昭和9年

上方落語史料集成 昭和9年(1934)1月~2月

昭和91

大阪の寄席案内 

一日より

△南地花月 新昇、小雀、一郎、紋十郎・五郎、正光、枝鶴、文男・静代、神田伯龍、九里丸、円馬、結城孫三郎一座、キング・エロ子、鼈甲斎虎丸(浪花節)、アチヤコ・エンタツ、大辻司郎、石田一松(北満報告)、春団治、吉例寿獅子。【寄席ビラ参照】

△北新地花月倶楽部 関東軍笑ひの慰問隊の石田一松、エンタツ・アチヤコ、鼈甲斎虎丸、桜川長生、結城孫三郎一座、春団治、円馬、藤之助、九里丸、文団治、福団治、円枝、庫吉・芳奴、雪江・五郎、竜光。

十一日より

△南地花月 神田伯龍、結城孫三郎一座、関東軍笑ひの慰問隊のエンタツ・アチヤコ、石田一松、三木助、春団治、枝鶴、九里丸、延若、福団治、藤之助、永田キング・ミスエロ子、文男・静代等。  

△北新地花月倶楽部 浪曲篠田実特別出演。南地花月同様花月幹部連総出演。  

△天満花月 九里丸、芳妓・庫吉、五郎、結城孫三郎一座、三木助、八重子、福治、小円馬、朝江・水月、染丸、歳男・今若、一郎、円若、秀子・虎春等。昼夜二回。

二十一日より

△南地花月 花蝶・川柳、久菊・奴、八千代・千代八、エンタツ・アチヤコ、静代・文男、エロ子・キング、十郎・雁玉、雪江・五郎、菊春・太郎、次郎・志乃武、結城孫三郎一座、石田一松、一郎等。  

△北新地花月倶楽部 浪曲篠田実特別出演。他南地花月同様花月幹部連出演。  

△天満花月 九里丸、芳妓・庫吉、五郎、結城孫三郎一座、三木助、八重子、福治、小円馬、朝江・水月、染丸、歳男・今若、一郎、円若、秀子・虎春等。昼夜二回。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 神田伯龍、枝鶴、九里丸、三木助、栄二郎・六三郎、染丸、延若、篠田実(浪曲)。

△新京極花月 万歳諸芸大会。

△新京極笑福亭 安来民謡ジヤズ、舞踊、万歳、諸芸。

十一日より

△新京極富貴 三遊亭円馬、円枝、蔵之助、福団治、露の五郎、笛亀(横笛)、重隆・武司、十郎・雁玉、
 雪江・五郎、花蝶・川柳、正光、三馬、三八。

△新京極花月 万歳諸芸の競演大会として吉本責任編成の幹部陣で昼夜開演。

△新京極笑福亭 安来民謡にジヤズ舞踊等麗人連の競艶に特選万歳諸芸で昼夜開演。

二十一日より

△新京極富貴 竜光、春団治、エンタツ・アチヤコ、石田一松、枝鶴、三木助、芳奴・庫吉、文治郎、福団
 治、寿獅子(桜川長生・梅好)、円若、三馬、三八。

昭和81230日 大阪毎日新聞[広告]

9年 011

昭和911より南地花月プログラム(表・裏)

9年 017
9年 018

〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。

昭和911日 大阪朝日新聞

○笑はせる秘訣 このコツでワツ!といはす『我輩は万歳学校の先生でアル』 花月亭九里丸  …近々大阪には「吉本」の手で前代未聞の万歳学校といふのができ、ユーモア、ナンセンス、洒落、諧謔のいき学問を教へ込むことになりました。落語の三木助、円馬さん、万歳のエンタツ君、時事漫談の不肖わたくしまでがその講師に任命され、笑ひの六踏三略をもつて笑ひの教壇にお目見得といふことになつています。我々に「講師」なんて名がつくこと其れ自体が一つの笑ひでありますが、かりに万歳学校の教案をつくらねばならぬとしますと…(編者註:以下笑はせコツを実例を並べて説明する。省略)

昭和915日 大阪毎日新聞

◇お金の雨が降る様だ! 朗らかな日の丸景気  …お笑ひの大元締吉本興行部、これもまた例年正月より三割増、千日前と北新地の両花月など完全に去年の倍「去年よりはよろしおまつせ」と膨れた財布を懐ろにニタリ…。

昭和918 大阪時事新報

<正月の南北花月>

◇正月は寄席も記録破りの盛況 南地法善寺境内花月と北の新地の花月倶楽部は東西選り抜きの立者揃ひの初春特別陣容とて、連夜物凄い観客の殺到ぶりには近来にない記録的賑ひで文字通り立錐の余地もなかつた。右番組は花月フアンの興味をそゝる多彩の出番中、吉例出演の鼈甲斎虎丸は遉に関東派の総帥の貫録で満場を唸らせ、神田伯龍の新作講談に、結城孫三郎一座の国宝的至芸と云はれる糸あやつり人形、石田一松、エンタツとアチヤコ等関東軍慰問隊の陣中漫談、永田キングとエロ子一党の明朗万歳、春団治、円馬、九里丸、五郎等花月幹部連に長年の寿獅子や、静代と文男、正光等に尚六日からは枝鶴、文次郎、福団治、円枝、円若も参加出演とで益々人気集中することであらう。

昭和9110日 大阪毎日新聞

◇伯龍の初叱事 吉本が抱への芸人を酷使するのはあまりに有名であるが──ラヂオでもおなじみの神田伯龍、大晦日にAKから「見えたか甚兵衛」の一席を放送したその足で、大阪出演のため西下したが、梅田へ出迎へた番頭の口から「昼席があるから用意してくれ」と聞かされ、さうならさうと東京を立つときなぜ一言知らせないんだ、わざ〳〵主人が見送りにまで来ていて‥‥だつたら汽車の中でチヤンと芸題も考へて置くんだ、人使ひの荒いのも大概にしろ、正月早々から縁起でもないと愚痴ること〳〵。

昭和9113日 京城日報

◇京の福太郎 朝日座に開演 十一日から六日間朝日座に開演する京の福太郎一行のプロは左の如し。

萬歳(京のチェリー 天の小玉郎)萬歳(林家楽春 玉子)レヴュー(花柳娘連中)萬歳(花の家のぼる ゆき子)気合術(萩村雲山)新舞踊(花柳一黨)萬歳(秋山加代子 富美男)萬歳(隅田川千鳥 種夫)小唄漫劇(京福会)萬歳(富士モンキ 千本家静)漫劇(律世亭キャラメル) 毎夕正五時三十分開演 入場料 特等七十銭 一等五十銭 二等三十銭 子供二十銭。

昭和9115 京都日出新聞 

〇小春団治の桃源座第一回公演 十五日昼夜二回先斗町歌舞練場 

 曩に吉本興行部を脱退した桂小春団治は今回独立で「桃源座」を組織し、凋落の道を辿りつゝある落語界のために大いに気を吐くことゝなつたが、その第一回公演を明十五日正午と午後五時の二回先斗町歌舞練場に於て開くことゝなつた当日の番組は次の如くで、小春団治のほか助演者の林家染之助、桂米之助も出演する

 旅の落語「伊勢参宮」小春団治、「寄席合囃子」桃源座、落語「初天神」染之助、芝居噺「本能寺」小春団治、「小咄競演」桃源座、「小唄と俗謡」此八、漫舞「チヨン髷道中」小春団治、新作落語「戌年お正月」小春団治、落語「饅頭こわい」米之助、長唄舞踊「桃太郎宝の山入」小春団治事山村若太津。

昭和915日 神戸新聞

千代之座 萬歳、大阪舞踊劇団スズラン座楽劇團、大和家小宝楽一行の大阪二輪加

昭和9119日 大阪毎日新聞

<大阪落語研究会を再開>

◇落語研究会再開 吉本興行部では昨年数ケ月試みて中止した落語研究会を今度ふたたび毎月第三日曜の正午から大阪北新地花月クラブで開催することとし、その第一回を二十一日正午から開く。第一回の出演者は三木助、円枝、春団治、円馬、枝鶴、小円馬、染丸、これに漫談の九里丸。

昭和9120 大阪時事新報

<第一回落語研究会・大阪>

◇落語研究会 全花月連の奮闘 毎月第三日曜に明朗芸術の王座を占むる落語の振興に資すべく、吉本興行所属の花月落語家を総動員して、飽くまでも研究的な固い誓ひをたてて、落語研究会を開催することになつた。この催しは毎月例演として、第三日曜の正午から北の新地花月倶楽部において開演することになり、其第一回落語研究会は来る二十一日正午から開催と決定した。

 第一回出演者は左の如く、爾後毎月交代出演して研究努力を続けるもので、漫談の九里丸も毎回出演すると。

桂三木助、桂円枝、桂春団治、三遊亭円馬、笑福亭枝鶴、三遊亭小円馬、林家染丸。

昭和9122 京都日出新聞

9年 010◇笑ひの慰問隊と花月の爆笑陣 富貴の強力出番 新京極の富貴では二十一日から既報の「陸軍省派遣」として遠く北満雪の曠野に皇軍慰問の使命を果して帰阪した爆笑トリオ、石田一松、横山エンタツ、花菱アチヤコの報告出演と共に花月の代表桂春団治、笑福亭枝鶴、桂三木助、桂文治郎、桂福団治等々幹部笑華陣を以て開演する。
(写真は富貴へ出演の笑ひの慰問隊。右からエンタツ、石田一松、アチヤコ)

昭和9125日 

<宮崎八十八死亡>

9年 009○暦の八十八さん 

◎大阪の奇人〃暦〃の出版の元祖宮崎八十八さんが享年八十二で卒然と死んだ。それも申の仏滅の凶日二十五日夕六時半、〃暦〃に偽りなく眠つた。八十八さんが年に一度、算盤を片手にはじいた易経と十干十二支の暦は毎年全国津々浦々‥‥それこそ鳥も通はぬ離れ小島、雪に埋まる山家の一軒家にもお家の重宝とて備へつけられ、お爺さんやお婆さんには最も馴染深いものだつた。

◎八十八さんは甲府の生れ。質屋の一人息子だが、遊芸に身を持崩し、諸所を流浪している9年 008うちに算盤から易を覚え、天満天神の裏門にさゝやかな天幕を張つて道行く人に呼びかけた。それが当つてやがて明治十七年、日本ではじめての暦出版をやつた。

◎それから十余年、倦まず撓まず、題名は幾かはりはしたが今の「日鑑」宮崎八十八の暦はよく売られていたが、易で身を起してからも道楽はやめられず、暦出版、易経判断の傍ら、寄席を経営したり、落語の大八会をつくつたり、興行にも手をそめてその方面にも隠然たる勢力を持つていた。

◎八十八さんの本名は保八。亡しかさんとの間に長女静子さん(三六)をまうけ、女婿の吉作氏(四〇)が二代目八十八を襲名、すでに十年ほど前から隠居していたので、後生憂ふることなく安らかに往生した。

◎告別式は二十七日午後二時から北区地下町一二〇の自宅で。
〈編者註〉昭和9127日付「大阪毎日新聞」より。

昭和9129九日 大阪朝日新聞

○講義?の時間は昼ごはん後二時間 顔中みな口の漫談家九里丸が笑はせ術研究塾を開設

 「万歳の寺子屋」が大阪吉本興行会社で開講を急いでいる矢先、一足お先へ漫談の花月亭九里丸が二月一日から大阪東成区片江町の自宅へ漫談笑はせ研究所「明朗塾」の看板をかゝげて漫談師養成の学校(?)をはじめることになつた。顔中口だらけといつた感じの九里丸君が塾長さんにをさまり、万歳の横山エンタツ、落語の笑福亭枝鶴両君が講師となり、毎週三回講義(?)があるが、時間は「お昼御飯をたべてから二時間」といふ至極暢気さで、専ら課目に捉はれないで、各席をできるだけ多く見学して廻る方針で、既に十二名の入学申込みを受けているさうだ。

この大部分は中学卒業程度で、中には同志社卒業といふのもあつて、開塾式までにはメンタルテストで入学試験をやるが、さて女性受験者がないので塾長はすつかり悲観している。また四月か五月には第一回の学芸会を開くといふ意気込み、以下は九里丸塾長の談。

 東京の漫談は若鮎で飯を食べるやうなものですが、大阪漫談は天茶つまり天ぷら茶漬の味です。オチがあり、駄洒落の連発を特徴とする大阪漫談を完成したいと熱望しています。この塾の月謝はタヾ、従つて先生も月給を貰ひまへん。教授課目には捉はれず、塾生の持つてくる話題を訂正しながらやつてゆく考へです。

昭和9130 京都日出新聞

<落語研究会の設立・京都>

◇花月連総動員の落語研究会 二月四に正午から富貴で開く 明朗芸術の王座を占むる「落語」の振興に資すべく吉本興行所属の花月落語家を総動員して「落語研究会」を開催することになつた。この催しは毎月例会として第一日曜の正午から新京極の富貴で開演することにし、而も飽くまでも研究的たることを失はぬ申合せをした。その第一回は来る二月四日正午からで、爾来毎月交代出演するが、会員は花月連全員とて桂春団治も加はつてをり、なほ花月亭九里丸も毎回出演する。第一回出演者は春団治、円馬、三木助、文治郎、蔵之助、五郎、延若等が選定される筈であると。

昭和9131日 都新聞

<露の五郎の上京>

◇日本芸術協会、一日よりの各席

◎神楽坂演芸場 金語楼、大阪登り五郎 同紋十郎、正蔵、大次郎民之助、紋弥、正幸正英、小柳枝、一朝、桃太郎、千太万吉、米丸、九官鳥、植村、玉輔

◎新宿末広亭 金語楼、小柳枝、正蔵、大阪登り五郎、同紋十郎、笑六笑丸、桃太郎、大次郎民之助、紋弥、一郎、米丸、千太万吉、正幸正英、九官鳥、富士郎、みのる平和


昭和92

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、小円馬、扇遊、久菊・奴、延若、十郎・雁玉、福団治、喬之助・三木助、五郎・雪江、枝鶴、九里丸、栄二郎・六三郎、ろ山、柳橋、正光、春団治。【寄席ビラ参照】

△北新地花月倶楽部 春風亭柳橋、扇遊、神田ろ山、芳奴・庫吉、春団治、三木助、芳子・市松、円枝、
 久菊・奴、蔵之助、九里丸、枝鶴、馬生、福団治他 。

十一日より

△南地花月 松旭斎天右一行、柳家金語楼、大島伯鶴、石田一松、春団治、エンタツ・アチヤコ、円馬、九里丸、枝鶴、文男・静代、三木助、芳奴・庫吉、文治郎、竜光他。  

△北新地花月倶楽部 春団治、円馬、エンタツ・アチヤコ、金語楼、伯鶴、石田一松、三木助、染丸、五
 郎・雪江、延若、九里丸、蔵之助、福団治他。

二十一日より

△南地花月 小雀、龍光、扇遊、福団治、久菊・奴、延若、石田一松、五郎・紋十郎、雪江・五郎、喬之助・三木助、栄二郎・六三郎、九里丸、文治郎、文男・静代、円馬、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、松旭斎天右一行。【寄席ビラ参照】

△北新地花月倶楽部 エンタツ・アチヤコ、蔵之助、静児・幸児、竹幸・出羽助、枝鶴、次郎・志乃武、円馬、松子・呉成錬、円枝、九里丸、栄二郎・六三郎、三木助、重隆・武司、文治郎、ぜんば、小円馬等。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 春風亭柳橋、神田ろ山、花月亭九里丸(東京帰り・非常時議会漫談)、円馬、竜光、延若、静代・文男、文治郎、志乃武・次郎、春子・正春、一郎、三八、おもちや、三馬。

二十一日

△新京極富貴 九里丸、三木助、五郎、正光、延若、三八十郎雁玉馬生芳子市松染丸花蝶
 
川柳三馬、円若

△新京極花月 諸芸大会

△新京極笑福亭 安来民謡大会、万歳、諸芸。

昭和921より南地花月プログラム

9年 012

〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。

昭和923 京都日出新聞

<第一回落語研究会・京都>

◇落語研究会の演題決まる 四日の富貴 落語振興のため吉本所属の花月落語連が来る四日(第一日曜)の正午から新京極の富貴を会場として「落語研究会」を開催するとのことは既報の通りであるが、その第一回出演者と演題が次の如く決定した。

 芝浜(円馬)、本能寺(五郎)、三人旅(春団治)、紺田屋(三木助)、花見の仇討(延若)、坊主茶屋(文治郎)、弥次郎(蔵之助)、厄払ひ(三八)、九里丸の漫談

なほ当日は落語家全員紋服袴姿にて、一般入場者と共に座席にあつて同志の高座を検討批判するとのことであるから、落語好きには聴き逃せぬ催しである。

<編者註>露の五郎は、都新聞では、2月の上席(1日~10日)より東京の日本芸術協会の寄席に出勤している事になっている。一日だけ東京から京都に戻って出勤したのかもしれない。

昭和929日 都新聞

◇落語東西会 新宿末広亭九日夜は、婆茶屋(紋弥)禁酒(米丸)漫歳(千太万吉)長短(小柳枝)曲芸(大次郎民之助)化粧(露の五郎)曲技(一郎)水兵漫歳(笑六笑丸)袈裟御前(正蔵)口入屋(桃太郎)東京駅(金語楼)

昭和9210日 大阪朝日新聞

○私の人生勉強⑩ 寄席の楽屋のぞき 内野照子〈内野照子さんは東京音楽学校の出身、新進ピアニストです〉

春団治のヤリクリ 扇遊から借るバスの切符 「笑へぬ落語」の世界 

「照子さん、はなし、きゝに行きませうか」つていはれたのですけれど、はなしつて何のことか私には判りませんでした。で黙つてついて行きますと、つれて行かれたのは曽根崎新地の花月倶楽部といふ寄席でした。

恰度舞台では賑やかな万歳がはじまつていました。きゝ慣れないと判らないものですね、私なんか他のお客さまが笑つた一分もあとでないとおかしいわけが判らないのですもの。ぽかんとしていると「ちよいと楽屋をみせていたゞきませうね」つて誘はれて楽屋へ案内されました。

9年 007楽屋といへば鏡台、白粉、タオル、お衣装、それからお菓子の箱などをすぐに連想しますのに、これはまた何といふ淋しいガランとしたお部屋でせう。こゝはお火鉢一つのほかには何にもないのです。見事にお頭の光つた方と少しお顔色の青白い方とが火鉢に当りながら大福帳のやうなものを拡げてごらんになつていらつしやいました。扇遊さんと春団治さんとでした。

