明治29年1月1日 扶桑新聞
◇興行 大須桔梗座は三代目辰丸の浮れ節。富澤町富本亭は富士松魯中、同左校一座の落語と新内。
明治29年1月8日 大阪朝日新聞
<偕楽会>
◇偕楽会 明後十日午前十時より今宮商業倶楽部にて催す第十一回偕楽会の演題は御祝儀(桂三遊)、新内安珍清姫(鶴賀金蝶)、落語菊江仏壇(桂小文枝)、俄踊猿の尻笑(団十郎・松蝶・団之助・団九郎)、浄瑠璃卅三所観音霊現記壷阪の段(竹本伊達太夫)、落語草花議論(林家花丸)、舞猿舞(中村芝雀)、滑稽浄瑠璃佐倉宗五郎身代坊主(新町木村席とん八)、舞喜仙(新町木原席小ふじ・菊勇・唄広香・さく・つた)、音楽(大阪音楽会)。
〈編者註〉偕楽会は昨年三月に共楽会と同趣旨で設立された会員制の演芸会。しかし一年で終わったらしく、十三回以後の開催記録はない。今年度分の開催日、出演した落語家及び演目は以下のとおり。
第十二回(二月十六日) 桂三遊(御祝儀)、三遊亭花遊(音曲噺居候の湯屋番)、西国坊明学(音曲くらま下り宿屋)、三遊亭円馬(人情噺孝子伝)
第十三回(三月二十日) 桂南光(先ぐりの仲裁)、真古亭真生(改良噺)、宝集家金之助(壇浦兜軍記)
明治29年1月1日 京都日出新聞
◇一月興行案内 新京極を始め上下京区各興行席の一月興行は左の通り ▲笑福亭 福松、円三の一座に三笑亭芝楽、笑福亭松竹などが加はりて例の落語▲幾代席 桂藤兵衛の一座に東京初下り春風亭南柳を加へ是亦例の落語▲大虎座 正玉、弥二郎兵衛一座の俄狂言にて前力草(八幕)切合邦ケ辻▲ふくべ座 梅瓢、富士円一座の俄にて前狂言明治孝子稲荷の仇討(五幕)切狂言所作事三疋猿の評判▲琴生館 山崎琴書の一座にて読物は太閤記、中山問答記、書生の犯罪等▲魯生館 魯山の一座にて黄門記、太閤記、探偵小説等▲上田席 瓢馬の一座にて天一坊実記、三幅対、紀文▲寿席 真玉斎小燕の一座にて人情貝祭文▲パノラマ館 八陣の硝子板にて彼の薮抜けの如く時間を限り抜けしものへは景物を出だすよし[この観物については、一月二十九日の「腕力芸妓」に状況の説明がある]▲京極席 例の通り観物▲角之家 片岡鯛の一座にて蜑の水芸▲吉村席 品玉傀儡子の運動玉投げ▲田村席 万国鳥獣大会▲都席 竹本梅里太夫一座の女浄瑠理▲笹之家 竹本新緑太夫一座の女浄瑠理▲河村座 宇治山田の引越にして井筒一座の大神楽▲小田席 鶴賀花治一座の新内節▲丸万席 鶴賀相登司一座の新内節(以上新京極)…▲猪熊通り下長者町福栄座 名古屋の説教芝居岡本美代治一座にて前狂言根岸礎両面藤三(三幕)切狂言三荘太夫国分寺(一幕)
明治29年1月11日 大阪朝日新聞
<共遊会>
◇第四回共遊会 同会は明日午後一時より新町婦徳会場にて開会の筈。重なる番組は正月丁稚(桂文屋)、狂言鍋八ツ鉢(堀井仙助・桐井又三郎・林源次郎)、常月夜芳原万灯(三遊亭花遊)、舞忘れ唱歌(嵐三ツ橘・振付山村らく)、七福神宝船(三遊亭円馬)、松竹梅(中平・中沢法師)、清元四季三番叟(立花家若橘)、狂花故郷の花婿(曽呂利新左衛門)、浄瑠璃忠臣蔵五段目(片岡当十郎・糸新吉・胡弓米次郎)、箒屋娘(桂小文枝)、舞橋弁慶(木原広鶴・地方同ふさ・むめ・近作・小近)、舞四季山姥(山村つね・歌阪東延鶴)、浄瑠璃姫小松子日の遊洞が嶽俊寛住家(片岡我当・糸吉十郎)等なり。
〈編者註〉共遊会は昨年十月に共楽会、偕楽会と同趣旨で設立された会員制の演芸会。本年は四回から十六回まで開催された。以下今年度分の開催日、出演した落語家及び演目のみを一括して掲げておく。
第五回(二月二日) 福助(双児の対面)、桂南光(臨時開業)
第六回(三月一日) 笑福亭梅鶴(野ざらし)、笑福亭福太郎(老松)、桂かしく(妾宅通ひ)、三遊亭円若(音曲噺滑稽関所)、笑福亭福松(親子酒引抜大文字屋)、曽呂利新左衛門の舞(島原かむろ/歌阪東小三郎・三味線阪東鯉左)、三遊亭円馬(四の字ぎらい)
