昭和5年

上方落語史料集成 昭和5年(1930)1月~4月

昭和51

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 鶴二、小雀、文治郎、小扇・清・栄治、紋十郎・五郎、直造、円馬、呉成錬、枝鶴、歌江・慶司、団司・小住、九里丸、伯龍、小春団治、小柳三、春団治、正秀・正光。【出番順参照】

△北新地花月倶楽部 福団治、正光、染丸、五郎、小扇・クレバ、小春団治、円馬、小柳三、春団治、慶司・歌江、団司・小住、九里丸、伯龍、熱田獅子新丸一座。  

△松島花月 枝鶴、九里丸、光鶴、三木助、扇遊、伯龍、直造、染丸、ハレー、小春団治、小柳三、春団治、日左丸・ラツパ、福団治、文治郎、源朝。  

△南地紅梅亭 塩鯛、重隆・武司、ざこば、千橘、九里丸、福団治、三木助、小歌、文治郎、染丸、今男・アチヤコ、紋十郎・五郎、扇遊、蔵の助、寿獅子、中村一丸一座。

△天満花月・新町瓢亭・松屋町松竹座 万歳諸芸競演会。

十一日より

△南地花月 正光、五郎、清子・喬之助、蔵之助、歌蝶・芝鶴、小春団治、重隆・武司、枝鶴、直造、千橘、九里丸、伯龍、小柳三、円馬、扇遊、春団治。  

△北新町花月倶楽部 九里丸、五郎、円枝、小柳三、三木助、扇遊、蔵の助、直造、千橘、春団治、芝鶴・
 歌蝶、伯龍、升三。  

△紅梅亭 高級諸芸競演会  

△松島花月 円枝、升三、春団治、喬之助・清子、伯竜、熱田獅子、今村新丸社中、五郎、染丸、十郎・雁
 玉、蔵の助、こたつ・夢丸、千橘、九里丸、円馬。

京都の寄席案内

一日より

△富貴 右之助、米三楼、三馬、蔵之助、三八、升三、円枝、一光、助六、(可蝶、芝楽)千橘、呉成錬、
  枝鶴、円馬。

△花月 万歳大会  

△笑福亭 地方民謡、万歳、諸芸競演大会

十一日より

△富貴 右の助、塩鯛、源朝、小円馬、円若、春子・正春、扇枝、ハレー、馬生、小扇・クレバ、文治郎、小春団治、歌江・慶司、紋十郎・三木助、おもちや。

△花月 万歳諸芸大会

△笑福亭 諸国民謡大会

△京極勢国館 五色会一行万歳諸芸大会

二十一日より

△富貴 右の助、三馬、三八、ざこば、正光、染丸、千橘、ラツパ・日左丸、重隆・武司、福団治、五郎、清子・喬之助、春団治、伯竜、熱田獅子(今村新丸社中)

昭和511日より南地花月出番順

5年 007

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。
昭和511日 大阪時事新報

〇干支に因む さてもお芽出度い哉 馬面錚々の人々東西芸界に覇をなす長い顔 今年の幸福を祈る 

…落語では東京の桂文治、色が黒く歯の白く光つた処、さながら黒馬である。味のある話つぷりで、今の人が余り耳にせぬ珍しい話を聞かせてくれるので一部では非常に喜ばれている。大体から云へば落語家には珍面が多いので、大部分は丸顔、或は真四角な顔、へちやげた顔が勢力を占めているが、この文治、大阪の円枝、円子などは馬面形の珍顔に入るものである。

円枝も近頃非常に肥満して真打らしいヒレが出来て来たが、その文福と称していた十五年程前には骨張つた長い顔は、大きなギヨロギヨロした眼玉を光らせて駄馬の風貌を備へていた。

円子はどうしたものか近来余り寄席に出なくなつたが、時折ラヂオで放送しているから、恐らく健在なのであらう。死んだ曽我の家十郎などと同じく糸瓜を見ているやうな気のする顔だが、額が深く禿上つていて、頬がひどくそげ、頬骨が飛出ている処、馬にすればさしづめ農家に飼はれて年古りた老馬の面影である。円子は話は拙かつたが器用な人で二調から笛まで一人でやつてのけ、素囃子を得意としていた。舞台に出ることが好きなので旅などでは一つの席で二度も三度も色々なもので飛出して、よく僅かな一座で地方人を満足させていた。桂、三友の二派が対立の時代に三友派で相当羽振りを利かせた人だが、今では人々から忘れられている。

既に大分前に引退したが、大阪落語界の古老桂枝雀なども馬面の方である。

昭和511日 神戸又新日報

◇[広告]新顔をドツサリ網羅せる 砂川捨丸一座開演/改造の新開地神戸劇場昭和5年1月神戸劇場

昭和511日 都新聞

◇[正月広告]

◎東京落語協會 三升家小勝 桂文治 柳家小さん 三遊亭金馬 桂小南 立川談志 春風亭柳朝 三笑亭可楽 蝶花楼馬楽 柳家小せん 三遊亭小圓朝 三遊亭圓右 五明楼玉輔 三遊亭圓橘 三升勝團治 柳家さん輔 鈴々舎馬風 蝶花楼馬の助 柳家小三治 桂文都 橘家圓晃 立川ぜん馬 桂紅雀 柳家三福 柳家小半治 掛合噺狸家連…太神楽鏡華 三升家勝治郎 春風胡蝶斎 三升家勝奴…

◎落語協會 柳家三語楼 三遊亭圓生 柳家金語楼 柳家小三治 柳亭市馬 橘家圓蔵 柳家菊語楼 柳家語楼 柳家權太郎 三升紋弥 源一馬…

◎落語睦會 柳亭左楽 春風亭柳枝 古今亭今輔 春風亭柳橋 桂文楽 桂小文治 春風亭柳好 柳亭芝楽 柳家枝太郎 三遊亭歌奴 柳亭春楽 文の家かしく 春風亭柳條 桃月亭雛太郎 土橋亭りう馬 春風亭柏枝 春風亭柳昇 柳亭鯉昇 柳家小山三 睦の三郎 春風亭柳語楼 松の家喜久輔 中華人林金花 林家正楽 丸一小鐡 中華人李彩 春本助治郎…

◎柳三遊研成社 談洲楼燕枝 金原亭馬生 桃川若生 入船亭扇橋 柳亭小燕枝 柳家つばめ 春風亭柳桜 柳亭魚楽 古今亭雷門 寿々斎桃葉

◎吉本興行部 浅草遊楽館 新築落成浅草萬盛館 東家楽燕一行出演浅草東京館 外国映画封切場神田花月 横浜花月 マキノと共同経営新宿劇場/林正之助 林勝

昭和514日 大阪時事新報

5年 001〇笑ひを語る【その三】 笹部新太郎

…大阪言葉を最も巧みに使ひこなせる人は私の知つている範囲では落語家の春団治クン一人である。文字で書けないところの大阪言葉のうま味をこの人のみが独専しているやうだ…。

昭和5122日 大阪時事新報

◇小泉嘉輔、花月へ出演。

〈編者註〉日活の俳優。二十一日からヒット作「乃木将軍と熊さん」の劇化で芦辺劇場等に出る。南北両花月には漫談で出演。広告は121日付「大阪朝日新聞」に掲載されたもの。

昭和5123日 大阪毎日新聞

◇解散議会を目ざしてユーモアを探求しに十九日上京した花月亭九里丸は清瀬一郎、桝谷寅吉前代議士の紹介で議会見学、二十二日帰阪したが、即夜から南地、北新地花月クラブ、松島花月で議会漫談の封切を始めた。

昭和5128日 大阪時事新報

◇三木助独演会 去る二十六日(日曜)正午から南地花月に桂三木助独演会が催された。演題は「宿屋仇討」「義士の薪割」「立切れ」「紙くづや」の長講四席に余興の舞踊常磐津「松島」地唄「八島」歌沢「淀」小唄「いはろ」。


昭和
52

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 福団治、清子、喬之助、蔵の助、正光、小春団治、染丸、重隆、武司、ざこば、枝鶴、春本助次郎、山陽、九里丸、千橘、春団治、おもちや。  

△北新地花月倶楽部 塩鯛、扇枝、染丸、金之助、花次、福団治、円馬、日左丸、ラツパ、五郎、九里丸、千橘、春団治、正光、枝鶴、助次郎、山陽。  

△松島花月 九里丸、枝鶴、千橘、五郎、助次郎、山陽、春団治、今男・アチヤコ、馬生、金之助、花次、扇枝、清子、喬之助、蔵の助、ウグイス・チヤプリン。

京都の寄席案内

一日より

△富貴 花月亭九里丸、大辻司郎、柳家金語楼が出演。外に桂三八、金原亭馬生、桂家小歌、桂円枝、橘家蔵之助、笑福亭枝鶴。

△中座 スズラン座歌劇ならびに柳家金語楼自作兵隊の実演その他。

十一日より

△富貴 右之助、三馬、三八、百合子、円若、光鶴、呉成錬、文治郎、小扇・クレバ、三木助・紋十郎、歌江・慶司、小春団治、扇遊、円馬、源朝。

二十一日より

△富貴 小染、三馬、おもちや、三八、升三、小円馬、ハレー、染丸、今男・アチヤコ、五郎、正光、扇枝、清子・喬之助、千橘、春団治、安一・幸治。

昭和521日 神戸又新日報

◇新開地千代之座 萬歳色物レヴュ舞踊

◇小野大黒館 萬歳色物大会

◇楠公西門落語席 萬歳落語大会

◇新開地神戸劇場 演芸の百貨店、一日より芸人交替。椅子席金十銭。

昭和522 京都日日新聞

◇一日から新京極富貴の特別興行。漫談の大家大辻司郎の米国順遊中の失敗漫談、花月亭久里丸の漫談化したる議会解散前後の事情と創作落語家東京柳家金語楼等が出演すると。

昭和5218日 京城日報

◇[広告]浪花館/柳亭燕路独演会 京城番傘 川柳会 後援/お噺と余興(十八日)■二 紺屋高尾(俳優声色) 三人滑稽 やかん盗人(三味線曲弾) 歌舞伎萬歳 (十九日)寿限無 松曳(俳優声色) 三人滑稽 七段目(三味線曲弾) 歌舞伎萬歳

