昭和4年

上方落語史料集成 昭和4年(1929)1月~4月

昭和4年1月

大阪の寄席案内

一日より

△南地紅梅亭 千橘、扇枝、円枝、蔵之助、紋十郎、五郎など。

△南地花月 扇遊、千橘、円馬、芝鶴、文治郎、春団治、結城孫三郎、伯竜。

△北新地花月 勝郎、文治郎、蔵之助、伯竜、春団治、千橘、扇遊、円馬、結城孫三郎一座。

△松島花月 春団治、円太郎、扇枝、円枝。

△新町瓢亭 円枝、結城孫三郎、円若、伯竜、扇枝、文治郎、扇遊など。

△天満花月 万歳諸芸大会。

△松屋町松竹座 円馬、扇遊、春団治、蔵之助、千橘、円枝など。

十一日より

△南地花月 福団治、染丸、おもちや、正光、扇枝、千橘、歌蝶、芝鶴、三木助、勝太郎、小扇、クレバ、小春団治 伯竜、結城孫三郎一座、枝鶴、九里丸、円馬、重隆武司。

△南町紅梅亭 十一日より竹本綾助一座の女浄瑠璃で毎日午後五時開演。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 光鶴、清子喬之助、ざこば、勝太郎、重隆武司、九里丸、千橘、枝鶴、円馬、正光、歌蝶芝鶴、小春団治、伯竜、結城孫三郎。

△松島花月 馬生、福団治、小円太、市松日左丸、伯竜、結城孫三郎一座、文次郎、重隆武司、千橘、染丸、清子喬之助、勝太郎、歌蝶芝鶴、三木助。

△新町瓢亭 小春団治、塩鯛、光鶴、升三、文次郎、馬生、十郎雁玉、染丸、清子喬之助、福団治、次郎、
 団之助、三木助、千橘、正光、枝鶴 。

△松屋町松竹座 うさぎ、枝鶴、染三、塩鯛、幸治、小春団治、円馬、源朝、三木助、九里丸、文次郎、
 おもちや、扇枝、十郎、雁玉、染丸。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 桂三木助林家染丸笑福亭枝鶴、桂小春団治、桂福団治、吾妻家駒之助花月亭九里丸
 の外に幹事出演。

△新京極花月 世界一の大女等。

△新京極笑福亭 万歳諸芸大会

△新京極中座 スズラン座他。

昭和411日 大阪朝日神戸付録

◇落語常設館(楠公西門) 扇歌、かしく、妻奴、米奴、米團次、圓都、小伯山、小枝鶴、花遊三、その他出演。

昭和411日 都新聞

◇[正月広告]

◎東京落語協會 一龍斎貞山 三升家小勝 桂文治 柳家小さん 桂小南 三遊亭金馬 立川談志 春風亭柳朝 三笑亭可楽 蝶花楼馬楽 柳家小せん 三遊亭圓右 三遊亭小圓朝 五明楼玉輔 三遊亭圓洲 三升勝團治 柳家金三 鈴々舎馬風 蝶花楼馬の助 吉野家花山 桂文都 桂紅雀 柳家小ゑん 三升家勝太郎 鏡味小仙小金 中華人李有来 高松紅天…

◎落語協會 柳家三語楼 三遊亭圓生 柳家金語楼 柳家小三治 柳亭市馬 橘家圓蔵 三升紋弥 柳家菊語楼 柳家語楼 柳家權太郎 柳家甚語楼 桂残月楼 柳家八語楼 橘家文三 柳家金重楼 柳家金蔵 柳家金三楼…三遊亭萬橘

◎落語睦會 柳亭左楽 春風亭柳枝 林家正蔵 古今亭今輔 春風亭柳橋 桂文楽 桂小文治 春風亭柳好 柳亭芝楽 柳家枝太郎 三遊亭歌奴 柳亭春楽 文の家かしく 春風亭柳條 桃月亭雛太郎 土橋亭りう馬 春風亭柏枝 春風亭柳昇 柳亭鯉昇 柳家小山三 林家正喬 春風亭柳語楼 横目家助平 春風亭柳之助 春本助次郎 大丸民之助…中華人李彩…

◎日本技芸士研成協會 燕枝 圓 馬生 扇橋 小燕枝 つばめ やなぎ 五郎 柳桜 柳窓 勝治郎 魚楽 雷門 燕洲 柳橘 猫遊 大洋 都太夫改め豊澤生駒太夫 鶴澤泰助 桃川若燕 会長助六

◎民衆芸術の大歓楽場 吉本興行直営 浅草公園遊楽館 神田花月 横浜花月

昭和413日 大阪朝日新聞

○入湯戯画 小出楢重(文・画)

 (前略)……今は故人となつた桂文団治なども、そのつる〳〵

頭を薬湯へ浮かばせていたものであつた。私の驚いたことには、彼の背には一面の桜と花札が散らしてあつた。その素晴らしく美しい入墨が足にまで及んでいた。噂によると四十幾枚の札は背に、残る二枚の札は両足の裏に描かれてあるのだといふことである。その桜には朱がちりばめてあり、私の見た入墨の中では殊に美しいものゝ一つであり、その味は末期の浮世絵であり、ガラス絵の味さへあつた。まづ下手ものゝ味でもある。

4年 014
 それは文団治皮として保存したいものである逸品だつたが、どうもこれだけは蒐集する気にはなれない。私はいつか衛生博覧会だつたか何かで有名な女賊の皮を見た事があつたが、随分美しいもので感心はしたが、入墨も皮になつてしまつては如何にも血色がよくないので困る。

 文団治は高座から、俺の話が今時の客に解るものかといつて、客と屡次(しばしば)喧嘩をして、話を途中で止めて引下つた事を私は覚えているので、この入墨を見た時、なるほどと思つた。

 然し、彼の話は高慢ちきで多少の不快さはあつたやうだが、私はその芸に対する落語家らしい彼の執着と意気に対して随分愛好していたものだつた。近ごろはだん〳〵落語家がその芸に対する執着を失ひつゝあるごとく思へる。勿論本当の大阪落語を聴かうとする肝腎の客が消滅しつゝあることは重大な淋しさである。……(後略)

昭和416日 神戸新聞

4年 001小野大黒座 千代之座専属の萬歳幹部大會にて開演

千代之座 大衆娯楽の競演

西門落語席 関東関西幹部落語大會

昭和4112日 大阪時事新報

女義道場の復活 紅梅亭が十一日から開演  今回吉本興行部の手で南地紅梅亭が女義道場として開場することに決定、愈々十一日から竹本綾助、豊沢仙平を中心とする一座が出演することになつた。

〈編者註〉広告は昭和4112日付「大阪毎日新聞」のもの。

昭和4113日 京城日報

[広告]浪花館/迎える春の大興行は大阪より男女合同若手花形揃大一座 元日より花々しく 午後四時開幕/御祝儀(宝の入船)落語(桂福丸)落語音曲(橘ノ楽天坊)落語手踊(柳家こはん)浪花落語(笑福亭松二)東京落語(橘家小田喬)滑稽萬歳(三遊亭川柳、三遊亭仙)落語舞踊(柳亭燕路)小女浪曲(吉田小美子)十八人芸(柳家語楽)浪花節(三升屋一俵)音曲萬歳(橘家太一郎 同チャボ子)講談(邑井貞吉)大切座員総出珍芸づくし


昭和42

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 おもちや、紋十郎、蔵之助、扇遊、福団治、千橘、枝鶴、小三治、春団治ら。

昭和422日 大阪時事新報

◇小三治来演 二月の寄席 小三治と云へば落語家の内でも随一の新人として、新味のあるユモアーに富む高座振で東京方面に人気の高い男、大阪の二月の寄席に来演して南北両花月、松島と天満の花月で大いに新しいところを発揮することになり、これには大阪方の幹部落語家連も総出で応援する筈。

昭和4256日 大阪朝日新聞

○社会相百態 そのころの大阪(上) 生ツ粋の大阪生れのくだけた漫談会 

本紙創刊の日のそのころの大阪、それにつゞく世情の変遷の跡をたづねるため、過ぐる一日、本社は生粋の大阪生れの左の七氏の集まりを願い今橋灘万で興味ある漫談会を催した。(中略)

医学博士高安六郎氏(五十二笑福亭松鶴氏(六十一)、薬学博士木村彦右衛門氏(五十一)、竹本津太夫氏(六十一)、中村鴈治郎氏(七十)高安季子氏(五十四)、灘満老女将楠本とく子氏(五十八)。本社側上野専務取締役、小西営業局長、岡野主幹。

〈編者註〉鴈治郎を中心とする芝居の話に始まり、文楽の話題から落語談義に移る。前二項は省略した。また六日にも(下)が載るが、落語に関することはないので省略する。絵は五日に掲載。岡本一平筆。

4年 002

◎落語の入質 オツペケペは大阪が元祖 苦しい修行 落語の話
木村博士
 昔落語家が「三十石」といふ話を質においたといふ話をきいているがそんなことがあつたのですか。

松鶴氏 それは初代文枝の話です。昔は落語家の最も得意としている話、つまりその人の売りものを質にとつて金を貸した。その話を質におくと、その落語家は高座でその話がやれない。注文が出てもやれない。つまり封ぜられるわけです。だから早く金を返してその話をやりたがつた。得意の話といふものは、客がよく注文したものです。私が一度得意の話「口入屋」を注文せられてそれをやらなかつたことがある。すると寄席の帰り、法善寺の出口の暗がりで突然ポカ〳〵と撲られました。「贔屓の注文したものをやらない生意気だ」といふわけですな。もつとも私の贔屓は道楽ものが多かつたが、それでもそれぐらい肩入れがあつたものです。

木村博士 桂梅枝といふ人がオツペケペ節をやつているのを聞きましたが、オツペケペ節は大阪が元祖ですか。

松鶴氏 梅枝が東京で聞いて帰つてからうたつたものですが、歌の文句は文都が作つた。川上音二郎がオツペケペの元祖のやうにいはれているが、それよりも先に大阪にありました。

木村博士 「推量節」といふのも東京の一馬が元祖のやうにいはれているが、あれも大阪が元祖とちがひますか。

松鶴氏 さうです、西国坊明学といふ盲人が元祖です。そのころ大阪には法善寺の泉熊を始め九軒、御霊裏などいゝ寄席がありましたが、大てい五六人の落語家が一人当り一時間ぐらい語りました。私は船場の砂糖屋の丁稚時分、よく落語を聞きに行つてとう〳〵本職になつたのですが、そのころの落語家はたいてい好きからなつたもので、従つて中年からの人が多かつたやうです。

木村博士 あのころの寄席は皆下駄のまゝ入れましたな。

松鶴氏 さうです、土間の通りを通つて座席へすわるのです。土間は下駄ばきで通りました、明治十五年ごろ始めて玄関つきの今のやうな席が堀江にできました、それが賑江亭です。落語の席で歌をやり出したのは初代竹山人が濫觴で、当時世間からは排斥されました。寄席がいかゞはしい話をするのを差留られたのはずいぶん古いことですが、ほんとうにそれが励行されたのは明治三十七、八年前後でせう。