第七回(四月十二日) 文屋(桜の宮仇討)、円馬(大仏餅)、三遊亭左伝治(皿廻し)
第八回(五月三日) 梅鶴(狂歌家主)、式亭三馬(士族の商法)、福松(うらの裏)
第九回(六月七日) 笑福亭松光(クッシャミ講釈)、福松(棒屋)
第十回(七月四日) 小枝、柏枝(冬遊び)、小文治(守り神)、円馬(文七元結)、新左衛門・文団治・福松・文都(土産の葛籠)、桂文枝(吹寄)。
第十一回(七月二十日) 文屋(無学の議論)、花丸(へその背くらべ)、明学(琵琶軍談)
第十二回(八月十六日) 円遊(地獄めぐり)、全亭武生(人情話青簾月松蔭)、橘之助(清元賑民寿万歳)
第十三回(九月二十二日) 文屋(書生車)、桂三五郎(長屋の宴会)、花遊(平井権八の辻斬)、花丸(奉公始め)
第十四回(十月十八日) 桂かしく(嫉妬の火炎)、米朝・梅団治(掛合噺)、花遊(隅田の夕暮)
第十五回(十一月八日) 文屋(改良穴探)、福助(熨斗問答)、花丸(新地蔵めぐり)、円馬(滑稽噺)
第十六回(十二月十三日) 桂小文都(西洋根問)、桂米団治(便利ぐるま)、曽呂利(八畳敷揮毫)、東西屋九里ま丸(茶番蛙の行列)
明治29年1月11日 扶桑新聞
◇橋又座 名古屋外田町の橋又座にては今晩より文福、宝遊、圓玉一座の落語に加えて鶴賀升太夫の新内浄瑠璃を興行する由。
明治29年1月19日 大阪朝日新聞
◇風俗取締の励行 南堀江下通四丁目の日吉席にて吉田由松といふ落語家、淫猥聞くに忍びざる事を出来し顔に口走りて、席主とゝもに科料金一円の罰を受け、本田町通二丁目の松田席にて貝祭文の村上茂雄が一休一代記の題目の下に淫語を洩して是れも席主とゝもに一円づゝの科料を受けたり。仮借せずミシ〳〵とまん励行すべし。
明治29年1月25日 大阪朝日新聞
<第三十一回共楽会(一月二十六日)>
◇共楽会 同会例会は明日午後一時より南地演舞場に於て開会の筈。重なる番組は京名所(笑福亭福助)、日吉丸三段目(竹本都)、狂言靱猿(堀井仙助・桜井亀次郎・林源次郎)、鏡ケ池操の松影(三遊亭円馬)、落語のはきよせ(桂文枝)、滑稽浄瑠璃風雅の妾宅猫の争ひ(油屋席でん・三味線丸三席小伝)、曲芸錬熟曲独楽の活動、活人形危始の早業、石橋引抜き獅子の戯れ(岸綱芳雄)、音曲話平井権八芳原通(三遊亭花遊)、喜劇廓猿(鶴家団十郎・松蝶・団九郎・団之助)、舞葵の上(木原席りう・唄広香・三味線さく・つた)、浄瑠璃桂川連理の柵帯屋の段(竹本弥太夫・三味線豊沢竜助)、舞七福神(市川米蔵・長唄松永鉄十郎・阪田時治郎・三味線杵屋六三郎・同金次郎・笛福原豊吉・太皷住田幸太郎・福原鶴太郎・小皷福原鶴二郎)、大曲芸綱乗運動(岸綱社中)等なり。
明治29年1月25日 扶桑新聞
◇盛豊座 今晩より福集亭當枡の一座にて明晩より音曲人情ばなし、怪談足おどり等の興行。
明治29年1月28日 扶桑新聞
◇新守座 春風柳寿斎、鶴賀升太夫、富士松魯中、同左校等の合併にて大車輪となり本日午後五時より大入する由。
◇福寿亭 本月一日以来興行中なる伯龍は殊の外の人気なるにつき、三十一日迄読み上げ、二月一日よりは小辰丸並に正徳の追善興行として、三代目吉川辰丸が例の浮れ節を打つ筈。
明治29年1月29日 京都日出新聞
◇新京極興行案内 来る二月一日より興行する新京極各席の芸題出し物は左の如し。▲笑福亭 円三、芝楽、福松一座の落語▲幾代席 桂藤兵衛一座の落語にて東京初下り清元の君蝶が加はる由▲ふくべ座 梅瓢富士内蝶ン貴瓢之助の一座二輪加にて新聞雑報、合邦ケ辻▲大虎座 正玉弥次郎兵衛の一座二輪加にて前太閤記切新聞小説▲角之家座 片岡鯛女一座にて蜑の水芸▲小田席 鶴賀花治一座の女新内節▲丸万席 鶴賀馬井助一座の新内節▲吉村席 硝子の曲吹▲上田席 講談師三省一座にて前太閤記切新聞探偵小説▲魯生館 魯山一座の講談にて前岩見武勇伝、台湾事情▲琴生館 琴書一座の講談にて中山問答、紀文、探偵奇談▲笹之家 阿波一座竹本新緑太夫の女浄瑠理▲寿席 真玉斎小燕の一座にて人情貝祭文▲河村席 玉翁、双蝶一座の俄にて大坂の若手連を加ふる由
