昭和6年

上方落語史料集成 昭和6年(1931)1月~4月

昭和61 

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 鶴二、小雀、源朝、染丸、正光、馬生、小扇・クレバ、文治郎、雪江・五郎、紋十郎・三木助、九里丸、藤間勘女・勘若、喬之助・清子、枝鶴、結城孫三郎、伯龍、日の出家一行(江戸茶番)、小春団治、円馬、今村新丸(熱田獅子)

△北新地花月倶楽部 小円馬、円枝、九里丸、正光、延若、芳江・鶴春、円馬、今村新丸、小春団治、文次郎、藤間連、枝鶴、結城孫三郎、伯龍、日の出家一行。

△松島花月 結城孫三郎、藤間連、今村新丸に花月幹部の競演会。

△新町瓢亭 結城孫三郎一座に花月連の落語万歳競演。

△新世界芦辺劇場 吉花会美妓連と花月幹部出演の「どんつく」「社頭の雪」「ウーマンジヤズバンドとジヤズ味の演出」と万歳諸芸の名家大会 。

△千日前三友倶楽部 万歳界の人気王橘太郎・菊春に花月万歳の競演会。

十一日より

△南地花月 鶴二、小雀、おもちゃ、一郎、蔵之助、福団治、扇遊、千橘、九里丸、藤間勘女・勘若、喬之助・清子、小春団治、日の出家一行、伯龍、孫三郎、枝鶴、エンタツ・アチャコ、紋十郎・三木助、正光。

二十一日より

△南地花月 鶴二、小雀、升三、五郎、紋弥、小扇・クレバ・清、福団治、延若、日の出家一行、小春団治、枝鶴、藤間連・杵屋連、円馬、エンタツ・アチャコ、三木助、直造、文治郎、正蔵、扇遊、蔵之助、重隆・武司。【寄席ビラ参照】

三十一日より

△南地花月 鶴二、小雀、源朝、福団治、小扇・クレバ、円馬、九里丸、延若、枝鶴、扇遊、小春団治、エンタツ・アチャコ、ろ山、正蔵、三亀松、春団治、一郎

昭和611日 都新聞
◇[正月広告]
◎東京落語協会 一龍斎貞山 三升家小勝 柳家三語楼 桂文治 柳家小さん 三遊亭金馬 桂小南 立川談志 蝶花楼馬楽 三遊亭小圓朝 柳家小せん 三笑亭可楽 春風亭柳朝 柳亭市馬 三升勝團治 柳家さん輔 鈴々亭馬風 蝶花楼馬の助 柳家小三治 橘家圓晃 桂文都 丸一小仙 奇術大洋 剣舞國守一誠 常盤津文字妻連 鏡味鏡華 三升家勝奴 三升家勝次郎 朝日日出夫日出丸
◎落語睦会 柳亭左楽 春風亭柳枝 古今亭今輔 三遊亭圓生 桂文楽 桂小文治 柳亭芝楽 柳家枝太郎 三遊亭歌奴 橘家圓蔵 柳亭春楽 文の家かしく 春風亭柳條 柳家蝠丸 土橋亭りう馬 春風亭柏枝 柳家小山三 睦の三郎 春風亭梅枝 春木助治郎 松柳亭鶴枝 中華民李彩 林家正楽 中華民林金花 竹本播子 竹本素菊 遊楽会(民之助 由之助 喜代重 菊蔵)

◎日本芸術協会 柳家金語楼 林家正蔵 春風亭柳橋 大辻司郎 西村楽天 神田伯龍 柳家語楼 春風亭柳昇 柳家金蔵 柳家小きん 春風亭雷門 柳家八語楼 蜂谷金幸 春風亭市松 丸一小鐡 柳家金之助 植村兼雄 柳家金語 鶴賀宮古太夫 河西正幸 市川登免秀 桂残月楼 柳家金翁

◎吉本興行部 浅草東京館 横浜花月 神田花月 浅草萬成座 レヴュー白鳥座 歌舞吉花会

昭和614日 神戸新聞

◇[広告]神戸吉原興行部/湊川新開地千代之座 湊川新開地多聞座 西新開地娯楽館 小野抦通四丁目大黒館

昭和6年1月4日吉原興行

昭和616日 神戸新聞

神戸劇場 萬歳座長連、美人舞踊連

西門松本座 桂文屋、桂柴鶴、桂家門三郎、桂南天、松旭斎天世、三遊亭花遊三、桂花柳、笑福亭福松、笑福亭小枝鶴、旭嬢、桂梅團冶、立花家秀夫、峯子、立花家花橘等出演で落語色物

多聞座 梅沢昇「金看板甚九郎」「文七元結」「地上の人」「坂本竜馬」

千代之座 常盤静子レビウ團、萬歳、音曲、漫談

◇[広告]楠公西門松本座(落語と色物)名家競演大會 満員御礼新春開演 果然満員の盛況を賜厚く御礼申上候尚五日から午後四時三十分より開演仕候間一層御来駕御贔気の程偏に奉願上候

昭和619日 

<二代目桂小文枝死亡>  

小文枝 001●二代目桂小文枝 本名豊田卯之松。明治十二年生。兄弟三人ともに素人落語に出ていたが、やがて三人揃って桂派の初代桂枝雀に入門して雀四郎、雀之助、雀三郎の名をもらった。長兄の雀四郎は大成せず、末弟の雀三郎は明治四十四年三月、兄より先に二代目桂小文枝を襲名し、看板となった(雀之助は翌年に三代目万光を襲名)。明治四十五年六月、桂派が寿々女会と名を変えたが、悶着が起り、枝雀がまず飛び出してしまった。さらに三遊亭円馬ら旧桂派の幹部連が三友派へ移るという大変革が起った。万光、小文枝は師匠の枝雀に従わず、円馬について三友派へ移った。兄の万光が地味で、風采もあがらず、前受けがよくなかったのと対照的に、小文枝は端正な容姿と美声で、初代春団治と人気を二分するほどの花形となった。とくに「三十石」の舟歌は直伝の桂仁左衛門を凌駕するほどの天下逸品で、小文枝が高座に出るや、客席からはいつも「三十石」と声がかかり、ほかの噺をさせなかったという。大正五年九月、三友派から反対派へ移った。このとき反対派で孤軍奮闘していた師枝雀から呼ばれたのであろう。移籍後、枝雀とともに反対派の発展に大いに尽力した。大正十一年、反対派が吉本興行に統合されたあとも高座を勤めていたが、昭和二年七月を最後に出番から名前が消えた。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)

昭和6110日 神戸新聞

西門松本座 琵琶(旭嬢)音曲(門三郎)落語(福松)芝居噺(花遊三)笑話(梅團冶)即席紙切(南天)落語(花橘)

大黒館 萬歳大會

昭和6120日 神戸新聞

西門松本座 橘家小圓太、三遊亭圓好、桂助力その他の落語色物

<編者註>これ以外に、梅團冶、福松、圓坊、淀助、門三郎、南天、花柳、花遊三等が出演。二月の上席は、中村兵衛の新講談と漫談。下席は、花團冶、唐松一松、梅團冶、千本家デパート&静、支那人、自転車曲芸等

昭和6121日より南地花月出番表

6年 002

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。

昭和6123日 大阪毎日新聞

◇春団治寄席へ お詫が叶つて 例の桂春団治は放送から寄席へ顔も出せず、家財も吉本興行部のため差押へ処分を受けていたが、調停者が出てお詫がかなひ、二月から高座に現れることになつた。

昭和6123日 大阪朝日新聞神戸版

尼崎に三都座 尼崎舊城内に三都座(みくにざ)いう劇場が新設され杮落しに我童一座で春雨傘やだんまり、三番叟、封印切などが出る。劇場名に何か野心のありそうなのはソレ太十の光秀を気取ったか


昭和62

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 鶴二、小雀、亀鶴、升三、紋弥、歌江・慶司、馬生、正光、枝鶴、直造、小春団治、正蔵、三亀松、春団治、九里丸、紋十郎・三木助、おもちゃ。【寄席ビラ参照】

二十日より

△南地花月 升三、枝鶴、正光、蔵之助、重隆・武司、紋弥、福団治、小扇・クレバ、紋十郎・三木助、直造、ろ山、エンタツ・アチャコ、小春団治、春団治、扇遊、円馬。

二十八日より

△南地花月 小雀、正光、おもちゃ、文治郎、紋十郎・三木助、小扇・クレバ、ろ山、扇遊、枝鶴、文楽、エンタツ・アチャコ、小春団治、円馬、九里丸、小柳三、春団治、鶴二。

△北新地花月倶楽部 円馬、小春団治、扇遊、文楽、小柳三、三木助、慶司・歌江、春団治、九里丸、延
 若、枝鶴、一郎、紋弥、馬生。  

△松島花月と新町瓢亭 落語と諸芸大会。  

△千日前三友倶楽部 浅草の名物大和家三姉妹出演。  

△新世界芦辺劇場 花月幹部と吉花会美人連中の民謡喜劇「大阪行進曲」、ストリング・ジヤズ「日暮から夜明けまで」、ナンセンスレヴユウ「中之島の賑ひ」と万歳諸芸競演会。  

△新世界花月と松島広沢館 浪花亭綾太郎と京山華千代その他青年幹部。(入場料二十銭)

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 春団治、三木助、文治郎、扇枝、直造、日出子、□蝶、喬之助、清子、三馬。入場料五十銭。