昭和5228日 大阪毎日新聞

○誉れの傷病者 約千人を招待 全市及び宝塚の興行界を大毎化 陸軍記念日と本社催し

今年はあたかも日露戦役二十五周年に当るので、陸海軍関係をはじめ全国各方面で三月十日の陸軍記念日を中心に盛大な記念事業を催さうと計画中だが、本社ではこの際日露戦役に参加し、悲壮にも傷病兵となつた人々に対し、その勲功を讃へると同時にその功績に酬いたいとの主旨から松竹土地建物興業をはじめ、阪急宝塚新温泉、吉本興行部、松竹キネマ、日活、帝キネ等と交渉の結果、松竹系統の道頓堀中、浪花、角、松竹、弁天、朝日の六座および楽天地、阪急宝塚少女歌劇、同国民座、吉本興行部経営の南地、北新地花月、新世界芦辺劇場、日活特約の千日前常盤座、同直営の本町クラブ、帝キネ直営の千日前芦辺劇場等合せて十五の劇場、映画館が一斉に本社校閲、日露戦役二十五周年記念劇もしくは映画を上演上映し、至るところ大毎の社旗翻へり、大阪三月の興行界は全部大毎化されてしまふ。(中略)なほ本社校閲日露戦役記念興行各座の出しものおよび期間は左の通りである。(編者註:松竹、宝塚、日活、帝キネ省略)

吉本興行部=南地、北両花月柳家金語楼の「兵隊」△新世界芦辺劇場、実演落語家の「兵隊」を金語楼主演、花月連助演(以上三月一日から三十一日まで)。なほ三月十日には南地花月で日露戦役記念マチネーを催し円馬、三木助、枝鶴、円枝、三八、九里丸など当時出征した落語家の回顧漫談、落語、大切は茶番「戦塵」。

〈編者註〉32日付「大阪毎日新聞」に「南地、北両花月では金語楼得意の「兵隊」で笑わせ、新世界芦辺劇場では「兵隊」の実演で、主演の金語楼はじめ助演の花月連が扮装して出ることが珍らしくお客大喜びである」とある。

昭和5228日 大阪毎日新聞

◇吉本興行部の記念興行として南と北の花月で三月一日から十日間、本居長世氏が愛嬢みどり、貴美子、若葉を伴つて初めて公衆出演する外、昇之助、新六、伯山、大辻司郎、金語楼、奈良丸の特別興行。

〈編者註〉本居長世は童謡作曲家。「七つの子」「青い眼の人形」「赤い靴」「汽車ぽっぽ」(作詞も)など多数。芸術の大衆化を名目に、令嬢を伴って来阪、吉本興行部の寄席(花月)へ出演したが、現実との乖離と後援者等から大反対を受けるなど沈鬱な公演となったようだ。34日付「大阪朝日新聞」参照。


昭和
53

大阪の寄席案内

二十一日より

△南地花月 小円馬、正光、円枝、重隆・武司、福団治、扇遊、文治郎、歌江・慶司、春団治、千橘、李彩、小春団治、円馬、九里丸、枝鶴、三木助、紋十郎。中切は杵屋連出語りで小春団治の都おどり、大切は蔵の助、小春団治、福団治、九里丸、慶司、花次、歌江、鶴二で「よう云はんワ」と題する場面を演ずる。  

△北新地花月倶楽部 ざこば、升三、千橘、杵屋連、円枝、三木助、紋十郎、九里丸、春団治、枝鶴、李彩、
 蔵の助、文治郎、扇遊、円馬。△松島花月・天満花月・新町瓢亭 落語、万歳、諸芸競演会。

京都の寄席案内

一日より

△富貴 三馬、小染、三八、馬生、小歌、ざこば、小奴・天英、蔵之助、重隆・武司、福団治、円馬、三亀
 松、大辻司郎、扇枝、三木助。

△花月 万歳ニコ〳〵大競演会。

△笑福亭 諸国民謡万歳大会。

昭和531日 大阪朝日新聞[広告]吉本興行部弥生の壮挙

5年 002

〈編者註〉記念興行五日の演題=「漫談」大辻司郎、「始末の極意」五郎、「御所桜三段目」昇之助・薪六、「生さぬ仲」文治郎、「清水次郎長」伯山、「貸間」金語楼、「開城前の大石」奈良丸、「昨日の夜中」「蚤」「新兵さんの駆足」「汽車ポツポ」「村の英雄」本居長世、貴美子、若葉嬢独唱、「仔猫」同二重唱、「山かつぎ」「神楽」新舞踊。記念興行六日演題=「花捻ぢ」扇枝、「漫談」大辻司郎、「三勝半七酒屋の段」昇之助・薪六、「電話の散財」染丸、「素人芝居」金語楼、「清水次郎長」伯山、「加藤誠忠録」奈良丸、「今年九つ」「昨夜の夜中」「新兵さんのかけ足」「村の英雄」「蛋」「汽車ポツポ」本居長世、若葉、貴美子嬢独唱、「子猫」同二重唱、「山かつぎ」「神楽」新舞踊。

昭和531日より南地花月 第六回記念興行

5年 005

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。
昭和534日 大阪朝日新聞

○大阪の寄席へ出演して本居氏悔の涙を流す 
 門下、後援者から忠告や絶縁状 芸術的良心に苛まれて

 童謡舞踊の作曲家として、また名門の出として知られている本居長世氏が、その令嬢みどり、貴美子、若葉の三人を率いて、この一日から大阪の寄席南地花月、北新地花月倶楽部に大辻司郎、吉田奈良丸、神田伯山、柳家金語楼らと出演しているが、端なくもこの寄席出演が氏をめぐる門下生、後援者からの間に問題となり、東京の如月会を始め大阪、岡山その他各地の後援者らから手きびしい忠告やら絶縁状やらとなつて本居氏を苦境に陥らしめ、氏自身もまた余りに予想を裏切つた出演者なので、芸術的良心とその環境に攻めさいなまれて、血を吐くやうな思ひで毎日終演の日を待ちわびている──といふ。「芸術の大衆化」といへばいへる美名の下に行はれた純正芸術の寄席興行に醸された涙ぐましい話がある。
『いやだ〳〵』と令嬢達も歎く 毎日呪ひながら出演 長田兄弟の斡旋で承諾した

 5年 004最初吉本興行部では寄席の行きづまりから純芸術を取入れることを計画し、芸術協会の小柳多以知氏を介して本居氏に交渉した。しかしなかなか承諾しなかつたが、遂に興行部の顧問長田幹彦、長田秀雄氏らを動かし、遂に承諾させた。そして本居氏は去月二十二日久邇宮邸で御前演奏を行ひ、その生々しい感激にふるへる身を大阪へ運んだが、まづ最初氏をおそふた不安は、前夜から大阪駅で氏の来阪を待ちかまへていた岡山と神戸の後援者だつた。『寄席へ出演するとは余りにひどい。何とか思ひ止まつてくれ』といふ手きびしい反対の声だつた。次には仲介者を通じて聞いていた出演のステーヂと実際との余りにひどい違ひやうであつた。そこで氏はまづ出演を拒絶したが、すでに宣伝をしてしまつた吉本の立場や周囲の事情から眼をつぶつて初日に出演し、それですぐ引上げるつもりが、思ふやうに行かず、毎日『けふは帰してくれ、あす限りでやめさせてくれ』と交渉をつゞけながら碌に食事も摂らず、宿から一歩も出ず、わびしい心持ちを抱いて出演時間の迫る夜の来るのを悪魔のやうに呪ひながら、放たれて帰京する時を待つている。一方馴れぬ寄席の舞台で踊つたり唄つたりする令嬢達も『いやだ〳〵』の百万遍もくり返しながら、重い心で衣服を着替へたり、白粉を塗つたりしているが、その姿はいつそう本居氏を苦しめている。