明治29年2月1日 神戸又新日報
◇市内興行物案内▲相生町の相生座は福雀、紋三郎、多見太郎、栄冶郎等の一座にて▲楠公前大黒座はいよいよ市川左團冶の一座が乗込み巌笑を加えて来る五日頃より開場の筈▲楠社内湊亭は桂かしく、三遊亭万寿、笑福亭福太郎、桂小菊丸、三遊亭圓若、林家しん鏡、桂昇馬、笑福亭福寿、桂文昇、笑福亭福丸、桂南枝、桂團輔、笑福亭松光の一座にて落語▲同社内の菊の亭は房吉、花緑、初緑、國栄、新國、柳糸、小緑、三味線松緑、團八の一座にて女浄瑠璃▲同社内菊の屋亭は松の家小圓、東竹造、三味線東季丸の一座にてうかれ節▲多聞通裁判所前菊水亭は東蝶、蝶吉の一座にて仁輪加▲楠社西横手旭亭は玉田玉昇、玉田玉燕の一座にて軍談講釈▲楠社西門筋馬力亭は未定▲同福井座は中村小玉の一座にて女手踊り▲同福原口鏡亭は伊藤博雲、都亭小伝次、都亭三八、都亭三平の一座にて浮れ節▲三の宮神社境内の朝日座は鶴之助、島之助、鶴三郎、獅漢の一座にて開場の筈▲兵庫算所町の明治座は来る十日頃より開場の筈なれど俳優狂言とも未定▲兵庫湊町の湊虎亭は神田伯龍、笹井燕玉の講釈等なり
明治29年2月4日 扶桑新聞
◇富本席 名古屋富澤町富本席にては今晩より大阪人情噺福集亭當枡の怪談大道具早替り大仕掛にて當若、當吉、當市、當玉、美佐尾等の音曲噺ありと云う。
明治29年2月5日 大阪朝日新聞
◇芸人の台湾行 前号の紙上に壮士役者青柳捨三郎一座台湾へ渡航しゝよし記しゝが、京都の落語家林家正団治、笑福亭福平、同吾一、三遊亭朝遊、大福屋帳兵衛の六名も一団体を組みて同行したるよし。新日本住民に笑ひの種を蒔かんとてか、兎にかく壮んなりといふべし。
明治29年2月7日 扶桑新聞
◇寄席の同盟 浮かれ節興行権に関する行違いより、端なく浮かれ節連の乱暴となりなる結果、名古屋市内各寄席業者は、一同連合の上以後決して浮かれ節を掛けざる事となし。上町裏町の区別なく、客の多き席も少なき席も、毎夜の収入を平均して一般に割り当て、寄席業者の団結を固くしたれば、其勢い殆ど抜き難く為めに、浮かれ節連は僅かに巾下の開慶座一個を誘いて、寄席の同盟以外は立たしめ以て、該連の根拠地となす筈なれど、市中唯一個の寄席を以って多数の寄席に抵抗せんこと、到底覚束なき事なるべし。因みに本月中旬則ち舊正月には、同盟方に於いて、東京の清元お葉、同梅吉に柳派の落語古今亭今輔、柳家つばめ等の一座を富本に、又東京娘義太夫の花形竹本綾之助、竹本駒之助の一座を橋又座に、其の外目下売出しの東京講談邑井貞吉をも或る席へ呼びよせて花々しく興行せん予定なりという。
明治29年2月10日 商業資料(第三巻・第二号付録)
●三遊亭円馬丈に与ふ
円馬丈足下、足下は固より予を知らずと雖も、予は足下が未だ燕雀(編者註:円雀の誤記)なる極めて卑下らしき、又たお饒舌(しゃべり)らしき名を以て、常に師尚円朝子が前座として、金朝などゝ殊勝に勤めける当時より高座面(づら)の親染(なじみ)として知りぬ。予は其の時分よりして已に足下は将来必ずや燕雀の一変して鴻鵠となるの器量あるを知ると同時に、又た足下は円朝子の尤も高弟として巍然此の社会に一頭角を顕はすの偉人たる事を信ぜしなり。然るに此の数年間何の志す所ありてか、将(は)た腹虫(むし)の落着かぬ点あつてか、花のお江戸の附兄(あにい)が多くの愛顧を振捨てゝ、おますが国へ席換召されたり。予は始より足下が技芸の特色として尤も感服する所は、敢てベチヤ〳〵然と恰も車軸に膏油(あぶら)をさしたるが如く縦横無尽に三寸不燗の舌頭を振廻すを云ふにあらず、若し独り此点を執り、之れを他の者に比すれば、或は小さん、円遊輩などに数歩を譲るあるも知るべからず。