着たあたり中々‥‥イヤ失敬。

(二)笑福亭第一の色男と称せらるゝ桃太郎君の男舞ひを紹介する。時々甲走つたやうな声、少々ばかり(ほんとうに僅か?)眼球(めだま)のへつ込んだと御自慢のあたり、お玉やんの手へしのんだアババの茂兵衛君の顔と声に似たやうな所はありませんか。 

(三)円歌君の万歳「九ツとせーい、子供を背負ふた女学生‥‥」と云ふのを、御本人少し迷惑かもしれんが紹介仕る。

(四)二人羽織、吾輩等も再三見せられたが、やつぱり面白い。坊主頭が円之助改め二代目福円、羽織の後へ此の暑いのに御苦労千万なのが円三郎、太鼓は桃太郎。福円の頭もグリ〳〵青入道的なのをピシヤリ〳〵はお痛い事でしやうネーと同情してる奴があつた。

(五)お客様方のうち手近の御方様だけ御覧に入れる。僕、学校に居る頃、美学の教師から、美術と云ふものは間のぬけたところに存する、間のぬけ方のうまいのが傑作である、と云ふ事を聴居た。今晩笑福亭で初めて種々な方面から覚ることが出来たのを笑福亭君に謝意を表す。

大正2527日 北国新聞(金沢)

東西落語合同一座・金沢一九席

一九席 東西落語合同一座にて本日より開演。番組左の如し。

噺二人旅(丸生)昔ばなし(圓寿)落語手踊(遊若)落語声色(圓洲)曲芸(小圓)娘落語舞(静子)落語(梅團次)落語手踊(小團次)落語音曲(文之助)落語曲盆手踊(團次)落語人情噺(遊朝)大切新喜劇。

大正2527日 名古屋新聞

春日亭 引続き大好評にて本日の番組は三人片輪(朝花)四の字嫌い(遊三郎)野崎村(團子)おふみ様(一斎龍)親子茶屋(秋輔)新口村(團助)因果塚(柳叟)

大正2527日 大阪毎日新聞

◇先年故人となりし東京柳家つばめの一周忌に当れば、同人弟河合氏が碑石建立と共に南地紅梅亭主人(原田政橘)等発起者となり四天王寺本場において法要を営むべしと。

大正2528日 台湾日日新報

三遊亭遊朝一座・台湾朝日座

朝日座 二十八日より東京落語三遊亭遊朝一行を招き左の通り開演あり。入場料は桟敷一名に付五十銭、其の他は二十五銭なりと。

落語音曲(柳家枝三郎)落語(三遊亭朝笑)音曲はなし(立花家円花)落語顔芸(三遊亭ライオン)落語音曲手踊(立花家花橘)清元浮世ぶし(三遊亭静子、立花家小さん)曲芸(槌家万治)琵琶ものまね(三尺坊)人情笑話(三遊亭遊朝)

大正2529 大阪朝日新聞京都付録

<五代目橘家円太郎>

◇円太郎妻の指輪 堀川丸太町上る寄席紅梅館主落語家橘家円太郎の女房おつねが、去る十一日の朝同館二階に於て髪を洗ふ際、百三十円の宝石入指輪を鏡台の抽斗に入れ置き其侭入浴に行き、十七日になつてフト指輪の事を思ひ出し抽斗を改めしに指輪はなし(後略:犯人は円太郎の妹藤川かめの愛人で紅梅館の木戸番をしていた男)。

大正2529日 都新聞

桂小南 圓右の紹介にて三遊派へ入る

大正2531日 大阪日新聞・大阪毎日新聞・大阪新報

<千日前第五愛進館が三友派(此花館)に加入する>

◇元浪花三友派組合此花館、延命館、賑江亭、沢井亭は此度千日前第五愛進館をも組合席とし、六月の出席者は枝雀、しん喬、金之助、小文吾一座に、東京より横目家助平及び筑前琵琶高峰筑風を呼び、本社天囚氏作大飛行の薩摩琵琶をそのまま筑前に写し、連夜各席にて演ずるよし。(大阪朝日)

◇千日前の第五愛進館は女義太夫の根城として聞えたる播重席の跡を継ぎ斯道のために最後の力を揮ひて女義太夫の養成に尽し来れるが、近頃聴衆の好みは段々義太夫を離れて浪花節、活動写真といつたやうなものに牽きつけられゆくより、今度愈々浪花三友派の此花、賑江他二ケ所の仲間へ加入し、真打枝雀、しん喬、金之助の他琵琶歌筑風と助平とが加入して賑々しく開場する由。(大阪毎日)

◇第五愛進館 六月一日より紅雀、文弥、花の助、雀、扇雀、助平、小枝鶴、政右衛門、柳昇、五郎、圓雅、小文吾、直造、枝雀、女連、遊丈、しん喬等出演。(大阪新報)

〈編者註〉もと播重席の第五愛進館は引続き女義太夫を掛けていたが、人気思わしくなく、六月より此花館の三友派組合に加入し落語席となったが、こちらも不入りで、九月一日からはもとの女義太夫に戻っている。

大正2531日 大阪時事新報

<三友派落語青年会>

◇三友派の紅梅亭は落語の青年輩に対し伎芸奨励の為め毎日一日十五日の両日に限り正午より試演会を催す。出演者は春団治、菊団次、小米以下米蔵、都司松会費は十五銭なりと。(大阪時事)

〈編者註〉

六月一日(第一回) 深山隠れ(米蔵)、弁慶(三蝶)、口入屋(米紫)、音曲噺(小円太)、春の遊び(菊団治)、医師の失敗(春団治)、大切余興喜劇。  

六月十五日(第二回) 神の賑(扇之助)、小倉船(春雨)、オタオタ太助(玉団治)、吹替息子(菊団治)、本能寺声色と舞踊(小米)、浪花節(蔵之助)、借家怪談(円枝)、船弁慶(米紫)、落語松竹梅(小文)、下好の頓智(万光)、仕込大筒(小文吾)、大切余興喜劇総出。

七月一日(第三回) 金の大黒(春団治)、小倉色紙(小文)、花と鼻(万光)。大切余興落語掛合噺一座総出。

大正2531日 大阪毎日新聞

<新町瓢亭、暫く休席する>

◇新町の瓢亭は桂派の衰滅以来すゞめ会にて開場し来りしが、前述の如き聴衆が好みの推移(うつりかわり)は致し方なく当分休場の由。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  6月

大正261日 大阪新報[広告]

❍来六月一日より連夜 法善寺紅梅亭 浪花落語三友派幹部全員出演 長唄紫紅會員 杵屋六美津 同六松 同六悦 外新帰阪幹部圓馬、圓子其他

浪花三友派演芸場 (交代連) 高峰筑風 横目家助平 外幹部全員出席  南地阪町第五愛進館 福島延命館 堀江廓賑江亭 空堀通沢井亭 船場平野町此花館    

大正261日 大阪時事新報

◇長唄紫紅会の杵屋六歌女は六兼、六美津、六かつ等を伴い京都に在しが、卅一日来阪、一日夜より浪花三友派の紅梅亭外寄席に出演、初日は娘道成寺を勤むる由。

〈編者註〉東京より来阪、三月一日より寿々女会各席に出ていたが、歌之助の件で五月十五日に京都へ出奔。六月一日より三友派(紅梅亭)に鞍替えして出演。新聞に各日の出し物がでているが省略。 

大正261日 大阪日新聞

◇寿々女会各席へ一日より東京柳連の柳亭燕協が加わる。

大正261 京都日出新聞

芦辺館は本日より久方振りで松林伯知が出演して左の如き出番となる司雁、三八、文三郎、染丸、文三、小団治、伯知、喬之助、文吾
◇笑福亭も本日より左の如く雁首を差し代へてお目通する 南枝、芝楽、門三郎、南若、燕若、円若、先太郎、枝女太、小ゑん、福円、女道楽力弥、奴、ふやな、円歌、桃太郎、枝太郎

大正261日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○金沢席 圓右、圓蔵、三木助、左文冶、遊朝、仲太夫、小遊三、李彩、圓三、りゆ馬、右女助、亀次郎。
○立花亭 圓蔵、遊三、小圓朝、三木助、歌子、圓若、ブラック、圓左、上り桂正宗、花橘、亀次郎、圓太、
 圓作。

大正261日 北国新聞(金沢松ケ枝館)

<五代目柳亭左楽一座・金沢>

松ケ枝館 予記の如く愈々本日より東京落語柳派の棟梁たる五代目柳亭左楽一座にて花々しく開演番組左の如く。

 笑噺(左市)落語(茶楽)滑稽笑話(左太郎)武助馬(枝之助)元禄流行歌(左鶴)御人さま(富楽)高砂屋ステテコ(楓枝)浮世風呂(かしく)大神楽曲芸(政次郎)凱旋兵士親子の情(左楽)大切手踊競べ(総出)

大正262 京都日出新聞

卅八貫大女 相州戸塚町玉淵れん(四十年)は旧家柄に生れ且つ夫も持つた身ながら不運の為十年前同地旭家の芸妓となつたが何しろ卅八貫の大女だから誰も手を出す者なく借金で甚太い首が回らなくなつたので、身代(みのしろ)二百円を崩済(ぼうさい)で返すこととして落語家三友派金馬の仲間入し東京から北海道へと股に掛け小樽演芸館大入祝の娼妓慰安会に月経中髪を洗つて出席大活動の結果昏倒し人夫十二名掛りで病院へ担ぎ込る

大正262日 中国新聞(広島)

<円頂派(橘ノ円)一座・広島演芸館>

演芸館の橘の圓入道一行愈々本日初日にて毎夜六時の開演初日の番組は、東の旅(圓二)道中八景(掛合)歌ねどい(圓吉)無筆親(圓郎)源平魁(都ン輔)住吉籠(圓天坊)四季の草(翫之助)奈良鹿政談(圓入道)余興圓入道碁盤踊。

大正263日 大阪毎日新聞

◇際物すぎる 鹿組の浪花三友派(紅梅亭)では、政府でさへ何とかの整理があるんだといふので、今度古参の円若、文之助始め正楽、左文治、文登外十名、都合十五の首をバツサリとやつた。ちよん切られた連中、こぼすまいことか。「何ぼ際物を覘ふのが得手(えて)だとて内輪を玉に遣ふのは余(あん)まりだ〳〵」。

大正263日  

<初代三遊亭円若死亡>

●初代三遊亭円若 本名斎藤安兵衛。慶応元年生。東京で修業し、明治二十八年に師匠四代目三遊亭円生とともに京都へ来て、そのまま上方に留まり、浪花三友派の席へ出た。明治三十一年十一月に初代笑福亭福松の門人となり笑福亭円若を名乗るが、福松死後もとの三遊亭円若に戻った。また一時三笑亭可楽を襲名したが、故障があり、すぐに元の名に復した。美声で、音曲師としての評価は高く、特に「槍錆」は絶品とされた。ただ性格は傲慢で、楽屋内の悶着が絶えなかったという。三日午後三時半、肺炎のため南区天王寺伶人町愛染坂稲荷小路の自宅で死亡した。葬儀は紅梅亭主人原田が万事を斡旋して四日午後三時に自宅出棺、阿部野墓地にて火葬に付された。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

大正265日 都新聞

有名

 七日夜浅草宮戸座前あずまに落語、講談、常磐津、長唄合同會番組は義士傳(貞山)長唄合奏(勘左衛門一派)のざらし(圓遊)浪花茶屋(小南)押くら(圓蔵)式三番(常磐津駒太夫、岸澤伊助一派)文七元結(圓右)余興(掛合噺)

大正267日 都新聞

◇三十六貫芸者死す 三遊亭金馬が戸塚から見付け出して一座へ加え三十六貫目の芸者として高座を賑わした旭家照吉(四十)各地を巡業して小樽へ乗込み当り祝いの為め同地の遊廓へ繰込み二つ三つ謡(うたい)を唄いて、急に気分悪く卒倒したれば、傍らにゐた金馬は吃驚して、付近の病院へ担ぎ込み三日間休席して看護せし為め、一時快方に向い五月廿七日返り、初日を出したるも、照吉は遂に三日死亡したれば、懇(ねんごろ)に弔いて、遺骨は郷里戸塚へ送りたる由。