私は買ひ被つた 見物の揶揄にも悲観 悲憤の本居氏は語る

 本居氏は悲憤の涙を流しながら語る。

 『私が寄席に出演したのは世間で想像しているやうに経済上の問題からでは全くなく、たゞ友人である長田氏の懇請と芸術の大衆化といふことを考へたのと、もう一つは話に聞いた吉本興行部の出演場所がもつと良いところだと思つて、全く買ひかぶつていたせいです。来て見ると聞いた話とは全くちがつた世界なので、初日前に帰らうと思つたのですが、私も男として一旦約束した以上、たとへ一日でも出てからと思つて出演しましたが、見物から受ける揶揄的な言葉や態度を見聞するにつけ、娘達に対し親として何といひ訳をしていゝやら──また私の芸術に同情してくれている人達に対し何と申訳していゝやら、全く今度の行動は私の事業を根本から破壊した結果になりました。誰を恨むといふことはありませんが、ただ私の軽挙を後悔するばかりで、一日も早く東京へ帰りたい気持ちで一ぱいです』

 と悲観のドン底に陥つている。

寄席向上の為に賛成した 長田幹彦氏談

 長田幹彦氏は語る。

 『私は直接斡旋した訳ではなく、吉本興行部の小柳多以知君が仲介したのですが、吉本興行部の林君の話を聞くと、契約書にははじめから南地寄席花月、北新地花月と明記してあり、本居氏もこれを万々承知の上承諾されたもので、決して吉本氏が氏をペテンにかけたのではないさうです。また氏の注文通り前宣伝もやめ、往復旅費も出し、契約金も非常に高く、吉本の林君が手金を持参したといふことです。私は本居氏は余り知らないが、本居氏の令嬢が寄席に出演することは寄席を向上させるためにもよいと思つたから賛成したのです。氏の門下生や後援者の人々は何といつているか知らないが、本居氏は何もかも承知の上下阪したもので、大衆芸術に新らしい進路を見出すためか、或ひは相当高い契約金だから承諾されたものだらうと思ふ』

芸術の水平運動が必要  吉本興行部の小柳氏は語る

 吉本興業部に依嘱され、長田幹彦氏などを介して本居氏を拉して来た当の小柳氏は語る。

 『私は吉本興行部の芸術の民衆化といふ企てに共鳴し、その依頼を受けて本居氏を説伏したのです。吉本の方の考へでは、この度本居氏が今度と同じやうなプログラムで東京の飛行館に出演されたのを見て思ひついたのだらうと思ひます。かう問題が大きくなつて来れば、まづ芸術の水平運動からやつて行かねばならぬやうな始末ですが、本居氏の心事も御尤もだと思ひますので、吉本の方へ早く切上げるやうな交渉もし、また本居氏の御希望があれば声明書も出し、後援者や門下生の方へも私からよく諒解の行くやうお話をすると申出ている次第です』

 右の飛行館の出演については本居氏はこれも最初は断つたが、館長の長岡外史将軍の懇請もあり、かたがた飛行館の基金募集といふやうな性質から出演したもので、勿論聴衆も違つているし、今度の寄席などゝは全く別問題だと語つている。

『至極ご元気』 吉本の支配人談

 吉本興行部の瀧野支配人は語る。

 『本居さんが強ひて帰るといはれたら留めるわけに行きますまい。姉さんのみどりさんは三日夜十時四十分発の急行で帰京されましたが、これは始めからの約束で、学校の試験のためだといふことです。何分四人とも今までに大衆と膝を交へて演奏するやうな席には余り出ていられないので、初日にはピッタリと参りませんでしたが、二日目からはアンコールもでるといふ素晴らしさで、妹さん方は至極元気です。淋しく思はれたのも初日だけではないでせうか』

〈編者註〉318日付「大阪朝日新聞」に北浜ホテル宿泊中の作家加藤武雄が「本居氏と大阪 芸術大衆化の本場」というタイトルでコメントを載せている。

昭和5320日 大阪朝日新聞

○幕の内外

5年 003◇中堅の枝鶴などはかういふ。「私は古来の落語を近ごろの若いお方にも面白がつて頂くやうに現代式にくだいて喋べることをいつも心掛けているんです。ぼち〳〵モガ、モボといつた方々にも古い落語の味をわかつていただくやうに押進めてゆきたいといふわけでね」(写真は枝鶴)
◇大阪の寄席も大衆的になつてきた。通の客や真打連からはまだ
〳〵未熟で辛抱できないのかも知れぬが、九里丸のニュース漫談などが喝采を博し、小春団治の「失業者」「愛して頂戴ね」等々の新作落語がもてるといふ時勢になつている。

◇九里丸なんかはその日の夕刊の事件をすぐさま晩の漫談につかふスピードぶり。「来月の議会開院式には私と小春団治が東京にゆき新代議士の登院ぶりをみてその漫談を大阪へ持帰るつもりで」と得意である。

昭和5311日 大阪毎日新聞

◇千日前法善寺の紅梅亭は久しく休演中であつたが、十一日午後五時から女義太夫の定席として蓋を開ける。

昭和5321日 大阪毎日新聞

○大阪落語 渡辺均 

 私には、一人の人が、なが〳〵と、それからあゝしてかうしてどうなつてといふやうな話の筋を説明しているのを、ぢつと聞いていることは、とても退屈で、辛抱が出来ない。

辛抱が出来ないといふよりも、その気がないものだから、聞いていながら、テンで、その筋さへ頭に入らない。短い言葉で、お互にやり取りをする会話でない限りは、長い筋の話なんか、聞いていることも嫌ひだし、従つて、自分もそんな長い話を決してしない。

そこで落語の話だが、落語は描写で、講談は説明だ。(といつたら、講談側から叱られるだらうか。)

私は、落語は大好きだが、講談は、あんまり好きでない。落語は、人間の性格乃至生活の描写が中心を形成するが、講談は、主として筋の説明にあると思ふのである。

落語を二大別して、滑稽咄と人情噺とに別けることが出来ると私は思ふ。そして、前者は、大阪落語がこれを代表し、後者は東京落語がこれを代表するといひ得よう。

それには、第一、その言葉が、大阪落語の馬鹿々々しい滑稽味には大阪言葉がぴツたりと合ひ、東京言葉のニユアンスが東京落語の人情味にぴつたりと合ふのである。

阿呆の甚兵衛はんや喜六が登場して、誰かから話しかけられて、「何やいな。」と、間の抜けたダラけた大阪言葉で返事してこそ、一層阿呆者らしく聞えるけれど、それが江戸ツ児で「何だ!」と来ては、叱られているやうだ。

滑稽咄が大阪において集大成し、人情噺が江戸において集大成したゆえんは、そこにある。

現在大阪在住の落語家では、春団治、円馬、三木助を三巨頭とすべきこと勿論であるが、春団治のナンセンス、これは何といつても天衣無縫の域、大阪落語の神髄はこれである。円馬は東京落語家の神髄である。恐らく今、東京にいる落語家諸君といへども、円馬以上に出るものは、あんまり有るまい。三木助の着実な凝り性は、これも落語界の宝である。しかも落語の生き字引といつていゝ。この三巨頭を持つ大阪の落語界は、東京のそれの堕落に引きくらべて、まだしも、仕合せである。紙数が尽きた。詳論は次の機会に譲る。


昭和
54

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 小円馬、五郎、清子、喬之助、蔵の助、円枝、扇遊、円馬、正光、千橘、重隆・武司、馬生、
 呉成錬、小文治、直造、枝鶴、春団治。 

△北新地花月倶楽部 扇遊、小円馬、扇枝、五郎、重隆・武司、蔵の助、ラツパ・日左丸、染丸、正丸、枝
 鶴、春団治、一春、出羽助、千橘、小文治。 

△松島花月・新町瓢亭・天満花月 落語、万歳競演会。

昭和541日 神戸又新日報

千代之座 レヴュ合同一座の「踊り子志願」

神戸劇場 演芸百貨店

昭和5416日 

<二代目桂文之助死亡>

文之助●二代目桂文之助 本名山田萬次郎。安政六年生。初代桂文之助(後の曽呂利左衛門)門人で桂馬、初代桂文団治門人で小団治、二代目桂文団治門人で粉団治、後曽呂利門に帰り艶文亭(文廼家)かしくとなり、明治三十三年六月、二代目桂文之助となった。新京極笑福亭など京都を主な活躍の場としていたが、大正九年に引退した。引退披露をしないかわりに京都高台寺門前に大きな石碑を寄進して話題となった。この石碑は現存する。噺家仲間でも大の甘党として知られ、高台寺の近くに文之助茶屋を開き、甘酒を売りながら風流に余生を送った。この茶屋は「高台寺まで御座れ!甘酒のまそ」のキャッチフレーズで有名になった。ずいぶんとネタが多かった人だが、新作も作り、今も高座にかけられる「動物園」「指南書」「電話の散財」は文之助の作である。実子の福太郎は二代目かしくを継ぎ、戦後三代目笑福亭福松になった。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

昭和5420日 大阪毎日新聞

本社職員家族慰安会は十九日午後六時半から大阪中央公会堂に開かれたワンダー正秀、同正光の奇術にはじまつて桂小文治の落語、河内家春子、正春の流行小唄万歳、さては長唄「靱猿」を杵家弥七社中の美しい人々が聞かせ(後略)。