唯足下の容貌は恰も苦虫を噛み潰ぶしたる如き、極めて真面目の面(つら)つき、更に言を換へて言へば、同じ門弟中の円遊の粋人めかさず、円笑の法螺祭文然たらず、円右のグツト俳優(やくしゃ)を気取るにならはず、一見素人の如き容貌にてヌツト高座へ顕はれ出でしより、引込み迄一点の愛嬌を顔面(つら)に溢さずして、極めて厳正に、極めて鹿爪らしく、極めて落着(おちつき)払ふて徐々と説き出し、表面は真面目の如くにして、其の実裏面は滑稽口を衝て迸しるあるを見る。此れ他の輩(ともがら)の学んで決して能はざる所のものなり。何となれば他の輩の多くは概して顔に語り、眉目の間に語り、手付きの働きの上に語り、他の挙動を仮り、以て話頭(はなし)の扶助(たすけ)をなすあるを見る(殊に大阪の落語家に多し)。独り足下は毫(すこし)も躰軀(からだ)を左右に動かさず、首を縦横に振らず、静かに扇子一本にて綾つる處、何とも云へぬ味ひあり。足下が師尚円朝子曾て曰(いえ)るあるを或る紙上にて見き。
(前略)かく色々の教訓を受けてより、自から自由になり、遂には高座を忘れ、客を忘れ、私自身を忘れ、たゞ自からに語り行く時には知らず〳〵語中の人物となり済(すま)して、我知らず其情を語るものにて、其時はお客が感動せらるゝなり。上手に語らんなど思ひて上手に語り得たる事は曾て之れなく候(下略)
知らず、足下此の秘訣を師より親しく授かりしや否や。予は足下が斯(かか)る絶技を持ちながら何故に久しく此の浪華津へ留まらざるべからざるかを怪(あやし)む。然れども訝る勿れ、古来才子英傑多(おおく)は沈淪、見よ他の俳優の九蔵、訥子、多賀之丞、時蔵の輩が其の技芸の一種模倣すべからざる特得の器を抱くにも係はらず、常に彼等社会より擯斥せられて、世に多く容れられざるものあるを。憶ふに足下も恐らくは奇骨稜々として苟も屈せざる其の亜流にあらざるか。若し然からんには此の浪華津こそ実に足下が立脚の地なれば、予は未だ猝(にわ)かに帰東を以て勧告するものにあらずと雖も、希(こいねがわ)くは浪華の天麩羅然たる濃厚(しつこい)風に感染(かぶ)れず、ピンとした酢の物の如き極めて淡泊なる固有の江戸つ子風を倍々(ますます)発揮する事に勤めよ。予は敢て言ふ、師尚が後を継ぐもの恐らくは足下ならでは他に其人を見ず、乞ふ足下幸(さいわい)に此(これ)を思ひ、斯道(このみち)の為めに千万自重せよ。
明治29年2月13日 扶桑新聞
◇福寿亭 同所福寿亭に於て同十四日より桂文福並に升太夫一座の話しか興行。
明治29年2月14日 扶桑新聞
◇寿亭 名古屋久屋町寿亭に於いては春風柳寿斎、鶴賀升太夫、富士松魯中、同佐校、三遊亭圓玉、桂文福の大一座にて今日より音曲落語興行尚大切として一座総出にて仁和賀ありと。
明治29年2月21日 大阪朝日新聞
<第三十二回共楽会(二月二十三日)>
◇共楽会例会 同会第三十二回は明後二十三日午後一時より南地演舞場に於て開会の筈。重なる番組は露払ひ(桂三遊)、卯の日詣で(月亭小文都)、人情噺堀部安兵衛伝(春風亭南柳)、妾宅の内幕(桂米団治)、恋女房十段目(豊竹呂昇)、音曲話裏のうら(三遊亭花遊)、長唄勧進帳(唄松永鉄十郎・坂田時治郎・三味線杵屋六太郎・同杵屋金治郎・笛福原豊吉・小皷福原鶴三郎・大皷住田幸太郎)、三枚起誓(曽呂利新左衛門)、保名狂乱(北新地林店小たか・後見梶川くに・地方林床子・同円子)、三国一(舞南地平辰若きと・唄阪東小三郎)、舞鶴亀(鶴・新町木原小ふぢ・亀同若千代・唄同広香・同さく・同つた)、増補菅原松王下邸の段(竹本さの太夫・三味線鶴沢大造)、清元雁金(清呂之助・三味線延はま)、伊勢参宮(桂藤兵衛)、朝鮮踊り(朝鮮婦人孫福徳・金花竜)等にて、市川米蔵も前会に七福神を踊りたれど下座に故障あり十分の技を揮ふこと能はざりしに付き、今度はお暇乞ひを兼ね再び出席して浦島を舞ふ筈なりと。
明治29年2月25日 大阪朝日新聞
<第三十二回共楽会実見記>
