大正15年

上方落語史料集成 大正15年(1926)1月~3月

大正151 

大阪の寄席案内

<上席(一日より)> 

南地花月 扇枝、円枝、残月、文治郎、蔵之助、三木助、九里丸、馬生、春団治なほ一日の昼席は正午開演
  にて花月三友合同会幹部全員が出る

紅梅亭 春団治、花橘、勝太郎、ろ山、染丸、一光、円子なほ一日の昼席は午後からろ山独演会

北陽花月 染丸、三木助、円枝、馬生、春団治、勝太郎、正光、ろ山

松島花月 ろ山、春団治、残月、文治郎、蔵の助、九里丸、馬生

新町花月 扇枝、円若、生馬、九里丸、円子、正光、花橘、春団治

天満花月 九里丸、染丸、福団治、円若、米団治、勝太郎、三馬、

福島延命舘 勝太郎、円子、染丸、しん蔵、円枝、米団治、三木助

京三倶楽部 蔵之助、小柳三、米団治、扇枝、ざこば、三木助、円若、円枝

十七日正午より南地花月亭にて神田ろ山独演会。演題は清水次郎長伝の内「森の石松」

大正1511日 神戸又新日報

◇千代之座 初春興行の番組は、萬歳、支那の正月、松づくし総踊り、小原節の西洋風・支那風・日本風に踊り分け、博多二○加、特別出演珍芸萬歳の橘家太郎、菊春及び初代梅坊主改め太平坊と女梅坊主奏玉章の大曲技、天旭嬢一行の大魔術、扇三、都枝の義太夫かけ合

大正1513日 名古屋新聞

[広告]東京落語三遊亭圓馬一行/大須七寶館

大正15111日 神戸又新日報

◇千代之座 好人気の七色会一行は、初春以来特別興行として、人気者の橘家太郎菊春に初代梅坊主改め太平坊一行を加えて例の如く種々の新舞踊を演じて好評。

◇大黒館 七色会第二部の出演にて、□賀芳、春子の萬歳に、美人連総出の小原節踊は人気に投じて、これ又好評。初代梅坊主改め豊年斎太平坊一行の深川かつぽれは大受け。

大正15131日 名古屋新聞

◇七寶館 東京睦会の若手林家正蔵の落語で、二月一日より開演。正蔵は落語界の新人で、噺にくさみがないから東京では若手の人気者である。

大正152 

大阪の寄席案内

一日より十日間南地花月、松島花月、花月倶楽部にて花月三友合同会記念幹部大会を開演。【下図参照】

 京都の寄席案内

二十一日から二十三日まで、富貴、芦辺館にて花月三友合同会記念幹部大会を開演。【番組下記参照】

大正1521日より

◇南地花月・花月三友合同会記念幹部大会チラシ

15年 012

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正1521日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会一行は、今一日より所作事「浦里一新舞踊」「酒茶屋」「四つ竹小原節踊」金田晩□氏新作「新生」と芸題をかえ、諸芸吹寄せ萬歳の橘家太郎菊春、秦玉章一行の大曲技、天旭嬢の魔術、幸丸小ゑんの萬歳、橘家扇三の人情噺、都枝の珍芸、圓天坊染五郎等の滑稽落語、君廣勝政等の義太夫は例の通り引続き出演。

◇大黒館 七色会二部は、今一日より芸題全部取かえ、新たに身体運動の大曲技松岡ヘンリー一行を加入。

◇岩屋敏馬座 一日より五日まで、毎夕五時開演で、小金井魯洲師の講談と桃中軒栄雲の浪花節。

大正15210日 大阪朝日新聞

◇[広告]花月三友合同会記念幹部大会

15年 008

燦として輝く斯界の絶対者が秘技薀蓄を傾け競ふ

誇り得る至大の栄誉、空前絶後の画期的記念興行

天下に冠たる!この崇高なる大芸術がクライマツクスに達し、然かも聴者をしてその妙域に陶酔せしめる程のユートピアを如実に表現するこの大快挙は、他に求め得られぬ絶対的の催であります事を茲に宣明致します。次第不同(いろは順)

大正15210日 大阪毎日新聞

◇珍らしい顔ぞろひ 吉本の記念興行 吉本興行部では当主林庄之助氏になつてから三年目を記念するため十一日から十日間南地、松島の両花月と北新地の花月倶楽部で大家連の顔合せ興行を行ふ。顔触れは伯山、虎丸、痴遊、加賀太夫、宮古太夫、小さん、左楽、錦心の八名で、かやうなメンバーはいろんな事情から恐らく絶後であらうと。なほ小さんは本年三月に引退するので大阪の普通興行としては最後であるらしく、また加賀太夫も七十七歳の老齢なれば今後いつ来阪するかも知れないと。

大正15211日より

◇南地花月・花月三友合同会記念幹部大会出番番組

15年 015

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正15212日 大阪朝日新聞

○高座を退く柳家小さん 但し『話は死ぬまでやる』 来阪中の小さん老の気焔

15年 004今十一日から十日間大阪南地、松島両花月および北陽花月クラブの名人会に出演する落語界の大御所柳家小さん君が、七十歳の古稀のよはひを機とし、この十一月末に五十年間の高座を引退するといふ。

襲名したばかりで死んだ円朝亡き後は「小さんの後には小さんなからう……」とまでいはれている現在の落語界の大元老であり、ほんたうに名人といへば唯一人の落語家だけに、この声を聞いただけでも斯界がサツとさびしくなる様な気がする。当の本人は「なあに周囲の親戚達がこの老人にいつまでかせがせるんだいと息子をきめつけるので、息子が心配してかうなつた訳でさあ。引退といつても小さんの名をやめる訳でもなし、たゞ寄席へ出て身体を縛られないだけの話で、生来好きなこの道だもの、時々はお座敷へも宴会へも出まさあ。小さんがこの道を止めるのはこの世におさらばを告げる時でござんすよ」と例の調子で気焔をボツ〳〵あげる。

それからあの得意のにらみ返しの時の様な顔に長い思ひ出を浮べたらしく、過去談に及ぶと、自分の好みで常磐津林中の門に入つたのが十六の時で、家が武士であつたゞけに父から勘当されるまでになりかけたが、同時に小さんは当時のひどい芝居道に憤慨して二三年たらずで落語界に走つたといふが、その動機が面白い。

九段下柳亭で落語を聞いてると、お終に穴があいて見物が騒ぐので、先生素人ながらも見物席から飛出して一席相つとめたのが至極の好評を博して、薬研堀の先代円橘に認められ、先代燕枝に就て燕花と名乗つたのを振り出しに、小三治、最後に三十七歳の時小さんを嗣いで三代目小さんとなり。今では四人の子供や二十有余人の孫ひこで同年の細君さださんと楽しい家庭を作り、現代落語界には馬楽、小せんなどの若手始め多数の弟子を作つて落語協会の会長でおさまりかへつている。なほ小さんは現在の落語協会長も退かず、この三月ころには四国、九州地方へ引退興行を打つてまはるはず。

大正15212日 大阪朝日新聞

○小さんと故桂文枝 

引退を伝へられた小さんは十一日から大阪南地の花月、松島花月、北陽花月倶楽部の名人会に出演している。小さんは「うどんや」「小言幸兵衛」「子別れ」「にらみ返し」「二階ぞめき」「馬の田楽」「らくだ」などゝいふ話を得意としているが、このうち「二階ぞめき」「馬の田楽」などは大阪話の作り直しで、誰も彼もが大阪の落語を悪くいふ中に彼のみは大いに大阪の落語家を尊敬している。 

それは彼が故人大阪の桂文枝に心酔した余勢からである。小さんは有名な凝り性で、落語のためにはいろ〳〵と研究をした。田舎者を研究するために上野駅に日参したり、酔つぱらひを見るために人に酒を奢つてヘヾレケにさせたり、ドモを研究して本当の吃になつてしまつたりした。

「どうも本当の話は落語以上で、いつぞや上野であるお上りさんが『三等切符でこんなに早く来るんなら、一等ならどんなに早からう』といつていたのを聞いた時には思はず吹き出しちまつて──」

 それだけに名人文枝の凝方に心酔したのだ。

死んだ京都の文吾の名人ぶりにも小さんは感心したもので、「碁どろ」などはそれから輸入した。小さんが大阪へ来た時分、文枝は小さんの「碁どろ」の味を覚えるために七軒の寄席を綱つ引きの俥でついてまはつて、たうとう覚え込んでしまつたのには小さんも吃驚した。更にひどいのは益田太郎冠者の新作「正気の狂人」といふ話を大成するために、文枝はある狂人病院で二週間狂人と同居して、後でこの話を文枝が高座に持ち出した時にはトテモ凄くて聴き手が肝をつぶしてしまつたといふ。

「とても今時あんなえらい落語家はありません」と、小さんは三語楼あたりが新しがりを振りまはすのに憤慨しながら、故人を懐しむのである。「どつちかといへばこのごろでは、大阪の方が落語の聴き手が玄人で、あまり新しい英語や漢語混りの話が受けないなどは豪気でさあ」と彼はいふ──「それに近ごろ、立上つて尻をはしおつて踊るなんていふのがありますが、あれは落語家の邪道で、落語家は踊りでも坐つて踊らなきあうそですよ」と恐ろしく卓見を吐く。

 小さんが常磐津の太夫をやめたについては面白い話がある。彼が十九の時、林中などゝ新富座に出演したが、もちろん彼は湯汲太夫といふ三枚目で、語り了つてからその日の仕切り(給金)を勘定場へ貰ひに行つた。掌の上に一握り金をのせ、それを両方の掌で押へたまゝ師匠のところへ持つて行くのがその時の習はしであつたが、彼はソッとその金を勘定して見た。ところがその時の金で僅に二円八十銭しかない。それを林中以下三人の控太夫や三味線弾きで分けるのだ。彼はその時つく〴〵太夫が嫌になつて「これだけのものを一人で貰つても知れてる」と、発心して、その時から太夫をやめてしまつたといふのである。

