昭和9年1月
大阪の寄席案内
一日より
△南地花月 新昇、小雀、一郎、紋十郎・五郎、正光、枝鶴、文男・静代、神田伯龍、九里丸、円馬、結城孫三郎一座、キング・エロ子、鼈甲斎虎丸(浪花節)、アチヤコ・エンタツ、大辻司郎、石田一松(北満報告)、春団治、吉例寿獅子。【寄席ビラ参照】
△北新地花月倶楽部 関東軍笑ひの慰問隊の石田一松、エンタツ・アチヤコ、鼈甲斎虎丸、桜川長生、結城孫三郎一座、春団治、円馬、藤之助、九里丸、文団治、福団治、円枝、庫吉・芳奴、雪江・五郎、竜光。
十一日より
△南地花月 神田伯龍、結城孫三郎一座、関東軍笑ひの慰問隊のエンタツ・アチヤコ、石田一松、三木助、春団治、枝鶴、九里丸、延若、福団治、藤之助、永田キング・ミスエロ子、文男・静代等。
△北新地花月倶楽部 浪曲篠田実特別出演。南地花月同様花月幹部連総出演。
△天満花月 九里丸、芳妓・庫吉、五郎、結城孫三郎一座、三木助、八重子、福治、小円馬、朝江・水月、染丸、歳男・今若、一郎、円若、秀子・虎春等。昼夜二回。
二十一日より
△南地花月 花蝶・川柳、久菊・奴、八千代・千代八、エンタツ・アチヤコ、静代・文男、エロ子・キング、十郎・雁玉、雪江・五郎、菊春・太郎、次郎・志乃武、結城孫三郎一座、石田一松、一郎等。
△北新地花月倶楽部 浪曲篠田実特別出演。他南地花月同様花月幹部連出演。
△天満花月 九里丸、芳妓・庫吉、五郎、結城孫三郎一座、三木助、八重子、福治、小円馬、朝江・水月、染丸、歳男・今若、一郎、円若、秀子・虎春等。昼夜二回。
京都の寄席案内
一日より
△新京極富貴 神田伯龍、枝鶴、九里丸、三木助、栄二郎・六三郎、染丸、延若、篠田実(浪曲)。
△新京極花月 万歳諸芸大会。
△新京極笑福亭 安来民謡ジヤズ、舞踊、万歳、諸芸。
十一日より
△新京極富貴 三遊亭円馬、円枝、蔵之助、福団治、露の五郎、笛亀(横笛)、重隆・武司、十郎・雁玉、
雪江・五郎、花蝶・川柳、正光、三馬、三八。
△新京極花月 万歳諸芸の競演大会として吉本責任編成の幹部陣で昼夜開演。
△新京極笑福亭 安来民謡にジヤズ舞踊等麗人連の競艶に特選万歳諸芸で昼夜開演。
二十一日より
△新京極富貴 竜光、春団治、エンタツ・アチヤコ、石田一松、枝鶴、三木助、芳奴・庫吉、文治郎、福団
治、寿獅子(桜川長生・梅好)、円若、三馬、三八。
昭和8年12月30日 大阪毎日新聞[広告]
昭和9年1月1日より南地花月プログラム(表・裏)
〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。
昭和9年1月1日 大阪朝日新聞
○笑はせる秘訣 このコツでワツ!といはす『我輩は万歳学校の先生でアル』 花月亭九里丸 …近々大阪には「吉本」の手で前代未聞の万歳学校といふのができ、ユーモア、ナンセンス、洒落、諧謔のいき学問を教へ込むことになりました。落語の三木助、円馬さん、万歳のエンタツ君、時事漫談の不肖わたくしまでがその講師に任命され、笑ひの六踏三略をもつて笑ひの教壇にお目見得といふことになつています。我々に「講師」なんて名がつくこと其れ自体が一つの笑ひでありますが、かりに万歳学校の教案をつくらねばならぬとしますと…(編者註:以下笑はせコツを実例を並べて説明する。省略)
昭和9年1月5日 大阪毎日新聞
◇お金の雨が降る様だ! 朗らかな日の丸景気 …お笑ひの大元締吉本興行部、これもまた例年正月より三割増、千日前と北新地の両花月など完全に去年の倍「去年よりはよろしおまつせ」と膨れた財布を懐ろにニタリ…。
