明治42年

上方落語史料集成 明治42年(1909)一

明治411231日 大阪毎日新聞

<新年の落語席>

東区:淡路町国光席桂派一座の落語、松屋町第三此花館三友派の落語、内本町第二文芸館互楽派の落語。

西区:松嶋第一文芸館互楽派の落語、北堀江賑江亭三友派の落語、新町瓢亭桂派の落語。

南区:法善寺内紅梅亭浪花三友派の落語、同金沢亭桂派一座の落語。

北区:北新地永楽館三友派の落語、天満杉の木亭桂派の落語。

明治4211 京都日出新聞

興行一覧…▲大虎座 狂言「恋は思案の外」「海賊退治」「二次会」「雪中松」桃李会一派▲芦辺館 文三、文吾其他▲笑福亭 笑福亭福丸、三遊亭ぽん太、千歳米坡、円太郎、小円太等の定連▲第一福真亭 京山若丸、姫川好丸、吉田小久次、京山吾一▲当昇亭 末広亭明昇、吉田、吉田音丸、広沢当昇、吉田喜代、京山重夫▲第二福真亭 君栄、林之助其他の娘義太夫▲電気館 活動写真▲初音座 活動写真

明治4211日 新朝報

演芸▲東雲座 武知元良一座の芝居▲弥生座 杉浦一座の芝居▲河原座 浪花節吉川小竹一座▲浜松歌舞伎座 大阪名代市川荒五郎一座の芝居▲浜松座 東洋大奇術元祖正天一の第二回洋行戻り初舞台にて午後五時より開演

明治4211 扶桑新聞

◇各劇場寄席其他諸興行物案内▲正福座 女芝居岡本美住登一座▲富本席 昔々亭桃太郎、英人ジョンベルの落語色物▲金輝館 五明楼玉輔の落語色物▲桔梗座 三河家円車の浮れ節▲文長座 原鳳声の浪花節▲福寿亭 都小円冶の浪花節▲新栄座 原鳳声の浪花節▲五明座 市川鯱蔵一座▲金城座 岡本美根登一座の説教源氏節▲菊井座 昼は都小円の浪花節、夜は為丸一座の獅子芝居

明治4211日 満州日々新聞

正月の演芸界▲歌舞伎座 嵐市蔵尾上菊三郎一座にて本日舞台開き▲常盤座 川上眉山作「観音岩」全七幕▲花月席 午後五時より浪花節吉川圓朝一座▲磐城座 浪花節落語等の合同大一座を以て花々しい初興行は千両幟(京山小吉)侠客千葉喜太郎(京山若八)金紋北路の梅(京山春夫)三味線三曲引(都市丸)宝の入船(三枡屋福太郎)忠臣蔵義士銘々傳(桃中軒雲丸)苦学の一巻古郷の錦(田辺素行)時世的人情噺(三遊亭圓丸)▲大山席 竹本仙千代一座に新たに竹本小房一座が加わる

明治4216日 名古屋新聞

金輝館 今晩の番組左の如し道かん(若枝)欲の皮(枝六)忠臣蔵初段目(喬里)船徳(今三郎)女山賊(玉輔)羅生門(千代子嬢)

明治4216 神戸又新日報

第一第二湊亭 文都、龍生の素噺に人気あり。妻吉の腕なし芸に同情者多し。毎夜客留めの好景気なりと。

明治4216 神戸新聞

虎屋席 新年の顔ぶれは旭堂南洋、小南陵、一道、笑福亭竹山人、旭堂南陵にて

明治4218日 大日新聞

◇[死亡広告]老母むめ儀、予テ病気ノ所、養生不相叶、昨七日死去致候ニ付、此段生前知己諸君ニ謹告仕候。追而明九日午後正一時、北区大工町自宅出棺、長柄墓地え葬儀相営申相/南歌久席主 松本儀助 明治四十二年一月八日 親族一同

〈編者註〉松本むめは故藤原重助の後妻松本まつの妹。明治三十九年重助死後、賑江亭は前妻の娘きくが相続したが、翌年に死亡したため、むめがその席主となっていた。賑江亭は松本儀助が引き継いだようである。

明治4219日九州日報(福岡)

川丈座 圓頂派圓一座の落語は益々好人気なるより今晩よりは特に芸題を選び一座車輪となりて弁ずる由なるが、其出番は左の如し

御祝儀宝の入船(圓幸)音曲並に手踊(圓花)人のくせ並に盆の手踊(圓盆)三十石並に大布団の曲(圓天坊)土産話並に音曲手踊(小圓)盥廻し並に滑稽太十(圓九郎)○○会並に曲芸(圓三)吾妻音曲並に勧進帳(翫之助)四の字嫌い並に手踊(圓)足芸獅子の曲並に逆さ踊(胡蝶)

明治42110 京都日出新聞

芦辺館にては本日例の如く落語日曜会を開催する筈にて入場料は例に因て二十銭均一、番組は

旅の楽み(桃太郎)雲突酒(三八)崇徳院(枝雁)棒と袖(小文三)手切れ丁稚(米朝)狩野の名画(枝太郎)御題を畏みて(文吾)思ひは同じ浮れの対面(文三)余興 長唄越後獅子(小満之助、まる吉、花咲)

42116日 都新聞

柳派大集会 今夜より神田の立花亭において催す番組は、十六日、十七日両日 八笑人、問答(小燕枝)尺八、マンドリン合奏(竹堂、松葉)金の大黒、ライオン(紋弥)大神楽(丸一仙太郎社中)越後獅子(杵屋小てる、久栄、三弦杵屋久吉、小久)高砂や、川柳(小三冶)里の穴、一分茶番(文楽)稽古所、代わり目(扇歌)金置村、鈴が森(柴朝)うどんや、二階ぞめき(小さん)神代、きめんざん(小勝)琵琶(築風)親子の情、三代将軍逸話(燕枝)

明治42116日 名古屋新聞

市楽座 四日市の同座は今十六日より五明楼玉輔一座にて開演

明治42116日 神戸又新日報

落語日曜會 明十七日正午より第一湊亭に於て左の番組にて落語日曜會を催すという

伊勢参宮(我遊)鱶の身入(お多福)権助芝居(鶴松)島巡り(南枝)五人天狗(福我)手踊(小文)清元桂川(喬之助)揮毫(妻吉)惚れ薬(文雀)崇徳院(歌之助)孝子佐野山(龍生)出歯吉(文都)

明治42117 京都日出新聞

芦辺館は本日日曜に付き例会を催すが其番組は春の旅(三吾)播州名所(好史)夜警(円光)野辺の頓知(米朝)□□の兄弟(枝太郎)須磨の浦風(円生)愉快と吉凶(文三)常盤津端唄(丸吉、小満之助)禁酒番所(文吾)

明治42119 台湾日日新報

真正の大寄席 奇術師松旭斎天一々座は名古屋興行日延の為め本月十二日渡台のことに延期し準備員一名本日の便船にて先着の筈なり

高松は其前二東京落語家ジヨンベル、柳玉に筑前琵琶其他数種の遊芸を加へたる計八名の一座を呼寄せん契約を整へ一行は既に昨日神戸出帆の西京丸に乗込みたる由なれば二十三日到着二十五日初日を出すことゝなるべし尚ほ高松は将来本島の興行界に一大発展を試みん計画にて間断なく新奇の遊芸物を内地より呼寄せ各地の演芸場を賑はすべく二月天一々座の後には東京より小土佐、朝重等の一行を招くべしと…。

明治42120日 都新聞

柳派大集会 二十一、二十二日の両夜神田立花亭の番組は、二十四孝、官業芸妓(小三冶)大神楽(丸一)汁粉や、六枚半(紋弥)勧進帳、道成寺(小てる、久吉連)悔やみ、天災(小さん)押くら、欠伸指南(扇歌)穴どろ、十文字(小勝)日高川、美のや(柴朝)琵琶(筑風)刀屋、三味線栗毛(燕枝)

明治42120 京都日出新聞

笑福亭は本日より切喜劇題替り「三人片輪」なるが其役割は女房梅ケ枝(米坡)同でば鶴(秀輔)同鼻おうぎ(ぽん太)近江屋若旦那(福太郎)かさつかき勘次(小円太)唖甚助(遊輔)若者浅吉(橘太郎)業平丹次郎(文之助)幇間丸八(白魚)同佐喜次(円次)かむろたより(喜美子)芸妓おねば(花助)

明治42122日 神戸又新日報

第二回神港娯楽 舊末開催好評を博せし神港娯楽會は更に第二回を明二十三日午後六時より神港倶楽部に開催すべしと演芸番組左の如く會費は二十五銭なりと

喜劇金之力(大阪平賀)落語國なまり(桂常山)、不動坊(桂文之助)筑前琵琶(中倹弁慶)長唄(中倹唄伊世鶴、糸静子、替手こい)奇術(大阪天楽斎)新口村(幼稚園、勝三、いよや)講談(南陵)舞楽(貴久円)清元傀儡師(喬之助)喜劇(平賀、貴久円)

<編者註>この娯楽会について、朝日神戸付録には、「終日齷齪(あくく)と働いた余暇に時折り歓楽清遊を試み心神を楽しむるは英気を養う唯一の良剤なりとの趣旨にて毎月一回神戸神港倶楽部にて開く事とし発起人は鈴木善兵衛、堀永学志の二氏会費は一ヶ月五十銭と定め毎回入場券二枚を出す」。桂文之助は、後の二代目桂梅團治。この頃は素人落語家だった。

明治42122日 九州日報

若松旭座 同座は昨日より國劇北村一行にて開演、又毎日座は落語圓橘一座にて開演したり。

明治42123 台湾日日新報

ジヨンベール一座 既記の如く昨日西京丸にて来台せる東京落語家柳派の立物ストライキ節の元祖英国帰化人ジヨンベール並に人情昔話の得意なる桂大和新作落語大隈柳丈等の一行はいよ〳〵明後二十五日頃よりパノラマ跡台北演芸場に於て開演するが中にも当時流行の謡曲より仕舞の型を抜きたる今様剣舞又新派筑前琵琶にて喝采を博しつゝありしといふ少女大隈千種等も加はり居り純粋の東京寄席組織なれば開場の上は定めて賑ふことなるべしさて一行の芸と名は流行唄、柴笛、剣舞(ジヨンベール)人情昔話(桂大和)新作落語(大隈柳丈)筑前琵琶(大隈千種)常盤津浄瑠璃三府浮世節(□□舎枝女寿)今様剣舞(金房□□)滑稽落語並に日本奇術(入船扇蔵)滑稽落語(古今亭今男)

明治42124 京都日出新聞

芦辺館本日の日曜会は大阪より馬生も参加する由なるがその番組は二人旅(三吾)千山万水(円光)景清(桃太郎)普通と牛(米朝)島原八景(枝太郎)古着屋(文吾)常盤津端唄(まる吉、小満之助)強欲と無欲(馬生)雑穀屋八兵衛(文三)

明治42125日 大日新聞

<曽呂利の五十年交際会>

◇五十年交際会 大阪落語界の変り者曽呂利新左衛門が五十年以上交際して居る人間を探して「五十年交際人名帳」に調印を取て歩いて居た頃は日外(いつぞや)も記したが、昨年の暮迄に総勢六十六名を得た。五十年以上の交際は随分長い。其の間浮世の波に揉まれて兎も角も無事に月日を送つて来たのは此上もなく芽出度い事である。いつか一度一堂に集つてお互に健康を祝さうではないかとの相談一決し、南地の安部清七(六十二年)外一名が幹事となつて、昨日正午から高津湯豆腐屋に「五十年交際会」を開いた。北堀江の貸座敷川岸市兵衛の八十歳を筆頭にして、詰め掛たものが無慮四十余名、席上の総年齢を合算すると二千五百三十余歳となる誠に芽出度い尚歯会であつた。

只驚いたのは何れも六十二三歳以上の老年者ばかりであるのに、顔の色がいかにもよい事、元気がいかにも旺盛な事である。二十歳台の者が四十人も寄り合ふと、其の中には必然(きっと)色の悪い痩せた男の三四人は交るものであるが、六十年以上も世の荒波と闘つて来た老兵(ふるつわもの)だけあつて一人もそんなものはない。落語家がある、俄仕(ママ)がある、画工がある、俳諧師がある、俳優がある、三味線家(ひき)がある、昔は鴬泣かせた覚えもあらしい老婦人も交つて居た。中で珍らしく見えたのは二三十年前まで其の道の大家と呼ばれた手品師の吉田菊五郎(七十四年)、先代璃珏の実子で役者にはならず堅気の商売人で果てた八十重兵衛(七十年)、(今の嵐芳三郎の実父)神戸常磐花壇の主、曽呂利が十四歳でバチビン奴(やっこ)の幇間になつた時始めて座敷へ呼んだ小浜為次郎氏などである。曽呂利の挨拶に「私は六十六歳でこの中の一番青年でござります」は揮つて居た。「お前さんいくつぢや、六十五になります、はてお若いなア」の挨拶など一寸世界が変つて居る。落語家の柳枝は話をする、同じ文我は舞ひ、俄仕の団十郎が槍錆を踊つて、維新前の芸当を余興にしたのは面白かつた。満場只和気、只無邪気、只笑ひ声のみが湧く。彼れと是れとの話は何れも子供の昔に返つて三十年前、五十年前の幼話(おさなばなし)をする。何とも云ひ知れぬ趣があつた。記者などは編集局でこそ老人の中に数へられるが、こゝへ来るとズンと台のちがふ青年で、何(どれ)を見てもお祖父さんの様な気がした。只気の付いたのは老人何れも歯の好い事、歯の好い人に長寿者の多いのはこれで知れる。川岸八十翁曰く「人間は五十六七が一寸むつかしい、それを越すともう大丈夫でござります」。

明治4212530日 大日新聞

<安楽庵策伝追善会>

◇安楽庵追善会 難波新町二番町の長岡源四郎は元骨董商なりしが、今は法善寺の落語金沢席をあづかつて務め居れり。昨年の暮、桂文屋尋ねゆきたるに、床の間に煤けたる一軸懸れり。横物にて「夢の世をめさまし草にさそはれてひきつ引かれつすみの衣乎 安楽庵老僧」とあり、紛ひもなき策伝の筆なれば、例のひねりの文屋ハタと膝を打つて、当家にかやうの所蔵ありとは今まで知らざりき、師匠文左衛門も年頃策伝を慕ふこと甚だし、我れら落語家の祖とも仰ぐべき人なればと感心し、其の後文左衛門にこれを語りぬ。

文左衛門今は心学道話の先生渡辺桃子老人大いに喜び、早速長岡方より譲り受け策伝の伝記を調べたるに、寛永十九年正月八日、八十九歳にて没したること分りぬ。その正月八日は来る二十九日に相当するを以て高津自性院の叡運師に策伝追善の事を語りたるに、師も大に賛成し、会日はいよ〳〵二十九日と定まりたり。

当日は追善茶会の趣向にて、床には右の策伝の懸幅を懸け、道具一式は桂派連中より可笑しい物を持寄り、別に余興として昔噺に因たる品ばかりを集めて陳列し、松堂を始め二三の画家も出席し、頤を解かせるやうな画をかくといへば定めて面白かるべし。策伝は京都誓願寺中竹林院に住み、茶法を金森宗和に受け多くの名器を蔵せし茶人なり。桃子老人はこのたびの追善会を最初として毎年これを催すべしと勇み居れり。(125

◇落語の茶会(安楽庵策伝の追善) 安楽菴の策伝の追善茶会は既報の如く昨日高津自性院に於て催されたり。渡辺桃子老人を始め桂派社中及び三友派の曽呂利、其他酒落の連中出席してなか〳〵の賑ひなりき。無茶室には床に策伝筆の懸幅をかけ、寒椿を生け、例のひねりの文屋手前にて茶を出したり。昔噺に因みて桃の蒸菓子を、吉向松月が記念に焼きたる皿に盛り、別に桂派の紋と桂の葉の干菓子を添へたり。余興の出品は広間に陳列されたり。床には霞亭翁所蔵の策伝著「醒睡笑」と露の五郎兵衛著の「露のはなし」などの書冊を置き、傍に安楽庵帛にて包みたる茶器を飾りたり。

落語趣向のものには、円馬の出品「芝浜の革財布」は大きな古財布、文枝の「紀州苫ケ島」は古長薙刀、仁左衛門の「三十石」はくらわんか茶碗に枚方かぎ屋裏風景の懸幅、枝雀の「盗人眼鏡」は昔の遠目がね、文屋の「菜種切り」は今は余りせぬ落語の趣向にて、蝶の懸幅に菜切包丁を添へたるは面白し。其の他背虫茶屋、天下一(紙屑屋)、鼻ひねり、那須与一、これは大蕪に矢を突き刺し日の丸扇をあしらひたり。又無い物買ひの趣向にて一丈余の孫の手を出したるもありき。ここに京都の宮島といふ人、文屋宛にて此の追善会を大賛成し、当日自分は桂派を代表して誓願寺策伝の墓に参り、梅が枝を手向くる由消息し、又当地の水野といふ人は桂派を祝ひて月桂樹の葉を送り来りしは面白かりき。(130

明治42125日 大日新聞

◇去年六月以来桂派と分離して別派に巡業せし桂文三は今度新町の森川、天満の宮崎が仲裁して二月より従前の如く桂派の各席へ出勤する由。

明治42125日 大毎日新聞

◇文三桂派に帰る 昨春桂派の分離を企てならず、遂に自縄自縛(じじょうじばく)の結果、止むなく門人一同を引連れ同派を脱し、三友派の縮将桂文団治(今の文治)の袖に縋り、京都に新設したる芦辺館に寄りて僅かに一縷(る)の命脈を繋ぎ来りし桂文三は、舊冬又片腕と頼む洗湯亭三輔の東京柳派加盟を見たる以来、意気更に揚らず、殆ど其存在をすら世の何人よりも忘らるるに至りたるに、今度再び帰参の問題起り、西区新町の侠客森川及び以前一度師文左衛門との間に仲裁の労を採りたる天満の宮崎八十八両名の口利にて、愈々勘気赦免となり、来る二月一日より帰り、新参の顔にて當地桂派各席に出演する事となりたり。従来の文三が行為には憎むべき点あるも、一面より見れば、これ覇気満々たる渠が野心たま〳〵現れて、一種の行動となれるものにて、猜疑(さいぎ)と嫉妬と己を知らぬ自惚以外何ものも有せざる落語社会に、文三の如き男あるは局外より見て、快心ならずとは思われず、殊に同派は久しく萎靡(いび)振るわず際なれば、文左衛門、文枝、南光、円馬等の同派の将星が行きががりの悪感情を捨て、快く同人の帰参に同意せるは最も當を得たる大出来の遣り方にして、将来の同派は同人より幾分の繁盛を来さん事も亦期して待つべき次第というべし。文三夫(それ)努めよ。

明治42126 台湾日日新報

台北演芸場 今晩の芸題左の如し人情噺 写真の仇討(大和)妃殿下の御盛(柳丈)

琵琶 扇の的(千種)滑稽落語天災並に手品(扇蔵)常盤津三世相錦文章並に浮世節(枝女寿)寿限無(今男)剣舞術(滝雄)内地演芸くらべ(ジヨンベール)

明治42130 京都日出新聞

芦辺館の来月一日からの顔振れは文三が居残つて東京から三輔大阪から菊団治が乗込むが出番は枝女太、円歌、三吾、円光、枝雁、桃太郎、三八、小文三、円生、菊団治、枝太郎、米朝、花咲、文吾、三輔、文三尚同館の日曜会は今度に限り一日繰上げて本日としたが番組は駅路の賑(円歌)山紫水明(三八)新婚(小文三)大廟詣(米朝)武士気質(文吾)家庭と天神(文三)余興記憶術(菊団治)大名将棊(松鶴)網船(枝太郎)

明治42131日 大阪朝日新聞

◇浪華三友派へは明日より芝楽、楓枝、有村謹吾、内田秀甫、松川家妻吉等が出勤す。妻吉はこれを寄席の名残として法善寺西門に鮓店を開くといふ。

明治4221 京都日出新聞

笑福亭にては今回東京下り橘家蔵之助が新たに加はり切余興の喜劇は「出刃包丁恋の失敗」と変更せる由

明治4221日 鷺城新聞(兵庫姫路)

旭館の柳派 船場旭館は、東京落語柳派大演芸会一行を迎へ、一日より興行せるが番組は左の如し

影芝居吉例曽我(楽屋総出)落語浮世物真似(春風亭若枝)百笑話並びに活人画(春風亭枝六)常盤津並びに三府浮世節(橘家喬左登)三十石(五明楼福輔)小野鶯堂書風曲書(森秋外)古今芝居噺(秋風亭米枝)記憶術(平野茂三郎)東洋大魔術(帰天斎昇一)江戸ッ子音曲(古今亭今三郎)滑稽人情噺(五明楼玉輔)今様剣舞開祖(金房冠一郎)女剣舞伎(金房千代子)

明治4221日 北国新聞

一九席 豫記の如く昨日より東京落語三遊亭小圓遊一座にて花々しく開演好評を博せり。今晩の番組を記せば左の如し

昔はなし(小遊冶)落語もの真似(喬丸)落語曲芸(遊人)音曲はなし(朝の助)落語手踊(遊福)女道楽三人高座(小登次、小なみ、蝶子)東洋手品百種(遊天斎明一)落語音曲家元ヘラヘラ(萬橘)滑稽落語余興数々(小圓遊)

◇福栄座 大切の引抜き早替わりなど大受けにて好人気なり。今晩の番組左の如し

御祝儀宝入船(影芝居)伊勢参り(寿笑)首提灯(金の助)くしゃみ團語(遊福)うんつく酒(笑三)裏の裏(松團冶)甚五郎つづき(笑鶴)ビールビン(曲芸)春遊び角萬寺、大切福助引抜き、三つ面勢獅子早替わり(若遊三)

明治4221日 神戸又新日報

第一第二湊亭 本月は頗る付の顔揃へにて例の人気者司馬龍生は居残り米團冶改め三代目文團冶、清国人及寶山、末廣屋扇蝶、桂三太郎、桂小三、歌之助が加入せり。

明治4222日 大阪毎日新聞

◇順慶町井戸の辻赤沢亭は昨日より、従前の一座へ講談石川一口、落語円輔、義太夫竹本芳八が加わりたり。

明治4222日 名古屋新聞

富本 桂家残月、新柳小歌、同歌江、昔々亭桃太郎にて昨一日より開演

明治4223日 大阪朝日新聞

◇[写真]福は内 年男 片岡我太郎 鬼 曽呂利新左衛門 
そろり 001














明治
4223日 大阪朝日新聞神戸付録

姫路旭館は東京落語柳派大演芸會一行にて一日より開演

明治4225 神戸又新日報

<改名披露演芸会>

文團冶、米團冶の改名 大阪落語家文團冶が七代目文冶を襲い米團冶は三代目文團冶を継ぎし其披露大會を明六七の両日午後六時より第一湊亭に開催する由にて京阪の同業者、芸妓、女義、喜劇團の補助出演あり出演者の顔触れは左の如し

▲落語 (歌之助、文雀、福我、円松、福冶、円三、團輔、南枝、小文、光雀、小円二、福円、三太郎、小さん)▲奇術(扇蝶、龍生、及寶山)▲御殿(團菊、■菊)▲喜劇(小四郎)▲清元傀儡師(吉次、立花家喬之助)▲淀川(歌の子、朝比奈)▲ゑちごしし(新二代目留丸、いくよ、はな、よしゑ、地方、吉六、留市)落語(京都芦辺館文三、京都笑福亭橘家円太郎、米朝、円坊)

明治4226日 北国新聞

福栄座の若遊三 香林坊福栄座にて開演中なる三遊亭若遊三一座が此間より電気応用の所作を見せるというので一昨夜一寸覗いて見たり落語は東京と大阪連のチャンポンなるが大阪連の机を控えたるは騒々し。一心の奇術口中の火炎は物凄き許りにて大受け。松團冶の吹寄せ浄瑠璃は一寸旨く、笑鶴は流石に座頭格の老巧にて笑わせたり。若遊三の明烏は軽妙にて能く、其の真をしたるは手柄というべく。殊に大切の大文字屋福助踊りより引抜いて、勢獅子は舞台一面の牡丹畑となしたるなど目覚しく獅子の狂いも巧みなり。殊に三ツ面には電気を応用して数番の踊を演じたるが電燈も中々栄えて見えたり。兎に角此の大仕掛けの大切だけでも木戸銭の値は十分あるべし(一記者)