また彼は有名なそゝつかしやで、旅に出た時などは散歩の帰りに時分の宿屋を忘れ、夜つぴて表をうろ〳〵していることがたび〳〵あつたといふ。

大正15212日 大阪毎日新聞

○高座を退く名人小さん どもりの稽古で真物のどもりに 五十年間の思ひ出話  

これを名残りの小さんが来た。落語といふ大衆芸術によつて、五十年われ等の心握つて放さなかつた名人小さんは、今度をかぎりに高座を退くといふ。一葉散つて斯界の秋更に蕭条。

十日の朝、南の増田屋に着いた彼は心もち猫背にキチンと坐つた膝に両手を重ねて──若い者に意見する小父さんの調子で動かぬひとみをヂーツと相手の顔に向けたまゝ『馬鹿々々しいけれど話してやらうか』といつたやうな張合のない低い声で、『燕枝なざ私の一番弟子でさ、馬楽も小せんもいゝ弟子だ』、がしかし名をつがすやうな弟子は一人もいない、落語家小さんは自分一代で滅びるだらう──と、さすが老の眼を伏せる。やがて腰から古い煙草入れを抜いて一ぷく吸つて膝に置いて『考へて見るつてえと、私もずいぶん古いからね』と過去を語り出す

 『士族の家柄に生れたが、自分は常磐津が好きで十六の年に林中の弟子となり、十九で新富座へすけに出た。すけはどん尻に控へていちばんつまんない役だから、よく人が師匠の湯ばかり汲んでるから湯汲太夫だなんていひますがね、そんなゝあいゐあしねえ、やつぱり三枚目さんといふんだ』と例の教へるやうな口調になる。そのとき、皆の代理で勘定場から給料を貰つて帰る奈落の途中であけて見たら、歌唄ひ八人分で二円八十銭きやない。べら棒め馬鹿にしてやがら──と、それつきり芝居はよして毎日寄席ばかり聞きに行つた。ある日九段下の柳亭で高座に穴があいて困つてゐるのを見て、客席から飛び上つて一席弁じまくつたのが皮切りで……死んだ円橘について初めて落語家になつた。

『文枝てなあ偉い男だつたね──』と話しが妙に飛んだなと思ふと、彼は突如として大阪の回顧に移る。

 大阪へは四十年も昔、彼廿八歳のみぎり初のぼりして来た。当時大阪は桂派文枝の天下であつた。文枝は文之助の師匠、恐ろしく芸に熱心な人で、大阪に碁の話がないからと、七日間小さんの後を先つぴき後押しの車で追つかけ廻して碁泥と笠碁とを取つてしまつた。『とほうもない熱心な人でね、何しろ気ちがひを研究するつてんで、二週間精神病院にへいつてゐたといふ人なんです。その気ちがひの話を円右が聞いて来て、肝を潰したつてえから、べらぼうめえ、肝が二つも三つもありやあしめえし、一ぺん潰しやあたくさんだとは思つたが、その後私と聟のつばめとできいて見ると、いや私も肝をつぶしたね』と手で胸のあたりを抑へる。何しろその眼が凄くてね──と眼球をクルリ。

『私も研究はしたね、一番困つたのはドモリだ。口ぐせにやつてゐると終ひにやほん物のドモリになつて直すのに骨が折れました。当時毎晩九段の家へ帰る途中に、交番があつてそこへ──ちよ──ちよ、ちよつともゝ物をおたずね──とは入つて行くとね……ウフツ思ひ出してもおかしいや……その巡査が怒つてね──このどもり野郎がいつかも濠端でクヽ九段はどちらへなどときいてたぢやないか、アーン──と来たね。』

ところが静岡でお医者がたづねて来て、お前さんのドモリ研究に感心した、実は自分もドイツでラヽヽルヽヽとその研究をやつて来たといふんで大いに話し込んだことがあつたが、その時の話に新潟のある人が義太夫のドモ又を演るために山ン中で研究してゐて、これも正銘のドモリになつた。かみさんが心配して意見する──ダダ大丈夫だい──ほらそれがいけません──といつたとかで大笑ひしました。

田舎の百姓は上野の停車場でよく研究したね。いつかも百姓が──一等は白い切符だちうだがハア、赤切符でもこげい早いだに、白ぢやつたらもつと早く着いたゞんべい──とやつてゐたにはまつたくふき出しちまつた。

しかし落語は変つてきましたね。新らしがつて英語を入れたり、バタ〳〵立つて踊りまくつたり──あつしや感心しないね……』。だれかゞ吾等は小さん時代に生れ合せて幸福だ──といつたが、あゝそのうどん屋もその子別れも。もうわれ等の耳には入らぬ。

彼は高座を去る、彼はこれから九州方面を廻つて東京へ帰つたら余生を勝手に遊んで、時々独演をやるといふ。ひいき筋からは惜まれて後援会をつくつて全集を出版してもらふはず。

大正15213日 大阪朝日新聞

◇[広告]花月三友合同会記念幹部大会

15年 011

空前絶後の大聚会

公演の第一日に於て既に愛好者各位が寄せられし類例なき記録を得た事を奉深謝候

大正15213日 大阪時事新報

15年 006

〇名人揃ひの法要 十一日から二十日まで南地花月、松島花月、北の新地花月倶楽部に出演する伯山、虎丸、痴遊、加賀太夫、宮古太夫、小さん、左楽、錦心等の名人連は打揃つて十二日正午から西区笠屋町吉本本家で吉本興行部先代の法要を営むだ。因に小さんは最近に高座引退を声明したから今度が名残の高座とならう。(写真は法要が営まれている吉本本家の座敷) 

大正15216 京都日出新聞

◇富貴、芦辺館一斉興行 過般来大阪南地花月、松島花月、北新地花月倶楽部にて去る十一日より開演中の東京名人会は連日満員の盛況にて、実に好評嘖々たる一行は今回特に各有志の懇望に依り当新京極富貴、芦辺館の両席に於て一斉興行開演なす由。因に右一行は昨年当地に於て大盛況を博したる連中の外に二三の有名なる出演者加入する事なれば真の芸術極致の殿堂と化すであらう。

大正15219日 大阪朝日新聞

◇[広告]花月三友合同会記念幹部大会

15年 007

大正15221 京都日出新聞

◇[広告]花月三友合同会記念幹部大会

15年 009

〈編者註〉三日間の富貴と芦辺館の演目は以下の通り。なお広告には二十四日までとあるが、どの新聞にも二十三日までの番組しか出ておらず、興行は三日間であったと思われる。                       

二十一日

富貴:清水次郎長(伯山)、淀の川瀬(歌沢寅小満)、維新前後の木戸孝允(痴遊)、弥次喜多市子の口寄せ(加賀太夫・宮古太夫)、ずつこけ(小さん)、凱旋(左楽)、石堂丸(錦心)  

芦辺館:夕立勘五郎(伯山)、春は賑はふ、秋の夜(寅小満)、李完用の死(痴遊)、明烏の上(加賀太夫・宮古太夫)、笠碁(小さん)、子別れ(左楽)、常陸丸(錦心)

二十二日

 富貴:清水次郎長(伯山)、春は賑はふ、宇治茶(寅小満)、新徴組と新撰組(痴遊)、蘭蝶(加賀太夫・宮古太夫)、粗忽の使者(小さん)、野晒し(左楽)、川中島(錦心)

芦辺館:夕立勘五郎(伯山)、上り下り、薄墨(寅小満)、板垣退助遭難の真相同家の内訌(痴遊)、弥次喜多赤坂並木(加賀太夫・宮古太夫)、堀の内(小さん)、目黒の火薬庫(左楽)、吉野落(錦心)

二十三日

富貴:清水次郎長(伯山)、時雨降る淀の川瀬(寅小満)、大浦のお慶と富貴楼のお倉(痴遊)、三勝半七みの屋(加賀太夫・富士太夫)、二階ぞめき(小さん)、湯屋番(左楽)、別れの盃(錦心)

 芦辺館:夕立勘五郎(伯山)、一と声秋の夜(寅小満)、大西郷の最後(痴遊)、千両幟(加賀太夫・富士太夫)、馬の田楽(小さん)、猫いらず(左楽)、本能寺(錦心)

大正15221日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会一行は今廿一日より、小原節、花踊り、山中節踊り、新舞踊、初牛神楽、所作事桜狩、奇術、秀丸圓朝の萬歳、橘家太郎菊春の諸芸吹寄せ、扇三の人情噺、都枝の珍芸、秦玉章の大曲技、君廣勝政の義太夫に新作俄「酒地獄」

◇大黒館 七色会第二部は、今廿一日より芸題かわり、新舞踊は、「黒髪」引抜き「桜々」俄「新生」「一人相撲」

大正15226日 名古屋新聞

◇七寶館 東京睦会の三遊亭圓生の一行は、連日頗る好人気。六日目の語り物は、女学生盆踊り(圓坊)記憶術(柳一)くも糸振事(文字妻連)音曲(萬橘)くわがた(圓生)


大正153

 大阪の寄席案内

十一日より南、北、松島各花月、新町瓢亭へ桂小文治が出演。

十一日より南、北、天満各花月、玉造三光館へ浮世亭信楽(百種物真似)が出演。

二十一日より南地、松島、北の新地の各花月亭及び新町瓢亭へ神田伯龍出演。尚桂小文治、信楽は引きつゞ
 き出演。

二十一日より紅梅亭にて上方落語競演会を開会。桂春団治、桂枝太郎、桂ざこば、桂三木助、桂文次郎、桂米
 団治等幹部連出演。

大正1531日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会は今一日より同座出演以来萬三年に当るので、それを記念すべく左の特別興行。

所作事□夜叉物語(千太、吉奴)新舞踊「雛祭り」舞踊「花の王」一座総出所作事「籠の源太」橘家太郎春「名物踊」総出「五段返し」二輪加「勧進帳」扇三、圓天坊、染五郎に支那女優梅花芳の魔術大曲技人情噺義太夫。