二十日より

△新京極富貴 小円馬、一郎、ざこば、三八、馬生、河内家正春・春子、小山慶司・荒川歌江、文治郎、久里丸、気取家延若、枝鶴、柳家三亀松。入場料五十銭。

△新京極花月 小金・小三、房吉・鶴枝、成駒・玉太郎、市松・芳子、長春・一瓢、笛亀、政月・米二、慶司・歌江、亀鶴、鶴春・芳江、登吉・花奴。

△新京極笑福亭 民謡諸芸大会。

昭和622日 大阪朝日新聞
◇立花家千橘 落語界引退 大阪落語の中堅立花家千橘(三十五)は今度吉本興行部の了解を得て落語界を引退することとなつた。小春団治とゝもに新作をやつていたが「堅気になる」といつている。

昭和626日 大阪毎日新聞

◇落語家立花家千橘は一日から東京浅草へ出るので六日夜上京するが、東京出演期間は五十日間で四月に帰阪し、同一日から再び南地花月に出演すると。

昭和6210日より南地花月出演順

6年 007

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。
昭和6213日 大阪朝日新聞

○本格的なものは差押へしてまんね 落語家 桂春団治 

 けふ日寄席へ来るお客さんで心の底から落語を聞かうなんていふやうなお客はさつぱりおまへん。そんなら何をきゝにくるつてですかい。落語の間に挟まる万歳をみにきまんねやがな。男が女の頭をどやしたりするしよむないものをな。あんなもんをおもろがるんやさかい、わたいらの落語は今の人には辛気くさうてきけまへんわ。昔人間みたいにチヨロコイこといふてたら、何いうてんねちゆよなもんだ。そやさかいわたいらにしても阿呆らしいよつてに後も先もない万歳式漫談でごまかしてまんね。落語も本格になるとえゝものがたんとおます。「らくだ」「二番煎じ」など大したものだすが、そんなものはけふ日のお客さんには向きまへん。それでこちらは蔵積みのまゝ世間でわかつてくれる時節が到来するまで開けんことにして当分差押へしてまんね、アハハ。それあ京都は落語の本場だつさかい入場料を月伏せにしてきゝに来る客もおます。そんな客が見えているとわたいらも恐うおま。そこへいくと万歳きゝにくる席ではよつぽどわたいらのが楽だす、ワアワア笑はせるだけでな。ゆうべも「酒」や「お茶屋」や「正月」のまくらばつかりとり合はせて十五分ほど喋つて高座を降りたら、自分で何をいふたのやら皆目わかりまへなんだ。

昭和6214 京都日日新聞

◇成美団の松川家妻吉 南座二月興行新興成美団の第一鳥江銕也作妻吉自叙伝劇化の「松川家妻吉」は、…舞台装置は閨秀画家島成園女史によつて描かれたもので、…寄席は紅梅亭や堀江賑江亭の楽屋をスケツチして描いたもので、明治時代の大阪風景としても見るべきものがあると。

昭和6217日 大阪朝日新聞

○寄席の芝居 近年は扇子一本で叩き出す落語だけではモボ、モガ連れをひきつけ得ないから、興行主側でも色物をドツサリ加へ、その色物の取合塩梅にひたすら苦心と工夫をこらす。だから落語家でも踊りも出来れば唄もうまい、芝居も出来るといつた多様性のあるのが重宝がられるわけで、南地花月でもときどき落語の喜劇、レビユウといつたものを出すこともあり、新世界芦辺劇場などでは殊にさうした演し物を主眼とし、いま興行中のものなど映画「女給」から思ひついた民謡喜劇「女給の唄」ほかいろいろ芝居風のものを見せている。先般落語界を退くと声明した立花家千橘などにも一遍さうした悩みがあつたらしいが、また近ごろでは引退することをやめにしたとのこと。


昭和63

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 小雀、升三、夏雲起、福団治、小春団治、扇遊、三木助、直造、枝鶴、小柳三、春団治、大辻司朗、柳橋、エンタツ・アチヤコ、円馬、鶴二。余興「南地小唄」(蔵之助・枝鶴・福団治・枝雀・鶴蔵・吉花会女連)

二十日より

△南地花月 鶴二、小雀、源朝、円枝、小扇・クレバ、福団治、重隆・武司、円馬、直造、春団治、エンタツ・アチヤコ、小柳三、小春団治、柳橋、枝鶴、九里丸、紋十郎、三木助、正光。

三十一日より

△南地花月 鶴二、小雀、龍光、重隆・武司、五郎、延若、呉成錬、千橘、直造、蔵之助、扇遊、文治郎、九里丸、紋十郎三木助、小柳三、春団治、おもちゃ。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 清子喬之助、助六、十郎雁玉扇枝、重隆武司、染丸、五郎雪江、小春団治、久里
 丸、紋十郎
三木助、源朝

昭和631日 神戸新聞
◇[広告]楠公西門本家松本座 三月一日より出番替落語と色物 浪花落語泰斗桂團枝 三友派幹部橘家圓太郎 落語保存會會長桂梅團冶 其他十数名と余興色々
昭和635日 大阪毎日新聞

◇大阪の落語家も従来のまゝでは時代の嗜好に適せず次第に凋落して行くので、吉本興行部ではこの程から「民謡劇」など銘打つて歌と踊りで舞台を賑やかにする工夫を凝らしていたが、この度「南地小唄」を脚色し、「見る落語」として十日から南地花月で上演することになつた。また久しく休演のまゝになつていた紅梅亭は十四日から神田伯山の独演会で開場することになつた。

昭和6313日 大阪朝日新聞

○とりとめもない漫談の掛け合 万歳師 横山エンタツ

 いろんなお客様相手の私どもの職業ですから、出演する寄席の位置によつて自然それ〴〵演じ方を変へるやうな都合になります。北陽や南地の花月あたりに出演しますと、おいでの客も通の方、インテリの方が比較的多いから、あくどい、説明の多いことを申したのでは「ちつとも可笑しくないな」と叱られてしまふ。

例の九里丸さんは時事ニュースの単独漫談をやられますが、当方は仲間と二人の掛合漫談でニュースを直ちに漫談にするといふのではありませんが、なるべくモダンで目新しい題材をえらび、それでとりとめもない会話を投げ合つて、いつお終ひになつたかわからぬやうなところで引込んでしまふといふやり方です。かういふ場合は駄洒落は努めて避け、真正のナンセンス味を出さうとの心掛けなのです。例へば「今工事をやつている地下鉄も、あゝして何百間といふ長さで容易ぢやないね」「あれを簡単にやつてのけるいゝ方法がある」「はゝん」「あんなに横に掘つてないで縦に掘るんだ」「はゝん!?」「縦に掘つておいてそれをさつと横に倒す」

昭和6315日 神戸新聞

◇[広告]楠公西門松本座 三月十五日より出番替 値下断行二十銭林家染三、桂梅團冶、市川富子、柳精柳朝


昭和64

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 鶴二、小雀、升三、正光、九里丸、紋弥、呉成錬、福団治、直造、千橘、神田山陽、エンタツ・アチヤコ、春団治、枝鶴、扇遊、円馬。

二十日より

△南地花月 鶴二、小雀、清・クレバ、染丸、正光、延若、歌江・慶司、久本連、山陽、扇遊、枝鶴、小春団治、エンタツ・アチヤコ、正蔵、三木助・紋十郎、九里丸、春団治、一郎。  

△北新地花月倶楽部 清・クレバ、源朝、文治郎、紋十郎・三木助、こたつ・日左丸、正蔵、九里丸、円馬、歌江・慶司、小春団治、正光、枝鶴。  

△松島花月と新町瓢亭 落語諸芸競演会。  

△天満花月と玉造三光館 万歳諸芸大会。  

△千日前三友倶楽部 絶対的人気を呼んでいる大和家清子、春子、八千代三姉妹引続出演。

三十日より

△南地花月 鶴二、小雀、升三、蔵之助、正光、枝鶴、呉成錬、小春団治、三八、ジャズ、紋十郎・三木助、文楽、天右一行、春団治、九里丸、円馬。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 右の助、助六、三馬、源朝、三八一駒柳枝枝、正光、福団治 円馬、アチヤコ
 ・エンタツ、千橘、枝鶴、亀鶴。

十一日より

△新京極富貴 右の助、助六、三馬、源朝、三八重隆武司枝、延若、文治郎、円馬十郎雁玉紋十郎、三木助紋也久里丸竜光

三十一日より

△新京極富貴 長演会 延若、蔵之助、円馬、西村楽天、春団治等一人三十分以上の長講。余興五郎・雪
 江、春子・正春の万歳。

641日 神戸新聞
◇[広告]
楠公西門松本座 當る四月一日初日おへその宿替へ落語と色物 全部出番替り

昭和6415日 神戸新聞

◇[広告]楠公西門松本座 當る四月十五日より全部出番替り落語と色物 落語(桂梅團冶)落語(談洲楼圓蔵)女漫談(市川富子)落語(立花家花橘)萬歳(唄廼家小太郎、同ライオン)

昭和6年4月15日神戸

昭和6416日 大阪毎日新

○大阪落語の会 郷土研究会から 
 廃れ行く大阪落語に愛着を持ち、その保存に努めるため、西成区南吉田町上方郷土研究会では十八日午後一時から四時まで南区清水町北むらで桂三木助、笑福亭枝鶴、花月亭九里丸によつて純大阪落語を聴かすことになつたが、会場も昔の寄席気分を横溢させる趣向であると。