明治4226日 神戸又新日報

<文團治が語る>

初代桂文冶の事 △湊亭出勤三代目文團冶の話

 文冶と云います名前は我々仲間で随分喧しいものなのです。初代桂文冶と云いますと今から殆んど百年程以前の事で、文政か文化の頃と覚えて居りますが初代文冶が大和の桂村から大阪に出て参り同着の知己であつた北野桂山太融寺の和尚の許に厄介になつて居る間に落語なるものを覚えたが考えたか初めて木戸を打ち寄席を開いたのが今日落語席の出来たはじめで又落語家の元祖です初代は有名な人で京都の宮家から桂大和大掾の名を頂戴し三代まで大阪京都の間に居りましたが三代目文冶が江戸へ行きまして以来六代目文冶まで東京に居りました所で昨年十一月文團冶が七代目となりますに就て、六代目が大和大掾を襲名したような訳で、此七代目は私の師匠で親里は何でも昔お屋敷請負業をして居り自分も若い時には代言葉なんかをして居りましたが何うグレましたのか二十八歳の時に初代文團冶の弟子となり文枝[米團治]と言つて南地のいづくま席(今の紅梅亭)へ掛かりましたのが初席で、十七年頃湊亭がまだ楠社内にありました時分に出ましたのが當地への初お目見得で毎年一二回づつは必ず参りました私が弟子入りしましたのは二十二歳の時で夫迄は銅吹所(今の造幣局)に勤めて居りましたが兎角若い時分から芸事が好きで遂には素人落語の仲間に入りましたのが遂々落語家に成り了せたのでした芸が身を助ける不仕合せです始め米朝と言いまして其後米團冶其次が今度の三代目文團冶の名を襲う事になりました。私の最初御當地へ参りましたのは十八年頃でして御當地には楠社内の湊亭と其外に湊川の橋詰に菊の家と云うのがありました。今日でこそ席も立派になつて居りますが其時分のと云えばお話にはなりません高座とは名ばかりで高座の周囲は幕で囲い来る人も又筒袖連中とか法被着か腰を毛布で巻いた厚司着の連中でタチも亦如何わしいものが気に入るのですから只今から考えますと能くもあんな事が云えたものだと思われます。勿論其時は木戸が四銭で布団だの煙草盆が五厘宛下駄はさげて入ったものです。今はどうです。高座と云えば金ピカの襖に床の間には四季の活花、したがって客種も段々上品になつて語り口も違って参り中々遣り悪くなりました、・・・(以下省略)。

明治4227日 大阪朝日新聞神戸付録

隠し芸(三十一) ▲笑福亭福我 文才のある男丈に常に新作に心がけて、これまでにも高座にかけた自作は甚だ少なくないそうだ。「私の隠し芸は笛だす。篠でも尺八でも吹きます。師匠は西門(楠公)の阪東梅丸。しかし笛だけ吹いて妙味がありませんから、吹いては踊り、吹いては踊りするんだす。ソレから吹くのは笛ばかりじゃおまへん。客席に招かれて、酒も飲まずに議論を吹き掛けるという困った癖があります。ハハハハ。」

明治4227 京都日出新聞

芦辺館の第十八回落語日曜会は本日正午より開会し番組は旅路の花(円歌)地獄八景(桃太郎)寄合酒(円光)蛇目草(枝太郎)転宅(文三)余興数番(花咲、菊団治)凱旋(芝楽)見始め(文吾)

明治4227 台湾日日新報

台北演芸場 愈々今晩で千秋楽なればお名残として大切には楽屋総出の喜劇「芝居寄心移気」を演じ落語芝居の本領を発揮するべしといふ今晩の演物左の如し落語京洛並に剣舞(今男)落語臍の皮並に手品(扇蔵)清元喜撰浮世ぶし(枝女寿)新落語髪(柳丈)先代□□(大和)筑前琵琶日本海々戦(千種)諸国浮世音曲(ジヨンベル)大切喜劇(楽屋総連中)

明治4229日 北国新聞

◇一九席 三遊亭小圓遊一座にて毎夜大人気を続け居れるが次興行の都合にていよいよ明十日限り打揚げ富山旭亭へ乗込む由。

明治42210日 山陽新報

◇東京落語柳連落語大会 岡山市栄町九重館にては、来る十一日より表題の如き落語を開演。尚松井小源水の独楽曲芸を見する由。

明治42213 台湾日日新報

ジヨンベル一座 東京落語ジヨンベル、桂大和等の一行は昨日より基隆座にて七日間興行し同地打揚げ後は漸時南部の各演芸場を巡行の筈なりと

明治42214日 大阪朝日新聞

◇桂派各席へ十五日より真正剱舞居合切抜等を演ずる荒木流の金房千代子、同冠一郎が出勤。

◇浪花三友派は十五日よ清国人李彩の奇術を加へる。

明治42214 京都日出新聞

○演芸 ▲芦辺館の日曜会は例の如く本日正午より開会するが番組は 旅路の春(三吾)

千紫万紅(三八)根問(小文三)桜の宮仇討(三輔)按摩七兵衛(枝太郎)唄女の哀情(文都)余興かけ合噺(花咲、米朝)貧者の心情(文吾)妾通ひ(文三)

明治42215日 神戸新聞

第三回神港娯楽會 来る十八日神港倶楽部に於て催す由にて番組は

軽口(貴久圓一座)落語(小柳枝、文光)真正剣舞(木村香廣、岩規正憲、川島香峯)浄瑠璃(花調)喜劇(貴久圓一座)奇術(張桂)講釈(松林伯圓)

明治42217日 扶桑新聞

◇末広座 昨十六日開場せるブラック一座は満場の大好評にて、西洋タンバリン術、読心術等は大喝采にて。殊にブラックが、故團十郎の声色は面白しと。本日より本紙広告切符持参者は各等半額なりと。

明治42221 京都日出新聞

芦辺館本日の日曜会の番組は春の旅路(円歌)薬師詣(桃太郎)無筆の清書(円光)人造疱瘡(円生)蜘蛛駕(文吾)専売局(文三)余興忠臣蔵三、五、六(米朝、花咲、枝太郎)番頭の表裏(三輔)夢想兵衛(曽呂利)

明治42222日 大阪朝日新聞

<福竹亭開場>

◇新町道者横町の浪花節定席を今回落語家の桂柏枝が借り受け、福竹亭と改め三月一日より引続き浪花節を開場す。

明治42225日 大阪朝日新聞神戸付録

隠し芸(三十六) ▲桂南枝 「私が三味線を弾くというのは誰様も知りやはりますまい、モウ十年からなりますが、三友派連が大黒座に演劇を開つたことがありました、團輔の宗任、圓光の貞任という役割で私は袖萩、コンナ顔ですから白粉代が沢山入つて、請元から苦情が出たという騒ぎでしたが、三味線でワツと唸らせました、ソーです、三味線の稽古しましたのが十七八の時分、自分が覚えたのを教えては其の人から習うという理屈で一向に銭をかけておへんからえらいでしょう、イヤもう段々年はとり年、頭がコー禿て来ては、隠し芸じゃない隠し毛でも植えにゃ成りやせん、ハハハハ」

明治42227日 大阪朝日新聞

◇天満宝来亭は一日より落語家より講談界に入りし笑福亭竹山人が出演して「紀文」を演じ、其の他黒猿、一馬、小伯竜、琴玉等昼夜出席するよし。

明治42227 京都日出新聞

国華座は三月一日初日にて桂文三、曽呂利新左衛門、東京音曲玉川岩太郎、立花家喬之助等落語家連の一座

明治42228日 大阪毎日新聞

◇浪花三友派各席へ一日より清国人李彩、名古屋芸妓長唄連、桂文吾、滑稽浪花節橘家内蔵之助が加わる由。

明治42228日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭は第一第二とも三月一日より左の新顔を加えて落語圓太郎、秀甫、小満之助、燕太郎、丸吉、菊團冶(記憶術)

垂水藤田席は二十六日より三日間日本兄弟團一座の浪花節演劇

明治42228日 鷺城新聞

楽天の三月興行 市内竪町楽天席は今様能狂言泉祐三郎一座を以て興行中同社中は二十六日の寄付興行にて打揚げたれば、更に東京落語柳派連春風柳の助一座を迎へ三月一日より花々しく興行する事なれり。同座は東京においても非常に好人気を得たればさだめて贔屓多かるべく大切には掛合人形割にて一席得意の落語を話すべしと云ふ。

上方落語史料集成 明治42年(1909)二-①

明治4231日 神戸新聞

中道亭 旭堂南陵が出演

王西座 明石町王西座にて奈良丸出演。毎夜大入。

明治4233日 神戸新聞

<吉田奈良丸の人気>

明石の奈良丸 吉田奈良丸は三月一日より明石町王西座にて開演したる所初日より木戸〆切の景況にて午前八時には寸地もなき程の人気二日目の場所は初日中より申込ありて大部分は売切れたる程たりと云う又同人は東京の本郷座より来京を促し来りしを以て姫路に赴く事を中止して西京、横浜を経て上京するやも知れずと

明治4237 京都日出新聞

本日の芦辺館第二十二回日曜会は例の如く入場料二十銭均一にて其番組は左の如し旅中の花(円歌)春の野辺(桃太郎)素人画師(小文三)鳥屋坊主(米朝)愛宕山(枝太郎)妾の内幕(文三)清元十六夜清心(若太郎、喬太郎[之助])失策幇間(三輔)菊江仏壇(曽呂利)

明治4237日 神戸新聞

竪町楽天座は一昨五日より吉田奈良丸が開演せり。山陽座はバテー活動写真。戎座は中村かしく一座の浮かれ節

明治4239日 名古屋新聞

富本席 三遊亭小圓遊一座は日々好評にして今夜の出し物小圓遊は「明烏」萬橘は「音曲噺」朝之助は「手踊」等重なるものなり

明治4239日 大阪朝日新聞

◇桂文三は去年以来一座の振合悪しく京都に赴き居たるが、仲裁する者ありて和解するとぞ。

明治42313日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭は十四日正午より第一席に於て例の落語日曜を開くその番組は左の如し

瘤弁慶(我逸)乗合船(於多福)地獄八景(光雀)盲景清(團輔)無筆の帳場(南枝)芋書生(福我)余興即書画(團輔)女道楽常盤津流行唄(小満之助、満る吉)春の七草(菊團冶)背虫茶屋(燕太郎)四の字かつぎ(圓太郎)

明治42314 京都日出新聞

本日正午より芦辺館に於て開催する落語日曜会第二十三回は例に依り会費廿銭均一にて其番組は春の旅(三吾)言葉の花(円光)原は犬(三八)生貝(三輔)地獄旅行(米朝)富籤(枝太郎)公明の裁決(文三)清元喜撰、舞梅の春(芳太郎、喬之助、文我)牛の丸薬(文都)網船(曽呂利)

明治42314日 満州日々新聞

花月席 入院中の松林黒猿慰問の為左の同業者及び有志者出演して十四日より三日間浄瑠璃、浪花節、落語の演芸会を開き収益金を同人に贈る筈なりと

△出演者 竹本春庫太夫、宮川春雄、京山春子、京山虎丸、京山勝廣、素人有志清元芳太夫、吉田辰雄、秋の家猫丸、鶴沢小巻、京山小虎丸、竹本井筒太夫、義太八、難波栄女、吉川圓遊、吉川圓朝△世話人 三升家福太郎、岡田利雄、花月亭主外有志

明治42317日 大阪朝日新聞

<桂文屋死亡>

◇桂文屋死す 落語家中の珍人桂文屋は病気にて十四日の夜より席を休み、南区上大和橋の自宅に引籠り居りしが、昨日午前八時、心臓麻痺のため四十三歳を一期として此の世を去りたり。本名を桂陀羅助と云ふ。軽口師笑福亭松右衛門の子にして桂文左衛門の門人なり。松右衛門死ぬ時「落語家となるとも軽口師になるな、頭をポン〳〵叩かれるのは辛いものや」と遺言したるより、文屋は「私からも親父に遺言する」とて「安心しなはれ、私一代で落語家は廃める。併し女と酒は何うしたものやらう」と問ひ返すと、松右衛門目を剥き「鬼子と云はれても大事ない、自分の真似はするな」と云ひたり。文屋はこの遺言を守り、死ぬまで無妻で通したとの事なり。家の中に四尺ほどの仏壇を置く外他には家具らしき物なく、襖に破産したる七九、難波二銀行の株券を貼り詰めてあるなど畸行多き事は曾て本紙の珍物画伝に記したる通りなり。高津表門の楽焼師吉向松月に習ひて楽焼を能くし、自ら「陀羅助焼」と称せり。両方に口のある土瓶にて双方から出るが便利と当人大自慢なりしも、この新発明一向に貰ひ手なかりしよし。芸人に似合はず気の綺麗な人物にて、常にその身の貧乏を唯一の自慢咄となし、多少文字もありて俳句を能くし、落語の新作にも巧に桂派の顧問として重んぜられしに惜むべし。因に葬送は本日午後一時。

明治42320日 神戸又新日報

第一第二湊亭 本月は丸吉なる美人とお馴染小満之助、曲書き内田秀甫等にて両席とも大入続きなり。

明治42320日 満州日々新聞

高等演芸場 千勝館大廣場を改造して近々開場せんとする高等演芸場は二十一日中に内部の設備全く出来上り一圓遊一座は二十七日入港の天草丸にて乗込む筈なりと

明治42321 京都日出新聞

本日正午より開催する芦辺館第二十四回落語日曜会は例の如く入場料二十銭均一にて其番組は左の如し旅の賑(三吾)春の水(桃太郎)新壷坂(円光)伊勢音頭(円生)阿弥陀ケ池(三輔)鶴満寺(松喬)寛政相撲談(馬生)本能寺(文我、花咲、米朝)杓子幽霊(枝太郎)南瓜(文三)

国華座は愈々本日より毎夜芦辺館一座の落語にて開演

明治42322日 満州日々新聞

<大連浪花席開場>

浪花席開業 浪花町三丁目小亀洋行二階を寄席に改造し二十二日より浪花節吉川圓朝、京山虎丸一座にて開席する由尚同席は日曜日及び大祭祝日に限り晴雨を問わず昼席も興行すべしと。

明治42326日 東京朝日新聞

紋弥の電気踊り 一度味を覚えた所から又も例の電気踊りを来月の上席から演るそうだが、今度はモウ獅子でもあるまいと自分工風の操り三番を出す事とし、大奮発にて衣装も三越へ誂えた、此の代価が大枚三百円とは相も代らず吹くぞ吹くぞ。

明治42326日 神戸又新日報

第一湊亭 今回第一湊亭社中に於て斯道奨励のため演芸共進會なるものを組織し来る二十八日の日曜日正午より第一湊亭に其第一回を開会する由顔ぶれは今月の社中圓太郎一座にて阪地より三代目文團冶、講談界よりは一山、南陵、小伯山、燕楽、南洋等賛助出演すると云う。

明治42327日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭第一席は二十八日正午より演芸共進會を開く其の出演者は左の如し

新派落語(福我)芝居噺と舞(燕太郎)落語(光雀)小噺と舞(小文)落語(我逸)記憶術と剣舞(菊團冶)落語(南枝)同(お多福)同(團輔)音曲と即席噺(秀甫)手品種明し(圓松)歌舞道楽(小満之助、まる吉)落語と手踊(福圓)音曲噺(圓太郎)考子の蜆売(文團冶)伊勢屋正宗(一山)木村堪忍袋(南陵)□□□□(小伯山)太閤記(燕楽)盲人大尉(南洋)十五題即席噺(圓太郎)

中道亭は二十七日、二十八日の両日午後五時半より演芸會を開く。その番組は

落語(團輔)同(南枝)同(お多福)同(福我)手踊(小文)落語(光雀)同(燕太郎)音曲(圓太郎)落語(圓松)同(菊團冶)講談(一満)同(一山)同(呑玉)同(南陵)同(南洋)同(南昇)同(小伯鶴)同(小伯山)同(燕楽)同(琴童)同(琴書)常盤津(小満之助)浮世節(まる吉)即席噺(秀甫)義太夫(千葉、三吉)

明治42327日 満州日々新聞

<三遊亭一圓遊の満州興行>

一圓遊一座 二十八日より開場の高等演芸場に招聘されたる一圓遊一座は二十七日天草丸にて到着の筈なるも海上不穏の模様あり多分入港上陸は二十八日午前となるべきも同夜より直ちに出演する筈なりと当日は千勝館、菊屋其他の芸妓数十名花々しく出迎えを為す由因みに一圓遊は元来常盤津の師匠にて其道には秀で居れど落語家となりて以来未だ嘗て高座の上にては語りしことなきを今回は是非共時間の都合を見計らい語らする積りなりと

旅順丸福座 二十五日夜より落語に満丸桃太郎の二名又浪花節は明暦二人侠客を宮川春雄浪花三人侠客を吉川勝廣、太閤記を吉田辰雄が演じ居れり。

明治42328日 大阪朝日新聞

◇落語の復興  日曜会を聴く 吐芳

可楽、夢楽等の軽妙な落噺から柳桜、円朝等の精密な人情噺に移つて、江戸の落語界は一時代を画した。死んだ小さん、談志、円生等のをつた頃は未(ま)だ〳〵高座に余光を認めるが、円遊のステテコや萬橘のヘラ〳〵や円太郎の喇叭から段々に崩れ出し、真面目に落語をする者も亦研究をする者も稀になつて、歯の浮くやうな音曲や幇間式の手踊又は芸当でお茶を濁すやうになつてから、自分は全く寄席が嫌ひになつた。

 大阪に来てから、試みに此地(こっち)の寄席を聴きに出掛けた處が、比較的に東京よりは真面目に落語をする奴が多くある。トンバタ〳〵の机拍子の騒々しいのと野卑極まる事を臆面なく饒舌(しゃべ)られるには怖れだが、それでも彼(か)の三十石とか野崎詣りとか鶴満寺の花見とか川涼の弁慶とか云ふものになると、古い大阪の風俗があり〳〵と顕れて、太(いた)く興味を感じたものだ。然るに此大阪の寄席も建物は段々立派になるが、其の高座へ出る芸人は追々下落して、頭も尻尾もない噺を鳥渡やつて、直ぐ下座のお三味線を拝借なかと極めこみ、未熟な音曲や手踊をケレン八分でやつて、アト連と代り合ひましても一向代り栄もせず、落語といつても「冒頭(まくら)」もなければ「サゲ」もなく、殊には松川家妻吉のやうなものまでも引つ張り出して来て、只管珍奇を競ふやうになつた。自分はそれから滅多に寄席へ出掛けた事はない。

 此の間文治の名を文団治に譲つた桂大和大掾が来ての談話(はなし)に、東京の左楽の弟子になつた男が一生懸命になつて落語の稽古をして居ると、隣室に居る左楽が煩いから止せといつた。スルト其の男が、稽古をしませんければ落語が巧くなりませんといふと、左楽が落語が巧くなると人気が出ないぞといつたので、其の男は落語家を廃(や)めたさうである。其の時自分は大阪の落語界も矢張り恁(こ)んな風になつて居るのだらうと思つた。其の証拠には芝居噺、あれは大阪の特色といつてもよいものだが、今では下座の鳴物を合せるものがないので、演(や)るものがあつても高座へ出せぬといふ事である。

 今の席主連は「いろ物」、殊に変り物でなければ客が呼べぬものゝやうに思つてゐる。実際真に落語を聴かうといふものは馬鹿らしがつて行かぬのだから。素噺だけでは客のないのが至当である。然し寄席の生命はと云ふと矢張り落語である。千日前式の変り物はヂキ飽きが来るのみでなく、亦爾(そ)う〳〵ある訳のものではない。茲に於て其の生命とする落語を今日の儘に放任して置けば、勢ひ落語は衰微して、随つて寄席は別種の興行場としては存在するかも知らぬが、落語の席としては亡滅の運命を免れない。

衣裳や鬘や道具や動作で笑はせる二輪加や喜劇が世に持て囃される以上、扇子一本で人を笑はせたり泣かしたりする或点からすれば高尚な芸術が、今の社会に歓迎せられぬ理由はないのだ。畢竟ずるに落語家に進歩とか向上とか云ふ意気がなく、従来からのものを漸次(だんだん)拙(へた)に演じるやうになつたから、聴者(ききて)に飽られた結果で、昔の落語家が進歩し亦全盛を極めたのも、自分達も絶えず工夫を凝し、又学者抔について新しい材料を貰ひ、時勢に遅れまいと努めたからで、彼(か)の「野晒」でも、何(い)つも冒頭(まくら)に出る「与太郎」でも、種は支那の「笑府」にあつて、今でいへば翻訳物だ。近くは円朝の人情噺の如きも、材料は多く福地桜痴居士等の学者側から出てゐるといふことだ。昔より優良(よく)なれといふ事は、或は今の落語家には無理かも知れないが、切(せ)めては昔の落語だけは保存されたいものと思つて居た處、数年前から落語矯風会といふのが設けられて、毎月一回落語の研究をやつて居ると聞いたが、遂に未だ一度も出掛けた事がなかつた。然るに今度亦落語日曜会といふのだ出来て、其の第一回を前週に平野町の此花館で開くといふので、什度(どん)なものかと気まぐれに出掛けてみた。

当日は小団の「小倉船」、歌之助の「万国めぐり」、扇蝶の「花あらそひ」、曽呂利の「煙草道成寺」、梅香の「猿後家」、松鶴の「須磨名所」、芝楽の「上官の涙」、文都の「牛の丸子」、文団治の「孝子の蜆売」と余興に若太郎と喬之助の清元があつたが、松鶴のは長いものだから已(や)むを得ぬとして、小団と歌之助が「下げ」をつけなかつたのは何(い)つもの寄席式で悪かつた。曽呂利は大急ぎに急いで、ぞんざいに話したので不感服、梅香はシツトリとやつたがチト淋しく、文都と文団治は流石にと首肯(うなづ)かせ、兎に角落語らしい落語を聴いて好い心持であつた。

落語の研究と云ふので、演(や)るはうも聴くはうも堅くなるが、其處(そこ)を砕けて成るべく賑やかに面白く演るやうにしたら、寄席で自分の知つたものばかりを注文するやうな幼稚な聴者(ききて)も何(い)つか落語の真味を覚え、此の会も発達すれば落語も進歩するやうになるだらうと思ふ。何(ど)うか永続させたいものだ。

明治42328 京都日出新聞

本日正午より芦辺館に於て第廿五回落語日曜会を開演する筈なるが会費は例の如く二十銭均一にて番組は駅路(三吾)金釣(枝雁)浦島(米朝)八足(円光)悋気駒(三輔)紙入盗人(枝太郎)土橋万歳(曽呂利)余興蓄音機(三八、円、円光、桃太郎)宿屋仇討(松喬)仕込大砲(文三)

明治42329日 神戸新聞

電気館 湊川新開地商品共進会場博に電気館を設置し四月一日より活動写真を開会す。

<編者註>新開地相生座の向いに開場した活動写真館。後隣に日本館も誕生する。

明治42330日 大阪朝日新聞

◇天満宝来亭は三十一日午後五時より講談葉林が演芸会を催し、桂派の落語家も出席す。又四月一日より昼間は琴玉、小伯鶴、竹山人、南陵、夜は一瓢、一山が出演する由。

明治42331 北国新聞

<いろは座改め北陸電気館>

北陸電気館 市内下新町いろは座は今回福助座主の手にて大修繕を加え、北陸第一電気館と称し、四月一日より京都横田活動写真の常設館となすべく。入場料は大人十銭、小人五銭にて、写真は一ヶ月に三回づつ全部を取り替えるべしという。

明治42331日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派各席へ四月一日より東京の伯鶴、円生、清国人李彩、清元玉川家若太郎等出演す。

<編者註>円生:笑福亭円生。本名河合亀太郎。後笑福亭円笑と改める。

明治42331日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭は第一第二とも四月興行は左の顔ぶれなりと四代目松鶴、梅香、有村謹吾、立花屋ぽん太、喬之助

