明治22年

上方落語史料集成 明治22年(1889)1月~6月

明治2211日 日出新聞

◇京都の落語席 

新京極幾代席 藤兵衛、可楽、常丸、枝太郎、芝楽、文明、文如、遊馬等の昔噺。

新京極笑福亭 円喬、円光、玉団治、木鶴、花丸、徳永里朝(同人伜与三郎と三味線曲弾)。

千本今出川上る千代の家 藤兵衛、遊馬、可楽、芝楽、南枝、文如、柳橋、しん吾、文鯉等の昔噺。

西堀川丸太町上る菊の家事幾代支席 新京極幾代席の連中が掛持。

猪熊下長者町上る栄の家席 円喬、円光、徳永里朝

五條大宮東入竹廼家 落語

〈編者註〉

藤兵衛は二代目桂文枝門人で三代目桂藤兵衛。

可楽は五代目三笑亭可楽(本名原吉弥)、京の可楽。

常丸は笑福亭常丸、綽名は「ちがい棚」、後に二代目笑福亭竹我となる。

枝太郎は二代目桂文枝門人で初代桂枝太郎。先斗町の枝太郎。

芝楽は京の可楽の弟子で、師匠が三笑亭可楽を襲名したとき笑福亭吾妻より三笑亭芝楽と改名した。

文明は桂文明、翌年一月に桂藤喬[京]と改名する。藤兵衛の門下となったと思われる。

文如は六代目桂文治門人で桂文如、のち二代目藤兵衛門人となり桂藤誠を名乗る。

遊馬は二代目三遊亭円馬門人で、三遊亭遊馬。

円喬は政談演説上りの三遊亭円喬(本名永瀬徳久)、このころ京都笑福亭の真打株として活躍している。の
  ち六代目朝寝坊むらくを襲名する。

 円光は、初代梅枝の弟子で梅々から藤鶴。二代目文昇門で文舎から二代目松鶴門で円光。後曾呂利の弟子と
  なり、三友派に復帰して梅香。俗に呑んだくれの梅香。本名飛呂秀吉。

徳永里朝は盲目の音曲師。

南枝は、二代目文昇門下で文八から二代目南光門で南枝。本名日下部清吉。

柳橋は三代目松鶴門人で、後柳三から慶枝(士)となる。

しん吾は桂しん吾で、曾呂利新左衛門か二代目文枝の弟子と思われる。

文鯉は曽呂利新左衛門門人文丸から文鯉。本名渡辺勝次。明治245月死去。

明治2211日 新愛知 

興行物 本重町新守座 珏蔵、珏太郎、知鶴、時十郎一座 南桑名町千歳座 松童、小福助、太郎、蔦之助、國三郎の一座 大須寶生座 右家三八百三郎福笑萩之丞一座橋詰町笑福座 あつま四郎五郎一座代官町一徳座 碇綱一座の軽業 大須福寿亭 吉川辰丸うかれぶし同花笑亭 立川金龍人情怪談冨澤町富本 竹本金枝一座の女浄瑠璃外田町橋又座 高田伯龍の講談はなし上宿七福座 小林天山の講談橋詰町開慶座 都小圓冶のうかれぶし魚の棚白廣座 竹本駒辰一座の女浄瑠璃久屋町寿亭 富士松鍵吉の新内東田町新寿亭 岸澤古柴一座の常盤津小川町正福座 吉川辰丸のうかれぶし平田町松若座 笑福亭八百蔵の人情ばなし半僧坊境内出世座 鍵吉の新内橘町弘法座 岸の屋古新一座の常盤津下茶屋町真榮座 梅林舎南鶯の講談若松町若松座 遊生、文福の落語花園町旭亭 浪花辰之助のうかれぶし花車町駒本 遊生の人情ばなし橘座 春吉勝冶の女芝居同開遊亭 三人片輪の見せもの同五明座 鈴川小柳の軽業其隣の三よしの 大垣の女ヘラヘラ一座門前町性高院 和洋合併角力の土俵入

