昭和15年

上方落語史料集成 昭和15年(1940年)1月~6月

昭和151

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、末子・三好、桂円枝、静児・幸児、五九童・蝶子、林芳男、花月亭九里丸、神田伯龍、志津子・寿郎、左楽・右楽、桂春団治、結城孫三郎一座、エノスケ・エンタツ、井口静波、道風・柳枝、東家楽燕、五郎・雪江、柳家三亀松。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 林家染蔵、三遊亭小円馬、橘家蔵之助、イチ三・ケイ一、東洋一郎、桂円枝、道風・柳
 枝、林芳男、三遊亭円馬、五郎・雪江、神田伯龍、成三郎・玉枝、桂春団治、結城孫三郎一座、柳家三亀
 松、桂三木助、左楽・右楽、花月亭九里丸、エノスケ・エンタツ。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、玉三郎・蜂郎、清・クレバ、志津子・寿郎、林芳男、鶴江・房春、花月亭九里丸、結城孫三郎一座、正二郎・花蝶、静代・文雄、石田一松、今男・アチャコ、天中軒雲月嬢、柳家三亀松、神田伯龍、十郎・五郎、徳川夢声、エノスケ・エンタツ。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 林家染蔵、金原亭馬生、桂文治郎、三遊亭小円馬、十郎・雁玉、三遊亭円馬、出羽助・竹幸、花月亭九里丸、エノスケ・エンタツ、神田伯龍、石田一松、徳川夢声、今男・アチャコ、結城孫三郎一座、天中軒雲月嬢、静代・文雄、柳家三亀松。【広告参照】

京都の寄席案内

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂三木助、林家染丸、色物は柳家三亀松、結城孫三郎一座、その他漫才。

〈編者註〉三遊亭円馬の花月への出演はこれ以降見当たらない。吉本興業を脱退したと思われる。

昭和1511日 大阪毎日新聞[広告]正月の吉本興業の寄席・劇場案内

15年 002

〈編者註〉ご覧のように吉本興業における噺家の出番はほとんどない。かろうじて南北花月だけにその名を見る事が出来るが、漫才に挟まれたこの出番ではおそらく満足に落語はしていないだろう。新京極富貴と同じく南地花月も出演の落語家だけの名前を書くことも考えたが、金沢席の昔より上方落語の歴史に燦然と輝いてきた南地花月の最期を看取る気持ちもあり、従来通り出番表を作成し、かつ広告も掲載していくことにした。なお広告には南地花月と北の新地花月倶楽部がいつも併記されるが、広告に出る出番順は南地花月のものである。

昭和1511日 

楽語荘同人 

桂花団治、桂春輔、桂梅三、笑福亭里鶴、桂花柳、立花家花橘、桂米団治、桂米之助、桂談枝、林家染語楼、林家染三、桂南天、桂麦団治、笑福亭福松、笑福亭福円、桂小米喬、林家小染、橘ノ円都、笑福亭円歌、桂枝三郎、桂三八、笑福亭松竹、三笑亭芝楽、笑福亭松鶴、笑福亭松翁

〈編者註〉「上方はなし」第四十三集(昭和1511日発行)より。

昭和15111日 大阪毎日新聞[広告]

15年 003

昭和15121

◇「上方はなし」を聴く会 午後一時より松屋町内本町松竹座にて 主催楽語荘

 明石名所(染三)、延喜茶屋(米之助)、猪買ひ(米団治)、植木屋(談枝)、懸取り(花柳)、袈裟茶屋(春輔)、高津富(松鶴) 

〈編者註〉「上方はなし」第四十三集(昭和1511日発行)より。


昭和
152

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 神田ろ山、エノスケ・エンタツ、雁玉・十郎、文雄・静代、右楽・左楽、柳家三亀松、石田一
 松、花月亭九里丸。(順不同)

十一日より

△南地花月 イチ三・ケイ一・一郎、こたつ・夢丸、房春・鶴江、林芳男、花蝶・正二郎、桂三木助、文雄・静代、花月亭九里丸、桂春団治、柳枝・道風、市松・芳子、柳家三亀松、柳家金語楼、エンタツ・エノスケ、雪江・五郎、アチヤコ・今男。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 林家染蔵、金原亭馬生、桂円枝、庄司・義忠、福治・五十鈴、五九童・蝶子、房春・鶴江、ケイ一・イチ三・一郎、林芳男、花蝶・正二郎、桂三木助、文雄・静代、雪江・五郎、花月亭九里丸、右楽・左楽、柳家三亀松、柳家金語楼。(順不同)

