丸屋竹山人 落語家銘々伝⑧
笑福亭鶴松
今回は、笑福亭鶴松という落語家の代々を調査しました。
笑福亭では、出世名で、若い頃に名乗る名前としては、別格の名前であったようです。
まずは、例の「落語系図」から鶴松代々を調べて見ると、
初代鶴松:初め鶴松と云う。後に四代目吾竹となり、後に二代目松鶴となる。其後円笑となり講談師となる。五枚扇の松づくしの元祖なり。
二代目鶴松:二代目松鶴門人。初め小文里と云う。
三代目鶴松:三代目松鶴門人。後に福萬となり後に芝鶴となり、其後鶴家団十郎門に入り団鶴となる。
四代目鶴松:二代木鶴門人。文我の倅なり。初め徳太郎と云う。後に文子となり、二代目木三松となり、其後四代目鶴松となる。
二代目松鶴が、鶴松を名乗ったというのは、この「落語系図」だけですが、この人は「松橋」も名乗ったとも言われています。(ブログ明治三十七年参考資料「寄席の変遷」参照)
そして、この初代と二代目の間にもう一人の「鶴松」がいました。
「落語系図」には、記載されていませんが、「上方はなし」の「文我身の上はなし」にこの人の事が載っています。
○文我身の上ばなし 上方はなし15集 昭和12年7月発行
……ちょうど私が九歳の時、道頓堀角の芝居で、嵐璃寛(先年故人となった璃寛の祖父さん)が女舞衣の板額で、嵐璃珏さんが浅利の与市を演じておりましたが、市若切腹の場で、子役のよろい武者が大勢出ますのに、子役が足らぬので、部屋頭をしておりました斎五郎(今の斎五郎の父)が、私に子役に出よと勧めましたので、ツイその気になり、とうとう初舞台を踏む事になりました。その時一番に出ましたのが、嵐璃寿と申しまして、これが後の初代笑福亭松鶴(編者註:鶴松の誤記と思われます)になった人でございます。……それからは何でも少し目先を変えて勉強せねばならんと思いまして、初代鶴松さんにつき歩き、芝居噺と踊りを一生懸命に稽古致しました。……。
○文我身の上ばなし(承前) 上方はなし17集 昭和12年9月刊
明治九年に中座になり、芝居噺と踊とで、人気をとりました。その時分法善寺西門南側に、三嶋屋と申す家がござりまして、そこのボンチが、私をえらい好きで、いつでも抱かれに来ます。ところがそのお乳母でお種と申すのが、これまた私にヨウなつきましてございますが、それがためか、いつのほどか誰がいうともなしに、私が高座へ出ますと、おんばさんおんばさんといいまして、トウトウそれが仇名になりまして、どちらにまいりましても、おんばさんおんばさんで、大変御ひいきをいただいておりましてございます。その後鶴松さんが和歌山で大病になり、臨終の期に五本扇の松づくしを私に伝えてくださいましたが、この五本松づくしは、鶴松師匠が工風なされたものでござりましたが、その頃東京より東家左楽と申す人が参りましたが、この人は見台の上で四本扇で松づくしを踊りました。また喜楽と申す人は、舞台に座ったなりで、三本扇をやりましたが、これは扇の手ばかりの舞でございました。……。
明治十年に因州因幡の替え歌の鬼を考案致しまして客席で踊りましたところ、……
そして、もう二つ、この人の記録があります。
○慶応3年(1867年)4月24日 若宮軍書跡 昔噺 「勾欄雑集録」(小寺玉晃)
若宮軍書跡にて昔はなし
松鶴の倅十四歳 笑福亭 つる松
桂 文楽
小蝶
□□□
桂 慶翁
笑福亭 梅枝
○川喜派、桂派連名表 明治2年(1869年)頃 「芸能懇話」より
(桂派)文枝、正三、鯛輔、九鳥、鶴松、梅花、梅丸、文當、菊輔、吾笑、米丸、小正三、文太郎、正二、光鶴、正竹、文昇、三朝
「勾欄雑集録」(名古屋鶴舞図書館所蔵 写本)の記事は、名古屋での興行記録です。この鶴松なのか疑問となる部分もあります。旅興行なので、子供の噺家に、「初代松鶴の倅の鶴松」として、興行した可能性もあります。
「川喜派、桂派連名表」(芸能懇話7号)の鶴松は、二代目松鶴が参加している「川喜派」ではなく、桂派の初代文枝一派に加入しています。
「上方はなし」の文我の文章だと、明治九年頃亡くなったように読めますが、「三国人気の壽 初編 明治八亥歳一月改版」(ブログ明治八年参照)に、すでに記載されていないので、多分明治七年頃には亡くなっていたと思われます。
この人については、文我も、「蓮盛死出魁 十八番」(芸能懇話21号)の「笑福亭の部」に、「紙くづより 初代鶴松」と記載しており、橋本礼一氏もこの説明の中で、この「上方はなし」の記事から、「元歌舞伎役者で嵐璃寿といい、後初代松鶴の弟子となり、鶴松を名乗った」と書かれています。
もう一つ、この鶴松が初代(二代目松鶴)か、この二代目鶴松なのか判断に苦しむ摺物があります。
これは私の愛読書「上方落語流行唄の時代(和泉書院 荻田清著)の中で紹介されたもので、慶応三年秋の「おかげをどり」「ええじゃないか」の流行を詠んだものだそうです。私はこの手のものは勉強不足で詳しい事はこの本でしかわかりませんが、落語家で「丸家竹山人戯作」「笑福亭鶴松調」と書かれています。