◇一昨日の共楽会 一昨日南地演舞場に於て催したる共楽会は開会以来第一の盛会なりきとぞ聞えし。今同会を見物したる社員の評する所を聞くに、中に就き最も会員の視聴を動かしゝは松永鉄十郎の長唄「勧進帳」なるべし。森厳にして円熟、些(ち)との遺憾をだも認めず、人の情の盃をの辺り、聴くものをして徐(すずろ)に仙境に遊ぶの想ひあらしめき。杵屋六太郎の三味線も善く、福原鶴三郎の小鼓、住田幸太郎の太皷、福原豊吉の笛与(とも)に妙なり。元来大阪には長唄といふもの法師唄の他にあることなければ、斯く下方まで入れて聞(きか)されたる事とて吾も人も覚えず。掌を拍(う)ち痛めたり。林席小高の舞保名狂乱も亦た一場の花として喝采の中に演じ終れりき。小高は北地第一の舞妓なりとかや。年紀漸く十三あまりなるが、其動作に精神(こころ)ありて少しも危げなかりしには大人も舌を巻いて驚くべし。床子、円子の唄、滔々たる浪華妓流中の優なるものといふを得べし。市川米蔵の舞「浦島」は当日の呼び物なりしならんが、此の俳優(やくしゃ)にしては別に絶技と称する程のものにもあるまじく、只だ達者に美しく舞ひ納めたり。豊竹呂昇の「恋女房」重の井子別れの段は女義太夫にしては上出来の部なるべく、器用なる語り廻し、相変らず会員を嬉(よろこ)ばしぬ。さの太夫の「松王下邸の段」、語り出しの頗る善かりし割に奥のさのみならざりしは惜むべし。元来同会が演芸矯風を以て任じながら斯るツマらぬ外題を出させしは何事ぞ。演芸者其人を撰むと与(とも)に其出しものにも注意すべきは同会委員たらんものゝ務めなるべきに、大造の三味線も未だ掌に入らず、殊に間の狭き憾みあるを奈何せん。
明治29年2月27日 大阪朝日新聞
<藤兵衛の風流>
◇袖香炉 今は昔、東山義政、秘蔵の香炉を袖にして寒夜鴨河のほとりにたゝずみ、千鳥の鳴く音に思ひを慰めたる由は物の書にも見えて千古の佳話とし伝うるが、身分こそ隔たれ、京都の住民にて藤原忠勝といへば如何なる公家の成の果かと思はるれど、寄席に現はれては桂藤兵衛といふ落語家、我も五十の阪を過ぎて最早や六十に手の届くべき身の、徒らに三十石の昔話に女小供の笑ひ声を乗せてのみ果つべきか、時代こそ変れ千鳥の鳴く音は昔も今も変るまじきに、寒くとも鴨河のほとりに立ちて故柳営の昔を偲ばゝやと、席果てゝのち四条磧の上車道の仮橋をほつき歩きたれど、祇園先斗町の楼々の灯火真ひるの如くかゞやきて、烟に湿る糸竹の声耳をつらぬきて囂しきに、千鳥の声はさのみも聞えず、袂吹かるゝ風に慄へて、アヽ風流は寒いものかなと嘆息しつゝ帰る道にて図りなく拾ひしは植木鉢見るやうな香炉なりけり。藤兵衛歓んで家にかへり、之れを鳴かぬ千鳥の香呂と号け、夜な〳〵聞うる按摩笛を千鳥と聞き、女房の解きし太鼓帯を鴨川の流れとながめ、蒲団着て寝たる姿を東山とはどうでおますな。
明治29年2月27日 京都日出新聞
◇新京極の興行物 来る三月一日よりの新京極興行物は左の如し ▲常盤座 川上音次郎一座の壮士芝居にて芸題は盗賊世界(十三幕)…▲小田席 鶴賀登司尾、花治一座の女新内節▲パノラマ館 台湾生蕃の実況パノラマにて其真景は甞て同地に赴き居りし守備隊付中村少尉の模写せし者にて頗る緻密なる者なりと▲笑福亭 円三一座の落語にて東長次郎の芝笛の曲もあるよし▲田村席 片岡鯛女一座の蜑の手踊▲ふくべ座 団八梅瓢一座の二輪加にて芸題は今姐妃のおつね(六幕)…▲上田席 笹井円丈一座の講談にて読み物は金毘羅利生記、岩見重太郎▲魯勢館 魯山一座の講談にて読み物は太閤記、水戸黄門記、新聞雑報▲丸万席 鶴賀馬井助一座の新内節▲幾代席 桂藤兵衛、春風亭南柳一座の落語▲河村席 俄師玉翁一座にて芸題は天竺桂川、予備兵の出立三十三間堂…▲寿席 貝祭文真玉斎小燕の一座にて強盗清水定吉の伝▲大虎座 正玉、弥次郎兵衛の一座にて芸題は道中膝栗毛(六幕)
明治29年2月28日 扶桑新聞