上野専務 落語がどれもこれもあまり面白うてお客を全部終りまで引つけて置くと終演後一時に木戸が混雑して弱るのでわざと話をだらすことがあつたでせうね。

松鶴氏 ありました。つまり昔は落語家が皆上手でお客を活殺自在にする腕があり、それに一晩五、六人しか高座に上らなかつたから、一人が優に一時間は受持たねばならず、ある時はギユツと締込んで行つたり、また時によるとパツと手放したり、思ふやうにやりました。

木村博士 私は幼時落語家にならうと思つたほど落語がすきでした。「線香の立消」といつた話をこのころ聞きませんね。

松鶴氏 やれる者がないのです。初代文枝の弟子に文之助、文都、文三、文団治が四天王でした。この四天王のうち文団治が脱走して道頓堀の竹横(弁天座横)へ涼みをかけ、川面に茶船を浮べて舞台を拵へましたが、えらい人気でその舞台船が沈んだことがありました。竹横に落語の若太夫席のできたのはその後のことです。法善寺裏の西が今嘉、東が三楽座、つまりたゞ今の紅梅亭と花月とで、大いに競争したものでした。

岡野主幹 昔の落語の修業もむつかしかつたでせうね。

松鶴氏 一夜の連名が五、六名で、しかもその出演順によつて二番目はどんなもの、四番目は何々と演る代物がチヤンと極つていました。今日の落語のやうにわれ勝ちに面白いものをやつて十分内外をごまかすといふのとはでんで違ひます。私の師匠の三代目松鶴や文左衛門などいふ人はいつも楽屋で高座の落語を聞いていて、もしできがわるかつたり、二番目のものが勝手に五番目に演るものでもやつて御覧なさい、それこそガラン〳〵と鐘をたゝいて話の邪魔をしたものです。七部通り終つた落語をまた始めから仕直さねばならぬことが何回もありました。

昭和4210 大阪毎日新聞[広告]

4年 001

昭和4211日 京城日報

◇JODK(京城放送局) 開曲二週年記念プログラム 二月十一日

◎浮世節其他 東京 東家小満之助

放送局で招いた東家小満之助さん。東京でその方面では名を売つた人。今晩は浮世節です。DKの電波から初めて掘り出される浮世節。先づどんなものだか聞きましょう。

◎落語「源平の穴」 柳亭燕路

しばらく御無沙汰を致して居りました御なじみの燕路さん。十八番の出し物で久方ぶりに御機嫌を伺います。

<編者註>柳亭燕路:四代目燕路(本名小倉新次郎)。六代目正蔵の弟子で正雀から五明楼春輔。大正14年に四代目燕路で真打。この頃は朝鮮に居住していた模様。

昭和4216日 京城日報

◇JODK(京城放送局) 開曲二週年記念プログラム 二月十六日

◎落語と音曲 不動坊(橘楽天坊) 浮世風呂(柳家語楽) 手紙無筆(柳家三太郎)

昭和4226 京都日出新聞

◇卑猥落語お目玉 目下新京極富貴亭に出演中の落語家橘家勝太郎、同蔵之助の両人は、二十四日夜高座で卑猥な言辞を弄したのを臨監中の五条署興行係が認め、二十五日両人を召喚、大目玉を喰はした。


昭和4
3

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 モダン落語と漫談柳亭金語樓、桂小春団治、九里丸、三遊亭円若など。

十一日より

◇新京極富貴 落語長演会。助六、幸治、三門、玉時枝、正光、馬生、紋十郎、五郎、歌江、奴、三木助、春団治、亀鶴。

二十一日より

◇新京極富貴 林家染丸、橘家千橘、橘家扇遊、円馬等。

昭和436日 大阪毎日新聞

○春に背いて凋落の万歳 行詰りの寄席芸 

 ついこの間まで、大衆的興行界の流行児だつた「万歳」も一年あまりの黄金時代の夢がさめてはかなくも忘れ去られやうとしつゝある。

顧みれば昭和二年末ごろ、いはゆる「十銭屋」的の小さな寄席で、はり扇を淋しくふり廻していた万歳屋達一躍大阪は道頓堀の檜舞台に進出した勢は凄じいものであつた。当時田舎廻りの落語家や名もない喜劇俳優までが俄か仕込の万歳芸を携へて都会へ都会へと流れ込み、大阪などではこの万歳師が実に五百人近くを数へた。

が、わずか一年で万歳の凋落時代は来た。一夜仕込みの万歳師はふるひにかけられてまたもとの田舎廻りに逆戻り、いゝ者だけが小寄席にかへつて、一部の万歳フアンを相手に頭を叩きあつている。かくて一時は笑ひの尖端に立つていた万歳の花火のやうだつた変態的流行も、春にそむいて幕をとぢようとしているのだ。

これに代るべきは何か? いま寄席興行師の頭を悩ましているのはこの一点で、大阪の吉本興行部などでも「小さな寄席へ逆戻りしたからといつて、万歳の格が下がつたわけでありません。却て安く楽しめるやうになつたんです。あれはあれで別なフアンをもつていますからね」といつてのけた口の下から「しかしこのごろの寄席興行は、落語席へジヤズを入れたり、新しい漫談家を迎へたり、どうして若い寄席フアンを集めようかゞ苦心です」と、さすが時代に押され行くものゝ悩みを物語つている。

昭和4310日 大阪毎日新聞

◇落語の高座でも「大阪の陣」  「大阪の陣」昭和従軍記のもつユーモアを高座にかけんと落語家連が頭をひねつているが、ソノ魁として新物読みの立花家千橘が十一日から南北花月などで演ずると。

〈編者註〉「大阪の陣…」は毎日新聞の連載読物で新潮劇一派の劇化上演を始め各所で競演となった。

昭和4311よりの南地花月の出番表

4年 015

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和4311 京都日出新聞

◇新京極富貴 三月十日正午十二時開催、柳家金語楼独演会。演題浅草行進曲、野球見物、兵隊。助演桂小春団治、花月亭九里丸。

昭和4312日 大阪毎日新聞

◇南北、松島の各花月、今夜から石井春波の時事漫談を加へる。

昭和4319日 京城日報

<砂川捨丸一行・朝鮮東亜倶楽部>

◇捨丸一行 明日から東亜倶楽部で興味をひくプログラム 高級萬歳、小唄、曲芸、軽口と見てもきいても面白い砂川捨丸一行は明廿日から六日間府内三社の後援により黄金町東亜倶楽部で開かれる。蓄音機、或はラヂオを通じて彼の美声、そのユーモアを知る人々は勿論、演芸界を風靡したその名声は上下の階級を通じ、老若、男女を問わずもの凄い人気をもつて開会の日が待たれて居る一行は、捨丸をはじめとしてその相方をつとめる中村春代、新進の萬歳家十余名、正調、追分には橘右近、お多福の両名、それに三人滑稽曲芸を演じる宝家連中と新吉原の芸妓連久本一行十名すべて三十名に近い一行である。入場料は一等二円、二等一円五十銭、三等一円の三種である。

<編者註>この興行の前に十五日から十七日の三日間、釜山公会堂で興行した。番組は下記の通り

▲正調追分節 橘右近 橘お多福

▲新吉原芸妓連 久本〆龍 〆丸 〆福 〆二 小〆 〆奴

▲三人滑稽曲芸(宝家連中) ブル松 小政 和三郎 楽三郎 和助 和楽

▲萬歳連 浮世亭秀春 吉田二三丸 小原文蝶 砂川捨奴 砂川愛之助 東家市丸 桂家枝輔 桂家助六 中村春代 砂川捨丸

昭和4321日 大阪毎日新聞

◇強盗の身振が真に迫つて落語の三遊亭新蔵叱らる 大阪市西区阿波座上通一の十七、落語家三遊亭新蔵こと田辺栄三郎(四一)は、去月十四日午後八時ごろ大阪北区曾根崎永楽町寄席花月倶楽部に出演中、ピストル強盗の話をしたが「強盗するのでも御免やーす、お金おまへんか」といひ「無い」といはれて「さよか」と言つてしまつては強盗にならぬ、やつぱり長い奴をすらりと抜いて「金を出せ」と言はねばならぬ、とその強盗の身振りが真に迫つているので、公安を害すると臨監の曾根崎署員に告発されたが、近時各寄席でこの種強盗物語を売り物にするものが多いので、二十日府警察部から管内および近府県へ右取締方の通告を発した。

〈編者註〉三遊亭志ん蔵は本名田辺米三郎。明治二十年生れで、昭和四年は数えて四十四歳である。

昭和4323日 京城日報

◇大持ての捨丸一行 連日満員 最近の朝鮮興行界の記録を破った萬歳の砂川捨丸一行の人気は大したもので、さしもに広い東亜倶楽部も初日以来満員すし詰の大盛況である。殊に廿一日は昼夜二回の興行であったが、新町遊廓の総見をはじめ軍隊の団体見物あり。ユーモアに富んだ一行の演技に魅了されてゐた。尚明日の日曜は更に一圓興行を行うが、これも盛会をきわめる事であろう。


昭和4411日 大阪朝日新聞

○歌聖(藤村)叡雲師の追憶(一) ……当時落語家の桂文屋や曽呂利新左衛門らも親しく師の門を叩き、いはゆる「話しのネタ」を作つて貰つたもので、師もその出来工合を楽屋で聞いたさうだ。……

上方落語史料集成 昭和4年(1929)5月~8月

昭和451日 大阪時事新報

◇小柳三の沢正実演 一日から春風亭小柳三が南地、北新地、松島の花月に出演して名優声色物真似百種を演続、特に沢田正二郎得意の当り狂言数種熱演すると。

昭和4511日 大阪毎日新聞[広告]

4年 007

昭和4511日 大阪毎日新聞
◇松島花月の改装 松島千代崎橋の花月は改築落成、一日から花々しく開館、万歳諸芸の大競演に花月レビユウ団十数名…。

昭和4510日 大阪時事新報

◇花月ピクニツク演芸会 南地紅梅亭で 既に第六回を重ねて各方面から非常に期待されるやうになつた花月ピクニツク会は、来る十一日から南地紅梅亭で第七回目の演芸会を催す。その顔触れは染三、鶴二、うさぎ、九里丸、正光、光鶴、小春団治、枝鶴、扇枝、小円馬、花次、そ れに応援として紋十郎、清子、喬之助が特別出演すると。