〈編者註〉笑福亭八百蔵は初代松鶴の弟子。一時立川を名乗った。後に東京で講釈師となり、名古屋の端席で十年間以上一人で興行していた。晩年はフリの前座でいたようだ。本名加藤市松。遊生は三遊亭遊生。初代三遊亭円遊門人で初代遊生。文福は桂文福。本名星野藤兵衛。明治九年頃に名古屋に来て、そのまま居付いた。晩年、息子小文福に二代目文福を譲り、本人は、富本席の席主となった。

明治22119日 金城新報

東京の講談師四代目石川一口は初御目見得にて、今夕より富沢町富本席にて開講するとの事なり。

明治22年1月22日 豫讃新報

芸名が川上音次郎 昨今小唐人町二丁目の改良座に於いて興行しつつある、無鉄砲組の二○加に立役の一人として其の名も高き川上音次郎とあるは、大坂京都にても一時評判あるものなれば、イデ一夜見物に出掛けんと木戸銭を払い行き見しに、其の川上音次郎なるものは如何(どう)やら人違いの様なりと。段々取調べ見しに違うも道理、其の川上音次郎と云うは全くの芸名にて、実は岡山県岡山区濱田町の松嶋長次郎と云う者なりしと云う。

明治22130日 金城新報 

興行物 まず芝居は代官町一徳座は太郎吾妻の一座にて佐倉宗五郎千歳座は松童小福の一座で日本駄右衛門一代記新守座は知鶴しうかの一座にて加賀屋騒動に彦山権限切かいろは新助寶生座は東京役者の阪東利喜松一座にて水滸伝を日本風俗に書換えた狂言末廣座は大寄せ五明座は女の曲馬に音曲浄瑠璃みよしのは花川藤四郎の影絵大須門前の福寿亭と東田町の新寿亭は三枡屋梅車のうかれ節若松町若松座は文福、八百蔵の落語大須門前の花笑亭と橘町弘法座と掛持にて浪花辰之助のうかれ節花園町の旭座は岡本美代冶の源氏ぶし常盤町の廓座は中村芝鬼蔵の俄芝居冨澤町の富本は照玉一座のお名残浄瑠璃花車町の駒本は南鶯の講釈外田町の橋又座は三遊亭遊生の落語上宿七福座は美根登司の説教久屋町の寿亭は都幸吉のうかれ節小川町の正福座と半僧坊の出世座は伊六万歳のかけ持新橋の新遊亭は駒辰の女浄瑠璃下茶屋町の真楽座は伯龍の講談平田町松若座は金枝の女浄瑠璃橋詰町の開慶座は都小三と小圓二のうかれ節又今度立派に新築した八百屋町の新席は久松座と号し南蝶一座の大二

明治2225日 中外電報

興行倶楽部 新京極幾代席の落語家桂藤兵衛が発起にて、今度新築なりし受楽亭の三階楼を借受け、之を興行倶楽部と称して毎月一回づゝ興行人及び諸芸人等が相会し、技芸の研究は勿論芸人仲間の種々なる事柄をも相談するとか。

明治2228日 日出新聞

◇滑会(こっけいかい) 新京極六角下る落語席笑福亭にては、昨今滑会といふを催し、一座の円喬円光、玉団治、木鶴、花見なんどが本拳、土論拳、藤八拳撰出の議員に打扮(いでた)ち、又一人の戯長と説明員とを置き、来客へも発議討論を許して、落語の研究を始めたるが、殊に今夜よりは例の円喬が日出新聞のつゞきものなる二人大名と女侠松竹梅とを隔夜に演ずる由なれば、旁(かたがた)落語の可笑みと人情の趣味とにて、一層来客の受よかるべしといへり。