明治42331日  満州日々新聞

高等演芸場 女義太夫や浪花節以外の演芸殊に名ある芸人の芸に渇したる当地の人気に投じ初日以来大入を占め居れるが特等二間打抜五人詰一人平均一圓、一等一人七十銭位の廉き入場料にて一圓遊の落語音曲を聴き得るは東京に住むよりも仕合せなり

一圓遊と蔵之助 元千勝館大廣間の高等演芸場は、一圓遊と蔵之助が人気の中心なりて初日以来非常の好景気なり初日、二日目を通じて例も遅れ馳せという評者の怠け加減、茲には一圓遊と蔵之助の評判を走り書きして他は後日に譲る事としたり。序に御披露申し置き度きは今夜一圓遊が大鼻(圓遊)の名跡を継ぐ第二の圓遊となりし筈にて高等演芸場の興行を終りに直ちに帰京して襲名披露を為すという。さて蔵之助は落語一方にて御愛嬌に浪花節を一下り宛お土産に出す男驚く程達者な上に愛嬌ある処が人気に叶ったものか、初日は自作となのる「衛生料理」を聴かせ二日目は「叱言幸兵衛」を演じたり習った口移しを崩した処に蔵之助独特の滑稽を加えて聴者の腹をよらせる事一方ならずさながら技未だ神に入らず渋味を缺くは土地が土地故態と軽くして居る故にや但しは女を封じられた位目下芸道修行中の故にや一体に華やかな方にて、落着いた処に此男の真価は見えたり。浪花節は冒頭だけが妙々、段々ダレて来るは面白からず一工風あつて然るべしと存ず一座の御大将一圓遊十八年の天津風、悪気が悉く胃へ籠って、二ヶ月分の薬御持参は用心の程賞すべし茲に改めて青大将の仇名を贈り些か幟、後ろの幕の印に代る蛇は長虫、夢見は吉兆、彩票を買えば一萬圓、幾久しくを「長」を字を替えて、序に顔の長い処を洒落のめしたり初日は圓遊十八番の「野晒」、二日目は「穴探し」態と軽くはやつて居れど渋味の抜けぬが此男の値打なり音楽入だけに聴者大笑い初日は船酔いまだ去らざりしようにて気の毒二日目の第二席にて一圓遊の真価を現したり殊に二日目の常盤津「乗合萬歳」と、梅坊主物真似の「活惚れ」は此男を措いて他に類無く、此の二つだけで耳と眼のあるお客が満足したり「乗合萬歳」は林中の物真似ながら、常盤津と来ては却って林中を凌ぐ位の達者もの何処から特別の声が出るか不思議な位この後も一下り宛語ると謂えば是非是非お出掛あれとお奨めする梅坊主の活惚れといえば日本一と称して過賞にあらずその最も特長とすべきは手足を十分に踏み延ばして大胆に踊る中に何とも言えぬ妙味ある事なり一圓遊の活惚れ物真似は殆ど梅坊主にして一圓遊にはあらずと思わるる位、常盤津と両々相対して当日中の大出来なりき此の腕にて矢張り梅坊主式の「深川」を見せて貰う度きものなり責寒げのお噂早々以上、いづれ又その内(やの字)

明治4241日 大阪朝日新聞

<竹山人(三代目笑福亭松鶴)死亡>

◇竹山人死す 三代目笑福亭松鶴は久しく神戸湊川の寄席に在りて評判を得たる事もあるが、目下浪花三友派を辞し、講談家となり、名を竹山人と改め、四月一日より天満宝楽席に出勤する約を結びゐたるに、昨三十日の夜、南区高津町三番町自宅にて脳充血にて、六十五歳を一期としてあの世へ旅立ちたり。

本人は本名を武田亀太郎といひ、落語にては三等株の連名にあり。落語は人情掛りし滑稽頗るうまく、同人の師匠は笑福亭円笑の門人にして故人桂文都、笑福亭福松と一座し、目下の三友派の創立には此の三名一座となり、南地の紅梅、堀江の賑江、平野町神明の三席を相通じ、茲に浪花三友派を興し、現今各派の繁昌を見るに至りしなり。

同人は永らく三代目松鶴を継ぎ、一両年前目下の四代目枝鶴に其の名を譲りて竹山人と改めたるなり。同人の得意物は一休和尚一代記、山上参り、三十石夜船、しんこや新兵衛等にして、一時最も人気を得たり。尚同人の没後三友派の整理は文治其の局に当り、本日(午後二時)の葬式にも同派連中は勿論、桂派及び講談界の連中見送る事となれり。

上方落語史料集成 明治42年(1909)二-②

明治4241 京都日出新聞

芦辺館の浪花三友派落語は本日より東京騎江亭芝楽、春風亭楓枝、大阪より桂文都、桂春団治新たに加入せり出番順は左の如し枝女太、鶴瓶、団勇、円光、桃太郎、三八、枝雁、春団治、枝太郎、楓枝、米朝、芝楽、花咲、文都

明治4241日 鷺城新聞(兵庫姫路)

旭館の大奇術 船場旭館はジョンドロ富士川一広一行を迎へ一日午後六時より世界的大奇術大魔術を興行すべく。

明治4242 京都日出新聞

笑福亭にては四月一日より松井助十郎、内田秀甫、橘家円太郎等新に加入し又大切喜劇に連中総出にて勤むる由

明治4242日 神戸新聞

慈善演芸會 明正午より第一湊亭に於て春季慈善演芸會を開催の由にて番組は左の如し

落語(我逸、大多福、光雀、圓松、團輔、南枝)芝居噺舞(小文)新派落語(福我)落語(福圓)清元(喬之助)音曲噺(橘ぽん太)剣舞(謹吾)落語(梅香、松鶴)

明治42478(中外日報)

芸人の宗教(十三)曽呂利新左衛門君(本名猪里重次郎君)

私の檀那寺で御座いますか、元とは天台宗でありましたが、色々の変遷がありまして、私の幼年の頃は大阪順慶寺町の正覚寺といふ真宗寺の檀家でありました、所が自分が永らくの間修行に出て居る間に其お寺の家族も死に絶へ寺も何処かへ移転して仕舞ひました、で今は生玉寺町の隆専寺といふ禅寺へお参りして居ります、此の隆専寺へ参るやうになりましたのは、別段深い因縁があつてといふ訳ではありません、墓を建てたのが縁となつたのであります、私は先年墓を一基建てやうと思ひまして、あここゝと其の場所を探がしました、余り人の目に立つ所も何んだか広告的のやうで厭やでありますし又た余り陰気な所も感心いたしませんし何処か気に入つた所が無いかと探がして居ります矢先、一番私の気に入りましたのが此の隆専寺といふ禅寺の境内であります、そこで和尚さんに交渉の上墓を建てることになりまして、其れ以来其の寺の檀家となつた様な訳です、墓ですか、別に趣向を凝らしたものぢやありませんべた〳〵文字を書き並べるのも俗ですから、表には唯「二代曽呂利新左衛門」と書き、裏には

  野ざらしやみな月花の夢の跡

と云ふ句を刻して置きました。

どう云ふ信仰を持つて居るかと仰しやるのですか、イヤハヤそう真面目に聞かれては一寸困ります、が謂はゞ私の信仰は八宗何んでも御座れと云つたやうな調子で、八家九宗何んな宗旨の仏さんでも拝んで居ります、別にどの宗旨で無けねばならぬと云つて、他の教へを毛嫌ひしてはならぬと思つてゐます、も一歩露骨に申しますと、私は八家九宗の別を立てたり、あの神でなければならぬとか此の仏でなければならぬとか云つて居るのはまどろ臭いので、自分を救ふて呉れた恩人は皆な活きた神様であると思つて、毎日拝んで居ります、以前私は眼病を患つて大変難儀した事があります、此の眼病は病から来たのでありまして、どの医者も到底此の眼は治らぬと云つて手を放して仕舞ひました、自業自得とは云ひながら之れには私も閉口しました、そうして居る間に段々眼が見えぬやうになつて、三ケ月ばかりの間は全く盲目になつて仕舞ひました、所が和(ママ)祐蔵と云ふ人気の少ないお医者さんがありまして、俺に一度見せ必ず治して遣らうと云はれました、実の所を白状しますが、心の内では和田さんをつて居りまして、迚ても治されないだらうと思つてゐました‥‥思へば実に失敬千万であります‥‥折角親切に云つて下さるのであるから見て貰はふと思ひまして治療を受けることにしました、所が非常に経過が良くて、日に〳〵眼が明に見えるやうになり、九十日も全く見えなかつたものが、闇から光りの世界へ生れ更つたやうに何んでも見えるやうになりました、其の当時の私の喜びと云つたら何に喩ふるものもありません、全く和田先生の御恩であります、夫れから以後は朝眼が覚めます度びに、必ず和田さんの御恩を思い出しまして、あゝ恁うして太陽のお光りを拝むことの出来るのは全く和田先生のお蔭げであると思ひ、お宅の方へ向ふて拝んで居ります、これは一例でありますが、私は先づざつと恁う云ふ風でありまして、誰れ彼れに拘はらず此の世で自分を助けて下さつたお方は皆な活きた神、活きた仏であると思つて信心して居ります。(未完)47日)

芸人の宗教(十四)曽呂利新左衛門君(続)(本名猪里重次郎君)

芸人と聖天さんとは深い関係のあるものでありまして、芸人社会で聖天さんを信心して居る者が沢山あるやうであります、全体聖天さんと云ふ方は天都の神様でありまして、中々権威のある鋭どい方で、どんな無理な願ひでも熱心に信心すれば、一度は必らず允るして下さると伝へられて居ります芸人とか相場師とか云ふ者が多く信心します、所が此の聖天さんと云ふのは権威のあるだけ其れだけ賞罰も厳重であつて一度信心して願を聞届けて貰ひながら其の後信心が懈つて拝んだり拝まなかつたりしますと、必らず罰が当たると信ぜられて居る、兎に角恁う云ふ風で霊験あらたかな神さまとして信者の間に伝へられて居ります、ですから此の神様を信じた場合には、信心と同時に一生懸命芸を磨ねばららぬ、所が二三ケ月も経つと自然信心が懈怠勝ちになる、そうなると神経の作用ですか自分の遣つて居る事に躓が出来て来る、そりやこそと吃驚して信心を励む、又た暫らくすると信心が懈たつて来る、偶然か必然か知らぬが前と同じく何か蹉跌を生ずる、聖天さんの祟りだと云つて騒ぎ立てる、又た驚きを立てゝ信心に夢中になる所が又た其れが退□する、と云ふやうな工合で気が気でない、ヂツと仕事を忠実にやつて居る事が出来なくなる、遂には聖天さんと情死をしなければならぬやうになる、芸人で晩年に発狂する者の多い訳は慥かに恁う云ふ所にあるだらうと思はれる、委しい統計は判りませんが、芸人で一生満足に世を終る者がどうも少ないやうに思ふ、多くは其の末路は悲惨に終るらしい、そして就中発狂する者が多いやうだ、之には色々の原因や事情のあることでありましやうが、今申す様な神信心の結果極端に走つて其の弊に陥り、とう〳〵精神の落ち付を失つて仕舞ひ、気病みをするのも其の原因の一つだらうと思はれます、私は夫れ故そう云ふことを信じません方であります、全体神や仏と申すものは、吾々を憐れみ慈しんでこそ下され罰を当てたりなさる者ぢやないと信じてゐます、自分の心を奪はれて仕舞ふ程無茶な神信心をするよりも、自分々々の芸道を一生懸命やつて居る方が善いと思ふ、ですから私は方角とか祟りとか云ふことを少しも信じないで、東へ行かうと思へば東へ行き、西へ行かうと思へば西へ行つて仕事をしてゐます、所が今日まで少しも其の為めに祟り杯を受けたことがありませんそれで益々自分の確信を強めて居ります、それから坊さんの中で一番好いた人と云つて別にありませんが、私は元来何んだか禅宗が好きでありまして、時々座禅杯もやり、大阪では禅宗の鉄顔和尚と云ふのに帰依して居りました、そう云ふ関係でありますが、私は禅宗坊さんの気風が好きであります、先きに申した檀那寺の隆専寺に居られた前の住職は極めて呑気な性質で洒脱な方でした、今は宇治の方へ行つて居られます、今の住職は中々確つかりした真面目な人でありますが、私に云はせますと、どちらも善い坊さんだが、禅宗坊さんと云ふ側から申しますと前の方が無欲淡泊で面白い方だと思ひます、此の和尚さんは檀家と一緒になつて芸者遊び位するのは一向平気なもので、而かも其の洒脱な裡に犯すべからざる重も味のある方です、それからもう一人面白い坊さんだと思ふのは、俳句で引導を渡たすと云ふ大阪黄花庵の和尚であります、此の和尚さんは夫れは〳〵禅的な人でありまして、俳句を能く作ります、或る時檀家の女房が死にまして其の葬式に行きましたが、いざ引導を渡たそうと云ふ一段になりますと、つか〳〵と棺の側へ行きまして大きな声で

 「鴛鴦の一羽は西へ流れけり」

と云ふ俳句を呻つて引導に代へました、一座静粛に控へておつた親戚其の他の会葬者はあつけにとられて仕舞つたと云ふことです、恁う云ふ所は禅宗の坊さんで無くては一寸遣られる図ぢやありません。(4月8日)

明治4248日 東京朝日新聞

紋弥の自転車 毛色の変った三升紋弥は、モウ腕車で席入でもあるまいと、此頃は自転車を利用し得意気に各寄席を廻ってゐるが、今後追々金の出来る時には、自転車を買入れ其次は空中飛行機という段取だとは流石〳〵。

明治4249日 満州日々新聞

<高等演芸場改め大連演芸場>

大連演芸場 高等の二字を捨てて大連演芸場と改め平民的を主とすることを世間に知らせた結果にや改称後益々客数を増加する模様あるは結構なり。

明治42411日 東京朝日新聞

大騒の電気踊 桂小南の電気踊は随分手際よく演つて居るが、身柄が大きいので宙乗りにグルグル廻るとき、楽屋では大騒ぎ。三人の下廻りが、向鉢巻き大肌脱ぐとなって、小南の胴中に捲いてある機械の棒にとつ付て、ウンウンという其度にミシリミシリと響きがするなど、頗る滑稽で踊が済むと、下廻りはホッと一息アア有り難くない役廻りだ。

明治42411日 東京朝日新聞

紋弥お詫が叶う 三升紋弥は以前扇歌の弟子であったを、大阪へ行って後一本立となり、帰京後も相変らず平気の平左でゐた所、扇歌が納まらず、余りに人を踏付けた遣り方だと、犬糞的の態度に出て、旧い負債の元方を盛んに煽り立てたので、流石の紋弥も縮み上り、何卒師匠御勘弁をと、今度漸くお詫びが叶い、当座謹慎の証拠にと、其処が独身者の暢気さに、扇歌の許へ身を寄せることになり、ツイ二三日前に柳原の所帯を畳んだそうだ。

明治42411日 京都日出新聞

芦辺館本日の第廿七回落語日曜会は例に依り正午十二時開場二十銭均一にて其番組は 春の旅(鶴瓶)百花爛漫(円光)湖漕(三八)お玉牛(桃太郎)壷算(春団治)月宮殿(米朝)浮れの親子(枝太郎)長唄、浮世節(小満之助、まる吉)子別れ(芝楽)借家怪談(文都)

明治42411 台湾日日新報

○本島の演芸界 本島の芸界も一度高橋が興行独占を唱へてから大小はあれ各地に演芸場の設立を見今や到るところに各種の演芸場を供給されるやうになり屈託勝ちの地方人迄も半宵の慰安を之れに依つて求め得らるゝやうになつた昨今本島の芸界は帰雁来燕なかなか賑かである▲先般来旭座に一箇月以上の長興行を続け声曲美を以て大に好評を博した浪花節吉川亭秀広一座は昨晩限り基隆座を打上げ直に新竹の竹塹倶楽部へ乗込んだ…▲ジヨンベールの愛嬌と大和の話上手柳丈の新派講談と鼎立して大に江戸趣味を鼓吹した同一座は是れ亦到るところに歓迎され全島の興行を終つて六日の便船にて花の都へ舞戻つた▲本島興行界の記録に特筆された天一々座は目下台南で毎夜の大入り聞くところに依れば、、同地興行の後は鳳山阿の巡業を名残に対岸へ乗込む筈である…

明治4241215日 中外日報

芸人の宗教(十八)松川家妻吉君(本名川内米子君)

記者曰く、今を去る四年の昔「堀江六人斬」を以て一時天下の耳目を動かした悲劇中の一人は今茲に掲ぐる妻吉君其の人なりき、既に刑場の露と消えたる中川万次郎の凶刃にあわや一命を失はんとし、両手を断たれてからくも万死に一生を得、遭難後芸界に身を投じいぢらしき身を以て江湖に見みえ到る所同情と喝采を博せしが、今春感ずる所あり、芸界を勇退し、あじきなき余生を筆墨に託し浪華に隠くる、芳齢正さに二十一歳、左に掲ぐるは往訪の記者に親しく衷情を談りしもの、諸者其の心して読まれよ。

 私は別に宗教とか信仰とか云ふことを研究いたしたことがありません、災難に遭ひまして後、或人から贈くられた聖書を時々繙いて自分勝手な量見で読んで居ります、今のところは両親を始め兄が涙のこぼれる程いたはつて呉れますから、何一つ心配も無く至極平和に暮らして居ります、今から考へて見ますと、ああ云ふ災難に遭ひましたのも矢張り前世の因縁であると諦めてゐます、私しはなんだかあれからと云ふものは、おツ母さんの腹から生れ更つた様な心地がしてなりません、堀江に出て居ります自分から私は芸人根性といふことが嫌ひでありまして、始終其れが為めに苦んで居りました、あゝ云ふ災難でも無ければ、ずる〳〵苦しい生活を続けてゐたかも存じません、例令六根揃ふて居りましてもあんな生活は願はしきものでなく、寧ろ厭はしい生活であります、若しあの侭で今日まで勤めてゐましたならばどんなものになつて居るか分かりませんそんな事を思つて見ますと、今の日暮らしは喜ばねばなりません、あれ以来といふものは、私と云ふものに先づ、段落がついた様な気がしまして、姿形ちは恁うして居りまするから、人様は世にも不幸な物と思召すが、自分の精神から申すと生れ更つた様な気が致しますと、申すと妻吉の負け惜みだと仰しやるかも知りませんが、私は実際そう思ひます、此の節は書と画とを稽古いたして居ります(記者曰く、運筆は凡べて口による)が、どうか此上の願ひは精神籠めて書画を学び、拙いながらに自分の形見を世に遺こして死に度ひと思ひますが、中々上達しません、初はなに是れ位の事と自惚れて居りましたが、段々自惚れがとれて行きます、いつか恁んなものを描いて見ました(記者曰く、女中をして側の手筥より取出さしめしは極彩色の絵葉書にして、これが口筆になりしとは一見信じがたき程の精緻なる絵画なり)これは地獄太夫の絵の積りです、絵は固とより詰りませんがこれを描く私しの考へでは、万次郎の刃にかゝつた時の苦しみを地獄に見立てた積りなのです、そしてこの地獄太夫には態ざと、両手があるやうに、描き付けませんでした、これは自分の境遇をこれに寓した積りなのでありまして、私の理想とする地獄太夫は私のやうに両手がないと観たのであります、随分乱暴な書き方ですね、地獄と云ふ名で思ひ出しましたが、私は此の世でさん〴〵地獄の苦みを受け血の池も流がしたし、剣の林にも出入しましたから、死んでも決して地獄へ堕つる気支はなからうと思ひます、未来と云ふことに就きましても別段考へませんが、死ぬるといふことは夜寝てずつと其の侭目が覚めないようなものならと思ひます、謂はゞ眠りの永く継続するやうなものぢやないか知らんと思ひます、我流一天張りの議論だから貴君方から御覧なさると可笑しいでしやうが、私しにはどうしてもそう思はれてなりませぬ(未完)(412日)

芸人の宗教(十九)松川家妻吉(本名川内米子君)

先程聖書を繙いて居ると申しましたがホン素人の考へを以つて覗いて居るのでありますから之と云つて人様にお話申す程なことは御座いません、唯だ拾ひ読みをして解からぬなりに自分の心を慰めて居るやうな次第です、

 其罪を悪んで其の人を悪まず

万次郎や万次郎の妻に対してどう云ふ考へを有つて居るかと仰しやるのですか、万次郎は固とより悪むべき罪悪を犯かしたものであります、けれども其の罪を犯した事情に至つては実に憐むべきものがあります、恁う申すと妻吉が生意気を云ふと仰しやるかも知りませんが、私は「其罪を悪んで其の人悪まぬ」と云ふ考へを有つてゐます、万次郎が死刑に処せられると云ふ前日最後の面会に行きました程、涙を流がして私に其の罪を詫びまして、どうか子供の事を宜しく頼むと云ひました時には、私は胸が張り裂ける様になりまして、もう何にも云はれない様になり、涙と涙の訣れを致して其の侭引下がりました、今でも其の当時の事を思ひ出すと、万感交々胸に迫つて参りますですから私は万次郎の死後其の子供もいたわて遣らうと思つて居りますが、歴きとした母親が付いて居つて、而かも其の親が私に寄り付かないやうにし、又子供をも寄せ付けないやうに致して居りますから、本意なくも万次郎が最後の願を果たして遣ることが出来ません、実の所互に愚痴を云つた時には際限がありませんから、万次郎の妻に対しても、出来る事なら、ごた〳〵の事は皆な打忘れて、清き交りをして万次郎の菩提を弔つて遣り度いと思ふのでありますが、向ふがどうしても打ち解けて呉れませんから仕方がありません、

  近時の読物

近頃読んで居ります書物は、主もに無邪気な物であります、女学世界とか婦人世界とか云ふ雑誌は私の虫に好きせん、少女世界のやうな無邪気なものが一番好きですそれからちよい〳〵新体詩集杯を読んだり、古の物語の類ひをも読んでゐます、新体詩のことで可笑しい話があります、先達ての事であります、堀江に出て居る時贔負になつたお客さんに招かれて昔物語をして居ります席に、芸者が侍つて居りましたが、お客さんと私が新体詩や和歌の話をして居りますと、新体詩とは何でおますと始めて其の名を聞いたと云ふやうな顔をしておりました、私はつく〴〵今の芸者が恁う云ふ手合ばかりで、文学と云ふやうな者に対して少しも趣味を有たず卑しい事ばかりに浮身を窶つしてゐるから、社会から軽蔑せられるのであると感じました、芸妓たるものはもう少し高尚な趣味を有つやうにならねば紳士のお相手に出る資格がなからうと思ひます。

俳句は近頃やつて居りません、これは時々興の浮んで来た時に出鱈目を并べるに過ぎません、迚も人様のお目に懸けるやうなものではありません、ずつと先きに詠みました句に、

  葦刈りの鎌を遁れし野菊哉

  秋の暮誰れに語らん人もなし

と云ふのがありますが、これは自分の境遇を詠んだ積りであります。(415日)

明治42415 大阪毎日新聞

◇互楽派落語席第一第二文芸館へ十五日より、東京初下り音曲物真似ステテコ春風亭小柳、枡の上の踊り古今亭今之助、三遊亭圓福等が加わる由。

明治42415 京都日出新聞

演芸 ▲笑福亭は本日より帰化英国人ジヨンベールが出演するとか▲芦辺館は本日より柳家小せん曲独楽松井助十郎等二名の新加入あると共に出演順を左の如く変更す枝女太、扇笑、鶴瓶、円光、枝雁、桃太郎、三八、花咲、米朝、小せん、枝太郎、助十郎、春団治、文都、切余興八笑人尚一座は松原松の家へ掛持を為す由

明治42415日 山陽新報

<橘の圓一座・岡山九重館>

◇九重館の落語 岡山市栄町九重館にては、本日より圓頂派橘の圓、音曲雀家翫の助、春陽亭胡蝶一座にて、臍の宿替せしむる由。

明治42417日 名古屋新聞

富本席 本夕よりお馴染の昔々亭桃太郎、青柳孝嬢、三遊亭圓駒、圓玉、橋造、圓三、小左衛門、昔々亭桃孝の大一座で開場評判〳〵。

明治42418 京都日出新聞

芦辺館本日の第廿八回落語日曜会は正午十二時開場入場料二十銭均一にて其番組は地獄旅行(鶴瓶)口合根問(桃太郎)月並丁稚(枝雁)饂飩売(円光)三人癖(花咲)素人天狗(米朝)牛若丸(文吾)吉野山(文都)曲独楽(助十郎)かもじ切(小せん)片袖(枝太郎)