京都の寄席案内

一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂円枝、金原亭馬生、色物は柳家三亀松、その他漫才。

十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂文治郎、三遊亭小円馬、色物は石田一松、その他漫才。

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂円枝、林家染丸、三遊亭円若、その他漫才。

昭和1521日 神戸新聞

[広告]多聞座改め神戸花月劇場/二月一日より 大阪吉本躍進豪華レビューショウ・辻本良二「浪曲入り野心作清水港」七景 吉本特選まんざい陣(玉枝・成三郎)(道風・柳枝)(八重吉・小福)(幸若・勝美)

昭和1521日 神戸新聞[広告]

雑居亭①

〈編者註〉「上方はなし」第四十五集(昭和1541日発行)の伊勢三郎「春輔と花橘─同人評語」によると、十八年振りに神戸に出来た落語定席で、二月一日午後五時よりオープンした。演目は染三が二番煎じ、花柳が三枚起請、花橘が延陽伯、春輔が正月丁稚、米団治が下の関水その他である。この定席開設に尽力したのは春輔だという。米団治が口上を述べている。

昭和1529日 神戸新聞[広告]

雑居亭

〈編者註〉「上方はなし」第四十五集(昭和1541日発行)に二月二十五日と如月下旬に雑居亭へ行った二つの記事が出ている。それによると以下のような出演者及び演目だったようだ。

雑居亭問答(二月二十五日の晩)

 里鶴、米之助、春輔、正月丁稚(花柳)、赤子茶屋(談枝)、貧乏花見(染三)、泣き塩(米団治)、初天神(花橘)、尻餅(松鶴)

雑居亭きき書(如月下旬)

 里鶴、米之助、談枝、赤子茶屋(花柳)、胴取り(染三)、袈裟茶屋(春輔)、芝居穴(花橘)、角力の咄(米団治)、船弁慶(松鶴)

昭和15211日 大阪朝日新聞[広告]

15年 004

昭和15218

◇「上方はなし」を聴く会 午後一時より松屋町内本町松竹座にて 主催楽語荘

 小倉船(花柳)、悋気の独楽(染語楼)、辻八卦(花橘)、支那落語雲上遊行(米之助)、按摩ごたつ(染三)、貧乏花見(松鶴)、三人旅(米団治) 

〈編者註〉「上方はなし」第四十四集(昭和1521日発行)より。


昭和
153

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 歳男・繁子、一郎・ケイ一・イチ三、桂円枝、房春・鶴江、右楽・左楽、アダチ龍光、アダチ龍光、成三郎・玉枝、桂三木助、柳枝・道風、神田伯龍、柳家三亀松、桂春団治、雪江・五郎、石田一松、雁玉・十郎。(順不同)

△北新地花月倶楽部 林家染蔵、三遊亭小円馬、林家染丸、円童・つばめ、一郎・ケイ一・イチ三、一蝶・美代子、桂春団治、右楽・左楽、石田一松、成三郎・玉枝、桂三木助、雁玉・十郎、花月亭九里丸、神田伯龍、柳家三亀松。(順不同)

京都の寄席案内

一日より新京極富貴へ出演の落語家は金原亭馬生、橘家蔵之助、その他漫才。

十一日より新京極富貴へ出演の落語家は三遊亭小円馬、桂文治郎、色物は花月亭九里丸、その他漫才。

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂円枝、林家染丸、色物はアダチ龍光、その他漫才。

〈編者註〉林家染丸の花月への出演はこれ以降見当たらない。吉本興業を脱退したと思われる。

昭和153月~4月 神戸三宮雑居亭出番 神戸新聞広告より

・三月上席 曲芸和三郎、春輔、花橘、米團冶、松鶴外数名 午後五時より

・三月中席 曲芸和三郎、春輔、圓坊、花橘、米團冶、松鶴外数名 十日陸軍記念日正午より開演

・四月上席 春輔、花橘、花柳、米之助、米團冶、談枝、染三、琴月、枝之助、圓坊、松鶴 毎日五時開演

昭和15319 京都日出新聞

◇「柝の音会」三月例会 柝の音会では二十三日午後六時半から木屋町御池上る民生会館で三月の例会を開く。落語の始祖安楽庵策伝和尚三百五十回忌を機とする「上方落語研究会」で、番組は落語の祖安楽庵策伝に就て(田中緑紅)、落語─二番目(三笑亭芝楽)、胴乱の幸助(三遊亭円歌)、三十石(笑福亭福松)、解説(田中緑紅)(臨時会員一円)

昭和15320

<桂三八死亡>

●桂三八 楽語荘同人桂三八君は永々病気療養中の処遂に立たず、三月二十日永眠致しました。

 三八君は京都派の古老で先代三笑亭可楽の文光時代に入門、光助と名乗り現芝楽君の厳父吾妻とは兄弟弟子であった。後に日露の役に三十八連隊より従軍したので三八を名乗つた。

