2013年11月30日

「岳人」2013年12月号 読む 20131130

岳人2013年12月号

「岳人」2013年12月号 読む

[特集]は、「リスクマネジメント―山で生き延びる力」
 「−略−山登りにおけるリスクマネジメントとは、準備・登山・反省の一連の流れ、反省から次の登山に至るまでのフィードバック過程のことであり、リスクを管理しながら、じつのところ山登りの楽しみを増幅させ、末永く山登りに親しむための方法論、ともいえます。−略−」
◆危機管理 遭難回避のための方法論(村越 真)
「−略−偉業を成し遂げる原動力を、竹内洋岳は「想像する力」といい、山野井泰史は「持っている力を全て使うことができること」が自分の特徴だという。登山において、技術や体力が重要なことは論をまたない。だが、彼らは、登山のパフォーマンスを決めるのは、メンタルワークであり、技術や体力を使い尽くす能力だといいたいのではないだろうか。リスクマネジメントにも同じことがいえる。登山計画、適切な装備、リスク管理のためにすべきことは多い。だが、装備、体力、技術はいずれも無限ではない。利用可能なものを登山という場で最大限に使いこなす『方略』をもつことで、高いレベルのリスクマネジメントが可能になる。−略−」
「登山のリスクマネジメントの前提
 〇海△襪い麓然はつねに不確実性をもっている場だということ、
 ∋海量ノ呂肇螢好はつねにジレンマの関係にあるということ。
 −略−山では魅力こそリスクであり、魅力を求める自分の心こそがリスクの最大の源なのだ。そのことに自覚的になることが、登山のリスクマネジメントの出発点だ。」
「方略とは、もっている技術を目的達成のために効率的に使いこなすことだ。登山を安全に楽しく成功するために必要な技術や知識は、歩行やクライミングの技術、生活技術、ナビゲーション、低圧や低温に対する知識、気象や自然に関する知識や予測力、ウェアリングなど、多岐にわたる。それらを効果的に組み合わせて、目標となるルートを事故なく達成する。それが方略である。方略が使えるためには、ここの技術が優れているだけでは不十分だ。山の特徴を知る、自分の能力やその限界を知る、その場に応じた適切な技術を選択する、総合的な能力が要求される。なにより、個々の技術がどのような目的に資するかを知っていることが必要だ。−略−当たり前に行われていることを、目的という視点で再吟味してみること、これも方略的な発想である。」
「クライマーのリスクマネジメント方略→2局面でのリスクマネジメント、とりわけオンサイトのリスクマネジメントについて説明しよう。−略−
 彼らは過去の経験に基づき、制御不可能な致命的なリスクが顕在化する前に回避する。セラックや落石が常時あれば、それだけでそのルートは考慮外になることもある。しかし、事前にリスクを回避しただけでは登山自体が安全になるわけではない。ここまではいわばマニュアル的対処だ。マニュアルが震災時の安全を保証しなかったように、現実にはその時にならなければわからない出来事が発生する。それを事前にすべて想定することはできないし、また想定できたとしても、それらをすべて回避してしまっては、とても挑戦的な登山とはいえないだろう。だから、彼らは登山中、つねに越えてはいけない一線のすぐ近くにいるし、いつそれを越えてもおかしくない。それを防ぐために彼らは、オンサイト(その場)でもリスクマネジメントを行う。その際、オンサイトでしか得られない周囲の環境や自分の状況に敏感になり、得られた情報を最大限に活用することで、その先の正確なシナリオを想起する。シナリオによって制御不可能で致命的なリスクが予想されたら、あっさりと敗退する。一方でシナリオを検討した結果、「いける」という判断を生むこともある。可能だとわかれば、彼らは迷いなく全力を集中する。全力を投入する今年によってのみ乗り越えられるリスクを乗り越える。ぎりぎりの線でリスクを回避する彼らは、リスクをコントロールしているという感覚を得る。それ以上に重要なことは、2局面のリスクマネジメントを行うことで、達成感を失うことなく、致命的なリスクを回避することができるのだ。コントロール感覚とは矛盾する、自分の生還が『運』だったという評価は、登山の後に訪れる。事前にリスクを回避したつもりでも、人の行う判断や行為にはミスがつきものである。想定外の気象条件に見舞われるかもしれない。登山の中で得られたコントロール感覚は幻想だったのかもしれない。−略−自分自身が出会ったインシデントや仲間の死を通して、コントロール感覚は楽観主義の産物に過ぎず、自分は一線を越えてしまう可能性があったと振り返り、それが不確実さの自覚と不安を強める。その一方で、リスクを乗り越えた達成感はさらなる達成感への希求へと導く。ジレンマは、ますます大きくなるかもしれない。しかしそれは悪いことではない。そのジレンマこそが、山へのモチベーションとリスク管理という、時には反する要求に対してバランスを取りながら答えていく姿勢につながるからだ。タフな登山家とは、不安と挑戦のいずれも無視することなく、そのジレンマを受け止めることができる登山家なのかもしれない。」
「クライマーのリスクマネジメント方略に学ぶ
 死と隣り合わせに見える彼らの冒険は、私たち一般登山者の山行とは無縁のようにも思える。けれど、彼らもまた、死ぬために山に登るわけではない。死という一線を越えない努力と工夫をつねにしている。その結果が不確実性の受け入れ、ならびにリスクの両義性への気づき、それに基づく2局面のリスクマネジメントなのだ。だとすれば、引くべき一線のレベルこそ違うものの、ある一線を越えないための彼らの方策は、一般登山者にも役立つことだろう。常にその先のシナリオを具体的に想定し、そのなかに越えてはならない一線が制御不能な形で現れることがないかどうかに意識を向ける。体調がよくない、あるいは悪天候の兆しがある。この先進んだらどんなことが起こるだろうか。そこに致命的なリスクはないだろうか。そのリスクは制御可能だろうか。可能だとしたら具体的にはどのように可能だろうか。リスクマネジメントの本質は、個々の技術ではなく、このような発想なのだ。−略−具体的なシナリオを検討することで、不安はリスクを回避する重要な道具となる。不安という道具を使いこなし、その先のシナリオをチェックし続けること。高所クライマーのリスクマネジメントの核心は、そこにある。」
「熟達化=方略のその先にある果実
 オンサイトのリスクマネジメントが機能するためには、十分な知識と確実な技術が必要だ。それらを身につけることを『熟達化』という。心理学の研究によれば、熟達者は領域によらずいくつかの共通した特徴をもつ。たとえば、活動する領域の情報に関する高い感受性やパターン認識、正確な予測を可能にする質・量ともにすぐれた知識、そこからシナリオを想起する力や自分の力量と要求される力量を正確に見極めることなどがそれだ。−略−熟達化のためには、複雑な環境の中から重要な情報を見取ることが不可欠だ。−略−気象予測、クライミング、ナビゲーション、それぞれの領域で重要な情報とそのパターンがある。熟達化のプロセスはそのような情報とパターンに気づくことから始まる。−略−意味ある情報を探す努力を重ねた結果、これまで見えなかったものが見える。あるいは見えていたものの異なる意味が見いだせるようになる。それもまた、登山の大きな楽しみではないだろうか。熟達化はリスクマネジメントすらも楽しいものに変えてくれるだろう。」

◆日本百名山(12)利尻山 岳人厳選登頂ルート「仙法志稜」(文=佐々木大輔)
 利尻岳と言えば「仙法志稜」。魅力的な稜である。冬から春にかけて、いつか挑んでみたい。

◆天気図を読んで山に行こう!(19)週間予想支援図で寒波襲来を予想する(文=猪熊隆之)
 いよいよ「週間予想支援図」を利用しての予想です。
 ・一番下の「過去3週間の推移とこれから7日先までの予報」図。
  →11月以降は、5400m線が南下すれば寒波襲来。関東近辺では北緯35度線を目安にして見る。他詳細は本文参照。

