明治23年

上方落語史料集成 明治23年(1890)一

明治2311 日出新聞

一月遊興場の案内 上京にて大宮通寺之内角中竹座の演劇は名古屋中村梅寿片岡我寿一座にて芸題は前が木下蔭狭間合戦次が恋女房染分手綱中が八陣護守(ママ)城切が吾妻街道茶屋娘なり△上立売岩上町岩上座にては中村延笑一座にて芸題は前が姫鏡双葉絵草紙大序より大切迄次が人情話三人盗賊三幕中が壇浦兜軍記琴責の段又切が恋娘昔八丈白木屋の段なり△千本通一条上る千本座では嵐栄二郎東柴鬼蔵一座にて芸題は前が傾城稲妻草紙大序より大切迄次が奥州安達原三段目四段目中が廓大通今木伝七斎藤曲蔵五幕切が勝開源氏宿屋の段にて昼夜興行△千本通り今出川上る千代の家にては幾代席一座の落語△中筋千本東入る黒坂亭にては一竜の講談△千本通一条下る長久亭にては錦影絵△千本通中立売上る玉の家にては〇〇亭竜馬の講談にて其読物は雪中梅。西郷南州先生言行録等なり△猪熊通下長者町上る菊の家にては萩野栄女の身振狂言△西堀川通上長者町下る徳来軒にては小梅の講談△西堀川通丸太町上る菊の家にては写し絵△千本通一条上る大の家にては晴玉斎喜楽の貝祭文△大宮通寺之内下る花の家では一夢の軍談講釈なり▲下京の分にては新京極通り三条下る竹の家は竹本梅里。同八重吉。同品駒。同綱子。同豆八外数名の女義太夫あり其出し物は忠臣蔵。あこや三曲の段。妹背山山の段にて何れも総かけ合なり△其東向ひの親玉の席は野坂はつ。同たけ。坂東さと。西川小金等にして大力女の曲持ち。手踊り。玉兎。石橋等を演ずるなり△其南隣りの妙福亭にては鶴賀小馬井。同小花。同馬井助。同馬蝶等の新内あり△坂井座にては嵐三五郎。尾上多賀之丞。三桝源五郎。嵐雷五郎。嵐若橘。嵐佐十郎。嵐伊三郎。中村福太郎。坂東多喜五郎。中村門十郎。嵐三次郎等の一座にて前が小笠原流禮忠孝(十冊)。切が明烏実録にて今其二三役割は岡田良助。小笠原遠江守。春日時之助(三五郎)。女房おはや。娘お浦後に傾城浦里(多賀之丞)。小笠原隼人。奴菊平実は白狐。大鳥新六。八百屋十兵衛(源五郎)。小笠原豊前守。大島甲斐之助(雷三郎)。犬上兵部。春日近江守。下部九郎平。山名屋次郎兵衛実は下部九平(佐十郎)等なり△六角上る席にては浪花鶴吉一座にて皇国一流糸入軍談あり△夷谷座にては市川由尾。中村仲吉。西川照香。嵐佳久蔵。嵐島之助等の女俳優にて前が里見八犬伝大序より大切迄切が文手綱勇春駒(二幕)なり△六角下る角の家席にては嵐兼松。西川小雪。角の家梅尾。同小蝶等の女連中にてヘラ〳〵。カツポレ。伊勢音頭及び芝居の芸題は岸姫松轡鏡。夕霧伊左衛門。桂川連理柵等なり△其南隣りの大西席にては東玉。新玉。東ン貴。茶好。幸玉等の一座にて二∽加を為す其芸題は前が妹背山の山の段が一座の新作にかゝる天主教社の家借にて之れが引抜きに福禄寿と大黒天の踊りを見せ夫れより数名の女生徒が唱歌(春の弥生)を唄ふて体操を為す仕組にて其他新聞二∽加もあり△其向ひの笑福亭にては笑福亭円笑。三遊亭円喬。桂文福。同玉団治。桂都勇の一座にて岡本円徳の曲曳に岡本宮吉。同みかんの新内なり△其南の桑の家席にては女足芸あり△大黒座にては中村新駒。同飛雀。同梅女。嵐徳十郎。中村千太郎。嵐璃之助の一座にて前が復讐浮佐野実録(十二幕)。中が本朝廿四孝(一幕)切が隅田幻面影(五幕)なり△向ひ側の上田きみ持席にては山崎琴昇。同琴国。同琴橋。同琴勢。同琴馬。黒坂一竜。松栄燕輿等の出席ありて其読物は日出新聞続物地震。銀行小説。皇国歴史。写真三人娘。為朝一代記。雪中梅。汗血千里駒等なり△西村席にては田村琴竜。〇〇亭竜馬。水雲斎小竜玉。自由亭狂生。尾崎北寿の出席にて其読物は日出新聞続物両鶴亀銘刀正宗由来。三国一出世の鏡。東の噂誉の兄弟。朝顔日記等なり△福井座にては尾上玉之助。中村甚昇等の一座にて前が絵合太閤記(十二幕)切が霞幕春山台(五幕)なり△蛸薬師下る桑の家席にては妻子。琴吉。米吉。東春。小富。つかよ。八重子。小八重。八重玉。八重松の一座にて女義太夫なり其出し物は忠臣蔵にて十八ケ条の申ひらきは掛合ひなり△幾代席にては桂藤兵衛。桂文如。桂枝太郎。三笑亭芝楽。林屋菊丸。文明改め桂藤喬。笑福亭柳三。桂文鯉にて改良落語あり△其向ひ側の菊の家席にては小繁。八重吉。鈴吉。梅吉等の一座にてヘラ〳〵踊りあり△島田せい持席にては新聞影絵あり△尾崎席にては尾崎北海。同東海。同昇山。同玉円。同一海の出席にて読物は松山狸の奇談其他新聞の続物あり△菊の家席にてはジヤグラー操一の手術あり△其下隣りの四階楼にては大江勘助の作にかゝる国事犯兵衛夢物語りと題する生人形にて彼の大井憲太郎氏等が朝鮮事件に関して大坂堀江の場より伊勢太廟の太々神楽まで見せるあり△錦下る大虎座二∽加席にては正玉、馬鹿八。東寿。清枝。三升。弥ちんべ。茶金等の一座にて芸題は霜の朝(二幕)。東寺羅生門にて鬼の中釣りをなす△道場京角座にては坂東利喜松の一座にて前が粟田口〆霑笛竹(十三幕)。中が櫓太鼓成田仇討(八幕)切が御影詣神楽一曲(一座総出)なり次が四条南側の芝居は江川千吉。同万平。同市松。同亀女。同玉女。同政女の男女混交の足芸。手術。鞠乗なり△白川筋三条下る松の家にては笑福亭の昔噺五條大橋東詰の席にては神田竜国の講釈△三条通大橋東入る駒の家にては真玉斎の祭文△西高瀬五條下る笹の家にては京山辰治の浮れ節△大宮通七条下る宝家にては錦影絵昔噺新内等あり