大正268日 大阪日新聞

◇寿々女会各席の落語は一座の筑前琵琶中村春暁が、七日より武石浩玻氏の飛行機の作歌を組合各席にて演ずる。

大正268日 大阪日新聞

◇落語家の発奮 落語が漸々(だんだん)寂れて行くのは落語家の芸が荒んでからだと、遅蒔きながら気がついた円馬、文都、文団治、文吾等が発企で、近日南地の演舞場を借入れ、忘れられやうとする落語、若い連中の知らぬ皮肉な落語をお聞きに達し、大(おおい)に落語界のために気焔を上げるといふ。それも宜いが、何時までチョン髷時代の落語でもあるまい。居酒屋がカッフエーとなり、夢想兵衛がプレリオ式で飛ぶ時代だ。オイお前の羽織は疾(とう)のむかしに引込んでる。

大正268 大阪毎日新聞京都滋賀付録

<桂扇枝(浅野楢三郎)の妻、警察に保護される>

◇狂女は落語家の女房 六日夜十一時三十分京都駅前を徘徊せる一人の狂女あり。七条署にて保護せるに、程なく此女は木屋町三条下る処に住む新京極笑福亭の浅野奈良[楢]三郎内縁妻大久保とみ(二十九)と判り夫に引渡さる。

大正268 京都日出新聞

芦辺館は講談の伯知と清[]の喬之助が呼物で夫れ〴〵同好者を呼んでいる。

大正269日 大阪時事新報

◇以前の播重席 千日前の播重席といつた時代は地方迄も名を知られた定席だつたが、其後チヨンガレの合同を遣つたり、怪し気なタレ義でお茶を濁して見たけれど、一向に揮はぬので、いよ〳〵落語の寄席にして真生や金之助などの古顔を看板にしてだん〳〵影が薄らいで行く。

大正2611日、12 大阪毎日新聞613日、2024 大阪時事新報

<落語保存会(文吾・文都・円馬)>

らくご 004

                    落語保存会

謹啓 さて此度落語保存会と大々的名称をかゝげ申候義は、古きを尋ねて新しき試みを探らんとする企望に御座候。何れにしても天か下の事は探りくらべの外ならずと存候。従来斯界の同人等がはなす折なくして徒らにしこため居申候もの沢山に有之候。そを探り出さずして腹袋の底に腐廃せしめんは如何にも遺憾の極みに候。とにかく滑稽なるものは千古の真理を私語するものなりなど理屈らしく見へ候て、つばめの合はぬ処に深々たる妙味をもてるものをのみ選擇いたし、ゆる〳〵と御清聴に達せんとする一会に御座候。されば時々適当の場所をとり設け、諸大人の御来駕を仰がんとの愚計に御座候。希くば多々の御賛助あらんことを偏に奉祈上候 敬具/落語保存会発起人(以下略)

〈編者註〉上掲の番組は「富士正晴記念館所蔵 寄席番組類目録」(富士正晴記念館・平成12年)より拝借した。なお、この会に関する新聞記事は以下の通り。

◇浪花三友派各席協議の結果、落語家及び斯道の好者を集め落語保存会を組織し、曽呂利新左衛門、桂文左衛門、桂文治の三名を顧問に芸道の指導批評を委嘱し、二十二日南地演舞場にて第一回保存会を開き、各自得意のものを演ずべしと。(大阪毎日611

◇駄句と駄画 雅名桃子事桂文左衛門の駄句りや漁仙事曽呂利新左衛門の駄画りやうも凄いものだが、此頃桂文治と三人で落語保存会といふものを拵へ南地演舞場で発会式を挙るさうだ。そこ迄は無難だが「当日会場の屏風は斯くいふ新左と文左で描きます」はわるい所存会。(大阪毎日612

◇落語の革新 浪花三友派(紅梅亭)の寄席専務の原田は現状維持では落語界の前途が悲観されると後れ走ながらも好い所へ気がついて落語革新会ともいふべき改革案を提出し、真打連と相談の上十三日頃発会式を南地の演舞場で挙げるさうだ。多少向上したら結構々々。(大阪時事613

◇三友派の原田紅梅が幹事と成りての落語保存会は廿二日南地演舞場に於て開催する事に確定せり。賛成者も意外に多く、初会の出演者は桂文吾の駱駝の葬、円馬の鏡池操松風、文都の冬の遊。(大阪時事620) 

◇三友派主催の落語保存会は其第一回に南地演舞場の新座敷を借受け開催したるが、常に聴き得る事の出来ぬ種類を提出するの趣意なれば、珍談を耳にせんと入場せし者予定以外に溢れて満場立錐の余地もなき好況を呈せしが、落語に文吾の駱駝の葬は滑稽妙を尽して臍の緒を撚らせ、会員の側に在りし曽我の家五郎と蝶六の如きは当代の聴き物で是非喜劇の材料に使用仕度と希望しつゝあり。次に円馬の江島屋騒動は円朝の型を追うて多くの人を泣せ、文都の冬の遊びはモウ一と息の感ありしは残念なりしと。(大阪時事624

大正2611日 中国新聞

<円頂派(橘ノ円)一座・広島柳座>

柳座の東京落語橘の圓入道一行にて、圓入道は東京の本舞台にて素噺を鍛え込みしと覚しく、従来とはグッと渋い噺口となりて人情落語聴好者を喜ばせをれり。

大正2611日 満州日々新聞

<柳亭芝楽一座・満州花月席>

花月席には十四日五日頃東京落語柳亭芝楽が乗込むと云う。同人は柳家小さんの弟子となり最初小太郎、真打になって小團次昨年五代目左楽の養子となって養父の前名芝楽を継いだもの。年はまだ二十八で扇の舞が十八番。一座は独楽の松井小源水、女道楽三名の外、小團次、楽助、清雅などの若手十三名。

大正2614日 山陽新報(岡山)

<円頂派(橘ノ円)一座・岡山九重館>

九重館 東京落語橘圓入道並びに音曲師鶴家翫之助一座にて十六日より開演の筈なり。

<編者註>圓一座の番組は下記の通り。

616

東の旅(圓二)道中八景(掛合)歌根問(圓吉)無筆親(圓郎)源平魁(都ン輔)住吉駕籠(圓天坊)四季の草(翫之助)奈良鹿政談(圓入道)碁盤の上の踊

619

東の旅浮れの賑い(圓二)吉原の立引(軽口)口合小町逆踊(圓吉)無学者(圓郎)東京音曲(都ン輔)住吉駕籠踊(圓天坊)音曲ばなし(翫之助)三軒茶屋手踊(圓入道)

620

明石名所(圓二)奥庭(軽口)あわびのし逆さ踊(圓吉)歌根問横笛(圓郎)隅田の流れ音曲(都ン輔)寄合酒手踊(圓天坊)音曲ばなし(翫之助)忠孝手踊(圓入道)

621

瘤弁慶(圓二)家来の失敗(軽口)鷺取り逆さ踊り(圓吉)大田道灌(圓郎)廓の穴音曲(都ン輔)軒付(圓天坊)音曲ばなし(翫之助)巌流島手踊(圓入道)

622

兵庫舟(圓二)道中八景(軽口)動物園逆踊り(圓吉)馬鹿女郎買(圓郎)宮戸川音曲(都ン輔)土橋万歳(圓天坊)音曲ばなし(翫之助)天災手踊(圓入道)

623

神の賑い浮れ旅(圓二)梅ケ枝(軽口)牛誉逆踊り(圓吉)金明竹横笛(圓郎)西行法師音曲(都ン輔)馬の田楽手踊(圓天坊)近江八景音曲(翫之助)沢村田之助手踊(圓入道)

625

播州名所(圓二)網五郎(軽口)棒屋逆踊り(圓吉)嘘付村(圓郎)粟餅女郎買(都ン輔)犬の目手踊(圓天坊)音曲ばなし(翫之助)左甚五郎手踊(圓入道)

大正2615日 大阪毎日新聞

◇珍妙な二喜劇団 落語家の反逆と新喜劇女優 (前略)一つは落語界から分離しやうとするもので、其名前も落語喜劇会と略(ほぼ)極つた。顔触は三友派(紅梅亭)の染丸、花咲、福円、円枝、円枝、小米其他数名の連中で、此の手合は落語界で相応に腕も人気もあるのだが、親不孝とづぼらの報いで何う藻掻(もがい)ても新打[真打]に成れる見込が無く、迚(とて)もうだつが上らぬものなら、一か八かで山を張れと飛んだ謀叛気を起し、牛を馬に喜劇へ乗出すことゝなり、参謀は幕屋の新庄家、兵站部は浅野衣裳部の主人が向ふ一年間道楽に貢いでやると話が極り、落語材料専門の喜劇を仕組み、替りまして大いに替り栄の致しました所をお目にかけると一同固くなつて力味でゐる。(後略)

〈編者註〉因みに今一つの珍劇団は五郎、十郎を顧問に、蝶六監督の女喜劇団。

大正2615 京都日出新聞
◇笑福亭は十六日から従来の社中へ小ゑん、燕雀、それに女道楽連が加入し落語角力の穴さがしで景品を贈るさうで
尚大切には一座総出で怪談を催すさうであるが千本長久亭も懸持することになつた

大正2615日 満州日々新聞

花月席 厄払い(芝之助)一つ目上り(芝三郎)弥次喜多(楽水)二つ三つ四つ(右楽)掛取(左若)素噺(清雅)四季の色(楽助)小原女(小圓冶)清元浮世節手踊(小美代、春好、春助)独楽の曲(小源水)柳の馬場(芝楽)大切東都獅子(総出)都ばやし(柳家連)

大正2616日 大阪時事新報

◇突然南京花火 三友派の円馬が駈持席の紅梅亭で例の渋い処を聞かさうと枕を振つて頻りに見物の胸倉を狙ひながら、さていよ〳〵本文といふ途端に、壁一重隣り合せた中座の曽我の家の舞台で南京花火の音がパチ〳〵。吃驚(びっくり)した見物は思はずそれに気を奪られて、話も其方除(そっちのけ)の有様に、その時円馬の小気味の悪い笑顔といつたら。

大正2616日 大阪毎日新聞

◇仲間への勤め振り 落語青年会の幹事小文枝、蔵之助、春団治の三人は各自会長にならうの野心で頻りと仲間や席亭におべつかつているが、御機嫌の取り工合は三人ながら中々巧いもんだ。席亭の一人頭から引ン剥いて曰く、「オイお前達そのコツで高座を勤めなさい」。

大正2616日 大阪日新聞

◇浪花三友派(此花館)各席に十五日より桂文之助、今様仕舞中村霞、高峰筑風、横目家助平、地天斎小貞一助らが出席する。

落語 004
〈編者註〉『藝能懇話』三号(平成2年)に六月十五日からの延命館の演芸ビラが載る(上図参照)。

大正2616日 大阪新報
<杉の木、反対派の攻勢に苦戦>

◇杉の木の半減 何しろ節向ふ側に反対派落語団が十銭とか六銭とかの無暗と安値で客を呼ぶところから、杉の木の浪花三友派、之に当てられて捗々しからず、負けぬ気になつて半減の札を売出すやら、此処(このところ)天満鹿合戦、何方(いずれ)が勝ちまするかは明晩ジツクリと。

〈編者註〉大正元年1229日の項で考察したごとく、吉本が天満の文芸館を買い、反対派で寄席経営に乗り出したのが「大正二年四月」だとすると、この記事はピタリと付合する。

大正2617日 大阪新報
<三遊亭円馬>
◇圓馬と御簾 紅梅亭では圓馬が出る前に後に御簾を下すのは圓馬を尊重した積りなのだらうが、その又圓馬が相も変らぬ粗忽使者だのと一向耳新しくない処を繰返すのは御簾晴がしない。君達の元老から少し好い手本を見せてやらなきや好(い)けないのに、去り迚は〳〵

大正2619日 大阪毎日新聞

◇相身たがひ 中座は紅梅亭と尻合せで、のべつ落語の邪魔をしてゐるが、曽我の家五郎態(わざわざ)使ひを円馬の許へ遣はして、師匠の高座を妨げますと挨拶すると、円馬四角に坐り直して、芸人は相身互ひ、御挨拶の嬉しさに秘蔵の絵嶋屋の一齣を進上申す、お役に立てば喜劇の種にお使ひ下さいとおタメを入れた。そして両人とも肚の中で、「乙力(おつりき)に気取つてやがる」