昭和4511日 大阪時事新報

○落語を聴く此頃のお客 花月亭九里丸  

私が新しがり屋? イヤ新しい事にかけては小春団治君も却々のハイカラです。私のは枝鶴さんにも言はれましたが聊か変態的の新しがり屋でネ、勿論私等社会の誰もが変態的色彩を帯びていないのはないのですが、私のはそれにも一つ辶(しんにょう)をかけたものでせう。近頃のお客さん──と云ひましても私一人では不可(いけ)ないと思ひますが、どちらかと申せば以前よりもお客のレベルは下つているやうに考へます。それは二三年来万歳が抬頭してこの方、ほんたうに目立つた現象で、私丈けでは無く皆が感じている事実です。お叱りを蒙るかも知れないが、まア早く申せば半可通のお客さんが多いので、自然に笑はせる話よりも手取り早い無理なクスグリの話を好んでいられる──つまり真に落語の味を御存じない。私の場合は別として、注文なさるにしても、仮に枝鶴さんの十八番を小春団治さんになさる。こんな事はお客さん自身が半可通を裏書なさるもので、実に気不味(きまず)い御気の毒なことです。ですからこゝ数年前の客と対照して考へると、恰度大成駒家対百々之助、湖月に対するビツクリぜんざいと云つたやうな感じに想ひ到ります。私の同窓生で、八歳ごろからの落語フアンが居りますが、これなどは自身の好きな落語で「はゝアこゝで笑はされるな」と思つたとき、必ず客一同が何ういふ感じの笑ひ方をするか、それに注意をするさうで、今日での通のフアンはこの人一人位だと思ひます。私一人の意見で今日は纏まつた事は申しませんでしたが、何れ三人か四人位で面白いことを申上げませう。

昭和4516日 大阪毎日新聞

◇漫談とは──英語を混じた酔つぱらひのクダみたいなもので、何をいひ、何をいはんとするのかが自分でも判つていないらしいと大阪人が呆れてしまつた。

◇大辻司郎が大阪でーと聞いて俺も俺もの申込み、寄席では「ソレにはおよびません、どうぞ東京でやつて下さい」

昭和4521 京都日新聞

◇[広告]新京極富貴 神田伯竜 二十一日より毎夕五時

昭和4523日 大阪時事新報

◇花月ピクニツク 二十一日より三十一日まで南地紅梅亭に於て開き、枝鶴、扇枝の落語に一光の曲技、正光の奇術で、主なる番組は野崎詣り、新補花暦八笑人、舞踊保名、越後獅子、笑ひの洪水「鬘」レビユウ菖蒲太刀。

昭和4525日~68日 大阪時事新報 

<連載:落語家漫談会>

〈編者註〉大阪時事新報主催で「落語家漫談会」の席が設けられ、その内容が六月八日まで十三回に分けて連載された。出席者は花月亭九里丸、立花家千橘、笑福亭枝鶴、三遊亭小円馬、桂小春団治の五人。その内の一回から六回までを掲載する。七回以降はカフェ、女給、芸妓等の話で落語史とは無関係。

〇本社主催落語家漫談会(1) 舞台から見たお客の品評に漫談の口火を切る

 予て「芸妓と宴会の解剖」に於て発表された通り、本社主催落語家漫談会を茲に紹介する。大阪が生んだ純漫談家の定評ある九里丸君を始め、これも純大阪式落語家として自他共に許されている枝鶴君、斯界切つての色男の名を擅まゝにして小淡泊とした落語と軽快な舞踊を以て鳴る千橘君、江戸ッ児の歯切れの可い語り口とアク抜けのした舞踊で人気を呼んでいる小円馬君、斯会では最後輩とされ乍らも落語は無論、舞踊には山村若氏の門を叩いて飽くなき精進に日も猶ほ足らずとする年少気鋭の小春団治君。そして種々の話題を中心に如何なる希望、観察、珍談などが口を衝いて出た事か、再考するまでもなく実に興味津々たるを覚えやう。デは只今十一時です、これから漫談を始めます。

4年追加 001

記者「お忙しい中を態々お集り下さいまして有難うございました。で私の方から『この話題で』と云つて別に注文は致しません。何処までも漫談の本分を発揮してやりたいと思ひます。デ解散の予定時間ですが」

九里丸「サア、私共の方は席の都合もありますから午後二時頃解散したいと思ひます」

記者「二時半、さうですか、それではそれ迄どうか寛(ゆっ)くりと急いで成る丈多く、そして面白可笑くお話し下さるやう‥‥とは少々欲張り過ぎですかナ、ハッハッハ‥‥」(一同笑ふ)

九里丸「イヤそれは御注文のない方が結構、此方も話し可い訳ですさかい‥‥。そこでーと毎時も斯うした時には私が口火切りで恐れ入りますが、先日私の話として本紙に御掲載下さつた話、──つまり「近頃のお客さん」ですナ、それを斯うした席上でお話しやうと思つてたんですが、何うでせうこの話題は‥‥」

一同「そら宣しいナ」

記者「では、それからどうかお始め下さい」

千橘「大体が落語は昔から粋なもので──と云ふと私が老年(としより)臭く聞えまんが(と軽く笑ひ)、実際この落語と云ふものは粋なもので、そして笑はせるにしても肩で笑はせるものが本領だつたさうです。それが近頃ではとかく爆笑的な落語でないとお客さんに不評(うけない)ことになつてますが、大体落語といふものを御存じないのですナ」

九里丸「結局は半可通の客が殖えたんです」

千橘「そして誰が巧い──仮令ば枝鶴さんが巧い、九里丸さんが上手やと云はんやうになつてます」

枝鶴「然う〳〵、つまり落語を聴く頭が無くなつたんや。以前は話中の人物に注意したもんやが、この頃は全然お客さんがそんな話中の人物になんか注意せんようになつてる。たゞ笑へば可エ、笑はして呉れたら巧いのやとなつてるナ」

小円馬「然うです、それが反つて我々には難しいんです。師匠から習つた通り、教つた通りの落語ぢやアとてもウケない」

小春団治「近頃のお客さんは十中の一部が粋な真実の落語通。八分が只笑ふ、笑へば気が済むといふ人達。残りの二分がイヤに理屈張つた──落語を聞いて『そんな矛盾した話があるか』といふやうな──所謂文学カブレのしたお客さんで、中でもこの理屈張つたお客さんが一番適ひまへん。そしてこの皆に笑つて頂かうとするのですから、難かしいです」(525日)

(写真は落語漫談会の光景・北陽菱富にて。向って左から順に記者、小春団治、枝鶴、小円馬、九里丸、千橘)

〇本社主催落語家漫談会(2) 咄の筋よりも笑ひを要求 将来の事より過去がウケる 

九里丸「あのざこば君の英語なんか、実際に解つている人は尠いでせう」

枝鶴「イヤ全然解らへんで」

千橘「アクセントの具合で解らんやろナア」

枝鶴「とも角訳の解らん英語を聞かされて、キヤツ〳〵笑うて喜ぶお客さんやさかい底が知れてる。落語なんか全然解らんのヤでナア」

(此処に至つて諸君の顔に一抹の暗影が漂ふ)

千橘「つまり現代の客は然うなんです」

枝鶴「たゞ落語ことが面白かつたら可エネ、理屈屋連は別として落がトンチンカンになつていやうが脱線しやうがたゞ笑はされたら喜んでいる」

千橘「極く最近の事ですが、私が或る紳士連に招ばれた時でした。その席上で一人の紳士が『君達はいやしくも高座に上つて人智啓発の任に当る芸術家?である以上、落語は従来のものでも、社会から一歩先んじた所に着目してやれないか標準をもつと高いところに置けないか』と云はれました。が、貴方等はこれを如何考へます?」

一同「否、その注文は間違つている」(と口を揃へて強く云ひ切り)

枝鶴「斯う云へば我々余程時代に遅れてると云はれるか知らんがそら間違つてまんな。時代に遅れていない、私達は喋つても駄目だす阿呆らしい事でお客を引きつけるんですさかいナ」

九里丸「客の興味を起さぬものは駄目です」

枝鶴「つまり実地に在つた事を云ふのが面白いんです」

九里丸「然う、ですから延(ひ)いて過去と現代に題材を採る。将来に斯うした事があるやらうとか、斯う成つてゆくやらうとかのやらうでは到底お客に好評(うけ)ません、実感の伴はないものは更に好評(うけ)ないと云ふ証拠です」

枝鶴「解らんよつて面白うない」

九里丸「これは矢張り我々の同業者で名は云ひませんが、『赤穂義士』をやりましたが、それが振つているので、ある時『赤穂浪士四十七人、怨敵上野の首級を挙げて引き上げたのは高輪の泉岳寺、そこであらぬ雑兵共の手にかゝるよりはと頭を並べて切腹する』と迄はマア兎も角ですが、も一つ『その時の辞世に「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山桜かなとある」』と云つたものです。少し歴史に素養のある人でしたら『阿呆らしい』と解りませうが、中にはそれを聞いて感心する人があるので『ホウ、落語家といふものは何でも知つてるんやナア』なんて、余りの事に此方が冷汗をかきました(一同哄笑)。イやこれは実際あつた事で嘘やないんですが、斯んな人が一人や二人でなく非常(えらい)多いから全く困ります」

小春団治「然うです、先日の九里丸さんのお話のやうに(本紙所載)枝鶴さんの十八番(おはこ)を私に註文しはるのです。つい先日も扇遊さんの十八番の『へちま』(踊り)を演れと云はれて返答に困りましたが‥‥」

九里丸「イヤあら扇遊クンが悪いネ」

枝鶴「さう〳〵、扇遊さんが『これは小春団治のこの十八番だが今夜は私が踊らして貰ふ』と云ふて踊つたんがお客の方はそれを真面目に聞いたんやナ」

小春団治「ヘエ、然うですか。そら何うか知りまへなんだが、あの時は困りました」(と飛んだ所で扇遊君が槍玉に上がる)。(526日)

〇本社主催落語家漫談会(3) 私達を呼ぶ女客 幇間扱ひにされるのが一番癪に障りまんね 

九里丸「近頃の客は私等を幇間扱ひにするやうになつて来ましたが実に残念です」

小春団治「客──、近頃僕等をお招き下さるお客さんの大部分は然うした観念のお方です」

九里丸「しかし私等にも罪はありませう、が向上を向上をと希望している私等を捉へて、何うにでもなる──、早い話が裸体になれと云へば裸体になる、踊れと云へば踊る、泣けと云へば泣くと云つたやうな幇間同様に思つてはるのは、何うしても間違つてる。私の考へでは贔屓と云ふのは、その者に芸術的にも一般的にも大いに向上させてやるやうに後援して呉れるのが真実の贔屓やありますまいか」

記者「それやア勿論然うあるべきが当然ですナ。幇間扱ひにしたり、芸人共を呼んで遣ると云ふやうな観念とか態度とかは、時代的にあひませんナ」

千橘「お詞の通りです。それに近頃は殊に私等を招んで呉れる客に女が多い。それ丈でも如何程私等が幇間的に社会から觀られているか判ります。そやよつてに私としては然ういふ席には招ばれたくありまへん」