〈編者註〉南木芳太郎主宰の上方郷土研究会が主催した大阪落語保存会は、四月十八日午後一時より北むらにて開催された。当日の様子が雑誌『上方』第五号(昭和651日発行)に報告されているので以下に掲げておく。

大阪落語保存会の記(第一回)

6年 002時勢に適はず大阪落語がだん〳〵滅びて行く、凋落して行くその姿を眺めていると、そぞろ愛着の念が起る。大阪がもつ方言の軽妙な説話、ユーモアに富む手真似身振りの大阪落語こそ、尖端化して行く現代の反面に都会人の心の裕りとして又必要なものがある。これは何かの方法の許に保存させて置きたい。私は前々号にも述説して置いた通り、大阪言葉がだん〳〵変化して、純粋の方言が今に抹消され聴かれなくなるであらう。これは言語の統一上当然ではあるが、一面に土地が生んだ方言の保存上、大阪落語なるものは簡便で適切なものと思惟している。こんな見地から、せめて私共と考を等しくする人達の耳にだけでも聴取つて置き、又記録として残して置きたい。これが開催を促した趣意である。

四月十八日、吉本興行部の了解と北村春歩君の厚意とによつて、会場を清水町の北むら三階大座敷で催す事にした。午後一時開会、四時閉会と触出したのは、夜間は出演者の職業上に支障を来たすのと、出演者の気分の上にもゆつくりしない。

北むらの表口には昔の寄席気分を出すため、昔ばなしと書いた角行燈を釣して会場入口の目標とした。さて会場は寄席気分を横溢さす為、中央に通ひ道を造り、高座には見台に膝隠しの小衝立よろしく万事大阪流の設備をする。

午後一時を待たず会員は続々と来会せられて開会前には已に大入満員の体。

一時過ぎ太皷を入れると寄席気分が漂つて来る。先づ小生が開催の趣旨を述べ、吉本興行部の支配人瀧野氏は、下座の小雀(囃し方)おたき(三味線弾)、この両人は現在稀になつた大阪落語の囃方として三十年近く勤めている人、この人達を除いて方今真に落語の相方、下座の要所〳〵を悉知しているものは絶対にない、これはある意味に於て国宝的の人物であるが、今日は特に呼び迎へたので、本日用ゆる下座の妙所をも併て聴いて貰ひたしと注意する。

幕が上ると九里丸君、喝乎の裡に迎へられ(彦八を中心として)の漫談、大阪落語の元祖米沢彦八は江戸の鹿野武左衛門、京の露の五郎兵衛に匹敵する名人で、大阪に落語の種を植え付けたものであると彦八の小咄を一寸紹介し、あとは明治時代まで大阪に残存し実行されていた児童の無邪気な遊戯振り、猫買ふ、蝋燭のしん巻き、中の〳〵の小坊ンさんの類、或は子守唄、手鞠唄のさま〴〵を実演して、聴者をして何れも子供心に返らしめた特趣の演技は九里丸君ならで出来ぬ持味、一同を大喜びに悦せた。

次は枝鶴君の「植木屋娘」、定評ある独特の大阪弁で軽妙洒脱、又頗る熱演で聴者をして始終頤の紐を解かしめて大に満足を与へた。

此處で中入の太皷を入れ、来会者一同へかき餅茶を配り、おみやげとして松屋町の一文菓子、おらんだ、巻き煎餅、猫の糞、どんぐりの類など旧時が追憶される当時小供が愛好した駄菓子を袋に入れて配つた處、これは意外の大受けであつた。

休憩後、当日のとり三木助君の「あみ船」は四十分の長演。隠居、若旦那、町幇間の茶ら喜、船頭、何れも人物が躍如として浮び出て、真に迫つた話術は聴者をしてぐん〳〵妙味に引入れてゆくその舌練、流石大阪落語界の驍将として近来になき好(よき)聴きものであつた。

かくて三時四十分、予定の時間が迫つたので閉会を告げた。当日は姫路・神戸・御影・京都・岸和田の方面よりの来会者で百十余名。菊池幽芳氏、高安六郎氏、木谷蓬吟氏、松瀬青々氏、岸本水府氏、岡島真蔵氏、高谷伸氏、一柳安次郎氏、島崎三秋氏、川崎巨泉氏等の各方面に渉つた趣味家の顔触れにて頗る盛況を呈した。(南木生)

〈編者註〉同誌に笑福亭枝鶴の「植木屋娘」、桂三木助の「あみ船」の速記が掲載されている。

昭和6427日 大阪時事新報

〇信仰を語る芸苑の人々 
「髪長くうらみを深き罪の身の何をいろどるこのもすそかも」(白蓮)
 美と愛の世界に、享楽と笑ひの国に生きる人々に、宗教は彼と彼女たちのたましひを如何に支配しているか。それを尋ねんがために記者の巡礼は始まる。まづ第一に訪ねたのが落語界の人気者桂三木助君である。

 笑の宗教 桂三木助

「とても道楽者でして、元来がのんきものと来ていますから、どうも神さまや仏さまに御無沙汰ばかりしているんですよ」と語る。客間には小さいながらに金ピカの仏壇が安置されている。

 さうですね、落語で仏教を取扱つた物では「こんにやく屋問答」、これは上方では「餅屋問答」といふので、三代目の文枝さんや円喬さんなどが得意のはなしです。それから「かじ沢」といふのがあります。これは故人円馬師匠がよく話されました。「餅屋問答」は(編者註:餅屋問答のあらすじ省略)禅問答の風格が偲ばれて、中々味のある話。「かじさわ」は(編者註:鰍沢のあらすじ省略)故人の円馬がこれを話すと、いかにも利性あらたかな身延霊験の信仰がお笑ひのうちに溢れたものです。

こんなおはなしに親しんでいるうちに、つい仏法に縁が結ばれて参りましてね。日蓮さまの御人格が好きになり、それに私は観音さまが大好でしてね。女房の次に観音さまといふ順序、いやこれは冗談ですが、何だかたよりなく感じる時は、観音さまを拝みます。笑ひのうちに日を送る稼業ですが、私の師匠はよく「声を出してお客様が笑ふやうぢや本当の笑ひぢやない、ぐつと腹の底から笑ひをこみ上げさせなくつちや」と小言を申しましたが、腹の底から笑ひの出るやう、これに成り切つた所が私共の宗教とでも申しませうか。

昭和6428日 大阪朝日新聞

◇純粋な大阪弁保存は大阪落語保存に如くはないと大阪郷土研究会が発起でこんど「大阪落語保存会」が生れた。船場育ちの笑福亭枝鶴が「つまり『なんしてけつかんで』の純大阪弁ばかりで標準語とか漢語とかは存ぜぬ吾々仲間といふわけだす。春団治がこの間も列車の食堂にはいつてボーイに『定食ですか』といはれ『停食』のつもりか『休みだつか』と出て来ました」──落語みたいなことをいふ。

上方落語史料集成 昭和6年(1931)5月~8月

昭和65

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 鶴二、小雀、おもちゃ、清・クレバ、福団治、扇遊、千橘、小春団治、九里丸、円馬、アチヤコ・エンタツ、枝鶴、金語楼、直造、春団治、天右一行。余興「女給」。

二十日より

△南地花月 リーグ舌戦会 おもちゃ、清・クレバ、春子・正春/西村楽天、小春団治、円馬、枝鶴、直造、ろ山、春団治、三木助/コミック、ジャズ、松旭斎天右一行。【寄席ビラ参照】

三十一日より

△南地花月 鶴二、小雀、正光、福団治、重隆・武司、文治郎、アチヤコ・エンタツ、千橘、菊春・太郎、ろ山、三亀松、小春団治、枝鶴、九里丸、紋十郎・三木助。

昭和651日 神戸新聞
◇[広告]
楠公西門本家松本座 落語大會落語舞(談洲楼圓蔵)落語(桂文都)水芸(旭水)大阪初下り人情噺(春雨家雷蔵)

昭和6年5月1日神戸

昭和656日 大阪朝日新聞

○諧謔曲 落語の落ち 桂三木助 

 「オイ寄席も面白くないナア、同じ事ばかりやつてよつて」とは私どもが久しく耳にスルことですが、これは演者が悪いのでせうか、フワンの皆様が良くないのでせうか。「このごろの落語は落し噺しが落さん噺しや」とよく昔のご常連からお小言を戴きますが、これも演者よりも近ごろのフワンの罪ぢやないでせうか。

スピード時代といふのか、皆様のお気持が大変慌しくなつて参りまして、かなりテンポの早い話題で、出るなりドツと笑ふ噺でないとお気に召さない。ソレ故演者も人気を落したくないから部分的(前受)に面白いところのみ演つて笑つて頂いたら、何々の中端といふ工合に誤魔化して入りますが、演者としては落ちまで演りたいのです。

落語の落ちは落語全体の生命ですが皆様が聞いて下さらないのです。イヤ落語を解する力がたりないのです。落語は曲のない芸です、声のいらない芸です、節付けのいらない芸です、真の話術なんです。ソレだけ苦しいのです。「馬鹿! 時代が違ふ!」といはれゝば仕方がありませんが、落語は大阪の郷土芸術の一つでございます。大阪の落語、東京の人情はなしでせう。落ち付いて聞いて頂けば、一種味のある古典的の芸術です。皆様も落語を味はつて見て下さい。レビユーもよろしいが、古い芸術にレビユー式は駄目ぢやないでせうか。

