昭和17年

上方落語史料集成 昭和17年(1942年)1月~6月

昭和171

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、稔・芳明、鈴若・小鈴、アダチ龍光、正二郎・洋々、桂春団治、五九童・蝶子、右楽・左楽、桂三木助、雪江・五郎、柳枝・道風、神田伯龍、花月亭九里丸、エンタツ・エノスケ、西村楽天、雁玉・十郎、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、唄治・糸治、三亀坊、三亀三・三亀春、桂春団治、房春・鶴江、花月亭九里丸、繁子・小福、雁玉・十郎、桂三木助、夢若・光晴、文雄・静代、柳家三亀松、神田伯龍、雪江・五郎、エンタツ・エノスケ。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、蜂郎・玉三郎、鈴若・小鈴、唄治・糸治、五九童・蝶子、一陽斎正一、正二郎・洋々、太郎・菊春、桂春団治、市松・芳子、右楽・左楽、桂三木助、結城孫三郎、蝶々・敏夫、石田一松、柳枝・道風。【広告参照】

三十一日より

△南地花月 桂小雀、千童・つばめ、三好・末子、桂春団治、洋子・寿郎、花月亭九里丸、繁子・小福、桂三木助、夢若・光晴、結城孫三郎、雁玉・十郎、天津羽衣嬢、文雄・静代、蝶々・敏夫、雪江・五郎。【広告参照】

〈編者註〉広告は大阪朝日新聞に掲載されたもの。掲載の日付は煩雑をさけるため省略した。三十一日初日の広告は翌月の最初に配列した。広告は南地花月と北新地花月倶楽部を併記しているが、出番順は南地花月のものである。

17年 01717年 01617年 015
















昭和
172

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、房夫・兼子、鈴若・小鈴、文昭・静香、アダチ龍光、三亀三・三亀春、市松・芳子、蝶々・敏夫、桂三木助、繁子・小福、正二郎・洋々、桂春団治、右楽・左楽、石田一松、雁玉・十郎、太郎・菊春。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、長二郎・麗子、唄治・糸治、柳家三亀松、正二郎・洋々、夢丸・志津子、桂春団治、市松・芳子、繁子・小福、右楽・左楽、桂三木助、文雄・静代、天津羽衣嬢、雪江・五郎、柳枝・道風。【広告参照】


17年 01417年 01317年 012
















昭和
173

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、勝美・幸若、金原亭馬生、文昭・静香、クレバ・新治、五九童・蝶子、正二郎・洋々、太郎・菊春、アダチ龍光、桂三木助、花月亭九里丸、雪江・五郎、文雄・静代、柳枝・道風、蝶々・敏夫、雁玉・十郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、鈴若・小鈴、桂春団治、花月亭九里丸、夢若・光晴、洋子・寿郎、アダチ龍光、雁玉・十郎、柳家三亀坊、市松・芳子、正二郎・洋々、桂三木助、文雄・静代、蝶々・敏夫、雪江・五郎。【広告参照】

昭和17320 中外日報

◇趣味の天王寺会 来る二十二日午後二時から大阪の四天王寺施薬療病院会議室において第六回を開催。初め皇軍の武運長久祈願、戦病没英霊追悼法会を本坊で行ひ、会場で比叡専修院教授古川英俊氏の天王寺研究の講演あり。なほ奉声として笑福亭松鶴の落語あり。来会者には土産として四天王寺古瓦形文鎮を贈ると。

17年 01117年 010
















昭和
174

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、勝美・幸若、一陽斎正一、正二郎・洋々、桂春団治、雪江・五郎、花月亭九里丸、太郎・菊春、神田ろ山、エンタツ・エノスケ、五九童・蝶子、桂三木助、雁玉・十郎、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、柳家三亀坊、唄治・糸治、夢丸・志津子、桂三木助、文昭・静香、花月亭九里丸、夢若・光晴、文雄・静代、柳家三亀松、神田ろ山、蝶々・敏夫、柳枝・道風。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、鈴若・小鈴、房春・鶴江、桂円枝、勝美・幸若、寿郎・志津子、アダチ龍光、文昭・静香、市松・芳子、桂三木助、柳枝・道風、雪江・五郎、神田ろ山、柳家三亀松。【広告参照】