大正2625日 大阪毎日新聞

◇実地の髑髏 曽呂利の伜我太郎、親父が自慢の画を稽古させやうとするを厭がつて此頃は英語と琴を習つてゐるが、曽呂利が煩く勧めると、「第一お父さんの描く髑髏は写生の素養を欠いて実地に遠い」杯と攻撃するので、親父悔しがり、「何ンかすぞい、之かて実地ぢやわい。余所の髑髏は知らんけど俺が死んだら此通りに成つて見せる」は余ツ程苦しい。

大正2626日 大阪新報

◇釈師の艷事 此頃松屋町の生玉お旅の釈席へ出ている、以前の狂訓亭為永、今の大正坊為永は素焼の布袋様のやうな顔色をしていながらも読物の人情本式を盛んに発揮し、青柳華嬢とかいふ女釈師に目をつけて目尻を下げているとは、これも恋。

大正2626 台湾日日新報

朝日座の講談 東京講談師邑井貞吉の独演会は本夜より朝日座に於て開演毎夜長講三席にてその初日の読物は第一乃木大将の逸話第二義士伝三村治左衛門第三…

大正2628日 大阪新報
桂文吾

◇損な文吾 此間保存會で駱駄をやつた桂文吾、何だか年中不平の引受所の番頭さんのやうな顔をして、口を開ければブツ〳〵叱言(こごと)を並べているやうなのが疵。話は実にうまいが、何時も之れで損、そして大阪へも縁遠くなつているのは惜しい。

大正2630日、72日、3日 大阪時事新報

<近松座の三友派(紅梅亭)特殊演芸団>

◇近松座は一日から浪花三友派(紅梅亭)の演芸団を以て納涼興行を開け、杵屋六歌女連の長唄、円馬、文団治、円子、蔵之助等が「飛行機」「裏と表」の喜劇や雪月花三段返しの「越後獅子」の所作事を見せると。(630)  

◇浮れ鹿 浪花三友派は出演者が多過ぎる結果、特殊演芸団を組織して一二回の成績を見ると案外の好況であつた処から、今度は大きく近松座を借受け納涼興行の命目で落語種の喜劇や飛行機を嵌込んだ活人写真を見せ、大切には杵屋六歌女を売物にして道成寺を据え、声色上手の小米と小文で踊らせる心算であつたが、幾ら臆面無しの鹿共も此間浪花座で演つた許りなので二の足を踏み、越後獅子引抜き布晒でお茶を濁すといふ事だ。成程角兵衛なら面付から適つてゐさうだ。(72

◇近松座が臨時興行として一日より開演せし三友派の特殊演芸団は落語、音曲、軽口杯適宜の芸尽しあり。喜劇表と裏は何時も滑稽なる落語と歓迎される代物を春団治、円枝、万光以下が役者気を出して舞台に跳返るまで、活人写真は活動の撮影場を覗いて見る形ちと総ての趣向が罪ともならぬお笑い草の数々、切の越後獅子は六歌女に地方をさせた小米よりも円子の大胆さ、引抜てからの布晒しは晒の布が首筋や手足に纏ひ付て自由に成ぬ処は返つて大愛嬌を招き居れり。(73

〈編者註〉七月十三日(?)まで。人気よく五日は満員札を出した。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  7月

大正271日 大阪新報[広告]

❍来七月一日より連夜 法善寺紅梅亭 落語長講会 余興連東京三友[遊]亭三福 旭市子 巴屋伯糸

浪花三友派演芸場 (交代連) 雲入道後継者・桃中軒雲龍斎 桜家小蝶 桜川長寿 桂三路 

南地阪町第五愛進館 福島延命館 堀江廓賑江亭 空堀通沢井亭 船場平野町此花館   

大正271日 大阪時事新報

◇三友派の紅梅亭一日より落語長講会なるものを組織し、文団治、円馬、文都及び各真打等連夜に亘りて続き物を演ずる事となれり。

大正271 京都日出新聞

芦辺館一日よりの顔触と出番順は次の如くであるが堀川の紅梅館も掛持ださうだ吉之助、小染、福篤、司雁、文三郎、三八、小文三、万治、染丸、小円二、菊団二[]、文吾
◇笑福亭は本日より竹定一派浪花節で開場する…

大正271日 神戸又新日報

百物語 湊川新開地落語の定席栄館は東京落語家大隅柳丈を真打とし左の顔触れにて今一日より御機嫌を伺う由なるが、柳丈は本日より本紙連載百物語を時節柄面白く怪談仕掛けとし高座に掛け薄ドロの幽霊をも出して精々物凄く聞かせるとか、今晩は例の「咽喉笛」を演ずと

 呂笑、文鳴、雀昇、春鶴、寿笑、旭汀、枝三郎、しん駒、呂鶴、文勝、千橘、柳丈

千代の座 圓三郎、ぽんた、圓歌、ごんた、升三郎其他余興落語角力、喜劇あり人気投票を行う。

大正271日 大阪朝日新聞神戸付録

新開地相生座の新仕打は前仕打井上追善の興行をしたが、今度石碑を須磨寺に建てると

新開地落語定席栄館当月出演は怪談の柳丈、音曲の千橘、噺の文我、呂鶴、東京しん駒、筑前琵琶旭汀(きょくてい)

大正271日 大阪毎日新聞京都滋賀付録

<大津市博秀館の諸芸大会>

◇大津博秀館一日から七福神一行の最新諸芸大会を開催す。出演者は荒木流両刀左抜達人金房千代子、通俗教育講談(明法学士)鈴木巴水、人情美談鹿野武左衛門、落語三遊亭左喜松、今様能剱舞金房冠一郎、落語三遊亭福遊三、佛国式お伽奇術一心斎通天、一心斎一勢。

〈編者註〉三日からの番組は以下の通り。十日千秋楽。

73

落語(左喜松)、滑稽ポンチ(一勢)、軽口話(団昇・市之助)、成功譚「人の母」(鈴木巴水)、今様能剱舞(金房冠一郎)、練達曲皿(一勢)、雪の瀬川恋路の渡し、声色物まね(福遊三)、剣舞「勝てば之れ官軍」両手左抜居合ひ(金房千代子)、佛国式お伽奇術ウカレゴム時計運動(通天)

74

落語(左喜松)、手品布さらし(一勢)、滑稽軽口(団昇・市之助)、観世肉付きの假面(通俗講談鈴木巴水)、今様能剣舞松の影(金房冠一郎)、空中自在ハンカチーフ(ノワトン嬢)、馬や火事物真似踊り(福遊三)、左抜居合術両刀、剣舞本能寺、楠公(金房千代子)、万国コレツトおみやげ奇術(通天)

75

落語(左喜松)、手品紙たて(一勢)、滑稽軽口(団昇・市之助)、観世肉付の假面のつゞき、即席生花取寄せ術(ノワトン嬢)、能剣舞(花房冠一郎)、土蔵の夢(福遊三)、左両刀抜居合術、剣舞十六男子(金房千代子)、空中飛行の蝙蝠傘(通天)

76

落語(左喜松)、手品ポンチ(一勢)、軽口(団昇・市之助)、空中電信奇術(ノワトン嬢)、木村長門守堪忍袋(巴水)、今様能剣舞(冠一郎)、素人車屋(福遊三)、左両刀抜居合術カツラギ剣舞(千代子)、情心天下り傳玉鳩の術(通天)

78

落語(左喜松)、滑稽ポンチ(一勢)、軽口立はなし(団昇・市之助)、奇術郵便バアーニ(ノワトン嬢)、講談実行一致(巴水)、能剣舞、義兵能の旗揚げ(冠一郎)、落語キリンの駒、物まねずぼら踊(福遊三)、剣舞小楠公(千代子)、奇術空中うかれいつと(通天)

大正274 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇博秀館(大津市菱屋町)の演芸割引 大津博秀館にては一日より金房花子一座の演芸大会開演中にて連夜の大入続きなるが、本社京都支局二十五周年を祝し、今四日より打ち揚げ迄本付録刷込みの割引券持参者に限り一等十五銭を観覧料を特に五銭に大割引する由。妙齢の美人千代子の荒木又右衛門流と銘打た両刀左抜居合は頗る鮮かにて、又金房冠一郎の今様能剣舞と諸流の居合もなか〳〵巧なるが、此外鈴木巴水の流暢な通俗教育講談、三遊亭福遊三の軽妙な落語物真似、さては一心斎お伽奇術などとり〴〵に面白く客を呼び居り。因に同一座は十日打ち揚げ、京都へ乗込む由。

大正274日 都新聞

圓左追善演芸 六日正午より両国立花家にて

 おかめ団子(圓右)妾馬(圓蔵)義士傳(如燕)曲芸(亀次郎)煙草の火(三木助)三社まつり(歌子)菅原
 息子(小遊三)軽口(圓太、圓左)富久(圓左)喜劇蛙の夢枕(総出)

大正274日 大阪毎日新聞
<桂文団治>

◇迂闊な文団治 法善寺の紅梅亭で文団治が「当節は物が高くなつて南の娼妓一本が十五銭五厘」とやると、高座の真下から「やい十六銭だ」と怒鳴られ全く縮み上り、「何分自腹で遊んだ事がおまへんさかい」と本音を吹いて平あやまり。

大正276日 大阪時事新報
<桂小米

◇叱られた落語家 声色で売出した三友派の小米が徴兵適齢の検査の結果、近眼で丙種の不合格と極ると大喜びにイチビつて叱られたさうな。本当につける薬がない。

大正276日 大阪新報

◇忙しい平野 浪花三友派紅梅亭の奥家老の平野、さなきだに忙しく席温(あたた)まらぬ上に、此頃は近松座の夕(すずみ)興行に此派の連中が総出の顔触、又これで毎晩と近松座へ詰めかけて大汗タラ〳〵

大正279日 満州日々新聞

<柳亭芝楽一座・満州大山席>

芝楽と行司 花月席から大山席へ変わった落語家柳亭芝楽は、東京方行司木村玉次郎の異母兄弟だとあって行事連が総見物をすると同時に、隠し藝をも演じて大いに精気を添えてやると。

大正2711日 香川新報(高松)

丸亀新町座の落成式 丸亀市の新開地なる新町に建設中なりし劇場「新町座」は既記の如く既に外部は出来上がり、目下内部の装飾に取り掛かりあるが、これも二三日を以って終了すべきにつき、愈々十六日市内重なる人士二百余名を招き盛大なる落成式を挙行すべしと。尚同座のこけら落しは目下徳島市において開演中なる連鎖劇渋沢栄一座を招かんと昨今交渉中なりと。

大正2714日 大阪毎日新聞

◇南地紅梅亭十五日より開演する交代連は音曲噺(三福)、少女浪花節(旭市子)、美術紙切(伯糸)。

大正2714日 大阪新報

◇近松座の涼興行 定連の留守の間をいろ〳〵と考へた末、浪花三友派連の落語に色物で開けた涼興行、此辺で物珍しく、毎日の大入りに主事の小野さん黒眼鏡を光らせ乍ら、「浄瑠璃よりも此方が成功です」とか御機嫌の体、乃木大将で懸賞金を出すよりも余程此方が御利口でげせうテ。

大正2714 京都日出新聞

笑福亭は本日から大寄せ的の演芸を催すが出演者は落語(正輔)西洋曲芸(秀一)落語音曲(団治)奇術(フワトン壌)教育講談(巴水)今様剣舞(冠一郎)倭曲芸(助三郎)舞踏剱舞(千代子)落語声色(福遊三)伽奇術(通天)

大正2715日 大阪新報

◇講談界活動 一時は殆んど絶滅に帰せんとした大阪の講談界も、殿戦将旭堂南陵の奮闘により近来頓(とみ)に活気を帯び来り、従来の定席生玉お旅の外天満新門の文芸館昼席を開き、更に本月からその文芸館とは目と鼻の間なる八重山席が昼夜とも講談に河岸を代へたので、張扇の音もパチ〳〵、頓に調子付て来たりと。

