三友派若手連の「扇派」関連記事

大正二年末から大正三年初頭迄の短期間でしたが、浪花三友派の若手が中心となり「扇派」を旗揚げしました。

余り、落語史には詳しく触れられていないこの事件を、当時の新聞で見ていきましょう。

 

大正21123日 東京朝日新聞

大阪落語の紛擾 大阪落語三友派の春團次蔵之助等所謂青年会一派廿余名は同盟休席をなすに至り同地寄席間の恐慌を来したるが同派の不振挽回策を講ぜんと紅梅亭が密かに今回上京し東京柳派の真打連と密約計画せしが原因なりと

大正21129日 大阪時事新報

◇拠(よんどころ)なく神戸落 三友派に居た蔵之助と春団治は十人余りの前座を引出し、新らしい落語の一派を作る意気込でゐたけれど、何が口頭(くちさき)許りの連中だから忽ち衣食住に困り、新桂派の一座へ泣を入れて見たが相手にしてはくれず、拠なしの神戸落、湊川の多聞座に流れ込んで大阪以来の溜息を細々と吐いてゐるとは誰を怨みんやうも無しさ。

大正2121日 神戸新聞

三友派愈々来る 大阪落語三友派中に紛争を来たしたる結果、幹部の文冶、圓馬、文都、圓太郎、圓光、文團冶、米團冶を除く外以下三十余名が袖を連ねて同派を脱しその脱走組は当地湊座若しくは大阪弁天座の何れかにて旗揚げをなさんと意気込めること既記の如くなるが、抑(そもそ)もいまこの紛争の原因を聞くに同派の大阪における出演席は最近延命館(福嶋)、六才[方]館(松嶋)、紅梅亭(南地)、瓢亭(新町)、東二紅梅亭(松屋町)の五箇所なりしも興行不振の結果、東紅梅亭は一時休業をなしたるが、これを機とし席元より当分月給の一割五分を引下げてくれよとの交渉あり、その際事情止むなき場合と見てこれを承諾せしが、その後休業すべき筈の第二紅梅亭が開場し、同時に新しく第一此花館(平野町)、杉の木(松屋町)も開場する事となり一同は月給減額以前より多くの寄席を掛持ちすることとなりたれば従って席元の収入は増加する訳なりとて茲に月給復旧問題起こると共に、去年の天長節に大阪市主催の余興に出席せし謝金として二百圓の寄贈ありたるにも拘らずこれが報告をなさざる上、毎月の積立金中二百圓ばかり融通せるものありとの話も出でしかば、当時脱走組はその処置を怒れる際席元は例年一月は月給の四分の一を増額し、尚年末において前借金をなさしむる例なるにも拘らず、これを全廃すべき旨通告せしかば、只さえ不満を抱ける連中の激昂(げきこう)一方ならず茲に月給復旧及び年末前借、一月興行増金の三件を席元に要求する一方積立及び謝金処分問題を追及すべしとの決議をなし事務員平野にては埒明かずとて席元の女将に直接談判を持ち込みし処女将は只確答の延期を唱えるのみにて、その期日さえ明らかにせざるより到底要求の容(い)れざるものとし一同引上げたるまま同夜は休業せしに、席元はその行為を怒り提携を絶つべきより通知せしよし。全く独立の臍を固むるに至りしものにて中には大阪にて別に旗揚げなさんと主張するものありしも、当地某氏の後援を得ていよいよ湊座に旗揚げをなすべく決定したりと。されば一行はこの際努力して席元に対する面当をなさんと意気込み居れり。因みに一行は左の如く近頃稀なる大一座なり

春團冶、小文枝、左文冶、枝、文冶郎、米蔵、文二郎、萬光、小圓太、玉團冶、梅若、春冶、蔵之助、小團冶、大輔、菊團冶、團輔、米紫、福我、文我、三蝶、圓坊、市馬、喬之助、小染、雀圓、吉之助、文枝[]、文子