落語家の門閥家 目下東京の桂文治と云へば昔し尻取文句の流行し節下谷上野の山葛かつら文治は落語家でデン〳〵太鼓に笙の笛とまでに唄はれたる程のものにて其先代は上方より出で今の文治の祖父に当る文楽は桂大和大掾とて嵯峨大覚寺の御伽衆に加へられたるまで却々いはれのある男なれど時世時節の変遷りは妙なもので近世は三遊派柳派世に出で桂派は兎角用ひられぬ様になり東京などにては何処の席へ出てもウンアノ桂文治が出をつたか面白くもねへとて不人気なる故斯くては末々に家名を汚すやうな事あつては先代へ対し相済まぬから今の内に然るべき者へ名跡を譲らん幸ひ其名跡を譲るには京都には今に随分桂派の用ひられをれば京都に来り桂派のものに相談せんと近日の内に当地へ来る由

明治23115 金城新報

改良落語家大勉強会 近頃社会百般の事業は日を追く進歩の運びとなり総て改良の途に就たる今年は国会開設の初期にもあり神武天皇即位二千五百五十年に相当する今日ゆゑ落語家の如きも幾分の改良を為ざる可らずと當市の有志松浦豊三郎氏が会主となり来る十八日午後五時より一週間南桑名町千歳座に開く改良落語家大勉強会は東京大阪京都當市は更なり各地方の落語家の給金定めとも言ふべき大勉強会にして聴衆をして随意詰問討論をなさしむ由にて勝し者には箪笥、長持、炬燵櫓、反物、服紗、手拭、提灯等を景物として進呈するよしにて弁護人はおなじみの橘家圓太郎にして議長否戯長には石原烈氏(芸名日本舎あづま)を聘するより開場の上は聴衆先を争いて続々詰懸け満場立脚の余地なき迄定めし盛況を呈するなるべし。

明治23119日 金城新報

千歳座の改良落語大会 一昨十七日夜より開き始めたる當市南桑名町千歳座の改良落語大会は中々の盛況にて木戸前には大いなるアーチを造り国旗を交差し其体裁極めて宜しきが場内に入れば正面に弁士右側に戯長左側に紹介人一段下に議員、弁護人等夫々席を設け花道の傍らに多くの景品(箪笥、長持、戸棚、ブランケット、箒、駒下駄、提灯等)を陳列し一見人をして目先替りの観を起さしめぬ一座には戯長に日本舎東男(石原烈氏)弁護人に橘家圓太郎又富士松司馬吉、林家琴馬等十数名の連中にて詰問討論勝手次第勝し者には夫々賞品を与ふると云ふ趣向ゆゑか傍聴人の受も善く一昨及び昨の両夜とも来聴人は無慮六七百名に達せし程の賑ひなりしといふ。

明治23119日 大阪朝日新聞

◇[広告]滑稽演劇 本日ヨリ開場/川上音二郎一座ヲ招キ、新奇ノ時世狂言ヲ仕組ミ御覧ニ供ヘ候間、苟モ人権ヲ重ズルノ諸君ハ開幕ノ初日ヨリ陸続御来観アラン事ヲ謹デ弘告ス/兵庫弁天座

明治23121 香川新報

滑稽音曲噺 東京人情音曲噺という長鱈しい看板で再昨夜から初まった片原町天神社内の寄席飛梅閣では翁文冶、二代目桂文之助(子供)、桂福之助、立川三玉斎、立川小三枝等が代り合いまして五機嫌を伺う相です尾道文治の墓尾道文治②

<編者註>この文治は、東京の六代目文治ではなく。所謂「尾道文治」「旅文治」と思われる。花柳芳兵衛師が、「上方芸能36号」(昭和497月)に発表された「さまざまな桂文治」によると、明治38に九十三歳で尾道で亡くなっており、尾道の千光寺の入口には、2メートルもある大きな「桂翁文治之碑」と書かれた石碑があったらしい。又文治の墓は、信光寺にあり、墓石には「丹頂文治芸姓桂 亨年九十三歳」と書かれてあるらしい。

写真は、尾道文治の晩年の写真と今も残る文治の墓

明治23125日 大阪朝日新聞

◇[広告]大入広告/川上音二郎一座滑稽演劇開仕候処、御愛顧場ヲ以開幕之初日ヨリ大入ニテ場所無之ニ付、御来観之諸君ヘ誠ニ相済不申候、依テ桟敷御入用之節ハ其前日ヨリ御申込有之度候/兵庫弁天座

明治2321日 大阪朝日新聞

◇東京に居る落語家にて有名の桂文治は、今度当地にいる翁屋さん馬に其名を譲り、自分は夢のや露葉と改名し、今少し暖かになれば京大阪より北国地方を巡廻(まわ)るとの事。

明治2321日 大阪朝日新聞

◇[広告]芸題替広告/川上音二郎一座、滑稽専門新演劇、今日ヨリ奇々妙々一度観テ百度愕ロク、佐倉義民伝ト取替ヘ大道具入ニテ御覧ニ入候間、御来観ノ諸君ハ木戸六時限リ〆切、尚ホ上等桟敷入用ノ御方ハ前日ヨリ御申込有之度候謹白兵庫弁天座

明治23218 香川新報

飛梅閣 来る廿日より大蝶一座にて改良二○加を興行すると云う

明治23220 香川新報

二輪加 当市片原町飛梅閣に於いて昨夜より大蝶一座の二輪加を興行せり

明治23225日 大阪朝日新聞

◇関西新聞雑誌同業懇親会 昨年冬期に開くべきを順延となれる同会は、今度神戸の又新日報、神戸新聞、日本魂三社の会主にて一昨廿三日午後第一時より同所諏訪山中常磐楼に於て開会せしが…余興には会主の配慮を以て桂梅枝、同小文吾、同玉助、翁家三馬、笑福亭梅香等の落語の催し杯あり。世間のあら、人情の真相、説去り説来るの間、流石口の好からぬ記者も瞠若唖然たる所あり。誠に平日の議論気を離れ、罪もなく半日を消して会の散ぜしは午後七時頃なりき。