◆山で起こる低体温症(下)(文=金田正樹)
 ●低体温症の起こる条件
  ゝげ10℃以下
  風速10m/秒以上
  1など身体を濡らす天気 これらの条件の中で、水は空気の24倍ほども熱伝導率が高い。小雨や霧であっても身体が濡れ、風が吹くと体温は失われる。低体温症の発症条件は必ずしも厳しい寒さだけではなく、濡れ、風、カロリー不足、疲労、雨具や衣類の状態が体温を下げる状況であれぱ、季節に関係なく起こる危険性をはらんてだいる。
また低体温症は山の地形、天候条件の他に、そのときの体力、カロリー数、衣類などの関係で、体温の下降がゆっくりくる者と急激にくる者があると考えなければならない。
 ●医学的データからみた低体温症−略−
 ●なぜ早期に意識障害がくるのか?
  −略−人間の脳は酸素不足に最も弱い。高所登山、狭い人混みの中にいるとまず頭痛に襲われる。これは脳の酸素不足の最初の症状である。酸素を運搬する役目は赤血球であり、この赤血球の中にあるヘモグロビン(Hb)は二酸化炭素が少ないほど酸素と結びつき、二酸化炭素が多いほど酸素を手放す。この割合を数値化したのが『酸素解離曲線』である。二酸化炭素と酸素のガス交換は肺で行われ、酸素の運搬役であるヘモグロビンから酸素と結合して身体の隅々まで運搬され、ヘモグロビンから酸素を遊離して各組織に提供する。低体温症になるとどうなるのか。体温が36℃台の時はヘモグロビンから酸素を遊離しやすいようになっているが、体温(血液の温度)が低くなるとヘモグロビンは酸素といつまでも結合している状態で、酸素が遊離しにくくなる。体温が下降し、酸素が足りなくなった脳は意識障害を起こす。そのとき脳の中でも言語や情緒をつかさどる前頭葉の言語中枢が最も早く障害を受け、奇声を発する、意味不明のことを言い出すなどの症状が表れる。また体温産生のための全身の震えによって骨格筋に血液が多く集まるため、脳が1分間に必要とする700mlほどの血液量は減少して酸素不足と血液量附則に陥ってしまい、意識障害と眠気をともなうことになる。トムラウシ山の遭難では、1時間にも及ぶ北沼での震えながらの待機から急に立ち上がった瞬間から、温度の下がった冷たい血液が脳に循環して脳は酸素不足に襲われたため意識障害を起こしてしまい、方向感覚や空間認識などを失って歩行困難及び不能になった。脳の障害が最も早くきたために防御する方法も思いつかず、ザックの中の防寒具をさらに着るという動作もできず、そのまま倒れてしまうことになる。−略−低体温症を自分で防御できなくなる理由は、この脳の酸素不足による脳障害が早期にくるのが最大の原因であり、低体温症の恐ろしい事実である。
 ●カロリーからみた低体温症
  人間の熱を作る源は食物である。晴天、無風のときはさほどカロリー不足を感じないことがあっても、悪天候中での疲労や寒さに対しては摂取エネルギーの不足の状態を感じるようになる。Wardらは、山中での強風状態のときは無風時に比べて2倍の消費エネルギーを必要とすると述べている。トムラウシ山の遭難の場合、1日8km以上の距離を3日間歩く山行で、この行程ではどう計算しても1日のカロリー数は3000kcal以上の摂取が必要である。ところがザックの重量を10kg程度の軽量化を図ったため、平均体重40〜60kgの人で第1〜第2日目のそれぞれ摂取カロリーは2000kcalほど。内容はアルファー米、カレーに菓子パンなどで、遭難した日の朝の食事のカロリー数は平均900kcal程度であった。そのため、強風雨のなかでは朝に摂取したカロリーはあっという間に消費されたと思われる。これでは体温が下がりはじめて熱を産生しようと生体が反応しても、ガソリンのない車のような状態になっている。−略−このパーティの中で唯一ビバークして生存した女性はポシェットの中のチョコレートを食べ、『チョコレート一枚でこんなに元気がでてくるのか』と証言している。糖質はいちばん先に燃えて熱生産に結びつくので、栄養価の高いチョコレート一枚でも熱源には重要なものとなる。また、同日に同じコースを歩いた別パーティの1人はトムラウシ公園付近で低体温症になり、仲間からお湯と非常食をもらい、フリースを着込んだことにより症状が回復している。悪天候の中を歩かなければならないときは、とくにこまめな食料摂取が大切になってくる。低体温症になるかならないかは、カロリー数の摂取状態も大きく影響していることに間違いない。基礎代謝カロリーとは人間が生きるための最低限のカロリー数で、1日に男女1000〜1500kcalが必要であり、運動と基礎代謝のカロリー数をプラスすると約3000〜3500kcalが登山行動に必要とされる。とくに寒さが厳しい条件になれば、カロリー数は熱生産のためにそれ以上に必要になってくる。運動エネルギーはもとより、熱生産に必要なのは糖質である。糖質にはでんぷん類と糖類の2種類があり、でんぷん類は遅効性で腹持ちがよいが、糖類は即効性で疲労に効果的である。登山のエネルギー補給は朝食の取り方にあるといわれている。1日の始まりである朝食をしっかりと取っておくこと、行動中は最低でも1時間に1回は食べ物を補給しておくことが大切で、天候が悪くなってもカロリー数が十分であれば低体温症を回避できるかもしれない。
 ●現場での低体温症の防御
  人間の体温を奪う4つの現象を遮断することが防御の基礎になる。放射:防寒着、雨具を着る 対流:風を避ける 伝導:断熱マットを敷く 蒸発:濡れた衣服を着替える
 この中でも体温を急激に下げる最大の要因は風である。雨の日でも風は弱ければ、雨具さえしっかりしたものを着ていれば稜線上でも登山を続けることは可能であるが、強風状態になれば体力の消耗は激しく、体温を下げる条件はそろってしまう。雨の降り方にもよるが、風速10m/秒以上の強風下では稜線歩きは中止したほうがいい。調査した遭難事故において低体温症で死亡したケースはほとんどが稜線上で、樹林帯など風を避けられる場所での死亡はほとんどない。−略−ゴアテックスの雨具でも強風雨下では防水は完璧ではなく、シャツやズボンが濡れることがある。防水に優れているとはいえ、風による体力の消耗を防ぐことはできない。雨具を着ても風が強いと雨具とシャツの間に空気の層ができないために体感温度は肌にじかに伝わり、体温は下がる。この間にフリースなどを着れば空気層ができるため、放射、対流による体温喪失を防ぐことがある。−略−雨具は雨から身体の濡れを防ぐためのものであって、防寒具にはならないことを認識すべきである。−略−ビバークのとき断熱マットを敷くことによって少しでも体温を奪われずにすんだ−略−
山の天気の急変で、低体温症の最初の症状である『寒い』『震える』という体温35〜34℃のときに、放射、蒸発 、伝導、対流の4つを防御する行動をとらなければ症状は進行してしまう。この対応を判断する時間は30分以内が限度であり(15分で1℃下がるようなときは、33℃になると意識障害がきてしまうため)、この30分以内に、劣悪な気象条件から逃避する行動をとらなければならない。具体的には風をよける場所でツェルトをかぶったり、あらゆる物を着用して円陣になって体を寄せ合い、できるだけ風をよけるなどの対処をとるべきである。低体温症になってたら歩き続けて避難したほうがいいのか、ビバークして体力を温存したほうがいいのかという議論がある。筆者は後者だと思っている。−略−低体温症による意識喪失は忍びよるようにやってくるため、雨具などでフードをかぶり全身を覆ってしまうと周囲の人の症状がわからないままに最悪の状態になってしまうことがある。予防あるいは防御策としては、まず低体温症の起こる条件(気象)を知っておくこと、十分なカロリー数を取ること、コースの引き返し可能な場所を確認しておくこと、またはエスケープコースを知っておくこと、雨具、防寒具の早めの着用、ツェルトの持参、そして何よりも『山で起こる低体温症』の知識を身につけておくことである。
 ●低体温症からの蘇生
 低体温と思われる登山者と遭遇した場合、それを『死』と判断することは非常に難しい場合がある。それは急激に体温が降下したものと徐々に下がったものでは、そのバイタルサイン(生命兆候)が違うからである。急激に体温が下がって低体温症になると、意識がない、呼吸がない、身体が冷たい、瞳孔が散大しているなど心肺停止の兆候があるが、体温低下が止まったか徐々に下がりはじめた者にはなんらかのバイタルサインがある。登山者は山で起こる傷病についてファーストエイドの知識を持っていたほうがよい。目の前に傷病者がいた場合、これを診断することはできないにしても評価する能力が必要とされる。軽傷なのか重傷なのか、緊急度が高いのか、場合によっては心肺停止で胸骨圧迫法が必要なのか。低体温症の場合も、呼びかけてみる、身体にさわって体温の程度をみる、頸動脈に触れてみる、瞳孔の状態をみるなど、現在の状況を把握してみる必要がある。バイタルサインをしっかり見極めることと、体温下降のスピードの襲い低体温者は代謝が下がっているために生存できる可能性があることを知っておくことである。徐々に体温が下がり意識障害がきたケースでは、20℃以下の体温でも救命できる可能性がある。−略−
 Reulerらは、低体温症の患者を診るとき、『No one is dead until warm and dead』と述べている。つまり加温、蘇生を試みずして低体温患者の『死』の判断をすべきではないということだ。徐々に起こる低体温症では基礎代謝(じっとしていて何もしなし状態で生命維持装置に必要なエネルギー)が低下しているので、少ないエネルギーでも生存可能状態になる。基礎代謝が下がると、いわゆる冬眠したような状態になる。徐々に低体温になると脳の酸素消費量は少なくなっているので、心臓が徐脈でも脳細胞は守られている。−略−低体温者を発見したらどうしたらよいだろう。本邦には野外での低体温症患者の見方、ファーストエイド法などのガイドラインがかかれたものがない。−略−低体温症では代謝低下を起こしているため、胸骨圧迫、すなわち心肺蘇生を長くやってもよいとされている。低体温症で体温が30〜28℃のときに心室細動を起こしやすいのは、臨床的にも動物実験的にも証明されている。−略−登山者自身が全員、低体温症について詳しいわけではないので、意識がない、呼吸していない、頸動脈を触知できない、身体が冷たい、瞳孔が散大している、対抗反射がない(30℃以下で瞳にライトをあてると瞳孔がまぶしくて縮む反応がなくなる)、痛みに対して反応がない、爪を2秒押して離しても爪の色が変わらない−などの症状であれば心肺停止と判断、胸骨圧迫を試みるべきだろう。胸骨圧迫とは、止まった心臓を動かすと同時に脳の血流を絶やさないという考え方である。1分間に100回の圧迫をしなさいという指針はそれを意味している。−略−このように低体温症は気象条件や地形、高度、時間経過によってその進行性に変化があり、画一的に『死』の基準を設けるべきではない。心肺停止の判断が困難であるならば、蘇生を試みるべきであると考える。
 ●病院における低体温症の治療 −略−
 ●まとめ 「山で起こる低体温症」の実態と対処法
01 山で起こる低体温症の死亡例は、そのほとんどが「急性低体温症」である。
02 低体温症の軽度、中等度、重度という分類は病院へ搬送されたときのものであり、山中で この分類を考慮すべきではない。震えの症状がきた時点で重度と考え、防御対策を取らなければ症状は進行する。
03 低体温症には条件によって体温下降の過程が緩慢なものと急激なものがあるが、過程が緩慢なものほど救命率が高い。
04 低体温症の起こる場所は風をまともに受ける稜線上が多い。強風時の稜線歩きは避ける。
05 体温喪失の4つの要因である放射、蒸発、伝導、対流のなかでも最も体温を下げる要因は対流(風)である。
06 低体温症の起こる条件は気温10℃以下、雨または雪(身体が濡れる要素)、風速10m/秒以上の強風下である。
07 気象条件によっては夏山(湿性寒冷)、冬山(乾性寒冷)に関係なく発症する。
08 春や秋に発生する「雨氷」は体温を急激に奪い、症状の進行が速い。
09 低体温症者の血液検査では酸性血症(アシドーシス)、白血球の増加、CKの高値、肝機能の中等度高値、低タンパク、低血糖を示していた。
10 33℃以下になると意識障害が起こるようになり、自らこれを防御する行動がとれない。
11 低体温症になると体内に酸素を運ぶヘモグロビンから酸素が遊離できなくなり、肺が酸素欠乏になり早期に意識障害を起こす。また酸性血症も意識障害の要因になる。
12 脳障害は前頭葉の言語中枢周辺から起こり、意味不明の言語、奇声などを発生する。
13 深部体温と症状の関係において、体温の産生の症状である「震え」がないままに体温が下降することがある。
14 山中では震えがくる体温34℃の時点で防御する方法をとらなければ症状は進行する。ここが限界温度になる。
15 15分で1℃の体温下降がある場合は、低体温症になってから2時間以内に死亡する。
16 体温産生に必要な摂取カロリーが少ないと低体温症は進行しやすい。
17 悪天候の場合は消費エネルギーが大きくなり、これを十分に補う必要がある。風の強さなどにより疲労が増し、体温維持には炭水化物、糖質の補給が大切。
18 雪崩遭難にともなう高エネルギー外傷は、救出時の搬送などに時間がかかると低体温症を併発することがある。搬送時から加温方法を考慮しなければならない。
19 低体温症では代謝が低下するので心肺停止状態でも長く蘇生術を行ってもよく、それによって生存する可能性はある。
20 心肺停止と思われる低体温症者に遭遇した場合でも、加温と心肺蘇生を試みるべきである。
21 テント内、山小屋内で加温する場合は濡れた衣類をすべて着替え、寝袋に入れる。その際、加温できる湯たんぽなどを入れる。意識障害がなければ温かい飲み物を与えたい。温風で暖めるのが理想的で、身体をさすったぐらいでは深部体温は上がらない。
22 急に温水に入れて温めるとRewarming Shock,After Dropを起こし、重篤になることがある。
23 搬送は高度救急救命センターを勧める。
24 低体温症の酸性血症(アシドーシス)の補正は重要である。
25 経皮人工心肺補助装置(PCPS)は重度の低体温症に効果的である。

 天気の流れを読む、読図力をつける、カロリーを正しく補給する、体温調整できる装備を持つ、そして行動の判断力を養ったうえで、本稿を参考に『低体温症』が起こるメカニズムとその実際を知っていただき、安全登山につながればと切に願っている。

◆今年も盛況!ゴザフェス 大学の枠を越えて登山の夢を育む場に
 いい活動が始まっています。素晴らしいですね。こんな活動が全国に広がっていくといいですね。

◆アルパインクライミングのプロファイル(72)アンナプルナ南壁ソロ(文=池田常道)
 ウエリ・シュテックの久しぶりの記録。南壁最後の課題:英国ルートと中央バットレスの間の急峻なクーロワールへて主峰へと繋ぐライン。最終的にはソロになり、28時間で往復。
 ソロになったのは自明の理。パートナーのカナダ人:ドン・ボーウィは、アンナプルナ東稜に2度まで挑んで登頂を果たしていなかった。シュテックが南壁の新ルートに意欲を燃やす一方、もし状態が許さなければ東稜をやる手もあるとボーウィが持ちかけたのである。南壁のクーロワールをアルパイン・スタイルで登る自信はボーウィにはなかったものの、そこはまず壁を見てからということで合意していた。−略−
 9月22日にBCに入った一行は、26日に5000mのABCに上がり、取り付きまでの標識を設置しておいた。ベルクシュルントの標高は5500m、頂上まで2600mの標高差がある。その後6100mにC1を設置したが天候悪化で一旦BCにへ引き揚げる。BCでしばらく英気を養う間に2人は戦術を確認した。壁の巨大さを考えると、7300m付近でロックパンドを抜け出すまでは、最大限スピードを上げて登る。そのためロープは結び合わず、おたがいソロで行かなければならない。シュテックにとっては自明のことだったが、ボーウィはいささか不安を覚えざるを得なかった。彼にとっては限界を試す、いやそれ以上の登攀になることが分かっていたからだ。シュテックは、気に病むことはない、もう一度壁を見てから決めればいいと慰めた−略−
 10月8日朝5時半、ABCをあとにする。ベルクシュルントで撮影隊を待つ間、2人は最後の打ち合わせをした。ボーウィは、この壁をロープ確保なしに登ることを、どうしても決断できないと伝えた。このときシュテックの目に宿った光は、ボーウィが過去3度までも同行した8000m峰登山で見たものと同じだったという。結論は出た。シュテックはここから先ひとりで行くのだ。−略−