 長く京都で活躍したが病後は高座を引退、わずかに楽語荘同人として晩年を飾った。その最後の高座は芝楽君の二代目襲名の口上に出て桜の宮を演ったのが名残りとなった。享年六十四歳。法名春月三八信士。

 因にこの法名は故人の名を襲ぐべき者がないとの故で、特にこの芸名を挿し入れたとの事である。

〈編者註〉「上方はなし」第四十五集(昭和1541日発行)より。下の記事は昭和626日付「京都日出新聞」に掲載されたものである。三八を偲ぶ縁として掲げておく。

 鼻息の荒い高座の画伯 春挙氏の酔興に冷汗 落語家桂三八君

15年 005鹿仲間で彩管を揮ふ者は相当にある。染丸、蔵之助、円馬、ざこば、円若等がそれである。處がこれ等の連中は何れも師匠に手をとつて指導して貰つたのであるが、茲に紹介する桂三八事中川淳吉君は自称天才の我流を押通して素人離れのした絵をかく。

幼少の頃から習字の時間に絵を書いて先生に[硯]をとられた事は屡々あつた。そして一頃は高座から帰つて来ると専念[に]絵に親しんだものであるが、近頃は御幸町錦下ル處で悋気堂と銘を打つて「かきもち」店を出し、彼の□□で高座の衣裳のまゝ焼き加減自慢の「かきもちやき」をやる。一見落着ている割に疎忽者の彼は絹布に焦げ穴をつくり、醤油浸みをこしらへるので一枚の「かき餅」には相当高価な資本がかゝつている訳である。

「何せこれで若い頃、失恋してとうたう台湾の守備兵に出かけたといふ私、おはづかしい次第でごわりますが……それだけに焼き加減の調子も味ようやれる自信がおます……」といふ惚け半分の焼き加減であるから、このかき餅屋も道楽半分の商売である。然し今でも□談になると仲々鼻イキが荒い。

こんな話がある。三四年前、早春のある夜のことであつた。三八君が清水三年坂の某待合で偶然市内某家の放蕩息子といふのを紹介された。その男は殆ど親から勘当同様の身の上になつて、所詮独立して生活を立てゝゆけぬから、一層好きな鹿仲間に入つて浮世三分の生涯が送りたいといふ願望を涙ながらに物語るので、三八君も若かつた頃の自分の身上を思ひ出しては涙を流して同情もし、又その不心得を諭したものであるが、この男、落語家になれなければ死んで終ふといふ気の入れ方だつたので、さすがの三八君も持て余した。そこで何か高座に立つてやれる芸があるかときくと、絵心があるといふ。

一頃曽呂利が高座の即席画で人気を集めた事もあるので、それなら手見せに一筆絵をかけと所望すると、この男はたちどころに太夫の立姿や猫の絵を器用に四五枚かきあげた。これを見た三八君、「ワシも絵心があるが、おまはんの絵は一寸見どころがある」と感心してしまつた。そこで吉本興行へ本格的に手見せとなる運びまで出来たが、豈計らんや、この放蕩息子と称する相手が実は画壇の大権威山本春挙画伯の酔狂と知れ、三八君、二の句が出ず、縮み上つてしまつた。

こんな関係で三八君の店には春挙画伯の色紙などが飾られてあるが、「どうです、大画伯を前にその絵を批評した私だつせ……あゝ今から思ふて見てもわきの下から汗がしみ出ます」と手箱から取り出したのが我[が]悋気堂三八君の色紙である。(写真は三八君とその絵) 


昭和
154

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、清・クレバ、歌楽・夢若、林芳男、正二郎・花蝶、蝶子・五九童、桂春団治、竹幸・出羽助、神田ろ山、志津子・寿郎、芳子・市松、花月亭九里丸、道風・柳枝、桂三木助、十郎・五郎、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭円若、歌楽・夢若、ケイ一・ケイ二・一郎、蝶子・五九童、林芳男、芳子・市松、花月亭九里丸、神田ろ山、正二郎・花蝶、桂三木助、左楽・右楽、井口静波、五郎・雪江、桂春団治、道風・柳枝、柳家三亀松。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、夢若・歌楽、桂円枝、一蝶・美代子、東洋二郎、柳枝・道風、雪江・五郎、広沢豆造、寿郎・志津子、林芳男、十郎、雁玉、アダチ龍光、エノスケ・エンタツ、桂春団治、花月亭九里丸、今男・アチャコ。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 広沢豆造、橘家蔵之助、アダチ龍光、三好・末子、林芳男、夢若・歌楽、三亀三・三亀春、一蝶・美代子、桂春団治、花月亭九里丸、アチヤコ・今男、一陽斎正一、雪江・五郎、エンタツ・エノスケ。(順不同)