明治23225 香川新報

二○加 当市片原町天神社内の飛梅閣の二○加はお馴染の大蝶一座にて五覧(ごらん)になったお方は能く五承知ならんが、一番玉三の滑稽が面白いという評判です

素人浄瑠璃 再昨廿二日、廿三日の両夜当市片原町の東座にて当市中の素人浄瑠璃の温習会ありしに陰暦正月の遊び時といいロハという辺よいか出たわ出たわ非常の大入にて太夫は勿論出方の者等も流石は竹本の節の昔も今も変わらぬ栄へと喜んで居たという。

明治23311日 金城新報

◇本月六日の夜より当市富沢町富本席にて、毎夜興行中なる東京の上等落語家三遊亭圓橘の一座は頗る上人気にて、圓橘の続話「順礼の仇討」は毎夜二席づつを演じ、愈々佳境(おもしろい)処計りで、人情を穿ち得て至極妙妙。又た伯馬の滑稽演説は、笑わせる中に自然と風刺あり。清橘の音曲、是又ヒヤヒヤの声を発(あげ)させ、其他文福、小夢等の援兵ありて、何れも口と腕の達者なる一騎当千の三遊隊、三扇と三橘の旗章を春風に翻し、凱歌発(あ)げるは瞬間(またたくうち)で芸評。

明治23313 日出新聞

笑福亭 新京極六角の落語席笑福亭では本年一月から同席の元祖とかいふ笑福亭円笑が居座り三遊亭円喬等と共に落語をしていたが御ヒイキ厚き旦那さま方のお蔭を蒙り可なり席も賑ふので円笑は復席祝ひをかね一昨日から今夜まで三日間諸芸の大寄を催しをるがこれは又格別に人気よろしき由就ては明十四日より更に川上音次郎丈が一枚加はり人情ばなしをなす上円喬も亦オツペケペー踊をやらかす筈なるが桂藤兵衛のとは少し目先のかはつた処がある由なれば一寸また来客受がするならんといへり

明治23325 日出新聞

新作オツペケペー節 オツペケペーの元祖なる新京極幾代席の座長桂藤兵衛が今度新作したるオツペケペー節はおかげ参りを当込みたるものゝ由慰み半分左に記す

今年はお蔭の廻り年。外宮内宮の二柱祓ひ玉へと禰宜さんが。真面目な顔して掛巻も。五十鈴川の水上に。鎮座在す御神は。ズンと神代のその昔。鈿女手力雄猿田彦。太々 神楽を囃子立。天の岩戸を出玉ふ。皇国の大御神。今に日本輝きて徳は四海を天照す。八十末社の宮めぐり八百と万の神々へ。円金攫んでお上げなさい。比丘尼坂より間の山。杉ぢやお玉ぢや投げさんせ。チヤン\/坊主に赤髯さん。束髪権妻丸髷さん。商人さんからお百姓さん。茲処ばかりぢや投さんせ。指輪に帽子金時計。序に革嚢も投げさんせオツペケペーオツペケペツポウペツポウポーお先へゆくのか阿波出もの。代々講から和歌栄組。御神酒に酔てる猩々講赤の手拭頬冠り。舞々車に走り餅。芸妓舞子の□迎ひ。十円米食て陽気だね。粋な年増の手を引て。抜けまゐり。お楽しみ。ホツトイテ。お蔭だよ。オツペケペオツペケペツポウペツポウポー、八十末社の神々が高天原に会議して。天津銀行立たげな。一円づゝの一株で。雪隠の神まで株を持ち。八百万円集るさうだ。大層だな御蔭参りの旅人に。貸しさうな。借らなきや神罰当るげな。六十年目に返しなさい。有難い。ペラ札が。ペラ\/空から天下る。拾ひなさい。馬車や人力施行籠。蝙蝠シヤツポン紅手拭。お負に蓑笠草鞋で。筍掘りではあるまいし。貰ふても。着るのに困だろ。目川の田楽姥が餅。ハツタイ豆茶に串団子。一膳飯屋に立飲屋。上等旅籠の無代価で。即席料理に食すげな。古市芸妓が惣踊り。お後でタラ腹酒のます。愉快だよ。土器娼妓が五百人。炮烙会社を組織して。お寝間の枕も有志だよ。おぬけなさい。真個かね。嘘ぢやげなオツペケペオツペケペツポーペツポーポーーー

明治23326 香川新報

飛梅閣の怪談 当市片原町天神社内の寄席飛梅閣の怪談お化の所業は是迄の幽霊とは風が変わって面白いという評判

明治23327 香川新報

◇今度、当市片原町東座にて興行する京山恭之助一座のうかれ節は、昨日が初日の筈なりし。

明治2343 京都日報

今日のお慰さみ 本日は神武天皇の大祭日と云ひ時候の能き頃なれば山遊び野遊び或ひは遠出又は芝居と雅俗ともに定めて浮れ歩行事ならんと思ひが参考までと聞たる分を列記すれば…新京極を始め諸方の寄席等の興行物も面白かる可し先づ新京極より始むれば夷座の女芝居蛸薬師上る西洋手品坂東八重吉一座のヘラ〳〵、大西座のノツペラボウ八重松一座の女太夫竹の屋席の竹本梅里笑福亭の改良落語寿席は尾崎北海幾代席は桂藤兵衛其他浪華鶴吉の浮れ節鶴賀馬蝶の新内馬鹿八一座の仁輪加川上音次郎の改良俄琴書琴竜の軍談又た各所の寄席を見渡せば五條大橋鶴の屋席では(夜席)桂藤兵衛一座の落語堀川松原下る松の屋席は真王斎小燕の貝祭文新町三条上る福の屋席は枝太郎文字助文里文屋等の落語千本通り一条下る長久亭は藤兵衛一座の落語同通り一条上る尾の席は都々調の影絵同所千代の屋席は曙亭六七八同通り中立売定席は〇〇亭竜馬等なれば何れにもせよお口に適ふところに御勝手に‥‥

明治2343 香川新報

飛梅閣の怪談 ながなが御贔屓の当市片原町天神社内の怪談落語は昨夜より横浜の出来事なる洋人殺しを出しお化は其の殺された西洋人にて是れまでの焼酎火のドロドロで無く新工夫の焼火に凄味を見せ、アアラ恨めしや民谷伊衛門という処を西洋人だけに凡て洋語で遣かすというが圓山応挙は地下に何と言うで居るか兎も角一度行って見てお遣りなさい短い夜ではあれど