大正1531日 名古屋新聞

[広告]落語界の花形露の五郎等若手一座/大須七寶館

大正1533日 神戸又新日報

◇大黒館 七色会第二部出演。圓天坊、染五郎の浪花落語は大喝采。

大正15319日 神戸又新日報

◇千代之座 神田伯山長演会は愈々今十九日初日、毎日午後五時開演。

新講談(神田伯水)大岡政談(神田五山)日蓮記(柴田南玉)伯山得意の十八番、清水次郎長と武家物語。

大正15321日 京城日報

<四代目桂文都一行・朝鮮浪花館>4代目文都京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/桂文都一行来る/<演題>噺手踊(桂都三)落語物まね(桂扇昇)音曲珍芸(春風亭柳坊)尺八(坂本清)落語手踊(笑福亭福太郎)歌舞女道楽(吾妻家かほる、文の家友奴)滑稽笑話(笑福亭福圓)萬歳(福の家浅丸、笑福亭福郎)剣舞に踊(源一馬)落語(桂文都)大切余興週日差替滑稽ダンス・独特歌舞伎・珍案玉手箱・落語笑劇・新作クロスワード踊

<編者註>四代目桂文都:本名梅川正三郎。名人といわれた三代目文都の実子。浪花三友派から反対派、再び浪花三友派、更に大八会と渡り歩き、大八会解散後は、地方の寄席を転々としていたようだ。大正十二年七月からこの十五年三月迄に、玉輔から文都に改名したと思われる。但し、神戸、名古屋、東京の新聞には改名の記録がない。

大正15324日 神戸又新日報

◇千代之座 廿四日より二年振りにて落語講談色物合同一座にて開演。毎日午後二時開演。通し興行。顔ぶれは、浪花講談(旭堂南陵)浪花落語(笑福亭松鶴)東京人情噺(橘の圓一門)其他琵琶講談にて宮殿下の御前公演の栄を賜りたる相起元公郎、英国人のジョンデー、大曲技張金波一行、東京より東京落語幹部雷門三升、福助、燕路、桂春輔、都枝、枝輔其他。

<編者註>桂春輔は、二年ぶりの神戸千代之座出演。この一座は吉本興行を脱退した者達のようだ。

大正15326日 大阪時事新報

◇猫八来演 松島八千代座…二十八日からは物真似の「猫八」一座の珍芸大会を開く。

大正15326日 神戸又新日報

◇千代之座 三年振りの橘の圓の舞踊、笑福亭松鶴の落語、旭堂南陵氏の講談が大人気。毎日午後三時より通し興行。入場料は階下椅子席四十銭の安値。

大正15331日 大阪朝日新聞京都滋賀版

◇大津大黒座 四月一日から三日間、東京落語山村花柳、舞踊の橘の円一行。

上方落語史料集成 大正15年(1926)4月~6月

大正154

 大阪の寄席案内

一日より紅梅亭に神田ろ山、神田伯龍、桂家残月、浮世亭信楽が出演。

一日より南地花月にて幹部競演会。連名は春団治、三木助、円馬、円太郎、ざこば、千橘、蔵之助、露の五
 郎、談州楼燕枝。

一日より花月倶楽部にて落語講談五人会。連名は神田伯龍、三木助、春団治、文次郎、燕枝。

大正1541日 神戸又新日報

◇千代之座 一日より福知山芸者、出雲芸者、出雲ろく、出雲いと合同美成團の開演。

◇八千代座 江戸家猫八は今一日より開演。入場料は、一等一圓五銭、二等一圓、三等四十九銭。

大正15415日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会一行は、扇三の人情噺、梅家〆吉の安来節が受けていると。

◇大黒館 七色会二部は評判よく、枝輔の独り相撲が相変らず好評。

大正15416日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会一行は今十六日より、熱田神楽千本道を吹寄せ舞、立山節踊、磯節踊、安来節踊、萬歳阿波踊に拳等と芸題かえ。

◇大黒館 今十六日より左記の芸題かわり。

新舞踊「伊勢詣り」「ヘラヘラの総踊」福助、三升、燕路、春輔等の落語、秦玉章の大曲技に山村喜一の男道楽。

大正15418日 神戸又新日報

◇大黒館 扇三、春輔の落語に、新舞踊「伊勢詣り」が呼びもの。


大正155

 大阪の寄席案内

十一日より南地花月、紅梅亭、北陽花月、松島花月、新町瓢亭の各席へ東京落語睦会幹部三遊亭右女助は出演。

大正1555日 名古屋新聞

◇文蝶[]座 東京落語柳家金三、月の家三福、古今亭武生の新顔に、お馴染の柳家三太楼が加わり、若手揃いの活気溌測たる滑稽をきかせ、槙村兼雄というハーモニカの名手もありて大人気。

大正1555日 京城日報

◇三遊亭圓司 東京落語睦会青年巡□三遊亭圓司一行は、五日から明治町浪花館に出演する。種目は、演芸笑話(勝三郎)落語手踊(小猫)落語(圓松)落語お題噺(芝雀)現代落語(雷好)浪花話文人踊(三五郎)音曲(桂文賀)五人滑稽・人情落語(三遊亭圓司)その他滑稽掛合だの、珍妙劇だのとあるが、中にも浮き出る映画大剣劇「清水次郎長」は余興として一行得意のものである。

大正15519日 神戸又新日報

◇千代之座 扇三、春輔の落語に、廣千代、勝政の義太夫、出雲ろく出雲いとの安来節、〆太の吹き寄せ舞は共に今週の呼びもの。

大正15523日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/京阪落語歌舞演芸会/<演題>落語御祝儀(福助)落語手踊(右昇)落語(芝蝶)落語(芝雀)新落語(雷好)落語舞踊(三五郎)音曲はなし(駒平)落語盆の曲(五蝶)人情噺(圓司)大切余興座員総出 入場料五十銭均一

大正15524 京都日日新聞 

○雨しげき文の助茶屋に高台寺のいはれを聴く  

床几四五、うす暗い奥からうぐいすが鳴く。表の土間はその昔しの街道筋の峠茶屋の赴きを僅かながらも伝えて居る。草鞋が二三軒先にあれば尚更その感興が深いとも思はれる。朝はまだ早い。巷では人が既に忙がしく立ち働く頃でも、こゝは実に間寂で、煙る雨にうぐいすがなく静けさである

清水から円山公園へ、その雨の坂道を下つて、一曲り二曲り、高台寺の下道、大黒天の境内の文の助茶屋の庭先、雨は滋くなつて、せはしき雨脚に躍る若葉の緑が雨を含み、含んでは落ちる。時折境内の奥に引く高下駄の敷石を行く音が更に静けさを誘ふ。文の助さんは今起きたばかりだと云ふ。その立居振舞の一つ一つに古い物静かな香がする。それがたまらなく騒々しい外界に身を置く自分を、落ついた境に連れて行く。

「あなた初めから此方に…」

文の助さんは静かに語る

「いゝえ、さうやおまへん、話せば随分と古い話どすが…」

煙草の煙が雨の中へ消える。じつと文の助さんを見て居た。文の助さんは世の経緯の煩はしさを越えて居るのだ、と斯う思ふ。雨が段々ひどくなる。聞けば六十いくつかと云ふ。善良な老人らしい話振りの、歯の抜けた甘ツたるさはいゝ感じを与へる。確かと聴き取り難かつたが…。

それは明治生れの者たちにはハツキリと想像つかぬ武士とか町人とかの内で、関西では関白の秀吉公が羽振りをきかして居て、その豪宕な栄華の数々が京、難波に世人の目を聳たてしめいた頃のことです。その愛妾の淀君に坊チヤマ秀頼公が生れた。所が御政所には子供がないので主人秀吉公との仲、ナントなく面白からず、京の東山高台に堂を立てゝ、隠然重きをなされて居たのですと、それが高台寺です。

それから何年後、伏見戦争に関東の不逞浪士が京にきて、そのたむろ所に諸所の寺を借り入れよふと交渉したのですが、みな拒まれて結局この高台寺に腰を据へたのです。所があの擾乱のさ中の事ですから、何でもきんき方の人達にせめられ、遂に浪士が自ら火を投じて、その昔から残る高台寺を焼き払つたのです。いまのは新らしいので古い材料を漁つてもないのです…。又うぐいすが啼いた。お客が三、四訪れては甘酒をいたゞいて消える、消えると云つた方がいゝぐらい、カタリともコトリとも音もせず行く。

   京の人は物静かである。

「こゝに曽呂利の墓がありましたんや、それが毀れて、そのまゝになつて居たんだす、先住の時誰もこゝへきてがないので、トウ〳〵私がきた事になつたんだす。それから、そのまゝ今までいるわけだす」

やがては五月雨に続く、この雨はいつまでも音もなく降つて居る。二世曽呂利の文の助さんはうぐいす飼の名人で、甘酒やさんで、静けさの問屋のやうに落ち付いて煙草をふかして居た。

大正15526日 大阪朝日新聞京都滋賀版

◇[広告]新京極中座、猫八独演会 今夜から三十一日まで。

大正15526日 名古屋新聞

◇柳家三語楼来る 東京落語界の人気者柳家三語楼は、来る二十八日より四日間萬松寺帝国座に来演することとなつた。所謂はなしに恵まれない當市の愛好者にとつては慈雨に等しく前景気旺んであるが、當の三語楼も當市へのお目見得には大した意気込みで、「必ず笑いの殺陣と諧謔(かいぎゃく)の追撃で金鯱城下を爆笑させて御覧に入れる」と先乗りに言傳けてゐる程で、一座には筑前琵琶の名手井上鶴子女史も加わり、美声に観客を酔わしめる筈である。


