昭和8年1月
大阪の寄席案内
一日より
△南地花月・北新地花月倶楽部 吉例幹部大顔合せ。特別出演鼈甲斎虎丸(浪曲)。操り人形結城孫三郎一
座、大神楽日廼出家潮三郎一座。【広告参照】
十一日より
△南地花月 せんば、小雀、静代・文男、千橘、十郎・雁玉、日の出家社中、延若、エンタツ・アチヤコ、巴うの子(浪曲)、結城孫三郎一座、春団治、伯龍、九里丸、円馬。
△天満花月 九鬼レヴユー団、結城孫三郎一座、エンタツ・アチヤコ、九里丸、千橘、馬生、円枝、八千代
・千代八外。昼夜二回。
二十一日より
△南地花月 せんば、小雀、重隆・武司、千橘、勇・清・クレバ、蔵之助、八重子・福次、円枝、十郎・雁玉、柳好、石田一松、小春団治、五郎・雪江、円馬、春団治、日の出家社中、三木助。
三十一日より
△南地花月 小雀、一郎、小円馬、五郎・雪江、蔵之助、日廼出家連(小直、太郎、富之助、潮三郎)、延若、紋十郎・五郎、十郎・雁玉、文治郎、エロ子・キング(スポーツ万歳)、柳好、九里丸、桂小文治、石田一松、春団治。
△北新地花月倶楽部 九里丸、柳好、次郎・志乃武、春団治、石田一松、小文治、延若、八重子・福治、笛亀、文治郎、とり三・今男、紋十郎・五郎、一郎、馬生、染蔵等花月幹部連
△天満花月 八重子・福治、文治郎、扇遊、玉枝・成三郎、馬生、〆の家連、春団治、日廼出家連、小文治、つばめ・ボテ丸、柳好、正二郎・捨次、重隆・武司、紋十郎・五郎、せんば、亀鶴・星花。昼夜二回。
△玉造三光舘 中野レヴユー団、ラツパ・日左丸、延若、鶴江・房春、吉花菱女連の舞踊、八千代・千代八、正光、小円馬、夢路・夢若、亀鶴、円若他万歳幹部にて昼夜開演。
△淡路町国光 小円馬、蔵之助、扇遊、星花、延若、花蝶・川柳、歳男・今若、米二・政月、正二郎・捨次、源若・満香、一子・正八、小金・小三、梅女・幸三郎等万歳連。
△福島花月 玉枝・成三郎、蔵之助、〆の家ジヤズ連、日廼出家連、小円馬、ラツパ・日左丸、柳好、千枝里・染丸、馬生、花蝶・川柳、小文治、扇遊、文治郎、一春・団之助、若枝等花月幹部連の出演。
京都の寄席案内
十一日より
△新京極富貴 神田伯龍(早慶野球戦の講談化)、石田一松(小唄法学士)、三馬、三八、五郎・雪江、喬之助・三木助、扇遊、小春団治、千枝里・染丸、蔵之助、福団治、染丸、おもちや、うさぎ、右之助等。
△新京極花月 八重子・福次、愛子・光晴、千枝里・染丸、照子・菊丸、一郎、歳男・今若、久菊・正八、
久次・弟蝶等。昼夜開演。
△新京極中座 喜劇民謡座、吉花菱女連。「コメデーサイノロジー」、「漫劇弥次喜多木曽の旅」、「社会劇金色の鬼」、「舞踊宝船」。幕間に石田一松、五郎・雪江、蔵之助、扇遊らが出演。昼夜二回。
△新京極笑福亭 橘家太郎・菊春一座。レヴユー、万歳、諸芸で昼夜開演。
△千本中立売長久亭 喬之助・三木助、一郎(曲芸)、扇遊、小春団治、千枝里・染丸、蔵之助、福団治、八重子・福次、歳男・今若、染丸、五郎・雪江、照子・菊丸、おもちや、三馬、愛子・光晴、笑福亭竹馬等。
二十一日より
△京極富貴亭 九里丸、文次郎、エンタツ・アチヤコ、あやつり人形孫三郎一行、花月吉花菱三人舞踊、延
若、五郎、円若、馬生、小円馬。
三十一日より
△新京極富貴 三木助、枝鶴、小春団治、円枝、円馬、三八、福団治、九里丸、染丸、三馬、右之助、エンタツ・アチヤコ、クレバ栄・清・勇等。柳家金語楼(六日より出演)。(一日より五日間第四回落語研究会)
