明治94月吉日 名古屋新守座落語家講談師芝居番付(東大総合図書館所蔵)

明冶9年新守座

【前狂言】義経千本桜【中狂言】勢州阿漕浦【切狂言】開戯小宝曽我

【狂言作者】林屋正三・松嶋直吉・並木大蔵・鶴松蔵・□天安次

【頭取】豊嶋梅三郎・並木吾良吉【座本】水谷文左衛門

【出演落語家】林屋正三・林屋延玉・林屋延若・林屋延丸・林屋錠之助・林屋多満・
 林屋小染丸・林屋梅朝・桂文若・桂文山・桂文橋・桂つる八・桂文字助・桂文福・
 桂文太・立川金朝・笑福亭梅鶴・翁屋さん馬・翁屋さん勝・佃屋白魚

【出演講談師】水雲斎竜玉・高田伯竜・松林圓鏡・雲乗斎竜車・水雲斎竜志・水雲斎小光
明治
981日 浪花新聞

◇是も長堀宇和島橋北詰東へ入浜がはの席で、桂文昇が出席して面白く昔咄して居る折ふし、川中へドブンと落込(はまり)し水音に見物人も驚きて、多勢(おおぜい)立寄り是をみるに、この辺の与助さんとかいふ人の由にて、席の裏手(うしろ)に繋ぎたる筏に乗って宵のうちから聞ていられたが、どうした拍子か真逆さまに落入(はま)りたれど、幸ひ泳ぎが達者(じょうず)ゆへすぐに陸(おか)へ上られたが、此様(こん)な浮雲(あぶな)ひ桟敷で聞ふより二銭四厘出せば案心[安心]して聞れ升。是は二十八日の晩のことだと矢張近傍(きんじょ)の西長さんの咄し。

明治9814 浪花新聞

◇今一ツ大入当りは、昔咄家の親玉笑福亭松鶴は此度(こんど)東京から帰坂(かえっ)て初めて平野町の神明社内の席で勤め升が、是迄の大坂風の様に下品な下気(しもけ)の咄しや、又廻らぬ手で三味線もって調子外(はずれ)たこえで大津絵ぶし、どゞ一、あほだら経だの面白くもないことはスツカリ止て、おとし咄ながらも勧懲を旨として、東京風にて真の座敷咄しをするそふですが、ドウカ当地の咄家も、洗濯する〳〵と口にはいふてゐれど、古ひ咄しをせんだくするのみで肝心の膽玉のせんだくが出来ぬものだから、得意顔(えらそう)に高座にのぼって、丁稚、小供や訳のわからぬ野郎に何やってくれ、彼やれと注文すればよきことにおもひ、其意に随ふて馬鹿をつくすから、百人の聞(きく)人の中で三人が注文すれば三人丈しか聞くものなく、跡の九十七人はあくび仕て聞ているから、段々評判が悪るくなり、今に小供の学が進んで来たらいよ〳〵こんな馬鹿なもの聞(きき)に往(ゆく)者はなくなるから、今の内に一ト洗濯したらどふだろうと、いらぬお世話だがと西国辺より来た人の話。

明治91124日 浪花新聞

◇東京の都々一坊扇歌が下り、一昨二十二日の夜より北堀江の新席へ出勤しますが、さすが名高い和尚だけあって実に好くひき升す、三線(しゃみせん)を。

明治9127日 浪花新聞

◇前号(まえ)にも一寸記(だ)しました東京下りのドゝ一坊扇歌は、昨今南地法善寺西門外の席へ昼夜とも出ておりますが、芸術(げい)といひ才気(さい)といひ、どちらも満足(たしか)ゆへ追々人気にかなひ大入大繁昌だとの評判、足は悪(わるい)が口と腕(うでまえ)は達者な坊ちゃんサネ。そこで去る人がコンナ号號(でたらめ)。

 三絃弾曲口談詼  (三味線曲引き口よくしゃべる)

 萬客如雲日夜来  (万客雲のごとく夜昼来たる)

 若使此人無此病  (もしこの人にこの病なからしかば)

 恐無斯芸與斯才  (おそらくはこの芸とこの才となからん)