〈編者註〉玉団治は二代目文団治門人桂玉団治、後の三代目桂文都。木鶴は林家木鶴。二代目桂文三は一時木鶴を名乗ったが昨年に文三に戻っているので、この木鶴は五代目林家正三門人の四代目と思われる。花見は花丸の誤記か。

明治22211日 香川新報 

陰暦正月にて休業し居れたる興行も昨今開業を為し、高松片原町天神社内飛梅閣にては大人気の竹本勢見太夫の浄瑠璃。同町の東座にては幻燈にて福島県磐梯山破裂の実況、及び岐阜大垣洪水の惨状を映出するの見世物。又内町旭座にては、嵐富三郎一座。延寿閣にては坂東いろは一座の演劇を初め、何れも景気宜しき有様なりと云う。

明治22217日 新愛知 

諸芸大会 新地若松町の若松座に於て三府芸人等が合併にて諸芸の大会を昨日より興行せし由。

明治22314日 大阪朝日新聞[広告]

<二代目桂文三、高座復帰広告>

兼テ御ヒイキニ与リタル桂文三義、病気ニ付永ラク休席致居候処、南高橋病院々長謙三殿ノ御尽力ヲ以テ全癒シタルニ付、明十五日ヨリ左之三席ヘ出席可仕候間、旧倍御引立ノ程奉希候謹白 北区天神裏門亀の池 林家席/北新地裏町落語定席 金沢亭/東区淡路町御霊筋西入 幾代亭

明治22426日 香川新報 

壮士の演劇 昨日の紙上に掲げし壮士の演劇は、兆氏(ちょうみん)中江篤介氏が太夫本と云様な資格後楽(こうらく)栗原亮一氏が顧問とかにて。前狂言は剛膽(ごうたん)の書生貞操の佳人、切は未来の出来事噂の女丈夫という名題にて。弥々(いよいよ)本日より蓋開けにて、毎日午後三時より初めると申すとなるだろうという評判は何れ一見の上詳しく御目に掛けべけれと、兼々大坂岡山等其他各地にて興行したる熟練なる壮士諸氏十六名の舞台と聞けば、定めて其の珍らしさに大入を取ることならん。

明治2252日 岐阜日日新聞 

予て新築中なりし当地今小町の寄席関本座は、此程愈々落成したるを以て、来る五日の夜より座開きとして初興行を為し、一流軍談浮れ節に名ある吉川虎丸一座が大入を為すよし。

明治22515日 中外電報

芸人滑稽演説会 今明両夜新京極道場京角座に於て諸芸人滑稽演説会と云ふを開く由なり。其演題は一寸先は闇の夜(落語家文明)世人の面皮は千枚張なり(同円喬)別品に惚らるゝの説(壮士俳優金馬)釈迦の説法閻魔が笑ふ、失敗々々又失敗(俄師馬鹿八)俄師の勢力(正玉)当世の色男(落語家花橘)滑稽が社会に及ぼすの効力(俄師東寿)まゝならぬ浮世(講談師琴竜)改良流行の改良(同琴昇)祝文朗読(俳優中村時助、嵐利喜松)等なり。

〈編者註〉花橘は二代目三遊亭円橘門人三遊亭花橘。後に大磯の幇間となり、明治三十九年同地にて死亡(「文之助系図」)。

明治22516日 岐阜日日新聞

当地今小町寄席関本座に於て、今十六日夜より東京講談師一徳斎親玉一座にて、講談及び怪談早替り等の所作事を興行するよし。

明治22616日 大阪朝日新聞[広告]

今日帰朝相変ラズ千日前井筒席/時事有感 大阪浮浪壮士の血涙 人情つゞきもの/川上音次郎事落語家浮世亭〇〇 

予テ遊芸ニ志アル壮士ヲ募集シ、滑稽演劇取組中ノ処、諸事整頓シ、愈々来ル六月十八日ヲ以テ開場仕候ニ付、続々御来看有之度、而シ場所ハ千日前滑稽演劇場、芸題ハ二十年大阪国事犯事件ノ顛末大序ヨリ大切迄七幕/川上音二郎外滑稽演劇一座