明治42418日 大阪朝日新聞神戸付録

姫路楽天座は二十日より左の大阪落語家が出演する桂春松、笑福亭鶴三、同福冶、同萬蔵、同福丸、同三代松、立花家圓坊、司馬龍生、笑福亭松光

明治42418日 鷺城新聞

楽天席の落語 當市竪町楽天席は来る二十日より大阪落語三友派笑福亭松光一座をもって開演すべきが、一座は左の如し。

かつら春松、笑福亭鶴三、笑福亭福冶、笑福亭萬歳、笑福亭福丸、笑福亭三代松、立花家圓坊、司馬龍生、笑福亭松光

明治42421日 鷺城新聞

揖玉座の大入 揖保郡龍野町揖玉座は十七日より敷島団赤松合併一座が乗り込み「性は善」と題する芸題を開演せるが、十八日の如き龍野神社の祭典当日のことにて日没前すでに大入札止をなせり。

明治42421 台湾日日新報

朝日座の○勝一座 初日の朝日座を聴く一座は○勝の新講談に末春の改良浪花節、太郎の講談いづれも一席づつ時代物の次が近世ものといふ聴く耳にも一本調子でなく取合せ先づ好く初日ながら張扇で叩き上げた聴衆二百を以て算へた腕は偉いものなり座つたのは大分遅かつたが略(さ)つと一座の顔振を覗くと▲日本太郎 曾ては監獄太郎と呼ばれ壮士界の大暴れ者なりしとの触込みながら講談としては未だ青いが取材が新らしいもの丈けに大した耳障りもなく却手下手な旧講談よりは聴工合も好いが而し立語りは余程甘くやらぬと動作や表情が兎角ヌーボー式になつて一段の損あり「山田又吉」の立志談は面白さうなものなり▲日吉川末春 改良浪花節老練は侮られぬもの節といひ咽といひかてて加えて搗(か)てゝ加之(おまけ)に祭文からの出なので良く人を笑はす「大久保旅日記」は喰つたが「三日月小僧」傾聴するに足る唯々相手の三味が欠勤んだ為め錫杖で調子をつけて居たが絃があつて一層好く聴かれるだらう▲日本亭○勝 一座の真打だけ「三人書生」は青年立志談として殊に学生にも聴かすを得べく「日露平和の会見」は得意のものと見た達者な快弁別に語り口に飾りのないところが却て良し偶々七五調の叙景語を加へて談片に艶を添ふあたり聴客をチヤ-ムする力を見る

明治42422日 門司新報(北九州)

日出座の色物 改良講談を標榜せる桂家残月を始め新柳小歌、春の家双枝、江沢猛一行は今回市内内本町日出座に乗込み昨夜六時より開演せり。本日の出し物左の如し

落語掛取萬歳(圓丈)長唄越後獅子(歌奴)落語心機一転(咲松)世の中穴探し(江沢)義士銘々伝山本海軍大将(残月)三番叟(勝子、小歌)

明治42423日 大阪朝日新聞

<桂文屋の追善会>

◇文屋の追善 文屋を会員の一人にして居た達磨会では、貧(まずし)の宮金田菊所翁を筆頭に同じく神主菅楯彦、氏子総代早川尚古斎、田中主水その他一味の面々二十余名、去る二十日高津の自性院に集まつて文屋改め釈台観の追弔法会を催した。導師は藤村叡運僧正、頗る真面目に衆僧を従へ読経あり。文屋の遺族、同人の師と仰ぎし桂文左衛門こと渡辺桃子、当時は心学道話の先生、鼻の下の八字髯捻り〳〵焼香をする。続いて同人の兄弟子桂文枝。達磨会の総代には食満南北「御代香」と芝居流に焼香する。これが済んで一同書院で精進料理は八百勘包丁の斎につき、更に当日の幹事が趣向を凝した煎抹二席の茶室で懐旧談を遣つたが、煎茶席の掛物は五嶺筆の逆様箒、これは文屋が此の掛物を持つ時は必ず不幸が廻る、前の持主もその先の持主も自分もこの掛物を持つてから不幸続きなれば、何うぞ貰つて下されとて叡運師に贈つたと云ふ曰く付き。茶は銘して「大峰」と呼んだ。これは文屋の本名を桂陀羅助と言つたからだとは珍である。道具は悉く文屋の作、尚古斎が大枚九銭の笊を手先の術で撓め直した花籠に牡丹「鹿毛織錦」を入れたのと、伊藤耕寅女史が予ての約束なりとて三日月に杜鵑の絵を物して持つて来たのと、新町京屋席の芸妓お浪が文屋とは一中節の同門なりとて一首の歌を寄せたのと、菅楯彦氏が文屋生前の依頼なりとて宇治大納言の絵巻物を認めたのは、時に取つてよき手向けであつた。

明治42424 京都日出新聞

今日午後五時より笑福亭に於て文之助改名十周年記念の大寄を催すこととなり落語、人情噺、掛合話、手踊、音曲、声色、曲独楽、滑稽奇術、喜劇等あるよし

芦辺館に出演中なる東京派の落語家柳家小せんの為め当地の槙岡芦舟氏発起となり一昨夜卅余名の小仙会の落しあり花籠に更へて芦舟氏の花籠を描きし画幅を送りしより

明治42425 京都日出新聞

芦辺館の第二十九回落語日曜会は本日正午より開催するが入場料は廿銭均一にて其の番組は左の如し春の旅(鶴瓶)産の祝(円光)山紫水明(三八)高尾(桃太郎)男性の女子(春団治)親子の登楼(米朝)後家殺し(枝太郎)曲独楽(助十郎)茶の湯(小せん)忠信(文都)

明治42428 九州日報(福岡)

川丈座の出番 同座残月一座は一昨夜より開演せるが勝子の舞は見物なり、今晩の出番は左の如し

御祝儀三番叟(一座総出)落語西の旅(團笑)太閤記松下奉公(錦水)落語小原女並に日本手品(圓丈)常盤津乗合船並に浮世節(歌奴、小歌)落語勧進帳(咲松)流行唄の説明(江沢)落語愛宕参り(圓三郎)探偵実話(残月)大切長唄鶴亀並に舞曲数番(勝子、小歌)

明治42430日 大阪毎日新聞

◇桂派落語各席へ一日より京都六斎踊り一行九名と、東京柳派川上秋月が加わる。

明治42430日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派の各席は五月一日より従前の一座に東京の新落語、大隈柳丈及び新派筑前琵琶大隈千種、源春子、長唄囃子富士田千之助、杵屋君之助、橘家円坊、桂文吾が加入する。

明治42430日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭の五月の顔ぶれは松光、龍生、三代松、竹田萬冶、有村謹吾

上方落語史料集成 明治42年(1909)三

明治4251 大阪毎日新聞

<第二松の亭>

◇江戸堀第二此花館は、今回第二松の亭と改称して、本日より女義太夫弥太雲、伊達若等一座にて開演。また松屋町の松の亭は本日より桂派落語を興行。

明治4251 京都日出新聞

演芸 ▲笑福亭は本日より東京下り青柳花嬢新加入するよし▲芦辺館も本日より三遊亭円子、春風亭柳寿斎、桂一奴、印度人サエモンジヨヂヨー等の新加入あり出席順は 鶴瓶、円歌、枝雁、桃太郎、三八、円光、円生、印度人、一奴、文都、円子柳寿斎、小せん、助十郎、切枝太郎外一座

明治4251日 紀伊毎日新聞(和歌山)

三友派来る 関西落語界に牛耳を採れる三友派の重鎮桂文團冶は先に七代目文冶を名を襲い米團冶は三代目文團冶を改めたるを以って今一日より元寺町紀国座に右披露の為落語大会を開演し扇蝶、春團冶、米若、小米、白魚、花咲、團橘、文雀、歌之助、米朝など身上有り丈け大一座顔揃え何れも一騎当百否当千の我武者共が文冶、文團冶両大将采配の下に張扇を縦横無尽に薙ぎ立つ所頗る人気叶うべしとのこと。

明治4252 京都日出新聞

芦辺館の落語日曜会は本日正午より其の第三十回例会を開催す入場料は二十銭均一にて其番組は旅程(鶴瓶)首の仕換(円光)結婚の祝ひ(三八)小[]崎屋(小せん)昆巻(ママ)芝居(枝太郎)曲独楽(助十郎)芸妓の誠心(文三)長唄勧進帳(円子、柳寿[])大和橋(三輔)雁風呂(文都)

明治4254日 香川新報(高松)

玉藻座開場 當市の同座は今四日より歌舞笑話音曲の立花家圓一座にて開場。初日の番組は左の如しと。

御祝儀入舟(圓戦)落語煙管の曲(圓光)軽口掛合(圓舎)音曲七段目(圓夜)盆の曲踊(圓盆)住吉駕籠(圓天坊)十徳音曲手踊(小圓)士族の車(圓三)浄瑠璃(圓太夫)文人手踊(淀助)音曲植木の化物(翫の助)獅子の曲(胡蝶)笑話百種手踊(圓)雪中の杉、三段返し(総出)

明治4257日 大阪朝日新聞

◇招魂祭 (前略)落語家の行装 午前十一時頃先づ浪花三友派の一隊が練り込んで来た。其の勢約そ三十名、一同人力車に乗り、身には紋付の着付を着て、裾を縢(から)げ、足には赤地友禅の股引、首には緋鹿の子の手拭をかけ、頭部には髷つきのボテ鬘、手には子供の日傘に三友派と記し金の短冊をブラさげ、昔の花見といふ趣向らしかつた。続いて桂派の一行が遣つて来た。これは一同徒歩で、服装は一定せず、多く裾をからげて手に〳〵桂派と記したる国旗を持つてゐたが、中にも一人の婀娜たる婦女、紫繻子の紋付に織物の厳めしき袴を穿き、手には日傘を持ちたるが、顔はコテ〳〵と塗り立て、緑の髪を結びさげ、赤のリボンをかけた所は青柳春之助と勝頼と明治年代の女学生とを同時に捏ねた鵺女、鳴く声は必ず猿に似てキヤツ〳〵といふに相違あるまい。これはこれ例の女剱舞師金房千代子とこそは知られたれ。群衆は道を拓いて之を迎へ、笑ふ者は多けれども、誰一人罵倒する者のないのは花見などと違ひ酒に酔つた者がないからである。

〈編者註〉第四師団の招魂祭は城東練兵場で六、七の両日行われた。

明治4258日 大阪朝日新聞神戸付録

第一湊亭の日曜會は明九日正午より開催其の番組は左の如し

高宮川(於多福)浮世問答(圓松)常太夫義太夫(光雀)魔幽霊(團輔)親子茶屋(南枝)魔世界(福我)禁酒関所(福圓)清元宮比神楽(喬之助)差手引手舞の手素振(小文)新剣舞(謹吾)喜撰丼に手鞠の曲(萬冶)菊石妾(三代松)義士伝(龍生)貝野村(松光)

明治4259 京都日出新聞

芦辺館は本日正午より第三十一回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其番組は兵庫船(鶴瓶)鷺取(桃太郎)[]売根問(枝雁)春雨茶屋(一奴)気侭の妾(円生)長崎土産(枝太郎)忠臣蔵七段目長唄鶴亀(円子、柳寿斎)捕鼠懸賞(小せん)曲独楽(助十郎)百年目(文都)

明治42514日 大阪朝日新聞

◇桂派は是迄の市内組合の各席の外に十五日より南区空堀の沢井席と堺市天神の席の二席を組み入れ大拡張を為すよし。

明治42516 京都日出新聞

芦辺館の落語日曜会第卅二回例会は本日正午より開演する筈にて入場料は廿銭均一其番組は神の賑(扇笑)千変万化(三八)蔵丁稚(円光)新猫(一奴)鶴屋亀之進(円生)酢豆腐(小せん)猿廻し(枝太郎)金魚芸妓(円子)余興長唄舌出三番叟(柳寿斎)義士勝田新左衛門(馬生)三枚起請(文都)

少女世界愛読者大会 本日正午一時より河原町四条下る京都倶楽部に於て東京博文館発行少女世界の愛読者大会を開催…松井助十郎の曲独楽…其他種々の余興ある由

明治42517日 神戸又新日報

湊川新開地の発展 湊川新開地は従来興行物を禁じられしが、今回その筋の許可を得て、相生座付近において興行小屋及び寄席を建設することとなり、大衆娯楽の巷となすこととなりしが、其区域は相生座前及び魚鳥青果市場会社前の二大区域にして、その坪数二千五百坪、間口百八間、その間さらに京都の横田商会が活動写真二席建築に着手したり。尚続々興行小屋開設の申込みありと。

<編者註>横田商会の活動写真二席とは、電気館(五月開場)、日本館(六月開場)。

明治42518日 満州日々新聞

大連演芸場 浪花節より一機軸をだせる扶桑軒(ふそうけん)愛顧の扶桑節は開場以来お馴染の蔵之助が口軽の落語とによりて好評を博し中々の入りを占め居れる

明治42521 京都日出新聞

笑福亭にては明二十二日正午より文の家文之助改名記念の情歌巻開きをなす由

明治42522 京都日出新聞

倶楽部例会 京都倶楽部の例会は今二十二日午後三時より開会し余興として桃太郎、三八、枝太郎の落語、三遊亭円子の音曲噺、春風亭柳寿斎の勧進帳、助十郎の独楽廻しある筈

明治42523日 大阪朝日新聞神戸付録

第一湊亭は明二十三日第三十六回日曜會を開催する筈にて其の番組は左の如し

百人坊主(於多福)うんつく(我逸)山吹式部(圓松)お杉お玉(團輔)素人写真(福我)手切れ丁稚(三代松)白嵐も種々(南枝)踊り(小文、喬之助)後家馬子(光雀)春雨茶屋(福圓)籠鞠松火(萬冶)貞女の鑑(龍生)剣舞(謹吾)三人兄弟(松光)

明治42525日 神戸新聞

第六回神港娯楽 明二十六日午後七時半より神港倶楽部に於て催す由にて番組は

落語景清(桂文)浄瑠璃野崎村(花)曲芸(東京槌屋万次)・・・・・講談伊勢屋正宗(玉龍亭一山)

明治42530 京都日出新聞

芦辺館は本日正午より第三十三回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は二十銭均一にて其番組は旅の浮れ(円歌)二人浦島(桃太郎)猪買(一奴)眼の始末(円生)近江八景(小せん)深山幽窟(枝太郎)芝浜財布(円子)余興長唄廓五郎(柳寿斎)菊江仏壇(文都)余興曲独楽(助十郎)子袂れ(文吾)

明治42531日 大阪朝日新聞

◇桂派各席へ六月一日より桂扇枝、中村旭翠の二名が加入し、猶又和歌祭に有名なる長刀組の家元中村の息子鷹太郎(五年)及び中村源之助の両人が出演する。

◇浪花三友派各席へは六月一日より東京の柳枝、小柳枝、竜生、小せん、小燕(五年)及び曲芸槌家万治が加入する。又本日は一座全部昼席を休み住吉公園に於て運動会を催す。

◇九条鶴の席は六月一日より諸芸の大寄を開場し、大切は笑福亭の吾竹が怪談を道具入にて勤むるよし。

明治42531日 神戸又新日報

第一第二湊亭 六月興行の新顔触れは三遊亭圓若、桂文都、曾呂利新作、桂文我其他にて賑やかに御機嫌を伺う由なり。

明治42531 大阪朝日新聞神戸付録

電気館は共進會が三十日限りにて閉会となりしも依然継続して興行すべく今までは別に共進會の入場料を要したるも今後は大人十銭、子供五銭にて行次第因みに目下の小島高徳の写真は頗る鮮明にて好評をなしつつあり。

明治4261 大阪毎日新聞

◇互楽派落語松嶋第一文芸館、内本町第二文芸館及び南浦江会津館、梅田新道栄都館の各席へ一日より三遊亭しう雀、同右猿、女手品天遊斎明子(十八)、林家正輔、笑福亭松竹等が出勤する由。

◇九条五丁目鶴の席は、一日より諸芸大寄せ。大切は吾竹の怪談話しを大道具入早替りにて演じる由。

明治42531日 山陽新報

<曾呂利一座・岡山九重館>

◇九重館 岡山市栄町九重館にては、明一日より大阪落語曾呂利新左衛門大一座にて、臍の宿替を為さしむる由。

明治4261 京都日出新聞

演芸 ▲新京極笑福亭は本日より東京下り三遊亭円駒、佃家白魚の二名新たに加入し出番順左の如く変更せり里若、三蝶、橘太郎、円次、芝楽、福太郎、小円太、円駒、白魚、華嬢、ジヨンベール、円太郎、秀甫▲芦辺館も本日より出番順左の如く変更落語(枝女太、扇笑、円光、枝雁)手踊(桃太郎)落語(三八)音曲(円生)手踊(小米)東京落語(柳丈)落語(枝太郎)新派筑前琵琶(千種、春子)素噺(馬生)和洋音楽合奏(松翠、松雨、久栄、ふじ枝)

明治4261日 大阪毎日新聞付録堺周報(大阪堺)

天神席は浪花桂派落語今一日より交代出番左の如し

仁鶴、右衛門、文福、小文三、左圓太、三五郎、慶枝、千代子、小三、小圓左、雀三郎、三輔

明治4262日 満州日々新聞

大連演芸場 改良浪花節(豊臣昇進禄)(義士銘々傳)(扶桑軒愛顧)落語(東京初下り橘家蔵之助)女侠客玉川およし(亀甲斎一若)

明治4265日 大阪朝日新聞神戸付録

落語日曜 六日正午より第一湊亭に於て例会を開く其の番組は左の如し

播州名所(我逸)三人旅(於多福)籠馬(光雀)さみだれ(福我)悋気独楽(新作)四君子(喬之助)愛宕山(團輔)老松(小文)泣き塩(福圓)百々川(圓松)按摩芝居(文我)猿廻し(南枝)つき馬付たり歌沢(圓若)菊江仏壇(文都)

明治4266 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第卅四回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其番組は七度狐(扇笑)無性の代参(円光)歳誉め(三八)息子の替玉(枝雁)天災(円生)吉原八景(竜生)黒田公の外伝(柳丈)余興和洋音楽合奏長唄吾妻八景(松翠、松雨、久栄、ふじ枝)浮れの屑撰(枝太郎)近世相撲談(馬生)

明治4266日 大阪朝日新聞神戸付録

姫路楽天座は七日より圓頂派一座にて落語、手踊

明治42611日 山陽新報

◇東座の曾呂利 昨日より三友派曾呂利新左衛門一座は、津山町東座に於て開演する由。

明治42611日 北国新聞

◇一九席 小福座にて人気を博せる落語一座にて本日より開演。番組は左の如し。

落語手踊(柳太郎)昔噺手踊(蝶々)音曲噺(三木三)音曲噺(芝雄)即席噺(紋三郎)落語手踊(雷蔵)独楽曲芸(小源水)真田小僧(柳の助)仁輪加(総出)

明治42612日 神戸又新日報

落語日曜 明十三日正午(昼席)より第一湊亭に於て落語日曜會開催番組左の如し

軽業(我逸)牛ほめ(於多福)狸さい(圓松)初天神(南枝)釜盗人(福圓)六玉川(喬之助)けんげしゃ茶屋(新作)舞三国一(小文)講釈師幽霊(光雀)芝居噺将門(文我)先の佛(團輔)五月幟(圓若)落葉籠(文都)

明治42613 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第卅五回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は二十銭均一にて其番組は旅路(円歌)五月雨(円光)松竹梅(三八)新猫(桃太郎)鬼の面(円生)元勲二人男(柳丈)質屋娘(枝太郎)余興新派琵琶明智左馬之助(春子、千種)転宅(文団治)近世相撲談前回の続き(馬生)尚十五日より曲毬万治が新加入し一座は堀川なる菊の家と掛持ちするとか

明治42616日 名古屋新聞

◇演芸▲富本席 今夕より富士松島之助、同久江の新内ぶし及び桂福松、三遊亭圓福、桂文作、三遊亭小東、桂双遊開演 ▲金輝館 東洋大奇術曲芸のジャグラー小操一一座毎夜好評

明治42616日 神戸新聞

湊亭のぞ記 此月は老練の圓若、文都に若手の新作という顔ぶれで一昨夜はズラリ一杯の大入り、南枝の「手誉め」光雀の「鉄砲勇助」其に笑わせた、文我の「鏡山」は芝居掛りで賑やかだった、一人位の声色を入れれば可いのに、團輔の「始末の極意」新作の「寄合酒」頗る軽妙、文都の「線香の切れ目」時節柄淡白りした至極衛生向きの素噺で大いに溜飲に下って何度聞いても巧い、小文の小話しは声変りのせいか耳障りで聞悪くかったが、舞はお手の物だ、喬の助の常盤津は艶にして麗だ、福圓の「以前は犬」とお添え物の舞で腹が一杯になった、圓若の「居酒屋」は流石は争えぬものでシンミリと手応えのする話し振りは一同感に入った。

明治42617日 大阪毎日新聞付録堺周報

落語 天神席桂派落語十五日よりの出番左の如し

あやめ、三五郎、左圓太、小三、右衛門、柏枝、小圓左、小文三、清国人及宝山、扇枝、文三

明治42617日 香川新報

玉藻座 當市の同座は本日京阪合併娯楽演芸会という左の顔触れにて蓋を開け、演題は毎日替にて和洋音楽合奏、落語、舞踊、長唄其他各種の面白きものあり。一座中石村松雨と云うは、度々各宮殿下の御膳にて演奏せしとある名手なりという。

▲音楽界の麒麟児石村松翠(当年十歳)▲世界的音楽界泰斗バイオリン名手石村松雨▲東都長唄杵屋久栄、杵屋ふじ枝▲落語桂團橘、同團勇、笑福亭福次、同萬歳、桂燕太郎、笑福亭福可、桂菊團冶

明治42618日 香川新報

玉藻座 十八日(二日目)の出し物は播州名所(團勇)勝地回遊(團橘)大田道灌(歌輔)のし問答(福次)野崎連弾【外は唄さわり】(石村松翠、同松雨)おし講釈(菊團冶)景清由来(燕太郎)水戸雁風呂(梅香)大切勧進帳【外に楽器物真似】(杵屋久栄、同婦し枝、石村松翠、同松雨)

明治42620 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第卅六回落語日曜会を開催する筈なるが会費は二十銭均一にて其番組は地獄旅行(扇笑)千紫万紅(円光)高砂屋(三八)偽天神(枝雁)長刀疵(円生)元勲二人男の下(柳丈)男性の女子(枝太郎)余興曲毬(万治)植木屋幸右衛門(松鶴)相撲談の続き(馬生)

明治42620日 大阪朝日新聞神戸付録

<湊亭席主菊野菊松死亡>

席主の死亡 神戸の落語席第一第二湊亭の主人菊野菊松は、かの曾呂利新左衛門と五十年の知己として親しみ、ことに侠気に富める老爺なりしが、昨晩死亡したりと。

◇広告/拝啓、父菊松儀兼テ病中ノ処、療養不相叶、溘焉死去致シ候間、此段生前辱知ノ諸君ニ御報申上候/追テ葬儀ハ二十日午後二時自宅出棺仕候/市内裁判所前湊亭事菊野庄三郎、親戚一同

明治42620日 神戸又新日報

<菊野菊松と湊亭>

 落語定席第一第二湊亭の持主菊野菊松(五十八)といえば当地寄席の元祖として、相生橋消防組小頭として非常に幅をきかしていた侠客肌の人である。昨年暮れふと風邪にかかったが原因で、病の床に伏す事になった。この春からは東須磨村の別荘で自ら療養中であったが、薬石の効なく脊髄病をもって遂に昨晩不帰の客となった。菊松の侠気は一種違って自信力が強い事で自分が欺うと思い詰めると番頭の井上でも最愛の長女房江(本紙投吟家)の言う事でも中々聞入れない。其自信力の強いだけ大胆な中に正直すぎる所がある。それで又存外涙脆い質で落語家の難渋者があると給金外に無勘定でドンドン前貸しをしてやっては末に大損した上に薄情な事をされて後悔する事があるが、それでも一旦信じたらその男を決して薄情者だなどと口には云わぬ。現に時々湊亭慈善というのを組織して出演者も義務で働くが菊松は一厘も実費を差引かず揚り金一切をもって「又新に貧乏人の話が出たらやって下さい」と持ってくる。故人の笑福亭福松とは兄弟分の盃をした仲だから福松の死後、誰にも相談せず菊松一人の出金で立派な銅像を大阪に建てた。尚侠気の強い点はウンと一つ呑み込むといかなる難事でも実行する。福松の死後を引き受けたので以来今日に至るまで、福松の未亡人に月々補助金を送っている。菊松の奇行は随分多いが見かけに寄らぬ風雅な気がする。何事も文人好みで庭から茶器とで中々凝っている。道楽としては書画が大好きで竹田、竹洞の画や山陽の書など随分珍品を蔵していて、一寸鑑定もする。それが自信力の強いのでこの品と信じると他から偽物と言われようが値が高いと言われようが少しも頓着せずして直ぐに買い込んでしまう。