大正2715日~24 大阪時事新報

<堂島座の三友派(紅梅亭)特殊演芸団>

◇堂島座は三友派の特種演芸団にて十五日午後六時開演。大詰声色劇「鞘当」には円子の不破伴左衛門(仁左衛門)、小団治の名古屋山三(雁治郎)、小米の留女(我童)勤むる由。(715

◇堂島座の三友派演劇は大切の鞘当が声色遣いの本能に嵌りて大喝采なりと。(718

◇堂島座の三友派演芸団は初日以来好況にて、円子以下の芸尽し、落語を喜劇に仕組し「二たなり」のお可笑味、大切「鞘当」等評判高し。(720

◇鞘当は笑劇 堂島座で開演の落語家芝居は大切の鞘当が呼物になつてゐる。円子が仁左の声色、小団次が雁治郎張り、留女の小米が我童を真似るといふ笑劇である。夏向は罪の無い方がなどゝ月並に笑つておく。(720

◇堂島座の三友派演芸団は廿二日より卅銭均一の行き次第とす。(722

◇堂島座の三友派演芸は廿二日小米の組見物あり、新町芸妓も多数繰込み好況を呈せり。(723

◇三友派の演芸団にて開催の堂島座は廿二日限りで千秋楽。(724

大正2716日 大阪新報
小米と南陵

◇小米が儲ける 堂島座鹿の道楽会、之れを名付けて特殊演芸団も凄じいが、大切の声色劇が又大変なもの、三人の声色では小米の我童がまだしもマシだが、その代りに例の嫌な目遣ひをする、そこで以ていよ〳〵助からぬ訳となる。

◇南陵の気焔 大阪釈界の不振に奮ひ起つて新発展をやつている旭堂南陵、「全体今の浪花節は皆我々の畑を取つていますので、その元は阿呆の釈師共が何でも速記させて喋舌(しゃべ)るものですから、それを浪花節連が直ぐ覚えるのです」と唾だらけにして論じているは好いが、生憎と近眼で睨みが利かぬので無惨。

大正2716日 名古屋新聞

春日亭 春錦亭柳叟、春雨家雷蔵一行にて柳叟十八番の四谷怪談を毎夜続きにて演ずと重なる演芸番組は東の旅(扇之助)四の字嫌い(柳三)浮世節(美根之助)浮世床(龍喬)剣舞(天外)宮戸川(雷蔵)音曲手踊(圓次)四谷怪談(柳叟)

大正2718日 北国新聞

<桂小南一座・金沢一九席>

一九席 本日より東京落語桂小南一座にて開演すべく番組左の如し。

 落語手踊(仁助)落語(橘平)落語音曲(小郎)落語手踊(小圓二)落語曲芸(小南冶)滑稽落語手踊(若橘)落語(秀甫)滑稽落語音曲舞(小南)合舞引抜勢獅子電気応用(大一座)

大正2719 京都日出新聞

<笑福亭の金房千代子>

◇居合の掛声 笑福亭にかゝつている居合の先生金房千代子、女だてらにエイ、ヨウッてな事で松井源水糞喰へといふ調子で大に活発なところで御機嫌を伺つているが、一昨夜も出番を控えて一生懸命鏡台に向つて塗立てゝいると、傍に立掛てあつた材木が御免なさいとも何とも言はず倒れかゝる。呀嗟(あわ)やと思ふうち、千代子先生鏡に映つた件の材木に、日頃の修練はこゝなんめれと、曳(えい)ツと大喝一声、見ン事飛退いた迄はお手際であつたが、折角の居合腰も材木が鴨居で止つて倒れて来ない。面喰つたのは楽屋の連中で、折角快く眠つていたのを曳ツの声で飛起るなり、火事は都紅(みやこべに)か。

大正272324日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<三升紋弥一座・姫路山陽座>

山陽座 既記の如く二十三日より東京落語並びに曲芸三升紋弥一行にて開演すべきが連名は左の如く尚ほ大切余興として電気応用喜劇を演ずべしと。

 紋右衛門、紋三郎、紋之助、瀧子、猿喬、弥二郎、若柳春子(舞)、杵屋連中(長唄)、弥三郎、弥五郎、菊子、紋十郎、岡安嘉よし、小紋、紋弥。(723

山陽座 初日の番組は左の如し。

 御祝儀宝入船(猿喬)東の旅手踊(弥五郎)兵庫船手踊(紋の助)奇術(紋十郎)寿限無之音曲(弥太郎)皿の曲、升踊り(紋三郎)西川(遊七)独楽の曲(小紋)源平穴探し之音曲(紋右衛門)舞(若柳春子)布引之三舞踊(紋弥)長唄勧進帳(杵屋連)大切「電気応用劇葛の葉別れより保名狂乱迄」(224

大正2726日 鷺城新聞

<円頂派(橘ノ円)一座・姫路楽天座>

楽天座 歌舞笑話円頂派本部橘の圓一行にて二十六日より開演の筈なりしが一日日延べし愈々二十七日より花々しく開演すべし。初日の番組は、京の旅神の賑ひ(圓二)道中八景(二人掛合噺)牛誉逆さ踊(圓吉)無筆乃親、横笛(圓郎)源平穴、音曲手踊(都ん輔)住吉駕籠、手踊(圓天坊)四季乃花音曲、手踊、端唄吹寄新浄瑠璃(翫之助)奈良の古跡鹿政談、碁盤踊(圓入道)

大正2727 京都日出新聞

笑福亭は本日中左の連中で東西合同演芸大会を催すが入場料は十銭均一落語(正輔)同(錦馬)曲芸(秀一)落語(南君)同音曲(団次)音曲噺(燕雀)教育講談(鈴木巴水)曲芸(助三郎)講談(琴書)女道楽(小やな、力弥、奴)落語手踊(小ゑん)今様剱舞左抜居合(千代子)落語声色(福遊三)お伽奇術(フワトン嬢、通天)

大正2728日 大阪毎日新聞

◇諒安一年間の興行物 興行師の大弱り 近年不景気といふ声が高まつた所へ庶民が一般に謹慎の意を表すべき諒闇に入つてからといふものは興行物は非常な打撃で…(中略)…真剣に困つてしまつたのは落語で、僅に紅梅亭一軒が面目を保つてゐる丈け、アトは木戸[銭]を下る、愛嬌を振まく、饒舌(しゃべ)つた上に踊りの三番も踊らせられて大汗で引下つても、空腹を塞ぐ饂飩代の出所もないといふ気の毒な風景に陥つてゐるので、興行主も亦前座先生のテク〳〵下駄と同様、欠損だらけで引合ず、鼻鹿も無暗と涼しがつてゐる現状なり。(後略)

大正2728日 神戸新聞

楽しき須磨の一日 演芸大喝采 
 かくて午前十一時より千代廼座出勤一圓、圓三郎の軽口を皮切に予定の番組通演じ出されしが
一圓、圓二郎、升三郎、圓花の軽口、落語は先づ一番聴衆を抱腹せしめ美少年権太の舞大津絵は上出来にて、楽天会の垣一重は絶えず抱腹せしめ流石に暑さを忘れしめ慶安太平記は今日の大芝居とて座員一同大車輪に勤めしため大喝采を博し何れも堂に入りしもの。春輔の専売芸妓、圓三郎の手踊、ステテコ、六歌仙、ズボラは之れ又大喝采を博し千代廼座落語連の仁王の灸はその名に背かず面白可笑しく何れも笑い崩れぬはなくかくして満場破るるばかりの大拍手にて午後五時喝采声裡(せいい)に閉場したるが観客は思い思いに海水浴場の夜景とその催し物に向かって更に楽しき杖を曳き残れるは大池付近の晩涼を逐(お)うて日の暮れるを知らざりき

大正2729日 都新聞

落語家の地方行 古今亭雷門は助六、源水、秋月、枝太郎、雷門喜劇團を加え、名古屋末広座に乗込み一日より興行

大正2730日 九州日報(博多)

<宝集家金之助一座・博多川丈座>

博多の川丈座 東京落語寶集家金之助一座乗込み来月一日より開演。重なる顔触れは春風亭柳昇、及び昨年来博せし桂三路、五郎、四郎坊、太郎坊、三喬、新駒、有三路、花之助等なりと。

大正2731日 大阪時事新報

◇浪花三友派の南地紅梅亭は場内に煽風機を数台取付け、納涼興行として一日より落語相撲と呼物特種演芸の各種と大切に牡丹灯籠、累ケ淵等の怪談噺に大道具を用ゐ、口演は円馬が勤むる由。

大正2731日 大阪新報

◇法善寺の蓬莱館 八月一日より女義太夫の内新進の若手のみを選び女義太夫夏期大會を催し、景品としてユリ印ネープルを氷冷しにして来館の客に贈呈す。

◇橘流筑前琵琶大會 八月二日午後五時より北新地裏町永楽館にて花田旭遊會主催の筑前琵琶演奏會あり。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  8月

大正281日 大阪新報[広告]

❍當八月一日より連夜 法善寺紅梅亭 落語長講会 余興連東京三友亭三福 旭市子 巴屋伯糸

浪花三友派演芸場 交代連 中華民国人李有来 桜家小蝶 桂三路 南地阪町第五愛進館 福島延命館 堀江廓賑江亭 空堀通沢井亭 船場平野町此花館   

〈編者註〉浪花三友派(此花館)演芸場の広告はこの日以降出なくなる。紅梅亭の方は八月一杯まで出るが、九月から出なくなる。

大正281日 神戸又新日報

圓入道がひさしぶりに帰ってきて、正楽、菊團冶と共に出演

大正281日 北国新聞(金沢)

<大阪寿々女会一座・金沢一九席>

一九席 本日より大阪落語寿々女会にて開演すべく番組は左の如く笑福亭鶴松は東廓江戸芳の弟なりという。

 入込話(里松)落語曲芸(萬重)落語声色百種(鶴瓶)音曲新作話(圓輔)落語合舞手踊(文里)落語手踊諸芸(鶴松)軽口掛合話(両人出合)滑稽落語舞(かしく)滑稽立合(総出)

大正281日 名古屋新聞

末廣座 東京音曲落語滑稽噺古今亭雷門を始め雷門助六、柳家枝太郎、川上秋月、曲独楽元祖松井源水等の顔揃え大一座は本日午後六時より開場各人得意のものを充分口演しご機嫌を伺う由にて入場料は場代なし金十八銭均一

大正28156日 紀伊毎日新聞(和歌山)

<大阪寿々女会東京紫紅会合同一座・和歌山紀国座>

紀國座の落語 大阪寿々女會東京紫紅會合同一座の落語開演する由。初日長唄娘道成寺、勧進帳杵屋六翁門下杵屋六歌女。(81

紀國座の演芸大會 落語(大阪雀會連中)舞踊(蝶子)滑稽掛合噺(蝶満吉、蝶吉)長唄鞍馬山(東山紫紅會連中)筑前琵琶楠公(中村翠胡)物真似(長寿)落語(桂歌之助)曲芸(萬冶)長唄賤機□(杵屋六歌女、同六兼、同六千代社中)(85

紀國座の演芸會 今六日夜の番組は、落語(大阪雀會連中)舞踊保名狂乱(蝶子)掛合軽口(蝶満吉、蝶吉)長唄大薩摩筑摩川(東紫紅會連中)音曲(長寿)琵琶台湾入(中村翠胡)落語(大阪桂歌之助)神楽曲芸(万冶)長唄秋色草(杵屋連中)(86

大正281日 九州日報(博多)

<宝集家金之助一座・博多川丈座>

博多川丈座 東京落語寶集家金之助一行は愈々本日より開演。芸題左の如し。

 御祝儀(花之助)名つけ(右三路)天災(三喬)寶船(新駒)天下一(五郎)音曲(三路)忠臣蔵五段返し(四郎坊、太郎坊)子別れ(柳昇)廿四孝(金之助)落語百種(しん橋)

大正282日 名古屋新聞

春日亭 引続き大好評本日の番組は西の旅(扇之助)天災(柳三)菅原息子(柳之助)三枚起請(龍喬)奇術(一朝)三度目出度(柳叟)音曲(圓次)動物園(雷蔵)