京都の寄席案内

一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂文治郎、金原亭馬生、色物は巴家おもちゃ、その他漫才。

十一日より新京極富貴へ出演の落語家は三遊亭小円馬、桂円枝、その他漫才。

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂文治郎、金原亭馬生、その他漫才。

昭和1542日 大阪毎日新聞[広告]

15年 006

昭和15412日 大阪毎日新聞[広告]

15年 007

昭和15415 京都日出新聞

<林竜男、花柳の名取となり花柳芳兵衛と名のる>

◇落語家桂小春団治こと林竜男は、昭和十一年十月来、日本舞踊花柳流家元花柳芳次郎師の下で舞踊の稽古を重ねていたが、今回花柳芳兵衛と名取を許され、改めて舞踊界へデビユーする。

昭和15418日 大阪朝日新聞

◇林竜男が舞踊家に 大阪の若手落語家林芳男(本名林竜男、前名小春団治)は今度花柳芳次郎門下として花柳芳兵衛の名とりとなり、舞踊界へデビユーすることになつた。今後は古典の研究と創作舞踊に努力すると。

昭和15419日 

<桂三木丸死亡>

●桂三木丸 本名大久保挙母。明治十九年生。享年五十四。桂藤誠(大久保甲子蔵)の実子。桂仁左衛門の弟子で桂仁鶴、父の前名を継いで文如、四代目笑福亭松鶴の弟子で笑福亭仁鶴、二代目桂三木助の弟子で三木丸となる。血筋から芸の素質はあったはずだが、これといった活躍の記録は残っていない。晩年は漫才席のヘタリをしていたという。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

昭和15420

◇「上方はなし」を聴く会 午後一時より松屋町内本町松竹座にて 主催楽語荘

 鳥屋坊主(染三)、天災(花柳)、鼻ねじ(染語楼)、口入屋(松鶴)、春雨茶屋(花橘)、百年目(米団治)、足揚り(米之助)

〈編者註〉「上方はなし」第四十五集(昭和1541日発行)より。

昭和15421日 大阪毎日新聞[広告]

15年 008


昭和
155

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 静児・幸児、ケイ一・ケイ二・一郎、三遊亭小円馬、桂文治郎、林芳男、桂春団治、花月亭九里丸、桂三木助、つばめ・円童、蝶子・五九童、歌楽・夢若、鶴江・房春、正二郎・花蝶、今男・アチャコ、五郎・雪江、芳子・市松、十郎・雁玉。【広告参照】

十一日より

△南地花月 巴家おもちゃ、橘家蔵之助、末子・三好、静児・幸児、こたつ・夢丸、桂円枝、蝶子・五九童、竹幸・出羽助、桂春団治、正二郎・花蝶、天津羽衣嬢、芳子・市松、道風・柳枝、桂三木助、左楽・右楽、花月亭九里丸、今男・アチャコ。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 義忠・武司、つばめ・円童、橘家蔵之助、美代子・一蝶、東洋二郎、歌楽・夢若、林芳男、松平ラスカルス、桂三木助、玉枝・成三郎、今男・アチャコ、花月亭九里丸、芳子・市松、桂春団治、道風・柳枝、五郎・雪江。【広告参照】

三十一日より

△南地花月 東洋二郎、桂文治郎、アダチ龍光、鶴江・房春、林芳男、正二郎・花蝶、桂春団治、静児・幸児、天津羽衣嬢、五郎・雪江、道風・柳枝、花月亭九里丸、桂三木助、松平ラスカルス、静代・文雄、今男・アチャコ。【広告参照】

京都の寄席案内

十一日より新京極富貴へ出演の落語家は三遊亭小円馬、金原亭馬生、その他漫才。

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂文治郎、桂円枝、その他漫才。

昭和1551日 大阪毎日新聞[広告]

15年 009

昭和15511日 大阪毎日新聞[広告]

15年 010

昭和15519

◇「上方はなし」を聴く会 午後一時より松屋町内本町松竹座にて 主催楽語荘

 庵寺潰し(枝三郎)、みかん屋(談枝)、新作行徳仙人(米之助)、手切丁稚(米団治)、さくなま(花柳)、替り目(染三)、鴻池の犬(松鶴)

〈編者註〉「上方はなし」第四十六集(昭和15515日発行)より。

昭和15521日 大阪毎日新聞[広告]

15年 011

昭和15531日 大阪毎日新聞[広告]