〈編者註〉川上音二郎は当局の弾圧を逃れる手段として、曽呂利新左衛門に弟子入りして落語家の鑑札を受け、浮世亭〇〇と名乗って寄席に出た

明治22621日 大阪朝日新聞

落語の停止 四五日以前より千日前の井筒席にて浮世亭〇〇事川上音次郎が「大阪浮浪壮士の血涙」といふ人情話を始めしことは已に其披露もありし処、一昨夕八時ごろとか、警察官同席に出張し、右話は治安に妨害ありとて興行中止を命じたるが、是は時々政談に及べることありしに就き同夕も同様の次第にて斯に至れるならんとの事なり。尤も〇〇は昨夜より此隣なる通名姉子席に移りて大阪国事犯事件の滑稽演劇を始めしよし。

明治22625 大阪毎日新聞

◇井筒席 南地千日前の井筒席にては此程中大阪浮浪壮士の血涙といふ人情話を演じ居りしが、去る二十日午後八時突然其筋より治安に妨害ありとて興行を中止せられしが、一昨日午前十時解停を命ぜられ、桂文都、文団治、福松の一座にて昨夕より興行を始めたりとのことなり。

〈編者註〉桂文都は後の月亭文都。文団治は二代目桂文団治、後の七代目文治。福松は初代笑福亭福松。

明治22626日 山陽新報

天瀬巴玉座に於て一昨二十四日より、大阪の落語家曾呂利新左衛門と云えるが始めた。

明治22630日 日出新聞

落語家の交代 新京極幾代の席に出勤する落語家桂藤兵衛、同文如、同枝二郎、同文也の四名は、来る七月一日より大坂へ稼に出掛け、又其代りに大坂の文三、同扇枝の両人が同席へ来る由にて、自今は毎二ケ月目に京坂互にヘイ交り合ひまして交り栄もなき‥‥とやるとの事。

〈編者註〉文三は二代目桂文三、俗に「提灯屋の文三」。扇枝は林家染丸(代数に数えず)より改名した桂扇枝、この後三代目桂文三を襲名する。俗に「めくらの文三」。枝二郎は枝太郎の誤記、文也は文屋の誤記と思われる。

明治22630日 新愛知

寄席と芝居 チョンチョンエエ冨澤町の富本席は東京上等三遊亭司馬龍橘改め圓龍(司馬龍橋改め三遊亭圓龍)外五名にて怪談大道具引抜き早替り七月一日夕より又新地若松座は日本名所芸娼妓写真幻燈大會を昨日より興行又ツた代官町一徳座に於ては尾上多見十郎山崎河蔵の一座にて外題は花吹雪最上実録大序より最上滅亡まで幕なしに十五幕は七月一日正午より大入チョンチョン。

〈編者註〉三遊亭円龍は長野県出身、本名藤井久五郎。初め上方で土橋亭龍喬(司馬柳橋)を名乗り、東京へ出て三遊亭円朝の門に入り円龍の名を貰う。のち信州、北陸、東北の地方廻りをした。(『古今東西落語家事典』)


上方落語史料集成 明治22年(1889)7月~12月

明治2272日 岐阜日日新聞

昨一日より当市今小町関本座に於て、東京改良新講談師馬琴が出席す。

明治22731日 岐阜日日新聞

当市、金津廓雲雀町の寄席雲雀座に於て、昨三十日の夜より名古屋に有名の女太夫岸沢古柴一座の常磐津浄瑠璃へ、東京の落語講談師三遊亭圓叟が合併して、興行を始めたり。

〈編者註〉三遊亭円叟はこの時期三遊亭円朝の門下で、後に二代目五明楼玉輔を襲名する。

明治22731日 新愛知[広告]