一同「そら千橘一人やない、皆が然う思つてる、実際行きたうない」

小春団治「しかし落語家も悪いと思いまんな、そこら一部の連中丈にしても」

九里丸「然う〳〵、私が先程私等も悪いと云ふたのも其処だす。席を休んでまで、──腹痛やとか、風邪引きやとかを口実に、寄席の方を休んでまで客に招ばれて行く、実に嘆はしいことで、私等──と云ふとエライ偉いやうに聞えまんが、──マア我々が一生懸命に芸を向上さすと共に寄席といふものを堕落さゝんやうに努力しているのとは反対に、この一部の連中丈は少(ちょっ)とも然うした考へがない。客に招ばれて御注文通りの珍芸を幾程でも演り、そのお客の感情を害はぬやう懸命になるのが本業のやうに履き違へている。私等は何時もそんな光景を見聞きして憤慨に堪へまへんのです。兎も角客のレベルの下つたといふ事は否めない事実やと思ひます」

枝鶴「然うや、我々社会の或る連中どもゝ悪いには悪い。そやがその我々落語家を育てゝ呉れるお客、贔屓にして呉れる人も、確に頭脳が低級になつてるナ。先日の九里丸クンの話しでは万歳が抬頭した結果や、てな事云うてるが、これはたゞ万歳が悪いのやないと思ふナア」

小円馬「然うです、客のレベルの下つた事を全部万歳に負はさうとするのは無理でせう。つまり時代が悪いのだと思ひます」

記者「大まかなお考へですが然うですネ」(528日)

〇本社主催落語家漫談会(4) 大阪の客東京の客 恰度正反対の好みだ 

千橘「今では出しまへんが、昔は客席へ菓子などを盛つて出したもので、それを別に金を出して喰うて呉れとは云ひまへんのやが、必ず客の方から金を抛り込む。それが二銭のものなら五銭、五銭のものなら七銭か八銭と入れるもんですから、自然こちらの菓子代よりも余計に金が入つていました。が近頃の客なら何うですやろ」

小円馬「然う〳〵、さういふ事をした時代がありましたナ、が東京ぢやア菓子ぢやアなくにぎり寿司でしたヨ。しかし今ぢやア金を入れる所か皿諸共さらへる客があるかも知れませんサ(一同笑ふ)。それにその出し物が寿司と菓子と違ふやうに、東京と大阪とは客の筋がズンと違ひますネエ。これやア震災前の事で今は知りませんが、仮りに落語にした所が落語が長く踊りなんか一つぐらい──それも極く短いものでないと不可ねエて怒ります。それにこの大阪ぢやア全然反対で、踊りを三つ位いも演つて肝腎の落語は短いものでなけりやアお気に召さない。恰度東京の芝居通は自分の好きな出し物、仮りに幸四郎の「勧進帳」ならそれ許(ばか)しを五度も六度も立見で観にゆくのと、大阪ぢやアそれがないといふのと同じですネ、と斯うなるつてエと東京の方が客は本筋ものですネエ」(と高くもない鼻を高くしてお故郷(さと)自慢だ)

枝鶴「それはすき焼といふものが大体大阪で産きたのにこの頃ではレイ〳〵(態と嫌味さうに頭を振り乍ら)と『東京のすき焼』と買いてまんのやよつてナア、矢張り大阪人よか東京のお方の方が賢いらしおまんナア」(と笑へば一同も同感らしい顔で哄笑する)

九里丸「サア、これ迄で大凡(おおよそ)のお客さんの品評は言ひ尽された事と思ひまんが‥‥」

小春団治「イヤもう少(ちょっ)と云はして欲しい、そやないと‥‥」

九里丸「イヤ不可(いか)ん、余り大阪に居ながら大阪のお客さんの悪口を云ふと具合が悪い。可い加減のところで止めとかんとナ(と暗に後日の崇りを言外に含ませて兄分株でコナシをつける。一同腹を抱へて笑ふ。が小春団治君ヤヽコしい不平らしい顔付きで納まる)。で、この次ぎは私の畠で恐縮ですが漫談家といふものとその漫談家の将来といふ事でお話ししやうと思ひまんが‥‥」

一同「ハア〳〵成程、それも可いでせう」(529日)

〇本社主催落語家漫談会(5) 活弁やデモ文士は 大抵漫談家へ落ちつく 此元祖は文都、文三? 

九里丸「斯う云つては失礼かも知れませんが、漫談家といふものゝ前身は大概活動の弁士──所謂活弁でんナ──その活弁か、然うでなければヤヽコシイ文士さん──デモ文士さんです。で前者の活弁さんはどちらかと云へば寿命が短い。中年頃までは相当人気があつても、その後は世間で問題にしなくなる。フアンが無くなる。そこで生きるが為の道を求めて漫談を看板にするやうになる。そして後者のデモ文士さんの方は兎角原稿料が充分に収入(はいら)ない。延(ひ)いて満足な生活が出来ない。何う贔屓眼に考へて見ても前途の光明が希薄(うす)い。そこで漫談家になるといふ筋合で、マアどつちも生活に窮しての商売変更といふ事になりまんナ」

枝鶴「然うや、『落ちゆウく先アきイはア』(と流浪の旅の一節を唄ふ)(一同笑ふ)‥‥の唄やないが、活弁にデモ文士はんなんかの落ちは大概この漫談家やナア。それに近頃は又雨後の筍みたいや」

九里丸「そや、が大体この漫談といふのは大阪で生れたもので、東京で近頃甚(えら)い流行つているらしいが、真実(ほんとう)の漫談やないらしい(と、過般来可成り問題視されるやうになつた東京と大阪の漫談の本家争ひの鉾先を見せる)。月亭文都、大正五年頃に死んだ盲目の三代目文三‥‥」

枝鶴「それに新進の落語や云うて八釜しく云はれてた花丸も然うやナ」

九里丸「然う〳〵、その花丸なんかもそれやが、漫談の元祖、──日本での(と語気を強めて)漫談の元祖といふのは文都と文三のふたりでせう。どちらも大阪生れのチヤキ〳〵です」(と稍々大見得を切つた形ち)

枝鶴「そやが今の連中も最初から漫談をやつたのやないと思ふがナア、初は落語をやりかけてみたものゝそれが何うも生粋の落語家と違うてお客に好評(うけ)ん。面白くお客を引摺つて笑はす丈の腕がない。そこで何時とはなしに訳の判らん漫談と──いふとエライ九里ちやんに悪いが──つまり何やら筋の通らん訳の判らん漫談をやるやうになり、それが先程の笑へば可エといふお客さんに好評(うけ)たもんやさかい、とう〳〵漫談家は俺れ一人(と両手を膝に肩を張り首を左右に振る格好で)とお山の大将に成つてしまひよつたんやデエ」(とゲラ〳〵笑つて一同を盛んに笑ひこけさす)

千橘「成程さうした筋で近頃の漫談家が殖えたといふ訳か。フウム(と感ずつた顔で)そのお影で真実の漫談家までが兎や角と論議されるネナ」

九里丸「然うです! 玉石混交やし」(と両頬に紅潮を呈して憤慨する)

千橘「実際、名を云うて済まんか知らんが、大辻司郎君とか正岡蓉君とかのも漫談とは云へんナア。あら口先ばつかりで面白くシヤベルので、漫談といふものゝ性質とは大分に違ふ」

一同「然う〳〵あら漫談やない」(と無条件で肯定する)。(530日)

〇本社主催落語家漫談会(6) 落語と漫談の境 車掌をカニといひます 文士連のは落漫談語だすネ 

九里丸「つまり先程の大辻さんとか正岡さんとかのマン談は。あれは落語とのアイノコで、ラクマンダンゴ(落漫談語)とでも云ふ団子でせうナ」(と一同を失笑さす)。喰うてうまいやうだが噛みしめてみると不味いもので、余り話の纏まりが付き過ぎてる。その点西村楽天君のが余程漫談に近いと思ひます。それで近頃のやうに盛んに漫談々々と好評(うけ)ているやうですが、マアこの侭の調子で少しも向上もせず、また精進もせんとなりますと、余命の程は余り長からずと思ひます」(と断定する)

小円馬「マア然うでせうナア」

千橘「御存じだらうと思ひますが、あの電車の車掌クンのニツクネームをカニと云ひまんナ。それを『電車の中をウロ〳〵するカニ君』で漫談になつてるので、こゝへ『カニ君とは車掌はんの事で、つまり鋏を持つて横に歩く』と云ひますと落語になつて了ふ」

一同「然う〳〵

記者「成程、其処が落語と漫談との分岐点ですナ」

枝鶴「然うだす、ホンの少しの所で漫談ともなり落語とも成るんだす。しかし其処の分岐点をさう区別する人がお客さんの中には有りまへんナ。プログラムに漫談と書いたアるさかい九里ちやんのは漫談で、落語と書いたアるよつて春団治はんのは落語やナと判るぐらいで、プログラムに何んにも書いてなかつたら何が何や判りまへんのやよつてにナア。頼りないもんだつセ」

小春団治「そう書いてなかつたら判りまへんやろ」(と先頃九里丸君に云はうとして止められたウツ憤を晴らす。こゝもとお客さん顔色なし)

枝鶴「とも角真実の漫談家は九里ちやん一人やと思ひまんナ」

小円馬「全く、九里丸君のが真実の漫談ですヨ」(と九里丸君煽てられて頗る昂然として悦に入る)。ですがそのやゝこしいい漫談家に、向上しろとか精進しろとか云ふのは百日の説法屁一つやろと思ひますナ。『これで俺は立派な漫談家だ』と枝鶴さんやないがお山の大将になつてる連中やよつて、自分の口調が可いもんだと信じている以上それが癖になり、何ぼ八釜しい云はうが到底治りまへんでせう。つまり私等の御苦労さんの癖と同様です」  

枝鶴「さう〳〵、あの御苦労はんナア‥‥(と突飛な声と不気味な笑ひ方で一同を失笑さす)。…イヤ私等が席から席へゆく途中で仲間と逢ふと御苦労はんと云ひまんネ。マアこの言葉が素人はんが『今日は』と云ひはんのと同じで我々仲間の挨拶でんナ、それを我々が何処でゞも──電車の中であらうが招ばれた席上であらうが、便所であらうが、所嫌はず云ひまんのやが、そら云ふてる我々でも可笑いナと思うことがありまつせ」

小円馬「実際、中でもあの電車の中で大きな声を出して『御苦労さん、何処へ』と思わず云つてから『ホイ失敗(しま)つた』と思ふことが何度あるか判りやせんヨ。それやア多くの人に『ハヽン彼奴(あいつ)等シカ(落語家の略)だネッ』てな事を思はせる為に態々教へているやうなものですからネエ、チヨツと厭な気がしますサ」

九里丸「その通り、全く習慣。──と云ふと語弊があるかも知りまへんが、所謂自称漫談家の悪い話し振はチヨッとの事では治らんと思ひまんナ」

記者「さうすると、然ういふ人達には漫談家といふ名称を変へて貰はなければなりませんネ」

一同「マア然うですナ」

枝鶴「さうや‥‥いや御苦労さん」(に一同大笑する)。(531日)