明治23420日 神戸又新日報

◇興行だより ○播半座 北長狭通りの同座は例のジャグラ操一一座の東洋奇術にていつもながら大入○伊筒太席 多聞通りの同席は桂玉助、桂小文吾、桂南若、林屋新昇、林屋新鏡、笑福亭梅香、桂延三、林屋正楽、第三世松鶴一座の落語にて是亦相変わらず人気は沢山○湊亭 楠社内の同亭は笑福亭福我、笑福亭福梅、桂米紫、鶴賀八十松(女太夫新内)、吾妻家璃光、三遊亭遊馬、笑福亭松光、桂文我一連の落語にて毎日毎夜諸人の頤を脱さしめ居れり

明治23426 日出新聞

幾代席 新京極の幾代席にては今度いよ〳〵これまでの連中の外に東京の三遊亭円生同遊生改め円輔円太及び清元の富士松佐賀蔵の四枚を加へ来月一日からお目通りをさせるといふが

明治2351日 金城新報

富本席の人情噺 御存知の當市富澤町の富本席に於て今一日夜より東京の人情噺し笑福亭語竹の一座が興行し芝居掛りの新作物を毎夜の続噺し尚ほ當市の林家正三、朝寝坊小夢、桂文福、立川三玉斎、花澤梅園等が補助に入ると云へば大入の當日より聴客は沢山富本に富みを来たすでありましょう。

明治2351 京都日報

今日のお慰さみ 新京極通りの興行物を一括してお目に掛れば先づ坂井座は前号にも吹聴せし如く片岡我当中村雀右衛門の一座にて一番目は四千両銀杏合紋(金蔵泥棒事件)中が忠臣義士礎二番目は六三かしくの新案にて昨日より幾代席は前号にも在る通り桂藤兵衛一座へ東京三遊派の錚々四代目円生と門人円太円輔清元佐賀蔵が加はり人情続き噺し(因に云ふ此円生は三遊亭円朝の門人して以前は円喬と称し三代目円生死去の後ち其芸名を継ぎ四代目円生の名を相続せり滑稽の軽口は勿論人情物が得意なり)田村琴竜は本日より元冦軍記と日蓮記、尾崎北海は大和杖同じく東海も同断と小雲小僧、久しく休座せし大西座は東玉茶好東寿等の顔揃ひにて彦山権現神戸南京殺し生徒演説議論等を本日より、笑福亭は例の川上自由童子の鯉魚の活作英国談判委員我が廟堂大臣と激論、…

明治2353 日出新聞

幾代の落語 一昨日より新京極の幾代に出席したる東京の三遊亭円生の長助ころしは流石円朝の一弟子の直打十分あれど円輔の五人廻しは今一息喰ひ足らず代りに手踊は軽くて前受もよく殊に鶴の餌拾ひは妙々との評あり又団太の重言坊は口達者なれど前談の直打よりなく佐賀蔵の新内は上方人の受よろしからずとかいへり

明治2356日 金城新報

久松座と富本 當市八百屋町の久松座にて一昨夜より興行中なる竹本越路太夫の門人越八の女浄瑠璃は頗る人気があつて今六日夜は御所桜弁慶上使が越勝、お七吉三八百屋が綱巴津、太功記十段目が越八なり又た富澤町富本席に興行中の笑福亭語竹其外正三小夢文福三玉斎京寿の一座は素敵な人気にて毎夜晴雨にかかわらず大入とは全く面白きゆゑで・・・。

明治2358 日出新聞

都々逸坊のお目見え 新京極六角の笑福亭にては浮世亭〇〇事川上音次郎が出席するので昼夜大入りを占め此程一万何千の蔵入をせし程なるが尚ほ此上にも大入りを占んと小満之助こと四代目都々一坊を一枚加へ堅いものと和かいものとを混交て御機嫌を伺ふとの事なれば弥まし人気沢山なるべし

明治2359日 大阪朝日新聞

<今井嘉吉>

◇南区西櫓町に住居する今井嘉吉と云へる男は、道頓堀五座芝居の中売を渡世にする者なるが、同人は至極篤実なる性質にて、一種奇妙なる気風あり。先年櫓町竹田の芝居より出火して焼死人四十余名に及びしを、残らず姓名を取調べ、我が先祖の過去帳に記入して仏壇の内に納め、毎夕香花を手向て追善をなし居たりしに、昨冬千日前にてへら〳〵小屋が潰れ、数名死人のありし由を聞き、その姓名をも過去帳に記して明暮供養をなし、尚近日我菩提所にて大施餓鬼を営むよし。

明治23510 日出新聞

落語と浄るり 新京極の幾代席は今の円生一座は本月限りにて来月早々よりヘラヘラの本家本元例の三遊亭万橘が来るとのこと

明治23511 日出新聞

笑福亭 相変らず人気沢山な新京極笑福亭では今度小満之助こと四代目都々一坊が一枚加つたので一層の大入を占たるが何しても婦人は愛嬌があつて仕合せなものサ。扨て都々逸坊は先年見た時と違つて大分身体が肥満た処からして声はチト‥‥併し三絃の調子は愈よ出でゝ愈々甘味と申さうか次に若宮万次郎子の演説。青柳捨次郎氏の落語は何れも書生連のヒヤ〳〵を博し円喬改め露の五郎兵衛どのゝ人情ばなし東京弁でサラ〳〵とした処はシツコイものを食た後でのお茶漬心地。其処で当座の隊長川上音次郎丈は落語よりも黒幕付の露の五郎兵衛に連引させて談る新内ぶしと同丈自作のオツペケペー節とで非常に人気を取るたといふ又大切の滑稽討論会も随分賑かで面白いとの評判何さま那して何日までも人気の落ぬ処を見れば何処かに甘味ところがあるのか新地や先斗町。扨は宮川町筋の芸妓までが‥‥因みに記す同席では今明日中から一座総出で都おどりはヨーイヤサをご覧に入るといふ

明治23513日 金城新報

落語に浄瑠璃 富澤町富本席で久し振りの顔揃ひをステテコ交らず味噌泣かせを交じず純粋の落語聞かせたので大當りを占めた笑福亭語竹、林屋正三、立川三玉斎、朝寝坊小夢などの一座は引続き大須二王門前福寿亭で興行する事になれば又々大當りで毎夜客止めといふドエライ景気。又當市の女義太夫で初代の落語家延玉に似た処で名を号(つ)けたぶつくり愛嬌女義太夫竹本土佐吉一座は今十三日の夜から車の町白廣座でデデンデデンの始まり又富本では圓朝門人三遊亭遊喬一座の初御目得東京落語の開場を近日より為すとの事。