「はなし家が聞て上手にソヤサレて余り嬉して落し忘れた」といふ川柳などは意気ぢやありませんか。時代遅れの落語ですが、また別の味もあるのです。味はつて下さる方があるでせうか。

昭和656日 大阪朝日新聞

◇広津和郎の小説「女給」はとんだ興行価値を生んだので、主人公小夜子こと東京新橋のカフエー女給杉田きく栄が到頭吉本興行部の手で女優にまつり上げられた。といふのは長田幹彦氏案「女給小夜子」劇に先日浅草昭和座に出演したが、更に朋輩の君代こと加藤香代子と本月十日から十日間大阪の南地花月、新世界の芦辺劇場に出演させる。小夜子は速成俳優だから、どうせ舞台に出てもマネキンみたいなものだが、月給が東京では莫大な百五十円だつたといふが、大阪でも大体それに近い契約といふふれ込みだ。何れにしても文士、興行者、当人チームワークですでに大分儲けたことではある。

昭和6510日 大阪朝日新聞

[広告]小説「女給」の主人公小夜子、君子の実演、柳家金語楼特別出演 南地花月、千日前芦辺劇場。

昭和6514

<三遊亭円子死亡>

円子 001●三遊亭円子 本名須永藤三郎。安政二年生。東京神田の質屋の倅で、歌舞伎役者を志し、九代目市川団十郎門下で九万蔵を名乗る。のち芝居小屋の囃し方を経て落語家となった。師匠なしの独立で、三遊亭万寿となのり、のち円子と改めた。二代目三遊亭円馬に認められて三遊亭の亭号をつけたとも伝えられるが、無断で借用したようだ。明治二十九年ころに大阪へ来て、その後定住した。浪花三友派に属し、古株となってかなり羽振りをきかせた。三友派が吉本に統合されたあとも暫らく出ていたが、昭和二年に引退した。噺はうまくなかったが、二調鼓が得意で、「鼓の円子」として人気があった。二調鼓とは鼓を急速度で連打しながら巧みに抑揚をつけ、これに笛と太鼓を持ち替えて一人で演奏する曲打ちである。舞台に出ることが好きで、地方廻りをしたときなどは二度も三度も飛出して、色々なものをやって田舎の客を喜ばせたという。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)

〈編者註〉大阪毎日新聞と大阪時事新報が円子の死亡を伝えているので掲げておく。

昭和6516日 大阪毎日新聞

●三遊亭円子逝く 皷と二調で鳴らした三遊亭円子こと須永藤三郎は高座をひいていたが、十四日午前八時、南区大宝寺町西ノ町の自宅で脳溢血で死去、享年六十八。葬儀は十六日午後四時、阿倍野葬儀所で営む。同人は純粋の神田ツ子で、質屋の息子から役者の群に入り、先代円馬に認められ落語家となり人気者であつた。

昭和6517日 大阪時事新報

●三遊亭円子 脳溢血で逝く 大阪落語界の元老、「鼓の円子」で知られいる三遊亭円子こと須永藤三郎氏は、十四日午前八時東区大宝寺町の自宅で脳溢血で逝去した。享年六十八。同人は生粋の江戸ツ子で、神田竜町質屋の息子に生れ、好きから落語界に入つた人で、先代の円馬に因んで円子と呼んだもので、最近吉本興行部から引退していたが、時々地方巡業に出て好きな芸道に親んでいた。

昭和6517日 神戸新聞

◇[広告]楠公西門本家松本座 五月十五日より出番替り三人長講會腕競べ 神田伯山高弟神田小伯山 桂梅團冶 大阪落語組合長桂文都

昭和6520日 大阪時事新報

◇花月の舌戦会 南地、北新地両花月では従来の顔触れに二十日から西村楽天と神田ろ山を加へ、三十分以上の時間を与へて長演会を催す。二十日の演題は「六大学リーグ戦野球漫談」西村楽天、「野球狂時代」小春団治、「木挽茶屋」三木助、「天王寺」枝鶴、「森の石松」ろ山、「青菜」春団治、「茶の湯」円馬。

昭和6520日より南地花月にて「リーグ舌戦会」

6年 004

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。

昭和6521 京都日新聞[広告]新京極中座

6年 027


昭和
66

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 鶴二、小雀、升三、延若、小柳三、九里丸、蔵之助、十郎・雁玉、文治郎、五郎・雪江、伯
 龍、エンタツ・アチャコ、千橘、三亀松、春団治。

二十日より

△南地花月 長演特撰会 升三、エンタツ・アチャコ、小春団治、小柳三、蔵之助、枝鶴、九里丸、伯龍、春団治、三木助、生蕃舞踊団。【寄席ビラ参照】

三十日より

△南地花月 鶴二、小雀、源朝、歌江・慶司、五郎、馬生、正光、十郎・雁玉、円馬、千橘、エンタツ・アチャコ、紋十郎・三木助、石田一松、枝鶴、扇遊、春団治、一郎。

昭和662日 神戸新聞
◇[広告]
楠公西門松本座 六月一日より出番替り電気応用して御覧にいれます 小伯山独特の連続講談 神田伯山高弟神田小伯山 桂梅團冶 桂文都 文の家恋しく

昭和666日 大阪時事新報

○あの道この道 辛い哉三軒分住 春団治不義理の由来 

例の鑵詰放送で大騒動を起した桂春団治君、同じ住吉公園に二軒の家を持つている。一つは住吉神社の南側、こゝには立派に桂春団治の標札が出ている。今一軒は住吉公園電車道に沿うて南へ東側の料亭春団治茶屋。

前者に鎮座ましますのが例のどえらい浮名を流して有名になつた道修町某薬家の所謂後家はん、後者は第三号とやら。で、高津の宅は?と聞くと、「あれは後家はんとは余り年が違ふさかいに正式に貰ふた女房や」といふ。「後家はんがおこりやはりまつしやろ」と尋ねると「その後家はんが貰うてくれたんや」とすましている。

吉本興行部からの月給は保証の限りではないが二百五十円也。これだけでは三軒の家も持ちきれまい。その結果が、専属であつた日東レコードへも不義理をしてまでも他のレコード会社へ吹込まねばならないのだし、法度の放送もやりたいといふわけわ? 

昭和6615日 神戸新聞

◇[広告]楠公西門本家松本座 十五日より出番替え落語と講談 落語(桂梅團冶)千里眼問答(文の家恋しく)講談読物清水次郎長(神田小伯山)東京落語音曲振事(近松家紋左衛門)大切(二人羽織) 文都 花柳

<編者註>以降、松本座の記事、広告はこの年はなし。

昭和6年6月2日神戸

昭和6620日より南地花月にて「長演特撰会」

6年 009


本能寺、蛸芝居、小倉色紙、十番斬、瓢箪場、鏡山、自雷屋、質屋芝居、網七、助六 小春団治

官営芸妓、高尾、弥次郎、偽金、百々川、穴泥、千早振る、衛生料理、頓死、色懺悔 蔵の助

悋気独楽、鍬潟、牛の丸子、三枚起請、雪こかし、猿後家、桜の宮、仏師屋盗人、高津富、崇徳院 枝鶴

子別れ、湯屋番、火事息子、小言幸兵衛、胡椒の悔、粗忽の釘、三人片輪、粗忽長屋、二十四孝、高砂屋 柳橋

野崎詣、按摩こたつ、猫忠、双なり、鯉舟、三人旅、禁酒関所、嚔講釈、逆盗人、らくだ 春団治

良寛、竃盗人、村正、灰屋、帯久、犬太郎、菊江仏壇、立切れ、紙屑屋、後家殺 三木助
〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。

昭和6624 京城日報

◇[広告]六月二十四日、二十五日の二日間限り/柳亭燕路独演会/≪一日目≫落語(軸ほめ)義士伝(三村次郎右衛門)振事(越後獅子)落語(高砂屋)滑稽(江戸茶番) ≪二日目≫笑話(素人芝居)昔噺(唖の魚釣)長唄(小鍛冶)落語(居残佐平次)滑稽(江戸茶番)


昭和
67

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 鶴二、小雀、升三、馬生、勇・清・クレバ、染丸、春子・正春、五郎、五郎・雪江、千橘、石田一松、小春団治、エンタツ・アチャコ、春団治、九里丸、蔵之助、正光。

二十日より

△南地花月 鶴二、小雀、おもちゃ、升三、千橘、扇遊、延若、勇・清・クレバ、円馬、小春団治、五郎・雪江、紋十郎・三木助、エンタツ・アチャコ、枝鶴、呉成錬、春団治。

三十一日より

△南地花月 鶴二、小雀、源朝、おもちゃ、九里丸、三木助、直造、エンタツ・アチャコ、紫郎・六三郎、勇・清・クレバ。余興「死刑囚」(千橘・アチャコ・五郎・三木助・蔵之助・エンタツ・春団治・延若・染丸・福団治)、「放送室」(九里丸・小春団治・円馬・静子・秀次・小秀・光子・お龍・弓子・文子・春団治・千橘・蔵之助)、「三都行進曲」(春団治・小春団治・蔵之助・福団治・染丸・千橘・エンタツ・アチャコ・静代・橘子・弓子) 

昭和672日 大阪朝日新聞

◇おそろしくブロークンな英語を当人得意で落語にまぜるざこばをはじめ花橘、塩鯛、小円太ら、いままでは吉本興行部と縁の切れている落語家連中が自分たちの失業を救済すべく一団を新組織して、船場の二つの国光席を借り、一日から初回の手興行をはじめた。落語といふ言葉は古い香がしていけないからと「笑話会」ちふ新しがつた名をつけている。

