2010年11月28日

平出和也講演会 20101125 part2

平出

平出和也講演会 20101125 part2

 新しい映像と動画を交えての講演。一週間前に下山したばかりの最新の登攀を国内で初めて聞かせて貰った。そのなまなましい報告は、まだ咀嚼されていないがうえに初々しくドラマチックな話となった。
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◎今回は、僕の「弱さと強さ」を伝えられたらと思う。

●つい最近アマダブラムへ行って来た。北壁の新ルート。最初はその話し。
・パートナーは、ドイツのデービット。32歳。一つ上。
・ヘリで下山、その様子は、後ほど詳しく。

●僕は、何かをするとき「新しいテーマ」を設定する。
・今回は、新しいルート。新しいパートナーと。

●パートナーへのこだわり(ドイツ人のデービットとの…)
・彼とは、フィンランド人のベーカー(元々は竹内の友人)とのGⅡ遠征の時、パキスタンの谷で出会った。彼はその時、K2で8000m峰13座に登頂した女性のサーポートをしていた。
・今年も谷口ケイと登ろうとしたがケガで×。どうしようかと思っていたら、デービットからメールが届いた。
・アマダブラムのノーマルルートは南稜。その反対側の北壁を選ぶ。
・食事・文化の違い、デービットとも…お互い振り回されてしまうが、それは自分を見ているようなもの。
・北壁はちょっと急。北側で陽が当たらず寒い。新しいパートナーと登れるのだろうか?と不安だった。
・チュクンのロッジをBCとする(これは新鮮)。食事も直ぐに頼め、テントでのBCとは違う。スタッフもいない。自分の部屋に帰るかんじ。ポーターは3人のみ。新しいスタイルの登り方。
・しかし、アマダブラム北壁とはあまりにも近すぎ、心の準備が出来ない。距離感が近すぎる。ロッジから直ぐに見える。毎日望遠鏡で観察。心の準備はモチベーション?  に半分ぐらい重要。
・最近の遠征はBCに1隊だけ、というのが多かったが、今回は違った。トレッカーが多く、初めは色々説明したがそのうちに説明は面倒になり、好きだから此処にいるんだと言うようになった。
・そのうちに、ロッジの配膳を手伝い、キッチンを手伝い、まかないをいただき、最後は宿代を労働で払った??。
●高所順応は、1.チュクン・リ(5500m)で行う。初期のヒマラヤでは4000mで高山病の症状が出てしまったが、このごろは反応が出なくなった。自分のコンディションが解り、コントロール出来るようになった。
・次は2.アイランドピーク(6120m)。北稜を登った。ルート(トレース)が無く、左側から回り込む。
・ローツェ南壁にはスペイン人2人が登っていた。何処を登るのだろうか?雪崩れが凄く、自分にはリスクをコントロール出来ないと思った。つまり、登れる可能性を見いだすことは出来なかった(=登れない、登らない)。
・アイランドピーク北稜に取り付く。ノーロープでどんどん行く。どのタイミングでロープを出そうか?言い出すのが……。パートナーとの関係。弱さを見せることができるか否か?
・強がり・プライドを捨てることが出来たので、より上のパートナーシップが出来た。
・アイランドピークの頂上直下で2泊。ノーマルルートを下降。

その後、天候待ち…。
・雨が降ったとしても、良いことばかりを考えた(ポジィティブに)。
・一度壁の下まで行ってみた。スクリューで支点が取れなければ登りたくない。
・固くパックされた雪。アイスでは無かった。
・大雪が降って、デービットはもう駄目だと思った。「怖い」と言ったが、直ぐに返事は返さず「とにかく取り付いてみよう」と……。
・道具、食料等の準備。
・壁の下でテント泊。2005年シブリン北壁(6543m)で(凍傷のため)足指を落としているので、もう「北壁は無いな!」と思っていたが、また北壁。しかしその教訓(失敗の経験)を生かすことができた。
・天気は良い。二日目、平出は不調だが、デービットは調子がよいので委せろ!。という感じ。
・スクリューはスカスカ、スノーバーは刺さらない。
・ストレス的体力があれば登れる。デービットはストレスが…。
・ルートはトラバースが多く、大変だった。
・荷物=ガスカートリッジが4本、食料5日分。トップが空身で行くことはしないで、終始ザックを背負ったまま。デービットは強い。
・最後のヒマラヤ襞は、スノーバー2本で登る。
・稜線に出る。雪が不安定。北稜を2時間程登ったが、雪が崩れデービットが30m滑落。
・「山頂へのこだわり」より「ルートへのこだわり」が勝り、リスクを犯してまで山頂へ行く必要はないか?となる。
・持っている物を使って、登ったルートを下降するシュミレーションを全て終える。
・寒い、手が痺れている。陽の当たらない北壁。やっと陽の当たるところへ出てきた。
・「指を落としたくない」。
・2時間位話し、ヘリで下るのも一つの方法と平出が案を出す。生きて帰れる最善の方法→気持が切れてしまった。連絡は携帯。ロッジでプリペイドカードを購入。
・初めにデービットが降り、次に自分。そのヘリが落ちた。1回150万円。2人で300万円。・2月号の「岳人」でレポートの予定。
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これまでの登山(海外)
○2001年クーラカンリ東峰(7381m)初登頂
・東海大とチベット大学の合同隊。許可料は初め2000万円が合同隊で400万円となる。
・行けば登れるのではないか?と思ったが、ラサで高山病になり一週間寝込む。
・5トンの荷物。極地法は、当時その山のルートで必要とされた方法だった?
・下の畑で作業したり、いろいろ遊べた。
・登山を始めて2年で山頂に立てた。自分の可能性を広げた山。ここから、少人数の登山スタイルが生まれる。