「この帳面はネタ帳いひましてな、先へ出たものが自分のやつた題を書いておきますのや。そやないと後から来たものが知らんと同じものをやつたらお客さんにいけまへにょつてに」。プログラム覚え書きとでもいふところでせうね。「ネタはこの頭の中に何万いうてしもてありますよつてにな、この帳面みてから今夜何しやべつたろいふことをきめますのや」

おはやしが賑やかに鳴つて万歳のお二人が下りて見えました。しばらくすると「厄!! 厄払ひツ」といふ春団治さんのとんきやうな声とお客さんのワツと笑ふ声とが舞台の方から聞えて来ます。三味線を畳の上において火鉢に手をかざした万歳の芳子さんが、「お師匠さん、このごろあればかりいうてはりまんな、今夜で五日目だつせ」「ネタおろしやつてはりますのやろ。平常かたりつけてないものは自分のものになつてしまふまであゝやつて何べんでも語りますのや」

頭の中から自由自在にネタをとり出してお客さんを喜ばせるやうになるまでにはやつぱり隠れた苦心があるものですね。自分のものになり切るまで練習をつむのは落語でもピアノでもおんなじことなのね。

やがて春団治さんが舞台から下りていらつしやるし、染丸さんが見えたりして賑やかになりました。「チヨツチヨツチヨツ」と春団治さんが舌を鳴らしてらつしやるので猫でもいるのかと思つたら、出て来たのは大きな娘さん(お茶子)でした。それから春団治さんのおつしやるのがふるつてるではありませんか。「あのな、昨日な、あんかけうどん、どこのんや、一昨日のは不味かつたけど、昨日のはましやつた、あしたの晩にな、昨夜のとこのんを用意しといてんか、それから昨夜の釣一銭どないした? わてに渡した? そんなことあれへん、どこやそこらに落ちてへんか(みんな総立ちになつて火鉢の周囲を捜しました)、あれへんな、明日までに捜しといてんか。扇遊はん、すまんけどバス一枚おくなはれ、五銭あるよつてにあの一銭足して電車乗らうおもててんけど、へえおゝきに、一銭あした返しますよつてに、これ五銭とつといておくなはれ」

まるで舞台の延長のやうなのんきさ、賑やかさです。しかし「あつちこつち走りまはすよつてに着物の裾が傷んでかなひまへんわ、毎日のことやよつてにな」といひながら、皆さんがマントやコートを着て次の寄席へ出かける支度をはじめたときに、生活のために働いている人たちの冷たい現実の姿を見たやうに思ひました。

そればかりぢやありません。壁の貼紙には「無断一席休演一日分、無断一日休演三日分給料より差引く」とかいてあるではありませんか。何といつたつて楽屋はもう現実の世界ですわ。あの方たち舞台でお客様を笑はせている間が一ばん楽しいのぢやないかしら。さう思ふと真面目くさつてお客を笑はせている姿に頭の下るやうな気がしました。(写真は「大ネタを囲んで 右から内野さん、春団治さん、扇遊さん、立つてるのは芳子さん」)

昭和9210日 都新聞

<正岡容と創作落語の会>

◇創作落語爆笑会 十日夜芝恵智十にて、正岡容、中村進治郎、文都、扇太郎、百圓、しん馬、馬風、小團治、幅丸、文七出演。

昭和9217 大阪時事新報

<第二回落語研究会・大阪>

◇十八日正午開演で落語研究会 出演者と演題決定 北の新地花月倶楽部  

大阪落語の振興発展を目指して過般第一回を開演して落語愛好者間に好評を博した吉本興行所属の花月連総出演の「落語研究会」は、定例開演として来る十八日(第三日曜)の正午から北の新地花月倶楽部で第二回研究会を開催することゝなり、これに先だち十六日の南地高島屋ホールに一同会合して準備会をやり種々打合せるところあり。第二回の出演者と演題を左の通り決定。

 牛駆け(三木助)、居残り左平次(延若)、野猿後家(枝鶴)、鍬潟(染丸)、ねずみ(円馬)、綱七(五郎)、墓違ひ(春団治)、漫談(九里丸)

尚当日は出演せざるものも紋服袴にて一般入場者と共に座席に在つて連中の高座を検討評判するとのことであるから、落語好きには聞き遁がせぬ催しであらう。

昭和9219 大阪時事新報

◇南北花月の金語楼と伯鶴 新作と得意篇に好評 皇軍慰問のため来る二十一日大阪出発で北満への旅に上る爆笑の元締柳家金語楼と明るい講談として定評ある大島伯鶴を迎へて、これに春団治、円馬、九里丸、枝鶴、三木助、文治郎等花月幹部連、更に石田一松、エンタツ、アチヤコに文男、静代、芳奴、庫吉、天右一行等競演の南地法善寺境内の花月と北の新地花月倶楽部は連夜非常な盛況で賑つている。

昭和9219 大阪時事新報

◇独特の上方落語が万歳に押されてさびれるのは、何と言つても大阪名物の前途に関する問題とあつて、過般小春団次が脱退して、新興落語の研究を始めた外、花月所属の落語家連も擁護策に腐心しているが、さしずめ中途半端なものより古いネタを相当纏めた方がよいと、最近長座会が流行し出した。

昭和9221より南地花月プログラム

9年 013

〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。

上方落語史料集成 昭和9年(1934)3月

昭和93

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 新昇、小雀、延若、正光、円枝、川柳・花蝶、五郎・紋十郎、奴・久菊、蔵之助、雁玉・十
 郎、枝鶴、文雄・静代、九里丸、正蔵、エンタツ・アチヤコ、喬之助・三木助、重隆・武司。
 【寄席ビラ参照】

△北新地花月倶楽部 幸児・静児、正蔵、正春・春子、枝鶴、蔵之助、芳子・市松、五郎、九里丸、三木助、エンタツ・アチヤコ、延若、美代子・一蝶、福団治、扇遊、小円馬他。

十一日より

△南地花月 エンタツ・アチヤコ、奴・久菊、栄二郎・六三郎、九里丸、雪江・五郎、芳子・市松、十郎・雁玉、扇遊、玉枝・成三郎、花蝶・川柳、八千代・千代八、春子・正春、呉成錬・松子、出羽助・竹幸、妙子・歌楽、歳男・今若、セメンダル・小松月。

△北新地花月倶楽部 九里丸、文治郎、延若、円枝、福団治、三木助、枝鶴、五郎、蔵之助、小円馬、エンタツ・アチヤコ、竹幸・出羽助、十郎・雁玉、芳子・市松、正光等。

二十一日より

△南地花月 正光、枝鶴、九里丸、三木助、静代・文男、柳好、栄二郎・六三郎、円馬、十郎・雁玉、五郎、芳子・市松、文治郎、次郎・志乃武、延若、竜光、円枝、静児・幸児他。  

△北新地花月倶楽部 雪江・五郎、柳好、扇遊、円馬、十郎・雁玉、九里丸、八重子・福治、枝鶴、左楽・右楽、三木助、円若、蔵之助、セメンダル・小松月、小円馬等。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 枝鶴、福団治、三馬、文治郎、正蔵、円馬、とり三・今男、松子・呉成錬、栄二郎・六三
 郎、五郎・雪江。

昭和931より南地花月プログラム

9年 016

〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。

昭和931日 大阪毎日新聞

 忍苦数十年の結晶 東洋の興行王へ 篤行の人 吉本せい女史 

9年 006日本興行界随一として自他ともにこれを許し、その名海外にも聞ゆる吉本興行合名会社の経営者吉本せい女史、資性温厚、貞淑にして精励倹素、しかも頭脳明晰にして堅忍不僥、しかして社会公共に厚く、特に国民思想の善導に意を留めて、常に富みながら清節を尊び、その篤行は広く一般人士の推奨するところであつたが、果せるかな今回の盛典において表彰され、しかも次の如き褒状を拝受するに至つた。

   褒 状

     大阪市南区笠屋町 吉本せい

  資性温厚貞淑ニシテ堅忍不僥、明治四十年、齢十九ニシテ吉本家ニ嫁シ、克ク舅姑ヲ慰メタリシカ、大正十三年夫ノ逝去ニ遇フヤ、繊手以テ遺業ノ興隆ヲ図リ、独身ヲ守リテ励精怠ラス、遂ニ今日ノ大ヲ為シタルノミナラス、常ニ公共慈善ノ至情ヲ尽セリ。其ノ志操ノ堅正ナル、洵ニ奇特ナリトス。仍テ褒章条例ニ仍リ木杯一組ヲ賜ヒ、茲ニ之ヲ表彰セラル。

               昭和九年二月十一日 大阪府知事 正四位勲三等 縣 

   われ等は天恩の広大無辺たるを思ふとゝもに、また吉本せい女史のこの名誉をともに喜ぶものである。

この名誉を得た女史の事績は右の褒状及び昭和三年勅令紺綬褒章を賜はりたることにても大体をうかゞひ得るが、実に血と涙を織り混ぜた不撓の努力のたまもので、六尺の男子を愧死せねばならぬものがある。

 同女史は大阪市北区天神橋筋四丁目三十一番地、故林豊次郎氏の三女として生れ、明治四十年十二月、年十九歳にして東区本町橋詰町吉本吉次郎氏に嫁した。当時吉本家は貿易商を営んで、相当裕福であったが、時恰も家業は日露戦役直後の新文化の勃興建設に伴ふ財界の波動に店務沈滞に傾きつゝあつた。女史の苦心一方ならず、日夜家事に励み、舅姑に仕へ、夫を助け、一意家運の挽回に当つた。しかし意の如くならねば、遂に意を決し、夫を励して家業の一転を企て、資金五百円を以て大正二年四月、北区天満裏に寄席を設け、興行を始めた。これが今日の大をなす素地で、自来営々万難を排して百折不撓、次第に人気を集め、こゝに吉本興行部の名乗を挙げ、本格的に演劇興行を経営するに至り、しかも精励、孝順は舅姑の心を和らげ一家和楽の世界を造つた。

 ところが大正十三年、女史三十六歳の春、不幸夫吉次郎氏の死去に遭ひ、悲嘆に暮るところとなつたが、こゝに、夙くより吉次郎氏の許に在て営業指揮を委されていた実弟林正之助氏を第一線に起たし、一大勇猛心を鼓して夫の意志達成のため奮然として立ち、営業政策も豪胆進取的な正之助氏の意図を用ひて大衆本位を信条旗幟とし、従来の寄席経営より更に劇場進出を計つて大衆演芸演劇の確立をし、その充実と拡張に努め、夫の借財三十数万円を皆済して民衆娯楽を主とする社会教化事業の完成を遂ぐるに至つたが、この事業的目標である大衆本位の実行も全吉本従業員がせい女史を心より尊敬して仕へ、正之助氏の提唱する理想実現に向つて何れも肩を組み、歩を揃へて、和気藹々の裡に姉弟一致の企画と、これに投合せる総員の意気を以て目標に勇躍する大家族的精神から生れるもので、使命とする「大衆娯楽」「演芸報国」の主旨は須臾も忘却されず実施されている。

 現在本拠大阪を始め東京、横浜、京都、神戸の五大都市に数十ケ所の劇、場演芸場と雇傭技芸士千数百名を抱擁する大興行会社を実現しが、この全国的に布かれた地盤の上に更に娯楽の本髄〃笑ひ〃をモツトーとせる娯楽機関の大衆化に向つて、よき統制と抱負が傾注され努力されるべく、大衆層の支配力の強さを想はせるのである。

 女史はかく貞淑孝順の美徳を謳はるゝ一方、仁慈博愛の感情に富み、社会公共の至誠に厚く、さきに日本赤十字社大阪支部、また愛国婦人会事業に多大の貢献をなした。満州駐屯軍の慰問に雇用技芸士の粋を送り、養老院を訪ふて敬老の意を表し、無縁仏の碑石を建立して供養を、また貧しき家庭救助の寄付に至つては枚挙に遑ない。己を持するに恭倹、貯金を奨励し、現に従業員の貯金三十八万円以上におよぶといふ。その篤行は実に卓越したもので、真に世人の模範とするに足るものである。

昭和933 京都日出新聞

<第二回落語研究会・京都>

◇落語研究会  四日正午富貴で 落語界の振興発展を目指して過般第一回を開演して落語愛好者間に好評を博した吉本興行部所属の花月連総動員の「落語研究会」は定例開演として、来る四日(第一日曜)の正午から新京極富貴で京都における第二回研究会を開催することになり、既にその出演者と演題も左の如く決定した。

 蜜柑屋(染八)遊参船(福団治)茗荷宿(三馬)景清(染丸)出世相撲(馬生)三枚起請(枝鶴)権兵衛狸(円馬)碁泥(円枝)箒屋娘(三木助

なほ当日は出演せざる連中も全員一般入場者と共に客席にあつて同志の高座を検討するとのことであるから落語フアンには聴き逃せぬ催しである。

昭和9310日 

<桂団輔死亡>

圓 002●桂団輔 本名富士村某。本名は安太郎、芳太郎、兵太郎とまちまちではっきりしない。安政頃の生まれ。桂文之助(のち曽呂利新左衛門)門人文丸の弟子となって小文丸、のち由之助となる。明治十八年十月二十七日より道頓堀戎座で開催された落語家芝居の連名のなかに由之助の名前がある。明治二十年代に二代目桂文団治(のち七代目文治)の門人となって団輔を名乗る。「桂文我出席控」明治二十七年九月、神戸楠公湊亭席の文団治一門の出番に団輔の名が見える。その後明治末年まで「桂文我出席控」にその名が散見されるが、ほとんどは神戸の席で、神戸を中心に活躍していたことがわかる。大正期は浪花三友派の一員として名を留めるが、これといった活躍のあとは伝えられていない。大正十年代に三友派が吉本興行に統合されたのちは、京三倶楽部、天満花月、新町瓢亭などの楽屋で鳴り物を勤めて晩年を過ごしたらしい。実兄は新内の美住太夫、息子は東京の寄席芝恵智十の養子になり、戦後に五代目桂文吾を継いだ冨士村彦次郎である。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)

昭和9314日 大阪毎日新聞

○「寄席」と客だね 一口に「寄席」とはいへ、その場所々々に従つて、観客の心構へにさま〴〵の移り変りを見るこそ、おかしけれ──北の「花月」は遊廓内だけに和服着流しに美妓を引具した風の粋筋が多く、従つて高座も通がつた洒落たものが受け、南の「花月」は歓楽地帯だけに客の種類は千差万別だが総体にお上品。万歳では千日前の「三友クラブ」へ来る客が一番エロ好み、そこでこの小屋では主として女芸人が機嫌を取りむすぶ。が、おなじ千日前でも「南陽館」になるとコロツとまた客筋が変る。こゝは南海難波駅に近いせいか、電車待つ間のサラリーマンが客の大半を占めるので、まずインテリ向きの万歳小屋、そこで、こゝへ出る芸人は知らず知らずのうちに他の小屋と違つた一種の緊張味を帯びて来るといふ──吉本興行部での話。

昭和9318 大阪時事新報

<第三回落語研究会・大阪>

◇定例落語研究会 十八日正午開演北花月倶楽部で 吉本興業所属の花月連総動員の「落語研究会」の定例開催は、来る十八日(第三日曜)正午より北陽花月倶楽部に開催。その出演者と演題は左の如く決定。(但し出演順) 

 島廻り(小雀)、のし(円枝)、猫塚(馬生)、鼻捻じ(染丸)、一つ穴(延若)、内輪ばなし(九里丸)、二人書生(蔵之助)、箒屋娘(三木助)、彼岸会(枝鶴)、火事息子(円馬)

昭和9318 大阪時事新報

 楽語・漫談提げて 笑ひのお見舞ひ 病める人々へ奉仕したいと 九里丸君枝鶴氏の涙ぐましい陳情   

「笑ひ」を忘れた気の毒な人々に朗らかな笑ひをサービスしたいと、例の漫談家九里丸君(本名渡辺力蔵)と大阪落語の重鎮笑福亭枝鶴さん(本名竹内梅之助)の二人が辻阪府会議長と一緒に十六日午後二時すぎ府庁の知事室にユーモラスな顔を見せた。

9年 002九里丸君はパリッとした、いとも瀟洒なモーニング姿で、至極大真面目、枝鶴さんは羽二重の羽織、袴と云ふこれは四角張つたよそゆきの二人づれ、椅子に半分腰を浮かしたその格好は高座と少し勝手が違つた態よろしく、辻阪議長がまづ開口、両君の奇篤な申出を伝へる。

辻坂氏「全く奉仕の精神からです社会事業聯盟の嘱託と云ふやうな風にでもして戴けば‥‥」

知事「御趣旨は洵に結構ですな‥‥そしてその動機は?」と、県知事始めて見る九里丸君の特製の顔をつく〴〵と眺め廻す。トタンに彼氏の顔面筋肉とホットケーキの様な唇が活動を開始してニイーと笑ふと、例の短兵急な早口が廻転するデス。

九里丸君「私は生粋の大阪人でおます、おかげさんでかうして無事つめさせて貰つているので‥‥ヘエー、つまり生活の安全を得たと云ひますか、貧困な病人さんや笑ひを買へない気の毒な人々のため、体の空いている時間を利用して大いにサービスしたいと思ひまして、‥‥一体現代人は非常時〳〵と頭がカン〳〵になつてマス」。そろ〳〵九里丸君独自の雄弁が始まる。

知事「矢張りあんたが講談ですか?」

九里丸「いえエ、私が漫談、枝鶴さんが落語」

知事「一定の時間に纏つた締くゝりのある話をするのはむつかしでせうね」

九里丸「締くゝりなんかアりません、だから漫談デス、たゞその中にピリ〳〵とする風刺を入れマス」と説明されて、知事閣下大いに認識不足を暴露する。

知事「落語のいはれは?」「おとし話ですよ」と辻阪氏が口を入れる。

枝鶴さん「落語は今後楽語と改め度いと思つています」

かくて九里丸君、交通巡査の真似が余り巧すぎて、警官を侮辱するとコツピドク叱られた話など、例のシヤレを手際よく二三発飛ばして知事を笑はせ、二時半府庁を辞した。近く日を定めて弘済会病院養老院、難波病院その他各種救護所を午後一時から夕刻まで毎月巡回的に訪ね、笑ひの種を蒔く筈。