 菊松は寛永五年大阪の堀江に生まれ家は代々大工の棟梁株であったので、自分も新町九軒の綿亀という棟梁に弟子入りした。明治初年頃神戸が追々開けるのに着目し始めて当地へ来て各所の建築請負業を遣っている中、実兄の清七と言うがその当時へ来て各所の建築請負業本城新助という故本城代議士の先代の世話役をしていたので、自分の兄の補助となって裁判所やら税関等の建築を請負、これが神戸における西洋館の先駈けであったが、その後阪神間に鉄道が敷設さる事となって武庫川、神崎川、重左川の鉄橋工事にも兄弟が手を出したということである。その後、段々開けて楠社も立派に新築されたのである。その後湊川取拡げの為にこの楠社もが一向人が出ないのでその繁栄策として兄の清七が社内に菊の亭という寄席を設けたので、自分は兵庫入江橋詰めに入江亭というを建て又湊橋際に湊亭というを設けたのが当地における色物席の元祖で、後湊亭を社内に移し芸風の改良と芸人の卑劣な點に改善を加え遂に今日に至ったのであるが、明治十年頃楠社内に私立消防組が設けられたのでその部頭となり、昨年迄勤続していたが、病の為にこれも辞退した。楠社内の建物取除き後は湊亭をも今の裁判所前に移し三十年頃三宮境内にも第二湊亭を設けた。関西落語界の為に貢献するところは少なくはないと言ってよい。消防組組頭の大吉とて

 相生町三丁目に山口という下駄屋を営む男の語るところによれば、菊松は大阪に三郷組のあった時代からの消防方で熱心な男である。神戸の消防界には余程功労のある男だ。菊松の得意というは、猛火の中に立って纏を振る事で恐らく関西で菊松ぐらいの纏持ちはあるまいと大層今度の死を惜しんでいた。

明治42621日 大阪朝日新聞

<桂家雁篤引退披露演芸会>

◇浪花三友派の古老株にて人気者の桂屋雁篤は此の度退隠につき、七代目文治が補助となり、本日は南地紅梅亭、明日は北の新地永楽館に於て披露演芸会を催す。出演者は三友派全部、曽呂利以下三十余名に東京連円若外十一名と桂派の重なる芸人も加はる。

明治42624日 大阪朝日新聞

<桂文屋の建碑式>

◇桂文屋建碑式 桂派落語中変物で名をとりし故桂文屋事本名陀羅助の建碑式は、文屋の百箇日なる二十二日午後一時、天王寺紅葉寺に於て同派の文枝主催の下に挙げられたり。碑面には中川芦月氏筆の両口土瓶(文屋好み)の上に『夢さめて酒まださめず春の月』の句を刻めり。同寺客殿床には文屋自筆にて古人の句を手拭にて記せしものを表装して懸け、前には同人製作の種々の楽焼を陳列し、隣室には桂派連中の揮毫室及び抹茶席等ありて、同派の千橘、雀三郎、慶枝、講談師にては山崎錦正、三友派の曽呂利など得意の筆を揮ひ、すべて文屋生存中の談にて持ち切りたり。当日の参拝者は桂派にては文枝、文三、円馬、仁左衛門を初め同派連中全部にて、三友派よりも文治、曽呂利、文団治等の他、桂派各席主及び文左衛門、芦月、達磨会の連中八十余名にて頗る盛会なりき。

明治42627日 香川新報

寿座 多度津町寿座は石村松翠一座の演芸会にて二十六日開場

明治42627 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第卅七回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其番組は三人旅(扇笑)大蛇医者(円光)葵茶屋(三八)野崎詣り(桃太郎)穴蔵盗人(円生)青年時代の伊藤公(柳丈)新派琵琶台湾入(千種、春子)相撲談の続き(馬生)植木屋幸右衛門(松鶴)堀越村(枝太郎)

明治42630 京都日出新聞

笑福亭にては明一日より例の如く落語相撲を催し穴探しにて来客に諸商店寄贈の景品を呈する由なるが尚大切に余興として一座総出の怪談を道具入りにて勤むる由

明治42630日 神戸又新日報

第一第二湊亭 七月興行の新顔ぶれは金原亭馬生、三遊亭圓若、桂春團冶、桂一奴、立花屋圓花、其他なりと

上方落語史料集成 明治42年(1909)四

明治4271日 扶桑新聞(名古屋)

◇富本席 今一日より開演の曾呂利新左衛門一座の顔ぶれ、左の如し。

桂文雀、三河家若太郎、桂小円冶、東家小満之助、笑福亭福篤、桂米朝、笑福亭福吉、桂春團冶、桂楽興、笑福亭三代松、桂春松

明治4271日 大阪朝日新聞

◇浪花三友派各席へ一日より前一座の上に東京鏡味小仙、小金の一座落語にて三枡紋弥、松柳亭鳩枝、琵琶千種、春子、清元小つばめ、小峰、新話柳亭柳丈出演す。

明治4271 京都日出新聞

芦辺館は本日より左の如く出番順変更す

落語(枝女太)同(扇笑)同(円歌)同(三八)同(枝雁)同(桃太郎)同(円光)同手踊(小米)同音曲(円生)曲毬(万治)落語(枝太郎)同音曲(小柳枝)同手踊(扇蝶)東京落語(柳枝)余興釣狐(社中総出)

明治4273日 東京朝日新聞

改名より勉強せよ 大阪に修行中酒の為に堕落にた左近も、漸く善心に立返って目下一心に勉強中だが、左近という名は落語家に不似合だと気を揉親切者があるので、本人も其気になって頬に改名を望にで居るが、仲間中でむらくを襲名させようかとの噂もあり。又一方では以ての外だという反対者もなる成程まだ早い早い。

明治4274 京都新聞

芦辺舘  は本日正午十二時より左の通り日曜会を催ふす由会費二十銭

小倉船(扇笑)歌根問(桃太郎)逆葬礼(柱(ママ)雁)木挽茶屋(円生)可飲不□飲(小 柳枝)智恵競(扇蝶)余興曲毬(万治)大(ママ)神山(枝太郎)猿廻し(特に大阪より出演松喬)夢の瀬川(柳枝)

明治4277日 伊勢新聞(津)

今七日より兼ねてお馴染みの東京落語界の将橘の圓一座を招き歌舞笑話を演ずる由枠代共十五銭

明治42710日 大阪朝日新聞神戸付録

第一湊亭にて十一日正午より落語日曜を開く其の番組は

鷺仙人(我逸)宮戸川(圓松)武装人形(光雀)借家怪談(一奴)水博士(南枝)余興保名(舞小文、地喬之助)捕まき(團輔、一奴、光雀、圓花)お迦噺(福我)錦の袈裟(春團冶)かつぎや(圓若)義士銘々伝(馬生)

明治42711 京都日出新聞

芦辺館は本日正午より第卅九回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其の番組は百人旅(扇笑)遊参船(桃太郎)御手洗(円光)無我無性(三八)誓紙断り(円生)鰻屋幇間(小柳枝)手切れ丁稚(文団治)松阪踊、扇手の曲(扇蝶、小米)水無月(枝太郎)酒癖(柳枝)

明治42711日 新大和(奈良)

中井座の上棟式 瓦堂玉井座の跡に建築中の中井座は雨天のため工事意外に遅れたるも頃日来大仏殿工事請負中の東京竹組及び大阪よりの応援もありて予定より二日遅れて昨日午前十時盛んなる上棟式を執行したり。

明治42712日 伊勢新聞

四日市南町新地座に於いては今十二日午後六時より彼の有名なる曾呂利新左衛門を會長とし玉川家若太郎、東家小満之助、桂春團次、同文雀、笑福亭福吉、桂米子、同小團次、同春松、笑福亭福篤、同三代松、桂米朝の女隊連一座にて歌舞音曲を開演する由なるが前景気湧くが如くなれば愈々開演の上は定めて大入なるべく三日間日延べなしとなり

津泉座 目下開演中なる橘の圓一座の落語は連夜満場立錐の余地なき大好評を博しつつあり就中圓、淀助、寛之助の三名は喝采割るゝが如し

明治42713日 伊勢新聞

泉座 圓頂派橘の圓一座の落語は今十三日打上げ十五日より兼ねて御馴染の別嬪揃岡本美根登の源氏節芝居を演ず

明治42714日 大阪朝日新聞

◇堺卯の日座は浪花三友派の曽呂利、松喬、小満之助、円子、柳寿斎一座が乗込み、十五日より毎日午後六時開演す。

明治42715 京都日出新聞

新京極芦辺舘は本日より花咲(声色専門)米朝(落語)等が新たに加入する由

明治42717日 大阪朝日新聞神戸付録

第一湊亭は十八日正午より第二回演芸共進會を開くその番組は

(落語、芝居噺、御伽噺、舞手踊、手品、清元、流行浮世節、滑稽所作)南枝、小文、於多福、圓松、團輔、喬之助、我逸、光雀、福圓)強欲は無欲(馬生)恋の闇(一奴)二番目(春團冶)音曲噺(圓若)新派講談横川省三(呑玉)浄瑠璃千代萩御殿(千葉、絃廣枝)喜劇忠臣蔵六九段目(母おかや(小四郎)加古川本蔵(祐十郎)娘おかる(半才)早野勘平(歌の子))

明治42718 京都日出新聞

芦辺館にて本日開催する第四十回落語日曜会番組は左の如くなるが何分暑中の事とて同会も本回を以て一時休止し九月五日より従前の如く毎日曜日に開催するに就ては本日は其の記念として来客一般に景品を呈する由猶夜間興行は本月中十銭均一猪買(扇笑)浮世根問(桃太郎)悟り坊主(三八)四季の茶屋(枝雁)泣き塩(円生)虚と実(米朝)竈盗人(枝太郎)余興曲毬似声(万治、花咲)胴乱の幸助(松光)誓紙(文吾)

明治42718日 大阪朝日新聞神戸付録

今十八日第一湊亭に開催の演芸共進會は余興として左の三種を加えりと

○足芸(太夫團輔、上乗春團冶、口上福圓、後見圓若、馬生、南枝、其の他)即席情歌角力(東の方(圓若、南枝、)西の方(喬之助、福我))中入社中隠し芸

明治42721日 伊勢新聞

四日市新地座 今二十一日午後六時より東京大阪の落語歌舞音曲を興行すべく。出演者は圓頂派立花家圓、すゞ見家勘之助の大一座なり。同座は大いに空気の流通を能くし季節柄大いに注意を払いつつあり。

明治42722日 大阪朝日新聞神戸付録

◇湊亭は、本日席主の満中院に相当するより、弔意を表し、十銭均一とし余興に喜劇百世紀をだすと。

明治42724日 東京朝日新聞

変な落語家 坊主ばかりで組織した大阪落語圓馬、圓三郎、圓頂連一座は、来月上旬上京して大いに活動する筈だが、坊主丸儲けと行くか何うだか。

明治42724日 大阪朝日新聞

◇弁天座の次興行は浪花三友派の落語連中が予て計画中なりし新喜劇を迎へる事となり、出演者は曽呂利、文治、文団治、小団治、円子、紋弥、文都、松喬、米朝、一円遊、馬生、梅香等にて、一番曽我の家の向を張る考へなりと。

明治42724日 大阪朝日新聞神戸付録

大黒座は今二十四日より浪花桂派の落語大会にて毎夜六時半より開演、その出演者は枝雀、三木助、仁左衛門、千橘、文枝等なりと

明治4272526日 大阪朝日新聞

◇天神祭の宵宮 (前略)境内西手に設けたる浪花落語三友派の地車の狭くるしき中に詰め込まれた五六人の囃手はチキチンコンコンと滅多無性に景気を付け、周囲に数百個の提灯を飾りて、親分顔の桂文治は浴衣の腕をまくツて采配振り、其の横手なる地車部屋には絽の紋付着たる文団治がサモえら相に差控へたり。(725

◇天神祭 (前略)三友派の地車は飽く迄囃し立て踊り狂ふ。水色紋付に梯色手拭チヨイ載せの前挺姿いさましく音頭を取つてるは桂文治師匠である。(7・26)

明治42727822日 大阪朝日新聞

<弁天座の三友派落語家芝居>

〈編者註〉七月三十一日午前四時四十分、大阪市北区で俗に「キタの大火」と呼ばれる大火災が発生する。これにより八月一日初日の予定を延期し、八月五日初日とした。そして五、六日の純益金を罹災者支援のために市役所に寄付している。

◇弁天座にて八月一日開場の浪華三友派落語家の喜劇は古人の名作のみを脚色し、一番目の「百人坊主」は一村の伊勢参宮より帰村後一同夫妻とも坊主になる迄を五場に仕込む。次の「卯の日詣」は昔の旅籠の有様を五場に写す。中の「土橋万歳」は放蕩息子の廓通ひより夢の土橋の殺し迄を三場。切は「大功記」十段目。大切は「戻り橋」引抜き「勢獅子」の所作事を紋弥と円子が勤める。(727

◇弁天座の三友派落語の喜劇は昨夜看板を上げ、八月一日開場に決す。狂言は予報の如く第一「百人坊主」五場、第二「土橋万歳」二場、第三「卯の日詣」二場、中幕「太功記」十段目、切「戻り橋」引抜き「狂ひ獅子」にて、役割左の如し。

 手代文七・堂島金兵衛・番頭清七・母さつき(文団治)、いさとや新五郎・武智十次郎(新左衛門)、女房おつる・田舎侍・娘初菊(松鶴)、若者頭豆蔵・酔どれ・丁稚長太・福島市松(歌之助)、鱶の源太・おかや・仁三・幇間市八・鳶の仙太・加藤正清(松喬)、紙屑屋扇蔵・髪結磯七・紳士山川瓦・真柴久吉(扇蝶)、若者亀吉・かごや留・従者右源太・軍卒早太(花咲)、女房おあさ・下女お常・伊勢屋作次郎・会社員天野薫・片桐旦元(米朝)、若者三太・最上屋清次郎・従者左源太・講中甚作(春団治)、若者柴吉・後藤基次(文都)、船頭梶六・餅屋治兵衛・武智光秀(文治)、若い者弥吉・扇折小百合実は悪鬼・てこ舞獅子(紋弥)、番頭金兵衛・仲居おきん・鞠の曲芸師(小金)、娘小冬・丁稚三太・舞子小照・鞠曲芸師(小仙)、庄屋六兵衛・堂島銀兵衛・妻みさを・渡辺綱・てこ舞獅子(円子)。(730

◇弁天座の三友派落語喜劇の切狂言二幕は既記の如く真物の劇を演ずる由にて、其内曽呂利の出し物太功記十段目の武智十次郎は片岡長太夫其の他二三の俳優に就て其の振りを習ひ、自宅に帰つて二階で一人身振りしてゐるを伜の我太郎が見て、お父さんは私の半分も出来ぬ大大根やと笑ふ声に、女房も思はず吹き出し、大抵にして置きなはれと諌めるのも喜劇なり。(731

◇弁天座の浪花三友派落語家の喜劇は、五六の両日間の収入を大火罹災者救恤費に寄付せんと触れたる為両日は殊に好人気にて、其の純益金二百五十円を七日市役所に納めたり。又其の以後も引続き好人気にて暑中興行とは思はれぬほどなりと。(89

◇弁天座は連夜引継き好人気にて一座の落語家は諸方より花籠、花環等を贈らるゝより、一同俳優になりすまし楽屋にて気取つてゐる処までも自然の喜劇なりと。又同興行は十四日限りの筈を大入に付き日延をなし、太功記と戻橋を其の侭すゑ置き、前の喜劇丈を「ふたなり」と「裏の裏」とに差かへる。(814

◇弁天座の三友派落語喜劇は「ふたなり」が好評にて毎夜大入なれど、跡興行の都合により二十二日閉場するに決し、贔屓連は名残を惜しみて毎夜二三組も押しかける。(820

◇弁天座の三友派落語劇は二十二日より二十四日まで日延を為し、出し物も取替へて各自得意の物を演じ、大切には富士田杵屋の長唄「勧進帳」と一座総出の「かつぽれ」を演ず。(822

明治42731 京都日出新聞

新京極笑福亭へは明一日より初御目見得の柳亭燕枝と五歳の音曲家柳亭小つばめと三味線弾の三州家小峯と柳亭錦枝同梅枝が東京より下り来り燕枝は大道具入り四谷怪談を演ずる筈なるが之れと同時に大阪より久々にて桂文吾が帰京して出演する由尚此の一座は大宮末広座と昼夜掛け持ちなりと云ふ。

明治4281日 都新聞

大阪落語上京 圓頂派頭取橘の圓一行十三名は、今回久々にて上京一座残らず坊主揃いにて、今夜より芝の玉の井に初看板を揚げ、大切には一座特枝の「雪中の松」という滑稽所作事を演ず。

明治4281日 都新聞

広告/一日より歌舞笑話大阪祀式圓頂派一座初御目見え/一座の者橘圓、圓十郎、圓三、圓助、圓太夫、小圓、淀助外数名出演/芝兼房町玉の井亭

明治4281日 北国新聞

一九席 愈々本日より一週間東京落語橘家圓太郎一座にて開演。今晩の番組は左の如し。

落語勝地案内(里若)落語盗人の失敗、曲芸数々(橘太郎)落語無学者不負、手踊(圓次)落語衛生料理(蔵之助)落語改良善哉、余興舞梅の春(福太郎)音曲話手踊(小圓太)音曲声色浪花節(秀甫)落語染色息子(文之助)各国音曲、舞踏(ジョンベール)落語親子の泥棒、音曲数番(圓太郎)

明治4281日 大阪朝日新聞神戸付録

大黒座の落語大会は三十一日にて閉会の筈なりしも好人気なるより更に一日より掛合又は総出の余興を加え十日間日延べすと

明治4285日 鷺城新聞

旭館の落語 船場旭館は久しく休業中なりしが、四日より浪花三友派音曲はなし大一座をもって興行する事となれり。一座の顔ぶれ及び初日の読物は左の如し

御祝儀宝の入船(我逸)鷺とり(お多福)祝いのし(圓松)吹替息子(光雀)しらみ茶屋(團輔)唐井戸(南枝)芝居噺舞(小文)辻占音曲(福我)伊藤公の半面(大隈柳丈、同千種)夢の浮世(文都)大切掛合はなし(総出)

明治4285日 徳島毎日新聞(徳島)

稲荷座 一昨夜より開演せる同座三友派落語は何れも愛嬌者揃いにして中にも女道楽の新内都々逸は非常に来客を喜ばし居れりと。

明治4288 台湾日日新報

万朝の翁家 台北の愛嬌ものとして永らく張扇子を持ち綱上ステヽコ等に名を馳せたる三遊亭万朝は今度幇間を廃めて新規横街市場の横手に翁亭といふ料理屋を開き帳場電灯をペコつかせ時々は前垂を島田髷に結ひ仲居の代りも勤める由

明治42810日 鷺城新聞

旭館の落語 船場旭館において興行中なる桂文都は桂文冶の高足にして、落語とは伝へ人情物に冷名あり。大隈柳丈は講談「井上薫と伊藤博文」を語り、大隈千種は筑前琵琶に大喝采を博し、近来になき大入を占めたり。

明治42811日 東京朝日新聞

和尚と将校 今度上京した圓頂派の圓坊主が来る一寸前に、須磨寺へ参詣すると、弟子がお師匠さんと呼んだを茶見世の婆が和尚さんと間違え、「京都のお上人様ありがたいありがたい」と手を合わすに、今更落語家だともいえず処ころなく、真面目な顔をして南無阿弥陀仏を唱えながら這々の体で逃げ出し、又姫路の偕行社祝賀会の余興に羽織袴ででかけると、婦人が愨懃な挨拶をするに此方はまた平蜘蛛のようになると、落語家と知らぬ夫人連は肝を潰して、本当に腰のひくい将校さんだと大いに買冠られたが、余興場に飛んだり跳ねたりして直に打ち壊し。

明治42811日 神戸又新日報

湊亭連中 第一第二湊亭落語連は十日姫路旭座を大入人気の中に打上げ十一日より揖保郡龍野揖玉座に初日を出したると

明治42812日 徳島毎日新聞

緑館 本夜より三遊派落語、音頭、鶴賀玉千代合併にて開演。入場料は一人前五銭均一。

明治42814日 神戸又新日報

立花家左近 とだけでは判らぬが当地で古顔と言われ故人笑福亭勝鶴坊の倅で第一第二湊亭で橘松の名で出ていた男である。当時三遊派若手のうちで一番有望なもの根が女音曲橘之助の門弟で三遊派の三小僧といわれて指を折られていのだ。大阪にいる頃も桂小文都とまでなつたが恰も日露戦争となつたので歩兵に従軍し凱旋後勲八等に叙せられ再び橘之助の所に戻って来た。橘松で小僧らしい名だからとて左近となつたのである。芸も天才、酒も天才、賭博も天災だ。ある人右近の橘左近の桜というのだから左近というのは理屈に合わないじゃないかと詰問した。すると左近済ましたもので「そりゃ、そうですけれど私は左(酒飲みの事)ですから名詮自称左近としたのです」と答えたそうだ。何処までも落語家式のところが嬉しい。女と酒を慎まないと折角の腕前もメチャメチャになつて仕舞うと当地贔屓連は言つている。

明治42815日 大阪朝日新聞

◇順慶町赤沢亭は十五日より落語講演の合併角力一名言葉の穴探しに、余興として娘義太夫と電気仕掛曲芸を演ず。

明治42819日 都新聞

圓左の遺族 女房の実弟なる三遊亭圓(前名圓三郎)が久々にて帰京し、牛込弁天町へ本宅を構え、圓左の遺族を引き取り世話すると。

明治42819 京都日出新聞

来る二十二日午後一時より槙岡芦舟、山本暁空、堂本寒星、小柳古柳、小田春宵の諸氏発起となり先斗町女紅場に於て湖北震災義捐の大演芸会を開催する筈なるが入場資格者は一円若くは五十銭、三十銭の寄付者に限り余興には曽我廼家の喜劇、柳亭燕枝の落語、第二福真亭の女義太夫、錦座連の女義太夫、朝日座連の喜劇、広沢当昇の浪花節、古柳、延高の清元、芦舟、暁空の席上揮毫等ある由

明治42820日 北国新聞

◇一九席 三友派東京落語一座大阪席の都合にて本日より開演する事となれるが、向こう一週間限り日延べなしにて別項切抜券持参せば初日限り半額の由なり。番組左の如し

伊勢参宮(三木輔)東二人旅(團昇)滑稽噺手踊(米若)落語吹寄せ浄瑠璃(新作)清元浮世ぶし(若橘)昔噺盆廻(圓坊)落語(梅香)音曲噺(圓若)

明治4282097日 鷺城新聞

旭館の音曲はなし 船場旭館は、大阪互楽派音曲はなし林家正楽一座を迎へ、二十日より興行すべし。

820日)宝の入船(正吉)伊勢参宮(松三郎)小倉船(小兵衛)桜ノ宮(正好)鉄砲勇助(松蝶)東京芝居噺(米枝)茶屋噺(夢の助)開化の魁(華嬢)吹寄講釈(正隆)滑稽はなし手踊(圓福)万葉集歌根問(正楽)

823日)東の旅(松三郎)乗合船(正吉)軸ほめ(正好)金明竹(小兵衛)稽古屋(松蝶)掛取萬歳(米枝)官営芸妓(正隆)素人俥(夢の助)伊藤公学生時代(華嬢)一つ穴(圓福)牛の丸薬(正楽)