昭和674日 大阪時事新報

○鬘をとつた芸人の横顔(十) 春団治の巻 

 弱き者よ、汝の名は落語家也 吉本の「鴈治郎」と呼号する 春団治鼻べちやもの譚 

 今の世の建替へ、龕灯返しの世上で一等惨目なものは落語であらうか。その落語界に、彼は「吉本の鴈治郎やデ」と呼号している男がある。あんまり威張つた綽名ぢやない──野卑な「後家殺し」と呼ばれる桂春団治がそれだ。大阪の落語界──寄席、いろ物をモノボライズした吉本興行部における「鴈治郎やデ」といふ意味は、吉本の米櫃だぞといふのだが、時代は移り変る──。にも拘らず「吉本の鴈治郎やデ」と繰返している処が、この春団治の可愛い処であり、余ンまり目先の見えない処でもある。その吉本の鴈治郎が鼻ペチヤンコ物語りはこの間の放送紛糾問題。 

吉本は寄席の淋れ時勢にj・o・b・kはいとゞ寄席への客足を阻むものだといふので、放送を太く嫌ひ、その所属芸人一統放送罷ならぬとある。放送するならば吉本が支配して放送させようといふ段取。事実家庭にあつて聴かうと思へば聞ける「はなし家が阿呆な事をいつてる、スイッチ切つとき」で自由な放送は全く席の敵仇であらう。その「寄席の鴈治郎」が吉本を出抜いて放送。 

6年 003何人の智慧か知らぬが、春団治が京出勤だからといふ理由で、京の出張所からの放送には、遉の吉本も出し抜かれて、上本町へ二の腕まくつて駆け付けた連中は口アングリまでは、相撲が一寸面白かつたが、芸人の敷を江戸の敵を長崎の格で強制執行。ドテラ着たきり雀の春団治は途方に暮れた。

元来春団治は家を三軒維持している。正妻?、問題の殺した?後家、春団治茶屋と、この三軒の家を彼は二百五十円の吉本から支給される給料と、かゝるお座敷とで支弁しているのだから、苦しい、苦し紛れの禁止の放送だと吉本ではクワッ〳〵になる。

春団治はドテラ一枚で「ワタイは吉本の先代から御恩になつています、が今の番頭連には何の遠慮せんならんことおますかいな。あいつらの裏を誰の前でもいうてやるから、ワタイが煙たうおまんおやデ」と吉本の鴈治郎、大見得切つて、「競売されたらサツパリします。大阪中どこ歩いても春団治の蓄音器をやつていんとこあれしまん」と、酒臭い呼吸を吐いていたが、その裏では染丸、三木助を歴訪して弱い音を吐く。

目の前に迫る正月の上半月の働き時をフイにして、春団治茶屋の長火鉢に凭れて、「俺かて吉本の鴈治郎やデ」─―と繰返へしつゝ、吉本へお詫びを入れ、新聞には「お詫一札の事」の広告が出るといふ始末。「弱き者よ汝の名は芸人なり」―─その後ろ影は寄席の灯とともに段々と揺られてゆく、あの「横顔」の痩せたことわいな──(写真は春団治)

昭和675日 神戸新聞

[広告]愈々けふ開場(境浜海水浴場麻耶山天幕村)○境浜海水浴場余興浪花會一行 落語手踊(笑福亭里鶴)足芸(桂遊楽)萬歳(都亭二三丸、花蝶)奇術(ジャクラ王花)軽口(桂家遊次、同鶴光)萬歳(喜楽家花蝶、同天楽)○麻耶山天幕村余興笑の會一行 音曲手踊(桂家文子、同米八)高級萬歳(千本家静吉、同静八)長唄舞踊野球ダンス(杵屋道子、初子)バイオリン(バレー)曲芸(丸一清)学者犬トミー

昭和6711日 神戸新聞

[広告]十二日の海と山○境浜海水浴場笑會一行の諸芸大會=午後一時より 漫談(桂米丸)萬歳(若松家正楽、同鶴千代)落語舞(笑福亭松竹)文化萬歳(桂家半丸、同奴)魔術(松浪天外)音曲萬歳(若松家正三、遊子)○麻耶山天幕村日本水芸=家元吉田菊五郎一座 落語(橘家矢笑)小奇術(吉田菊丸)人情手踊(笑福亭里鶴)奇術(吉田菊五郎)足芸(桂遊楽)大魔術(吉田菊五郎一座)軽口萬歳(桂矢笑、同遊次)大水芸(吉田菊五郎一座)

昭和6723日 大阪朝日新聞[広告]春団治レコード

6年 023

昭和6726日 神戸新聞

[広告]二十六日日曜日海と山の催し○麻耶山天幕村特別余興 午後一時と午後七時の二回芦辺會一行 落語(桂米丸)音曲掛合(伊勢家利秋、花子)曲芸(曹漢忠)文化萬歳(桂家米丸、蔦奴)大曲芸(曹漢忠、曹漢龍)音曲萬歳(伊勢家利秋、花子)○境浜海水浴場余興 午後一時より此花會一行の諸芸大會 落語(遊喬)萬歳(花蝶、文男)落語手踊(松橋)奇術(三好)軽口(大判、小判)文化萬歳(小雀、茂子)


昭和
68

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 鶴二、小雀、升三、勇・清・クレバ、千橘、直造、春団治、エンタツ・アチャコ、逸郎・春之助、筒井徳治郎。余興「人生双六」(小円馬・千橘・花治・染治・延若・染子・金の助・栄枝・枝雀・光鶴その他女連)、「銅像」(エンタツ・アチャコ・金の助・蔵之助・小円馬・延若・春団治・千橘)、「大阪行進曲」(小円馬・延若・枝雀・鶴蔵・花治・静子・栄枝・弓子)、「片袖」(金の助・福団治・円枝・春団治・小春団治・延若)

二十日より

△南地花月 枝右衛門、小雀、升三、一郎、直造、十郎・雁玉、紫郎・六三郎、五郎・雪江、清・勇・クレバ。余興「道頓堀行進曲」(弓子・静子・登美子・五郎・枝鶴・福団治・千橘・小円馬・枝雀・鶴蔵・金の助)、「三人舞踊」(文子・五郎・延若・お龍・枝雀)、「国定忠治」(円馬・五郎・円枝・三木助・蔵之助・千橘・延若・枝雀・福団治・花治・捨六・柳昇・枝鶴)、「極東大会」(三木助・千橘・静子・鶴蔵・冨美子・弓子・蔵之助・花治・光鶴・五郎・金の助・円馬・枝雀・円枝・福団治・枝鶴)、「お国自慢」(東京─枝鶴・鶴蔵・静子、高野山─福団治・千橘・枝雀、鹿児島─円馬・円枝・五郎、大阪行進曲─三木助、箱根─延若・福団治・蔵之助・枝雀、仙台─女連、京都─五郎・千橘・延若・花治、□□─小円馬・柳昇)

三十一日より

△南地花月 小雀、龍光、柳昇、扇遊、小春団治、ラッパ・日左丸、蔵之助、一光、福団治、五郎・雪江、千橘、枝鶴、石田一松、春団治、九里丸、三木助。

昭和681日 神戸新聞
[広告]土用二の丑二日日曜日の催し○境浜余興此花會一行演芸大會 落語(遊喬)萬歳(花蝶、文男)落語舞(松橋)奇術(三好)軽口(大判、小判)萬歳(小雀、茂子)○麻耶余興橘家一行の色物大會 落語、少女萬歳、舞踊(三ツ面)京人形、萬歳奇術二輪加「女房の笑顔」

昭和682日 大阪朝日新聞[広告]南地花月・花月倶楽部

6年 024

昭和686日 大阪朝日新聞

◇筒井徳二郎、こんどは南地花月で漫談をやる。「なんでもやる、ちよつと嬉しい爺さんだ」とは人の噂。

昭和689日 京城日報

◇[広告]浪花館/八月九日より三日間限り 落語界の大人 三代目橘家圓蔵師独演会/≪初日≫牛ほめ 端書無筆 子は鎹 ≪二日目≫喧嘩長屋 夢金 三年目 ≪三日目≫天災 妾馬 紺屋高尾 ≪余興≫女道楽 三府浮世節

昭和6814日 大阪時事新報

◇千日前南陽館 こゝは数年前、色分けの切符で客を入れて、四つか五つ聞かすと切符を買ひ換へねば後を聞かれぬと云ふシンラツなやり方、不服の客と揉めでもすると、それが解決せぬと次の幕を開けぬエゲツナイことをしていたが、不況には勝てず、この頃はそいつをやめている。番組は万歳が六、一人高座は唄が二つ、紙切、独楽に金語楼を真似て「兵隊」のイミテーションをやつているが、相当にはまつている。コマの源朝と紙切のおもちやの歳取つた事が特に目立つ。文句だけの浪花節真似やネタの古い万歳で番組に新味のない事は吉本らしくもない。

昭和6814日 神戸新聞

[広告]十六日の海と山○境浜海水浴場午後一時より 余興扇都會一行の芸術大會 萬歳(歌次、一声)落語手踊(扇柳)萬歳(あきら、美代子)珍芸(文弥)萬歳(扇三、駒三郎)奇術(天光)落語(圓都)○麻耶天幕村演芸大會午後一時と六時 笑話會一行の演芸競技會 百面相(桂米太郎)萬歳(都家文丸、同駒三)漫談(米丸)音曲手踊(桂家蔦奴、米丸)萬歳(若松家正楽、同鶴千代)笑話(桂米太郎)