△新京極花月 エンタツ・アチヤコ、九竜レヴユー団、藤男・光月、クレバ栄治・清・勇、秀子・虎春、静代・文男、竜光、右楽・左楽、すみれ・梅三、文丸・芳若、清子・花びし、三馬、源朝、久栄・橘弥、三八、時子・団治、久次弟妹、三木弥等。
△新京極笑福亭 〆の家ジヤズ団、三好・末子、右楽・左楽、源朝、秀子・虎春、その他諸芸万歳。
△新京極中座 古川緑波一行。
△千本中立売長久亭 文丸・芳若、円枝、すみれ・梅三、染丸、清子・花びし、福団治、藤男・光月、小春団治、三馬、枝鶴、久栄・橘弥、竜光、三八、竹馬等
昭和7年12月31日 大阪朝日新聞[広告]南北両花月合同広告
昭和8年1月4日 大阪時事新報
◇花月亭九里丸 きゆうりがん、くさとまると読まず、くりまると読む。師匠につかづ、一本立で芸をみがいた官立中学出のインテリで、漫芸、漫談では関西の大御所と言はれる。昨年、満州事変突発の際、吉本興行部から「笑の慰問隊」として派遣され、短い舌で、戦ひに憩ふ皇軍を笑慰したこともあり、吉本の高座へでて、開口一言、どつと笑声の湧く、とくな人である。
昭和8年1月30日 京都日出新聞
〇危ぶまれた命脈 辛うじて保つ 花月連の落語研究会 夜席にかへて第四回を開く。
昨秋呱々の声をあげて旧蝋十二月第三回を開き相当前途に期待をかけられていた吉本花月連の落語研究会が、大阪の研究会と共に早くも行悩み、わづか三ケ月そこ〳〵の存在で解散になりさうだと伝へられ、一月の公演の沙汰やみが一層その巷間の取沙汰を裏書するやうな状態に置かれていたが、それでもやつと陣容を立直てして第四回の研究会を二月一日から五日間、やはり富貴で、但し従来の昼席を夜席にかへて開演する事になつた。
今度の出演者は三木助、枝鶴、小春団治、円枝、円馬、三八、福団治、九里丸、染丸、三馬、右之助に エンタツ、アチヤコ、クレバ栄治、清、勇等幹部総出演であるが、昼席の一日だけを夜席の五日間といふ普通興行にかへたに就いて吉本興行滝野支配人の説明するところを聞くとかうだ──。
第一の原因はそろばんが持てぬからです。落語家自身が態々大阪から京都へ街頭のビラ張りなどに出かけてくるのと、ヒイキ名簿によつて開演毎に通知を出す、その印刷費と宣伝費にウンと喰はれているのです。大阪と京都でかれこれ三万円位欠損をしたでせうか。それから最う一つの原因は出演者自身が此雑用に忙殺される結果、本来の研究が出来ない。その不勉強、惹いて私の方の直接の興行にまで影響するので、これぢや研究会の意義を失ふと考へて差当り夜席にかへて五日間にさせたのです。
要するに今度の夜席で差当り彼等の借金をぬき併せてその成績──研究的にも興行的にも──をみて更に新しく将来を考へようといふにあるらしい。
昭和8年2月
大阪の寄席案内
六日より
△南地花月 小雀、一郎、小円馬、五郎・雪江、蔵之助、日の出家社中、次郎・志乃武、紋十郎・五郎、十郎・雁玉、文治郎、エロ子・キング、柳好、九里丸、小文治、石田一松、春団治。
十一日より
△南地花月 小雀、重隆・武司、小春団治、石田一松、エンタツ・アチャコ、ろ山、枝鶴、九里丸、天中軒雲月、古川緑波、金語楼、三亀松、春団治、日の出社中。【寄席ビラ参照】【広告参照】
二十一日より
△南地花月 小雀、延若、十郎・雁玉、文治郎、石田一松、ろ山、九里丸、千橘、五郎・雪江、春団治、
