昭和8年

上方落語史料集成 昭和8年(1933)1月~4月

昭和81

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月・北新地花月倶楽部 吉例幹部大顔合せ。特別出演鼈甲斎虎丸(浪曲)。操り人形結城孫三郎一
 座、大神楽日廼出家潮三郎一座。【広告参照】

十一日より

△南地花月 せんば、小雀、静代・文男、千橘、十郎・雁玉、日の出家社中、延若、エンタツ・アチヤコ、巴うの子(浪曲)、結城孫三郎一座、春団治、伯龍、九里丸、円馬。

△天満花月 九鬼レヴユー団、結城孫三郎一座、エンタツ・アチヤコ、九里丸、千橘、馬生、円枝、八千代
 ・千代八外。昼夜二回。

二十一日より

△南地花月 せんば、小雀、重隆・武司、千橘、勇・清・クレバ、蔵之助、八重子・福次、円枝、十郎・雁玉、柳好、石田一松、小春団治、五郎・雪江、円馬、春団治、日の出家社中、三木助。

三十一日より

△南地花月 小雀、一郎、小円馬、五郎・雪江、蔵之助、日廼出家連(小直、太郎、富之助、潮三郎)、延若、紋十郎・五郎、十郎・雁玉、文治郎、エロ子・キング(スポーツ万歳)、柳好、九里丸、桂小文治、石田一松、春団治。

△北新地花月倶楽部 九里丸、柳好、次郎・志乃武、春団治、石田一松、小文治、延若、八重子・福治、笛亀、文治郎、とり三・今男、紋十郎・五郎、一郎、馬生、染蔵等花月幹部連

△天満花月 八重子・福治、文治郎、扇遊、玉枝・成三郎、馬生、〆の家連、春団治、日廼出家連、小文治、つばめ・ボテ丸、柳好、正二郎・捨次、重隆・武司、紋十郎・五郎、せんば、亀鶴・星花。昼夜二回。

△玉造三光舘 中野レヴユー団、ラツパ・日左丸、延若、鶴江・房春、吉花菱女連の舞踊、八千代・千代八、正光、小円馬、夢路・夢若、亀鶴、円若他万歳幹部にて昼夜開演。

△淡路町国光 小円馬、蔵之助、扇遊、星花、延若、花蝶・川柳、歳男・今若、米二・政月、正二郎・捨次、源若・満香、一子・正八、小金・小三、梅女・幸三郎等万歳連。

△福島花月 玉枝・成三郎、蔵之助、〆の家ジヤズ連、日廼出家連、小円馬、ラツパ・日左丸、柳好、千枝里・染丸、馬生、花蝶・川柳、小文治、扇遊、文治郎、一春・団之助、若枝等花月幹部連の出演。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 神田伯龍(早慶野球戦の講談化)、石田一松(小唄法学士)、三馬、三八、五郎・雪江、喬之助・三木助、扇遊、小春団治、千枝里・染丸、蔵之助、福団治、染丸、おもちや、うさぎ、右之助等。

△新京極花月 八重子・福次、愛子・光晴、千枝里・染丸、照子・菊丸、一郎、歳男・今若、久菊・正八、
 久次・弟蝶等。昼夜開演。

△新京極中座 喜劇民謡座、吉花菱女連。「コメデーサイノロジー」、「漫劇弥次喜多木曽の旅」、「社会劇金色の鬼」、「舞踊宝船」。幕間に石田一松、五郎・雪江、蔵之助、扇遊らが出演。昼夜二回。

△新京極笑福亭 橘家太郎・菊春一座。レヴユー、万歳、諸芸で昼夜開演。

△千本中立売長久亭 喬之助・三木助、一郎(曲芸)、扇遊、小春団治、千枝里・染丸、蔵之助、福団治、八重子・福次、歳男・今若、染丸、五郎・雪江、照子・菊丸、おもちや、三馬、愛子・光晴、笑福亭竹馬等。

二十一日より

△京極富貴亭 九里丸、文次郎、エンタツ・アチヤコ、あやつり人形孫三郎一行、花月吉花菱三人舞踊、延
 若、五郎、円若、馬生、小円馬。

三十一日より

△新京極富貴 三木助、枝鶴、小春団治、円枝、円馬、三八、福団治、九里丸、染丸、三馬、右之助、エンタツ・アチヤコ、クレバ栄・清・勇等。柳家金語楼(六日より出演)。(一日より五日間第四回落語研究会)

△新京極花月 エンタツ・アチヤコ、九竜レヴユー団、藤男・光月、クレバ栄治・清・勇、秀子・虎春、静代・文男、竜光、右楽・左楽、すみれ・梅三、文丸・芳若、清子・花びし、三馬、源朝、久栄・橘弥、三八、時子・団治、久次弟妹、三木弥等。 

△新京極笑福亭 〆の家ジヤズ団、三好・末子、右楽・左楽、源朝、秀子・虎春、その他諸芸万歳。  

△新京極中座 古川緑波一行。

△千本中立売長久亭 文丸・芳若、円枝、すみれ・梅三、染丸、清子・花びし、福団治、藤男・光月、小春団治、三馬、枝鶴、久栄・橘弥、竜光、三八、竹馬等

昭和71231日 大阪朝日新聞[広告]南北両花月合同広告

8年 005

昭和814日 大阪時事新報

◇花月亭九里丸 きゆうりがん、くさとまると読まず、くりまると読む。師匠につかづ、一本立で芸をみがいた官立中学出のインテリで、漫芸、漫談では関西の大御所と言はれる。昨年、満州事変突発の際、吉本興行部から「笑の慰問隊」として派遣され、短い舌で、戦ひに憩ふ皇軍を笑慰したこともあり、吉本の高座へでて、開口一言、どつと笑声の湧く、とくな人である。

昭和8130 京都日出新聞

〇危ぶまれた命脈 辛うじて保つ 花月連の落語研究会 夜席にかへて第四回を開く。 

 昨秋呱々の声をあげて旧蝋十二月第三回を開き相当前途に期待をかけられていた吉本花月連の落語研究会が、大阪の研究会と共に早くも行悩み、わづか三ケ月そこ〳〵の存在で解散になりさうだと伝へられ、一月の公演の沙汰やみが一層その巷間の取沙汰を裏書するやうな状態に置かれていたが、それでもやつと陣容を立直てして第四回の研究会を二月一日から五日間、やはり富貴で、但し従来の昼席を夜席にかへて開演する事になつた。

今度の出演者は三木助、枝鶴、小春団治、円枝、円馬、三八、福団治、九里丸、染丸、三馬、右之助に エンタツ、アチヤコ、クレバ栄治、清、勇等幹部総出演であるが、昼席の一日だけを夜席の五日間といふ普通興行にかへたに就いて吉本興行滝野支配人の説明するところを聞くとかうだ──。

 第一の原因はそろばんが持てぬからです。落語家自身が態々大阪から京都へ街頭のビラ張りなどに出かけてくるのと、ヒイキ名簿によつて開演毎に通知を出す、その印刷費と宣伝費にウンと喰はれているのです。大阪と京都でかれこれ三万円位欠損をしたでせうか。それから最う一つの原因は出演者自身が此雑用に忙殺される結果、本来の研究が出来ない。その不勉強、惹いて私の方の直接の興行にまで影響するので、これぢや研究会の意義を失ふと考へて差当り夜席にかへて五日間にさせたのです。

要するに今度の夜席で差当り彼等の借金をぬき併せてその成績──研究的にも興行的にも──をみて更に新しく将来を考へようといふにあるらしい。


昭和
82

大阪の寄席案内

六日より

△南地花月 小雀、一郎、小円馬、五郎・雪江、蔵之助、日の出家社中、次郎・志乃武、紋十郎・五郎、十郎・雁玉、文治郎、エロ子・キング、柳好、九里丸、小文治、石田一松、春団治。

十一日より

△南地花月 小雀、重隆・武司、小春団治、石田一松、エンタツ・アチャコ、ろ山、枝鶴、九里丸、天中軒雲月、古川緑波、金語楼、三亀松、春団治、日の出社中。【寄席ビラ参照】【広告参照】

二十一日より

△南地花月 小雀、延若、十郎・雁玉、文治郎、石田一松、ろ山、九里丸、千橘、五郎・雪江、春団治、
 エンタツ・アチャコ、柳橋、三亀松、円馬、正光。

△天満花月 春団治、千橘、馬生、延若、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形、千枝里・染丸、一春・団
 之助、紋十郎・五郎、秀子・虎春、幸児・良知その他万歳諸芸幹部連。

△福島花月 曲笛の笛亀、福団治、文治郎、染丸、於多福会、日廼出家連、選抜された万歳陣。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 落語講談三人会。神田ろ山、三遊亭円馬、桂春団治。余興に真花会女連。

〈編者註〉新京極富貴落語研究会の二月二日と五日の出演者と演題は以下の通り。

二日:穴どろ(円馬)、立切(文治郎)、松山鏡(蔵之助)、網船(三木助)、猿後家(枝鶴)、親子酒(染丸)、円タク(小春団治)、漫談(九里丸)、品川心中(三馬)、子ほめ(三八)

五日:百々川(蔵之助)、くしやみ講釈(枝鶴)、子別れ(三木助)、婦人車夫(小春団治)、大名盆(円馬)、せんき虫(福団治)、にう(小円馬)、漫談(九里丸)、幸助(三八)、鷺取り(円枝)

昭和8211日より南地花月プログラム

8年 004

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成二十年)より転載。

昭和8212日 大阪朝日新聞[広告]南北両花月合同広告

8年 012

昭和8217日 大阪朝日新聞

◇ロツパの寄席進出 声帯模写の古川ロッパが最近は京阪の寄席に進出して新国劇の島田正吾に至る新旧役者の声色を演じ、ために在来の寄席声色屋さん、ちつとばかり色を失ふかたちなきにあらず。なほ彼氏マンダンを忘れず「風邪が流行します、これが大きくなると嵐になります、むべ山風を嵐といふらん…」てなこともしやべる。


昭和
83

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 小雀、福団治、竜光、染丸、十郎・雁玉、円馬、杵屋連(小高・〆丸・文子)、小春団治、九里丸、春団治、次郎・志乃武、枝鶴、三亀松、柳橋、エンタツ・アチヤコ、三木助。

△北の新地花月倶楽部 柳橋、石田一松、九里丸、小春団治、エンタツ・アチヤコ、円馬、十郎・雁玉、枝鶴、三亀松、三木助、喬之助、竜光、福団治、ラツパ・日左丸、亀鶴、染蔵等花月選抜連。

△天満花月 九里丸、千橘、鶴江・房春、少女レヴユー団、八重子・福治、小春団治、千枝里・染丸、三好・米子、福団治、小金・小三、枝鶴、照子・菊丸、一子・正八、円若、染八等幹部出演。

△玉造三光館 少女レヴユー団、出羽助・竹幸、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形一行、エンタツ・アチヤコ、十郎・雁玉、紋十郎・五郎、円若、扇遊、玉枝・成三郎、一春・団之助、竜光他万歳諸芸連にて昼夜二回。

△福島花月 九里丸、少女レヴユー団、蔵之助、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形一行、円若他選抜万
 歳諸芸。