明治23518 日出新聞

蓼喰ふ虫も 何とやらで四条大橋近辺の去る料理屋の仲居で三十七八ばかりのお何とやらんは幾代席に出てゐる桂中納言藤原の忠勝とは浮世を憚かる仮の名。実本名は元川伝吉といふ頤の短かいオツペケペーの元祖に思ひつき一昨夜幾代に来て藤兵衛がお得意の円金掴んでお投なさいとおかげまゐりのオツペケペー節を遣つてゐる処へ彼のお何は一円銀貨を紙に包み舞台へポイと放たので藤兵衛は軈て楽屋へ引込み包を披いて見ると一円銀貨の包み紙へ何やら女の手で書てあるので其文言を読で見ると席が果たら蛸薬師のまで待つてゐるサカイ必ず来とおくれやすとの文言に藤兵衛はホク〳〵喜び早速蛸薬師の前へ往た処果して一人の婦人が居て最と馴々し気にオウ藤兵衛はんよふ来とお呉やした妾は遠から貴郎に‥‥マヽ其な事は後で寛りしますよつて兎も角妾のゆく処まで来とおくれやすといふに藤兵衛は合点ゆかねど此米の高い時節に一円も呉る客なら万更ら悪い事もあるまい殊に年こそチト老たれど何処やら垢ぬけのした顔アレで都合よくゆけば棚より牡丹餅。こりやウンが向て来た甘味〳〵と一人喜び短い頤を一層縮めて御意に従ひイザ御供と出かけたいが其前に私は堀川の菊の家へ一寸往ねばならぬゆゑ夫からでいゝのならといふのを打消し妾も其処まで付合ふサカイ一緒にゆきまほと夫より二人は途中から人力車をあつらへ乗合にて御苑内へ挽込ませ元九条邸の辺で女は俄かに人力車を下りサア藤兵衛はん斯おいでやすとお何が手を採て傍への森の中へ這入んとするに藤兵衛は胆を潰し斯ういふ淋しい森の中へ恐れ気もなく婦人がノコ〳〵這入るといふは何でも狸か狐が俺を誑すに相違なしと思へば忽ち身慓ひして思はず尻餅をついた時お誂へ通りウンが向て来て藤兵衛は犬の糞が尻に引ついたとも知らずして婦人を突退け逃げんとすれども一向離さぬに困じ果口に称名念仏唱へてゐる可笑さに婦人は目的が外れたといふ顔付にて藤兵衛の手を握たまゝモジモジしてゐる折柄沓音の聞ゆるに見咎められては一大事と婦人は慓へる藤兵衛を急がし立て再び新京極の方へ戻り来りソンジヨ其所等の‥‥屋へ連れゆき実は貴郎を那な所へ連れていたのは斯いふ訳と耻しさうに話す仔細は他のものには分らねど藤兵衛は呑込んだと見えそんな事なら最初から爾いへばいゝに那な淋しい処へ連れてゆかれたものだから狐、狸につかれた心持がするといへば彼の女が藤兵衛はん貴郎のお尻に犬の糞がついてるへ

明治23521 日出新聞

幾代 新京極幾代席に出勤の三遊亭円生一座は一先づ本月中にて東京へ帰り更にぎん蝶朝正山正左文左鏡等の一座が来月一日から出勤し同中旬よりはヘラ〳〵の元祖万橘も出席する筈なりと

明治23530 神戸又新日報

有声共楽会 とは何ぞ過日来浪花の地に杖を駐めし仮名垣猫々道人魯文翁(六十二)が東帰の名残りに京阪神間の人々と倶に書画雑俳の雅筵を来月三日午前十時より晴雨を論ぜず大坂南区竹屋町なる市川右団治方に於いて開く其会の題名なり。余興に八雲琴、手品あり新聞艷舌は川上音次郎、即席落語は曾呂利新左衛門、流行音曲は都都逸女扇歌、上るりは高島屋門弟中これを勤むこれ有声の共楽ならん又百人一首の福引に百種の景物を来客に呈するとは翁が百歳の寿尚四十年余を壮健に送らん事を祝しての趣向かどうか翁が知己に配りし扇面の自筆は老楽の軒端あゆみやころもがへ 魯叟

明治2361 日出新聞

幾代席 本日より雁首をさしかへる新京極の落語席幾代の連中は菊三、新吾、文鯉、柳川、菊丸、文屋、文如、文字助、遊生、芝楽、藤京(文明改め)、藤兵衛にて其中遊生といふは今度円生のかはりに東京より来りしものなるがはなしの筋もよく声もタツプリなる方なれど三遊亭派にては品格に乏しければ今少し落付き切て十徳でも衣ては如何といふものあり又同席は円生の出勤中三銭の木戸を五銭にしたるため何ぼ何でも此節から‥‥とてたま足を踏客もありし様になりたる故に付今度は三銭に引下げたりといふ

明治2365 日出新聞

落語席の営業停止 新京極笑福亭に出勤して居たる川上音次郎は予て席へ出づることを禁ぜられ居たる処尚ほ昨日同亭をも営業停止されたりと

明治2368 日出新聞

落語家の政談演説会 目下営業停止中なる新京極笑福亭の落語家浮世亭〇〇事川上音次郎丈は同じ落語家仲間なる若宮万次郎青柳捨次郎の両丈と共に来る十日午後七時より四条南劇場にて政談演説会を開くよし

明治23610 京都日報

<笑福亭のボヤ騒ぎ>

ぼや〳〵 新京極六角下る怪談席玉助の一座笑福亭にて昨日午後二時頃砲発一声するや忽ち黒烟立昇り既に大事に相成べき次第なりしが近隣の者を始め各寄席に居合せしものも出て寄てたかつて漸く消し止めたり其の発火の原因は昨今該席は川上音次郎の情談も停止の事なれば円生と切に玉助怪談を興行なし居りて其怪談用に充つ焔硝に火気が移りて発火せしものなるよし一時は近所の寄席の見物人が騒ぎ立て非常に混雑を極めたりと