上方落語史料集成 昭和5年(1930)5月~8月

昭和551日 大阪時事新報

◇一日からの南北花月は初夏大演芸会で、東京から柳家金語楼が其一党十余名を引具して来阪、金語楼主演で独特の「小人島ダンス」及「仮装黒ン坊ジヤズバンド」の実演と長口舌。神田伯竜は得意の世話巷談の長講。上京中の花月亭九里丸、桂小春団治は日比谷座政劇の見学、漫談と復興の東京裏面談を土産に出演。円馬、春団治外幹部も総出演。

昭和551日 神戸又新日報

◇千代之座 レヴュ團合同公演

◇小野大黒館 千代之座連の萬歳

◇神戸劇場 演芸百貨店

昭和552日 大阪毎日新聞[広告]

5年 005

昭和557日 大阪時事新報

◇金語楼独立 東京に鹿騒動 落語界に新境地を開いた柳家三語楼が東京で落語家協会を組織したのは昭和二年のことですが、彼の門下金語楼も亦新しい道に出で、演出上だけの新味ではなく創作からジヤズ、レヴユーまで取入れるといつた風なので、三語楼も師弟といひ条、面白からぬ感情を抱き、両者睨み合つていたが、金語楼は遂に去月、三語楼が九州巡演の不在に乗じて画策し、新に一党を創立することゝなり、助六や小燕枝の東西会連中もこれを助けるさうだ。さて円生、円蔵、正蔵等の中間派がどつちへつくか、今大阪に来ている金語楼の帰京とゝもに、東京では新しい鹿騒動が始まらう。

昭和5511日より南地花月出演順

5年 004

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。
昭和5513日 大阪時事新報

◇花月出番替り 十一日からの花月各席は空前の充実した番組で開演。現代落語の人気王金語楼は熱望により予定を変更して引続き南地、北新地、松島花月に出演し、尚好評の小人島ダンス及偽サモアジヤズバンドは金語楼主演、北新地花月倶楽部で開演。その他南北松島各花月の主なる出演者は伯竜、春団治、円馬、三木助、紋十郎、九里丸、小春団治、千橘、枝鶴、扇遊、正光、歌江、慶司、清子、喬之助其他。新世界芦辺劇場は白鳥座レビユウと歌劇に五郎、福団治、芝鶴、光鶴、花次、金の助其他の新喜劇「恋のサイレン」及び万歳諸芸大会。

昭和5517日 大阪朝日新聞・京都版

<二代目笑福亭福松引退披露会>

◇京極富貴席 十七、十八日正午から五時まで笑福亭福松引退披露落語会を開き、春団治、染丸、円馬、小春団治などが出演。

昭和5517日 京城日報

◇[広告]浪花館/當ル五月十七日より、各愛落家の御勧めにより久方振りの 落語三家合同大一座/家元(小唄浮世節、三味線の名人)立花家橘之助 各レコード御馴みの巨匠立花家花橘 圓頂派宗家舞踊の名手橘の圓/≪出演者≫落語(立花家橘弥)落語手踊(立花家橘太郎)落語音曲(橘のかほる)浮世節舞踊(立花家橘幸)小唄浮世節(立花家橘之助)人情噺舞踊(橘の圓)芝居噺文人踊(立花家花橘)大舞踊切地方(橘の圓・立花家橘之助)

◇[広告]特別興行名人會/円頂派宗家久々の御目見得 橘の圓 各レコードにて御馴染みの巨匠 立花家花橘 家元小唄浮世節三味線名人 立花家橘之助/愈々十七日より開演 於 浪花館

昭和5年朝鮮橘之助円

昭和56

大阪の寄席案内

二十一日より

△南地花月 「舞踊オリムピツク」小春団治、五郎、清子、喬之助、紋十郎、蔵之助の競演。大切に春団治、五郎、小春団治、福団治、小円馬、光鶴、夢司、花治、金之助等の「滑稽野崎村」。

△北陽花月・松島花月 幹部競演会。

△天満花月・玉造三光館・新町瓢亭 万歳大よせ。

△新世界芦辺劇場 白鳥レヴユウ団の「野球の仇討」と花月連の喜劇「気違ひ騒動」。

昭和561日 神戸又新日報

5年 006◇千代之座 レヴュ團合同公演

◇小野大黒館 千代之座連の萬歳

◇神戸劇場 演芸百貨店

昭和566日 大阪毎日新聞[広告]紅梅亭

昭和5611日より南地花月出演順

5年 003













〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載

昭和57

京都の寄席案内

一日より

△富貴 花月亭九里丸、柳家金語楼、桂小春団治が出演。

十一日より

△富貴 落語、万歳会。

△花月 万歳、落語、諸芸大会。

△笑福亭 安来節、落語、万歳。

昭和571日 神戸又新日報

◇千代之座 萬歳にレヴュ「女入るべからず」

◇神戸劇場 演芸全般

◇小野大黒館 江戸家〆太等

昭和572日 大阪時事新報

◇Sブラナンセンス 南地花月上演 堺筋の夜店に本社が「浪花夜市」「Sブラ」の正副称呼を与へて以来「Sブラ」の名は先端的都会人の口に盛に上つていたが、こゝに眼をつけた吉本興行部では、一日夜から南地法善寺の花月で大切に花月バラエテと銘打つて「Sブラナンセンス」を上演、五郎、扇遊、円枝、奴、福団治、蔵之助、円馬、花治、アチヤコ、エンタツで熱演することゝなつた。

昭和579日 大阪時事新報

◇九里丸と枝鶴が映画を作る 「碁どろ」でもとマキノと相談 

 東京では柳家金語楼が「金語楼の兵隊」を実演したり、漫談の本家大辻司郎が映画を撮つたりして、唯高座で喋つているだけでは新時代のお客の好みに合はないとあつて、一部の落語家連は頻に新方面に進出しているが、大阪落語界の人気者である花月亭九里丸と枝鶴が、マキノで映画を撮らうといひ出して、このほどマキノスタヂオを訪問し、マキノ側と相談した。これはつまり、高座にかけてお客の喝采を博した落語を映画的にまとめ、自分が主演しようといふどえらい意気込みなのである。九里丸の曰く、まだ話がすつかり決つたわけではないが、しかしこれが出来れば大変結構だと思ひます。まあ「碁どろ」なんかいゝでせうねエ。

昭和5712日 大阪時事新報

◇南地花月は十一日から全員総出の納涼バラエテー「音曲裁判」「三人舞踊」大切は「近世見世物風景」でナンセンスを盛つた見世物情緒。

昭和5718日 大阪朝日新聞

○私の話題 幽霊のしくじり 桂小春団治 

毎年夏の寄席には幽霊が出る、芝居にも出る。夏は何所へ行つても「怪談」と「そうめん」はある。

作つた幽霊が舞台に現はれ、電気照明のもとに、間接の運動を試みつゝ、或は高くまた低く、女浪、男浪の揺り分けを見せて、数へられた恨の一節をそのまゝに『うらめしい』となると、婦人の観客は『キヤツ!』と悲鳴をあげる。そんなにこの幽霊が怖い物かしらと、私は不思議に思つた時もある。

しかしそこに入場料の価値もあり、幽霊もそれで満足しています。いくら寄席の観客が笑ひたがつているといつて、全部の人がゲラ〳〵笑つて観られたら、幽霊も自分の年齢と家庭とを思ひだすと、はやく消えたいだらうと思ふ。

舞台に立つ職業的幽霊も楽屋では実に平和です。扇風機に向ひながら『私は夏が来ると、幽霊をしていますが、日数にすると、今年の今晩で二百五十三遍です』と歴史を物語つている幽霊もある。何にしても暗がりの仕事ですから、幽霊の初演者は、まごついて失敗が多い。それがために長く馴れた人を撰ぶのです。

楽屋での幽霊には随分ユーモアや、ナンセンスがあります。今からザツト一昔前のこと『三遊亭某』といふ人の一座で九州へ巡業したことがある。その人は大変怪談が好きで、その時も『大切四ツ谷怪談連中総出』といふ触れ出しで、博多の川丈座で初日を開けることになつた。それは四ツ谷の大詰蛇山庵室の場を圧縮したもの、本舞台庵室の態、上手には障子屋台に仏壇、下手に丸太の門口、座長は伊右衛門であつた。幕が開く。色々あつて、伊右衛門が門口へ来て、

『戒名付けても俗名の、矢張りお岩と記し置くは、世上の人の回向など、受けたらよもや浮まうと、後の祭りも怖さが一倍、産後に死んだ女房の、せめて未来を』

となると、お岩の幽霊が出る。よろしく凄味をみせて幽霊が仏壇の中へ消え込まうとするとたん、幽霊の着物の裾を伊右衛門が踏んでいた。幽霊の着物は随分長い、仏壇へ飛び込まうとするはずみに、幽霊の腰から下がとれてしまつた。仏壇の中から足が二ユーと出て幽霊の尾が舞台に残つていた。──といふ滑稽怪談であつた。

昭和5719日 大阪毎日新聞

◇二十日(日曜)正午から南地花月で桂小春団治の第二回個人会を開催。小春団治得意の新作「野球狂」「失業者」その他「助六」「島めぐり」等を出し、なほ余興として小春団治の三味線、九里丸の踊り、枝鶴の唄で「朝顔日記大井川の段」もやると。