昭和462日 大阪毎日新聞[広告]

4年 008

昭和462 京都日新聞

◇[広告]二日ひる! 正十二時より開会 柳家金語楼の創作落語独演会

演題 貸間、医者、団子兵衛、落語連鎖兵隊 会場 新京極富貴

昭和463日 京城日報

◇[広告] 連日大好評の神田伯山一行 三日、四日の二日間 浪花館にて引越し開演 愈々冴える伯山の舌 後援京城日報社

<編者註>実際は、六日迄興行

昭和469 京都日新聞

◇新京極富貴 当る六月九日(日曜日)正午開演桂三木助独演会開催。補助として笑福亭枝鶴、花月亭久里丸、立花家千橘。

昭和4611日 大阪朝日新聞

[広告]絢爛の名講談 東都講談界の重鎮 大島伯鶴 明十一日より連夜出演 南地・北新地・松島花月

昭和4612日 大阪朝日新聞

[広告]明十日ヨリ十六日迄五日間毎夕六時 伊藤痴遊独演会 会場南地法善寺紅梅亭

昭和4615日 大阪時事新報
笑福亭枝鶴独演会

◇枝鶴独演会 南地花月で 純大阪落語を以て鳴る笑福亭枝鶴は、芸友の花月亭九里丸その他の推薦によつて来る十六日(日曜日)正午から南地花月に於て独演会を開催する。番組は「宿屋敵」「浮世小路」「駱駝」「カフエー情話恋の染色」の四番。尚ほ桂小春団治が特別出演として山村若子氏振付けの「黒髪」を踊り抜くと。

昭和477日 神戸新聞

境濱では餅撒式と打揚煙火 吉例餅撒きは正午から場内で行われ、紅白の小餅数萬個が雨のように撒かれます。打揚げ煙火も同時に間髪なく場の一隅から打揚げられて開場式を華やかに彩り余興場では午後一時から五色橘家橘三郎一行の余興があります。

演物は=御祝儀(橘三)落語手踊(三五郎)萬歳(源若、市子)演綷(すい)(橘三郎)所作事京人形(総出)=外に正午から神戸大蓄商會のレコード演奏會

摩耶納涼場では面白い演 摩耶納涼場ではきょう七日の開場式に昼間は午後一時、夜は午後七時から三人名人會一行の地球斎マンマルをはじめ、喜楽、豊年、かつら、太郎、山海呑龍等をよんで面白い演を余興に見せます、出し物は左の如く八日からは毎晩午後七時から開演致します

曲目=軽口(喜楽、豊年)萬歳(かつら、春江、鈴子)奇術(地球斎マンマル)三人滑稽(豊年、太郎、歌團次)浪花節(山海呑龍)二調<テテコ引抜勢獅子>(圓子、金子、福奴)

<編者註>この催しは七日雨の為、十四日に延期となる。圓子は、二調鼓の三遊亭圓子で、既に吉本を脱退していた。この二年後の昭和6年に亡くなる。橘三郎は橘家橘三郎。昭和35年没(72歳)。橘ノ圓の弟子で前名橘ノ圓光。桂歌團次[]は二代目で前名歌若、五代目吾竹の晩年の弟子。

昭和4714日 神戸新聞

[広告]<山の余興>摩耶山天幕村 三人名人會 女道楽(金子、福奴)奇術(地球斎マンマル)三人滑稽(豊年、歌團次、太郎)二調手踊勢獅子(圓子、金子、福奴)手踊(菊子)浪花節(呑龍) <海の余興>境濱海水浴場 橘家橘三郎一行(五色會) 御祝儀(橘三)落語手踊(三五郎)萬歳(源若、市子)演藝の綷(すい)(橘三郎)所作事京人形(総出)天真流琵琶講談悲曲涙の家(森照玉)

昭和4727日 神戸新聞

◇鏡濱の催し 二十八日昼零時から境濱で澤田プロダクションの澤田義雄一派の模擬撮影剣劇「浪人地獄」が行われて右の外に芦辺會の音曲手踊(蔵造)珍藝(白魚)奇術(王長有)顔藝手踊(米太郎)萬歳(米丸、鳶奴)運動(王長有、小辰馬)軽口(米太郎、米丸)などの催しがある。

<編者註>この米丸は七代目文治の弟子と思われるが、小文治や五代目今輔の米丸とは別人。後萬光と改名したらしい。米太郎は、桂米若門人で、珍芸「百面相」を売り物にしていた。どちらも元大八会出身。


昭和48

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 三木助、文治郎、正光、勝太郎、ざこば、春子、正春、馬笑、助六、直造、三馬、卯之助、三八、源朝。

△新京極笑福亭 改築の為当分休場。

十一日より

△新京極富貴 右之助、枝女太、三八、升三、三馬、重隆、武司、小円馬、扇枝、一光、円枝、紋十郎、五郎、歌江、奴、円馬、大切余興怪談座員総出演。

△新京極笑福亭 十三日初日安来節、万歳。

二十一日より

△新京極富貴 九里丸、枝鶴、染丸、芝鶴・歌蝶、馬生、塩鯛、正光、三八、延雀、十郎・雁玉。大切余興「借家怪談」枝衛門、三馬、三八、塩鯛、芝鶴、歌蝶、枝鶴、染丸。  

△新京極花月 正光、馬生、つばめ・喜楽、助六、峯菊・初菊、九里丸、一声・正武、芝鶴・歌蝶、延雀、三八、うぐひす・チヤツプリン、幸次・安市、季子・一蝶、成三郎。  

△新京極笑福亭 安来節出雲芳子一行、万歳。

昭和484日 神戸新聞

摩耶山納涼場の余興 橘家橘三郎一行の演 文化掛合噺(紫鶴、橘之助)落語手踊(三五郎)奇術(天昇)浪花節(花仙)手踊曲芸(橘三郎)萬歳(源若、市子)

境濱海水浴場の余興 浪花の演 音曲四ツ竹(蔵三)高級萬歳(筆子、松月)珍(■寿)手踊(伊勢の家連)曲芸(丸一)軽口(大判小判)

昭和488 中外日報

○夏の夜を 怪談に集ふ人がない 神秘と悲劇を嫌つて 

 大阪講談界の唯一人旭堂南陵氏とある夜怪談に就て語り合つた。氏が円朝のいろ〳〵の傑作を語る時、如何にもそれが神秘的で、此世以外のある力強い勢力がひし〳〵と我等の周囲を取巻いていて、如何に自分が焦つてもその力には抗することの出来ないやうな一種瞑想的な感じを受けさせられるのである。夏の夜にはこの神秘的な講談がぴつたりと気分に合つていて、それを聴くことは自らなる納涼となるものである。けれど南陵氏はこの怪談の将来に就て悲観していた。それはこの一二年、大阪に於て怪談を聴く人が殆んど無くなつたからである。それまではいづれの寄席でも夏になると怪談をやつていた。そして落語家などが幽霊に扮したりして真暗な舞台に凄い鳴物と共に現はれて一種の連鎖怪談を試みて聴衆に冷汗をかゝしめていたものである。ところがそれが今年パタリと消えて了つた。そして今日では甘い薄つぺらな笑ひが要求されているのである。この現象は重苦しい神秘を民衆が要求しなくなつて、ただ現実的な浅い快味を喜ぶやうになつたためである。一種のアメリカニゼーシヨンであつて、昔のやうに渋味と悲哀とを求めることが無いからである。又南陵氏は云つた、語る方としても話術として凄味を出したり神秘的な気分を漂はしたりすることは出来るけれど、聴手にその要求がないと甚だやり難い。又聴衆の頭が非常に現実的になつていて、超現実的な存在やその力を信用しなくなつて、直ぐに馬鹿にしてかゝる気持が汲み取れる。かうなると話す方の苦労は一通りでない。猫が化けた、殺された女が亡霊となつて祟つた、狸がどうした、といふやうなことを恐さうに聴いていながら心の中で批判している。これは非常に話す方の心苦しいところである。かう云つたやうに皆の頭が科学的になつたことゝ、享楽の方向が喜劇的で悲劇を要求しなくなつたことゝ、この二つのために怪談が廃れてゆくのでないかと思ふ。兎に角夏の夜怪談につどふことは一種の形而上的な気分を人の心の中に植えつけて少なからざる厳粛味を覚えさしていたものであるが、さういふ重さと暗さとが忘れられてゆく事はこれと関係の深い宗教の将来にも何物かの暗示を与へているやうでもある。

昭和4815日 神戸新聞

十六日薮入デーの海と山

境濱海水浴場(昼間)浪花會一行 落語曲書(桂梅團次)軽口(桂遊喬、同遊楽)曲芸(丸一時若)奇術(高田天学)萬歳(松原浪月、同菊子)

摩耶山納涼場(昼間)松旭斎天旭一行 小奇術(松旭斎一旭)萬歳(竹廼家小枡、同正鶴)小唄レヴユー(松旭斎天旭)女道楽(竹廼家小枡、同枡奴、同正雀)大魔術(松旭斎天旭)萬歳(竹廼家枡奴、同喜鶴)

昭和4817日 大阪朝日新聞

◇甲子園 落語の小春団治は野球好で、甲子園の陽に焼けた顔を高座に見せるとまたしても喋り出す「野球見物」。

昭和4825日 神戸新聞

二十五日の海と山 摩耶山納涼場 (昼)浪花會一行 奇術(天学)軽口(矢笑、米太郎)曲芸(丸一)女道楽(金蝶、銀蝶)高級萬歳(若奴、奈良江)

昭和4831日     

<六代目林家正楽死亡>

六代目正楽

●六代目林家正楽 本名織田徳治郎。林家宗太郎(後の五代目林家正三)の弟子。師匠にしたがって藤明派、互楽派、寿々女会、浪花三友派など転々としたあと神戸に落ち付いた。明治四十四年、互楽派に居た頃のある雑誌のアンケートで──生国は山城伏見、本年五十一歳。妻と子が一人ずつ。明治十八年今の林家正三がまだ宗太郎と云ったころに入門し新三と名乗り、東京へ出てしん鏡と改め、幾年ならずして三代目(ママ)を相続して正楽となった。得意の落語は「後家殺し」と「百年目」。好きな食べ物は生卵と葡萄──などと答えている。噺は地味で、一般的な人気はなかったが、なんでも堅実にこなし、玄人筋には歓迎された。また若い噺家の稽古台となった。俳句を好み、温厚で、でしゃばらないタイプであったが、それだけに一門を統率する力に欠け、傍流の二代目林家染丸系統は今も続くが、正統な正三系の林家はこの正楽をもって滅んでしまった。妻は下座三味線の林家てい。娘あさのは五代目笑福亭松鶴の妻で、六代目松鶴の母にあたる。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)/『古今東西落語家事典』(平凡社・平成8年)。