◇富本席 壮士俳優となり又は講談師となりたる夫の木村武之助は、今度三遊亭小圓朝と名乗りたる由にて、数名の落語家を引連れ不日富本席に於いて久々のお目見得する由。
◇七代目入船亭扇橋 今晩より富本席に於いてお馴染の曲引春風柳寿斎、鶴賀升太夫、三遊亭圓玉、桂文福等の一座と合併にて興行する由。
明治29年3月1日 神戸又新日報
◇市内興行物案内▲楠公前大黒座は坂東鶴之助、嵐守太郎、市川寿美之丞の一座▲相生町相生座は中村福寿、中村紋三郎、嵐守かくの一座にて▲楠社内湊亭は三遊亭万寿、桂[林家]小菊丸、林家しん鏡、桂昇馬、笑福亭福寿、桂文昇、笑福亭福丸、桂南枝、桂團輔、桂米團冶、三遊亭花遊、桂文我の一座にて落語▲同社内菊の亭は美國、かづちか、錦花、新國、國栄、美奈重、小常、三味線鶴葉、小善冶の一座にて女浄瑠璃▲同社内菊の屋亭は東竹冶、東竹造、三味線東秀丸の一座にて浮れ節▲多聞通裁判所前菊水亭は大門亭東蝶、信の家蝶吉の一座にて目覚まし仁輪加▲楠社西横手旭亭は桃林伯圓、桃林伯麟の一座にて軍談講釈▲楠社西門筋馬力亭は改築中▲同福井座は実川君松の一座にて女手踊り▲同福原口鏡亭は中川小伊勢一座の浮れ節▲三ノ宮神社境内の朝日座は壮士俳優今枝の一座▲同宝座は藤松、小若の一座にて新内節▲兵庫湊町の湊虎亭は石川一口、石川一碩の講釈▲兵庫算所の明治座は市川白蔵、嵐璃鳳、板東鶴三郎の一座
明治29年3月1日 大阪朝日新聞
<此花館落成>
◇此花館 北堀江の寄席賑江亭の主人藤原重助の計画にて東区平野町三丁目に高等の寄席を建築して上流人士の楽園となすよしは先号に記しゝが、此程新築落成して之れに遊芸倶楽部此花館と名づけたり。依て来る十三日を期して開館式を行ひ、府庁吏員を始め四区長、各警察署長、参事官、府市会議員、各会社員等を招待し、落語家の茶番狂言、北陽及び堀江芸妓の手踊を演ぜしむるといふ。尚本館開場の後は三友派の落語家一同出席し、東京の三遊派及び柳派と気脈を通じ両派の芸人五名宛を代る〳〵招きて出演せしむる筈なりとぞ。
明治29年3月3日 大阪朝日新聞
◇舌頭の罪 南区玉屋町の岡田政吉とは其本名夫(か)の軍談師石川一口は、此ほど松屋町なる生国魂神社御旅所境内の寄席北川に出席して、しかつべらしく政事類似の事を喋々と述たてたるより、臨席の巡査聴衆を解散し、一口は引致せられて取調の末金一円の科料に処せられ、席主北川も金五拾銭の科料となりぬ。駟(し)も舌に及ばざりけり。
明治29年3月3日 京都日出新聞
◇東寿の改名披露 新京極大虎座の俄師東寿は今度師匠の名儀を継ぎ東玉と改名するに付き来る十二、十三の両日同座に於て其披露の為め京坂落語家俄師等の大寄を催ふす由。
明治29年3月7日 扶桑新聞
◇大須福寿亭は昨晩より富澤町富本と掛持にて入船亭扇橘、鶴賀升太夫、春風柳寿斎、桂文福一座の音曲噺興行。
明治29年3月10日 商業資料(第三巻・第三号)
●真古亭真正に与ふ 露骨子
真正君足下、有体に言へば君は頗る生意気なる落語家なり。然れども生意気をして今日の地位(落語家中間に於ける)を得せしめたるものなりとする時は、生意気も今日迄は君に取つて随分必要なる一の手段たりしなり。言葉を換へて之を言へば、君は実に生意気そのものゝお蔭を蒙むるや頗る大なりと言ふべし。
夫れ然り、然りと雖ども今日の君は又昔日の君にあらず。芸能の上に於て、声価の上に於て、若し夫れ哺乳期を経過せる哺乳動物に、尚且つ乳汁を与へ、以て其健全発育を望むの不条理なるを知る時は、君が生意気の僻習を長く将来に継続するの、又甚だ不利益なるを知らざる可からず。余曾て京都幾代席に於て君が演ずる處を聞きし事あり。(私しも是迄は志士の一人として国事に奔走した事もございますが……大井憲太郎などゝ共に……保安条例の為めに云々……)、大凡(おおよそ)如斯(かくのごと)きの語、数へ来れば本誌の一頁を填(うず)むるも中々に書き切れざるべし。以上は只々其一例を挙げたる而已。要するに君が幾許の器量を有するの人物なるかは、識者は夙に之を知りぬ。不規則なる調子はづれの漢語的御吹聴は君自から君の価値を墜落する所以にあらざるなきを得んや。殊に「不埒とや云はん……笑止とや云はん……失敬とや云はん……何々とや云はん」など、乃(すなわ)ち、とや云はん的の口調は誠に聞き苦しく、真に片腹痛く思わるゝなり。然れども近来は君も余程自省する所なりと見ゑ、以上欠点の著しく減少したるは君の為め祝せざらんとするも豈夫れ得べけんや。