昭和9年1月8日 大阪時事新報
<正月の南北花月>
◇正月は寄席も記録破りの盛況 南地法善寺境内花月と北の新地の花月倶楽部は東西選り抜きの立者揃ひの初春特別陣容とて、連夜物凄い観客の殺到ぶりには近来にない記録的賑ひで文字通り立錐の余地もなかつた。右番組は花月フアンの興味をそゝる多彩の出番中、吉例出演の鼈甲斎虎丸は遉に関東派の総帥の貫録で満場を唸らせ、神田伯龍の新作講談に、結城孫三郎一座の国宝的至芸と云はれる糸あやつり人形、石田一松、エンタツとアチヤコ等関東軍慰問隊の陣中漫談、永田キングとエロ子一党の明朗万歳、春団治、円馬、九里丸、五郎等花月幹部連に長年の寿獅子や、静代と文男、正光等に尚六日からは枝鶴、文次郎、福団治、円枝、円若も参加出演とで益々人気集中することであらう。
昭和9年1月10日 大阪毎日新聞
◇伯龍の初叱事 吉本が抱への芸人を酷使するのはあまりに有名であるが──ラヂオでもおなじみの神田伯龍、大晦日にAKから「見えたか甚兵衛」の一席を放送したその足で、大阪出演のため西下したが、梅田へ出迎へた番頭の口から「昼席があるから用意してくれ」と聞かされ、さうならさうと東京を立つときなぜ一言知らせないんだ、わざ〳〵主人が見送りにまで来ていて‥‥だつたら汽車の中でチヤンと芸題も考へて置くんだ、人使ひの荒いのも大概にしろ、正月早々から縁起でもないと愚痴ること〳〵。
昭和9年1月13日 京城日報
◇京の福太郎 朝日座に開演 十一日から六日間朝日座に開演する京の福太郎一行のプロは左の如し。
萬歳(京のチェリー 天の小玉郎)萬歳(林家楽春 玉子)レヴュー(花柳娘連中)萬歳(花の家のぼる ゆき子)気合術(萩村雲山)新舞踊(花柳一黨)萬歳(秋山加代子 富美男)萬歳(隅田川千鳥 種夫)小唄漫劇(京福会)萬歳(富士モンキ 千本家静)漫劇(律世亭キャラメル) 毎夕正五時三十分開演 入場料 特等七十銭 一等五十銭 二等三十銭 子供二十銭。
昭和9年1月15日 京都日出新聞
〇小春団治の桃源座第一回公演 十五日昼夜二回先斗町歌舞練場
曩に吉本興行部を脱退した桂小春団治は今回独立で「桃源座」を組織し、凋落の道を辿りつゝある落語界のために大いに気を吐くことゝなつたが、その第一回公演を明十五日正午と午後五時の二回先斗町歌舞練場に於て開くことゝなつた当日の番組は次の如くで、小春団治のほか助演者の林家染之助、桂米之助も出演する
旅の落語「伊勢参宮」小春団治、「寄席合囃子」桃源座、落語「初天神」染之助、芝居噺「本能寺」小春団治、「小咄競演」桃源座、「小唄と俗謡」此八、漫舞「チヨン髷道中」小春団治、新作落語「戌年お正月」小春団治、落語「饅頭こわい」米之助、長唄舞踊「桃太郎宝の山入」小春団治事山村若太津。
昭和9年1月5日 神戸新聞
◇千代之座 萬歳、大阪舞踊劇団スズラン座楽劇團、大和家小宝楽一行の大阪二輪加
昭和9年1月19日 大阪毎日新聞
<大阪落語研究会を再開>
◇落語研究会再開 吉本興行部では昨年数ケ月試みて中止した落語研究会を今度ふたたび毎月第三日曜の正午から大阪北新地花月クラブで開催することとし、その第一回を二十一日正午から開く。第一回の出演者は三木助、円枝、春団治、円馬、枝鶴、小円馬、染丸、これに漫談の九里丸。
昭和9年1月20日 大阪時事新報
<第一回落語研究会・大阪>