昭和948日 都新聞

<正岡容の創作落語会>

◇創作落語爆笑会 十日夜芝恵智十にて

 正岡容、中村進治郎、馬風、柳楽、小團治、幅丸、文都、百圓、しん馬、松浦泉三郎、文楽、秀輔、三語楼出演。

昭和4319日 京城日報

<砂川捨丸一行・朝鮮東亜倶楽部>

◇捨丸一行 明日から東亜倶楽部で興味をひくプログラム 高級萬歳、小唄、曲芸、軽口と見てもきいても面白い砂川捨丸一行は明廿日から六日間府内三社の後援により黄金町東亜倶楽部で開かれる。蓄音機、或はラヂオを通じて彼の美声、そのユーモアを知る人々は勿論、演芸界を風靡したその名声は上下の階級を通じ、老若、男女を問わずもの凄い人気をもつて開会の日が待たれて居る一行は、捨丸をはじめとしてその相方をつとめる中村春代、新進の萬歳家十余名、正調、追分には橘右近、お多福の両名、それに三人滑稽曲芸を演じる宝家連中と新吉原の芸妓連久本一行十名すべて三十名に近い一行である。入場料は一等二円、二等一円五十銭、三等一円の三種である。

<編者註>この興行の前に十五日から十七日の三日間、釜山公会堂で興行した。番組は下記の通り

▲正調追分節 橘右近 橘お多福

▲新吉原芸妓連 久本〆龍 〆丸 〆福 〆二 小〆 〆奴

▲三人滑稽曲芸(宝家連中) ブル松 小政 和三郎 楽三郎 和助 和楽

▲萬歳連 浮世亭秀春 吉田二三丸 小原文蝶 砂川捨奴 砂川愛之助 東家市丸 桂家枝輔 桂家助六 中村春代 砂川捨丸

昭和4323日 京城日報

◇大持ての捨丸一行 連日満員 最近の朝鮮興行界の記録を破った萬歳の砂川捨丸一行の人気は大したもので、さしもに広い東亜倶楽部も初日以来満員すし詰の大盛況である。殊に廿一日は昼夜二回の興行であったが、新町遊廓の総見をはじめ軍隊の団体見物あり。ユーモアに富んだ一行の演技に魅了されてゐた。尚明日の日曜は更に一圓興行を行うが、これも盛会をきわめる事であろう。

昭和9331日 大阪毎日新聞

 客席 三宅周太郎

大阪の寄席──

明るいな。

面白いな。

賑やかだな。

そして見物も芸人も楽しんでいるな。

私はいつも秋風が身に沁むような、東京の寄席を見る度に、およそその逆に、大阪の寄席をかういふ風に思ひ出している。‥‥

ことに、右のごとく大阪の寄席は、見物と芸人とが、一緒に楽しんでいるのが有難い。すべてのものはこれだ。やる者、見る者、それが反感、不快を持つてはお話にならぬ。互に無心に、むしろ助け合つてやらねば、真の面白味が出ない。

それに大阪の寄席で「落語」と限ると、大阪の落語は、断然東京の落語を凌いでいる。これは私が関西生れの身びいきのためでない。天下の名人で、夏目漱石すらその著書の中で、ほめていた東京の先代小さんは、こちらの寄席でよく「大阪の落語は結構で御座います」と、しみじみ羨んでいたのでもわかる。学生時代私はこの述懐を一度ならず聞いている。

全く大阪の落語は結構だ。本当のユーモアがある点では「意気」や「通」がつきまとふ東京のそれとはだい分相違がある。東京人に、もし大阪弁がよく分ると、結局落語は大阪と甲をぬぐに違ひないと思ふ。

このよさは、それ自分の長所にもよるが、一つは大阪の落語家は寄席で一生懸命に働くからだらう。それが東京は震災前の落語がまだ有力だつた時代、いいはなし家は「お座敷」のほうへ身を入れて、一般の寄席を軽んじた。つまりブルジョアが先代小さんや先代円右を聞くのに、多くその邸宅や宴席へ呼んで「お座敷」として専有してしまつた。はなし家は収入がいいため、その方へ気を入れて、寄席をぬいたりした。それが長い習慣となつて、寄席がさびれてしまふ結果になつた形がある。

しかし、大阪は東京ほど落語家を少数の金持が専有しないようだ。大阪で落語といふと、「お座敷」より、寄席へゆくことを意味するのでもわかる。いゝことである。だから見物も落語即寄席とつめかける。例外ではあるがはなし家もこゝをせんどと熱心に稼ぐ。相身互で大体に東京より入りがあり、熱があり、双方に親愛が出るわけになる。

また万歳とか、その他色どりに出る芸人も、時にケタ外れの困り者はあるが、大体に大阪はどこか目新しいところを捕へている。粗雑、未成でもとにかく新工夫がある。あるひは恥も外聞もなく熱心にやつてのける、そこで結局は東京のその種のものより、まだしもといふ結論に達しる。

かく古いと新しいとを問はず、大阪の落語と寄席とは熱がこもつている。東京のまねをしたがる大阪さん、どうか落語と寄席とは東京のまねをしないで下さい。そして公園の樹木を愛するやうに、寄席を皆さんの共有物、疲れやすめの息ぬきの所としてどうぞ大切にして下さい。

それから序にいふと、大阪の相当なはなし家で、東京弁を使つて、時に東京の落語をやる人があつた。そのまねの不快さは聞いていられなかつた。しかも彼は大阪落語では中々腕のある男なのだ。これでみても大阪は大阪、ほかのことはとにかく落語は自慢していいのである。

私など大阪へゆけば、一と晩は寄席へゆく。あの大阪の寄席の桟敷の制度は(今はどうかしらぬが)問題と思ふほか大体に満足出来る。東京には乏しい一般民衆の楽しい娯楽場だと思ふ。もつとも、真の大阪落語とか、そのはなし家を論じるとなると話は別だ。大阪落語でも難物や困り者はあるからだ。で、私は今先代小さんのように「大阪の落語は結構」とまではいはぬが、すくなくともいひたいのは「大阪の寄席は結構でございます」と。



上方落語史料集成 昭和9年(1934)4月

昭和94

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 九里丸、金語楼、三亀松、福団治、ラツパ・日左丸、円馬、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、花蝶・川柳、五郎、雪江・五郎、蔵之助、正光、文治郎、幸児・静児。

△北新地花月倶楽部 金語楼、一郎、枝鶴、次郎・志乃武、蔵之助、三亀松、久菊・奴、五郎、竜光、福団
 治、エンタツ・アチヤコ、円枝、九里丸、馬生。

十一日より

△南地花月 枝鶴、九里丸、文治郎、静代、アチヤコ、三亀松、三木助、小文治、延若、扇遊、福団治

△北新地花月倶楽部 枝鶴、馬生、円枝、アチヤコ、花蝶、九里丸、小文治、源朝、三亀松

△新世界芦辺劇場 吉花菱レヴユーに九里丸、三亀松、歳男、静代らの万歳

二十一日より

△南地花月・北新地花月倶楽部 枝鶴、三亀松、エンタツ、九里丸、三木助、久菊、円枝、円馬、五郎、
 延若ら。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 金語楼、エンタツ・アチヤコ、三木助、市松・芳子、延若、文治郎、十郎・雁玉、小円馬、
 扇遊、三八、クレバ栄治一行、三馬。

△新京極花月 吉本興業責任編組の特選万歳諸芸。昼夜二回開演。

△新京極笑福亭 民謡競演会に選抜万歳諸芸。昼夜二回開演。

十一日より

△新京極富貴 枝鶴、五郎・紋十郎、雪江・五郎、円馬、呉成錬・松子、ラツパ・日左丸、小文治、正光、
 円枝、三馬、静児・幸児、三八。

昭和9412日 大阪朝日新聞[広告]ヒガシマル醤油主催「芸界未曾有の豪華陣 名人大会」

9年 005

大辻司郎(漫談) 漫談の元締──社会の表裏を凡ゆる角度から覗いて、舌端に登らす處に漫談の真髄があるデス。刹那的の爆笑ではなく、こみ上げて出る冷い笑いこそ大辻クンの話の真價はあるデス。

新橋喜代三(小唄) 新小唄の唄い手として魅惑せずには措かぬ美声は、その艶姿と共に最近素晴らし売出し方です。鹿児島小原良節は今や人気のクライマックスです。

神田ろ山(講談) 今日東都講談界の第一人者。彼の仁侠伝に至つては他にその比を見ず、迫真の舌芸の技は既に定評の存するところ。師匠故神田伯山譲りの〝清水の次郎長〟は蓋し天下一品の至芸。

木村友衛(浪曲) 関東派浪曲を代表する闘将。豊かな声量、その名調と妙節は浪曲ファン三嘆の的。〝河内山〟〝塩原多助〟等に至つては万人渇仰の彼の十八番。

春団治(落語) 大阪落語家の至宝として、彼の存在はあまりにも高く、大きく周知である。独自の話術の妙韻は如何なる爆笑芸術も遠く及ばない。

柳家三亀松(声色) 君にのみ許された艶かしい天稟の美声は──そして殊に都々逸のもつ情緒を描くに至つては聴衆をして昂奮させずにはおかない。又三絃を取つては江戸前の新内、彼ならでは、彼ならでは!

アチヤコ(万歳) エンタツとの名コンビで今日の万歳界の人気を独占して、無人の境地を行く感がある。自由奔放、奇智縦横の話術の妙技は、あらゆる階級層の腹をよじらさずにはおかぬ。

エンタツ(万歳) アチャコと共に、新鮮な感覚で旧万歳を今日のテンポに合致させ乍ら、爆笑、快笑、苦笑で興味を巧みに繋いで行く處、彼の底知れぬ才智が覗はれる。

〈編者註〉ヒガシマル醤油主催「芸界未曾有の豪華陣 名人大会」。二十四、二十五日は大阪中央公会堂、二十六日は京都岡崎公会堂で開催。なお春団治はこの時入院中で、出席はしていないと思われる。

昭和9418日 京城日報

◇[広告]/勤告/陳者私事元浪花館ニテ御馴染ノ武田笑三、今回余興屋並ニチンドンヤを開業致シマシタカラ宜敷御引立願上候。/余興種目 勢獅子 講談 奇術 萬歳 浪花節 女道楽 レヴュー 落語 喜劇 活動写真/地方行余興御引受申候(朝日座、演芸館)ニ掛ツタ芸人ノ御取リ次ギヲ致シマス/尚毎月芸人内地ヨリ二三名新顔差替候/明治町一丁目五十四 興行社 武田笑三

<編者註>武田笑三:笑福亭笑三。福圓(二代目福松)の弟子と思われる。大正七年頃より浪花館に出演していた。

昭和9421日 大阪朝日新聞

 ベツドの高座に“腹切り”の笑劇 冥土から逆戻りして 朗らかな 春団治の春

『医者の方が譲り合ひをしよつて胃癌やいふことをなか〳〵いはんです。そのうちポンポンを切られたんですがな』―─と落語界のナンバー・ワン桂春団治は大阪赤十字病院第九号病舎で胃癌手術のあとを見せながらベツドの上に起きあがる‥‥。

9年 004入院生活五十八日でげつそり痩せてはいるがなか〳〵の元気で、二十日は杖をついて廊下を散歩、朗らかなアクセントで看護婦や付添のお婆さん、妻君たちまでを抱腹絶倒させている。友禅の布団にくるまつた春団治は、『一昨年十二月角座で弥作の「鎌腹」を演り、去年の夏は沼津の平作で腹を切り、今年は何で斬つてやらうと思うているうちにあべこべになつたんデス。そこへ切つてくれた先生がなんと原博士‥‥なんでこないにわては腹に縁があるのかと思ふとをかしいやら痛いやら‥‥』

『入院していると春団治が死によつたとか、気狂ひになりよつたとか、いろんなデマが飛び廻りよつて、この間もわてらの仲間が見舞いに来てくれて金包を置いてくれたんです。その横へ文冶郎(落語家)が見舞やいうて線香を置いたんです。これやつたら香奠と線香で、こつちは死んでいますがな。「気にすな、匂ひ線香やがな」いうてくれたのでやれ〳〵思うて──昨日やつたかいな、便所へいつた帰りに間違うて隣りの室へ入つたら同じやうな友禅の蒲団があつたんで、わてとこや思うて寝てたんです。御婦人の患者が散歩からお帰りになつたので初めて気がついてあわてゝ杖をついて帰りました』

さすがに笑ひに生きる春団治も病名が胃癌と知つた時は妻君と手をとつて悲しみ、遺言までしたが、いま回復への春を歩みつゝ彼は青空のやうな心境で落語の材料をせつせと貯へながら、『さあ高座へ上れるのは夏になりますやらうなあ‥‥あの病気(借金のこと)が重ならんうちに一寸でも楽やおもうてね、この二十四日に慌たゞしく退院し、田舎へ行つて二ケ月ほど養生します。お蔭であの死線とやらは越えてまつさかいに安心して下され‥‥』と笑ひこける春団治─―どこまでも愉快な男である。(写真は「腹を切られた春団治」)

昭和9425日 京城日報

◇本町五丁目朝日座/四月二十二、三日両日限り 朝鮮新聞本社新築落成記念興行/笑福会一行 浪花節 落語 手踊 小唄 奇術 女道楽 安来節/新町芸妓多数特別出演 さくら音頭総踊り/毎夕六時開演(入城無料)/主催朝鮮新聞社

昭和9428日 都新聞

<小春團治の上京>

◇落語協会 一日よりの各席

◎人形町末広 三福、馬の助、小李彩、大阪上り小春團治、小さん、小三治、タカシ、金馬、東朝三平、小勝、幅丸、香津代、文治、貞山、丸一小仙、亀蔵、さん馬

◎神田立花亭 花の丞、扇太郎、萬橘、小圓朝、艶子、文字浅、小せん、文治、貞山、丸一小仙、亀蔵、金馬、馬楽、馬風、小さん、タカシ、小春團治

◎浅草金車亭 金太郎、幅丸、柳朝、百圓、三語楼、馬風、可楽、馬楽、小春團治、丸一小鐡、辰三郎、談志、三寿、幅丸、香津代、金馬

<編者註>その他上野鈴本、高田馬場松月、八丁掘聞楽あるが、小春團治出演の寄席の番組のみ掲載。

上方落語史料集成 昭和9年(1934)5月~6月

昭和95

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 九里丸、三木助、エンタツ・アチヤコ、春風亭柳橋、静代・文男、神田伯龍、柳家三亀松、福団治、芳子・市松、蔵之助、ラツパ・日左丸、文治郎、松子・呉成錬、竜光。  

△北新地花月倶楽部 春風亭柳橋、十郎・雁玉、神田伯龍、五郎、エンタツ・アチヤコ、蔵之助、朝江・水月、円枝、柳家三亀松、延若、九里丸、染丸、福団治他。

十一日より

△南地花月・北新地花月倶楽部 三亀松、柳橋、雪江、枝鶴、三木助、九里丸、伯竜、川柳、円馬、市松、
 文男、源朝、喬之助(毎夕五時)

△天満花月 円若、九里丸、蔵之助、文治郎に万歳各組

二十一日より

△南地花月 正光、三木助、エンタツ、枝鶴、三亀松、雁玉、五郎、九里丸、蔵之助、川柳、延若、福団治
 ら(毎夕五時)

△北新地花月倶楽部 志の武、文治郎、三亀松、延若、エンタツ、円馬、扇遊、枝鶴、日左丸、三木助、九
 里丸、円枝ら(毎夕五時)

△天満花月 九里丸、円枝、染丸、馬生らに漫歳

△玉造三光館 落語、漫談連に漫歳競演大会(昼夜二回)

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 三亀松(桃色音曲)、枝鶴、花蝶・川柳、円馬、九里丸、文治郎、菊二・若二、春風亭柳橋、
 クレバ・栄治・清一行、三馬、おもちや、三八。

十一日より

△新京極富貴 一郎、伯龍、五郎・紋十郎、正光、馬生、エンタツ・アチヤコ、円枝、三馬、玉枝・成三郎、
 小円馬、扇遊、三八、亀鶴。

二十一日より

△新京極富貴 柳家金語楼独演会。

昭和951日 都新聞

[広告]寄席案内

◎上野鈴本演芸場/貞山 金馬 文治 三語楼 小さん 小勝 幅丸 香津代 談志 三寿 小南 花蝶 さん馬 辰三郎 小鐡

◎人形町末広/貞山 小勝 金馬 文治 小さん さん馬 岩てこ一行 馬の助 東朝 三平 小三治 幅丸 香津代 小春團治

小春團治上京

昭和954日 大阪朝日新聞

 落語や万歳の面白い放送が聴ける BKと吉本が愈よ八年振に握手 

 かねてから問題となつていたBKと吉本興行部の握手話が進んで、面白い上方落語や新趣向の万歳など郷土色豊かな娯楽放送が初夏の家庭へ送られやうといふラヂオフアンに嬉しいニユース。

 去る四月三十日、BK煙山放送部長と吉本興行合名会社の代表者林正之助氏が会見の結果、放送を実現させることにほゞ決定し、四日午後三痔から大阪綿業会館で吉本側から林代表者、瀧野、青山両氏、BK側から広江常務、煙山放送部長、奥屋文芸課長が会見、正式に決定することになつた。

昭和二年三遊亭小円馬の落語放送を最後として吉本興行専属万歳、落語家の放送は中絶され、その間春団治が京都から放送して紛糾したこともあつたが、過去のゆきがかりなどはすでに清算されている今日、実に朗らかに話がすゝんでいるので、七年余の中絶も復活し、春団治は病気療養中だが円馬、三木助、枝鶴、エンタツ、アチヤコなどもマイクに立つものと見られている。

吉本代表林正之助氏は語る

『大阪落語や万歳の放送をプログラムにとり入れることは聴取者も望んでいるし、こちらも賛成なんだが、時機が来てどちらからいひだしたといふやうな堅苦しい意味でなく、たゞ白紙で明日BKの方々とお会ひします。うまく纏るものかどうかは不明ですが、ラヂオの社会性などから見てなるべく朗らかな解決の途を得たいと思つて居ます』

BK煙山放送部長は語る

 『吉本興行会社専属の演芸家の放送問題は私の預つている仕事の最後に解決すべき問題で、先方の林君とは三、四年越しの懇意の仲で、こんど放送問題については初めて互ひに意中を打明けることになつたものです。大阪落語やよい万歳を相当多くプログラムに取入れる必要のあることは放送局としてもわかつているし、多数聴取者も希望していられることで、また吉本さんの方もこの趣意に賛意を表していられることは事実だから、明日会つたうえでないと判らないが、私はおそらくこの計画は成就するだらうと思ひます』