17年 00917年 00817年 007

















昭和
175

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、クレバ・新治、唄治・糸治、五九童・蝶子、桂春団治、正二郎・洋々、桂三木助、文雄・静代、夢若・光晴、石田一松、花月亭九里丸、神田伯龍、雁玉・十郎、雪江・五郎。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、桂円枝、一陽斎正一、勝美・幸若、花月亭九里丸、桂三木助、柳枝・道風、市松・芳子、桂春団治、太郎・菊春、石田一松、神田伯龍、蝶々・敏夫、文雄・静代。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、唄治・糸治、長二郎・麗子、アダチ龍光、文昭・静香、三亀三・三亀春、桂三木助、雁玉・十郎、蝶々・敏夫、花月亭九里丸、雪江・五郎、桂春団治、石田一松、夢若・光晴、太郎・菊春。【広告参照】

昭和1758 京都新聞

◇柝の音会が落語三人会 柝の音会では九日午後六時から木屋町御池民政会館に於て花柳、蔵之助、松鶴の三人を招いて落語三人会を催す事となつた。番組は松鶴(三十石)、蔵丁稚(花柳)、殿集め(蔵之助)、愛宕山(花柳)、松山鏡(蔵之助)、高津の富(松鶴)。

昭和17516日 大阪朝日新聞

◇松鶴、染三を聴く趣味の会 十六日昼一時大阪三越ホール。松鶴の「古手買」、染三の「住吉駕」ほか両名三題づつの上方噺。

17年 00617年 00517年 004

















昭和
176

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、柳家三亀坊、唄治・糸治、一陽斎正一、寿郎・志津子、雪江・五郎、桂三木助、夢若・光晴、五九童・蝶子、正二郎・洋々、桂春団治、石田一松、蝶々・敏夫、文雄・静代。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、幸兒・三歩・欣呆、桂円枝、一陽斎正一、桂三木助、文昭・静香、三亀三・三亀春、桂春団治、花月亭九里丸、蝶々・敏夫、雁玉・十郎、雪江・五郎、林家正蔵、柳枝・道風。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、二郎・ケイ一、長二郎・麗子、勝美・幸若、アダチ龍光、桂文治郎、五九童・蝶子、文昭・静香、杉姉妹、寿郎・志津子、文雄・静代、桂春団治、夢若・光晴、蝶々・敏夫、雁玉・十郎。【広告参照】


17年 00317年 00217年 001



















上方落語史料集成 昭和17年(1942年)7月~12月

昭和177

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、クレバ・新治、蜂郎・玉三郎、夢丸・洋子、桂円枝、三亀三・三亀春、市松・芳子、蝶々・敏夫、花月亭九里丸、夢若・光晴、桂春団治、正二郎・洋々、雪江・五郎、柳枝・道風。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、勝美・幸若、桂円枝、福治・五十鈴、唄治・糸治、五九童・蝶子、アダチ龍光、寿郎・志津子、太郎・菊春、雁玉・十郎、桂三木助、花月亭九里丸、夢若・光晴、文雄・静代。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、柳家三亀坊、金原亭馬生、房春・鶴江、一陽斎正一、正二郎・洋々、市松・芳子、桂三木助、文雄・静代、蝶々・敏夫、雪江・五郎、桂春団治、柳枝・道風、柳家三亀松。【広告参照】

昭和17720日 

<四代目笑福亭松鶴死亡>

17年 020●笑福亭松翁(大阪落語界の長老、本名森村米佶) 二十日午前四時大阪西区北堀江御池通三丁目五八の自宅で糖尿病で死去した。享年七十四。告別式は二十二日午前十時から十一時まで自宅で行はれる。(朝日) 

●笑福亭松鶴 大阪落語界の耆宿四代目笑福亭松鶴こと森村米吉氏は西区御池通三ノ一一の自宅で療養中二十日午前四時死去した。享年七十四。告別式は二十二日午前十時から自宅で執行。氏は三代目松鶴の愛弟子で「次の御用日」「天王寺詣り」「くしやみ講釈」「野崎詣り」などを得意とした。(毎日)
〈編者註〉昭和17721日付「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」より。