15年 012

昭和155月某日

◇神戸三宮の雑居亭を覗く

 二人旅(談枝)、三十石(染三)、子別れ(円坊)、首のすげ替え(米之助)、崇徳院(花柳)、春輔、米団治、花橘、松鶴、琴月(曲弾き)

〈編者註〉「上方はなし」第四十六集(昭和15515日発行)より。


昭和
156

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 兼子・房夫、金原亭馬生、末子・三好、こたつ・夢丸、桂三木助、松平ラスカルス、林芳男、芳子・市松、ケイ一・ケイ二・一郎、天津羽衣嬢、静代・文雄、道風・柳枝、桂春団治、今男・アチャコ、花月亭九里丸、十郎・雁玉。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 巴家おもちゃ、光晴・枝雀、桂文治郎、幸児・静児、川柳・花蝶、林芳男、正二郎・洋々、出羽助・竹幸、花月亭九里丸、桂三木助、雁玉・十郎、アダチ龍光、市松・芳子、桂春団治、五郎・雪江、今男・アチャコ。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 林家染蔵、三遊亭円若、三遊亭小円馬、橘家蔵之助、光晴・枝雀、桂文治郎、市松・芳子、夢若・歌楽、桂春団治、福治・淳子、林芳男、アチヤコ・今男、桂三木助、川柳・花蝶、花月亭九里丸。(順不同)

京都の寄席案内

一日より新京極富貴へ出演の落語家は橘家蔵之助、金原亭馬生、その他漫才。

十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂文治郎、三遊亭小円馬、色物は東洋二郎、その他漫才。

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂円枝、金原亭馬生、その他漫才。

〈編者註〉三遊亭円若の花月への出演はこれ以降見当たらない。吉本興業を脱退したと思われる。

昭和15611日 大阪毎日新聞[広告]

15年 013

昭和15621日 大阪毎日新聞[広告]

15年 014

上方落語史料集成 昭和15年(1940年)7月~12月

昭和157

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 巴家おもちゃ、糸治・唄治、東洋一郎、三亀春・三亀三、桂三木助、繁子・歳男、志津子・寿郎、花月亭九里丸、桂春団治、静代・文雄、今男・アチヤコ、一陽斎正一、柳家三亀松、柳家金語楼、エノスケ・エンタツ、川田義雄ミルクブラザース。【広告参照】

十一日より

△南地花月 静児・幸児、アダチ龍光、歌楽・夢若、桂文治郎、竹幸・出羽助、洋々・正二郎、林芳男、芳子・市松、蝶子・五九童、桂三木助、雪江・五郎、花蝶・川柳、桂春団治、花月亭九里丸、静代・文雄、十郎・雁玉。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 川柳・やなぎ、市松・芳子、一郎・ケイ一・ケイ二、雁玉・十郎、一蝶・美代子、花月亭九里丸、正二郎・洋々、桂春団治、アダチ龍光、光晴・枝雀、桂三木助、唄治・糸治、立花家扇遊、三遊亭小円馬。(順不同)

二十一日より

△南地花月 義忠・武司、金原亭馬生、兼子・房夫、三亀林・三亀三、ケイ二・ケイ一・一郎、鶴江・房春、芳子・市松、林好男、玉枝・成三郎、左楽・右楽、桂春団治、花月亭九里丸、雁玉・十郎、桂三木助、道風・柳枝、五郎・雪江。【広告参照】

昭和15630日 大阪毎日新聞[広告]

15年 015

昭和15711日 大阪毎日新聞[広告]

15年 016

昭和15721日 大阪毎日新聞[広告]

15年 017

〈編者註〉右は昨年松竹が新設し、吉本興業と壮絶な芸人引き抜き合戦を演じた新興キネマ演芸部の広告。参考までに。


昭和158

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、末子・三好、歌楽・夢若、アダチ龍光、洋々・正二郎、木村照子、花
 蝶・川柳、林芳男、鶴江・房春、静代・文雄、菊春・太郎、石田一松、今男・アチヤコ、五郎・雪江。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 川柳花蝶、金原亭馬生、光晴枝雀、木村照子、一蝶美代子、三好末子、アダチ龍光、文雄静代、夢若歌楽、芳男、東洋二郎、小松月力三、橘家蔵之助。(順不同)

二十一日より

△南地花月 桂小雀、清・クレバ、八重吉・小福、洋々・正二郎、桂文治郎、末子・三好、歌楽・夢若、蝶
 子・五九童、林芳男、五郎・雪江、今男・アチヤコ、静児・幸児、桂三木助、道風・柳枝、石田一松、エ
 ノスケ・エンタツ。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 林家染蔵、三遊亭小円馬、桂円枝、三亀春・三亀三、林芳男、石田一松、一蝶・美代子、桂三木助、エンタツ・エノスケ、桂文治郎、正二郎・洋々、一郎・ケイ一・ケイ二、雪江・五郎、五九童・蝶子。(順不同) 

