昭和18年

上方落語史料集成 昭和18年(1943年)7月~12月

昭和187

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、柳太郎・柳晴、アダチ龍光、円童・つばめ、正二郎・洋々、花月亭九里丸、文蔵・田鶴子、桂三木助・小秀・元女、鈴々舎馬風、太郎・菊春、クレバ・新治・清、神田伯龍、雁玉・十郎、雪江・五郎。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、柳家三亀坊、左楽・隆夫、桂円枝、繁子・小太郎、雪江・五郎、花月亭九里丸、桂三木助・元女・小秀、五九童・蝶子、一陽斎正一、神田ろ山、蝶々・カホル、雁玉・十郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、桂円枝、幸兒・三歩・欣呆、円童・つばめ、小福・小夜子、アダチ龍光、市松・芳子、桂三木助・元女・小秀、柳枝・道風、雪江・五郎、花月亭九里丸、桂文楽、文雄・静代、太郎・菊春・延二郎・ヒロシ。【広告参照】


18年 01818年 01718年 016
















昭和
188

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、蜂郎・玉三郎、文蔵・田鶴子、歌治・糸治、三遊亭小円馬、成三郎・玉枝、柳家三亀坊、雁玉・十郎、翁家さん馬、柳枝・道風、花月亭九里丸、古今亭今輔、五九童・蝶子、文雄・静代。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、幸福・美津枝、桂円枝、幸兒・三歩・欣呆、柳枝・道風、長二郎・麗子、アダチ龍光、五九童・蝶子、文雄・静代、三木助・元女・小秀、花月亭九里丸、市松・芳子、雪江・五郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、左楽・隆夫、三遊亭小円馬、円童・つばめ、クレバ・新治・清、雪江・五郎、寿郎・志津子、花月亭九里丸、柳枝・道風、五九童・蝶子、三木助・小秀・元女、蝶々・マサル、文雄・静代、雁玉・十郎。【広告参照】

三十一日より

△南地花月 桂小雀、文昭・柳太郎、桂文治郎、唄治・糸治、繁子・小太郎、文蔵・田鶴子、二郎・ケイ一、雪江・五郎、神田山陽、一陽斎正一、桂三木助・小秀・元女、文雄・静代、太郎・菊春。【広告参照】

昭和18813日 大阪毎日新聞

◇さんしよう舎発表会 新鮮な時局小咄の創作研究を目的に結成された「さんしよう舎」は九里丸、雁玉、十郎、小円馬、三亀坊らの新作を持寄り半年前から研究をつづけていたが、十五日午前九時から北新地花月クラブでその発表会を開く。

昭和18814

◇上方落語保存会 午後五時半より岡島会館。

〈編者註〉雑誌「上方」149号(昭和18825日発行)より。

18年 01518年 01418年 013















昭和
189

大阪の寄席案内

十一日より 

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、文昭・柳太郎、一陽斎正一、市松・芳子、花月亭九里丸、柳枝・道風、太郎・菊春、徳川夢声、幸兒・三歩・欣呆、笑福亭松鶴、雁玉・十郎、柳家三亀松。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、柳家三亀坊、桂文治郎、アダチ龍光、長二郎・麗子、花月亭九里丸、二郎・ケイ一、蝶々・マサル、笑福亭松鶴、雁玉・十郎、寿郎・志津子、桂三木助・小秀・元女、文雄・静代、雪江・五郎。【広告参照】

昭和1899日 大阪毎日新聞

<五代目笑福亭松鶴、吉本興業に復帰する>

◇…松鶴師は吉本興業の懇請により数年ぶりに高座に返り咲き、十一日から南、北両花月に出演と決定、七日本社に来訪挨拶を述べた。

昭和1899日 大阪毎日新聞

◇上方落語保存会 十八日午後五時半から岡島会館で笑福亭松鶴の長講会を開く。口演は万国島巡り、仏師屋盗人、天王寺詣り、新猫。

昭和18916日 大阪毎日新聞

◇「上方はなし」の会 十八日午後五時半より大阪信濃橋岡島会館で、松鶴が万国島巡り、仏師屋盗人、天王寺詣り、新猫の四編を独演する。


18年 01218年 01118年 010
















昭和
1810

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、小福・小夜子、桂円枝、市松・芳子、クレバ・新治・清、正二郎・洋々、一陽斎正一、夢若・光晴、花月亭九里丸、三木助・小秀・元女、五九童・蝶子、文雄・静代。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、柳家三亀坊、花月亭九里丸、文雄・静代、三木助・小秀・元女、太郎・菊春、古今亭今輔、一陽斎正一、神田ろ山、蝶々・マサル、春風亭柳好、雪江・五郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、桂文治郎、文蔵・田鶴子、寿郎・志津子、三木助・元女・小秀、アダチ龍光、雪江・五郎、神田伯龍、花月亭九里丸、柳枝・道風、笑福亭松鶴、桂小文治、雁玉・十郎。【広告参照】