△淡路町国光 枝鶴、円若、小円馬、三木助・喬之助、染丸、九里丸、小春団治等花月幹部連に万歳陣。

十一日より

△南地花月 小雀、扇遊、枝鶴、正光、蔵之助、エンタツ・アチヤコ、千橘、文治郎、勇・清・クレバ、延若、五郎・雪江、小春団治、九里丸、柳橋、三亀松、春団治。

二十一日より

△南地花月 小雀、小円馬、勇・清・クレバ、文治郎、十郎・雁玉、円馬、九里丸、紋十郎・五郎、三亀松、小春団治、エンタツ・アチヤコ、林家正蔵、春団治、石田一松、枝鶴、正光。  

△北新地花月倶楽部 春団治、正蔵、文治郎、円馬、小春団治ら花月落語連。  

△天満花月 馬生、少女レヴユー団、枝鶴、福団治、小春団治等。  

△福島花月 九里丸、文治郎、少女レヴユー団、福団治、小円馬等。  

△天満橋葵 亀鶴、小円馬、源朝、竜光、おもちや、円若他万歳昼夜。  

△淡路町国光 九里丸、蔵之助、枝鶴、竜光、福団治、小円馬、馬生他選抜万歳連。  

△玉造三光館 少女レヴユー団、春団治、正光、小春団治、十郎・雁玉、クレバ一行他万歳にて昼夜。

三十一日より

△南地花月 小雀、源朝、扇遊、三木助、春子・正春、千橘、五郎・雪江、柳好、春団治、三亀松、枝鶴、エンタツ・アチヤコ、伯龍、九里丸、円馬、一郎。【寄席ビラ参照】

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 春団治、正光、延若、文次郎、日の出家連、五郎・雪江、円枝、柳橋、花奴・時之助、馬
 生、清・クレバ、三八、源朝、三馬。

十一日より

△新京極富貴 蔵之助、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、十郎・雁玉、喜花会女連、円馬、幸児・良知、柳橋、喜代丸・勝利、紋十郎・五郎、福団治、竜吉、円若、三八。

二十一日より

△新京極富貴 林家正蔵、柳家三亀松、千橘、延若、吉花会女連(舞踊競争)、三木助、喬之助、扇遊、春子・政春、円枝、静代・文男、とり三・今男、染丸、三馬、三八、右之助。「舞踊オリムピツク(三人舞踊)」の審判は千橘、延若が一日替りにて勤むる。  

△新京極花月 千枝里・染丸、静代・文男、鶴江・房春、一郎、ボテ丸・つばめ、九貴レヴユー団、一春・団之助、扇遊、春子・正春、重隆・武司、三八、三馬、竹幸・出羽助他万歳諸芸連。  

△新京極笑福亭 選抜万歳連。  

△新京極中座 吉花会女連、喜劇吉笑座、九貴レヴユー団の合同共演。

△千本長久亭 とり三・今男、千橘、一春・団之助、円枝、夢路・夢若、喬之助、三木助、染丸、小金・小三、延若、時子・団治、三八、八重吉・小福、扇遊、竹馬等。

三十一日より

△新京極富貴 春団治、小春団治、神田伯龍、千家松連、文次郎、キング・エロ子、九里丸。

昭和8320日 京城日報

◇[広告]朝日座/三月十五日より大日本表着大衆芸團/猫遊軒猫八一行 珍芸名人大会/プログラム 馬の手踊 ラヂオ放送実演室 世相百面相 春雨爆弾三勇士 忠臣蔵三段目 満州■■浄瑠璃 問答 モダンレヴュー 石地蔵を動かす法 求むる足 滑稽改善 東西男女合併大相撲 萬歳 珍芸沢山/出演者 若松家いそ江 松廼家文子 猫遊軒猫六 喜春家花坊 浮世亭花香 浮世亭夢之助 猫遊軒君香 平和チェリー 鶴賀梅之助 鶴賀文弥 高砂家久江 圓笑 松鶴家日の一 吾妻家梅之輔 若松家正奴 若松家正右衛門/入場料時節柄大勉強 毎夕正六時開演 番組多数に付き開演時間正確

昭和8331日より南地花月出演順

8年 002

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成二十年)より転載。


昭和
84

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 小雀、幸児・良知、枝鶴、十郎・雁玉、蔵之介、三亀松、文治郎、伯龍、九里丸、小春団治、五郎・雪江、柳好、エンタツ・アチヤコ、扇遊、春団治。

二十一日より

△南地花月 小雀、小円馬、正光、文治郎、愛子・奴、福団治、五郎・雪江、小春団治、勇・清・クレバ、春団治、エンタツ・アチヤコ、喬之助・三木助、三亀松、九里丸、枝鶴。

三十日より

△南地花月 小雀、源朝、七五三・都枝、重隆・武司、千枝里・染丸、三亀松、小春団治、エロ子・キング、大辻司郎、九里丸、伯龍、金語楼、エンタツ・アチヤコ。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 枝鶴、五郎、ラツパ・日左丸、三木助、千家松博王・水茶屋博次・博多屋人形、福団治、エロ子・キング、柳好、喜代丸・勝利、染丸、円若、三八、三馬、右之助等。  

△新京極花月 吉本粒選りの幹部、万歳に諸芸昼夜二回。  

△新京極笑福亭 選抜民謡花形連に万歳諸芸にて昼夜開演。  

△千本中立売長久亭 花月幹部連の新番組にて開演。

二十一日より

△新京極富貴 蔵之助、延若、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形、十郎・雁玉、円馬、五郎・紋十郎、エロ子・キング、三馬、扇遊、円枝、重隆・武司、竹幸・出羽助、一郎・三八、等花月幹部連出演。  

△新京極花月 花月連、万歳幹部連、選抜諸芸にて昼夜二回。  

△新京極笑福亭 民謡花形連に万歳諸芸にて昼夜開演。  

△千本中立売長久亭 花月幹部連に万歳幹部にて開演。

昭和8410日 大阪時事新報

 滅び行く落語  花月亭九里丸

かつて、民衆の寵児であつた「落語」が今日のキうに衰滅の兆を示している時代はない。私たちはこの時代に置き去られたものへ対する哀愁をふくめて漫然とこれを見過してしまつていゝだらうか。大阪落語界の変り種花月亭九里丸がよせたる激越の一文は滅び行く落語に対するよき熱情として採録した次第である

我が国の芸術界で何が一番進歩しないであらう? 否、何が最も退歩したであらう? と云へば躊躇するまでもなく──遺憾ながら──落語と答ふるの他あるまい。郷土芸術としての文楽座が国家の保護を受け、且つは郷土の有識階級から特別の庇護をして貰ふ折、上方人情風俗世態を尤もよく描写してあるほど文楽に対抗して優りこそすれ劣らぬものゝ落語が沈滞と衰頽の極に達し、既に断崖に臨んで危機真に迫つたのは落語は寧ろ落語である。

寄席通に非ずとも、二三辺この木戸をくゞつて見た者は、落語家の饒舌ることは其の初めを聞いて其の終りを知るに難くない程、殆ど紋切型の極り文句で、落語家自身が自白する如く「何時も変り合ひまして変り栄えも仕りませぬ」のは世にも不思議な程にその材料からして、第一貧しいのである。

二十年も‥‥三十年も昔とそつくり同じ話をして、それで客を呼び得るものと思つて居る落語家の根性からして、洗ひ替へねば、どうして落語界の進歩‥‥そんな大した望みはもう持たぬ、せめても現状維持‥‥を企画する事が出来やうぞ? 如何に無学無知の僕のグループでも、余りにも情けないではないか。

僕等が主唱者となつて昨秋産声を上げた花月落語研究会だつて、ホンノ一瞬時の夢と化して解消したのは、将に出演者側に大なる罪あつて、吉本興行部の首脳者の折角の厚意を逆に怒らせて終つたのである。

  落語家の殆んどが、余りにも時勢を見るの明のないのには呆れるが、明治三十一年(三十六年以前)に先々代燕枝が恁んな事を云つて居る。

  =つい過日でした。私が聴いて居ますとね、こう落語があるのです、何だ篦棒め愚図々々吐かしやがると、此けつ尻のなかへ叩き込んで終うぞ──と云ふ筋なんですが、──愚図々々吐かしやがるとこの‥‥尻けつと云つちヤア、行儀が悪くて臨監の警察官から叱られるものですから窮しましてね。尻を叩いてこンなかへたゝき込んで終うぞとやりましたよ。尻を叩くのは窮した仕方のやうなものゝ、尻が云へないからやつた、それが却つて滑稽を生じて、新らしくなてどつとお客に受けやうになりましたのは、面白うございました。

それからですね、もう一つは御承知でせうが、運慶の落語ですな、あの落語に運慶ばゝちいと云ふところがある、そこへ行つてうんけいばゝツ‥‥と云つたが、ばゝツちいとは云へないので、ばゝツといつてあはてゝ口を両手で押へて、ああ汚ないと云つて鼻をつまみましたね、実にこれ等はいゝことで、成るべく猥褻や下がからないやうにと、皆が慎みました。先ずこう云ふ風になりまして、実に嬉しい次第で、これからますますよくならうと思ひます、─―

僕等の研究会で第二回に××が「苫ケ島」に殿様の馬がブウ〳〵と屁を放つところ、これは無くともがなの箇所で、三代目文団治師匠は演らなかつた。すると第三回の時に御招待申た高安六郎博士が御病気で御越になれなかつたので、その折お手紙でそれとはなしに前回の××の「苫ケ島」の馬の屁に就て御注意あつた。それを第三回の開演前に楽屋で出演者一同へ云ひ渡したにも拘らず×××は当日「野崎詣り」で本筋にない随分露骨な猥褻を演つたものだ。これぢや研究会の価値なしだ。果してフアンの二三方面から×××は研究会に出演する資格なしとまでの投書があつた。

落語研究会を開演すると、自然演題が豊富になければならぬ。それが又主唱者側の目的だ。それに際して、ある不心得極まる落語家は「船頭医者」「丹波ほうずき」「故郷の錦」と云ふ材料を先輩から教はつたものだ。此の落語は三つとも、若しか警察官が臨監席に居つたら全然演れない露骨噺で、流石の春団治師でさへためらふネタだ。親子兄弟同席して聞くに堪へない落語を、これからの大衆にいつどこでなりとも迎へられる芸術として稽古して演る方も演る方なら、教へる人間もをしへる人間だ。どうです皆さん、これでは落語研究会が永続なしうる見こみがどこにあるでせうか。

又一方聴者の側から見てもだ、その以前は随分舌を爛し筆を禿にしてまで、落語改良の方法手段を講じた斯道の先輩も尠からずであつたが、現今ではぱつたりその跡を断つて了つたのは、僕等グループに愛想を尽したのか、到底度し難しりとして擲つて了ふのは、余にも不親切ではないであらうか。落語家の中には、新作落語を口演して、充分お客を満足せしむるに足る技倆を有つているものも、決して少くはないと思ふのであるが、唯材料を供給する篤志家の少いのを憾むので、新刊雑誌に随分多く載せられてある新作落語のその殆は「読む落語」であつて「聴く落語」ではないと思ふ。現に食満南北氏の如き名作家でさへ何時ぞやの「上方」におもと茶屋を書かれたが、依然「読む落語」であつて「聴く落語」ぢやない。

 其処へ行つては、東京の金語楼、金馬、正蔵君等や大阪の小春団治君は、能く演じも為(し)、能く作りも為たのであるが、憾らくは「楽語」であつて「落語」ではない。然し僕は、今後の時勢からして須らく「落語」の二字を削つて新に「楽語」の新熟語を作つて見たいと思ふ。それの方が一般に受けられ易いからして。