○2001年チョー・オユー(8201m)通常ルート・無酸素登頂・スキー滑降(大石と)
・大石君と2人で登る。登山料は、他の隊とシェアする。英語は出来なかった。外国人は強いという気持があったが、こちらは登れて、他は登れなかった。
・新しい挑戦は、山頂からスキー滑降。100cm位のスキー。2、3ターンしたらハアハア、ゼエゼエする。

●今までは、人が行こうと言って乗っかった山。この次は、自分の目標で登りたい。自分で課題を見つけ、自分で解決したい。では、何処へ?といったとき解らない。やったことは、パキスタンのmapを全部張り合わせ(畳み1畳半位)、当時登られていた全てのルートを書き込んだ。それを持ってパキスタンへ出かけた。寺沢玲子さんや飛田さんにお世話になった。それで行ったのが、

○2004年ゴールデンピーク(7027m)北西稜・登頂(谷口と)
○2004年ライラピーク(6200m)東壁新ルート・登頂(谷口と)
○2005年ムスターグアタ(7564m)東稜第2登・スキー滑降(谷口と)
・裏から登り、スキーで降りる。

○2005年シブリン(6543m)北壁新ルート・登頂(谷口と)
・成功と失敗を味わう。ストレス、水が飲めず、ガスも終わり、凍傷で足指を落とす。
・この山は、写真を見て登りたくなった山。写真だけで登りたいと判断した山。

○2008年ガッシャブルムⅡ(8035m)通常ルート・無酸素登頂(竹内・ベーカーと)
○2008年ブロードピーク(8047m)通常ルート・無酸素登頂(竹内・ベーカーと)
・フィンランド人ベーカーとの関係は心地よかった。
・話は全て共通語の英語で話す。
・山を登る人をサポート(応援)することが出来るようになった。俺が俺がという態度からの変化。登山から学んだ。

○2008年カメット (7756m)南東壁新ルート・登頂≪読売スポーツ賞受賞&第17回ピオレドール受賞≫
・ピオレドールは、「如何にリスクを押さえ、果敢に挑戦したか!?」を問う。次世代へのアピール。危険なことをしないと評価されないと言うのでは無い。

○2009年ガッシャーブルム1峰 (8068m)(ベーカーのサポート)
・行く前に、フィンランドのベーカーの家に行く。ベーカーは、フィンランド初のエベレスト登頂者。自然が好きで、山をやっている。
・一緒にハンティングに行く。危機管理やチームワーク、距離感等が登山と共通する。

○2009年ガウリサンカール (7134m) 途中敗退(谷口と)
・片道切符ならば行ったかもしれないが、帰りのことを考えて敗退する。降りた翌日から大雪になる。突っ込んでいたら登ることも下ることも出来なかっただろう。結果オーライ。

○2010年バカブー山群:ハウザータワー(大石と)
・10年ぶりに大石君と一緒に行く。瑞がき山で4回トレーニング。大石君は13クライマー。
・壁を抜けてから雪のある稜線。ここは平出の出番。2人がそれぞれ、良いところを出し合い補いあって成功した登攀。

そして、前半に話した
○アマダブラム北壁(6000m)新ルートからの登頂(デービット)
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Posted by buntak2 at 23:55│ 海外情報 | 埼玉県山岳連盟