昭和954 大阪時事新報

 BKと吉本興行 漸く仲直り? 機運動いて今日両者懇談 七年振りに放送か 

 落語、万歳其の他の名人級の芸人の元締吉本興行部では、同社専属技芸士の放送を禁止して既に七年余(最後の放送は昭和二年三月五日、三遊亭小円馬の落語)になるが、郷土娯楽の立場から見て、所謂本格的な大阪落語や、近時著しく趣向を変へてきた高級万歳が量的にも相当多くプログラムに取り入れる必要を放送局側も痛切に感じていることとて、機運をかもしたと云ふか、突然に今四日午後三時、綿業会館において吉本側から林正之助氏、瀧野、青山両氏、放送局側から広江常務、煙山部長、奥屋文芸課長の三氏が出席、吉本専属技芸士の放送に就て種々懇談することになつた。

右に就て吉本の代表者林氏は、

 多数の聴取者も望んでいることですし、又こちら側としても趣意は賛成しているのですから、今度は所謂時機が来たと云ふ様な訳で、どちらから言ひ出したと云ふ様な堅苦しい意味でなく白紙でお会ひすることになりました。うまく纏るものかどうかは不明ですが、ラヂオの社会性などから見て成るべく朗らかに解決の道を得たいと思つています。

と語り、又BK奥屋文芸課長は、

 これと云ふ理由もなく今まで中絶していたことはとにかく遺憾でしたが、今度は両方の仕事を理解し合ふと云ふ意味で両者の気持がピッタリし、時機が熱したとも云ひませうか。明日お互いの意見をザックバランに話し合ふことに決りましたが、私の考へでは恐らく円満に纏るんぢやないかと思つてをります。

と語つている。

昭和955日 大阪朝日新聞

 東西寄席めぐりで 初の高座中継放送 BKと吉本 爽かに正式握手 

 既報──ラヂオフアンの待ちあぐんでいる一流の落語、万歳、漫談家の放送をいよ〳〵実現すべく

 四日午後四時から大阪綿業会館でBK側は広江常務、煙山放送課長、奥屋文芸課長、吉本興行合名会社からは林正之助代表、林弘高両氏、青山、瀧野両支配人が出席懇談した結果、七年余も中絶していた吉本興行専属の演芸家らの放送問題もタツタ三十分間で正式解決、煙霧が晴れたやうな爽かさに双方ともニコニコと握手を交して、条件なしでめでたく紳士契約が結ばれた。

  さつそく善は急げと爆笑プログラムが編成されたが、BKでは開局十周年にあたる六月一日から放送記念週間を催し、これを機会に娯楽放送に新機軸を出さうと、まず六月一日夜に落語界のナンバーワン吉本専属の三遊亭円馬が初放送し、つゞいて郷土色濃い寄席気分を各家庭へおくるためにマイクを高座にすゝめて「お江戸と浪花の寄席めぐり」をやる。三日夜東京の寄席からスタートを切つて、七日夜はいよいよ南地法善寺の花月から高座中継放送があるわけ‥‥また北新地花月、京都富貴亭などの中継も行ふ予定で、BKでは万歳、落語の新作研究、吉本側では各演芸家にラヂオ放送の効果について特別の研究をやらすといつている。

〈編者註〉BKと吉本の和解が成立し、六月一日、三遊亭円馬の「子別れ」が放送される。これを皮切りにラジオ出演する落語家は吉本専属の連中で占められる。南地花月、北新地花月倶楽部、新京極富貴から中継放送もされ、上方落語史にとって大きな出来事であるが、ラジオ番組に関してはこれまで通りすべて省略する。後日「上方落語とラジオ放送」のようなかたちで一括して掲載する予定である。

昭和957日 都新聞

<正岡容と創作落語会>

◇創作落語爆笑会 十日夕六時より芝恵智十にて開催。

 居留地(正岡容)べん(中村進治郎)相馬大作(文都)サービスレコード(柳條)音頭狂時代(米丸)相談所(富士郎)親友(みのる)納豆屋(桃太郎)支那そば屋(柳橋)漫劇(喜代駒)先代文楽の思い出(田村西男)毒舌漫談(籾山ヒゲ華)

昭和9512 都新聞

◇小春団治受難 協会極度に憤慨 大阪の吉本興行を脱退して上京し、貞山、小勝等の東京落語協会へ加盟、初出演中の桂小春団治は、十日夜神田立花亭よりの帰途、万世橋際で突然三名の暴漢に包囲され、顔面その他を殴打されて全治十日間の打撲傷を受けた。暴漢は同人の東京出演に反感をもつた者の所為らしく、協会では極度に憤慨して、問題にすべく処置を考究中であるから、或はこれが動機となつて紛擾拡大に至るべき形勢とあり。尚小春団治は繃帯をした位、護衛づきで喜よし、立花、及び浅草金車等各席へ出演している。

昭和9515日 大阪朝日新聞
◇古い洒落 落語家 笑福亭松鶴  

▽私どもがしやべる昔の洒落は今日のお方には通じませんので、笑つてほしいときにも笑つて頂けないことがごわります。例へば按摩と閻魔を間違へた話で「アンマシヨーキエンマトノマチガヒやな」と申しましても一向通じません。これはつまり私らの若い時分に街をよく呼んで通りました「雨障子天窓の張替へ」をもぢつたものですから今日ではわかりません。

▽明治のかゝりに軽口──これは当今の万歳──の松右衛門といふ人がをりまして、これが別に何の意味もなしに高座で「カンチヨウライ」といふ言葉を口癖にしましたが、この人が至つて背の低い、いぢましい、しけた男やつたものですから、われ〳〵がいぢけた、しけた人に出くわすと「おい、あの人カンチヨウライみたいやな」と申しました。

▽また落語に出て来ます人物の性格から世間の人たちを形容いたしまして、世話好きの人なら「甚兵衛はんやな」、兄貴株なら「清八」やな、阿呆なら「キー公やな」などいろ〳〵とごわりましたが、いまはどれもこれも通用しさうぢやありまへんな。

昭和9518日 大阪朝日新聞

○親父の話 三遊亭円馬 BKと吉本との折合がついて大阪落語の一流どころも放送に出ることになつた。封切りは六月一日に三遊亭円馬の出演だが、この円馬がむろん高座では口にしたことのない彼の父親の思ひ出話を紹介する。

父は都勇といふ落語家で、高座の技倆はほめられたものでしたが、ずぼらで、酒を飲むので困りました。金を持たせると一晩で飲んでしまふ。そこで席主も金を持せぬ工夫を考へて、なるだけ掛け持なんかさせないで前座の出る間の太皷を打つ、つまらない役を仰せつけました。そこで親父は太皷を打ちに席へ出たのですが、いつもお茶を入れる土瓶にはこつそり酒を忍ばせてチビリ〳〵飲んでをりました。どうしたことか、ある時席主から十八円借りたことがあつたんです。十八円といへば当時としては相当大金です。ところがそれを一晩のうちにすつかり使つてしまひました。リウマチを患つてをりまして手が自由に上へ上りません。それが飲むと元気が出て上へ上ります。家族のものに親父はよくかう頼みました、「この手を上へ上げさせてんか」と。

昭和9519 大阪時事新報

<第四回落語研究会・大阪>

◇落語研究会 二十日正午から北花月倶楽部で 吉本所属の落語家が毎月例会として催している落語研究会も四月休会して落語愛好者を物足らなく思はせていたが、この間同人は落語の向上と振興のため更に研究的会議を重ね、より一層の精進を誓ひ、こゝに第四回落語研究会を来る二十日(第三日曜日)の正午から北の新地花月倶楽部にて開催することになり、その出演者と演題も次の如く決定した。

 瘤弁慶(せんば)、大和閑所(福団治)、お軽身売(馬生)、鶴満寺(染丸)、端句殿様(円馬)、子鎹(枝鶴)、芝居噺本能寺(五郎)、竈幽霊(三木助)、時事漫談(九里丸)

昭和9519日 都新聞

◇落語研究会 二十日正午神田立花亭にて

意地競べ(小三治)近江八景(小圓朝)五月幟(柏枝)四の字嫌い(圓蔵)ごん兵衛狸(馬楽)禁酒(小春團治)有馬のお藤(芝楽)はやり物(圓生)佃祭(金馬)

昭和9528日 都新聞

◇落語協会 一日夜よりの各席

◎四谷喜よし さん馬 柳朝 小久 馬楽 小李彩 小勝 幅丸 香津代 小春團治 三寿 金馬 貞山 小鐡 辰三郎 小さん

◎神田立花 談好 談志 可楽 小鐡 辰三郎 金馬 萬橘 文治 大洋 小さん 小春團治 馬風 小勝

<編者註>小春團治出演の寄席番組のみ掲載。

昭和9529日 都新聞

◇落語講談有名会 三十一日夜浅草金車亭にて

 貞山、小勝、三語楼、文治、小さん、金馬、馬楽、談志、小春團治

昭和9530 大阪時事新報

◇万歳学校生徒募集 漫談の九里丸と楽語(落語の文字を解消させて)の枝鶴とが協同して拵へ上げた珍学校「漫談明朗塾」では今回第二期講習生を募集することとなつた。今期からは講習日を二種別とし、第一部を毎日曜日、第二部を毎週日、水両日として、各午前中のみの開講、と規則改正した。応募者は六月五日迄に履歴書を添へ、市内東成区片江町四二五花月亭九里丸方へ申込まれたし。


昭和96

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 円馬、三亀松、正蔵、文雄・静代、枝鶴、エンタツ・アチヤコ、ろ山、九里丸、三木助、市
 松・芳子、雁玉・十郎、円枝、扇遊他。

△北新地花月倶楽部 文雄・静代、枝鶴、エンタツ・アチヤコ、五郎、三亀松、正蔵、市松・芳子、円枝、
 雁玉・十郎、正光、ろ山、九里丸、福団治他。

△天満花月 奴、三木助、今男、今若、馬生、武司、枝鶴、三亀松、蔵之助、円若、小円馬

十一日より

△南地花月 金語楼、エンタツ・アチヤコ、三木助、九里丸、雪江・五郎、ろ山、文雄・静代、柳亭芝楽、正光、枝鶴、成三郎・玉枝、五郎、市松・芳子、馬生他。

△北新地花月倶楽部 ろ山、市松・芳子、福団治、九里丸、三木助、エンタツ・アチヤコ、染丸、水月・朝
 江、柳亭芝楽、円若、文治郎、小円馬他。

△天満花月 一蝶・美代子、蔵之助、竜光、文治郎、虎春・季子、五郎、出羽助・竹幸、福団治、日左丸・
 ラツパ、馬生、九里丸、円枝、文男・静代、染丸他。

△福島花月 落語花月連にまんざい群出演。

二十一日より

△南地花月・北新地花月倶楽部 枝鶴、柳亭芝楽、九里丸、円馬、福団治、三木助、五郎、エンタツ、文
 男、雁玉、雪江ら

△天満花月 文治郎、竜光、小円馬、九里丸、馬生、蔵之助、今男、市丸・奴。

△福島花月 吉本特選落語、万歳大会。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 二郎・一郎、柳亭芝楽、雁玉・十郎、枝鶴、三亀松、円馬、扇遊、蔵之助、正春・春子、三
 八、源朝、三馬。

二十一日より

△新京極富貴 亀鶴、三馬成三郎玉枝文治郎、柳亭芝楽市松芳子三八、扇遊、染丸雁玉
 郎
三亀松、三木助、正光

昭和961日 神戸又新日報

[広告]超特別興行/落語=音曲=手踊=漫談=講談/来る六月一日午後二時より一回興行/前代未聞の大番組/昔ばなし (次代不同)桂團橘 桂花柳 桂南天 石川静枝一門 桂塩鯛 桂門三郎 林家染三 桂ざこば 笑福亭小枝鶴 桂米團治 漫芸座 橘家扇三 春風亭小柳三 立花家花橘/新開地大正座

昭和9年6月1日又新

昭和962日 神戸新聞

<神戸大正座で久々の落語会>

大正座に落語一日からの新番組 新開地大正座は従来浪曲の陣を布いてお馴染であるが、一日からは特にさらりと番組を一変し、落語、音曲、講談、漫芸という賑やかな陣立てで大衆本位の幕を開ける。出演者は何れも一流の顔触れで各方面から期待されてゐる。主なる人は左の通り

立花家花橘△桂米團冶△桂塩鯛△桂ざこば△笑福亭小枝鶴△林家染三その他

昭和964日 神戸新聞

大正座 落語花橘、小柳三、扇三、米團冶、小伯山、門三郎、石川静江

<編者註>この一行は、十六日まで

昭和966 大阪時事新報

◇国葬当日の吉本 花月で遥拜式 五日の故東郷元帥国葬当日、吉本興行では経営各劇場、演芸場は夜間一回だけ興行し、昼間は休演するが、南地法善寺境内花月に祭壇を設け、故東郷元帥が生前親しく署名されて吉本せい氏へ賜つた大写真集を祭り、午前十一時よりせい氏、林正之助氏を始め花月連各技芸員参列して遥拜式を行ふと。

昭和969日 京城日報

◇[広告]本町五丁目朝日座/六月二日より八日間階上全部三十銭次第早い勝/猫遊軒猫八 江戸家猫八 合同大競演会/浮世亭夢丸 吉田家加入特別出演/明六日より全部プロ取替御覧ニ入レマス 拳闘萬歳日本コンクリン特別出演

昭和9610 大阪時事新報

<柳亭芝楽>

◇両花月に柳亭芝楽出演 南地法善寺境内花月には目下浪花座で絶賛を浴びている柳家金語楼が特別出演して一層盛況を呈しているが、十一日から初夏の快笑替り第二陣として引き続き金語楼が新作の漫談と落語を発表長演し、これに東京柳亭芝楽が、稀らしくも六年ぶりで来演、神田ろ山も得意の怪談等が演続に花月幹部連の笑ひの競演、初夏の夕にふさはしい出番で、花月倶楽部も略同様。尚柳亭芝楽は出番替りに先立ち今九日より両席へ出演する筈である。

昭和9610日 都新聞

<正岡容と創作落語会>

◇創作落語爆笑会 十日夜芝恵智十に

 文士の穴(正岡容)芝居カフェー(中村進治郎)黄金狂時代(柳楽)お庭の桜(柳條)三階席(米丸)脱線番頭(幅丸)ぶたれ屋(文都)映画狂(小團治)表札(百圓)嬶入(しん馬)紙切(一蝶)音曲問屋(勝次郎)流行歌(さつき)

昭和9611 京都日出新聞

◇柳亭芝楽来阪 三亀松や円馬、枝鶴 十一日からの富貴 新京極の富貴は十一日から寄席趣味を満喫するに充分な特別番組を以て開演するが、東京よりは珍らしや柳亭芝楽が来演する。芝楽は東京の春団治として落語界切つての名物男、軽妙な話芸は定評あり、而も六年振りの出演であるから一層期待されよう。これに桃色歌曲の柳家三亀松、人情噺の名人三遊亭円馬、大阪落語の中堅笑福亭枝鶴等近来の特別番組で、初夏の夕にふさはしい賑ひである。

昭和9612日 大阪毎日新聞

○円いレコードを四角な法で取締る いかがはしいのを街頭から一掃 十五日ころ愈々発令 

レコード万能時代は‥‥遂にレコードを出版法で取締るといふ円くない四角な法律を作つた‥‥  

レコードの取締りはこれまで治安警察法で取締つていたが、最近世相の複雑化に伴ひ、安寧秩序を紊し、また風俗を壊乱する音律が盛んに街頭に流れ、大阪府当局でも先日管内の某レコード会社が落語で芳しからぬ思想問題を吹込んだので発売禁止したことがあり、府特高検閲係長橋本警部は過日上京、内務省とレコードの取締りにつき種々協議を重ね十一日帰阪したが、来る十五日前後、

 頒布ノ目的ヲ以テ音ヲ機械的ニ複製スルノ用ニ供スル機器ニ音ノ写調セラレタルモノニ之ヲ準用ス

と発布される条例でレコードを出版法として取締ることとなつた。この新法令によると、吹込者は著作者となり、今後レコードの表面に発行者何々会社、製作年月日、著作者の姓名、つまり「勝太郎」だけでなく勝太郎こと佐藤かつと書き加へるわけで、今までレコードフアンが知らなかつた声の主の本名も合せて知ることが出来るが、このため製作者側では盤上の飾装に一大変化が起ると同時にインチキも出来なくなる訳である。

一方、大阪府管内には帝蓄、日東、太平など月々新盤百枚も製作するので、府検閲関係ではレコード係二名を増員して厳重取締ることになつた。

昭和9612日 大阪毎日新聞

 寄席を聴いて 渡辺 均 

∇「東西寄席めぐり」の計画、近ごろ結構なことです。殊になが年、睨み合ひの形であつたBKと吉本とが新しく提携して大阪での現役落語家のが聞けることは一層結構です。そして第一回東京鈴本からの中継、第二回大阪南地花月からの中継、二つともスタヂオ放送よりも明瞭によく入つていたのが嬉しかつたです。

∇鈴本からのは以前にもやつたことがあるし、出演者は芝楽といひ、文楽といひ、いつも放送に出ている人なので、その点からいつて花月からの三木助、枝鶴の方は珍らしいだけでも非常な興味です。三木助の「お文さん」では平生から手堅いこの人がいつそ堅苦しい位、枝鶴の「三十石」ではこの人の得意の饒舌さをよく現はしていた。しかも例のお婆さんを出して来なかつた点は、家庭でお婆さんも一しよに聞いている場合の遠慮からだらうと思ひますが、その心づかひは好感が持てました。

∇たゞこゝで希望を述べたいのは、特に時間のかゝる「三十石」の如きを選んだことです。あれは本当ならば全部では数時間かゝる長いものです。大阪落語としての有名さからか、或はどの一部分だけを切離しても筋には関係のない性質の話であるためから選ばれたものだらうとは思ひますが、それにしても二十分足らずの時間では「三十石」の持つのんびりとした気分が出せさうなはずがありません。折角最後に舟唄を出しても、結局どうしたつて筋書きの、しかも切り売りにしかなりません。

∇「お文さん」にしても、もつと大阪の町家の生活や風景が描かれねばならず、お竹どんが御寮ンさんに告げ口するところなどもこの話の持つ面白さの一つですが、気の毒や、三木助もこれこそ本当の筋書で走らねばならなかつたようです。ですから二十分間足らずでその話の良さを現はし得るような出し物を選ぶか、さもなくば、その晩に限つて中継される演者の出演時間をせめて三十分ぐらいには延長して、その中継時間を一時間のみに限らないようにすればよくはないかと思ひます。