824日)西の旅(松三郎)犬の目(正吉)四の字嫌い(正好)無筆の手紙(小兵衛)胴とり(松蝶)鍋鎖(米枝)子誉め(正隆)武勇傳(夢の助)孝子傳(華嬢)貞女鑑(圓福)借家怪談(正楽)

825日)播州巡り(正吉)東土産(小兵衛)小倉船(松三郎)祝いのし(正好)寄合酒(松蝶)芝居風呂(米枝)船弁慶(正隆)西行東下り(夢の助)世界の人情(華嬢)五人廻し(圓福)天王寺参り(正楽)

826日)東の旅(正吉)尻ねじり(小兵衛)小倉船(松三郎)無実(正好)首吊り(松蝶)旭日(米枝)辻占(正隆)成田小僧(夢の助)少年詩人(華嬢)佃祭(圓福)景清(正楽)

827日)蔵丁稚(正吉)ポッペンポッペン(小兵衛)島巡り(松三郎)十徳(正好)寄合酒(松蝶)今戸焼(米枝)之は之は(正隆)あんなもん(夢の助)貞節(華嬢)薬鑵(圓福)ハテナの茶碗(正楽)研究会(総出)

828日)牛誉め(正吉)鷺とり(松三郎)天災(正好)我を忘れる(小兵衛)物真似(米枝)代参(松蝶)後家殺し(正隆)故郷に錦(夢の助)孝子の鑑(華嬢)巌流島(圓福)源兵衛玉(正楽)研究会(総出)

829日)牛誉め(正吉)旅(松三郎)のめる(正好)茶碗の喧嘩(小兵衛)芝居見物(米枝)いかり船(松蝶)牛踊り(正隆)おせつ(夢の助)濱野のりなき(華嬢)つるつる(圓福)片袖(正楽)

830日)西の旅(正吉)百年目(松三郎)牛誉め(正好)口合小町(小兵衛)ヨイヨイ蕎麦(米枝)豊竹屋(松蝶)後家殺し(正隆)出来心(夢の助)嫁の改心(華嬢)芝濱(圓福)いかけ屋(正楽)

831日)古寺(正吉)須磨名所(松三郎)下目上り(正好)口合小町(小兵衛)枕屋(米枝)狐俥(松蝶)大和炬燵(正隆)野ざらし(夢の助)津田三蔵(華嬢)木葉狐(圓福)せんち壺(正楽)

91日)歌合せ(正吉)小倉船(松三郎)高野違い(正好)幸兵衛(小兵衛)八笑人(松蝶)付き馬(正隆)二番目(米枝)宮戸川(夢の助)芸妓小房(華嬢)瀬川(圓福)崇徳院(正楽)

92日)旅(正吉)ヤレヤレ(松三郎)一つ目(正好)玉のり(小兵衛)代脈(松蝶)寄合酒(正隆)きよく(米枝)湯屋番(夢の助)二人孝子(華嬢)ちぢみ上がり(円福)しろう吉(正楽)

93日)旅(正吉)犬の目(松三郎)手踊(正好)米屋(小兵衛)稽古屋(松蝶)吉中(米枝)蛙の目(正隆)仏壇屋(夢の助)男一正(華嬢)文違い(圓福)源兵衛玉(正楽)

95日)地獄八景(正吉)女島巡り(松三郎)百人坊主(正勝)三人無筆(小兵衛)口合小町(正好)三十石(松蝶)今戸の狐(米枝)蛙の芝居(夢の助)男子心(華嬢)子別れ(圓福)後家殺し(正楽)大切にわか

96日)天王寺参り(正吉)金毘羅船(正勝)伊勢参り(松三郎)東京噺(小兵衛)成田小僧(正好)かみくず屋(正隆)三十石(松蝶)物真似(米枝)お花半七(夢の助)三人娘(華嬢)吉原五人廻し(圓福)牛の丸薬(正楽)大切手踊(総出)

97日)七福神(正吉)兵庫船(正勝)三人旅(松三郎)土旅の商法(小兵衛)夢金(正好)三枚起請(正隆)天神祭(松蝶)本能寺(米枝)向島の敵討(夢の助)村松嘉蔵の傳(華嬢)野ざらし(圓福)ざこ八(正楽)大切手踊(総出)

明治42821 京都日出新聞

南座は二十三日より桂派落語大合同にて毎日午後六時より開演する由其の顔ぶれは文福、文蔵、枝輔、三木助、仁笑、右衛門、雀之助、門三郎、仁鶴、文作、千橘、あやめ、仁助、仁三郎、仁左衛門、枝雀、文枝

明治42822 京都日出新聞

本日の義捐大演芸会 既報の如く本日正午十二時より先斗町女紅場に於て湖北震災義捐の大演芸会を開催する筈なるが来会随意にて本極り番組は左の如し但し寄付金申込所は女紅場付近、御旅町大久保煙草店、花見小路祇園湯等なりといふ席上揮毫(槙岡芦舟、山本暁空)演説(静間小次郎)女義太夫十種香(団菊)同堀川(団路)同壷坂(万玉)同御殿(東猿)浪花節赤垣(巴右衛門)同題未定(当昇)落語夢(円馬)同心眼(燕枝)同題未定(枝太郎、文吾)喜劇(朝日座楽天会一座、歌舞伎座曽我廼家一座)震災活動写真(吉沢商会)

明治42823 京都日出新聞

南座の桂派落語は愈々明日開場一等四十五銭、二等卅銭、三等廿銭、四等十銭

明治42824 京都日出新聞

国華座も本日より南座の桂派の掛持にて入場料は一等三十銭、二等二十銭、三等十銭

明治42826 京都日出新聞

南座の桂文枝一座の落語は既記の如く一昨日初日を出せしが久しぶりの出演とて好人気なりき駆持出演の国華座も又同じかりし由

明治42828日 神戸又新日報

第一第二湊亭 巡業中なりし連中帰神し明二十九日より開場新顔は桂文都、大隈柳丈、曲芸槌家萬冶、桂文雀、立花家喬之助、新派筑前琵琶大隈千種にて、此千種は吉田の末流を汲み創立者吉田竹子女史は筑前博多の人、八雲琴の名手として声名もあり筑前琵琶、橘流を学ぶに及び多年攻究したる音楽の才能は吉田の一流を編み出し高弟等一般に普及の目的にて東京の各寄席に出演し京都、大阪、三友派の各席に出演高評を博したる由なり。

明治42828 京都日出新聞

笑福亭にては本日より三日間目下興行の桂派一座と北陸地方巡業の従来の一座と合併の上湖北震災義捐演芸大会を挙行する由

明治42829 京都日出新聞

南座の今晩は枝雀の口入屋、仁左衛門の吉野花山、文枝のぬけ雀等得意物ある由

明治42830日 大阪朝日新聞

<曽呂利と我太郎①>

◇搗栗の粥 落語三友派の旗頭曽呂利新左衛門は、このごろ世間で云ひ騒ぐ灰降り一件を殊の外苦々しくも又をかしくも思ひ、何でも九月一日から開場の寄席で一つこの阿呆らしき灰降り話しに巧い落ちをこしらへて扇パチ〳〵、例のねつちやりとした調子で聴客の顎を解かせやうと内々その材料集めに熱中しゐたり。こゝにまた曽呂利の女房は亭主とは打つて変つた迷信家、灰降りの噂高まつてからは朝夕神棚に灯明は欠かさず、天満の天神さんへ日参して只管に無事安穏を祈りぬ。いよ〳〵世界滅亡といふ二十八日、難波の市場へ例の搗栗を買ひにやつたが売切れとの事に、わざ〳〵堺まで使ひをやつて買うて来た一握り、翌朝そツと粥の中に入れて炊きたるに、それとは知らぬ曽呂利、なか〳〵うまい、粥も斯う炊くと一寸喰はれるわいと舌皷を打つ。この搗栗のこと知れぬうちに早う喰べて了うて呉れはるやうに、と女房ハラ〳〵として給仕する折から、伜の我太郎「お父さんこんなものが出た」と取り出したのは紛れもない搗栗なり。「こいつわ〳〵、乃公(おれ)があれ程信じるなと云ふのを忘れたか、もう承知ならぬ、阿呆なことして呉れた」と持つたる箸にて茶碗打(たた)いて剥き栄のせぬ目を剥きてガミついたが、父の心汲まぬ我太郎、チャツと搗栗を一箇頬張つて、「お父さん、私は俳優やから大根や棒鱈を喰べるより搗栗の方がよい」とませくさつた物云ひに曽呂利感心して思はずニヤと笑ひ、「ウム乃公より落語が上手や、落を付けくさつたわい」。

〈編者註〉八月二十八日に夥しい灰が降り、人類が滅亡するとの流言があり、容疑者数名が拘引された。

明治42831日 大阪朝日新聞

◇三友派各席は九月一日より従前の一座へ東京下り燕枝、梅枝、錦枝、紋弥、円坊が加入す。又空堀の常磐舘と順慶町の赤沢席は九月一日より三友派に加入して落語の定席となる。

明治42831 京都日出新聞

新京極笑福亭は明一日より出番順を左の如く替る里若、三蝶、橘太郎、円次、芝楽、白魚、福太郎、円太郎、蔵之助、千橘、文之助、ニヨンベール

明治42831日 新大和

<奈良尾花座>

尾花座の竣工期 改築中の劇場尾花座は工事着々進捗し今は内部の装飾工事を残すに過ぎるも座主は奈良市一流の劇場として恥ざるものにせん志望にて特に装飾に留意する処あり之れが為め本月中に成工すべき予定なりしを以て遅くとも九月下旬迄には全部の竣工を告げ十月一日に初舞台の開演を為すべく昨今舞台道具類の調整を急ぎ居れり

<編者註>十月二十四日付の大阪毎日によると、十月二十三日に奈良ホテルで開場式を行い、翌二十四日より開場。斎入、右團次、芝雀等一座にて三日間興行された。

上方落語史料集成 明治42年(1909)五

明治4291 大阪毎日新聞

◇桂派落語各席へ本日より東京曲芸柳高政次郎、京都より三遊亭小円太が加わり、桂慶枝は當秋より三遊亭小円馬と改名して出演。

<編者註>三遊亭小円馬:後の八代目桂文治。本名山路梅吉。

明治4291 京都日出新聞

京極芦辺館は本日より左の如く出演順変更枝女太、扇笑、円歌、円光、三八、枝雁、桃太郎、円笑、梅香、小円二、筑前琵琶春子、枝太郎、松光、花咲、文吾 尚大切には余興傀儡子を見せる由

明治4291日 大阪毎日新聞付録堺周報(大阪堺)

天神席落語今一日よりの出番左の如し

扇之助、仁三郎、門三郎、昇六、雀之助、吉左衛門、三五郎、掛合噺(枝楽、文子)、小圓馬、雀三郎、仁左衛門

明治4295 京都日出新聞

八月中は休会為し居りし芦辺館の落語日曜会は本日より()た開催する事となり本日の日曜には正午十二時より例の如く二十銭均一にて入場せしむる由なるが其の番組は宿屋仇討(扇枝)人丸(桃太郎)饅頭配り(枝雁)黄金の大黒(円笑)貝の故実(枝太郎)芝浜(燕枝)余興筑前琵琶川中島(春子)唐茶屋(松光)鳥退治(文吾)

明治4296日 大阪朝日新聞

<ジヨンベール、横領罪で逮捕される>

◇芸人の横領罪 ジヨンベールの末路 

米国帰化人と銘打つて京阪神は素より各地方の寄席や劇場にて片言交りの草笛や追分節、さては変手鈷な身振を演じて一時可なりの人気を得たる落語家ジヨンベール事本名博多生(うまれ)の森栄(三十五年)は、昨今新京極の笑福亭に出勤中なるも人気更に振はず、坐ろに暮秋の嘆を発しつゝありしが、此の程摂津尼崎町大州晴七の五男成間幾之助(二十二年)が笑福亭主橘家円太郎に縋つて入門し、ジヨンベールとも懇意になりし処、ジヨンは幾之助の縮緬に墨絵の鯉を描きたる浴衣及びパナマ帽、絹張洋傘等時価五十円の品を借受けて身につけ、去る三日午前一旦外出の後帰り来り、更に己の古洋服を着け、借りたる品は風呂敷に包み小脇に抱へて外出したるが、其の足にて予て屡登楼する七条新地貸座敷広田楼に登り、敵娼よし野(二十一年)を招き、日頃にも似ぬ豪遊をなし、午後七時頃突然同家を立出んとするを、仲居おきくが引止め、遊興費を請求せしに、ジヨンは懐中に在合せの金悉皆投げ出したるも猶四円六十九銭五厘の勘定不足を生じ、ジヨンは余儀なく前記携帯の物品を担保として預け置き、同楼を立去りて笑福亭には帰らず、同夜上京三条大宮西へ入る寄席松の家に泊めてもらひたり。幾之助はジヨンが帰らざるに心配し、市内の各寄席を問合はして松の家に潜伏するを知り、物品取戻しの談判を為すも応ぜざるより、遂に横領罪として上長者町署に告訴し、ジヨンは四日午前松の家より同行され、目下佐藤警部の取調を受けつゝあり。

明治42910日 鷺城新聞(兵庫姫路)

楽天の人情はなし 竪町楽天席は滑稽ばなし林家正蔵一座を迎へ十日より興行すべきが、中に怪談引抜き早替り等ある由

明治42911日 大阪朝日新聞神戸付録

第一湊亭は十二日正午より第三十回落語日曜開催其の番組は

瘤弁慶(我逸)鷹奴(圓松)海底旅行(南枝)眉間尺(福我)余興曲芸火焔(萬冶)滑稽合惚総踊(福圓、小文、團輔、光雀)新派筑前琵琶主馬の盛久(千種)手切丁稚(文雀)黒田伯(柳丈)堀越村(文都)

明治42912 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第四十二回落語日曜会を開催する筈なるが会費は廿銭均一にて其の番組は

秋の野辺(円歌)一枚起請(円光)山と川(三八)帯の祝ひ(松光)崇禅寺馬場(枝太郎)風雲録(馬生)余興千両幟稲川内(小円二、花咲)神と仏(梅香)皆とで船(文吾)

明治42913 東京朝日新聞

圓坊主の大弱り 例の圓頂派も坊主丸儲けの目算が外れ、一席八日位しか打通せぬので、流石の圓も呆れて東京の客は耳が無いのかと愚痴を溢しているが、差詰弱るのは一座の淀助問題で、神戸に残した女房まで引受け、都合四十円の給金が前の事情で払えず、淀助は休席すると駄々をきねる。之を聞いた圓十郎外二名もサア同盟罷業でなどと大きな声を出すので、圓は愈々以って恐縮している。

明治42915 京都日出新聞

○京の秋(七) ▲新京極の興行(2) 新京極の寄席で対抗して競争の有様にあるのが三つある、落語席の芦辺館と笑福亭、浄瑠璃の第二福真亭と錦座、浮れ節の第一福真亭と当昇亭である、何れも特別の事故ない以上は三百六十五日鎬を削つてゐる、先月迄は東京落語界の勇将燕枝円馬などが軽快淡々たる話振りに落語好きの溜飲を下げてゐたがこれ等が帰つた後は秋風落莫洵(まこと)に淋しいことである、笑福亭は相変らず円太郎文之助を大将として小円太福太郎千橘白魚などが替り合ひまして御機嫌を伺つてゐる、入つてみるとそれでも相当の御来客で満更の不漁ではない、福太郎は落語はこゝ五六年前と余り変らぬ、好くて変らぬならまだしもだが怎(ど)うも旨くない、年の所為(せい)でもあらうが穉気が脱せぬ、そのかはり舞を舞はすと落語家とは思へぬ程に品の好い舞を見せる、高座の芸でなくお座敷芸だ、器用な質(たち)とて三味も却(なか)々鮮かだが何故か此頃は少しもお聞に達せぬ、白魚も落語は下手の方だが曲芸が旨い、千橘の音曲も賑かだ、小円太は例の円太郎式の喇叭を鳴らして出るが大分先代の円太郎とは吹方が変つて居る、気障にみへるのが人気に関して不可(いけ)ぬ文之助和尚は舌が長いのか短かいのか少し明瞭(はっきり)せぬ所がある、それに稍引吃の気があるらしく語尾語頭が縺れる、それでも遉(さす)がに老体な功は面白く話しを聞かす、笑福亭での落語はまづこの人だらう、御大将円太郎に至つては二十貫に垂(なんなん)とする大兵の男ペラ〳〵饒舌り出したる止り度(ど)のないといふ立板に水式の立花家一派の要領を得ぬ話し振り、唄は達者だが一ト頃より大分艶が落ちた、此の人がまさ小円太の時分は舞台大事に勤めたので京都に於ける人気は素晴しいもので殊に書生間に持囃されたことは恰も東京の書生連の義太夫席通ひのそれの如くであつてこの時代が此人の全盛期であつた、今は高座を捨てゝかゝる如(よう)にみへるのは、心得事だと思ふ、芦辺館は構造装飾全く大阪式で枝太郎文吾花咲松光小円次等の外に筑前琵琶源春子といふ女が雁首を列べる、枝太郎文吾は十年前も変らない只日を追ふて練れてゆくのは争はれぬもので別に味といつてはないが雲梯気(あぶなげ)がない、花咲は仮声で売り松光も一寸面白い話をするが時々卑しくなるのが瑾だ今だに米山節を唸るか知らん、行つた晩は聞かなかつた、小円次といふのが大阪から来て居る落語は下手だが何処やらに愛嬌があつて可愛がられる、春子の筑前琵琶も余り感心したものではない、京阪の高座でお茶を濁すといふに過ぎぬ、人気は笑福亭より此席(ここ)にあるらしい、要するに京阪の落語は東京に比して暑い、名人故円朝の牡丹灯籠を聞いたことがあつたが夏さへ猶冷気の身辺を襲ふを憶(おぼ)えたのは今だに忘れられぬ、斯麼(こんな)のは名人であるから爾(そ)う有るものでないが語調(てうし)に依るのか兎に角東京のは涼しくて京阪のは暑い、暑い〳〵と聞いてゐて太平楽を言ふものゝ高座に登つた鹿君諸子は随分暑いことだらうとお察し申す、とはいへ何時(いつも)ろくろくたる鹿君は発奮せぬと不可(いけ)

ぬ芸界改良の声は高いのであるから‥‥。

明治42916日 都新聞

圓頂派の分裂 大阪圓頂派は此程来内部に紛優(ごたごた)を生じて、幹部動揺の兆ありしが、果たして今回一座の腕利きたる淀助、圓輔の外数名は突然分離するに至り、圓輔は淀平と改名して何れも柳派に身を投じたりと。

明治42916日 都新聞

広告/神田神保町川竹亭/淀助淀平の滑稽掛合、左楽、小さん、筑前琵琶観月女史・・・

広告/下谷竹町久本亭/淀助淀平の滑稽掛合、左楽、助六、歌六、金之助、しん橋・・・

明治42917日 大阪毎日新聞付録堺周報

天神席落語十五日よりの出番左の如し

文作、文蔵、右衛門、左圓太、小文吾、扇枝、雀之助、小圓左、小文三、清国人及宝山、三木助

明治42918日 大阪朝日新聞神戸付録

十九日三宮第二湊亭に於て第三十一回落語日曜を開催番組左の如し

高宮川(お多福)□□鳥(光雀)背八丈(圓松)景清(團輔)書割盗人(文雀)徳川家康(福我)・・・(不明)・・・・恋の辻占(文都)夢見の八兵衛(福圓)新□□娘(柳丈)

明治42919 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第四十三回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其の番組は旅の鬱散(扇笑)遊山船(桃太郎)親子茶屋(小円二)住吉駕(梅香)逆葬礼(枝太郎)茶碗屋の喧嘩(曽呂利)余興、筑前琵琶常盤の前(春子)三人兄弟(松鶴)鹿鍋(文吾)

明治42923日 大阪毎日新聞

◇北新地裏町の永楽館は大火災の後は平野町第一此花館へ合併して営業中なりしが、愈々今回舊地(北新地)へ新築する事となり、不日工事に着手する由。

◇笑福亭松鶴は年々二季の彼岸中は、得意中の得意とも云うべき、「天王寺詣」の落語を売りものにして、聴衆を喜ばせ居るが、一昨夜の如きは掛持にて出勤する三席とも、至る所で「天王寺詣」を演居(やりお)りしと。

明治42924日 大阪朝日新聞

◇文枝の繪 桂文枝は近頃写生画を習ひ初めて毎日稽古をして居るが、まだ蟹一匹も碌ざま書けぬので天満天神へ願掛けをして居るさうだ。落語家の繪などは下手な方がよいのだから精々上手になるべからずさ。

明治42924日 神戸又新日報

残月来らん 新派講談にて有名なる桂家残月は来月一日より第一第二湊亭へヤツケ楼双枝事江沢猛、東京振付名人花柳勝三郎の門下花柳勝子、新柳小歌の美人と本年七歳の新柳歌奴の一座を引連れ出席すべしと。

明治42926 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第四十四回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其の番組は 茗荷宿(三八)風神(枝雁)鳥屋引導(梅香)千両蜜柑(円笑)汁屋芝居(松光)胴取(枝太郎)軽口余興悔み(小円二、花咲)彼岸詣(松鶴)市助酒(文吾)

明治42927日 大阪朝日新聞

◇燕枝の怪談 東京から燕枝が来て三友派の各席へ出て居る。然し彼れの円熟した人情噺を面白く聞く耳が大阪には極払底な、けれど一部には大持(おおもて)で、中には半月買ひ入りの定連もあるさうだ。怪談はちと恐れ入る。

明治42927日 神戸新聞

柳座の追善演芸會 今明の二日本倹の老妓亡およしの為に追善演芸會を催すと云う前座として湊亭の連中が出演。

明治42929日 都新聞

三遊亭圓馬 故圓朝の四天王と呼ばれたる同人は、永らく大阪に引き篭もり居たるが、今回十余年振りにて上京の話まとまり、門下の圓五郎、圓盆、圓二郎等を従えて来月一日より、先に出京せる舎弟橘の一座の上置きとなり、各席出勤。

明治42930日 大阪朝日新聞

◇曽呂利の貴名帳 曽呂利新左衛門は何処から宿帳かの古いのを貰つて来て、知つた人に逢ふごとにそれへ住所姓名を記入させる。何にするのかと問へば「死んだ時これで香奠を集めます」。

明治42930日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭第一第二の顔ぶれは残月、歌之助、小圓冶及び新柳連の女道楽

明治42930 京都日出新聞

笑福亭は一日より左の如く順序変り松三郎、里若、三蝶、橘太郎、円次、芝楽、白魚、福太郎、文之助、小円太、(ママ)楽、文子、蔵之助、ジヨンベール、円太郎

明治42101 京都日出新聞

大虎座 本日より既記芸替りなるが幕間余興として長唄(東家小満之助)曲引(春風柳寿斎)笛太鼓(三遊亭円子、同小円子)出演する事となれり

◇芦辺館本日より連夜出演順は枝女太、扇笑、円光、枝雁、桃太郎、三八、円笑、梅香、花咲、枝太郎、小満之助、文吾等にて最後には新加入者の落語長唄、鳴物三味線曲引、手踊り(円子、柳寿斎、小円子、小満之助)あるよし。

明治42101日 都新聞

広告/大阪落語圓頂派一座/スケ大阪登り三遊亭圓馬/芝兼房町玉の井

明治42101日 大阪朝日新聞

◇文治の抹茶 桂文治すつかり堅屋になつて近来は抹茶をひねる。弟子でも来るとまづ一服と侑めるのは好いが、文治一派の我流であるから薄い時もあれば濃い時もある。濃いのを服まされた者はお蔭で寝つかれぬ事夥しいので、「師匠是れから分量を極めちや何うですな」。

◇一日より和洋音楽合奏(石村松雨、同松翠、杵屋連中)、筑前琵琶(源春子、大隈千種)、東京落語(司馬竜生、大隈柳丈)を加ふ。

明治42102日 大阪朝日新聞

◇円馬の上京 久しく桂派の牛耳を取つて居た三遊亭円馬は今度久々で上京する事になつたから、大事の小禽(ことり)は女房に預け、繍眼児(めじろ)や鴬に別れを惜しみつゝ出発した様子は彼れの話す塩原多助の馬の別れそつくりであつたさうな。

