明治17126 朝日新聞

◇話の上手と年の少(わか)いのと男の好いのと三拍子揃つてゐると評判の好い東京新下りの落語家三遊亭円好は、本日より神戸楠公社内の席へ昼夜出勤して弊社の続物芦辺の鶴と二葉の松を弁じると云。

明治1722 朝日新聞

◇評判の橘屋橘之助は、去る十五日の夜、南地法善寺の席にて、髯で何とかゞ勤るならばといふ都々一を唄ひたる廉を以て、去る廿七日の夜、難波警所へ拘引、取調の上、一夜留置、翌廿八日、中之島裁判所へ送られ、一夜檻倉に留められしが、翌廿九日の朝、元の警署へ帰され、科料金を命令(いいつけ)られて帰宅を許されしと。吁(ああ)口は禍ひの門なる哉。

明治17224 東海新聞

◇開慶座 昨夜より當区替地町の開慶座に於て芝竜橋が怪談を始めたり

◇玉川金蝶 同人は本籍大阪府下西成郡篠波平民法道仁平と云う者にて、影絵の名人なる由なるが、近日より大須大門亭に於て、説教、新内、常磐津に右影絵等の混交(ないまぜ)にて開演する由。

明冶17225 奥羽日日新聞

◇昨夜は宝の入船で、東一番丁の中島座へは東京初下りの筑後太夫に、三味線はお馴染の鬼市、語竹の乗合咄し等が興行になりしと。

明治17229 朝日新聞

◇新講談を以て有名なる東京の講師松林伯円は此程来阪、来る三月一日より昼は北堀江賑江亭、夜は旧長州邸長門座へ出席し、例の雄弁を揮つて春霞駿甲奇聞と明治朝鮮事情の二題を演ずると云ふ。

明治1735 東海新聞

◇桂文福 落語を以って有名なる桂文福(本名星野藤兵衛)は、先年大阪より当地へ来たり。南桑名町野々部熊次郎方に同居しゐたる所、この頃右熊次郎が強盗犯とかにて其筋へ拘引されしに、同人は是まで詐称しゐたる偽名の露見せんことを覚し、一昨日其筋へ姓名詐称の趣き自首せしと云う。

明治1737日 朝日新聞

◇南区日本橋一丁目十四番地講談師伯林は、かねて弘法大師を厚く信ぜしが、此程四国八十八ケ所の霊場を細(こまか)に順拝し、大師の実歴を詳しく聞糺(ききただ)して、新に大師の実伝を編述し、高野山に上り、金剛三昧院に於て多くの信者を集めて、之を講談し、確実精細の評を博せしが、今度久々にて当地に返り、去る一日より二ツ井戸の席にて自編の大師伝を講談し、非常の喝采を得てゐるとか。其道に熱心なる人といふべし。

明治17313日 朝日新聞

◇東京講談師松林伯円は前号にも記載せる如く、去る一日より長州座、賑江亭の両席へ出場せしが、久々の来阪ゆえ両席とも非常の大入なりしも、不幸にして其翌日より突然病を発して講談する事能はず、京町堀共療館桑原国手の治療を受け、同国手の勧めによつて一週間城の崎の温泉へ入浴に趣[赴]き、入浴中弊社の続物二葉松と蘆辺の鶴の二件を新講談に綴り、咽喉病全癒帰阪の上、両席にて演説するといふ。

明治17316 東海新聞

◇追善會 今度、故講談師松崎竜玉三代目相続の水雲斎竜玉(旧名小竜玉)が席主となり、本日より三夜間、当区大須門前大門亭に於て目下在県の諸芸人を打寄せ、右竜玉の追善大会をなすよし。定めて賑々敷きことならん。

明治17325日 東海新聞

◇林家延若 落語家にて一寸人に知られし林家延若は、東春日井郡小牧村において興行中、同村宿屋富三郎方に宿泊したる節、或人の道島を窃取せしことが発露し、一昨日二十三日監獄本署へ護送になりにし。

明治1746日 朝日新聞

◇東京落語家の中にて若手の上手と謂はるゝ土橋亭りう馬は、頃来(このごろ)々阪、去る二日の夜より堀江の賑江亭へ出席して得意の人情噺を弁じ、非常の佳評を得ていると云ふ。