昭和6823日 神戸新聞

[広告]二十三日の海と山○境浜海水浴場 余興五色會一行演芸大會 午後一時から 漫談と舞踊(しかく)萬歳(扇之助、日出丸)珍芸(楽丸)美術紙切(天外)萬歳(菊丸、瓢■)■交術(豊子)奇術(光子)掛合勧進帳(柴鶴、清三郎)○麻耶天幕村 橘ノ圓都一行演芸競技會 午後一時と七時 珍芸(文弥)落語手踊(扇柳)曲芸(時丸)萬歳(君夫、浮舟)落語(圓都)奇術(天光)

昭和6825 京都日日新聞

〇寄席覗き 万悠太郎 
 
久しぶりに入つた寄席だつた。お客は百人をちよつと出たあたり。地蔵盆に賑はふ千本通りにくらべてこれはまた寂しい大入である。最初聞いたのは洋服をきた一瓢といふのと和服の万歳、何時聞いても若い人の万歳は風邪をひきさうで御免蒙りたくなる。さうした万歳三、四組の間にはさまつて春団治と扇枝が顔を出した。春団治も西陣へ来るとガラリと落ちて実に下司なハナシカ家である。アク抜けのせぬ御祝儀強制のまくらからしてイヤにお高くとまつているところが眼ざはりだ。扇枝は相変らず提灯屋のはり手だ。一向にパツとせぬ旧慣墨守のありさま寂しい。大入もこれでは段々に寂しくなつてくる。この二人の後へ顔を出したのが久里丸、舌たらずの駄洒落をとばしてトヾ久里丸式パレードで尻を濁してゆくあたり、職人衆にもサラリー衆にもオヨソ縁遠い高座である。それでもお客は笑つている。何故笑ふのか。寄席はたしかにグロテスクである。とめに出たのが朝鮮人呉成練君、劈頭朝鮮の紅屋の娘をがなり立て、日本の端唄をうなつていたが、朝鮮人々々々と自ら卑下して人間の数にも入らぬやうな口吻を洩らしているのが聞く者をしてうたゝ暗然たらしめる。何故高らかに唄へないのか‥‥客を殴り殺すつもりでどかつと一番売り出してみては何うか‥‥。(西陣長久亭雑観)

昭和6830日 神戸新聞

[広告]本日の余興○境浜海水浴場 萬歳大會 文化萬歳(東家扇三、秀丸)滑稽萬歳(河内家蝶々、金丸)モダン萬歳(三河家瓢吾、菊丸)漫談と舞踊(橘家橘三郎)レヴユー萬歳(林家うた次、美代子)高級萬歳(橘の圓童、橘三郎)(末広家音若、■子)○麻耶山天幕村 諸芸大會 日光山時丸一行△掛合二輪加(日光山重丸、茶■丸)△奇術(一光斎南枝)△珍芸(桂柴鶴)△手踊萬歳(吾■家四郎、同春子)△浪花節(京山松風)△足芸人形剣劇化猫退治(日光山時丸)

上方落語史料集成 昭和6年(1931)9月~12月

昭和69

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 小雀、一光、円枝、歌江・慶司、三木助、石田一松、紋十郎・三木助、直造、十郎・雁玉、小春団治、春団治、エンタツ・アチャコ、九里丸、円馬。余興「三人舞踊」。

十九日より

△南地花月 小雀、升三、扇遊、円馬、逸郎・春之助、千橘、春子・正春、円枝、九里丸、西村楽天、枝鶴、エンタツ・アチャコ、小春団治、直造、春団治。

九月三十日より

△南地花月 小雀、十郎・雁玉、三八、正光、延若、西村楽天、エンタツ・アチャコ、春団治、一光、小春団治、正蔵、扇遊、枝鶴、九里丸、紋十郎・三木助。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 円馬、延若、円枝、三馬、助六、三八、正光、直造、アチヤコ・エンタツ(兵隊漫才)、六三郎・紫郎、(スポーツ小万歳)、逸郎、春□助、筒井徳二郎(欧米漫談)。

十日より

△新京極富貴 助六、福松、三八、三馬、日出子・一蝶、紋弥、妙子・歌楽、千橘、枝鶴、扇遊、蔵之助。

昭和692日 大阪朝日新聞[広告]新世界芦辺劇場

6年 025

昭和691日~12日 大阪朝日新聞

○放送打明け話① 

高尾 春団治さん、あなたは以前放送についてゴタ〳〵の問題がありましたナ‥‥。

桂春団治氏 私は昔からまともなことをしたことがありまへん。失敗ばかり続けてをります。あれからこつち、ちよつともえいことがおまへん。差押へはやられるわ、三ケ月も休ませられるわ、大分苦しみました。ほうさうは三週間で助かるといふのに三ケ月とは‥‥つらいほうさうやなアと思ひました。ほうさうやつた上差押へまで喰つた。差押へは大分食つて馴れていますが、あれで八度目です。あれでおしまひやらうと思つたが、丁度二月中に済んで差押へが解けたが、邪魔臭いから封印をそのまゝ貼つておいたら「どんなんや見せてくれ」といつて見に来る物好きなお客があつて、その箪笥が見世物になる。それにビール一本出すと十円宛置いて行つてくれる。これはえゝなと思つて封印をそのまゝに放つておきましたら、また差押へを喰ひました。

高尾 放送の経緯を一席‥‥。

春団治氏 私は何も好んで問題を起したわけではないのですが、席の方でわれ〳〵の放送について干渉がやかましいなど、とかく自由を束縛されていたかたちなのを私は不平に思つていましたので、一ぺん放送してやらうと思つて、無理からやつたことで、これには大阪では危いから京都のスタヂオでやるがよからうと、前晩コツソリ京都で泊つて、朝風呂へ行かうと思つて宿を出るとぱつと席の若い者に会つた。私は「風呂へ行くので放送へ出るなんて夢にも知らん、誰かに瞞(だま)されたんやらう」といつて帰らせた。それから自動車で放送所へ行くと、入口に局の人が待つていて、手首をとつて引摺るやうにして荷物を載せるエレベーターに乗せられた。いくら落語家でもこれは虐待だと思つたが、たうとう放送室の内へ引張り込まれてしまつた。放送しはじめれば誰れでも聞いていることだから打棄つてはおくまい、一時はこれでは舞台に上れんと思つた。しかし放送は二十分位でよろしいといふのを、どうせかうなれば悠(ゆっ)くりやれと糞度胸をきめ込んで三十分か四十分位やりました──(席を立つて)これから葬式に行かねばなりませんので中座させて頂きます。どなた様も‥‥。

笑福亭松鶴氏 あゝこれ〳〵、わての扇子を持つて行つたらどもならん、まるで差押へやがなア。(91日)
○放送打明け話② 

高尾 問題になつて中途で止めた放送といふやうなものはありませんか。

安達氏 一つ二つあります。これもある落語でした‥‥。話の全体の筋が悪かつたので途中で私が放送室へ飛び込みました。飛び込まれた向ふもこれは悪いのだらうと感じて止めました。‥‥

大体放送の場合遮断装置があつて、例へば政治上の論議とか演芸方面においては風俗を紊すとか、そういつた場合には必ず監視者が機械の場所に何時もついてをりまして遮断する、またはもし話が危ないところに参りますと御注意いたしますが、それでもなほかつ続けられる場合には何分か遮断いたします。また例へば芝居の放送のあとで、何々の興行をどこそこで、いつからやるといつたやうな宣伝事項にわたる場合は即座に切ります。

松鶴氏 三越から放送していた時分に私は知らず〳〵喋つて叱られたことがあります。雷にあつた旅人が忘れていつた弁当をあけて見たら瓜の干乾しが入つていた。雷は臍の佃煮だと思つて、その下に何が入つているかと見やうとすると、臍の下を見たらいかん。かういふ落語でした。えらい失敗でした。(92日)
○放送打明け話⑤ 

安達氏 松鶴さんの落語には随分面白いことがあつた。

松鶴氏 なんの気もなしに「浮世床」といふのをやりましたが、あれには将棋を指すところがあつて所作が入ります。いひ草は判りますが、手の所作は放送では判らない。やりかけてから気がついて「しまつた」と思つたがどうにもならん。かというてその筋を一々いふ訳にも行かん。話はだん〳〵テレて来る。仕方なしにそれなりにやつてしもふたことがある。あゝいふことは心得ておかねばならぬことで、放送でやる話は、すべて込み入つたもの、思いひ入れがあつたり仕業のあるものは聴く人には判りませんから、テンと駄目だす。

安達氏 松鶴さんの明石名所の話、あれには三越時代に大変困つたことがありましたネ。

松鶴氏 あれはいくらやつてももうよいといつて下さらない。どこまで喋つても合図がない。たうとうあんた明石から兵庫へ行つて舟に乗つてしまひ、船の中でどうやらかうやら済ませましたが、とても〳〵三時間近くも喋らされて苦しかつた。