昭和17722日    

<二代目三升紋弥死亡>

三升紋弥 002●二代目三升紋弥 本名細野春吉。明治二十七年生。三升家紋弥(のち紋右衛門)の弟子で三升家小紋。明治四十三年五月上席から浪花三友派の出番表に小紋の名が載り始め、唄や踊り、曲独楽を売物にしていた。やがて大八会の結成に参加し、幹部として重きをなした。大正12714付「日本興行新聞」に「大八会大幹部一名後家殺しといふ人気者の三桝家小紋、鶯の谷渡り、美音の持主で、此の一声で追つ掛け廻されるといふ」とある。いつ紋弥を襲名したかは不明だが、大八会の瓦解後の大正十四年五月、名古屋御園座の上席で二代目三升紋弥一座として興行している。その後東京へ移籍して晩年を過ごした。弟子に花月亭九里丸がいる。実子が三代目(三増紋也と標記)を継ぎ、曲独楽師として活躍した。平成二十三年に死亡。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

〈編者註〉昭和10726日付「都新聞」に以下の記事(写真も)が出ている。

大森のあるお茶屋からお座敷がかゝつて出掛けた三枡紋弥、ご注文に随つて珍芸をたつぷりとお目にかけ終ると、「裸になつて、こつちへ来てビールでものめ……ハナシカだつて暑い時はやつぱり暑からう」とお客様の親切だが、ハナシカだつて暑からう、はヒドい親切があるもので……。一ぱい注いで貰つてのんでいると、お茶屋の女将が紋弥に「二十年ばかり前、先代の紋弥さんのお弟子に小紋さんていゝ男の芸人がありましたが、今はどうしたでせうネ」に、今はすつかり薹が立つて昔の俤はなくなつた紋弥は「実はその小紋は私で……」とも云ひかね、「さあ、なんでも五六年前に死んだッて話です」


17年 00117年 00217年 003
















昭和
178

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、幸兒・三歩・欣呆、花蝶・歳男、桂円枝、房春・鶴江、唄治・糸治、雁玉・十郎、一陽斎正一、桂三木助、雪江・五郎、花月亭九里丸、蝶々・敏夫、太郎・菊春。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、蜂郎・玉三郎、金原亭馬生、三亀三・三亀春、三亀坊、雪江・五郎、寿郎・志津子、アダチ龍光、蝶々・敏夫、雁玉・十郎、花月亭九里丸、桂三木助、五九童・蝶子、文雄・静代。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、幸兒一行、鈴音・小鈴、桂円枝、寿郎・志津子、五九童・蝶子、花月亭九里丸、正二郎・洋々、文雄・静代、一陽斎正一、桂三木助、夢若・光晴、太郎・菊春、柳枝・道風。【広告参照】

昭和17822 京都新聞

◇夏の夜涼み話の会 柝の音会では二十五日午後六時半から木屋町御池上る民政会館に於て夏の夜涼み話の会を開催する。三遊亭志ん蔵の落語「風」、林家染丸の落語「チリトテチン」、桂南天の「絵影脚」、三遊亭志ん蔵の怪談「月の笠森」、林家染丸の怪談落語「応挙の幽霊」等がある。

17年 00417年 00517年 006
















昭和
179

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、蜂郎・玉三郎、三亀三・三亀春、花月亭九里丸、柳枝・道風、文雄・静代、桂三木助・小秀・元女、雪江・五郎、桂春団治、正二郎・洋々、神田伯龍、蝶々・敏夫、雁玉・十郎。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、幸兒・三歩・欣呆、桂円枝、花蝶・歳男、小福・小夜子、柳家三亀坊、太郎・菊春、蝶々・敏夫、桂春団治、市松・芳子、柳枝・道風、アダチ龍光、桂文楽、夢若・光晴、雪江・五郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、今若・今次、一陽斎正一、文蔵・二葉、桂春団治、夢若・光晴、寿郎・志津子、桂三木助・小秀・元女、文昭・静香、結城孫三郎、雪江・五郎、西村楽天、柳枝・道風、文雄・静代。【広告参照】