話は元へ戻るが、他の落語家にはこの両刀使ひの技能に乏しく、千編一律! 演ずる話も‥‥、述べ立てる件も‥‥同じことを反復すのが、旋て斯界不振の最大原因となつたのは、疑ふべくもない。こゝで断つて置くのは、僕の云ふ新作落語とは、野球、カフエー又はダンスホール等の現代物を取り入れた落語とは限らない。徳川時代の市井巷談で新作なれば面白いと云ふ方で、特に現代的の解釈した髷物なれば尚更結構。

落語家が、しかも相当地位ある人だが切席に出演して小話を二つ位演つて高々七八分間でチヨコ〳〵お時間にすることは以ての他のことである。成程切席になつて客の浮足に、吾関せずと落付て大物を演るのは演り難いだらう。演り難いのが当然だ、そこだ、そこに大真打としての大きな看板を出した本当の値打が出て来るぢやないだらうか。浮足の客を喰ひ止める、そこが力だ。値打がある値だ。よしこの値の字のイが浮いても演つてこそ真打だ。出番の中ごろでいゝ時間に、聴すのは普通だ。客は切席の大真打には耳をたてゝ迎へるのがフアンだ。折角残して呉れたフアンに十分もないネタでお開きとは、これがそも〳〵客を浮かすの発端で、要するに自ら墓穴を掘つて居ると云ふより外はない。成程現在の寄席のお客は昔と違つて落語専門ぢやないから、梶の取りやうの至難は云ふ迄もないことは断つておく。

落語研究会にだけ一生懸命になつて演り、平素は余りにもお雑俳過ぎるから、お客の方でも、平素の夜間興行に行つて詰らぬ落語を聴かされるより、月一回の研究会へ行つて聴く方が、ヅーツと面白いと云ふ声が客の口から営業者の耳に入ると、決していゝ心持のしないのは当然の理屈である。

文芸倶楽部第四巻第七号(明治三十一年七月一日発行)にこんな記事がある

たゞ客受けのよき女郎買の話か、然らずんば極端なる醜猥談か大小便屁等で無理に客を笑はしむるのみ(九里丸曰く、そんな事を云はれたら落語を演れぬと云ふ不心得者あらば遠慮なしに落語家を廃業せよ、誰一人として、マア〳〵待つてと止め立てする親切な人も出ぬだらうぜ)されば一たび警視庁の注意ありてより従来の落語を其の侭やる能はざるが為め、往々奇態なる落に終るものあり、亦従来の興味を殺ぐものあり。

 例へば、ある下男に豆腐買をなさしめしに、下男豆腐屋の路の遠きをいとひて、ふれあるく豆腐屋の来るを待ち居るに、話の興を添へんが為めに、従来の共同便所に入りて待つ事とし、おい貴様はどこで待つていたと問へば、共同便所なりと云ふ。然らば其の笊をどうしたと問へば便所の板の上へ置きたりと云ひしなり。然るを此の度よりそれを廃めて、近所を一とまはりして来れりといふなり。されど斯くては落語の興味極めて少なし。然るを‥‥何んだ、半丁の豆腐を買ふのに一丁歩く奴があるものか、とか何とか云へば、何もこれが新らしいと云ふ訳ではないが、ちつとは興も添るなり。然るをこゝらの機転は未だ利かぬなり。されば、落語の改良をなすには、先ず今日の落語家に学問をせしむるが肝要なり云々。

以上の記事が、三十六年後の今日読んで、僕等この業界に飯を食ふ者は実際慚愧に堪へ無いが、今日の落語家に学問をせしむると云ふのは、決して頭の禿げた者に、学校へ通への講義録を取つて勉強をせよと云ふのぢやない。今日の進んだ世相に触れることだ。(終)

上方落語史料集成 昭和8年(1933)5月~8月

昭和85

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 小雀、正光、福団治、千橘、三亀松、蔵之助、エンタツ・アチャコ、円馬、小春団治、円枝、九里丸、延若、枝鶴、三木助。(本日より五日間「研究会」を開催)

二十一日より

△南地花月 小雀、正光、円若、馬生、重隆・武司、文治郎、千家松連、エロ子・キング、延若、五郎・雪江、枝鶴、エンタツ・アチャコ、小文治、九里丸、円馬。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 桂春団治、紋十郎・五郎、染丸、千枝里、文次郎、染丸、しの武・次郎、小円馬、円若、源
 朝、喜代丸・勝利、三八。

△新京極花月 吉本選抜の万歳諸芸で昼夜二回  

△新京極笑福亭 民謡、花月連万歳、諸芸で昼夜二回  

△千本長久亭 花月幹部連と万歳連

二十一日より

△新京極富貴 東西人気者の笑ひの夕 桂小文治、三亀松、蔵之助、陽子・陽之助、千橘、日出子・一蝶、扇遊、ラツパ・日左丸、福団治、三八、花蝶・川柳、三馬。

△新京極花月 吉本選抜幹部万歳連に花月連、諸芸にて昼夜開演。  

△新京極笑福亭 民謡、万歳、曲技、ジヤズ団、諸芸にて昼夜開演。  

△千本長久亭 藤男・光月、扇遊、三亀松、福団治、花蝶・川柳、蔵之助、三八、鶴江・房春、三馬、千橘、
 八重吉・小福其他競演。

三十一日より

△新京極富貴 春風亭柳橋、小文治、石田一松、九里丸、文治郎、十郎雁玉延若、正光、三木助、喬
 之助
雪江五郎源朝

△新京極花月 吉本専属名流万競演大会、昼夜開演。  

△新京極笑福亭 民謡、万歳連、ジヤズ、諸芸昼夜開演。  

△千本中立売長久亭 花月幹部連、万歳連等夏の第一陣。

昭和851日~9日 
  
落語家芝居角座

8年 013【第一】国定忠治 山形屋より小松原まで

国定忠治    沢田三亀松    山形屋藤造   嵐蔵之助

百姓嘉右衛門  大谷延若     乾分三太    片岡九里丸

同馬吉     市川伯龍     同伝吉     中村福団治

藤造女房お蓮  守田小円馬    嘉右衛門娘お芳 中村小春団治

駕屋      嵐文治郎     駕屋      阪東円枝

【第二】絵本太功記 尼ケ崎の場

武智光秀    尾上円馬     武智十次郎   市川伯龍

佐藤正清    守田小円馬    四天王     市川三木助

四天王     片岡九里丸    四天王     中村福団治

四天王     中村扇遊     真柴久吉    片岡染丸

母さつき    浅尾円若     妻みさを    大谷延若

娘初菊 中村枝鶴 

【第三】伊賀越道中双六 小揚より千本松まで

呉服屋重兵衛  市村千橘     荷持安兵衛   阪東円枝

池添孫八    嵐文治郎     茶店娘おはる  実川五郎

駕舁      中村枝鶴     駕舁      中村扇遊

平作娘お米   大谷延若     雲助平作    市川春団治

【第四】源平魁躑躅 扇屋店先より五条橋まで

熊谷直実    実川五郎     小萩、実は敦盛 中村小春団治

扇屋上総    嵐蔵之助     姉輪平次    市川三木助

忠太      片岡九里丸    堤軍次     中村扇遊

藤内      嵐文治郎     兵内      阪東円枝

太助      中村枝鶴     三郎      尾上円馬

馬丁      沢田三亀助    女房きく    浅尾円若

娘桂子     守田小円馬    扇折お数珠   大谷延若

同お豆     市村千橘     同お市     市川春団治

同お玉     片岡染丸     同お竹     中村福団治

【口上】……尚幕間は特に吉本専属の万歳始め諸芸名人の名番組にて御機嫌伺ひ度く新制度を採用仕候。

【観劇料】一等一名金一円三十銭(小物料二十銭)、二等同金七十銭、椅子席同金四十銭。

〈編者註〉『近代歌舞伎年表・大阪篇』第八巻(八木書店・平成五年刊)より。広告は430日付「大阪毎日新聞」に掲載されたもの。

昭和853日 大阪時事新報

◇寄席案内 花月 一日からの南地花月と北の新地花月倶楽部両席の特別陣「笑ひのリーグ戦」に出演する漫談の元締大辻司郎は、非常時日本の世相を其独自の眼に映じてこれを奔放自在の舌端に操り、皮肉と諧謔の交錯に爆笑を禁じ得ぬ大辻一流の漫談「非常時ニツポン」その他独特の舌戦を以て見ゆるが、これに笑ひを競ふ柳家金語楼は落語界に新人として人気を背負ひ起つ一人の者。大阪出演は久々とて、新作落語の他に「娘道成寺」を踊るが、これは金語楼の珍舞踊として定評のある舞台で、白拍子に扮して車輪の熱演、最も期待をかけられている珍品?である。

昭和854日 大阪毎日新聞

<落語家芝居評判①>

◇劇場噂聞書 角座の落語家芝居 角座のシカ・しばい──落語家達の歌舞伎劇では、道頓堀としても珍らしい「扇谷熊谷」などを出して、高座以上の熱演に春団治はじめ一座のメイ優の鼻息は初日以来各方面を相当悩ませているらしいが、舞台は一かどの役者衆もおよばぬ真面目さで、枝鶴の初菊など「こないに真剣にやつてるのに、どこが可笑しい?」テナ顔付きで爆笑する観客席をにらめて不平さうだ。

昭和855日 大阪朝日新聞

<落語家芝居評判②>

◇染丸の地震加藤 角座の落語家芝居は「国定忠治」「太功記」「沼津」「扇谷熊谷」四狂言の昼夜二回興行で、出演者は朝寝が出来ぬとぼやいているが、その実芝居をするのが嬉しくて毎朝早く眼が覚めるらしい。遠く天満焼けの年に弁天座で「太十」が出たときは重次郎、それに関東震災のとし芦辺劇場のときは久吉、こんどは加藤だと染丸が自身の役を憶ひ出していると、そばから円馬が「縁起でもない、加藤なら地震かも知れんぜ」

昭和857日 大阪時事新報

<落語家芝居評判③>

◇角座のはなしか芝居は去年の夏以来でこれで二度目だ。新旧を問はず演劇の危機が叫ばれ、大衆の興味は万歳、エノケンといふやうなゲテモノに趨りつゝある時節柄とはいへ、これもそのゲテモノの一つ、大入り超満員は目出度い限りである。

◇だしものは一・国定忠次(山形屋より小松原まで)、二・絵本太功記(尼ケ崎の場)、三・伊賀越道中双六(沼津の場)、四・源平魁躑躅(扇屋店先より五条橋まで)といふ大物揃ひ、東西合同大歌舞伎でも見られぬ番組だ。

△「国定忠次」は三亀松のだしもので、三亀松の忠治、蔵之助の山形屋藤造、延若の百姓嘉右衛門、小春団治の娘お芳だが、山形屋の場で三亀松の忠治は調子が低くて間がもちきれないや□□□蔵之助の藤造もたよりな□□延若の嘉右衛門は無難、九里丸、伯龍、福団治の乾児、文治郎、円枝の駕屋などの高座そつくりの愛嬌で舞台が救はれている。