大正156

 大阪の寄席案内

一日より南地花月にて合同会幹部五選会。出演者は染丸、枝太郎、馬生、文治郎、円馬。

一日より南地花月、玉造三光館、花月倶楽部、松島花月へ結城孫三郎一座が出演。

一日より花月倶楽部、松島花月、新町瓢亭、南地花月へ金原亭馬生と神田山陽が出演。

一日より五日まで京三倶楽部にて猫八独演会。

大正15618日 名古屋新聞

◇三遊亭右女助来る 落語睦会幹部にして定評のある三遊亭右女助は、近日より某座へ久しぶりに出演する由。

大正15621日 名古屋新聞

[広告]明二十二日初日 東京落語最高幹部 三遊亭右女助/平場金四十五銭 六時開場/末広座

大正15624日 名古屋新聞

◇末広座の落語 右女助一行が久方振りの出演である。一座の蝠丸と歌奴は今度の人気者、初晩に前者は「たらちね」、後者は「源平盛衰記」を話した。どちらもそれを現代語でやるのだから、かわつた味を出して大受けである。花堂の尺八、女道楽、曲芸などに、大切りは例により一座総出の金魚踊りを見せ、陽気に目先をかえ、聴客をあきさせない。

大正15629日  

<桂家残月死亡>

桂家残月

●桂家残月 本名小野菊水。明治七年生。東京生れ。講談師二代目錦城斎一山の門に入り残月楼菊水を名乗る。明治三十四年に上方に移り、二代目桂文団治(のち七代目文治)の身内となって桂家残月と名乗り、新講談として浪花三友派の色物として活躍した。活動写真が盛んになると活動弁士に転じ、大山孝行(俗に大山大将)らと共に弁士仲間でも高い地位につき、なかなかの人気者だった。大正七年ごろ講談師に戻り、吉本興行に所属して亡くなる少し前まで大阪、京都の寄席に出演した。また一座を組んで旅に出たり、独演会を開いたりした。「藤田伝三郎伝」「伊藤公伝」などの明治物を得意としたが、閑院宮妃殿下御仁徳など皇室関係の美談も多く語り、その縁で久邇宮、賀陽宮両殿下の前で演じる機会を得、生涯これを自慢していた。妻は浮世節の新柳小歌、妻の連れ子は新講談の桂家残月楼。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

上方落語史料集成 大正15年(1926)7月~9月

大正157

 大阪の寄席案内

七日より四日館、花月倶楽部へ豊竹昇之助一座が出演。(六日まで玉造三光館)

大正1571 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇こども博 けふの催し …△諸芸競演大会(娯楽館)─吉本興行部総がゝり…。

〈編者註〉大阪毎日新聞社が皇孫御誕生記念のために開いた催し。会場京都岡崎公園。余興に吉本興行部の芸人が出演した。名前が出ている記事は以下の通り。

七月二十三日:曲技笑劇・桂三八、笑福亭福松、桂桃太郎、林家小染、桂枝女太。

七月三十日:最新奇術ワンダー正光・正秀、最新曲技松旭斎一光、シルウエツト桂南天、最新流行小唄娘手踊り花菱家一行、笑劇「失業者」吉本興行部一行。午後五時娯楽館。

八月七日:午後一時より五時まで娯楽館にてシルウエツト奇術種あかし桂南天、曲技並に身体運動李玉川一行、曲芸海老一直造、高級万歳玉子家一行、笑劇「偽やまひ」式亭三馬一座。

八月十五日:娯楽館午後一時より独楽乃曲三升家升三、流行小唄手踊花菱家お蝶・蝶吉・小蝶・蝶々、シルウエツト巴家おもちや、最新曲技東洋一郎、高級万歳菅原家春江・千代政、笑劇「忠臣蔵」桂三八・笑福亭福松・林家小染・桂枝女多・立花家小太郎。

大正1571日 名古屋新聞

◇中座の猫八 本日午後五時より開演する中座の猫八一行は、落語音曲(しん猫)高級萬歳(駒治)手踊落語(門三郎)新内(小美咲)落語扇舞(春[]團治)流行音曲(ジョンベール)其他例の鳥獣虫の鳴分(猫八)等にて問答には白米、其他の景品を出す。

[広告]文長座/東西落語 福の家福太郎 桂花柳

大正1572日 神戸新聞

◇千代之座 昨日より芸題替りの七色会一行は、新顔芸人数名の加入出演。愈々人気を招き、所作事「棒しばり」は当地には珍しい演し物で、「天の羽衣」も独特の舞台装置で喜ばせている。

大正1573日 神戸新聞

境濱も妙法寺川尻も明日開場式を ・・・境濱海水浴場開場式の余興のプログラムは左の如くである。

落語手踊(桂梅太郎)落語(桂文弥)落語音曲(桂扇三)奇術(一陽斎都一)落語剣舞(桂米三)軽口(相生亭染松、桂圓冶)落語音曲(桂山昇)新内(鶴賀芳梅)萬歳(松の家英丸、花の家花蝶)・・・新設の妙法寺川尻海水浴場開場式の余興は・・・【晝の部】軽口(社中)落語(三昇)萬歳(英丸、花蝶)奇術(マンマル)落語(團之輔)落語(米三)萬歳(秀丸、ふみ丸)新内(喜蝶)仁輪加 【夜の部】軽口(社中)落語手踊(小團)落語手踊(梅之助)奇術(マンマル)萬歳(蝶二郎、染松)新内曲引ものまね百種(貴蝶)萬歳(秀丸)大喜利仁輪加「意外の失敗」座員総出

大正1575日 神戸新聞

◇千代之座 七色会一行は、幸丸圓蝶の萬歳が大受け。扇三、圓坊、春輔の落語も面白い。

大正1576日 名古屋新聞

[広告]七寶館/東京落語 橘家蔵之助

大正1577日 神戸新聞

◇千代之座 七色会一行は舞踊の外に、圓坊、扇三の東京噺に、染五郎、春輔の大阪落語が受けている。

大正15715日 名古屋新聞

[広告]七寶館/東京落語 三遊亭圓遊一行

大正15721日 神戸新聞

◇小野大黒館 七色会二部は、今廿一日より芸題替り、扇三、染五郎、春輔、圓坊等が、大喜利に怪談「因果物語」という凄い二輪加を見せ、その他は従前の顔ぶれに、萬歳を二三の新加入出演。


大正1581日 名古屋新聞

[広告]高砂座/江戸名物男猫八一行

[広告]文長座/滑稽の親玉と東西落語の合同大一座

大正1584日  

<初代桂文我死亡>

桂文我 001●初代桂文我 本名桂木源之助。嘉永二年生。大阪南区日本橋金屋吉兵衛の子。市川瀧十郎の門人で瀧丸と名乗り、歌舞伎役者を目指したが、十九歳のときに「三田屋」という蒲鉾屋の養子に入った。このころから落語が好きになり、源丸の名で素人落語に熱中し、遂に養家を飛び出し、明治四年に初代桂文枝の弟子になった。初め当笑と名乗り、二代目文作より文我となった。落語家としては遅い旅立ちで、しかも早口で言葉が聞き取りにくく、本格的な落語は全く受けなかった。そこで芝居噺と踊りに活路を見出し、役者体験を生かした「本能寺」や「加賀美山」などは高く評価され、また「因州因幡」の替え歌「鬼」の踊りは大流行した。明治二十六年、浪花三友派が組織され、桂派と対峙したとき、文我は三友派に属した。明治末年の落語界の混乱期に一度三友派から離れたが、大正四年ごろに復帰した。帰参は叶ったが、離脱の影響は大きく、端席に追いやられるなど不遇を極め、大正九年ごろひっそりと引退した。その後は大阪を離れ、娘の嫁ぎ先である金沢に移り、その地で死亡した。文我は明治十二年から大正元年の間に六冊の「出席控」を書き残した。これらは上方落語史の第一級の史料であるが、残念ながら二冊は紛失して行方不明である。残る四冊は大阪芸能懇話会の有志によって翻刻され、「桂文我出席控」(『藝能懇話』別冊・全四冊)として刊行された。

〈参考文献〉「桂文我出席控」(『藝能懇話』別冊第一巻・平成九年)解説。

大正1586日 神戸新聞

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日曜日(八日)の境濱 晝の余興=千代廼座七色會第二部出演・・・落語、手踊、萬歳、安来節、曲芸等

日曜の妙法川 晝の部=桂梅團次一行出演・・・軽口(山村秀次、桂小芝)落語手踊(桂扇三)落語物まね(桂二生)落語舞(桂文光)新内音曲(鶴賀喜蝶)奇術(衣川まり子)萬歳(山村秀丸、山村留子)

        夜の部=軽口(桂圓一、桂二生)落語手踊(桂小團冶)落語手踊(桂米太郎)浪花節(岡本梅勝)怪談累ケ淵(曽我廼家蝶二郎、相生亭染松)萬歳(山村秀丸、鶴賀喜蝶)大切喜劇

天幕村の日曜 八日正午より=扇遊會一行出演 落語手踊(桂都昇)女道楽(桂駒江)講談(清川松月)落語踊(桂文弥)掛合噺(桂扇楽、圓童)安来節(長田玉子、静子)落語曲芸(桂文三郎)浪花節(富士郎花山)萬歳(松家英丸、花蝶)落語舞(桂三五郎)

大正15811日 名古屋新聞

◇桂文治は帝国座 桂文治は明日より萬松寺の帝国座で開演と決定した。大道具を飾り面白い仕方噺の中に声色を交ぜて繰り出されるこの芝居噺こそ、寄席の愛好者に喜ばれてゐる。一門には人気者の文扇、文太郎、文歌、文松、文の家かしく、文慶、文昇、文之助などの外娘義太夫、音曲等の色物を添えた大一座で、前景気旺んに良く待たれてゐる。

大正15812日 大阪毎日新聞

◇花月ピクニツク第十回例会を十五日午前七時天満京阪電車集合で下加茂、上加茂、紫野大徳寺へ。尚今回より一般参加を歓迎すると。

〈編者註〉花月ピクニックは吉本興行部若手芸人連の親睦会で、健康増進と見聞を広める趣旨で近郊の名所旧跡を巡ったり、工場見学等の社会勉強も行った。第一回は不明だが、大正152月ごろらしい。