昭和1798日 大阪毎日新聞

◇笑福亭松鶴を聴く会 浪花落語研究会では十二日午後一時三越演芸場で開く。

17年 00717年 00817年 009
















昭和
1710

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、小鈴・鈴若、金原亭馬生、三亀三・三亀春、正二郎・洋々、桂春団治、花月亭九里丸、文雄・静代、鈴々亭馬風、市松・芳子、桂三木助・小秀・元女、幸兒一行、雁玉・十郎、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、小福・小夜子、三遊亭小円馬、長二郎・麗子、一陽斎正一、桂三木助・小秀・元女、雁玉・十郎、天津羽衣嬢、柳枝・道風、五九童・蝶子、花月亭九里丸、桂小文治、エンタツ・エノスケ。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、アダチ龍光、左楽・隆夫、寿郎・志津子、花月亭九里丸、太郎・菊春、鶴賀朝太夫、亀三郎、文雄・静代、桂三木助・元女・小秀、エンタツ・エノスケ、桂春団治、柳好、夢若・光晴、柳家三亀松。【広告参照】

昭和171015日 大阪毎日新聞

◇上方はなしの会 十七日午後一時より大阪三越八階ホールで、松鶴、蔵之助ら出演。

17年 01017年 01117年 012
















昭和
1711

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、今若・今次、桂文治郎、花月亭九里丸、房春・鶴江、文蔵・多津子、桂春団治、雁玉・十郎、五九童・蝶子、古今亭志ん生、エンタツ・エノスケ、一陽斎正一、井口静波、雪江・五郎、柳枝・道風。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、桂円枝、三亀坊、左楽・隆夫、三遊亭小円馬、アダチ龍光、寿郎・志津子、花月亭九里丸、桂春団治、雪江・五郎、神田山陽、市松・芳子、桂三木助・元女・小秀、文雄・静代、太郎・菊春。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、長二郎・麗子、桂文治郎、房春・鶴江、花月亭九里丸、繁子・小太郎、雁玉・十郎、一陽斎正一、柳家小さん、柳枝・道風、幸兒・三歩・欣呆、夢若・光晴、桂春団治、雪江・五郎、エンタツ・エノスケ。【広告参照】

昭和17111日 大阪毎日新聞

◇浪花落語研究会 三日午後一時大阪三越催会場 笑福亭松鶴を聞く会。

昭和17116日 京都新聞

◇柝の音会 柝の音会では第四十八回例会として上方江戸落語競演会を七日午後六時半から民政会館に於て開催。松鶴の「地獄八景亡者戯」、蔵之助の「穴どろ」、松鶴の「悋気独楽」其他がある。


17年 01317年 01417年 015
















昭和
1712

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、小福・小夜子、金原亭馬生、幸兒・三歩・欣呆、一蝶・美代子、三遊亭小円馬、市松・芳子、夢若・光晴、桂春団治、太郎・菊春、エンタツ・エノスケ、一陽斎正一、桂三木助・小秀・元女、文雄・静代、柳枝・道風。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、唄治・糸治、桂文治郎、文昭・静香、アダチ龍光、文雄・静代、柳家三亀坊、桂三木助・小秀・元女、雪江・五郎、雁玉・十郎、蝶々・カホル、桂春団治、五九童・蝶子、エンタツ・エノスケ。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、花蝶・歳男、二郎・ケイ一、夢丸・歌楽、市松・芳子、柳家三亀坊、雁玉・十郎、アダチ龍光、夢若・光晴、花月亭九里丸、雪江・五郎、蝶々・カホル、桂春団治、文雄・静代、太郎・菊春。【広告参照】

昭和171223日 

<初代桂花団治死亡>

17年 019●初代桂花団治 本名梅本八十二郎。明治八年生。はじめ花丸を名乗る。明治三十五年に二代目桂文団治(七代目文治)に入門し、花団治の名で浪花三友派の席へ出た。二年余で初期の反対派へ移り、元の花丸で真打格として働いた。反対派が発展して大一座になったころ姿を消し、十数年後に五代目笑福亭松鶴の楽語荘に加わった。明快な口調で中々色気のある咄し振りであったが、上品さや芸の大きさに欠け、華やかな一流席にはやや不向きだったようだ。持ちネタは実に豊富で、彼の遺した「根多帳」には五百三十二のネタが記されている。二十三日午後四時十二分、大阪南区千年町の自宅で死去。二十五日午後自宅で告別式を行った。

〈参考文献〉橋本礼一「初代桂花団治」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)。

17年 01617年 01717年 018


 

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丸屋竹山人

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