昭和5723

<砂川捨丸一行・朝鮮朝日座>

◇きょうから捨丸開演 朝日座で さきに東亜倶楽部に出演して大人気を博した萬歳王砂川捨丸は今廿二日から廿七日迄新装の朝日座に出演する。プログラムは、

▲江戸生粋滑稽曲芸(宝家連中) ブル松 楽三郎 利助 和良久

▲新古源芸妓 〆龍 〆千代 〆奴

▲正調追分 橘右近 お多福

▲萬歳 砂川捨奴 中川芳美 菅原家勝子 菅原千代次 砂川愛之助 河内家久春 東家市丸 河内家金之助 砂川捨千代 桂枝輔 中村春千代 砂川捨丸

<編者註>写真は捨丸一行。左の二番目から枝輔 捨千代 春千代 捨丸

昭和5年7月捨丸一座朝鮮

昭和5727日 大阪毎日新聞

○あやめ館の興行主が御霊さんを訴へる 「夏祭りのだんじり囃子で興行がめちや〳〵」と  

大阪東区淡路町五ノ九興行師岩本静氏は野口弁護士を代理人として同区淡路町五ノ九御霊神社々司園千秋氏を相手取り二十六日大阪区裁判所へ営業妨害の告訴を提起した。告訴理由は岩本氏は大正十四年十一月より東区北浜五丁目尾野勘次郎氏所有御霊神社境内の寄席あやめ館を借り、奇術、万歳、落語の興行を続け、一ケ月一千円内外の収益をおさめていたところ、七月十六、七両日、同社の夏祭に当り、同町有志奉納のだんじり囃子をあやめ館すぐ前に屋台を組み、同月十三日より十七日まで五日間昼夜の別なくはやさせ、喧騒のため同館は興行出来ず、止むなく五日間の休業をなしたるが、これは去る五月二十九日御霊遷座式当日興行を休止して敬意を表さなかつたゝめ、他の適当な屋台設置場所があるのに故意に営業妨害の意志でなされたものだといふのである。


昭和
58

大阪の寄席案内

一日より

◇南地花月 納涼演芸大会。「笑ふ忠臣蔵」大序より七段目まで。影絵、芝居、浪花節芝居、清元出語、猿
 芝居、人形芝居等にて各段を演じる。円馬、春団治、三木助、染丸、蔵の助、五郎、千橘、延若、小春団
 治、扇遊、九里丸、福団治、花治等出演。「三人舞踊」三木助、五郎、千橘、勝太郎改め延若、小春団治
 で、三人宛毎日交代で演じる。大切は小春団治のダンス「妖刀」、右太プロ指導の劍戟等を織込んだ「借
 家怪談」を総出で、引抜きかつぽれ。

昭和583日 大阪朝日新聞

○寄席のモダン化で「時代の笑」へ 影絵、人形、猿芝居などで三十分で忠臣蔵七段

5年 007いつでも扇子一本で喋り古した「落しばなし」でもあるまい、観客にそつぽを向かれては寄席の滅亡だ。よろしく時代の笑ひに即すべし──などゝ寄席モダン化の企てから落語家が高座でダンスを踊る、滑稽スポーツ芝居をみせる、ヂヤズを聞かせる等々精根をスリへらし、今月の南地花月では花月連オールキアヤストでダンスや剣戟で汗を出しているが、中で例のマキノの作品「腹の立つ忠臣蔵」の向ふを張つて「笑はせる忠臣蔵」といふ新作は、大序より七段目まで三十分足らずのスピード、それを影絵、芝居、浪花節芝居、清元出語、猿芝居、人形芝居の各段に分け、背景、扮装なか〳〵こつたもの。その山崎街道の場は猿芝居仕立で春団治が与市兵衛の猿、小春団治が定九郎で、猿のことだからその脱線ぶりが徹底して成功している。桂三木助いはく、『寄席も時世と駆けつくらです。大衆をひきつけるためにはどうしてもかうしたレヴユウ式の物を演ずることが必要です。この傾向は自慢ぢやございませんが、東京より大阪が魁なんです』(写真は小春団治の猿の定九郎、後は春団治)

昭和587 京都日日新聞

〇不景気の大衆は 安価な慰楽を求め笑ひの寄席へ走る 
 七月の興行は文字通り夏枯れだが、寄席は去年よりも大繁盛 

金解禁とそれに伴ふ産業の合理化で愈々深刻となつた不況はいづれの方面へもおかまひなしに影響している。ご多分にもれず新京極の興行物も…七月の上り総額七万九千四百六十八円六十銭で、これを内訳すれば映画館の入場総員は二十一万一千五百四十六人、上り高六万三千四百二十円十銭。芝居 入場総員二万五千五百八十一人、上り高九千九百八十六円六十銭。寄席 入場総員二万九千六百六十九人、上り高六千五十六円九十銭となる。寄席は全くの不景気知らずで笑福亭、勢国館の如きはこの一月以来、昨年と比較して入場者の少かつた月は一度もない程の好況続きである。これから推して不景気層にあへぐ一部大衆は比較的入場料の安い而も笑ひの満喫出来るところを求めて現実逃避をしている切なさが如実に物語られている…。

昭和589日 大阪毎日新聞

○「辞令頂戴」で落語家連大乗気 国勢調査宣伝で大汗  

今秋行はれる第二次国勢調査の宣伝に落語家や浪曲家を動員することは既報の通りであるが、吉本興行部では万歳十一、色物二、落語三種を出す予定である。何しろ内務大臣から嘱託の辞令が下がるといふので落語家連も大乗気で、九里丸の如きはそのため明治初年から現在までの流行小唄に調査事項を結びつけ例の小道具を応用して宣伝の実を挙げる筋を立てた文字通り大汗を流し、あせもを拵へて病院通ひをする有様。小春団治、扇枝、あちやこ、ゑんたつなどそれぞれ珍趣向を凝らし、九日午前十時から南地花月で試演し、十四日府統計課で検閲を受け、十五日から早速実地宣伝に移るはずであるが、本月中は泉南泉北方面を巡回し、九月に大阪市内に入るはずで、この際はトラックにテーブルを据えた移動舞台で街頭に乗り出す計画もある。

昭和589日 大阪朝日新聞

○私の話題 落語と落伍 花月亭九里丸  

盟友柳家金語楼君が、東都落語界のムツソリー二を自認して今度落語協会から金語楼一派が分立したのを機会に、自己の率いる部下一同に黒の股引を穿かせた所は金語楼君平素の意気が表はれている。

大阪落語界の最高幹部級のM氏は金語楼君の高座を「目で見せる落語」と評したことがつたが、私の考へでは時代がその「目で見る落語」を要求しているやうに考へられるのである。

暖房装置なく、通風設備なき旧い型の寄席で、畳の上に坐り、手焙の火鉢を抱へ、苦いお茶を啜つてヂイーツと耳を澄まして、渋い話振りを賞玩する聴上手が寡くなつて、テンポの早い、荒削りの原色芸術が迎合されて出たのだ、といつて大阪のH氏の如く露骨なエロ味の充満した親子兄弟膝を並べて聴くに堪へぬ卑猥極まる落語も、斯界を衰頽せしめる誘因をつくつたものゝ一つと首肯さるゝものである。

落語の寄席だからといつて、初めからしまひまで擽られるのみでは如何に笑ひの殿堂とはいへ聴く方でも草臥てしまふから、時には落語の本当の持ち味を匂はせなければ駄目だ。同時にナゼ大阪のE氏は得意の人情噺の口演で、山本有三氏の「嬰児殺し」や岡本綺堂氏の「時雨降る夜」等を演らないのだらうかと神田伯龍君も私に話をして惜しまれたことがあつた。

先年、電話交換局の慰安会に角座の松竹家庭劇を観せた時に、ある場面で電話室からベルが鳴ると女中が飛んで行つて「モシ〳〵」といふと満場の交換嬢は一斉に手を拍つて欣んだ。医大の記念祭の余興に学生劇で、一医師が患者を診察する所で見物の看護婦は歓声をあげて喝采した。これの同じやうに落語界でもせめて枕なり、形容詞だけでも現代世相をそのまゝに舞台に掛けたなら、お客様の脳裏に直感して共鳴さるゝに相違ない。

兎に角落語家は将に時代の落伍者たらんとしつゝ最も危険な断崖に臨んでいる。フアンを作れ、フアンを集めよ。しかしてフアンに阿諛せず、技芸のリーダーにもなつて貰へば、パトロンの役目をも引受けて貰ふことだ。今ならば更正の路は幾らでもある。‥‥落語家よ、君達は時代を知つてくれ。コロンブス出でよ、ナポレオン出でよ。

昭和5812日 大阪時事新報

◇南地花月の納涼演芸会 花月全員出演しているが、十一日から東京の春風亭柳橋が久しぶりの来演。また「抜け出る映画物語、雁金文七」は右太プロ映画を右太衛門指導の下に連日猛練習を積んでいる。ほかに「家庭円満競技会」「笑はせる怪談」等。

昭和5817日 大阪朝日新聞

○落語にも野球時代

 5年 008もちろん宣伝のためだが、大阪の落語家連中でも「花月野球団」があるだけに仲間の野球熱は高い。いきほひ高座の漫談や落語にも「野球」が出て、老人のざこばまでが演(や)る。そこで近年は甲子園大会前後になるとほとんど毎晩ぶッつゞけにお客から高座にむけて「野球」をやれとの注文が出る始末。