△「太功記」は枝鶴の初菊で、しか芝居の面目を余すところなく発揮していて愉快此上もない。円馬の光秀はもつさりして困つたもの、伯龍の十次郎の型はなつてない。染丸の久吉もたよりないが、どこかに味をみせている。延若のみさをは姿といひせりふといひ申分なく、円若のさつきもがつちりしている。こゝでも三木助、九里丸、福団治、扇遊の四天王のユーモア、舞台を助けている。

△「沼津」は定評ある春団治のだしもの。春団治の平作、千橘の重兵衛、延若のお米で、もうすつかり手に入つている。平作は素晴らしくうまくなつてをり、延若のお米の美しさ、型のよさ、断然光つている。千橘も去年よりは遥かに腕を上げ、総じて舞台はすつかり本格に納まつている。かう本格になつては、しか芝居の本質をかなり失ひかけているが、兎も角、彼らの精進も窺はれて愉快だ。御当人連もさぞいゝ気持であらう。

△源平魁躑躅は見残したが、普通の芝居と違つて幕合をエンタツ、アチヤコの万歳でつなぐところ、しか芝居の強味、何にせよ肩のこらないこと夥しい。


昭和
86

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 浪花亭綾太郎(浪曲)、柳橋、小文治、石田一松、春団治、小春団治、九里丸、エロ子・キング。

△北の新地花月倶楽部 小文治、円馬、九里丸、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、五郎・雪江、延若、エロ子・キング、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形、文治郎、染丸、重隆・武司、三木助、馬生、円若、朝江・水月、春子・正春、正光、円枝、染蔵。  

△天満花月 円枝、延若、枝鶴、円若、文治郎、喬之助、三木助等花幹部連に選抜万歳連。

△福島花月 文治郎、円枝、三木助、馬生ら花月連に十郎・雁玉、末子・三好、歳男・今若、とり三・今男、すみれ・梅三他選抜万歳連、ベビー・レヴユー団等。

△天神橋五丁目葵 花月連、幹部万歳諸芸。

十日より

△南地花月 小雀、馬生、小円馬、勇・清・クレバ、十郎・雁玉、小春団治、栄二郎・六三郎、石田一松、柳橋、エロ子・キング、ろ山、五郎・雪江、春団治、九里丸、喬之助・三木助。

△北新地花月倶楽部 南地花月と同様に寺島王章一行加わる。  

△新世界芦辺劇場 落語芝居「身から出た錆」「ジヤズ」「菅原伝授手習鑑」「天国に結べぬ恋」「恵方
 乗合船」。  

△天満花月 千橘、文治郎、染丸、九里丸、小春団治。  

△玉造三光館 吉花会女連万歳、スヰステルレヴユー団、円若、亀鶴等。  

△福島花月 花月幹部選抜万歳諸芸。  

△天神橋五丁目葵 花月連に中堅万歳諸芸競演。

二十一日より

△南地花月 せんば、小雀、おもちゃ、千橘、正光、喬之助・三木助、栄二郎・六三郎、紋十郎・五郎、エロ子・キング、小春団治、九里丸、枝鶴、エンタツ・アチヤコ、正蔵、石田一松、円馬。

△天満花月 九里丸、小春団治、エンタツ、アチヤコ、出羽助、竹子、枝鶴、福団治、花蝶、川柳。

三十日より

△南地花月 小雀、正光、延若、千家松連、福団治、次郎・志乃武、蔵之助、石田一松、枝鶴、愛子・奴、
 正蔵、五郎・雪江、春団治、九里丸。

△北新地花月倶楽部 正蔵、石田一松、春団治、クレバ栄治・勇、円馬、喬之助・三木助他花月幹部連。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 春風亭柳橋、千家松博王・水茶屋博次・博多家人形、静代・文男、雅子・染団治、千里枝・染丸、福団治、円馬、正光、円村、円若、三馬、三八。

△新京極花月 吉本選抜幹部の万歳競演大会昼夜二回。  

△新京極笑福亭 民謡、ジヤズ舞踊、万歳諸芸昼夜二回。  

△千本長久亭 花月幹部に万歳連夏の特別爆笑陣。

二十一日より

△新京極富貴 林家正蔵、三木助、延若、一郎、蔵之助、愛子・奴、小円馬、次郎・志乃武、扇遊、玉枝・
 成三郎、染丸、三馬、三八。

△新京極花月 選抜万歳連と諸芸花月中堅連で昼夜二回。  

△新京極笑福亭 民謡麗人部に舞踊万歳諸芸昼夜二回。  

△千本長久亭 花月幹部と万歳連諸芸競演。


昭和
87

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、おもちゃ、次郎・志乃武、円馬、石田一松、小春団治、五郎・雪江、春団治、千家松連、柳好、九里丸、エンタツ・アチャコ、三木助。入場料五十銭。

△北新地花月倶楽部 南地花月と同じ。入場料三十銭。  

△天満花月 花月幹部にエンタツ・アチヤコ、ラツパ・日左丸等万歳諸芸。入場料十銭。

二十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、正光、十郎・雁玉、文治郎、一光、小春団治、エンタツ・アチャコ、紋十郎・五郎、ミスエロ子・永田キング、枝鶴、石田一 松、蔵之助、九里丸、春団治。入場料五十銭。

△北新地花月倶楽部 キリン・朝日、円馬、福団治、九里丸等花月連出演。入場料三十銭。 

△天満花月 花月連交代選抜万歳諸芸。入場料十銭。

三十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、幸児・良知、次郎・志乃武、千家松連、紋十郎・五郎、栄二郎・六三郎、延若、エンタツ・アチャコ、小春団治、五郎・雪江、枝鶴、九里丸、春団治。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 哄笑界非常時の夕 春団治、正蔵、文治郎、九里丸、小春団治、エンタツ・アチヤコ、栄二
 郎・六三郎、陽子・陽之助等。

△新京極花月 名流万歳競演会、花月連及諸芸にて昼夜開演。

△新京極笑福亭 民謡万歳諸芸にて昼夜開演。

千本中立売長久亭 花月幹部連万歳諸芸

十一日より

△新京極富貴 三八、紋十郎、五郎幸児良知柳好静代文男福団治、正光十郎雁玉枝鶴、石田一松。余興「怪談」。

△新京極花月 鎖夏万歳大会、花月連及諸芸参加昼夜二回開演。

△新京極笑福亭 民謡花月連踊万歳諸芸昼夜開演。

二十一日より

△新京極富貴 千枝里・染丸、三木助、喬之助、千家松博王一行、延若、雅子・染団治、一郎、円枝、日左丸・ラツパ、三馬、重隆・武司、とり三・今男、三八他花月連の納涼爆笑陣。

△新京極花月 花月選抜万歳諸芸にて昼夜二回開演。

△新京極笑福亭 民謡、万歳、ジャズ踊、諸芸にて昼夜開演。

昭和877日 大阪毎日新聞

◇立花家花橘氏 大阪市西成区粉浜東之町四丁目四五へ転居。

昭和8712日 大阪毎日新聞

○CKを怒らした女大名 CKはお膝元に立花家橘之助、橘ノ円といふ名人老夫婦を持つていながら一度も放送させたことがない。先日もAKから橘ノ円の人情噺が出た際、CKはこれを敬遠して別にローカルを放送した。AKの久保田文芸課長はひどくこれが癪に障つて「名古屋の住人橘ノ円の日本一の人情噺をCKが受けないなんて馬鹿なことがあるかつてんだ」と大憤慨、そこでCKの新人放送審査にやつて来た序に花井CK放送部長にチクリと抗議を申込んだものだが、ところが、これにはCKにもいひ分がある──といふのは、かつてCKから橘之助に出演を交渉した時のこと、何しろ芸界では女大名と異名を取り、貞山や典山でも一目置かせる橘之助婆さんのことだから「痩せても枯れてもまだ田舎放送局に身を売るほど困つちやあいませんよ」と江戸前の啖呵を切つたといふのだ。CKこの一言にすつかりど胆を抜かれて、以来敬遠主義をとつているわけ。一方一徹なこの老夫婦、CKは見向きもしないで、AKへ──そしてBKへ──。

昭和8723日 大阪毎日新聞

◇涼味を招く笑ひ 昨夜本社のサタデー・イヴ 第三回サタデー・イヴ〃落語の聞き方〃が二十二日夕七時半から本社三階講堂で催された。氷柱が立てられ煽風機が軽やかな心よい風を送り涼味百㌫の会場で小ざつぱりした浴衣かけの会衆が約四百、婦人も交り団扇の波をはためかせながら、本社学芸部副部長渡辺均氏から落語の軽妙さ、それの構成の話を聞き、次いで桂[笑福亭]枝鶴の昔の話「悋気の独楽」、桂小春団治の現代の話「禁酒」に聞惚れたが、肩の凝らない、いゝ趣味の催しであつた。


昭和
88

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、幸児・良知、次郎・志乃武、千家松連、栄二郎・六三郎、五郎・雪江、九里丸。余興「理想」(小円馬・小春団治・蔵之助・福団治・中村米子)、「真夜中の夫婦戦線」(エンタツ・アチャコ・中村米子・澤晴美)、「笑ふ忠臣蔵」(円枝、小円馬、枝鶴・福団治・小春団治・延若・三木助・九里丸・春団治・染丸・五郎・蔵之助・きよし・うさぎ)、「片袖」(春団治・小春団治・五郎・福団治・円枝・延若・小円馬・染丸・うさぎ)

十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、エロ子・キング、千家松連、エンタツ・アチヤコ、正光、栄三郎・六三郎、九里丸。余興「御題噺」(春団治・蔵之助・小春団治・五郎・円枝・小円馬・延若・福団治)、「寸劇集(蟹・免許皆伝・泥棒・しやくり)」、「電報違ひ」(春団治・文治郎・エンタツ・アチヤコ・福団治・小円馬・小春団治・円枝・蔵之助・うさぎ・小雀)、「怪談」(伯龍・五郎・延若)。 

二十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、おもちゃ、千家松連、五郎・雪江、エロ子・キング、春団治、エンタツ・アチャコ。余興「御題噺」(円枝、染丸、延若、五郎、小円馬、小春団治、福団治)、「寸劇集」(福団治、小円馬、エンタツ、五郎、延若、円枝、蔵之助、アチャコ、小春団治、米子、九里丸)、「金色夜叉」(九里丸、小春団治、米子、蔵之助、小円馬、円枝、染丸、福団治)、「怪談」(伯龍、五郎、延若)。【寄席ビラ参照】 

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 笑涼の夕 永田キング・ミスエロ子(スポーツ漫才)、市川福治・八重子、立美三好・末子、玉枝・成三郎、松旭斎一光、文治郎、馬生、扇遊等。

昭和888日 京城日報

◇[広告]京城演芸館/八月十日より盛暑特別納涼大興行/民衆娯楽の大殿堂 演芸デパート/萬歳 講談 女道楽 奇術 浪花節 舞踊 三人滑稽 落語/是非暑苦しい夏の一夜を、涼味たっぷりな演芸館へお笑いに。

大正8820日 京城日報

◇[広告]朝日座/八月十六日より毎夕六時半開演 納涼特別興行萬歳諸芸大会/プログラム 萬歳(小川みどり 武夫萬歳(千代廼家徳丸 時蝶)曲芸(チャップリン)萬歳(桂家花奴 日出男)奇術(松旭斎天友)兵隊萬歳(竹ノ家〆吉 東家時之助)琴と音曲(杉本蔵之助)萬歳(花ノ家家子 大仕都丸)サイクル曲乗(田中スピード)高級萬歳(加藤時子 桂家五郎)/入場料 特等四十銭 一等三十銭 二等廿銭 小人十銭)