明冶17410 奥羽日日新聞

◇豆太夫 仙台立町通の玉木座へは一昨夜より、東京初下り座敷浄瑠璃が興行になりしが、太夫は竹本豆太夫、鶴澤福之助の連中に、スケは新内節鶴賀補太夫、笑福亭語竹の昔話し等にて、尤も豆太夫は当年五年八ヶ月の子供なれど、中々上手なりとの評判。

明治17417日 朝日新聞

◇当地の落語は所謂千篇一律、只人を笑すのみに止りて更に世を益する無きは云に及ばず、喜怒愛楽の感を与る事さへ浅きを嘆き、博労町の織田某は新町九軒の落語の席を引受けて、規則を改め、東京下(くだり)の土橋亭りう馬、橘屋橘之助等の一座を雇入(やといいれ)、木戸銭も成丈廉価(やすね)に成し、漸次(しだい)に旧習を一洗するの目的なりとか。是も一つの美挙と謂べし。

明治17423日 朝日新聞

◇新町扇屋の席は今度表廻より舞台を改良し森岡三木松、同鶴栄等一座の舞ざらへを去十九日より興行して居るに、殊の外大入にて近来の大人気なりと。

明治17427 東海新聞

◇席開き 寄小屋では第一等とも云う可き大須門前の大門亭は、是迄松崎龍玉が持なりしが、例の不景気にて維持方に困却の餘を今般元巡査とのを奉職に居さる勝野某に譲り渡せしを以つて、勝野は席開きとて、落語家にて随分贔屓を取りし林家花丸の一座を聘し、一昨二十五日の夜より開場せし。今の不景気よも拘らず一方ならぬ大入なりしと然るに如何なる事由のことにや。席主勝野某は前晩其筋へ拘引されしと云う。 

明治1753 東海新聞

◇講談 大須の寶生座に於て昨日午後六時より東京にて有名なる講談師桃川燕林及び桂文之助其他数名が講談会を開きたり 

明冶17513 函右日報(浜松)

◇去る九日より、落語家司馬竜橋の一座が浜松井升座にて興行せしに、毎夜中々の大入なりしと。

明治1764 東海新聞

◇手品 近日より當区栄町の廣栄座に於て養老滝五郎が得意の水芸を演じる由。 

明治1766日 東海新聞

◇水芸 一昨夜より開場せし栄町廣栄座にて興行する養老瀧翁斎の水芸は中々の人気なり。

明治1767日 東海新聞

◇富本座 去四日より當区富沢町の富本座に於て興行する常盤津にて上等株なる東家こまの助の三味線は、曲引が余程上手の由にて中々の好評判にて、又景気を取らん為め毎夜木札を看客の中へ数十枚投げ入れ、拾いし者は其記号にて手拭或は団扇又は簪を土産に出すと云う。

明治17629日 朝日新聞

◇御霊神社裏門前前川南滄所有の講談新席にては、本社新聞に掲げたる食山人が講談師に望む云々の投書の趣意に基き、該席の所有主南滄と石川一口が発起と成り、来月一日より府下の諸講師を会し連日講談研究会を開きて該業の改良を計ると云ふ。

〈編者註〉上記の食山人の記事は、明治17624日付「朝日新聞」に掲載された「我国の下等社会が侠気に富るを論じ、併て講談師に望む」というもの。

明治1771 東海新聞

◇大繁昌 當地の落語家桂文福、林家福助及び南北の三名が福に縁故ある福井県下へ過般出稼ぎせしが近来の不印にも拘らず非常の大入にて日数が僅か十有余日にく一百余円の利を占めるると或る仲間の許(もと)へ通報ありしと。

明治1782日 東海新聞

◇講談 當区富澤町富本座に於て昨夜より上等講談師小林天山が勧善懲悪の軍談を演ずる由。

明治1787 京都絵入新聞

涼み噺し  今七日より新京極三条南入る坂井座に於て大坂で有名の落語家桂文団治、米団治、正団治、小団治、歌団治、鶴賀金蝶、二蝶等の大一座が人情昔噺し新内軽口等の興行なし客へ土産として涼しい品を呈すとの事ゆゑ大入叶で有満証