∇エンタツ、アチヤコの掛合漫談、まことに文字通りの熱演でした。

昭和9616日 大阪毎日新聞

<第五回大阪落語研究会>

○大阪落語研究会 「大阪落語」保存の意味で吉本興行が行つている「大阪落語研究会」の第五回が十七日正午北陽花月で行はれる。今回の番組は左の通り。

 地獄八景(小雀)、四の字嫌ひ(小円馬)、雪こかし(枝鶴)、お鉢(蔵之助)、冬の遊び(三木助)、百年目(文治郎)、応挙(染丸)、子別れ(円馬)。番外、漫談(九里丸)

昭和9617日 都新聞

◇落語研究会 十七日正午より神田立花亭に

 厄払い(文七)不精床(圓蔵)弥次郎(小圓朝)やかん泥(文楽)どうかん(小さん)孝行糖(金馬)夏の医者(馬楽)寄合酒(圓生)円タクの悲哀(小春團治)富士詣(可楽)

昭和9619 神戸新聞

千代之座 萬歳、色物、芽生座ナンセンス、西宮小柳三、神田小伯山、天右一行の曲枝など

昭和9621 京都新聞

○原田翁追善落語大会 二十四日昼夜先斗町で 福松らが特別出演 

落語全盛の時代、京阪神の落語界を牛耳つて東のシカ連にも慈父の如く慕はれていた元芦辺館席主原田安次郎氏は落語界の凋落と共に逼塞して、晩年極めて寥々たる裡に一昨年七月二十四日、多大の感慨を残して死亡したのを哀悼して、其旧友等は今回三周忌追善落語大会を二十四日午後一時よりと六時よりの二回、先斗町の歌舞練場で開催することとなつたが、これを聞いては今は引退しているが同氏生前一方ならぬ恩顧になつた円太郎、福松、かしく、円歌、米団次、小円太、塩鯛、花橘、妻奴等々が旧好に酬ゆるために出演することになつて、何れも得意の長広舌を振うことになつている。

昭和9629 京都日出新聞

<第三回落語研究会・京都>

◇落語研究会 第三回例会を一日富貴でひらく 落語研究会では七月一日正午から新京極富貴で第三回例会を開く。演題と出演者は左の如くである。

 子ほめ(三木弥)、源兵衛魂(文治郎)、今戸の狐(三馬)、嚔講釈(枝鶴)、明烏(円馬)、天下一(三木助)、おすわどん(蔵之助)、先の仏(染丸)、落語に現はれたる犯罪(九里丸)

昭和9629日 都新聞

◇落語協会 一日よりの番組

◎浅草金車亭 小團治 扇太郎 三福 小李彩 團洲 百圓 小三治 丸一小鐡辰三郎 馬風 貞山 三寿 小春團治 萬橘 金馬 馬楽 幅丸香津代 三語楼

<編者註>小春團治出演の寄席番組のみ掲載。

上方落語史料集成 昭和9年(1934)7月~9月

昭和97

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 小雀、円若、一郎・二郎、成三郎・玉枝、福団治、雪江・五郎、円枝、市松・芳子、五郎・紋十郎、九里丸、雁玉・十郎、三木助・喬之助、文雄・静代、枝鶴、石田一松、円馬。【寄席ビラ参照】

△北新地花月倶楽部 三木助、扇遊、五郎、市松・芳子、石田一松、枝鶴、文雄・静代、文治郎、一郎、円
 馬、九里丸、蔵之助他。

十一日より

△南地花月 三木助、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、雪江・五郎、石田一松、九里丸、文治郎、雁玉・十郎、福団治、成三郎・玉枝、蔵之助、武司、重隆、五郎、静児・幸児。  

△花月倶楽部 枝鶴、九里丸、奴・福之助、馬生、エンタツ・アチヤコ、円馬、成三郎・玉枝、石田一松、
 三木助、正光、左楽・右楽、福団治、小円馬他。

△天満花月 出羽助・竹幸、蔵之助、登吉・花奴、竜光、奴・福之助、三木助、房春・鶴江、枝鶴、九里丸、夢若・夢路、文治郎、梅三・すみれ、団治・時子他。  

△福島花月 文治郎、扇遊、蔵之助、小円馬、九里丸、馬生等花月幹部連に吉本特選漫才競演。

二十一日より

△南地花月 「鎖夏涼笑の夕」。九里丸、三木助、文男・静代、福団治、石田一松、円枝、日左丸・ラツパ、五郎、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、市松・芳子、円若、馬生、奴・福之助等。

△北新地花月倶楽部 石田一松、蔵之助、成三郎・玉枝、九里丸、三木助、エンタツ・アチヤコ、福団治、文男・静代、染丸、日左丸・ラツパ、五郎、源朝、文治郎等。

京都の寄席案内

十一日

△新京極富貴 クレバ・栄治・清(曲技)、福団治、文男・静代、五郎、日左丸・ラツパ、円枝、円若、染
 丸、今男・とり三、三馬、源朝、三八。

△新京極花月 都枝・七五三(東京の珍芸漫才)、吉本選抜漫歳諸芸、吉花会女。昼夜二回。  

△新京極笑福亭 民謡安来美人連の競演、ジヤズ新舞踊、中堅まんざい諸芸。昼夜二回。

二十一日より

△新京極富貴 正光、枝鶴、馬生、出羽助・竹幸、扇遊、文治郎、雪江・五郎、丹馬・一郎、延若、志乃
 武・次郎、三馬、三八。

昭和971より南地花月プログラム

9年 015

〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。

昭和972日 都新聞

◇小春團治演芸会 七日六時半、帝国ホテル演芸場に

 小春團治、小さん、馬楽、小仙、亀蔵、夢声、藤代瑛代出演。

昭和9712 神戸新聞
◇万歳師桂文男さん打明話

=落語から転向= 夫婦心中のドタン場で心境の変化を感じたデス

 俺のは萬歳でない。教訓を与えているのだ。よう聞いとけツー。腕を撫し、胸を叩き、声を張り上げ高座を高座とも思わぬ放言ぼやき萬歳として人気を博してゐるこの仲間では一寸見られぬ偏骨者吉本興業の萬歳師都家文男さん、彼が今日の人気をかち得るまでには笑へぬナンセンスとして貞楽劇そのままのユーモアたつぷりな面も一掬の涙なくしては読めぬ左の如き人生流転史がある以下は文男さんの話…。 

 桂歌路と云へば知ってる人は知ってるでせうが(知らぬ人は知らぬです)當地新開地千代之座が落語全盛のころ御厄介になって居りました常時の私の芸名なんです、十年以上も居りました、随分お引立を戴いて居りましたが、断然感じるところあり、落語の不況を知り萬歳に転向したのです、近頃転向大はやりですが之は私が先鞭をつけたんではない勝手に出来をつたんですが、初舞台は呉の中通演芸館でした、それから東京の浅草に行きました所、お客様からは、「生意気なだ」と云われ、其筋からは○○の様にも見られ泣くに泣かれず思案の揚句、これ(静代さんのこと、舞台では相方、家では最愛の妻なのです)と二人、馴染とてない東京のこと、吾妻橋の上に佇み、大阪の方を見て思わず落とし不覚の涙(テテーンとこのところ三味線入り)袂に一パイ小石をつめて、二人手を取り、南無阿弥陀仏助けて呉れハンのやっつたら今の中だつせと右左、見渡しても誰も来てくれはらん、まア一通り訳を聞いておくんなせエと云う人もなし、ままよ、死ねば諸共ドブンとやってこまそうとした時、ハッと忘れてたことを思い出しましたんや、ワテには年とつた親父が一人ある(二人あつてたまるかいな)自分にはたつた一人の親を見て行かねばならぬ重大な責任がある。石にかぢりついても送金せねば「東京は大成功だ」と有りもせぬ大ほら吹いて安心さしてある父のこと、為替の来るのを今か今かと待ち構えてゐる姿が目にチラついて来たのだす。辛抱は金だ、死んだと思ってガゼン此処に心境の変化を来たしました。その時某大学生から手紙を頂き、それに「やがて萬歳も君の時代が来る」と書いてありました。その時の嬉かったこと。それを励みに一生懸命勉強しました。そして吉本の御主人に見出され今日思いもよらん夢のような成功を収め、たまったお金を手に父への孝行に父の好物な酒白雪の四十樽をすゑた時、父の嬉し相な顔、私は生まれて始めてそれを見ました、私は酒も煙草ものみまへん女・・・はまあ好きミタイなものです、千代之座時代新中検の美代香の屋形へ行ったものです。今の現長の上の横小路のイキな家、納まってゐたことおます(と一寸横目で静代さんの顔を見る)「あんた何言ってはんネ」ポンと肩をたたかれ流石の文男さんもヘッヘッヘッ…。

昭和9714日 京城日報

◇[広告]松竹直営桜井町松竹座/十三日堂々公開。みな様東亜倶楽部として永年御贔屓に預りました當館は此の度松竹キネマ朝鮮封切場として其の名も「松竹座」と改称致しまして新装美々しく館内外の手入れを了し天晴れ大松竹の封切場としての貫禄を整え面目を一新して愈々本日から松竹提携記念■に館名改称記念特別大興行を華々しく興行することになりました。どうぞ一層の御愛顧御鞭撻の程御願申上げます。

昭和9727 都新聞

提携が祟つた小春団治 傍杖を喰つた馬楽

落語色物席主の策動が効を奏して、協会、睦会、金語楼派の提携が成立し、各席とも賑やかな顔触れで興行する事が出来るようになつたところ、此処に哀れを止めたのは大阪上りの桂小春団治で、元来これは吉本興行部と意見の衝突から脱退して上京し、落語協会へ加盟したもので、其後間もなく今回の提携となり、協会と吉本派と仲がよくなると、吉本への遠慮で自然小春団治を重用する事が出来なくなり、此下席の如きは浅草の金車亭たゞ一軒といふ始末。それにつれて馬楽も万事、小春団治の尻押をしたといふ点や其他の事情で睨まれ、これ亦冷遇され始めたので大に不満を抱き、馬楽は持前の尖りを発揮して幹部に詰問するなど、又も吉例の紛糾が始まつたので、協会々長の貞山も心配し、このところ善後策を講究中だとか。

昭和9年7月30日 都新聞

落語協会 一日よりの各席

浅草金車亭 花の丞 談好 文治 百圓 扇太郎 柳楽 小南 岩てこ 三語楼 馬の助 さん馬 小春團治 勝次郎 金馬

白山浅嘉亭 三福 小せん 小三太 可楽 小南 三寿 小圓朝 幅丸 小春團治 萬橘 談志

<編者註>小春團治出演の寄席番組のみ掲載。

昭和98

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 神田伯龍(怪談・源右衛門狸)、文男・静代、九里丸、三木助、スケツチ四題「夜泣きうどん」「財布」「夕立」「音頭の殿様」、雪江・五郎、キング・エロ子、舞踊競争、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、雁玉・十郎、扇遊、今若・歳男。

△北新地花月倶楽部 神田伯龍(怪談)、九里丸、三木助、エンタツ・アチヤコ、雁玉・十郎、石田一松、日左丸・ラツパ、円馬、今男・とり三、延若、栄治・清、小円馬。

十一日より

△南地花月 神田伯龍(怪談・木幡小平次)、石田一松、エンタツ・アチヤコ、雪江・五郎、スケツチ四題「つねつちや厭や」「脱衣所」「昇降口」「辻斬」、円馬、福団治、蔵之助、染丸、五郎、正光、枝鶴、九里丸、市松・芳子、三木助、舞踊試合、日左丸・ラツパ、源朝。(十九日正午より神田伯龍を聴く会)。

△北新地花月倶楽部 九里丸、志乃武・次郎、神田伯龍(怪談)、扇遊、馬生、エンタツ・アチヤコ、福団
 治、武司・重隆、枝鶴、石田一松、源朝。

二十一日より

△南地花月 伯龍(怪談)、石田一松、雪江・五郎、スケツチ四題「飛行機」「話の席」「爆音」「虎」、柳亭春楽(声色)、三木助、雁玉・十郎、竜光、日左丸・ラツパ、福団治、奴、・福之助、五郎、静児・幸児。  

△北新地花月倶楽部 三木助、九里丸、今若・歳男、伯龍(怪談)、成三郎・玉枝、重隆・武司、スケツチ四題、枝鶴、春楽、雪江・五郎、円枝、すみれ・梅三。

昭和984日 大阪毎日新聞[広告]阪神パーク納涼寄席の夕

9年 003

昭和986 大阪時事新報 

 寄席慢筆 寄席は何故寂れるのか エロチシズムの注射を提言 谷村俊郎

寄席の一興行の番組に万歳が二、三組入つていないと客が来ない‥‥と云ふのが常識になつてしまつたが、落語を聞くよりも万歳を聞きに来るのが近ごろの寄席の客だ。例へば三木助(名前を出して失礼)がトリになるのと、エンタツ、アチヤコがトリになるのとではお客の立ち方がまるで違ふ。時間が遅くなるから立つのだらうと思つていると、万歳がトリなら何時もの時間よりも余程遅れていても客は立たない。万歳の方は面白いからと云ふ理由は確かにあるが、しかし三木助は拙いからと云ふ理由はない。落語が何となく退屈だからと云ふ理由によるのだから、落語家たるもの、何故落語が退屈か? と云ふことを是非研究しなければならぬだらう。

七月、八月は休みだが、恒例の落語研究会も、落語そのものを研究してもつと芸が巧くならうとばかり考へているのでは、先づ現在の落語の衰運を挽回することは難かしからうと思ふ。話すことが巧くなるいことは結構だが、話が拙いから客が来ないのではないことをよく承知して貰ひたい。何故客が来ないかは、要するにどんなに巧くとも退屈だからによる。話の運びにスピードが無い。九里丸が落語は新しみがないからいかん、と云ふ。

 例へばお女中と云ふ言葉は近代人には下女の女中としか通じない(通じないと云ふよりピンと来ない)から御婦人と云はなければならぬ、と云ふ。それにならつて枝鶴が助やんを石田君に直し、わいを僕に直して古い落語を新しくしているが、あれは何の効もない。却てギコチないものにしている。そんな末梢的なことを直すよりも、例へて言へば春団治の西洋料理の話などを全然引つこめること。話そのものが全然時代に合はないものは、直すよりもいつそ引つこめて再びやらないこと。

時代に合ふ合はないの限界ははつきりつけ難いが、大体において江戸時代の落語はいゝが、明治時代、大正時代の落語はよくない。

 が、その中でも異例は勿論あつて、江戸時代のものでも演つてくだらぬものもあり、明治時代のものでも演つていゝものがある。一々例は挙げ難いが、要するに笑ひ話の定石、悧巧と馬鹿の対立に、義理人情の悧巧さは聞いて聞き難くないが、知識の悧巧さはよく吟味して話さないと聞く方で聞き難くなる。

 新作落語は各自が努力して作る方がいゝが、落語研究会は新作落語を各自が同じものを二つづゝ演つて、一時に二席聞いて飽きないものをと云ふ□気でやるといゝと思ふ。新作落語はつまり新作なのだから、始めて聞く者には多少話術は拙くとも聞けるが、話し方が拙いと、こなれていないだけに、再度、再々度聞くと古い落語より一層悪くなる。小春団次の新作は諒とするが、まだ〳〵落語研究会の必要があるだけに三度四度とは聞けない。正蔵の方はやゝ良く、金語楼の方はそれよりも少し良い。金語楼と云へば、彼の高座は落語の邪道だと云へば云へるが、研究した努力は買つていゝと思ふ。要するにこれからの落語は出来るだけ立体的に話す様に心掛くべきだ。

 徒らに枯淡な味を尊んで老巧の域に達して、平面的になると云ふことは一寸傑らさうだ。事実傑らい。がそれだけで民衆は既に彼の後は追はない。喜多村緑郎が動きのない芸をやつて、他の動きのある役者達がへへッと奉つているが、しかし喜多村緑郎を是非見たいなどと云ふ民衆は特殊な一階級を除いて全部無くなつてしまふ。老巧になつてはいけない。あがいて〳〵いろんなことをやつてみることだ。

‥‥と云ふ様なことは話そのものの話だが、落語席が万歳に対立する唯一の道はエロをもう少し加味することだと思ふ。現在万歳に欠けている点は、エロチシズムだ(陽子、陽之助が拙い割に喝采されたのは、幾分たりともエロに依る)。エロ気は誰でも欲しがつている。発散の方法は、お色気の話をしても何にもならない。昔は話で気分を出し、新内の唄で気分を出したかも知れないが、今は直接見せないといけないらしい。

 近頃娘義太夫(義太夫はいかんが)娘手踊等のいろものがプログラムから姿を消したが 何故消したのかしら。大切りに楽屋総出のカツポレだとか、落語家芝居を廃して、過日柳橋がやつた踊り仕合、男の踊り仕合ひではいけない。

 女をふんだんにに持つてくること。吉本あたりなら専属の女連がいくらも居るだらう。安来節も一つ位は入れていい。岡田宗子か花柳貞奴か、誰でもいゝ、頭株の一人位は(勿論添へを四五人付けて)大いに出して貰ひたい。落語席の邪道と通連は嘆くとも、本来落語家そのものゝ品位が落ちたと嘆くとも、落語席をマーカスシヨウの小さな日本的のものにすることだ。要するにバラエテイをやるべし、大阪には落語家が少(すくない)のだから。

 他のいろものが多くなつたために席を振り当て切れぬなどと云ふことは、彼らに休みが多いよりもいゝだらう‥‥と思ふ。 

昭和981日 神戸新聞

暑さ愈々本格に入る 八月一日より七日まで毎夜七時開演 特別余興落語と講談の夕 温泉大ホールにて

関西一流出演(神田小伯山、桂春輔、橘ノ圓都、橘家橘三郎、桂常山、桂紫鶴

昭和9827 大阪時事新報 

 落語は滅ぶ? 花月亭九里丸君に与ふ 浅田 耕

 花月亭九里丸君 

過日の本紙上で君から上方落語の衰亡に就て述べたところを読んだので一言観客側としての意見を述べて見たい。

落語、と云ふよりは従来の民衆芸術の一分野としての寄席演芸がどうして今日の如く凋落して来たか。九里丸君は文楽の人形浄瑠璃を持出して、上方落語もそれに匹敵すべきものだと見栄を切つて居るが、それはちと大層過ぎるにしても、どちらも没落過程を歩きつつあることにおいてその軌を一にして居る。