大正15816日 名古屋新聞

◇桂文治の芝居話し 帝国座へ来た桂文治は当地始めてである。高座のおちつきもあり滑稽も軽い。芝居話しはうしろの背景幕をとりかえ声色入りで、江戸趣味を十分にうかせてうれしく、吉右衛門の声色など、頗る手に入つたものであつた。入れものが大きいための結果か、話しが隅から隅まで聴えぬと前座連のさみし過ぎるは難である。

◇帝国座 久し振りの来演で連日人気を煽つてゐる東京落語界の人気者桂文治の一行には若手花形が加わつて得意の演題で愛好者を喜ばしてゐるが、更に今度文治の東京土産である「芝居ばなし」が特に好評を博して居る。毎日五時より。

大正15822日 名古屋新聞

◇帝国座 東都講談界の名人一龍斎貞山は、本日より萬松寺帝国座に開演する。何しろ貞山久し振りの来演に前景気良く迎えられ、それに東京落語の幹部三遊亭金馬、三津助、三平、小樓、語九楼などが加わつている。

大正15826日 大阪毎日新聞

○春団治の痛ごと 犬と猿を差押へらる 検事廷に呼出されて「犬道」のため……と高座ソツクリにまくし立つ 

 雇ひ人に実印を濫用され愛犬メリーを野猿三公が差押へられた三友派の落語家、大阪市南区高津三番町四十四桂春団治事岩井藤吉(四六)は、二十五日朝大阪南区裁判所市丸検事の召喚取調べを受けたが、高座に上つた調子で滔々とまくしたてた筋書は落語の種本にもないさうだ。

春団治は落語家に似ぬ発明家?で、例の物いふレコードせんべいの特許を得て発売しているが、人手のない処から吉本守三外一名を雇ひ入れたが、七月初旬三越その他の売揚金二千円をかつさらつて逃走し、なほ行掛の駄賃として実印を盗用し、三百八十円二通の約束手形を偽造したことから話がはじまる……。

15年 001転々した手形は大阪市東区内本町一丁目五浜辺亦市の手に入り、手形訴訟に先立つて七月七日仮差押へのため執達吏は春団治の家に乗り込んだ。固より落語家のこと、目星しい物件のありやう筈はなく、破れ障子に破れ畳で押へるものはない。

たゞ不似合に立派な青銅の灯籠が目についたので封印せんとした処、紙張りの灯籠と判り、さすがの執達吏も空いた口がふさがらぬところへ、台所口から小牛のやうな洋犬一頭が吠えて出たので、早速首輪に封印を施さうとすると、さすがの春団治もこれにはびつくりして「動物愛護の精神から」一条の反対を試みたが承知せず、傍にいた野猿一頭をも差押へて引あげた。それから同日弁護士に依頼して早速仮差押へ異議の反訴を起こしたが差押へた。

犬と猿の保管を命ぜられているのでしつかりと繋留しておいた。ところが口頭弁論がはじまらぬうちに犬にさかりがついて近所の牡犬がしきりと誘ひ出しに来る。犬自身にして見ると首輪に封印がついているので外へ出られず衰弱さへ加はつて来るので犬道問題だと、その解決のはやくなることを検事に願つていた。(写真は召喚された春団治)

大正15826日 大阪朝日新聞

○扇をパチつかせて春団治検事廷へ 「ものいふせんべい」が祟つて 可愛いゝ猿や犬の差押

15年 002大阪市天王寺区高津二番町岩井藤吉といへば誰も知る人がなからうが、落語家の桂春団治といへば肯く人も多からう。この春団治が二十五日の午前十一時ごろ荒い浴衣を一着に及び、手提袋を左手に、扇子を右手にパチつかせながら、高座ならぬ大阪区裁判所検事局へ出頭し市丸検事の取調べをうけた。

事件の内容は何も春団治が悪いことをしたのでなく、実は「ものいふせんべい」といふのを製造して自宅で販売しているが、自分は毎夜寄席へ行かねばならぬところから、天下茶屋に住んでいる由本森蔵に店一切のことを処理させていた。ところが由本は勝手に売掛代金千二百円ばかりを集金して横領したほかに、春団治の印鑑を偽造し、三百八十円の手形二枚を偽造し、これをあちらこちらと割引に持つて廻つた末、結局東区内本町一丁目渡辺亦吉から割引をうけたが、手形債権者渡辺は手形金の支払ひを請求しても春団治の方で支払はないので春団治に訴訟を起し、一面春団治の家を差押へた。

障子は破れ畳もボロ〳〵、庭に立派な燈籠があつたが、これは張ぼてといふ始末に、何も差押へるものがなかつた。それで去月七日第二回目の差押へをした。その時には春団治の愛する猿と犬とを差押へた。猿はさうでもないが、犬はポインターで三百円くらいはするものである。そこで春団治は大いに驚き、金を使ひ込んだり手形を偽造したりした由本を告訴した。この日はその調べがあつて事情陳述のため出廷したのであつた。(写真はブラリと検事廷を出る春団治)

大正15826日 大阪時事新報

○落語以上 犬猿の封印から 春団治の痛事 飼犬に手をかまれ 裁判所へ泣きつく 

「物云ふ煎餅」を売出している三友派の落語家春団治事大阪市南区高津二番町五岩井藤吉(四十六)が、債権者から飼犬と猿を差し押へれた、その経緯(いきさつ)がこれまた落語以上である。

春団治は二十五日、大阪区裁判所検事局に呼び出され、市丸検事に「何はさて置き、あの犬の封印を解いて貰はにや‥‥」と大いにぼやく。春団治は高座に上る片手間に、自宅で自分の声を吹き込んだ物云ふレコード煎餅と云ふのを売出す程の器用者だが、ついこの間の事、雇人の吉本森蔵に店の金と印判を持ち逃げされた。その吉本が春団治の手形を偽造して東区内本町一丁目浜辺亦市と云ふのに割引し、都合七百二十円をまんまと詐取して何処にか姿を消した。浜辺はその手形を抱へて春団治に支払を迫つたが、春団治は落語の「落し」にかゝつたやうな話なのでスッカリ面食ひ、閉口している間に手形の期限が切れる、犯人の所在は解らぬと云ふ始末。

結局先月八日差押へに乗り込んだところ、根が落語家の気楽住居(すまい)、目ぼしい灯籠は張りぼてと来ているので、まさか煎餅を押へる訳にも行かず、「エヽこいツをやつて行けッ」と云ふ訳で、春団治秘蔵の愛犬メリーの首ッ玉へ封印をやつつけた。ついでに猿の三公も封印を喰つたわけで、流石の春団治もこれにはすつかり閉口し、かく本人出頭に及んだものである。

大正15824日 大阪朝日新聞京都滋賀版

<橋本文枝一行・大津大黒座>

◇大津大黒座 二十四日から落語界の巨頭橋本文枝一行、三日間。

大正15826日 神戸新聞

◇千代之座 七色会一行は、圓坊の落語、扇三の人情噺、染五郎、春輔の浪花落語、其他、幸丸、圓蝶、菊丸、八ペの萬歳はいづれも喝采。

大正15831日 徳島毎日新聞

<桂花柳一行・徳島稲荷座>

稲荷座改造記念興行―桂花柳、小金井蘆洲 九月一日より改造記念興行として花々しく開演する稲荷座の落語界の大真打桂花柳講談界の大立物小金井蘆洲合同大一座は久しぶりの開演と稲荷座改造記念と云う鳴物入りで人気を呼び引田興行社にても此の開会に平素の愛顧に酬いる為此の大一座を大破格安の一等七十銭、二等五十銭の二等級制度とし気持よく一夜の娯楽をほしいままにする仕組としたれば一層の人気を呼ぶであろう初日の出物は左の通りである

御祝儀(三遊亭喜楽)滑稽笑話(桂福兵衛)曲芸(福の家徳太郎)笑話とステテコ(柳家小金吾)娘音曲手踊(福の家福太郎)落語と手踊(桂鯛蔵)講談界の名人(小金井蘆洲)藤間流振事(藤間静華)落語と音曲(桂花柳)


大正159

 大阪の寄席案内

一日より新世界芦辺館と南地花月へ巴家寅子一行が出演。

一日より南地花月、花月倶楽部、松島花月、新町瓢亭、紅梅亭へ桂文楽と浮世亭信楽が出演。【下図参照】

大正1591日より

◇南地花月盆替興行出演順

15年 014

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正1595日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/當る九月五日午後六時開演/東京大阪落語若手連 三遊亭圓蔵外数名 補助三遊亭一圓遊

大正1591014 京都日出新聞 

◇三友劇場 八日より開演の橘家太郎一座演芸番組左の通り。

 寿万歳(太一郎、笑子)、奇術(玉子、高橘)、万歳(一郎、菊沢)、尺八吹奏(錦竜)、落語手踊(小文字、染二)、安来節小原節(福子、文子、絹江)、かつぽれ(総出)、万歳(五楽、豆子)、大曲芸(中華民国人)、顔珍芸(繁寿)、独創珍芸百種(太郎、菊春)(910

◇三友劇場 橘家太郎の演芸大会は新創案になる珍芸を続々封切して満場を笑殺しているが、夜の部に限り特に往時太郎が吉田玉蔵と名乗つて大阪文楽座に在勤していた当時を偲ぶべく「葛の葉狐別れ」の一節を本式に見せて絶賛を受けている。(914