明治23621 中外電報

落語研究会 新京極幾代席にては昨夜より落語研究会を催し戯長、弁士、弁護人、狂戯員等をおき落語の穴を拾ひたる来客には景法のまね景才、ふぬ景才、はぬ景才、ずばぬ景才等に照し相当の景物を出す由にて昨日は広告のため同座の連中が得もいはれぬ姿して大幟を押樹て鳴物入りにて各遊廓を廻り半額券千枚を撒布したりといふ


上方落語史料集成 明治23年(1890)ニ

明治23710 日出新聞

笑福亭 新京極六角下る笑福亭にては今度露の五郎兵衛が会主なりと曽呂利新左衛門の一座に林家花丸を加へ尚ほ別客として東雲舎愛民。世界亭弘道及び眠軒舎〇〇が出席し明十一日より興行する由

明治23711 香川新報

自由二輪加 明十二日より当市片原町の古天神社内肥梅閣に於いて大坂下りの光玉斎の一座が自由二輪加を興行する由

明治23713 日出新聞

芝楽菊三の骨を喫る 新京極幾世席に出勤しゐたる林家菊三は永らく病気の床に就きをりしが定業来りて遂に死亡し一昨日花山の火葬場へ葬送りたるが其途中桂藤兵衛藤原忠勝が籠の後をおして夏祭りの儀兵衛を気取りしより何がさて供立ちの落語家連中は各自洒落出してワイ〳〵と火葬場に至り休息中にも八々をするものもあれば酒を呑でケンを打つもあり或は巡礼紙屑買ひと有ツ丈の駄洒落は丸で芸廻しをするやうなりしが軈て骨が焼上りしとて骨拾ひに出たる中の芝楽がヒエ薬なりと云ひながら今焼上つたまゝの菊三の頭骨をボリ〳〵と食出したには流石の一同も胆を潰したが芝楽は尚ほ食足らでや咽喉仏をソツと山菓子の袋に入て茶屋に持帰りおきしに吾喬はそれとも知らず一途に山菓子なりと心得之も亦右の骨をバリ〳〵と食たので一座再吃驚したりといふ斯いふ連中にかゝつては今に生きてゐる人間「迄をも喰か」

明治2381 日出新聞

興行物掃寄 目下興行中のものを掲げんに…大虎座に於ける正玉。馬鹿八の∽か幾代席に於ける藤兵衛芝楽の落語。川村席に於ける秋本千吉の曲技。桑島席の電気機械。笑福亭に於ける旭堂勝の改良講談。角の家の女手踊。竹の家の梅里八重吉。品駒等の女浄瑠理。其他東海木村武之助の琴竜。琴書両席掛持。玉川米作の錦影絵。滄州の鏝細工徳川十五代の人形なりと

明治2383 香川新報

肥梅閣 片原町古天神社境内肥梅閣にては去三十日より圓馬一座の浮節を興行し居るに人気よく相当の入りなりと

帰天斎一学 先頃延寿閣にて御贔屓になりし同人の一座は郡河郡琴平にて興行中の所昨日にて同地を打上げたれば再び当市に来り明四日より以前の如く延寿閣にて相替らずの御贔屓を仰ぐという。

明治23813日 新愛知

人情はなし 此程富澤町富本座に興行したる翁家さん馬、三遊亭遊生は今十三日夜より大須境内福寿亭にて興行し三味線曲引を寿楽がなすとの事

明治23814 京都日報

幾代の席 新京極幾代の席は永らく落語の討論会をなせしが今度は桂藤兵衛一座に三遊亭鶴染を加へて明十四日より通常の昔噺

明治23823日 金城新報

諸芸種蔵大掃除とは無雑作のようだが舊半季の片付興行イヤそうではない今度林家延笑が立川三光と改名した披露をかね勝鶴、文福などが補助となつて今晩から大須仁王門前福寿亭にて音曲落語大入

明治23826日 大阪朝日新聞

◇阿呆陀羅経読の慈善家 身は盲目ながら二つの木魚をポコ〳〵鳴し、毎日阿呆陀羅経を読歩き、木魚より叩き出したる金を貯へ置て、貧民の救助費に充て居る南区日本橋筋五丁目宮本長兵衛芸名都市丸…(以下略)。

明治23830 日出新聞

浮世亭〇〇 本名川上音次郎氏は久しく新京極笑福亭にて人気を取りしが先般来名古屋より東海道を処々に興行し此頃は横浜蔦座に於て滑稽演劇をなし居る処初日より評判宜しくして日々大入りなり近日東京へ打て出づる積りなりと〇〇贔負の方へ知らせて呉れとも何とも本人より申し来らざれど聞くがまゝに記す

明治2399  香川新報

延寿閣の政談演説会 監獄亭自由童子と云へる称号を以って一昨七日当市片原町延寿閣に開きし政談演説会は傍聴人三、四百人にて政府と人民の関係、胴欲非道の心柄、官吏の職務と云へる三題を演せられしが其の口調は余程滑稽交わりなれば欲耳に入り易きとの評判なりし

明治23918日 金城新報

◇諧謔と頓才にて米蔵へ紙袋は冠らせねど、臍を大風呂敷に包んで西国へ輸出さす、京阪一等の落語家桂文之助事曾呂利新左衛門は、今度浪速の虎列刺除け旁々上京の途次、当地へ来るを幸い、ひと取らえられての一興行。今晩から大須門前福寿亭で滑稽落語の開場をするとの事。諸君、耳をなめられにお出掛け。

明治23920 日出新聞

興行物 昨今新京極辺の諸興行物は見物人至りて少なく笑福亭の落語は文団治などの新顔が加はり居るに拘らず毎夜の入は場内の半に満たず幾代席も略ぼ同様なり夷谷座大黒座の如きは表は景気を付け居れど場内は至りて淋しく俳優も気張甲斐のないといふ次第。而るに時代物や新聞物の二∽かのみは何故にや相応の見物人ありヘラ〳〵女義太夫講釈等何れも不景気といふの外なし

明治23929日 扶桑新報

◇東京にては三遊亭圓朝、大阪にては曾呂利新左衛門丈、東阪両府の落語の統領、且文筆に奇才あって、新作落語の妙案を折々新聞、雑誌に著はし、有名益々世に高きその一方の大将曾呂利新左衛門丈が、当市にて興行中の娯愛顧にと、昼寝の隙かなぐり書き、目下目につく中であづきの大流行を題とした一口落語の新作を社員の許へ寄送されたれば、秋の夜の陰気払いに、今日ではない明日記載す。諸君、お臍の宿替せぬ用心をしてお待ち下さい。