末廣座 一日午後六時より開場せし東京音曲落語滑稽噺家の古今亭雷門一座は東都一流の顔揃ひが至極面白く御機嫌を伺い非常なる好人気を博したり入場料は毎日金十八銭均一にて本日の番組は清書無筆(六太郎)やかん(小燕路)かやもぐり(助三郎)粗忽の使者(寿楽)清元(門之助、かど松)代り目(歌之助)新話十題噺(秋月)くしやみ義太夫(枝太郎)独楽(源水)親子茶屋(助六)阿部美濃守(雷門)

大正282日 大阪新報

◇平野町此花館 一日より連夜薩摩筑前玄海三派合同の琵琶剣舞會を開催し、牧野光葉、春田紫晃、土田よし子外数名剣舞白井誉等が出演す。

大正282 鷺城新聞(兵庫姫路)

<姫路旭館の閉館>

旭館の廃業 市内船場博労町なる寄席旭館は小姓町内藤甚吉(じんきち)が管理人として興行を打ち続け居たるも損耗を来すのみなるより同館を廃場すべく一日同人より姫路署へ届け出でたり。

大正282 台湾日日新報

<三代目竹本大隅太夫死去>

大隈太夫死す 台南医院へ入院加療中なりし大隈太夫は一時小康を伝へられたるも何分老体とて衰弱の度甚だしく主治医が殆んど詰切りの手厚き治療も其甲斐なく遂に三十一日の夜死去し折角内地より急行せる子息にも今生の面会叶はざりしは遺憾至極と云ふべく遺骸は防腐法を施し一日夜子息着南の上同地にて火葬に付し遺骨として持ち帰へるべき筈なりと云ふが同一行の請元なる当地丸中三谷新八氏は遺骨の台北着を待つて本願寺に於て鄭重なる回向を営むべしと

大正284日 大阪新報
<円馬の怪談噺>

◇圓馬の怪談 近年は小話計かりをやつて、惜しい人情話を長らく仕舞つていた圓馬も、此頃は保存会をやつて少し気を吐いたが、今度は紅梅亭の怪談で圓朝畑の累ケ淵や牡丹燈籠をやつているのは好いが、薄ドロ〳〵の恨めしやは少し振ひ過ぎだね。

大正286日 大阪時事新報

◇何れも古い 三友派の紅梅亭は去る一日から相撲に見立てた落語の腕競べと大切に怪談を余興にしてゐる。円馬の噺が熟した頃芝居好の文団治が小米と小文を相手にして鼠の上衣を着て狭い高座をのそ〳〵歩く、それが前受してゐるなぞは客も落語家も相変らず古い。

大正2867810日 伊勢新聞(津)

<雷門助六一座・津曙座>

曙座 目下名古屋末廣座にて好評を博し居れる東京落語會親玉雷門助六、柳家枝太郎、川上秋月、古今亭雷門及天下一品の独楽廻し松井源水一行は、近日市内曙座に乗込み花々しく開演する由。(86

曙座 東京音曲、落語家連雷門一行は愈々八日より開演す。木戸大人十九銭子供五銭均一にて演題目録左の如し。

昔話巡り(雷門助六)音曲噺(柳家枝太郎)新話即席十題噺(川上秋月)元祖曲独楽(松井源水)音曲噺(都家歌之助)振り事(古今亭金生)音曲滑稽噺(古今亭門三)昔話踊(雷門助三郎)滑稽昔噺(雷門寿楽)清元浮世節(古今亭門之助、かど松)昔話仕方話元祖芝居話(家元古今亭雷門)(87

曙座 東都一流の落語滑稽昔噺曲芸の名人からなる雷門助六一行は、愈々今八日午後六時より開演の筈。(88

曙座(津市観音境内) 開演中の雷門一行の落語、音曲は枝太郎の喰真似、源水の独楽廻し、助六の手踊り、座長雷門の声色及び座員総出のかつぽれ等人気良し、初日は満員。(810

大正287日 大阪時事新報

<浪花座の声涼会>

◇浪花座の声涼会は八日午後五時の開演にて初日の番組は常磐津(三保の松)、落語首提灯(円蔵)、清元(神田祭)、義士伝(貞山)、常磐津(式三番叟)、長唄(勧進帳)。舞浦島(若柳吉蔵)。

〈編者註〉以下円蔵の落語と貞山の講談の演目だけを抜き出すと、十一日は落語駒長(橘家二三蔵)、落語派手彦(橘家円蔵)、講談義士伝赤垣源蔵(一竜斎貞山)。十二日は落語首てふちん(橘家円蔵)、講談義士伝の内片岡源吾右衛門(一竜斎貞山)。十三日は落語五人廻し(円蔵)、講談義士伝の内神崎与五郎(一竜斎貞山)、十四日は落語無学者(橘家円蔵)、講談岡嶋八十右衛門(貞山)。十五日は落語松山鏡(円蔵)、講談義士伝の内岡嶋八十右衛門(一竜斎貞山)。

〈編者註〉十六日千秋楽。直ちに京都の明治座に乗込む。

大正288日 名古屋新聞

大正館 司馬龍喬一座の落語音曲噺手踊奇術などにて開演中なるが非常の大好評

大正28817日 徳島毎日新聞

<三升紋弥一座・徳島緑館>

緑館 久々振にて東京若手落語家中の立物三升紋弥一座と女道楽連の長唄一座の合同にて九日より開演す。其の連中左の通り。

 三升猿喬、三升紋五郎、三升紋之助、三升紋十郎、三升紋三郎、三遊亭遊七、三升小紋、三升紋右衛門、三升紋弥(女道楽連)杵家喜美子、杵家たき子、杵家喜久子、杵家喜よし、若柳春子。(88

緑館 盆踊の為休演中の三升紋弥一派の落語長唄は明日返り初日引続き興行。(817

〈編者註〉23日迄興行。

大正2810日 大阪毎日新聞
<声涼会の円蔵と貞山>

◇浪花座の各流家元合同声涼会を八日の夜覗いてみた。(中略)円蔵の落語はこなれたもので、円転滑脱な江戸弁の長所は円蔵の舌に上つて水玉のやうに転げ廻つたが、劇場(こや)が広いのと、惣見をしてゐる芸妓が無作法に喋舌り散らすので、どうも分明(はっきり)と客の耳に入らなかつた。一体芸妓の惣見ほど真面目な客にとつて迷惑なものはない。何とかしても少し場所柄に対する心得を教へたいものだ。貞山の講談「天野屋利兵衛」は落付いた語り風が気に入つた。少しも堅苦しい語と音調とを使わないで、それで終(しまい)まで張りきつた談(はなし)の調子を持つてゆく点(ところ)に苦心の痕があつた。

大正2811日 大阪新報

◇蓬莱館 十一日午後七時より薩摩筑前琵琶玄海三派連合の琵琶剣舞大會を催す由。

大正2811日 大阪新報
橘屋円蔵

◇損で得な圓蔵 これも浪花座、一座の給金中で橘屋圓蔵が一番の取高ださうな。これは結構な話だが、その代り高座に上ると声が通らぬので根つから誰も身にしんで聞いてくれぬのは大(おおい)に損、お太陽(てんと)は公平であらつしやる。

大正2812日 名古屋新聞

春日亭 今晩より東京落語春雨家雷晃、三遊亭圓洲一行にて初晩の番組は一分茶番(小圓洲)百年目(雷吉)干物箱(柳三)掛合(花三輔、路輔)景清(圓次)黄金(雷晃)こしょう浄瑠璃(圓洲)

大正2813日 大阪毎日新聞

◇夢でない証拠 鹿の染丸、花咲、小米等が春頃から足を擂木にして駈ずり廻つてゐた落語喜劇団は何うやらモノになつて、向ふ一年間の軍用金も幕内筋の物数奇連が出し合つて作つてくれる。初興行には東京の明治座から話があるといふので一同逆上(とりのぼ)せてしまひ、此節顔を合せると頬べたの爪捻(つね)り合ひをやつて「痛いか、有難いお互に確かに起きてゐるんだぜ」。

大正2814 京都日出新聞
明治座の声涼会

明治座の各派連合の声涼会は十八日初日にて五日間開場と決したが、その顔触は講談貞山、落語橘家円蔵、二三蔵、常磐津兼太夫、佐喜太夫、三登勢太夫、古満登太夫、糸岸沢寿佐久、巳代吉、仲助△長唄富士田音蔵、松島庄十郎、芳村伊四郎、糸杵屋佐吉、和三郎、和吉、笛望月長之助、小鼓長佐久、大鼓庄吉、太皷長四郎、清元春海太夫、音羽太夫、金尾太夫、糸市寿、舞踊若柳吉蔵、吉三郎、吉助等。

大正2817日 大阪時事新報

◇浪花三友派の紅梅亭は落語相撲と怪談が好奇心を惹き連夜の大入なるが、芦辺[倶楽部]に出勤するものありて同席は廿日限り打納む。

大正2817日 山陽新報(岡山)

<大阪寿々女会東京紫紅会合同一座・岡山九重館>

九重館の好人気 當地初御目見得の東京長唄紫紅會婦人一派の演芸と、大阪新進の落語家連とにて開演し、初日以来非常の好人気にて連日満員の好況を呈し居れるが、同館は今回場内南北に窓を開け総て夏向きとなしたれば、観覧者にとりて頗る居心よしと云う。十七日番組は左の如し。

 落語(大阪扇之助)同(我楽、勝鶴)清元神田祭(女運圓女、小蝶)音曲物真似(長寿)大薩摩筑摩川(紫紅會連中)曲芸大神楽(萬冶)道化軽口角力狂(大阪蝶満吉社中)落語菊江の仏壇(桂歌之助)長唄お好に依り勧進帳(杵屋六歌女、同六□、同六□代連中)

大正2818日 大阪新報
<円馬の怪談噺>

◇圓馬の大汗 人情話は得意だが怪談と改まるとさう〳〵ネタを沢山持合はさぬ圓馬、大汗タラ〳〵少し参つていたが、二十日で楽と聞いてホッと一と息。

大正2818 京都日出新聞

明治座は愈々本日午後六時から開場するが番組は 三保の松(常磐津)明烏(清元)妾馬(円蔵)式三番叟(常磐津)船弁慶(長唄)講談天の屋利兵衛(貞山)連獅子(吉蔵、吉三郎、長唄はやし連中)

大正2819日 大阪新報

◇鹿相撲の投書 紅梅亭の落語相撲も残り僅かとなつたが、席元へいろ〳〵の投書が来る。行司の文都は怪しからんとか、圓枝の勝を誰れやらが負けにしたのは不都合だとか、一間ほどの長さの巻紙の封書が来るとはヒマな人もあつたもの。

大正2820日、823日 大阪時事新報

◇南地芦辺倶楽部は活動の余興に三友派の文団治、文治、円子、円太郎等の演劇を廿一日より見せる由にて、第一(菅原)車場、第二(鞘当)、第三(四ツ谷怪談)引抜き、獅々怪談の場はキネオラマを用う。映画の新らしきは悲劇スミス、故久米八の光秀、正劇吹雪、喜劇蚤の仇討其他。(820

◇芦辺倶楽部は三友派の実演に南地、新町の芸妓連中繰込み意外の好況なるが、活動には猛獣の窟凄滄(せいそう)を極め、覩(み)る者をして手に汗を握らせ居れり。(823

〈編者註〉三友派の実演は三十日が千秋楽。

大正2821日 伊勢新聞

泉座の改築 同座の改築は久しき話なるが、愈々表の八百友方を取毀(こわ)し昨夜全部の板囲いをなし工事着手せり

大正2822日 山陽新報

<宝集家金之助一座・岡山九重館>

九重館 二十二日より東京落語船遊亭しん橋、常磐津宝集家金之助外十一名大一座にて開演する由。

大正2824日 神戸新聞

生田前戎座は千代廼座連掛持にて今晩の出番左の如し

 初天神(圓歌)おせつ(都ん輔)牛ほめ(春輔)黄金の大黒(圓天坊)新内三勝縁切(若登司)芝居噺(圓
 三郎)音曲噺(かをる)骨つり(文二郎)