<編者註>湊座:明治四十二年十二月に新開地に新築された寄席。

大正2121 神戸又新日報

脱走組の旗揚げ 大阪の三友派を飛出した若手の落語家三十名は神戸へ乗込み新開地湊座に腰を据えて一日より旗揚げをする事となったが、落語の外に喜劇渦巻をも演ると云う。

大正2122日 大阪朝日新聞・神戸付録

演芸だより 湊座にこの一日から旗揚げをした三友派の若手落語家は春團冶、蔵之助、小文枝、小團冶、左文冶など其数三十名いづれも腕達者の選抜ばかりで土に喰付いてでも三友派には帰らぬという意気込みだから高座は熱心に努めた上に大切として喜劇「渦巻」と「道成寺」をお添物に衣装までも取揃えて大いに跳廻るとの事なれば随分面白可笑しかるべく、尚鼻の喬之助が福我作の「花の師匠」という渦巻の数江を詠込んだ清元に例の咽喉を聴かすという。

大正2127日 神戸又新日報

湊座 三友派若手落語の本日は左の番組にて。明日から嵐家三郎一座

松竹梅(小文)記憶術(菊團次)立切れ(文冶郎)花見仇打(圓坊)新曲渦巻(喬之助)瓢箪場(小團冶)舟徳(蔵之助)紙屑選り(春團次)飛行機(福我改め文昇)其他

大正21213日 大阪時事新報

◇寄席の苦労 シカのストライキと云ふ珍妙な出来事が起つて若手どころが脱けた三友派では、この春には何んでも眼先の変つた色物で評判を取らうと紅梅亭の原田は東京方面を荐りと物色中だが、何れを見てもトンと目星いのが見当らぬのでまた一苦労。

大正21216日 大阪新報

◇いよ〳〵分離す 春冶、蔵之助を始め二十数名の三友派不平党は、今回神戸に有力なる後援者が出来たので俄かに気が強くなり、借金も返し、天下晴れて大手を振つて別に一新派を組織して堺とかへ乗込んだとは気が強いこと。

大正21217日 神戸新報

<名前を募集>
三友派の旗揚 不平等二十七人の分列 酒樽を見たばかりぢや下口(げこ)も酔えぬに白湯を飲んで酔うてみたり面白くもない事に笑ったり、踊ったり跳ねたり不真面目なので世渡りして居るシカ連、然も三友派のバリバリ春團冶、内蔵之助、喬之助、小團冶、圓坊、小圓太、文二郎、左文冶、文昇等の一味徒党赤穂義士には二十名不足して居る二十七名、幹部の仕打が我侭(わがまま)過ぎる、癪に障った、気に入らぬと社会主義を発揮し贔屓の多い当地に流れて来て、去月末湊座にこの旗揚をした。所が世の同情という有難い尻押しで見事成功したので転んで喜びこれなら懸命の勉強ぶりを見せたなら定打ちした所で成功せぬ事はないと来春一月興行も湊座で開演する事に決めたが、何処までも気楽蜻蛉(とんぼ)揃いの連中だけに団体の名跡を付けておらぬと、さる物知りの知恵付けで俄に思いついたが飛びつく程の妙案もなく数多ある贔屓は即ち親に違いないのだからその親から命名して貰うのがよいというので、懸賞募集をする事にした。事務員は湊町二丁目百七十八番の三十二成和たみ方で、締切は来る二十日、賞品は一等無限、二等三ヶ月、三等一ヶ月の優待をするとは稼業に不釣合の真面目さなり。

大正21217 神戸又新日報

先月の末三友派を飛出して湊座に叛旗を翻した春團冶、蔵之助、喬之助、小團冶、圓坊、小圓太、左文冶、文治郎、文昇其他二十七名の若手落語家は湊座打揚げ後伊丹寿座に四日間、堺天神に五日間、夫れより和歌山弁天座に七日間、是にて年内は打止めとなし来春元日より再び湊座において常打興行を為す筈なるが此の一座にはまだ何の名目も無いところから一般から座名を募集して名付け親の一等には無限優待券、二等三箇月間優待券、三等一箇月優待券を贈るとのことで湊町二丁目成和たみ方に事務所を置き来る二十日を〆切として募集しゐると。