落語が凋落するのは一口に云へば時代に合は無くなつたからである。それに、高度の技術的名人が少なくなつたことである。如何に落語が藻掻いて見ても、時代に合は無くなつたと云ふことは民衆芸術としては致命的である。そのよき例としては一時道頓堀を風靡した大阪二わかが今日は見る影も無く没落したことを考へねばならぬ。またあれ程完成した芸術のタイプを持ち乍ら人形浄瑠璃が終焉の淵に臨みつゝあるのも同じ理由である。

 花月亭九里丸君 

落語研究会は有意義な企てゞある。だが、あれが現在続けられて居るにしても、あくまでもそれは研究会としての特殊的存在であつて、あの形式が普通の寄席興行に当嵌めて決して成功すべきものではない。である以上落語保存の趣旨には叶ふが、興行的価値は希薄で、到底昔を今になす由もなき催しである。今日、高座で話される落語が「聴くお客さんの方が耳に蛸で、口も開かん先から演る方で気兼ねしとります」ものばかりで、内容が現代人の生活と余りにもカケ離れ過ぎてることは今更ら指摘しなくても多くの識者に言ひ古されて居る。言ひ古されて居るにも拘らず、どうしたら更生の途を辿るかといふことに目を塞いで居る今日の落語家は余りに怠慢では無からうか。

 花月亭九里丸君

君は雄々しく如何にしたら新らしい寄席芸を創り得るかに就て一生懸命になつて居る一人だと思ふ。しかし君の芸は余りに即興的で、幼稚で、散漫だ。頭ばかりが先へ進み過ぎて内容がこれに伴はぬ。唯君の熱心さが高座に溢れる点で君は聴衆に好意を持たれて居る。小春団治君の如きも多少焦つて居る一人かとも見られるが、まだ〳〵技術的に拙いところがあり、新落語を提げて小春団治時代を創らうと云ふ気魄と熱意を欠くのが惜しい。大阪にはこの二人以外に、将来大阪の寄席を背負つて行かうとする人を見出さぬのは遺憾だ。落語が一歩々々と凋落の道を歩むのは止むを得ぬことだらう。

 花月亭九里丸君

上方落語、今日の大阪の寄席が流行らなくなり、若しくは流行らなくなりつゝあるのは吉本の興行方針にも寄ると思ふ。吉本王国に統一されて終つてから寄席には興行上の変化が無くなり、出演者は気分の単調さに慣らされて終つた。吉本興業部がも少し時代と云ふものに関心を持つて経営法を改めたら、所謂没落すべきものとは云ひ乍ら、その寿命は幾年かは延ばし得ると思ふ。

差当り左の諸項を実行すべきである。これは観客側としての意思表示である。

一、寄席の構造を改善すること。洋服を着て這入つて足の痺れぬやう‥‥。

二、出演時間の画一制を改めて、長短よろしき按配のダイヤグラムを作ること。

三、楽屋の責任者を定めて、ネタのダブルこと(この頃は頻繁にこれがあり、楽屋から一言誰も注意するもの無し)を防ぐこと。

四、寄席ニユースを発行すること(映画館のニユースに等しきもの)。

五、新聞を通じての宣伝をも少し知的に、も少し頻繁にやること(松竹通信の如きものゝ発行)。

昭和9829日 都新聞

◇落語協会 一日よりの各席

◎浅草金車亭 小三太 文歌 文都 三福 百圓 扇太郎 花蝶 幅丸 小さん 貞一茂子 小春團治 圓生 馬の助 小李彩 文治

<編者註>小春團治出演の寄席番組のみ掲載。


昭和99

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 吉本興行部総出演の「万歳大会」。小松月・美津子、今若・歳男、志之武・次郎、扇遊、成三
 郎・玉枝、出羽助・竹幸、市松・芳子、春楽、川柳・花蝶、キング・エロ子、雁玉・十郎、庫吉・芳奴、
 九里丸、アチヤコ・エンタツ、雪江・五郎、文雄・静代。

△北新地花月倶楽部 エンタツ・アチヤコ、五郎、出羽助・竹幸、三木助、花蝶・川柳、文治郎、九里丸、
 枝鶴、庫吉・芳奴、円馬、春楽、円枝、福団治、竜光ら。

十一日より

△南北花月・北新地花月倶楽部 「東西名流爆笑大旋風陣」。東京方:神田山陽、林家正蔵、春本助次
 郎(曲芸)、柳亭春楽(声色)。大阪方:三木助、枝鶴、九里丸、福団治、五郎・紋十郎、アチヤコ・
 エンタツ、雪江・五郎、川柳・花蝶、市松・芳子、ジヤズ・アツクル、幸児・静児等。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 右之助、三八、源朝(曲独楽)、三馬、福之助・奴、紋十郎・五郎、歌楽・正春、蔵之助、菊春・太郎、福団治、円馬、ラツパ・日左丸、柳亭春楽(声色)、枝鶴、ジヤズアツクル、静児・幸児。

十一日より

△新京極富貴 神田山陽、林家正蔵、九里丸、五郎・紋十郎、文治郎、円枝、雁玉・十郎、成三郎・玉枝、
 水月・朝江、今若・歳男。

△新京極花月 吉本興業特選万歳連。

△新京極笑福亭 民謡美人連と余興万歳連。昼夜開演。

二十一日より

△新京極富貴 桂文楽、柳亭春楽、福団治、円若、蔵之助、円馬、円枝、三八、三馬、雪江・五郎、市松・芳子、今男・福太郎、都枝・七五三、武司・重隆(剣舞)。

昭和992日  神戸又新日報

吉本の精鋭が揃って多聞座に漫才大會

 新開地多聞座は、金井修一座が東京公園劇場に出演するため八日打上げとなり、十一日から新たな陣容で開演するが、その間九、十の両日限り臨時編成として吉本興行の誇る漫才幹部を精つて「吉本漫才大會」を開催と決定、出演の顔触れを見れば近来にない笑いの爆撃陣であり二日間限りの短期開演とて人気を呼ぶことと思われる。

(アチャコ、今男))(雪江、五郎)(文雄、静代)(川柳、花蝶)(成三郎、玉枝)(奴、喜蝶)(千代八、八千代)(三好、米子)(夢若、光晴)(なり駒、とり三)龍光(水月、朝江)(一蝶、美代子)(公園、男蝶)(正坊、艶子)(團ノ助、ボテ丸)(花奴、登吉)(文照、静香)

昭和9913日 大阪時事新報

<花月亭九里丸>

◇富貴亭に出演して東西歌舞伎名優の物真似で圧倒的な人気を呼んだ春楽が十日を名残りに京都をさつた。左団次の夜叉王、吉右衛門の地震加藤、桃山御殿など、どつちが本物やら見当がつかぬ程よく真似たものである。十一日から新京極に現れたのが人気者の九里丸、本名を渡辺力造、俗に楽屋では〃泣き力〃といつている。真向からそういへば九里丸だつて人の子じや、それは怒るデス、でこれは内密、何しろあれで五本の指で勘定の出来ぬ程のお父ちやんである。泣き愚痴の出るのも無理からぬ。九里丸の父は大阪では相当な東西屋の親分様とその子はあの九里丸。確(たしか)漫談は通り一遍のシヤレでなく、重大事件の公判を傍聴したり、世間の評判になつた問題の渦中に迄飛込んでその点描を研究したもので、それだけ余人にない真剣味がある。吉本興行の重鎮であの舌の廻らないところに妙な興味が出てる‥‥のだと。

昭和9914 京都日日新聞 

◇満州事変三周年記念大会 九月十日円山音楽堂にて、上治寅次郎「満州の鉱産資源発展に就て」等の講演の外、九里丸の漫談「笑の慰問」や映画あり。

昭和9918日 大阪時事新報

<桂三八>

◇落語の〃三八〃、京都市長の名を知らぬものでも〃三八〃の名はよく知つている。それ程あの蛸入道も人気がある訳。吉本興行部の宝物であり、実に骨董品?である。春団治、円馬、三亀松そんな一流ところを揃へても、そのメンバーに加へられて前店を承はるのは〃三八〃である。〃三八〃の話がなければ今日の寄席も寂しいといつて物足りなさを感じる連中もある。足に少々長短の差はあるが、〃三八〃が高座に現れるとあの顔と禿頭を見ただけでもふき出すものがある。曰く、「由来落語家といふものは高座から客を笑はせるを以て本分とする。まだ一口だつてしやべらぬ先に頭の禿げつ振りを見て笑つて頂けば、これで私は引き下つて、お次と交代の余儀なきに至る。」なんて本筋に立入らぬ前、完全に客を引き付けている。之が誰人にも真似の出来ぬ〃三八〃特有の魅力である。「あゝ源兵衛さん」カチ、カチ と拍子木を入れる。あれはかなり耳障りにもなるものではあるが、古典味な寄席芸術である。あれがないと〃三八〃話が出ない。とにかく新京極寄席の人気者。

昭和9920日 大阪時事新報

◇桂文楽来阪 両花月に出演 久方振りに東京より桂文楽を迎へた南地花月と北新地花月倶楽部では東西巨匠の笑涼完璧陣を編成、二十一日より華々しく笑ひの全プロにて開演する。出演者は東京交替連、桂文楽、神田山陽、春本助次郎、柳亭春楽。花月連では三木助、枝鶴、九里丸に(アチヤコ、エンタツ)(文男、静代)(雁玉、十郎)等の精鋭漫才にて多彩の名番組である。

昭和9920日 大阪時事新報

<露の五郎>

◇露の五郎、京都久々振りの出演。新京極富貴亭フアンの人気は五郎に集まる。五郎は随分気を揉んで、何か面白い変つたものをと思つたのか、死んだ助六の十八番である〃餅つき〃を演じた。悪い考へを起したもの。〃餅つき〃は助六が毎興行の出し物で、その都度その筋から科料処分を喰つたもの。それを知つてか知らずにか、五郎得意げにやりはじめた。富貴亭が三度東西の人気者を集めたといふので、一般フアンは勿論のこと、府保安課のお偉い方まで押しかけていた。五郎運の悪い男で、翌日ちよつと保安課まで来いのさしがみをうけとつた。五郎何気なく出頭すると、係官「餅つきの中のあのペタペタンは何事じや」。「あれ、尻を利用して音ばかりの餅つきで‥‥あれ駄目なんですか」で科料五円。

昭和9921日 大阪時事新報

<式亭三馬>

◇七十の坂にあと一つか二つか、式亭三馬の人気はこゝ七年前が頂上であつた。今は何処へ出演しても前店から二、三番目を勤めて昔の面影はない。誰かにいはせれば、姓名学上から判断して三馬なる名前が悪いといつている。橋本川柳といつて落語界の大立物であつた橋本川柳の名はその吉本興業大幹部円馬の前名で、円馬は川柳で随分売出したもの。それを襲名したのが今の三馬である。その人気の落ちた三馬に「シツカリキバレ」と力瘤を入れるフアンがあるから嬉しい。尤も人情物ではおそらく落語界の第一人者だつたが、どうも大酒が祟つたものらしといはれている。

上方落語史料集成 昭和9年(1934)10月

昭和910

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 三木助、一光、枝鶴雪江五郎柳橋文男静代文治郎、九里丸庫吉芳奴福団
 治
川柳花蝶染丸志乃武次郎五郎、円若 。

△北新地花月倶楽部 雪江・五郎、柳橋、庫吉・芳奴、三木助、一光、日左丸・キリン、枝鶴、文男・静
 代、円枝、九里丸、正春・春子、福団治、蔵之助。

二十一日より

△南地花月 枝鶴、九里丸、神田ろ山、福団治、雁玉・十郎、桂小文治、庫吉・芳奴、三木助、扇遊、雪江・五郎、蔵之助、文男・静代、染丸、正光、円枝、一郎。

△北新地花月倶楽部 ろ山、福団治、市松・芳子、三木助、出羽助・竹幸、枝鶴、雪江・五郎、円馬、九里丸、小文治、キング・エロ子、小円馬、扇遊、五郎、蔵之助。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 春風亭柳橋、春本助次郎(曲芸)、三八、三馬、源朝、出羽助・竹幸、染丸、川柳・花蝶、三木助、庫吉・芳奴、五郎、扇遊、枝鶴、エンタツ・アチヤコ。

十一日より

△新京極富貴 春風亭柳橋、九里丸、福団治、雁玉・十郎、蔵之助、出羽助・竹幸、円馬、正光、太郎・菊春、柳橋、クレバ・栄治・清、小円馬、三八、おもちや、三馬。

△新京極花月 橘家太郎・菊春ほか吉本特選の漫歳諸芸。昼夜二回。

△新京極笑福亭 美女の安来民謡舞踊、漫歳、演芸競笑陣。昼夜二回。

二十一日より

△新京極富貴 小文治、円若、文男・静代、五郎、紋十郎、幸児・静児、文治郎、奴・洋々、円枝、竜光、
 ろ山、三八、今若・歳男、馬生、亀鶴、三馬。

△新京極花月 奴・洋々、喜昇・芳子、水月・朝江、円若、三八等。昼夜二回。  

△新京極笑福亭 安来民謡、ナンセンス舞踊、漫歳等。昼夜二回。

昭和9107日 大阪時事新報

<枝鶴と九里丸が今里に漫才学校を創立>

◇枝鶴と云えば大阪落語でも春団治の後にその人気を背負つて大頭株のところである。相も変らず忙がしい枝鶴である。このごろは南の花月と京都の富貴亭のかけもちで、新京阪電車の中でも〃あれ落語の枝鶴やで〃でとても人気者である。寄席出演だけなればさほどでもないが、このごろ自宅今里新地付近に落語、漫才学校を創設して、相棒の九里丸と共に教鞭をとつて居る。その学校の名こそ、それに相応しい〃明朗学校〃と云ふのである。生徒の数約二十数名、近々第一回卒業生が学園から寄席へ、そして皆さんに高座から御目見得せんと意気込んで居る。生徒も万歳師を志望するだけあつて悉く朗らかな連中で、自動車助手にも似た制服制帽で都々逸の校歌を唱つて通学して居るあり、面白い、デス。当の枝鶴は落語で、九里丸が漫談の担当である。さぞ立派な寄席芸人が生れることだらうと期待されて居る。

昭和9107 京都日日新聞

<落語研究会・京都>

〇落語研究会 あす富貴で 定例の十月の〃落語研究会〃は七日第一日曜日正午新京極富貴で開催。顔ぶれは次の通りである。

小倉船(桂三木弥)、牛駈け(桂三木助)、三軒長屋(式亭三馬)、三枚起請(桂文治郎)、双蝶々(三遊亭円馬)、颱風漫談(花月亭九里丸)、按摩炬燵(桂福団治)、百々川(橘家蔵之助)、植木屋娘(笑福亭枝鶴)

昭和9106

<初代桂春団治死亡> 


昭和
9107日 大阪朝日新聞

9年追加 001大阪落語界の大御所として吉本興行部の花月に立籠り、生粋の上方弁と独特の持味で巧妙洒脱、万人を抱腹笑殺していた桂春団治こと岩井藤吉君は、去る三月末胃癌を患ひ、大阪赤十字病院に入院、手術後の経過よく、七月十日退院し、最近大阪南区下寺町生国魂神社表門前の自宅で療養中であつたが、六日午後十時十分、秋風とゝもに淋しい笑ひを洩らして死去した。享年五十七。八日午前十一時阿倍野斎場で葬儀を執行する。

 春団治は生粋の大阪つ児で、南区高津二ツ井戸の米屋「堺友」の伜として生れ、噺家桂文我に見込まれ十七歳で文我の弟子となり「我都」と名のつたが、間もなく先代文治にあづけられて春団治の名をもらひ、十五年ばかり前吉本興行部に入り今日に至つたもので、数ある十八番ものゝうち「寄合ひ酒」「へつつい泥棒」「後家殺し」「八足」「金の大黒」「あんま炬燵」などが特に得意であつた。妻ゆうさんとの間に子供がなく、至つて無欲。二代目春団治は福団治が襲名することゝなつた。

昭和9107日 大阪毎日新聞

◇大阪落語の巨擘桂春団治こと岩井藤吉氏は今春胃癌を患つて高座を引き赤十字病院にで療養し、四月末小康を得て退院後天王寺区下寺町生国魂神社前の寓居で静養していたが、六日午後十時十分死去、享年五十七。葬儀は八日午前十一時阿倍野斎場で執行。

 同人は大阪生れ、明治十九年桂文治の門に入り二代目春団治を襲名、話術に一新機軸を出し、レコード吹き込みなども多く、大阪落語界の第一人者であり、また放送騒ぎその他の奇行に富んだ男であつた。なほ三代目春団治は福団治が襲名することとなり、十一月披露の準備中であつた。

昭和9108 大阪時事新報

○春団治逝く 落語界の名人、桂春団治こと岩井藤吉氏は去る三月来宿痾の胃癌で療養中、六日午後十時十分自宅において遂に逝去した。享年五十七。

 同氏は純粋の大阪ッ子で、十七歳の時桂文吾の門に入り我都と名乗り、間もなく桂文治の下に預けられ春団治と名前をかへ、メキ〳〵と売出して大阪落語界の第一人者となり、笑ひの王座を占めて吉本興行部のドル箱で、得意は寄合酒、金の大黒、野崎詣などであつた。葬儀は八日午前十一時阿倍野葬場で執行。なほ福団治が春団治を襲名し十一月一日華々しくこれが披露を行ふと。

昭和9108 京都日新聞

◇桂春団治 大阪落語界の雄大阪落語の大御所であり、吉本興業の花月に籠つて非常な人気のあつた桂春団治こと岩井藤吉(五七)君は胃癌のため大阪赤十字病院で手術後、大阪南区下寺町生国魂神社表門前自宅にあつて静養中であつたが六日午後十時半遂に死去した。享年五十七。八日午前十一時阿倍野斎場で葬儀を執行する。同人は大阪の生れ。明治十九年桂文治の門に入り、二代目春団治となつたもので、来月福団治に三代目春団治を襲がせるべく準備中であつた。

昭和91010 大阪時事新報 

◇大阪落語界の大御所、笑ひの王、桂春団治はかねて病気療養、再び舞台に現はれることが出来ない迄の重体であつたが、秋風寂しく野面を吹く六日、遂に笑ひを洩らして事切れた。春団治が去つて殊の外悲しみを深くしたのは福団治である。福団治が春団治を襲名することになる。増々元気は出る。

昭和91012日 大阪毎日新聞

 晩酌人情噺 罪滅ぼしに飲めぬお酒を ドンキホーテだつた春団治の半面  

9年追加 002◇歿くなつた桂春団治については、その突飛な奇言奇行や出鱈目な生活などの方面のみが無闇と有名になつて、もう一つの半面の落ちついた温か味などは世間一般に殆ど知られていない。全く彼は決してそんな出鱈目で放縦で不遜ばかりの人間ではなかつた。実際はむしろその反対のことが彼の真面目ではなかつたかとさへ思はれる。 