明治17829日 朝日新聞

◇東京落語家土橋亭りう馬は、当地各席にて非常の声価を博せしが、今度神戸楠公社内の席より招きを請て下り、得意の人情話(つづきもの)を演(のべ)るといふ。又岸沢節三絃(しゃみせん)の妙手を以て東京女芸人の領袖(かしら)と仰がるゝ東家駒之助は、頃来当地へ乗込、来る九月一日より法善寺、淡路町、曾根崎、賑江亭等の各席へ出張して妙技を奏するといふ。定て三絃の声と共に声価を府下に鳴すべし。

明治17831日 朝日新聞

◇大阪は東京に次ぐ繁華の地にて何事も多く彼地に譲らぬを、只寄席の構造(たてざま)のみ太く劣りて、多くは黒暗(くら)く汚穢(むさ)く、殊に衛生上に緊要なる空気の流通あしければ、夏天(なつむき)は尚更客人の苦情を惹きたるを、淡路町幾代の席主爰に感ありて、本年の土用休みを幸ひ旧席を取崩して、新(あらた)に明るく清く空気の流通好き席を営み、一昨廿九日府下の同業諸芸人並に平生愛顧(ひごろひいき)の客人等を数十名招き、北地の芸妓舞妓十余名に席上を周旋させて、盛なる席開きの祝宴を張りたり。又出方の落語家も此席の建築と共に是迄の弊習を一新し、成丈(なるだけ)新奇なる談話を演じて一層来客の娯楽(たのしみ)を厚うするとの事、殊に東京新下りの駒之助にお馴染の橘之助の両別嬪が岸沢と清元の競争をするとの事なれば、一入の大入大繁昌を占るならん。但し明一日夜より開場するとのことなり。又講談研究会発起人前川南滄は井戸の辻席大入にて来月へ持越し、又堀江賑江亭にて来月一日より同研究会を開くといふ。

明治1794日 朝日新聞

◇去る一日の夜、京都新京極道場芝居に於て起りし演説騒動の詳報を聞くに、同夜は仏法演説会を開くとて、最初に会主北村外吉演壇に上り、次に野崎詮、其次には彼の自由童子と称する川上音次郎が此時候に黄八丈の袷衣を着流し、白縮緬の帯をクルクル巻き、奇異の様にて壇上に立ち、耶蘇か糞かとの演題にて蝶々弁舌を振ひけるをりから…(以下略:聴衆が騒ぎたち、乱暴狼藉、会場が大騒動となった話)。

明冶17914日 函右日報

◇浜松連尺町の井升亭には、今度、東京落語家の朝寝坊むらくの一座にて、去る十一日の夜が初日にて中々の大入。

明治17919日 朝日新聞

◇本月三日より六日まで京都滋賀新報に記載せし同月一二日の学術演説会景况記事の内に、詐欺の演説者云々の文字ありしを以て、同会の弁士川上音次郎、会主北村外吉の両名は、一昨十七日同新報社持主印刷人編輯人を被告とし検事局へ控訴せり。

明治17921日 朝日新聞

◇常盤津の三絃引にて名人の聞え東京に高き宝集家金蔵の高弟宝集家鉄太郎は、先年来当地に来(きたり)、歌沢芝千と名乗、各花街の芸妓を始め素人にも端歌を教てをりしが、今度各席の招きに応じ夜分丈席へ出る事を諾し、旧芸名宝集家鉄太郎の名にて来る廿三日より堀江の賑江亭、南地の竹横亭、曾根崎の幾代、此三席へ出て常盤津の引語を為すとの事。定て聞きものなるべし。駒之助の岸沢、橘之助の清元、鉄太郎の常盤津、以て音曲家の三幅対といふべきか。

明治17921 京都滋賀新報

講談師大発奮 此程長崎に居りし三遊亭円喬と云ふ講談師は仏清戦況の実地を目撃して高坐に述べんと思立ち去る十三日同地発の郵船にて上海へ渡航したるよし

明治17923日 朝日新聞

◇一昨朝の事とか、京都の市中諸所に左の文意を書き貼紙をなしたる者あり…日本之貧書生を募集す 無法無政党討論研究会…右貼紙を剥取らるゝ其際、夫の福岡県士族川上音次郎の自由童子殿は突然下京警察署に引致せられ、今猶取調を受け居るよしなり。