 その2週間後、フランスのペアが同ルートをアルパイン・スタイルで登攀した。

◆アルパインクライミング考(24)ヨセミテでの清々しかった敗北(文=横山勝丘)
 ■本物のクライミングに出会う
「−略−3ピッチ目、11a。1本目のボルトにクリップするも、その先ははるか20m以上にポツリと1本。もしここを越えて次のボルトまでの間にプロテクションが取れなかったら?それを考えた瞬間に、敗退は決定していた。心意気だけで登り続けることは、ぼくたちにはできなかった。ここを突破する唯一の手段は、「絶対に落ちない」という自信をもてるだけの「技術」を身につけること。このルートを登ればわかるが、グランドアップで開かれているのは自明だ。足で立って手を離せる場所にしかボルトがないのだ。初登者たちの心の葛藤はどれほどのものだったか?それでもめげることなく、彼らは11台後半のスラブを越え、12ピッチを登り切ったのだ。−略−完全な敗北であったにもかかわらず、ぼくたちの心は清々しかった。本物のクライミングに出会えた気がしたからだ。本物のクライマーが存在し、彼らが本物のルートを拓く。そういうルートにこそぼくたちは触れるべきだし、そういうクライミングをすべきである。ごまかしのきかない世界だ。すべては自分の一挙手一投足に委ねられる。そこで、自分自身の弱さと真正面から向き合う。そんなこともまた、クライミングの大切な要素。登れなかったことを憂える必要はどこにもない。そこで何に気づき、そこから何をするのかのほうが大切だ。−略−本物になるための手段。ぼくがアルパインクライミングを続ける理由は、そこにあるのかもしれない。面白いことも苦しいことも、すべてひっくるめて「楽しい」と言える。そんなクライマーになりたいと思う。」

◆新釈ニッポン百名山(48・最終回)筑波山、富士山 (文=樋口一郎)
 今回が最終回となってしまった。深田百名山を愛するものとしては、これらのものは全て亜流のものと思ってしまい、今まで読んでこなかったが、最終回の「富士山は面白い」という話しがあったので、読んでみた。
「富士山の哲学 『富士山は山ではない』−略−山歩きを趣味としない(嗜まない)一般的ニッポン人にとって、富士山とは普通の意味での『山』ではない。その証拠に、ここに富士山を中心に多くの山々が写っている写真があるとする。登山経験があって、ある程度この一帯の山に慣れ親しんだ人なら、『おお、これは素晴らしいパノラマだ。左から箱根、丹沢、その背後に富士山がまた見事ですなあ』くらいには思うだろうし、もっと山に詳しい人なら−略−ところが、山に親しまない一般的ニッポン人が同じ写真を見たらどうだろう。『ああ、富士山が見えますね。えっ、それ以外の山?たしかに山は写っていますがね…』こんなところが平均的な感想だろう。つまり、見る写真が同じでも、山をやらない一般的ニッポン人と山の経験者では、全然違う画像で脳裏に写るのである。一般人にしてみれば、富士山は客観的に認識するだろうが、その他の山はなんであれ『山らしき模様』にしか見えない。実はこれが冒頭で述べた『富士山は山ではない』の命題に行き当たる。富士山は、『いわゆる山』とはまったく異なる、固有の事物として認識されるのである。
−略−山歩きの年季を積むにつれ、このような『富士山軽視』とでもいう過程は誰でも経験するだろうし、言い換えれば山の経験や見識が深まるうえでは、ある意味必要な通過儀礼でもあるといえる。
−略−だが、そんな麻疹(はしか)の段階を経てさらに経験を積むと、あらためて富士山の魅力を知る。
−略−まず、富士山が一般の山とは別格の特別の存在ではなくなり、あまたの山のうちの一つと思えるようになったとき、その人は岳人としてのワンステップに到達する。さらに、いろいろ山を登った中で富士山独自の価値を認められるようになったときに、『高次元の岳人』にステップアップしたといえるだろう。富士山哲学の捉え方は、岳人の習熟度のバロメーター足りうるのである。」

以上

  

Posted by buntak2 at 13:20 本・雑誌 | 近況

2013年11月24日

20131124 ★昔の話★20120911◇ION(アイオン)・エアープロ PLUS ビデオカメラ購入

ION AIR PRO 2ion air pro

20131124 ★昔の話★20120911◇ION(アイオン)・エアープロ PLUS ビデオカメラ購入
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★昔の話★20120911
 先日、大宮のICI石井に行ったら、木村店長から新製品を紹介されたが、
その中の一つ、「◇ION(アイオン)・エアープロ PLUS」をネットで購入してしまった。
 あのとき、「貸してあげるよ」と言われてしまったので、それなら買ってしまおう!!と思わず買ってしまった。
 最近、HPで動画が良く登場し、それが面白くてよく見るので、「今度は自分も!」と衝動買い。よくよく考えると、やっぱり「GO PRO」の方が良かったんじゃあないか? なんて、思ったりして……

 一応ヘルメットに着けて、撮ってみようかと思ったのだが、外れたらどうしようとか、雨は大丈夫か?とか、考えているときりがない。
 とにかく使ってみよう!!
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 と思っていたんだが、日の目を見る間が無くて、あれから1年。

 はよせんとお蔵入りになりそうなので、ここで紹介しておく!!

 今週末のザイル祭と翌日の岩登り講習会で、使ってみるかな???

GO PRO冬冬2GO PRO HelmetFrontMount1  
Posted by buntak2 at 23:30 山道具 | 近況

2013年11月21日

第68回国民体育大会山岳競技 埼玉選手団祝勝会 20131120

s-PB200056選手・監督・役員

20131120 第68回国民体育大会山岳競技 埼玉選手団祝勝会

 今年の東京国体で天皇杯を開催県:東京都と分け合った山岳競技埼玉選手団の祝勝会が、大宮のスクェアで開催された。
 日頃より埼玉県体育協会は国体での総合3位以内(天皇杯3位)を目標にし、今年は総合3位。4位の愛知県とは2.5点の差だったと聞くが、そのなかでも競技別で天皇杯を取ったのは「山岳」と「バトミントン」だけなので、今年は扱いが大きい。ということもあり、熱の冷めない内にと言うことで、急遽開催された。
 今回は埼玉県体育協会の三戸副会長もご参加いただき、県スポーツ振興課の柳川課長、遠井副課長、新井宏:加須市生涯学習部長(市長代理)、元国体推進課長の野本氏、日本山岳会埼玉支部長:大久保氏も参加していただき、大いに盛り上がった。
 森下会長の挨拶の後、三戸県体協副会長様、柳川課長様にお祝いの言葉をいただき、
その後、選手・監督の紹介があり、参加した少年男女の選手より、一言スピーチ。来年の抱負も語っていただいた。その後、新井加須市長代理の御発声で乾杯。懇談に入る。
 今回は、飯能の大野氏や横内氏、我峰人山の会の山口氏も参加していただき何時もと違った参加者との話も楽しかった。
 その後、選手の活躍の様子をプロジェクターに投影して紹介。関ブロ突破の様子や、本国体での優勝シーンも見られた。
 そして、来賓の皆様から一言ずつお言葉をいただいた。
 最後は、全員の記念撮影で幕を閉じた。

 今年の少年選手は、来年は男女各1名は「成年」に格上げ。来年も是非埼玉選手として活躍して欲しい。ともにジュニアオリンピック大会で活躍し、今年は世界ユース大会やワールドカップにも参戦。今後日本のクライミング界を牽引していってくれることを期待したい。

s-PB200001開会s-PB200005会長挨拶
s-PB200007三戸県体協専務理事s-PB200014柳川課長
s-PB200015来賓の皆様s-PB200017委員長挨拶
s-PB200022選手監督s-PB200035選手監督s-PB200036乾杯s-PB200058少年男女  
Posted by buntak2 at 23:50 埼玉県山岳連盟 | 近況

関東地区スポーツクライミング競技会・群馬 20131117

s-05予選男子のセッションの様子
20131117 関東地区スポーツクライミング競技会・群馬

 今年の関東地区スポーツクライミング競技会は、太田市のクライミングジム「OZU」にて、群馬岳連の主管で開催。
 当初は、16日の栃木岳連海外委員会主催の「海外登山の集い」に出た後、翌17日の馬目氏との古賀志クライミングに半日参加し、午後から顔出しと考えていたが、栃木の集会に参加した選手強化委員の小茂田氏を送ることになり、結局7時に栃木県さくら市を出発したものだから、8時過ぎには到着してしまい、受付途中から顔を出してしまった。
 しかし、何時も御世話になっている群馬岳連さんの主催なので、みなさんにご挨拶。
本当に御世話になります。
 大会は、主要選手が益々低年齢化して、成年は数名?で、高校生いや、中学生・小学生が主体の大会となっていた。2年前に埼玉が提案した通り、大会の主旨や開催方法を変える必要があると切に実感した。
 予選のセッション途中で中座し、近くのICI石井スポーツに顔を出して、2014カレンダーを贈呈。そして、いつの間にか月の半分を超えていたので「岳人」と「山渓」を購入。また、ネパールのトレッキングマップ:エベレスト街道(2200円)を購入。
 その後自宅に帰ると出不精になってしまい、閉会式には行きそびれてしまった。

 結果の詳細は解らないが、埼玉選手は、男子が3位と6位、女子が6位に入賞したらしい。
 みなさん、ご苦労様でした。宇津木選手強化委員長さんと小茂田強化委員さんも毎度ご苦労さまでした。
 最後に主管された群馬岳連の皆さん、大変ご苦労様でした。

s-01喜内関東地区岳連副会長(栃木岳連会長)s-02-2
s-03赤松審判長とセッターs-04スタッフ
s-02参加者
  
Posted by buntak2 at 23:30 埼玉県山岳連盟 | 近況

「2,013海外登山の集い」栃木県山岳連盟海外委員会 20131116

s-PB160032馬目弘仁氏2

「2,013海外登山の集い」栃木県山岳連盟海外委員会 20131116

 今年も、栃木県さくら市の富野岡公民館にて、海外登山の集いが開かれた。
世話人は、野村海外委員長。今年は馬目氏を招待して、ピオレドールを受賞した「キャシャール」の報告をしていただいたが、それ以外にも栃木ヒマラヤ研究会の「パキスタンカラコルム・K2峰(8611m)」や栃木岳連65周年記念登山隊「ネパールヒマラヤ:チュルー峰(6429m)」の報告、山とは毛色が違うがUTMB(ウルトラトレイルduモンブラン)の完走者:斉藤俊氏の報告もあり、いろいろ楽しめました。

 各報告後は、同会場で懇親会を開催。ほとんどの参加者が残って、最初の報告や講演では聴けなかった裏話等をじっくり講師から聞くことができました。
 今回は土曜ということで、同所に泊まり、翌日は古賀志山に馬目氏と一緒にクライミングというプログラムも組まれました。加藤は関東地区クライミング競技会の為、早朝に失礼したが、2日目参加の岡田等は、一緒に楽しめたらしい。天気も良く最高だったようだ。

◆登山報告・パキスタンカラコルム・K2峰(8611m) 
 栃木ヒマラヤ研究会隊長:北村 誠一氏(宇都宮渓嶺会)
 2013夏、世界第2の高峰を舞台に繰り広げられた、ドラマ!!

◆登山報告・ネパールヒマラヤ・チュルー峰(6429m)
 栃木岳連65周年記念登山隊長:粂川 章氏(グループドモネージェ)
 2013秋に行われた登山で、10月20日に帰国。ほかほかの報告。

◆UTMB(ウルトラトレイルduモンブラン)
 矢板岳友会:斉藤 俊氏
 2013夏に行われたモンブラン山群一周のトレイルランニング最高峰の完走記。
(チャレンジする超人達のトレラン)     
 
◆「ネパール・ヒマラヤ キャシャール峰」
 馬目 弘仁氏(松本CMC・WCM発起人)
 2012秋、南ピラー初登攀にて登山界のアカデミー賞と云われる「ピオレドール」賞に輝いた記録の講演!名実共に世界のトップアルピニストの講演を、身近で聴けるなんて!我等ホント幸せもんです!