〈編者註〉十七日まで。

大正15919日 大阪毎日新聞

◇花月ピクニツク 例会を十九日午前七時阿倍野橋南詰大鉄電車に集合し藤井寺、道明寺、誉田八幡その他への予定で一般参加を迎へると。

上方落語史料集成 大正15年(1926)10月~12月

大正1510

 大阪の寄席案内

十日正午より南地花月亭にて三遊亭円馬独演会。演題は「まきわり三村治郎右衛門」「松山鏡」「左小太刀」
 「文七元結」上中下

大正15108日 大阪毎日新聞

◇円馬独演会 十日(日曜)正午から南地花月亭で開会。円馬の江戸前落語を愛する連中で「彼れのハナシ芸術を尊重するの会」と名づけて小生夢坊、吉岡鳥平、食満南北、三日米吉などの連中が円馬のニツクネムーである和製ワイルドの大きな偶像を作つてかつぎ込むよし。又前座に出て口上を述べたり、出方となつて働くといふ。円馬も士、農、工、商の四つに分類して義士伝まきわり、松山鏡、左小太刀、文七元結上中下を三段に噺すと。

大正151027日 大阪毎日新聞

落語家に大目玉 公安を害すると 大阪市南区新世界花見小路十三号落語家桂文治郎こと飯田竹四郎(四〇)は、去る十一日西区松島町一丁目寄席花月で「仕込の大砲」と題する落語をやつたところ、二十四日、公安を害するとて九条署で科料を仰せつけられ、すご〳〵と引下つた。

大正151031日 大阪毎日新聞

◇落語六歌撰 一日より南地紅梅亭に開催。演者は三木助、染丸、蔵之助…[原紙破損]…三木助が紋十郎を相手に舞踊上演。


大正
15111日
一日よりの各席出番表

秋深し錦織る法善寺南地花月の霜月上席

 お馴染喬之助、清子、五郎、慶司の野球節、圓子の熱演、芝鶴、歌蝶の脱線振り、正光の手練の奇術、是等を濃淡とり〴〵の紅葉と見れば、それ〴〵特徴はあれど話術界の雄と許された右圓喬、文治郎、ざこば、圓馬は先づ緑濃き老松にも比すべきか。偖久し振りのろ山、小文治は何にか例ぶべき。その他数名──五色織り交ぜた法善寺花月のこの出番に、是非一宵の笑ひを買はれよ!

15年 001

秋の夜に相応しき紅梅亭の名出番

 秋の夜長に寄席気分に浸り、一日の繁を忘れ給はんと欲せらるゝ方は、……しんみり落語を聴かんと望まるゝ方は、必ずこの名出番を選ばるゝであらう。見られよ!

 宵の二時間を賑やかに、その後に大阪落語界の重鎮、米團治、遊三、圓枝、蔵の助、染丸、三木助の六大家を以つて特に三十分時宛の熱演、好者にとつて今秋最大の聴き物であります。是非に! ……但し落語嫌ひの方は来るべからず。

15年 006
 

北陽の堅城花月倶楽部に據る人々

 北の新地花月倶楽部の一日よりの出番、東京よりろ山、小文治両家を迎へ、賑やかなざこば、達者な三木助、巧な塩鯛、たつぷり色気を表現する文治郎、老練家圓馬等得意の口演の間には金の助、四郎坊、喬之助、清子、五郎、慶司、一光など夫々特技を振つて城を守ると云ふ、是非に!

15年 007

安治川畔に笑の津波 松島花月一日より

 第四席上品な話で遊三が御機嫌を伺つた後へ、福徳、福来の軽口、東京より遠来のろ山、長講一席を演ずれば、一郎の曲芸あり、三木助の巧弁の後には星花女の筑前琵琶、老巧染丸の渋い話の後に、五郎、慶司の新しく雄快なる高座を加へ、十年一日の如く更に老を見せぬ圓子の熱心、桃太郎の円熟な話、扇遊坊の飄逸、久し振りの小文治、充分に演じて、お別れに至るまで吉本興行部苦心の優秀出番!

15年 012

洛陽の粋人を待つ京都富貴の陣容

 右之助、枝女太、三八、亀鶴の後に関西落語界の老巧枝太郎、花橘、直蔵の曲芸、達弁の圓太郎、紋十郎、五郎、小圓太、花月の人気男春團治と云ふ猛者連、陣頭に駒を進めて洛陽に笑ひの渦を巻かんず勢ひ──。是非に!

15年 013

〈編者註〉上記はこの年の十一月一日に発刊された吉本興行部のPR誌「笑売往来」(平成十一年復刻版)の創刊号より作成した。


大正
15112日 大阪毎日新聞

<花月ピクニック同人による第一回落語会・新町瓢亭>

◇花月ピクニツク 第一回公演を一日から十日まで連夜五時より新町瓢亭で開会し落語長講、対話と漫芸、魔術、音曲珍話劇の外中入には「再春□種蒔」を余興として大切は「全速力劇」でどつと笑はすと。

〈編者註〉花月ピクニックの同人が自分たちで開いた落語会。この時の出演者は笑福亭花次、橘家米蔵、林家染三、林家うさぎ、花月亭九里丸、ワンダー正光、桂文蝶、三遊亭小円馬、二代目笑福亭光鶴、初代桂小春団治、三遊亭志ん蔵、二代目笑福亭枝鶴、二代目桂扇枝の十三名。

なお下掲の瓢亭表飾りの写真は「富士正晴記念館所蔵 演芸関係写真目録」(富士正晴記念館・平成11年)より、高座に並んだ同人の写真は「上方はなし」第六集(昭和1110月)より拝借した。

15年 011

落語図誌 112

                     後列:(左より)文蝶・正光・九里丸・うさぎ・染三・米蔵・花治
                     前列:(左より)扇枝・枝鶴・志ん蔵・小春団治・光鶴・小円馬

またこの花月ピクニック及びこの落語会について「笑売往来」創刊号に次の二つの記事が載っている。

◇若人の新運動

 当部所属の青年演芸者有志にて、身心の鍛錬と見分を広くし、以て自個(じこ)の向上に資す目的の許に今春花月ピクニックを組織し、既に十数回に渡り近畿の神社仏閣の巡拝及び沿道の探勝、尚付近の大工場の参観をなし、大いに得る處ありとし、今回許されて新町瓢亭に於いて之等同人のみの単独興行を営む事になつた。

 之に就いては、勿論単純に絶讃を捧げ得ずといへども、兎に角自ら道を求めんとして、苦心せる若人の意志は洵に結構である。この試みによりて直ちに浪花落語界に大なる寄与を望み得るとは期し難いが、投ぜられたる一つの石として波紋を画く事によつて、他の覚醒を促し、以て大阪落語の進路を拓き得ればと熱望する。

 その第一回公演は、同人の熱演によつて連夜満員、特に舞踊種蒔三番、大奇術不思議のトランクは、寄席空前の大物としえ是非一顧の価値なりとの評専らである。

 因に、花月ピクニックに於ては、毎月近畿の小旅行を試み、一般同好者の参加を歓迎する事になつている。

雄々しき若人の意気 新町瓢亭の花月ピクニック連公演

別項記載の如く新人花月ピクニック同人第一回公演は一日より新町瓢亭に於て催される事になり、次の如きプログラムにて必死の大奮闘を続けて居る。

文蝶、米蔵、うさぎ、花治、染三、志ん蔵、小春團治、光鶴、小圓馬の熱心な高座に、次いで対話、挨拶、更にこの公演の呼物舞踊、種蒔三番を小圓馬、小春團治、うさぎの三名にて、喬之助、清子の地にて演じ、正光(まさみつ)の新奇術の封切、扇枝、九里丸、枝鶴相ついで流汗の熱演の後に、大切として一座総出演の寸劇三場を上演、是非〳〵若人達のため一宵のお遊びを……。


大正
151114日 大阪朝日新聞

<六代目金原亭馬生襲名披露会・南地花月>

◇金原亭馬生襲名 金原亭馬琴はこんど六代目金原亭馬生を襲名し十四日南地花月亭で披露する。花月幹部連および左楽、三語楼、小文治、寅子、春楽ら出演。

大正151117日 大阪朝日新聞

◇三木助独演会 二十一日正午から南地花月亭で開催、落語、人情噺、剣舞など。

大正151117日 神戸又新日報

西新開地三國館 萬歳、染五郎春輔の落語、七色会連中の舞踊。

千代之座 評判の七色会一行は、歌道楽の竹の家小奴小蝶の姉妹を加え、其他充実せる舞台を見せて人気を博し舞踊の「くらま山」は新加入の松子で、民謡舞踊は〆太吉奴其他女連が活躍、「扇港踊り」は大道具で総出の賑やかなもの。

大正151117日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/十一月十六日より 東京落語橘ノ圓一行/<演芸科目(出番順)>昔ばんし(橘の圓十九)落語手踊(橘の圓福)笑話おどり(橘の太郎)女道楽(橘のたちばな、橘の若橘)滑稽落語(古今亭さん福)落語物まね(三遊亭権助)落語一ト口問答(青柳燕之助)落語珍芸(橘の圓十郎)落語手踊(橘家圓三郎)総後見圓頂派宗家人情噺舞踊(橘の圓)

大正151119日 神戸又新日報

西新開地三國館 春輔、染五郎等の落語と東屋駒の助の唄道楽、七色会連中の女道楽舞踊萬歳。


大正151121

◇二十一日よりの各席出番表

15年 003
15年 001


〈編者註〉「笑売往来」第二号(大正151121日発行)より作成。なお同誌にキネマ花月長谷川生の「笑売側面観」と一記者の「雑感雑記」が載る。落語家に関するものだけを以下に抜き出す。

◇笑売側面観

▲遊三の人情話を東京より招聘したと云う一枚看板のもとに、神戸の千代廼座で聞いたことがあつた。その頃ひどく感心したものだつたが、松島の花月で何とかと云ふ子供が美しく立派やかになつて帰つたら泥棒だつたと云う話をざこばに聞いたことがある。どちらも民衆娯楽と片付けるには惜しい立派なはなし芸術である。

▲神戸の都枝は復興節や極内節を宣伝したり小原節をもつて今全盛の安来節に対抗せしめた男で、可成に如何に観衆にま見へんかと苦心をしていたが、遂に馘首(かくしゅ)されたとの風評を聞いた。彼の血の出る様な努力を買つてやるものはなかつたのか。