明治42102 大阪日新聞

◇落語家桂文吾は仁王顔をして愛嬌を売り目下京都芦辺館に興行中、例の木彫家田中主水子の長男富貴太というが此程仁王一体を刻み、出来上って見ると、此仁王は桂文吾に生写し、仁王が文吾か、文吾が仁王か、疑うまでの似かたなるに、通人の主水子は之を文吾の許(もと)に贈りたれば、文吾は大喜び、折角のたま物なれば、之を種に仁王話というを新作し、近日帰阪し、高座に仁王面をつん出し、右の仁王様と睨め競べも仕る由。

◇同じく高座でをどりを見せる桂扇蝶(四十五)は、先夜南地法善寺紅梅亭に出演し、喋っている内、女房お玉が楽屋に来合せ、他の連中と話し居る折柄、宗右衛門町かなめより芸妓の手紙を扇蝶宛に持たせ越せしかば、連中は興がっていたお玉を焚きつける、お玉もたまらず角を生(は)やして嫉妬の鬼となる、その手紙を開いて見る、扇蝶高座より引下がって此体たらくに憤慨し、玉と蝶とが優しい名で醜い喧嘩を演ぜしを連中仲裁して事すみ、落語も此の節は高座よりは楽屋の方が面白そうなり。

明治42102日 鷺城新聞

若遊三来る 東京落語界の花形三遊亭若遊三は其の一座を堤げ来姫し竪町楽天席において一日初日をだしたりし出席順番は左の如く、大切に自慢の電気応用所作事早替りをみせると云ふ。

東京落語(若明)落語手踊(若の助)落語百面相(小遊太)大阪落語(圓三)大阪落語(正三)曲芸(張来貴)落語音曲手踊(若遊三)日本音曲奇術(華玉川)

明治42103日 大阪朝日新聞

◇円若の仏立講 三友派各席へ出て居る三遊亭円若、酒を飲むとぐでん〳〵になつて不勤(ふづと)めをする事一通りならねば、席主連合熱い灸を据ゑて遣つた。円若一念発起して以来禁酒本門仏立講へ加入して品行を慎みますと誓つたは好いが、仲間の交際もせず寄付事も一向せず、これが仏立講の主意でござると云つてゐるさうだ。

明治42103 京都日出新聞

本日正午より芦辺館第四十五回落語日曜会を開く番組は左の如くにて会費は総て金二十銭なり曲馬(桃太郎)鉄砲屋(円光)親子酒(円笑)積極の吝嗇(梅香)犬の眼(枝太郎)無欲(文吾)胴乱の幸助(久々大阪より出演文三)余興、長唄勧進帳(小満之助、柳寿斎、円子)

明治42103日 大阪朝日新聞神戸付録

姫路楽天座は一日より三遊亭若遊三一座の落語と支那人張来貴の曲芸

明治42104日 大阪朝日新聞

◇小文吾の意気筋 桂小文吾昨今堺天神の席に掛け持して居るので、一両日前の夜電車に乗り戎停留所迄行くと、そこから十八九のハイカラ女が乗つて小文吾の隣へ割込み、あなた堺へお出でゝすかと問はれ、「ヘイ私も堺へ参ります、御同道致しませうか」と云つたのが縁の初め、堺へ着くと「あなたお急ぎでなくば御膳を食べに行きませうか」と云はれ、小文吾席へ行く事も忘れ、女に伴られて大浜の一力楼へ登つたは好いが、微酔(ほろよい)機嫌になつた頃、女は一寸階下へと出て行つたまゝ帰らず、待ち草臥れて仲居に聞くと、お女中はお帰りになりました、御勘定はあなたから戴いて呉れとの事でござりました。

明治42105日 大阪朝日新聞

<曽呂利新左衛門>

◇変り物(十) 画は末代のお咄 

三友派の落語家曽呂利新左衛門、一名骸骨居士。年まだ二十九の桂文之助と呼ばれた頃、フト眼病に罹り盲目同様になつたので大いに心配し、いろ〳〵手を尽した揚句やうやく癒つた嬉しさに、これさへ癒れば欲は要らぬ、万事浮世は面白う暮らすが徳と、或は酒に身を寄せ、或は茶をひねくり、俳句をかぢつたが、諸芸にいつまでも未熟なのに自分ながら少々恐れ入り、一番画を稽古して名を末代に残してこまそとは豪い奮発、去る三十四年下関観瀾閣の衝立に一休地獄太夫の図を描いたのはお手柄々々。左る程に其後伊藤公爵が大山満州軍総司令官に送つた古風一首を、需めに応じて此の屏風の裏に画かれた。その写真を観瀾閣の主人から曽呂利の許へ送つて来たので曽呂利は大得意。オホン、こんな名誉が唐にもあろか。

明治42106日 神戸新聞

<西宮戎座開場>

吉田奈良丸 は明七日より向う三日間西宮町戎座の落成式に就きこけら落しに乗込みて得意の義士伝を読む筈

明治42107 東京朝日新聞

師匠の型を伝ふ 大阪の圓馬も死花を咲かせに、今度十八年振で上京した。三遊派でも此位古い顔はないので、圓朝の弟子としては先づ小圓朝の次であろうが、以前師匠の死んだ折にも一寸来たことはある。但し其時は興行に関係なしで、間もなく帰阪した。今度は本人もご当地一世一代という覚悟で客受けの如何に関せず、盛んに圓朝式を発揮し、昔の型を後進者に伝えて行くと力んでゐるが、有がたい仕合せだと涙ぐむ連中の方が多かろうと、今から大いに心配している。

明治421010 京都日出新聞

芦辺館にては本日正十二時より第四十六回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は二十銭均一にて其番組は常太夫(三八)鷺取(枝雁)猿の姿(金笑)飾磨の由来(梅香)禁酒関所(文吾)三人片輪(一円遊)新辻占(枝太郎)長唄越後獅子(小満之助、柳寿斎、円子)

明治421010日 神戸新聞

<兵神座>

兵神座の舞台開き 市内布引通四丁目に新築中なりし寄席兵神座は此頃普請落成ししかば今十日より舞台を開き淡路源之亟一座の浄瑠璃入人形芝居を演ずと。

明治4210111213日 大阪朝日新聞

<桂派落語家のストライキ>

◇芸人の同盟休業  

桂派は第一流以下合して五十一二名もある落語家の団体なり。常に浪華三友派に拮抗して勢力伯仲の間にあり、組合席は天満杉の木、新町瓢亭、淡路町国光、南地金沢の四席なりしが、座員増加のため先般空堀に沢の席、堺に天神席の枝席を造り都合六席となせり。然るに半月許り前より出方寄り寄り会合し、一座の頭目文枝、仁左衛門、文三、枝雀を代表者として数日前組合席の重なる瓢亭へ一通の請願書を差出したり。其の文面は、

 第一 三日以前同業芸人より欠席の届出を差出したるものにして正当理由ある時は欠席当日の給料を割引せざる事

  第二 一週間以上病気引籠りの者より前借金を願ひ出る時は相当前借をなさしむる事。

  第三 二流落語家の月給を三割増にすること。

等なりしが、席主にては早速集会協議の結果、目下退引中の文左衛門に其の裁断を依頼し、尚右の如き請願書を差出すに至りし原因は新設の枝席二席の売興行一箇月三百数十円を各席に分配するを不当なりとするにあるべきも、各席にては其の売興行の上りにて不用の芸人に毎月給料を払ひ居る次第なれば、請願書の主旨を入れんとすれば勢ひ不用の人を解雇せざる可からず、夫にても差閊(さしつかえ)なきやとの箆柄返(しっぺがえ)しの条件を付したり。左れば文左衛門も即答し兼ね、一箇月の延期説を持出しても出方は承知せず、十日限り返事なければ一同出勤せぬと敦圉(いきま)ける最中、去る八日金沢席の興行代理者長岡玄四郎が雀三郎、小円左、小円馬に向ひ、請願主旨の不穏当を詰りしより、ムツと腹を立て、不用演芸者解雇の申出があるかはら我々も不用の者なり、折角今日まで桂派として手を引合ひ来りし者が弗々解雇されては同盟の甲斐なし、要こそあれと申合して九日夜は前記四名の真打を除くの外、連袂(れんべい)欠席をなしたるため、各席にては大騒ぎとなり、臨時休業又は木戸銭戻しをなしたるが、文左衛門之を聞いて心配し、十日国光席の矯風会に一同を集め、協議の上改めて本日金沢席に会合熟議を遂ぐる筈なりと。(1011

◇桂派同盟休業の解決 

桂派の落語家一同が真打文枝、文三、仁左衛門、枝雀を除くの外臨時協業をなし、組合六席を困らせしことは昨紙に記せしが、其の後席主と落語家の間に同派の顧問たる文左衛門が這入りて仲裁を試み、取敢ず十一日の各夜席には出勤せしめ、解決は今十二日のことゝし、朝来各席主は南区阪町金沢方に集合し、文左衛門は双方間に調停の労をとりし結果、同盟休席をなせし不都合は前記真打四名が代表者となりて席主に謝する事となり、一同より差出したる請願書の条件に対しては桂派落語家中より幹事二名を投票にて選抜し、将来席主との交渉其の他は総て幹事に於て取扱ふ事に決したり。右投票は追つて之を行ふ事とし、増給一件は其の幹事が報告に依り更に席主等協議の上定める事となし、以後の舞台は一層勉強なさしめ、聊かにても不勉強なるものは幹事と席主と協議の上処分なす事とし、自余の条件も一括に解決し、十二日午後四時に至り和解の極を結び、次で各席主出番の順備に就き穏かに協議を為して各引取りたり。(1012

◇桂派の落着 

別項記載の如く桂派の捫着もまづ納まつたが、一時は中々の騒ぎで、各席亭もヤツキとなり、出方がその気なら此方にも思案があるといふので、天満の杉の木は新内、淡路町の国光は浮かれ節、新町の瓢亭は女義太夫、南地の金沢は他派の落語と相談を決めて居たさうだ。さりとては機敏(すばしこ)い。(1012

◇鼻鹿の集会 

桂派落語家の同盟休業も文左衛門の仲裁で落着したから、席主も大いに胸を叩いて二流落語家へ月給の一割を増給した。然しその条件に舞台を大事に勤める事、稽古その他を励む事、もし実行の為(で)きぬ者は直に処分するとあつたので、二流連中納まらず、昨朝来集合をして居るさうだ。(10・13)

<編者註>十三日の大阪毎日によると、当時の桂派は総勢四十五名、浪花三友派は八十名との事。

明治421014日 大阪朝日新聞

<二代目三遊亭円馬>

◇変わり物(十八) 秦官了の愛嬌

師匠円朝の在生中、同門派に自分と意見の合はぬ所あつて大阪に来り、桂派の客座にあつて今では人情噺に並ぶ者なき三遊亭円馬、兎角浮いた事は嫌ひで、客から招かれても余興の外は酒の座敷に出るのを断り、常に煎茶を嗜み、古物品の禅味を帯びたのを集めて、年が年中室内に香の煙を絶やさず。十余年前より小鳥の飼育を思ひ立ちて、追々上手になり、今では殆ど専門家。普通のものでは面白くないと外国の種類をも集め、摺餌杯も自分に改良工夫して独り喜んでゐる。囀る鳥は一たび円馬の手に落ちると不思議に声がよくなる。小禽(ことり)の病は直ぐ癒る。鳥屋仲間でも之を聞き伝へて飼養法を習ふ者がある。近頃は秦官了の雛を育てゝ自分に声を授け、一口落語の半口位を教へ込んださうな。仲間の者舌を巻いて籠の傍で感心すると、秦官了ぬからず、「爺(おっ)さん‥‥どうぢや」。

明治421016日 大阪朝日新聞

◇桂派は同派一座にて天満杉の木、淡路町国光、新町瓢亭、南地金沢 空堀沢の各席。

明治421017 京都日出新聞

新京極芦辺館にては本日正午より第四十七回落語日曜会を開催する筈なるが入場料は廿銭均一にて其番組は賽銭箱(桃太郎)崇徳院(円笑)百年坊主(梅香)猪買(枝太郎)猫忠信(三輔)子僧の浮れ(円子)三宝社(花咲、円光、梅香)箒屋娘(曽呂利)駱駝(文吾)

明治421020日 大阪毎日新聞

◇桂派も扮揉(もめ)の雨で地が固まり、人選中の幹事は、雀三郎と三輔の二名に定まった。任期を三ヶ月として新しい人と交替し事務をはかどらせる都合だそうだ。

明治421021日 大阪毎日新聞付録堺周報

天神席の落語出番左の如し

昇六、歌太郎、門三郎、左衛門、仁三郎、左圓太、小三、小圓馬、文蔵、三之助、軽口(治郎、太郎)、雀三郎

明治421023日 大阪朝日新聞

◇桂派のストライキから枝雀と誰やらとが幹事に選まれて二流連と真打との交渉に当ることになつたは一寸聞くと名誉のやうであるが、二流の鼻鹿も鼻持のならぬ理屈を持ち込む。それを真打へ持て行く。彼方でも御尤も、此方でも御尤も、揚句の果は人車賃を自腹で払つて何んの事か阿呆らしい、これでは名誉倒れをして了ふがな。

明治421023日 大阪朝日新聞

◇曽呂利の香典帳 曽呂利の香典帳も段々増えて五百人になつたから近々その人々へ果し状をつけ「貴殿死去の時は香典幾許無相違差出し候也」との端書を出して貰ひ、それを月賦で買つたドル箱へ入れて、私の財産はこれでございといふ心で居るさうだ。もし明日が日にでもゴネた時はその端書を証拠に香典の掛取に行く。万一先方がお先へ御免を蒙つた時は此方からハガキを封じて香典代りに差し上げる筈ださうな。やつぱり何処か異つて居る。

明治421024 大阪毎日新聞

◇落語家文団治は此仲間に似合わず品行よろしとの評がある。連添う女房と波風立たず、今年は二十五年目になる。高座でこそ金婚式から金剛石婚式などというも落語家に銀婚式を挙げたるものは我ら未だ曾(かつ)て見もせず、開きもせざる所なりと奮発し、近々目出度銀婚式を行い、それと共に米朝を自分の前名米団治に改めさせる善哉〳〵。文団治、落語家の銀婚式、翌番から直ぐに種になる。

明治421024 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第四十八回落語日曜会を開く番組は二八浦島(三八)狸さゐ(枝雁)三人旅(梅香)蜜柑売(枝太郎)備前焼花活(文団治)遺物分け(扇蝶)鬼薊(文吾)余興歌舞伎十八番之内廓五郎(小満之助、柳寿斎、円子)

明治421026日 大阪朝日新聞

<曽呂利と我太郎②>

◇曽呂利の子煩悩 奈良の尾花座へ乗込んだ斎入一座は三日間の興行で、中幕には芝雀のどんどろを出し、妙林と妙珍は徳三郎と右団次、おつるは曽呂利の伜我太郎、当年取つて七歳の小腕を以て勤めるので、曽呂利は大奮発の積りで、配り扇五十本と手拭五十筋を注文すると、我太郎横合より「そんなケチ臭い事をいはずに何方も五百本にする」此の一言で話はピタリと極つた

明治421028 台湾日日新報

女流剣舞士来る 本日入港の台南丸にて渡台の筈なる女剣舞士金房千代子嬢は東京各席亭に出演して大に人気を博し居りしが今回京阪地方巡業の序を以て来台のことゝなりしを幸ひ高松同仁社演芸部にて招聘したものなるが多分明二十九日晩より朝日座にて初日開演の運びとなるべし尚ほ一行は八名に一座にて大阪桂派の若手揃ひで落語、音曲、物真似、剣舞及び仕舞等にして大文字屋福助の引抜き所作事及び一座員の中には一丈六尺の太刀おを使分するものもありとかにて何れも千代子嬢の剣舞と共に一座の呼ものなる由尚ほ今晩栄座にて開演の活動写真一行にも一名の剣舞士加はり居るといふ

明治421030 台湾日日新報

朝日座 高松同仁社の招聘せる各種演芸は本日より朝日座にて開演の筈にて其顔触は左の如し落語(三遊亭円好)剣舞(金房信夫)女流落語(金房千代子嬢)落語並に手踊(桂あやめ)音曲はなし(三遊亭円鶴)今様剣舞(金房冠一郎)音曲(ジヨンベル)左抜き両刀居合術真正剣舞(金房千代子嬢)

明治421030日 大阪朝日新聞神戸付録

湊亭は第一第二とも十一月中の出演者は左の如し

音曲噺(圓太郎)落語舞(枝太郎)落語舞(米朝)新内(長楽)記憶術(菊團冶)落語舞(福丸)

湊町虎屋席の十一月の出演者は南昇、南洲、旭堂南陵なりと

明治421031 京都日出新聞

本日芦辺館に於て第四十九回落語日曜会を開催するよし番組は牛駈(扇笑)児誉め(桃太郎)馬の田楽(円笑)菓子座敷(梅香)伸縮の首(枝太郎)三枚起請(文都)金魚芸者(円子)捨子(文吾)余興滑稽勧進帳(円子、花咲、枝太郎)大薩摩(小満之助)

明治421031 大阪毎日新聞

◇落語互楽派定席松嶋文芸館、内本町文芸館、梅田新道栄都館、南浦江会津館、難波芦原館等へ、三遊亭市馬、桂三昇、三遊亭円流、大神楽の愛好、亀次郎等が加わる。

◇浪花三友派各席は一日より東京より柳派の燕路、小三太、筑前琵琶の観月出勤。

明治421031 鷺城新聞

<龍野旭席>

龍野の寄席 揖保郡龍野町浅井長太郎氏は今回新設の旭勧商場横手に旭席と名くる寄席を設け二十九日龍野署へ出願したるが総坪数四十八坪人員は約三百人を容るべく設立の上に浪花節、落語、活動写真などの定席となす筈

<編者註>その後の新聞では開場は二月十八日

上方落語史料集成 明治42年(1909)六

明治42111日 大阪朝日新聞

◇寄席十種(六) 落語桂派と三友派 

さて只今は東一流新内といふお宜しい所、お跡にはまだ一銭芝居を始め段々後連が控へごわりまするで、ざツとお手軽な所を……と斯う冒頭(まくら)を置いて、さて最初には淡路町の国光席、桂派の落語である。

月末の故か客の頭数(あたまかず)が少(すくな)い。此(これ)で以て席が幾何(いくら)儲かつて、落語家の懐へ幾何這入るだらうなどゝ、要らざる事を考へ乍ら桟敷を見廻すと、居るわ〳〵三人の綺麗首、之を引率したのは書生体の三人、北廓からか、新町からか、堀江からか、何れにしても遠路御苦労の至り。

高座では今文三が得意の弁を揮つてゐる、悪智惠のある男が二人、阿呆を連れてお茶屋へ只で遊びに行くといふ筋。「これより三人が蜆橋を渡つて西へ這入りますと誠に廓は陽気なもので」、楽屋からドンチヤンと囃子が這入る。桟敷の芸妓連は嬉しさうに面(かお)を見合せて笑つている。「三人の中の一人、旦那役に当りましたのが、可成的(なるべく)流行(はやり)さうもないといふ青楼(おちゃや)へずツと這る、酔つて宿坊を間違へたといふ風で玄関へ酔倒れた真似をする。エウーイ、夫の討死遊ばすを妻が知らいで何とせう、アヽ誠に酩酊致した。今日は以ての外盛会で、台湾銀行の話もあり、電鉄の話もあり、住友、鴻池、土井、藤田‥‥アヽ酩酊した〳〵」。此の調子に乗せられては一現の客でもつい遊ばせる気になるかも知れない。熟々(つらつら)慮(おもん)みるに、此落語が新聞の原稿で僕が之に標題を付ける気になつたらば、イヤある〳〵、「如何にして巧みに無銭遊興をなす可きか」といふ標題は如何だらう。

舞台が廻ると平野町の此花館。三友派の落語に筑前琵琶と曲芸と、モ一つ加之(おまけ)に奇術応用首の継替と題する二輪加を添へましてお聞きに達したり、御覧に入れたりするのであるから中々賑やかだ。高座に現れたる文団治、エヽ凡て此の物事には陰陽の区別のごわりますもので、物の売声でも魚屋さんなどは陽気にやらないと売れまへん。又、と言懸けると楽屋から「出た!」と叫ぶ。ナニ出た、斯な話は滅多に出んと思うたに、其れなら其れで此れから傍道へ這入りさへすれば雑作はない、とは可い度胸だ。それから又その跡へ罷り出たのは大隈柳丈といふ、一寸見ると弁護士か医者かといふ堂々たる風采で以て、エヽ先日哈爾賓で暗殺されて薨去なりましたる所の伊藤公爵閣下、新聞屋などが色々な事を書きまするが……僕は驚いた。オヤ〳〵面(かお)から火が出る。「成田小僧」ならば此のところモ一つ切込んで、貴方の面は物騒な面だ、風吹の日には戸外へ出られまいと迄言はれる所。

それから大切の二輪加といふのが珍で、其れに最前下げ髪のお嬢さん風で筑前琵琶を語つた女が看護婦に早替をして登場する。イヤせしめられるのだらう、今まで頤を解いて笑つてゐた僕も此の時は少々、イヤ大いに気の毒に思つた。何だか下げ髪のお嬢さんが侮辱されてゐるやうだと思つたが又考へた。此れには何か理由(わけ)があるのだらう。ハヽア読めた。このお嬢さんは琵琶の感化で愛国心がある、それで看護婦になつた、は落になるまいか。(騒外)

明治42111日 京都日出新聞

芦辺館は本日より東京歌舞道楽勝子、歌奴、小歌、新派情話残月、落語扇蝶、歌之助、双枝、花咲、梅香、文吾等が新たに加入し出演順左の如く替る。枝女太、扇笑、円光、三八、枝雁、桃太郎、双枝、円笑、歌之助、花咲、梅香、勝子、歌奴、小歌、残月、扇蝶、文吾 尚切には余興として三宝社を演ずる由。

◇笑福亭は本日より左の如く出番替。松三郎、里若、三蝶、橘太郎、円次、芝楽、小三郎、福太郎、荒川、文之助、千橘、柳丈、小円太、蔵之助、大切浪花節身振立咄一座総出。尚此の一座は西陣座と駈持をする由にて又橘家円太郎は十一月中神戸湊座[湊亭]へ出勤する由。

明治42115 神戸新聞

西宮戎座 八日より三友派曾呂利新左衛門、松喬、松光等一座にて開演。

明治42117 京都日出新聞

新京極芦辺館にては本日正午より第五十回落語日曜会を開催する筈なるが、入場料は廿銭均一にて、其番組は、晩秋(円光)縁羊伯(三八)寄合酒(歌之助)貧乏神(梅香)長崎の赤飯(馬生)余興喜劇(嵐吉、正玉)軍人と易者(残月)狸茶屋(扇蝶)観音霊験(文吾)

明治421110日 台湾日日新報

朝日座の千秋楽 毎夜大入りの朝日座の真正剣舞金房千代子嬢一座は好評の裡に、愈々今晩が千秋楽の由にて、当日打揚後は基隆の基隆座に乗込み同地にて五日間興行の筈。

明治421113日 京都日出新聞

<平居館開場>

寺町五條下る平居館此程新築落成し、十五日より芦辺館一座にて開演するに付き十四日午後四時より開場式を執行する由。

明治421115日 大阪朝日新聞

桂派各席へは本日より清国人の華玉川と曲芸の五花家福助の両人が出勤す。

明治421116日 都新聞

広告/大阪上り圓頂派一座/橘の圓、補助三遊亭圓馬/日本橋瀬戸物町伊勢本

広告/左楽、小さん、助六、乙女連、歌六、石村政次郎、枝太郎、小勝、芝楽、かしく、淀助、淀平、紋弥/両国立花亭

柳派大集合 十六日より十五日間本郷の若竹亭にて、出演者は、小さん、燕枝、淀助、淀平、杵屋久吉、小てう、小助六、小せん、馬楽、式多津、文吉、玉輔、鶴枝、紋弥

明治421116日 大阪毎日新聞

互楽派各席へ十五日より支那人張来喜、柳家小柳、常盤津歌子等の新顔がまかり現れる。

明治421117日 紀伊毎日新聞(和歌山)