安達氏 私の方ではまだか〳〵、もう止めて下さればよいが、止めるのを忘れているのかとさへ思つていました。

松鶴氏 けふ日の落語家は二三十分喋ればよいのでありがたいことだが、長いこと喋つているとその中にはついやゝこしいところが出る。

淡海氏 あの時はその次ぎに私のやる番でしたが、随分待たされましたヨ。

安達氏 あの時代は放送室が一つでせう。松鶴さんが済まなければあとが出来んのでこちらもこまりました。(95日)
○放送打明け話⑨ 

松鶴氏 落語でもお座敷の話は上品に出来ているのですが、当今は席主さんの方で大勢の人を引込むために大衆向きにやれといふやうな訳で、それだもんだからつい高座ではくすぐるやうなことばかりになつて、ざつくばらんにやるやうになつてしまひます。昔は綺麗なものだつたのです。それがその自然とこの二十年ほどの間にこんなことになつてしまつたもので、桂さんのものなんかはなか〳〵上品なものだつたのです。これは文左衛門さんが喧しく厳しかつたのですが、それが三遊派[三友派]が盛んになつてからこんなことになつたのです。

奥屋氏 興行においての浪花節なり落語は、昔の盛んなときから見ると下り坂に見えるだらうと思ふ。しかし興行が下火になつたからとて落語、浪花節は衰へるものではなく、浪花節でも落語でもわれわれが態々席へ行つて聞くのとラヂオで聞くのと差して違ひがないから‥‥宝塚のレヴユーとは一寸意味が違ふから‥‥ラヂオに傾いて来て、興行において全盛時代といふものはないであらうが、仮りにあるとしても放送の方ではより以上に盛んになりはせぬかと思はれます。(910日)

〈編者註〉「放送打明け話」は91日~12日まで十一回連載された。出席者は安達福太郎(BK報道課長)、伊東敬一(BK技術部長)、奥屋熊郎(BK文芸部長)、桂春団治(落語家)、岸田辰弥(宝塚歌劇学校)、食満南北(劇作家)、里見義郎(映画説明家)、佐藤光照(BKアナウンサー)、笑福亭松鶴(落語家)、志賀廼家淡海(喜劇俳優)、高安六郎(医学博士)、豊竹呂之助(女義太夫)、成瀬無極(文学博士)、林亙(大阪音楽隊指揮)、広江恭造(BK常務理事)、山本嘉次郎(映画脚本家)、和田精(BK効果係)、本社─高原編集局長、原田総務、石田学芸部長、高尾、小倉、林、花光。このうち落語に関係する発言のところのみ抜粋して掲載した。


昭和
610

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 小雀、升三、扇枝、直造、文治郎、次郎・志乃武、九里丸、小春団治、歌江・文男、正蔵、春子・正春、紋十郎・三木助、春団治、三亀松、蔵之助、一光。

二十日より

△南地花月 新昇、小雀、一郎、福団治、正光、五郎、円馬、春子・正春、文治郎、直造、延若、エンタツ・アチャコ、ろ山、三亀松、九里丸、春団治、源朝。

三十一日

△南地花月 新昇、小雀、小円馬、正光、直造、エンタツ・アチャコ、九里丸、枝鶴、紋十郎・三木助、春団治、山陽、金語楼、木村友衛、一光。【寄席ビラ参照】

昭和61010日 大阪毎日新聞

○はやらぬ寄席 「アパート」に改造 目先を変へた吉本興行部 集中されゆく歓楽境 

 交通機関の発達と興行資本の拡大化は漸次歓楽場の集中を来たし、場末の小屋を衰微させる傾向があるので、市内各所に専属席を持つている吉本興行部ではその運用に悩み、場所によつては久しく休演のまゝにして形勢を見ていたが、寄席としては到底復活の見込が立たないので、方向を転換し、アパートその他に使ふこととなり、その手はじめに西区御池通にある浪花節常設館「堀江花月」を二階建木造洋館に改造し「堀江ハウス」と命名、婦人専用のアパートとして新町署の許可を得、十日から開館することになつた。部屋数は二十六、各室とも四畳半の主室と三畳の副室があり、副室にはガスと水道を備へ、自炊が出来るやうになつている。

昭和61012日 大阪毎日新聞

○楽天大失敗(しくじ)りの巻 BK番組を狂はせた罰は? 

 6年 001一夜のうちに神戸の鉄道が高架線に切替へられたといふのは近来愉快な話だが、これと時を同じうして漫談が束の間講談に化けたといふ余り香ばしからぬ話。

それは十日夜、BKから放送されるはずだつた西村楽天の漫談「こんな話は誰にも内密」が、当日になると講談力士の復讐「小柳織」に変つたことである。漫談と講談、ちよつと縁がないでもないことだが、この切替工事、どうして行はれたか、フアン諸君にちよつとお知らせしたい。こんな話は誰にも内密々々なんですがね‥‥。

おなじみの西村楽天君、目下吉本の席へ出ているのだが、大阪を打揚げて東京へ帰る間の一日を利用して放送で一稼ぎといふ腹から、前もつてBKへ売込んで置いたものだ。そして吉本へは表面一日休養させて貰ふといふ届けを出して置いたところが、放送の前日になつて楽天苦肉の計略も吉本へばれてしまひ、規約を楯にきついお叱り。

フアン諸君先刻承知の通り、吉本は以前からBKを──いやラヂオを商売敵として睨んでいて、寄席がさびれる原因はラヂオにありといふ見解から専属の芸人は一切放送を厳禁しているため、これまでBKとの間にも何回となく紛擾を起し、近い例が春団治の缶詰放送事件までも起したくらいだから、フリーランサと雖も吉本と契約中はどんな理由があらうとも放送には出られない。かうなると今度の事件も全然楽天の責任になる。

BKでは進んで買つた放送ではなし、中継利用の出来る今日では穴埋にもいさゝかも困らないが、プログラム発表後のこととて、フアンに対して面目がないと、あまりいゝ感情ぢやない。そこへ持つて来て楽天も楽天、「吉本から道徳的にせめられたので何とも仕方がありません、悪しからず」と電話の御挨拶だ。ヘタなことをしたものだ。BKでもカン〳〵に怒つてしまつて「今後は断じて放送させない」と力んでいる。大辻司郎が一時AKを失敗つたやうに楽天も大失敗り。こゝ暫くはBKのマイクの前には立てないことだらう。

昭和61016日 大阪朝日新聞

○漫談と落語 落語家 花月亭九里丸氏

 御隠居相手に熊さん八さんの二人旅ではもう駄目だし、といつて仲間の大辻司郎が狙つたインテリ階級の蒼白い微笑では口が先に干上つてしまふし、やつぱり我々は爆弾のやうな奇抜なユーモアを大衆に投げつけて朗らかに爆発させねばあきまへん。そやよつて私らは常に大衆の意向に注意して観察するやうになるので、毎度私が喋つている時事漫談でも次々と起る主な労働争議などの漫談的解説を試みて大いに受けています。どういう風な見方をするかといふと、かういふ問題に批判的な言辞はお咎めがありますから、私らは極端にユーモラスな見方をする、乃至ナンセンス化してしまふ。さうすると無産運動も中々味のあるもので、高い煙突に攀登つて石炭の煙ならぬ気焔を吐いたり、天王寺の五重塔の上からデモをやつたり──なんで労働運動にお寺さんが掛り合にならんならんのやと聞くもんやさかい、そりや相手は争議(葬儀)やヘッヘッヘ……。

昭和61031日より南地花月出番表

6年 005

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成20年)より転載。


昭和
611

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 新昇、小雀、おもちゃ、延若、龍光、枝鶴、紋十郎・三木助、扇遊、春団治、エンタツ・アチャコ、文楽、三木助、山陽、九里丸、小春団治、円馬、一光。

二十一日より

△南地花月 新昇、小雀、正光、福団治、呉成錬、五郎、一春・出羽助、文治郎、紋十郎・三木助、志乃武・次郎、九里丸、枝鶴、直造、小春団治、春団治、おもちゃ。余興「セルビアダンス」。

三十一日より

△南地花月 新昇、小雀、十郎・雁玉、一光、福団治、蔵之助、直造、小春団治、紋十郎・三木助、志乃武・次郎、枝鶴、円馬、春団治、重隆・武司、正光。

昭和6111日 大阪毎日新聞

[広告]関西浪界の王座 新世界花月引越披露興行 神田ろ山・木村友衛 

一日より十日間限 吉本興行部経営 新世界演舞場

昭和6115日 大阪毎日新聞

◇寄席の紅梅亭が食堂に 大阪の一名物として知られていた南地法善寺の寄席紅梅亭は久しく休演中であつたが、今回料理屋として更生することゝなり、府保安課へ使用変更方を願ひ出た。

昭和61119日 大阪毎日新聞

○戦地に「笑ひ」を提供 落語家、講談師の一行が ちかく大阪を出発 

 厳寒迫る満蒙の曠野に皇国のため奮戦する将士をねぎらふ国を挙げての赤誠に、今度は寄席興行界の王座を占める吉本興行部に属する落語家、万歳、講談師の一行が押へ切れぬ愛国心から戦地になごやかな哄笑を爆発させ、せめても君国に奉仕したいと、同興行部では最近満州派遣の人選の結果、落語の九里丸、万歳のアチヤコ、エンタツのほか講談師、浪花節各一名の内定を見、滝野支配人が引率して約一ケ月戦地を経めぐり、派遣軍隊および在留邦人のため奉仕することになり、近く大阪出発の予定である…。

昭和61122日 大阪毎日新聞

○人を笑はす四十八手 
 しかめツ面の人生では何としても憂鬱な 世知辛ければこそ笑つてやりたい今の時代 

 けふ二十二日午後零時四十分からAKでは最新の新しい試みとして、東京神田立花亭から寄席の全国中継放送を行ひますが(BKKKのみはその一部)、これに因んで大阪落語の春団治、三木助、小春団治の諸氏に、落語についていろ〳〵聞いて見ました。