昭和181015日 大阪毎日新聞

◇「上方はなし」を聴く会 十六日午後五時信濃橋岡島会館。

18年 00918年 00818年 007

















昭和
1811

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、一陽斎正一、繁子・文昭、三木助・小秀・元女、文雄・静代、笑福亭松鶴、五九童・蝶子、桂文楽、雁玉・十郎、花月亭九里丸、西村楽天、柳枝・道風。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、寿郎・志津子、花蝶・歳男、一陽斎正一、桂円枝、五九童・蝶子、雁玉・十郎、桂三木助・小秀・元女、雪江・五郎、花月亭九里丸、蝶々・マサル、笑福亭松鶴、文雄・静代。【広告参照】

二十日より

△南地花月 桂小雀、幸兒一行、一蝶・美代子、市松・芳子、三遊亭小円馬、蝶々・マサル、太郎・菊春、雁玉・十郎、笑福亭松鶴、石田一松、アダチ龍光、夢若・光晴、雪江・五郎。【広告参照】

三十日より

△南地花月 桂小雀、東洋二郎、桂円枝、寿郎・志津子、文昭・静香、三遊亭小円馬、花月亭九里丸、天津乙女、正二郎・洋々、雪江・五郎、笑福亭松鶴、一陽斎正一、石田一松、雁玉・十郎。【広告参照】

昭和181118

<三代目桂米団治死亡>

18年 021●三代目桂米団治 本名早田福松。明治二年生。大阪堂島の生まれ。二代目桂米団治(三代目文団治)に入門し、米歌子。その後米之助から二代目桂米朝となり、明治四十三年三月に三代目桂米団治を襲名した。浪花三友派の重鎮として活躍したが、吉本に合併されたあとすぐに席を辞し、ご贔屓のお座敷や時々ラジオに出ていた。五代目笑福亭松鶴の楽語荘に参加し、後身の指導に努めるとともに「古手買い」など地味ではあるが巧い噺を聞かせて玄人筋を大いに満足させた。晩年は奈良県の生駒に隠棲し、その地で死亡した。昭和181120日付「大阪毎日新聞」に「桂米団治師 落語家桂米団治(本名早田福松氏)は奈良県生駒郡生駒町俵口で病気静養中のところ十八日死去、享年七十五。葬儀は二十一日午後二時から天王寺区下寺町二丁目光伝寺で執行」とある。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)/『古今東西落語家事典』(平凡社・平成8年)。
昭和181126日 大阪毎日新聞
◇「上方はなし」を聴く会 二十七日午後五時半より大阪信濃橋岡島会館で、松鶴が「鷺とり」「性は善」を演ずるほか、上方落語の名作片袖(染三)その他を上演。

18年 00618年 00518年 004
















昭和1812
 
大阪の寄席案内

十一日より 

△南地花月 桂小雀、三亀春・小三亀、花柳改め笑福亭枝鶴、市松・芳子、柳家三亀坊、小福・小夜子、アダチ龍光、石田一松、蝶々・マサル、雁玉・十郎、花月亭九里丸、笑福亭松鶴、夢若・光晴、文雄・静代。【広告参照】

二十一日より 

△南地花月 桂小雀、勝美・幸若、桂円枝、唄治・糸治、笑福亭枝鶴、文雄・静代、一陽斎正一、夢若・光晴、雪江・五郎、柳枝・道風、五九童・蝶子、太郎・菊春。【広告参照】

〈編者註〉三代目笑福亭枝鶴はもと初代桂花団治の弟子で花柳。師匠歿後、五代目松鶴にその実力をかわれ、松鶴の前名枝鶴を襲名した。

昭和18121日 

<二代目桂三木助死亡>

18年 020●桂三木助師(上方落語の重鎮、本名松尾福松氏) 一日朝七時大阪生野区新今里町五丁目の自宅で死去。享年六十。二日朝十時から自宅で告別式を執行。氏は明治二十九年桂仁左衛門の弟子となり、高座生活五十年。上方落語特に人情噺の上手として最後の人であつた。(大阪朝日)

●桂三木助師 大阪落語会の重鎮、桂三木助(本名松尾福松氏)は一日午前七時大阪市生野区新今里五丁目の自宅で急逝した。享年六十。告別式は二日午前十時より自宅で執行。三木助師は十二歳で桂仁左衛門の門に入り「おもちや」と称して初高座を勤め、廿四歳 で〃真打〃を披露して桂三木助と改名、大正十一年九月より吉本興業の専属となつて今日に至つた。(大阪毎日)