昭和8821日より南地花月プログラム

8年 003

〈編者註〉『藝能懇話』十九号(平成二十年)より転載。

昭和8829日 大阪毎日新聞・夕刊)

○笑ひの世界にさつと異色の一旗 大阪落語の擁護を看板に花橘一派の糾合 

 劇団における松竹興行のごとく、落語界では吉本興行部が殆どすべてに独占の形であるが、今度この吉本興行部に専属していない立花家花橘を初め桂塩鯛、桂菊団治、鶴亀淀助、林家染三、桂門三郎らの大阪落語家が糾合し、亡びゆく大阪落語を擁護せんため新しく「大阪落語睦会」なる一団を組織して吉本興行の大トラストに対抗? 笑ひの世界に真面目な一旗をあげることになつた。

 因にその実行方法としては堀江遊廓内の古い老舗の寄席賑江亭を借り受けて、これを根城の寄席とし九月一日夜花々しくその第一歩を挙げることになつた。花橘とその一党の面々は、たとへ一人も客が来なくとも頑張るんだと悲愴な決心を固めてをる。[写真あり「花 橘さん」とある]

昭和8830日 大阪時事新報

<大阪落語睦会の結成>

◇反吉本の大阪落語睦会 定席は賑江亭 大阪の反吉本系の落語家連は、吉本全盛のため、才能をもち乍ら埋もれているものが多く、惹いては大阪落語の衰微を来することを慨していたが、今度立花家花橘が堀江演舞場二丁西に賑江亭といふ古い寄席を手に入れたので、桂塩鯛、菊団治、門三郎、林家染三、鶴亀、淀助らが集まつて大阪落語睦会を作り、九月一日より賑江亭を定席として奮闘することになつた。

〈編者註〉1123日付「大阪毎日新聞」に花橘は「過般遊んでいる連中を糾合して堀江の賑江亭に旗上げしたが、欠損つゞきに業を煮やして発頭人自ら手を引いてしまつた」とあり、三月も続かなかったようだ。

昭和8830日 大阪時事新報

○新秋に語る王者の境地 ⑤ 落語の道遠く 変り易い浮き世を嘆いて 真打ち 桂春団治  

毎度ばか〳〵しいところを緞帳のかはりと思召して暫らくの御辛棒を願ひます。昔からとかく世の中は酒と女と申しやして、酒は憂ひの玉箒、「さあ〳〵遠慮しないで一杯やつてくんえエ」「こいつあどうも‥‥オツとつとつと‥‥ウーイ堪らねエ」。落語の「紙屑屋」にいたしやしても、悠長の盃の献酬から追々と酒の酔ひが廻つて来るあたり、そりやもう堂に入つたものでげして、それをまた見物なさるお客さまにしても「あいつの呑みツ振りはうまいもんや‥‥」と感心したもんでげす。

 8年追加 001高座とお客の気持ちがぴつたり一つにとけて落語気分といふものが醸成されていやした。この頃そんなのん気な演しものを出してごろうじろ、お客は欠伸をしてさつさと帰つてしまひやす。酒の場をやるにしてもコップ酒、ワン・カツプ一杯キュツと引かけて酔つた真似をしなくつちや承知しない。恐しくスーピーデイな世の中になつたもんで、これぢや落語のほんとの味を出せる筈がありやせん。

話の筋にしても「人を殺して‥‥」そしてその結末が来年に延びやうとお客は満足して聴いて呉れやしたが、今ぢや人を殺したらその場で死刑か何んかに結びつけなくちや納まらない。凡そ気短な社会になつたもんでげす。

この春団治が落語の社会に飛び込んで三十六年、昔は太鼓叩きが三年、ヘタリといふやつが三年と、一年の見習ひに七年の修業をしてやつと前座の一つ二つに演して貰へたほど。その大阪にも入れられず旅を廻つて木樵もすれば追剥にも逢ひ、人殺しさへも見たりして、やつと高座で真打ちとまでなりやしたが、もう落語の社会もあきまへん。ぢやんぢやんどんどこの万歳やら、とてつもない漫談やら‥‥いやはやジヤズみたいなやかましいこつて、これぢや味のある落語もやれつこありやせん。落語家が悪いか客が悪いか、客が悪いか時勢の罪か、そんな詮議立をしたところで追つつきまへん。

 没落の道を辿つて行く落語だす。これに未練はたんとありやすが、わたいらの力ではどうにもなりますまい。円馬、染丸、三木助あたり今の古株真打ちどころがなくなればほんとの落語は亡んだも同然といふことになりやして、思ふこといはぬは腹膨るゝ業と存じて饒舌つた不平の数々‥‥えゝ後がつかへてをりますので、先づこのあたりで‥‥。(写真は住吉の本宅で植木いぢりの春団治師)


上方落語史料集成 昭和8年(1933)9月~10月

昭和89

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、福団治、勇・清・クレバ、紋十郎・五郎、キリン・朝日、千家松連、春団治、エンタツ・アチャコ、枝鶴、エロ子・キング、小春団治、五郎・雪江、円馬、九里丸。

△新世界花月倶楽部 小円馬、おもちや、福団次、内蔵之助、キング・エロ子、小春団治、一松・芳子、円
 馬、九里丸、枝鶴、近松連及落語家スケツチ。

十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、扇遊、重隆・武司、円馬、奴・愛子、枝鶴、正光、文男・静代、文治郎、五郎・雪江、十郎・雁玉、小春団治、九里丸、春団治。

△天満花月 枝鶴、小春団治、円枝、文治郎等花月連に万歳、珍芸。  

△福島花月 菊春・太郎、花子・末子等選抜万歳に枝鶴ら花月連他三人舞踊等。  

△玉造三光館 春団治他花月連に万歳舞踊昼夜二回。  

△天神橋五丁目葵 八重子・福治、竹幸・出羽助、千枝里・染丸他万歳幹部に花月連昼夜二回。

二十一日より

△南地花月 吉本専属「万才巨豪争覇の夕」 歳男・今若、八千代・千代八、次郎・志乃武、千家松連(博次・人形・博玉)、ラッパ・日左丸、久菊・奴、十郎・雁玉、菊春・太郎、静代・文男、キリン・朝日、エロ子・キング、芳子・市松、エンタツ・アチャコ。特別出演花月亭九里丸、柳家三亀松。

△北新地花月倶楽部 春団治、九里丸、小春団治、橘家太郎・菊春、文治郎、五郎・雪江、円枝、十郎・雁
 玉、福団治その他花月幹部連。  

△天満花月 枝鶴、小春団治、円枝、文治郎等に万歳珍芸。

京都の寄席案内

十一日より

△新京極富貴 柳家金語楼独演会。「金語楼の兵隊」は毎夜上演。

二十一日より

△新京極富貴 落語長演大会 桂春団治、林家正蔵、笑福亭枝鶴、桂小春団治、三遊亭円馬、桂文治郎、桂福団治、式亭三馬。余興柳家雪江・林田五郎、杵屋芳奴・庫吉、ワンダー正光、東洋一郎等。

三十日より

△新京極中座 吉花菱女連と喜劇民謡座。【下記参照】

昭和892 神戸新聞

千代之座 萬歳、色物、レヴユー、ナンセンス

多聞座 喜劇民謡座吉花菱女連合同競演木村光子、加藤楽童、立花家千橘出演 特別余興連はアチャコとエンタツその他

昭和8918日 京都日日新聞 

◇キンゴロウ愛国の夕べ 新京極富貴の柳家金語楼の独演会、十八日は満州事変二周年記念日を祝する意味で金語楼独演三種のほか、特に「キンゴロウ愛国の夕べ」として兵隊それに定評ある「金語楼の後備兵」を□□し、なほ事変当時吉本興行会社から満洲の戦地に特派演され、戦線笑ひの慰問使、花月亭九里丸も参加し横山エンタツ、花菱アチヤコはと共に漫談芸を演ずることに決定した。

昭和8928 京都日出新聞

◇富貴 秋の快笑陣「東西の落語をきく趣味の会」は珍しい顔合せ、番組の落語長演大会とて連夜満員を続けているが、東京の正蔵や春団治、枝鶴、小春団治、円馬、文治郎、福団治、三馬等の爆笑談に寄席気分が溢れている。

昭和8930 京都日出新聞 

◇新京極中座の十月興行は吉本興業の定期交代にて、九ケ月振りにて馴染み深い吉花菱女連と喜劇民謡座の帰演と決定した。内容益々充実し、特に喜劇界女優ナムバーワン木村光子と加藤楽堂、それに落語界の中堅にして舞台演技に定評ある立花家千橘が転向して加盟出演といふ堂々たる刷新陣容で、連名は吉花菱女連──芳松、小富、文子、弓子、静子、橘子、三喜子、若静、政子、松枝、秀次、小秀、光子、お竜。喜劇民謡座──木村光子、加藤楽堂、立花家千橘、松山峰子、町田金嶺、春風亭枝雀、笑福亭光鶴、森義雄、春風亭嘉一、橘の一円、林家染久、春風亭栄枝、桂花次、笑福亭亀蔵。なほ初日は九月三十日であると。


昭和
810

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、福団治、九里丸、円馬、芳奴・庫吉、神田ろ山、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、五郎・雪江、春風亭柳橋、三亀松、春団治。余興「三人舞踊」(五郎・延若・小円馬・蔵之助・喬之助・紋十郎)。

十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、石田一松、芳奴・庫吉、枝鶴、円馬、エンタツ・アチヤコ、春団治、ろ山、
 三亀松、九里丸、三木助、正光。

二十一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、おもちゃ、重隆・武司、五郎、蔵之助、石田一松、柳橋、文治郎、円馬、五郎・雪江、ろ山、九里丸・春団治。

△北新地花月倶楽部 吉本専属「万才巨豪争覇の夕」吉本専属万歳連(出演者名省略)。特別出演石田一松。   

△天満花月 文治郎、延若、福団次、染丸、小円馬、円若等。  

△玉造三光館 蔵之助、延若、五郎、小円馬、紋十郎、喬之助等花月連幹部。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 神田芦山、春風亭柳橋、桂三木助、花月亭九里丸、桂小春団治。

十一日より

△新京極富貴 落語漫談講談の夕 石田一松、吉花菱女連応援珍趣向の舞踊試合、蔵之助、福団治、十郎・雁玉、三馬、文男・静代、重隆・武司、五郎、次郎・志乃武、小円馬、染丸、三八。

△新京極花月 吉本選抜漫才諸芸の競笑大会。昼夜開演。

△新京極笑福亭 民謡におどり、ジヤズ万歳、諸芸の大衆陣。昼夜開演。

二十一日より

△新京極富貴 三亀松、柳橋、三木助、春団治、九里丸、ろ山、円枝、三馬、三八、七五三・都枝、柳枝・一駒。

昭和8101 京都日出新聞 

◇中座帰演の吉花菱民謡座 新京極中座の十月興行に九ケ月ぶりに帰演する吉花菱女連喜劇民謡座の木村光子、加藤楽童、新加入の立花家千橘その他の幹部ら二十余名は、一日の初日に先立つて三十日午後一時すぎ吉本興行柿本宣伝部長、小倉中座主任らに伴はれて本社に挨拶のために来訪した。(後略)