 はなしの趣向は各演者とも大同小異だが、その一、二を紹介すると、野球のヤの字も知らない男がはじめて甲子園の試合を見物した。隣席の人に滑稽な質問を発するところは「あの白いのは一体何ですか」「ラインだよ」「えゝインクライン!?」「何をいふとんや、そりや京都やがな、これはラインちうてた、これに沿うて駆けてゆくわけや」「船がですか」「まだインクラインやと思つてるな」「座蒲団が置いたりますな」「あれがベース」「あのうしろの方に巨(おお)きなするめを胸にぶらさげていますね」……といつた調子である。

 このほか九里丸の時事漫談にも慶司の萬歳にも野球が出てくる。千橘は語る。『今年は第一日の試合を見物しました。何かまた落語の材料はないかといふわけです。私の側の観客が「神戸に西洋人が多いので甲陽はフライばかり出しているんだね』と落語家みたいなことをいつていました。(写真は千橘)

昭和5821日 神戸新聞

昭和5年8月八千代座神戸楠社西門橘座が映画常設館に更正 神戸市楠公社西門筋には従来松本座と橘座の二つの寄席があって松本座は神戸唯一の娘義太夫で興行を続けてゐたが時代の影に押されて遂に落語席となり一時は入場も多く盛況を続けたが、最近には再び元の不況に返り、いまでは休館の状態にある。その間お向かいの橘座は終始浪花節の興行で押し通し今日まで続けてゐたが、これも浪花節の一本調子のみでは全く立つてゆけなくなったので去る五月から休館にして活動写真常設館としての改築願いを出し館内の改築に着手して平場席も二階各等席も全部椅子席に改め本月初旬竣工と共にその筋の許可が出たので愈々活動写真常設館として更正し去る十七日から東亜系の映画を入れて開館したが現在では宣伝方面でも力を入れてゐるので連日満員の盛況を呈してゐる、いまの映画は剣劇もの■■郎の「三日月次郎吉」に奈美子主演の「妻」を上映し余興にはエンタツの萬歳と女道楽を入れてゐる

◇[広告]納涼興行 八千代座二十日より四日間午後六時開演浪花落語三友派幹部 桂談枝、林家染三、桂米太郎、一輪亭花咲、信濃家圓二郎、三遊亭圓子、橘家圓太郎レコード吹込の立花家花橘 大喜劇落語劇連中総出演/初日に限り各等半額

<編者註>二十七日まで延長した模様

昭和5822日 大阪時事新報

◇花月の納涼興行は空前の人気の裡に二十一日から新プロで開演。東京から春風亭柳橋が門下の枝雀、花菱を使つて「二人羽織」を、また「近世見世物風景」で象や騎手を演じる。この外主なるプログラムは「漫才競技」「近世見世物風景」、抜け出る映画右太衛門特作の近藤勇熱血史「大殺生」を右太の指導で、他は「怪異ナンセンス」引抜いてかつぽれ。出演メンバーは前記の外春団治、三木助、染丸、小春団治其他。

昭和5824日 大阪朝日新聞

○『蝶六笑つた』の飛電 柳橋の「二人羽織」の一席に

5年 009もぐらもちみたいに愉快な顔をしている曾我廼家蝶六は笑はないので有名な日本のキートンです。東京の寄席なおに彼れがぶらりと顔を出すと、楽屋の連中『誰が蝶六を笑はすか』と賭けまでするほど蝶六はなか〳〵笑ひません。ところがついさきごろ、大阪南地花月にかゝつた春風亭柳橋、扇をパチつかせながらのんきに「二人羽織」をやつていると、ひよつこり来合せた蝶六が珍らしくも大口あいて黄色い歯並みを見せたものです。柳橋喜ぶまいことか、高座をおりるより早く頼信(らいしん)紙をとつて、東京の本部宛に「テフ六タダイマワラツタ」。(カットは曾我廼家蝶六)

上方落語史料集成 昭和5年(1930)9月~12月

昭和592日 大阪時事新報

◇南地花月 久し振りの神田伯竜を加へてバラエテ「槍錆大会」「民謡仁輪加弥次喜多駒形の巻」「覗きからくり」「八百屋お七」「酔月」「唐人お吉」「苅萱」「不如帰」「河内十人斬」等ナンセンスに富んだものを三木助、枝鶴、千橘、小春団治、蔵の助、五郎、福団治、光鶴、花次、金の助其他で熱演。

昭和596日 大阪毎日新聞

◇漫談家の花月家の花月亭九里丸が今度の国勢調査で大阪市から委員に任命され、その宣伝に大汗をかいたのであせぼが出来、それがもとで背中に腫瘍の大きなのが二つ頑強に根を張つたゝめ、先月の中ごろから赤十字病院に入り、笑ひの顔を渋面に変へて呻つていたが、このごろでは大分快くなり、近くいろ〳〵のネタを携へ退院するといふ。

昭和599 京都毎日新聞

不況・不況 興行界悩む …深刻な不景気は興行界にもおよぼして、劇場、映画常設館、寄席などはその不入りをかこつてゐるが、新京極にあらはれた劇場(中座、京都座)寄席(富貴亭ほか四)映画常設館(松竹座ほか九)の統計を見ても本年の七、八月の成績は昨年の七、八月と比較して、非常に悪く…人員では増加してゐるのに、かく収入で莫大な減収を示してゐるのは各常設館などがせめてもの不景気対策と盛んに割引券を実行したり一部料金の値下げを断行した結果で、この傾向は寄席にも見られる…

昭和510

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 三亀松、春団治、三木助、枝鶴、九里丸、延若、扇遊、一光、馬生、エンタツ、アチヤコ、特別出演東京の雷門助六、五郎、三升、紋弥、杵屋お竜、繁千代、文子、光子、とき子の「三人舞踊」、延若、小春団治、五郎、福団治、枝雀、花菱其他の民謡仁輪加「湯上り」。  

△北陽花月 三亀松、三木助、春団治、其他幹部連と小春団治、延若、五郎、蔵之助、紋十郎、枝雀の三人舞
 踊に民謡仁輪加「湯上り」。 

△新世界芦辺 雷門一行、杵屋美妓連と花月連の大バラエテ。

二十一日より

△南地花月 文治郎、延若、九里丸、小春団治、円馬、春団治、三亀松、直造、小扇、クレバ、東京の雷門助六、五郎、紋弥、お竜、繁千代らの三人舞踊は好評裡に続演、民謡仁輪加の「助けの神」を延若、千橘、福団治、枝雀、塩鯛、花次、光鶴、かん子、きつるで演出。  

△北陽花月 春団治、九里丸、文治郎、三亀松、小春団治、直造、出羽助、一春、円馬、馬生、エンタツ、
 アチヤコ、千橘其他幹部連出演。

京都の寄席案内

一日より

△富貴 春団治、九里丸、小春団治、呉成錬、馬生、一光、ハレー、三八、百合子、静代、文雄、三馬、
 おもちや、助六。

△花月 末子・花子、次郎・しの武、こたつ・筆丸、米二・政月、峯菊・初菊、玉枝・成三郎、お多福・千代一、ロイド・華□、セメンダル・小松月。

△笑福亭 安来節、万歳諸芸大会。

昭和5108日 大阪朝日新聞

○代り栄えのない落語界に チヨツト山葵を利かして 関西落語研究会の思ひつき

 噺の種を買入れ申候 仲買もいたします 関西落語研究会 新進の落語家の募集 男女を問はず 但し素人に限ります

 5年 011大阪西区北堀江御池通りの落語定席賑江亭の表に七日夕からかゝつた招看板「話を売る店」が、ストック払底で買ひ出しに廻つたのかと行きずりの人が怪訝な顔で眺めて過ぎる。一席売り込むつもりで木戸番に通じると「わたいが新規開業談話売買商の主人だす」と出てきたのは落語劇でお馴染みの一輪亭花咲の剽軽な顔。「看板どほり新しい噺しを買ひますんや、がダンスだの野球だのと材料ばかり新しうても趣向が古うては駄目だす。生活体験から涙と一緒に滲みでたユーモアといふものに目安を置いてますんで、漫談結構、ナンセンス結構だすが、現代人の心に触れない空虚な笑ひは一文にも買ひまへんので──」とひどくむつかしく出たのも、後ろに文学士の肩書きのある華水、華柳など若手の新知識が審査資格で控へているからだ。

「噺の売手にはまづかういふ若手にメンタルテストを受けて貰つた上で話を聞かせて頂き、面白ければお預かり申しておいて、十分練り上げ、上演してみた上で、出来具合でそれ相当の報酬を差上げるのやさかい、いはゞ脚本料のやうなものだんな。体験から出たユーモアなどといふものは体験者自身の持ち味や表現に棄て難い場合があるので、さういふ人には自身高座へ出て頂きたいため素人噺家を募りましたので、その中から素質もあり、頭もある者で希望があれば一生でも落語家の飯を喰べて貰ひまつせ……」