〈編者註〉昭和18121日付「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」より。

18年 00318年 00218年 001

上方落語史料集成 昭和18年(1943年)1月~6月

昭和181

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、勝美・幸若、三遊亭小円馬、幸兒一行、繁子・小太郎、桂春団治、蝶々・カホル、花月亭九里丸、エンタツ・エノスケ、雪江・五郎、井口静波、夢若・光晴、一陽斎正一、神田伯龍、雁玉・十郎、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、三亀三・三亀春、アダチ龍光、五九童・蝶子、柳枝・道風、桂春団治、太郎・菊春、桂三木助・小秀・元女、結城孫三郎、柳家三亀松、花月亭九里丸、夢若・光晴、大辻司郎、文雄・静代、エンタツ・エノスケ。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、柳家三亀坊、寿郎・志津子、三遊亭小円馬、繁子・小太郎、太郎・菊春、桂三木助・小秀・元女、文昭・静香、大辻司郎、蝶々・カホル、雁玉・十郎、桂春団治、幸兒一行、雪江・五郎、柳家三亀松。【広告参照】

〈編者註〉広告は大阪朝日新聞を使用した。掲載の日付は煩雑をさけるため省略した。三十一日初日の広告は翌月の最初に配列した。広告は南地花月と北新地花月倶楽部を併記するが、出番順は南地花月のものである。

昭和18130日 大阪朝日新聞

◇「上方はなし」を聴く会 三十日夜五時半始、大阪信濃橋南、岡島会館。

18年 02018年 01918年 018
















昭和
182

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、小福・小夜子、金原亭馬生、成三郎・玉枝、繁子・小太郎、一陽斎正一、五九童・蝶子、桂春団治、市松・芳子、花月亭九里丸、柳枝・道風、桂三木助・小秀・元女、夢若・光晴、石田一松、文雄・静代。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、三亀三・三亀春、幸兒一行、桂三木助、寿郎・志津子、花月亭九里丸、柳枝・道風、桂春団治、夢若・光晴、神田山陽、一陽斎正一、文雄・静代、桂文楽、蝶々・カホル、石田一松。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、柳太郎・柳晴、長二郎・麗子、金原亭馬生、繁子・小太郎、柳枝・道風、桂春団治、夢若・光晴、文雄・静代、アダチ龍光、桂三木助・小秀・元女、五九童・蝶子、石田一松、林家正蔵、エンタツ・エノスケ。【広告参照】

〈編者註〉二月下席の出演後、二代目桂春団治の名が出番表から消える。吉本興業を脱退したと思われる。

昭和18227日 

◇「上方はなし」を聴く会 岡島会館にて。

〈編者註〉雑誌「上方」145号(昭和18225日発行)より。

18年 01718年 01618年 015

















昭和
183

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、花蝶・歳男、三亀三・三亀春、三遊亭小円馬、二郎・ケイ一、成三郎・玉枝、繁子・小太郎、柳枝・道風、一陽斎正一、五九童・蝶子、花月亭九里丸、桂小文治、蝶々・カホル、文雄・静代。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、左楽・隆男、幸兒・三歩・欣呆、勝美・幸若、三遊亭小円馬、房春・鶴江、蝶々・カホル、花月亭九里丸、文雄・静代、雪江・五郎、アダチ龍光、一龍斎貞丈、徳川夢声、柳家三亀松。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、クレバ・新治・清、桂文治郎、成三郎・玉枝、宮城千鶴子(浪曲)、正二郎・洋子、繁子・小太郎、柳枝・道風、一陽斎正一、柳家三亀松、花月亭九里丸、雁玉・十郎、雪江・五郎。【広告参照】

昭和18315

<三代目桂塩鯛死亡>

千橘 003●三代目桂塩鯛 本名岡本密太郎 明治十年生。三代目笑福亭松鶴、初代笑福亭福松、四代目笑福亭松鶴について修業し、二代目桂米団治(のち三代目文団治)に入門して二代目桂米紫を名乗った。大正八年三月、三代目塩鯛を襲名する。塩鯛は初代桂文団治の窪んだ眼窩からきた綽名であったが、二代目文団治も俳名としてこれを用いた。芸名として塩鯛を名乗ったのは米紫が最初であるが、三代目に数えられ、平成二十二年、桂都丸は四代目桂塩鯛として襲名した。三代目は小柄で童顔なところから「ベビーハナシカ」と呼ばれていた。芸は巧者で、大関、横綱は無理としても常に三役をはれる実力はあった。昭和四年に吉本を退いた後は市岡で喫茶店「雨風屋」を営み、時々ラジオに出演して得意の「米あげいかき」「袈裟茶屋」などを聞かせていた。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)/『古今東西落語家事典』(平凡社・平成8年)。