後で・・・

s-PB160007北村K2隊長
s-PB160011チュルー隊員s-PB160012チュルー隊粂川隊長
s-PB160025UTMB(ウルトラトレイルduモンブラン)の斉藤俊氏s-PB160017UTMBスタート
s-PB160019 100マイルとはs-PB160020カトリーヌの言葉
s-PB160021シュバイツァーの言葉s-PB160022鏑木毅の言葉
s-PB160023「Born to Run」より
s-PB160028馬目弘仁氏2  
Posted by buntak2 at 23:00 海外情報 | 近況

2013年11月15日

20131113例会報告

2014smfカレンダー注文票
20131113例会報告

 ザイル祭前の例会でしたが、加藤は県岳連の理事会で欠席してしまいました。
岡田リーダーからの報告です。変更がありましたら、訂正をお願いします。
 冬合宿も間近です。みなさん計画の作成をお願いします。

1.山行報告
・10/21 根本山−氷室山◆大島・他5
・10/27-28 奥武蔵 横瀬二子山・武川岳(西部地区新人大会)◆吉野・他6
・10/27 西上州・妙義山小山沢◆加藤
・10/27 奥秩父・乾徳山◆大島・他6
・11/2 西上州・岩櫃山◆大島・他10
・11/3 東日本実業団駅伝◆(役員)相馬・永野・松崎
・11/3 富士山◆岡田・加藤・政
・11/5 赤城山◆関・他2
・11/8 御坂・十二ヶ岳・節刀ヶ岳・鬼ヶ岳◆設楽・他15
・11/8-10 箱根◆(高体連関東ブロック役員派遣)吉野
・11/9 西上州・二子岩・ククリ岩◆大島・木本・他1
・11/11 御坂・十二ヶ岳・節刀ヶ岳・鬼ヶ岳◆設楽・中田

2.山行計画
・11/14 奥久慈・男体山◆設楽・他20
・11/17 古賀志◆岡田・吉松・荒川・政
・11/20 子持山◆設楽・他18

●11/30 ザイル祭・寄居かわせみ河原 ◆15時島田宅集合 買出・設営 18時開宴
 ※準備or 片付どちらかお願いします!

12/1 岩登講習・腰越立岩◆

3.その他
・1/16 リーダー会議

4.埼玉県山岳連盟から
・11/16-17 県岳連 冬山遭難防止研修会・上尾スポ研→加藤まで
・12/3・火 日山協 海外登山女性懇談会・東京→加藤まで
・12/7・土 県岳連 海外登山報告会・大宮(デナリ&K2報告他)→加藤まで
・12/8・日 県岳連 コバトンクライミング競技会(ロープ部門)・加須
 →加藤まで
●平成26年度 2014年埼玉県岳連カレンダーが完成しました。
 今年は、会員から作品を募集して作成しました。深谷山岳会からは、表紙に中田さん、
 9・10月に相馬さんの作品が選ばれました。
 1部700円です。多数お求めください。

 次回ザイル祭に持参します。連絡ください。当日でもいいですが、何部でもOKです。
 1100部作成しました。

■例会 12/19. 1/8. 2/20 保険 3/5 保険 3/20
■フリークライミング(毎週火曜日) 11/19 11/26 12/3 12/10 12/17 12/24 1/7
■市民クライミングデー(毎週金曜日)11/15 11/22 11/29 12/6 12/13 12/20 大掃除 1/10
H25.1 月〜19:30〜例会
  
Posted by buntak2 at 00:00 深谷山岳会 

2013年11月14日

20131110イモトアヤコがマナスルに登ったということ

20131002イモト マナスル登頂 イッテQ!!

20131110イモトアヤコがマナスルに登ったということ

それは大変驚きな出来事だった。たぶんそうだろうな?と思ってはいたが、そうあっては欲しくないという希望がそれを覆って平静を装っていたが、「登頂した」と聞くと、やはり予想外の出来事で、このままではダメだ!!という思いが募ってきた。
なぜなら、「イモトが登れるヒマラヤに、そんなに熱くなって行かなくてもいいじゃあないか?」と言う声がすぐそこまで来ているような気がするからである。
これまで、一般の人から、「なぜ大変な思いをして山に行くのか」「どこがおもしろいのか」とか言われたり、ヒマラヤ登山(遠征)ともなれば、仕事や家族を捨てないと行けないとか、捨てて行っているとか?言われもしました。長期間仕事を休んだり止めたりして行き、時には遭難して凍傷になって手足の指を切ったり、死亡することもあります。なぜそんなところに行くのか?と一般の人は思うのはしかたありません。ましてや「冒険」とか「挑戦」と言う言葉も、「イモトが登ったヒマラヤ」と言われると、そんな大ごとに騒ぎ立てるものでもなく、好きにすれば!!と言われそうだからです。
これは「現在のヒマラヤ登山の一側面」ですが、それはほんの一部のもので、このような登山が全てではありません。ましてや、我々が求めているヒマラヤの実像とは違います。
しかしここで何も発言しなかったら、これがヒマラヤの全てだと思われてしまったら、我々の将来が有りません。
ここ十数年、日本の山岳界としては嘗てのような話題性のある大きな遠征もなく、社会情勢により遠征隊の数も激減しています。嘗てはヒマラヤの世界で先頭切って走っていた山岳会や山岳連盟も衰退の一途を辿っています。しかしその反面、一部の若手アルパインクライマーは、世界的にも評価された登山を実践しています。しかし残念ながら、その姿は一般の人には届かず、マスコミを賑わしているのは、野口健やら元F1レーサーの片山右京、そして栗城史多である。彼らの登山については、本家本元はあまり口を挟まず、マスコミと本人たちの言うがままでありました。なので誤解も多かったのですが、マスコミにヒマラヤを取り上げてもらえるなら、「まあいいかぁ」という態度でした。特に内容が特別のものではなかったので、騒ぎ立てるまでもなかったからです。しかし、一般の人には、あれがヒマラヤで、ああやって登っているんだな!と、思いこんでしまわれたところも多々ありました。しかし、取り立てて修正を求めることは有りませんでした。恥ずかしながら山岳界の批評や評論のシステムが確立されていないのが事実で、分かる人は分かるからと言う態度でした。そして、今年は80歳の三浦雄一郎がエベレストに登頂し、今度はバラエティのイモトがマナスルに登ってしまったのです。

では、今回の「イモトが登ったマナスル」の登山はどうであったのか!細かな実情はわかりませんが、テレビで公開された登頂報告とこれまでの行動から、わかりうる範囲で推察したいと思います。

「イモトのマナスル登頂」の発端は、昨年(2012年)の「イッテQ」マッターホルン登頂から始まっている。そのとき、「次はヒマラヤ」というお触れだった。あれから1年、マナスルに出かけたことは噂で聞いたが、他のマナスル登山隊の様子はホームページで報告されていたが、イモト隊については情報が無かった。
11月5日、埼玉県山岳連盟海外登山委員会の例会でイモトのマナスル登山について話題になった。しかし、正確な情報は無く、ツイッターで栗城史多氏が「某テレビ局の登山隊が登頂した」ようなニュアンスでつぶやいたので、問題になっている?という話だった。その時は、「まあ、登っていないだろう」ということで、「登っていないならまあいいか?」という具合で、話は終わった。
 その夜、自宅に戻ってHPを覗いてみると、登ったようなそうでないような?という表現。問題になっていたのは、「自分の隊でもないのに、栗城隊と言うのは・・・?!」という内容で、登頂したかどうか?ということについては触れられていなかった。企業秘密ではないが、ネタバレはよくないことだとネチケットが守られているようで、その後は静観しているようだった。

 そして、11月10日、「イッテQ」の特番。
番組の一部は、▼http://www.ntv.co.jp/q/oa/20131110/01.htmlに紹介されている。

 イッテQ!登山部エベレストへの道・マナスル登頂プロジェクトが3月に幕開け。八ヶ岳合宿でのアイスクライミングの様子。そして、登山隊のリーダー角谷ガイドの事故からの復帰の紹介。合わせて、角谷氏がこれが最後のヒマラヤになるかもというマナスル登頂への意欲。イモトにその意思があるのか?と角谷氏が問うが、正直なイモトは返事無し。最後まで、その問いがかけられる。
そして、9月3日ネパールへ。4日軍のヘリコプターで首都カトマンズからマナスル山麓の町・サマガオン(3,780m)へ。ここで5日間の高所順応。
世界第8位のマナスル(8,163m)の紹介と隊員・スタッフの紹介。ガイドチームのリーダーは角谷道弘(50歳・国際山岳ガイド)、登山のコーディネーターで登山部顧問の貫田宗男(62歳)、奥田仁一(48歳)、中島健郎(28歳)、三戸呂拓也(28歳)。専属ドクターの大城和恵(三浦雄一郎隊に参加し、エベレスト80歳登頂の影の立役者)。山岳カメラマンの門谷、石井、佐々木氏。それに山岳音声の廣瀬。ディレクターの石崎氏、バックアップディレクターの小野寺氏とAD藤野。
 登山隊が往復6時間のトレッキングを4日間つづけている間に、7km先のベースキャンプへ3トンの荷物をシェルパ(ローカルポーター)が運ぶ。
 9月9日、4800mのベースキャンプ入り。現地スタッフは、エベレスト10回登頂のサーダー、エベレスト15回登頂のシェルパら○人、コックとキッチンボーイ4人。ここから2週間かけての高所順応。順応はC1往復とC2往復。上部キャンプのイモトは、一人テントが寂しく音声の廣瀬のテントに泊まったり、シェルパのテントに泊まったりして、繊細さを強調。一旦BCに戻って休養後、BCから5日間で登頂を目指す。
 登頂のための作戦会議。天候の関係で登頂日を決め、次にスタート日が決まる。通常5日間の予定が、天候の悪化で4日間に変更。C1からC2を飛ばしてC3に入り、C4からアタックとなる。このキャンプ飛ばしについては、大城ドクターは基本論を主張するが、イモトは高所の日数を減らすことに賛成し、キャンプ飛ばしとなる。実際の登山では良くあることである。
 そして、BCをスタートし、順調にアタックキャンプC4。
10月2日、午前2時に起床して頂上アタックのスタート。酸素の流量は1分間4リットル。アタックに挑むは総勢50名で渋滞がおこる。イモト曰く「ここにきて東京と同じ渋滞です」という。これが現実。シーズン2〜3回の登頂チャンス。150人いれば集まって当然。進みたくても進めず酸素切れの可能性(は絶対ないだろうが)、流量を半分の1分間2リットルに減らす指示。
短い休憩を挟んで最後は10時32分登頂。周囲はガスっているのでパノラマは見えず。簡単な感想を述べて3分で下山開始。C4に到着。そしてBCに下山。
そして最後は「次は世界最高峰エベレスト」のGo!!サイン。
という番組でした。(たぶん。すみません、一度書いたものが飛んでしまい、今日までの濃い3日間で完全に記憶が消えた。)

ということで、今回のマナスル登山の様子を紹介しつつ意見を書いていたのだが、80パーセント完成したところで、どういう訳かファイルを削除してしまう。復旧作業をしたのだが、どのソフトも成功せず0に帰した。これは、「ブログでもつぶやいてはいけない」ということか?…と思ったのだが、やはり今の気持ちを書き残しておきたいと思い、再び書いている。同じものは二度とできないが仕方あるまい、記憶にある限りで書き残す。本当はよく考えて意見したいところだが、そこまでの時間も無く、書かないと全てを忘れてしまいそうなので、不完全ながら簡単に…。

1.今回のヒマラヤ登山は、山森欣一氏のいうところの「高所遠足」の典型であるということ。
現在のヒマラヤ8000m峰の登山(特にネパール)では、登頂システムが完成され、そのシステムに乗って進んでいけば、誰でもとは言わないが、おおかた登頂できるシステムがある。
すなわち、登山開始の諸手続から、ルート工作、テント設営や荷揚げ、食事、酸素の供給、天候判断まですべての面をエージェント(ガイド)と呼ばれる請負人に任せることができ、自分の体調管理と自分の体を持ち上げさえできれば、登頂できるのである。特にルート工作については、地元のシェルパが頂上までフィックスロープ(固定ロープ)を張り巡らせている。極論であるが、一度ルートができれば、天候さえ良ければ、誰でも山頂までたどれるのである。
 今回は、イモトアヤコ。もと陸上部で、珍獣ハンターで名を馳せ、世界各地を回っていろいろなことに挑戦しているコメディアンである。肉体的、体力的な面は一般人より優れており、若い。三浦雄一郎と比べるまでもない。三浦雄一郎のエベレスト登頂も凄いが、たくさんのサポーターあっての登頂である。今回のイモトの登頂も同じである。まして、今回は仕事なのだ。仕事で遠足に行き(行かされ)、登りたくもないのに引っ張られて行き、最後は登ってしまった。遠足的な楽しさはなかったろうが、目的の登頂を果たしたのだ。
 仕事で登る山、好きとか嫌いとか、意欲があるとか無いとかの話ではなく、行って殺されたり死んでしまいそうならそれは行動しないだろうが、仕組む方も、タクティスをしっかり組んでいるので、計画に乗っ取って進めば登頂の確率は非常に高い。そのための完璧なスタッフ(サポート体制)なのだ。
今回の登頂システムの中で、個人的な経験は、定石通り仕組まれ、実施されている。
八ヶ岳合宿や剱岳合宿、マッターホルン登頂やアコンガクア登山等、エベレストへの道をしっかり進んでいる。
 登頂システムの中で、エベレストの前に、8000mちょっとの山に登るのも定石で、今回のマナスルはエベレストの前哨戦であった。今までなら、チョ・オユー(8,201m)やシシャパンマ (8,012 m)が定番であったが、現在中国のチベット情勢が悪いので敬遠され、昨今はマナスルが一番登りやすい8000m峰と言われ、登山シーズンには多数の登山隊が入っている。今回は150人と言っていた。登頂日もシーズン2〜3回ほどで、今回も50人が集中したという。
1956年に日本人が初登頂した当時とは全く変わって、登山のシステムがほぼ完璧に完成されたこのヒマラヤでは、登りたくなくても登れてしまうのである。