◇落語研究会 全花月連の奮闘 毎月第三日曜に明朗芸術の王座を占むる落語の振興に資すべく、吉本興行所属の花月落語家を総動員して、飽くまでも研究的な固い誓ひをたてて、落語研究会を開催することになつた。この催しは毎月例演として、第三日曜の正午から北の新地花月倶楽部において開演することになり、其第一回落語研究会は来る二十一日正午から開催と決定した。
第一回出演者は左の如く、爾後毎月交代出演して研究努力を続けるもので、漫談の九里丸も毎回出演すると。
桂三木助、桂円枝、桂春団治、三遊亭円馬、笑福亭枝鶴、三遊亭小円馬、林家染丸。
昭和9年1月22日 京都日出新聞
◇笑ひの慰問隊と花月の爆笑陣 富貴の強力出番 新京極の富貴では二十一日から既報の「陸軍省派遣」として遠く北満雪の曠野に皇軍慰問の使命を果して帰阪した爆笑トリオ、石田一松、横山エンタツ、花菱アチヤコの報告出演と共に花月の代表桂春団治、笑福亭枝鶴、桂三木助、桂文治郎、桂福団治等々幹部笑華陣を以て開演する。
(写真は富貴へ出演の笑ひの慰問隊。右からエンタツ、石田一松、アチヤコ)
昭和9年1月25日
<宮崎八十八死亡>
○暦の八十八さん
◎大阪の奇人〃暦〃の出版の元祖宮崎八十八さんが享年八十二で卒然と死んだ。それも申の仏滅の凶日二十五日夕六時半、〃暦〃に偽りなく眠つた。八十八さんが年に一度、算盤を片手にはじいた易経と十干十二支の暦は毎年全国津々浦々‥‥それこそ鳥も通はぬ離れ小島、雪に埋まる山家の一軒家にもお家の重宝とて備へつけられ、お爺さんやお婆さんには最も馴染深いものだつた。
◎八十八さんは甲府の生れ。質屋の一人息子だが、遊芸に身を持崩し、諸所を流浪しているうちに算盤から易を覚え、天満天神の裏門にさゝやかな天幕を張つて道行く人に呼びかけた。それが当つてやがて明治十七年、日本ではじめての暦出版をやつた。
◎それから十余年、倦まず撓まず、題名は幾かはりはしたが今の「日鑑」宮崎八十八の暦はよく売られていたが、易で身を起してからも道楽はやめられず、暦出版、易経判断の傍ら、寄席を経営したり、落語の大八会をつくつたり、興行にも手をそめてその方面にも隠然たる勢力を持つていた。
◎八十八さんの本名は保八。亡しかさんとの間に長女静子さん(三六)をまうけ、女婿の吉作氏(四〇)が二代目八十八を襲名、すでに十年ほど前から隠居していたので、後生憂ふることなく安らかに往生した。
◎告別式は二十七日午後二時から北区地下町一二〇の自宅で。
〈編者註〉昭和9年1月27日付「大阪毎日新聞」より。
昭和9年1月29九日 大阪朝日新聞
○講義?の時間は昼ごはん後二時間 顔中みな口の漫談家九里丸が笑はせ術研究塾を開設
「万歳の寺子屋」が大阪吉本興行会社で開講を急いでいる矢先、一足お先へ漫談の花月亭九里丸が二月一日から大阪東成区片江町の自宅へ漫談笑はせ研究所「明朗塾」の看板をかゝげて漫談師養成の学校(?)をはじめることになつた。顔中口だらけといつた感じの九里丸君が塾長さんにをさまり、万歳の横山エンタツ、落語の笑福亭枝鶴両君が講師となり、毎週三回講義(?)があるが、時間は「お昼御飯をたべてから二時間」といふ至極暢気さで、専ら課目に捉はれないで、各席をできるだけ多く見学して廻る方針で、既に十二名の入学申込みを受けているさうだ。
この大部分は中学卒業程度で、中には同志社卒業といふのもあつて、開塾式までにはメンタルテストで入学試験をやるが、さて女性受験者がないので塾長はすつかり悲観している。また四月か五月には第一回の学芸会を開くといふ意気込み、以下は九里丸塾長の談。