二十六日より

△南地花月 <吉本東西大爆笑芸華陣>柳家金語楼、石田一松、川田義雄とミルクブラザース、今男・ア
 チヤコ、道風・柳枝、エノスケ・エンタツ、八重吉・小福、洋々・正二郎、末子・三好、蝶子・五九童、
 林芳男、桂文治郎、桂三木助、クレバ一行、一郎一行。【広告参照】

京都の寄席案内

一日より新京極富貴へ出演の落語家は橘家蔵之助、金原亭馬生、その他漫才。

昭和15810日 大阪毎日新聞[広告]

15年 018

昭和15820日 大阪毎日新聞[広告]

15年 019

昭和15825日 大阪毎日新聞[広告]

15年 020

昭和15821日 大阪毎日新聞

 寄席にも粛正のメス 石田一松ら拘留 

高座の笑ひにも粛正のメス──大鉄花月劇場に目下出演中の昭和瓦版の石田一松は、銃後の緊張をみだすが如き時事小唄を歌ひ、二十日午後阿倍野署で拘留三日。また千日前大阪花月劇場に出演中のぼやき漫才の都家文雄こと苗村正隆(四〇)も同様理由で二十日島之内署へ召喚、取調べを受けていたが三日の拘留処分に付せられた。

昭和15822 大阪時事新報

 〃落語〃の新秩序 時局版の秀逸は「革財布」 桂文治の自粛物語 
 〃国粋笑ひ〃の世界も朗らかで健康なものを‥‥といふ建前で東京の講談落語協会では、国家の新体制に添ふべく、従来の「はなし」に再検討を加へることになつた。現在行はれている〃話〃三百八十種余種を一つ
〳〵解剖、討議に託した末、左の四種類に分類された。

 一、時局的に優良、又は無難なもの八十四種

 二、改修さへすれば第一に推せるもの百七十八種

 三、欠点多きもの七十一種

 四、全然口演の価値なきもの四十九種

右のうち、「芝浜の革財布」「佃祭」「天災」「永代橋」「淀五郎」「大仏餅」等教訓をふくめてあるもの、「寿限無」のやうな滑稽本位で無難なものは甲に編入される。「五人廻し」「居のこり」「明烏」のなど遊興に取材したもの「権助提灯」「星野屋」のやうな妾を扱つたもの及「風呂敷」「庖丁」「紙入」「氏子中」などのやうな不健全なものは高座から一切抹消することにした。

このために艶ものを得意としていた落語家には大きな打撃であるが、これも国策のためとあつて喜んで話題を転向させることになつた。右について委員の桂文治は、「文七元結などは話しとしては申分がないが、孝女お久が妓楼へ身うりするので第一には推せなかつた。〃子別れ〃は上の巻が落第、中が乙、下が甲といふやうな査定である。いい話でも部分的にわるいのは改修し、改修できないものは惜しくとも諦めることにした。先夜もラヂオで〃鰍沢〃は女主人公を遊女とせずに茶酌女にして放送した次第だ。「芝浜の革財布」は落語ばかりでなく菊五郎なども世話物として得意な役のひとつだが、これなどは時局的に見てまさに満点と思ふ」 


昭和
159

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、アダチ龍光、三亀春・三亀三、東洋一郎一行、桂三木助、道風・柳枝、繁子・歳男、桂春団治、静代・文雄、神田ろ山、市松・芳子、エノスケ・エンタツ、春風亭柳橋、花月亭九里丸、十郎・雁玉。【広告参照】

△北新地花月倶楽部 エンタツ・エノスケ、神田ろ山、柳好、雁玉・十郎、春風亭柳橋、花月亭九里丸、一
 蝶・美代子、桂三木助、三亀三・三亀春、出羽助・竹幸、桂春団治、金原亭馬生、橘家蔵之助(順不同)

十一日より

△南地花月 桂小雀、立花家扇遊、一陽斎正一、林芳男、三亀春・三亀三、鶴江・房春、桂三木助、竹幸・出羽助、花月亭九里丸、歌楽・夢若、桂春団治、結城孫三郎一座、道風・柳枝、東洋一郎一行、神田ろ山、五郎・雪江、今男・アチヤコ。【広告参照】

昭和15831 大阪毎日新聞[広告]