大正2822日 大阪日新聞

◇化け切れぬ鹿 代り合ましてと、見台を叩いても、お客の方が一向代り栄がせず、芝居がゝりの怪談も、寄席だけでは世智辛い世の中を化け切れぬといふので、今度三友派は芦辺倶楽部へ乗出して、活動の間に車場と鞘当と四谷怪談を出すさうだ。銭取り病は死病、ハテ怖ろしい妄念ぢやなア。

◇平野町此花館は二十一日より女義太夫広春、団治、三之助、呂秀、八広、豆春で開演。

大正2823日 大阪毎日新聞825日~28日 大阪新報

<紅梅亭の円蔵・貞山二人会>

◇二十四日より向一週間、南地法善寺紅梅亭に於て、先頃浪花座にて高評を博したる落語家円蔵と講談師貞山の二名にて長講二席を出演すべし。二人とも浪花座にて得たる満都の人気に感激し居れば定めし面白き聴物たるべし。

〈編者註〉二人の三十日(千秋楽)までの演目は以下の通り。

二十四日:石鹸・妾馬(円蔵)、天野屋利兵衛・大高源吾(貞山)

二十五日:輪替屋・五人廻し(円蔵)、寺坂吉右衛門(貞山)

二十六日:唐茄子屋・三人旅(円蔵)、不破数右衛門・勝田新左衛門(貞山)

二十七日:粟餅・因果塚(円蔵)、塩田主水・神崎与五郎生立(貞山)

二十八日:子別れ(円蔵)、岡島八惣右衛門・原惣右衛門(貞山)

三十日:無学者・首提灯(円蔵)、前原伊助・小山田庄左衛門(貞山)

◇圓蔵も浮ぼう 今度浪花座で演つた時は何分に長唄と舞踊との為めに来ている女連、何條、落語に耳を傾くべきといつた有様で、圓蔵が出るとベチャクチャと饒舌つて姦(かしま)しく、一向に聞へぬ気の毒さ、二十四日から紅梅亭の長席にかゝるさう、ミツチリと江戸前の弁を奮ふべし。(大阪新報825

◇南地紅梅亭の円蔵、貞山は初日より満員大入の好評なり。初日の語物のうち円蔵の「しやぼん」は殊に滑らかな話し風に江戸つ子の町内の肝入衆や若旦那の面目躍如として現れ、貞山の「天野屋利兵衛」は明晰にして針線の細やな語り口に元禄町人の侠気(おとこぎ)のある腹をそれと頷かるゝやうにて、聴衆いづれも満悦の躰なり。(毎日826

<円蔵と貞山を聴く> 

△二十四日から法善寺紅梅亭で圓蔵と貞山と二人の長席、一切水交ぜなしで江戸式の落語と講談をお聴に達する。初日の出物は圓蔵の石鹸、妾馬、貞山の天野屋利兵衛、大高源吾、この四席。

△圓蔵の味は言ひ草と其ギロリとした眼玉にある。「妾馬」も面白かつたが、夫れよりも「石鹸」の剽軽な趣を取る。余り半可な若旦那がキザだと小癪に支へた町の若い衆が石鹸を西洋菓子と云つて若旦に喰はせるといふ筋は、大阪噺の「チリトテチン」、東京種の「酢豆腐」などと同工異曲、筋は大したものではないが、言ひ草と眼玉の表情とに擽りならぬ可笑しさが籠つていた。

△貞山は東京釈師仲間の新進中の錚々、耳障りな漢語が折々交るが実に面白く語る。得意の義士物、悪からう筈はない。何時も実のない尻切れ蜻蛉で顔ばかり沢山並べる落語や色物に代るに江戸前の歯切れの好い二人を充分に聴かせる今度の献立は今後も折々やつて貰い度い。唯、惜むらくは出し物が此間浪花座でやつたのとツク気味がある。何とかせずばなるまい。(大阪新報827

◇貞山の二面相 釈の貞山、高座へ黒紗の紋付羽織の扮装(いでたち)でヌット出た処は舶来の小織といつた好い男、岡惚れ党がアツト讃嘆、参拝するが、これが常の顔となると土方の親分然たる顔色、ハテ不思議。(大阪新報827

◇お笑ひは一二度 橘家圓蔵、眼玉を奥の方から光らせながら、「御当地の落語はよくお笑はせなさいますが、私共の師匠は一つの落語の中で一二度心からお笑ひが出ますればそれで宜いと云はれましたので、どうも御愛嬌が少くつて」は、かんと皮肉くる。(大阪新報828

大正2823日 大阪新報

◇一つ熱燗の事 法善寺の蓬莱館、向ふ鉢巻の大勉強とあつて、□以来景品にネープルとかシトロンとかを出していたが、斯う涼しくなつては少々不釣合、どうだ、蛸□の蛸の足を一つ、熱燗を一本宛は。

大正2826日 大阪新報
文左衛門と文三

◇久闊文左衛門 二十四日紅梅亭の初日、手を曳かれて足取覚束なげに摺り足で桟敷へ来たお爺さん、よく〳〵見れば以前は桂派の御大の文左衛門、長い間の中風とかで楽隠居、金沢の席に立籠つて戦つたその一敵国の紅梅亭の今の有様を見て何(ど)んな感慨があるだらうか。

◇文三は宿屋 桂文三、これも長の脊髄病、目下は梅田辺で旅館を営んで可なりに気安く暮しているとのこと。

大正2826日 大阪新報

◇六方館 二十六日より向う三日間毎夜宮田秋堂、牧野光葉、春田紫晃其他数名にて薩摩筑前玄海三派合同琵琶大會を開催。入場の御客様一同にユリ印ネーブル大瓶一本宛進呈すべし。

大正2827日 大阪毎日新聞
<桂文吾発狂の真相>

◇桂文吾狂ひ出す 芸の上達から慢気  

落語浪花三友派の真打株で純大阪式の素噺にかけては当時随一の評ある桂文吾(四十八)は、此間の落語保存会で「駱駄の葬式」を喋り、前向は素より楽屋内の評判も満点といふ上々の首尾にて、師匠の文左衛門もウンと得心し、「あいつ不思議と近来腕を上げた」と褒ちぎりしが、根が高座芸人に似ぬ温順しい人間とて、大師匠の文左衛門に褒められたといふのがピリヽと脳にこたへ、以来気味悪く納まり返つて、「師匠は桂文左衛門、拙は其侭師匠の名を襲ぐのも不見識だから紀の国屋文左衛門と改めやす」などゝ変な事を触れ歩きしが、此頃の受持席なる京都新京極芦辺館の高座でも兎角鍔目の合はぬ噺を持出し、お定まりの「落」を飛んだ方角違ひの所へ飛して澄し切つて座を退るなど奇天烈を演じ、仲間の者は少し魔がさしたやうだと噂し居りしが、二十三日の夜同館の高座でお客を眼下に見下し、「乃公のやうな名人の噺を端た銭で聴きに来る量見が不心得だ」と威高丈に怒鳴りつけ、ゲラ〳〵と笑ひ出した仕末に、楽屋も席亭も肝を潰し、無理無体に高座から引下し、以来手当を加へ居れるが、容易に回復の模様なしと。

同人は一滴の酒も飲まぬ癖に酒呑の落語が得意にて、殊に「市助酒」をおハコとし、発狂の当夜もそれを演り、酔態の妙所に至るやフラ〳〵と気が狂ひ出したるなりと。芸事から狂気になるは往々例のある事なれど、可笑味が専門の落語家だけに一入哀れといふべし。

大正2828 京都日出新聞
文吾の発狂は嘘 
 
上方の素噺にかけては先づ当今一といつて二と降らないとの評ある桂文吾、昨年東京へ遠征してさん馬のもたれで文吾が真打して一時間半客を浮かさないといふ大受け、殊に酒の噺にかけては真に天下一品の称あるがその文吾が近頃発狂したと伝へられて凋落しつゝある上方落語に又もやこの将星を失ふことかと早速訊(ただ)してみると何んの発狂の噂はほんの噂で元来が少し人間離れをした男とて時々あのけろりとした顔付で突飛なことを言つて済してゐるので御存じない方々はこりや些かどうかして厶るわいと思ふのも無理はない。しかも酒の話が十八番と来てゐるだけ本人大の豪傑で体重なら辛(やつ)と十三貫に足りない仇名の「けんさき鯣」、飲むは吸ふは朝一升昼一升夕食に一升二合それで寝酒をやる。外隙さえあればグビリグビリとやるといふ猛烈さ加減、酒を飲んと高座が勤まりまへんと本人酒で命を失ふのは百も承知、而し火のないところに何んとやら此頃少し人間離れのメートルが昂(あが)つたさうで、一昨日も三八先生が供先となつてお医者様へ繰込んだといふがイツソ二日酔どころか一週間酔ひでもして寝て了つたら変り合ひましてすつかり変り栄があるかも知れぬテ

大正2830日 大阪毎日新聞

◇南地芦辺倶楽部の余興に出演して人気を集めたる浪花三友派の連中は三十日が千秋楽なれば総一座の大滑稽を見せる筈なり。

大正2831日 大阪時事新報

<新町瓢亭、福島延命舘、三友派(紅梅亭)に加入する>

◇三友派 新町瓢亭、福島延命館は新に三友派に加入し紅梅亭、六方館、東紅梅亭と共に五席となつて何れも一日開場。

〈編者註〉寿々女会に属していた瓢亭は五月末より休業していたが、九月一日より紅梅亭の三友派に加入、此花館の三友派に属していた延命館も紅梅亭の三友派へ鞍替えした。

上方落語史料集成 大正2年(1913)  9月

大正291日 大阪新報

◇一と肩脱げ 九月一日から浪花三友派連が又紅梅亭へ戻つて来る。八月は東京の二人でウント当てた後、もし客が落ちたらそれこそ大阪の鹿の面目問題、腕に撚かけてシッカリ〳〵。

大正291日 大阪毎日新聞

◇活動の落語家 三友派から芦辺倶楽部の余興に出た放鹿の円子等、鞘当だの四谷怪談だのといゝ気な真似をして無性に嬉しがつているを、文治が「受けてゐるものゝ落語家が活動の繋ぎに出るやうでは末が案じられる」と真面目に心配する。門には立つても縁の下の力持はしないと云つているさうだから案じなさんな。

大正291 京都日出新聞

<芦辺館の円蔵・貞山二人会>

◇芦辺館は一日から講談の貞山と落語の円蔵が連夜出演することゝなつた。

〈編者註〉初日から十三日までの演目は以下の通り。

一日:五人廻し、宮戸川(円蔵)、伊賀の水月、勝田新左衛門(貞山)

二日:灰汁抜け、妾馬(円蔵)、伊賀の水月、寺坂二度目の清書(貞山)

三日:粟もち、火事息子(円蔵)、伊賀の水月、倉橋伝助(貞山)

四日:押食[おしくら]、なめる(円蔵)、伊賀の水月、三村の薪割(貞山)

 五日:松山鏡、弥二郎(円蔵)、伊賀の水月、前原伊助(貞山)

 六日:無学者、首提灯(円蔵)、伊賀の水月、神崎の先立(貞山)

 七日:子別れ上下(円蔵)続伊賀の水月、赤垣源蔵(貞山)

 八日:品川情死、因果塚(円蔵)、続伊賀水月、大高源吾(貞山)

九日:佃祭、明烏(円蔵)、続伊賀水月、天野屋利兵衛(貞山)

十日:夢の金、子別れ下(円蔵)、支那軍事探偵鐘崎三郎、不破数右衛門(貞山)

十一日:みいら取、たがや(円蔵)、続鐘崎三郎、原惣右衛門(貞山)

 十二日:唐茄子、隠れ遊(円蔵)、支那軍事探偵鐘崎三郎、岡島八右衛門(貞山)

十三日:百人坊主、鰍沢(円蔵)、鐘崎三郎、原惣右衛門(貞山) 

大正291日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○白梅亭(三遊連革新) 遊三、圓遊、三木助、圓歌、瀧五郎、瀬太夫、鬼市、文蔵、遊輔、金三。
○立花亭 小さん、紫朝、小勝、馬生、つばめ、今輔、三好、米蔵、鯉かん、源水、大阪登り小米、櫻洲。
大正292日 大阪毎日新聞