◇十七歳の時、桂文我の弟子となつて我都と名乗り、やがて先代文治のもとに預けられて春団治と改名したわけだが、あの侠気肌な文団治一門中にあつて、例へば皆が皆まで流行の入れ墨を誇つていた際でも、殆ど彼のみが一針もそれを施していなかつたことは、むしろ不思議な位である。そして当時の乱暴すぎるほど厳格な落語家修業をみつちりと積んで来たのだつた。しかし、そのころの厳格すぎるほどの苦しい修業は、さすがに身にこたへていたと見えて、後日彼自身が弟子を多く持つようになつた時、弟子に対しては、むしろ優しい温和な師匠であつたようだ。 

◇彼は、そして、いはゆる型通りの古風な芸人気質に終始しようと志した一種のドンキホーテであつたともいへば、いへよう。たとへば彼の酒である。彼は元来決して酒好きではなかつた。しかし酒の飲めないような芸人の存在を彼は肯定することが出来なかつた。彼は芸人としての努力から酒を飲む勉強をしたのである。尤もこれは一つには彼の夫人(例の有名なる岩井松商店未亡人)が可なりの酒好きで、それも彼が夫人の持つていた財産を全部なくしてしまつて、あとに借金ばかりが残るようになつてからは、夫人のはかない慰安がたゞ二本の晩酌のみであることに深く謝罪的な同情を抱いた揚句、せめてその晩酌だけでも一しよに楽しませようと心がけた彼一流の人情味も幾らか手伝つていたかも知れないが‥‥。

◇彼は、彼の夫人が世が世ならば彼などと生活をともにすべき人ではなく、女中の数人も雇つて左団扇で裕福に暮すべき人であつたといふことをいつも考へていたらしい。それなればこそ、どんなに所帯が苦しくならうとも、彼は夫人のために二人以上の女中をおかないでは気がすまなかつたのである。

◇また彼が二号三号を囲つていたといふことも、彼のドンキホーテ的考へ方の一つの現われであつた。世間ではそれを夫人のために同情する人もおおかつたが、彼自身としては、二号三号くらいは囲つておかなければ芸人としての貫禄がないと一途に考へたのである。「だれそれでさへ二号を持つているのに‥‥」といふことを彼が口癖にしたのでゝも、その気持ちがわかる。夫人もその間の消息はよく察していたにちがひない。そして彼がこの春病床についてから、二号も三号も引続いて彼から離れてしまつて、最後は夫人のみに看病されて息を引取つたのである。 

◇彼はまた見かけによらぬ綿密な気性を持つていた。大工仕事や指物師の仕事、左官のすることまで自分で楽んだ。親戚や知人、弟子などが宿替へでもすれば腹掛と法被一枚ですぐにそこへ出かけて行つて、障子張りから壁の腰張り、或は屋根葺き、小屋を建てるくらいのことは実に小まめに、しかも器用にやつてのけた。 

◇二号邸の如きも、そこで女とともに酒を飲んだりすることよりは、自分で前栽に泉水を作つたり、戸袋をこしらへて見たりすることが好きで、その仕事のために通つて行つたといふほうが当つているかのような状態さへもあつたらしい。なほ驚くことはヘギ細工の小さな家の模型を作ることを文之助から習ひ覚えて、自分の好みにまかせては実に細かい戸障子、廂、欄間は勿論、箪笥や下駄箱までも装置して、その上豆球の電灯を各室に点じた、そんな模型の家を五軒もこしらへて、これは今でも彼の自宅に残つている。

◇とまれ、わが大阪落語界のために独特の地歩を築き上げた彼の死は甚だ惜しまれてならない。「華光春団治道居士」の冥福を祈る。(渡辺均)

昭和91012日 大阪朝日新聞

○フリークラブ 春団治 坪内士行  大阪落語の大立者桂春団治が歿くなたのを惜しみます。たださへ人少なになつてしまつている大阪落語界が更に一段のさびれを加へたことになりますね。 △あの人は家庭も高座も同じやうな言葉の調子だつたさうですが、まつたく言葉の一はしに直ちに聴衆を笑ひの世界へ導き入れる不可思議な力がありました。グングンたたみかけられると笑ひが止まらずお腹が痛くて困つたことも一再でありません。△随分エロチツクな話をあたりかまはずしましたが、しかしそれが妙にあくどく聞えなかつたのは洗練の域に達していたためでせう。芝居にも趣味を有ち、しか芝居などで「弥作の鎌腹」等を演じたり、喜劇では下手な喜劇役者の及びもつかない演技の才を示しました。 △伝統的な大阪落語といふものからはみ出して途方もなく馬鹿々々しいのが特徴で、伝統を固守し本格を重んずる人たちからは邪道とさへいはれました。ともかく時代の好尚に順応する新人といつたところがあつたわけですね。[士行の写真あり]

昭和91013 京都日新聞

◇桂春団治の出世物語を九里丸がやる 富貴席出演の花月亭九里丸は絶えず今日の話題を提供すべく苦心と努力を払ひ、その風刺と洒脱に盛られた独自の漫談は朗らかな存在として大衆の人気を把握しているが、去る六日夜、名を惜しまれて笑ひの生涯を終つた故春団治の全生涯の脱線振りを知悉している九里丸は、之を故人への手向けの意味で特に「春団治出世物語」として、生れ落ちてから死に至るまで五十七年間の隠れた逸話を発表して、今は亡き関西落語の名匠の生前を偲ぶとのことで、その生涯を笑ひに終始した春団治漫談だけに落語フアンにも楽しんできかれよう。

         ※          ※           
昭和
91017 大阪時事新報 

<三遊亭円馬>

◇去年ごろまでは京都とは余り縁が薄かつた〃円馬〃が、故春団治が病床についてからは頻に京都に馴染を重ねて、今では富貴に円馬が出演せんと一抹の淋しさゝへ感じる。それ程円馬は京都にはフアンを多く持つている。当人にしては大阪よりこのごろでは京都の方が面白くてならぬ。何んと云つても落語界における大御所である。斯界でも〃円馬さん〃だとか、或は家号で呼びかけるものはない。誰にしても〃師匠々々〃である。春団治とはまた話の筋も全然異つて居るし、大阪落語のやうに下卑な所のないのは高尚な客筋に歓迎される。吉本も放す事の出来ない円馬である。然しそれだと云つて偉いものになり澄ますやうな円馬ではない江戸ツ子のいゝ所がある。

昭和91020日 大阪毎日新聞

<第七回落語研究会>

◇落語研究会 吉本興行部の落語研究会第七回例会は風水害に因んで天王寺五重塔(枝鶴)、伏見大水害(三木助)、風の神(蔵之助)、天変地異(九里丸)、風薬(福団治)、安政の地震(円馬)、指南書(染丸)など珍らしいものを選び、二十一日正午から北新地花月で開く。

昭和91020 大阪時事新報 

<落語研究会・大阪>

◇落語研究会 二十一日(日)正午より北新地花月倶楽部に於て吉本興業部専属落語家の恒例「落語研究会」開催。大風水害に因んでプログラムは「海魔」せんば、「魔風」小雀、「天王寺五重塔」枝鶴、「伏見大水害」三木助、「風の神」蔵之助、「天変地異」九里丸、「風薬」福団治、「安政の地震」円馬、「指南書」染丸。

昭和91021 大阪時事新報

<橘家蔵之助> 

◇落語の蔵之助 一トころは落語の後で珍浪花節といふのを一席弁じ、これが莫加に当つて人気を集めて居たし、十八番になつていたものだが、近ごろトントその名調子を張り上げなくなつた。富貴でも看板には珍浪花節と書き乍ら高座の御当人一向平気で看板を黙殺して了ふので〃看板に偽りあり、羊頭狗肉だ〃と、まさかそれ程でもないが、ブツ〳〵いふお客様があり、お上品振るといふ訳でもあるまいが、お客様は珍浪花節がきゝたくて来るのだから精々やんなはつたらどうどす。

昭和91024日 大阪朝日新聞

○桂福団治が春団治を襲名 「これからヤマコハル団治なり」 大阪落語の名物男桂春団治が亡くなつて吉本では後継者を詮考中であつたが、いよいよ弟子の福団治が二代目春団治の名を襲ふことに決定した。

 「どうせ先代の器量に及びませんがなに分よろしく」といつて挨拶廻りをしている。川柳家の岸本水府はこの襲名披露に当つて「代り合ひまして二代目おとこまへ」の句を贈り、また漫談の九里丸は「これまでは法螺福団治と思ひしにけふよりヤマコハル団治なり」の歌を贈つた。

昭和91030日 大阪毎日新聞

◇新〃春団治〃 特異な上方落語で大阪名物の一つだつた桂春団治の後継者として今度弟子の桂福団治が二代目春団治を襲名することになり、二十九日花月亭九里丸に同伴されて本社はじめ各方面に挨拶廻りをやつた。

昭和91030 大阪時事新報

<笑福亭枝鶴>

◇一番女の表情のウマイのは枝鶴である。この真似は一寸外の落語家ではとても出来ぬところである。吉本興行の中堅として九里丸とは至極仲よし。大阪今里新地近くの漫才落語学校の教授である。あれで人の創造の出来ぬエロ男で有名、あれでとは失礼、別に醜い男でもない、鼻もあれば目も完全にある、一並外れた大きな口も持つている、只悪い事にその配置と型がアラマシである、と云ふ位の事である。悪い事を云ふた、カンニンエ‥‥だがとても好感の持てる男だよ、それで女にも惚れられる。

昭和91031 大阪時事新報

<二代目桂春団治襲名披露・南地花月と北新地花月倶楽部>

〇桂福団治の春団治襲名 司会者は九里丸 来月南地花月で 

 関西落語界の巨星桂春団治の跡は愈々桂副団治が襲名し、一日より南地法善寺境内花月と北の新地花月倶楽部で華々しく催すことになつた。

この襲名披露興行は空前にして絶後とも云ふべき趣向を凝した大掛りなもので、その出演陣容は東西吉本の幹部を選り、東京を代表して柳家金語楼と神田伯龍が来演し、落語漫歳界の花形を網羅したる文字通り華彩を誇る爆笑陣で、殊に古式に拠る口上場を設け、俳優の改名等とは型の変つた珍口上で、これには三遊亭円馬、林家染丸、桂三木助、桂文治郎が襲名挨拶をして二代目春団治の披露を飾ることになつているが、之が全般的進行係として花月亭九里丸が各方面の後援とも折衝し準備を進めているとのことで、斯界のため一つの刺激ともなり、又落語フアンのためには大きな期待がかけられやう。

上方落語史料集成 昭和9年(1934)11月~12月

昭和911

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月(二代目桂春団治襲名披露興行) 小雀、龍光、円枝、雁玉・十郎、枝鶴、出羽助・竹幸、春団治、文男・静代、伯龍、襲名口上、九里丸、金語楼、エンタツ・エノスケ、五郎・紋十郎、三木助

△北新地花月倶楽部(二代目桂春団治襲名披露興行) せんば、円若、蔵の助、龍光、伯龍、雁玉・十郎、枝鶴、花蝶・川柳、紋十郎・五郎、文男・静代、染丸、襲名口上、庫吉・芳奴、九里丸、金語楼、幸児・静児

十一日より

△南地花月 九里丸、枝鶴、エンタツ・エノスケ、正蔵、文男・静代、五郎、三亀松、蔵之助、雪江・五郎、日左丸・キリン、三木助、市松・芳子、武司・重隆、染丸、円若、幸児・静児。  

△北新地花月倶楽部 エンタツ・エノスケ、正蔵、九里丸、出羽助・竹幸、枝鶴、市松・芳子、庫吉・芳奴、円枝、三亀松、五郎、奴・福之助、蔵之助、東洋一郎、馬生、せんば、小円馬。

二十一日より

△南地花月 木村友衛来演(毎夜得意の読物を長講して円熟した名調を発揮する)。

△北新地花月倶楽部 小円馬、せんば、馬生、東洋一郎、染丸、三木助、川柳・花蝶、五郎、雁玉・十郎、蔵之助、重隆・武司、文男・静代、枝鶴、市松・芳子、九里丸、文楽。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 柳家金語楼、神田伯龍、枝鶴、蔵之助、小円馬、三馬、五郎、紋十郎、右之助、三八、一郎、日左丸・キリン、市松・芳子、今男・福太郎、武司・重隆、おもちや。

十二日より

△新京極富貴 二代目桂春団治襲名披露興行 三八、源朝、三馬、川柳・花蝶、文治郎、エンタツ・エノスケ、林家正蔵、九里丸、染丸、雁玉・十郎、襲名口上(染丸、円馬、三木助、文治郎)、正光、二代目春団治、三亀松、円馬。

二十一日より

△新京極富貴 二代目桂春団治襲名披露興行(第二陣) エンタツ・エノスケ、二代目春団治、三木助、一光、襲名口上(染丸、円馬、三木助、文治郎)、キング・エロ子、円馬、庫吉・芳奴、文楽、三亀松、六 三郎・栄二郎、円枝、竜光、三馬、三八。特別参加・金語楼。

昭和9112 大阪時事新報

<桂小文治>

◇小文治が久々振りに新京極富貴に顔を見せたが一向人気が引き立たない。寂しい当人の顔を見れば気の毒に耐へぬものがある。それといふのも京都の客は小文治の落語をかみしめてその味を知る耳をもたぬのである。

昭和9116 大阪時事新報

〇涙うるむ春団治の目 襲名景気熾ん 

 二代目桂春団治襲名披露興行として東西吉本の人気者を選る特別番組に、南地法善寺境内花月と北新地花月倶楽部は連夜記録破りの盛況を呈し、その襲名披露の口上挨拶に染丸、円馬、三木助、文治郎が交々情味と笑ひのある珍口上を述べ、寄席気分の興趣を満喫させているが、新春団治は一語も発し得ず、東京より出演の柳家金語楼と神田伯龍の激励に感激しつゝ晴れの高座を勤めている。

昭和9117日 大阪毎日新聞

○らぢお雑記 南木芳太郎談  …大阪落語も漫才に押されてこの頃だん〳〵影が薄くなつているのは残念です。吉本なんかは元来これで儲かつたんでせうから、松竹が文楽をやつているやうに、郷土芸術を保護する意味から吉本でもこれにも少し力を入れてもいゝと思ひます。

 昨年私たちで落語保存会といふものを組織して北の演舞場でやつたことがありましたが、このごろ吉本にも落語研究会が出来て、相当活動しているさうで愉快に思つています。それよりも吉本と放送局との妥協が成つて、この間のやうに寄席中継などが出来るやうになつたのが一番嬉しいと思ひます

あれなどはたしかに興味本位の演芸としてラヂオ放送の圧巻だつたでせう。落語の面白さといふものも大衆によく判つたし、落語を救ふ意味からも十分の効果があつたと思ひます。

昭和9118日 大阪毎日新聞

 楽屋螺苦語 三遊亭円馬 

 お客さんも悪い、席主も悪い、私たちも悪い、‥‥といふと何だが変に聞えますが、ほんとうにこの頃は落語の味をかみしめて、しつくり聞いてくれるお客さんがないようになりました。時代といふよりも、非常時といひますか、このいら〳〵した落付きのない気分が人間の余裕を取逃してしまつて、場当りの安易なまやかしものに興味を引かれるようになつたんぢアないでせうか。お椀の蓋をとつてふつと匂ひをかぐだけで、中身の味はひは少しもかみしめて貰へない。かういひますと、一方私達の頭の古さを証明してるようなものですが、しかし何にしろ芸といふものは長い間の修業で黒光りが出ますもので、そこを見分けて下さるのがお客さんの偉いところぢアないでせうか。

 五六年前までは平場よりも桟敷を目あてにして、自分のほんとうの芸を見て貰ひたいといつた気分がありましたが、この頃ではもうその勇気もなくなりました。結局はパンの問題でしてね、それでも東京より大阪の人に美しい情趣といひますか、心のゆとりが残つているのは嬉しいと思つています。

今京都に一人、大阪に一人、東京に三人の弟子がいますだけで、辛抱して落語を修業しようといふ人もなくなつてしまひました。これではつまりは落語の没落でせう。しかし、この非常時の気分がぬけた時、本格的な落語の味はひがわかるんぢアないかと、はかない頼みですが、それだけに望みがつながつています。

 私は立花家橘之助について東京落語を研究しまして、随分新作物も発表しましたが、やつぱり「淀五郎」「文七」「唐茄子屋」などの古い噺に自信もありますし、さうしたものゝよさに心を引かれます。ラジオでは五回ほどやりましたが、高座でやるのと違つて、お客さんが笑つて下さるやら、つまらぬからやめろと言つて下さるやらさつぱりわかりませんので、なんだかたよりないように思ひます。

長い高座生活のうちには、いろ〳〵面白い楽屋話やら失敗談があります。円朝が怪談「かさねが淵」を演りまし時、さらし首になつていたのが円楽といふ人、前に黒幕を張つて首だけ出して板の上にのつけているんですが、あんまり暑いもんだから団扇でバタ〳〵あふいでいる中、前の黒幕がさらりとはづれてしまつて、越中ふんどしの真裸がさらしものになつて、師匠から大変叱られたなんてことがありました。

昭和9118 京都日日新聞

◇金語楼の新作 新京極富貴に東京より久しぶりに来演の金語楼は新落語開拓のコロンブスと謳はれている落語界切つての新人だけに、毎夜最新の自信ある新作爆笑編を発表して絶賛を博しているが、その中の主なる新演題は乗車券、嫁取り、緊褌一番、隣り同士、食道楽、大当り、クリスマス、改造病院、サービス、長屋団結等。なほ金語楼の出演は同じく好評をうけている神田伯龍とゝもに十日までゞある。

昭和91111 京都日日新聞

<二代目桂春団治襲名披露・新京極富貴>

〇二代目春団治 富貴で襲名披露興行 関西落語界の巨星桂春団治が其の笑ひの生涯を終つてから、この名人名義を復活させよと死を悼み名を惜しむ落語愛好の同志が非常に多いので、吉本興業では故人の遺志を重んずると共に、近来群を抜く進境ぶりに人気を謳はれ、芸風話術が故春団治に彷彿たる愛弟子桂福団治を推薦抜擢し、二代目桂春団治の襲名披露興行として、来る十二日より新京極富貴で華々しく催すことになつた。