三友派の落語 元寺町紀国座にては十七日より、浪花落語桂文冶初め三友派一座開演の筈にて、例に依りて人気山の如し。

明治421121日 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より例の如く。第五十二回落語日曜会を開催する筈なるが、入場料は廿銭均一にて、其番組は、早竹寅吉(円光)牛ほめ(三八)景清(歌之助)猿後家(梅香)忠僕元助(残月)余興五郎(勝子、小歌)餅つき(松鶴)骨釣(文吾)

明治421126日 徳島毎日新聞(徳島)

<徳島朝日座改め春日座>

春日座の初興行 内町朝日座は今度船場町天野某一手に引受け更に花々しく興行すると。倶に座名を春日座と改めたるが、其初興行として明二十七日より「前代未聞破天荒雑種珍芸娯楽會」を開演する由・・・(後省略)。

明治421128日 京都日出新聞

芦辺館にては本日正午より第五十三回落語日曜会を開催する筈なるが、入場料は二十銭均一にて、其の番組は、七度狐(桃太郎)八五郎坊主(枝雁)手(ママ)駈け(歌之助)竈幽霊(梅香)軍事探偵(残月)出歯吉(文吾)清元神田祭(勝子、小歌)花と鼻(扇蝶)古手買(文三)

明治421128日 大阪毎日新聞

浪花三友派は十二月一日より名古屋芸妓丸子、花、ひな松、汐子、艶子の連中加わり長唄を出演す。

明治42121日 都新聞

広告/大阪下り圓頂派一座/橘圓、補助三遊亭圓馬/外神田廣市場/電下二七五七

明治42121日 京都日出新聞

第一福真亭 本日より岡本鶴次、浪花家小虎、岡本鶴円、笑福亭幾助が出勤する由。

◇笑福亭は本日より松井小源水、古今亭福輔、橘家円太郎、佃屋白魚、笑福亭鶴松等が新たに加入し、大切に余興として一座の総出の滑稽活動写真入浪花節立咄を演ずる由。

◇芦辺館 本日より左の如く出演替。文三、小満之助、円子、小歌、残月、柳寿斎、小三吉、枝太郎、文吾、花咲、円笑一座。

明治42122日 神戸新聞

第一第二湊亭 十二月興行の新顔触は左記の如くにて。春子は妙齢の佳人にて新派筑前琵琶の名手なりと。

源春子、笑福亭梅香、桂春團冶、桂文雀、笑福亭三代松

明治42124日 大阪朝日新聞

骸骨画会 三友派の曽呂利新左衛門催しで十一日畳屋町重亭にて得意の骸骨画会を催し、余興に松喬、文団治、松鶴、文治、新左衛門の落語を聞かせる。

明治42125日 京都日出新聞

芦辺館 本日開催する第五十四回落語日曜会番組は、兵庫船(円光)行く雲(三八)船徳(小三太)不動坊(文吾)住吉駕(枝太郎)赤穂記本文(残月)仕込の大砲(文三)小烏丸(円子)余興、長唄、越後獅々(小歌、柳寿斎、小満の助)

明治42127日 大阪朝日新聞

清国芸人の酔狂 三友派の落語家に交つてゐる曲芸師西区九条町二番道路二丁目寄留清国人及宝山(二十三年)は、昨日北区北野芝田町(九階下)の寄席に出勤中なるが、連日の好人気に乗りが来て五日も祝ひ酒を呑んだホロ酔機嫌で、午後二時頃梅田から電車に乗り九条へ帰る途中、電車の者に煽動られて無暗にいちびり、得意の曲芸を惜気もなくさらけ出して、逆立をする、トンボをきる、遂に四橋の停車所まで芸当をやりつゞけ、同所の電車の器械をも持出して際限もなくあばれるので、役人が車上から引き卸して待合所へ引張込むと、いよ〳〵怒つて待合の硝子を打割つたので、忽ち西署へ引致せられお眼玉を喰つて引下つたといふ。

明治42128 神戸又新日報

湊亭の喜劇 第一湊亭切席にて落語家連の喜劇「住吉駕」一幕を道具入りで演じ居れりと役割左の如し。

駕屋春蔵(春團冶)駕屋はげ松(圓松)酒田呑助(福圓)百姓與市、笹木源蔵(文雀)相場師富士村(團輔)相場師田(三代松)侍豆田政右衛門(光雀)町人花下長兵衛(南枝)女房お安仕出し(我逸)

明治421210 九州日報(福岡)

久しぶりの落語 川丈座にては東西落語家一座にて明晩より開演し久しぶりにて臍の宿替をさせる方針なりと云う。

桂梅三郎笑福亭寿笑笑福亭圓輔春の家小まん笑福亭小松鶴清水一角笑福亭枝の助入船亭小扇橋

明治421211日 九州日報

川丈座の落語 今晩京阪合同落語一座の初日の演題は左の如し。

伊勢参り神の賑(梅三郎)商売根問(寿笑)新作音曲(圓輔)赤垣源蔵(一角)年月の初め並に手踊(枝の助)清元北州並に浮世節(小まん)船弁慶並に手踊(小松鶴)出走車(小扇橋)大切落語喜劇(総出)

明治421212 京都日出新聞

芦辺館は例の如く本日第五十五回落語日曜会を催すが番組は、竜宮(桃太郎)高宮川(枝雁)太丸相撲(円笑)信仰心(小三太)藤吉郎初陣(残月)紀州公の狩猟(文吾)芝浜(円子)長唄勧進帳(柳寿斎、小歌、小満之助)素人浄瑠璃(枝太郎)百年目(文三)。

◇七条新地平居館の落語は大切余興を「保名狂乱葛葉」と搗替る由。

諸芸新聞諸芸大会 諸芸新聞社の催しにかゝる第五回記念諸芸大会を一昨十日午後一時京都倶楽部にて開会。先斗町芸妓の清元、舞、新京極笑福亭福太郎及三八甚兵衛の落語、広沢当昇の浪花節、朝日座、大虎座の喜劇其他あり、同十二時すぎ散会したるが、入場者多く盛会なりき。 

明治421217日 大阪朝日新聞

<立花家千橘ら博奕で逮捕される>

◇南区坂町落語家立花家千橘こと中村常次郎(三十七年)は、十五日の夜南区関屋町の火事を見舞に行きたるが、一時頃自宅に帰り南区難波河原町一丁目落語家桂三輔こと小倉幸次郎(四十三年)、同区坂町落語家桂門三郎こと浅井徳之助(三十一年)、西区九条町落語家桂二鶴こと大久保挙母(二十四年)の三人と落ち合ひ、一円の八々に余念なきところを南署の巡査に踏み込まれ、十六日午後五時ころ数珠繋ぎとなりて本署に引致したり。一同は最初平気の平左にてこれも噺の種になりますなど云ひ居たりしが、有無を言はせず留置場に入れられ、更に手錠を嵌められ、係官の前に引き出されて事実の取調べを受くるや、一と縮みに縮み上りて、今更に何卒お赦しなされて下されの百万遍を繰りたりとは滑稽なり。

〈編者註〉1224日に「鹿のお灸」の記事あり。

明治421218日 神戸新聞

<新開地湊座開場>

湊座開場式 湊川新開地に建築中なりし湊座は本日午後三時開場式を挙げコケラ落しは竹本伊達太夫一座にて本日より開演

明治421219日 神戸新聞

湊亭 此程来忘年會余興として大切に一場の喜劇を演じ居れるが大いに好評なるより本日より更に芸題替えを為し新式美顔術というを出したり番組は院長川田丹次(春團冶)書生瘤福野福造(福圓)看護婦岩本(喬之助)醜男喜六(三代松)女房おちやら(文雀)東西局(團輔)同(福我)同(南枝)患者(光雀)同(圓松)同(大多福)

明治421220日 神戸新聞

湊亭 座付の外に馬生、松光、文我、小圓次、春子、鶴松、松團冶等顔触れなりと

新築の湊座 外部の体裁も内部の構造も相生座に似寄つたもので寄席としては神戸一の大建築である。そして場内には花電燈を取付くるなど装飾にも中々意を凝らしてあるが目醒るばかり美観を呈している。

明治421221日 大阪朝日新聞

◇二十一日から五日間南地法善寺の金沢席で桂派の枝雀以下の若手落語家が是迄舞台で見せた事のない芸尽しをするが、猶大切には電気を使うて一座総出の活動写真といふを見せるげな。

明治421223日 大阪朝日新聞

◇天満宝来亭は二十三日夜在阪講釈師の大寄せ、それへ三友派と互楽派の落語、翌二十四日より本月中互楽派許りの落語。

明治421224日 大阪朝日新聞

<曽呂利と我太郎③>

◇我太郎の大気焔 新左衛門の子煩悩  

片岡我童の門弟片岡我太郎は当年取つて僅か九歳の少年なれど、技倆人にすぐれ夙に麒麟児を以て聞ゆるも道理なり。根が曽呂利新左衛門といふ鹿の児なれば随分麒麟にもなりかねまじ。先頃朝日座と八千代座を掛持するにつき、子煩悩の新左衛門、怪我でもあつてはと取越苦労、乳母付添ひで腕車(くるま)を借切りにしてゐたが、高慢臭い我太郎なれば自用車でなければ承知せず、師匠我童も本人の望みにまかせ自用車免許の旨を伝へたり。親新左衛門之を聞き、嬉しい事は嬉しいが何しろお金の入る一件、忽ちウンと胸をつき百方苦心の末、提灯と法被に自家の記章(しるし)を入れ、腕車の後懸をも新調し、卸し立の腕車持つたる出入の車夫を内意含めて雇ひ入れ、サア自用車が出来たと吹聴すれば、かしこい様でも流石は小児、我太郎大いに喜んで得意満々で乗廻してゐたが、芝居を打揚げるや車夫も腕車も寄りつかず、ハテ面妖なと父に聞けば、ウムあれか、あれはその、イヤサ物で御座ると端敵(はがたき)の安い台詞でまごつきながら、実は常雇ひにして置いては毎月廿五円以上もかゝる事ゆゑ、休みの間は宿へ帰らせ、腕車も内に置いては場所ふさげ、当分余所へ預けたと頭部かき〳〵苦しい言訳。我太郎さとくも見て取つたが、機会(おり)もがなと済ゐしたり。

然るに今度我太郎の姉大和家菊葉(十八年)が船場辺の或る丸持を後楯として襟替をするに極まり、頭髪の物丈でも千円かけて初春早々披露すること隠れなし。我太郎忽ち新左衛門に膝つゝかけ、僕の自用車に金の出るのを厭ひながら姉貴の支度に二千円も三千円もかけるとは一体何処から出る金です、姉貴さへあれば僕はどうなつてもよいのですかと疝気筋でも理屈は理屈、畳み叩いて詰め寄るに曽呂利眼玉パチつかせて後じさり、利発者(ませめ)が又こんな事いひくさると閉口しながら嬉しさ先立ち、客さへ見れば自慢たら〳〵此の事を話して、イヤもう賢い息子(せがれ)は有つもので御座りませぬ。

明治421224日 大阪朝日新聞

◇鹿のお灸 南区坂町の落語家立花家千橘事中村常次郎外三名が、去る十五日の夜、西区関屋町の火事見舞に行きたる序に八々を始め、南署の巡査に踏み込まれ、数珠繋ぎとなりて引致されたることは当時の新聞に記し置きたるが、昨日大阪区裁判所瀬古判事の手にて公判あり、千橘始め門三郎、仁鶴、三輔何れも頭を米搗螽にして恐れ入り、「ドウもその面白うおますさかい、つい始める気になりました」と滑稽なる申立をなしては一層厳しく裁判長より叱り付けられ傍聴席の笑を買ひたるが、頓て即決にて何れも罰金五十円づゝと宣告さるゝや、又もや一同頭を掻いて顔を顰め、「ドーも旦那、この節季の空に苛うおますさかい月賦にして取つてお呉んなはれ、頼みますさかい」と申し立てたるにぞ、又も傍聴人は哄と笑ひ出し、四人はソコ〳〵退出せり。

明治421224日 台湾日日新報

至る所に好人気を以て迎へられたる女剣舞金房千代子嬢及ジヨンベルの一行は、昨日限り新竹倶楽部を打揚げ、愈々台湾をおさらばを告げて明日出帆の鎌倉丸で内地帰還の途につくとある。

明治421226日 大阪朝日新聞

浪華三友派の南地紅梅亭では二十六日から忘年落語会を三日間興行する。出演者は歌之助、松喬、米朝、文団治、馬生、松鶴、文都、円子。

明治421226日 九州日報

川丈座 同座には有名なる英国人ジョンベールの音曲落語手踊を久しぶり三遊亭圓福と金房千代子の剣舞の剣舞とを合併にて興行の由。金房千代子は東京において各皇族を初め韓国皇太子殿下の上覧の栄を得たるものなりと。

明治421228日 大阪朝日新聞

八々事件で五十円のお灸を食つた三輔、千橘の二人はこの師走に青い顔をして罰金の借用に廻つて居るを、例の曽呂利新左衛門が聞き、散々に異見をしたので、二人は大師匠の事叱つて置いて百円札の一枚も出してくれるかと楽んで聞いて居たが、新左衛門うんと叱言を云つた後「異見はするが金は貸さぬ、外で工面をして来な」は振つて居る。

明治421228日 大阪朝日新聞

桂派一月興行は例の一座の落語東京長唄富士田千之助連中が出席。猶南堀江日吉亭は一月より桂派定席となる。

明治421229日 京都日出新聞

芦辺館は来春一日より米若福吉万治(曲毬)梅香、文都、菊枝(音曲)円若(同)等の新顔が加入し、大切りには新年の雪といふ余興を出す由なるが、出席順は、枝女太、扇笑、円光、三八、枝雁、桃太郎、米若、円笑、福吉、万治、梅香、花咲、文都、喬之助、菊枝、歌吉、円若、枝太郎、文吾。

◇笑福亭の一座は来春一日より大宮西陣座と掛持つことゝなり、新顔としては杵屋福三郎、同福太郎の長唄あり。猶出席順は、里若、三蝶、橘太郎、円次、芝楽、歌助、白魚、小円太、福太郎、文の助、円盆、蔵之助、小源水、円太郎。

明治421231日 神戸新聞

◇正月娯楽案内 ▲大黒座 八百蔵、女寅、市蔵、九團次、栄二等の大一座 ▲相生座 荒五郎、高福等 ▲歌舞伎座 嵐三、松之助等 ▲柳座 佳笑、伊三郎、島之助等 ▲千歳座 長太夫、吉松郎、奥山、扇太郎等 ▲明治座 吉備団子、鉄四郎、鯉三郎等 ▲湊川湊座 鶴屋團九郎一座 ▲藤田席 小四郎、東玉等一座の喜劇 ▲第一第二湊亭 馬生、松光、文我、小團冶、松團冶、鶴松の新顔加わり昼夜開演 ▲湊虎亭 旭堂南陵一座の講談 ▲中道亭 平林園生、吉村馬風、神田伯龍改め藤尾春■、狂訓亭為永等の講談 ▲楠社水族館 魚も大いに増し余興の活動写真も新写真を入れ昼夜供見せる ▲楠社西門菊廼舎 奈良丸、松安、辰圓、小奈良丸の浪花節昼夜開演 ▲凱旋座 光春、花遊、喜代春、とんぼ一座の万歳仁○加も昼夜開演 ▲三宮雑居亭 奈良丸、松安等の浪花節にて昼夜開演 ▲下山会下玉福座 中村梅光一座の娘芝居 ▲会下山下大島座 市川米三郎一座の浪花節、水芸もあり ▲小野大安亭 摩耶席と掛持ち ▲切戸永楽亭 菊廼舎及び雑居亭と同様奈良丸等の一座 ▲脇の濱摩耶席 吉田代徳、宮川千代丸等の浮れ節 ▲新開地稲荷座 嵐三光、梅之助、中村梅昇、政之助等の身振芝居 ▲西門菊廼亭 女義太夫時米一座に源童が加入して毎夜午後六時開演 ▲荒田寶福座 稲葉桂太郎一座の身振芝居 ▲新開地電気館 活動写真 ▲新開地活動写真栄館 新築工事落成を告げたれば愈々五日より開演する事となりたり ▲神港倶楽部の活動写真 一日より開場 ▲西門旭亭 神田小伯龍、琴玉、せん馬等の軍談講談にて木戸一人五銭 ▲西門松本席 壮士身振と浄瑠璃身振の両面芝居で木戸五銭 ▲新開地松尾座 吉備大洲一座の身振狂言にて昼夜開演 ▲瀧道兵神座 竹本水朝、源司、仙吉、岩千代、照駒等の娘義太夫にて毎日午後六時開場 ▲生田前末廣亭 豊竹松子、湊末、竹本政菊、奈良駒、勝子、金玉、藤江、愛子、歌子等の女義太夫にて毎日午後五時開場

 


【参考資料】

<桂派矯風会(明治42年)>

117日 国光席
 番組:九州紀行(右衛門)、池田の二ツ玉(小文吾)、婚礼と幽霊(雀三郎)、三枚起請(三木助)、大名
 将棊(文枝)、余興ふる雪(吉弥)、清元四君子(三木助・〆吉・門松)、蒟蒻問答(円馬・文枝・仁左衛
 門・慶枝・千橘・柏枝・雀之助・小円左)、廻り年(枝雀)、意地競べ(円馬)、媒介小僧(仁左衛門)。

214日 杉の木亭
 番組:万金丹(仁三郎)、首行商人(文福)、借家怪談(雀三郎)、王子の狐(慶枝)、力士鍬形(仁左
 衛門)、余興曲独楽(松井助十郎)、卯の日詣(総掛合)、番頭苦忠(文枝)、夢(円馬)、性は善(枝
 雀)。

411日 瓢亭
 出演者:あやめ、仁三郎、雀三郎、慶枝、三輔、文枝、円馬、文三、余興桜の宮マラソン(千橘、雀之助、
 文福、小文三、小文吾、小円左、中村、吉弥、左円太、小三、枝楽、枝八)。

516日 国光席
 出演者:扇之助、左衛門、小文三、雀之助、慶枝、枝雀、六斎踊、円馬、仁左衛門。

613日 杉の木席
 出演者:
文蔵、三五郎、雀三郎、三輔、文三、仁左衛門、円馬、文枝、左団治、雀之助、千橘

711日 金沢亭
 出演者:仁助、仁三郎、小文吾、扇枝、三木助、余興筑前琵琶義士の本懐・中村翠湖、仁左衛門、円馬、
 枝雀。

919日 瓢亭
 出演者:仁助、小円左、文福、小文吾、小三、文三、円馬、仁左衛門。

1010日 国光席
 出演者:文福、扇枝、三輔、枝雀、仁左衛門、文三、小円馬、文枝。余興花の家春吉、吉弥の清元歌舞。

1114日 杉の木席
 出演者:文枝、小円馬、文三、枝雀、仁左衛門、雀三郎等。余興杵屋よし・かねの長唄勧進帳、落語家立噺無
 念の薙刀。

<三友派日曜会(明治42年)>

117日 紅梅亭
 番組:高宮川(福次)、浮世根問(春団治)、留守事の新年会(松喬)、住吉駕(梅香)、大名気随意家老の
 忠節(文団治)、余興記憶術(菊団治)、長唄西行(円子・柳寿斎)、島原八景(松鶴)、義士伝(馬生)、
 雪中の松(新左衛門)。

221日 第一此花館
 出演者:三代松、春団治、松喬、松鶴、芝楽、文都、馬生。余興初音皷(文団治・扇蝶・松喬)、奇術清国
 人李彩。

314日 紅梅亭
 番組:深山隠れ(団勇)、素人車夫(文雀)、改築祝(松喬)、先代の仏(梅香)、山吹の村雨(一円遊)、
 子別れ下の巻(芝楽)、余興田舎狂言(文団治・扇蝶・松喬)、市助酒(文吾)、大岡政談(馬生)、三枚起
 證(松鶴)。

321日 第一此花館
 番組:小倉船(小団)、万国廻り(歌之助)、花のあらそひ(扇蝶)、猿後家(梅香)、須磨名所(松鶴)、
 余興清元夜這星(玉川家若太郎・立花家喬之助)、煙草道成寺(曽呂利)、上官の涙(芝楽)、牛の丸
 薬(文都)、孝子蜆売(文団治)。

328日 永楽館
 出演者:文団治、円子、文都、芝楽、松喬、馬生等。余興清元喜撰(若太郎・喬之助)。

44日 紅梅亭
 出演者:鶴二、団作、松喬、歌之助、馬生、円若、伯鶴、文団治、新左衛門。余興長唄娘七草(神戸新検番
 留丸・留市・千福・やんちや)。

411日 第一此花館
 出演者:
団勇、菊団治、円生、文我、文団治、伯鶴、円子、松鶴、馬生。余興清国人李彩の奇術。

418日 永楽館
 番組:春の賑(団勇)、寄合酒(菊団次)、無筆の失策(円生)、傾城陣笠桜(文我)、夢の土□(馬生)、
 立切れ(曽呂利)、白菊(文吾)、神崎与五郎伝(伯鶴)、春遊裏の裏(文団治)、奇術曲芸(李彩)。

425日 紅梅亭
 出演者:小団、燕太郎、扇蝶、文団治、円子、文吾、馬生、新左衛門、伯鶴。余興歌舞音曲(若太郎・満留
 吉・小満之助)。

52日 第一此花館
 出演者:
光鶴、新作、松喬、梅香、馬生、春子、千種、文吾、柳丈、松鶴、新左衛門

59日 永楽館
 番組:兵庫の渡海(福治)、盲目景清(燕太郎)、鳥屋引導(梅香)、五月人形(松喬)、鳶の嘉吉(曽
 呂利)、和合の秘訣(柳丈)、禁酒番所(文吾)、寛政相撲談(馬生)、春遊び裏の裏(松鶴)、長唄蜘蛛拍
 舞(千之助・君三郎一座)。

516日 紅梅亭
 出演者:福篤、小円治、歌之助、米朝、松鶴、新左衛門、文吾、柳丈、文団治。
余興長唄連獅々富士田千
 之助
杵屋君三郎一座

523日 第一此花館
 出演者:
鶴三、菊団次、春団次、松喬、円若、松鶴、柳丈、新左衛門、馬生。余興長唄しづはた(千之助・君
 三郎一座)。

530日 永楽館
 出演者:万歳、小円治、春団治、松喬、柳丈、新左衛門、馬生、松鶴、文吾。
余興筑前琵琶大隈千種
 春子
)。

66日 紅梅亭
 出演者:鶴瓶、一奴、歌之助、小せん、文吾、小柳枝、文団治、柏枝、松鶴。余興柳亭小すゞめ、同小峰の清
 元浮世節。

613日 第一此花館
 出演者:菊団治、花咲、文都、小梅枝、松光、柳枝、松鶴、文吾。余興少年音曲柳亭小津ばめ、同小峰。

620日 永楽館
 出演者:歌之助、扇蝶、竜生、松喬、小せん、文吾、柳枝、文団治。余興小満之助・円子の越後獅子。

627日 紅梅亭
 出演者:小団、団作、歌の助、扇蝶、竜生、松喬、小せん、文吾、柳枝、文団治。余興越後獅子(小満之助・
 若太郎・円子)。

74日 第一此花館
 出演者:
歌之助、竜生、紋弥、文吾、柳丈、文都、馬生余興曲芸東京小仙、小金

711日 永楽館
 出演者:鶴三、米若、松光、竜生、松鶴、柳丈、文都、一円遊、文吾。余興活人画(鶴枝)、舞(紋弥)。

103日 紅梅亭
 出演者:春団治、扇蝶、米朝、文都、文団治、竜生、新左衛門。余興松雨、松翠の合奏。

1010日 第一此花館
 出演者:文雀、燕太郎、竜生、米朝、新左衛門、松鶴、文都。余興洋曲合奏松雨・松翠。

1017日 賑江亭
 (未詳)

1024日 第三此花館
 出演者:新左衛門、馬生、米朝、円若、松喬等。余興曲芸槌家万治等。

1114日 第一此花館
 出演者:馬生、文団治、燕路、一円遊、松喬、小三太等。余興長州庵観月の琵琶。

1121日 賑江亭
 出演者:一団治、新作、小三太、馬生、文団治、燕路、新左衛門。余興寄席掛合噺麦八・稲八。

1212 紅梅亭
 出演者:歌之助、米朝、文団治、一円遊、文都、馬生、新左衛門。余興長唄(丸子・艶子・まさ・はな)。

プロフィール

丸屋竹山人

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