[欄外記事]本紙雑報に川上音次郎引致とあるは、同人病気に付、北村□吉が代人として召喚に応じ出頭したる事の誤聞なり。

明治17105日 朝日新聞

◇当時兵庫楠公社内にて興行してゐる桂小文吾は、今度師匠文吾の師匠なる文三の名を継ぎ、右名広めの披露として今日、明日同席にて大寄をなし、当地よりも橘屋橘之助、吾妻屋小満之助の両音曲家も出席する由。

明治171012日 朝日新聞

◇講談師中の開新家石川一口は今度劇場作者に転業するにつき近々花々しき転業披露をするといふ。

明治171014日 朝日新聞

◇前号にも一筆記せしが、落語家小文吾は今般師匠文三の名を継ぎ、其改名披露として来る十六日昼夜淡路町幾代、十七日夜曾根崎幾代、十八日昼夜法善寺、十九日、廿日両夜堀江賑江亭等にて大寄を催すといふ。

明治17115日 朝日新聞

◇曲引十八人芸をもつて琵琶、三絃、横笛、尺八、赤子の啼声、妻恋ふ猫の噛合の声色と共にその名吾浪華津に鳴わたる瞽者立川明学は、今度東京の各寄席より招待を受け、来る十五日頃より上京するを以て、南堀江新生楼に於て華々しき離別の宴を開き、法師並に同業の落語家、諸芸人、各寄席の主人、愛顧(ひいき)の人々、且各新聞社員等百数十人を招き酒肴の饗応を為したり。是迄諸芸人の習慣(ならわせ)は寄席の主人等へ多少の迷惑を掛け、夜逃同様の始末にて東京へ出る者多きを、此人の如く盲目不具の身にしてさる不品行なく、此く目出度く出京するは頗る奇特の事といふべし。完全の諸芸人、為に耻るところなからんや。

明治17117日 朝日新聞

◇淡路町寄席幾代の席元は、今度京都新京極へ立派なる新席を建築し、去る五日席開きの祝宴を催ほせしが、其日の概況を記せば、当地より席元其余席掛の者を始め、寄席へ出場する諸芸人、落語家、音曲家及び招待に預りたる各新聞社々員、愛顧(ひいき)の諸客、宴席の周旋の為招きたる北新地、新町、堀江の芸妓等、無慮百数拾名、二番汽車に乗込て梅田停車場を発し、七条の停車場に着するが否や、予て用意せる腕車(じんりきしゃ)(各新聞社員の乗車には何々社と紫地に白く染抜き、諸芸人の乗車には桂誠組と白地に赤く染抜たる小旗を掲げたり)に乗り込み、一列に新席に乗付たるは中々目覚しかりし。夫より予て新席に来合せをる京地の諸客と共に楼上楼下に居並び、桂文三師匠、文枝病気につき名代として開場の式を為し、桂文吾祝文を朗読し終つて盛なる酒肴の饗応あり。大坂より携へ行きたる数名の芸妓の外に、先斗町の芸妓君勇、お政、舞妓小君、種鶴等数名来たりて酒興を添へ、音曲の合奏、舞踊等ありて実に盛なる景况なりし。落語席の開業にかゝる盛宴を張しは京阪にては是ぞ嚆矢ならん。サテ祝席に連なりたる落語、音曲両家の重なる者は文都、三馬、りう馬、こまの助、橘之助、文吾、明学、里朝等にて、又昨六日より昼夜の興行にて、出席の一座はこまの助、りう馬(東京新下り)、文吾、文我、文三等なりと。因に云ふ、出席の芸人は大阪連のみに限り、三十日に一回づゝ交替するとのこと。

明治171115日 朝日新聞

◇[広告]小生儀未熟なる講談を以て久しく群客の御愛顧を蒙り、長く御耳を涜し来り候処、今度或る御客様のお進めにより、残念ながら同業を退き他業に従事致候。付ては来る十六日法善寺内の席に於て引祝ひのため府下の講談師を集め講談の大寄せ、中へ落語、音曲を加へ、傍聴無料にて興行仕候間、御誘ひ合され続々御来車の程奉願上候以上。/催主 石川一口