◇老松座は落語三遊亭遊三、橘家円三連中にて開場したり。

大正294日 大阪新報
文之助の怪談噺

◇賑江亭の怪談 文之助がグツト昔風の怪談、高座で幽霊の顔を拵らへて早速に暗くして「恨めしい」と妙な声を出す。それに珍なのは、イザ幽霊といふ時、「これが神経でせうか」などと言ひ訳をする、この点が大正式とでもいふのだろうか。

大正294日 紀伊毎日新聞(和歌山)

<三升紋弥一座・和歌山弁天座>
三枡紋弥の好評 三番丁弁天座に開演中の三枡紋弥一座の落語は曲独楽、舞、杵屋の長唄など何れも独特の妙技を発揮して、大切電気応用の舞は大喝采にて連夜大入を占めつつあり。

大正295日 大阪新報

◇思わぬ福 紅梅亭は原田、当月の圓蔵、貞山をかけた時、全くの処見当が付かぬので、マア損しなければ好いでやつたのが、矢張大阪にも耳のある客はなきにしもあらずで、打通して大の成功。今度は儲けの配分に見当が付かなくなつたさうで、一つこの九月にも一儲けと力んでいるとはキツイ〳〵。

大正295日 大阪時事新報

◇またタレ義席 千日前の第五愛進舘はタレ義からチヨンガレ、それから落語の定席にもなつたが、皆失敗に終つて又元のタレ義定席に逆戻りは気が極らぬ。

大正296 大阪朝日新聞京都付録

<芦辺館の円蔵・貞山二人会を聴く>

◇芦辺館の独演会 七、八の両月は唯さへ夏枯の折柄に何の彼と名義を付しての電車の催し、興行界の有様は実に惨めなものであつたが、九月の声を聞いては秋風颯と立つて急に涼しさを覚えたので、時季が来たとばかり劇場寄席とも一斉に旗指物を振り樹てた。その中に芦辺館は名人会で、上方へ足を向けた講談、落語界の第一人者橘家の円蔵と一竜斎貞山の袖を引留めて色をかへた独演会、静かな秋の宵にシンミリと芸を聴かさうとの計画を立てた。日々の客筋嬉しうも人柄よく、聴き天狗ばかりで大入とは成功だ。

初日の円蔵は「宮戸川」と「五人廻し」の二席、ペラツペラと動く舌は流石に江戸の老巧、達者に任してまくし立てるので、上方の耳には留らぬ憾みはあつたが、苦のない話振りに遠い江戸の人情を霞を隔てゝ窺うた、淡い情調の閃きがあつて、冒頭に至つては殊に無類だ。前席はお花半七をチヨツポリ最初の色気で終つたが、一種のアクセントを有(も)つた婆さんに活きた。後席は大端折つて通人杯は嫌味を半分で了つたが、吉原を説くこと密に手に入つた得意が見えた。話口の慌だしさに二階廻しは眼を廻したが、聴き洩さじと客は耳を廻した。

貞山の前講は「伊賀の水月」、二代目貞山が柳生邸の講演以来「奉書仕合」の不審を感じて「水月」の二字を付した理由から説き「知るや知らずや浪花節等が」杯と気焔に吹きまくる見識、これで品をよくして偖徐ろに喋舌り出すのが彼の一流、一種の話術を有つている。人物の変化のないのを疵とするが、引き付けて行くはよい手腕で、殊に省略法は実に巧い。よい所ばかりを抓み上げて倦まさずに走る。後席の義士伝に子供や女を使つてグイと情合を有(も)たすのは非凡で、新しい旧調といふのに、可笑味を配して、凋みかけた講談界を京に挽回させる気勢が強い。 

大正299日 大阪毎日新聞

◇物騒な養成所 雲入から呂昇と食しん坊に出た松竹の行方に発奮した紅梅亭の原田、「今のうちに落語家の大合同をやつて置かねば可かん」と向ふ鉢巻で立上ると、老骨の文治が、「わしも落語養成所を拵へてその長になる」と大きな拳固を振廻す。イヤ物騒々々(後略)。

大正2910日 大阪新報
三遊亭円馬

◇圓馬の写真 浪花三友派の圓馬、この人の写真といへば只今の坊主頭ではなく、髪黒々の古い撮影、禿頭が気になるのか、渋い顔色をしていて色気のあるところが頼母しい。

大正2911日 大阪日新聞

◇京町堀文芸館は十一日より長広一座の女義太夫。

大正2911日 大阪新報

◇明楽座 来る十日より東京三遊派立花家圓蔵、鶴亀淀助、三遊亭遊三にて開演。大切電気応用「勢獅子」を付する由。

大正2911 山陽新報(岡山)
<三遊亭右円遊一座・岡山大福座

大福座 東京落語右圓遊一座四日目番組左の如し

 百花園の七草(遊女輔)法師の源氏(右橘)道具屋手踊(遊福)探偵うどん音曲(幸朝)伝書鳩(ノロトン
 嬢)素人演劇声色(枝女蔵)磯の鮑活人形(小遊橘)裁判遊余興好次第(遊橘)安中草三(右圓遊)空中飛
 行術(通天)

大正2913日 東京朝日新聞
<桂小米

◇小米の頤外し 大阪から来た鹿の小米は延二郎の声色を売物にしているが、先頃某席で盛んに顔を反して馬力をかける機会(はずみ)にとう〳〵頤の掛金を外して涎を垂らしたは脱線し過る。

大正2913日 大阪時事新報

<蓬莱館の講談日曜会>

◇南地法善寺内の蓬莱館は十四日正午より講談日曜会を開催。出演者と番組は、桜田雪の曙(宝井琴凌)、柳田角ノ進(松月堂呑山)、正直車夫(松林松風)、小猿七之助(大正坊為永)、伊藤少佐(平林黒猿)、俵星玄蕃(旭堂南陵)、山岡鉄舟(伊藤痴遊)。

〈編者註〉蓬莱館の長岡玄四郎が紅梅亭の落語日曜会に対して講談保存の目的で講談日曜会を企画、開催した。毎週日曜日に行われたどうかは不明。各紙を総合してこれ以降で開催が確かめられたのは九月二十一日、九月二十八日、十一月九日、同十六日、同二十三日、同三十日、十二月七日の七回である。演者、演目省略。

大正2913日 神戸新聞

月見と余興(落語家の演劇)
 千代廼座の落語家連中は専門の落語手踊の外須磨に因み「扇谷熊谷」観月に因て「五条橋」の舊劇を演じる事なるが、今回は浄瑠璃入の本式なれば、かつて須磨花壇にて演じし「夏祭」と同様には演じ得ずとて俳優をして振付をなさしめ、昨日は午前九時より午後三時まで稽古をなしたるが、尚同夜閉場後徹夜稽古をなし。本日も午前九時より開場間際まで立稽古をなす等本式に則りその熱心と各自器用の連中とて落語家の演劇とは思われぬ程のものなれば、当日の呼物たるや元より論なく序幕「扇屋」は演劇を主とせるもの。二幕「五条橋」は所作事にて舞の手を見せる事なれば普通演劇とは赴を異せるものなり。その役割は左の如し。

 扇屋上総(圓天坊)娘桂子(圓二郎)折子おむろ(かほる)折子おたけ(都ン輔)おうめ(團幸)折子おま つ(三福)堤の軍冶(升三郎)木忠太(圓歌)姉輪原冶(春輔)熊谷次郎(一圓)小萩実は敦盛(圓三郎)

大正2914日 大阪時事新報

◇浪花三友派、紅梅亭以下の各寄席は十五日より全部出演者の交代。初お目見得として橘家扇蔵及び馴染顔の円坊久々にて出演す。

大正2915 北国新聞(金沢)

<朝寝坊むらく一座・金沢一九
◇一九
席祝賀興行 下新町一九席にては豫記の如く本日より東京落語朝寝坊むらく一座にて同座改称十周年祝賀興行をなすべく番組左の如し

 昔ばなし(小蝶)落語手踊(しん橘)音曲ばなし(花三)落語(夢二)手品皿廻し(むさし)人情ばなし
 (橘遊)落語(遊輔)軽口掛合ばなし(しん遊、花三郎)落語手踊(むらく)

大正2916日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○末広亭 遊三、圓右、圓歌、三木助、文蔵、小遊三、亀次郎、三福改め金三、歌子、朝冶、圓窓、右女助、勘
 左衛門、三木雄、萬橘。

大正2916日 名古屋新聞

富本席の円蔵・貞山二人会>
富本席 圓蔵、貞山の二人会は東都一流の達人が互いに腕のあり丈けを揮う事とて大好評。今晩の読み物は八笑人、なめる(圓蔵)三村次郎左衛門、横川勘平(貞山)

春日亭 圓雅一座の落語は大好評にて本日の番組は雨の旅(花之助)高砂屋(清枝)栗餅(右之路)音曲(鈴馬)夢金(遊朝)手踊(圓次)和歌三神(雷蔵)曲独楽(小源水)西行(圓雅)

大正2918日 九州日報(博多)

電気館の開館 竣成後長らくその侭なりし博多東中洲大正館は、今回電気館と改称活動写真館の常設館となり、窪寺一行が乗込み来る二十三日より開演の由。

大正291820日 九州日報

三遊亭右円遊一座・博多川丈座

博多の川丈座 東京落語三遊亭右圓遊一行乗込み来る二十日より開演。一行は遊の輔、右橋、幸朝、遊福、枝女蔵、小遊橋、遊橋、右圓遊の外、奇術師通天、イワトン等ありと。(918

◇博多の川丈座 東京落語三遊亭右圓遊一行は愈々今晩より蓋開けの筈にて演題左の如し。

 影芝居(遊女輔)笑たけ(右橋)弥次郎並に音曲(幸朝)代脈並に手踊(遊福)芝居噺曽我十番斬(枝女蔵)熊の皮並に活人尽(小遊橋)ラペラ魔術(ノワトン)頓知競争(遊橋)花見の仇討(右圓遊)大切お伽奇術(通天)(920

〈編者註〉実際は、24日より開演。

大正2919日 名古屋新聞

大正館 昨日より東京音曲噺小燕路、助三郎の一座にて益々評判よししん橋

大正2919日 朝鮮新聞

<船遊亭しん橋、寶集家金之助 朝鮮仁川竹園館>

[広告]拝啓御當地各位益々御清福奉賀候、今回内地より東京落語中の大達者と唄はれたる船遊亭しん橋並に(女道楽横綱世人の知らるる常盤津三味曲引日本一)寶集家金之助、今一人春風亭柳昇の即ち座長連三名合併し、其他若手腕利者計り選抜き大一座を組織し、来る廿一日より開演仕候。決して山師的の者に非らず、実に近年稀なる大看板者計りに有之候。又入場料等も内地と変らず、破額を以て御高覧に供し候間。何卒賑々敷御来館の栄を賜り度奉希上候/東京落語初御目得 春風亭柳昇 寶集家金之助 船遊亭しん橋/仁川 竹園館 敬白


大正2919日 満州日々新聞
<柳亭芝楽一座
満州花月席>

花月席 京山呑風好人気にて打上げ引続き奥地興行中なりし柳亭芝楽一座の帰り初日

 御祝儀伊勢参宮(芝三郎)一目上り(芝之助)掛取萬歳(左若)按摩小僧(右楽)滑稽掛合二○加(ぼたん、
 蝶々)親子茶屋(楽助)花色木綿(小團次)清元浮世節手踊(春奴、春助)武者修行(高検正助)佐々木信濃
 守扇の舞(芝楽)大切喜劇(総出)

大正2920日 大阪新報

◇喬栄の得 浪花三友派の清元及び手踊の喬栄、追い〳〵にマセて色つぽくなつたが、何分に喬之助の御面相があれと来ているので少々の三平二満(おたふく)は目立たず、「オイ君、唄をやつてる奴は鳥渡と話せるね」などと若いお方々で好評、マアサ近寄つてゆつくりと御覧じろ。

大正2921日 名古屋新聞

富本席 本日より三遊亭花圓蔵等若手連中にて開演今晩の番組は東の旅(朝太郎)たらちめ(文之助)影芝居(福之助)左甚五郎(圓枝)五人廻し(小よし)野ざらし(朝之助)お文様(花圓蔵)