15年 021

昭和1597 京都日出新聞 

寄席がマーケツトに 富貴の立退き訴訟  

京極興行街の目抜きにマートを進出すべく、株式会社丸高が中央土地株式会社から八万数千円で敷地を買収した新京極寄席富貴(管理人竹内藤吉氏)に関する立退き訴訟は、丸高の提訴により、昨年十一月以来京都区裁判所中治判事係りで繋争中であつたが、この程富貴建物を五万数千円で株式会社丸高が買収し、改めて向ふ三ケ年間立退きを延期、吉本興業に同建物を賃貸し興行を継続するといふ調停が成立解決の運びに至つた模様である。

 繋争の的になつた富貴は岡田栄治郎所有、竹内藤吉管理になる定員二百六十名の寄席で、吉本が借りうけ直営興行を行つているが、三年後は姿を消して近代化した十銭ストアーに転身する訳である。

昭和15910 大阪毎日新聞[広告]

15年 022

昭和15915 大阪時事新報

 演芸自粛同志会 吉本の芸人委員決まる
 
吉本の漫才師百余名によつて結成した「演芸自粛同志会」の委員は各自の投票によつて決定することになり、何れも清き一票を投じたが、十三日開票の結果左の二十名の委員が決定、十五日総会を開くこととなつた。

 横山エンタツ、芦の家雁玉、浮世亭夢丸、高田久子、花月亭九里丸、林田十郎、林田五郎、三遊亭柳枝、松鶴家千代八、浮世亭歌楽、都家文雄、竹本小糸、花菱アチヤコ、桂三木助、柳家雪江、秋山右楽、砂川菊丸、一輪亭花蝶、浪花家市松、千歳家今男(当選順) 

昭和15917 大阪時事新報

 落語の新体制 「芝浜」と「ざこ八」が第一位 銓衡委員三木助は語る  

△伝統の力によつて長い間馴染んでいた「落語」の世界にも新秩序ができて、東京側では最優秀作品として「芝浜の革財布」があげられたが、これに対応して大阪でも過日来吉本で大阪種の内容検討を桂三木助の手によつて行つていたところ、大阪では「ざこ八」がもつとも優れた内容を持つものとして第一席に推された。

△大阪で現在口演されているもの、口演されていないが残されえいるものは九百八十余種で、そのうち酔つぱらひに関する話、蓄妾、賭博、泥棒などを扱つたもので廃棄の必要を認めたものは百三十余種にのぼつた。

△この難事業を征服した桂三木助は選りをへてほつとした面持で次のやうに感想をのべている。

 現在大阪にある話の中で、芝居噺、小咄及び現在では内容がわからなくなつているもの、或は全然興味のなものは百三十二種ありますが、それをのぞいたものでも四百種の〃話〃があるので相当骨が折れました。推賞第一に推した「ざこ八」は立志伝として、またそれにつぐものとして「箒屋娘」は孝と義を取り入れたものとして、純粋な滑稽ものとして「いかけや」「だらに」等は推奨に値するものと信じます。兎に角東京の「革財布」大阪の「ざこ八」、これは第一級の「よみ物」として、落語界に誇るに足るものです。大いに勉強したい考へです。

△なほ東京落語界が再検討して内容不健全、その他の理由によつて禁止処分にされる運命にあるものは五十二種で、主なるもの左の通りである。

 町内若者、にせ金氏子中、不動床、文違ひ、明烏、廓文、悋気独楽、いそ鮑


昭和
1510

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、静香・文昭、金原亭馬生、三亀春・三亀三、歌楽・夢若、桂円枝、玉枝・成三郎、東洋一郎一行、芳子・市松、桂春団治、左楽・右楽、五郎・雪江、花月亭九里丸、桂三木助、今男・アチヤコ 柳家三亀松。【広告参照】

京都の寄席案内

十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂円枝、金原亭馬生、色物はアダチ龍光、その他漫才。

二十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂文治郎、三遊亭小円馬、その他漫才。

昭和15101日 大阪朝日新聞[広告]

15年 023

昭和15101日 大阪毎日新聞

◇高座の読物も自粛 講談落語協会では時局に即応して現在高座で行はれている三百二十余席の読物中、博徒物、白浪物、毒婦物等は大岡政談中の村井長庵、畔倉重四郎など極悪非道なもの、グロテスクなものなど反時局性のものは口演中止。

昭和15104日 大阪毎日新聞

寄席にも新体制 五十三種の落語閉出し 新浪曲へ文壇人を動員 

 大衆娯楽のかつての王座であつた「高座芸術」──お囃子におくられて高座に昇り、お客の拍手におくられて高座を降りる芸術家にもいろいろと種類があるが、今もつとも大衆と親しみのあるのは落語に講談、浪花節は浪曲と変つて近ごろは大劇場に進出しているが、これもまた高座芸術の部に入るものであらう。これらの高座芸術家は、時の流れにおくれまじといろいろと時代色をとり入れてはいるけれど、その根底となつているものは、新体制型とはいひかねる。