<編者註>都枝:本名藤原竜之助。明治22年~昭和45年。二代目桂文之助の弟子で桂都枝。後二代目かしくの弟子となり、文の家都枝。長く神戸の吉原興行に所属。後大阪の吉本に移り、妻の七五三(本名藤原りん。元は吉原興行の七色会所属で芸名小〆)と漫才に転向した。小道具を使用しての「漫芸」を売り物としていた。写真は都枝と妻の七五三(上方芸能「現代上方演芸人名鑑」より)

都枝

雑感雑記 

▲睦会の新人であり再度の錦飾出演に好評を重ね目下京都に出演中の小文治は、先代桂文治の弟子である。そうした関係から七十余歳の老を上本町に養つてる老文治から十一日来阪の柳亭左楽の許へ端書で、「小文治がいろ〳〵御厄介になつて有難い」と礼状が来た。そこで十五日左楽は未知ではあつたが、斯界の老先輩に礼を返すべく、小文治同伴金三十圓を包んで、親しく訪ねて行つた。この意外の訪問に、文治は老眼に涙を湛え、左楽の手を握つて容易に離さなかつたと。近頃の嬉しい話の一つである。

▲過般の花月ピクニックの第一回公演は予期以上の成功を修め得た。落語界の慶びで、有新人のため慶びに堪えない。然し今後こそ最も自重を要する時である事を忘れてはならない。今までは啻に私的団体たるに過ぎなかつたのであるが、既に花月ピクニックの名によつて江湖の批判を待つた今日に於いては、其存在は公のものとなつた理(わけ)である。従つて例令(たとえ)一個人の一挙一動と謂へども時に累を同人全般に及ぼす事になり、牽いては江湖の批判を受けなくてはならない。敢て聡明なる同人諸君の緊張を望むと共に次の機会に於いては更に幾何かの進境を示さるゝやう期待する。

▲三木助は大阪落語界に於ける俊才の一人たるは謂ふまでもない。二十一日の独演会に箒屋娘を嬉しく聴いた。全くこの人の器用さは心憎い程だ。それはさて、その独演会の最も熱心なる聴き手として圓枝がいた。何時までも之だけの心がけは誰も持つて欲しいものだ。敢て圓枝の心得を賞す。


大正
151121日 大阪朝日新聞

○難しい声色の稽古 悪い癖を採るのが一番早い 桂小文治のはなし

15年 003◇……落語家のやる声色といふ芸は誰が始めたものか知りませんが、先代の円朝なんか上手で、その日見て来た芝居をすぐ翌日高座にのせて芝居噺をやり、それに声色を使つたと聞いています。円朝になつた円右もまた上手でした。今日ではまづ春楽といふ人が一番上手だといふ評判で、この人は木戸御免になつています。

◇……私が声色をやり始めたのは十七八、小米時分からで、子供でしたからよく楽屋へ遊びに行つて役者衆に可愛がられているうち、フト道楽にやり出したのです。一番始めにやつたのは、皮肉に嵐吉三郎をやりました。鴈治郎や雀右衛門は誰でもやれるからと思つたのです。ところが私の声色をやるといふことを知つて、延若が「オイ小米、お前いくらいばつても俺の声色はやれまい」といひました。丁度その時宗之助が始めて大阪へ来た時で、延若の綱を相手に戻橋、延若は「雁のたより」を出していました。そして延若のいふのには「俺は一番目は末広屋、戻橋は成田屋、雁のたよりは親父の声色でやつているのだ。だから俺自身の声色は採れないのだ」といひました。全く延若の声色は一番難しいのです。

◇……それで私は子供心に「何くそつ」と、それから日参して延若を見に行つては研究しましたが、どうしても駄目。結局その狂言はようとらず、次に出た佐野鹿十郎で「源次兵衛、そちや忠孝を忘れたか」といふ一句をやつと採り、喜んで高座でやりましたが、高座にかけると声を張るから受けません。それで甚兵衛の渡場まで出かけ、人通りのないころを見はからつてケイコをし、狂人とまちがはれたりしながらやつと受けるだけにしたことがあります。それはほんの一例ですが、全く声色は難しいもので、ざつと三年は研究せねば駄目だと私は考へます。

◇……声色を採らうと思へばまづ役者の口先の働きを見るのとその人の癖、それもわるい癖を見つけて採るのが一番早いやうです。そしてどうしてもその役者の顔を真似る心持ちでやらぬとどうも難しいものです。延若をやらうと思へばアゴを出し、眼を少し伏せてやるとか、吉三郎なら腹から声を出しノドでしめて鼻先から出す、右団治なら口を尖らせて引吃でやるとか、我童なら口をいがめるとか、皆わるい癖を見つけるのです。また雀右衛門がやれたら花柳、喜多村がすぐやれるといつた風に筋があるものです。が大阪人はどうしても東京役者はできません。なまりがあるからです。

◇……高座で声色をやると非常に疲れます。殊に延若なんかやるとトテも咽喉が痛くてやり切れません。楽なやうですが全く苦しいものです。ケイコをやるときは便所の中が一番好いやうです。声がこもるからでせう。声色の受けるのはどうしても色町の近所の席で、大阪でも場末では駄目、田舎は殊更です。しかし中国、四国辺は大阪役者の声色が大もてゞ、どうしてもやらせずにはおきません。そしてなか〳〵耳が肥えているやうです。

◇……声色を採ると、採つた文句が一番やり易く、文句をかへると、どうしてもうまくできにくい。だから声色家のやる声色はいつも文句がきまつてしまふのです。自由自在に平常の談話などをそのまゝ声色でやれる人間はまあ少いやうです。

◇……声色を採る一番の捷径は声色のうまい人から間接に採ることです。鴈治郎なら鴈治郎から直接採らずに、例へば私のやる鴈治郎の声色から採るといつた風の採り方です。しかしこれはそのときの文句だけで本当の声色にはなりません。
大正151121日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会一行は今廿一日より芸題替り。

舞踊長唄「末広がり」常盤津「道行浮塒鷗(うきねのともどり)」民謡舞踊「相馬節」「蓬莱音頭」「カラ〳〵節」「水天節」「郡上節」「貝づくし節」「双六節」等、竹の家小蝶・小奴の唄道楽、駒之助の汽車節に峰菊と初菊の所作踊り、秦玉章の大曲技、広千代の義太夫等は従来通り、尚本紙掲載の読者招待割引券を利用すれば椅子席に限り金二十銭。

大正151126日 大阪毎日新聞京都滋賀付録

◇万歳、浪花節叱らる 卑猥な言動で客を喜ばせて 近頃万歳だの落語だの浪花節など京都市内で受け、その寄席も又増加して二十五ケ所も出来たので、保安課では市内各署と協力して良風美俗を害するやうな言行はないかと二十四日一斉取締りを行つたが、当日私服警察官は普通の客に交り、不意打ち的にやつたゝめ、網にひつかゝつたものが相当沢山あつた。中にも壬生車庫裏坊城館に出演中の大正軒佐市、藤廼家八重子の二人は万歳をやりながら極端に卑猥な行為をしたかどで二十五日保安課で説諭を受け、此外仏光寺東新道親友亭出演の京山春風(浪花節)、千本中立売福の家出演の鶴賀君子(万歳)、千本一条長久亭出演の桂小太郎(万歳)も大目玉を頂いたし、京極の落語家も二三風俗を紊す言行が発見された。

大正151129日 大阪毎日新聞

○大阪落語界 名人連の放送 吉本興行部とJOBKの握手 きのふ本放送局舍落成 

大阪中央放送局では上本町九丁目の一キロ本放送局舍が落成したので三越の仮放送を廃止して、いよ〳〵十二月一日一キロの放送を開始することゝなつた(中略)…新局舍に移るJOBKはこの機会にプログラムの編成に一大革新を断行し、放送第一主義の旗幟を鮮明にするため非常な努力の末、吉本興行部と円満なる提携をとげ、本放送開始と同時に花月三友両派の巨頭連、桂三木助、橘家円太郎、林家染丸、桂ざこば、橘家蔵之助、桂小文枝、桂春団治、笑福亭枝鶴、立花家花橘、桂団枝、三遊亭円子、同遊三、同円馬、同円若、同里丸等の名人達の落語の粋を放送せしめるさうである。また三十日の夜間放送を以て三越の假放送に別れをつげるので、告別の記念として特に「浪花節名人の夕」として浪界の第一人者京山小円を始め京山恭為、木村友衛、春野百合子の名手に放送せしめるはず。


大正15121

一日よりの各席出番表

15年 004

〈編者註〉「笑売往来」第三号(大正15121日発行)より作成。

なお同誌に里風生の「浪花落語界の人々(その一)」に三代目三遊亭円馬、二代目桂三木助の、「楽屋雀の囀」に初代桂春団治、立花家扇遊、三代目桂扇枝の、また短信欄に五代目三遊亭円生、六代目春風亭柳橋の記事がある。

◇浪花落語界の人々

三遊亭圓馬 (前略)先年縁あつて大阪に住むやうになつた私は、茲に、貫録備はる圓馬師匠としての──昔ながらのほろ酔ふた気な赦(ママ)顔を見て、旧知に邂逅した程の悦びを感じたものでした。紅顔七歳にして高座の人となり、四十星霜に垂んとするその琢磨の効あつて、今日斯界の大立物たる圓馬は今や名人上手の域に一歩を入れようとしている。硬よし軟またよし、八面玲瓏たるその高座は天稟の器用と琢磨の賜(たまもの)である。若き日より酒杯を深く愛し、撞球の道楽あり、色紙に墨を塗る程の雅趣を解する人と聞く。

桂三木助 立つてよし座つてよし、全く器用極まりない人である。往々気障だとか高慢だとこの人の高座を評する人があるが、私は単純に而(こ)う決めたくない。それは恐らく高潔な気品を保つに努めて居るこの人の心情の現れであらう。情誼に厚いその性格と共に之は一面この人の身上である。十一歳からの努力が今日の光沢を放つて居るのであるが、この珠は尚底に光を潜めて居る筈である。その雄壮(ゆうそう)なる鼻と共に、目映く輝くであらう。三木助師匠の将来を期待するもの、豈吾一人ならんやだ。粋文人連と交り、その野球団に連つてボールを遣る程稚気を持つて居るも嬉しい。但し『三木助師匠は直球はよう投げまへん』若い者は而(そ)う云つている。蔵書と写真の道楽あるを聞く。