久々お目見へ 人情ばなし/翁家さん馬/一日ヨリ/冨澤町富本

〈編者註〉翁家さん馬は五代目で、明治十三年ころ来阪、そのまま大阪の人となった。

明治2281日 日出新聞

落語と二○か 新京極通り六角下る笑福亭にては、今度ヘイ代り合まして、代り栄のするかせんかはお客さまのお鑑定に任せおきまして、兎も角厂首丈けは差代て御目通り致すとて、桂文郁、笑福亭福松の連中が落語をする由。又同通り錦下る大寅座にては、今度正玉、馬鹿八、人気玉の一座で大道具入り新作二○かを興行するとの事。
明治2286日 大阪朝日新聞

鶴助は引れたり 怪談噺をやる落語家桂鶴助(五十年)は、生国魂蓮池の辺に女房お高の名前にて待合茶屋を営み居しが、南区竹屋町二百十五番屋敷貸物業角分熊次郎(三十九年)といふ者折々遊びに来り、同所券番池梅の町芸者若蝶といふものと馴染み、お高の方にて繁々逢ひ居たる中、五円余りの払ひ残りが出来(編者註:取立てにいった鶴助と喧嘩になり、鶴助が熊次郎を刺し、南警察に拘引された話)。

〈編者註〉桂鶴助は年齢からみて幕末から明治初年に多くの大津絵節の一枚刷を残し(荻田清『上方落語 流行唄の時代』)、明治八年の「浪花名所昔噺連中見立」の作者の鶴助と思われる。「桂文我出席控」の明治二十一年二月から九月頃の出番表に「鶴助」の名前が散見される。

明治22815日 日出新聞

東京下りの落語家にて目下大坂で評判の翁家さん馬は今十五日より北区老松町の席に出で日出新聞に出し名高槻鯉滝山を毎夕演ずるとの事

明治22816日 京都日報

鶴の白脛 千本今出川上る千代の家席にて、此程より興行を始めたる桂文都、笑福亭福松の一坐へ加はり、毎夜講坐で咽喉を転がして居る新内語り鶴賀八十松は、一寸別嬪と云ふ招標が有ので、其白脛を的にして都合能(あわよく)ば鶴を泣して否殺してと、銘々謀反気を貯へ行く客人多く、此暑いのに連夜客留の大入とは故人曰く、日の本は岩戸神楽の昔しより女ならでは夜の明ぬ国‥‥ナアるほど。

明治22818 大阪毎日新聞

◇淡路町吉田席は三遊亭円喬の怪談牡丹灯籠と其他五名の落語家。

明治22823日 日出新聞

二○かと落語 新京極幾代席にては、今度またオツペケペーの隊長桂藤兵衛が大坂より帰り来り、文字助、可楽等の一座と共に、本日より改良に改良を加へた上にも尚ほ改良した落語を演る由。また同通り四条上る大寅席では、過日来二○か角力といふを興行しいたるが、其穴を探しあてたものへは相当の景物を出すといふので、何がさて下さるものなら夏の小袖とやらで見物は今以てドシ〳〵詰かけるとの評判。

〈編者註〉二代目文字助。本名杉山長造。東京の噺家で、この頃京都に来て、三代目藤兵衛の弟子となり、文字助と名乗った。明治二十四年頃廃業した。

明治2291 大阪毎日新聞

◇西区堀江賑江亭は改良錦絵映富士川都正の一座、北区曾根崎新地(幾代亭)は文三、扇枝、小文枝の落語。

〈編者註〉小文枝は二代目桂文枝門人桂小文枝、後の三代目桂文枝。

明治2295日 日出新聞

興行物の吹寄せ 新京極六角下る笑福亭には、此程より東京下り翁家しん馬が出勤して、改良怪談人情噺をなし、長崎上りの曲弾師笑福亭円篤も加はり、其他は文福、文我、米三等の口揃ひで、相も変らぬ落語に、相も変らぬ人気。同所大西座では粟亭東玉、東貴等の一座で、日出新聞の雜報欄を二○かに脚色興行中これ亦意外の大入り。