2.最初から最後まで「登頂したい」という意思や意欲がない状態で登ってしまった8000mということ。
 最近のマスコミで騒がれた、野口隊であれ、片山隊であれ、栗城隊であれ、それぞれいろいろ考え方や登り方が違うが、それでも「登頂したい」という本人の意思は明確であった。三浦隊も然り。ただ作今の栗城隊にしてみれば「あまり順調に登ってしまうと先がなくなってしまったり危なくなるので、ほどほどでもいいか?」と思われる節があったが、それでも「登頂したい」という思いが、一般の人にも理解されているので応援が多く、遠征を繰り返している。
しかし、今回のイモトのマナスル登山は、最後まで「登頂したい」という意欲や意思が明確でなく、なんとなくみんなに乗せられて、スムーズに来てしまったので登頂してしまったという具合である。なので、おもしろおかしく紹介されている石崎ディレクターも登ってしまったという案配である。完成された登頂システムに強力なサポートがついて、完璧な体制の中であれば、意欲があろうがなかろうか、かんがえるまもない登頂であった。

3.登山の行われなかった登山だったということ。
 「マッターホルンと違い、マナスルにはアイスクライミング技術が必要である」と、八ヶ岳合宿を組み、アイスクライミングを初めて二日目で「南沢大滝」を登ってしまったのは、「○○の初心者がプロの□□に△△してしまったのと同じ」と比較紹介されていたが、現実はどうだったか。一カ所だけ、その技術を使える場所(場面)があったが、実際はガイドがロープを強引に引き上げて終わってしまった。イモトはもがいて足を上げたのみだった。結局、最後の登頂まで、イモトのザックには「黄色いピッケル」がくくりつけられていた。ピッケルさえ使う場面がなかったのだ。自ら登った山ではなく登らされた山に等しく、それは普通のヒマラヤ登山がなされなかった登山であると言えよう。

4.では、我々の求めるヒマラヤ登山とは?
 以上3点の裏返しといえるが、
 ……後で……。
  
Posted by buntak2 at 23:00 海外情報 | 話題

2013年11月09日

20131109「山と溪谷」2013年11月号 読み切る

山と溪谷2013年11月号

20131109「山と溪谷」2013年11月号 読み切る

◆「特集 単独行シンプル化計画」(谷山宏典=構成・文,監修=加藤直之1972生まれ)
●基本 単独行者がめざすべきシンプル化とは?→「山行のプロセスを整理し、必要なことは確実に行い、無駄なことは徹底して省くこと。それが本企画のめざす「シンプル化」である。」(今回のレベルは、「夏〜秋の一般登山道をひとりで歩く登山」を想定。)
「単独行では『準備』と『回顧』に時間をかけることが重要」
●準備 「地形図に向き合い、イメージを広げる」=目標設定、計画立案、装備の選定。
 1.目標を設定する 単独行者が初めにやるべきことは「将来どんな山登りがしたいか」という長期的な目標を設定すること。−略−まずは数年先の長期的な目標を定めて、その目標に対して「今自分はどの段階にいるのか」、そして「これからどんな経験を蓄積すればいいのか」を考える。そうすることで初めてそのひとらしい山登りがうまれてくる。
 2.計画を立てる 山行を自分のものにするため、念入りに行いたいのが、「計画を立てる」過程。一般的には日程や登るルート、宿泊地、行動予定を立てるが、「登る山やルートの情報を地図から読み取り、山行のイメージを膨らませる。」「初めにマクロな地図を見ることで、自分が登る山が日本のどこにあり、その東西南北にはどんな山域が広がっているのか、大まかな概念を掴む。その上でミクロな地図に移り、周りの山々の概念やルートの詳細な地形を把握していく。マクロとミクロ両方の視点で、山を捉えることが大切。」また、もうひとつ欠かせないのが、「行程表を作ること」「行程表とは、登るルートをいくつかのブロックに分け、それぞれ標高差、進行方向、水平距離、所要時間、注意点などを一覧にしたもの。注意点は地形図から読み取ったり、登山地図(ガイド)に記載されている内容を参照する」「インターネットの個人記録に頼るのは危ない。」「始めていく山域の場合は、周辺の山や主要な尾根・谷、山小屋や水場の位置をまとめた概念図を書くと、山の中でルートや現在地の把握がしやすくなる。」
 3.装備をかんがえる 「盲目的な軽量化は危険」「必要な装備は確実に持つ、ということをまずは徹底しなければならない。」「あると便利、あると安心という言葉にだまされてはダメ。持っていっても、使いこなせなければ意味はない。使えない道具はリストから外し、その道具が必要となるだろう計画は立てない、またはほかのリスクマネイジメントの方法を考えることが賢明。」以上の基本を押さえた上で、「必要最低限を見極めること」「一つの装備をほかの用途に兼用する」こと。「『予備』ではなく『メンテナンス』を」。

●山行「計画を踏まえ、常に考えながら歩く」=安全に登山を行うため、山中ではさまざまな技術を駆使したり、判断を下す必要がある。
 1.「セルフマネジメント(自己管理)」=「自分の体調をいかに管理するか」の総合的な技術。→「衛生管理を徹底する」「テントや山小屋では体をしっかり休ませ、十分な睡眠を取る」「適切な水分・エネルギー補給を行う」
 2.「地形・方位を読む」=「コンパスを使いながら地形図と実際の地形とを照らし合わせて、自分が今どこにいるのか、これからどんな地形の所を登るのかを把握すること」
「地形・方位を読めない人は、ひとりで山に行ってはいけない」
 3.行動中の判断 事前の計画(行程表と概念図)を頭に入れつつ、山中でもアンテナを広げよう。
 4.行動記録を取る コースタイム、ルート上の注意点、行動中の様子、ウェアリング、水分補給、天候、反省点など
 
●回顧「山行を振り返り、経験を血肉化する」=その山行を振り返って反省することで、初めて経験を蓄積することができる。
 下山したら、記録をもとに山行を振り返り、記録を毎回の山行ごとにまとめる。

●プロ達に聞くシンプル準備術
・忘れ物対策の基本は、装備リストの作成
 →石丸:品目と重量、そしてA(最軽量装備)B(使いやすい装備)の記号をつけて管理。デジタルスケールで計る。
 →武田:装備の基本セットに泊数、ハイキングか登山なのかで臨機応変に入れ替える。長期山行では、計画表と一緒に装備リストを作成。
 →平賀:クマよけスプレーと笛
 →石丸:スマホの予備バッテリーとそれにドッキングできるLEDのユニット(予備ライト代わり)&常備薬、針金とプライヤー、ティッシュ、笛、安全ピン、赤いビニールテープ…。
 →武田:常備バック(ライター、ナイフ、キネシオテープ、トイレットペーパー、携帯カイロ、コンタクトレンズ、ソーイングセット、スマホのバッテリー、日焼け止め、瞬間接着剤&エマージェンシー用のファーストエイドキット。
・痛恨の忘れ物は(必携品)→ヘッドランプ、手袋。バッテリー関係の予備、ライター、マッチの予備。行動食。コンタクトレンズの予備。水。&体力。
・装備の軽量化
 →石丸:アライテントのウェッブサイト:夏山テント泊の装備は、35Lのザックで水まで入れて10kgを切っている。お店でうっているものをそのまま使うのではなく、自分なりの工夫をすること。
 →平賀:軽量化も目的を明確にする。自分が何を目的に山に行くのかをわかっていないと楽しめない。何でもスリム化するのではなく、山で自分のやりたいことをイメージして装備を考える。
 →武田:想像力という意味では、手持ちの装備をうまく使い回すことが大事。使い回しの利く装備を!
・食料の軽量化・コンパクト化
 →武田:ガスをなるべく使わないために早ゆでパスタをよく使う&カップスープの素。
 →石丸:早ゆでパスタにペミカンとシチューの素。コーンフレークにスキムミルク。
・時間節約のためには、日頃の整理整頓も大切。

●ひとり歩きの基本装備
 「シンプル化3箇条 1.安全性を最優先にすべし 2.大は小を兼ねないと心得よ 3.できるところからのシンプル化」 以下は、無積雪期の日帰り・テント泊登山の基本装備
 ・ザック=日帰り:20〜25L程度の使い勝手のいいもの。
   テント泊:50L前後。背負い心地を重視。
 ・レインウェア/ヘッドランプ/トレッキングポール2本/ファーストエイド(絆創膏や包帯、テーピング、消毒薬等)/レスキューシート/ナイフ/水筒=日帰り:1L,テント泊2L/コンパス//【テント泊】ストーブ&燃料&ライター/コッフェル800ml前後が汎用性が高い、湯を沸かすだけなら400〜500mlで足りる/カラトリー/テント&ペグ/寝袋/マット/防寒着/スタッフバック

●リスク ソロ山行のための危機管理(リスクマネジメント)リスクの予防と対策
 1.単独行のリスクの整理
  (1)単独行遭難の死亡確率約20%、パーティは約8%。目撃者が居ないことにより、救助や発見が遅れるため。
  (2)すべてひとりで対処しなければならない。
  (3)ピンチの時も自分で責任を取る心構えで=ピンチに陥ったときでも自分ひとりで対処する自信がある人のみ、単独で山へ行ってもよい。★★★
 2.予防策
  (1)道迷い=出発前にコースを確認する。迷いやすい所を地図に書き込んでおく。山行中は、地図とコンパスを携帯し、常に現在地を確認しながら行動する。
  (2)滑落・転倒=地面(足元)をよく見る。足を置く場所を考える。
  (3)持ち物=忘れ物をしないために、必ず「毎回」持ち物リストを作り、「目で確認する」&ツェルトかレスキューシート、38mm幅のテーピングテープ。
 3.ピンチの時は「お・か・き」を思い出して冷静に対処。
  お=落ち着く,か=確認する,き=救助要請。