楽屋雀の囀(さえずり) 

▼霜月下旬の法善寺花月の或る夜、大入袋で金一封を添へて『是非高津の富を聴かせて欲しい』との伝言(ことずけ)がお茶子を通じて春團治へ届いた。傍の誰かゞ『お師匠はん、一両で高津の富はチトゑろおまんな』と云へば、『イヤそやないて、五両下さるお客さんの心も、一両下さるお客さんの心も同じことや、贔屓ならこそ聴いて遣らうと言はれるのやないか。折角ぢや遣ろ、一寸時間繰合しといて』この人にしてこの心意気あり。

▼飄逸そのものゝ如き扇遊坊、すつかり風流気を出して、尺二の絹本に自ら一句を染め、更に連中を持ち廻つて圓馬、染丸、圓若、枝鶴はては瀧野支配人の江戸前の一筆までも加へて悦に入るところ、その高座と共に嬉しいおつさんである。

▼枝鶴と共に花月ピクニックの先達として陣頭に立つて居る扇枝、持ち前の口を斜(ななめ)に、次の計画のために頻りと首をひねつている。ハテ如何なる妙案が浮ぶ事だらう。

◇短信

三遊亭圓生来演 三遊亭圓生師は約八年前その圓窓時代に来阪した事があるのみで、その後全く江湖に目見ゆる機会がなかつたのであるが、今回当部の招きに応じて一日来阪された。滞在は十日間、出演席は南地花月、北陽花月倶楽部、松島花月、玉造三光館の四席である。この人には衛生料理などゝ云ふ自作の新しい落語があります。

春風亭柳橋目見ゆ 春風亭小柳枝の名で江湖にお馴染深い柳橋師は改名後始めての目見えのため一日来阪した。出演席は南地花月、北陽花月倶楽部、松島花月、新町瓢亭の四席である。僅かの間に驚く可き進境を示しているとの評、専らである。


大正15121日 神戸又新日報

◇千代之座 七色会一行は今一日より最も目新しい、面白いもののみを選び上演、舞踊「小鍛冶」「人形誓文払」「花折り」民謡舞踊「目貫三番」「踊れや踊れ」「鐘の舞」「調練節」「鰹売り」「御守殿舞」等

◇西新開地三國館 七色会の分家ともいうべき一座にて今一日より芸題替り。

大正15121日 京城日報

[広告]明治町 電話二六〇番 浪花館/十二月一日より 東京落語橘家圓坊・橘家扇三一行/入込御□(喜ん三)浪花噺(楽天坊)落語手踊(枝女蔵)落語珍芸(三五郎)高級萬歳(春子、正春)落語盆の曲(圓坊)女道楽(芝美初)人情笑話(扇三)一流舞踊大切(座員総出)

大正15124日 神戸又新日報

◇千代之座 好人気の七色会一行「人形誓文払」は、色々の人形に扮しての舞踊は面白く大受け。新加入の萬歳、柳枝、豊子、チャヲテン、小源水等大評判。

大正151211
◇十
一日よりの各席出番表

15年 005
15年 006

〈編者註〉「笑売往来」第四号(大正151211日発行)より作成。

なお同誌に毎年恒例として行われる「吉例珍芸会」の具体的な内容が載る。また「楽屋雀の囀」より染丸、志ん蔵、蔵之助、米団治、春団治の記事を抜いておく。

◇吉例珍芸会

 一年間の御愛顧に報ふため、謝恩興行として吉例となつている珍芸会を十一日から先づ南地花月、北陽花月倶楽部に催す事になつた。幹部連は既に連日の猛練習を重ねて、必ず江湖の期待に添はんものと、熱に熱、全く白熱的の大努力を続けている。

茶番金の大黒さん 茶番「金の大黒さん」、天機洩らすべからず、然し之が花月式抱腹茶番の代表的なるは勿論である。先づ左の顔触れによつて須らく想像を給へ、而うして是非御批判を。因に「金の大黒さん」は北陽花月倶楽部、八時三十分及び南地花月の大切に上演。出演者は春團治、米團治、蔵之助、花橘、福團治、光鶴、小春團治、うさぎ。また器用で働き者の花治が舞台一切の切り廻しをすると云ふ。

上州土産快侠捕物帳 剣唄国定忠次 木全由之助先生ではお解りにならないだらうが、橘家蔵之助先生苦心の脚色になる剣唄国定忠次一幕。花月の色男立花家千橘扮するところの忠次は仕入れの顎ながら河内屋張るは勿論、蔵之介の斧右衛門との剣戟の荒凄(すさま)じさ……澤田正二郎氏近日見学に来るかもシレナイとの事……花橘の目明し、圓枝の堂々たる役人振、加ふる扇遊、小春團治、染八、染三、里鶴、小ゑん等の地方が夫々味を見せ、且つ聴かさうと云ふ。

落語連鎖所作事 釣り女 その道の達者桂三木助に露の五郎の両名、落語から引抜いて所作事釣り女を演(や)る。地方は紋十郎、喬之助、清子の三名、結構極め付の演(だ)し物である。

◇楽屋雀の囀

▼粉浜の高台に糟糠の妻おとみおばハンと団欒の一家を構へてござる林家染丸、昨日今日の恐悦振りは大したものだ。染丸と云へば兎、兎と云へば染丸と知る人ぞ知る由縁(ゆかり)つきで、置物から玩具無慮数百種の兎を朝な夕なに眺めて暮している程で、来年は卯年だからと、サテはこの悦びである。ところでもう一つ、この春あたりから自ら彩管を採つて兎を物しやうと、暇さへあれば色紙を塗り潰しているが、昨今とに角兎らしいものが書けるやうなつたとかで、東京あたりまでも画き送つて、耻を……イヤ素晴しい評判である、との噂。

▼花月ピクニックの写真部主任と云ふ重責にある三遊亭しん蔵は、写真は勿論漫画も一寸素人離れのしたものを画く程の器用者であるが、最近志ん蔵創案になるとても嬉しい人形の成作を試みている。漫線人形とでも云ふて然るべく、先づ部内の寿山人頗るお気に召して、近く展覧会を催して通人の批判を待つてはと云つている。

▼忘年珍芸会に剣唄「国定忠次」一幕を書き卸した作者木全先生事橘家蔵之助、脚色態度を表明して曰く『江戸の生んだ演劇には江戸の生んだ常磐津乃至長唄を配す。浪花の生んだ演劇には浪花の生んだ義太夫を配す。上州の生んだ快侠忠次を演ぜんとすれば須らく上州の生んだ八木節を選ぶべきである』と。

▼南地花月で滑稽茶番を演(だ)している米團治と春團治、流石何れも大阪落語界の大立物だけにイヤ面白い〳〵。兎に角、後家さんから犬や猿まで引つ張りだすのだからお客様大喜びの筈だ。


大正151211日より

◇南地花月忘年演芸競演会チラシ

15年 013

当派独有忘年演芸競演会

出番順:御祝儀落語 紋三郎・若春・小雀・花治、曲独楽 升三、落語 福団治、野球節 慶司・五郎、音曲 円若、滑稽茶番 米団治・春団治、尺八 扇遊、上州名物八木節踊国定忠治 里鶴・小えん・染三・染八・扇遊・小春団治・円若・円枝・千橘・蔵之助、曲芸 直造、落語 枝太郎、珍芸 九里丸、落語連鎖所作事つり女 五郎・三木助・紋十郎・清子・喬之助、落語 円馬、滑稽茶番大三十日の出来事 春団治・花橘・小春団治・うさぎ・光鶴・福団治・喬之助・米団治

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

大正151220日 大阪毎日新聞

◇大阪市内の寄席も閉場 …市内に散在する各寄席は十八日、吉本興行部の約三十席のうち松島、新世界、千日前を除く十八席は十八日から一斉に休演し、また福島の福島座および延命館も同日限り中止し、十九日になつては天満の国光第一席も休演に決定したので、市内に散在しておの〳〵この界隈を賑せていた娯楽場は大部分閉鎖さるゝに至つた。

大正151221日 大阪毎日新聞

◇落語の千橘、堀江で人を斬る 高座の話を地で行く 落語界の人気男立花家千橘が高座の話しを地に行つて人を斬つた話し──十七日の午後二時ごろ大阪北堀江御池通り三丁目の貸座敷中務金枝方でよい気持になつていた千橘こと坂本梅之助(三一)は、二階へ遊興に来ていた南区大宝寺町東の町川舟力蔵(三〇)等と喧嘩をはじめ、梅之助は柿の皮をむくナイフで力蔵の座敷におどり込み、力蔵の頭部に斬りつけ新町署へ引致された。(後略)

大正151221日 大阪朝日新聞

◇休業を続ける吉本興行部 御謹慎を申して休業をつゞけている大阪吉本興行部経営の浪花節、落語、寄席の新町瓢亭、堀江花月、京町堀京三倶楽部の各席は「聖上の御不例で御謹慎申上げているからは御平癒のお喜びを迎へるまではこのまゝ休業をつゞける」ことに決した。

大正151223日 大阪朝日新聞

◇落語珍芸会 二十一日から南地花月と北新地花月で開催。組は「保名」伯竜「滑稽靫猿」三木助、五郎、千橘、枝つ「□□」円太郎、染丸「野球」三木助、露の五郎、千橘「住吉駕」春団治、米団治、花橘、蔵之助、円枝。

大正151225日 大正天皇崩御

【参考資料】

 大正時代の締めとして、「笑売往来」第二号(大正151121日発行)に載った吉本興行部直営特約常設館一覧表を掲載しておく。

15年 007

プロフィール

丸屋竹山人

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