 募集の結果の新進紹介と新作発表は年末に賑江亭ほか三席で行ふはずださうだが、低調な駄洒落漫談とジャズの囃しに掻き消されゆく上方噺しの復興と革新運動のため起つた松鶴、染三、米団治、花橘、花団治、円太郎、花咲などの落語家が若手新知識を糾合して組織した関西落語研究会の新案で、この松村梢風もどきの談話売買案は代り合つて代り栄えのしない関西落語界にチョッピリ山葵を利かすだらう。

昭和51011日 大阪毎日新聞

◇九里丸個人会 十二日正午から南地花月で花月亭九里丸の個人会が催される。演題は「落語に現はれた犯罪」「JOBK」「病院ナンセンス」「牛若丸一代記」外、応援に小春団治の新作落語「国勢調査」なやましもの数番。


昭和
511

大阪の寄席案内

十一日より

△南地・北新地花月 柳家金語楼と春風亭柳橋が出演。南地では「野球競技」「金語楼の水兵」を、北新地では「見世物風景」を呼物にする。

二十一日より

△南地花月 円馬、小柳三、春団治、正蔵、扇遊ら。

△北新地花月倶楽部 源朝、正蔵、円馬、小柳三、春団治、九里丸ら。

△新世界芦辺 東京美妓連、雷門助六、五郎、三升、紋弥、花月幹部連「浮世気晴所」「珍ジヤズ」レヴユ
 ウ「笑はせる忠臣蔵」。

京都の寄席案内

一日より

△富貴 助六、円若、三八、三馬、おもちや、円枝、馬生、九里丸。

△笑福亭 安来節万歳など諸芸大会。

△花月 芳子・市松、米二・政月、花奴・登吉その他。 

昭和5111日 京城日報

◇[広告]浪花館/十一月一日より二日間限り/ラヂオの窮児 柳亭燕路独演会 助演長唄杵屋五三久/落語(蒟蒻問答)落語(代脈)音曲珍芸長唄(秋の色種、綱館の段、元禄花見踊)脚本朗読(番町皿屋敷)落語(柳の馬場)

昭和5112日 大阪時事新報

◇南地花月 一日から久し振りの神田山陽に、三人舞踊で好評の三升紋弥は落語と舞踊、雷門五郎は助六の後見、杵屋連十余名の地方で得意の「操三番」を演ずる。これは猿之助張りのものだと。其他三木助、扇遊、小春団治、枝鶴、円馬、九里丸、千橘、五郎、一光、正光、慶司、歌江、エンタツ、アチヤコ、小扇、クレバ。北新地花月は余興として民謡仁輪加「音曲村」を出すと。

昭和51116日 大阪時事新報

<柳橋・金語楼二人会>

◇南地花月のマチネー 来る十六日(日曜)正午から南地花月で春風亭柳橋と柳家金語楼の二人会開催。演題は金語楼の「納豆屋」「女、女!」、柳橋の「子別れ」「湯屋番」。余興として金語楼が「世相漫談」で頗る新鮮な笑を提供すると。

昭和51121日より南地花月出演順

5年 002

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。

昭和51128日 大阪毎日新聞

◇大阪吉本興行部では伊豆地方の震災の報を聞くや、直に花月亭九里丸を罹災地に特派し実況を視察せしめたが、二十九日帰阪の上、同夜から南と北の花月で彼一流の視察談を演ずることになつた。


昭和
512

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 師走大笑演芸会。林家正蔵、春風亭小柳枝、円馬、三木助、枝鶴、小春団治其他の幹部総出。特別余興「珍放送室」「殉職美談噫伊藤巡査」「危険信号」。上京中の千橘も帰阪出演、九里丸震災地踏破談。

十一日より

△花月忘年会 花月は総員熱演の忘年演芸大会。「急速度舞踊リレー」、右太衛門指導の抜け出る映画「旗本退屈男」、仁輪加「順送り」、所作事「千本桜道行」。

昭和5124 京都日出新聞

〇大衆向きは矢張りナンセンスもの 不景気に抑へつけられた十月中の興行物状況 【京都商工会議所調査】…劇場は南座、京都座、中座、西陣劇場、京極座(西陣)の五座で入場人員六万六千七百九十四人、入場料金四万三千七百七十四円。キネマ界の成績は市内における活動写真館は全部で三十館入場人員五十万三千二百二人、入場料金十三万七千百四十八円。…寄席には落語を主としたもの、浪花節を主としたるもの及万歳、掛合噺、漫談等組合せのものがあるが、大衆向きは矢張り万歳、曲芸、漫談等のナンセンスを主眼としたもので、従つて料金の上り高においても笑福亭、勢国館、花月、福真亭といつた順番で、落語を主として曲芸や、万歳等を差挟んで行く営業振りの富貴はその料金上り高においてはこれらの下位にある。当月の市内十七席の入場者は八万二千六百十一人、入場料金一万四千七百三十一円で、前月に比べ入場者は一割一分増、料金五分増であるが、前年同月に比べると入場者五分減、入場料金二割一分の何れも減少を示した。

❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊桂春団治のラジオ放送事件❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊❊


昭和5127日 大阪朝日新聞

○笑へぬ話 春団治が宿屋に缶詰されました けふのラヂオ放送まで BK苦心の一席

目下大阪親友派浪花節組合と出演者指名権をめぐつて交渉決裂中のJOBKでは、これもBK開設以来提携ができていない吉本興行部直属の大阪落語家を出演さすべく交渉中であつたが、どうしても話がまとまらぬので、コッソリと桂春団治と個人交渉を進め、今七日午後零時四十分からの昼間演芸放送に一席「祝ひ酒」を演らせることになつたが、BKでは吉本興行部でこれを予知すればどんな邪魔をするかも知れぬといふので、この日のプログラムにも書入れず、また春団治が六日夜京都新京極富貴席の出演を終るや大阪の自宅へ帰さず、七日の出演時間まで某旅館に缶詰にするなど大騒ぎであつた。

昭和5127日 大阪毎日新聞

○春団治初放送 「祝ひ酒」の一席

大阪落語界の人気者桂春団治がBK開局以来初めてマイクロフオンの前に立つ──演題は「祝ひ酒」、七日午後零時四十分、中間演芸鶴賀吉之助の「新内」の直ぐあとに特に追加プログラムとして出演するが、右は本人とBK文芸部との間に直接交渉がまとまつたものだと。

昭和5128日 大阪朝日新聞

○『落語家の口に蓋』は無理といふもんだつせ 出しぬいた春団治の初放送

5年 010

 JOBKではまんまと吉本興行部をすつぽ抜かして七日午後遂に春団治に「祝ひ酒」一席をやらしてしまつた。サア吉本では直属芸人のうちからこの反逆者を出しては体面にかゝはるといふので、七日朝、新聞をみてから俄に大騒ぎとなり、どうしても演らさぬとばかり正午前から数名の人が大阪上本町九丁目の放送所に頑張り、春団治の来るのを手具脛ひいて待ちかまへていると、前夜缶詰にされた春団治は丹前姿で京都の放送所から至極涼しい顔で弁じあげてしまつた。かうなると納まらぬのは吉本興行部で、

「春団治は大正二年以来の法度を破つたもので、あまりに踏みつけた卑屈なやりかたです、BKのお役所的横暴を糾弾し、春団治に対しては断然たる処置をとります」

と同日幹部会議を開くやら大騒ぎ、BKはBKで

「吉本の手を経てやらすと出演者が皆借金しているから放送謝礼の一部を天引きされるらしいのです。だが放送は寄席の発展策にもなるのですからいゝのですが‥‥だが少しやりすぎましたかな」

といつている。何分放送者が円馬、三木助などとゝもに大阪落語界の大立者だけに、この喧嘩はどうなるかとなか〳〵興味を持たれている。当の春団治は、

「生れてはじめて放送しました。自体落語家の口に蓋をしようといふのが無理だす。干上がつてしまひます。これからも大いに放送やつたろと思うてます」

と笑つている。(写真は春団治の放送ぶり)

昭和5129日 大阪朝日新聞

○春団治の出演禁止 放送紛擾から吉本興行部で

 七日春団治の放送に端を発した吉本興行部対落語家の放送に関する紛擾で、吉本興行部では同日直に幹部会議を開いて春団治の処置につき相談の結果、八日正午ごろ瀧野支配人ほか一人が住吉神社付近の春団治宅を訪れ、春団治に処分の意味で八日夜からの京都新京極富貴席出演を禁止した。

昭和5129日 大阪毎日新聞

○落語界に一波欄? 桂春団治の放送で

大阪落語界のエロモリスト桂春団治の落語放送につき果然大阪放送局と吉本興行部および春団治との間に紛争を生し、九日春団治を吉本興行部に呼び、本人の態度如何によつては断呼たる処置を執るべく、また十日広江放送局常務と会見の結果、或は訴訟問題を惹起するやの模様であり、また落語家幹部側でもと角の意見あり、事件の推移如何によつては一大波欄を巻起すらしく、寄席界には頗る険悪な空気が漂つている。