◇まづ落語、この方の種は、江戸文化華やかだつたころの小咄から発足したものだけに、遊里の話や淫猥なものが軸となつていたが、かうしたものをまづ追ひ出さねばならない。「町内若衆」や「珍輪」のやうな淫猥なものや「廐火事」「五人廻し」「居残り佐平次」などの遊廓物、「二階の男」や「親子芝居」などの不倫なものを一々検討した結果、二百幾十とある中から五十三種を閉め出してしまつた。(以下講談、浪曲に関する報道は略す)

昭和151013日 大阪毎日新聞

◇芸人に登録制 新体制下の娯楽面につき大阪府保安課ではかねてから研究中であつたが漫才、落語、浪曲などの芸人の登録制と興行人の許可制度を布くこととなり、改正演劇、演芸場取締規則の完成を待ち十一日から実施する旨十二日大阪興行組合協会に内示した。大阪では漫才三百余名、落語家三十余名、浪花節七百余名あり。興行人も大小三、四十余名に上つているから、多方面に種々の変革を見ることにならう。

昭和151020

◇第三十五回「上方はなし」を聴く会 午後一時より松屋町内本町松竹座にて 主催楽語荘

 二人旅(小染)、きつね(米之助)、高津富(花柳)、田之紀(花橘)、盆曲(橘家円坊)、逆様の幽霊(米団治)、打替盗人(染三)

〈編者註〉「上方はなし」第四十九集(昭和151015日発行)より。案内には「第三十五回」となっているが「上方はなし」により知り得たのは二十八回分で、あとの七回分は不明。
  なお「上方はなし」は四十九集で終刊。


昭和
1511

大阪の寄席案内

一日より 

△南地花月 桂小雀、かほる・寿郎、金原亭馬生、静児・幸児、鶴江・房春、左楽・右楽、桂春団治、芳子・市松、天津羽衣嬢、花蝶・川柳、桂三木助、五郎・雪江、道風・柳枝、春本助治郎、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、巴家おもちや、桂円枝、歌楽・夢若、竹幸・出羽助、桂三木助、芳子・市松、桂春団治、花月亭九里丸、天津羽衣嬢、左楽・右楽、春本助治郎、静代・文雄、林家正蔵、道風・柳枝、五郎・雪江。【広告参照】

京都の寄席案内

一日より新京極富貴へ出演の落語家は橘家蔵之助、桂円枝、色物は東洋一郎、その他漫才。(紀元二千六百年奉祝興行)

昭和151031日 大阪朝日新聞[広告]

15年 024

昭和151110日 大阪朝日新聞[広告]

15年 025

昭和151122日 大阪朝日新聞

昔とつた杵柄で 白衣の勇士を慰問の三人男 陸軍病院に白衣勇士を慰問する三人の篤行家

小枝鶴ほか 001A…大阪東成区猪飼野町中一丁目木炭商瀬尾昌平さん(五十四年)は戦線で活躍する勇士の姿をニユース映画で見、感銘も深く、それ以来誉れの傷病勇士慰問を思ひ立ち、その昔笑福亭松竹の芸名で高座に出たことがあるので、早速漫才、奇術、浪曲師などを集めて演芸慰問隊を編成、大阪陸軍病院を慰問したところ、白衣の勇士たちから非常に喜ばれたので、毎月欠かさず慰問をつゞけている。(以下省略)

〈編者註〉笑福亭松竹は四代目笑福亭松鶴の弟子。吉本を脱退後、昭和五年頃に四代目笑福亭松竹となった。五代目松鶴の楽語荘に参加。戦後もしばらく落語を続けた。没年不詳。なお本名は瀬尾伝治郎とする説もある。


昭和
151123日 大阪朝日新聞

第三十六回「上方はなし」を聴く会 第三十六回を花柳、米之助、染三の三人会として二十三日午後一時大阪松屋町内本町松竹座で開き、松鶴の満州みやげもある。


昭和
1512

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、幸若・勝美、アダチ龍光、三亀春・三亀三、八重吉・小福、花蝶・川柳、美代子・一蝶、静児・幸児、左楽・右楽、芳子・市松、花月亭九里丸、今男・アチヤコ、静代・文雄、桂春団治、五郎・雪江、エノスケ・エンタツ。【広告参照】

京都の寄席案内

三十一日より新京極富貴へ出演の落語家は桂円枝、三遊亭小円馬、その他漫才。【広告参照】

昭和151130日 大阪朝日新聞[広告]

15年 027

昭和151229 京都日出新聞[広告]

15年 028

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丸屋竹山人

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