誰も吹き出す言葉の訛り お客さんが笑へば共にゲラ〳〵落語家渡世 

【桂春団治】
 6年 0021
お客様を笑はすことは一通りの苦労やおまへん。これが泣かすほうなら訳はないのですけど、たとへば、わての家が破産になつて執達吏が来てる‥‥テな時に高座へ上つて人情噺でもやつたら、情が移つて、そらうまい事やれまつしやろけど、こんな時、笑はす落語なら、阿呆らしなつて来て、とてもやつてられまへん。笑はすコツの第一は言葉のなまりでせう。「わたしは‥‥」と真直にいへば何の面白味もないものを、それに変ななまりをつけて「わたへヤア‥‥」テナことをいふと、いかにも阿呆がものをいうてるやうでをかしい聞えるものだす。とに角、私みたいな念の入つた馬鹿が、高座では一かど賢こさうな顔をしてモ一つ桁外れの馬鹿者の真似をやるんだすさかい、馬鹿々々しいが、お客様にとつてはこれほどオモロイことはおまへんやろ。それに私はお客がたゞ笑ふだけでなく、涙を流してまで笑うてくれんと頼りなうおます。といふのは、笑うて
〳〵笑ひの止まらぬ時、お客は横腹を抑へて涙を流して苦しんでいやはります。こゝまで来て初めて私は落語家になつた生甲斐を感じます。そしてヒックリ返つて笑うていやはるお客様の様子を上から見渡していつも笑はすほうの肝心の私が、高座でクスツ!と笑うて、嬉しうなつてしまひます。

微苦笑にみる千金の値うち 大口あいて笑はせぬ所に実は落語の面白さ

【桂三木助】
6年 0022このごろ、高座にかゝる落語の数は、大阪落語が約二百、東京落語がまたこれほどくらいのものでせうが、いま、この二つの比較を一口にいへば、大阪は脂こくって濃厚、東京は洒落ていて淡泊とでもいふのでせう。従つて、話し振りも大阪のほうは持つて廻つてモツチヤリしていますし、東京落語はスラ
〳〵と筋を運びます、噺のさげなども、大阪風では特にさげに力を入れて十分お客に得心のゆくやうなやり方ですが、東京風ですとスラ〳〵いつてしまつて、いつさげをいつたかわからない程度にやるのを落語家も味噌とし、お客様も「粋だ」などおつしやいます。デハいづれをとるか? それはお客様の好きずきでございませうが、落語の目的が訳もなく笑はせることだといふなら、軍配は当然大阪方に揚ります。その理由の一つには大阪弁にナンセンス味があつて人を笑はせるには持つて来いだからです。人を叱る時に江戸弁で「馬鹿野郎ツ!」といひ切りますが、大阪弁では「アホーやナアー」といかにも間の抜けた調子です。この東京弁の堅い調子と大阪弁の間の抜けた調子の相違が、東京で講談を大成させ大阪で落語を発達させたゆゑんともいへませう。それから、内容について見ましても、大阪出来のものゝはうは滑稽文学としての立派な作品が多いやうでございます。これも大阪落語の持つ大きな強味の一つです。私しども小さいころから師匠に「たゞ大口あいて笑つて貰ふだけではいけない、ウフフと思はず口を歪めて微苦笑させるやうにならなくてはいけない」と云ひ聞かされて来たものです。たゞ笑はせるだけならそれは馬鹿口で、穿つた皮肉なユーモアで微苦笑させてこそ初めて落語の目的が達せられるのです。

さて、落語の将来といふことになりますと、残念ながら私は悲観論者、その対策の一端を新しい落語フアンを養成するために、今のやうなお座なりの話ばかりでなく、一ト晩に二席くらいは本道を行く落語のやれるやうにプログラムを作ること、落語家自身もつと芸に勉強すること、またその勉強の機会をより多く与へてやることなどに要約出来ませう。

こちら「笑ひ」のタネさがし しかも新人小春団治の苦労話一席

【桂小春団治】
6年 002
「落語界の新人!」だなんて仰有つて頂くと、いやもう恐入つてしまひますが、とにかくお粗末ながらこれまで約十三種ほどの新作落語をこさへてみました。だが、これも私が全然創作したとはいへず、古い落語から趣向を借りて来たものもあります。たとへば御承知の「国勢調査」は「五人廻し」から、「円タク」は「住吉駕」から、「禁酒」は「風の神送り」から、「飛行機」は「船弁慶」から‥‥といふあんばいで、たゞその骨組みに今日の時代の新しい衣を着せているわけです。所が、この新しい笑ひのヒントをつかむのがなか
〳〵大変です。或は新聞の三面記事から種をひろつて来たり、人に聞いた話から工夫してみたりいたしますが、このタネ拾ひにいつも頭を使つておらねばなりません。たとへば「円タク」の中の、運転手がお客の夫婦喧嘩の仲裁をするくだりは、大タクの某運転手さんに聞いた話から取材したものですし、乗客が自動車の中で死んでいたといふのは新聞の三面記事から拾つて来たものです。でも、さすがに新作落語は材料が、現代ものばかりですから、お客様の頭へピンと来るせいか、在来の落語よりはこのほうが容易に笑つて頂けるといふ強味はあります。

昭和61124日 大阪朝日新聞

◇松竹映画隊慰問に戦地へ「笑ひの夕」を提供 零下三十余度の寒風と凍土の満州にいる兵隊さんたちにせめて一夜の「笑ひ」を──といふので、近く大阪吉本興行部に属する落語家、万歳、講談師などの一部隊が自発的に「哄笑」を提げて戦地へ慰問の旅に出発することゝなつているが、こんどは松竹キネマ大阪支社で駐満軍慰問隊を出すこととなつた…(後略)。


昭和612

大阪の寄席案内

十日より

△南地花月 新昇、小雀、源朝、千橘、一光、延若、文治郎、歌江・奴、春団治、藤村梧朗、勇・清・クレバ、小春団治、志乃武・次郎、正蔵、枝鶴、扇遊、紋十郎・三木助、龍光。

十六日より

△南地花月 小雀、源朝、千橘、一光、延若、文治郎、歌江・奴、春団治、藤村梧朗、勇・清・クレバ、小春団治、志乃武・次郎、正蔵、枝鶴、扇遊、紋十郎・三木助、龍光。

昭和6121日 大阪朝日新聞

○満州の将士を「笑」で慰問に 九里丸らの一行、明夜出発

6年 026

 吉本興行部から満州駐屯軍慰問のため満州に行く講談の神田山陽、漫談の花月亭九里丸、万歳の横山エンタツ、花菱アチヤコ及び瀧野同支配人の五人はいよ〳〵一日午後十時大阪駅発西下、京城経由奉天に直行、同地で関東軍司令部と打合せて満州各地に爆笑の渦をまき起してまはる予定で、一行は三十日と一日の夜は物々しい防寒姿で高座に上つて大いに気勢を挙げるさうだ。(写真は三十日本社を訪問した慰問演芸隊。左より九里丸、アチャコ、瀧野支配人、山陽、エンタツ)

昭和6121日 神戸新聞

萬國館 萬歳色物義太夫大會

千代之座 萬歳幹部連続出演と天右一行

大國座 千代之座萬歳連連続出演

多聞座 貞楽劇

昭和6123日 大阪毎日新聞

◇大阪千日前や新世界、北陽、南地、天満、松島──と目ぼしい寄席は一斉に師走興行の番組を、新作で、十八番で、万歳で、落語レヴューで盛上げて、落語家たちは一人で四軒も五軒もかけ持つて、円タクで駈けまはり、大阪から京都を往復して、一本の張扇から爆笑を叩き出して居るのだが、「私たちは今ぢや張扇を持ちません。そのかはりゼスチュアつてやつでおります。張扇でパチン! とお客さんの気を引きしめるテは古いですな。高座から笑ひで倒す借金戦術を懸命に御伝授するわけなんですが、つい、その身につまされて、高座のユモリストも悲しくなる師走なのです。」青年落語家小春団治はさういふのである。人々の眼に血が走る師走、ペーヴメントの靴音がアレグロに変調するクリスマス近いこのごろ、日本人の古典的な心臓をくすぐる笑ひの王座にも師走の憂鬱は濃い影を落している。

昭和61225日 大阪毎日新聞

○まるで凱旋のかたち 大笑軍帰る 満州軍慰問を終へ こんどは内地で報告演芸  

大阪吉本興行部が満蒙出動将士慰問のため派遣した山陽、九里丸、アチヤコ、エンタツの四君は、瀧野支配人に引率され、二十四日午前九時四十分、防寒服に着ぶくれた姿で大阪駅へ帰つた。同興行部では専属芸人を総動員し「満蒙慰問大笑軍歓迎」の大旗と小旗で駅頭を埋め、凱旋将軍を迎へるやうな騒ぎ。一行は自動車を連ねて第四師団、各新聞社を歴訪して無事帰阪の報告の後、午後一時から南地法善寺花月の歓迎会へ向つた。なほ新春から観戦実話にナンセンスを混ぜて興行するが、これに先だち内地将士への報告演芸として本社斡旋で左記の通り開演する。

二十五日午後一時から野戦病院、同七時から第八聯隊。二十六日午後一時から信太山野砲兵第四連隊、同午後七時から第三十七聯隊。二十七日午後一時から高槻工兵第四大隊、同午後四時から騎兵第四聯隊。

プロフィール

丸屋竹山人

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