竹山人は、曾呂利新左衛門の話(ブログ曾呂利新左衛門談話集参照)では、初代笑福亭吾竹の師匠と言われており、桂文左衛門も「楽屋そそり」(大阪朝日明治三十五年五月八日)でこの竹山人について述べています。当然、この慶応三年頃生存していたか不明ですが、鶴松がこの竹山人の戯作を詠んだという事でしょうか? 何れにしても、この摺物の発見は、鶴松という落語家の重要な手掛かりになったと思います。
次に三代目(落語系図は二代目)と思われる鶴松を紹介します。
この人は、「上方落語流行唄の時代」で、「鶴松襲名披露の摺物」が紹介され、はじめてその実在が証明されました。
この襲名は、明治十三年正月頃のようで、桂文里(後の二代目笑福亭木鶴)の倅で桂小文里と名乗っていましたが、正式に二代目松鶴の弟子となり、笑福亭鶴松と改名したようです。
只この人も、明治十三年一月の「楳の都陽気賑ひ」に「桂小文里」と記載され後、記録がまったくない為、明治十年代には、廃業したか、亡くなっているようです。
つぎに四代目(落語系図は三代目)の鶴松を紹介します。
この人の初出は、「桂文我出席控」です。
明治27年5月6日より 堺天神社内定席にて
芝鶴、松竹、松橋、月亭都、地球亭○○、梅団治、文我
同年8月1日より 京都菊野屋より
芝鶴、光鶴、松竹、松橋、福太郎、吾竹、文我、梅鶴、(梅団治、篤団治)、かしく、松光、春風亭柳左衛門、米団治、文団治、松鶴
同27年9月1日より 大阪堀江賑江亭
芝鶴、松竹、松橋、梅鶴、米喬、かしく、松光、吾竹、文我、(梅団治、篤団治)、米団治、文団治、福松、文都、松鶴
明治28年1月1日より 大阪堀江賑江亭
春の介、芝鶴、松橋、梅鶴、吾竹、かしく、米喬、文我、松光、米団治、文団治、福松、文都、松鶴
同年8月10日 大阪稲荷座
三代松、福雀、芝鶴、松馬、梅鶴、叶福助、松橋、都勇、吾竹、文我
同年8月13日 大阪西区岩崎福千代席
同年9月26日 堺天神席
同年10月15日 堺天神席
この出番表だけ見ると、芝鶴の入門時期は、松竹(後の四代目松鶴)や光鶴(後の松輔)よりも新しく、三代松よりは古い明治二十六年から二十七年頃の様です。
明治二十九年一月には、師匠である三代目松鶴が浪花三友派を脱退。弟子達は福松の弟子になるものや、廃業する者、又は他の噺家の弟子となります。
芝鶴の場合、どうしたのかは不明ですが、「落語系図」の「福萬」という名前から、もしかしたら、一時福松の弟子になったのかも知れません。
次に名前が登場するのは、「芝鶴」、「福萬」ではなく、「鶴松」の名前で登場します。
明治29年9月1日より 大阪平野町此花館
三代松、鶴松、松団治、米朝、文楽、梅団治、米喬、小文都、梅鶴、かしく、松光、米団治、文団治、吾竹、文我、新左衛門、福松
<編者註>この番付は、「上方はなし37集」にも掲載されています。
同年10月15日より 堺天神社内金秀席
我都、梅左、文楽、福丸、鶴松(チンツル)、芝楽、小福、松喬、米朝、かしく、文我
同年29年12月15日 大阪谷町金ひら社内
明治30年4月1日より 大阪各席
「文我出席控」の中で文我は、この鶴松に、「チンツル」と横にカタカナで記入しています。これはどういう意味でしょうか?
この「チンツル」の鶴松は明治30年4月迄記録がありますが、これ以降の記録はありません。落語系図によると、その後、仁輪加師鶴家団九郎(二代目団十郎)の弟子となり、鶴家団鶴と名乗ったそうです。団鶴は同じ仁輪加師の団七と、一座の中で軽口を演じていました。
私は、仁輪加師についての調査は不十分で、団鶴については調査していません。
但し、昭和七年頃に、初代団十郎の弟子の団道理が中心となって、「大阪仁輪加の会」を定期的に興行しており、その中に、鶴家団鶴の名前があります。もしかすれば、新聞記事の中にこの団鶴の記事があるかもしれません。
又、この団鶴が一時「鶴松」を名乗ったと思われる記事があります。
昭和四年二月十七日のラジオ放送で、落語劇が放送され、その座員の中に「笑福亭鶴松」を名乗る噺家が登場しています(大阪時事新報夕刊)。鶴松以外に、立花家円二郎、桂菊団治、桂小文我、桂文里、笑福亭小正楽、笑福亭里鶴、笑福亭美福、笑福亭松鶴が出演しています。円二郎はこの当時落語家から仁輪加師となり、亭号も「信濃家」と改名していますが、落語家劇という事で、落語家時代の「立花家」を名乗ったのでしょう。鶴松も同様で鶴家団鶴でなく、落語家時代の笑福亭鶴松で出演しているようです。
最後にこの鶴松の写真ですが、明治四十五年五月、あやめ館での「寿々女会」の集合写真の中に、かなり不鮮明ですが、「鶴家団鶴」の写真がありました。真ん中の人物がそうです。右隣の大和大掾家長楽と軽口を演じていました。