 この襲名披露興行は空前にして絶後とも云ふべき趣向を凝らしたもので、その出演陣営は東西吉本の幹部を精り、東京を代表して柳家三亀松と林家正蔵が来演し、落語漫歳界の花形を網羅した文字通り華彩を誇る爆笑陣で、殊に古式による襲名口上場を設け、俳優の改名等とは型の変つた珍口上を行ひ、三遊亭円馬、林家染丸、桂三木助、桂文治郎が挨拶し、二代目春団治の披露を飾ることになつている。これが全般的準備は花月亭九里丸が各方面後援会とも折衝し既に開演を待つばかりで斯界のため一つの刺激ともなり、又落語フアンのためには大きな期待がかけられている。その出番順はつぎの如く決定。

 三八、源朝、三馬、川柳・花蝶、文治郎、エンタツ・エノスケ、林家正蔵、九里丸、染丸、雁玉・十郎、襲名口上(染丸、円馬、三木助、文治郎)、正光、二代目春団治、三亀松、円馬。

富貴春團治襲名披露

<編者註>京都府立図書館所蔵「新京極富貴筋書」より

昭和91114 大阪時事新報

<柳家三亀松>

◇柳家三亀松が春団治襲名披露興行のメンバーに選ばれて新京極の富貴に出演している、と云ふので二代目春団治フアンを始め三亀松フアンの美妓さてはお旦那衆、文字通り富貴はキツチリ寿司詰の満員である。三亀松は今度は何をやるんだらうか、当の三亀松が先づ御座付けに独特の「温泉情話」である「鴬は啼いた、その啼く音を聞いた若い二人はもうたまらかたつた」、聞く客の胸までも高鳴ると云つた淡い温泉宿のランデブーのシーンである。御当人三亀松経験も相当なものである。三亀松何時もこれをやるです。余りくど〳〵しくやると客にあきが来る。これより粋な都々逸の三つ位、流行小唄の二つ三つあのノドで唄つて呉れてもよからうと客筋からの所望がある。それを京都は待つていた。

昭和91115 大阪時事新報

◇二代目春団治の人気は一代目そつちのけの人気で、連夜富貴は大入満員、廓筋の客も随分多い。出し物は一代目の十八番物、有名な〃ヘッツイ泥棒〃等は一代目と一寸も変らぬ出来栄え、だが未だ型だけの模倣に過ぎる嫌ひがあつて固いところがあり、何となく無理が目立つ。もう少しやはらか味が出れば地下に眠る一代目も、さぞかし草葉の蔭で喜ぶことであろう。しかしその努力はやがて実を結んで関西落語界の大御所に成ること受合ひ‥‥とはヨウ〳〵

◇新京極富貴へ春団治襲名披露のため大阪を三席済ませてスピードアップで特別出演の三亀松は、その疲れの加減か、随分苦し相な声である。無理な註文をしても気の毒だが、京都の客は三亀松御自慢の声色物真似よりあの粋な咽を聞きたいものが大部分であるのに、当人一向それと気付かぬか、小唄の数が少(すくな)い。勿体振るのかも知れぬ、何か知ら物足らない事である。

昭和91116日 大阪毎日新聞

◇吉本興行が宝塚へ進出 今夏の東京新橋演舞場での好成績に気をよくした吉本興業部では今度宝塚大劇場に進出し「落語と万歳の笑ひの夕」を十六、七の両夜午後六時半から開催することになつた。出演者はエンタツ、エノスケ、五郎、雪江、エロ子、キング、枝鶴らの一流どころ。

昭和91116 京都日日新聞

◇新春団治の感激 頭目連の披露口上に 二代目桂春団治襲名披露興行として東西吉本の人気者を精る特別番組に新京極富貴は初日以来記録破りの盛況を呈し、東京の芸友を代表して久々に柳家三亀松、林家正蔵が出演して新春団治の新らしい首途を祝して熱演。また襲名披露の口上挨拶に染丸、円馬、三木助、文治郎が交々情味と笑ひのある珍口上を述べ寄席気分の興趣を満喫させている。春団治はこの先輩の口上と入場者の鞭撻の声に感激の涙に咽ぶばかりで一語も発す得ず、たゞ感謝しつゝ晴の高座を勤めている。

昭和91118日 大阪毎日新聞

<第八回落語研究会>

◇第八回大阪落語研究会 正午北新地花月クラブ。有馬名所(小雀)、百年坊主(円枝)、貧乏花見(五郎)、新裏の裏(染丸)、碁泥(蔵之助)、嚔講釈(枝鶴)、神道又(三木助)、青菜(春団治)。

昭和91118 大阪時事新報

◇久々振りに京都に現はれた柳家金語楼がこの間京都を去つて現在は大阪で大人気とある。矢張り京都が忘れられぬと見えて二十一日からまた新京極の富貴に出演すると云ふ。また一笑ひ、お臍の宿替へだよ。メンバアの都合では滑稽浪花節で有名な蔵之助が金語楼と一緒に富貴に出演する。彼はこのごろどうしたものか一向に御得意の滑稽浪花節を忘れているのか聞いた事がない。今度の出演には是非浪花節を演つて呉れと所望の筋がある。

昭和91120 大阪時事新報

<林家染丸>

◇吉本興行の落語家中でも一番年長で大幹部である林家染丸、久しく京都に顔を見せなかつたので淋しい思ひをさせた。それが今度の春団治襲名披露の応援で新京極富貴に出演した。故第一代目春団治も死ぬるまで笑はせ続けて、生前の人気は相当なもので、関西の大御所とまで云はれたものだが、染丸もこれに劣らぬ人気者で吉本における大御所である。お得意は〃電話の散財〃である。もう古臭ひから当人にして見ればやりたくないんだが、ヒイキ筋からあれを聞かねばビールの気が抜けたやうなものだと云ふ註文で何時もよく演つて居る。何度聞いてもあきの来ぬ話で、放蕩に身を持ち崩した旦那が警戒厳重なために青楼の遊びも出来ぬところから、金にあかして電話で三味線や太鼓のさわぎを聞き一人悦に入つて居る、色ぼけた老人の心理をよく表現して笑を織り込んだところ、一寸他では真似の出来ぬ技術である。だがもう歳の加減で義歯がガタついて、話の随分に聞きとれぬところがある。惜しいものだ、だが然しそこにまた一ツいゝところがある。

昭和91120 京都日新聞

<二代目桂春団治襲名披露第二陣・新京極富貴>

〇襲名披露第二陣 桂文楽も来演 東西笑豪揃の富貴 
 二代目桂春団治襲名披露興行の特別陣容で開演の新京極富貴は連夜近来にない盛況であるが

この落語界に記録さるべき空前にして絶後の記念興行に一般の興味を集中させたのは何と言つても古式に拠る襲名口上場で、京都の桂春団治後援会や落語同好会始め落語愛好者は引続きこの襲名興行を希望する向きが非常に多いので、吉本興業ではこれに応へて更に二代目桂春団治襲名披露興行として第二陣を編成し、二十一日より華々しく演続することになり、その出演顔触れは東西の笑豪を選る寄席フアン喝仰の連中で、東京落語の覇将桂文楽が久々で来演し、好評続演の柳家三亀松と共に関東の芸友代表としてこの催しを飾る他、円馬、染丸、三木助、文治郎の笑ひと涙の珍口上、吉本幹部爆笑陣出演。その番組は、 エンタツ・エノスケ、二代目春団治、三木助、一光、襲名口上(染丸、円馬、三木助、文治郎)、キング・エロ子、円馬、庫吉・芳奴、文楽、三亀松、六 三郎・栄二郎、円枝、竜光、三馬、三八。

昭和91122 京都日日新聞

◇金語楼来演 二十一日から新京極富貴の二代目桂春団治襲名披露興行第二弾に特別出演と決定したが、桂文楽、柳家三亀松等東京連に花月幹部花形漫歳の特選番組の上に、更に金語楼が新作笑陣を提げての出演といふ豪華陣はいよ〳〵人気の焦点となることであらう。

〈編者註〉映画撮影の隙をぬつて駆け付けたらしい。金語楼突如来演の広告がでている。


昭和912

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 歳末万歳大会。文雄・静代、三亀松、五郎・雪江、十郎・雁玉、九里丸、洋々・奴、芳子・市松、花蝶・川柳、竹幸・出羽助、キリン・久丸、扇遊、春子・政春、今若・歳男、末子・三好。

△北新地花月倶楽部 三木助、九里丸、奴・洋々、春団治、出羽助・竹幸、円馬、庫吉・芳奴、円若、枝
 鶴、扇遊、文治郎、今若・歳男、円枝。

十一日より 

△南地花月 エンタツ・エノスケ、三木助、九里丸、枝鶴、文男・静代、五郎、紋十郎、雪江・五郎、円馬、扇遊、春団治、雁玉・十郎、蔵之助、川柳・花蝶、一郎、円枝、円若。  

△北新地花月倶楽部 「人気花形漫才大会」。雪江・五郎、枝鶴、文男・静代、文治郎、エンタツ・エノスケ、三木助、九里丸、雁玉・十郎、五郎、川柳・花蝶、円馬、円若、春団治、おもちや、せんば。  

△天満花月 九里丸、水月・朝江、蔵之助、次郎・源若、馬生、クレバ英治・清、枝鶴、右楽・左楽、円若、団之助・一春、一郎、小円馬、扇遊、光月・藤雄。

二十一日より

△南地花月 九里丸、春団治、エンタツ・エノスケ、三木助、扇遊、市松・芳子、円枝、雁玉・十郎、枝鶴、川柳・花蝶、雪江・五郎、染丸、文男・静代、馬生、一郎。

△北新地花月倶楽部 エンタツ・エノスケ、三木助、扇遊、蔵之助、雁玉・十郎、春団治、九里丸、雪江・五郎、染丸、出羽助・竹幸、馬生、一郎、文治郎、小円馬、おもちや、せんば。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 右之助、三八、三馬、一光、馬生、春団治、文雄・静代、三木助、三亀松、蔵之助、栄次
 郎、五郎、幸児・静児、枝鶴、エロ子・キング。

十一日より

△新京極富貴 重隆・武司、春団治、扇遊、キング・エロ子、千橘、六三郎・栄二郎、円枝、市松・芳子、染丸、一光、文治郎、出羽助・竹幸、三馬、三八、金語楼。

二十一日より

△新京極富貴  三八、今若・歳男、三馬、九里丸、五郎・紋十郎、六三郎・栄二郎、円若、千橘、円馬、一光、文治郎、キング・ペテ子、竜光、枝鶴、アチヤコ・今男。

昭和9122 京都日日新聞

<落語研究会・京都>

◇落語研究会 吉本花月連の例会、毎月第一日曜日開催の落語研究会は落語フアンの唯一楽しみとして期待されているだけ開催毎に好評を博している。十二月の研究会は二日正午新京極富貴で開演、出演者の顔触と演題は左の通りである。

 正月丁稚(三木弥)、延陽伯(文治郎)、鼠穴(三馬)、嫁の下駄(三木助)、穴泥(蔵之助)、うどんや(染丸)、千両富(円馬)

昭和9124 大阪時事新報

<立花家千橘>

◇落語界を去つて吉花菱の女連の内に加はり、落語時代より以上の人気を得た千橘が、病気で花月劇場の改築興行に出演せぬので何んだか淋しい感じ。その千橘、寄席芸人中できこえたブルであるから、金にいとひはないが、病気には勝てん。だが好きなこの道のことで毎日のやうに花月劇場へ〃最近舞台に立たれる〃と云ふ便りをよこして居る。

昭和9127日 大阪毎日新聞

 落語漫談 岸本水府(談)

 高座から見ると笑ひに波を打ち 水府

 笑はすに非す前座は笑はれる    公笑

寄席の面白さは芝居にもキネマにもない寄席特有の雰囲気に味はひがあるのぢやないでせうか。高座が済んでホッと肩をくずした時の朗らかな囃子、次に出るものへの期待、お客のざわめき、あんなところになんともいへない民衆芸術としての趣きがあります。

 千橘は自作の後で少しなめ  水府

 文団治客の話をたしなめる  水府

千橘も文団治ももう故人ですが、千橘は自作の都々逸なんかをやつてさも自慢さうに上唇をなめるのが癖でしたし、文団治はよく「若し〳〵話をやめて下さい」「夕刊は帰つてお読みなさい」などゝいつて笑はしていました。落語の面白さは、半分はあの剽軽な表情やジェスチャーにあるのです。三木助の網打ちの有様や枝鶴の「天王寺の話」に出るすし屋の動作など実に堂に入つたもので、親旦那が煙管をたゝく仕草、寝起きに腕をもり〳〵掻く写実的なところなど、外の演芸ではとても見られないものでせう。この頃落語が衰へたといひますが、こんな落語独特のものをうんと生かしていつたらいゝだらうと思つています。

 人の立つ気配に小さん下げをせき 桜丸

人の意表外に出る頓知といふか、切り下げるやうな面白さ、落語にはこの下げに妙味があるのです。「花色木綿」の中に、泥棒に入られた人が、これ〳〵かく〳〵なものを盗まれたと警察で並べたてると、盗人に「なんだ盗まれるものもないくせに」ときめつけられる。すると、その人が「出来心」といふので下げになるのですが、なか〳〵聞きものです。このごろ大抵二十分位しかやらないのでしんみり下げを味はふ余裕もないことが落語の致命傷でせう。せめて四十分もやる時間を与へたら、やる人もお客も満足が出来るのぢやないでせうか。それから大阪ならば大阪のローカル味豊かなもので現代向きするものを出すといふことも手でせう。例へば「住吉駕」「初天神」「三十石」「鶴満寺」などはいつ聞いてもうなづけるし、いいものと思つています。

なほいろ〳〵研究すれば随分落語の生きる道はあると思ふのですが、「子はかすがひ」の如く人情にからんだものはやはりいつまでも生命がありますし、「書割盗人」などの写生に忠実なものも話術と相俟つて面白いと思ひます。新作を出すといふこと、本当はこれが一番必要でせうが、随分頭のいることで、なか〳〵いふべくして行はれないことでせう。私は今度放送局の注文で自作「絵葉書屋」を枝鶴でやつて貰ふことにしていますが、どこまで成功するか興味を持つて見ています。

今まで聞いたうちで誰が一番よあかつたかつて。さうですね、今高座に出ていないやうですが、松鶴などはうまかつたと思ひます。

昭和9129 京都日出新聞 

 漫才界に咲いた嬉しい友情の花 エンタツと別れ、今男と組むアチヤコくん 

 大衆演芸中、最近すばらしい勢ひでファンの殖えつゝある「漫才」のコンビの中で、ファンに最も人気のある横山エンタツと花菱アチャコの取組みが、今回快よく解消して、お互ひに新方向に向つて進むこととなつたといふ漫才ファンにとつて近頃のニュースがある。しかもその裏面には千歳家今男とアチャコの涙ぐましい友情が醸されてをり、大衆演芸の元締たる吉本興行の林正之助氏を感激せしめた話。

今夏海水浴に原因して中耳炎を患らひ、その後ずつと入院加療中であつた花菱アチャコは運よく全快し、目下自宅で療養中であるが、その間横山エンタツは吉本登用の新人杉浦エノスケと組んで、よき相棒のアチャコの出演する日を待つていたところ、このアチャコがまだエンタツとコンビにならぬ五年前、当時アチャコと組んでいた千歳家今男は、アチャコの今日の名声に比べてあまりにも振はぬ現在の自己を省みては、矢も楯もたまらず、今は病床にいる五年前の芸友を毎日の如くに見舞ひ、自分がアチャコと別れて五年間、いろ〳〵の者と組んだが、結局面白くなかつたことを縷々述べ、「エンタツ君はエノスケ君と組んで、君の元気な再出演を待つているが、全快の上は、昔の様に自分と組んではくれまいか。もしさうしてくれれば、自分は昔と違つてウンと勉強するから、どうぞ頼む」と涙を流して哀願したものである。

 この曾てのコンビの切なる願ひに、情に脆いアチャコは承知して、「よし、君のためにエンタツ君と別れよう」といふことになり、アチャコと今男は打揃つて七日夜吉本本社に林正之助氏を訪ひ、事の次第を話したので、林氏はエンタツをも招き、双方の偽らぬ気持を聞いて、アチャコがエンタツと別れてまで今男を引き立てゝやらうといふ男らしい友情に感激し、之を承知したので、こゝにエンタツとアチャコのコンビは解消され、エンタツとエノスケ、アチャコと今男の二組のコンビが生れ、共に新春を期して新らしい笑ひの芸道へひたむきに精進することになつた。この二つのコンビは漫才ファンに又新らしい興味と期待を持たせるものであらう。

〝この際営業の立場を捨てて〟林正之助氏談

これについて林正之助氏は八日夜花月劇場で語る。

エンタツとアチャコのコンビの解消したことは事実です。私がつくつたコンビであり、自分の期待したやうに両君の努力によつて今日の名を成したものですから今別れさせるのは困りますが、更生の心の今男とアチャコの友諠に感じて、この際営業の立場を捨てゝ新コンビのため承知したわけです。エンタツ、アチャコ、今男の三君の心持もよく聞きましたが、三人ともよく判つているので、こちらとしても喜んでいます。

昭和91212 京都日出新聞 

[広告]新作落語に漫談に天下漫歩の笑ひの第一線 柳家金語楼 落語花月連漫才幹部連競演 今十一日より新京極富貴

〈編者註〉同日の紙面に「金語楼の出演は番組を一層豪華ならしめることとて金語楼フアンの多い京都だから連夜盛況を呈することであらう」とある。

昭和91222 大阪時事新報

◇新京極富貴は二十一日から本年棹尾の賑ひ番組で幹部揃ひの笑ひ納めに相応しい編成ぶり。久しく中耳炎で休養中の花菱アチヤコも全快し、そのよきコンビ横山エンタツと離れて千歳家今男と組んでの出演であるから、漫才フアンの興味の的であらう。

昭和91225 大阪時事新報 

◇南北両花月初春陣容 南地法善寺境内花月と北の新地花月倶楽部の初春興行には東京より吉例出演として関東浪界の大御所鼈甲斎虎丸、国宝的至芸として知られる結城孫三郎一糸の糸あやつり人形一座、講談の神田伯龍、新作流行小唄の石田一松来演し、これにオール花月連が競演するが、久しく喜劇に活躍していた立花家千橘も本業に復り、尚エンタツとの名コンビを解消して話題にのぼつたアチヤコが病気全快し今男と結んでエンタツ、エノスケと相対して出演するのも興味あり。正月初笑ひ陣として人気を集めることであらう。

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丸屋竹山人

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