之を要するに君は落語家中間に於て比較的稍々(やや)才能を有するもの、而して満身の愛嬌は芸人として最も恰当なる資格たり。思(おもう)に君が今後の心掛如何によつては随分落語家として一派を樹立するに難からざるべし。生意気に政事家を気取るべからず、壮士振る可からず、何れの時何れの場所に於ても自己の落語家たることを忘る可からず。君、夫れ勉めよ。
明治29年3月11・17日 大阪朝日新聞
<日清戦争戦死者追悼会>
◇征清戦死者追悼会 落語家林家花丸、桂文哉の二名が発起となり、桂文枝の賛成にて、来る十五日難波鉄眼寺に於て征清戦死者の追悼会を催し、余興には戦利品を題にして面白き落語の趣向もある筈。(3月11日)
◇落語家の戦死者追悼会 落語家花丸、文哉が発起となり一昨日難波村鉄眼寺にて開きたる戦死者追悼会は来会者二百余名もありしが、模擬戦利品の中焼豆腐二丁置きて万里の長城の塁壁の片割(文哉の出品)、越中褌を三宝にのせて支那兵の旗(同人)、バケツに水を盛りて大同江の水(花丸出品)など面白き趣向なり。(3月17日)
明治29年3月12・15日 大阪朝日新聞
<此花館開業式>
◇此花館 東区平野町二丁目に新築しゝ寄席此花館は、愈明日開場式を行ひ、十五日より開業せん予定なり。芸人は東京より鶴賀若辰、三遊亭奴遊、同遊八、同円若が来り加はり、曽呂利新左衛門、笑福亭福松、月亭文都など三友派の連中悉く出勤の筈なりとぞ。(3月12日)
◇此花館の開場式 兼て記載せし平野町三丁目の落語寄席此花館の開場式は一昨日挙行せしが、来客には折詰を配与し、余興として落語家の道化事続々現はれ、最後には山村ともの新たに振付なしゝ三人三社を堀江の芸妓連が舞納めて散会したり。場中は新築の事とて頗る奇麗に出来上りぬとぞ。(3月15日)
明治29年3月14日 大阪朝日新聞
<第三十三回共楽会(三月十五日)>
◇共楽会 同会第三十三回は明日午後一時より南地演舞場に於て開会の筈。重なる番組は親子の情愛(三遊亭遊八)、七五三の中浮れの遊び(桂かしく)、音曲話五月幟(三遊亭円若)、新内明烏夢の淡雪(鶴賀若辰)、喜劇馬屋の寿(信濃屋尾半・小半・三蝶)、三勝半七酒屋の段(豊竹呂昇)、道成寺(舞伊丹幸席千代・地方平辰席小仙・同小滝・同小種・墨馬席蝶吉)、大津絵(舞木原席菊勇・同千玉・同君勇・唄木原席広香・三味線同さく・つた)、閨の扇(舞富田屋若六・唄阪東小三郎・三味線同徳三郎)、御所桜三段目(竹本谷太夫・三味線鶴沢勝鳳)、長唄老松(唄松永鉄十郎・同阪田時治郎・三味線杵屋六太郎・同金治郎・笛福原豊吉・小皷同鶴三郎・大皷同鶴太郎・太皷住田幸太郎)等なり。
明治29年3月15日 大阪朝日新聞
◇共楽会 本日南地演舞場にて開く筈の同会の番組は前号の紙上に記したるが、右の外浄瑠理にて堀川の段(貴鳳・三味線鶴沢叶)、舞にて保名狂乱(中村芝雀)が加はりたりといふ。
明治29年3月15日 扶桑新聞
◇富本座 富沢町富本座に於て明十六日夜より、五代目竹本土佐太夫が久々に改名披露後初めての出勤にて浄瑠璃興行。其顔ぶれは、土佐太夫、玉太夫、泉太夫、艶太夫、嫩太夫、浅江太夫。三味線は、豊沢新八、野沢源平、鶴沢寛寿、並みに当八歳娘義太夫豊竹巴津子等なり。
明治29年3月16日 神戸又新日報
<湊亭席主菊野菊松の妻死亡記事>