エンタツ・アチャコ、柳橋、三亀松、円馬、正光。
△天満花月 春団治、千橘、馬生、延若、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形、千枝里・染丸、一春・団
之助、紋十郎・五郎、秀子・虎春、幸児・良知その他万歳諸芸幹部連。
△福島花月 曲笛の笛亀、福団治、文治郎、染丸、於多福会、日廼出家連、選抜された万歳陣。
京都の寄席案内
十一日より
△新京極富貴 落語講談三人会。神田ろ山、三遊亭円馬、桂春団治。余興に真花会女連。
〈編者註〉新京極富貴落語研究会の二月二日と五日の出演者と演題は以下の通り。
二日:穴どろ(円馬)、立切(文治郎)、松山鏡(蔵之助)、網船(三木助)、猿後家(枝鶴)、親子酒(染丸)、円タク(小春団治)、漫談(九里丸)、品川心中(三馬)、子ほめ(三八)
五日:百々川(蔵之助)、くしやみ講釈(枝鶴)、子別れ(三木助)、婦人車夫(小春団治)、大名盆(円馬)、せんき虫(福団治)、にう(小円馬)、漫談(九里丸)、幸助(三八)、鷺取り(円枝)
昭和8年2月11日より南地花月プログラム
〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成二十年)より転載。
昭和8年2月12日 大阪朝日新聞[広告]南北両花月合同広告
昭和8年2月17日 大阪朝日新聞
◇ロツパの寄席進出 声帯模写の古川ロッパが最近は京阪の寄席に進出して新国劇の島田正吾に至る新旧役者の声色を演じ、ために在来の寄席声色屋さん、ちつとばかり色を失ふかたちなきにあらず。なほ彼氏マンダンを忘れず「風邪が流行します、これが大きくなると嵐になります、むべ山風を嵐といふらん…」てなこともしやべる。
昭和8年3月
大阪の寄席案内
一日より
△南地花月 小雀、福団治、竜光、染丸、十郎・雁玉、円馬、杵屋連(小高・〆丸・文子)、小春団治、九里丸、春団治、次郎・志乃武、枝鶴、三亀松、柳橋、エンタツ・アチヤコ、三木助。
△北の新地花月倶楽部 柳橋、石田一松、九里丸、小春団治、エンタツ・アチヤコ、円馬、十郎・雁玉、枝鶴、三亀松、三木助、喬之助、竜光、福団治、ラツパ・日左丸、亀鶴、染蔵等花月選抜連。
△天満花月 九里丸、千橘、鶴江・房春、少女レヴユー団、八重子・福治、小春団治、千枝里・染丸、三好・米子、福団治、小金・小三、枝鶴、照子・菊丸、一子・正八、円若、染八等幹部出演。
△玉造三光館 少女レヴユー団、出羽助・竹幸、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形一行、エンタツ・アチヤコ、十郎・雁玉、紋十郎・五郎、円若、扇遊、玉枝・成三郎、一春・団之助、竜光他万歳諸芸連にて昼夜二回。
△福島花月 九里丸、少女レヴユー団、蔵之助、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形一行、円若他選抜万
歳諸芸。
△淡路町国光 枝鶴、円若、小円馬、三木助・喬之助、染丸、九里丸、小春団治等花月幹部連に万歳陣。
十一日より
△南地花月 小雀、扇遊、枝鶴、正光、蔵之助、エンタツ・アチヤコ、千橘、文治郎、勇・清・クレバ、延若、五郎・雪江、小春団治、九里丸、柳橋、三亀松、春団治。
二十一日より