〈編者註〉翁家しん馬は明治十三年の番付(楳の都陽気賑ひ)に「東京下り翁亭志ん馬」とあり、上方でもかなり古くから知られた噺家と思われるが、師弟関係は不詳。笑福亭円篤は東京で岡本美名亀と名乗り音曲師として人気を博していたが、後二代目松鶴の一門に入り、この頃から京都に居住したと思われる。文福は桂文福。名古屋の文福と思われる。このころ文我と一座していることが多く、招かれて京都にきたのであろう。米三は桂米三、経歴不祥。

明治221027日 扶桑新聞

今二十七日夜より当市富沢町富本席に於て、東京落語家三遊亭圓太郎の一座が興行す。

〈編者註〉三遊亭円太郎は不詳。立花家円太郎の誤記か。

明治22108日 大阪朝日新聞

法善寺の造物 来る九十の両日は南地法善寺内の金毘羅祭りにて、本年は菊の花の造り物あり。趣向は落語家の肖顔にて文枝の藤娘、南光の瓢箪鯰、文三の鬼の念仏、小文枝の弁慶、扇枝の髭奴、燕枝の座頭、梅枝の雷、万光の矢根五郎等なるが、此外にも生花の会などあるよしなり。

〈編者註〉燕枝は二代目桂文枝門人、初代桂燕枝。梅枝は二代目桂文枝門人、桂梅枝、オッペケペーの梅枝。万光は二代目桂文枝門人、二代目桂万光。

明治22108 大阪毎日新聞

◇三遊亭円朝来阪 塩原多助経済鑑一覧のため一昨日態々来阪、直に同座仕打の案内にて見物せしが、鴈次郎の多助至極上出来なりとて満足したりとぞ。

明治221020日 日出新聞

東京の落語家で此程まで大坂に下りをりし翁家さん馬は、一両日前より京都に来り、新京極六角の落語席笑福亭に出勤し、十八番の蝦夷錦厚布片袖(官員小僧の伝)を読始めをる処、十八番といふ丈けに京都でも中々の評判なりといふ。

明治22113日 日出新聞

新京極の落語席

幾代席 藤兵衛、文明、枝太郎等の落語。

笑福亭 さん馬、文我、文福連の落語。

花村席 東屋力松の活惚をどり。

〈編者註〉東家力松は京都の生まれ。宮川松之助の弟子となって力松を名乗り、千日前でカッポレを踊って人気者になった。後七代目文治門下に入って末広家扇蝶と名乗った。

明治221113日 神戸新報

大黒座と播半座 大黒座はいよいよ本日より開幕の筈なるが芸題役割は此程紙上に記せし通りなり。又播半座は二代目曾呂利新左衛門一座のはなし其他を興行し居れり。

明治221121 大阪毎日新聞

◇二輪家と落語家の芝居 追々歳末に切迫したれば種々と趣向を替へ一儲なさんと当地有名の二輪加師たにし、団十郎、喜蝶等の連中と落語家文都、福松、文団治等の連中と合併し来月上旬より北区天満の女芝居小屋にて素人芝居を演じるよし。其の狂言は仮名手本忠臣蔵大序より大詰迄と極り、役割の大略は由良之助(文団治)、勘平(福松)、おかる(文都)、師直(たにし)、判官(喜蝶)、若狭之助(団十郎)等にて、今日より稽古に取掛ると云ふ。