妻たか儀豫テ病気之處養不相叶遂ニ昨十五日午後十一時死去致候ニ付此段生前辱知諸君ニ御報申上候/追テ来ル十七日午後一時元町六丁目前田庄吉方出棺城ケ口ヘ葬送致候
橘通三丁目 菊野菊松
親戚 住吉利吉
同 前田あさ
同 前田庄吉
明治29年3月17日 大阪朝日新聞
<第三十三回共楽会実見記>
〇共楽会の景況 一昨夜南地演舞場に開きたる共楽会は来会者七百余名あり。登場演芸の中に於て最も喝采を博したるは鶴澤叶の三味線と貴鳳の義太夫「お俊伝兵衛堀川の段」となりき。叶の糸の清く穏かなれりしには会員之れに耳を傾けざるなく、猿廻しの前後の如き、殆んど人をして仙境に入らしむるの妙あり。貴鳳の「堀川」は素人としての妙技なるべきは云ふまでもなけれど、艷あり情あり、前の障(さわり)は省きたれば聞かねど、後の障の円熟なる猿廻しの間の老功なる、猿曳与次郎が宛然として舞台の上に踊り出でたらん如き感ありき。之れに亞(つ)ぎては呂昇の「三勝半七酒屋の段」と伊丹幸千代の舞「道成寺」となりき。呂昇は当会へ出席せんが為、尾道の興行先より態々帰り来りしとかいへば、疲労の体面に表れ、前半は生硬未熟、聴(きく)ものをして失望せしめたれど、「かゝれとてしもうば玉の」の辺りより漸く妙境に入りて、呂昇一流の美を極めたり。千代の舞は静かに品能く、柔かに情ありて、殆んど申分(もうしぶん)なき出来なりと云ひ得べし。中村芝雀の舞「鳥さし」は瀟洒閑雅、木原菊勇、千玉、君勇の「大津絵」は可憐愛すべし。松永鉄十郎の「老松」は最終の技芸として十分の価値ありけんも、場中の喧囂雑踏なりし為め十分に聞き取り得ざりしは残念なり。元来関東人が頭脳(あたま)の天辺より出る甲走りたる中に鼻へかゝりし音声は長唄に適する独得の長所なれば、京阪にては江戸唄と称へ之に模倣する者多けれど、上方人の地声なる乙の開きし声を捨て、作り声を一杯に張上げて謡ふなれば、其間に抑揚又は変化なき一律のものとなり、夫れに慣れたる地の人には真誠なる長唄の妙を解すること能はざるにや、可惜(あたら)鉄十郎一連の囃を聞かず、途中より座を立ちし者十中の八九なりしは、大阪人の音楽を聞く耳無きを証して余りあるべく、大阪芝居の下座囃しの進まざるも主として見物の耳の低きに由らずんばあらず、嘆くべき事といふべし。
明治29年3月19日 扶桑新聞
◇大須福寿亭は明十六日晩より笑福亭八百蔵の人情講談読物は「飯田三勇士」「関東五人男」。
明治29年3月25日 扶桑新聞
◇富本席の万歳 富澤町の富本席に於いて今廿五日晩より嵐伊呂久の万歳芝居を興行。
◇福寿亭 大須の福寿亭にては昨日より高田伯龍の昼席夜は矢張八百蔵の人情噺。
明治29年3月29日 京都日出新聞
◇興行案内 新京極の各興行席及び四条南座、祇園館に於ける四月一日よりの興行は左の如し ▲常盤座 川上音次郎の一座にて前狂言盗賊世界(八幕)切狂言台湾鬼退治(上中下)…▲幾代席 桂藤兵衛の一座に三遊亭円生、円左も加はり例の落語▲笑福亭 笑福亭福松、笑福亭松光一座の落語▲ふくべ座 俄狂東ン貴、梅瓢、瓢之助の一座にて前狂言明治義賊片眼小僧の伝(四幕)切狂言探偵奇談▲大虎座 俄狂言正玉弥次郎兵衛の一座にて前狂言春の幻(五幕)切狂言菅原三段目▲竹之家 鶴賀馬井助一座の新内節▲小田席 鶴賀花治一座の新内節▲丸万席 林亭花助一座の新内節▲上田席 玉田玉燕一座の講談にて読みものは天神記、探偵小説▲魯勢館 魯山一座の講談にて読み物は伊達評定、太閤記▲琴書館 琴書一座の講談にて読み物は二人大名、難波戦記▲都席 竹本梅里太夫一座の女浄瑠理▲笹之家 竹本新緑太夫一座の阿波女浄瑠璃▲パノラマ館 三光舎鳥獣大会▲京極席 猫娘、蛸男等の観物▲角の家 片岡鯛女一座の蜑の水芸▲吉村席 理学的反射目鏡▲寿席 真玉斎小燕一座の人情貝祭文▲河村席 俄狂言粟亭玉翁の一座にて前狂言吹矢怪談おへこ殺し(一幕)中太閤記(十段目)明烏(二幕)▲田村席 宝児娘の口芸