昭和8107日 大阪毎日新聞

 落伍する落語 
  〃万歳〃への恨み 吉本興行部へ辞表たゝきつけて 桂小春団治がめざす独立
 

 8年 008大阪落語界の新人として人気を集め、楽屋内では興行主林庄之助氏の寵児として、その将来を祝福されていた桂小春団治こと林龍男君(三〇)が、突如、吉本興行部へ辞表を叩きつけて、沈滞久しき落語界に波紋を描いた。

その理由は──近来漫才が大衆の人気を把握する傾向あり、吉本興行部の営業政策はさらにその勢ひに拍車をかけている結果、落語家はその地位を奪はれ、一廉の真打連も漫才の前座としてその頤使に甘んずるといふみじめな状態となり、現状のまゝでは自滅するのほかなく、その上同興行部の厳重な内規は彼等の私生活にさへおよび、所定出演時間外の口演は勿論、著述にさへも干渉を加へられるなど「自由」を奪はれている──といふのである。

かくして小春団治は去る三日の昼、内容証明郵便で辞表を送り、四日その到着の通知を受取つたものである。なほ右内容証明郵便の内容は「最近神経衰弱で舞台も思ふように勤まらず、このまゝではお客にも座主にも済まなから暫く静養し自由な立場に立つて研究にふけりたい。なほ自分の負債は即時返却しますから事務員に取りによこして下さい」といふ意味をしるしてあるが、自由な身になれば彼の新作落語「円タクの悲哀」「夜店行進曲」「禁酒運動」其他二十余席の創作をひつさげ、舞台に、放送に新天地を開拓する目算であるといふ。

〃意気軒昂〃 小春団治曰く

 吉本の主人の恩義は深く感じます。個人のことは暫くおいて落語界の将来を思ふとぢつとしていられません。私としても大きな吉本といふ背景を捨てゝかゝるのですから血みどろの戦ひを戦はねばならぬと覚悟しています。何とかして大衆芸術としての伝統の古い落語を再び生かして見たいと考へています。

〃彼のみならず〃 師匠春団治談

  彼のやめる話は聞きましたが、現在の連中でやめたいと思つている者は沢山あります。たゞ借金に縛られて身動きが出来ないだけです。彼などは借金はなし、係累は少ないし、年は若いし、その点は強いものです。収入の点からいつても芸をのばす上からいつても彼の思惑は尤もと思つています。

〃面白くない〃 吉本興行部の青山支配人談

吉本興行部では林庄之助氏は朝鮮へ旅行中、瀧野支配人は別府で病気静養中、青山支配人は下関へ旅行中であつたため、その辞表に対して、いまだ何等の態度の定まつていない模様である。なほ六日夕帰阪した青山支配人は語る。

 何しろ帰阪したばかりでその話は聞いていませんが、小春団治は落語家連でも特に優遇されているから、待遇上で何ら不足をいふ筋はありません。先月末に十月の出番順を作りましたが、それが出来んから突然病気といつて休まれたので差繰りに困りました。さういふことは面白くありません。なにも仰々しく内容証明など寄越さなくても、来て話せば判ることだらうにと思つています。

昭和8108日 大阪毎日新聞

 落語よ何処へ行く  
   千余の万ざい群に・上方落語僅か三十人 
   小春団治が投げた一石 笑ひの寵児はなんと見る? 

 大阪落語の新人桂小春団治こと林龍男君(三〇)が万ざいに圧迫される大阪落語の前途を憂へ、敢然吉本興行部の背景をかなぐり捨てて自由の立場から上方落語の伝統擁護に起つた──本紙既報──では、大阪落語は彼小春団治の慨くほど、それほど左様に衰滅に瀕しているか? 他愛のない舞台のお笑ひ「万ざい」がどうして落語を伝統の高座から追放するか? 暗転する上方大衆娯楽の断面を探るために、まず笑ひの寵児エンタツこと石田正見君と、大阪万ざい界の元老で落語から万ざいに転身した都家文男君を登場させよう‥‥。

以下はチヨビ髭を撫でながら東成区片江町の一角の芸人町で語るエンタツ君の大衆芸術哲学と、千日前の万ざい席南陽館での都家君の談論風発「万ざいと落語の芸術性について」を座談会式に、あるひはまじめなかけ合ひ式に記者が筆記したものである。

エンタツ 僕、小春団治、九里丸、枝鶴君などとは昔からの親友ですからね、どうもつらいです‥‥しかし落語がだん〳〵万ざいに地位を奪はれようとしているのは本当ですね。

都家 小春団治君は「現状のまゝでは大阪落語は自滅する」といやに悲観してるようですが、僕はさうは思つていない。落語と万ざいとは自らフアンの層が違ふんです。それを同じ舞台に組み合せて上せるからいけないんです。落語は落語専門の小屋でやり、女道楽とか軽業といつたような地味なものと交ぜてやると十分立つてゆくんです。

エンタツ いや〳〵落語はストーリーをやかましくいふのに反し、われわれの万ざいはたゞ無茶苦茶で笑はせようとする。そこが、つまり大衆の好みに合ふといふわけだすやろ。万ざいを聞くのに頭がいらん、たゞ口を開けてアハツハヽヽヽと笑つてたらいい。誰にでもよくわかる。世の中がむつかしうなつてくると、人間は誰でも簡単な逃避所がほしくなる。万ざいの時代性がつまりそこにあるというわけですね。

都家 そうだすナ、万ざいの舞台は阿呆と賢の二人が出て、思ふ存分馬鹿話をやる、芝居もやれば義太夫もやる、歌も歌ふといつたわけで舞台はヤンヤと沸き立せるに反し、落語は一人で不景気さうに見台を叩いて舞台の賑やかさがグンと見劣りする上に、話題は十年一日の如く汽車や電車がなくて東海道五十三次を歩いた時代の義理人情ですから、これでは時代にとり残されるのはあたりまへです。僕は十年前すでに落語の前途の芳しくないのを見通して万ざいに転向したんですが、当時はまだ落語の全盛時代で、友人たちから『何でそんな阿呆なことするのや』と侮辱されたもんです。ところが今ではどうです、吉本興行部専属の万ざい師だけでザツと三百人、全大阪の万ざい師を数へると千人以上に達するのに、落語家は僅か三十人といふ衰頽ぶりです。落語も時代と共に進んでいつまでも生存せねばならぬと思ふ。小春団治君などは大阪落語界きつての新人で、事実上大阪落語を背負うて立つ人だから、大阪のフアンは出来るだけかうした人を擁護支持して戴きたいものと思います。

 アチヤコ 小春団治君は芸人です。おなかの中からの芸人です。四歳の時から舞台に出てましたんや。僕らのような万ざいも御時世のおかげで「芸術家」といふ立派な名をいたゞいてありがたいことだすけど、帰するところは金だすよつて、吉本でも儲からぬ落語より儲かる万ざいを大事にするのは仕方がおまへんやろ。あゝつら、これや僕つらいで、さあこんな話、新聞に出たら小春君につらいし、君この位で、どうですやろ──。

昭和81010日 京城日報

<寄席浪花館が映画館になる>

◇[広告]浪花館/十月十日より堂々開演。新装なれる現代の浪花館。愉喚の美麗!優秀なる設備、華麗なるスタッフの三重奏・・・十月十日より五日間、開演披露の超特別興行、パラウンド発声ニュース・・・。

昭和81015日 大阪毎日新聞

 街の大衆演芸 =寄席のむかしと今= 行友李風

昔は娯楽物の種類や行楽が少かつた関係から「街の大衆演芸」が随分盛んだつた。老人向きには講釈、若い人達や婦人連には落語、娘義太夫、子供相手のものには錦影絵、手品の類、それから職人や労働者といつた人の間には主として浮かれ節(浪花節)やほら貝祭文などが喜ばれ、どこの町内にでもかうした寄席の一つや半分は必ずあつたもので、特に講釈の席などは落語と違つてはやしが要らないわけだから、至極簡単に普通のしもたやの座敷でも襖を取払つて臨時の講釈席とすることが出来て、こんなのが明治初年ころまでは方々に沢山あつたものだつた。

それに昔の寄席は今と違つて客と演技者の間に和やかな親しみが通つていた。この点は今日と大いに事情を異にする。現在の客といふものは何の気なしに飛び込んで来る人が多いんだから、その演技や演技者に対して何らの予備知識がない、また演者のほうもこの席とあの席と巡つて月給が幾らといつた打算が先に立つて誠に水臭いものだ。

ところが昔のお客といふものは予備知識がチヤンと出来ていたから、寄席へ這入つても決して単に落語の筋を聞くのでなく、演者の芸を聞いてその味や甘味を玩賞した。だから幾度も聞いた同じ話でも「今度は誰それが演るから聞きに行かう」といふ風だつたし、演者にしても(制度こそ今日と殆ど同じだが)大きく手を拡げてお客さまを抱きかゝへるといつた打解けた親しい気持で勤めたから本当に愉快だつた。

そこで桂文枝は南で受けるが北では受けないとか、笑福亭福松は松島で人気があり上町では駄目だといつた風に、その席の場所々々によつて芸人と客との馴染もついていたし、またたとへば今でもさうだらうが、自分の受持の高座が済んだ芸人は楽屋へ帰つてから「芸題帳」といふ帳面にその演じた芸題を書きつけておいて他の芸人によつて一晩のうちに同じものが重複することを防いだものだが、時によると、かぶせといつて自分の競争相手の芸人が演つたものを芸題帳で知ると、ことさらにそれと同じものを演つて競争するものもよくあつた。これなど手段としては芸人仲間の礼を失した面白くない遣口だが、客は非常にこの競演を歓迎した。今日の芸人なら到底やりさうもなし、また、それでは第一お客が承知すまい。

とに角、落語や講談といつたものは歌舞伎と同じように、相当の予備知識がないと一向に興味の湧かないものだ。だから現代の映画とスポーツで大きくなつた若い人達の間にかうした寄席の演芸が廃頽して行くのは当然のことだといへる。それに前にもいつた通り、今日は娯楽物の種類や行楽がかう殖えて来てはいよ〳〵影が薄められて行く道理。なほ一面から考へると、落語や講談は都会芸術である。大阪落語でいつてもその取扱はれた材料の範囲は僅かに京都、大阪、兵庫その他の周囲に止つたもの。それが今日のように土着の上方人が少なくなつて市民の多くが地方出の人で占められている現状では、昔の大阪の世相や人情や風俗をいかに巧に話したところで彼等の感興も呼ばないに違ひない。

話が講談に移るが、明治二十四五年頃まで東京では講釈の昼席の真打ちは三ケ月交代、夜席は一ケ月交代といふのが恒例だつたから、昼の真打は九十日以上もの長期間を同じ席で客を呼ばねばならなかつたから、よほど優れた芸を持つた大家でないと、とても持ち切れたものでない。この点など、それだけで昔の芸人には権威もあれば大きい強味もあつた一つの例証になる。

これに関聯してよく聞かされる一つ話は、伊豆燕尾といふ講釈師が九十日間の昼席を「曽我物語」の長講でズツと続けて来たのはいゝが、ラクの日になつてもまだ主人公の曽我兄弟が生れるところまで話が進んでなかつたとか、姫路城天守閣での宮本武蔵の「小坂部姫退治」を演ると、仲間になつた武蔵が五重の天守閣に上つて行くのに、この城の石崖は‥‥などと話が枝葉から枝葉に入つて、七日間話し続けてもまだ怨敵小坂部姫に巡り合はぬ武蔵が天守の中をウロウロしているので、いかな客もごうを煮やし「先生いゝ加減に武蔵を天守閣から下ろせヨ!」と半畳がはいつたといふ。