上方落語史料集成 昭和4年(1929)9月~12月

昭和49

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 春団治、勝太郎、扇遊、三木助、クレバ・小扇、文治郎、蝶之助・千代子、ざこば、助六、今男・アチヤコ、三八。大切余興「庚申塚」連中総出演。

△新京極花月 次郎・団之助、しのぶ・捨次、松造、ニチ〳〵・へうたん、扇遊、一春・デバ助、虎春・季子、曲芸=清・小扇、蝶之助・清子、虎勇・勇子、今男・アチヤコ、小円太、助六、三八、文丸・団次、福之助。

△新京極中座 万歳諸芸大会。

新京極笑福亭 安来節、万歳

十一日より

△新京極富貴 直造、円馬、小春団治、蔵之助、デバ助、一春、福団治、正光、助六、三八、小染、卯之助、
 大切茶番「宗旨争ひ」

△千本長久亭 竹馬、助六、小円太、扇遊、文治郎、志乃武・捨次、勝太郎、次郎・団之助、春団治、ざこば、清子・喬之助、ニチ〳〵・へうたん、三木助。

昭和491日 神戸新聞

神戸劇場 萬歳界の日本一砂川捨丸一行で連日大入満員

千代廼座 萬歳人會三周年記念興行三座合同バンカラ日廼出家連一行

西門落語席 落語真打會 花橘、花柳、圓司、小伯山、圓天坊、余興牛若、駒の助、バンカラ日廼出家一座

昭和491日 京城日報

◇[広告]明治町浪花館/當九月一日午後六時より二人會/「新門と小金井」「三十三間堂通天」 伯鶴/「滑稽落語」「人情噺」 遊三

昭和4年9月1日朝鮮

<編者註>伯鶴は、二代目大島伯鶴(本名大島保利)

昭和493日 大阪毎日新聞

◇新涼の寄席は神田伯竜が南地、北新地、松島の同花月に出で、なほ南地花月ではナンセンスコメデー、初年兵時代や八木節伴奏「赤城の捕物」ナンセンスレヴユー「夜店更新曲」を落語家連がやる。

昭和498日 大阪毎日新聞

◇おけさ 「おけさ踊るなら板の間でをどれ」の新潟芸妓十人を大阪によんで吉本興行部が十一日から寄席で踊らせる。

昭和4910日 大阪毎日新聞[広告]

4年 009

昭和4911日 神戸新聞

千代廼座 萬歳、義太夫、女道楽、奇術、滑稽音曲茶番、アイヌ、レヴユウ團、諸国名物舞踏

小野大黒座 秋季特別興行二部興行

西門落語席 人情噺、音曲噺、文人踊、浪花落語、連続講談、萬歳、茶番

昭和4912日 神戸新聞

西門落語席 五郎、ライオン、かもめ、酉三外らの日の出家パンカラ連

昭和4920日 大阪時事新報

<第二回笑福亭枝鶴独演会>

◇枝鶴の独演会 元気回復祝ひで 純大阪落語の一元老として名声ある笑福亭枝鶴は、本年に入つてからといふもの御難続きで、この正月には愛児を、又七月には妻君を、越えて八月には母堂をと相踵いで鬼籍に送り、近来はいつもの磊落さは何処へやら、全く別人のやうに悄気返つている有様に、今度は贔屓連やら友達連中が心配し出し、枝鶴の元気回復の為めにと、以前第一回で異常な好評を博した独演会の第二回公演を催さす事となり、来る二十三日、秋期皇霊祭の当日、正午から南地花月で開催する。それで演じ物に就いても斯ういふ際だといふので、本人の舅に当る林家正楽が十八番とした「鍬潟」「高津富」「小猫」の三つに、師匠の笑福亭松鶴の得意もの「天王寺詣」を演す事に決定。猶ほ応援出演として九里丸は漫談「故正楽師追憶談片」を、ワンダー正光は奇術の色々を上演する。

<花月亭九里丸上海へ>

◇九里丸上海へ 大阪漫談家の随一として自他共にゆるされている花月亭九里丸事渡辺力蔵君は、今回漫談家なるものの使命に関して頗る感ずるところあり、来る十月五日吉本興行部主と共に上海へ出発、二十日間程の予定で大連を経て朝鮮に行き、目下開催中の朝鮮博を一覧して帰阪すると。而してその漫遊談は帰着後直ちに発表して大いに新時代の高座漫談家の熱を上げるといふ。

昭和4920日 大阪時事新報

◇吉本興行部の新しい試み 「雪」「月」「花」でレビユー式に 
 吉本興行部では近来の寄席フアンの傾向に鑑み、今後への新しい試みの第一歩として、来る二十一日か南地の花月で雪、月、花と名付けてレビユー式のものを上演する。つまり雪の「明烏」では勝太郎、円若、福団治の三人が三浦屋の場を、月の「高山彦九郎」では態態市川右太衛門プロから殺陣師を招聘して琵琶入りの大殺陣を三木助、小春団治、千橘、花次などで上演、花の「バレー」ではピアノを伴奏として花月専属の少女連が艶かなダンスを演じる。この外本紙の趣味面に「西遊記」講談を連載して非常な好評を博している旭堂南陵氏が十数年振りで出演して連夜得意の読切りものを講演、更に関西落語界の三巨頭と目される春団治、円馬、三木助を集めて大競演をする由で、何分雪、月、花のレビユーに相当の準備を要する事とて今から大多忙を極め、一方出演者面々非常な意気込みであると。

昭和4921日 大阪毎日新聞[広告]

4年 010

昭和4921日 神戸新聞

西門落語席 花橘、小伯山、圓司、花柳外

昭和492225日 大阪時事新報

○趣味の春団治クン(上) 旅館や料亭さては住宅も これは又おどろいた 

 兎も角も高座へ出たが最後、詰めかけた客が必ず笑ふ。─それも肝腎の落語によつて笑ふなれば知らず、落語のはの字も云はない先き─つまり顔を見た丈で笑ふのである。これは何が可笑しくて笑ふのか、と云へば、客自身も解らなければ笑はれる本人もそれが解せないと云ふ。其本人こそ大阪落語界の元老桂春団治君である。既に─顔を見た丈けでも可笑しい─で連想出来るやうに、頗る春団治君は愉快な男であり、磊落な人物であるが、これを云ひ換へれば所謂方言の我羅々々で、単調な深みのない人物に見えもするし思へもする。だが何うして、各方面総ゆる階級を通じてこの春団治君ほど多芸多能多趣味の人は恐らく指を屈する程尠いであらう。

 「馬鹿か狂人でない以上他人に出来る事なら自分で出来んといふ訳はおまへんのやよつてになア‥‥」

春団治君は何時でもこの言葉を繰り返すさうだ。何でも無いやうに思へ乍ら真似るに難かしいのは実際他人の職業であり、技能であり長所である

 「成せば成り、為さねば成らぬ世の中に、成らぬは人の成さぬなりけり」

この歌は何かの都度よく我々の口の端に上る道歌であるが、我々はその意義が活用された例を余り見受けない。しかも春団治君はこれを唯一のモツトーとして趣味方面の事々に活かして剰すところがないのだから聊か驚かざるを得ないのである。

 「私は兎も角負けん気でなア、何アにあんな事位い、といふのが大概の事は可能といふ。自信をもつて打つかると大丈夫出来まんナ」

と春団治君は意気昂然といふ。しかしこの自慢が単なる自慢に終つていないといふ二三の余技、玄人跣足の二三を紹介しやう。

先ずその第一は建築術であらう‥‥といつたら大抵の人々は遉に落語家だ、キツと三寸の舌で家を建てゝ見せるのやろ、などと考へられるかも知れないが、これは大きな誤りで正真正銘土木の工を起し?て旅館、料亭、紳士の邸宅と既に幾棟も建て上げて在るのだか一寸驚かされる─たとへその家が大きかろうが、小さかろうが─兎に角落語家といふ本職あつての夫れが余技であるのだから。(922

○趣味の春団治クン(下) 何でも御座れ 本職以上 大工さんそこのけ、家まで建てた凄さ 

兎まれこゝに掲出した写真を見て貰ひたい。
 4年追加 002勿論春団治君と並んだ家は模型ではある。だが確かに一軒は旅館であつて、一方が青楼であり、三階建てと二階建て、十数間から二十間の部屋、廊下、欄間、便所、欄干、湯殿、庭から床の間の掛軸、箪笥、机、筆立、硯、生花、額の部屋道具まで全部が立派な家屋である。それに部屋々々の電灯、板塀、忍び返し、電柱まで、又焼き板塀の下に「小便すべからず」の赤い小さな鳥居を打ち付けたなど、確かに傑作である。だが大きく建築術と云つて模型では馬鹿にした奴と思はれるが、しかし実際斯うした模型のみではないのである。その南区高津二番丁の自宅の奥庭に、見るからに小じんまりとした古雅な書院風の離座敷、畳数は三畳に過ぎないが、自身の寝室として自らが大工となり左官となつて建築したもの、しかも解体が何時でも出来るやうに嵌め込みとした精巧さで、それも予め設計図などを引いてしたものと違ふのだから驚く。

曾て前記の模型が某る湯屋の懇請で一箇月程その脱衣場に飾られた時に、それを見た浴客が「春団治の前身は大工だつたに違ひない」と口々に決めて了つたさうだが、実際に大工そこのけの精巧さであり、緻密さである。その模型は来る十二日に三越で開催される「おもちや会」に出陳されるさうだから、それを観た人達も必ず曾ての浴客連のやうな疑惑─前身が大工?─の念に襲はれるに違ひないであらう。

又これも玄人跣足のものに投網─網打がある。太公望の極め込みから漁師の真似に鞍替へしたのが早十四五年も前ださうだが、網捌きの巧妙さなどは時に真物の漁師に舌を捲かせた実例が随分あるさうで、極寒の候に入らぬ限りは、余暇の全部を割き、漁師姿に身を窶して出掛る熱心さである。その上購へば二、三十円から百四五十円の網を、春団治君はこれも亦余暇を割つて熱心に編み上げる。時には大網となれば尠くも半年以上もかゝるといふが、その手製の網を海なり川なりに打ち込んで思うさま魚を獲る気持ちは実に何とも形容し難い愉悦の感境だそうだ。

この外又小鳥?を飼ふ趣味がある。だがそれも普通一般の小鳥趣味と違ひ、殆ど普通家庭に飼はない小鳥?のみを蒐め、木菟、鷹、頬白、深山頬白、あほじ、べにますから、八宮鳥、豆鳥、鵯など所謂珍鳥のみで、そのくせ普通のは居ないかといふと金糸鳥、鴬、雲雀から鶏までも飼うているから面白い。この外左官屋、庭造り、表具屋等春団治君の手によつて真似られない職業なり技術なりが殆ど無いと云つても過言ではないのである。だがたつた一つ「如何に私もこれ丈けは何うしもて出来まへん」と流石の春団治君に諦めさせているものは左官職の中に含まれる壁の上塗りであるといふ。(925

