明治元年(1868

勾欄類雑集録

◇明治元年戊辰十一月廿二日より、清寿院境内におゐて昔咄。

林家市松・林家延玉

〈編者註〉初代林家延玉。『落語系図』『本朝話者系図』によると、初代桂文吾門人で源吾。弘化二年、二代目文吾となる。女流講釈師円山尼の忰分となり、円玉(亭号不明)。初代林家正翁の門人となり林家円玉となる。江戸へ下ったとき二代目三遊亭円生門人狂言亭円玉と紛らわしいため延玉と改名する。音曲に長じ、松尽くしの元祖。江戸、京都、大阪で活躍し、名古屋での出演も多い。荻田清『上方落語 流行唄の時代』(和泉書院・平成27年)に慶応二年と推定される林家延玉が名古屋清寿院で興行した時の一座番付が紹介されている(下図参照)。同書には他に円玉・延玉の唄本が数種紹介され、そこにもふくよかで愛嬌のある顔が描かれている。明治十三年に七回忌法要が行われたという記事(明治13109朝日新聞)があり、明治七年に死亡したと思われる。

林家延玉 002

明治2年(1869

勾欄類雑集録

◇正月 日より去冬よりの咄、清寿院にて持越。

林家市松・林家延玉
勾欄類雑集録

◇正月十三日より七つ寺境内にて軍書はなしと看板には有之共、チヨンガレの由。至て上手にて、清寿院咄、入をとらる。

  都虎丸・竹川粂吉・京屋駒吉

勾欄類雑集録

◇右跡(編者註:清寿院)にて四月中旬に、

祝経[説経] 岡本美登吉・美吉・美之助

はなし 桃青庵春斎・元笑亭扇若・遊子軒

勾欄類雑集録

◇(十一月)二十八日より、大須境内ニワカこれあり候処、不評にて直に仕舞。

世の中はなし 三笑亭扇雀・林枝鮎作・富士家

芝居はなし 林家正三

〈編者註〉この正三は「名古屋の正三」と呼ばれた人で、大阪の林家正三とは別人。本名水野鎌吉。名古屋落語界のドン的存在で、晩年は名古屋の落語家及び幇間の取締りとなり、生前の明治二十七年六月に自ら立派な石碑を建てている(当ブログ明治276月の項参照)。

明治3年(1870

勾欄類雑集録

◇六月 日より広小路七間町角芝居小屋にて軍書□□□はなし。

林[笑福亭]梅鶴梅枝・冨士屋三玉

〈編者註〉笑福亭梅鶴は初代松鶴の弟子。梅枝は「ガマ口の梅枝」(明治8年1月の注釈参照)。

明治5年(1872

明治53月  

<三代目立川三光死亡>

●三代目立川三光 本名未詳。生年未詳。二代目立川三玉斎の門人で、師匠の前名三光の三代目を継いだ。二代目桂文枝(文左衛門)が京都で最初に弟子入りしたのがこの三光で、立川三木助と名乗った。三光という人は楽屋名人だったらしく、上手だが、お客の評判があまりよくなかったらしい。弟子の三木助の人気があがってくると、それをやっかみ、嫌がらせまでしたので、三木助は京都を去って大阪の初代桂文枝についた。先師三光が亡くなったあと、正式に文枝の弟子となり文三の名をもらい、のち二代目桂文枝となった。

〈参考文献〉橋本礼一「上方噺家列伝」(『藝能懇話』二十一号・平成28年所収)

勾欄類雑集録

◇四月六日より大須境内におゐて落し咄道入[道具入]。

清寿院の先達て豪猪の小屋なり。

勾欄類雑集録

◇五月二日より二の替り、大道具入、十八日切、場付壱人三匁。

林家歌笑・桂文馬・林家正三・林家玉助・林家延玉

〈編者註〉この桂文馬は後の三代目桂藤兵衛。慶応年間に初代文枝の弟子となり文馬となった。明治八年に文字助と改名している。嘉永二年生まれというからこの時数えて二十四歳である。

勾欄類雑集録

◇五月節句より(編者註:元寺社役所南外堀町の千秋亭にて)。

  手品太夫 瀬川清造、昔噺 林家正二・林家梅丸、芝居噺 桂力造、はやし 桂歌吉・杵屋貴蝶、口上 重八、後見
 
末吉

力造は八年已前来りし廣二郎なり。

勾欄類雑集録

六月十七日、七寺にて、木戸代通り弐百文。

二代目水寒亭龍玉、昔咄 柳亭燕若


[参考文献]

「勾欄類雑集録」 小寺玉晁の自筆稿本で、文久四年から明治六年までの名古屋の芝居、落語、講談、見世物等を記録したもの。原本は早稲田大学図書館蔵で、未翻刻、未公開のため、名古屋の鶴舞中央図書館蔵の写本(明治四十三年に名古屋市史編纂係が謄写したもの)により掲出した。明らかに写し間違いと思われる箇所はその文字の後に[  ]で示した。なお、写本はインターネットで公開されている。