△南地花月 小雀、小円馬、勇・清・クレバ、文治郎、十郎・雁玉、円馬、九里丸、紋十郎・五郎、三亀松、小春団治、エンタツ・アチヤコ、林家正蔵、春団治、石田一松、枝鶴、正光。
△北新地花月倶楽部 春団治、正蔵、文治郎、円馬、小春団治ら花月落語連。
△天満花月 馬生、少女レヴユー団、枝鶴、福団治、小春団治等。
△福島花月 九里丸、文治郎、少女レヴユー団、福団治、小円馬等。
△天満橋葵 亀鶴、小円馬、源朝、竜光、おもちや、円若他万歳昼夜。
△淡路町国光 九里丸、蔵之助、枝鶴、竜光、福団治、小円馬、馬生他選抜万歳連。
△玉造三光館 少女レヴユー団、春団治、正光、小春団治、十郎・雁玉、クレバ一行他万歳にて昼夜。
三十一日より
△南地花月 小雀、源朝、扇遊、三木助、春子・正春、千橘、五郎・雪江、柳好、春団治、三亀松、枝鶴、エンタツ・アチヤコ、伯龍、九里丸、円馬、一郎。【寄席ビラ参照】
京都の寄席案内
一日より
△新京極富貴 春団治、正光、延若、文次郎、日の出家連、五郎・雪江、円枝、柳橋、花奴・時之助、馬
生、清・クレバ、三八、源朝、三馬。
十一日より
△新京極富貴 蔵之助、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、十郎・雁玉、喜花会女連、円馬、幸児・良知、柳橋、喜代丸・勝利、紋十郎・五郎、福団治、竜吉、円若、三八。
二十一日より
△新京極富貴 林家正蔵、柳家三亀松、千橘、延若、吉花会女連(舞踊競争)、三木助、喬之助、扇遊、春子・政春、円枝、静代・文男、とり三・今男、染丸、三馬、三八、右之助。「舞踊オリムピツク(三人舞踊)」の審判は千橘、延若が一日替りにて勤むる。
△新京極花月 千枝里・染丸、静代・文男、鶴江・房春、一郎、ボテ丸・つばめ、九貴レヴユー団、一春・団之助、扇遊、春子・正春、重隆・武司、三八、三馬、竹幸・出羽助他万歳諸芸連。
△新京極笑福亭 選抜万歳連。
△新京極中座 吉花会女連、喜劇吉笑座、九貴レヴユー団の合同共演。
△千本長久亭 とり三・今男、千橘、一春・団之助、円枝、夢路・夢若、喬之助、三木助、染丸、小金・小三、延若、時子・団治、三八、八重吉・小福、扇遊、竹馬等。
三十一日より
△新京極富貴 春団治、小春団治、神田伯龍、千家松連、文次郎、キング・エロ子、九里丸。
昭和8年3月20日 京城日報
◇[広告]朝日座/三月十五日より大日本表着大衆芸團/猫遊軒猫八一行 珍芸名人大会/プログラム 馬の手踊 ラヂオ放送実演室 世相百面相 春雨爆弾三勇士 忠臣蔵三段目 満州■■浄瑠璃 問答 モダンレヴュー 石地蔵を動かす法 求むる足 滑稽改善 東西男女合併大相撲 萬歳 珍芸沢山/出演者 若松家いそ江 松廼家文子 猫遊軒猫六 喜春家花坊 浮世亭花香 浮世亭夢之助 猫遊軒君香 平和チェリー 鶴賀梅之助 鶴賀文弥 高砂家久江 圓笑 松鶴家日の一 吾妻家梅之輔 若松家正奴 若松家正右衛門/入場料時節柄大勉強 毎夕正六時開演 番組多数に付き開演時間正確
昭和8年3月31日より南地花月出演順
〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成二十年)より転載。
昭和8年3月 ●三代目笑福亭円笑死亡
〈編者註〉カテゴリ「三代目笑福亭円笑」の項参照。
昭和8年4月
大阪の寄席案内
十一日より