昭和4927日 大阪朝日新聞

◇どこで覚えたか落語の春団治が流行語「いやぢやありませんか」を高座で連発。

〈編者註〉11月月1日付同紙に「春団治は到頭『いやぢやありませんか』をお家芸にしてしまつた」とある。


昭和
410

大阪の寄席案内

一日より

△北新地花月倶楽部 小円馬、福団治、清子・喬之助(清元舞踊)、小春団治、芝鶴・歌蝶(二人滑稽)、枝鶴、三亀松(声色キネマ俳優物真似)、西村楽天(漫談)、正光(最新奇術)、金語楼(落語)、栗島狭衣(大衆物語)、小円馬・千橘・勝太郎・蔵之助その他(レヴユー花月行進曲)

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 柳家金語楼、林家染丸、旭堂南陵、桂春団治、花月亭九里丸、立花家扇遊、大切余興「電報違ひ」。

△新京極笑福亭 安来節と万歳諸芸合同大会。

△新京極花月 万歳競演大会。

△西陣富貴亭 竹内興行部直営で開館。東西万歳名人大会。

十一日より

△新京極富貴 柳亭左楽、露の五郎、桂三木助、笑福亭枝鶴、春風亭小柳三、神田山陽。

△新京極花月 万歳競演大会

△新京極笑福亭 安来節と諸芸大会。

△新京極中座 おなじみの歌劇白鳥座と万歳連。

△新京極勢国館 昼夜二回安来節と万歳。

昭和4101日 大阪毎日新聞[広告]

4年 011

柳家金語楼 洋々として尽きぬユーモア、笑殺せしめねば止まぬナンセンス、共に初秋の劈頭を飾るに足らん。   

西村楽天  大衆作家として又劇壇の第一線に起ち錚々たる氏は、今回創意に成れる印象的話術大衆物を以てステージよりその第一声を皆様に呼びかけんとす。 

栗島狭衣 殊に本公演に於て擬音師数名を利用し、以て全く前人未踏の芸術秘境を開拓せんとす。乞う此画期的芸術の妙域に接せられよ。

〈編者註〉栗山狭衣の大衆物語の演題は五日安政巷談「文吉捕物帳」、六日「鰒を食つた次郎長」、七日怪談「久蔵の首」、八日桜田事件「大老井伊掃部頭」、九日現代奇談「深林の殺人犯」、十日維新壮話」新門辰五郎。

昭和4101日 神戸新聞

西門落語席 圓馬、馬生出演

昭和4106日 大阪毎日新聞

◇金語楼独演会 六日正午より南地花月に開催。演題は太皷腹、口入屋、三人兄妹、宴会ひかに九里丸、小春団治が応援出演。

昭和41011日 神戸新聞

西門落語席 染丸、圓枝、扇枝、蔵の助が出演

昭和41021日 神戸新聞

西門落語席 枝鶴、三木助、小圓馬が出演

昭和41013日 大阪時事新報

○都々逸では名人の域に 絵筆とればこの通り 落語家 三遊亭円若クンの余技  

「落語家と云へば一般には万歳師に髭の生えたやうなものだと思はれてますが大きな間違ひで、それでも確かに立派な芸術家?であると私は信じます」

諸氏は既に周知の筈である独眼竜の落語家──と云ふよりも都々逸の名人と云つた方が早解りであらう──三遊亭円若君は、劈頭から頗る凄じい勢ひである。

 「ですから生意気なやうですが私は、いつも連中(同業の諸君を指す)に苟も芸術家を以て自任している我々として仮りにも無趣味、殺風景な性格では不可ないと云つて、可成りの人数を趣味余技に遊ばせるやうにしました」

と流石に云ふ丈あつて、君の趣味の第一とする都々逸は実に神技の値ひがある。或ひは「都々逸は円若の職業じやないか」と云ひ切つて了ふ人もあるだらう、だが無論職業でもあるが一面に於て立派な趣味である事は否めない。

 (題茸かり)「かさむ落葉を手で掻きわけてニツコリ笑つた茸狩り」

 (題緊縮)「富の喜び嘆きのくらし、もとは一家の台所」

など兎角淫靡なものであると誤解されている都々逸の為めに万丈の気を吐いているが、しかし斯ういふ品は一般寄席なんかでは好評を得ない。同じ緊縮の題の下でも寄席などで物するのは、

 「行こか遊びに帰ろか宅へ、緊縮身の為め国の為め」

 「円若も義眼くらいはせんでもないが、これも緊縮思ふため」

などで、作者自身が趣味としての都々逸とは非常に差違のある事がわかる。

 「この都々逸なども随分色眼鏡で見られているものですが、用いやうによつては非常に精神的の糧となる事があります。今の曽我廼家五郎さんがずつと以前頗る賭博が好きだつたのですが、私の云はゞ恩人で、亡くなられた後藤新平さんの書道の師であつた宮川康行先生(号は野草庵一水)がこれを嘆かれ、遂に「嘘を真に見せるは役者、賭けは嘘でもせぬが可い」の都々逸で意見をされました。が五郎さんも流石名を為す人だけに偉い者で、それからと云ふものピタリと勝負事を止められましたよ。これなどはほんの一例ですが、まだ〳〵斯うした例の話しは随分多いです。私の一庵の号も宮川先生から頂いたものです」

円若君は一眼を真剣に輝かせ乍ら云つた。だが円若の趣味はこれ丈でない。三絃は小唄類を主として早くから弟子を養成しているし、又煎茶もやるし、骨董──と云つたところで高価なものではないが、仏具を主として総ゆる雅趣ある古道具類、それも安価なものに自己の嗜好を見出しているのだから変つている。

 「だと云つて貧乏で買へないからの負け惜しみとは違ひます」

と軽く笑ふ。又彩管にも親しみ、独自の天地を開いている。こゝに掲出した蟹の絵は氏得意のものである。(編者註:絵省略)

昭和41020日 京都日出新聞

◇緊縮、減俸の声は興行界にどう響く 新京極の寄席方面の影響を聞いて見ると、吉本興行部の経営する富貴亭、花月、笑福亭、中座は大体料金の安い関係上大したことはなく、上り高は富貴亭が一番で、入場人員は笑福亭が第一番である。(後略)

昭和41022日 大阪時事新報

◇寄席の季節に入つて続々大家を迎へている花月では二十一日から現代落語界の人気者柳家小三治、名優物真似で売つている春風亭小柳三に講談界の新人神田山陽を加へて春団治、染丸、小春団治、蔵之助他花月幹部連で賑かな出番を組むと。因に小三治、小柳三、山陽は北新地、松島の花月へも出演。

昭和41029日 大阪時事新報

◇神田伯山来る 講談界の大御所神田伯山が十一月一日からの南地北新地両花月に出演する。

昭和41030日 京都日日新聞

◇富貴席 印象的話術、大衆物語を口演して空前の人気を呼んでゐる栗島狭衣が京都第一回公演として十一月一日から出演、漫談家西村楽天も特に応援出場する。


昭和
411

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴席 西村楽天、栗島狭衣 花月幹部総出演

二十一日より

△新京極富貴 蔵之助、歌楽・けいし、枝鶴、千橘、五郎・紋十郎、正光、扇枝、源朝、燕枝、塩鯛、金玉仙、助六、三馬、右之助。

昭和4112日 大阪毎日新聞[広告]

4年 003

昭和4112日 大阪時事新報

◇一日からの花月は既報の神田伯山を迎へて講談落語特選会と小柳三、春団治、円馬、枝鶴、直造、正光、歌江、慶司、小春団治、勝太郎、文次郎、重隆、武司其他で大切余興「電報違ひ」の賑かなところを春団治、染丸、三八、小春団治、蔵の助、塩鯛、福団治、金の助、花次、光鶴等で見せると。

◇神田伯山独演会 久し振りで来阪の伯山は三日(第一日曜)の正午から南地花月で。

昭和4113日 神戸新聞

演藝とキネマ ▲キネマ倶楽部、朝日館、錦座、二葉館、菊水館 映画▲多聞座 田宮貞楽劇▲千代之座 一日から小楽一座が新しく加わった▲西門落語席 小枝鶴、ざこば、千橘、三馬、小圓太、助六▲小野大黒館 諸芸大會 ▲神戸劇場 美人連都踊、中華民国人の曲技等▲湊座 末之助、錦之助一座▲有楽館 映画 ▲兵庫末広座 團十郎劇▲萬國館、三宮クラブ 映画

昭和41110日 大阪毎日新聞

◇寄席も今まで通りではいけないといろ〳〵頭をひねつている模様が見えるが、今度文芸芸者の新橋新分布袋家の花園歌子が南と北の花月で漫談と演舞をやるらしい。婦人雑誌などの寄稿家で漫談もうまいので騒がれた女、一寸売りものになりさうだ。

◇十日正午から南地紅梅亭で神田伯山独演会、長講「荒神山の血煙」。

昭和41110日 大阪時事新報

<四代目桂文三追善興行>

◇四代目文三追善興行 大阪落語界の先輩故四代目文三追善興行を遺弟の扇枝等が主催で十日の正午から南地花月で春団治、三木助、小春団治其他花月連幹部の出演で開くと。

昭和41110日 神戸新聞

[広告]楠公社西門筋落語演芸場/十一日より交代幹部連 桂塩鯛 桂扇枝 三升家紋十郎 露乃五郎 三遊亭圓馬 外十数人出演

昭和41111日より南地花月の出番表

4年 016

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和41117日 大阪毎日新聞

○何が幸になるやら 緊縮内閣が寄席を浮び上らす 安価に笑ひを買ふ人々で落語、万歳が勢づく 

 せち辛い緊縮風が吹き初めてから、その反映として笑ひの要求となり、道頓堀は今までにかつてない喜劇総動員の珍現象を呈し、しかもそのどれもが大入りをかち得ているが、これと共に「わが世界来れり」とばかり寄席の進出が目ざましくなつて来た。緊縮の声と共に今まで閑古鳥がないていた席も笑ひを安価に買はうといふ人達ですつかり息を吹きかへし、廃滅しさうであつた落語や万歳がまた浮かびあがつて来た。そして新世界の芦辺館、千日前の三遊クラブ[三友倶楽部]、南陽館、天満の花月、玉造の三光館などの十銭、二十銭どころがドツと客が殖えた。これを見てとつた興行者側、この機だとあつて落語の間に茶番を入れ、大勢が集つた万歳といつたやうなものやレヴユー団などをはさみ、テンポの早いもの、感銘の早い、鋭いものをとの方針のもとに頭をひねり、その結果さきに西村楽天、栗島狭衣といつた連中を高座に立たせた吉本興行部は今度もまた新橋の文学芸者花園歌子に白羽の矢を立て、本人が寄席ではいやだといふのをわざ〳〵遠出の花をつけてお座敷の延長だと称して引つぱつて来て漫談、漫舞、デカンシヨまで踊らせ、また築地小劇場にいた若草民子にダンスをさせる等、等、等─かうして寄席が緊縮内閣のおかげでボードビル劇場への目標のもとに進み出したのは面白い現象である