大正2921日 大阪新報

◇京阪神合同諸芸大會を摂州御影の朝日座にて二十一日より開演、番組左の如し。

(東京)長唄紫紅會員六かね、六まつ、六千代、六歌女(大阪)落語寿々女會連中、落語浪花反対派連中、浪花節廣澤當美、舞山村派菊江嬢外数名、清元小せん、端唄玉吉、常盤津小圓(神戸)奇術一陽斎正一社中、浪花節桃中軒正雲、三河家寅吉、大和琵琶山田光栄子、舞登美。

大正2922日 名古屋新聞

富本席 大好評の茶楽、花圓蔵一行二十二日の番組左の如し

 影芝居(連中)一目上(朝太郎)たがや(文之助)大工調べ(小よし)新講談(圓枝)掛取萬歳(朝之助)り
 んきの独楽(花圓蔵)芝濱(楽右衛門)大切(大一座)

大正2923日 名古屋新聞

富本席 今晩の番組は道かん(朝太郎)正月丁稚(福之助)干物箱(小よし)新講談(圓枝)小烏丸(花圓蔵)七段目(朝之助)改良落語(楽右衛門)大切(総出)

春日亭 圓雅一行の落語益々大好評にて今晩の番組は子ほめ(花之助)五人廻し(右三路)源平穴探し(清枝)書生車(善馬)一分茶番(遊朝)曲独楽(小源水)柳の馬場(雷蔵)音曲(圓活)掛取萬歳(圓雅)

大正2924 京都日出新聞

<伊藤痴遊の講談評>

◇痴遊と不如帰 …伊藤痴遊は既に世の中が皆知つている。渠(かれ)の新講談は訽(まこと)に講談界の珍とするに足るものがある。明治の元老や大臣を小僧のやうに見縊(みくび)つて講じてゆくうちに言ひ知れぬ妙味がある。見縊つたといつても悪く言ふのではない、舐(な)めてかゝつてゐるのである、呑んでいるのである。そこに渠の浪人組気質が自然に流露する。これが痴遊としての唯一の価値だと思ふ。

渠が聴衆の心理状態を会得していることは真に天下一品である。もうそこそこ惰(だ)れたと思ふ頃に諧謔一番、哄(どっ)と笑はせて了ふ。其の呼吸の旨いことは正に独特の技倆である。要するにあるモーメントを捉へる神技を有しているのである。客を呼ぶのも一つは此妙に依つてゞある。(後略)

〈編者註〉九月二十二日より七日間、浪花節の雲井不如帰と京都南座に出演。入場料一等六十銭、二等四十銭、三等二十五銭、四等十三銭。初日二十五銭均一。このあと十月一日より岩神座で三日間興行。入場料は一等六十銭、二等三十五銭、三等二十銭、四等十銭。演目等詳細は不明。

大正2926日 都新聞

三遊亭金馬は静岡入道館を本月中に打上げ来月一日金沢の一九席へ乗込む

上方落語史料集成 大正2年(1913)  10月

大正2101日 大阪新報

◇千日前集寄亭 南地千日前南海通集寄亭にては女義太夫の衰退を歎き、今回同亭の内外下部の改築を終りしより、愈々一日より竹本長廣外若手数十名を招き、女義太夫の定席として年中休業無しにて開演と決定せり。

大正2101日 大阪日新聞

◇三友派落語紅梅亭外各席に一日より東京の曲芸春木助次郎、助太郎、橘家扇蔵、常磐津中次、妻吉。

大正2101 京都日出新聞

芦辺館本月の顔触は 吉之助、染三、司雁、[米紫]、三八、小円太、文之助、小文三、小米、染丸、春団治、文都。

大正2101日 名古屋新聞

富本席 三遊亭楽右衛門、橘家花圓蔵一行は去月二十一日より開演しつつありしが予想外の好人気を博したるを以て愈々日延べと決し引続き開演す。本日の番組は法事の茶(朝太郎)山崎屋(福之助)五人廻し(小よし)新講談(圓枝)六尺棒(花圓蔵)高砂屋(朝扇)改良落語(楽右衛門)大切総出

大正2102 神戸新聞

栄館 本月の出演者は左の如し。大切余興として「七化」を演ず。

 福助、二三路、文之助、南若、枝三郎、呂鶴、花橘、三路

大正2103日 名古屋新聞

富本席 今晩の番組左の如し

 一ト目上(朝太郎)掛取(福之助)たらちめ(小よし)五段目(文福)新講談(圓枝)元犬(朝之助)熊の皮
 (花圓蔵)お伽奇術(柳一)大切(総出)

大正2104 神戸新聞

千代廼座 落語一座今晩の出番は左の如し

 念力景清(升三郎)お世川(都ん輔)土橋萬歳(圓天坊)浮世床(圓歌)宿屋尼買(春輔)軽口(圓二郎、
 一圓)音曲噺(かほる)立切れ(圓三郎)左甚五郎(圓)

大正21012日 山陽新報(岡山)

九重館 本日の出物左の如し

 金毘羅参詣(三八)紀州飛脚(三若)魚尽し(遊三郎)膝栗毛(若梅)五人廻し(太郎左衛門)歌舞音曲(三
 子)七段目(掛合)催眠術(花一)
□□(淀助)源平穴探し(遊三)

大正21014日 東京朝日新聞

◇好い気なお客 三木助が先夜人形町鈴本で、女房の尻を打つ餅搗きという臭い話を演ると、髭の客が感心して、手の杵の音は巧い前の圓右より余程名人だ。世間はこれで持ったもの。

◇落語研究会 十日正午宮松亭に開催。相変らず大入り三木助の宿屋の仇討、上方詞に江戸弁まじりの啖呵は恐縮。つばめの妾の馬腹の皮を捻らせ、圓蔵の首提灯は手に入り過ぎ、むらくの鼠穴、小圓朝の文ちがい相当に受け、馬生の大工調べに馬鹿の与太はわざとらしく、次に小さんの廐火事わるい筈なし、切圓右の累ケ淵シツトリと座を締めて行く巧妙さは流石なり。

大正21016日 都新聞

◇[広告]寄席案内
○立花亭 圓蔵、圓右、遊三、むらく、伯鶴、右女助、亀二郎、歌子、金三、小正一、圓子、華山、仲太夫。
○並木亭 圓右、橘之助、むらく、右女助、りう馬、仲太夫、金三、亀次郎、李彩。
○木原亭 三福改め金三、むらく、三木助、圓右、りう馬、歌子、右女助、新朝、亀二郎、李彩、瀬太夫、喜
 市。
○喜吉亭 圓蔵、むらく、貞吉、三木助、歌子、朝次、りう馬、金三、李彩、文蔵、團雀、重七、越春、光龍、
 春子、春の助

大正21021日 鷺城新聞(兵庫姫路)

<桂春団治一座・姫路楽天座>

桂春團冶来る 目下奈良尾花座において好評を博しつつある浪花三友派落語林家正楽、桂菊團冶、桂春團冶の大一座は九州地方巡業の途次當地に立寄り二十一日より竪町楽天座において花々しく開演すべし顔ぶれは、落語(春松)落語(春の助)落語音曲(文子)落語(雀丹)落語手踊(市兵衛)落語舞(小文)落語(玉團冶)音曲落語(市馬)落語(正楽)落語手踊記憶術(菊團冶)落語音曲手踊(春團冶)大切喜劇(総出)

大正21022日 大阪新報

◇猥褻小冶 紅梅亭の小冶、変な色の袷を着用に及んで、松茸狩がどうしたとか散々枕に火の出るような事をいつた後にどんな話をするかと思へば、女の子が羽根を突いている処を向いの小僧が邪魔をしたのを、娘の親が間違へる頗る卑猥な話を臆面なしに饒舌り立てた、席元シツカリ。

◇原田は京都 紅梅亭の原田、大阪にいるかと思へば京都へ行く、神戸へ走る、落語界の白井とでも云はうか、但し松竹の白井よりも君の方が女難があるだけ一頭地を抜いている。

◇大小二対 同じ紅梅亭の軽口の両人、大輔は如何にも名の通り凄じく背が高くつて、左文冶は頗るの小男、「トの字〳〵」と呟いていたお客、満更に無茶は云はず。

大正21024日 大阪新報

◇藤原一派の計画 賑江亭、此花館等の席元の藤原、枝雀を中堅としてこちらが本家の浪花三友派で御座いと紅梅亭一派と互ひに鎬を削つているが、今度一つ出方に大改革を試み、思い切つた趣向で人気を独りで占めようと内部で寄り寄り相談中ださうな。何かやるに限る、新しければ人は来る。

大正21024 山陽新報
<三遊亭遊三一座・岡山味野町大正座>

大正座(味野) 三遊亭遊三の一行にて昨日より開演し大切の喜劇など却々面白き

大正21025日 大阪新報
<三遊亭円馬>

◇客種の進歩か 紅梅亭の高座へ円馬が現はれると「鰍沢をやつてや」との注文に応じて、一本のお材木で助かつた身延詣りのお話。以前は又しても「五人廻し」の注文が多かつたに比べると客種が進歩したのだらうとは、蓋し一知半解の□説かも知れず。

大正21025日 大阪毎日新聞
<桂文治>

◇桂文治の一期 今は隠居の桂文治が、「落語養成所の設立はおれの生涯の記念事業だ」も古いものだが、女義の呂昇が女義太夫養成所を立てるといふので愈々黙つても居れず、案内には是が非でもモノにして見せると力むので、三友派の前座連、「早くしないとソノ生涯がなくなるツ」は鶴亀々々。

大正21030日 大阪時事新報/111日 大阪毎日新聞

<平野町此花館が三友派(紅梅亭)に、賑江亭が寿々女会に加入する─此花館三友派の消滅>

◇浪花三友派の寄席は従来の紅梅、延命、瓢亭、六方館の外に平野町の此花館と天満の杉の木席が加入し、一日より出演者に筑前琵琶筑紫弦城、桂文三出勤、円馬は紅梅亭にて塩原多助を口演す。(大阪時事)

◇堀江廓賑江亭が今回新に同聯合席へ加入したる由。(毎日)

〈編者註〉九月一日より延命館、十一月一日より平野町第一此花館が紅梅亭の三友派へ参加、賑江亭は十一月一日より寿々女会に参加したことにより、三友派を二分していた此花館の三友派はこの時点で消滅したことになる。これ以降三友派といえば紅梅亭の三友派となるので、編者も区別をせず、(浪花)三友派はそのままで表記していいく。なお、正月には三友派(紅梅亭)に入っていた筈の杉の木だが、途中で離脱したらしく、又々三友派に加入と報じられている。

大正21031 京都日出新聞

◇芦辺館は来月一日から文団治が出演して景気を添へるが他の連中は 吉之助、[染三]、三八、司雁、小文三、文之助、小米、万光、浪太夫、喜昇、染丸、扇蔵、文団治

上方落語史料集成 大正2年(1913)  11月

大正2111日 大阪時事新報[広告]

落語 002

大正2111日 大阪毎日新聞

◇長唄紫紅会 一日より浪花落語寿々女会の各席(蓬莱館、永楽館、あやめ館、澤井亭)へ長唄紫紅会の杵屋六歌女、同文兼、新講談松林松風等出演すべしと。

大正2111日 大阪新報

◇円馬の畑は矢張り人情話にある。紅梅亭で塩原多助を口演するとは円馬当人に取ても得意であらう。まだ〳〵人情話に耳を傾ける客は沢山ある。ドシ〳〵この種の物をやらせてやるが好い。そして野卑な大阪落語の清涼剤にするが好い。

◇藤原の本業 平野町の此花館の席元藤原は九州の八幡で新遊郭を設計し、付近の大工場を宛に大儲けをしようといふ見込み、席よりもこの方が余程大仕事で、目下それにウント肩を入れているさう。

大正2111 朝日新聞新聞神戸付録

千代の座 高尾(圓歌)宝藤(軽口)浮世の穴(春輔)寄合酒(圓天坊)新演芸紙切術(柏糸)親子茶屋手踊(圓三郎)浮世節(女道楽)忠孝踊(圓入道)余興菊人形