△南地花月 小雀、幸児・良知、枝鶴、十郎・雁玉、蔵之介、三亀松、文治郎、伯龍、九里丸、小春団治、五郎・雪江、柳好、エンタツ・アチヤコ、扇遊、春団治。
二十一日より
△南地花月 小雀、小円馬、正光、文治郎、愛子・奴、福団治、五郎・雪江、小春団治、勇・清・クレバ、春団治、エンタツ・アチヤコ、喬之助・三木助、三亀松、九里丸、枝鶴。
三十日より
△南地花月 小雀、源朝、七五三・都枝、重隆・武司、千枝里・染丸、三亀松、小春団治、エロ子・キング、大辻司郎、九里丸、伯龍、金語楼、エンタツ・アチヤコ。
京都の寄席案内
十一日より
△新京極富貴 枝鶴、五郎、ラツパ・日左丸、三木助、千家松博王・水茶屋博次・博多屋人形、福団治、エロ子・キング、柳好、喜代丸・勝利、染丸、円若、三八、三馬、右之助等。
△新京極花月 吉本粒選りの幹部、万歳に諸芸昼夜二回。
△新京極笑福亭 選抜民謡花形連に万歳諸芸にて昼夜開演。
△千本中立売長久亭 花月幹部連の新番組にて開演。
二十一日より
△新京極富貴 蔵之助、延若、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形、十郎・雁玉、円馬、五郎・紋十郎、エロ子・キング、三馬、扇遊、円枝、重隆・武司、竹幸・出羽助、一郎・三八、等花月幹部連出演。
△新京極花月 花月連、万歳幹部連、選抜諸芸にて昼夜二回。
△新京極笑福亭 民謡花形連に万歳諸芸にて昼夜開演。
△千本中立売長久亭 花月幹部連に万歳幹部にて開演。
昭和8年4月10日 大阪時事新報
滅び行く落語 花月亭九里丸
かつて、民衆の寵児であつた「落語」が今日のキうに衰滅の兆を示している時代はない。私たちはこの時代に置き去られたものへ対する哀愁をふくめて漫然とこれを見過してしまつていゝだらうか。大阪落語界の変り種花月亭九里丸がよせたる激越の一文は滅び行く落語に対するよき熱情として採録した次第である
我が国の芸術界で何が一番進歩しないであらう? 否、何が最も退歩したであらう? と云へば躊躇するまでもなく──遺憾ながら──落語と答ふるの他あるまい。郷土芸術としての文楽座が国家の保護を受け、且つは郷土の有識階級から特別の庇護をして貰ふ折、上方人情風俗世態を尤もよく描写してあるほど文楽に対抗して優りこそすれ劣らぬものゝ落語が沈滞と衰頽の極に達し、既に断崖に臨んで危機真に迫つたのは落語は寧ろ落語である。
寄席通に非ずとも、二三辺この木戸をくゞつて見た者は、落語家の饒舌ることは其の初めを聞いて其の終りを知るに難くない程、殆ど紋切型の極り文句で、落語家自身が自白する如く「何時も変り合ひまして変り栄えも仕りませぬ」のは世にも不思議な程にその材料からして、第一貧しいのである。
二十年も‥‥三十年も昔とそつくり同じ話をして、それで客を呼び得るものと思つて居る落語家の根性からして、洗ひ替へねば、どうして落語界の進歩‥‥そんな大した望みはもう持たぬ、せめても現状維持‥‥を企画する事が出来やうぞ? 如何に無学無知の僕のグループでも、余りにも情けないではないか。
僕等が主唱者となつて昨秋産声を上げた花月落語研究会だつて、ホンノ一瞬時の夢と化して解消したのは、将に出演者側に大なる罪あつて、吉本興行部の首脳者の折角の厚意を逆に怒らせて終つたのである。
落語家の殆んどが、余りにも時勢を見るの明のないのには呆れるが、明治三十一年(三十六年以前)に先々代燕枝が恁んな事を云つて居る。