昭和18326

◇第一回小咄さんしょう舎発表会 曾根崎露の天神客殿にて。

〈編者註〉雑誌「上方」149号(昭和18825日発行)の「より多き笑を─小咄さんしょう舎のこと─花月亭九里丸」より。

昭和18327

◇上方落語保存会 午後一時より岡島会館にて開催。

〈編者註〉雑誌「上方」146号(昭和18325日発行)より。

18年 01418年 01318年 012 

















昭和
184

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、二郎・ケイ一、三遊亭小円馬、小福・小夜子、三亀三・三亀春、五九童・蝶子、蝶々・カホル、桂三木助・小秀・元女、雁玉・十郎、林家正蔵、雪江・五郎、神田伯龍、夢若・光晴、柳家三亀松。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、アダチ龍光、三遊亭小円馬、房春・鶴江、柳家三亀坊、成三郎・玉枝、繁子・小太郎、桂三木助・小秀・元女、寿郎・司津子、正二郎・洋々、春風亭柳好、蝶々・カホル、雁玉・十郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、蜂郎・玉三郎、桂円枝、正二郎・洋子、繁子・小太郎、五九童、蝶子、一陽斎正一、柳枝・道風、桂三木助・小秀・元女、夢若・光晴、花月亭九里丸、楽天、雪江・五郎、文雄・静代。【広告参照】

三十日より

△南地花月 桂小雀、三遊亭小円馬、桂文治郎、三亀三・三亀春、花月亭九里丸、市松・芳子、二郎・ケイ一、文雄・静代、結城孫三郎、寿郎・志津子、雁玉・十郎、桂三木助・小秀・元女、雪江・五郎、柳枝・道風。【広告参照】

昭和18419 京都新聞 

◇上方落語を聴く会 郷土文化研究会では十九日午後六時半から木屋町民政会館で松鶴、花柳等の上方落語を聴く会を催す。なほ同会は四月二十九日午後零時半から壬生大念仏狂言鑑賞会をも催す。なは当日は田中緑紅氏の狂言解説がある。

〈編者註〉郷土文化研究会は京都の田中緑紅が主宰する会。

昭和18423日 大阪毎日新聞

◇上方落語を聴く会 二十四日午後一時信濃橋岡島会館で。花柳、米之助、松鶴。(主催:上方落語保存会)

18年 01118年 01018年 008
















昭和
185

大阪の寄席案内

十一日より

△南地花月 桂小雀、長二郎・麗子、幸兒・三歩・欣呆、金原亭馬生、寿郎・志津子、繁子・小太郎、アダチ龍光、桂三木助・小秀・元女、正二郎・洋々、雪江・五郎、花月亭九里丸、井口静波、蝶々・カホル、雁玉・十郎。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、桂円枝、唄治・糸治、三遊亭小円馬、寿郎・志津子、雁玉・十郎、文蔵・田鶴子、柳家三亀坊、柳枝・道風、蝶々・カホル、一陽斎正一、桂三木助・小秀・元女、文雄・静代、太郎・菊春。【広告参照】


18年 00718年 00618年 005
















昭和
186

大阪の寄席案内

一日より

△南地花月 桂小雀、三亀三・三亀春、幸兒・三歩・欣呆、文昭・静香、金原亭馬生、正二郎・洋々、雪江・五郎、アダチ龍光、五九童・蝶子、太郎・菊春、桂三木助・小秀・元女、花月亭九里丸、雁玉・十郎、文雄・静代。【広告参照】

十一日より

△南地花月 桂小雀、柳太郎・柳晴、桂円枝、夢丸・歌楽、寿郎・志津子、幸兒・三歩・欣呆、市松・芳子、繁子・小太郎、花月亭九里丸、柳枝・道風、一陽斎正一、桂小文治、蝶々・カホル、太郎・菊春。【広告参照】

二十一日より

△南地花月 桂小雀、金原亭馬生、長二郎・麗子、夢丸・歌楽、柳家三亀坊、市松・芳子、文昭・静香、花月亭九里丸、繁子・小太郎、太郎・菊春・延二郎・ヒロシ、アダチ龍光、桂三木助・小秀・元女、文雄・静代、柳枝・道風。【広告参照】

〈編者註〉六月下席の出演後、金原亭馬生(小林捨吉)の名が出番表から消える。吉本興業を脱退し、東京へ帰ったと思われる。大正1511月に大阪で六代目馬生を襲名したが、東京では代々の馬生がいたため代数には数えられず、昭和19年に東京で改めて九代目金原亭馬生を襲名した。

18年 00418年 00218年 003

プロフィール

丸屋竹山人

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