東京の漫談は若鮎で飯を食べるやうなものですが、大阪漫談は天茶つまり天ぷら茶漬の味です。オチがあり、駄洒落の連発を特徴とする大阪漫談を完成したいと熱望しています。この塾の月謝はタヾ、従つて先生も月給を貰ひまへん。教授課目には捉はれず、塾生の持つてくる話題を訂正しながらやつてゆく考へです。
昭和9年1月30日 京都日出新聞
<落語研究会の設立・京都>
◇花月連総動員の落語研究会 二月四に正午から富貴で開く 明朗芸術の王座を占むる「落語」の振興に資すべく吉本興行所属の花月落語家を総動員して「落語研究会」を開催することになつた。この催しは毎月例会として第一日曜の正午から新京極の富貴で開演することにし、而も飽くまでも研究的たることを失はぬ申合せをした。その第一回は来る二月四日正午からで、爾来毎月交代出演するが、会員は花月連全員とて桂春団治も加はつてをり、なほ花月亭九里丸も毎回出演する。第一回出演者は春団治、円馬、三木助、文治郎、蔵之助、五郎、延若等が選定される筈であると。
昭和9年1月31日 都新聞
<露の五郎の上京>
◇日本芸術協会、一日よりの各席
◎神楽坂演芸場 金語楼、大阪登り五郎 同紋十郎、正蔵、大次郎民之助、紋弥、正幸正英、小柳枝、一朝、桃太郎、千太万吉、米丸、九官鳥、植村、玉輔
◎新宿末広亭 金語楼、小柳枝、正蔵、大阪登り五郎、同紋十郎、笑六笑丸、桃太郎、大次郎民之助、紋弥、一郎、米丸、千太万吉、正幸正英、九官鳥、富士郎、みのる平和
昭和9年2月
大阪の寄席案内
一日より
△南地花月 うさぎ、小雀、小円馬、扇遊、久菊・奴、延若、十郎・雁玉、福団治、喬之助・三木助、五郎・雪江、枝鶴、九里丸、栄二郎・六三郎、ろ山、柳橋、正光、春団治。【寄席ビラ参照】
△北新地花月倶楽部 春風亭柳橋、扇遊、神田ろ山、芳奴・庫吉、春団治、三木助、芳子・市松、円枝、
久菊・奴、蔵之助、九里丸、枝鶴、馬生、福団治他 。
十一日より
△南地花月 松旭斎天右一行、柳家金語楼、大島伯鶴、石田一松、春団治、エンタツ・アチヤコ、円馬、九里丸、枝鶴、文男・静代、三木助、芳奴・庫吉、文治郎、竜光他。
△北新地花月倶楽部 春団治、円馬、エンタツ・アチヤコ、金語楼、伯鶴、石田一松、三木助、染丸、五
郎・雪江、延若、九里丸、蔵之助、福団治他。
二十一日より
△南地花月 小雀、龍光、扇遊、福団治、久菊・奴、延若、石田一松、五郎・紋十郎、雪江・五郎、喬之助・三木助、栄二郎・六三郎、九里丸、文治郎、文男・静代、円馬、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、松旭斎天右一行。【寄席ビラ参照】
△北新地花月倶楽部 エンタツ・アチヤコ、蔵之助、静児・幸児、竹幸・出羽助、枝鶴、次郎・志乃武、円馬、松子・呉成錬、円枝、九里丸、栄二郎・六三郎、三木助、重隆・武司、文治郎、ぜんば、小円馬等。
京都の寄席案内
一日より
△新京極富貴 春風亭柳橋、神田ろ山、花月亭九里丸(東京帰り・非常時議会漫談)、円馬、竜光、延若、静代・文男、文治郎、志乃武・次郎、春子・正春、一郎、三八、おもちや、三馬。
二十一日
△新京極富貴 九里丸、三木助、五郎、正光、延若、三八、十郎・雁玉、馬生、芳子・市松、染丸、花蝶・
川柳、三馬、円若。
△新京極花月 諸芸大会。