=つい過日でした。私が聴いて居ますとね、こう落語があるのです、何だ篦棒め愚図々々吐かしやがると、此けつ尻のなかへ叩き込んで終うぞ──と云ふ筋なんですが、──愚図々々吐かしやがるとこの‥‥尻けつと云つちヤア、行儀が悪くて臨監の警察官から叱られるものですから窮しましてね。尻を叩いてこンなかへたゝき込んで終うぞとやりましたよ。尻を叩くのは窮した仕方のやうなものゝ、尻が云へないからやつた、それが却つて滑稽を生じて、新らしくなてどつとお客に受けやうになりましたのは、面白うございました。
それからですね、もう一つは御承知でせうが、運慶の落語ですな、あの落語に運慶ばゝちいと云ふところがある、そこへ行つてうんけいばゝツ‥‥と云つたが、ばゝツちいとは云へないので、ばゝツといつてあはてゝ口を両手で押へて、ああ汚ないと云つて鼻をつまみましたね、実にこれ等はいゝことで、成るべく猥褻や下がからないやうにと、皆が慎みました。先ずこう云ふ風になりまして、実に嬉しい次第で、これからますますよくならうと思ひます、─―
僕等の研究会で第二回に××が「苫ケ島」に殿様の馬がブウ〳〵と屁を放つところ、これは無くともがなの箇所で、三代目文団治師匠は演らなかつた。すると第三回の時に御招待申た高安六郎博士が御病気で御越になれなかつたので、その折お手紙でそれとはなしに前回の××の「苫ケ島」の馬の屁に就て御注意あつた。それを第三回の開演前に楽屋で出演者一同へ云ひ渡したにも拘らず×××は当日「野崎詣り」で本筋にない随分露骨な猥褻を演つたものだ。これぢや研究会の価値なしだ。果してフアンの二三方面から×××は研究会に出演する資格なしとまでの投書があつた。
落語研究会を開演すると、自然演題が豊富になければならぬ。それが又主唱者側の目的だ。それに際して、ある不心得極まる落語家は「船頭医者」「丹波ほうずき」「故郷の錦」と云ふ材料を先輩から教はつたものだ。此の落語は三つとも、若しか警察官が臨監席に居つたら全然演れない露骨噺で、流石の春団治師でさへためらふネタだ。親子兄弟同席して聞くに堪へない落語を、これからの大衆にいつどこでなりとも迎へられる芸術として稽古して演る方も演る方なら、教へる人間もをしへる人間だ。どうです皆さん、これでは落語研究会が永続なしうる見こみがどこにあるでせうか。
又一方聴者の側から見てもだ、その以前は随分舌を爛し筆を禿にしてまで、落語改良の方法手段を講じた斯道の先輩も尠からずであつたが、現今ではぱつたりその跡を断つて了つたのは、僕等グループに愛想を尽したのか、到底度し難しりとして擲つて了ふのは、余にも不親切ではないであらうか。落語家の中には、新作落語を口演して、充分お客を満足せしむるに足る技倆を有つているものも、決して少くはないと思ふのであるが、唯材料を供給する篤志家の少いのを憾むので、新刊雑誌に随分多く載せられてある新作落語のその殆は「読む落語」であつて「聴く落語」ではないと思ふ。現に食満南北氏の如き名作家でさへ何時ぞやの「上方」におもと茶屋を書かれたが、依然「読む落語」であつて「聴く落語」ぢやない。
其処へ行つては、東京の金語楼、金馬、正蔵君等や大阪の小春団治君は、能く演じも為(し)、能く作りも為たのであるが、憾らくは「楽語」であつて「落語」ではない。然し僕は、今後の時勢からして須らく「落語」の二字を削つて新に「楽語」の新熟語を作つて見たいと思ふ。それの方が一般に受けられ易いからして。