明治221128日 日出新聞

情死の落語 上京区千本通り一条上る落語席笑福亭八百蔵の一座にては昨日より日出新聞に掲げたる情死咄し時節逢血汐楓葉を其まゝ同夜より読初めたりと云ふ。

明治22128 大阪毎日新聞

◇落語と二〇加の合併芝居 兼て稽古中の落語家と二〇加師の合併芝居は最早稽古も出来上り、また修繕中の天満大工町の芝居小屋も漸く落成したれば、いよいよ来る十五日より開場する由にて、狂言は矢張り忠臣蔵大序より九段目迄なりと云ふ。

〈編者註〉この後記事がなく、『近代歌舞伎年表』にも記載がない。実際に行われたのかどうかは不明。

明治221225 大阪毎日新聞

◇情死の施餓鬼 …上七軒にて情死せし鶴吉栄吉の…今二十五日は恰度満一ケ月の当日なるに依り、俳優嵐栄二郎、中村仙二郎、講談師山崎琴昇、落語家文明、文屋、藤兵衛、二〇加師正玉、馬鹿八、芸妓中西三四、席亭いく代、大虎座等が施主となり、北野下之森西正寺にて施餓鬼を営む由…。

〈編者註〉文屋は二代目桂文枝門人、初代桂文屋。軽口の笑福亭松右衛門の実子。本名桂陀羅助。

明治221225日 神戸又新日報

井筒太と港席 今度多聞通り一丁目(井筒太の横隣)に新築したる昔噺小屋井筒太席はいよいよ去る十八日に開席し、当日はその祝として賓客を招待して折詰を饗し、且つ通券持参の人には夫々景物を与えなどしたる上、尚大負に誰でも入場勝手次第としたるより、無料ほど安いものはないとドシドシ押かけ、忽ち大入の札を掛けたり。尤も翌日よりは木戸銭三銭にて興行せるが、小屋の新しきと飾りの立派などで日毎に大入を占め、午後六七時頃には来客を謝絶する程の次第なるが、偖其落語連中はと問えば桂南若、林屋新昇、桂三遊、林屋しん鏡、桂文昇、笑福亭松右衛門、桂三府(以上二名軽口)、林屋花丸、桂小文、桂文枝、桂小文枝、桂南光、桂文三の十二名なりと。

 又楠社内なる港席は是まで市内にて独得の位置にありたるも、此度井筒太席の出来したるに就いては幾分か其影響をかぶり、来客また前日の如くならずとか。同席も四五日前より従前の落語家桂米可子、笑福亭福我、桂春団次、笑福亭福梅、桂米団次、笑福亭梅香、三遊亭遊馬、笑福亭松光以上八名の上に更に鶴賀八十松(女太夫新内)、立川金龍、笑福亭福松の三名が加わり井筒太席と対抗して目下合戦最中なり。

〈編者註〉

桂南若は二代目桂南光(後の仁左衛門)門人。

林屋新昇は五代目林家正三門人、林家新昇、様々な改名を重ねたのち桂枝雁で終る。 

桂三遊は不詳。

林屋しん鏡は、林家新鏡。五代目正三の弟子で、後の六代目正楽。本名織田徳治郎。五代目松鶴の義父。

笑福亭松右衛門は二代目笑福亭松鶴門人、軽口の名手で、桂文屋の父。

桂三府は不詳。笑福亭松右衛門の軽口の相方。

桂小文は二代目桂文枝門人、二代目桂小文。『落語系図』明治十九年頃の桂派連中の写真で一番前に座って
  いる少女が小文。 

桂米可子は二代目米団治(後の三代目文団治)門人、桂米歌子(べかこ)、後三代目桂米団治となる。

笑福亭福我は三代目桂文昇の福我か?

桂春団次は二代目桂文団治門人、桂春団治。有名な初代桂春団治の前の春団治(圭春亭)。

笑福亭福梅は不詳。 

桂米団次は二代目桂文団治門人、二代目桂米団治、後三代目桂文団治となる。 

笑福亭松光は初代笑福亭福松門人、初代松光、「かんやん」の愛称で呼ばれた。

プロフィール

丸屋竹山人

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