●読み物  僕の単独行物語 
「二十六歳の時の単独行」角幡唯介「若い頃に一度だけ本格的な単独行に挑戦したことがある。二十六歳の時だった。チベットの山奥の誰も知らない空白部に足跡をしるすため、たった一人で探検に向かったのだ。/作家の沢木耕太郎氏が『深夜特急』の旅に出たのも二十六歳の時だったので、それを考えると二十六歳という年には、青年が過去と未来を見渡して青春の総決算を求めるような、何かそういう意味があるのかもしれない。確かにあの時、私が求めていたのは青春との決別だった。いまだ幻影を引きずる青春から自分を解き放ち、人生を一歩前進させるために、私には単独行という行動のスタイルが最も適しているように思われた。単独行という言葉にはどこか人生を賭けたような響きを感じる。それまでにも何度も一人で山に登ったことはあったが、単独行という言葉に相応しい行動は、その二十六歳の時の探検が初めてだった。日本を出発する前は、自分が死ぬかもしれないと覚悟していたが、しかしどうあっても私はその単独行に出かけなくてはならなかった。そうしなければ、自分の人生はそこで停滞し、時間だけが無為に流れ去って、二十六歳のあの時に単独行を決行できなかったことを永遠に悔いることは目に見えていたからだ。私にとって単独行とは今でもそういうものだ。スケールの大小は関係ない。どこに行くかはそれぞけれの問題だ。ただ単独行が単独行であるためには、それが自らに対する決意の表明でなければならない。単独行には人生に対する気負いのようなものが必要なのだ。
/結果的に言うと、その単独行は失敗に終わった。−略−たぶん当時の私にはまだ単独行を実践するだけの資格がなかったのだろう」あったのは気負いだけで、成功させる経験や能力はなかった。−略−ザックの重さは30kgを優に超えていた。−略−荷物の重さがこれほどになってしまったことは、致命的なミスだった。だが若くまだとてもバカだった私は、体力ですべての不利は補えるという思想の信奉者だったこともあり、この程度の荷物の重さは取るに足らないことだと思っていた。むやみやたらに筋肉を動かし酸素を消費しさえすれば、目の前のあらゆる困難や障壁は越えられると考えていた。荷物の重さは安心感すら与えていた。−略−24日間も一人で山を彷徨親したら身体がどれほど衰弱するか想像がつかなかったし、食べるものがなくなって野垂れ死にしてしまうのではないかという恐怖感がどこかにあった。−略−自分が行こうとしているところがどんなところかなのか分からないだけに、重たい登攀具の類も保険の意味合いで持っていった。その結果どうなったかと言うと、越えられない場所が現れた。シャリバテは回避できたが、途中で灌木の生えた高度差800mほどある湿った垂直の泥壁が現れて、私はそこを乗り越えることができなかったのだ。技術的に云々……という話しではなく、単純にザックが重すぎて荷揚げシステムに失敗し、その泥壁を登り切ることができなかったのである。−略−エリック・シプトンはこんなことを言っていた。「持っていくかどうか迷うような装備なら持って行くべきではない」と。つまり迷うような装備はなくても何とかなるということだ。しかしこの言葉をほ実線するのは案外難しい。装備を一つ減らすということは、その減らした装備の分の機能を自分自身の知識と経験で補わなくてはならないからだ。もう少し突っ込んで言うと、補えると確信できるだけの想像力がなくてはならない。−略−それを別の言葉で『懐・ふところ』と言い換えることもできるだろう。登山者は、広くなった懐に、不必要な装備や食料を放り込むことによって初めてシンプルに山を登ることができるようになる。二十六歳の私は、意気こそ軒昂だったものの、まだ懐が狭かった。」

「私にとっての単独行というもの」西田省三
 「−略−すべてをひとりでこなすとで、天気読み、地図読み、装備、食料、さまざまなものに磨きがかけられていく。行き着くと他人に合わせられなくなる、というおまけもついてくるが−略−単独行はおのずと個人の能力が引き上げられること、自分のスタイルに合った形にカスタマイズできるという利点がある。−略−」

●あの単独行者に学ぶ シンプルスタイル
 ○長谷川恒男「単独行は、自分の能力をいかに百パーセント出し尽くすか」「弱い人間が大きな岩壁立ち向かったとき、それは山との闘いというより、自分との闘いであり、自分の弱さとの闘いである」と、山頂へ立つことと同じぐらい登攀の経過を大切にしていた。「グランドジョラスという山と対話をしてくる。そして、またひとし大きな教訓を掴まえてくる。そして、もっと世の中が、人の真理が、愛が見えるようになって帰ってくる。」
●加藤文太郎「もしも登山が自然から色々の知識を得て、それによって自然の中から慰安かぜ求められるものとするならば、単独行こそ最も多くの知識を得ることができ、最も強い慰安が求めえられるのではなかろうか。」「単独行者は夏の山から春秋―、冬へと一歩一歩確実に足場を踏み固めて進み、いささかの飛躍をもなさない。故に飛躍のともなわないところの『単独行』こそ最も危険が少ないといえるのではないか。」
●山野井泰史「昔は登攀史を意識しながら登っていたこともありますが、今は、本当に登りたいか、命を懸ける値があるのかがすべてです」と純粋にその山に引かれるかで登る山を決めている。「自分の能力以上の山を選びません。ほかのスポーツなら自分の限界を超えて挑戦することがあるでしょう。しかし、山はそんなに簡単な世界じゃない。無茶は死に直結します」「スピードや動きが思いどおりにできて登っている瞬間にいちばん充実を感じます」小学校五年生の山野井少年は、高いところから飛び降りるのが好きだった。「飛ぶか飛ばないかを考えて決める。そして、飛ぶ。飛んでも誰も見てやしない。でも、ひとりで決めて行動することが楽しかった。」だから、山もひとりで登ることが特別なことではなかった。やったことに対する評価もいらない。すべては「自分の中の冒険」だと言い切る。「どんな状況になっても自分で解決して、這ってでも降りてくる覚悟があります」

◆アルパインクライマーの登攀哲学 第2回 岡田 康(1973年生まれの40歳)
 柏澄子氏構成・文の連載もの。今回は、2010年横山勝丘氏と登ったローガン南東壁「糸」でピオレドールを受賞した岡田康氏。「アルパインクライマーの資質というのがあるとしたら、その行為を好きかどうか、それが第一ではないですか。」「クライミングを続けられるのも、上達するのも、それはすべて、クライミングが好きだから。」「クライマーの年齢に限界はないと思っています。パフォーマンスだけを考えればありますが。僕らの相手は人間ではない、自然。成長したり歳を重ねたりしても、夢や目標を追い続けることができます。−略−冒険というのは一生できる、ワクワクすることは探し続けることができると思っています。もし冒険ができなくなったとしたら、それは自分の想像力がなくなってしまったとき。終わりはやってこない。むしろこれからのほうが、楽しいと思っています。」「クライミングは自分の心の中から描き出すもの。尽き果てることは、永遠にやってこない。」

◆『アルプ』が輝いていた頃(文:福島功夫)−山口耀久:著『「アルプ」の時代』刊行によせて−
 懐かしい雑誌「アルプ」。ついぞ購入したことはなかったが、北海道白雲岳の避難小屋で丸1日の停滞途中で読んだのが懐かしい。串田孫一、尾崎喜八、深田久弥等、特に高校から大学生の時に好んで読んだ作家の生の原稿が良かった。廃刊になってすでに30年という。古き良き時代の産物。その回顧録が山口耀久の手によって表された。一読したい。
  
Posted by buntak2 at 23:30 本・雑誌 | 近況

2013年11月07日

20131025「岳人2013年11月号」読む

岳人2013年11月号

20131025「岳人2013年11月号」読む

[私のすすめる晩秋の山]
◆山急山(杉村 航)
 西上州の秀峰。高さは992mしかないが、山名の通り「急な山」。今年3月頃、五輪岩を登攀中事故で亡くなった人が居り、一時話題となった。それで、いろいろ調べていたらG県岳連の古い会報に初登攀の記録があり、後日そのご本人にあったりしました。Hpでは山登魂の記録が詳しいです。▼http://yama-to-damashii.outdoor.cc/20110410_gorin/01.htm 
 山急山に関しては、西上州や妙義山大好きな方がたくさんおり、記録はたくさんある。この記事も、カラーで5pの豪華記事?。

[晩秋の山を120%堪能する12コース]
◆初冬の伊豆山稜線歩道(女子美大WV部)
 昔、大学1年のWV部の春合宿で、伊豆に出掛けた。記憶は定かでないが「達磨山」「土肥峠」「宇久須峠」「天城峠」の名前は耳にした気がする。なんだか懐かしい場所だ。あのとき確か、花のない石楠花のトンネルを潜ったり「天城山」に登っり、伊豆の踊り子の天城トンネルを潜ったような気がするが……。やはりワンゲル合宿の定番コースなのだろうか?

◆奥秩父をカモシカ山行で歩き抜けよう(山田哲哉)
 金峰山から雲取山までの奥秩父主脈縦走コースをカモシカ山行で歩き抜ける。自称,山田哲哉20歳前の不出来な登山。25時間で雲取山に到着。避難小屋の風影でツェルトをかぶり、シュラフカバーに潜り込む。彼に「晩秋の奥秩父の大切なイメージ」を焼き付けた。「勤労感謝の日前後は時として冬山のこともあるが登山者の感覚では『晩秋』だ。甲武信岳から雁坂峠の間が、初冬と晩秋の境目となる」
 ここは、私にとっては地元の山、しかし行ったのは一度だけ。初めての冬山(春山)で、三峯山から雲取山、破風山、甲武信岳、国師岳、金峰山、瑞がき山と辿ったことがある。
甲武信〜国師間が長いが、思ったより短時間で抜けられた覚えがある。

◆檜岳山稜(鈴木清高)
 冒頭の奥山章『ザイルを結ぶとき』そして、安川茂雄『孤独なザイル』は、懐かしい。西丹沢を語るとき、そして谷川岳一ノ倉沢の岩壁登攀を語るとき最初に思い出すのはこの雨山峠越えの話し。『西丹沢の一角に雨山峠という名前の小さな峠がある。1000メートルにも足りない地ぶくれのような山地で、特に旧街道というわけではない。この峠を越える人間は旅人ではなくて、大方は素足に草鞋ばきの若い登山家である。小田急沿線の渋沢から深夜ランタンひとつを頼りに5時間以上も歩いてこの峠を越えるのだが宿屋、茶店が一軒あるわけではなかった。』良いくだりだ。
 私らが一ノ倉沢に登るときは、既に「表丹沢,西丹沢,谷川南面と順を追って技術や経験を高めていった時代」では無かったが、「黒岩、二子山、一ノ倉沢」の順を踏んだ。今でも、谷川に向かう前はこの順を毎年追っている。

◆奥久慈男体山(手嶋 亨)
 茨城県の名山。一度登っておかなければ?と思うが、まだいいか?

[登れ!いい山 November]
◆北アルプス/雲ノ平(西田省三)
 この時期の雲ノ平は入山が大変。しかし、良いところだろう。今夏、黒部川上廊下で近くをかすめ、数十年前を思い出した。久しぶりに行ってみたいね。

◆屋久島 宮之浦岳〜永田岳(田所芳文)
 ここもそろそろ行っておきたいところ。

◆日本百名山の深みへ−岳人厳選登頂ルート−赤石沢(丸山 剛)
 かつて険谷と言われた赤石沢。今ではダム工事により取水堰堤ができ下流部の水量が減って往事と代わってしまったらしいが、今なおニエ淵の景観や取水堰堤から百間洞へ詰め上げる渓の美しさは最高らしい。近々挑戦したい沢です。

◆リニア中央新幹線、来年度着工。南アルプスを貫通する25のトンネルに地元民ら環境破壊懸念(宗像 充)
 「地下400mにトンネルが掘られる」と9月の「自然保護の集い中央大会」▼で静岡県の委員が環境への影響を心配していた。地下400mでは?と思うが、似た例が「関越トンネルの排気口(正式名称:万太郎立坑換気塔)」。こちらは、谷川岳の南、谷川のヒッゴウ沢出合より約500m上流の地表に排気口(地形図には「空気孔」とある)が出ており、付近の○○濃度が高いことが報告されているという。リニアの場合はどうなるのだろうか?排気ガスはあるのか?排気口や換気口が必要なのか?
 ここでは、地下の地質的に弱いところがあり工事や運行で突発事故がおこる可能性について述べているが、私たちとしては「地表面の自然環境への影響」について知りたいところですね。

◆高みへ 大人の山岳部(11)クライミングギア(下)技術編(笹倉孝昭)
 ロープとカラビナの説明。ロープに関しては、現在、径がドンドン細くなっている。何処まで行くのか?と思うが、細くなれば軽くなるので嬉しいが、一方で長さも長くなっている。わたしが最初に買ったロープは40m、次が45m、今はダブル(ハーフ)は50mが普通だが、シングルは60m。雪稜ならダブル1本60mを使用している。
 カラビナについても色々変遷があったが、現在はキーロックのストレートとベントのオフセットD。ヌンチャクも3代目となっているが、このごろはアルパインクイックドローが活躍している。詳細はここの解説で…。

◆山道具2013 カタログから一歩先へ(11)保温着(若月武治)
 寒くなってくるとウェアーが気になる。そろそろアウターの上下を新調しなければ?と思っているが、なかなか満足できるものがない。いやあるのだが高価すぎて手が出ない。 若ければ「日本の冬山はゴアの雨具」で大丈夫なのだろうが、年を重ねると色々心配になる。装備をケチって事故や遭難を起こしても恥ずかしい。用途に応じていろいろありますね。

◆天気図を読んで山に行こう(18)帯状高気圧帯を狙え(猪熊隆之)
 このところ休日になると天気が悪くなり、平日は天気が良いという、労働者にとってはまったく面白くない週末天気。台風騒ぎがやっと収まったら「冬の気配」。
 文化の日を中心にした三連休。今年は帯状になるのか?気になる三連休です。
 長期予報では、今年の冬は寒くなりそう。アイスクライミングが長く楽しめるだろうか?