これなど演るほうも聞くほうも随分気の長いことだが、一つの話をそれほどまで引延し得た講釈師の実力にも驚く。大阪にもこれと拮抗して多くの講釈師が腕をきそひ、いはゆる神道講釈や手島の心学から系統を引いて東京とは違つた一種の芸風をつくつていた。

明治期に入つてから上方落語が一番花々しい全盛振りを見せたのは明治二、三十年代にわたる桂派と三友派がしのぎを削つて確執していたころだろう。この時分には随分多くの名人が輩出したものだつた。

桂派はすべてが保守的だつたに反し、三友派はどちらかといふと進歩的な態度を見せていた。桂派は落語以外のいはゆる色物をあまり高座へかけなかつた。僅かに西国坊明楽の琵琶講談や立花家橘之助の音曲くらいのもの。ところが三友派ではこれに対して三遊亭遊輔、三遊亭円若を初め支那人の手品、円子の笛と二挺など、いろんな変つた色彩を取入れ目先きを変へた。今日の寄席の興行方針はこの伝統である。

明治二十年か、それともモ少し前か、東京から先々代小さん(禽語楼小さん)が大阪へ下つて桂派の席に出演した。講談のほうではこれ以前にもたび〳〵東京から来演した者があつたが、落語では極稀なことだつた。だがこの小さんはバリ〳〵した調子の江戸弁でまくしたてたものだから、当時まだ東京弁に耳なれなかつた大阪人にはサッパリ何をしやべつているのか見当がつかないで、さん〴〵の不評判。で、小さんも遂に東京へ逃げて帰らねばならなかつた。だが彼は決して拱手して帰つたのではない。秀れた上方落語のネタをふんだんに仕入れて帰つたのだから偉い。そして、それをスッカリ江戸の世界と事件に焼き直して高座にかけ大いに評判をとつた。例の「らくだ」もその一つである。この小さんなど蓋し上方落語を東京へ輸入したまず最初の人だらう。

小さんに次いで名人円朝の弟子先代三遊亭円馬が同じく東京から下阪したが、この人の芸は人情噺式の落語で静かな話口だつたし、幾らか時勢も進んで来たし、小さんのわからなかつた大阪人にもこれなら理解出来、評判もよかつたので、それ以来大阪に永住してしまつたわけだ。この人などがまづ小さんとは反対に江戸落語の大阪への輸入者だつたといへよう。

昭和81015日 大阪毎日新聞

 落語の妙味  桂三木助 

 なんの苦もなく水に浮いている水鳥の足に暇のないが如く、落語家のはなしには人間生活のすべてがたゝみこまれています。平凡でまじめな生活の中に、間の抜けたばか〳〵しさがあります。

 たとへば結婚式といふ人間一代に一度だけの大事な儀式です。花ムコ、花ヨメ、いづれも固くなつています。そこで三三九度といふ場合、花嫁サンがうつかりしてサカズキを落したと想像してごらんなさい。花嫁さんのほうでは涙が出るが、ほかに見る人にとつては、をかしさが腹の底からこみ上げて参りませう。泣いていいのか? 笑つていゝのか? わからないような悲劇と喜劇が一つのところにあります。

この固くるしい人生のなかに仕込まれている笑ひの世界こそは、落語家がつくる話題の一つになつてをります。これまでに最も多く使はれたのは、花柳界の艶つぽい味のなかにひそむ枯れた味、貧苦のなかにも豊かな笑ひの種、その他いろ〳〵のしかつめらしい中の笑ひなどが主となつています。こんにちで申しますならば、人間の生活全部を網羅し、そのなかにはスポーツあり、闘争あり、親子の愛があり、なにもかも含んでいる物語をつくります。そして、しかつめらしいまゝに、噴飯するやうな隙を見つけて、人情ばなしになり、落語になります。

落語家の狙つているのは、人間がとぼ〳〵と生きてゆく道にあるユーモアを拾つて自分のものにするほかはありません。だれだつて隙があります。間の抜けていないような男が、どこかに間が抜けているから、ことにプッと噴き出すのです。

一体落語は真面目一方では何にもなりません、といつて、全体がばか〳〵しいものなら笑ふわけにはゆかないのです。ばか〳〵しいものの中に、とてもまじめな人生がひそんでいるのをキヤツチするから、つい心の底から笑ひ出すのです。

人情ばなしをしましても、涙の中にユーモアつてやつがあつて、泣き笑ひの人生を見せてくれます。この鋭い味は落語の妙味でせう。いつでも涙と笑ひが背中合せしているのが人生です。お葬(とむら)ひの涙にしめつている中に、子供が罪のないいたづらをすると、なんだか急におかしくなります。なんでもないのにおかしいのです。

チヤップリンはいつもまじめな顔をしている。そして笑つたことのない男です。それがをかしくてたまらんのは、まじめなどこかに大きな隙があるからです。落語はわざと作つたものではおかしくありません。ことばよりもかうした人生のユーモアを十分とり入れてあるから、苦労した人にとつては興味が深く、フアンがあるのです。

スケッチを主とし、人生の片片、途上の出来ごと断片を意味なく語る漫談や万歳とは少々変つています。

ふるい型の落語を聴く人の耳には、義太夫、長唄、清元、芝居、遊里の遊び、その他人情に通じていらつしやるから落語がしみ〴〵と愉快なんです。こんにちの、あわたゞしい生活をするお客に、たしなみを要求するのは無理です。従つて、文化、文政などいふ時代につくられた落語ぢやピンと来ないです。カフエだ、ダンスだ、トーキーだ、レヴユーだと、むつかしい言葉の入る時代にはもつと新しい、若い人が聞いても腹の底からをかしさがこみあげて来るといふものがなくてはうそです。

万歳となつたら、理屈もなく人生をスケッチする。そして二人でにぎやかにやつているからよろしい。間違つたらだれかが直してくれます。そこになると一人で二人または三人の会話をしやべる落語はつらいといふものです。だが渋味といふものを愛好する人には万歳より落語がピッタリ来ます。落語は決して悲観したものではありません。

昭和81015 京都日出新聞 

◇中座の競演番組 …上演種目中の歌舞伎ナンセンス「奥州安達原」は、立花家千橘が袖萩と安倍貞任の二役を中心に、枝雀の八幡太郎に光鶴の鎌杖直方、一円の浜名や鶴蔵の安倍宗任等活躍、特に珍演技で人気ある花次の娘お君は満場を爆笑させ好評…(後略)

昭和81022日 大阪時事新報

◇南地法善寺境内花月と北の新地花月倶楽部の催し「東西落語長演の夕」は柳橋、春団治、円馬、三木助、枝鶴、福団治等東京大阪の代表落語の競演で、演題は毎日替りとて人気を呼び連夜賑つているが、特別出演の神田ろ山は得意の清水次郎長伝の長講、三亀松の音曲に石田一松の流行歌、九里丸にエンタツ・アチヤコの漫談、庫吉・芳奴等選抜連に益々好評を博している。

昭和81024日 大阪朝日新聞

○ミミ子と九三 売れぬ「笑ひ」 悩みに悩んで更生へ ふみ出す新しい落語家

落葉といつしょに一通の手紙がアパートへ舞ひこんだ

ミミ子 林龍男つて松竹時代劇にいる人?

九三 違ふよ、落語家の小春団治だ、何何……小はる団治道行の段……一筆示し参らせ候、浪花の里の花鹿が紅葉咲くころ廓を抜け……何時ぞ何処ぞで蓋あけたら覗きに来ては下さんせぬか……とまるで遊女からのレターみたいに書いてあるよ。僕はこれから落語旗挙の段を聴きに行つてくるぜ。

住吉区住吉町の自宅で一人で喋べりながら新作落語を書いたりグウ〳〵眠つたりして暮している龍男君こと小春団治君、まるい顔を前へつき出して、

小春団治 京洛の寄席から道行してルンペンになつてから二十三日になります。もう寝ていられまへん。なんとかせにやならんと目下旗挙計画の真最中です。ファンの方もあいつは変つたことをやりよるだらうと期待していられることゝかねて推察していますから、十分考へてやらんと失敗したらそれこそ面目ないです。

九三 いま吉本興行部の方とはどうなつているんですか。

小春団治 みんなさういつて聞いてくれますよ。月給も貰つてないのにいつまでも専属に見なされるのもけつたいな話やと思ひますので、去る二十日私の誕生日に吉本さんへ手紙で、いつまでも専属にされたら迷惑ですと書いて送りました。私の考へますのに、この節いくら懸命になつてやつてもお客の方がなか〳〵笑うてはくれないんです。それが高座にいると手にとるやうに判りますね。私は悲しいかな二年も前からそれを感じていますよ。ひどいのになると素裸でふんどし一つのお客さんを見ました。落語家の顔をぐつとかう見ているのに話は少しも聞いていないんですな。いくら喋べつてもこたへず、こちらが疲れてのびてウンざりします。万歳になると二人ですさかいこの点はよろしい。私らみたいに一人で話をするものが万歳の中へ入れられたらみぢめなもんで、まへの方のことですが、私が出るなり客席から「あゝまた出よつた、なんか芸をやれ!」と野次られて赤面したことがあります。

九三 あなたの旗挙にはどんなものをやります。

小春団治 古い落語もやるつもりですが、脚光とか音楽なんか入れて若い人々に向く新作ものを大いにやるつもりですが、出演時間は三時間位で、二ケ月目に一回開いて二、三日でやめます。大阪ばかりでなく東京など地方へも出ます。まあ演舞場とか会館とかへ出演したいのです。これからは尖端をゆかんと駄目です。ぐつと面白い、あつといはすものをぜひやりたいと苦心しています。

九三 一人でやるんですか。

小春団治 気の合つた助演者が二人くらいあるとよろしいが、一寸ありませんな。あるひは出てくるかも知れません。頼りない話でどうもすみませんなあ……しかし喋べる商売ですさい、いつまでも寝てはいられまへんから、旗挙は十一月ごるにやりたいです。金さへ持つていたらタダでやりたいといつも思う ています。さうなると喋べつていても気持がいゝですよ。

九三 聴く方でも気持がよろし。

小春団治 愉快ぢやありませんか。

昭和81024日 大阪毎日新聞
<桂小春団治旗揚の準備

◇小春団治旗揚 北陽演舞場 吉本興行部へ絶縁状を叩きつけて独立を宣言した落語家桂小春団治君に対し、吉本側では「勝手気まゝ態度をとつて迷惑を掛けたから解雇しない」といひ内部関係は未だ全く清算されていない模様だが、当の小春団治はそれにはお構ひなしで着々旗揚げの準備を進め、二十二日フアンに対し「吉本さんを暇とつて、このまゝで寝ておられもせず、落語を見せたり聴かせたり、目と耳の楽しみを、何時ぞ何処ぞで蓋明けたら、のぞきに来ては下さんせぬか(原文のまゝ後略)」と挨拶状を発送したが、同君は染之助君ほか数氏の助演を得て十一月二十一日大阪北陽演舞場で公演すべく奔走中だと。