明治171116日 朝日新聞

◇府下有名の講談師石川一口は今度講談業を止て劇場(しばい)作者に転じたりとて、右転業祝ひに美麗なる刷物、扇子等を配り、今十六日法善寺境内の自席に於て転業祝の大寄(無料)を催し、府下諸講談師は勿論、落語家にて文都、三馬、音曲家にて橘之助、手品師にて正若等が出席すると云ふ。

明治17126日 朝日新聞

◇新狂言作者石川一口が催しにて、戎座当興行打上次第、同座、中座三劇場合併の道戯演劇(どうけしばい)を興行し、三枚目の別部屋株が立役に廻り、狂言は太功記、二十四孝、扇屋熊谷などミドリに出し、延若、宗十郎、右団次の三優が後見に出るといふ。

明治171221日 朝日新聞

◇評判の立花屋橘之助は来一月一日より京都京極幾代の席へ乗込み、吾妻屋古満之助と交退して例の清元の妙音を鳴すといふ。

明治171225 中外電報

新京極一斑 日外の紙上にも記載せし如く新京極は一昨年よりは昨年昨年よりは本年と其衰微甚しく追々困難の有様なれど同所には一種特別の気風ありて不景気の迫るに従ひ益思考を立る者出て来り不景気が却て各自の競争となれり向に氷店が励商場となり直ちに変じて興行席となれるが如く今また桜之町の興行席笑福亭「噺席」を修繕中なるが此小家主は同組先斗町の金満家と聞えたる高橋太三郎の所有にして今回更に三千円の金を抛ち建物木柄は悉皆桧造りとし上下に桟敷を構へ敷物を敷つめるよし其招牌台は黒檀□にして凡金二百五十円なりといふ…

明治1712月 『近代歌舞伎年表 大阪篇』

◇十二月吉日初日 天満大工町芝居 演目:入高積黄金大湊。配役は以下の通り。

高野師直・斧定九郎・寺岡平右衛門・高木次郎太夫・南郷力丸・鳶の者米造・伊達外記左衛門・工藤左衛門祐経(市川米団治)、仲居お梅・娘小浪・加藤与茂七・伊達頼兼・傾城喜瀬川(中村小団治)、太鼓持政八・工藤犬坊丸(実川政之助)、鷺坂伴内・母おかや・仲居おみや・山名宗全・番頭与九郎・駒形久馬・朝日奈三郎(中村篤団治)、亀井隠岐の守・百姓太郎作・太皷持助六・奴助平(市川助子)、小姓金弥・仲居おかつ(尾上小円)、梶川与三兵衛・仲居おらん(市川団蝶宝)、種ケ島六蔵・一力亭主・百姓与一兵衛(嵐由之助)、狸の角兵衛・矢間重太郎・三木求女・刑部鬼貫・料理人喜介・浜松屋孝兵衛・近江の小藤太(市川歌団治)/早野勘平・七つ目弥五郎・三二五郎七・鳶の者梅吉・仁木弾正・曾我十郎祐成(坂東梅団治)、仲居おたつ・傾城菊代・梶原景時(尾上小円)、赤井太郎・鬼王団三郎(市川団蝶宝)、桜木源吾(実川政之助)、百姓畑作(嵐由之助)、大星力弥・沖の井・千崎弥五郎・按摩米市・前野左司馬・赤星重三(市川米八)、加古川本蔵・一文字屋才兵衛・竹森喜多八・浜松屋孝三郎・湯女おたま・熊井源吾・八幡三郎(大谷福助)、めっぽう弥八・太皷持亀八・奴宅平・髪結新平(中村歌女七)、渡平銀平・奴早平・忠信利兵衛・備前大藤内(嵐由之助)、腰元おかる・斧定九郎・妾司太夫・名古屋山三・弁天小僧菊之介・渡辺民部・大磯のとら(市川米朝)、大星由良之介・塩谷判官・原郷右衛門・不破伴左衛門・鹿間大九郎・細川勝元・曾我五郎時宗(実川正団治)。