昭和51210日 大阪朝日新聞

○春団治―差押を喰ふ 放送のもつれから

5年 012吉本興行部の監視の眼を商売柄スラリと抜けて六日の正午BKの京都放送局からあの剽軽な風丰で『祝ひ酒』を一席放送した例の春団治の態度に激怒した吉本興行部では、吉本氏は上京中だが、黙過しがたいと留守居の幹部会議を開いた結果、八日夜から九日朝にかけて『吉本興行部の演芸場以外では絶対に出場せぬ』との固い契約を踏み蹂つた背信を責めたが、当人は一向に反省せぬので『それではやむなく債務を即刻果してもらひたい』と搦め手から攻め立て、雲行険悪化したまゝ物別れとなつたが、当の春団治は九日午後になつても興行部へ姿を見せぬとあつて腹に据えかねた同興行部では断然たる処置を執ることゝなり、午後四時本人が経営する住吉公園内の春団治茶屋と西成区粉浜町の本宅とに執達吏を派して家財の差押へ処分をやつた。ところが当の春団治は何にも知らず、その夜九時ごろ外出先から飄然とお茶屋の方へ帰つてはじめて差押へを知つた。

『放送が気に喰はぬなんてをかしな話だす。本家(興行部)の番頭さんに会つて落語の「百年目」や「鹿政談」を例によく談じたのですが話がつかず、休んでくれとのことなので、いまもお客と一しよに飲みに行つてました。その留守の出来事だんね、瓢箪、鏡台、乱れ箱、三味線、何から何までベタ〳〵です。借金の抵当の差押へは運だと諦めませうが、落語家の口を封ぜられては承知出来まへん。しかし何といつても給金を戴いているお主筋のことだから明日にでもいつまで休むのかたづねて、折れる場合なら折れてみませう』と話しながら、紙をきつて自分で自分の口へ封印し、ポンと額を叩いた。

(写真は「口にも封印して納る春団治=昨夜うつす」)

昭和51210日 大阪毎日新聞

○春団治に強制執行  吉本最後の手段 
 既報、桂春団治放送問題につき吉本興行部ではいよ
〳〵最後の態度をとることになり、九日午後四時春団治に対する債権六千余円の公正証書面に記載してある「吉本興行部の許可なくして他に出演せざること」の契約を楯に春団治茶屋および同氏自宅に向け債権回収に関する強制執行の手続きを取つた。

 なほ放送局に対しては十日同局に赴き、数年前広江常務から吉本に入れた覚書等を證拠に徹底的な交渉をするはずである。

昭和51211日 大阪毎日新聞

○「さげ」がつくか カン〳〵に憤る吉本興行部 知らぬ顔のBK 揉める春団治の放送

 春団治の抜駈打放送に端を発した寄席界の紛争はどう「落」がつくか─吉本興行部瀧野支配人談によれば、

 それには吉本興行部と放送局との間に蟠つている紛争問題から弁じなければならない。「お古い話」ではあるが、大正十五年八月ごろ大阪放送局と吉本との間に出演契約が結ばれ、同年十二月六日正午、林家染丸が「電話の散財」を放送したのが皮切りで、翌年三月ごろまで続いていたが、放送料の問題で放送局が舐めた仕方をするので、三月七日巴家寅子の放送限りで縁切りになつてしまつた(この間広江常務が覚書を提出している)。そこで吉本側ではその旨楽屋へ掲示し、専属芸人一同にも顛末を話し、今後一切無断放送を禁じた。春団治も勿論それを承知しているにも拘らず、去る七日突如BKから放送することになつたので、吉本側では驚いて青山支配人、八木部長が上九の放送局へ馳けつけ放送を中止させようとしたところ、放送局では長らく待たせておいて、その間に春団治を京都スタヂオから放送させるといふ段取りにしていたので、両氏はそれを責め、当日の責任者吉村文芸課員から「桂春団治の出演について当課員の取りたる処置は吉本氏に対し妥当を欠きたるものと認む。今後は正当の道をふんで交渉すべきことゝ信じます」といふ覚書一札を取つて引揚げた。翌日瀧野吉本支配人は春団治に面談し、謝罪するか負債を返すか同日中に事務所へ来て回答せよと言つておいたが、九日に至るも遂に姿を見せないので既報の通り強制執行の処分に出たものであるといふ。

なほ一日専属幹部連を招集し顛末を話したところ、春団治の今回のやり方に対し「連中の面汚し」だと憤慨していたといふ。なほ吉本では十一日大阪放送局を訪ひ、煙山放送部長、奥屋文芸課長に面談し、前記の広江常務の覚書なども持ち出し、徹底的に黒白をつけるといつている。「落」はそれからのことであらう。

 放送局側の談 何も局として、出演に関する契約書を取りかはしたわけでもなく、たゞある部員が口頭で何か約束したことがあつたかも知れぬが、その部員も今はおらず、従つて放送局としては何等責任を感じない。

昭和51211日 大阪毎日新聞(夕刊)

○落語幹部連に今後の方針申渡し 春団治の放送問題と吉本興行部の態度

朝刊一部既報、桂春団治のBK放送問題につき吉本興行部では最後的手段として同人経営の春団治茶屋および自宅の差押へを行つたが、上京中の吉本興行部若主人林長[正]之助氏は九日夜急遽帰阪し、瀧野、青山両支配人から事情を聞き、十日午前十一時から専属幹部落語家二十余名を南区清水町の事務所に招集し、今回の経緯、興行部の態度および今後の方針について申渡すところがあつた。

 なほ同派幹部連の中には春団治個人に対しては、同人の平常の素行等から見て同情はないが、これを機会に放送局と関係のつくことは却つて好都合だと考へているものもあるらしいが、何しろ吉本興行部は大阪、京都、東京、横浜に三十余軒の寄席と五百名の専属芸人を有し、仮に脱退して別派を作つても到底対抗出来ぬので忍従する外はないだらうと見られている。

昭和51215日 大阪朝日新聞

○BKと吉本との問題は解決 春団治の放送

 桂春団治の落語放送に絡んでBKと吉本興行部との間に起つたゴタ〳〵は最初険悪な雲行きを見せていたが、十四日午後一時から南区笠屋町某所にBKの煙山放送部長と吉本興行部主林長[正]之助氏が会合した結果、煙山氏は今後BKは吉本所属の落語家には一切手をつけぬことを明言したので、両者の間の問題は解決し、事件は吉本側と出演契約を破つた春団治個人との問題を残してアっサリとかたづいた。

昭和51215日 大阪時事新報

○レコード吹込問題で春団治取調らる 春団治茶屋のやりくり御難 十四日鶴橋署に召還

抜駆放送でヤンヤと大向ふを唸らせたが、親方である吉本興行部からキツイお目玉を喰つた落語家桂春団次事岩井藤治(五十二)は、又復レコード吹込料のゴタ〳〵で鶴橋署にて秘密裡に取調べられている。その内容を仄聞するに、大正十四年十二月十二日、日本蓄音機株式会社専属として十年間の吹込契約を結び、毎月百五十円の手当の外に金二千円を受領し乍ら、自己経営の住吉春団治茶屋のやりくりに困り、十一日十八日コロンビヤ蓄音機会社と吹込契約をなし三千円の報酬をうけたといふのである。

昭和51215日 大阪毎日新聞

○JOBKと吉本の手打ち 春団治事件は水に流し来春からはいよ〳〵放送?

 春団治の問題につき吉本では放送局のやり口が余りにひどいと去る十二日夜、煙山放送部長の帰阪以来再三厳談を重ね、放送局の出やう如何によつては訴訟にまでもとえらい鼻息であつたが、その煙山放送部長から「こんどのことは水に流して貰ひたい、今後は決して無断で吉本の芸人を放送させないから──」と真綿式に釈明したので吉本側もつひに折れ、十四日午後某所で放送局側煙山部長、岩崎文芸課員、吉本側主人林長[正]之助、瀧野、青山両支配人、八木部長の六氏が会合、めでたく仲直りの手打をした。

 なほ煙山放送部長はこれを機会にラヂオの社会性、大衆性を吉本興行部の幹部にウンと吹込んだので、吉本側大いに諒解し、今後誠意をもつて放送局との交渉に当ることになつたから、来春早々を期して吉本の放送法度も解かれるものと見られているが、春団治に対する吉本の態度は依然強硬である。

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昭和51230日 大阪毎日新聞

○浪曲親友派BKと握手か けふ双方の代表者甲陽公園で懇談会

関西に四百五十名を有する浪曲組合親友派と吉本興行部の手にある落語家は、いさゝかの感情問題から、かねてよりBKと絶縁状態にあり、過般の放送委員会でもこれが問題となつた程だが、最近大阪の中心船場方面においても一般ファンの間に浪曲、落語をプロに加へよとの声が次第に高まり、つひに去る二十六日、関西浪曲ラヂオ・ファン聯盟なるものが組織せられ、事務所を大阪市南区末吉橋一丁目長堀ビル内に置き、会長には浪界のかくれたる支援者福本黒龍氏があげられ、復活運動を開始し、両者間を斡旋した結果、つひに奏功し、三十日午後四時、阪急沿線甲陽公園つる家において親友派井上晴夢、大和之丞、宮川松安、南条一外一名の五氏、放送局側は煙山部長、奥屋文芸課長外一名の三氏、それに聯盟の福本黒龍氏、吉田誠宏氏等が立会つて会見、懇親会を開き、円満解決に努力することになつた。右親友派との会見の結果、再び両者が握手することになれば、放送局では更に本春早々を期して落語の吉本興行部とも懇談することになつた。

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丸屋竹山人

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