明治23101日 新愛知

橋又座 當市巾下の橋又座に於ては西京での名人という講談師田川琴龍にて興行の由尤もこれは當市の講談師小林天山が万事周旋したという。

明治23101 日出新聞

新京極本日の諸興行 本日より始むる新京極の諸興行は竹の家昼席講談夜席梅吉八重等の女浄るりにて客人へ福引にて景物を与ふるよし。小田席は馬蝶。馬井助等の新内。長谷川席は女足芸。夷谷座は仲吉。由尾。芝佐吉等の女芝居。角の家は女手をどり。笑福亭は文団治一座の落語。吉村席は二面想。大国座は獅巌源之助等の芝居。山崎琴書定席の講釈。田村席琴竜定席の講釈。福井席へ女新内芝居。桑島席へ電気機械。幾代席は桂藤兵衛一座の落語。花村亭は女手おどり。島口席は錦かげ絵。尾崎席は講釈。川村席は男女立合撃剱。大虎座は正玉馬鹿八新玉等の俄。道場は米竹天丸一座の芝居等なりと

明治231012日 扶桑新聞

◇予て当市富沢町の富本席に興行中なる大阪改良落語家曾呂利新左衛門は、今夜、同人の十八番鳴る「天下一浮れの屑撰り」を噺すと云えば、是れは聴きもの。

明治231014日 扶桑新聞

◇日本扶桑自由講談専門学校教師中止解散博士、木村武之佐丈は、明晩より当市車の町の白広座に於て、「二月の壮士花か雪か」「徳島県士族・米沢勝子女史の伝」ニ題を演じる由。

明治231021日 扶桑新聞

徳永里朝 えんかいな節を天下に流行せしめなる大坂にて有名なる音曲師徳永里朝は一昨年東京に上り柳派の落語党に加はり又寄所に出勤して縁腕(えんかいな)節を弘め大いに評判を博したるが、今度日本橋区高砂町歌澤節の家元三代目芝金の門に入り、歌澤芝朝斎と改名となりたり。

明治231024日 新愛知

二○力の手打 末廣座で大當りをし引続き本重町新守座で一昨日から大入をした大坂二○力の大一座は今度又同一座中へ更に大坂から手打連というを招き加え舊時専ら大坂で流行せし手打を一幕加えて見せるという此手打というは天保嘉永頃大坂の大手笹瀬等の贔屓連中(當地の大笹花岡真蘇木などと同断)が毎年顔見世(舊十一月)毎投頭巾揃え立役者と一々を見物に引合せ拍子を鳴物に合せ如くに面白く囃子もの(とは申さずともご存知ながら)にて目今は衰えたるも手打といつては大坂にてやかましく且つ中々むつかしき古実のあるものなりと知新温古の一斑又目新しき見物にこそなん尚同手打には當地の正三、夢助、小夢、銀次郎などの各幇間なども加わるとの事にていよいよこれは二十五日から始めます由

明治231026日 新愛知

白廣座 當市魚の棚車の町の白廣座に於ては今晩より當地の落語家立川三光の一座打揃つて如智湧會(ぢょちゆう)と名付け開演する由にて顧客の顎を脱させお臍の宿替をさせる中に世の中を全て圓くさせ喧嘩口論ムシリ合い摑み合い蹴飛ばし競べなどは一切無い様に其上笑えば胸膈(?)が開いて無病息災になり落語家の顔を見れば家内和合なると云妙な呪いもなると云うからお誘い合されてお早くとお運びをお願いしますと頼まれもせぬ口上左様ツ

明治231027日 新愛知

人情ばなしに娘演説 初代に劣らず當市で上評の娘演舌為永栄二の一座は明二十八日の夜より熱田町須賀の千篭亭にて大入、又音曲人情面白話し橘家圓太郎一座は富澤町富本座にて今晩より大入

明治23111日 扶桑新聞

◇当市巾下の橋又座にて大入を占めたる扶桑独立講談長木村式之亮丈は、昨夜より五日間日延、其傍聴料は貧民救助費に充てんとの都合なりと。

明治23111 日出新聞

諸興行の吹寄せ 新京極三条より四条までの間にて興行する諸興行物を摘記すれば竹の家は昼席竜玉の講釈夜梅里八重吉等の女浄瑠理。京極座安本亀八の活人形。小田席馬蝶馬井助等の新内。坂井座時蔵一座の演劇。夷谷座由尾仲吉等の女演劇。角の家小雪小三等の手踊り。笑福亭文団治小団治等の落語。大西座男女立合の撃剱。(但無料)。吉村席大蛇の見世物。大黒座獅巌源之助等の演劇。山崎席琴書等の講釈。田村席金竜旭堂勝等の講釈。福井座佐登吉力代連の女演劇。桑島席猿芝居。幾代席藤兵衛芝楽連の落語。花村席宮川松之助一座の手踊り。島口席玉川米作の錦影絵。寿席北海の講釈。川村席坂東一座の手踊り。金蓮寺焼跡にて土耳古軍艦沈没の眼鏡と菊圃(はたけ)。大虎座正玉連の二∽加。道場芝居珊十郎一座の演劇等なりと

明治231116 京都日報

今日の遊び場 新京極の興行物は先づ道場の芝居中村珊十郎の一坐にて珍ら敷大入なれば二十五日迄日延せり東向の大黒座は三桝源之助嵐獅巌の一坐の芝居は彼矢田太郎絞殺の新聞を時雨頃血汐楓葉との芸題にて面白く仕組たり又福井坐の女連中も矢田絞殺を演じ其他大虎坐の俄狂言にも同様の新芸題を出し講釈には北海に琴書に金竜に何れも矢田の出し物にて大流行となれり又此外には幾久世席には例の桂藤兵衛の一坐笑福亭席には木鶴小団治一坐の昔噺ありヘラ〳〵もあり女浄瑠璃もあり亀八の生人形にパノラマ擬いの見世物もあり升…

明治231123 京都日報

<京都の可楽の死亡記事>

落語家の義挙 新京極の幾代席に出勤する落語家にて米山節の名人に此人ありと知られたる三笑亭芝楽丈は感心にも先に本年五月廿日に死去せれれたる師匠三笑亭可楽丈の追福の為に専ら石碑の建立を周旋せらしが該石碑は高四尺余り周り三尺余の自然石に高原院可楽日光信士と金字にて立派に彫刻したる者なるが昨日愈出来上りたれば本日菩提処なる東大谷に据付る由又同丈は該供養として同夜幾代席へ出席の序手来客一統へ何か思付の景物を出さる由なるが其景物□多少は兎も角も同丈が義心に賛し皆さん今□はゾロ〳〵と同席へ入ラツシヤイ