△新京極笑福亭 安来民謡大会、万歳、諸芸。
昭和9年2月1日より南地花月プログラム
〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。
昭和9年2月3日 京都日出新聞
<第一回落語研究会・京都>
◇落語研究会の演題決まる 四日の富貴 落語振興のため吉本所属の花月落語連が来る四日(第一日曜)の正午から新京極の富貴を会場として「落語研究会」を開催するとのことは既報の通りであるが、その第一回出演者と演題が次の如く決定した。
芝浜(円馬)、本能寺(五郎)、三人旅(春団治)、紺田屋(三木助)、花見の仇討(延若)、坊主茶屋(文治郎)、弥次郎(蔵之助)、厄払ひ(三八)、九里丸の漫談
なほ当日は落語家全員紋服袴姿にて、一般入場者と共に座席にあつて同志の高座を検討批判するとのことであるから、落語好きには聴き逃せぬ催しである。
<編者註>露の五郎は、都新聞では、2月の上席(1日~10日)より東京の日本芸術協会の寄席に出勤している事になっている。一日だけ東京から京都に戻って出勤したのかもしれない。
昭和9年2月9日 都新聞
◇落語東西会 新宿末広亭九日夜は、婆茶屋(紋弥)禁酒(米丸)漫歳(千太万吉)長短(小柳枝)曲芸(大次郎民之助)化粧(露の五郎)曲技(一郎)水兵漫歳(笑六笑丸)袈裟御前(正蔵)口入屋(桃太郎)東京駅(金語楼)
昭和9年2月10日 都新聞
<正岡容と創作落語の会>
◇創作落語爆笑会 十日夜芝恵智十にて、正岡容、中村進治郎、文都、扇太郎、百圓、しん馬、馬風、小團治、幅丸、文七出演。
昭和9年2月17日 大阪時事新報
<第二回落語研究会・大阪>
◇十八日正午開演で落語研究会 出演者と演題決定 北の新地花月倶楽部
大阪落語の振興発展を目指して過般第一回を開演して落語愛好者間に好評を博した吉本興行所属の花月連総出演の「落語研究会」は、定例開演として来る十八日(第三日曜)の正午から北の新地花月倶楽部で第二回研究会を開催することゝなり、これに先だち十六日の南地高島屋ホールに一同会合して準備会をやり種々打合せるところあり。第二回の出演者と演題を左の通り決定。
牛駆け(三木助)、居残り左平次(延若)、野猿後家(枝鶴)、鍬潟(染丸)、ねずみ(円馬)、綱七(五郎)、墓違ひ(春団治)、漫談(九里丸)
尚当日は出演せざるものも紋服袴にて一般入場者と共に座席に在つて連中の高座を検討評判するとのことであるから、落語好きには聞き遁がせぬ催しであらう。
昭和9年2月19日 大阪時事新報
◇南北花月の金語楼と伯鶴 新作と得意篇に好評 皇軍慰問のため来る二十一日大阪出発で北満への旅に上る爆笑の元締柳家金語楼と明るい講談として定評ある大島伯鶴を迎へて、これに春団治、円馬、九里丸、枝鶴、三木助、文治郎等花月幹部連、更に石田一松、エンタツ、アチヤコに文男、静代、芳奴、庫吉、天右一行等競演の南地法善寺境内の花月と北の新地花月倶楽部は連夜非常な盛況で賑つている。
昭和9年2月19日 大阪時事新報
◇独特の上方落語が万歳に押されてさびれるのは、何と言つても大阪名物の前途に関する問題とあつて、過般小春団次が脱退して、新興落語の研究を始めた外、花月所属の落語家連も擁護策に腐心しているが、さしずめ中途半端なものより古いネタを相当纏めた方がよいと、最近長座会が流行し出した。
昭和9年2月21日より南地花月プログラム
〈編者註〉『藝能懇話』第十九号(平成20年)より転載。