話は元へ戻るが、他の落語家にはこの両刀使ひの技能に乏しく、千編一律! 演ずる話も‥‥、述べ立てる件も‥‥同じことを反復すのが、旋て斯界不振の最大原因となつたのは、疑ふべくもない。こゝで断つて置くのは、僕の云ふ新作落語とは、野球、カフエー又はダンスホール等の現代物を取り入れた落語とは限らない。徳川時代の市井巷談で新作なれば面白いと云ふ方で、特に現代的の解釈した髷物なれば尚更結構。
落語家が、しかも相当地位ある人だが切席に出演して小話を二つ位演つて高々七八分間でチヨコ〳〵お時間にすることは以ての他のことである。成程切席になつて客の浮足に、吾関せずと落付て大物を演るのは演り難いだらう。演り難いのが当然だ、そこだ、そこに大真打としての大きな看板を出した本当の値打が出て来るぢやないだらうか。浮足の客を喰ひ止める、そこが力だ。値打がある値だ。よしこの値の字のイが浮いても演つてこそ真打だ。出番の中ごろでいゝ時間に、聴すのは普通だ。客は切席の大真打には耳をたてゝ迎へるのがフアンだ。折角残して呉れたフアンに十分もないネタでお開きとは、これがそも〳〵客を浮かすの発端で、要するに自ら墓穴を掘つて居ると云ふより外はない。成程現在の寄席のお客は昔と違つて落語専門ぢやないから、梶の取りやうの至難は云ふ迄もないことは断つておく。
落語研究会にだけ一生懸命になつて演り、平素は余りにもお雑俳過ぎるから、お客の方でも、平素の夜間興行に行つて詰らぬ落語を聴かされるより、月一回の研究会へ行つて聴く方が、ヅーツと面白いと云ふ声が客の口から営業者の耳に入ると、決していゝ心持のしないのは当然の理屈である。
文芸倶楽部第四巻第七号(明治三十一年七月一日発行)にこんな記事がある
たゞ客受けのよき女郎買の話か、然らずんば極端なる醜猥談か大小便屁等で無理に客を笑はしむるのみ(九里丸曰く、そんな事を云はれたら落語を演れぬと云ふ不心得者あらば遠慮なしに落語家を廃業せよ、誰一人として、マア〳〵待つてと止め立てする親切な人も出ぬだらうぜ)されば一たび警視庁の注意ありてより従来の落語を其の侭やる能はざるが為め、往々奇態なる落に終るものあり、亦従来の興味を殺ぐものあり。
例へば、ある下男に豆腐買をなさしめしに、下男豆腐屋の路の遠きをいとひて、ふれあるく豆腐屋の来るを待ち居るに、話の興を添へんが為めに、従来の共同便所に入りて待つ事とし、おい貴様はどこで待つていたと問へば、共同便所なりと云ふ。然らば其の笊をどうしたと問へば便所の板の上へ置きたりと云ひしなり。然るを此の度よりそれを廃めて、近所を一とまはりして来れりといふなり。されど斯くては落語の興味極めて少なし。然るを‥‥何んだ、半丁の豆腐を買ふのに一丁歩く奴があるものか、とか何とか云へば、何もこれが新らしいと云ふ訳ではないが、ちつとは興も添るなり。然るをこゝらの機転は未だ利かぬなり。されば、落語の改良をなすには、先ず今日の落語家に学問をせしむるが肝要なり云々。
以上の記事が、三十六年後の今日読んで、僕等この業界に飯を食ふ者は実際慚愧に堪へ無いが、今日の落語家に学問をせしむると云ふのは、決して頭の禿げた者に、学校へ通への講義録を取つて勉強をせよと云ふのぢやない。今日の進んだ世相に触れることだ。(終)