◆パキスタン北部山岳地帯の旅(山本修二)
 そろそろパキスタンが気になります。来月には、2つの報告会でカラコルムの様子を伺います。1994年以来20年ぶりのパキスタンがそろそろ見られますか?
 フンジュラブ峠を越えて中国へも行ってみたい!

◆山で起こる低体温症(上)(金田正樹)
 トムラウシ山での大量遭難について、特別調査委員となった金田医師の事故調査報告書はだいたい読んだ気がするが、単行本は買っていないので読みのがしたのかもしれない。、今回の提言で大変貴重と思える報告があった。
 「事故で起こった低体温症は、病気で体温が下がるものや治療目的で低体温とするものと区別するために、偶発性低体温症という」「山で起こる低体温症と街で起こる低体温症は別物と考えた方がよい」「分類:急性低体温症=6時間以内に発症するもの=タイタニックの事例、亜急性低体温症=6〜24時間で発症するもの。八甲田山雪中行軍の事例。しかし、トムラウシ山の例では、歩き始めてから6時間以内に発症し、その後2時間で死亡した人がいる。このケースでは、低体温症になってから亡くなるまでわずか15分に1℃の割合で体温降下があったと思われるので、亜急性には当てはまらない。むしろ、登山における低体温症は、気象条件によっては急性低体温症になる。」「体温による分類:35〜33℃=軽度低体温症,33〜30℃=中等度低体温症,30〜25℃=重度低体温症,25℃以下=重篤」「これは、33℃を軽度低体温症としているが、あくまでも病院到着後に直腸温や食道温を測定したときの分類であり、病院なら救命し得るが、登山中の低体温症の分類としてみると大きな間違いになる。山中であれば33℃は重度低体温症に分類されるべきで、あらゆる手段で体温の下降を防ぎ、加温しなければ症状は進行していく。山中では全身的な震えがきてよろよろし始める34℃ですでに重症と考え、その緊急性は高いと思った方がよい。なぜなら震えが止まった時点では歩行障害、意識障害がでるまで進行してしまうからだ。登山者はこの分類を覚える必要はなく、『全身的震え』がきた時点で緊急性の高い低体温症と自覚・判断し、その環境から逃げ、防御する態勢をとらなければならない。」
「体温の喪失と産生:人間の体温は、熱の喪失と熱の産生の平衡が維持されることで調節されている。肌で感じる暑い、寒いという刺激に体温調整機能が働き、血管を広げたり、縮めたりして体温を調整している。環境温度が下がり、寒いと意識すれば自覚的に防寒具を着て体温を維持する。/環境温度がさらに下がり始め、そり防御が不十分になれば、体温調整の中枢は手足のような末梢及び皮膚表面を犠牲にして、まず脳、心臓、肺など生命維持装置の温度を一定に保とうとする。体温が34〜33℃になると体温調整機能は働かなくなり、33〜30℃で意識障害を起こすようになる。やがて30℃以下で体温調整能力は失われ、心機能不全から心配停止になり死亡する。」「身体から体温を奪う現象:1放射,2蒸発,3伝導=冷たい岩や氷の上に座ったら体温との温度差のために熱が奪われ、お尻が冷たくなり熱を喪失する現象。お尻と氷の間に断熱マットを置くと伝導は遮断されて冷たく感じなくなる。4対流=体表面を温めるために対流を起こしているが、風が吹くと対流が大きくなり逆に体温を奪う現象。強風の中にいると体温の喪失が大きくなって、体感温度は外気より低く感じてしまう。この対流、つまり風が体温を奪う現象は、最も顕著な体温下降につながる。放射、蒸発、伝導の体温を奪う現象に加えて強風にさらされると体温は一気に下がってしまう。山では風の影響が体温を下げる最大の原因といっても過言ではない。」「−略−車が走るにはガソリンなどのエネルギーが必要なのと同じで、人間にも熱を作る燃料になる食物が必要になる。このとき最もエネルギーになるのは炭水化物(糖質)、次に脂質で、最後にタンパク質が燃えてエネルギーになる。われわれが食べた食物はグリコーゲンや脂質というかたちで貯蔵され、これが利用されるとき、いったんはアデノシン三リンサン(ATP)やクレアチニン酸(CP)のかたちになるが、そのほとんど、つまり食べた食物の約80%は熱に変わる。炭水化物は普段は1%くらいしか体内にないので、エネルギーを急に必要とするような場合は早期に消費してしまう。悪天降下の登山は肉体的にエネルギーの消費量が多く、しかも寒いという条件であれば体熱を生産しなければならず、ますますエネルギーの消費量は増大する。例えば風速20m/秒の風に逆らって歩くと無風の2倍以上のエネルギーが必要とされる。/低体温症は、天候の条件と人間の熱を作り出すエネルギー(食物)の不足が関与していることをわすれてはならない。」
●遭難事例から見た低体温症:トムラウシ山2009年7月16日「−略−早くに亡くなった人は15分に1℃の急速な体温下降したことになる。これは登山中に低体温症になれば条件によってはそれを防御する時間が殆どないことを示している。人間の体温下降のスピードの最高値は15分前後。体温の下降が急激であれば、『体温の低下とそれぞれの症状』は通常な過程をとらずに経過する。−略−山で起こる低体温症は、体温下降の時間経過が早い場合はすでに34℃までが限界温度であり、ここもでに体温下降を回避する行動をとらなければ不幸な結果を招くことになる。この事故は、ガイドを含む参加者全員に低体温症の知識がなかったことと、軽量化を図ったために身体の熱源になるカロリー数が不足だったことが最も大きな要因だったと思っている。」
●白馬岳2012年5月4日
 「稜線上で『雨氷』に遭遇したとすれば体温を奪われる時間は劇的に短く、早い段階で意識障害がくる33℃以下になり、震えの症状もなく寒さを防御する時間もないまま死亡に至る。低体温症になってから死亡するまでの時間はおそらく全員が2時間以内だったのではないかと推測する。」「−略−いずれも天候の急変とはいえ低体温症を起こす条件下で、そのときはもうすでに安全地帯に逃げ込めない場所にいたことである。天候の悪化を予知できても、『とりあえず』行ける所までという気持は非常に曖昧な判断で、山での行動での『とりあえず』は時として大きな災難につながる。−略−また60代になると体温を調整するために血管を収縮したり拡張したりする機能が低下して寒さに対して体温調整の反応が遅くなる。また、基礎体力がないと疲労しやすい。−略−」

◆遭難をもたらした恐ろしい雨氷(飯田 肇)
 「雨氷とは、0℃以下になっても凍らない過冷却の雨(着氷性の雨)が地物にぶつかった衝撃で急激に凍結して形成される硬く透明な氷のことで、着氷現象の一種。−略−山岳で雨氷に遭遇すると、風でたたきつけられた雨がすぐ硬い透明氷となって一面に凍りつくことになり、急激に窮地に追い込まれる危険がある。」「−略−雨氷をもたらす気温範囲は0℃前後であり、この付近の気温域では、雨、みぞれ、着氷性の雨(雨氷)、凍雨、雪と降水形態がめまぐるしく変化する。低温による吹雪よりも悪条件がもたらされる可能性があるため、気象遭難防止の観点からも、0℃付近の気温域での降水に対して十分な注意が必要である。」

◆現代アルピニズムのプロファイル(71)クンヤン・チッシュ東峰初登頂(ハンスイェルク・アウアー)
 また一つ、7000mの未踏峰が登られた。ヒスパー・ムスターグ第2の高峰クンヤン・チッシュ(キンヤン・キッシュ7852m)東峰(約7400m)だ。高さこそ8000mに満たないものの、山体の大きさではK2の数倍を誇り、氷河からの標高差も約4000mとスケールが大きい。
 2006年にはスティーブ・ハウスとヴィンス・アンダーソンのペアが挑戦し6800mで敗退。4年前の2009年7月山川・谷口・長門トリオが挑戦したが6110mで敗退した山。ここをスイスとオーストリアのトリオが初登攀。三度目の攻撃、6日間の登攀。素晴らしい。

◆新釈ニッポン百名山(47)雲取山(樋口一郎)
 東京都最高峰の「雲取山」と言われているが、元埼玉県人としてはただ事ではない。と昔は思っていたがそんなに目くじらを立てることはない。確かにピークは東京・埼玉・山梨の三都県にまたがっているので、埼玉の山ではない。甲武信岳も然り。県境の山よりも埼玉県内にどっしりとある山のほうが県の山らしい。その点、両神山や和名倉山は埼玉県内に鎮座する。ただ、奥秩父の盟主として雲取山は残っていて欲しい。雲取山荘は秩父の新井さんが経営しているが、交通の便は東京からがよく、登山者も東京経由が圧倒的らしい。三峯山から雲取山の縦走は、古くから埼玉県民に親しまれた登山コースであるが、アプローチのバスや三峯ロープウェイが廃止されて久しい。埼玉県側は、静かな奥秩父の山となっている。

◆クライミング横文字辞典(11)アルパインクライミング
 このところ気になっている「アルパインクライミング」という言葉。しかし、「今の日本で『アルパインクライミング』というと、『山岳地帯で行う、比較的規制の緩いクライミング』ということになるだろう。」と解説者:海津正彦氏は纏める。「欧米人たちは、alpine climbingという語をどのような意味合いで使っているのだろう−略−手元にある英文の用語辞典や技術書の類に当たってみると、目次や索引でalpine climbingという項目を独立させているものはほとんどなかった。−略−おそらく、イギリス人やアメリカ人は、単に「アルプスの山を登ること」を指しているのであって、アルプス登山風な『登り方』や『考え方』を指しているわけではないのだろう。−略−アルピニズムという言葉が『登り方』や『考え方』といった思想性を帯びていた−略−英語のalpinismでも変わらない。そして今アルピニズムの世界では、アルパインスタイルがもてはやされる。下から上まで一本の線、技術を磨き、荷物を極力軽くしてスピードを速め、荷揚げしたり登り返したりすることなく、時に数十時間の連続行動で、昔では考えられないほどの大きな登攀を成功させる。アルパインスタイルはまさに一つのスタイルであり、アルピニズムの世界にフリークライミング的な考え方を大幅に取り入れた結果生まれてきたものと言える。」

◆続・山の法律学(35)人工壁でのクライミング事故(溝手康史)
 UIAA法律専門WGのマーティン・ラッグ「クライマーは、クライミングが通常の生活から区別された特別のものだと考える傾向があること、クライミングでも過失があれば交通事故と同様に責任を問われること、人工壁では、初心者も経験者もインストラクターでさえ、クライマーが安全な環境にいるかのように錯覚しやすい」と指摘する。否である。