明治231127日 大阪朝日新聞

◇[広告]川上音二郎丈ハ東京ヨリ帰神弊席ヘ出勤左ノ題ヲ演ジ升/癈妓論(げいしゃたいじ)/神戸井筒太席

明治231130日 大阪朝日新聞

◇[広告]御ひいきの御方さまへ/川上音二郎氏東京ヨリ帰神、弊席ヘ出勤以来毎夜七時限リ木戸〆ヲ致シ居、遅刻御来場之御方様ヘ御気ノ毒サマ、依テ希クバ七時迄ニ御来場之程奉希候/神戸井筒太席

明治23123 日出新聞

芝居と寄席 新京極の寄席は笑福亭へ今までの連中の外に松福[笑福]亭福松を加へまた幾代にては遊生の代りに枕積の達者もの桂小藤太(横文字改)が代り合ひまして御機嫌を伺ひ又大虎座にては新内小馬井と物真似師松朝の二顔が加はりて大切に楽屋のこらず代り〴〵に顔を出して各々十八番の芸尽しをする筈なりとか

明治23126日 大阪朝日新聞

◇[広告]川上音二郎氏出席以来大入ニ付毎夜七時限木戸〆、併シ七時迄ナレバ上等場所請合申候/今晩ヨリ 来島恒記一滴の血涙 つゞきもの/神戸井筒太席

明治23127日 扶桑新聞

◇来る十一日頃より当市富沢町の富本席において、東京上等新講談師・美髯の評ある猫遊軒伯知丈が興行す。

明治231212 京都日報

北演劇にて 来る十五日より催す顔見世は先づ幇間にては光作、馬士作、花助落語家にては幾久代席より桂藤兵衛、芝楽、文如笑福亭の福松、文団治、米団治大虎座の馬鹿八、正玉、東寿大坂よりは天丸、米昇等(ネツカラ付の玉揃)が加はり演ずる世界は忠臣蔵の通しの由定めし桂中納言藤原忠勝氏の鷺坂伴内、馬鹿八の由良之助、東寿のおかる杯はゝなしの千両の直打は今より請合イヨー成田屋、成福屋、音羽屋

明治231216 京都日報

四条北座の素人芝居 当地の幇間連中に落語家に俄狂言師等を加へたる素人芝居は一昨日より始めしが芸題は忠臣蔵にて大序より七段目迄にて大序には顔世御前が(粟亭東寿)判官が(和田政八)若狭之助が(橘家光吉)二段目は本蔵が(文団治)若狭之助(笑福亭木鶴)三段目は師直が(初春亭正玉)伴内が(桂藤兵衛)判官が(尾上梅昇)若狭之助(富士田八助)四段目判官(初春亭新玉)由良之助(馬鹿八)力弥(橘家馬士作)石堂馬之丞(梅村梅村八)薬師寺が(福松)五段目定九郎(文団治)勘平(福松)与市平(花助)六段目おかる(家団治)母かや(天丸)勘平(芝楽)七段目九太夫(花助)由良之助(市昇)平右衛門(菊枝)等にて随分面白きとの噂なり

明治231218 日出新聞

芝居便り 四条北座の素人芝居は思ひしより大受にて大入を占むるゆゑこれではもつと興行ずには居られぬワイと昨十七日から三日の間日延とは発奮〳〵但し笑福亭福松が大坂へ立帰たので福松の勤めて居た猪打の勘平を米団治に振かへ米団治役の弥五郎をしん吾が勤むるよし

明治231221日 金城新報

滑稽討論会 本夜より當市八百屋町の久松座において滑稽討論大会を開会する由なるが其討論題は女子に惚らるる場合と借金取りに責めらるる場合と何れがつらきや、集会所にて屁を放ると欠伸を為る何れが失敬なるや外数題にて弁士は桂鶴團次、林家圓玉、内田健次郎、戯長は社会亭東洋等の人々にて傍聴者の質問に対し議長が答弁に苦しむときには其償いとして反物、桶其他の品物を出すと云ふ。

明治231221日 大阪朝日新聞

◇[広告]今廿一日午後第六時ヨリ兵庫弁天座/平民主義  政談演説会/遠慮ナク吹キ出ス奇抜ナル議論ト嶄新ナル談話ト活発ナル目的ト堅固ナル主義ハ吾人ノ熱血ヲ以テ画キ出シ、吾人ノ膽汁ヲ以テ築キ立ツルモノナレバ、社会ノ眼ヲ驚カシ、湖江ノ耳ヲ聾セシムルニ至ル。早ク来レヨ来レ〳〵/会主兼弁士川上音二郎謹告

明治231225日 大阪朝日新聞

五大洲演芸会 明年一月一日午後六時より十二時迄、京都新京極坂井座に於て、奥田弁次郎氏興行人となり、五大洲演芸会なるものを催す由なるが、出方は例の川上音次郎氏を除くの外は英吉利、阿米利加、伊太利、印度、仏蘭西諸国の男女十名にして、落語、滑稽等の外、忠臣蔵二ツ目、同七ツ目等の芝居を演じ、見物の腹をヨラせるとのこと。

明治231229日 大阪朝日新聞

◇[広告]五大洲演芸会/五大洲演芸会ハ世界各国ノ人種集合シテ本国ノ長所ヲ挙ゲテ誇リ、其技即チ芝居手踊リ落語等、紅粉ヲ塗リ仮髪ヲ着ケ日本語ヲ以テ演ジ、各自腕クラベヲスル者ナレバ、実ニ古来未曾、有進化的今日ニ大稗益ヲ与ヘ、其妙味アル事ハ今云ハズ、早ク来レ〳〵/日本人川上音次郎丈・英国人ハーゲツト丈・米国人ジヨージ丈・佛国人ピヤース丈・印度人マーブル丈・亜弗利加人シーバン丈・米利堅人ギリーク丈/場所ハ京都新京極三條下ル坂井座/開場ハ一月一日午前十時ヨリ/興行人奥田徳次郎謹告

明治231229日 大阪朝日新聞

◇[広告]西京御ひいきの諸君へ/かねて御待かねの川上音二郎丈/当る十二月三十一日より昼夜共私席へ出勤につき、相変らず御はこばせの程希上候/京都新京極松福亭主人謹告

プロフィール

丸屋竹山人

カテゴリー
  • ライブドアブログ