大正21226 神戸又新日報

<「扇派」と決まる>
当選名付け親脱走落語家団体の命名式 脱走したが名前が無いと大方からの投票を乞っていた三友派の鹿連〆切日の答案五百七十八人通の中から某専門家の選を乞い愈々「扇派」と決定したそうだ。此名付け親は楠町五西山某阿弥、大開九竹中玉水という人が同案だったので此二人を名付け親とし、二等には楠町六世古某案の「浮楽天会(ふらくてんかい)」、三等には古湊二塩谷友堂案の「箙(えびら)派」と決まり夫々優待券を贈ったが楽屋では愈々(こ)決まった以上振るった命名式を挙げようじゃないかとと大乗地の相談中だそうな。

大正21227日 神戸又新日報

湊座 一月興行は三友派脱走の若手落語家三十余名の扇派一行にて三ケ日と日曜は昼夜二回開演、当分定打の筈

大正311日 神戸又新日報

遊覧案内▲湊座 扇派の落語にて元日より五日迄昼夜二回興行

大正3111日 神戸新聞

湊座 落語扇派一行は本日より十五銭均一と改めたり因みに十二日の出し物左の如し

三枚起請(文冶郎)床下(左文冶、大輔)紙屑選(小文)質屋蔵(菊團冶)社頭杉(文昇)按摩炬燵(春團冶)芝居網七(小圓太)四君子(喬之助)女学生(圓坊)五両残し(花咲)松山鏡(蔵之助)

大正3125日 鷺城新聞(兵庫姫路)

◇広告/ 一月二十六日ヨリ開演/浪花落語扇派/橘家蔵之助一行/桂梅花 桂玉團治 桂團輔 桂米紫 三遊亭市馬 桂大輔 桂左文治 桂菊團治 桂文治郎 桂花咲/竪町楽天座

大正3125日 鷺城新聞楽天座扇派

落語扇派来る 竪町楽天は二十六日より五日間浪花落語扇派橘家蔵之助一行を迎へて花々しく開演す。番組は落語(桂花之助)落語(桂梅花)落語(桂玉團冶)落語(桂米紫)落語手踊(三遊亭市馬)落語音曲(桂菊團冶)落語手踊(桂文冶郎)音曲落語(桂花咲)落語俳優声色(桂花咲)軽口(桂大輔、桂左文冶)落語浪花節節真似(蔵之助)

大正3128日 大阪時事新報

<春団治ら、三友派の原田に詫びを入れる>

◇ノコノコ戻る鹿 給金の居直りで此処ばかりに日は照ぬと三友派を脱走した鹿の春団治、菊団治、円坊以下は、神戸の湊川の席へ流れ込んで討死するまで戦ふかと思ふと、腑効(ふがい)なくも元の席主へ詫を入れた。相手は解つた原田だけに無事に納まる。

3131 大阪新報

浪花三友派 各席へは二月一日より連夜定連の外新たに桂文三、新馬鹿大将ジョンテー、桂小團冶、立花家駒奴、琵琶の琴月等の新顔がお目通す

大正321日 鷺城新聞

扇派合同す 楽天座にて開演中の浪花落語扇派第二部橘家蔵之助一行は連夜大入を占め居れるが二月一日よりは第一部、第二部合同にて花々しく開演す。出演順番は落語(桂都雀)落語(林家小染)落語即席話(桂三蝶)落語(桂團輔)落語音曲(三遊亭市馬)落語手踊(桂小文)音曲落語(橘家小圓太)軽口(桂大輔、桂左文冶)落語音曲(桂文冶郎)落語手踊(橘家圓坊)清元浮世節(喬之助)落語浪花節節真似(橘家蔵之助)

大正326 山陽新報(岡山)

大福座 五日より大阪落語三友派桂派合同にて開演番組左の如し

落語(米蔵、都雀、小染、團輔)落語即席噺(三蝶)落語音曲(市馬)滑稽掛合噺(大輔、正輔)音曲ステテコ(小圓太)落語舞踊(小文)落語音曲(文二郎)一人角力(大輔)清元浮世節(喬之助)落語盆の曲(圓坊)滑稽笑話(蔵之助)余興浪花節

大正329日 大阪新報

<春團治、菊團治、小團治(花咲)の復帰>

五人の復帰 去冬浪花三友派を去つた十七人の中で春團冶、菊團冶、花咲以下五人だけ逆戻りをやつて此一日から三友派の席へ出演をしている。つまらぬ喧嘩はお互い損だ

つらい喬之助 ここにあわれを止めたは清元の喬之助。自分の弟が病死の節、滑稽浪花節の蔵之助に世話になつたその義理を思つてあくまでも蔵之助らと行動を共にして三友派へ戻つて来ず旅稼ぎをしているのはかわいそう