◆すぐそこにある遭難事故(11)パーティーの分裂による遭難(金 邦夫)
 山の中で仲たがいなんて、ロクなことにならない −略−

◆アルパインクライミング考(23)山で生き抜くということ(横山勝丘)
 難解なこの問いについてもう一度考えてみる
 ■雪崩から生還したのは運「剱岳では、焦りと思いこみが選択肢をどんどん抹殺してしまった。『雪崩に巻き込まれる』という状況は、起こるべくして起こったのだ。」
 ■運に身を任せるということ「イリマリでの落石も、明神岳での墜落も、そして剱岳での雪崩も『何も対処できない状況』に陥ってしまった。その状況でぼくができるのはね願うことだけなのだ。運に身を任せるという状況はとても虚しく、そしてあまりにも怖い」
「イリマリでは懸垂下降中、浮いていそうな石のそばに近寄らなければよかった。もっと冷静に注意深く周囲を見渡していれば気づいたはずだ。/明神岳では、10m登る間にもっと注意深くプロテクションをとれる場所を探しているべきだった。クライミングを始める前にルート全体を観察しておくべきだったし、登りながら、もっとシビアに行くか退くかの判断をすべきだった。そもそもこの山行自体が、集中力に欠けてフワフワしたものだった。」
 ■行動に保険をかける「山で生き抜くのは、運ではない。要は『運に身を任せる状況』に陥らないようにすることが肝要なのだと思う。運に身を任せる状況=死、と考えるべきだろう。そのような状況に陥らないようにすることによって、100%ではないにしても、アクシデントの可能性は格段に減るはずだ。最近ぼくは、行動にはすべて保険をかけよう、と思うようになった。それも、できることならふたつ以上。保険をかけると言うと、ちょっと潔さに欠くイメージがあるかもしれないが、そうじゃない。ここでいう保険とは、選択肢を常に複数持ち、その中から用心深く正確な選択を行うことを指す。/選択肢を増やすには、自分自身の引き出しを増やすこと、そして身の回りの物事全てに敏感になること。正しい判断を下すには、体力や経験に基づいた余裕を持ち、思い込みを排除すること。−略−」
■ノッているときに気をつけろ「3件の事故は、自分がノリノリだった頃に起きた。−略−ちょっとテング状態だった。ある部分で、盲目的な状況に陥っていたのだろう。そんなときに事故は起きた。とどめは2008年春に起きた仲間の事故。−略−どこかのタイミングでぼくの山への取り組み方が劇的に変わったわけではない。少しずつ、だけど痛みを忘れないタイミングでまた新たな痛みを受け、それでようやくぼくは気づくことができたのだとおもう。/まだまだ足りない部分だらけなのは百も承知だけど、鈍感なぼくの場合は、こうやって体に染み込ませる以外に方法はない。要は、どのタイミングでどれだけそれに気づくかどうかなのだ。−略−臆病さは大切だ。かつては、臆病=腑抜けだと思っていた。でも、そうではない。より深く山を知り、山と自分自身との位置関係を把握しているという意味なのだと思う。そうなってはじめて、攻めのクライミングが可能になるのだ。」

◆人はなぜ山へ(11)雪山ビバーク訓練をやってみよう(山田哲哉)
 −想定外の過酷な一夜を生き抜くワザを学ぶ−
 「−略−山と天気に白旗を上げて取り敢えずその場で朝までがんばるのがビバークだ。人生初めてのビバークが本番にならないために、本格的な登山を志す者は、あらかじめ一定の困難な状況の下でビバーク訓練を行っていることが望ましい。−略−『これは、今日は降りられないな?』と思ったら、あまり追いつめられる前に少しでも快適に一晩過ごせる場所を探すことからビバークは始まる。まず、避けたいのは強風。うまい具合に風陰や風下に何人かが集まれる場所があるかどうか。できるだけ平らで、交代でも横になれるスペースが確保できればうれしい。もし樹林帯まで降りられそうなら、大変でも無理矢理降りてしまうとかなり楽だ。その場所周辺の地形をあれこれ思い出してそんな場所を探す。−略−多少とも厳しい登山をするときには人数に合わせたツェルト、コンロとコッフェル、そして各人がシュラフカバーを持つことだ。シュラフカバーは実際に一晩過ごすことになったとき、きわめて力強い見方になる。−略−シュラフカバーは体を寒気から遮断するだけでなく、布一枚とはいえ外界から隔てられている感覚が得られ、ツェルトと同じくらいの価値がある。−略−『寒くてたまらない』となったら、一晩に難解でもコンロを点けてお茶を飲もう。−略−一晩ガンバリ抜いた体は、結局、自覚としては『一睡もできなかった』としても、長時間の休憩によって必ず元気になっているはずだ。」
「−略−靴紐、スパッツのファスナー、ズボンやオーバーズボンの腰回りなどは、身体を締めつけず、血行が確保できるように緩めるといい。」
「−略−秋の終わりの今こそ、冬山への準備と心構えを刻み込むのにふさわしい。−略−年齢を重ね、毛細血管は少しずつ弱り、血行は悪くなり、寒さには確実に弱くなったようなきがする。/でも、雪山登山とは、そもそも敢えて好き好んで、寒風吹きすさぶ豪雪の山に分け入ることなのだ。年齢が増えたからといって、山は『オマエは勘弁してやるよ』とは絶対に手加減はしてくれない。ビバーク訓練は、何かと口実を設けては、つらいことからだんだん逃げる自分を見つめ直させる。−略−そして、朝を迎えられた達成感が生きていることを実感させられてうれしいのだ。だから、やってみようよ、ビバーク訓練。」

◆山の雑学ノート 「蚊とヒルに関する一考察」(澤田実)
 「−略−なぜ人間は蚊に刺されると痒くなるように反応するのかるそれは刺されたくないからだろう。蚊に刺されることを警戒しているのだ。思えば蚊が媒介する病気は多い。マラリア、デング熱、日本脳炎、黄熱病などの重篤な感染症ばかりが並ぶ。痒くなるという反応は、生物として蚊を恐れるように仕組まれたシステムと言える。」
「ヒルに血を吸われても、痒くも痛くもない。多くの場合、血を吸われていることにすら気がつかない。<※いや、痛かったり痒かったりしたら、人に気づかれて剥がされ、血が吸えないというヒル側の理由からに違いない>そして、ヒルが媒介する病気を調べてみると、実はほとんど例がない。それは蚊が血管から直接吸血するのに対し、ヒルは傷口から染み出てきた血液を飲むなど、吸血様式の違いにも原因にあるようだ。その危険度の差が、人間側の反応の違いになっているのではないだろうか。つまり蚊には刺されないほうがいいけれど、ヒルに血を吸われることは目くじら立てるほどのことじゃない、と体は言っているということか。しかし現実には、蚊に血をすわれるならまだしも、ヒルに血を吸われるなんて絶対イヤ、という人が多い。体の期待した効果とは逆の事態が起こっているのだ。−略−理由はどうあれ、どちらも嫌である。」
 →ヒマラヤでヒルと言えば『ズカ』である。マカルー遠征時、夏のキャラバンでは『ズカ』に悩まされた。痛くも痒くもないが、吸い付かれると剥がすのに苦労する。たばこが一番効果的だったが、吸われた跡から血が染み出て、何カ所か吸われると悲惨極まりない。何カ所吸われたかを競い合い「○○ズカ」と単位をつけて数えていたら、高得点者は落ち込んでしまった。そして最近は日本国内でもヒルの繁殖がもの凄い。鹿の増加と比例して増えている。春から秋まで、ヒルの居ない地域で沢登りがしたいと、適地選定の条件が増えてしまった。痛くも痒くもないが、避けたいものである。

◆これナニ? 山歩き(6)奥武蔵・物見山〜日和田山2(漫画=太田DOKO、文=宗像 充)
 日和田山の最寄り駅:高麗(こま)駅を降りると例の「天下大将軍」と「地下女将軍」とかかれた将軍標=チャンスンがある。これは、朝鮮半島の古い風習で、村の入口に魔よけのために立てられたものだという。この付近は、716年に関東周辺の亡命高句麗人1799人が移り住んで開拓し、独特な雰囲気がある。岩登りのゲレンデ:日和田山の帰りによく立ち寄った。

以上
  
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2013年11月06日

20131103 富士山・吉田口より往復

s-PB030117剣ヶ峰山頂にて
20131103 富士山・吉田口より往復

◆パーティ:岡田・政・加藤
◆コース&タイム:
 ●11/03加藤宅4:30==岡田宅4:50==政宅5:00==本庄児玉IC==河口湖IC==吉田口五合目P2305m7:20/7:40−−六合目2390m8:15−−岩道に入る8:25−−花小屋2700m8:54−−七合目トモエ館8:55/9:05−−鳥居荘2900m9:27−−東洋館9:33−−白雲荘3200m10:15−−鳥居・元祖室3250m10:21−−本八合目3400m10:53−−九合目3600m11:23−−浅間大社奥宮(久須志神社)11:50/12:10−−剣ヶ峰3776m12:40/12:55−−浅間大社奥宮(吉田口)13:05−−浅間大社奥宮(久須志神社)13:25−−本八合目13:50/14:02−−七合目トモエ館15:00/15:10−−五合目P15:55==コンビニ==道の駅かつま・泊
 ●11/04 道の駅かつま==河口湖温泉寺==河口湖IC==談合坂PA・昼==本庄児玉IC==自宅

◆概要
 仲間が年末年始にアコンカグアに行く計画なので、その順応訓練としての富士山山行。翌日は三つ峠でクライミングの予定。加藤は、アコンカグアのアドバイスを兼ねて参加する。
 岡田宅、政宅を経由し富士スバルラインを登って、世界遺産登録後初めて富士山へ足を踏み込む。駐車場にはまばらな車。トイレは前回以上に綺麗になっていた。但し、トイレ以外は期間外で封鎖されている。土産物屋もまだ早いのかしまっている感じ。営業準備をしているのは、馬だけだった。
 以前よりも綺麗になったのは案内板。特に五合目の動植物等の案内や説明が色々されていた。
 夏とは比べものにならないくらい静かな御中道を進み、泉ヶ滝の分岐から六合目へ登っていく。が、ここには登山禁止の看板があり、格好だけ封鎖されている。でも馬も通っている。
 六合目の案内所も封鎖されている。夏なら自動的に色々なアナウンスが流れていたが今はその喧噪さも懐かしく感じるほど静かである。しばらくジグザグの砂利道を行くと岩が出てくる。
 岩道に入って30分。最初の小屋:花小屋が現れる。ここから先、小屋の連続。しかし、看板は殆ど外され、何小屋かわからないところが多い。
 七合目トモエ館のところで休憩。眼下の丹沢山塊と山中湖が特徴的である。また、明日行く三つ峠山もはっきり見えてきた。
ここから先、残雪も現れ、急な岩道が続く。息が苦しくなるところだ。
 その後は、赤い鳥居のある鳥居荘、ウッドデッキで新装?の東洋館、白雲荘、鳥居のある元祖室、そして本八合目。ここから上は富士山頂浅間大社の領地となる。ジグザグに登っていき、鳥居をくぐった先に、九合目久須志神社。ここは一部屋根と壁が崩れていた。ここから最後の急登になり、大きな鳥居を潜ると「富士山頂上浅間大社奥宮」の碑が立つ山頂となる。風が強いので久須志神社の陰に隠れて、休憩しながらアウターの上下を着る。オーバーミトンも着ける。
 そして、お鉢巡りをする。今回は初めて左回り。風に逆らうように前進はところどころ強風帯があった。ガスってもいるので眺めも悪く、ひたすら前進すると、観測所跡の剣ヶ峰山頂に到着。風が完全に遮られ、ホットスポットになっている。記念写真を撮ってしばし休憩。ここまで、外人さんとすれ違うことが多かったが、富士宮口から登ってきた若者1人と会話。
 その後、後半のお鉢巡りをして吉田口登山道に戻る。そのまま下山を開始する。
 最初の30分位で本八合目に到着。休憩。その後、急な岩道を下り、七合目で休憩。そして、六合目を過ぎ、観光客の数が増え出した御中道を行き、観光客でごった返す五合目に到着した。朝とは打って変わって、沢山の観光客が出入りしている。

 その後、コンビニで買い出しをして、道の駅かつやまに到着。既にお店は閉店し、灯りも消えている。キャンピングカーが何台も駐車しており、その間に入って車を停め、隅にテントを張る。
 その夜は、すき焼きを肴に、各自持参のビールやワイン、日本酒を飲んで、アコンカグアの計画等を話し合う。

 翌日は、雨降り。雨が止むまでまったりしていたら、気力も失せる。クライミングは諦め、温泉に寄って帰る。河口湖温泉寺は、なかなか粋な温泉だった。

以上

s-PB030031高速道路より朝の富士山s-PB030033朝の富士山・五合目より
s-PB030034吉田口の銅像などs-PB030035案内図
s-PB030037 山中湖s-PB030039草紅葉の富士山麓
s-PB030040泉ヶ滝s-PB030044六合目
s-PB030047山中湖と丹沢山塊s-PB030056鳥居荘
s-PB030057鳥居荘より吉田ルートを俯瞰s-PB030058ウッドデッキの東洋館
s-PB030063ニセ八ッs-PB030064八合目
s-PB030088三つ峠s-PB030103山頂の鳥居
s-PB030105九須志神社s-PB030107地図
s-PB030110 観測所跡s-PB030116剣ヶ峰山頂
s-PB030117剣ヶ峰山頂にてs-PB030124久須志岳
s-PB030129お釜s-PB030131剣ヶ峰を望む
s-PB030133富士宮 奥宮s-PB030139エビのしっぽ
s-PB030142下山開始s-PB030147下山
s-PB030148山中湖s-PB030152青空
s-PB030155午後の山頂部  
Posted by buntak2 at 00:00 山行報告 | 深谷山岳会