昭和41117日 京都日出新聞

○凋落する昔噺の落語家 田村豊洲氏  

新京極の寄席の建物が変つたやうに噺の内容も非常に変つて来た。全部が全部とはいへないが、所謂モダン型の寄席が出来た。恰も活動小屋へはいるやうな気持、まるで風車に乗つているかのやう。そこになると西陣京極の長久亭あたりに行つて落語を聞いていると如何にも噺を聞きに行つたやうな気分がする。近頃の寄席の客には昔の有名な話をしてもわからないと見えて、新派落語といつたやうな高座から無暗に笑ひを要求する。そしてその席を表に出ると安酒をそばやで飲んだやうに頭からきえてしまう。

 しかし、近頃はそうした落語の方が大部分の客に歓迎される模様であるが、古い落語になると時々飛び出す熟語が客には通じないやうだ。それに落語家といふものは色男より却つて醜男の話の方に魅力があり、不思議とうまいと思へる。落語を聞きに行くことは気分の転換にもなり、世態人情を知る上に大に参考になる。昔噺のうまい落語家が次第に凋落して行くことは本統に淋しいことである。

昭和41120日 大阪毎日新聞[広告]

4年 013

昭和41121日より南地花月の出番表

4年 017

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和41121日 京城日報

◇[広告]浪花館/當ル生粋東京落語 橘家勝太郎一行/≪出演連名≫落語(橘家勝次)落語(橘家勝坊)落語音曲(橘家楽天坊)文化萬歳(大蔵菊丸、若葉家歌夫)落語手踊(橘家勝三郎)東京落語及び音曲手踊(橘家勝太郎)

昭和41122日 神戸新聞

[広告]楠公社西門筋落語演芸場/二十一日より交代幹部連 桂三八 金原亭馬子 桂福團治 三遊亭圓若 桂三木助 外十数名出演

昭和41125日 京都日出新聞

◇富貴亭 十二月一日より連夜東京の柳家金語楼が特別出演して得意の「兵隊さん」その他を聞かす筈。

昭和41129日 大阪朝日新聞 

○貧乏を語る③ 桂春団治の想ひ出噺
  殺した羽織が古着屋で首つり 襟裏に染出す麗々しい名前 

4年 001「イヨオー後家殺しツ」扇子片手に舞台に坐つたハ、ル、ダ、ン、ジ、つまり大阪の落語家桂春団治君に対して降るやうな声援なのだ。世間を茶化してかゝつている彼れ、ワイセツな彼れに貧乏の苦悩はどう映るんだか。春団治はかう語る──

今はまアどうやら納つてますが、これでも駆け出しの若い時分には貧乏が辛かつた。けどおもろい話もおますことはおま。

 やう〳〵一人前の落語家になつて席を二つ三つかけ持ちするやうになつた二十七、八の時分、もう二十六、七年も前になりますな、月給七十五円のくせにナンと自用車の車夫をはじめて抱へたんだす。家は借家で、はいつたところが三畳、奥が三畳、合せて六畳へ妻子三人でいる。そこへ車夫を雇つたんだすよつてたまりまへん。ところへ東京の左楽はんの世話で弟子が一人出来て、親子三人は奥の三畳、車夫と弟子が入口の三畳に寝たわけだすが、窮屈なこと窮屈なこと。そのうちに一寸借銭が出来たんで押入の戸まで差押へてもつてゆかれてしまひました。

或る日のこと、女房が京の親類へ行つた留守に誰も飯をたくことがでけまへん。仕様ことなしに他所へ食べに出ねばならん。というて近所の飯屋では恥かしい。五丁目の飯屋まで車に乗つて、わたしと車夫が昼めしを食べに出かけたんだす。貧乏の贅沢といふわけだんな。

 それからこれも三十歳前後のこと、酒をやりすぎて二進も三進も動けぬ火の車、ヤケクソで鶉縮緬の対の羽織と着物を質屋へもつていつた。それが型通り流れてしまふたのはよいとして、ほどなく日本橋一丁目の古着屋「まからんや」の店先にその羽織がブラさがつてるやおまへんか。しかも襟裏には「桂春団治」と大きく名前が染めこんであつたのです。たまりまへんな、これが古着屋の表でわたしの恥をされしてます。御贔屓がそれをみつけてきて「春団治、お前あ、看板を二つ出してるな、紅梅亭と日本橋の古着屋と」ちうて冷かさはつた。「えゝツ」てなことでその年の暮になつてもそれを買戻す金の工面がつきまへなんだ。さて元日の朝だす、弟子の一人が年始の挨拶にやつてきた。みればその羽織をきてますがな。「返してんか」といふんでやう〳〵十円やつてわたしの手にもどつた。情ないことだした。

 日本橋四丁目、五丁目、それからもつと南といへば今でも名残りはありますが、一昔前は貧乏人の巣みたいなところ。いまの松坂屋のところなども、もとは名代の百軒長屋といつて、落語の方でもお馴染の「貧乏長屋」を始めいろ〳〵滑稽なのがドツサリありますが、わたしは主義として貧乏の落語は高座では遠慮してやらないことにしています。といふのは、失礼ながら寄席へおいでのお客さんにも貧乏をお気になさる方もあらうと存じましてな。まアわたしの貧乏物語もこのくらいで失礼さして頂きますヘイ。(写真は家庭における春団治)


昭和
412

 京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 金語楼、円若、小円馬、福団治、染丸、呉成錬、小春団治、円馬。【広告参照】

十一日より

△新京極富貴 正光、春団治、九里丸、文治郎、馬生、扇遊、ざこば、助六、塩鯛、三馬。

十五日、花月亭久里丸支那漫遊記念独演会。枝鶴、小春団治補助出演。

昭和4121日 大阪毎日新聞

◇司郎、九里丸、金語楼 南、北新地花月に出演 今春漫談の材料仕入れに渡米し今回帰朝した大辻司郎と吉本興行部から支那に特派された花月亭九里丸、それに柳家金語楼を加へて、この三人は一日から南地、北新地の両花月亭に出演することになつた。

昭和4121日 大阪毎日新聞[広告]

4年 012

昭和4121日より南地花月、花月倶楽部のポスター

4年 018

〈編者註〉『藝能懇話』十八号(平成19年)より転載。

昭和4127日 大阪時事新報

◇九里丸個人会 八日正午より南地花月亭で花月亭九里丸独演会を開く。出し物は「南京事件の真相」「支那モボの訪日印象」「ムチヤクチヤ南京市長」「上海検番と六三の小鈴問題」其他で、金語楼、小春団治、笑鶴、大辻司郎等も応援出演をなす由。

昭和41211 京都毎日新聞

新京極富貴亭 十一日から正光、春団治、九里丸、文治郎、馬生、扇遊、ざこば、助六、塩鯛、三馬などで開演

昭和41212日 大阪時事新報

◇忘年バラエテイー 南地花月では吉例の忘年演芸会を十一日から開演、連日大車輪の稽古を続けて居るが、就中封切演芸で期待されているは「世相レビユウ」数景で、枝鶴、蔵之助、福団治、円枝、三八、千橘、小春団治、染丸等の熱演と三曲伴奏「義民宗吾」で円馬、千橘、五郎、小春団治、花次、歌江、慶司、次郎、志乃武、金之助等共演。尚北新地花月倶楽部は忘年幹部競演大会を開く。

昭和41212日 京城日報

◇[広告]浪花館/初日當ル十二日より忘年特別大興行/≪演芸種目≫蔭芝居、宝入船、創作萬歳、落語連、立噺(オールスター)、軽業、関の五本松、浪花節、落語舞踊、高級萬歳、立噺(座員総出)/演芸毎夜取替致します。橘家勝太郎一行

昭和41214 京都毎日新聞

新京極富貴亭 十五日(1日だけ)正午から支那漫遊帰朝花月亭九里丸の独演会を開催

昭和41227日 大阪時事新報

○落語界ゴシツプ 馬と鹿とはシンルイ筋 九里丸のフントウにおかつぱ司郎クン 

 とう〳〵十一月中一杯かゝつてほんとうに支那漫遊をとげて帰つた花月亭九里丸クン、本職の漫談のネタをふんだんに仕込んで来たのは勿論だが、各方面の贔屓連から貰つたのを始め随分と土産品をぶら下げて帰つて来た。(後略)

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歳の瀬も押し迫ると誰れでもが口癖のやうに云ふのは新年の当り十二支だが、──さて去る十二月の中旬、所は法善寺の花月で、例のシカ諸クンが集つて相変らず楽屋でワアー〳〵やつていたその中に、誰れが云ひ出したともなく昭和五年度の午──馬─―が話題に上つた。がそれは可いとして、今度は仲間中で誰れの顔が一番その馬によく似ているか?といふ、甚だ似てるメン〳〵には失敬さうな談議を始めたものだ。で押しも押されもせぬのでは東京の文治クン、大阪では円枝クンと先ず槍先きに上るのは当然だが、さてそれからが──春団治クンは「どや?」「イヤ似てることは似てるが、あれやつたらエライヤヽコシイ馬やデ」──「ほんなら枝鶴クンは?」「あれやつたら四角い馬面や──」てな事をコウカク泡を飛ばし乍らやつていたが、終ひに誰れやら「イヤ我々は誰れでも馬面に似てるに違ひない」と異論を吐いたものだから、皆ビックリで顔を撫でゝ「そんな阿呆らしい‥‥」「イヤそやないか、馬とシカとはシンルイ筋や‥‥」に流石の面々巧くひつかゝり「ウワーウマイ事やりよつた!」

                                 

一方変つてこれはオウベイ漫遊とシヤレこみ、まさか藤田嗣治画伯を真似た訳でもあるまいだらう──のお河童の頭にして帰朝した大辻司郎クン。聊か得々として支那漫談の九里丸クンと競演の形ちで高座で大熱弁を振つたのは先程御承知の通りだが、しかし時局頗るコントンたる支那とは事違ひ、閑人共のバツコチヨウリヨウするオウベイの状況漫談ではも一つお目新しさが乏しい──し、その上──お聴きだつたらう通り──彼司郎クンはオウベイの各都会などをすこぶるユートピア化して紹介したものだから益々味が下落したものらしい。──でつく〴〵と頭をヒネッタ司郎クン。打ち揚げる十一日の二三日前になつてから競演者の九里丸クンに向つて「何うも今度の漫遊談はお手近の支那の君の方が好評らしいです。‥‥」とつぶやいた。が、更に「何うも妙ですネ‥‥」と付け加へたので、九里丸クン返事に困つていると、一座の金語楼クンがひよいと顔を出して「そりや君大辻クン、君のまへのクセが出たんだヨ」「ヘエー何故?」と云へば「弁士──ぢやアネエ、説明者は何うしても話をビに入りサイにわたつてやるぢやアないか‥‥。」


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丸屋竹山人

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