大正3215 京都日出新聞

<左文治(二代目福松)、京都に帰る>

◇笑福亭本日の一五会の番組は 三人旅(枝太郎)浮世根問(松太郎)狸の釜(さん喬)名画の鶏(文之助)食客講釈(桃太郎)後家と馬方(南枝)余興名物五十三次引抜ヘラ〳〵踊り(円笑、左文治)黄金大黒天(先太郎)諺言(福円)

大正332 山陽新報

九重館 一日より開場。出演番組左如

かつら吉之助、桂團輔、林家小染、桂三蝶、三遊亭市馬、橘家小圓太、桂文昇、桂小文、一人角力桂大輔、桂文次郎、立花家喬の助、橘家圓坊、橘家蔵之助

大正337日 鷺城新聞楽天座扇派②

◇広告/三月七日ヨリ開演/浪花落語大演芸会/扇派一行/楽天座

大正三年37日 鷺城新聞

落語扇派来る 當市竪町楽天座にては来る八日より浪花落語扇派橘家蔵之助一行の大一座を迎へて花々しく開演すべし。その顔ぶれは落語(都雀)落語(米蔵)落語(圓輔)落語(三蝶)落語音曲(市馬)落語(文昇)軽口(小輔、大輔)音曲はなし(小圓太)落語舞踊(小文)落語音曲(文治朗)一人角力(大輔)清元浮世節(喬之助)落語盆の曲(圓坊)滑稽笑話余興浪花節(蔵之助)

大正3326 大阪新報

◇脱退派の此頃 一時は天満の杉の木下村[竹次郎]が一と肌脱いでやらとして不調に終り又もや地方巡業となつていた浪花三友派の脱走蔵之助、喬之助の連中、此頃は岡山で稼いでいるさうなが何かして早く戻つてこい

大正3420日 大阪時事新報

◇鼻高々の狆面 三友派から脱走した狆面の喬之助は蓼食ふ虫も好き好きでせうと、神戸の成和とか云ふ太夫元に情を売り付けてから急にそれを笠に着て、彼の有るか無いか顕微鏡で見ねば別(わか)らぬ鼻の先を厭にピヨコつかせて、一味の蔵之助や円坊を家来扱ひの高慢ちきに、連中呆れ返つて、嗚呼俺達も何故女には生れて来なかつたらうと漏してゐるとは意気地のない奴。

大正351日 大阪時事新報

<蔵之助、圓坊が寿々女会へ加入>

北新地永楽館以下の寿々女会の各寄席へ神戸にて扇派の名を揚げて失敗したる橘家蔵之助同じく圓坊加入の外琵琶三木翠松等一日より出演

大正351 大阪新報

寿々女の新加入者 昨秋感情の衝突から浪花三友派より分離し扇派と号し神戸その他の地方巡業なし居りし十数名の落語連中はその後春團冶、花咲等は再び三友派へ戻つて[仕]舞い残る人々も今度解散することとなり蔵之助、圓坊等は寿々女へ加入せり。又琵琶の三翠松も新たに同派へ入り中村翠湖と合奏出演すと

大正353日 神戸新聞

<喬之助、文治郎、市馬は神戸へ>

都座 本日より出演者左の如く変更せしが、余興「落語相撲」穴探しは大当たりならば、引続き大切に加え居れり。

正輔、市馬、三升、かほる、枝三郎、糸好(義太夫)、春輔、文二郎、圓天坊、圓、三木雄(剣舞)、圓三郎、喬の助

大正3519日 大阪新報

◇喬之助の艶話 蔵之助や圓坊と別れ大阪の高座から忘(わすれ)られるようになつた不運の喬之助、その代り神戸で大分に粋筋が出来て一家を神戸へ呼寄せるさうな。東隅に失して桑楡に得た勘定か。

大正365 鷺城新聞

楽天 浪花落語扇派一行を迎へ去る一日より開演しつつある竪町楽天席にては毎夜大入りを占め人気好し。