昭和81024日 京城日報

◇[広告]朝日座/十月二十二日より 漫歳の王京の福太郎/プログラム 萬歳(京の市太郎 小太郎)萬歳(京の福丸 時子)曲芸(萩村雲山)萬歳(花の家のぼる 雪子)萬歳(秋山文男 かよ子)新舞踊(花柳春代 一黨)萬歳(千本家若丸 静)漫劇(京福会)萬歳(隅田川千鳥 種二)小唄舞踊(松川家米子社中)漫歳(京のキャラメル 福太郎)笑喜劇(京福会)/入場料 特等七十銭 一等五十銭 二等三十銭 子供二十銭/毎夕正六時開演

上方落語史料集成 昭和8年(1933)11月~12月

昭和811

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、龍光、紋十郎・五郎、十郎・雁玉、延若、一駒・柳枝、円枝、芳奴・庫吉、篠田実(浪曲)、石田一松、小文治、三亀松、春団治、九里丸、三木助。

十一日より

△南地花月 新昇、小雀、おもちゃ、小円馬、静代・文男、三亀松、三木助、一光、春団治、エンタツ・アチヤコ、枝鶴、九里丸、金語楼、石田一松、金語楼(水兵)。

二十一日より

△南地花月 新昇、小雀、馬生、染丸、芳奴・庫吉、文治郎、十郎・雁玉、延若、五郎・雪江、一光、円馬、三亀松、エンタツ・アチヤコ、三木助、石田一松、春団治。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 桂小文治、円馬、文治郎、染丸、延若、福団治、正光、ラツパ・日左丸、円馬、千家松博王・水茶屋光博次・博多家人形、小文治、芳子・市松、小円馬、染丸、おもちや、三八。

昭和8115日 大阪時事新報

〇寄席雑記 色物演芸界総まくり 谷村俊郎

所謂高級万歳‥‥この一、二年来万歳の成績が素晴しく上つて来た。どの興行師でも成績の上るものは大事にするのが理の当然だが、その結果として成績のあまり上らない落語の方が自然おろそかにされ勝ちになつて、熱を失つた老人連は黙つていても、若き血に燃ゆる方では小春団治が吉本から脱退したり、表面に現れぬゴタ〳〵を繰り返して、いろいろ面倒な事件を惹き起してはみるが、将来を目される若手どころに、千橘とか小春団治ぐらいしか居ない落語界はとにかく蓼々たるものがある。…[以下漫才師各説になる] 

昭和81112日~20日 京都日出新聞

◇新京極富貴にて落語長演会が行われた。演者及び演目は以下の通り。

1112日:牛ほめ(三八)、百八坊主(三馬)、親子酒(文次郎)、徳力屋才兵衛(馬生)、結婚は墓穴(九里丸)、井上但馬(三木助)、けんの仲裁(春団治)。

1113日:高砂屋(三八)、三百餅(三馬)、収入印紙(文次郎)、明治の仇討(馬生)、悩む時計(九里丸)、子別れ(三木助)、三十石(春団治)。

1114日:ろくろ首(三八)、狸賽(三馬)、仕込大筒(文次郎)、安政力士伝(馬生)、馬に乗る狐(九里丸)、死神(三木助)、神道又(春団治)。

1115日:延洋日(三八)、王子狐(三馬)、お文さん(文次郎)、三村の活躍(馬生)、廃娼反対(九里丸)、高津富(三木助)、宿替へ(春団治)。

1116日:昆布弁慶(三八)、宮戸川(三馬)、源兵衛玉(文次郎)、お酒とくり(馬生)、尽きぬ話(九里丸)、村正(三木助)、いかけ屋(春団治)。

1117日:みかん屋(三八)、品川心中(三馬)、立切(文次郎)、勢揃いひ(馬生)、被告は大(九里丸)、竈幽霊(三木助)、あみだ池(春団治)。

1118日:商売根問(三八)、鰻太皷(三馬)、菊江仏壇(文次郎)、二度目の清書(馬生)、電話番号簿(九里丸)、なさぬ仲(三木助)、牛ほめ(春団治)。

1119日:絵根問(三八)、お節(三馬)、百年目(文次郎)、赤垣源蔵(馬生)、東京音頭(九里丸)、刀屋(三木助)、ぼたん湯(春団治)。

1120日:のし(三八)、たらちね(三馬)、作生(文次郎)、正直車夫(馬生)、梅川忠兵衛(九里丸)、太皷腹(三木助)、ぬの字ねずみ(春団治)。

〈編者註〉毎回余興として雪江・五郎の万歳、吉花菱女連の舞踊が演じられている。

昭和81116日 大阪朝日新聞

<桂小春団治の桃源座旗挙げ公演>

○「新らしい落語」桃源座の旗挙げ 意気物凄く二十一日に 新らしい落語創造のために一つの捨石になると意気込んで吉本興行部から退いた例の小春団治こと林龍男君は、飽くまで「自由の追求者」として独立の意志を翻さず、住吉区住吉町の自宅で旗挙準備をすゝめていたが、このほど林家染之助、桂米之助の両君とゝもに桃源座を組織し、花月に対抗して二十一日午後五時から北陽演舞場で第一回公演をやることになつた。

 プログラムも落語のほかに漫画映画、寄席合囃子茶の時間、舞踊などがとり入れられ、小春団治君は古い旅の落語を復活させる意味で「伊勢参宮」をはじめ芝居咄「本能寺」新作「聴心器」のほかに舞踊「影」と「桃太郎宝の山入」といつた風変りなものを演る。

昭和81117日 大阪毎日新聞

◇寄席王国吉本興行会社へ辞表を叩きつけて去つた落語の桂小春団治は同志林家染之助、桂米之助らの共鳴を得て新たに桃源座を組織し、その第一回を二十一日午後五時から北陽演舞場で開く。プログラムは、

 「旅の落語・伊勢参宮」小春団治、「漫画映画」「挨拶」桃源座員、「落語親子茶屋」染之助、「芝居噺・本能寺」小春団治、「新作落語聴診器」小春団治、「落語饅頭こわい」米之助、「舞踊第一景影、長唄桃太郎宝の山入」小春団治と山村若太津。

昭和81119日 大阪毎日新聞

◇労働服着た落語家 吉本興行部へ辞表を出して独立を敢行した関西落語界の新人桂小春団治は既報の通り同志林家染之助、桂米之助らとともに新らしく桃源座を組織、来る二十一日午後六時から大阪北陽演舞場で独立第一回公演を開くが、一同はいかなる苦難にもたへ忍ぶといふ意気で揃ひの労働服を着込んで十八日午後本社を訪れ挨拶を述べた。

昭和81120日 大阪時事新報

◇桃源座第一回公演 大阪落語界の新人として活躍して居た小春団治が、行詰まれる斯界の凋落に愛想をつかし、決然として吉本興行部の手から離れ、不甲斐なき落語家達の芸術的良心の腐敗に反旗をあげ、当時可成りセンセイシヨンを起したものである。爾来待機中の小春団治が今度新芸術殿堂へ希望の一歩を踏み出すべく桃源座を組織して、其の第一回公演を来る二十一日午後五時から北陽演舞場に開催する。

昭和81121日 大阪朝日新聞

◇小春団治の桃源座 落語の小春団治が独立して桃源座を組織して初回公演は二十一日午後五時から北演舞場で開くので、これに先立つて挨拶のため本社を訪れた。

昭和81122 京都日出新聞 

◇笑交座第一回進出 二十一日から富貴 新京極富貴では二十一日から大阪で新しく旗揚げした「落語笑交座」の京都第一回進出で、これは沈滞せる落語界の革新を信条に向上発展を目指すもので蔵之助、円枝、小円馬、福団治、五郎等が結成せるもので、特に旗揚げを飾るべく特別余興として「明烏夢泡雪」を左の珍配役で演ず。遣手おかや(蔵之助)、山名屋(小円馬)、禿みどり(福団治)、浦里(五郎)、時次郎(円枝)、新内出語は円若、尚太郎と菊春、次郎と志乃武等選抜万歳も出演といふ賑やかな番組である。

昭和81128日 大阪毎日新聞

○爆笑隊満州へ けさ大阪を出発
 

8年 007

 爆笑隊満州出陣が二十七日正午吉本興行会社長林正之助氏の命令一下で二十八日朝八時大阪発と決定した。面食らつたのは命令を受けた万歳のエンタツ、アチャコ、小唄の法学士石田一松、同社宣伝部の橋本哲郎の諸君、旅装を整へるやら本社へ挨拶に来て急(いそ)がしい洒落を飛ばすやら大変な騒ぎ。

 今回の旅行は正式に陸軍省から派遣されるので、万事は関東軍司令部小林参謀の指揮をうけてチチハル、ホロンバイル、ハルビンからさらに露満国境奥深く進んで、それらの土地に出征している皇国将兵に爆笑の慰問を与へることになり、そのためには軍用飛行機も自由に使用する特権も与へられたと凄い鼻息であつた。

〈編者註〉1226日付大阪毎日新聞に満州慰問の旅から帰ってきた四人が、二十五日朝、大阪毎日新聞社に帰還挨拶のため訪問した記事が出ている。


昭和
812

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 うさぎ、小雀、一光、福団治、竜光、円枝、雁玉・十郎、五郎、日左丸・ラツパ、三木助、九里丸、文男・静代、正蔵、三亀松、春団治。余興「明烏夢泡雪」(蔵之助・五郎・福団治・小円馬・円枝・喬之助・紋十郎・円若)。 

△北新地花月倶楽部 南地花月と同様。その他〆廼家和洋混成舞踊「大大阪祭」。

十一日より

△南地花月 新昇、小雀、一郎、馬生、円若、蔵之助、久菊・奴、喬之助・三木助、正光、静代・文男、延若、三亀松、文治郎、五郎・雪江、春団治、九里丸、枝鶴、勇・清・クレバ。

△北新地花月倶楽部 春団治、正光、庫吉・芳枝、円馬、九里丸、歌木・妙子、五郎、三亀松、枝鶴、水
 月・朝江、福団治、幸児・静児、武司・重隆。

二十一日より 

△南地花月 春団治、円馬、三木助、染丸、枝鶴、九里丸、五郎、延若、福団治、円枝、小円馬。余興忘年珍芸大会「舞踏競争」「忠臣蔵」「ナンセンス」「乗合船」  

△北新地花月倶楽部 春団治、正光、庫吉・芳枝、円馬、九里丸、歌木・妙子、五郎、三亀松、枝鶴、水
 月・朝江、福団治、幸児・静児、武司・重隆。

京都の寄席案内

一日より

△新京極富貴 落語講談長演十八番会 九里丸、延若、枝鶴、文次郎、馬生、正蔵、染丸、円馬。余興とし
 て万歳久菊・奴、雅子・染団治、正光等。

十一日より

△新京極富貴 歳末哄笑突風陣 三亀松、三木助、福団治、蔵之助、春団治、文治郎、三馬、三八等出演。余興市松芳子柳枝一駒川柳花蝶の万歳と源朝の曲独楽。

昭和81213日 大阪時事新報

◇宝塚の忘年演芸会 宝塚新温泉では恒例による忘年の催物として昼の歌劇のあと中劇場で午後六時より[十四日は義士伝傑作浪花節大会]及落語界の新人桃源座小春団治一行に依る落語の夕を開催。

プロフィール

丸屋竹山人